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参考人(今井
敬弥君) 東京
弁護士会所属
弁護士の今井
敬弥でございます。
私は交通問題を中心に勉強している
法律実務家の
立場から御
意見を申し上げたいと思います。
私はまず第一に、
道路交通法の一部を
改正する
法案中の二条の部分の、いわゆる交通
反則金通告制度の
憲法上、司法
制度上の問題について
意見を述べ、第二に、
改正法案の一条と二条の部分全体について、道路交通
行政のあり方という観点から
意見を述べてみたいと思います。
最初、いわゆる
反則金制度の問題でありますが、私はこの
制度は明白に
憲法違反の
制度だと
考えます。もともとこの
制度は、昨年五月案では納付命令
制度となっておりましたが、最終案で
反則金通告制度と変えられ、国税犯則取締法からのヒントと、それへの接近が濃厚に感じられると思います。
さて、問題は、この
反則金の
性質ないしはその実質だと思います。
改正案の説明では、この
反則金は
罰金でも科料でも過料でもなく、国税犯則取締法で納付を
通告される
金額と類似の
性質であるという以上の説明がなく、結局私の見るところでは、
反則金の
性質を明らかに説明できなかったものではなかろうかと
考えます。しかし、この
反則金の本質は、どのように名称づけようとも、私は
刑罰だという以外に言いようがないと思います。確かに国税犯則取締法には
通告処分が存在いたします。しかし、その
通告処分が間接国税、たとえば酒税――酒造税等でございますが、それだけにその存在を許される唯一の根拠は、おそらくは税法の特質、すなわち租税債権
関係が成立し、国庫に対する債務履行義務があり、かつ徴収確保という財政上の政策によるものと思われるのであります。この
制度を合憲と判示いたしました昭和二十八年十一月二十五日、
最高裁の判決も、かような
手続が認められるゆえのものは、間接国税の犯則のごとき財政犯の犯則者に対しては、まず財産的負担を
通告し、これを任意に履行したならば、あえて
刑罰をもってこれに臨まないとすることが、間接国税の納税義務を履行させ、その徴収を確保するという財務
行政上の目的を達成する上から見て適当であるという理由に基づいているのであると、判示して、
通告処分の特質を明らかにしているのでございます。
ところが、自動車
運転者と国家との間には、単に道路上を運転したというだけで、租税債務的な
法律関係の成立するいわれのないことは明らかだと存じます。
憲法三十一条は、「
何人も、
法律の定める
手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の
刑罰を科せられない。」と、いわゆる適法
手続の
規定をしております。この
刑罰の中には、
刑法等で定められた固有の
意味の
刑罰のみでなく、過料などの
秩序罰や執行罰が含まれるとされるのは、学界の通説的
見解であります。だとすれば、この
反則金の
通告に対し、
憲法の
刑事手続に関する諸
規定に適合した救済
手続のないのはもちろん、
行政不服審査法の適用まで排除されているのでありますから、これが
憲法三十一条と
憲法三十二条、すなわち「
何人も、
裁判所において
裁判を受ける
権利を奪はれない。」という
規定に違反することは明白だと存じます。
あるいは、これに対して、
反則金に不服の者は納付を拒否して、
裁判の道を受ける自由があるという反論が予想されます。しかし、
反則金を納めない者は
刑事訴追を受けるのでありますから、被
通告者は事実上強制されるという実質を看過してはならないと思うのであります。たとえていえば、水は低いほうへ流れるのが自然の法則であります。これを高いほうへ流れる自由もあるから、低いほうへ流れるかいなかは全くの任意であるとは言えないのと同じ理屈だと思います。さらに、現場で
反則金の
通告を受けた者は、その時点でそれに従わなければ訴追されるという
意味において、すべて
反則金の納付を解除条件とする
刑事被疑者の地位に立たされることになります。しかし、たとえ解除条件づきとはいえ、これらの
刑事被疑者には、この
制度上何らの
刑事手続上の人権保障
規定が与えられていないのであります。
衆議院の
地方行政委員会に
参考人として
意見を述べられました
山内教授は、この
制度は
憲法三十一条、三十二条に違反する疑いがあると述べられながら、合憲だと言われる根拠は、単に、先生によれば、この「
通告処分を必要としてやまない公益上の理由」であるということのようであります。しかし、もし一億総前科を避けるためというのであれば、車間距離不保持とか、あるいは右左折違反など軽微な
違反行為を一切
刑罰から解放して、純粋に
行政罰にすれば簡単に解決できるし、またそのほうがドライバーにとって幾重にも福音であり、歓迎されるものだと私には思われます。
反則金制度は、警官に捜査権はもちろんのこと、比喩的に言いますれば、新たに起訴権を与え、その上、一たん納付したあとは、いかなる争訟
手続も与えられていないという
意味において、最終の判決権をも与えることになり、これが
憲法七十六条二項の「
行政機関は、終審として
裁判を行ふことができない。」という
規定に違反するばかりでなく、大きくは司法
制度全体を突きくずすことになるのではないかと憂慮にたえないのでございます。そしてまたこのような重大な問題を含む本
制度が単なる公益上の理由でその存在を許されるべきではないと
考えるのでございます。
次に、このたびの
改正案全体について、道路交通
行政の基本的あり方という観点から
意見を述べさせていただきたいと思います。
結論から申しますると、私は今次の
改正案、特に前述の
反則金制度と
免許の仮停止
制度に反対の
意見でございます。確かに統計によりますると、
交通事故と違反件数が激増しております。そして
道路交通法は危険の防止と交通の安全をはかることを目的としております。しかしながら、この交通安全と危険防止には、単に
運転者の取り締まりと
刑罰の強化のみをもっては、目的が達成されるものではないということは明らかだと思います。道路交通はいろいろの要素で構成されているものでございます。物的な面では、道路、標識等の設備、車両等があり、人的な面では、
運転者、歩行者及び規制者としての
警察官がおります。これらの物的人的要素を総合的に
考えて施策することなしに、道路交通の円滑と危険防止に資することができないことは、
何人もお認めのことだと存じております。
昭和三十五年、
道路交通法制定の際、
衆議院が附帯決議で「交通に
関係のある
行政機関相互間の連絡調整を徹底して、総合的な道路交通
行政の実現を期する」ことを決議しているのも、私はその見地で理解しております。しかし、このような附帯決議が、その後の交通
行政にどれだけ生かされ、実行されてきたでしょうか。たとえば道路法
関係は建設省の所管ですが、わが国の道路率の低いのは世界に冠たる事実であります。たとえばワシントンでは四三%、ニューヨークでは二五%にかかわらず、東京では一三%、大阪では十二%しかないという統計が出ております。また、道路上の標識等の設置は、
道交法上も、公安
委員会は設置することができる、
道交法の九条でございますが、とあるだけで、義務的ではありません。道路法や道路構造令を見ましても、歩車道の区別や歩道橋の設置義務な
どもちろんないのであります。
このような交通
行政の総合的施策が行なわれていない反面において、
道路交通法には昭和三十五年のその全面的
改正以来一貫して持ってきた特質なり
考え方、いわば思想があると
考えられます。それは端的に言うならば、
警察官の
権限拡大と取り締まり
刑罰等の強化にあったのではないでしょうか。昭和三十五年の
改正のときに、世俗的には一口に体刑五倍、
罰金十倍といわれたようであります。そして
警察官の指示権の強化等がありました。その結果、現場警官による
権限乱用事案が多発しております。
法律実務家の一人として私はこの点についてはっきり事実を申し上げることができます。
たとえば私の取り扱った事案では、三十六年三月に発生した一警官のタクシー運転手に対する暴行傷害
事件があります。これは白昼堂々と行なわれました。告訴と国家賠償を請求しましたが、すでに一審判決-東京地方
裁判所三十九年三月二十五日、二審判決-東京高等
裁判所四十一年三月二十三日、によっても
警察官の暴行傷害の事実は認定され、勝訴を得ておるのに、東京地方検察庁は、六年もたった今日でも告訴に対する何らの応答もしておりません。昭和三十八年十一月の一警官による暴行傷害
事件もあります。これも告訴と国家賠償を請求いたしましたが、ついに
刑事上タクシー運転手が起訴された事案です。一審の大森簡裁は、警官が逮捕時暴行陵虐を連続的に加えたことを認定した上、このような不正な逮捕は
憲法三十一条違反として公訴棄却の判決を言い渡しました。同
裁判所四十年四月五日判決であります。国家賠償も四十年一月二十九日東京地裁により勝訴しています。また、昨年七月三十日には、新宿の甲州街道上で、やはりタクシー運転手が白バイの警官に逮捕され、その上もよりの歩道上の工事現場の鉄柱の補強鉄線に手錠をかけられて、約十分間もそのまま放置されたという事案も起きています。この事案も当然告訴いたしましたが、本年六月三十日、不起訴
処分となりました。
以上でおわかりのように、現場警官の
権限乱用は数多くあります。そしてこの種現場警官の暴行陵虐
事件については、告訴をしても一〇〇%といっていいくらいに
刑事上の訴追は期待できません。これがまた警官の乱用を助長させている一つの理由とも
考えられます。
また、警職法上の
権限の問題ですが、本年四月十日の朝日新聞夕刊によると、新宿の地下プロムナードで一市民が
警察官にいきなりどこへ行くと胸ぐらをつかまれて、コンクリートに足払いで転倒させられたという事案が写真入りで報道されました。御記憶のある
先生方もあると思います。朝日新聞は同月十二日の社説で、これらの警官の
行為、態度に警告を発しているのであります。法務総合研究所の安西検事が「ジュリスト」三百七十号に、
反則金について賛成の
立場で論文を書かれておりますが、しかし、やはりこの
制度を
運用する
警察が、もし不公正に、あるいは権威主義的なやり方で事に当たり、
警察に対する
国民の信頼を裏切るようなことになれば、この
制度の生命を失なわせることになると言っています。つまり、今次
改正案の
警察官への
権限拡大に対する法的チェックは法制上ないことを認めた上で、結局
運用面で臨めと言っておられるわけでございますが、前述の交通
警察の実情を
考えますと、私は
警察に期待することはきわめて困難で、
国民の信頼をつなぐためには、やはり法的に
警察官の
権限をチェックしてゆく必要があるとはっきり申し上げたいと存ずるのであります。
今回の
免許の効力の仮停止
制度の新設も、やはり警官
権限の拡大の方向と一致しておるものと
考えられます。その
権限は
警察署長にありますが、実質的には現場
警察官による事実認定を基礎とするのですから、現場警官の
権限拡大といってもよろしいかと思います。そしてこの
制度は、従来の聴問
制度を事実上崩壊させるものであると断ぜざるを得ず、しかもこの
制度でも、
警察官の
権限をチェックする法的な保障は全然
考えられておりません。特に仮停止のできる要件として、百三条の二、一項三号、これこれの「
違反行為をし、よって
交通事故を起こして人を死亡させたとき。」の一から十一までの要件です。この中で、無
免許、無資格、積載オーバーの場合にはまだ認定が容易といえましょう。しかし、その他の過労運転とか、スピード違反とか、信号違反等は、現在でも
正式裁判で数多く争われている事案であります。この現状を見ても、その認定が客観性を欠き、きわめて困難であって、トラブルと抗争が惹起される
可能性は明らかだと思います。しかし先ほど申し上げましたように、
警察官の
権限をチェックする法的保障は皆無でございます。署長に五日以内に弁明の機会を与えられるという
規定はありますが、およそ取り締まった側の同じ
警察の署長に対する弁明は無
意味にひとしいと思います。この観点から、先ほどの三の諸
規定は、少なくとも無
免許、無資格、積載オーバーを除きすべて削除されるのがしかるべきだと存じます。
さて次に、昭和三十五年の
改正で、現行法の七十四条、七十五条で雇用者等の義務を新設したことは一応の進歩的な意義を持っていたと思います。しかし、これはあくまで一応であって、制定の当初から識者によって、結局名義だけの条文に化するおそれがあると指摘され、
衆議院の附帯決議でも、この
規定の趣旨を実現を期せと決議されております。しかし、実際法の
運用においては、東京地方検察庁が使用者責任追及のため専従班を設けたというのが、四十一年の十月三十一日であったという事実からも、
当局の関心を推測することができると思います。
現在運転
免許取得者二千万人のうち、約九割が職業運転手だといわれております。現行法が雇用
運転者という具体的な概念設定をせざるを得ないところに、今日の
道交法問題の根本があろうかと思いますが、しかし、
道交法の雇用
運転者と雇用者への彼我の取り扱い方には、特段の差別が見られます。たとえば、現行法の七十四条二項についていえば、速度違反につきそのような
業務を課した雇用者には、懲役三月以下か三万円以下の
罰金であるのに、六十八条違反の
運転者は、六月以下の懲役と五万円の
罰金です。同じく七十五条の過労、病気等の状態の運転を下命、容認した雇用者は、前同様の罰則であるのに、六十六条違反の
運転者の罰則も前同様であります。このように雇用者と
運転者への
刑罰の評価は、二倍も違うのであります。しかし、一体過労運転一つ取り上げてみましても、労働者のだれが好きこのんで運転するでありましょうか。使用者の命に従わないと解雇その他の不利益が事実としてあるからそこ、やむを得ず運転させられているのが実情だと思います。この実態無視をさらに拡大強化しているのが、今回の積載オーバーの罰則強化だと思います。
この案によると、積載を下命、容認した使用者側が
罰金三万円以下であるのに、運転した
運転者に対しては、新たに懲役三月という重刑が課せられることになっております。一体積載オーバーは労働者が好きこのんでやるものでしょうか。サービス過当競争等で使用者がやらせるのが、隠れもない実態だと思います。使用者とその運転手に対するこのような差別的評価は、法の適正な定立とは断じて言い得ないと思います。ぜひとも
運転者に対する懲役刑は削除されるべきだと思います。そして、いわゆる白トラといわれるものの取り締まりにつきましては、道路運送法の
改正によって
免許制度とすること、あるいは成立が期せられているダンプカー規制法等によって規制されるのが筋道と
考えられるのであります。
最後に申し上げたいことは、
道交法の
改正のたびに交通
警察官の資質の向上が附帯決議としてなされておりますが、これは
警察官の
権限拡大に対する
立法府の率直な危惧を示すものだと私には
考えられます。そして
道交法でも大きな
権限を与えられている公安
委員会が、今日すでにその機能を十分に果たし得なくなって、そのほとんどが
警察官に委任されている実情が指摘されております。東京都の場合には、月に二回の定例会議しか開かれていないと私は聞いております。このような実態に即すると、将来の方向としては、交通
専門の公務員の新設と、新たに交通
委員会あるいは交通
審議会というものを設置して、これに
国民の参加を求めて、真に道路交通
行政を民主的にコントロールできる道を真剣に策定すべきではないかと
考えておるものであります。
私の
意見を終わります。