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国務大臣(
小林武治君) これはお話のように、理論的に申せば、いまの
社会保障は医療保障と所得保障と、こういうことになっております。所得保障は、いまのいわゆる厚生
年金、
国民年金あるいは
企業年金、こういうようになっておりまして、
社会保障が十分に発達すれば、こんな補完作用としての個人の自己防衛というものは要らない、これは当然そういうことは言えるのでありますが、私もまあ厚生
大臣やってみまして、一体、
社会保障がほんとうに十分な機能を発揮するためには、国民所得あるいは国民生産が大きくならなければ、どうせ
一つのものを分配するんだからして、他の公共
事業にもいく、また、
社会保障にもいく、お互いの分配の問題でありますから、なかなか日本の国民生産の
程度では、いわゆる欧米でやるような
社会保障というものはむずかしい。したがって、私は、過渡的の問題として、やっぱり個人の自己防衛あるいは個人の補完作用が必要だ、したがって、私は、
郵便年金も、また簡易
保険もやっぱりこれは必要であると、こういうふうに思います。ただ、
年金自体が十分な機能を発揮するなら、私はまだ補完作用としての存在意義があると思いますが、いまのような
小額のものはもう全然補完作用にもならぬと、ただ役所にとっても事務繁雑であり、個人によっても迷惑なことだと、そういうようになりますので、私は、ある
程度の
年金を月々保障できるような
制度ができるなら、まだ存在
価値がありますが、いまのような
最低年額三千円だとか、そういうふうなものでは、これは全体の平均をいうても、月一万円にならない。少なくとも一万円くらいなければ、
年金とは私は言えないんじゃないかと、かように思っておりまして、いま申すように、これらの存廃についても私は
考えなければならぬ。しかも、まあ
保険とか
貯金とかいうのは、これは
鈴木先生などは御異論があると思いますが、
積み立て金等において、いろいろの公共社会資本の充実等にも役立っておるが、
年金の
積み立て金などはごく些少なもので、そういう
意味さえもない。結局は、当初の目的が個人の所得保障という目的から出発しておって、その個人の所得保障の目的が果たされない、こういうときになっては、私は、まず今日のこの案が第一歩じゃないかということをいまおっしゃったのでありますが、とにかく、こういうばかばかしいものだけでも、できるだけ早くやめたいと、そういうことでこれは出発しておりますから、いまのような、一体、
年金はどういう用をなすか、こういう本質論に立ち返って私は検討すべきものであると、かように
考えております。これを今度やることは、役所の事務の繁雑も解けまするが、個人にとってみましても、非常なわずらいがなくなる、
加入者にとっても、わずらいがなくなる、こう言えるのであります。役所がずるい
考えをするならば、今日三十億円を払わぬでおいて、
運用すればどんどん利益を生むと、こういうことになるのでありますから、将来にわたっての利息とか、あるいは
運用上の利益までこの際一緒に返してしまう、こういうふうなことで、個人も、
加入者にとっても、私はその点はいいことではないかと、かように思います。したがいまして、こういうことでもって、
戦前の常識をはずれたようなものを
整理すると同時に、今後続いてひとつ、戦後の
小額年金などというものについても、私は
考えをめぐらさんければならぬと、その上で一体、たとえば月一万円
年金というものが、
加入者が喜んではいれる、こういうふうなことになれば、私は続けていきたいと思う。そうでなければ、それも
考えなければならぬと、こういうふうに
考えておりまして、まあ一がいに、はっきりは申し上げかねるが、さようなことも頭に置いてこれが出ておる、こういうふうに申し上げます。