○戸田菊雄君 時間もありませんからお尋ねしますが、
一つは、
事故が多く出るんですけれども、この「
警察の窓」、これによりますと四十一年度の死者が一万三千九百四名ですね。それから傷害者が五十一万七千七百七十五名、ざっと五十三万ぐらいの人が死、傷害件数として四十一年に出ている。私の記憶でいくなら、かつて日露戦争の傷害者が二十七万、またベトナムでもってあのような残虐な科学兵器を使って戦争をやっているわけですが、それの四十一年の死傷統計が私の記憶でいくと五十万人、最近だいぶふえてまいりましたけれども、そうしますと日本のいまの交通災害による傷害人数は五十三万人に近い、これはなまやさしいことでは私はないと思うのですね。その欠陥は、これは何といったって政治的欠陥だと私は思うのです。佐藤
総理がいかに
人命尊重どうのこうのと言ったって、現実にこういうひずみ、交通災害がどんどん出てきておる。ですから、ことに私は幼稚園の小さい子供さんとか児童——小学校の小さい子供さん、まだ注意力が発達しない、そういう
人たちがダンプにやられた、どうのこうの、全く残酷だと思うのです。生き地獄だと思うのです。ですから、これはもう国をあげて——きょう残念ながら
総務長官がおりませんから、いずれまた、あらためてやりますけれども、やはり早急に、緊急に抜本的
対策をとっていかなければいけないと思うのです。そういう立場から、私は、ひとつ何といっても、この
運転する側の
人たちの生活を保証することだと思うのです。いまハイヤー、タクシー千台あたりで私は統計をとっておりますけれども、固定給というものがきわめて安いのです。一万六千円か一万八千円くらい。あとの五割——半分くらいは歩合給によってこの賃金
制度が仕組まれているのです。ですから幾らこの法律で
事故を出すな、スピード違反をするなといって締めつけてみても、片や
運転する
人たちは生活がかかっているのです。この態様をどうするかということ、こういう問題について、労働省おりますね。(「帰りました」と呼ぶ者あり)帰ってしまった、私は課長がいると聞いたが、じゃ
局長のほうに……。そういう
運転する側の
人たちの賃金の問題、生活がかかっているのですから——うちへ帰れば子供さんがおるし、奥さんがいるのですから、どうしてもやはり無理をしてスピード違反をしてまでやらなければ生活が成り立たない。この賃金態様、これをひとつどうするか、これが
一つであります。ことに、この長距離ダンプカーを
運転して歩くような
人たち、こういった
人たちは深夜にわたってやるわけです。そうしますと、たとえば魚を積んで仙台を出発して東京市場に入るというときには、朝の五時前に入るのと、六時前に入るのと賃金が違うのです、歩合給が。ですから途中、夜も寝ないでスピードを出して
運転をしていくというかっこうになるのですよ。この根源をどう除去するかが私は問題だと思うのです。これを根本的に打ち出せない限り、また幾ら取り締まりを
強化したところで私は交通災害というものがなくならぬと思うのです。ですから、その賃金の改善策について
一体どう
考えるか、これが
一つであります。
それから、もう
一つは、最近日通とかそういったものが大独占でありますから、この交通全体を支配するというかっこうであります。非常に経営者が巧妙になってまいりましたから請負
制度でもって小運送業者を使っている。実際は日通から資本を出す、そうして何といいますか株の配当等で、適当に利潤をこっちはもらっておるのですよ、日通の側は、ところが小運送業者側は自分の零細資金でもって
事業をやっているわけですから、運ぶ荷物が非常にコストが安いと、そういうところから採算が成り立たない。ですから無理に
運転手を使うという管理体制になるのです。これはもう幾ら労働省がいまの陣容、体制でもってそれらを調べたって、これは表に出てこないものが一ぱいある。ですから、そういう面では労働省全体の監督も最良な指導体制に一そういう
意味合いから、この要員をもっとふやしていくということも必要でありましょう。しかし一面、そういう小運送業者に対して、国家的な見地に立って
事業が成り立つように、そういう危険負担行為というものに対して、どういう
一体手厚い保護
対策をとっているか、私は
一つ問題があろうと思うのです。そういう問題について運輸省関係では、どういうふうにこの小運送業者の育成
強化に対して
対策を特っておるのか、この辺をひとつ聞かしてもらいたいと思います。
それからもう
一つは道路行政ですけれども、最近非常に高速道路等がひんぱんに建設をされてきた。たとえば東北関係についても東北縦貫道路というものがこれから建設をされ、スピードはもう百キロ以下にしてはだめだという、そういうことになって、なおかつ、そこを人が横断をしあるいは歩行しろという。ところが車が走ることだけで、道路はつくるけれども、人命を守るという立場で全然道路行政が
考えられていない。そういうところに——いまこの「道路
交通安全施設設置現況調」というものがありますけれども、あとからくっついていっているのですね。これが間に合わない。なぜ
一体道路をつくるときにここを人を通すのだ、横断歩道にするというなら立体交差にして人と車は交錯をしない、こういう
一体人命擁護の立場に立っての道路行政というものが
考えられないのかどうか、ということなんです。これをやっぱり私はやらない限り、いつまでたってもその面からの
事故防止というものはできないと思うのです。確かにここでいう照明灯あるいは標識の各種
整備、信号機の
整備、こういったものは当然あってしかるべきでありますから、この増殖なりあるいは今後の
整備状況というものは、より進捗をさせなければいけないのですけれども、基本的には道路をつくるときに、そういう枝線に対するところの立体交差に対して、どういう仕組みで道路体制を管理をしていくのか、ここが私はやっぱり問題だろうと思うのです。少なくとも道路をつくるときに、この道路に対する、十年か二十年かたったら交通量がどのくらいになるか、あるいは物資の経済的な動きはどうなるか、産業編成はどうなっていくか、こういうことをあらかじめ想定をして、道路行政というものが、あるいは施設というものが設置をされていくのだろうと思うのです。それに見合ってやはり
人命尊重という立場に立って十分その点を建設省で
考えてもらいたいと思う。そういう
一体対策があるのかどうか。ことに私は歩道橋については全く形式的だと思うのです。私はかつて——去年でありますが、ベトナムに行ってまいりました。非常にこの道路行政が
人命尊重の立場に立ってやられておる。たとえばいま盛んに爆撃を受けておる紅河でありますけれども、ソンコイ川というここは約二キロくらいの長い鉄橋でありまするが、中央に鉄道が一本敷いてある。両方に自動車道路、そのわきは必ず歩道というものが設置をされておる。ことにこの歩道については、やはり日本みたいな形式的に約十センチの築堤でもって歩道と
一般道路と区別しておるというような区分じゃない。自動車の
運転手が誤って歩道に乗り上げて歩行者に傷害を与える、こういう危険性を一方的に食いとめるという設備になっておる。ですから、ほんとうに歩道というもので人命を守るということなら、この道路の築堤をやはり一尺なり二尺なりにして、自動車がそこにぶっ込んできてもこれはぶつからない、これくらい親切な人命擁護の道路行政というものがやはり本格的に
考えられていいのじゃないか。そういうものがなされない限りこれは幾ら法律でもって取り締まりだけを
強化したって、交通災害というものはなくならぬと思うのです。それはやっぱり国家の任務だと思うのです。いまの交通災害は、ですからすべて政治的欠陥ですよ、私から言わせれば。これをどう
一体政治的に解決するか。年間予算五兆円もあるのでありますから八億五千万ばかりの
交通安全対策でどうなりますか。ですから
長官がいたら、もっとそういった問題について予算を増強して、何といっても
人命尊重で——五十何万もやられておるのですから、このままいったら来年は百万です。その次は百五十万です。かつて大東亜戦争では三百万やられた。そういうものは近い将来にやられてしまう。ですから、きのう交通災害を受けた人の、傷害者の立場というもにのきょう自分がなるかもわからぬのですね。そのくらい深刻な
状態なんであります。十分ひとつこの道路政策の面についても、抜本的に、私はそういう部面から
検討し直していただきたい。そういう問題について
一体建設省としては
考えておるのかどうか。この辺ひとつ聞かしていただきたいと思います。
それからもう
一つは、この医療行政の問題です。いまおっしゃられましたように、確かに、このイギリスのようにした場合でも百幾ヵ所——交通災害がどのくらいあるかわかりませんけれども、結局私は、いまこの後遺症その他でもって交通災害を受けて一年くらいでぽっこりぽっこりいってしまう、こういう現象があることは、これはやっぱり私は
専門医の適切なこういう診察によって治療を受ければ私は生命を落とさずして済むのが一ぱいあるのじゃないかと思うのです。そういう医療面が適切じゃないから後遺症というものが発生をしてくるのだ、少なくともいまの医学上からいけば、私はこういったものは解決できる医学情勢じゃないか、こういうふうに
考えるのでありまするが、これをやっぱりもう少し、私は国の立場から保護政策の一端として増殖、もしくはいまの災害件数に見合うような医療体系というものを、やはりつくり上げる必要があるのではないか。ことに私の知る範囲では、大学の医学部に入ってお
医者さんになってくるが、やはり金もうけ本位でいっています。いまは、もちろん資本主義社会でありますから、そういうことにならざるを得ないのでありますけれども、結局は外科とか内科にお客さんが一ぱいある、病人が一ぱいある、金もうけができる、これでいっておるのであります。ですから個々的なお
医者さんや何かにまかせておったのではいけない。そうして脳神経外科
専門医というものは増殖していかなければならない。そういうことの国家的な立場から
一体どういう体制へ持っていくか、そのお
医者さんに対する保障体制をどうするか、こういう問題を抜本的にやっていかなければ、単にお
医者さんが出てくることだけ待っておったのでは、とてもだめだ。だから、そういう面についてやはり強力に国として、この医療行政の
対策についても明確に災害を通じてひとつ立てていく必要があるのじゃないか。単に民間に対して、個人経営のお
医者さんに対して一定の補助金を出せばそれで事が済む、こういう問題じゃないと思う。ですから、もう少しそういう点は積極的な取り組みを私はやってもらいたいと思う。その辺に対する将来の見通しなり、
対策というものが
一体あるのかどうか、この点が
一つであります。
それからもう
一つは、やはり補償体制であります。一個の生命が、少なくとも金のあるなしにかかわらず、片方では五十万でぼつになってしまう、片方では一千万でぼつにされる、こういうことでは私は全く不公平だと思う。不幸にして命がなくなったというような場合、これはやはりでき得る限り国家の一定の基準に基づいて一定の補償というものをやるべきじゃないか、そして、なおかつ、残された家族の皆さんに対しては
一体保護行政をどうするか、こういう問題についてもいろいろあるでありましょう。あるでありましょうけれども、こういう災害等に対しての一定の基準というものを、やはり補償体制としてつくる必要があるのじゃないか。少なくとも一個の生命が五十万であったり一千万であることは、私はとてもがまんができない。ですから、いろいろその会社が財産を売ったり、また田畑を売って、ある限り出しても二百万円しかなかった、あるいは人によっては一銭も支払う能力がない。こういう人は泣き寝入りというか、単なる傷害保険ですか、その
程度の金額でがまんしなければならない。ですから、これに対して国として、そういう場合、災害をこうむった場合の一定の補償というものを、どういうところに置いたらいいか、それを差し示す、そして支払い能力のない者については国家が一定のめんどうを見る、こういうことでないと私はいけないと思う。こういう問題について
一体どう
厚生省では
考えられておるか、この点についてひとつ質問したい。