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1967-07-11 第55回国会 参議院 社会労働委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年七月十一日(火曜日)    午前十時五十六分開会     —————————————    委員異動  七月十日     辞任         補欠選任      瓜生  清君     片山 武夫君  七月十一日     辞任         補欠選任      大橋 和孝君     西村 関一君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         山本伊三郎君     理 事                 植木 光教君                 土屋 義彦君                 藤田藤太郎君     委 員                 黒木 利克君                 紅露 みつ君                 佐藤 芳男君                 山下 春江君                 山本  杉君                 横山 フク君                 杉山善太郎君                 西村 関一君                 藤原 道子君                 小平 芳平君                 片山 武夫君    国務大臣        厚 生 大 臣  坊  秀男君    政府委員        厚生大臣官房長  梅本 純正君        厚生省公衆衛生        局長       中原龍之助君        厚生省医務局長  若松 栄一君        厚生省児童家庭        局長       渥美 節夫君        厚生省保険局長  熊崎 正夫君        厚生省年金局長  伊部 英男君        厚生省援護局長  実本 博次君        社会保険庁年金        保険部長     網野  智君    事務局側        常任委員会専門        員        中原 武夫君    説明員        内閣総理大臣官        房参事官     武藤  昭君        大蔵省主計局主        計官       辻  敬一君        厚生大臣官房統        計調査部長    松尾 正雄君        厚生省医務局総        務課長      中村 一成君    参考人        日本赤十字社衛        生部長      北村  勇君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○戦没者父母等に対する特別給付金支給法案  (内閣提出衆議院送付) ○参考人出席要求に関する件 ○社会保障制度に関する調査  (新生児人権問題等に関する件)  (新生児看護等に関する件)  (ハンセン病患者対策に関する件)  (国民年金に関する件)     —————————————
  2. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) ただいまより社会労働委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。昨十日、瓜生清君が委員辞任され、その補欠として片山武夫君が選任されました。     —————————————
  3. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案、及び、戦没者父母等に対する特別給付金支給法案の両案を一括して議題といたします。  これより質疑を行ないます。質疑のある方は、順次御発言を願います。
  4. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 この援護処置は非常に多岐にわたって戦争あと始末を、それだけというわけにはいかぬでしょうけれども、大体そのものを中心にして援護処置というものが行なわれてきておる。厚生省中心になってむしろ行なわれてきた。最近、この援護処置が始まってから、やはりいままで援護処置の行なわれてなかったいろいろの問題がまだ皆さんで思い出しながら、周囲の生活を見ながら、何とかあの方も漏れておるからしてあげなければならぬというようなことは、厚生省一般国民も気をつけてきているところだと思うのです。これはおのずから時代に沿って援護をする限度というものが生まれてきながら処理されてきた、私はそう思っている。ところが、最近の風潮で、引き揚げ者援護、要するに在外財産処理が済んだら、もうこれで戦後処理は全部終わりなんだというようなことをいわれているわけであります。それでいいのかどうかという疑問を私は持っているわけです。人に関して、戦争に直接参加された、間接参加された、おのずから限界がありますが、そういう方を重点に持ってきたわけでありますが、在外財産処理をしたらもうこれで終わりだという言い方でいいだろうか、私は疑問を持つ。たとえば原爆被害者はどうなるかという問題になってきたら、なかなか処理ができていない。または戦犯のような方々や、それからソ連抑留されたような方々や、関連をして軍の戦時拘束の中にあってあえいできた人で、十分な援護を受けていないような人がたくさんある。それで、これで終わりだなんということがいわれているんですけれども、厚生大臣はそういうぐあいにお思いになるんでしょうか、それをまず聞きたい。
  5. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 事実の問題といたしまして、戦後処理は、在外財産処理することによりまして、これで戦後処理は終わりだというようなことは私は考えておりません。私は、事実問題といたしまして、まだ戦争のための犠牲者というものが他に少なからずあるということを考えます。だから、これらの方々に対しましてどういうようなことをやっていくかというようなことは、これは検討をしてまいらなければならぬことでございまして、これでもってもう終わり切ってしまって、残りがないのだというようなことを私は考えておりません。
  6. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 厚生大臣のおっしゃることと佐藤総理のおっしゃることとは同じだと考えていいんですか。
  7. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) まだこの問題につきまして私は佐藤総理話し合いをしておる機会もございませんが、佐藤総理が何かの委員会でございましたか、戦争処理はこれで終わったというような——私ははっきり記憶しておりませんけれども、そういった趣旨のことを、これは速記録を調べればすぐわかることでありますが、佐藤総理がこれでもって終わり切ってしまって、在外資産でもって、あとは何も残りがないのだ、残余がないのだというような趣旨では私はなかろうと思うんです。まだはっきりとは話し合っておりませんので、申し上げられません。
  8. 藤原道子

    藤原道子君 関連して。ちょっとおかしいですよ。私はこの間こういうことが言われているので、至急に話し合ってもらいたいということを申し上げて、大臣も御了承なさったはずです。それなのにまだきょう話を聞いていない、話すひまがない、これでは私は納得できません。それほど熱意がないんですか。委員会だけ切り抜ければいいというおつもりで御答弁になっていらっしゃる。そうでないならば、この間私は例をあげて申し上げましたが、六月二十七日に塚原総務長官は、原爆被害者補償要求には応じられない。福田幹事長は、これでもって戦後処理は終わった、なお今後問題があれば社会保障のワクで考えると、はっきりこういうことを言っている。佐藤総理もそういうことを言っている。だが、あなたは終わったとは思っていないとおっしゃるから、それならば内閣において話し合ってもらいたいと私は申し上げたはずです。それをきょうまた藤田委員質問に対して、そういうひまがない。私はひまがないとは言わせないけれども、大臣のお考えを伺いたい。おかしいですよ。
  9. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 私はひまがないと申し上げたのではございません。まだその機会がなかった、こういうことを申し上げたので、いずれにいたしましても、私は、この問題については総理並びに塚原長官等と早急に話し合わなければならぬ問題である、かように考えております。決してひまがなくて忙しいからこれをやらなかった、そういうようなことを申し上げておりません。
  10. 藤原道子

    藤原道子君 会う機会がない、これほど重要な問題ですよ。機会はなくはないと思うんです。私は、この点を明らかにしなければこの援護法を通すわけにはまいりません。
  11. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 会う機会はしばしばあるのでございますが、話す機会がなかったということを申し上げたわけでございます。早急に話します。
  12. 藤原道子

    藤原道子君 私はそういう御答弁では納得がいかないんです。話す機会がなかった、神様じゃあるまいし、会ったとき、ほんとうに大事だと思ったら話をするひまがあるじゃありませんか。あまりに委員会をなめていますよ。
  13. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 私もこの問題は非常に重大なる問題だと考えております。そこで、何かの機会についでにちょっと話し合うといったようなことではなくして、ほんとうに時間をとって、そうしてじっくりと話し合いたい、かように考えておるものでございますので、そこで、しばしば総理大臣にも総理府総務長官にも会ってはおりますけれども、まだじっくりと話し合う、こういったような機会に恵まれておりませんので、そこで今日に至っておるわけでございます。
  14. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そうすると、何ですか、厚生大臣は、総理が何と言おうと、戦後処理問題については、厚生大臣として責任を持って、そういうことでないということをここで確約されるわけでしょうね、どうですか。
  15. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) どうも、総理が何と言おうともこれをとおっしゃられますと、そのとおりでございますとはちょっと私申し上げかねるのでございますが、私は、戦後処理の問題というものは、何も在外財産処理で終わってしまうことではない、今後も処理をしなければならない問題が少なからずあると思っておりますので、これについては総理話し合いまして、適切なる、妥当なる方途を考えてまいりたい、かように考えております。
  16. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そういたしますと、これは非常に重大な問題なんですね。たとえば原爆援護法なんというのは衆参両院決議をしているわけですね。そして決議をしたけれども、医療法というかっこうで出てきている。  厚生省皆さん方が、原爆被爆者は全国に散らばっておられますけれども、たとえば白血球がなくなって途中で仕事を休まなければならない、こういう問題が出ております。単に医療手当を出しているだけでは事はおさまらないような重要な問題も含んでいます。結婚の問題にも支障を来たしている。それから、単に生活収入がなければ生活保護法処理したらいいという問題じゃなしに、広島の自労の員数を見ましても、半分ぐらいは原爆被災者というような、現実の、これはうそをつけない問題が出てきているんですね。そういうぐあいにして、残念ながら、原爆を落とされたがためにそれに影響した人はやっぱり特別な処理をしてあげなければどうにもならぬということが参議院衆議院決議になったと私は思うわけであります。本来からいえば、戦争責任はだれにあるかというところまで追及していったら、爆弾が落ちた、家がこわれた、焼夷弾が落ちた、家が焼かれた、そういうことにもなるかもわかりませんけれども、そこまで問題を広げたらこれはたいへんなことになりますから、それはそれとしても、在外財産だけは補償するなんというようなことになってくるといろいろの意見が出てくる。しかし、私はそこまで話を広げようとしていない。直接戦争によって被害を受けた方々処理だけはしてあげなければいかぬ。戦争の結果にしても、ソ連に長い間抑留をされてきた、抑留をされてきて、そうして二十八年から三十年ごろ私も舞鶴へたくさんの人を迎えに行ったことがあります。そういう方々は十年間近くのギャップがあるわけですね。ギャップがあって、そのままの条件のもとに職場についたり生活をなさっている苦労は、私は並みたいていじゃないと思う。また戦犯に問われた。戦犯限度というものは那辺にあったかということは、われわれが戦争自体の追及をしなければつまびらかにいたしませんけれども、いずれにいたしましても、戦犯裁判で無罪になった、そういう人の何か刑事問題として損害賠償の問題が最近出ているようでありますけれども、なかなか刑事問題といったって一言でできるわけじゃないので、だから、やっぱり何らかの援護をしてあげなければならぬ、私は数えてみたら非常にたくさんあると思う、そういう問題をほっぱらかしにしておいて、そして在外資産の問題をやればこれで戦後の処理はもう全部終わったなんていうことで、私は政府が問題を処理しようとすると、少し行き過ぎではないか。そんなことは考えられないのじないか。こうしたことは、日本経済が、単に天から降ってきたのじゃなしに、資金もあったでしょうが、やっぱり国民努力労働力、そういうものが合わされて日本経済が復興してきたわけでしょう。そうなってくると、自然に少しずつでも前進の姿で援護措置を講じていくというのが、私は主権在民の国家における政治の姿だと思う。それを、もう在外資産をやったらこれで事はしまいだなんていうようなことを国会で言うということは、私は許されてはならぬと、こう思うわけです。厚生大臣はそんなことは思ってないとおっしゃいますけれども、総理大臣がどう言われたか、私もよく知りませんよ。しかし、いみじくも大臣自身がそういうお話をされたのですから、それはやっぱり調整をしてもらって、何もあしたからどうこうという、具体的な問題もあるけれども、いまここでそういう議論はいたしませんけれども、戦争犠牲戦争によってこうむったいろいろな被害に対しては、時代の進歩に応じてやっぱり援護をしていく道を開いていく。むしろ私は、今日、戦後の処理に対してあらゆる各界各層の人の知識や知能を集めて、戦後の処理というものはどの範囲まですべきだという審議会か、むしろ行政委員会的なものを持って、そして検討を十分にして国民納得をしてもらった上で、戦後の処理はこれでピリオドを打つなら打つということになるなら私たちもわかる。  〔委員長退席理事植木光教君着席〕  しかし、そういうことでなしに、もうこれで終わったなんていうことはどういうはずみでそういうことばが出たのか知らぬけれども、少し私は軽率じゃないかという気がする。しかし、ここで厚生大臣に聞いてみたら、いや、私はそう考えないとおっしゃるなら、それなら総理大臣がどうおっしゃっても、内閣の中でそういうぐあいに持っていくのだと厚生大臣が決意をされるのがあたりまえじゃないかと私は思う。それがここでなかなかしにくいとおっしゃるなら、時間をとりますから、どうぞひとつ総理大臣話し合いをしていただいて、きょうは十二時でこの質問を打ち切って、一時か一時半に委員会を再開しますから、それまでにひとつ話をしてきてもらいたい。そうしてある程度明らかなる御答弁をいただきたいというのが私の考えなんですが、いかがでございましょう。
  17. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) ただいまこの御意見の中にありましたいろんなものに対する措置の問題は、藤田さんもおっしゃられましたとおり、これは厚生省だけの問題だけでもない。非常にその範囲が広く政府全体の問題でございまするので、私といたしましては御意見非常に御無理ならぬことを痛感いたします。そこで、この問題について、私は総理その他——その他とまではいかないにいたしましても、機会をつかまえて話をじっくりとしてみたい、かように思っておりますが、何か昼過ぎまでにと、こういうお話でございますが、これはちょっと総理都合も悪いかもわかりませんし、私は、これにつきましてはできるだけということで、必ず昼過ぎまでにということをおっしゃられますと、これはいろいろ物理的なあれもありますし、それから、先ほど来申し上げておりますとおり、ほんの立ち話で簡単にきまるという問題でもなかろうと思いますので、お昼過ぎまでということは、鋭意私は努力はいたしますが、必ずそのお返事を申し上げるということをここでお約束をいたしかねるのでございますが、私は、誠心誠意この問題につきましては自分の考えというものを吐露したいと思いますが、お返事はちょっとどうも昼過ぎまでにしろとおっしゃられると、それに対して承知いたしましたと申し上げかねるのでございます。
  18. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 いや、昼過ぎまで、十二時から一時半ごろまでというのは私のかってかもしれませんが、私のその言い方は、大臣総理大臣とお会いになるなら、向こうの都合もあるでしょう、そこまでは私は言いません。しかし、その問題を明らかにしておいてもらわなければ、せっかくいろいろの方々援護をしようと、二つの法律でいろいろの処理をお出しになってもらっているわけですから、私たちも何とかしてこの法律を通して、そうして国民にこたえたいという気持ちに変わりはないわけです。ないけれども、これが済んだらもう戦後処理は終わりだ、援護措置はもう終わりだなんということを、ここにそのことが確認できないでこれを通しますというわけにはなかなかまいりにくいというのですよ。これはざっくばらんの話ですよ。そうなんですよね。一時とか二時とか時間を切りませんから、そこらのところを明らかにしてもらえば、私はこの法案と取り組んで、できるだけ早くこの法案が日の目を見るようにしたい、こう思う気持ちを言ったのですよ。ただ一時とか一時半と限って、その間に話し合ってやってこいと言っているのではないのですから、この問題を明らかにしてもらいたい、そうしたら私のほうとしても厚生省に協力をしましょうという気持ち発言なんですよ。そこはひとつ理解をしてもらってやってもらいたい。
  19. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) いまの藤田さんのお話は、この法律を通すためには、それより先に総理の何か考えというものをただしてこい、こうおっしゃるわけでございますか。
  20. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そうです。
  21. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) できるだけ私はそれをいたしたいと思っておりますけれども、何しろ時間の問題で簡単に話が——私はもうおっしゃることは非常によくわかるのでございますよ。けれども、その話し合いがそう何かのついでに立ち話というわけにもまいらないかもしれない、さように考えるものでございますから、何だ、おまえ非常にすっきりしない態度をとっているじゃないかとお考えになるかもしれませんが、私は事重大だと考えるためにこう申し上げておるのでございますから、できるだけそういうことで総理意見をただしたいと、かように考えております。
  22. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それじゃ午後は努力していただいてお返事をいただくということにしておきましょう。  そこで、原爆援護法というものを衆議院参議院決議をいたしましたね。この決議をいたしました援護法、いま原爆医療法というものがありますけれども、医療法だけでは解決しない問題があるわけです。これは厚生省事務をとっておられる方々はよく御承知だと思う。だから、いますぐこの法律を取りかえてという問題にはいろいろ議論があり、時間が迫ってくるわけですけれども、いつ原爆援護法をおつくりになるおつもりなんですか、それを聞いてみたいのです。それには、私は、いま原爆関係調査をことし十月までの間にするとおっしゃっているそうでありますけれども、これはやっぱり政府ばかりじゃなしに、民間のあらゆるこの層の皆さん方の御意見や、または被害の状況や何かが必要だと私は思うのです。ですから、私はざっくばらんに言って、きょうここでおやりになること、なっていただければけっこうでありますけれども、原爆医療法援護法に切りかえてやっていただくことはけっこうなんでありますけれども、いろいろ意見のあることであったら、直ちにそういう各層の人を集めて審議会を開いて、今後一年の間にりっぱな法律をつくるとか、何かそういうところまで話を進めておいたほうがいいのではないか。そういうぐあいにして、たとえば先ほど三つほど申し上げましたことを、かくかくのことをやるとおっしゃるなら、いまの総理お話になっておるとかおらぬとか私は聞いたわけじゃないのですけれども、そういうことが、では、ほんとう厚生大臣が言うたことがほんとうだったということになるわけですかね。そこらあたりの心境はどうですか。だから、いや、わしはそう思っていても、総理はこういうことからみなだめになるのだと、そういうことになるのですかね。そこらあたりのちょっと御意見を承っておきたいと思うのです。
  23. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) この問題は、たいへん重大な問題でございまして、それで、その処理をしていくと、かりに処理をしていく措置をとるということになりましても、その措置は一体どういう内容でいくかといったようなことも私は大事なことだと思います。そういうようなことともからみ合いまして、結論が、何か白か黒か、右か左か二つあって、そしてこうだという、右なら右だと、左なら左だということではない。そこに相当考えなければならない相当幅の広い問題だと、かりにやってみるといたしましても。そういうようなことから考えてみまして、すぐ私が言うて総理が反対いたしたからこれはだめだとか、あるいは私の言うたことを総理が直ちにこれをオーケー、結局私と総理との間にオーケーになるといったような、私はそう簡単な問題でもないと思います。そこで、いかなる措置をとっていくかということにつきましては、これは私は今度の出てきます調査の結果といったようなものについても、いろいろのこの観点から考えていかなければならない。前向きに考えまして、これを否認してしまうとか何とかということではなしに、前向きに考えていくということでやってまいりましても、そう簡単にそれはだめだとか、それはいいとかいうことにはならないで、相当内容について検討を要するというようなことに相なるのじゃなかろうかと、これは私はあくまでも前向きに考えてのことを申し上げておるわけであります。そういうような経過をたどって、そんなら、そんなことをやっていればもう長くかかってしまうということでなしに、できるだけ私はすみやかにこの措置政府間において調整してきめてまいりたいと、かように考えます。
  24. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 大臣、私は一言一句てにをはの問題までここできめてイエスノーか言えといっておるわけじゃない。たしか三十九年だったと思いますが、参議院できめ、衆議院でも本会議で、院できめたわけです。院できめたのが、ことしもう四十二年ですね。その間に具体的なものが出てこない。片一方では、もう戦後に関係するものはこれで終わりだといわれたら目につくところがないのじゃないですか。だから、私は、てにをはとか、一言一句イエスノーか、どうこうという話をしておるのじゃなしに、援護法というものをさしあたりいつそれじゃおきめになるのですか。私の言いたいのは、厚生省調査してもらうのはけっこうだ、しかし、いろいろの現象を私は耳にしたり聞いたりしているわけです。だから、そういう方々意見も入れて、全体の非常に幅の広いものだと思う。その援護立法をして原爆被爆者援護してあげるという立法は、やはりいろいろの意見がありますので、いろいろの人と相談してよい法律をつくるということになるのです。しかし、それも期限がついていなければ、ちょうどのれんに腕押しで、何年たっても、事はいつまでたってもものにならぬということになるのです。だから、大臣はいつまでにこれをきめます、院の決議をして、いつまでにそれじゃ大臣はきめるという、この社会労働委員会はいつまでに援護立法をきめるのだということがいつ明らかになるのか。その他のいま浮かんでくるようないろいろな問題が、戦後処理審議会でもつくって、そうしていろいろの問題点のリストをあげて一つ一つ解決をしていく、そういうことを大臣が明らかにされるならば、これは総理大臣が何を言われたか知らぬけれども、佐藤内閣厚生行政、または援護行政はかくかくのものなんだということがここで立証されれば、私は事はだいぶ違ってくる。いまそういう実際の努力をいただくことがこれでしまいだ、在外資産の補償だけで、これでしまいだとということになってしまったら、全部入口からみんな放棄されてしまう。厚生省皆さんが、大臣を含めて、皆さん努力されてもこれは無になってしまう、私はその心配をするのでありますから、何とかそこらあたりはよく総理大臣と話をしていただいて、  〔理事植木光教君退席、委員長着席〕 そうして必要なものはやっていくならやっていく。在外資産の名目のつくものはこれで終わりだけれども、全体の援護その他については、これからも必要なものはやっていくならやっていくというぐらいの了解は、意思は、これは大臣総理大臣が閣議の中できめられるのは、私は今日の日本国家として当然のことだと思うのですけれども、それはどうなんですかね、大臣
  25. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 先ほど来申し上げておりますし、また、藤田さんからもおっしゃっておられる総理と話をしてみろ、こういうお話でございまして、私はむろん総理と話をするつもりでございます。総理のみならず、いろいろな関係の、政府全体の問題でございますので、話をしてみようと、こういうことで、そういう話をしなければならない余地がある問題でございますが、そうなってまいりますと、厚生大臣に対しまして、おまえいつ法律を出すのだ、こうおっしゃられましても話をしてみるという、一つの余地と申しますか、段階と申しますか、それがあることはお認めいただいておるわけなんです。その話を経過せぬうちに、おまえ一体いつ出すのだと、こういうふうにおっしゃられましても、私はできるだけすみやかに措置をしたいと、かように考えておりますけれども、いつ一体やるのだと、こういうことになりますと、ちょっとその御質問に対しまして御満足の得られるようなお答えはいたしかねるのでございます。
  26. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 いや、あなた聞きそこないしたのです。私は戦後処理のいろいろの問題がたくさんあると思うのです。それは戦後処理審議会というものをつくって、順次検討して処理をしていただいて、たとえばソ連抑留の問題とか、戦犯で無罪になった問題とか、いろいろあると思うのです。そういうものは戦後処理審議会のようなものをつくって処理をしていただきたいと、こう言っているんですよ。これを半年先に出せとか一年先に出せということを私はお約束しろと言っているのではない。ただ、三十九年に国会の本会議できめた原爆援護処置というものは、これは三十九年から今日までだらだらきておりますから、この問題だけは明らかにしてもらいたいと言っているのですよ。ちょっとさっきの理解が違うようですけれども、それを言っているのです。これは原爆援護処置という問題、援護法というものは日にちを切っておいてもらわなければ、せっかく両院の本会議できめた問題までずるずるとなくなっていくというようなことでは困ります、こう言っているわけです。だから、実質的にそういうものは、厚生大臣、いろいろの人のいろいろの援護をやらなければならぬとここでおっしゃっておるわけですから、この問題だけはいろいろと検討されておるでしょうし、いつになったら出せるということは検討されていると私は思う。それだけを言っているのです。あとのほうは戦後処理審議会でもつくって、そして戦後の影響を受けられた方々援護処置を順次してもらいたい、これは日にちをつけるのは無理ですね、そうでしょう。これをこれからどんな状態であったかどうかということを探り出していついつかまでやれなんというのは、それは無理ですよ。私も無理だと思うのです。しかし、原爆援護の問題に関しては、本会議でまできめて明確になっておる問題ですから、ひとついつまでにやるということを明確にしてもらいたい。こう言っているのです。ちょっと誤解のないようにしてもらいたい。
  27. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 原爆被爆者に対する措置につきましては、すでに国会で何回か御意見を承っております。その御意見を当然政府としては尊重しなければならない立場にあることは申し上げるまでもございません。そういったような御意見も承っておりますので、そこでできるだけ確かな実態というものを把握いたしまして、その把握した上に立って、何らかの措置に出たい、かように考えて、いまは鋭意その調査を進めておる、こういう段階でございまするので、これがおっつけその実態の把握ということができるわけでございますので、そういった事実の上に立ちましてできるだけすみやかにこの対策措置というものを策定してまいりたい、かように考えております。
  28. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 政府調査されているのは十月に結論が出ると聞いているのですが、それはどうですか。
  29. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 関係局長から。
  30. 中原龍之助

    政府委員中原龍之助君) 大体秋ということでございますが、私ども十月ごろをめどとしていま作業を進めてはおります。
  31. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それならば、いま公衆衛生局長のおっしゃったように、私の聞いたのと間違いない、十月には結調が出るというのですよ。私はもっと広範囲の人の意見を入れてもらいたいという希望を持っております。持っておりますが、しかし十月に結論が出るものなら、いまはもう七月ですから、今後一年間にこの問題の援護法は出せるわけですね。そうでないとおかしいじゃないですか。
  32. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) ただいま局長がお答え申し上げましたのは、十月に調査の結果が出る、つまり実態がそこではっきりする。私は、そのはっきりした事実の上に立ちまして、何らか考えていくのが、これがいいのじゃないか、かように申し上げておる次第でございます。
  33. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 いや、だから十月に結論が出たら、一応実態調査ができるわけですから、その上に立って検討されて、それで今後一年間に——十月というたらあと三カ月ですね。あと九カ月の間に実態調査ができて処理ができないというはずがないと私は思うのですがね。できるだけ早い機会というたら、一年でも早い機会、三年でも早い機会、まあそんなひねくれてものを考えたくはありませんけれども、そういうことになるわけなんです。すみやかに援護処置をせよといってからもう四年たっているんです。そのすみやかというのは、四年たってもまだできぬということだ。だから、早急なということばはどういうぐあいに解釈するか知らぬけれども、そんなもの一年か三年か五年か見当つかぬじゃないですか。だから、ある程度やはりけじめをつけて、そこへ向かって努力をする、それで、努力をして、その現状を訴えて、これだけで法律にするか、もう小し足らなければ半年たってよいものにするかという議論なら、それはわれわれも理解ができると思うのですよ。調査はできたけれども、いや、検討中でございますというのであれば、何年たっても検討中になってしまう。だから、そこらのことはどうなるんですかということが言いたくなるでしょう、私どもの立場からすれば、それで、もう戦後の問題はこれで終わりだと言われたら、あなた方のほうも困るでしょうけれども、私のほうも、それから被爆者のほうも困るというところにいまきているわけです。それが重要な問題点の一つになっているわけですから、そこで、ひとつ大臣の一段の御努力を願って、いや、戦後の処理については、厚生行政国民生活をあずかるところだ、生活をあずかるところだから、これはやらなければいかぬのだ、やはりこれは佐藤内閣でぴちっとしなければいかぬのだということを言って、これで終わったなんていうことを言いなさるな。これはぼちぼち援護するものはしなければならぬぞ、いや、わかりましたということになれば、この法律もいろいろの議論もスムーズにいくわけでしょう。  それでは、もう一つ尋ねますけれど、ももう戦後処理はこれで終わりだということを総理発言されたとあなたおっしゃったんですが、それは厚生大臣に相談をしてなさったんですか、そうじゃないんでしょう。
  34. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 決して私に総理がこれで終わったと言ったのではございません。私は新聞かどこかで見たような気がする。あるいは委員会において発言されたかどうか、これはまあ速記録がございますから、決して総理は私に対しまして戦後処理はこれで終わったんだと、こういうことを言ったことはございません。はっきりいたしておきます。
  35. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 だから、そこらのことは一ぺん総理や関係方面もあるでしょうから、事々によって戦後処理の問題は違った問題がたくさんあるわけですから、総理在外資産の問題で、もうこれで終わったんだ、しかし、戦後の処理の問題についてはそこまで言うてないのだと言えば事は簡単ですわね。しかし、在外資産の問題をきめるとき、戦後処理は、全部一切援護の処置は終わりだ、これで終わったんだということになると問題があるから、私はやや繰り返して言っているわけですから、そこらはひとつはっきりしてくださいと大臣にお願いしておきます。  それから、戦後処理として扱うべき範囲を、これは事務局でもけっこうですが、どういうぐあいに範囲をいまの時点で考えられているのか、将来どう考えられているのかという、範囲についてひとつお聞きをしたいのです。一つは、軍人、軍属、公務員、国家の制度として保証の約束がしてあったものがありますね。それから、二番目は、直接戦闘行為に関係した者、それから、国家の権力により、または客観条件から、本人のある程度の行動の自由が約束されていた者というようなことになるんですか。いままでの援護法範囲をちょっと言っていただきたい。
  36. 実本博次

    政府委員(実本博次君) 戦傷病者戦没者遺族等援護法で処遇いたしております対象は、先生いま御指摘のように、まず国との身分関係にある者、軍人、軍属、それから、直接の身分関係はございませんが、国家総動員法等によりまして強制配置命令を受けて職場についた者なり、あるいは動員学徒といったような方々、これは準軍属というカテゴリーの中に入れております。それから、そういう強制配置というよりは、国家命令で戦闘参加、たとえば戦争末期におきます沖繩住民のように、直接軍の命令によりまして戦闘に参加した人々、こういったグループの方々を準軍属として処遇いたしておりまして、いわゆる一般の戦災者のような、この戦争によります一般戦争犠牲者というものについてはこの法律では処遇いたしていないところでございます。
  37. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そうすると、援護法関係というのは、これは社会保障の範疇に入るんですか入らないんですか。
  38. 実本博次

    政府委員(実本博次君) これは考え方といたしましては国家補償、コンペンセーション、償いのほうの国家補償の精神によりまして運営されておる制度でございまして、一般の社会保障制度とは趣旨を異にいたしておるところでございます。
  39. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そこのところあたりが将来のこれからの問題として非常にむずかしいところだとぼくは思うんです。私も参加をしておりますが、社会保障制度審議会は、やっぱり日本社会保障制度、国家賠償的なものも中には含んでおります。しかし、人間の生命に対する戦争犠牲者の給付やその他についての援護についても、広義の社会保障だと考えていかないといかぬのではないか。国家賠償的なものはそこにプラスするとか、そういう社会保障的な要因というものを全然無視して援護処置というものは考えられないんじゃないか。ILOもやっぱりそういう考え方を持っておりますね。だから、単に国家賠償的なものだけでこれを処理するというのには問題が幾らかありゃせぬかと思うんですが、その点研究をされておるんでしょうか。
  40. 実本博次

    政府委員(実本博次君) お話のように、援護法で先ほど私が申し上げましたのは、極端にその性格を明らかにするために国家補償の制度だと申し上げたわけでございますが、そうかといいまして、完全にそういう国家補償のたてまえになっているかと申しますと、そこは恩給法のように、いわば何と申しますか、そのときの俸給の多寡によって、身分の高低によって補償される度合いが違うというふうにはなっておりませんで、御承知のように、援護法におきましては全部、単一給付になっておりまして、それが将校であろうと下士官であろうと兵であろうと、あるいは軍属の方であろうと、全部単一給付になっているところが、これが若干完全な国家補償というところではないわけでございまして、その点はこの法律の第一条にも、「この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷苦しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。」ということで、国家補償の精神によって援護するということでございますので、ここらあたりがやはり一種の社会保障と申しますか、そういった色彩を持っているところでございまして、ちょうど社会保障制度と国家補償制度の両方の面を持っている制度ということに相なっております。ただ、国家補償といたしましては、先ほど申し上げましたように、その内容が単一給付になっているわけでございますが、これはやはりその内容は一般の社会保障制度のいろいろな給付と均衡を保ちながら進んでいくべきものではないだろうか、そういうふうに考えるわけでございます。
  41. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 ちょっとこれは本論から少しずれているかもしれないが、戦争中の昭和十二年の防空法、それから十七年の戦時災害保護法、こういう一連の立法と、それから、一般国民との関連の問題、それから、当時の国民は国家権力の絶対的支配下にあったと認めておいでになるのか。それから、国民すべてがこれを免れなかった、絶対服従によってどうにもならなかったという、そういう一連の中で、戦争に入る前から、戦争の間、戦争が終えるまでの体制だったと私は思うのですね。だから、そこらの関係というのが非常に微妙にいまの戦時援護の問題と関連をしてきていると思うのです。極端なそういそ概念でいけば、防空法や戦時災害保護法なんということからいけば、戦災したものはみな処理しなければいかぬというところまで本来言えばいくようになるだろうと私は思うのですが、厚生省はここらの関係をどう考えておいでになるか。しかし、と言って、今日の状態ではどの限界まで保護云々というような結論をどこでどういうぐあいにお出しになっているのかどうか。まあ平和条約で国家が肩がわりしたわけでありますから、そこらの関連の問題について、厚生省援護法をつくったときから、今日までの関係というものをちょっと話していただきたい。
  42. 実本博次

    政府委員(実本博次君) 先生御承知のように、援護法ができましたのが昭和二十七年でございまして、当時は恩給法がストップになっておりまして、軍人、軍属、主として軍人さんのでございますが、遺家族、それからその傷痍軍人の方々の大部分がそういった国家の補償を受けられない状態において、非常に困窮した状態になっておられた。その戦争犠牲者中心にいたしまして、やはり戦争犠牲者というものをこのまま放置してはいかぬのじゃないかということで、恩給法がなかなか復活しないということであれば、そういう戦争犠牲者の最たるものを中心にいたしまして、いわゆる社会保障制度の拡充ということで、精神は国家補償でございますが、制度としては社会保障の形でもって戦争犠牲者援護をやったらどうかということで援護法が生まれてまいったということでございまして、そもそも援護法は、やはり中心が軍人さん、軍属さん、つまり本来ならば国の恩給法の対象になる国家公務員であった人を中心にした援護措置ということででき上がったわけでございます。したがいまして、当初は、いま入れておりますような準車属、すなわち、先ほど申し上げましたように、国家との身分はないけれども、国家総動員法等のような国家権力が加わって強制されて犠牲になったというふうな方々は一人前で入ってなくて、軍人、軍属と見なされるものということで弔慰金を差し上げるだけのことになっておったわけでございます。つまり一時金で処遇するというふうな形で、その主体は、やはり遺族年金が出、あるいは障害年金の出る対象というものは、はっきり国との身分関係がありました軍人、軍属に限って出発したわけでございます。で、翌年恩給法ができ上がりまして、でき上がったとたんに軍人さんが全部恩給法のほうに抜けていった。そうしまして、あと残りました軍属と、それから、軍人、軍属と見なされたいわゆる実質的ないまの準軍属の方々、これが援護法残りまして、そして今日まで推移しましたが、その間に、順次有期年金で準軍属の方々を処遇することになり、それを今度また有期を取り払って普通の年金になり、そしてちゃんと準軍属という身分をこの法律の中につくって今日まで推移してきた。それから、まあそういうふうな経過をたどりまして今日に至っておるわけでございます。で、その間に、軍人、軍属、あるいは準軍属の範囲を若干改正するといったような、広げていくといったような経過はございますが、大体援護法というものは、冒頭に申し上げましたように、国との身分関係のある者、あるいは国が特殊の権力関係をもちまして強制いたしました戦争犠牲者というものを中心にした援護措置ということでございまして、それ以外の一般の戦争犠牲者に対しましては、その当時の考え方としては、むしろこれは一般の社会保障制度の中で拡充してやっていくべきではないかというふうに考え方を割り切ってまいったわけでございます。
  43. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 ちょっともう二、三聞いておきたいと思うのですけれども、たとえば先ほどの問題にも少し触れるのですけれども、その遺骨収集、まだこれからも遺骨の収集の問題があると思う。日本民族としてといいましょうか、遺骨の収集に、南方とか、この前の戦争範囲の所に遺骨がそのままになっているから、遺族の方々は遺骨を収集する。国会議員の人もよく行かれるそうでありますが、これはどうなるんでしょうか。厚生省が主宰してお行きになっているのでしょうか、これは自発的にお行きになっているのでしょうか。それで、自発的にお行きになるというようなことであれば、これは援護していくという精神とは少しどうも違うのじゃないかという、何か国民頼みといいますか、慈善事業みたいな関係になっていくわけですけれども、それはまあ別としまして、遺骨の収集なんかで行くとすれば、私は、できるだけの範囲においてできるだけの努力をして遺骨の収集をする、してあげる、霊に対して報いる。むろん家族に対しても戦争あと始末をするということは、先ほどの話からいくと、これで全部しまいだということに、広い極端な解釈をするとそういうことにもなるわけで、そこらあたりはどう動いているのか。まず前段はどういうぐあいに動いているのか、後段は遺骨の収集はやめることになるのか、そこらのことも一ぺん意見を聞かしておいてもらいたい。
  44. 実本博次

    政府委員(実本博次君) 先生お尋ねの遺骨収集の問題でございますが、海外におきます戦没者の遺骨収集、または遺骨の埋葬されております墓地へお参りをするということにつきましては、政府責任におきまして実施すべきものであり、また、これはしてまいったわけでございます。御承知のように、昭和二十八年に占領行政が解かれましてから、約五カ年の歳月を費やしまして、政府戦没者の眠られている各戦場に遺骨収集団を派遣いたしまして、そうして大体地域的には遺骨収集を終わったということになっておるわけでございますが、最近やはりなお遺骨がさらされていると、人目についたぶざまなかっこうでさらされているという個所がいろいろな的確な情報で入っていますので、特に最近二、三年の間にそういう的確な情報が入っていますので、もう一度ここで政府としては、前に五カ年計画でやりました遺骨収集、何さま膨大な地域に、限られた日にちで限られた人数で参ったものでございますから、もう一度そういった遺骨がたくさんぶざまなかっこうでさらされているような場所を、この際、手直しと申しますか、もう一度そういうところへ遺骨収集に出かけて参ろうということで、実は四十二年度、今年度からどのくらいかかりますか、やはり数年かかってそういった情報の入っている、的確にそういう遺骨の状態になっている所につきまして計画を立てまして、遺骨収集は政府責任において処理するということになっておるわけでございます。で、それに付随いたしまして、民間の方々で、あるいは遺族とか戦友の方々で、そういうかっての戦地に戦跡巡拝をする、あるいは現地入りをしたいというふうなことで、戦友同士、あるいは遺族と戦友の方々が語り合ってそういう戦跡巡拝なり墓参に参られるというふうな、民間ベースにおきましてそういった試みが最近行なわれておりますけれども、あくまで遺骨収集ということにつきましては、政府がやはり責任を持って実行してまいりたい。ですから、こういった民間ベースで行なわれますものにつきましては、これが適正に行なわれまして、その目的が十分に達成されるための必要な配慮は政府としてはしてまいりたい。しかし、あくまで遺骨収集そのものは、やはり政府の手において完遂してまいりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  45. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 遺骨収集は政府の手で計画をしてやりたいと、それは当然それでけっこうだと思います。しかし、民間の方々が遺骨収集に行かれる。遺族であるとか特別の関係ある戦友であるとか、そう人がお行きになるなら、それは私はわからぬことはない。そういうことじゃなさそうに——私は聞いたことはないし、社会労働委員会で一ぺんも相談を受けたことはないし、もっとちゃんと厚生省が、どこに遺骨があるから、今度はどういうことをして遺骨収集に政府の行政の一つとして行くなら行くということを明らかにして、できるだけのことをする、そういうことにならなきゃおかしいじゃないですか。民間の篤志家がかってに団体を組んでお行きになる。それじゃそういう資力のある者だけが行くというのか。それは旅費は厚生省が持つのかどうか知らぬけれども、そういうことが行なわれているというのは、一面、厚生行政とははずれるんじゃないか、私はそういう気がするわけです。だから、あくまでやはり政府、要するに厚生省の統率のもとに、計画のもとに、遺骨収集や墓参や、そういうのは関係者がまず第一でしょうが、政府がお世話していくということを、少なくとも、この厚生行政援護行政を進めておる委員会皆さんが了解をして行くということが最も好ましい姿ではないかとぼくは思う。私はそういうように皆さんお思いになっていると思うんです、一般の人も。何か知らぬけれども、そこらの点があいまいである。まあそれは前段ですからいいです。いいですけれども、それじゃ遺骨の収集の問題も、これはやっぱし戦後の援護処理ですね、そうでしょう。これは大臣にも先ほどだいぶ言いましたから、これ以上大臣には言わぬけれども、これもほうっておくということになるわけですよ、あいまいなことを言ったら。そういうことになりゃしませんか。たとえば霊を慰めたり、定期的に墓参をするとかいうことも、遺骨を収集したあとにも出てくる問題だと私は思う。これもそれじゃもうおしまいだということになるのかならぬのかという問題もここで出てくると私は思うんです。まあそれはその辺でいいですが、検討してもらいたい。  それから、先ほど申し上げましたような、たとえばソ連に十年も抑留されてきて、あらゆる面で一般人よりはマイナスになっている人々をどう援護していくか。それはもうおまえたち戦争に行って犠牲になったから、それでもうしまいだ、どんなことでもしんぼうせいということにもなかなかならぬでしょう。厚生行政の中で人間の社会保障を進めて、社会全体で困った人を守っていくという概念からいけばそんなことにもならぬでしょう。そういう処理もしなければならぬでしょう、おそらく。私はそう思う。そういう問題は一つ一つこれから進めていかなきゃならぬと思うのです。それがしまいなんということにはなかなか私はなりにくいと、こう思うんですが、そういう点についても、もう少し具体的に、局長のほうから、行政としてはどうやっていくんだということの話をちょっと聞かしておいてもらいたい、そう思うんです。  それから、もう一つは、私は、これは政治議論になりますから、あまり触れたくないのですが、再び原爆の実験、まあ三国間決議で、地下だけを残して、原爆の実験は地上も宇宙の実験もしないということになっています。ところが、いまだに実験をやっている国が世の中にあるわけです。それから、地下実験がそれじゃ続けられていいかといえば、それもやっぱり原爆の洗礼を受けた国民からすれば大問題だと私は思う。だから、むしろそういうところにも、政治的なものは一切知らぬということじゃなしに、いまはわれわれはおぼろげに私たちの頭の中に入ってくる、水爆三つ日本に落とせば人間は全滅する、人類が全滅するといわれているような危険なものがこちらにあるわけです。だから、どうしてそういうことが起きないようにカバーするかということが、広くいえば、日本の住民主権の国家における選ばれた政府の役目だと、その出先は厚生省だと私は思う。まあ外交的には外務省があるでしょう。そういう問題も含めて、もう少し出向きに、やっぱりこの原爆の問題一つ取り上げても問題が残されているような気がする。しかし、これは政治議論ですから私はやめますけれども、しかし、そういうものもやっぱり心の中に持ちながら、犠牲になった方々をいかにして守っていくかということが運動の根本じゃないですか、私はそう思う。そこらあたりのことについて大臣意見があったらひとつ聞かしておいてもらいたい。あと事務当局にまた聞きます。
  46. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 戦争によって犠牲を受けられた方というものには、私は非常にその態様が多いとともに、また、その範囲も非常に広いであろうと思います。そういったような方々及び先ほどからお述べになりました、すでに草むすかばねとして眠っておられる方々、こういったような方々に対する処理というようなものも、これは私は戦争処理の問題であろうと思います。さような意味におきまして、今後まだ考えていかなければならない問題がたくさんあると私は考えます。ただ、その問題は、厚生省所管の問題も非常に多うございますけれども、しかし、厚生省だけではどうにもならないといったような問題もたくさんある。で、これは政府全体の問題といたしまして今後とも考えていくべき問題であると、かように考えます。
  47. 実本博次

    政府委員(実本博次君) 先ほどのソ連、中共等の長期抑留者の問題、あるいは戦犯拘禁者で無罪になった人たちに対する問題、そういったような方々に対する処置をどうしてやるつもりだというふうな御質問でございますが、具体的にそういう長期抑留者、あるいはこの戦争裁判で拘禁されておった方々とかいったような方々の場合、援護法の対象になるような、あるいは恩給法、各種共済の対象になるような身分にある方が間々多いわけでございますが、そういう方々につきましては、その拘禁期間というものがその在職期間の中に織り込んで処遇されておりますので、これは一応拘束された期間というものはむだでなかったというふうなかっこうになっておりますが、その公務員なりそれに準ずる身分のない、いわばまる腰の方々はどこにもこういったものについての処遇は、実のところいまできてないわけでございます。で、たとえば、かりに戦争裁判が一般の国内の司法裁判だということであれば、これは国家賠償法等によりましてその処遇措置がなされるということになるわけでありますが、戦争裁判というものの本体がどういうものか、それがはっきりしない。したがって、そういったものについて損害をこうむったという者に対して、どこがどういうかっこうでどう取り上げていくかというふうな問題につきましては、実は大臣からもお話がございましたように、厚生省をはじめとして、なかなかそういうその窓口になるところがきまらないという状態で処遇されておるわけでございます。そういった戦争犠牲者方々のほかに、いろいろな戦争犠牲者の処遇がおいおいいたされてまいる状態になってまいりますと、そういうところとの関連においてそういった人たちの処遇も問題になってくるのではないかというふうに考えられるわけでございます。
  48. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は厚生大臣にもう一つだけ聞いておきたいと思うのです。厚生省ばかりでない、いろいろな省との関連において処理しなければならぬいろいろの戦後処理援護の問題がたくさんあると、こうおっしゃった。しかし、厚生大臣気持ちはそれでいいです。それでわかります。いろいろといま話が出る中で、いろいろとまだまだあると思いますが、処理していかなければならない。だからこそ一番最初の問題が問題になるわけです。だから、これはもう繰り返しません。  それから、もう一つは、私は、今度七十歳以上二八・五%の恩給を上げるということになりまして、それから、共済年金も右へならへ的に上げるということになりました。しかし、戦争中、私らもそうですし、大臣もそうですが、戦争中の体験を受けられた方です。国家総動員法、一億一心とか国民精神総動員とか、いろいろの形で、すき、くわを持っている者から、交通を守る者から、小さな工場で働く人から、商人で生活や流通機構をやっておる方々から、あわせて私は総動員令や一億一心とか、または精神一到何とかというような、また、八紘一宇とかいうかっこうで、一人の者も遊んで、楽しんでということもなく、自分だけいばって、戦争関係者だけが働いたというかっこうじゃなしに、戦争が深刻になればなるほど、国民は一時間、一分に至るまで総動員されて、あの戦争という中で一致していったわけですね。だから、私たちはあの恩給が上がったことに文句を言うわけじゃない。ないけれども、いまの実本局長もおっしゃったけれども、何らかの形で関係した者だけはそういう優遇がされて、そして軍関係といいますか、そういうところだけは優遇をされて、一般国民は何にもないというかっこうのものでよいのかどうか。これはもうここまできたら、単なる技術問題でなしに、所得保障の問題だと私は思うのですね。所得保障の問題で、ほとんど国民の大半は厚生年金や国民年金の内側にあるわけです。そういうものには触れないで、そこだけが年齢によって保護する。私は、昔からの恩給や共済年金の人が、たとえばいま四万円ベースとしたら、まあもうちょっとたくさんか知りませんけれども、一万円ベースで恩給や年給をもらっているなんということじゃ生活ができないから、当然七十といわず六十といわず、現代の社会で生活ができるようにしていかなければならぬ問題だと私は思うのです。それにもかかわらず、そこだけをやって、ほとんどの一般国民には、まあ目もくれないという言い方は言い過ぎかもしれぬけれども、そういうことだけがまかり通って、国民の感じる問題は官尊民卑がいまでも存続をしているのじゃないか、そういう印象だけを与えて事を進めるなんということは、私はやはり問題があると思う。だから、厚生大臣としては、今度の恩給の上昇とこの問題についてどういうぐあいにお考えになっているか、お聞きしたい。
  49. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 御意見のように、戦争中でございますが、その戦争中に直接それが軍務に従事するという非常に強い制約を受けた人、それから、総動員法によりまして一部の人が非常に強い縛りをかけられたということもありますし、また、私も戦争中の経験者でございますが、たとえばそれほど直接戦争には関係ないと思われる農村あたりでも、食糧増産のために、私の県は和歌山県でございますが、ミカンなどというものはつくっちゃいけない、イモをつくれというようなことで、ミカンの木をほうってしまって、それをイモ畑にする。それがやがて戦争が終わりますればミカンとイモとのまるで収益が違う。だからイモをまたミカンに植えかえなければならないといったようなことで、たいへんにそろばん上はマイナスをやったというようなものもございますし、およそ私は、一億近い国民みんながこれは戦争の、何と申しますか、犠牲者である。犠牲者であるとともに、国をあげて戦争をやったのでございます。むろん戦争には反対だということではありましても、ともかく国として戦争をやった。そうすると、みずから犠牲者であるとともに、みずからその戦争をしいた。むろん個人的にはかような戦争には反対だという方々が、ことに社会党さんなんかには大ぜいおられただろうと思うのですけれども、私は、しかし、国をあげての戦争だと一応歴史上規定されておりますので、そこで、その犠牲者であるとともに、これはみずから戦争をしたというようなことであろうと思いますが、しかし、その縛られ方と申しますのは、これは私は、やはりまあいやでも第一線へかり立てられた方々、それから総動員法等で、たとい国内におってもかり立てられた方々というものと一般の方々とは、どうもここにやはり処理のしかたに違いがあってもこれはいいのじゃないか。そこで、今度の、これはまた別の問題でございますけれども、恩給につきまして、七十歳以上の者に対して、特に恩典と申しますか、メリットと申しますか、それを与えたということは、やはり七十歳以上の人の恩給に対しまして、非常に働く能力等につきましてだんだんその能力が減退していった、こういうような方々に対して一種の所得保障のアクセントをつけるというような措置に出たのだと私は考える次第でございます。
  50. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 あなたのおっしゃることは、私もさっき言ったように、社会保障プラス国家賠償的なものがあるから七十歳以上二八・五%上げることに反対しているわけではないのです。根本的には一万円ベースの何%、五万円ベースの何%では、一万円ベースの人は食べられないという状態に今日ある。これを上げると同時に、やはり一般の人も何らかの形で国家に貢献をしているのだから、一般の年金、要するに所得保障制度という問題も頭に入れてこういう構想を立てなければいかぬのじゃありませんかということを大臣に言っているわけですよ。だからあなたのいまおっしゃったことを否定するわけじゃない。一般の社会保障プラス国家賠償的なもののように上げてあげるのはけっこうです。けっこうだけれども、すぐ共済年金のほうはイコールしたけれども、厚生年金や国民年金のほうには声が一つもかからぬということではどうにもなりゃせぬじゃないかということを言っておる。だから大幅にやはり生命生存という問題にものさしを合わせたら、幾つの人はどれだけの生活費が要るということは自然に出てくる、今日の社会の中では、そういうことも配慮しながら、これは恩給局がやったことだから、あなたに文句を言うわけじゃないけれども、それを受けた厚生省というのは、やはりそういう心がまえというものを持っていかなければどうにもならぬじゃないか。ただ社会保障制度審議会でそういう意見を出していますけれども、厚生大臣がその気にならなければどうにもならぬじゃないか。これは少しさっきの議論と離れておりますけれども、私はこの際聞いておきたい。やはり所得保障をやっていかなければ、経済の問題はどうですか。生産だけあがって購買力がなくて、アンバランスでいまのような状態の経済が続いているわけですよ。これらの根元を守っていくのが厚生省ですよ。そこを私は言っているわけですから、あなたの意見はわかりましたけれども、そこらの点も十分にひとつ考えておいてもらわなければ困る。そこはよくわかりました。そこで、やはり原爆の問題については、いずれあとでまた相談をいたしたいと思いますけれども、もっと真剣に取り組んでもらわなければ非常に問題があるということだけ申し上げて、いずれあとで御相談を申し上げて、御意見を承りたいと思います。
  51. 藤原道子

    藤原道子君 時間がないようでございますから、簡単にお伺いしたいと思います。  私は、政治家は公約を守らなければならない。これがまず一番大事だと思います。この被爆者の問題については、過日も申し上げましたように、裁判の判決でも、当然手厚くやらなければならない、きょうまでやらなかったことは立法府。行政府責任である、ここまで指摘されておる。それから衆議院参議院における決議もなされておる。さらに前厚生大臣がいろいろお約束もしておいでになる。ただそれだけはでなくて、この前の選挙のときに、これは各政党に政策を文書で質問がまいりまして、これに対しまして三十九年四月五日の文書による自民党からの返事の中に、「四月三日の衆議院会議における決議原爆被爆者援護強化に関する決議は、わが党は立法府の決議を尊重し、できるだけの線に沿って努力したい。二、審議会設置の構想についての鈴木前厚相の回答を尊重し、努力したい。三、援護措置についての前進に努力することはもちろんである。」という文書の回答が出ている。これに対して、先ほど来聞いておれば、何とか言いのがれようとする答弁以外には私は聞き取れないのです。そこで、私は、衆議院における速記録を取り寄せてみまして、その中に厚生大臣答弁が、やはりこういう気持ちで対処しておいでになるから少しも前進しないんじゃないかと存じますので、いまなおこういう気持ちでやっておいでになるのか。だとすると、いまの最後の御答弁納得がいかないことになる。坊厚生大臣は島本委員質問に答えまして、「原爆被爆者が非常な激甚なる障害を受けた、精神的にも肉体的にも財産的にも非常に大きな障害を受けたということは、これは私もよくわかります。そのとおりでございます。ただ、いま私が申しました援護だ、何だというような制度でもってやっていくものは、これは国家の一つの強権的な制度でもって、たとえば軍人とかあるいは軍属とか、そういったようなもので、国家がこれを縛って、一つの国家的な地位をそれに付与をいたしまして、その強権的基盤による地位において、これはどこへ戦争に行けといわれたならば、国家の支配されることに抵抗ができない、断わることのできないといったような身分、地位というようなものを持った方々犠牲になったのと、実質的には広島、長崎へ住まっておられた方は、これはいろいろな関係から——たとえは、ここへあした原爆が降ってくるということがわかっておっても、そこを避難することができなかったかもしれませんけれども、これは強権的な縛りをかけたということではない。その人の自由なる意思によって広島あるいは長崎におられた。国家との関係で、縛られるといったような法律上の地位におった人ではないというような点から考えますと——私は実質的な障害は認めます。非常に大きな障害を受けられたということは認めますけれども、さような点におきましては、障害の甚大さにおいて、これは非常にたいへんなことでございますが、ほかの被爆地における爆撃を受けた人、こういう方々と地位において、身分において私は変わりはないと思います。ただしかし、」云々ということが答弁されている。だから、あなたの考えの根底に、被爆者はかつてにいたのだから何も援護する必要はないのだ、困れば生活保護で見てやればいいのだというお考えがおありになるのじゃないでしょうか。だから、この間私の質問に対して、さっそく相談をいたしまして云々という御答弁があったはずなんです。ところが、一週間たち、まだ話すひまがなかったというような御答弁から推しまして、おやりになる気があるのかないのか、そのお考えを聞きたいのであります。ちゃんと文書で回答した中でも明らかです。院の決議は尊重いたします、それから、総理大臣も、やはりこれに対しては鈴木前厚生大臣の意向を尊重して云々ということを言っていらっしゃる。それで、ことここに来たっては言を左右にしてのがれようとしていらっしゃる。これはどうなんです。その点からお聞かせ願いたい。  さらに、大臣が総務長官なり総理大臣とお会いになって御相談した御返事はいつ聞かれるのですか、その点についてのお答えを伺いたいと思います。
  52. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) いま速記録によって私の申し上げたことを御朗読いただきましたが、そのとおりを私は申し上げたのでございまして、私の申し上げましたのは、現行制度におきましては、原爆被爆者に対して医療費というものを、これを見ておる。しかしながら、その他のものにつきましては、生活保護は別といたしまして、特に援護をいたしておりません。それはどういうことかと申しますと、そこに詳しく申し上げましたとおり、被爆者の地位というものが、これは非常に縛りをかけられたということでなかったからこうであると、こういうふうに申し上げたのでございます。しかしながら、一般の被爆者原爆被爆者というものの間には、私は相当の、何と申しますか、損傷の性質に違いがあるということは認めざるを得ない。そういったようなことも含めまして、今日原爆被爆者というものの実態を調査いたしまして、そうしてその原爆被爆者にはこういうふうにほかの者と違うお気の毒な点があるじゃないか、こういったような点を、これは原爆被爆者として何か特別にこれは措置考えなければならぬじゃないかといったようなことが出てくるかもしれない。そういうようなために、私はこの実態をできるだけ調査いたしまして、その実態を把握して、その上に、先ほど来繰り返し御答弁を申し上げておりますとおり、何らかなすべき措置はやっていかなければならない、かように考えておるのでございます。
  53. 藤原道子

    藤原道子君 あなたはこの調査をしていると言われますけれども、その調査は両院の決議の政策を目的として行なわれておるのですか、ただ実態調査というだけなんですか、どうなんですか。
  54. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 国会の御意見もございますし、その御意見は尊重してまいらなければならない。そのためにも、どうしてもその実態の調査をしなければならない、こういうわけで実態調査をやっておるわけであります。
  55. 藤原道子

    藤原道子君 私は先ほどの御答弁納得がいかない。それならば、原爆投下は国際法違反ですよ。ところが、これに対しての請求権とか異議の申し立て等はサンフランシスコ条約で放棄していらっしゃる。普通の戦災とはまた事、変わった特殊な状態に置かれていたということはお認めになりますか、どうなんですか。
  56. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 原爆を投下したということと、それから無事の民に対してじゅうたん爆撃をやった、日本人でございますから、それは一億一心というわけで、交戦国の国民ではございますけれども何らの戦闘をするといったような意思のない、働いておるという人間に対しましてじゅうたん爆撃をやったというようなことも、私は、ここいらの国際法上のこのこまかいことについては、これは私はいまは存じませんけれども、いずれも私は、それは原子爆弾を投下したということが一番何と申しまするか、非常に残虐な行為であるということは、これはもう私が申すまでもないことでございまますけれども、その他の無辜の民に対してじゅうたん爆撃をやったということも、程度の差はもちろんございますけれども、相当なこれは残虐な行為をやったというふうに理解できるのじゃないかと思われます。
  57. 藤原道子

    藤原道子君 話になりませんよ。じゅうたん爆撃をやったのは残虐行為だけれども、それはそこで終わるのですよ。死んだ人は死んだ、傷ついた人は傷ついた。原爆は違うじゃありませんか。だからこそ国際的にも問題になっているのですよ。後遺症に悩む、いつ発病するかわからない、一週間もたたないうちに頭の毛が抜けて、いまでもまる坊主になるような被害が続いている。生まれた子供は奇形児が生まれるとか、いろいろ白血病だとか、いろんな問題が現に起きているじゃありませんか。あなたは厚生大臣ですよ。じゅうたん爆撃と原爆とを同じに評価してよろしいのでしょうか。じゅうたん爆撃は日本もやられております。それと原爆投下とは次元が違うのですよ。同じなら私はこの被爆者に対してここまで追及いたしません。いつ死ぬか、きょう健康でも、あした発病するかもわからない不安におののいているじゃありませんか。その人たち生活に困り、病気の不安におびえ、しかも、病気になってもなかなか医療も制限があって十分に受けられないのですよ。これはどうお考えなんですか。それでもじゅうたん爆撃と同じだとおっしゃるのですか。
  58. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 決して私は同じだとは申しておりません。
  59. 藤原道子

    藤原道子君 同じと言いました。
  60. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 程度も違うし、それは同じとは決して申しておりません。だから、この原爆被爆者というものについては特にこれを調査いたしておる、こういうことでございまして、私は、原爆投下と普通の爆撃をしたアメリカというものを見ますと、これはじゅうたん爆撃をやったことも、それから原爆を投下したことも、非常な私は残虐行為だと思います。しかしながら、その残虐行為を受けた人間でございますが、その受けた被害者は、これは普通の爆撃を受けた被害者原爆を受けた被害者というものは、後遺症も、あるいはそういったような潜在する病害でございますが、これは全く私は違う性質のものだということは決して否定するものでも何でもございません。同じように考えておるかと、こう言われますけれども、私は同じようには考えておりません。
  61. 藤原道子

    藤原道子君 同じだと言ったじゃないですか。ここさえ逃げればいいのじゃないですよ。それならば、遺伝までする、ここまで言われておる被爆者に対して、これほど要求し、政府にすがっておる人たちに対して、審議会をつくり、さらには、これによって援護法をつくるとかなんとか、この人たちの要望にこたえようとするお考えはあるのですかないのですか。尊重すると言っているじゃないですか。
  62. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 国会における御決議もありますし、それに基づいてただいま実態調査をしておるわけでございますが、その実態調査の結果、私は何らかのなすべき措置はその結果によって考えていくべきだと、かように考えております。
  63. 藤原道子

    藤原道子君 総理府から見えておりますね。私は長官でなければ話はわからないのですよ。総務長官がはっきり言っていらっしゃる点についてお聞きしたい。困っちゃったね、この人には答えられないのですよ、この問題は。せっかく来てくだすったのですからお伺いしたいのですが、六月二十七日に塚原総務長官は、原爆被害者補償要求には応ぜられない、こういうふうに答えていらっしゃる。それから、戦後処理はもう終ったのだとも言っていらっしゃる。これに対して総理府ではそういう方針でおいでになるのかどうか、その点を聞かしてほしい。
  64. 武藤昭

    説明員(武藤昭君) ただいま総務長官は、残念ながら所用がございまして、当委員会に出席できないのを遺憾に存じます。  藤原委員の御質問の点につきましては、事務的にまだ伺っておりませんので、これはお答えいたしかねるわけです。
  65. 藤原道子

    藤原道子君 あなたにこれ以上聞いたってしかたがない。そういう質問が出た、この真意を明らかにしてほしいということはお伝えになっていただきます。これが二転三転しておるから質問するのです。前には決議は尊重すると言っている。ところが、今度は引き揚げ者の問題が片づいたので、これでもってすべて終わりと、こういうふうに考えていらっしゃる。これは私は非常に何といいますか、朝言ったことと晩言ったことと違う、こういう方がそういう気持ちで政治をされてはたまらない、こういう気持ちから御所見を伺いたい、こういうつもりでお出ましを願ったわけであります。  そこで、大蔵省の方にお伺いしたいのでございますが、結局、大蔵大臣は、引き揚げ者の財産補償についてだいぶねばっておいでになる、反対しておいでになる。それで、新聞の報ずるところによりましても、すでにこれは終わったんだという考え方に立っていらっしゃる。そうでしょう。三十二年に四百六十一億を出していらっしゃる。そのときにも、在外財産補償はこれで解決がついた、今後この問題についてはあらためて考慮することはない、こういう立場を政府はおとりになった。ところが、三百五十万に達する引き揚げ者団体、これらの人の強い要望、これを取り上げる与党議員、これらの人の圧力によりまして、今回再び千九百二十五億をお出しになる。これに対しましても、与党の中にだって、どう考えたって補償のための理由づけはできやしない、こういうことをはっきり言っている人はたくさんあるのです。ところが、これら圧力団体には四百六十一億を三十二年に出して、そうしてまた今回千九百二十五億を出しておいでになる。これを試算いたしますと、そのとき赤ちゃんだった人にも全部いくんですね。私はここが理屈に合わないと思う。しかも、戦没者の妻に対しての補償は二十万円、今度の場合は一軒で四十万円くらいになる、家もあるんでしょう、家族構成によっては。ところが、これらはもうはっきり終わったんだということを言明されても、圧力団体の前にはこういう再度手厚い補償がなされている。引き揚げ者も、私は、確かに海外に財産を放棄しておいでになった、これはお気の毒だと思う。戦争犠牲者だと思います。けれども、もう戦後二十年たっているのです。どうやらその人たちは、生活の基盤はできていると思う。困っている人は私はむろん見て差し上げるべきだと思う。だから、厚生大臣は、しばしば調査によってとおっしゃる。だけれども、海外引き揚げ者の問題は、何を根拠にどこまで調査ができているのか。けれども、圧力団体には弱い政府も、被爆者は力がないですよ、病身なんです。だからこの人たちに私たちは何らかの補償をするべきじゃないか、援護法をつくるべきじゃないかと主張しているのでございますが、一部聞くところによりますと、厚生省にはその考えがあるんだけれども、大蔵省がしぶって踏み切れないんだというふうな話も聞くので、一体大蔵省はどういうふうにこの被爆者に対してのお考えをお持ちになっているかどうかを伺いたい。引き揚げ者団体と、そうしてこの被爆者たちに対してのお考え方を伺いたい。
  66. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 藤原委員にちょっと申し上げます。報告いたしますが、実は一昨夜来の集中豪雨によりまして、塚原総理府総務長官は対策本部長として、出席を要請いたしましたが、本日どうしてもおいで願えないということでありますので、御了承願います。
  67. 辻敬一

    説明員(辻敬一君) 引き揚げ者に対する特別交付金の問題につきましては、私、直接担当いたしておりませんので、詳細にお答えできないのでございますが、在外財産審議会の答申の趣旨に基づきまして、多年にわたる在外財産の補償の問題に対する最終措置として行なわれたものである、かように承知いたしております。戦後すでに二十余年を経過してきた今日、政府が戦後処理問題にいつまでも追われるということは適当ではございませんので、その内容等の決定につきましては、他の戦争犠牲者に対する各種の措置との均衡に十分配意して行なわれたものだ、かように承知いたしております。今後におきましても、この種の問題は、戦争犠牲者であるといないとを問わず、社会保障制度全般の整備充実の一環として対処してまいりたい、財政当局としてはさように考えております。  なお、原爆被爆者の問題につきましては、先ほど御指摘がございましたように、一般の被爆者と違います最も大きな点は、健康上特別な状態にあるということでございます。そうして原爆被爆者方々がこのようにいまなお置かれている健康上の特別状態にかんがみまして、政府といたしましては「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」という法律を制定いたしまして、逐年その内容を充実して、予算総額も漸次増額してまいりまして、四十二年度では二十八億円あまりを計上いたしておるわけでございます。一般に貧困の最大の原因は疾病であるといわれておりますが、このような疾病に対しまして以上のような手厚い措置を行なっているのでございますが、また、原爆被爆者以外にも、一般の被爆者、一般の空襲の犠牲者、なおまた、戦災とか疎開等によって資産を失われて生活困窮になっておられる方々等もありますので、それらの方々との均衡を考慮いたしますと、原爆被爆者のみに特別な経済的補償をする、あるいは援護措置を講ずるということはいろいろ問題があろうと、このように考えております。
  68. 藤原道子

    藤原道子君 私は、答申を尊重しておやりになったとおっしゃいますけれども、答申の中には、国外における財産形成や生活利益の状況を考慮して、一定の年限に達していなかった者は除外すべきである云々ということが出ている。だから、政府のほうでは年齢制限をしようと思ったけれども、これまた党の圧力によってねじ伏せられてしまった、こういう点が、まことに力あるものには弱く、弱いものに強いあり方が如実にあらわれているといわなければならないと思うのです。ただ、いまあなたがおっしゃいました、原爆被爆者は特別であるから医療援護の面でみている。ところが被爆者は医療だけではだめなんです。生活の能力がないのだから、結婚にも支障があり、就職にも支障がある、非常な困難な状況にあることもお考え願いまして、強い者だけを守るのじゃなくて、ほんとうに訴えるところもない被爆者、きょうすわり込みをしていても、あした命を失うかもわからないような人たちに対しまして、もう少しさいふのひもをゆるめていただきまして、引き揚げ者には社会保障制度考えてやったとおっしゃいますけれども、私は、この人類初めての試練を受けている——その前に、生命のともしびがいつ消えるのかとおそれおののいておりますこれらの者に対しまして、ぜひ格段の御配慮を願いたい、これをひとつ大臣に十分お伝えになっていただきたいと思います。  それから、委員長、私は質問はこれできょうは委員長の御命令でございますので、十二時半で終われというのが、私が立ったのが十二時半でございました。それで、これで終わりますが、大臣から総理、総務長官、それらの人とお打ち合わせになって、その御答弁を伺うまで私は質問を保留いたします。
  69. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) ちょっと速記をとめてください。  〔速記中止〕
  70. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 速記を起こして。  午前中の質疑はこの程度にとどめ、午後一時五十分まで休憩いたします。    午後零時四十九分休憩      —————・—————    午後二時三十一分開会
  71. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) ただいまより社会労働委員会を再開いたします。  委員異動について報告いたします。本日、大橋和孝君が委員辞任され、その補欠として西村関一君が選任されました。     —————————————
  72. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) この際、参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  新生児看護等に関する件の調査のため、本日、日本赤十字社衛部長北村勇君を参考人として本委員会に出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  73. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  74. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 休憩前に引き続き、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案、及び、戦没者父母等に対する特別給付金支給法案の両案を議題といたします。  午前の藤田藤原委員に対する質疑に対して、坊厚生大臣から発言を求められておりますので、発言を許します。坊厚生大臣
  75. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 原爆被爆者に対しましては、すでに国会両院におきましての御決議もいただいております。この方々に対する措置につきましては、今日実態調査が進行中でございますが、十月に相なりますればその結果が判明するのでございますが、その結果によりまして、私といたしましてはでき得る限りの善処をいたしたいという決意でございます。
  76. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  77. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 大臣お話はけっこうでございますが、その他の戦後処理の問題についても、厚生大臣はいろいろと実質的に閣内その他で努力をして進めてもらうということについての御意思のほどを聞かしていただきたい。
  78. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 戦争のためにいろいろ戦後の処理をしなければならないといったような問題は、私は、在外資産等の問題を処理することによってこれで終わりだということは考えておりません。その他の問題もたくさんあろうと思いますこれらの問題につきましても処理をしてまいらなければならないと、そういったような問題についても、私は慎重に強い決意をもってやってまいると、かように考えております。
  79. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  80. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のある方は、賛否を明らかにしてお述べ願います。——別に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  81. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 御異議ないものと認めます。  それでは、これより採決に入ります。戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。  〔賛成者挙手〕
  82. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。     —————————————  次に、戦没者父母等に対する特別給付金支給法案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。  〔賛成者挙手〕
  83. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
  84. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は、皆さんの御同意をいただきまして、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議を提出いたします。
  85. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) ただいま述べられました藤田藤太郎君提出の附帯決議案を議題といたします。  藤田藤太郎君提出の附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。  〔賛成者挙手〕
  86. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 全会一致と認めます。よって、藤田藤太郎君提出の附帯決議案は本委員会決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、坊厚生大臣から発言を求められておりますので、この際、これを許可いたします。坊厚生大臣
  87. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) ただいまの決議につきましては、政府といたしましてもその趣旨を十分尊重し、できるだけ努力したい所存でございます。
  88. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) なお、本院規則第七十二条により、議長に提出すべき報告書の作成につきましては、先例により、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。  〔「異議なしと呼ぶ者あり」〕
  89. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  90. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 次に、社会保障制度に関する調査を議題とし、質疑を行ないます。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  91. 藤原道子

    藤原道子君 私は、この際、妊産婦死亡と新生児の人権問題についての御質問を申し上げたいと思います。  実は、私たちは、与野党問わず、衆参両院の婦人議員懇談会というものを持っておりますので、過日、新生児管理改善促進連合の方から、この婦人懇談会に対して陳情がございました。私は、前々から、新生児の処遇に対しましてはいろいろと質問をし、さらに看護要員等のことについても質疑をいたしてきたものでございますが、どうも陳情等を伺いまして、あまりにも私の質問がから回りであって、何ら改善の措置がとられていないということにつきまして、まず最初に遺憾の意を表するものでございます。終戦後いろいろと医療制度も変わってまいりました。社会の風潮も変わりまして、いままでお産の場合には居宅においてお産をする人が多かった。ところが、最近はその約七〇%が入院による施設内における分べん、こういうふうに変わってまいりました。ところが、これに要する施設とか、あるいは看護要員、お医者さん、これらについての手当てがほとんどなされていないように考えられますが、これはいまどういうふうになっておりますか、これをまずお伺いしたいと思います。聞くところによると、いまでも新生児は人間としては扱われていない、ほとんど産婦の付属品のような扱いである、これに要する看護要員はほとんど確保されていない、こういうふうでございますが、それらについての現状をお伺いしたいと思います。
  92. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 病院において新生児の看護がどういうふうに行なわれておるかということでございますが、御承知のように、病院における看護の要員というものは、医療法の施行規則によりまして、大体四病床について看護要員一人ということを標準にして看護要員の総数が定められております。しかし、現実にはこの四対一というのはどこまでも標準でございますので、それ以上のところも、それ以下のところもございます。通常、一般病院におきましては四対一の原則が大体守られております。精神、結核等におきましては六対一というような標準がございますが、そういう標準の数は、これは病院全体の看護をまかなうめどでございまして、病院内における看護職員の配置、つまりどこに重く、どこに軽くというような傾斜配置というようなものはそれぞれの病院の特徴によってきまるものでございます。したがって、大体ほとんど平等にいくところもございましょうし、また、たとえば手術後の回復室であるとか、あるいは分べん室であるとかいうようなところは比較的厚く配置されるわけでございます。そういうことで、病院内におきましても、それぞれ看護の実態に即応して傾斜的な配置を行なっております。したがって、現実には産科病棟、あるいは産婦人科病棟、特に分べん室、新生児を含みましたそのような病棟にはかなり強い傾斜をもって重点的に看護職員が配置されております。したがって、決して新生児を看護をしていないということではないのでございまして、ただ、従来からいわれておりますのは、新生児を入院さした場合にも、それをいわゆる病院の一ベッドということに計算していない。したがって、新生児の分に対して特別の看護婦の割り当てがないということがありましたわけで、これを新生児を何ら看護する職員がいないというふうに思い違えられていた節があろうと思います。そういう意味で、現実には新生児の看護は各病院ともかなり手厚くやっております。ただ、医療法上の基準として看護婦の総数を計算する場合に新生児の分が加算されていないということが実態でございます。
  93. 藤原道子

    藤原道子君 いつもそういう答弁をなさるのでございますが、現実に新生児室というのがございますね、ここに常時看護婦がいるという施設がどのくらいございますか。結局四人に対して一人、これが医療法で定められた定員ですね。これ三交代制なんですね。日曜出勤があり、さらに早出、おそ出等々すれば、いまの四人に一人でも足りないというのがいまの現状なんです。したがって、夜勤が十日も十五日もあるところもあるのです。その上に新生児の定員がないから、新生児というものは医療法のどこにも認められていないのです。ところが、お産したあと新生児の処遇というものは非常に重大だと思う。しかも、お産は、あなたも御承知でございましょうけれども、半数以上が夜間なんですよ。夜勤のときなんです。あるいは交代時なんです。そのために非常に看護婦さん、産婆さんが過労になる。いまでは産婆さんになり手がないというところまで追いやっておるのです。あなた方のその考え方では、看護婦さんのその過重労働におんぶしてこの問題を処理しているといわれてもしかたがないのです。だから、どこまでも新生児に対しては、まあお産婦さんの付属品ですわね、結局。赤ちゃん自身の人権がないのでしょう、そこに。これに対してはどういうお考えを持っていらっしゃいますか。
  94. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 現在、新生児室というのは大部分の病院にできるようになりまして、現に分べん室を有しております病院の六〇%になっております。国立病院においてはほとんどが新生児室を持っております。なお、そういう病棟における看護婦の実際の数は一体どうなっておるかということになりますと、ただいま申し上げましたように、医療法上計算の基礎にはなっていないけれども、現実には職員が非常に厚く配置されているということを申しましたが、たとえば国立病院の例をとってみますと、国立病院全体で、国立病院の中で産科が独立しておる病院が相当ございます。いわゆる産婦人科という診療科も持っておるほかに、産科というのが独立しているものが十幾つございますが、産科のベッドに対する職員の配置の状況を見ますと、大体分べん室を含みますが、産科の病室では分べん室を含んで看護職員が二・二ベッドに一人配置されております。これは産科が独立しておりますので、仙台、栃木、東一、東二、相模原、横浜、名古屋、金沢、京都、大阪、福岡、中央、この病院が産科が独立しておりますが、その産科が独立しております病院では看護職員が二・二人に一人の割りで非常に傾斜配置されているわけでございます。そのかわり、その四対一のワクの中でございますので、どこかにしわ寄せが出てまいります。そのしわ寄せの一つといたしまして、内科では四・六人に一人というぐあいに、四をオーバーいたすわけでございます。また、外来部門の看護も若干しわ寄せを食いまして、そして標準より若干過重の労働になっているというのが実情でございます。
  95. 藤原道子

    藤原道子君 こちらの資料によりますと、常住していないというのが公立病院でも相当あるのです。ことに夜間に至りましては三分の一以上が常住していない、公立病院で。赤ちゃん二・二人に一人が常住している、とんでもないことだと思うのです。そのくらいいるときもあるでしょう。何か用事があるときはいるかもわからぬ。それは常住ではないのですよ、医務局長。それでも常住していると断言できますか。
  96. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 看護の勤務は三交代制でございますし、そして特に新生児というようなものは二十四時間見てやらなければなりませんので、当然普通の四対一程度の看護婦ではとても二十四時間を十分に見てあげられません。そういう意味で、いま申し上げましたように、産科の病床におきましては二・二と、普通の標準の倍の職員が配置されておりまして、まあ相当の病院はそれが常にちゃんと看護職員が見守っているものと思います。ごく小さな病院でそういうものがあるかどうか、そこらあたりのところは、しかと承知しておりません。
  97. 藤原道子

    藤原道子君 私は、しかと承知しないじゃ困るのですよ。一カ月に三百人、五百人赤ちゃんを取り扱っておるところもある。そこで赤ちゃんのために二・五人に一人ですか、という看護要員がつけば、そのしわ寄せは他の病棟にいくのです。ことに新生児の場合は、健康で生まれても飲み食いはできない。生まれてから初めて外気に触れて呼吸もする、嚥下作用もする、血液の循環、すべて生理的に変化が起こるときなんです。そのときに非常に危険度があるわけです。にもかかわらず、その赤ちゃんに対する処遇は付録的にやっておるということは、私は納得がいかない。したがいまして、今後その新生児に対する看護要員を確立する御意思があるかどうか。
  98. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 先生先ほど御指摘になりましたように、昔は施設内分娩、特に入院分娩というものは非常に少なかったわけでありまして、たとえば昭和二十二年、終戦のすぐあとの昭和二十二年ごろでありますと、施設内分娩が二・四%しかなかった。ところが、三十九年には八〇%にもなっております。二・何%というような時代でありますと、病院の中に占める新生児の比重というものは非常に少なかったわけでございます。その時代には多少新生児に手をとられておったところで、まあ実際上病院全体としてはたいした痛痒を感じなかった。ところが、こういうふうにそれが五〇%になり、八〇%になりますと、新生児の看護のための看護要員を計算に入れないということになりますと、いま申しましたように、方々へしわ寄せが出てまいります。しわ寄せが出てくれば、必然的にやはり新生児それ自体の看護も手薄になるおそれがある。そういう意味で、昔のようにごくわずかな部分であれば、ある程度ネグリジブルであったのでございますが、最近のように、病院のベッド全体の中に占める比重が多くなってまいりますと、とうていネグリジブルというわけにはまいりません。そこで、私どもといたしましても、もうこれをほうっておける段階ではないということで、実は先ほど来省令改正を検討いたしておりまして、新生児の数というものもいわゆるこの医療法の看護の基準の算定対象にしよう。つまりほかの患者が全部込みで四対一になてておりますが、新生児も四対一の込みにして、少なくとも勘定の対象に入れる。つまり新生児分だけ看護婦の数を増したいという考え方で、現在医療法の規則の改正を検討中でございます。
  99. 藤原道子

    藤原道子君 いつごろできるのですか。検討検討中といって、原爆の問題だって二十年検討していてまだ解決できない。これは命に関係することでございますから、これは赤ちゃんを人間として認めるその処遇はいつごろをめどにおやりになりますか。
  100. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) この問題は、先生御承知のように、看護婦の非常に不足している現状におきまして、さらに病院の看護婦の需要を増すことになるわけでございまして、私どもとしても看護婦の供給がきわめて逼迫しているのに、きわめて多数の看護要員を増加しなければならないということについては、かなりちゅうちょせざるを得ないような段階に立ったわけでございますが、幸い、最近若干看護婦の需給についても、二、三年前ほどの窮屈さがなくなってまいりました。これを機会にいまこそ踏み切るべき時期ではないかという判断をいたしまして、ごく近い将来にこの改正をいたしたいと思っております。
  101. 藤原道子

    藤原道子君 看護婦が足りない足りないといって、あなた方ふやす努力をしないのですよ。二、三年前までは看護学校の志願者が少なかった。ことしは九倍から十倍、急増率があったのですよ。それならば、こういう機会ほんとうにふやす意思があるならば看護学院の増設もできるでしょうし、あるいは、また、准看が長く経験年数を経たときには、国家試験を経てこれを看護婦にする。やる手段は幾らでもあるけれども、それをおやりにならないので看護婦が足りない足りないで、しわ寄せを患者の上に押し寄せたままできょうまでのんべんだらりときているわけです。この際、局長の言われましたことばを信用いたしまして、一日も早く新生児が人として扱われるようにひとつ改定していただきたい。結局、戦争前には居宅分べんが多かった、それが戦後こうなった。これは社会の進歩でして、それなのにこれに対する処遇、対策というものが全然考えられない。そうして、そのしわ寄せがここに一挙にあらわれてきている一つの病院で月に何百人とお産するのに、その赤ちゃんが全部看護定員を食っているわけでございます。その結果不測の事態が各地に起こっているのです。私、結局赤ちゃんはまだ嚥下力も十分じゃないし、それにお乳を飲ませる。それで、そばについていないために窒息した例がある。あるいは赤ちゃんが、看護婦がいないために保育箱の中で死んだ例もある。いろいろ問題が起こっている。赤ちゃんを取りかえられ、幸いあれは血液型でわかったが、わからない人がまだいるのじゃないかといって、病院でお産したおかあさんたちはこのごろ戦々恐々としております。私は、こういうようなことは対策を立てれば避けられるのに、対策を立てないで来たというところに責任があると思う。それは早急にひとつ改めていただかなきゃならないと思います。火事のときだとか、あるいは病気の発見がおくれるとか、早く発見すれば重症黄だんだって処置があるはずなんです。それが時期を失すれば結局脳性小児麻痺、一生とんでもない姿になることになるわけでございますから、人間の命でございますから、十分に今後はお考えを願いたい。それから、看護婦だってお産姿さんだって人間でございますから、やはり人間らしく処遇してほしい。  それと、もう一つお尋ねいたしますが、乳幼児の死亡率の問題、乳幼児の死亡率、これは日本はアメリカよりも低くなった、こういうことを宣伝しておいでになりますが、実態はどうなっているか、聞かしていただきたい。
  102. 松尾正雄

    説明員(松尾正雄君) お答えいたします。  日本の御指摘の乳児死亡率につきましては、たとえば一九六四年におきまして出生千人について二〇・四、例に出されましたアメリカが二四・二という状態でございます。そういう点におきましては、明らかに数字では低くなっております。実態はどうかという御質問でございましたが、私どもといたしましては、御承知のとおり、この日本の人口動態統計は、戸籍法に基づきまして提出されました届け出書に基づいて、それを正確に統計としてまとめていくという、いわば第二次統計をとっているわけでございます。それで戸籍という特殊な事態がございますために、出生の届け出とか死亡の届け出というものは非常に正確だといわれておるわけでございます。その限りにおいては、日本のこの死亡率等、人口動態統計がいまでも世界的に非常に高水準のものだといわれておるわけでございます。ただ、先生おそらく御指摘になりたい点は、生まれて間もない乳児が、いわば出生という手段をとりました後に、死亡という手続を経て、正確に乳児死亡というふうに判定されているかどうか、こういう点の御質問であろうかと存じますけれども、数量的にどれくらいであるかということはわかりませんが、一部には厳密に申せば、ほんとうは出生であった、しかし、それがいわば死産として処理されているものがないということはないと存じます。しかし、この問題は、世界のどこにおきましても、程度の差はあると存じますけれども、一つの悩みになっておるところでございまして、したがいまして、その観察にはよほど注意を要するということが指摘されているような事情でございます。
  103. 藤原道子

    藤原道子君 私はそこが問題だと思う。新聞の投書欄にも、死産の矛盾が各国共通だと、こういう投書が出ておる。フランスでもそうだ。ところが、私は、世界各国共通であっても、矛盾は直さなきゃいけない。ことに世界各国といわれましたけれども、ノルウェーにおいて若干一週間未満のものが死産として扱われておる。それからイギリスも若干あります。けれども、それはわずかでございます。ところが、日本におきましては、これは一九六三年の資料でございますけれども、日本新生児の死亡は二三・二となっている。ところが、これに一週間以内に死んだ赤ちゃんの死産で届けられているのですね。死産として扱われている。しかし、おぎゃあと生まれて息をしていたら人間だから人権があると思うが、これが全部死産として扱われる。これを加えますと五一・二ということになる。それも一週間以内の赤ちゃんを全部死産として勘定されているのじゃございません。この中で手当てよろしきを得るならば、二百人の死産の中で百人くらいは助かるのじゃないか、こういわれている。こういうものを入れてこの数字になる。あまりにも外国に比較いたしまして、外国の資料もございますけれども、日本は飛び抜けて死産扱いが多過ぎる。だから、私が言うのは、一週間以内の、処遇よろしきを得ればせっかく生まれた赤ちゃんが助かるのじゃないか。それを全部死産として扱ってしまって、その後の統計だけしかとっていないということは、これは人道上許せないということです。だから、ここに諸外国生存期間別乳児死亡率比較が出ております。日本の場合は、つまりゼロ日から六日まで、この死産が九・三となっている。これは世界で最少ですか、一番少ないスエーデンでも一〇・一になっている。日本は九・三です。ところが、七日から二十七日までの死亡は日本が一番多いのです。それから、七日から一年未満も日本が一番多い。七日から一年未満はスエーデンは四・四です。日本は一四です。一年未満では日本は一番多いのです。それから、七日から二十七日までの統計でも日本が一番多いのです。四・六で日本が一番多い。ところが、乳幼児死亡率というその統計からいけば、日本はなるほどアメリカより少ない。これはおかしいじゃないですか。そうして、また、一週間以内で死んだ赤ちゃんの率は世界一なんです。ほかにこういう方式をとっている国がフランス、それからオーストリア、チェコスロバキア、それからスコットランド、それからイギリス、ノルウェー、それからオランダ。しかし、これはごくわずかなんですよ、日本のような国はどこにもないですよ。これれでよろしいのでしょうか。私たちは、やはり命を生む母の立場からいたしまして、子供が生まれるまで親はどういう気持ちで介護しているか。その子が施設よろしきを得ないから看護よろしきを得ないために、世界有数な医学の発達した国といわれておりながら、こういう統計では私黙っていられない、これはどうなんでしょう。これでも世界通例の矛盾でございますとおっしゃるのですね。
  104. 松尾正雄

    説明員(松尾正雄君) 一週間未満の死亡の場合、これが死産として届け出られるそういった可能性はわりあいに少ないものだと思っております。ただ、一日未満と申しますか、生まれて直後の死産、二十四時間以内、いま先生御指摘のような、二十四時間ゼロ日というようなところは、まさにフランスに匹敵するくらい日本は低いわけでございまして、その点は御指摘のとおり、先ほども申し上げたようないきさつがあって死産のほうに流れていると考えてよろしいかと思います。私ども、決してそういう現状を、この数字が、そういうものがない、絶対ないのだという前提に立っていままで申し上げたこともないわけでございます。しかしながら、多少程度の差こそあれ、ただいま先生も御指摘のような、そういうちょうど出生う直後の乳児死亡というものは、実は死産との間に混淆しやすい問題がある、このことはWHOが指摘しておりまして、周産期死亡という考え方でそこを補ってあえていこうじゃないかという問題がございます。これは生後一週間以内の乳児死亡と妊娠第八カ月後の死産と、この二つを寄せていたしまして、出生をめぐる前後の死亡という形で足したもので解釈をしなければ国際的な比較もよくできないのだという提案がございまして、厚生省もすでに数年前からあらゆるものに計算をして公表いたしておるわけであります。それによりますと、確かにその周産期死亡率——妊娠末期の死産と、それから一週間未満の新生児死亡の二つを足した率は、決して日本はそんなに低くないのであります。決して低くない、そういうこともすでに公表いたしまして、いわゆる母体なり、そういう母体の保護なり新生児対策なり、十分その点を考慮していただきたいということはいろいろな機会に申し上げておるような次第でございます。ただ、私どもといたしましては、やはり正確に出生は出生として届け出ていただき、短時間であっても、やはり死亡したら、そのあとまたもう一度届け出ていただき、死亡として扱っていただく、これは当然私ども努力しなければいかぬと考えております。特に先ほど来いろいろな御議論もございますように、最近施設分べんが非常に多いという実態がら申しますれば、それに立ち会います医師、ああるいは助産婦の方が、実はそういう状態について一番よく御存じでございます。そういう方々がやはり正確に届けをしていただきますように、また、そういう証明書をお書きいただくわけでございますが、正確な証明書を出していただくようにということを、従来もお願いしてまいっておるような次第でございますが、今後も努力してまいらなければならぬと思っております。
  105. 藤原道子

    藤原道子君 私は、その矛盾をお認めになってそういうふうに改めていこうとされている努力を買います。しかし、これはやはり看護よろしきを得れば一週間以内の赤ちゃんで助かる人が半分ぐらいあると見込まれているのですね。ここに陳情においでになったお医者さんはりっぱな名前の方だから、これを私は信頼しております。こういうことになると、こういう一週間以内の赤ちゃんが死産で扱われているというようなことは、一般のおかあさんに大きなショックなんです。ですから、間違っておるならばちゃんとこれを改めていただき、看護要員が足りないからしかたがない、こういうことで死んでいく赤ちゃん、とり違えられる赤ちゃん、事故によって死んでいく赤ちゃん、いろいろそのなくなられた赤ちゃんの例はたくさんございますけれども、そう一々言うことは差し控えます。こういうことがあるのだから、医務局長には、ぜひ勇気を出して赤ちゃんに対する人権を認めていただいて、ぜひとも看護要員の確保を確立をしていただきたいということを強くお願いいたしておきます。  時間の関係もございますので、そこで、いろいろ新生児の人権の問題もさることながら、ここに日本考えていただかなければならないのは、一九四〇年、昭和十五年には日本では妊産婦の死亡は諸外国に比べて第六位、非常に成績がよかったわけです。その当時には日本より少ない国はごくわずかでございまして、五つあるわけですけれども、そのほかはデンマークでもイギリスでも、アメリカでもスイスでも、日本よりはるかに多かった。オーストラリアのごときはほとんど倍に近い妊産婦の死亡率だった。ところが、終戦後、諸外国は母子対策というものが非常に強化された。命を生む母を守れということで、結局母体保護が非常に進んでまいりました結果、一九六二年、三十七年度におきましては、諸外国はほとんど半減、三分の一、四分の一に減っておる。一八一・二だったスウェーデンが一三になっている。あるいはアメリカのごときは三七六でございましたのが、いまではこれが三五・二と、極端に減ってきている。ところが、日本は当時二三九・六だったのが一一二、減ってはおりますよ。けれども、諸外国は三分の一、五分の一に減っている。ところが、日本は相変わらず、世界最高とはいいませんよ、セイロンよりは少ないそうでございます。いわゆる先進国といわれる国々に比較いたしますと、恥ずかしいくらい多いわけなんです。これはどこに原因があるのですか。これはどうお考えですか、医務局長、どっちかね。
  106. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) ただいま藤原先生から昭和十五年以来の妊産婦の死亡率につきましていろいろとお話を承ったわけでございます。統計数字はまことにそのとおりでございまして、いずれにいたしましても、私どもは、いまもお話がございましたような母子保健の現状にかんがみまして、母子保健対策を強力に推進していかなければならないということを考えております。特に昭和四十年には母子保健法ができまして、四十一年から施行になっております。したがいまして、その法律の定めておりまするいろいろな施策、これは先生御承知のように、母子——妊産婦、乳幼児等の保健指導から、あるいは訪問指導、それから、さらに問題のある子供れちに対しまするいろいろな給付等も行なっておりますが、こういった一連の施策を今後ともに進めていって、いま御指摘のありましたような実情の改善につとめるということが必要だと、かように考えております。先生のお話がありましたようないろいろな原因もあったとは思いますけれども、現在の問題といたしましては、いま申し上げましたような各種施策の強力な推進ということをおいては、ほかには対策がない、かように考えております。
  107. 藤原道子

    藤原道子君 いま母子保健法が施行されたということでございますが、私たちが提案いたしましたのは、妊産婦、つまり施設で生む中の死亡原因では、妊娠中毒が一番多いのですよ。それから出血ですね、その次が子宮外妊娠、こういうふうになっておると思うのでございますが、この妊娠中毒等に対しましては、これはまあ過労もあれば、心身ショックもあれば、栄養の問題が非常に多い。したがって、妊産婦、乳幼児には牛乳一合を支給する、お産は全部入院してやるようにする、これは健保等の対象にして、お産の費用は無料にしろ。そのほか休養施設その他を出したわけですが、取り上げられましたのは牛乳一合だけ。ところが、その牛乳一合も、生活保護の家庭それから地方税の均等割りまで伸びたのですが、地方税を納めない家庭だったね、初めは。それがやや伸びて、均等割りまではこれを支給するということになっておりますが、下部、末端にはなかなか行き渡っていない。このPRが足りないから、知らない人はたくさんあるのです。だから、政府ほんとうに母体保護を考えているのだろうかということの疑問を持つわけなんです。しかも、最近、返上する傾向にあるというじゃないですか。牛乳が値上げになってくる、地方団体の負担分がふえてくる、こういうことで、これをむしろ返上するという動きがあるやに聞いておりますが、その実情を聞かしてほしいと思います。
  108. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) 母子保健法の制定以来、いま先生から御指摘いただきました一つの点、妊娠中毒症に対します療育指導、あるいはこれの治療費、こういった点につきましても給付を行なっておりまして、本年度におきましては、妊娠中毒症の対策の一つといたしまして一千六百三十六万一千円というふうな金額が計上されまして、これによってやっておるわけでございますが、いまお話のありましたような、施設の問題でありますとか、その他糖尿病とか、いろいろ問題があると思いますので、こういった妊娠中毒症の内容改善という問題も今後考えなくてはならない一つの問題であろうと、かように考えております。  それから、次に、母子栄養強化の問題でございますが、これも発足以来、次第に低所得者の層をふやしてまいっておりますが、さらにこういった層を拡大するということは必要かと考えております。この点につきましても、今後の重要な問題といたしまして積極的に取り組まなければならない、かように考えております。  なお、このミルクの配給につきまして、どうもPRが不足じゃないかというふうなお話を伺ったのでございますが、この点につきましては、私ども厚生省におきましても、各都道府県等につきましてその徹底をはかっておるわけでございますが、先生御指摘のごとく、単価がやや実情から離れておるという問題は確かに大きなミルクの支給に対します隘路であることは認めざるを得ないのでございまして、したがいまして、本年はこういった単価の実情に即した改善ということで、一応は昨年度まで一本十五円という単価でございましたが、これを十六円三十銭というふうに改善をしたわけでございます。なお、さらに、こういったミルクの価格が上昇の傾向にございます。したがいまして、来年度においても、もっと実情に合った単価によりまして、市町村が特に自己負担、超過負担があまり起こらないように、こういった点について努力をしなければならないと、かように考えております。
  109. 藤原道子

    藤原道子君 十六円三十銭はどういうところからはじき出したのですか。牛乳の単価ですね、あれは十八円だか二十円ですね、駅で飲んだって二十円ですよ。十六円三十銭というのはどういうわけですか。
  110. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) 十六円三十銭の根拠といたしましては、先生御承知のように、なま乳をそのまま飲んでいるところと、粉ミルクとして飲んでいる地域が日本にはございます。したがいまして、これらを加重平均いたしますと一合の単価が十六円三十銭というふうな割り出し方で算出をされるのでございます。したがいまして、どうしても十八円でなければ手に入らないという地域におきましては、なま乳の単価で給付が行なわれるということに相なるわけでございます。
  111. 藤原道子

    藤原道子君 それは初耳ですね、牛乳を飲むところは十八円でやっていると。だけれども、法律の制定のときの精神はなま乳で起算したはずです。だけれども、単価が安いからしかたなくて東京都だって粉乳なんですね、なま乳のほうがいいですよ。だから、単価が安いからやむを得ず粉乳になっている。それを十六円三十銭、改定したなんといっても、それではますま紛乳がふえてくる結果になるのじゃないか、それはどうなんですか。
  112. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) なま乳でそのまま飲用できるという地域におきましては実情の単価でやっておりますが、やはり農村僻地等におきまして、現に実際問題といたしまして、紛乳を使っておるというところもございまして、これらの一合当たりの単価がずっと安いわけでございます。したがいまして、予算の積算といたしましては一応十六円三十銭という単価を用いた、かようなことでございます。
  113. 藤原道子

    藤原道子君 いなかのほうはそうだけれども、東京が紛乳なのはどういうわけです。東京では牛乳が手に入らないとは思えない。ところが、東京都ではその業者との話し合いがつかないから紛乳にしたと言っておる。これはどういうふうに解釈されますか。
  114. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) 問題は、先生御指摘のように、この単価が安いということが一つの問題点でございまして、そのために市村町の超過負担というものも相当ばかにならないわけであります。したがいまして、たとえば昭和四十年におきまして発足いたしましたミルクの配給の実際の市町村の数を見ますと、三千四百ばかりある市町村のうち、約一千百市町村というふうな、非常に少ない数でございましたが、その後約二千というふうにふえてまいっております。したがいまして、今回、この六月から新しい単価を実施することによりまして、さらにこういったミルクを配給していただく市町村がふえるということを私どもは確信をしております。しかし、いずれにいたしましても、なお十六円三十銭というふうな単価につきましては問題がないことはないわけでございまして、いま先生のお話のような地域もあるわけでございますので、今後こういったミルクの飲用ということが母子の健康の大きな要素であるというふうな重要性にかんがみまして、さらに実情に沿うような単価の計上、予算の確保につとめてまいりたい、かように思っております。
  115. 藤原道子

    藤原道子君 私は、法律さえつくればいいのではないのでございまして、法律が即、実行されるように、その法律によって母体が守られるように、母体を保護するということが母子保健法のねらいだと思うんです。これがほんとうに実り多き法律であるようにやってもらわなきゃ、保健法つくったからそれでようございます、これじゃ困るんです。これを強く私は遺憾の意を表明いたします。  さらに、世界各国の妊産婦の死亡を見ても、妊娠中毒症というのが一番飛び抜けて日本が多いように思いますが、その原因はどこにあるんでしょう。
  116. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) 妊娠中毒症による母体の危険というふうな問題は、各国とも学界の十分な協力を得まして検討しているところだと思っております。したがいまして、わが国におきましても、妊娠中毒症につきましては、それが大きな母親の、特に妊産婦の死亡率に影響があるというふうなことで、これらのまあ医学的な追求もさることながら、実際問題といたしまして、妊娠中毒症に対する医療費の給付、あるいは入院の措置ということをさらに進めていかなくてはいけない、かように考えております。世界の各国に比べましてわが国の妊産婦の死亡率が高いということは御指摘のとおりでございすが、これらはまあ妊娠中毒症自身をはじめ、その他妊娠中におきます母体の健康管理というふうな点もあわせて、一環の施策といたしまして進めていかなくちゃいけない、かように考えております。
  117. 藤原道子

    藤原道子君 先ほど母子指導員というのですか、これも大いに働いておりますとおっしゃったけれども、横山さん、いま母子指導員というのは……。
  118. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) ちょっと速記をとめて。  〔速記中止〕
  119. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 速記をつけて。
  120. 藤原道子

    藤原道子君 妊産婦指導、あるいは赤ちゃんの指導等のために、この前に母子保健指導員というものですか、設置されたと思いますが、これは家族計画であるとか、あるいは妊娠中の人を指導するとかいうようなことで設置されたと思うのですが、それはいまどうなっておりますか。
  121. 渥美節夫

    政府委員(渥美節夫君) 妊産婦、乳幼児の対策に、第一線機関として働いていただいている保健所を中心といたしまして、保健所におきまする医師、歯科医師、あるいは看護婦、保健婦、助産婦、こういうふうな各職種の方々が第一線機関として働いていただいておりますほか、また、たとえば母子健康センター等におきましても、そのような方々がこの母子保健の第一線機関として働いていただいていたわけでございます。したがいまして、現在におきましては、こういった第一線機関の方々の力によりまして、この母子保健の各施策を遂行していくというたてまえで進めていきたいと思っております。
  122. 藤原道子

    藤原道子君 時間もございませんので、またいずれお伺いしますが、大臣、お聞きのとおりなんでございます。赤ちゃんが生まれたときから、私たちは人間として扱われる、こう思っておりましたが、一週間以内の死亡が死産として扱われる、これが一つの問題。  それから、もう一つは、産婦さんが入院するときには産婦さん一人です。赤ちゃんが生まれても、それが一人の人間として扱われていない、したがって、看護要員は赤ちゃんつきというものはゼロなんです。ほかの部門の人たちの労力をここにさいて、それで赤ちゃんを看護している。そのために常時赤ちゃんのそばにいて介護している者はいないわけです。したがって、各地でいろんな悲劇が起こる、取りかえた子がわかったからいいというわけはない。四年も育てた親御さんの気持ち考えるとたまらない気がします。そのほかにも取り違え事件があります。私の親戚で保育器に入っていて、赤ちゃんの寝巻きの糸が、女の子だのに、人さし指にからんで、そして壊疽を起こしてこの赤ちゃんは第二関節から指が落ちてしまった、こういうことも、火のつくように泣いたであろうのに、常時そこにいなかったためにそういう一生のかたわになった、女の子です。あるいは厚木のほうにおきましては、保育箱の中で赤ちゃんが焼け死んでおる、あるいはお乳を飲むときに嚥下がうまくいかなくて窒息して死んだ赤ちゃん、だれもいないところで、行ってみたら赤ちゃんが死んでいた、こういう例が随所にあるのです。女はお産に命をかけている、そして生まれた赤ちゃんは、看護よろしきを得ればりっぱな人間として育つものです。生まれたまま死んでいくこの悲劇、私はこれは人道上許せない。あるいは妊産婦の死亡だって、日本の倍もあった国が日本の五分の一くらいに減っているのです。政治よろしきを得れば。こういう統計を明らかに厚生省では御承知なんです。それなのになぜそうした十分な介護ができないか、結局日本の低医療政策から起こってきたしわ寄せによって、幼い命が、あるいは妊産婦がその命を落としているということは、私どもはそれこそ政治貧困という以外にないと思う。ことに妊産婦のいま申し上げました妊娠中毒症による死亡、これが日本が一番多いのでございます。ところが、重症心身障害児の問題もやがて本院にかかるわけでございますが、学者の説によりますと、脳性小児麻痺の原因のほとんど八〇%くらいは妊娠中にあり、妊娠中毒症に大いに原因していると、こういわれている。ということになれば、命を守る政治と、こういうことを佐藤さんも大いに言っていらっしゃるが、それならば、命を生むための妊産婦、また、この世に生をうけた者がすこやかに育つようにやっていただきますのが厚生大臣のお仕事だと思うのです。いま局長が御答弁になりましたけれども、一日も早く医療法の改正ですか、これによりまして赤ちゃんを人として扱っていただくことを強く要望いたしまして、私は、時間の関係で、これで質問をきょうは終わらしていただきます。ちょっと大臣の御所見を伺っておきたい。
  123. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 生後一週間以内に新生児がなくなった場合に死産扱いをされる、これは私は全部が全部じゃないと思います。その扱われるものが少なからずあると、こういうことだと思いますが……。
  124. 藤原道子

    藤原道子君 半分くらいある。
  125. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) そこのところはどうも私も判明いたしませんけれども、とにかく少なからずあるだろうということは私も思います。ただ、そういったように扱われる原因にはいろいろな、これは決していい慣習でも何でもありませんけれども、昔からの慣習で、出生届けも死亡届けも両方出さにゃならんといったようなこともあって、そこで、死亡届けになりますと、どうしても出生届けを出さにゃならぬ、そういうようなことでもって死産扱いにされるというようなこともあろうと思います。ただ、しかし、そういったような場合に、看護婦さんが非常に足りないために、それはそれといたしまして、一週間以内に新生児がなくなっていくということは、これは私は、そういった原因で新生児が大ぜいなくなっていくということは、これは国家にとりましても人類にとりましても、非常に憂うべき問題であろうと思います。さような意味におきまして、先ほどから担当局長も御答弁申し上げておりますけれども、この四人に一人というのは一つの標準でございまして、それで、現実の問題といたしましては赤ちゃんを人間扱いにしないと、これを人間扱いにしないで物のように扱うと、そういうことでは私はないのでございますけれども、標準といたしましては四人に対して看護婦さん一人ということになって、その四人の中に赤ちゃんが入っていないということも、これも私は否定できない標準の一つの基礎だと思います。これは今後私はだんだんとそういったような標準の取り上げ方というものを是正してまいりまして、そして看護婦さんが十分充足されるように前向きに考えていかなければならない問題であると、かように考えております。
  126. 藤原道子

    藤原道子君 私は看護婦のことばかり言いましたが、なかなかお医者さんも足りないらしい。こういうこともひとつお考えいただきまして、安心して赤ちゃんが生めるような、そして、また、生まれた赤ちゃんが守られるような対策を至急に立てていただきたい。
  127. 西村関一

    西村関一君 ただいま藤原委員から新生児の問題についての御質疑がございました。その具体的な事例といたしまして、最近発見せられました赤ちゃん取りかえ事件といわれております問題についてお伺いしたいと思うのでございます。  実は、この事件は大津の日赤病院において行なわれた事件でございまして、その当事者、この赤ちゃんの片方の男親のほうが私の経営いたしておりました保育所の出身でございました。いわば私の教え子でございます。それから、もう一方のほうの赤ちゃんの両親は、私の地元の秘書の友人でございます。そういうような関係から、いち早く私はこの事件の内容について知らされたのでございます。しかし、これは世間の問題にしないで、赤ちゃんの将来を考えて、赤ちゃん本位の立場に立って関係者が処理すべき問題であるというふうに考えまして、かたく外部に漏れぬことを私は関係者に強く要望をいたしておったのでございます。ところが、前からの予定で、五月の下旬に私は海外に出張をいたしまして、帰って参りましたところが、この問題が大きく報道関係に取り上げられて世間の関心をかっておる。各報道機関が競ってその問題を取り上げておられるというような状態になりまして、私は国会等において取り上げるべき問題であるとは考えていなかったのでございますけれども、一応この機会にこの問題に対する政府当局の御見解を明らかに承っておきたいと思うのでございます。  なぜこのような事件が起こったか、四年前に赤ちゃんが取りかえられておったそのことが、あらゆる科学的な検査の結果、事実であるということが判明した。この病院や医師側の責任を追及するということだけでは、私は問題の解決にならないと思うのでございます。幸い、両家の間において、この間違っておりました赤ちゃんを交換いたしまして実の親の手元に帰った。今後の教育上の問題については、児童専門家の意見を聞いて適切な措置が講ぜられておるということで、曲がりなりにも、この赤ちゃん本位に解決の道が緒についておるのでございますが、しかし、こういうことがそう再々あってはならないと思うのでございます。そのようなことが起こった原因は一体どこにあったかという点について、監督の責任のある厚生省当局においても十分検討しておられるところだと思うのでございますが、私の聞いておりまするところでは、地元の病院側においては、関係両家はもちろん、地元の各方面の意見を聞いてみますると、誠意を十分認めることができない。非常に不誠意な態度であられるということでございまして、具体的な問題については一つ一つ伺ってまいりたいと思いますけれども、この問題に対して、このことがわかりましてからいままで両家の親たちの苦しみはどのようなものであったか、いままで自分のほんとうの子供だと思って育ててきた子供が他人の子であった。しかも、愛情は切っても切れない状態にまでなっている。その子供を実の親のところへ返す、両家の親たちにとっては、もう何も手につかないほどの精神的な苦しみを経験したのでありまして、はたの見る目も痛ましいほど、何といって慰め、励ましていいかわからないというような状態であったのでございますが、幸いに、ようやくおのれを取り戻したようでありますけれども、こういうことが私の知っている範囲におきましてはこれだけじゃない、他にもあった。また今後も起こり得るだろうということにつきましては、ただいまの藤原委員の御質疑の中にも出ておったのであります。この問題につきましての厚生省御当局の御見解を承りたいと思います。大臣には最後にお伺いをいたしますが、まず、局長さんからひとつお答えを願いしたいと思います。
  128. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 大津の日赤におきまして赤ちゃんの取り違え事件を起こしたということは、医療機関の本来の使命にかんがみまして、まことに残念なことであると思います。  〔委員長退席、理事土屋義彦君着席〕  また、医療機関、あるいは医療行政全般の監督責任者であります厚生省といたしましても、まことに申しわけないことと存じております。このような事故がどのような経緯をもって起きたかということは、すでに四年も前のことで、当時の病院長、その他直接責任者もおられないような状況でございまして、詳細についてその経過を明らかにするということがどの程度得られますか、現在なお病院、あるいは県自体においても調査中でございますので、経緯につきましてはしばらくまだ時間をおかしいただかなければならないかと思います。いずれにいたしましても、これを取り違えたという事実だけは、これは明らかでございまして、この取り違えたという事実は病院の管理上のあやまちであるということも、これは間違いないことであると思います。したがって、病院管理の全般的な責任に任ずる病院長というものにも、当然その道義的な責任があると存じております。しかし、この問題を行政処分、あるいは民事事件、刑事事件というようなものとしてのど程度に評価され、どの程度の処分がとられるかということについては、現在のところ、まだ私ども決定的なことを申し上げる段階ではございません。ただ、取り違えたという事実それ自体は、病院管理の過失、過誤であるということだけが明らかに言えることでございます。ただ、行政処分その他、あるいは刑事事件、民事事件の対象になるかは、なお今後の問題と思います。なお、幸い、ただいまお話もありましたように、当事者の両家の方々が非常に英邁なる態度をとられ、そうして御本人の御家族、あるいは本人自身の将来にも、まあ人事としてとり得るきわめていい態度がとられているということが、私どものせめてもの慰めであると存じております。
  129. 西村関一

    西村関一君 私は、初めに申し上げましたように、責任の追及だけで問題が解決するとは思っておらないのでございます。  〔理事土屋義彦君退席、委員長着席〕 むしろそのことは二の次の問題で、こういうことが二度、三度起こらないように医療行政の面においてどのような心がまえをお持ちになるかということが私は大事だと思います。ただ心がまえだけじゃなくて、医療法規の解釈、あるいは医療法規の不備、そういう問題が先ほど来、藤原委員の御質疑の中にも指摘されておったのでございます。そういう点に対して、この問題を契機として、この災いを転じて医療行政の前進のために当局はどのように配慮するかということが私はもっと大事だと思うのでございます。病院側の言っておられるところによりますと、患者は母親だけだ、妊産婦だけだ、新生児の異常児は別として、正常児は患者にはなっていない、ただ、体温をはかったり体重をはかったり沐浴をさせたりするのは、これは病院側のサービスだ、そういう考え方に立っておられるようでございます。したがって、病院側の医療法十五条の管理者の監督義務の責任もないし、医師法十九条の担当医師の診療の義務の責任もない、こういう見解をとっておられますが、この点に対しまして厚生省はどうお考えになっておられますか。
  130. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) ただいまのお話のように、この取りかえという事件についてどれだけの過誤、あるいは重大なる過失があったかというような点につきましては、なお今後の具体的な調査を待たなければならぬことでございますが、現在のところ、御指摘のように、医療法上の責任として病院長の管理責任を追及すること、特に法律上の行政措置になりますと、管理者の更迭などという行政上の処分がございますが、こういうものに該当するしないという問題にまでなる性質のものではなかろうかと存じます。また、当然医師法の医師の過失ということに帰着することはできませんので、これも医師法上の問題にはとうていなり得ない、むしろ、やはり通常の医療機関の管理体制、あるいは看護体制が不十分であるということが直接的な原因になってくると思います。そういう意味で、私どももこれを契機にいたしまして、先ほど来お話がありましたように、新生児の入院施設、つまり新生児室というようなものも、十分なスペース、十分な設備等を備えさせるように指示して、新生児ベッド、その取り扱いというものの完ぺきを期すようにする一方、先ほど来もお話が出ましたように、新生児の看護に対する看護力の強化というものをはかって粗漏のないようにしていく、こういうことによりまして、将来このようなことが二度と起きないように、また、これを契機として、新生児看護の問題が一そう強化されるようにという行政上の指導を進めてまいりたいと存じております。
  131. 西村関一

    西村関一君 局長はすぐに、法規に照らしてこれが行政処分の対象になるか、あるいは司法処分の対象になるかということを問題にせられますけれども、赤ちゃんが取りかえられた、取り違えられたという事実は、これは明らかなんであります。この事実は間違いないのであります。ですから、その間のいろいろな調査の過程も必要でございましょうけれども、しかし、事実について、いまの局長の御答弁では、その対象にならない、ただ運営並びに監督のミスであって、今後その点については十分に注意をしていかなきゃならぬということをお述べになったのでございますけれども、私どもの地方の七月五日付の滋賀日日新聞によりますと、「厚生省医務局の中村総務課長は「このような病院当局、県医務予防課の考え方は矛盾している」と決めつけ、まず「当時の病院長には医療法十五条違反の疑いがある」」ということを言っておられるのでございます。この新聞記事が間違いでなければ、あなたの部下であられるところの中村総務課長はそういうことを言っておられる。この点につきまして局長は、全然病院側の見解と同じだというようなことをお述べになったようでございますが、その点ちょっと確かめさせていただきたい。
  132. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 医療法上の責任ありやなしやというようなことが実は議論になっておるようでございますけれども、医療法責任を追及するということは、病院の管理者である病院長の責任ということになりまして、これはいわゆる病院管理全般の責任でございます。したがって、これが損害として民事事件の対象になるかどうか、あるいは重大なる医療の過誤として刑事責任をとられるかどうかというような性質を論ずるものではございませんで、病院の運営、管理全体が適切でなかったということに対する責任になるわけでございまして、そういう意味では道義的に当然うまくいかなかったという意味では責任ありと言わざるを得ないわけであります。しかし、法律上の責任をとる方法といたしまして、知事が、この管理者は病院の管理の責任者として適切でないというような判断を下し、まさに欠格の人であるという判断を下して、行政処分として管理者の更迭命令を出すという、そういうような法律、規則の規定の発動を促すようなそれほどの責任とはなり得ないという意味で、まあ責任というものの程度をどの程度考えるかということによって、その強調のしかた、責任ありというこのことばのニュアンスがかなり違ってまいるわけでありまして、そういう意味で、とかく新聞記者等と会見をいたします場合でも、受け取りようによってかなりニュアンスが違ってくると思います。総務課長がどのような趣旨で申し上げましたかということは、ちょうどここに総務課長が来ておりますので、中村総務課長が当時申し上げました趣旨をここで述べさせていただきます。
  133. 中村一成

    説明員(中村一成君) ただいま先生の御質問のありました趣旨はこういうふうに理解いたします。つまり病院における新生児に対する管理というのは、これはサービスであるのか、それとも病院の本来の仕事であるかという御質問であろうと思います。これは医療法上、あるいは医師法、保助看法の規定によりましては、その行為はあくまでも病院本来の業務であり、医師法、あるいは保健婦、助産婦、看護婦のこの業務の中に入る、こういうことに法律上は相なるわけであります。たとえば医療法では、分べん室、あるいは新生児の入浴施設を設けなければならないという規定がございます。これは、たとえば一つの例として、そういうような新生児に関する管理というようなことは病院の仕事であるということを示す一例でございますけれども、そのように解釈いたします。また、そういうような新生児につきましては、したがいまして、当然医療機関としての医療上の適正な管理をなさなくちゃならぬし、それに対するところの法律上のもちろん責任は生ずる、こういうわけであります。
  134. 西村関一

    西村関一君 いまの中村総務課長の御答弁で私も明瞭に理解をいたしました。赤ちゃんに対する措置はサービスじゃなくて、これは本来の病院の医療業務の責任の一部だと、大体そういう御趣旨のように承ったんですが、私は、先ほど来申し上げておりますように、決して病院当局や当時の担当医師の責任を追及するということを目的として質問をしているんじゃないのでございます。むしろそういうことは二の次として考えていっていいんじゃないか。むしろその赤ちゃんの人権の問題を中心にして、今後こういうことが起こらないようにということを願うあまり私は質問をいたしておるのであります。でありますから、現実に母親の妊産婦のカルテには新生児の体重等も記入されておりますし、診察もされておるというようなことから考えましても、当然これは医療業務の対象になるということが考えられるわけでございまして、いまの中村課長の御答弁でもそのことがはっきりしたと思うのですが、それにつきましても、先ほどの藤原委員の御質問の中にございました、標準看護の四人に対する一人という、この看護婦の基準数と申しますか、このことにつきましては、実際はなかなかそうなってない。事実そういうふうにつとめておって、検査しておって、そのほかのところにそのしわ寄せがいっておるんだが、できるだけそのようにしておるんだということでございましたが、大津日赤の場合は赤ちゃんを一人の患者に数えないで、八人に一人という数字が出ております。そういうことも看護婦が足りなかったということの一つのこういう事件が起こった原因ではないかと思っておるわけですが、先ほど局長から藤原委員質問に対するお答えがあって、私も拝聴いたしておりまして、当局の意のあるところはよく理解したわけでございますけれども、この点ももう一度認識を改めていただきたい、こう思うわけでございます。もう一度その点についてお答えを願いたい。
  135. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 御指摘のように、このような事件が起こりましたということにつきましては、やはり病院における新生児のための設備等が不十分である、あるいは看護職員が足りないということが、結局かような不測の事故につながることと思いますので、将来この点はぜひ改善してまいりたい。なお、私どもが入手いたしております資料につきまして見ますと、大津日赤におきまして事故の起きました当時、産婦が二十九人、新生児が十二人入っておりまして、これに対して看護婦、助産婦が十六人配置されていたそうでございまして、この数は、大体先ほど私どもが国立病院の現状について申しました数字とほぼ匹敵する数字でございます。そういう意味におきまして、当時におきましても著しい看護婦の不足があったということにはならない、まあ大体標準的な配置であった。しかし、これが決して十分なものでないということも先ほど来のお話のとおりでございますので、先ほどの藤原先生のお話にも関連いたしまして、一そうこの新生児看護の方面の強化をはかりたい、そのための必要な医療法上の手続の改正も行ないたいということで、今後努力してまいりたいと存じます。
  136. 西村関一

    西村関一君 本日は参考人として日赤本社の衛生部長の北村さんがおいでになっておりますので、参考人として御意見を承りたいと思います。  ただいま厚生当局に質問いたしておりますこの問題につきまして、日赤本社としてはどのようにお考えになっておるところでございましょうか。
  137. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 北村さん、どうもお忙しいところを済みませんでした。
  138. 北村勇

    参考人(北村勇君) お答え申し上げます。  この病院の今回の事件につきましては、いかなる理由がありましょうとも、いかなる理由で起こったにしても、重大なるミスでございまして、その点は深く陳謝の意を表したいと思います。私どもといたしましては、これを実際に報告を受けまして、当初は子供を早く取りかえるということ、両家の方もそうでございましたが、子供を早く取りかえるということに専念いたしたのでございます。ところが、なかなかそれはうまくいかない。いろいろな問題があるのでございまして、ことに、また、第三者の介入すべきことでもないような点もございますので、なかなかうまくいかないということで、両家の考えも、当初の考えが変わってまいりまして、六月になりましてからそれに対する慰謝料と申しますか、お見舞い金を考えてもらいたいということが口頭で出てまいりまして、私どもも、子供の交換については両家のほうにおまかせしたほうがいいということで、両家のほうもそれを希望されたので、子供の交換のことを抜きにいたしまして、これに対する道義的責任と申しますか、そういう意味のことを考えようということで当初話し合っておったのでございますが、当事者同士お話し申し上げますと、やはりどうしても感情が入ったりして、どうしてもうまくいきませんので、公正なる立場にあり、世間的にも有識な方を第三者として立てお話し申し上げたほうが円満にいくんではなかろうかという考えのもとに、両家のほうに第三者をお選びください、仲介人をお立てくださいませんかということを一カ月ほど前に申し述べておったのでございます。その後、両家のほうでいろいろの意見の調整やら、それから適正な方をお選びになるのに時間がかかりまして、なかなか決定せずにおったのでございますが、最近に至りまして、両家から、こういう方々が適当であるからという御返事をいただきましたので、私どものほうといたしましても、その方が私のほうも非常に喜んでお願いしたい方でもございますので、その方をお願いしたいということを正式にお話し申し上げまして、これからその方を仲介といたしましていろんな問題をお話し願うということになっております。現在の時点では、すでにその点までまいっております。
  139. 西村関一

    西村関一君 いま日赤本社を代表して北村部長さんの誠意のある御答弁、御見解を承りまして、私も満足をする次第であります。いま両家の代理人という形で人を立てて、その方と日赤本社とが交渉するという段階、お名前は申されませんでしたが、私の知っている範囲では、丹羽兵助代議士が両家の仲介の代理人におなりになるということで、私も丹羽さんとは親しい関係で、党は違いますが、非常に親しい友人でございます。丹羽代議士が中に入ってこの交換の折衝に当たられるということについては、私も信頼をしておまかせできると思います。補償の額につきましては十日ごろ内示をされるというように聞いておりますが、もう内示をせられたのですか、いかがですか。
  140. 北村勇

    参考人(北村勇君) お答え申し上げます。  実は、先週の金曜日でございますか、病院と日赤支部が滋賀県でございますが、そこの事務局長と二人参りまして丹羽さんにお願いしようということで、金曜日だと思いますが、丹羽さんにその両人が会いまして、正式に仲介の労をお願いすることになったわけでございます。その後に、まだ具体的問題までは入りませんが、というのは、丹羽さんがただいま米の問題でたいへんお忙しい関係にございますので、それから、また、正式に赤十字のほうでも、これでけっこうだという返事をいただいたということで両家のほうへも提示をしなければならぬということで、まだそこまで入っておりませんが、ここまで申し述べていいかどうかわかりませんが、片一方の方は九月に外遊をされるという御予定に承っておりますので、ぜひおそくとも九月、早ければ早いほどけっこうでございますので、解決をしたいということで、目下、丹羽さんの手のあく状態をお待ちしておる状態でございます。
  141. 西村関一

    西村関一君 そういたしますと、まだ補償の額については何ら具体的な線が出てないということでございますか。
  142. 北村勇

    参考人(北村勇君) 私のほうは、私のほうの立場といたしまして、内々はいろいろ事務的には検討してございます。しかし、まだ丹羽さんを通して向こうへ提示する時点にはなっておらないということでございます。
  143. 西村関一

    西村関一君 これは金の問題で解決する事案ではないと私は考えておりますが、しかし、これだけ世間を騒がした以上は、具体的な補償ということになると、やはり金額の問題が当然出てくると思いますし、以前に静岡県で起こった同種の事件につきましての補償——当時の金額としての補償が出ております。それらの点も十分勘案せられることだと思いますけれども、大体いつごろ丹羽代議士に御内示になることができるのでありましょうか。
  144. 北村勇

    参考人(北村勇君) 病院の事務長と丹羽さんがお会いして帰ってきてからのお話でございますから、直接私が丹羽さんに会っておりませんので、何か十五、六日ごろということを承って帰ってきたようでございます。
  145. 西村関一

    西村関一君 私の北村参考人に対するお尋ねは、以上でけっこうでございます。
  146. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) 北村さん、どうも本日はありがとうございました。
  147. 西村関一

    西村関一君 最後に、坊厚生大臣に御見解を承りたい。  大臣、ただいまお聞き及びのとおりでございまして、この問題は、ただ単なる一市民の家庭の小さな問題だというふうにしてしまうことができない社会的な影響のある問題であろうと思うのであります。問題の所在には、厚生行政、医療行政の根本に触れる問題があることは、ただいまの質疑応答によって大臣も御理解いただいたと思います。この問題に対しまして、子供の人権を守り、子供の将来に暗影を投げかけることのない、家庭を破壊することのない、そういう見地から、母と子のしあわせを守る厚生行政という立場から、私は最後に大臣の御見解を承って、私の質疑を終わりたいと思う次第であります。
  148. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 分娩施設におきまして、肝心かなめの生まれてまいりました子供を取り違える、これはほんとうに私はどう考えてみましても許されがたい問題だと思います。先ほど来、医務局長その他申し述べましたが、こういうようなことに相なった原因といたしましては、病院の管理に、まさか故意あるわけではありませんけれども、非常に重大な過失がある、その過失に基づきまして、これに対する処断ということは、これは当然のことでございますけれども、問題はそれだけではもちろんございません。ただ、しかし、どういうふうにこれを処理するかということについては、かかるケースが再び起こることに対する、何と申しますか、一つの大きな警告を発する、そういったような意味におきましては、私は、これも非常にきびしい、しかも、正しい処断をするということに意義があろうと思います。  それから、さらに、また、こういったような事態が起こってくるということは、先ほど局長答弁によれば、その当時は大体看護婦さんが国立病院並みに充足しておったということでございますけれども、しかしながら、こういうことの起こってくる原因といたしましては、病院のその従業員と申しますか、医師はじめ、看護婦さんその他の従事員というものが十分ではないということだとか、それから、また、設備、施設といったようなものにも十分なものがないことが、それがすべての原因でないにいたしましても、一つの大きな要因になっておるであろうということも、これは否定できまいと思います。こういったような今度の事件は、私は、それぞれの両親の方々や、両親をめぐる友人、関係者の方々が、非常に高い良識と、それから、何と申しますか、非常に周到なる取り扱いを用いまして、こういったようなとにかく解決の過程を経ておるということは非常にしあわせであったと思いますけれども、もし万一かかる事態がそのほかたくさんあって——まさかそんなにあろうとは私は思いませんけれども、万一ほかにもありまして、そうしてこれが取り違えたということがわからないというような事態がかりにあったとするならば、これは永遠にわけのわからない悲劇が行なわれる、だれもかれもが自覚しない、意識しない悲劇が社会に存在するというようなことになるということから考えてみましても、私は、かかる事態は、これはもう絶対にあってはならない、そのために、厚生省といたしましては、先ほど来申し上げましたような、人的の、また、物的の施設、設備といったようなものにつきましても十分努力をしてまいりまして、そういった面からこういう支障のないようにしていくということと、それから、平素の病院の指導監督といったようなことにつきましても、これは周到なる指導監督をしてまいって、かかる事態が絶対再び起こらないというふうに私は努力をしてまいるつもりでございます。
  149. 藤原道子

    藤原道子君 たいへん時間もおそうございますので、ごく簡単にお伺いしたいと思います。  私は、ハンセン氏病患者から、いまの予算編成期を前にいたしまして、血の出るような訴えがございますので、この点に対しまして若干御質問をし、ひとつ御答弁をいただきたいと思います。  かねてからしばしばお願いをいたしておりますところの拠出制障害年金の大幅な適用及び福祉年金、障害、老齢等の給付額の引き上げ、これについての要望が強く出されておりますが、これについては、ぜひこの願いを聞いてやってほしい、また、聞くべきだと考えておりますが、いかがでございますか。  それから、年金法の改正で認定基準の緩和をしてもらいたい、被保険者の問題、初診時の問題、老人給与の問題、と同時に、外国人問題等、すでに医務局長は十分御承知のことだと思いますが、これらについて何かお考えをしていただいておるのでございますか、誠意ある御答弁をお願いしたい。
  150. 網野智

    政府委員(網野智君) 昭和三十六年に拠出制の国民年金が発足いたしまして、保険料をかけていただきまして、そういう方々につきましては、一定の資格要件が満たされた場合には障害年金とか、あるいは母子年金、こういうものを差し上げるような仕組みになっております。ただし、老齢年金につきましては資格期間が非常に長い、こういうこともございまして、その間何ら給付が行なわれないということも適当でないということで、全額国庫負担の福祉年金の制度がつくられておるわけであります。福祉年金の中には、経過的な意味を持つ福祉年金と、保険料のかけ期間が拠出制の年金をもらうには十分でない、こういう方につきましても、補完的な意味において福祉年金を差し上げる、こういうことで、福祉年金に経過的福祉年金と補完的福祉年金というものがあるわけであります。そういうたてまえをとっておるわけでありますが、昨年法律改正がありまして、実は、従来は障害年金の受給資格の認定日につきまして、初診時より一年前、あるいは三年前、あるいは十五年前、その間保険料がどれだけ納められているか、こういうこといかんによって拠出制の障害年金がもらえる、こういう規定になっておったわけでございまが、昨年の改正によって、いわゆるその認定の時期を初診時から廃疾認定日ということに改めまして、廃疾認定日以前の一年なり三年なり十五年の間に保険料をどれだけ納めているかということによって年金を支給するという大きな改正が行なわれたわけであります。この関係で、実は、らい療養所に入っておられる方々の中で、従来、経過的福祉年金をもらっている方もおられます。それから、法律施行後、らい療養所に入られることによって補完的福祉年金を最近おもらいになっている方もあるわけであります。主として補完的福祉年金を受けておられる方の場合に昨年の法律改正によって拠出制のいわゆる障害年金をもらえる、こういうケースが実は出ているわけであります。したがって先生おっしゃるように、同じように入っていながら、片一方はずっと経過的福祉年金で、金額が今度改正されまして二千五百円になるのでありますが、二千五百円、それから、一部の者が昨年の法律改正によって拠出制の障害年金をもえるようになって、月六千円をもらえるようになった。非常にアンバランスであるから同じような額にしてくれというような要望は私ども聞いておりますが、先ほどから申し上げましたように、制度のたてまえが、保険料を納めたという人に対しては拠出制の障害年金を差し上げる、そうでない方につきましては、経過的な、あるいは補完的な、全額国庫負担の無拠出の福祉年金を差し上げます、こういうように制度がなっておりますので、これを全く同じようなことにするということは、他の制度にも非常にまた響く関係もございまして、たてまえ上非常にむずかしい、こういう考えを持っております。
  151. 藤原道子

    藤原道子君 これは手続をするときに施設側が十分納得のいくような話がなかったというようなことも一つ原因しているらしい。非常にらい療養所は特殊な所でございまして、いま患者さんが騒いでおりますのは、何でもかんでも伝染する、何でもほうり込んでおけばいいという、安易な方法で戦前無差別にほうり込んだわけですね。感染性があるとかないとかにかかわらず、らいということで強制隔離がされてきたわけです。ところが、今日では、らいは全快する、退所患者も毎年出ているような状態になったということになると、自由を拘束されてきたと、これは社会的にも、肉親との間にしても、非常な苦痛を得てきた、これに対しての補償なんということも起こっているわけですね。私は、この内部疾患も今度認めるわけですね。ということになれば、この間私は施設の園長さんたちともいろいろ会ったのでございますけれども、これはこの際、法律のたてまえ法律のたてまえと言わないで、特殊な存在であるから、らい性麻痺を全部それに含めるというようなことに踏み切っていただけるならば、園の中も非常に円満に平穏におさまっていくし、管理する者としても非常に頭の痛いところだから、何とかこの際そういうふうなことにしてもらえたら助かるのです。全部に施行いたしましても、いま一万ちょっとでしょう、一万二千までいないですね、一万一千弱ぐらいじゃないかと思うんですが、というようなことになれば、この際、特殊な存在として、ぜひ私は考えてやってもらいたいと思いますが、どうでしょうね。
  152. 網野智

    政府委員(網野智君) 私どもといたしましては、らい療養所に入っておられますらい患者の方々の陳情をいろいろ受けております。中には、陳情の趣旨に沿いまして、いろいろ運用の面で考えてまいっている点も実は多々あるわけでございます。その一つの問題といたしまして、先生御指摘になりましたような、たとえば国民年金の制度の発足前に、実は、らい関係の障害がありまして、その後に、国民年金制度加入後に別な新たな障害が起こった場合、こういう場合に、その障害が厚生大臣が定める基準以上の重い障害、であれば、その二つの障害を併合いたしまして一級の福祉年金が支給できる程度以上であるかどうか、こういう点を併合認定いたしまして、その程度が非常に重いということになれば、併合認定することによりまして福祉年金を差し上げる、こういうようなこともやっておりますので、全部が全部今回の昨年の改正の拠出年金をもらえる、それと同じ程度の額に引き上げろということは、制度のたてまえ上、非常にむずかしい問題でございますが、こういう個々のケースにつきましては、できるだけらいの療養所におる患者さん方の要望に沿うように、いろいろこの方面では努力をしておるわけであります。
  153. 藤原道子

    藤原道子君 その点は十分ひとつ考えていただきたいと思う。それから、外国人の処遇の問題はどうですか。
  154. 網野智

    政府委員(網野智君) 年金の問題ですか。
  155. 藤原道子

    藤原道子君 そうです。
  156. 網野智

    政府委員(網野智君) 国民年金法は日本人にのみ適用する、こういう法律のたてまえになっておりますので、たとえば朝鮮の方等につきましてはもちろん適用もいたしておりませんし、保険料もいただいておらない、こういうかっこうになっております。
  157. 藤原道子

    藤原道子君 それは日本人にだけ適用するという法のたてまえは私も知っております。けれども、朝鮮の人といっても、日本へ強制的に連れてきたりなんかして、日本人だったんですよね、昔は。日本へ強制労働なんかで連れてきたような人も、やはりたまたま、らいでいま入院しているんですよ。同じ施設の中で朝晩一緒に暮らしているんですよ。そのために所内で絶えずごたごたがあるわけなんですね。こういう場合で園長さんなんかもとても苦労していらっしゃる。ですから、年金として支給がむずかしければ、それに相応するような対策ということは政治的にとられるんじゃないか。いまは確かに外国人です。けれども、この人たちが収容されたときにはやはり日本人だったんです。日本のために働いていたんですよね。しかも、強制労働等で拉致してきた人もいる。こういう人たちが現在療養所に多いので、外国人だから一文もやらない、こういうことでは私は納得いかないだろうと思う。絶えずもめてくるのはあたりまえで、園長さんたちも頭の痛い問題だ。これは何とかならないものでしょうかね。
  158. 坊秀男

    国務大臣坊秀男君) 外国人に対しましては、ただいま事務当局からお答え申し上げましたとおり、いまの制度といたしましてはこれを適用いたしておりません。そこで、これをどうするかということでございますが、いろいろこれは関係するところも多かろうと思います。それだけの問題として解決できる問題でもなく、いろいろの関係からこれは検討を要する。もしこれをやるといたしましても、検討を要する事項が非常に多かろうと思います。さような理由におきまして、目下のところは、これを外国人に及ぼすということを一般的にここで申し上げるということは、私といたしましてはちゅうちょせざるを得ないのでございます。
  159. 藤原道子

    藤原道子君 だから言っているでしょう。何らか解決の方法があると思う。国民年金法は適用にならないかもしれないけれども、考えてやってくれというのです、私は。日本にいてさんざんこき使われたのですよ。
  160. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) らい療養所における実態というものは長年の歴史の集積でございますので、確かにいろいろ過去における責任あと始末というような点もあろうかと思います。また、現実の問題といたしまして、韓国人と日本人の間にいろいろな待遇上の差があるということも、療養所の管理運営上いろいろな問題を起こしていることも、確かでございます。現実には、老齢、あるいは障害の年金の受給者とそうでない者との間に相当の差がある。これを埋めろという点が一つと、それから、韓国人は年金をもらえないためにあまりに格差が大きくなるという点がございますので、それらの点も実は考慮いたしまして、患者慰安金等におきまして、外国人については、若干でございますが、外国人向けに手当てをいたしているわけでございまして、現に四十二年度におきましては千百五十円別に計上してございます。これは昨年七百五十円でありましたのを四百円だけ本年度は増加しております。まあそのほかにも、御承知のように、患者によって作業賞与金というようなものもございますので、比較的からだの不自由さの少ない患者につきましては、ある程度やはり自発的に作業等をしていただいて、そうして何がしかの作業賞与金をとっていただくというような方法で、現在できるだけ差を縮めようとする努力をいたしておるわけであります。
  161. 藤原道子

    藤原道子君 時間がないので大急ぎでいきますが、生活保護を適用しているのですから、朝鮮人でも。そういう点もお考えになってひとつぜひ善処していただきたい。  それから、日用品質の問題でございますが、これを大幅に上げてもらいたいという陳情がきている。これは厚生省へもいっていると思う。これをずっと年次的なものを見ると、患者さんたちが議会へ押し寄せて、法改正のときに大騒ぎいたしましたね、あのあくる年は、結核患者の入院している人とその日用品費の額においは同じになった。ところが、また差がずっとついてまいりました。現在では患者慰安金というのは九百六十円。ところが、朝日訴訟もあったりした結果、いま結核患者の日用品費は二千七百円になっておる。当時六百円だったのが、いま二千七百円になっておる。そうすると、患者慰安金は九百六十円、これらについても、私は、ぜひこの際大幅に考えてやってもらいたいということを強く要望したいと思います。いかがでございましょう。きょうは時間がございませんので……。
  162. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 患者の慰安金、あるいは生活物品費、被服費というようなものが現実に支給されるわけでございますが、生活保護のいわゆる日用品費というものと比較されるわけでございますが、生活保護では、御指摘のように、現在二千七百円になっております。私どもの、らい療養所におきましては、患者慰安金、それから生活物品費、被服費というものを合わせまして千四百九十三円でございます。約千二百円の差があることは事実でございます。しかし、先ほど来話が出ておりますように、現在、らい療養所における患者は約九千五百名でございますが、そのうち六千名近いものが年金あるいは恩給、その他公的な年金をもらっております。そういう意味で、約六割が年金をもらっておるという事実をさらにこの慰安費等に加えますと、患者慰安金だけで生活保護の生活物品費と、はだかで比較するのはいかがかというふうに考えられるわけであります。  なお、障害あるいは老齢の年金をもらっていない三千数百名というものは、大部分が軽症患者でございます。したがって、これらの者については、先ほど来申しますような、ある程度院内でいろいろな作業をするというようなことによりまして、ある程度の差を埋めていくということも考えるべきだろうと思いまして、一がいに生活物品費と慰安費だけを比較するということは必ずしも当を得てないのでございますが、しかし、物価上昇等の率を考えますと、若干上がり方がおそうございますので、これらの点につきましても、私どもも今後努力してまいりたいと思います。
  163. 藤原道子

    藤原道子君 もうこれでやめます。近くまた患者さんたちが大挙して陳情にくると言う。私もあまりごたごたするのはいやでございます。と同時に、くれば何とかなる、こういうふうな出し惜しみするような政府の態度がいやなんです。結局自由に外で生活できる私たちと、一つ所に押し込められて自由が束縛されている人たちとは、また考えが別ですよ。それでもって作業賃金等のことが出ましたけれども、これはまたいずれ討論いたしますけれども、いまでは看護要員を全部切りかえていって、もとはあそこの中にとじ込められているのだから、働ける者は働いていた。ところが、いまでは回復すれば退院できるのですよ。そうすると、やはり治療に重点を置きたい、こういう人がふえてきている、療養所ですから。ところが、その病院には医者も足りない、看護要員が足りない、やむを得ずそれらの人が安い賃金で労働している、そういうこともありますので、ひとつ善処をしていただきたい。  きょうはこの程度にいたしておきます。
  164. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 国民年金の障害年金、それから母子年金の関係になるわけですが、いろいろ藤原さんの質問に対して、国民年金法というものをどうもよく読んでおられないような感じがしたら、少し一言言わんならぬようになる。  国民年金法の第七条では「二十歳以上六十歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする。」という強制保険なんですね。それから第八条では、二十歳に達した者については、日本国内に住所を有するに至った者は、被保険者の資格を取得するということになって、片一方は強制保険でありながら、片一方は条件をそろえなければ云々ということがあって、これは立法のときにわれわれも意見があったところなんです。そこで、いまのハンセン氏病の皆さんが届けをすれば、ボーダーライン以下の人は掛け金を免除する、そうして保険の資格を取得する、こういうことにこの法の精神はなっているんだとぼくは思うんです。ですから藤原先生のような議論がいま出てくる。というのは、厚生省皆さんが怠慢というか、少しやはり責任があるとぼくは思うんです。これが第一点です。  それから、もう一つは、二十歳から六十歳までということですが、もう一つは七十五条の任意加入被保険者、私はこの問題でこの委員会でやって、どうするんだということを言ったことがある。明治四十四年の四月一日以前に生まれた方は任意加入ということになって、これは五十五歳までの方ですか、それから振り返って、そうしてその人はほとんどかけていないという状態がほったらかされているんですね。いま百五十万人ぐらいこの人たちがおるんです。何とかこの方々に、一時保険料を少し高くしてでも国民年金に加入させなければいかぬのじゃないか。もう一ぺん日限を切って再募集でもしてやらなければならぬのじゃないかという主張を私がいたしましたら、そういたしましょうという厚生省返事をしておったが、いまだにやっていない。任意加入だから、届け出をおけばよかったんじゃないかということですけれども、そこで問題になるのは、福祉年金の千五百円を百円上げる、国民年金の身体障害者と母子家族は五千円もらうんです。これは三年先には私は一万円にしなければならぬという、所得保障ですからね。この所得保障というものを生かしていかなければならぬというこの国民年金の目的があると思うんです。厚生年金もしかりであります。そこらの処置を何もしていない。  それから、いまのハンセン氏病のように、病院に入院して、または所得がなくてボーダーライン以下の人も届けておかなければいかぬということ、一時は国民年金について非常に反対がありました。反対がありましたけれども、私たちはやはりかけていこうといって、私らに属する団体に盛んにそれを宣伝をして、ようやく国民年金に入るようになった。ところが、抜けている人がそんなにある。いまだに抜けている人がある。しかし、百五十万ぐらいの当時五十歳から五十五歳の人は、何にも知らない間に、政府自身の、政府の閣僚の諸君自身が、国民年金は、もう三年先の切りかえのときには一万円にするんだということを言っておられる。私は当然なことだと思っております。五千円を一万円にする。調整期間の二十五年を不公平でなしに二十年にするという過去のことが発言されて、それは私は政治をやる者として当然のことだ。そういうことになったときに、いま五十五、六歳から六十一、二歳までのさしあたり百五十万ぐらいな人は何にも自分がよくわからぬで、法律に書いてあるから法律に従えばいいんだといったところで、そういう人の処置をどうするか、福祉年金と国民年金等をいずれ近い間に私は一緒にしなきゃならぬ、一緒にしなければ、片一方は一万円になるが、片一方では千五百円で生きていきなさいとは私は言えないと思うんですよ、国家の施策として。だから、やはりその調整というものは当然とっていかなければならぬことであったのじゃないか、また、いまでもとるべきではないかと私は思っている。そたよりか前の問題を藤原先生は問題にされている。あのときに国民年金は七条で強制保険ですよ、強制をしている。法律で強制をして、八条で条件をそろえなさいと、こういっている。それぐらいきびしく皆年金の法律をつくっておきながら、あとの世話ができていない。その当時ボーダーラインとか、または病気でどうにもならぬ人には免除をするということになっている。そういう人の問題がいまだにここで問題になるというのは、ぼくはおかしいと思うんですよ。それで、私はちょうど二年前か三年前にここでやかましく言って、それは期限三カ月とか五カ月切って、この届け出漏れの人を入れるべきじゃないかということがありました。もう一つは、厚生年金や共済年金の家族の問題をどうするか、家族の問題は、いまの状態で半額もらえばいいかもしれぬけれども、本来からいえば皆年金だから、何かこの点にも処置をしなければならぬのじゃないかという話も、それは結論はそのとき出しませんでした。で、御主人がもしもなくなれば半額の給付を受けるのですから、そう深刻な結論を出さなかったけれども、そうじゃない一般の国民年金のときにはそういうぐあいにしようじゃないかということを、私はもう出てくるかもう出てくるかと思っても、少しも出てこない。その根元の、まだ病気で、ボーダーラインで、特にハンセン氏病みたいな形の方々の中にそういう届け出がしてあったとかしてなかったということで、返事が、いや、法律が別だからどうのこうのというようなことでは済まされない問題じゃないかと、私は聞いていてそういう気がしたんですけれども、昭和三十六年にできた国民皆保険の国民年金の精神というものは那辺にあるのか、将来全部の国民が所得保障によって生きていこうという大精神のもとにできたのがこの法律だと思うんです。私たちは私たちなりに草案をつくって、私たち考え方と対決を社会労働委員会でして、多数でこれになったわけですが、そのときから政府のおっしゃった精神というものは、皆年金だと、年が寄ったり働けなくなったり、御主人がなくなって母子家族になられたときには生活を保障していくんだと、いわゆる所得保障をしていく。何もそのとき一万円、二万円の議論は出ません。しかし、所得保障というものはやっていくんだということになっておったというふうに思うのですが、そこらあたりがどうも前に進んでいないような気がするんです。そこはどうなんですか、局長もおられますから、少し御意見を聞かしていただきたいと思います、この際。
  165. 伊部英男

    政府委員(伊部英男君) ただいま藤田先生の御指摘の問題点は、高齢任意加入について再加入を認めてはどうかという問題と、もう一つは、おそらく被扶養者の妻の問題、その取り扱いかと思うのでございます。ただいま御指摘のとおり、昭和三十六年四月一日拠出制年金が発足をいたしました際、五十歳から五十五歳の方につきましては任意適用、それ以上の方は適用を除外をしたのでございます。そこで、その間におきまして、任意適用の方々につきましても相当数加入が見られたのでございますが、御指摘のとおり、なお相当の未加入の方が残っておるということも事実でございます。そこで、特に昨年の法律改正、国会におきまして御審議をいただきました国民年金法によりまして、非常に給付の内容が改善をされまして、これを契機といたしまして高齢者の任意加入の希望が各事務所等にも出てまいっておるのでございます。そこで、実は昨年の改正の際、その問題もあわせて検討いたしたのでございますけれども、いろいろなお数字的に材料が不足で、はたして要望があるかどうかといったようなことも財政当局との間に議論しまして、結局改正案としては見送ったのでございますけれども、昨年の国会の御審議におきまして、この点、藤田先生はじめ、いろいろ御指摘を受けましたことはよく承知いたしておる点でございます。で、この点、将来の国民皆年金、所得保障という点を考えますと、こういう非常に大きいグループが年金がつかないということは非常に問題でございます。今後の非常に大きな問題である。そして、このことは、実は年金制度全体の問題として受けとめていきたい。と申しますのは、この厚生年金が始まって今年で二十五周年になるわけでございますけれども、この間に、たとえば戦争があって、厚生年金の資格期間をつけることがきわめてむずかしかったといったような条件もあります。あるいは戦後の経済的な混乱で、たとえば帰農された、あるいは職を得ることができなかったといったような状況もございます。あるいは脱退手当金等によりまして資格期間が消えてしまっておるといった方々もおられるのでございまして、単に国民年金の問題であるのみならず、年金制度全体の問題として、もう一ぺん総合的に年金制度のそういった成熟度を高める問題として、次の改正案、つまり来年の通常国会に提出を予定をしております、厚生年金の再計算期に伴う改正案及びこれに関連をする国民年金の改正案におきまして、この問題について真剣に取り組んでまいりたいと、かように考えておる次第でございます。  それから、妻の問題につきまして、国民年金におきまして任意加入の取り扱いになっておるのでございますが、この点につきましては、むしろ強制加入にすべきではないかといったような御議論衆議院等においてはいただいておるわけでございまして、当面、妻の任意適用を一そう保険庁が中心になりまして強力に進めてまいりますとともに、妻の年金権を確立するという問題につきましても、やはり基本的な問題として、ぜひ次の両法案の改正案におきまして明確な線を打ち出してまいりたいという覚悟で、ただいま検討努力をしておるという状況でございます。
  166. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それは去年の改正のときにもぼくは言いました。しかし、片方で五千円になったんでしょう、これは三年先になったら一万円になるんでしょう。そのときに、それではいまのお年寄りの人やそういう人をどうするんです。少なくとも、その当時五十歳から五十五歳までの人は期間を切って再募集をして、積み立て方式なんでしょうがね。福祉年金のようにつかみ金で、百円上がったから楽になったというようなことで生活できるわけじゃないですよ。だから、私はその前の年も言いましたし、できるだけその人たちから積み立ててもらって、事あるときには年金と同じように——多少保険料は高うなります、厚生省の方はおっしゃられる。いまはそうじゃありませんね、いまはもう六十歳をこえておいでになる。そこら辺の人まで年金に含めてやって、それ以上の人と年金の給付というものを、ここ五年先か八年先かにどうしても統一しなければならぬ時期がくると思う。福祉年金千五百円ないし二千円で、片一方の年金を、形式的に今度二百円になりましたけれども、二百円と二百五十円とかけておる人たちだけが一万円もらって、それ以上の人は千五百円から二千円で、あなた法律の関係だからというてそんなもの置いておきますが、そんな行政は、何ぼ厚生省の諸君が心臓が強くても、できぬと思うんですよ。そんなことできやせぬと思う。だから、そういうことで、よく知らないでかけなかった人があるんだから、そこへお世話してあげなさい。そのときには厚生年金や共済年金の妻の年金のことも、これは平等にといいませんけれども、考えてあげにゃいかぬじゃないか、これは早急にやらにゃいかぬと政府は言っていたが、いま尋ねたら、来年ひとつ他の年金とバランスをとることを考えるのだとおっしゃったが、それでは所得保障、皆年金の共済年金のほうはどうですか。三十年つとめたら給料の五割五分、月給十万円の人なら毎月五万五千円もらえるじゃないですか。国民年金もここまで引き上げますか。厚生年金だって、いまの一万五千円じゃとても生活できないから、少なくともいまの倍にしなきゃいかぬでしょう。国民年金も、おっしゃるとおり、一万円にしなきゃいかぬでしょう。昭和三十六年当時五十歳から五十五歳までの人は国民年金は任意加入になっていて、ほとんどの人は十分に理解せずに加入していない人がいま百五十万人もいます。この方々にもっと理解さす方法をとって加入させねばなりません。将来国民年金と福祉年金を統一すべきときがきます。そのときに、国民年金に加入している人は一万円だ、加入していない人は福祉年金で千五百円支給というような行政ができますか。そんな行政は、何ぼ皆さんが心臓が強くてもできやせぬ。私はそんなことようしませんよ。だから、法律で、合理的なものをもう一度前提にしてでもかけてもらって、それで合わしていく。それから、病院や何かでもボーダーラインの人については免除してあげて、そのクラスに入れてあげる、そこで多数の人が毎月入ってくるわけですから、積み立て方式があるわけですから、いま六十をこえて六十二、三以上の人の資金ファクターはどうするかというのなら、私は、財政的にも経済的にもやりやすくなって、自然的に統一するときが早まってきて、いい条件というものが所得保障をするときにできやせぬかということをこの前から言っている。それをやらずに来年がどうやとかこうやとかおっしゃるけれども、それはひとつ十分に考えておいていただきたい。そうすると、ハンセン氏病になった方々も、手続がしてあったとか、してなかったとか、ボーダーライン以下の人たちも、手続がしてあったとかしてなかったとか、こっちは法律がなかったからあなたは関係がないんだというわけにはいかぬですよ。そこらはもっと所得保障の国民年金全般と考えにゃいかぬというのなら、一万円ぐらいあげにゃいかぬと思うのです。皆さん方の友人で、高い共済年金をもらって老後を暮らしている方があるじゃありませんか。厚生年金でも二十年したら一万円、三十年したら一万五千円、これでは足らぬけれども、もらっているじゃありませんか。そういうことにもっと私は熱心に取り組んでもらいたいということだけを言っておく。えらく問題がこまかいから、私は大臣質問はしませんけれども、大体のアウトラインをつかんでもらえたと思いますから、ほんとうにいま日本経済にとっても、いかにして所得保障をして国民購買力を上げて、そして経済のバランスをとって繁栄さすかという重大な時期でありますから、そういうこまかいところに十分に気をつけて私はやってもらいたい。きょうはどうも最後になってえらいことを言いましたけれども、今度年金の審議もありますから、それまでにはぜひひとつ大体構想をまとめてもらいたい。ほかのものも見なけりゃいかぬなんとおっしゃるのなら、共済年金と合わして所得保障をやろうということだったら、それはとてもたいへんなことです。一番最低のことですから、ぜひひとつ勉強して、この次の年金の審議のときにはきちっと、答えを聞かしていただきたいということをお願いしておきます。
  167. 山本伊三郎

    委員長山本伊三郎君) それでは、他に御発言もなければ、本調査に関する質疑は、本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。   午後四時五十五分散会