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1967-07-11 第55回国会 参議院 建設委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年七月十一日(火曜日)    午前十一時六分開会    委員異動     —————————————  七月六日     辞任         補欠選任      鈴木 一弘君     北條  浩君  七月十日     辞任         補欠選任      北條  浩君     鈴木 一弘君      片山 武夫君     高山 恒雄君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         藤田  進君     理 事                 稲浦 鹿藏君                 大森 久司君                 山内 一郎君                 大河原一次君     委 員                 石井  桂君                 奥村 悦造君                 熊谷太三郎君                 小山邦太郎君                 中津井 真君                 平泉  渉君                 森 八三一君                 瀬谷 英行君                 田中  一君                 松永 忠二君                 鈴木 一弘君                 春日 正一君                 相澤 重明君    国務大臣        内閣総理大臣   佐藤 榮作君        大 蔵 大 臣  水田三喜男君        建 設 大 臣  西村 英一君    政府委員        内閣法制局長官  高辻 正巳君        大蔵省主税局長  塩崎  潤君        建設省計画局長  志村 清一君        建設省河川局長  古賀雷四郎君    事務局側        常任委員会専門        員        中島  博君    参考人        都市計画協会会        長        飯沼 一省君        千葉大学教授   清水馨八郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○建設事業並びに建設計画に関する調査  (昭和四十二年七月豪雨による建設関係災害に  関する件) ○土地収用法の一部を改正する法律案内閣提出、  衆議院送付) ○土地収用法の一部を改正する法律施行法案(内  閣提出、衆議院送付) ○委員派遣承認要求に関する件     —————————————
  2. 藤田進

    委員長藤田進君) ただいまから建設委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。  昨十日、片山武夫君が委員辞任され、その補欠として高山恒雄君が選任されました。     —————————————
  3. 藤田進

    委員長藤田進君) 参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  土地収用法の一部を改正する法律案及び土地収用法の一部を改正する法律施行法案の審査のため、本日都市計画協会会長飯沼一省君及び千葉大学教授清水馨八郎君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 藤田進

    委員長藤田進君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  5. 藤田進

    委員長藤田進君) 昭和四十二年七月豪雨による建設関係災害に関する件を議題とし、これより質疑を行ないます。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  6. 田中一

    田中一君 この二、三日来の集中豪雨で、相当全国的な大きな被害を出しております。そこで、まだ行くえ不明の人たちの捜索もできないような現状であって、詳細は御報告願えないかとも思いますが、全体的な災害内容、それから規模等、わかる範囲において報告願いたいと思います。
  7. 西村英一

    国務大臣西村英一君) 四十二年七月豪雨と命名をしました今回の災害につきましては、政府非常災害対策本部をつくりまして、それぞれ手配をいたしております。同時にまた建設省といたしましても、その所管にかかる事項に対しましては、非常災害対策本部をつくりまして、ただいま手配中でございます。で、まあそれぞれの事項については、局長から御報告いたしますが、まあとりあえず私はこの対策応急対策恒久対策があるわけでございますが、この恒久対策で感じたことを、この際一言申し上げたいのでございますが、やはり心配しておりましたように、どうも都市河川都市中小河川に対して手配がいままでは足らなかった。もう一つは、いわゆるがけくずれの問題でございます。これによって思わぬ死傷者がたくさん出たようにも感じられるのでございます。建設省といたしましては、ことにこのがけくずれの問題につきましては、四十年、四十一年、ことしの災害もそうでありまするが、非常に重大と思いまして、四十二年の予算折衝のおりに、大蔵省に真剣にがけくずれ対策予算要求をいたしたのでございます。しかし、一体がけくずれということは、全国的にこれを見ますと、非常に広範にわたるし、またその規模等もどういう程度のものかがわからぬ。なかなか建設省もそれはわかりませんが、大蔵省はさらに不審の念を持っておるので、なかなか意見が一致しなかったのでございます。したがいまして、まずそれではとりあえず試験的に一億円の予算をつけよう、しかもその一億円は、調査を十分進めて、そしてがけくずれ対策をやろうじゃないかということで、今年初めてがけくずれ対策という一つの項目を起こしまして、予算をつけたのでございます。そのやさきに、やはりそのがけくずれによる非常な災害が起こったというふうに感じておるわけでございまするから、この問題にひとつ将来も注意をいたしたい。  もう一つは、きょうの新聞にもありましたように、天災ではない、人災じゃないかというような御批判もございましたが、これはおそらく宅地造成の問題であろうと思われるのでございます。したがいまして、現在も宅地造成規制法がありまして、県にいたしましては十九県、市にいたしましては五市の規制地域を指定いたしております。しかしながら、この規制はやはり緩に過ぎるじゃないか、もう少しこういうような災害から見ましたら、きびしく規制をすべきじゃないかという意見も、あちらこちらに聞かれるのでございまするから、その宅地造成規制法の運用につきましても、さらに考慮をしなければならないのではないか、かようにいま考えておる次第でございます。被害の詳細につきましては、それぞれ局長から答弁をさせます。
  8. 古賀雷四郎

    政府委員古賀雷四郎君) 台風七号が熱帯性気圧になりまして、梅雨前線を刺激して非常な豪雨をもたらしました。佐世保、呉、神戸等におきまして多数の死者を出しました。ただいままで判明いたしておるところによりますと、死者が二百三十七名、行くえ不明が百十八名でございます。合計三百五十五名の人的被害をこうむっております。  なお、昨年の足和田村等の被害におきまして台風二十四号、二十六号の死者は二百十一名、行くえ不明が百三名でございました。合計三百十四名に上っております。  以上のような被害でございまして、河川あるいはがけくずれ等による死者、行くえ不明が出たわけでございまして、非常な甚大な災害をこうおりまして、ただいま建設大臣から御報告がありましたように、それぞれ建設省にも対策本部を設けて措置を講ずる予定にいたしておりますが、とりあえず被害概況について簡単に御報告します。  気象概況でございますが、台風七号は、七月八日九時に奄美大島付近熱帯性気圧中心示度九百九十六ミリバールとなりましたが、その後北ないし北北東に進み、本州南岸に停滞していた梅雨前線を刺激しました。このため八日から九日にかけて西日本各地集中豪雨が発生し、特に長崎佐賀広島及び兵庫各県においては、九日午後強い集中豪雨により、激甚な被害が発生したのでございます。  ちなみに各地降雨量を簡単に申し上げますと、福江市で二百五十ミリ、その最大時間雨量は百ミリ、佐世保市で三百十八ミリ、最大時間雨量は百二十四、九ミリというような百ミリ以上の最大時間雨量を記録いたしております。なお、神戸市の最大時間雨量、呉市の最大時間雨量はそれぞれ七十六ミリ、七十五ミリという最大時間雨量でございます。  なお、今回の雨量と短時間雨量関係を見てみますと、約八〇%近くはその短時間に降っているという集中的なものでございまして、そのためにがけくずれ、中小河川はんらん等被害が生じたわけでございます。ただいま資料を配付いたしておりますので、それを御参考にしていただきたいと思います。  二ページを終わりまして、三ページに入ります。建設省所管にかかる公共土木施設等被害は、現在まで長崎県ほか二府二十一県に発生いたしておりまして、被害額は、ただいままでの現在におきまして百三億四千九百万円という数字でございます。  その内訳は、公共土木施設でございますが、直轄につきましては、河川百七カ所、十一億四千五百九十万円、砂防四カ所、一億一千四百三十万円、道路四十五カ所、一億四千五百八十万円、合計百五十六カ所、十四億六百万円でございます。補助災害につきましては、六千二百七十カ所でございまして、八十八億二千五百四十五万三千円となっておりまして、合計六千四百二十六カ所、百二億三千二百四十五万三千円でございます。そのほか都市施設につきまして十八カ所、一億一千七百八十四万円の災害をこうむっておりまして、総計六千四百四十四カ所、百三億四千九百二十九万三千円となっております。参考のために四十二年の累計を七月十一日現在で締めてありますが、合計一万四千百八十三カ所、二百五十九億一千七百八十一万七千円となっております。これは今年の正月からの累計でございます。  その次の四ページの公共土木施設被害状況の中で直轄災害につきまして、特に直轄河川につきして書いてあります。九州、中国、中部、近畿、こういう各河川にわたりまして、警戒水位をオーバーいたしましてそれぞれ被害が生じております。特に初めの六角川と松浦川についてごらんいただくと、計画高水位が四メートル七十八センチ、今回の水位が五メートル十センチ。松浦川につきましては牟田部地点で八メートル七十センチの九メートル二十センチということになっておりまして、われわれが計画対象として考えている水位をそれぞれ五十センチ程度上回っておりまして、非常に危険な状態になったわけでございます。その他各河川につきまして警戒水位をオーバーいたしまして、護岸の決壊等被害が生じましたが省略させていただきます。合計につきましては百七カ所、十一億四千五百九十万円となっております。なお、これも今後の調査の結果ふえる見込みであります。  その次は直轄砂防被害状況でありまして、これは木曽川左支川中津川のダムに洗掘、破損を生じまして一億一千四百三十万円の被害を生じております。  その次は直轄道路被害状況でございますが、この表でごらんになるとおり、路線名、それから府県名被害個所被害内容交通状況——現在の交通状況でございます。それから復旧見込み、被害額について書いてありまして、大体において交通はできるということになっておりますが、一部三十五号道におきまして、迂回路はただいま通行可能になっております。なおこれは直轄管理区間道路災害でありまして、地方道その他につきましては、ただいま調査中でございますので、具体的にこれは報告の中には入っておりません。これらを合計いたしまして直轄管理道路につきましては四十五カ所、一億四千五百八十万円となっております。  補助災害につきましては、各県別補助災害被害額を記載してあります。欄の説明でございますが、県名とおもなる被災地とおもなる被害河川路線名被害額とあげてありますが、長崎につきましては八百五十五カ所、十一億二十六万四千円という被害額が出ております。佐賀につきましては千十カ所、二十九億六千五百万円となっております。それから福岡、山口、広島広島につきましては五百八十二カ所、五億三千二百二十四万八千円でございますが、特に死傷者が多うございましたのは、これは呉等におけるがけぐずれによるところのものに基づくものでありまして、公共土木施設被害額は比較的小そうでございます。その他岡山、鳥取、島根兵庫兵庫につきましては、三百十六カ所二億八千百九十四万五千円でございますが、これもがけくずれ等による死者が非常に多かったわけでございます。その他香川、愛媛、徳島、高知、大阪、京都、奈良、和歌山、三重、愛知、滋賀、岐阜、福井、神戸市というぐあいに、被害が広範囲にわたっております。合計六千二百七十カ所でございまして、八十八億二千五百四十五万三千円でございます。この数字も、ただいままで判明した分の報告でございまして、今後数字は多くなる見込でございます。なお、おもなる被災地ところ市町村名ところに二重マルじるしがありますが、これは災害救助法発動市町村でございます。  それから都市施設被害状況につきましては、島根県、神戸市、岡山県、長崎県、広島県、佐賀県等につきまして被害報告がありまして、十八カ所一億一千七百八十四万円となっております。  その次に住宅関係被害状況でございますが、全壊半壊流失床上浸水床下浸水、一部破損という欄を設けまして、資料を整理してあります。全壊は五百七十一戸、それから半壊は七百三十九戸、流失百五十一戸、床上浸水は五万二百十七戸、床下浸水二十万四千七百二十八戸、一部破損四百十戸、特に長崎広島大阪兵庫等におきまして家屋の損害が多うございます。  それから対策及び措置は、いま大臣からお話がありましたように、それぞれそこに書いてあるように処置をいたしまして、なお災害復旧につきましては、既定経費の立てかえ等におきまして復旧工事を実施するほか、災害査定を行ないまして、必要な措置を講じたいと考えております。  以上簡単でございますが、御説明を終わらしていただきます。
  9. 田中一

    田中一君 いま大体の現況わかりましたけれども、建設大臣は、都市災害都市河川災害、それからがけくずれということが、新しく現象として今度の災害に生れている、こういう報告がありましたが、がけくずれとは、いろいろあると思うのです。がけくずれの定義はどういうぐあいに考えておりますか。がけくずれというものは何かということですね。
  10. 西村英一

    国務大臣西村英一君) がけくずれの定義をいまきめてはいないのです。しかし実情やはり、少数の部落がありまして、それの上の山が、あるいはがけが非常に危険だというようなところは、何かの対策をしなければならぬ、それは、そのがけを修理するか、あるいは家の立ちのきを他に考えるか、そういうことを、大蔵省との話し合いは、研究していこうじゃないか、十分研究して、しっかりつかめるようになったら、予算をたくさんつけましょう。まだ私のところも、いわゆるがけくずれとは言っておりますが、その定義をきめるまでに至ってないのが現状でございます。これからの研究でございます。
  11. 田中一

    田中一君 おおむね、がけというものは、自然のがけというものは、これは長年の風雨にたたかれて、一応相当雨量があっても、それに耐えるだけの傾斜を持っているというのが、自然のがけであります。あるいは岩盤が出ているとかなんとかというようなところは、危険が比較的少ない。問題は、人為的にがけを築造したものに災害が多いのではないかというところから、その定義を伺っておるわけなんです。広島神戸神戸は御承知のように三十六年災のときに、あの多くの人命を失い、大きな人工がけが崩壊して、それがとうとう宅地造成法律を立案するという起因になったわけです。横浜、神戸が。ところで、広島現象は、呉、広島、あの海岸地帯は、大体において自然のがけ相当あります。ありますが、自然のがけというよりも、長年築造された人為的ながけがある。それにまた宅地造成という一つ政府の声におどらされて、相当民間がやっているところがあるのではないか、そういうところがけくずれになった原因ではないか、こう思うのですが、広島県の場合はどういう現象が、がけ対象としてどういうものがあるか、伺っておきたい。
  12. 古賀雷四郎

    政府委員古賀雷四郎君) がけと対照いたしまして地すべりというのがありますが、地すべりは、一定のすべり面、あるいは粘土を含んだとか、地質的な構造によるすべりでございます。がけというのは、一般的にそれ以外のものでこわれるといったものが、通常がけと称せられるわけです。それでへただいま御指摘の、宅地造成によって助長されたのではないかということでございますが、ただいま現地に調査官を派遣しておりまして、それらの関係については調査いたしておりますので、どの程度がどうであったかということは判明いたしませんが、さようなこともあろうかと思いますし、また今回の集中豪雨が短時間で集中した、先ほど御報告申し上げたように、短時間で集中したということは、土質の飽和をもたらしまして、それの安定角が非常にゆるくなりまして、それのためにこわれたというようなことも考えられますし、これらにつきましては、十分調査を進めてまいりたいというように考えております。
  13. 田中一

    田中一君 問題は、自然の傾斜を持っているがけと、それから人為的ながけとの違いが、災害に対するところ抵抗力といいますか、耐久性といいますか、そういうものがもろいというところに問題があろうと思います。  もう一つ観点を変えて、都市河川ということになりますと、それはどういう特殊な現象が見られますか、今度の災害で。これは総理はまだ行っておりませんな、報告は聞いておられるから、総理はかつて建設大臣をやっていたことがあるので、相当この面は詳しいと思うけれども、どなたかひとつ。
  14. 西村英一

    国務大臣西村英一君) 都市河川の最近の現象は、やはり何と申しますか、人家が立て込んだという一つ現象があります。人家が密集するようになった。川幅をどんどん埋めて、周囲が宅地化したという特殊なあれがあります。それから、上流のほうでは、あらゆる面について樹木を切る、いわゆる開発が進んだために、非常に流水が速くなったというような特殊な現象が、どうしても都市河川には著しく起こっている、かように感じている次第でございます。そのために、案外早く降った水が下に下ってくる。思わぬ速さで下ってくるというような、特殊な現象が起こっているというように感ぜられるのであります。
  15. 田中一

    田中一君 建設大臣が言っていることは、国民はみんな知っていることなんです。たとえば、多摩団地をつくる。あそこに数千戸の団地をつくる。かつての水田または畑地が、いつの間にか宅地になる。そうしてかつてはたんぽ、それは遊水地であった、また畑ならば、そこで相当の水の吸水力があった。ところがああして大きな団地をつくった、また奥のほうも人工的な宅地が造成されたために、集中豪雨によるところの水が、その小さい排水路というか、ほんとうに小川のようなものに対して集中して流れる、こういうことは、しばしばいままでも申し上げたはずなんです、宅地造成をやった場合に、広域な河川改修をしなければだめだということは。多摩団地はいま住宅公団がこの河川対策に頭を悩ましている。どうしたらいいか。そうすると結局コスト商になる、そこまでやると。そういうことになりますと、住宅政策の低家賃ということにならなくなってくる。そういうような現象はもう国民みんな知っております。あらためてここ二、三年来の水害というものが都市に集中しているというのは、長年の自然の流路、自然の流量というものを吸収していた地域、それが開発という名において原形を荒されているわけなんです。当然、そういう現象が来ることは間違いないわけなんです。でありますから、この問題について、現在がけくずれ等の対策として一億円の調査費を持っているといいますけれども、これはむろん一億円のこの金は、これはもうしっかりと調査費でこれをお使いください、これは当然であります。ただ問題は、人命尊重ということは総理はいつも言っておるんですが、こういうしろうとでもわかっている——きょうのテレビの対談を見ても、これは人災ではないかと言うと、専門家はこれに対しては、自然災ではない、どうも人災くさいということを言っているんです。ただ、突き詰めると、いやこれは局部的にそこに大きな雨が降ったんだからこれはやむを得ませんと、こういう答弁をするわけです。自然現象として大きな雨が降ったんだからと、いまも河川局長も言っている、それじゃ納納しないわけなんです。都市河川災害というものは、人工的な、人為的な災害であるというふうに、国民は考えております。したがって、ただ単に原形復旧というような形で、この災害復旧させるということだけじゃ足りません。どこまでも原形というのは、原形または改修というのは、一メートルの川を五メートルにすればいいんだというのじゃないんです。背後の集中する雨量を吸収するだけの自然があった、自然があったんです、かつて。それがなくなっているというところ原因があるわけなんです。こういう点については、ひとつ総理並びに建設大臣は当然それを原形復旧あるいは改良でやっているんでしょうけれども、それに対する総理態度です。それから、これに対するところの裏づけとしての大蔵大臣の考え方、それから自治大臣としては——来てますか、自治省は。応急地方債等の出し方をどうするか、これはもう早急にしなければならないんです。そういう点についての政府態度をひとつ伺っておきます。
  16. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま田中君もけさテレビを聞いたということですが、私も実はけさテレビを聞きました。これは天災なのか人災なのか、もちろん私は天災だとか人災だとかきめてかかることが、大体間違っていると思います。いまの技術をもってすれば、そして財政的な予算をつけて、そのものが際限なしにつぎ込まれれば、これは必ず防げるだろうと思います。しかし、いまの国力そのものから申すと、遺憾ながら、非常な記録的な豪雨集中豪雨に対しての対策としては、現状河川改修その他のものでは、私は不十分だと思います。ただ、知っていただきたいことは、これは政府が全然こういうものについて手をこまねいて何にもなさない、こういうことじゃない、国力相応措置をいまとっておる。これだけは国民にぜひ理解していただきたい、こういうことでございます。  それから、第二の問題として、ただいまここで議論されておりますように、したがいまして、まず国が先に手をつけたものが大河川といいますか、直轄河川、さらにまた、それに続く大河川、いま一番問題が起きておるのが中小河川、そこらで非常な問題がある。この中小河川も最近は予算範囲内で、また予算も、できるだけくふうして中小河川改修に乗り出すようにしております。この点はもうすでに御承知のことだと思うのです。そこへもってきて、ただいま問題になるような大都市が形成され、また宅地造成が行なわれる。しかも、それが無計画的なもとに行なわれる。こういう点が実はたいへんな問題なんであります。私はいまちょうど田中君の御指摘になりましたように、きょうも閣議で発言をしたのですが、幸いに今回は地方水害集中豪雨だと、それでもたいへんな人命を損している。これがもしも大都会にこういうような集中豪雨が、どういうような災害を起こすだろうか、そういうことを想像してみると、ほんとうにぞっとするのです。建設省では、もちろんこれらについての対策は講じているだろうが、十分ひとつ納得のいくような処置をひとつこの上ともやろうじゃないか、実はそういう話をしたのであります。ただいまお話になりますように、都市河川といわれるもの、しかも舗装がどんどんできるようになってくると、道自身がもう川になる。こういう状態でありますから、今後都市に対する集中豪雨、その惨害惨禍なぞは、これはもう想像してもこれはたいへんなことだと思うのであります。こういう点を、一そう積極的に対策を立てなきゃならないと思います。たとえばいままで東京の水害、これは水、水道の水を確保しなければならないとか、東京を守れという話がしばしば出ております。これも利根川水系を基幹にしてただそれだけが考えられている。しかし、このごろのように都市河川がどんどん暗渠に変わっていく、そういうような場合に、その改良が不十分だと、一体どうなんだろうか、実は私もその心配にたえないのであります。こういう点をも考えて、これから積極的に、いまのようなあらゆる面からのくふうをしていかなきゃならない。また、宅地造成の面から見ましても、きょうもテレビでいろいろ話をしている。いわゆるがけ下の住宅、そんなものはなかなか禁止できないだろう。しかしながら、ほんとうにこれは危険だということはわかるので、これも長い間がけ下に住んでみれば、そのうち自然に大きな木も出てくるだろうが、そんな木があれば、やっぱり家がつぶれるということもないのだというような話も実は出ておりました。私もたいへん関心を持ってテレビを聞いたのですが、ただいまそのテレビの知識だけではございません。私は積極的にやはり私権に対しましても、水からは守ることは必要だが、同時に災害が起こると、たいへんその地域社会には迷惑をかけるんですから、それらの点も十分考えて、所有権の絶対でないということは、これらについても十分考えていただきたいように思うのであります。政府の責任はもちろん果たしてまいりますが、しかし、政治だけではなかなかこういうことはできないんじゃないだろうか、かようにも思います。問題の重要性、十分ひとつ認識していただきたい、かように私も考えます。
  17. 田中一

    田中一君 総理は時間はもうないのでしょう。いまそういう災害の話が突発事件で出たものですから時間がなくなって。もう二十分ぐらい私に時間をくれませんか。
  18. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) はい、続けてやってください。とにかくできるだけいます。
  19. 藤田進

    委員長藤田進君) この際水田大蔵大臣に、いまの予算的裏づけの答弁だけいただいて収用法に入ります。
  20. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 災害復旧に対する態度の御質問でございましたが、御承知のように、法律では原形復旧ということが原則になっておりますが、改良復旧もできることになっておりまして、いま再三、こういう災害を起こさないようにするために、必要なところはどんどん改良復旧をやっておる最中でございますが、今後もこの災害の実際に応じて改良復旧というものを多く取り入れていきたいというふうに考えております。
  21. 藤田進

    委員長藤田進君) 佐藤総理にちょっと私からお伺いしますが、実は、呉市の場合の一例なんですけれども、約一年ぐらい前にすでにがけくずれといいますか、地すべり的な様相があるから、これを予防しなければならないという議論が起きていたのですが、いまの制度上、予算上なかなかうまくいかなかったわけです。はたせるかな、今回水害原因にもなっているわけですね。したがいまして、今後の施策は、内閣とされても予算上裏つけを持った防災対策といいますかね、未然にこれを防ぐという、そこに相当なやはり力を注ぐ必要があるのではないだろうか。先ほど建設大臣災害報告については、この点が若干触れられておりました。佐藤内閣総理大臣のあなたの御所見を伺っておきたいと思います。
  22. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) ただいま委員長の御意見、私もさように思います。ただいま、事故が発生した、その原形復旧、これを主体に考えますけれども、もうすでに予算が許せば予防措置も同時に講ずる、こういうたてまえでございます。また、いま言われますように、事前にこの地域が非常に心配だと、こういうようなものについて、これはできるだけその御要望に沿うように努力いたしたいと思います。しかし、何ぶんにも限られた財源でございますので、なかなか御要望を全部満たすというわけにはいきませんが、しかし政府としては、これらの点についても今後さらに努力するつもりでございます。
  23. 藤田進

    委員長藤田進君) 本件についての質疑は、本日はこの程度にとどめます。     —————————————
  24. 藤田進

    委員長藤田進君) 土地収用法の一部を改正する法律案及び土地収用法の一部を改正する法律施行法案を一括して議題とし、前回に引き続き質疑を行ないます。  御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  25. 田中一

    田中一君 土地収用法は二回国会を流産しました。流産というか審議未了になりました。しかし、これは非常に重要法案で、政府の重要法案であると同じように、国民も非常に大きな関心を持っている重要法案なのです。  そこで最初に伺いたいのは、昭和二十六年に新収用法が制定される以前の収用法は、御承知のように、天皇家に関する問題、いわゆる皇室に関する問題、神社佛閣に関する問題、あるいは軍事に関する問題、それから一般の公共の福利施設、こういうことになっておりました。ところが、数次の改正によって、内容等はあまり変わりませんけれども、問題は手続が簡素化され、短縮され、いわゆる強権的な運用の面にだけ改正というものが求められておるというこの事態は、旧法はそういうまことに強権的な特殊なものに限っての収用権でありましたけれども、この新収用法はそうではなくして、国民の利益を守るというところに手続その他において十分な配慮が示されておったのでありますが、それがなくなっております。今回の改正案も御承知のようにまた収用の手続、収用するという意思決定から収用するというまでの国民の民主的な権利をあと回しにして、まず収用してしまおうというような改正法の趣旨なわけなのです。そこで、これはもう質問すれば、必ず憲法二十九条にきめたところのかくかくのものであるから、これはこうでございますという答弁に尽きるのです。それなら、かつての新収用法の精神というものはどこにいってしまったかということについて非常に不安に思うのです。たとえば提案理由の中にもこういうことを言っております。ごて得とか何とかいうことばを使って、そういうものに対してこうした意味の手続上の収用の時期を早めるということをしなければならないのだ。まるで国民というもの、いや私有財産というものを、これを当然公共の名において何でも取れるのだというような印象を与えている。そこで数次の収用法の改正による政府国民の私有権に対するところの的確な判断というものを示していただきたい。そうして、むろん憲法二十九条のこのきめられておるものは、これは絶対のものであります。これをどう、この条文の解釈は要りません。実態論としていまの政府はどういう態度をもって収用権の発動、行使ということを行なおうとするのか、総理から態度を伺いたいと思います。
  26. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま田中君のお尋ねは、これはもう今回の土地収用法を提案する、その基幹になる実は問題でございます。いままでは私有権はこれは絶対だ、何人からも拘束を受けない、制限を受けない、私有権絶対、そのたてまえできておると思います。しかし、私はやはり個人の権利も公共の福祉のために制限を受ける、これはやむを得ないのである。その点をひとつ了承してもらいたいというのが、その骨子であります。したがいまして、今回のこの法律を出しましたことも、過去からずっと見まして、いわゆる強権化されている、こういう見方もあろうかと思いますが、ただいまのような公共の福祉から制限を受けるという、そういう考え方は、やはり時代とともにその中身もやや変わってくるように私思いますので、それらの点では、いわゆる社会的通念で自然にそういうものがきまるのじゃないだろうか、かように思います。いたずらに公益優先あるいは公共の福祉一点張りでもこれはいけない。ただいまの問題の所有権、私有権と公共の福祉との調整をはかる、この点が、法の運用として最も大事なことだと、かように私考えておる次第でございます。
  27. 田中一

    田中一君 どうも憲法論ですべて逃げてしまうけれども、民主的にあらゆる手続を踏んで、そうして結局はこういう理由で公共の福祉のために提供なさいと、こういう要求をしているわけです、土地収用法は。ところが、どうして数次の改正で手続を簡素化したかというのです。簡素化しているのです。もう今度四回目かの改正と思いますけれども、簡素化しているのです。したがって、私有権、所有権というものに対して、これは国民が持っている、国民が持っているところの所有権に対して、持っている国民というものに対して、その財産を、憲法によって収用しようというのに、その国民に対してどういう、国民とは何か、国民とはどういう性格のものであるか、どういう感情を持ち、どういう生活をし、あらゆる国民というものの対象国民という対象を、あなたは主観的にどう認めようとしているのか、お聞きしたいのです。
  28. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 国民の持つ所有権、これはやはりただいまのような公共の福祉から制限は受けるといたしましても、正当な補償は受けなければならない、かように私考えておりますので、今回の収用法でも、手続が簡素化されましても、正当なる補償、これはやはりちゃんと確保される、こういうたてまえになっておるように思います。
  29. 田中一

    田中一君 提案の理由の説明には、非常にどぎつい国民に対する挑戦が盛られてあるのです。たとえば「近年の地価高騰の実情にかんがみ、」、地価が上がるからこういう簡素化するんだと、それを抑制しようと思うと。たとえば現行の収用法は、いわゆるごね得の弊害を生じ、早期買収について協力を得ることが困難である、こう言っているのですね。国民はごね得をするやつ。国民がいつの間にか地価の高騰、値上がりをさせているんだということが、ここに提案理由にうたってあるわけなんです。私は、国民はそういうものではないと思うのです。私が見ている国民というのは、正しくて、平和を愛好し、民主的な、自分の発言権を求め、政治にも参画したがる。常によい女房とよい子供を持ちたい、平和な生活をしたい、だれにも侵されないところの安定した生活がしたいんだというのが、国民の持っている悲願であります。その国民に対して、まあ「近年の地価高騰」ということは、これは顧みて他を言う、いわゆる政府が高度経済成長政策によって、そうして先行投資等をあおり立てたものだから、地価の高騰を来たし、国民の住宅の要求にこたえようとして、いたずらに畑地、たんぼ、山林等を伐採し、平たくして住宅団地をつくるという、まことにお粗末な住宅政策を持っているから、地価の高騰もする。また土地の買いあさりをするのは、政府でございます。並びに政府関係機関です。国民の持っている土地を買いあさろうとする。これはたとえば住宅金融公庫という一つの原資のもとに、日本じゅうどのくらいの数の、何十、何百という機関が土地を求めて歩いているんです。買収に歩いているのです。そういう政治的な施策から来るところの土地の高騰が大きいんです。したがって、この問題については、他を顧みてものを言っているのです。ごね得だとか何とかということばは、これは国民を侮辱したものでございます。国民は自分の持っている土地を、だれもものを言わなければ、そのままそこに平和な家庭をつくっているのです。これは結局、ごねようとするのは、自分の平和な生活を侵される場合には犬でもネコでも騒ぎます。そのように非常に単純な、むろんこれは動物の人間も一種でありますから、そうした動物的なものが、自分の生活環境が侵された場合には、それには侵そうとする国家——これは民族の結集体であります——国家の意思、国家の要請の内容、政治家のあり方、行政官のあり方、政治に対する不信というものが、やはりそこに一応の抵抗を試みるのが当然であります。下等動物でものが言えない、行動もできないという動物もありますが、人間は少なくとも最高なる動物でございます。ことにわれわれの国家は、戦争をしない平和愛好国民でございます。それだけに、自分の家庭に波風の立たないことを望んでいるのであります。でありますから、そういう国民に対して、こうした表現でもって、この法律の数次の改正をしようとする意図が何であるかと聞いているわけなんです。あまり私ばかりしゃべっていますと、自分の持ち時間がなくなりますので言いたくないのですけれども、憲法論だけで片づけてはいけません。
  30. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 私は、国民大多数の方は、政府が意図する、また皆さんも言われるような公共の福祉で所有権が制限されること、これはやむを得ない、また正当な補償を要求する、これはまあ当然のことですが、そうあると思います。しかし、いま提案理由にどう書いておりますか、きわめて少数な、全体から見ますとごくわずかなパーセンテージのそういった間違、た人、それのためにこういう法律をつくるということはいかがかと思いますが、しかし行政の処置といたしまして、すべてが公平に取り扱われる、これはもうあたりまえでございます。また田中君も、現実の問題として広い新しい道路はできたが一軒うちがどうしても立ちのかない、そうしていつまでもその家だけ残っておる、こういうものもお見受けでございましょうし、また価格等の点につきましても、最初相談に応じた者、良識的に承知をした者よりどうも最後に残されたほうがよりいい条件、より高価に買い取られた、こういうような例もあるようでございますから、問題はやはり国民の良識、また政府の行き過ぎない、節制ある、節度ある処置、これがまあ必要なんだろう、かように思います。したがいまして、法律自身をつくりましても、もう最も大事なことはその運用にある、かように私は考えております。また国民の協力を得なければ、この種の事柄はできるものじゃございませんので、十分ひとつ納得のいく協力を得たいと思っております。
  31. 田中一

    田中一君 どうも時間が、総理があんまり帰りたがるからしようがない。しょうがないが、少し、あと二十分ぐらいいただきたい。収用法という法律が絶対なものであるならば、私はこういう一つの提案をしたい。すべての公共事業には、いわゆる収用法第三条によるところの三十数事業の個々の場合にはこれはすべて収用委にかける、俗に言うと収用法にかける。そうして収用委員会の裁決によって買収行為を行なう、こういうことを行なうわけです。これはたとえば今回の法律ですと、三カ月ぐらいでその土地が手に入るような改正案が出ておりますが、あらゆる手続を踏んでも半年でもって事業主体、要求している、収用しようとする側では手に入ることになるわけです。あらゆる仕事、鉄道でも何でもかんでも全部、三十六種類からございます、これを全部かける。むろんこれは今日の継続事業というものを原則としてきめておらないところ大蔵大臣の抵抗があろうかと思うんです。しかし、事業決定した以上全部これをかけてしまう。そうして収用委員会の裁決によってその価格によって買収行為を行なう、こういう行き方なんです。今日まで、昭和二十六年に——旧法の場合は別です。これは強権です。軍隊が青田に行って、ここからここまで取るぞと、こう言って取ったものです。いまの場合は違います。それぞれの地域の収用委員会にかけてその決定によって行なう。したがってあらゆる公共事業はそう行なうのです。そうしますと大体において五十例ぐらいできると、あとはもう自然そろばんで解決していくと思う。いままで、新収用法ができてもう十五年——十七年になりますね、実際に収用委員会にかけた仕事というものは少ないんです。この法律を適用しようということがなくして、やはり一つの商品として買収交渉によってこれを手に入れようとする形が多いわけなんです。だから、あらゆるものを全部収用委員会にかけて、収用委員会の裁決によってそれを買収するということにするならば、これは何ら問題ございません。そういう方法をとったらいかがか、まず第一にひとつ提案いたします。
  32. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 私は、まあ先ほど強権じゃないかというお尋ねがございましたが、とにかく強権は避ける。大体こういう事柄、買収という事柄は、当事者の協議ということが大体原則であるべきだ、話し合いということが。この話し合いでまとまることが、一番望ましい姿でありますし、そういうことを民主主義の政治下においてはやるべきものだと、かように思います。いまのように第三者でやることも、これはほんとうに信頼のできるもの、これは一案かと思いますけれども、同時に、私いまの公用にかかる事案が非常に多いことを考えますと、やはり協議を第一原則にする、そしてその上にやはり時間の問題もございますから、できるだけ早くそういうことが処理できる、これはやはり話し合いということは、いかにも時間のかかるような問題ですが、かえってそのほうが早い場合もあるのでありまして、私はいまの田中君のせっかくの御提案だが、一案ではありましょうけれども、いまこの席で直ちにそれを賛成と言うわけにはまいらないような気がいたします。御了承いただきたいと思います。
  33. 田中一

    田中一君 これは土地を買いたい、人の土地を売ってくれといって交渉するわけなんです。商行為なんです。ところが聞かなければ収用法、こういう行き方を今日までしてきているんです。だから収用法というものは、非常に強権である、どうしても自分がいやだというものを取られる法律だというふうに、国民は誤認をしているんです。収用法は総理が言うような精神でこれはできているものではございません。戦後のこの新収用法は、国民の持っておる土地の正当な補償はかくかくあるべしということをうたっているんです。人間の生活環境の補償までやっているんです。百万円で売りたいと言うものを五十万円で売れ、売れと言うから抵抗するんです。したがって、政府がきめる予算というものが、はたして百万円と価値づけられたものに対して百万円の予算を組んでおるか、組んでおらぬ。この法律が強権であるという印象を国民に与えているから、それじゃがんばってもということになるわけです。そして予算をもって、したがって話し合いでこれを買おうというならば、買収予算というものはゼロか、無限大になさい。いわゆる双方の協議によってきまったものを、それを価格という取りきめ方にしなさい。無限大といっても、幾らでもとそんなことじゃありません。だれかがやっぱりその評価というものをしなければならないわけです。買い方の評価と売り方の評価が違うのはあたりまえでございます。だからそれならば二年前、三年前にその土地をお買いなさい、買うことが一番いいんです。背中に予算というものをしょって用地の係員が、この土地の坪は、十万円以上で買えないんだ、だから十万円でおっつけようとします。それこそ二級酒の五、六本も持って農家へ行って夜打ち、朝がけやりながら説得しようとするんです。したがって評価という、価格をどこで求めるかということに尽きると思うのです。買い方と売り方が単独交渉したってなかなかできない。話し会いとは言いながら、そんなことをきみ言うならば収用法で取りますよとおどかしながらやっているのを、あなた知らないんです。みんな下級の買収員は、用地係員というのは伝家の宝力的にうしろに収用法を隠しながら、いやならこれでいきますよと言って、おどかしながらやっています。これは民主的ではございません。どうかつ政治です。だから、この収用法というものが、いかに国民の私権を守ろうとするか、この手続によって正当な補償を得るようにしておるかとかいうことを国民に知らせようとしない、そこに問題がある。予算という壁を背負わして買いにやったって、なかなかきまるものではございません。きまらぬ場合には、この収用法で取りますよということを言っている。この実態というものをあなた知らないわけなんです。これは建設大臣だって知りはしません。末端の現場の用地の係員がそのために体を張って、そうして行なっているのが実情なんです。そうして買わせれば収賄だ、贈賄だというようなことになる。そういうことをさせるような機会をなくして、りっぱに収用法で第三者の裁決によって価格をきめるという行き方をするのが、私は正しいと思う。それをいま総理は、いまの段階ではと言うて否定しておりますから、あえて言いません。  それでは、最後に一つ聞きます。土地に限定します。もうこの辺で土地というものを——ずはりと言いますが、国有にしたらどうかという提案です。われわれは土地というものは民族の領土であるというたてまえをとっている。それが自分の利用する面だけこれを使っていいのだということです。しいて申しますならば、所有権にかえて利用権というものを設定して、土地の国有というものを実行したらどうだろうか。イギリスは、御承知のように、部分的国有化をはかりました。そうしてこれは成功いたしました。そのために労働党は相当票も伸びました。私は、そんなに国民が持っている土地というものを自由に取ろうとするならば、もうこの辺で土地の国有化、または公有化。土地は決してどこに持ち去られるものでもございません。われわれ民族の領土でございます。共有の領土でございます。そうしてこの所有権に置きかえて利用権というものを設定して、利用している範囲については、その土地はあなたのものですよ、あなたの孫子の代までこの利用権はあなたのものですよということになれば、まず無事に問題が解決するんじゃないか、そういう点については、都市問題はことにそうです。都市問題はもう土地の問題さえ解決すれば解決でございます。その点ひとつ総理の考え方を伺いたいと思います。
  34. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま土地の国有あるいは公有論、これに直ちに踏み切れと、こういうことですが、これはその議論をしておりますと長くなりますので、これは田中君の御高見を拝承することにいたしておきますが、私は、いまその場合に、現在ある国有のものを払い下げするという場合によほど気をつけてくれろ、こういう実は行政指導をしているところでございます。ただいまのような国有、公有、そこに踏み切るというところにはまいりませんが、ただいま持っているものの処分について、これはよほど気をつけてまいる。そういう場合には、ただいま御指摘になりましたような土地の利用権、そういうものを特にクローズアップするというか、そういう方向が望ましいんじゃないだろうかと、かように考えております。
  35. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 総理に初めに伺いたいのは、今回の土地収用法が土地価格の、地価対策ですね。地価対策の一環として考えられているということが、一つの提案の理由になっております。ですが、この土地収用法の一部改正ということだけで、現在の土地の騰貴というものがはたして解決をされるかどうかということは、これは非常に疑問を持っているわけです。といいますのは、その一つを言いうと、いままでも宅地審議会から中間答申が出た、あるいは物懇からも地価対策についての提案がありました。ですが、実際のところを言うと、これは経済企画庁あたりの調査を見ますと、三十七年を一〇〇とした場合、四十一年の住宅の地価というものの指数が全国平均で一五九です。で、六大都市で一七五と言われている。ところが、新産都市では市街地予定地域では二三五になっている。あるいは工業整備特別地域では市街地予定地域は二三七と言われている。つまり、二倍、三倍——三倍まではいきませんけれども、二倍以上というのが、わずか五カ年間で急騰している。これを見ますというと、都心部のほうは上がらないけれども、いわゆる新興住宅地域ということになると、急ピッチな上昇をしているという証拠だと思うんです。これはいえばですね、これは一つ政府の策定した新産都市であり、工業整備特別地域であるということでありますから、政府自身が私は押し上げているというふうにも思う。そういう、基本的に一体どういうふうに持っていくか、地価対策をどういうふうにするかという政治上の決断というものがなされないと、この土地問題、価格問題というものは、収用法の改正だけではとうていできないと思うんですが、その点についての総理のお考えを伺っておきたい。
  36. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 鈴木君の言われたとおりだと思います。これは収用法だけで地価をどうこうしようと、それは無理なことでございます。しかし、収用法が持つ一つの意味はある。意義はある。これもやっぱり地価対策の一環として考えられる、かように私は考えております。そこで、いま鈴木君の言われるように、総合的な対策を立てなきゃこれはだめなんだと、また政府自身がこれをつり上げているんじゃないかという御非難ですが、しかし、いまごらんになって、現状道路だけでいいとか、現状の港湾でいいとか、学校施設、これでいいとか、あるいは住宅がこれでいいとか、こういうものじゃない。政府はそういう公共投資をどんどんしなきゃならない。そこで、政府がやっぱり土地を買うのが目について見えるのであります。そういう場合に、これは公共投資をまんべんなくやろうとしても、どうも地価は高い、どんどんそれは上がる、またなかなか所有者は、時期もいろいろ考えるので放さない、こういうようなことで、こういう公共投資が非常におくれている。これは鈴木さんも御承知だろうと思います。私は先ほど田中君にも説明したように、この収用法、これが非常に強権化されることは、必ずしも私は賛成ではございません。しかし、話し合いするにいたしましても、国民の協力を得るにいたしましても、やはり万べんなくすべてが公平に取り扱われる、そうしてそこには幸、不幸はないと、こういうようなことで政治はやりたいのでありますし、またそういう意味で公共投資も整備したい、かように考えますので、今回どうしてもこの法律が必要だということでお願いしておるような次第であります。
  37. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 政府がどんどん公共投資をやるということはやめろと、そういうふうに言ってるわけじゃございません。それをやったから、とめればいまのままでいいかと、それは国民生活に多大の支障を来たすことはわかっておりますから、そういうことを言ってるんじゃなくて、一例をあげますと、たとえばだいぶ前にも問題になりましたが、新幹線ができた。私は川崎におりましたんですが実際市のほうで計画している学校用地が、新幹線ができたために猛烈な高い値段でもって、一けたの単位であろうと思ったのが二けたの単位で買われたということで、学校用地を市のほうの予算としては買えなくなった。現在その問題で国鉄を追及していくと、どう言うかというと、名神高速道路を見てください、あのように膨大な、話にならないような値段で買われては困るじゃないかということが言われている。そういうことが、これは国でやっている事業というふうに、たとえば公団がやりましても、国鉄がやっても見るわけであります。そうなると、政府がそのような高い値段で買うんならばいいじゃないか、われわれのほうだって地価相場を相対的に上げるべきだという声になってくるのは、当然であります。そういうことは、私は一つ政府自身がお上げになっているんじゃないかという、はっきり言えば、事業計画といいますか、新幹線をつくるにしましても、ぎりぎり一ぱいでやる。あるいは今度の名神高速でもそうでありますけれども、土地の利用計画といいますか、その基本法というものをつくっておく必要があるということが、物懇あたりではすでに出ているわけです。物価問題懇談会から、地価対策としては土地利用計画というものを策定して、きちっとやらなければいかぬじゃないか、そうしなければいけないと言われているのに、緊急で差し迫ったところでやるという形になりますと、どうしてもいまごね得を押さえるというか、事業を遂行するためには、やむを得ず高い値段で買うという、私はそういう面が政府側にもあると思う、追い込まれている面が。むしろその利用計画をきちっと立てないでおやりになるという——その基本法をつくるということ、土地基本法でもけっこうでございますが、そういうものをやらないでやるというところに無理があるわけであります。その辺の姿勢を直さないで収用法だけいじるということでは、これは問題の根本的な解決にはならないと思うのですが、その点総理のお考え、どうでしょうか。
  38. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま鈴木君の言われるとおり、私も政府間で値段をひとつの相場をきめると、こういう事柄はしばしばあるのでありますから、これはやはり買収に際しまして、こういう点でよほど慎重にやっていただきたい。また、各省の間に十分連携のとれるような方向が望ましい、かように思います。しかし、今回の収用法ができ上がれば、今後は各省間でばらばらに計画を決定するというようなこともこれは防げるのじゃないか、かように思いますが、その点はまず利点だと、かように思います。  次に、ただいま御指摘になりました土地の利用計画の問題でありますが、これは確かにこの土地の利用計画を立てなきゃいけない、これはやはり地価をきめる上の基本になる問題だ、かように私も考えております。したがいまして、地価対策としては、やはり利用計画を策定すること、これがまず第一。またこれは都市計画の問題であったり、あるいは再開発と申しますか、そういう問題であったり、あるいはまた公共用地としての整備計画の問題であったり、この利用計画の問題は、公害対策上も実は必要なことになってくるのでありますし、そういうようなあらゆる面、総合的な、計画的な事業として各方面から対策を立てないと、一つだけでこれでもってこと足りる、こういうことでは絶対ございません。したがいまして、今回は収用法、前国会におきましてもいろいろ御審議をいただいたのでありますので、これをひとつまずつくり、また、要望されるように、すでに都市計画法案も内閣におきましては閣議決定いたしておりますので、次々にそれらの法律案を御審議いただく、かようにいたしたいものだと思っております。
  39. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 つまり、その都市計画法、そのほか部分的ないわゆる土地利用に対しての計画とか、法律等ができてくるのですけれども、また、従来からこの土地の問題については、部分的なそういう法律はあるわけです。ですが、一面では私権の保護のようであり、一面ではそうでない場合もあるというような考えもあるわけです。その点では、はっきりした都市計画法ができるにしても、何にしても、その根本となる考え方をまとめるような法律というものは、私は必要だと思うのです。その点はいかがですか。
  40. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 私はいま土地基本法というような名前をつけることが望ましいのかどうか、これはまだこの席で責任のあるお答えはできませんが、しかし、いまもうすでにあります農地法、これはもう農村に対する耕地の問題でございますが、こういうもの、あるいは今後予定されるだろう都市計画法その他のものが相互に関連を持ち、均衡を持ち、調整のとれたこういうものでなきゃならぬことは、これはもう御指摘のとおりでございますから、今後いろいろ法律を、対策を立てるにいたしましても、相互に均衡のとれた、調整のとれた、また方針が荷にならないような、そういう方向で立案してまいるつもりでございます。
  41. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 そこで私は、いままでの法律、法規そのほかを見ると、どうしても土地の法自体、体系的に統一されて出ていないのじゃないか、そういうふうに考えるわけなんですが、先ほども田中委員が触れられておりました、国有の問題に触れられておったのですが、統一的な、土地に対する法制的な考えといいますか、理念といいますか、いわゆる土地の私有権というものは、憲法に言われているように、公共福祉だけを強くすれば、その前には消えてしまうというような考え方なのか。あるいは経済閣僚懇談会が四十年の八月にやっておりますけれども、その中では地価が上がった、その利益は所有者の個人に帰するべきものではない、所有者が持っていたから上がった分もあるけれども、それ以外の公共の利用によって、公共性によって上がった分は、そういうのは公共に帰すべきであるというような考え方がある。あるいは瀬戸山構想ということが前に出たことがございますけれども、そういう瀬戸山構想の中から見ますと、土地利用あるいは土地の所有権そのものが、どこまでも公共的なほうに強いという考え方になってくる。そこで、一体総理としては、土地は最終的に一体どこに帰属すべきものなのか。そこのところがぐらぐらしておりますと、すべての法律の運用もうまくいかないわけでありますが、最終的には一体だれに帰属をすべきものなのか。欧米法のように国そのものにあるという基本的な考えがあれば、収用する場合も、また土地を取得する場合も、補償という制度だけが大きく浮かび上がってくるわけでありますが、わが国の場合には、売買ということが一番大きく上がってくるわけであります。その点のところの考え方というか、その基本はどちらに立っていらっしゃるか。まだあいまいな感じを受けるわけでありますが。
  42. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) これはなかなかむずかしいことですが、これはいま所有権と公共との調整をはかる、こういう表現をいたしております。しかも、この考え方は、やはり時勢の要請でまた中身も変わってくるということを申しておりますから、なかなかわかりにくい観念だと、御指摘になるのはこれは当然だと思います。しかし、私はこういう事柄が時代とともにみんなの良識によって納得されるという、そういう時期が来るんじゃないか、かように思います。ことにこの土地というものは、新しく造成するにいたしましても、これは限りがあるのであります。この土地自身がやはり都市の場合、都会の場合だと、この土地の利用自身が環境にも影響してくるし、都市の発展にも影響してくる、かように考えますから、これは個人的なものではあるが、同時にそういう意味の拘束を受ける。これはしかたがないんじゃないかと思います。しかし、いなかの場合において、あるいは河川改修道路その他で収用されるとか、いろいろ制限を受けるとか、こういうことはありますけれども、多くの場合に、いなかの場合は自然にほうっておいてもよろしい。そういうところで所有権を否定すると、こういうようなわけにはいかないんじゃないかと私は思います。やはりみんな国民が納得いく良識のある処置、それが望ましいのだと思っております。
  43. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 そうすると、所有権の規制というものは強化される方向に大体向かっていくと、こういうふうにとってよろしいですか。
  44. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) これは所有権の中身が規制される方向だと、必ずしもそうもいかないんじゃないかと思います。私は、規制されてたいへん都合のいい場合もある。たとえばいま都市開発でぜひ高度利用しろ、こういうことを言っております。いままでは、やはり都市の都会でも平面に使うというような考え方を持ってきております。しかし、これはこれからだんだん進んでくると、五階以上の建物にひとつ変えろというようなことを言うかもわからない。しかしそういう場合に、それは非常に侵害を受けるかというと、侵害じゃなくてその利用度を高めると、かようにも思うのでありまして、必ずしも意には満たないかもしれませんが、やはりその効用を発揮する、こういう意味では、所有者も協力すべきじゃないか、かように私は思います。だから何か制限をつける、それが所有者の意のままにならない、こういうわがままな利用、そういうばかりではないんじゃないか。やはり土地としての効用、利用を高める、こういうことで協力あるべきだと、かように私は考えております。
  45. 藤田進

    委員長藤田進君) 最後にしてください。
  46. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 じゃあ一ぺんにまとめて二つ、最後だそうですから。  一つは、今度の千葉の国際新空港の問題でありますが、それについては、この改正案は適用しないということを運輸省が発表しているようなんです。その点総理はどうお考えになっていらっしゃるかということが一つ。  いま一つ、これは災害の問題でございますが、今回の災害のことです。実は関東にもやってくるという予報がありました。私も午前の十二時半ごろから態勢に入ったのですけれども、電話をかけましても、土木部長も来ていない。関東地建だけは何とか動いていたようですが、ほかの府県で、洪水や災害のおそれがあるというのに、集中豪雨があるというのに、百ミリまだ降りませんから私は出勤しないというような部長があったわけです。何かそういう災害が起きてから対策本部をつくるのもよくわかるのですが、それ以前にも警戒態勢というものを厳にしいておかなければ、いざというときに間に合わないわけです。しかし実際問題、今回私が二時ごろ電話をかけても、全然土木部長も出ていなければ係員もいない、留守であるという県庁もありました。その点は、これは災害が起きてからの措置はあるとしましても、起きる前の警戒態勢というものをひかなければならぬ。私はその点は厳重にやっていただきたいと思います。その点はいかがですか。以上二点。
  47. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いまのこの段階、まだ法律ができない段階でどういうことを申しておりますか、今回は使わないと、これはたいへんけっこうなことかと、かように思いますが、私、鉄道当局からの実際の話は聞いておりません。りっぱな法律ができて特に話し合いを原則にすると、そういうたてまえが望ましいこと、またこれは田中君にも先ほどお答えしたとおりでありますから、しかしその法律を一部で絶対に使わないと言い切れるのかどうか、ずいぶん私は大胆な話をしておるなと、こういうふうに実はいま聞いたのであります。  それから第二の問題は警戒態勢、これはもちろん御指摘のとおりでありまして、これはよく徹底するように、行政官庁はもちろんのことですが、自治体の協力も得るように、積極的にこういう点では連絡をとるつもりであります。きょうもこういう点で話が出ておりますが、たとえば天気予報、気象台のほうの通報、これはなかなか地方の協力を得ないといかぬ。いまの状態だけでは、予測、予想がなかなか立ちかねる、こういう点もありますが、それにいたしましても、積極的に地方の各機関がこの予報に協力すれば、いまよりもやや改善されるんじゃないかと思います。こういう点では、協力体制をつくろうと、きょうも話し合ったばかりであります。したがいまして、いま御指摘になりましたような地方の行政機関、さらにまた各自治体ともに災害の警戒について一そう協力するように、努力するように注意いたします。
  48. 春日正一

    ○春日正一君 私は時間が限られておりますので、総理のほうから限られてきたんですけれども、それで基本的な問題だけ二つあるいは三つお聞きしたいと思うのですけれども、現在土地収用法あるいは各種の計画法とか整備法とかいうことで、土地の収用が大規模に行なわれているわけですけれども、こういうものの中には憲法二十九条三項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と、この明文に明白に違反するものが、そういうものが多分に行なわれておると思います。第一に、公共性の拡大解釈によるこの収用権の乱用ですね、これがあると思います。それで、土地収用法三条あるいは各種の計画法、整理法なんかによる強制収用の対象になる事業ですね、これを分類してみると、第一にまあ電力、私鉄、ガス会社というような純然たる営利会社の事業のために収用ができるということになっている。それから第二番目は、工業用水道、下水あるいは工業団地の造成、高速自動車道路というような主として大資本の利益のために使われる事業、こういう事業に対する収用がある。それから第三番目が米軍及び自衛隊の基地の関係ですね。そうして四番目に学校、公園、公営住宅、一般道路その他直接人民大衆の利用に供するような事業がある。大体分類してみるとこういうことなんですね。そうすると、この最後の項目を除けば、軍事基地はこれは論外として、収用の目的と効果が、主として大資本の営利を助けるものであって憲法十三条の公共の福祉とか、二十九条の公共性というものに当たらない。特に私鉄、電力、ガス会社なんかですね。純然たる営利会社の事業のために人民の土地を強制的に収用するということは、営利会社が取り上げるわけてすから、これはどう考えたって、憲法のたてまえから見て絶対に許されないものである。そういう意味でこういう不当なもの、いままであげたような、こういうものは土地収用の対象事業から排除して、土地の収用の対象事業というものを、厳格に人民大衆の共同の利益に奉仕するものということに制限する必要があると思う。そう思いますけれども、総理はどう考えますか。
  49. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) ちょっと春日君の説に賛成いたしかねます。
  50. 春日正一

    ○春日正一君 まあ賛成いたしかねますということは、いま出ておる土地収用法も、結局独占資本のための大きな財産をつくるために零細な土地所有を収奪する、それを政府が手伝ってやるということだと思います。時間切れるから逃げようと思っても、それは速記録読んでみれば総理の腹はわかるんだから。  そこで、第二点に入ります。第二点は土地の収用、買収にあたって正当な補償が行なわれていない。憲法二十九条三項では、正当な補償ということを公共用地の取得の前提条件にしておる。この正当な補償の基準について、総理は一体どう考えておいでになるか。続けて私は聞きます、時間が足りないから。これが一つ。  それから、実際には不動産に対する金銭補償ということが主であって、生活補償とか営業補償というものはきわめて限られておる。つけ足りみたいなものになっている。その結果、零細な土地所有者、その土地の上で営業を営み、あるいは生活しておって、ほかに何にも持ってないような人たち、こういう人たち、あるいは借地人とか借家人なんか、一番経済的に弱い人たちが一番大きな打撃を受けております。土地収用によって生活基盤を破壊され、困難な状態に落とされた人たちが、少なからずあります。こういう人たちは、無理なことを言っているんじゃない。先ほど、ごね得の話もありましたけれども、きょうの生活があすもできるようにしてほしいと、こういうことを言っているだけですわ。ところが、実際にはそれのできるような補償がされないというところに、問題があると思います。公共事業のための土地収用にあたっては、被収用者の生活、営業を含めて収用前の状態を維持できるだけの十分な補償をする、これが憲法の精神でもあろうし、政府の責任でもあろうと思う。この点どうですか。
  51. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 先ほどの第一問に対して、私の答弁、たいへんそっけない答弁いたしましたが、私は先ほど言われました、たとえば電気あるいはガス、こういうものは公共の福祉に合致するものだと、かように私は考えておるのであります。もしも個人の生活から電灯がなくなった、そのことを考えれば、これはたいへんな逆コースをいくものだと、かように考えますので、電気会社あるいはガス会社、なるほど大きな事業者ではございますが、こういうものにもやはりこの権利を与えていいんじゃないか、この点を私言わないで、春日君の説に賛成しないと、あんまりぶつきら棒に言いましたから、こういう点を私はもう一度考え直していただきたい。いわゆる事業、まあ共産党の言われる大事業ばかりに私どもは奉仕するものじゃない、また、そういう立場でなければ公共の福祉、共同の利益は守れない、かように思いますので、この点は先ほどの答弁について肉づけをしておきます。  そこで第二の問題として、正当な補償が払われていない、こういうことであります。今度の土地収用法では、やはり正当な補償、そのもとにおいて私権が保護される。だから、したがいまして正当な補償の請求権というものは、今回ははっきり持つわけであります。これは別に大きな地主だけではございません。小さな地主も同様に正当な補償請求権があるということで、十分これは保護されるのであります。また、ただいま御指摘になりました営業補償あるいは生活補償等も、その場所がいままでの小さくても企業のよりどころであるとか、あるいは生活の本拠である、こういう場合においてはもちろん考えなければならないと思います。また借地人、借家人等の権利の保護されることも、これは当然であります。私はそういう意味で、ぜひ春日君にもこういう点が、せっかく個人所有を承認してその所有権を保護しょうというお考えに立っておられるのですから、この上ともひとつまんべんなく土地収用で幸不幸のない、不幸を見ないようにひとつりっぱに運用をするように御協力願いたいと思います。
  52. 春日正一

    ○春日正一君 いま総理は、電力とかそういうものがなかったら国民えらい迷惑する、非常に公共性があるということを言われましたね。しかし公共性ということになれば、とうふ屋でも八百屋でも、まあ特殊なトルコぶろとかそういった特殊なものを除けば、現在営業として成り立っておるものは、みんな公共性があるから成り立っているのです。ただとうふ屋は日本国中一つに独占してなくてばらばらだ。電力は独占している、製鉄は独占しているというところに問題がある。だから公共性があるからといって、公共性のあるものを私的企業が私的企業を収奪するということは、これは道理から言っても許されない。しかも、ただいま総理の言うように、電力は、全国一度にぱちっと消えるような重大な影響を持つものである。あるいは私鉄にしてもガスにしても、非常に大きな公共性を持つものだとするならば、なぜそれを私的経営の利潤追及にまかされているか。この問題を解決せずに、公共性があるから収用していいということは、これは独占資本を擁護する論議ですよ。その点の矛盾、どう考えますか。
  53. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 電力国営論になりますと、またちょっと議論が横へそれるようですから、国営化しろというような、そういう事業者、これは必要な公共性の高い事業である、かように御理解願いたい。まさかとうふ屋を国営化しろということはおっしゃるまいと思いますが、これは一つの社会の通念だ、常識だと御理解願いたいと思います。
  54. 藤田進

    委員長藤田進君) これにて暫時休憩いたします。    午後零時三十九分休憩      —————・—————    午後一時四十五分開会
  55. 藤田進

    委員長藤田進君) ただいまから委員会を再開いたします。  午前に引き続き、土地収用法の一部を改正する法律案及び土地収用法の一部を改正する法律施行法案を一括して議題とし、参考人より意見を聴取し、質疑を行ないます。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中にもかかわらず、特に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。ただいま本委員会におきまして審査中の両法案につきまして、忌憚のない御意見をお聞かせいただきたいと存じております。  委員会の進め方といたしましては、まず最初に参考人の方からお一人約十五分ないし二十分程度で御意見をお述べいただき、その後委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  まず、飯沼参考人からお願い申し上げます。
  56. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 飯沼でございます。  今日、土地収用法等の改正案につきまして……
  57. 藤田進

    委員長藤田進君) どうぞおすわりのままで……。
  58. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) それでは失礼いたします。  意見を述べるようにということで御招集いただきました。あまり御参考になることも申し上げかねるかと存じますが、私従来、建設大臣の諮問機関であります公共用地審議会、それから宅地審議会等の審議会に関係をいたしておりまして、その審議会における会議の間で、このたび収用法改正案に盛られておりますような問題につきまして、たびたび建設省のほうに意見を申し上げておりたわけでございまして、今回建設省から御提出になっております法律内容、その審議会等における委員の方々の意見の線に沿いまして案ができておるように思われますので、私どもとしては、この法律が一日も早く成立いたしますことを希望いたしておるわけでございます。  で、今回の土地収用法の改正、いろいろございますが、そのうち一番大きな問題は、何と申しましても損失補償の額を決定するには、収用委員会の裁決のときの時価によって見積もるようにということが、現行法のたてまえでございますが、従来、そのやり方につきましては、私ども大きな疑問を持っておりまして、私、東京都の収用委員会のほうにも関係いたしておりますが、予ての裁決をするたびごとに、今日の制度がいかにも不合理であるということを始終感じさせられておったわけでございます。御承知のとおり、日本における地価の値上がりというものは、非常に急激な勢いで上がっております。そうして公共事業の多くはそう簡単になかなかできるような小さな仕事でありませんので、道路にいたしましても、あるいはまた東京における団地の造成等、数年の時日をかけて初めてこれが完成するというようなわけで、初めに用地の交渉をいたしました人と、それからだんだん仕事が進んでまいりまして、付近の地価がしたがって上がってくる、その上がった地価で終わりのほうになりますと補償額を計算しなければならぬというようなことで、きわめてこれは不公平なやり方と言わざるを得ないと思うのでありまして、できることならば、何とかこれを公平な算定のしかたに改める方法はないものかということを、いろいろの審議会等において私ども研究をしてまいったことでございます。このたび建設省で事業認定の告示のときの価格によって補償額をきめるということに改めようとしておられますことは、まことに私はけっこうなことだと思います。被収用者——収用される人の間に不公平をなくすることができるということがこの改正案の一つの利点であろうと思います。  それから第二には、多額の公の費用を投じて施行いたします公共事業、道路にしましてもあるいはまた住宅、団地開発にいたしましても、その事業の結果、その付近の地価が上がっていく。開発利益と申しますか、起業利益と申しますか、そういうものが出てきます。出てくるのでありますが、それを今日の収用法では土地の所有者が労せずしてそれをふところに入れることができる。土地の所有者がそれを独占してしまう。これは私は世の中の制度といたしまして、決して適当なものではない。やはりそういう開発利益は、起業者に還元せらるべきものである、こういう立場からいたしまして、今回の事業認定の告示のときの価格によるという方法は、現行の制度よりも、はるかに合理的な方法であるということを私は考えるわけでございます。  それから第三に、このように、事業認定の告示のときの価格によって補償額を算定するということにいたしますと、私は、この結果、事業の促進に役立つのではないかということを考えます。いままではとかく土地を収用されるほうは、大体人情としまして喜んでおるわけではないのでありまして、できるならば、何とかいろいろ理由を述べましてぐずぐずと、ことばは悪いかもしれませんが、引き延ばす方法を講ずる。引き延ばしさえずれば、決して土地所有者は損はいたしません。引き延ばせば引き延ばすほど、事業がおくれますと、土地は値上がりをするわけでありますから。どうも今日の制度では、そういうような点からも事業が引き延ばされがちになりはしないか、そういう欠点をこのたびの改正案は補うことができる。それを改めることができる。こういうようないろいろ利点が、今回の改正案にはあるように思われます。これが一番大きな今回の改正案の問題となる点でありますが、そういうような意味から、私はこの事業認定の告示のときの価格、原則としてこれでいくという方法が、現行制度よりもはるかに合理的な方法であるということを考えます。  それからその次にちょっと目につきます問題点は、土地細目公告手続というものをこのたび廃止されて、事業認定の手続にこれを合併されたということ、それからまた、現行法では協議が不調であるとかあるいは不能であるということでなければ、裁決申請をすることができなかったのでありますが、今回の改正案ではその制度をやめられて、別に協議不調とかあるいは協議不能ということがなくても裁決申請ができる道が開かれたのでありまして、これは一つには手続の簡捷と申しますか、手続をむだを省いて必要なものだけにとどめるという意味から申しまして、この二つの制度、土地細目公告手続の廃止それから協議、現在の法律四十条でありますかの協議を廃止されたこと、これも私はそういう意味でけっこうだと思います。とかくいろいろの公共事業がおくれておるということが、世間の非難のあるところでありまして、できるならば世の中の進歩におくれないように、土地収用の手続も迅速に敏速に行なわれることが必要であると思われますが、そういう点から申しまして、これらの手続を廃止されたことを私はけっこうだと思います。ことにこの現行法が協議の不調または不能ということがなければ裁決申請ができないということは、一方、この土地所有者の側から申しますと、引き延ばしにこれが非常に利用されておる、悪用されておる。まだわれわれは協議をしたいのだと言いながら、なかなか、しかし用地係の人が参りましても協議がととのわない。いつまでもそういう状態が続きます結果、裁決申請がおくれるということで、今日まで用地問題の片づかない原因が、一つは私はそこにあったんじゃないかと思うのでありまして、そういう意味から申しまして、これらの手続が廃止されたこと、これも私はけっこうだと思います。  ただ、ここで注意しなければなりませんことは、何かいかにもこういうような改正をして、そうして土地所有者に対して不親切になるではないかという、また法律を運用しますほうでも、法律がこうなっておるからこれでいいんだというような考えを間違って起こさせてはならないということを考えます。起業者のほうとしましては、どこまでも懇切丁寧に、十分にその事業の内容説明しまして、そうして納得を得て、できるならば話し合いで問題を片づけるということが必要なのでありまして、そうでありませんでも、とかく土地所有者の側としましては、いかにもお役所が不親切だと、十分な説明もしないというようなことを思いがちでありますから、そういうことがないように、この法律をこういうふうに改正するについては、一そうお役所のほうで起業者に対して注意をされる必要があるのではないかと思います。収用委員会等におきまして、よく起業者と土地所有者両方来てもらいまして話し合いをしてもらうのでありますが、土地所有者の側におきましては、お役所へなかなか出かけていくということがおっくうでありまして、また、説明を聞こうと思っても、なかなか聞かれないという点があると思います。起業者もしくは役所の側としては、親切に十分に話をして、できるならば納得をしてもらった上で用地問題を解決するということが一番必要なことだと思います。これは、このたびの法律改正に伴って、ひとつこの運用の面で建設省のほうの御当局にお願いしておきたいと思うところでございます。  とかく役所といいますか、起業者といいますか、それと土地所有者の間双方にお互いに不信感があるということが、用地問題をこじらせる一つの大きな原因になっているように思います。土地所有者の側から申しますと、十分な説明を聞こうと思っても、なかなかしてもらえない。また交渉に来る人が、来るたびごとに変わっている、言うことが違うというような不満の声を聞くのでありますが、この点は、このたびの法律改正に伴って、一そう御当局においてその点を御注意いただくことをお願いいたしたいと思います。これが第二の点でございます。  それから第三の問題、このたびは、この改正によりますと、権利取得裁決とそれから明け渡し裁決、二つこう分離されているようであります。これは、最初の補償金額算定の方法の改正等に伴って、それに伴って土地所有者の権利保護の必要のためにかような制度がとられたことと思いますが、これもけっこうなことであります。けっこうなことでありますが、ただ懸念せられますことは、かような改正によりまして、収用委員会がたいへんに忙しくなるのではなかろうか。これはまあやってみなければわからんことでありますけれども、収用委員会の仕事が非常にふえるのではなかろうか。そうして、現在の組織のもとでは、はたして十分にできるだろうかどうだろうかということを、私ども懸念をいたします。これらの点についてはひとつ将来、建設省におかれましてお考えを願いたいところでございます。  東京都の実情を申し上げますと、大体今日、四十一年は七十二件の件数を処理いたしております。おそらくことしも、四十二年も同様であろうと思います。月曜、木曜、一週二日、この委員会を開いて処理いたしているようなわけでありますが、ほかの府県も、近ごろは非常に件数が多くなっていることだろうと思いますけれども、これ以上仕事が多くなりました場合に、はたして今日のような、件数がわずかであったことを予想されてできておりますいまの収用委員会の制度というものでやっていけるかどうかということについて、私は多少の懸念なきを得ないような状態でございます。  だいぶ時間がたちますので、大体私の申し上げたいと思いますことは、以上のような点でございまして、なおまたお尋ねによりまして私の考えを申し上げさせていただきます。
  59. 藤田進

    委員長藤田進君) ありがとうございました。  続いて清水参考人にお願いいたします。
  60. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 清水でございます。本日は、国会のこういう席上で私見を述べる機会を得ましたことをたいへん光栄に思って参りました。とは申しましても、急に呼び出されましたので、十分条文をまだ勉強してないのでありますが、改正のねらいというようなものについては、大体理解しているものでありますが、それから派生する非常にこまかい問題、それから技術的な問題については、一切触れないことにいたしまして、この改正案の背景となった理論的な根拠というか、地主とは何であるか、私権とは何であるかとか、土地の補償とはどういうことなのかといったような、現在の土地問題の核心に触れたような問題点について、私の私見を述べさしていただきたいと思うのであります。  話が変わりますけれども、一昨日の集中豪雨は明らかに私はあれは土地問題である。東京付近における宅地災害について、私はすぐ飛んでいって調へて——一昨年の川崎の灰津波は、確実に地価の暴騰に対する地主の欲ばり、そういうものが殺人を犯した。今回の遠因を考えますと、地価が暴騰する、そしてそのあばれた地価に対して宅地開発しなければならない。その逃げ惑って山に上がり傾斜地に上がる、そして国土を変容しておるわけであります。平野がまだないわけではないにもかかわらず、山へ山へ上がって国土の自然を変化さしている。それに対して河川改修をやろうとしても、やはり地主の私権があって自由にできない。その狂った力が狂った開発を誘発し、そしてその自然のバランスをくずし、ここに狂った事態を起こすのである、こういうふうに考えまして、私はこういうものの遠因には土地問題が横たわっている。つまり土地問題が、すでに殺人的様相を呈しているというような問題意識をもって土地問題を考えておるわけであります。結論的に申しますと、この改正案には賛成であります。非常に私はなまぬるい、非常に地主に遠慮している、まだまだ弱いと思うんですけれども。私の理念からすれば、もっと早くこういう問題が国会において決定されていなければならないやつを、おそきに失したとは言いながらも、完ぺきを期すということはできませんので、一歩前進して土地問題解決への一つの橋頭塗であると考えるのであります。  第二点は、従来の旧法と比較しますとどこが違うのかと申しますと、前のほうは地主の利益というものを中心的に考えている。だから近隣の、近傍地の取引価格に相当な価格でこれを補償するとか、相当な価格で補償するというようなことが書いてあるわけですね。これではごね得は当然起こるわけであります。ところが、今度の改正は起業者側に立っているということであります。公共の利益を中心に考えておる。この意味でつまり地主サイドであるか起業者サイドで収用法ができているかという点では、一歩前進だと思います。  それで、いま問題になるのは七十一条から三条にかかる裁決時から事業認定時に変わったということであります。この時間的なズレをここでとめたということなんであります。つまり時間的要素というものが「時は金なり」であって、地主には非常に有利になり、この時間的観念をここにつけ加えてとめたということなんであります。ところが、この条文を見ますと、やはりまだ「相当な価格」というような字句を使っておりますし、その後の物価の変動による修正を加えるといったような、何か骨抜きのようなものがついておるわけですね。これではごね得が入る余地がまだ十分あるように思われます。改正したように見えても、やはりまだ羊頭狗肉のようなところがあるのではないかと思って、非常に私は国民の立場から見ればこれはまだ不十分だ、まだまだ地主に遠慮をしている。いかにして地主の権利を守ろうかということが顔を出しておるわけですが、その精神を否定しない限りは、土地問題は絶対に解決しないというのが私の考えであります。で、ごね得を否定する、つまり社会的な不公平があってはならないから、正直者がばかをするような社会はいけないということで、ごね得を取り除くのだというわけで、今度の改正ができたと思いますけれども、ごね得を解消するだけではいけないのであります。むしろごね損となるような制度に積極的にすべきだと思うのであります。つまり、公共のために自分ががんばっているというようなことによって、他人の幸福を奪っている、個人の欲ばりというようなもので他人の幸福を奪っていいものだろうか。その社会的責任を、むしろごね得なんというものでなくて、ごね損になるのだ、そうでなければならないと思うのであります。庶民が税金を納めるようなとき、それを滞納すれば必ず追徴金を取られる。マイナスになる。そのように反社会的な行動をとった人は、ごね損になるというような積極的なものであってほしかったわけであります。  その次に、今度この改正案の成立によって犠牲者があるかどうか、被害者があるかどうか。私はゼロだと考えます。だれもいないのだ。もしその犠牲者とは何かというならば、もうけそこなうということが犠牲者ならば、そういう人はいます。もうけそこなうわけです、期待的な大きな価格に対してもうけそこなうということが被害者と言うならば、被害者と言ってもいいわけですが、この法律の一番最初に損失補償の規定と書いてあります。なぜそれが損失になるのであるか。犠牲とは何であるか。少しも犠牲になっていないわけであります。つまりこれは周辺地価がどんどん上がる、先に売った者が損をするじゃないかというような、つまりもうけそこないは相対的な被害であって、絶対的な被害者ではないわけであります。したがって、いままで土地を収用されたがゆえに致命的にどん底に追い落とされたような運命を招くかどうかであります。こういうことを聞かないのであります。なぜそれでは損失ではないかと申しますと、私は地価というものが、いま世界最大に日本は高いのだということが第一点であります。その次は、その地価というものを生み出したものが何かと申せば、それは自分の努力ではないわけであります。したがって、損失ということは考えられないわけであります。外国を回ってきた人、あるいは外国の学者が日本の土地を見て二度びっくりするわけです。それは地価が世界一高い、こんな国はない。それならば地価に対する政府相当手を打っているはずだと思ったが、全く無策であります。つまり二度びっくりするわけです。最南に高くて、世界一高くて、地価に対して何らの手を打ってない。地価だけが先に進むから、日本は地価先進国である。それだけは言えるのです。国家は国民と土地によって成り立っている。その国家の意思が、主権が国土に及んでいない国は珍しいと思うのであります。国民の代表たる、主権たる国家が、国土に何の力も持てないような国はきわめて珍しいのであります。日本では土地の上に地主という王様、そして領主がある、主権者がある。それは地主になっておるわけですね。国家は手を出せない。日本ほど政治が土地地主に侮辱されている国家はないと思うのであります。変な言い方をすれば、国家がなめられている姿はないと思うのであります。国家は、国土というものは日本の土地であっても国家の土地ではない。戦前は国家が土地を上から押えていた。戦後は国家が力が弱くなったから、地主が前面に出てきまして、国家よりも高い神聖で犯すべからざる地位を占めてしまった。そして政治とは、土地を治める者が天下を制する時代であることは明らかであります。水でもない、道でもない、土地を治める者、国土を治める者が天下を制する。政治とは土地をいかに治めるかということでありますけれども、いまの日本の政治には、土地を全然治めてないという意味で、国政はあってなきがごときだと思うのであります。国が社会のためになる土地を収用しようとしても、その一つですら満足に収用できないような国では、これは国家がないと同じであります。だから、この収用法の目的は、その精神に沿って巻き返した国土への主体性の確立であります。それは権力でないかと言われますが、それは戦前のような時代には、権力かもしれませんけれども、民主主義の現代、国民の選んだ国家というものは、政府というものは自分たちのあれですから権力ではない。こういう意味で、国民の主体であるこの国が土地に手を出せるという一つのワン・ステップであると思って私は賛成であります。  次に、国民の財産を強権で取り上げるのはもってのほかだという意見がありますけれども、一体国民とは何であるか。国民とは大多数の人を国民と言うべきであります。ところが、地主というものを調べてみますと、国民の五%であります。そして土地のないほうの国民がいまや九五%であります。東京なんかの場合四%であります。政治とは、最大多数の最大幸福のために働くことなのでありますから、土地問題は、土地を持たない国民のために土地制度は考えられるべきだと思うのであります。従来の土地制度は、とにかく、なぜ地主をそんなに保護しなきゃならないのか。一生懸命で地主の保護というだけを考えるかという逆に私は問いたいのでありますけれども、なぜそれほど地主を保護しなきゃならないのか。それは、明治時代には保護しなきゃならなかった理由があるわけです。それで富国強兵でやって、それで日本が強くなったわけでありますから、いまじゃ地主を保護するということが国家のためにそれほどなるかということなのであります。時代が変わっているわけであります。そして、いままでの土地行政というものは、土地を持っている人の利益をいかに保護するかに、国がいろいろな行政、法務省みんな協力している。土地を持たない人の利益をだれも保護していない。このままでいきますと、土地を持っている有利な国民はいよいよ有利になり、土地を持たない国民はいよいよ不利になってしまうんじゃないかと思うのであります。現在地価は十年前からいたしますと、十年前に私の計算では、国民の、国としての所有地を除くと二十兆円ぐらいあった。それが十年後の現在二百兆円になっております。つまり百八十兆円はどこから生まれたか、物価とは比較にならないほどの上昇をしております。それは地主の財産を不当に増加させたわけであります。これがインフレやいろいろなものを、外国に輸出することができないものがただふわっと上がって、それによって百八十兆円生まれて、それがだれかに入っている。したがって、地主はどえらい財産の膨脹を来たしておるわけであります。それを国家が今度は収用する場合に、国民の税金をもって収用する。そしてこれらの開発をすれば、開発の利益がそちらに収奪されるというふうにして、二重、三重の利益にあずかれるわけであります。収用ということが地主の権利を奪うのなら、それが国の権力の乱用であるかどうか、そういう意見がありますけれども、なぜ地主を守らなきゃならないのか。その反対側でいわゆる国民というものが、大多数の国民が苦しめられている。一握りの地主の財産を守るために、何十万、何百万の全国民が家がないということになるわけであります。  そこで、土地所有とは一体何かということを考えてみますと、宿命的に二つの国民に分けられてしまっているわけでございます。地主階層と非地主階層、同じ国民でありながら、土地を持った人と持たざる人は、きわめて偶然の結果なのであります。努力した結果土地を持つようになったわけではないわけであります。「用意どん」で出発して、一方はなまけてそういう階層に落ちたならばともかくとして、全然なまけたのではない。そういう体制がそうさせたのである。むしろ現在はなまけているほうが土地を持って、使わないで、なまけて何にもつくらない、荒らしづくりでもやっているほうが大金持ちになるという逆の現象が生まれてきたわけであります。つまり、土地というものは、基本的に不平等で出発しているという、ここに問題があると思うのです。私はそれを、土地所有の不平等起源説と言っておりますけれども、基本的に不平等で出発しちゃったんだ。だから国家はこれを公平に配分する役割りがあるのじゃないか。だんだんとそれを国民大多数が幸福になるようにそれを持っていく、それが民主主義じゃないかと思うのであります。いますぐ取れというのじゃなくて、本質的にそういう出発をしちゃったというところに問題があるわけであります。  そこで本法律の施行によって、この問題は土地を取り上げるとかというようなことが出てくるわけでありますから、土地問題とは何であるかということを、どうしてもみんなが考えなくちゃならなくなってきたわけであります。地主とは何であるか。私権とは何であるか。これが私権を束縛することになるのだろうかといったような、この法律というものが出るということによって、この土地問題の基本的理念を考える一つの問題点が与えられた国民も国家も、官民一体となって土地とは何であるかということをどうしても考えなければ、こういう法律は出ないわけですね。あとで附帯決議があるように、そういうことを次々にやらなければならないとすれば、ここに土地理念、土地哲学というものが全面的に出てこなければいけない。  そこで、私が考えるところの土地理念というのは、次のような四つのことを提示すればすぐわかると思います。土地とは何かというその次は、土地は何のためにそこに存在したのかということなのであります。次は土地の私権とは何か。第四番目には地価とは何かであります。こういうことを突き詰めていけば、子供にでもわかると思うのであります。  つまり、土地とは何かといったならば、それは国土の一部である。不動産である前にそれは国土なのであります。個人の財産である前に国家の財産である。ところが、日本ではもう初めから土地といわないで不動産というのですね。不動産というものが最初にあるはずはないのです。国土があって土地がある。その一部が不動産になる。したがって、不動産研究をやるその前に土地研究をやるべきである。また不動産鑑定評価制度があるが、これも土地鑑定評価と考えるべきだ。ランドプライスを評価するのでなく、ランドバリューを評価すべきであって、初めから土地は不動の財産であるという見方をとっているから混乱するわけです。外国ではそういう不動産ということばはないわけであります。不動産ということばが当てはまるならば、それは国家だけだと思うのです、国家は永遠ですから。それは国家にとっては不動の財産であるけれども、個人は次々に死んでいくから、不動の財産であったら、これはもう成り立たないわけであります。  次に、土地は何のためにそこに存在するか。それは私は利用するために存在するのだと思うのであります。利用によって初めて国富が増大する。土地というものは財産のために存在するのではないわけであります。財産を確保したり、個人の富の保持のために、それが所有されるためにそこに存在したのじゃないという前提で、あとでいう土地利用論というものが出るわけであります。  次に、土地の私権とは何か。土地の上の価値というものは、すべてそれを所有している人のものであるかどうか。現在は千円の土地が一万円にたちまちなります。それを全部個人分として国家が守ろうとする。ところが、それはほとんどが社会分なのであります。個人分は一、社会分は九、ほとんど不労所得であります。それを一生懸命で守らなければならないということはあり得ないわけであります。憲法でもって私権を守ると書いてありますけれども、憲法の中に土地が私権であるとはどこにも書いてないわけであります。国土、国民、国家で成り立っている、日本の国家でありながら、ランドという字も、国土という字も一つも出てこないで、憲法二十九条にこつ然として、私有財産は守るんだと書いてある。どうして土地が私有財産なのかということには、全然結びついていないわけであります。  それから、地価とは何かと申せば、いま言ったような、ほとんどが不労所得で成り立っているので、ほとんどが虚栄の、幻想の価格なのであります。ランドバリューではないのです。ランドバリューというのは、その土地の真なる価値だと思うのですね。それを利用して国家が発展する価値である。それに対して欲ばりだとか、投機だとか、さまざまなものが入ったランドバリューを地価といっている。それで近傍地が実際に売られている。だからそれに従った公正な値段というようなことがあってはならないと思うのであります。地価形成のメカニズムを見ますと、もう経済合理性は全然働いておりません。需給均衡の法則ではないという意味で、私は商品ではないと思っているわけであります。もし商品ならば、需要が全くなければ下がるはずですけれども、現在需要がゼロなのにかかわらず、地価はどんどん上がっております。たとえば駅前のようなところは、需要が全然ないわけであります。羽島駅でも何でも、全然需要がないにもかかわらず地価は上がっている。供給が加われば地価は下がるかといったら、埋め立てをどんどんやっている千葉県のこっちのほうは、供給を幾らやっても上がる一方なのであります。つまり商品ではない。商品でないものがなぜ売られているか。これは売買されているのじゃなくて、譲渡だけで、譲るか譲らないかというだけの話であります。供給すれば地価が下がるという見解から、政府は一世帯一住宅、大量供給すれば下がるのだと考えておるのですけれども、一世帯一住宅のために何億坪の土地が必要なんです。その土地を一体どうやって……供給する前にまず需要が起こるわけですね。だれか持っておる人から譲ってもらわなければならないというので、供給するということは、つまり需要を起こすということですから、結局、供給するということはあり得ないわけでございます。一体、供給し終わってしまえば、それじゃ下がるかといえば、これは貯金通帳ですから、貯金通帳は下がりっこないのです。売るために元来日本の土地というものは、みんなに持たせたものではないのですから下がらない。したがって、こういうことばがあります。いま売るばかはもらいが少ない。つまり、いま売っては損だという観点なんであります。どんどん上がる。こんなばかげて上がることはないわけであります。したがって、いま売るばかはない、もらいが少ない。土地所有者のこじき根性がある限りは、得というのは当然あるわけです。そういうものは日本の土地態勢というものが、時代が変化しておるにもかかわらず、態勢が全然くずれていないのです。ばかであろうと何であろうと、土地を持っているならば……土地に国民が執着するのは当然であります。  こういうわけで、結論的には、やはり私権を制限する、その私権とは何かというと、決して私権ではないわけであります。千円のものが一万円になった。その九千円の分、それを取り上げるとしたときに、それは私権であるはずはないわけであります。結局は、地主というものをどう考えるか、土地所有者というものを今後どう考えるか、その核心をつかない限りは、土地問題は絶対に解決しないと思うのであります。それで基本的には、この地主というものをつかなければいけないにもかかわらず、地主を全然つかないで、そのまわりでワーワー言っているのが、現在までの制度だと思うのであります。それでたとえば開発者、起業者、鉄道、公団が高い土地を買って——買うことは庶民にしわ寄せられます。そうして近郊に住宅公団がつくり、あるいは都営住宅をつくり、そんなものがきたら学校を建てなければいけない、ごみ処理をしなければならない、たいへんだ、団地はごめんだ。この辺でけんかしておるのは、みんな被害者なんです。学校を建てるために高い土地をまた買わされてしまう。そこで自治体は政府に向かって、起債をふやせ、補償金をふやせ、政府は何をまごまごしているのだということになる。政府政府でもって、上からは今度宅地造成規制法だとか市街地造成法だとか規制している。だれもこれに手をつけないわけです。みんなまわりをうろうろしているのです。国は何をしているかといったら、法務省は五%の地主をいかに守るか、つまり全国民は大部分は非地主である、地主以外はどろぼうであるという考え方からいって守っておるわけです。だから、そこに入り込めばそれはどろぼうにされてしまう。どんな反社会的な行為をしても、とにかく厚く守られている。税務署は、ほかのものがそのまま評価するのに、実際よりずっと低く評価される。なぜ地主はそんなにかわいがらなければならないのかという問題なのであります。いまや数万円の近郊ひばりが丘の土地が、市が何かやるときには固定資産税の評価は千円ぐらいです。そうしてそれを今度買収にいくと八万円だ、こういう矛盾がある。税務署がこれを保護している。したがってこの問題は地主の問題であって、自治体なんかが財政を圧迫するというような問題も、組織体が非常に貧乏するのです。ところがだれが得をするかといえば、地元は全然困らない。地価総額はたいへんな上がり方で、地主と市長なり市会議員なりがみんな得をしている。あるいはまた組織体になると、学校がきて困るのだ、団地がきて困るのだと言いながら、個人はもうかっているわけです。個人がお金持ちになって組織が貧乏になるという、だから全部被害者なんです。被害者であるから、加害者をつかなければだめだと思う。そこで私たちは、地主とは何であるか、いまのような明治時代のままでいいのかどうか。現在の日本の国民の八〇%は昭和生まれになっている。明治は五%、大正が一五%。大体明治的な制度やいろいろなものがあってずっと支配されている。そこに何か割り切れないものがあるのであります。  そこで、私は土地所有には三つの義務を課さなければいけない。義務がなくてただ土地を所有されているから問題が起こるのだと思う。その三つの義務は、納税の義務と収用の義務、利用の義務だと思うのであります。納税をする義務——土地を持つには納税の義務、それから収用権に応ずる義務と利用の義務であります。こういう義務という観念が全然なくて、ただ土地とは財産として所有すべきものであると、したがって土地は利用されたがっている。ところが所有がそれを拒んでいる。利用と所有との戦いが、現在の土地問題であると思うのであります。この狭い国土で土地を持つということは、非常なたいへんな責任を持たなければならぬことだと思うのであります。一般商品を持つのと違って、テレビや電気洗たく機を持つのと違って、それがほかの人に迷惑をかけるという、反社会的なことになってしまうと、殺人を犯す機会もあるというわけでありますから、商品とは違うわけでありますから、特別な責任体制をとる。その利用の義務が完備しておりさえずれば、これはたとえば市街地開発地域だときめられて、それを農地のままにしておけば、それは非計画的な未利用であるから、その責任を何かで果たさなければいけない。それで未利用税をかける意味が出てくるわけであります。空閑地のままころがしておく。不在地主にしておく。ほったらかしておいてもいいのだ、法務省が守ってくれるのだというような者には、これは空閑地税をどんどんかけるべきであります。五十坪ぐらいの宅地はいいけれども、一千坪や二千坪の宅地を持つ者には、ぜいたく税を取るべきである。全部の国民が五十坪くらいの土地を持って、それで初めて健康的な生活ができるという中で、私は憲法の中に平均宅地権というものがあってもいいと思うのであります。これは国土の一〜二%で足ります。国民二千万世帯がみなこの宅地を持ってもです。現実はほとんどの国民が土地に足をつけてないわけであります。だから、それを千坪持ちたがれば、累進的にその責任を果たして持てばいいわけです。規模的な累進税。それから長く遊ばしておけば遊ばしておくほど金を取られる、税金が高くなるといったような利用の義務ということが一本筋が入れば、利用してないで長い時間遊ばしているという土地は、時間的、空間的な累進課税というものによってどんどん流通を始めます。いま売るばかというような考え方は出てこないわけであります。  ところが、この法令によって収用されると、収用されなかった人は今度は利益を得てしまう。こういう不平等に対しては、開発利益の調整という意味で土地増価税とかといったようなものを取るとか、次から次へとそういう手を打たなければならないわけでありますけれども、これに対して土地についていろいろ国家が手を出されるのは憲法違反だというならば、米価をなぜ規定しておくのか。米価というとつくの昔もっと自由化していいと思うものを、こちらのほうは不自由化しておいて、土地のほうだけを、もっと先に不自由化しなければならないものを自由化しているわけであります。米価審議会以上にこの地価審議会が必要である。現在でとめられるべきだといったら、つまり現在でストップをかける。ストップをかけますとだれが損をするのか、得をするか。損をする者はだれもいない。もうけそこなう人はありますけれども、損をする人はいない。そういう手が打てないということは、それは国民にとっては理解に苦しむわけであります。  私は十年以内に土地問題は解決すると見ております。どういう点で解決するか。それは土地の強権発動か土地の革命だと思うのであります。この点、政府は何らかの手を打たなければ——いま戦後のベビーブームで大ぜいの青年が大学の門をくぐっておりますが、彼らは住宅難だといって、いろいろなそういう階層の青年が学校にくるのに、二時間も三時間もかけなければ都心に通えない。土地は幾らでもあいている。その不平等というものをまのあたりに見たときに、彼らは何をするかわからないと思うのであります。つまり十年もこのままにしておいて無限に地価が上がっていったならば、必ず革命が起こるのじゃないか。革命が起こらないまでも、何党が天下をとっても政府被害者になる。予算さえふやせば住宅問題は解決するのじゃなくして、土地をふやさなければ住宅問題は解決するわけではないのですから、結局何党が天下をとっても、土地に対しては強権発動以外にないのであります。それを蛮勇というのかどうか、私は当然のことだと思うのであります。  以上によって、私はこの法案には賛成でありますが、非常にまだ弱いと思うのであります。しかし、いま言ったような土地の問題を真剣に考えざるを得ない。そういう意味で、これはまだ未熟な法案でありますけれども、その突破口になるのじゃないか。そういう意味で附帯決議がたくさんついているようなことは、どうしてもやらなければならない、やらざるを得ないようなところに追い込められていくという意味で、私は賛成であります。  以上、失礼いたしました。
  61. 藤田進

    委員長藤田進君) 以上で、参考人の方々からの意見の陳述は終わりました。  これより参考人の方々の御意見に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  62. 田中一

    田中一君 飯沼さんね、あなたこの収用された近傍の土地の価値の騰貴という、収用された土地の近傍の隣地の値上がりというものに対しては、清水さんは開発利益の税金取れということを言っている。あなたはどういう考えなんですか、それに対して。
  63. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 私はいまお話の土地に生じました利益は、これはやはりあるいは税制の面において、あるいは受益者負担という負担金の制度を活用しまして、当然一定の負担をかけるべきものだと、そういうように考えております。
  64. 田中一

    田中一君 道路法には、たしか受益者負担の制度があったように記憶しておるのですが、今日まで道路法で、いわゆる道路ができたために受益者の負担金を取った例は、いままでありますかね。
  65. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 私、道路法のことはよく承知いたしませんが、同じ規定が都市計画法にございます。都市計画法の受益者負担は昭和の、あるいは大正の末かもしれませんが、この間の戦争前まではたいへんたくさん適用されまして、あるいは道路でありますとか、あるいは河川、公園、運河、最も特異な例としましては大阪の地下鉄、あれなどにも都市計画法による受益者負担の規定を活用しまして負担金を取っておりました。たくさんございます、内務省令でその規定をつくりまして。終戦後になりましてどういう理由か私よくわかりませんが、多くのものが廃止されまして、まあ下水道でありますとか、あるいは埋め立て等についてある程度適用されておるかと思いますけれども、今日までまだあまり戦前ほどは活用されておらないようであります。私はやはりそういう規定がせっかくあるのですから、これを適用なすったらいかがかと思っておるわけでございますが、ただ、なかなかどういう利益を得ておるかというようなことの認定がむずかしい、こういうお考えがあるようであります。むろん、これはむずかしい問題でありますけれども、しかし、その取ることがきわめて合理的な方法でありますから、むずかしいものは私は研究をしていただいて、妥当なところでひとつ取っていただいたらどうだろうか。ことにこういうような制度が、収用法の改正ができた以上は、その点についてもお考えを願うべきものではなかろうかと考えております。
  66. 田中一

    田中一君 現在東京都で取られている都市計画税、あれはやはり一種の受益者負担税なんですか。
  67. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 都市計画税は、あれは私は税金だと思います。受益者負担というのは負担金、また別な法律上の系統に属する制度だと思います。税でありますれば、もう住民一般から取る。用途ももっと広いものに使える。しかし、負担金となりますと、道路の負担金ならばその道路工事だけ、そして道路工事の費用以上に取ってはいけない、かける人は特別な人だけ、こういうことになりますから、あれは私は都市計画税は都市計画税、負担金はまた別な負担金の系統でいくべきものだと考えております。
  68. 田中一

    田中一君 かりに道路、受益者負担というものを取るとしてもですね、自分はそこに農耕をやってるんであって、道路を何にも利用いたしませんと、また道路があるために、自分の農地が排気ガスその他でいためられて損失ですというような場合にも、そうしたことがかりに取られるとすればですね、これは道路の受益者負担という面から見て、逆に道路をつくったために、自分の作物の補償をくれというケースもあろうかと思います。そういう点はどうお考えになりますか。
  69. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) お話のとおりだと思います。昔からそういう議論がございます。かえってほこりを立てられて、周辺の農地にとっては受益じゃなくて受損だというような話をよく聞きます。そこで、私ども考えますのは、それは市街地とすべき場所か、あるいは農地としてそこに置くべき場所かということを、まずきめなければならない。そこで、私ども宅地審議会では、土地の利用計画というものをまずおきめなさい。そして、市街化すべき区域、市街化すべからざる区域、はっきり区別をつけて、市街化すべからざる区域ならば、これは周辺が農地でありますから、当然受益者負担の問題にはならない。市街化すべき地域において、初めて市街地道路としての受益者負担を課したらいいのではなかろうか。まずその前提が今日できておらないというように考えております。
  70. 田中一

    田中一君 清水さん、いまの同じケースですが、かりに隣地が宅地化されたと。で、価値ということばを言ったらいいのか、価値の変動があったと、時価のね。自分は、その隣地の人が売らなけりゃ価値の実在じゃないんです。売らなければ、移動しなければ、そこの、お前さんが売れば必ず利益があるんだからということにはならぬと思います。売った場合に、その譲渡——あんたは譲渡ということばを使った。譲渡した場合に、その価値の変動があった場合には、その変わった分に対してだけは一定の税金として払えということなんでしょうね。移動しない、価値づけられない物体というものに対して、冗談じゃないぞということになつちゃ困るわけです。その点はどうなんですか。
  71. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 地主といってもいろいろあるわけですね。農業地主もあれば、庶民が五十坪の家に住んでいるという地主もあれば、それから投機のためにたいへんな土地を持っている地主、不在地主のような、そういうようなものを、ある程度勘案しなければいかぬと思うんです。だれでも宅地としては五十坪くらいは無税であると、幾ら土地が上がったって、それから逃がれ出るようなことができない人、そういう場合には財産があるようなないような、そういうように地主を各階層別に分けなきゃならないと思います。
  72. 田中一

    田中一君 これはお二人とも賛成だ、賛成だと言っておりますけれども、賛成だという、賛成を表明する立場が、まあたとえば飯沼さんは東京都収用委員会の委員長でしたね、あれは。
  73. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 会長です。
  74. 田中一

    田中一君 ああ、会長ですか。それから、清水さんは土地問題ではずいぶん相当御研究なすっていらっしゃる。そういう立場で、図解されたように、地主がすべてのトラブルのもとだということをおっしゃっている。だから、この土地は少なくとも公共の福祉のためには提供しなきゃならないのだという憲法上の原則をおっしゃっておるけれども、この日本の国土全部が国家のものに置きかえられる、いわゆる公共物に置きかえられるということならば、これはもう清水さんにすればわが意を得たりですね。当然これは公共の福祉のために、民族のためにこれは当然奉仕しなきゃならないのが、まあいま現在言われているところの私有権というものだ、ということが憲法の原則であるならばですよ、これを国有にしたらばいいじゃないかというような議論にも発展すると思うのですが、その点どうですか。
  75. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 必ずしもそうではないのです。みんな国有にしてしまえばいいじゃないかということを言っているわけじゃないのです。つまり、個人が持っていても国家のためになるわけなんですね。何となれば、利用すればですよ。それを有効に農地なら農地として有効に使っているという前提に立てば、みんながその立場に立って使っている、それは家として使っているとかですね。そうでなくて、ただそれを財産として持つようなことはいけないのだという考え方なんであります。したがいまして、いますぐそれを取り上げるよりも、取り上げて国家が、いまの十分でない国家の態勢でこれを国有にしたからつて、だれが一体利用するのかということなんです。だれも利用する人がないわけなんですね。そうでなくて、みんなに使用させておくということは、競争的に利用するという前提があるからみんなに分け与えておくのである。そういう意味で、私は国有論より、ひとつちょっと手前の重利用論というか、重利用責任論というのを出したいのであります。
  76. 田中一

    田中一君 飯沼さんね、この法律には、補償という問題の場合にね、近傍類地の価格を考慮するということになっていますがね。この近傍類地の価格というのは一ぺん移動しなければ、その価格は一方的にだれかが認定するにとどまるわけですね、だれかが。立証されないわけです。土地を持っているけれども、それはまあ売買——と言うと、商品じゃないと清水さんにしかられるかもしれないけれども、譲渡されなければ価格が確実に握れませんね、その価値が幾らあるのかということが。けれども、一方的に推定される、動かない土地ですよ。それこそは長く持っている土地も、これこれの価値だといって価値づけられるというわけですね、一方的にですよ、収用する場合にですね。これはどうも不当ではないか。そのものの価値ではなくて、やはり近傍類地の同型のものを考慮しながら、その価値をきめなさいということになると、その基準はどこに持ってこようというのですか、近傍類地というものの基準を。
  77. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) ちょっとお尋ねの趣旨がわかりませんが、客観的にある土地の評価ができるかどうかという、こういうお尋ねでしょうか。
  78. 田中一

    田中一君 じゃちょっともう一ぺん。たとえば山に道路をつくる、そうすると土地は、まあ何といいますか、課税標準価格というものを税務署持っているわけです。課税標準価格というものは一方的にこれはきめられていることなんですよ。税務署が、お前の持っているこの山林は幾らの価値なんだといってきめているのです。これは考慮の余地がないです、かってにきめるわけですから。これをもって、その価値だという判断をするのか。あるいは、そこから十キロばかり離れているところに、何というのか、何かちょっと利用しているところがある、何かに利用しているところがある。その課税標準価格の——だれかがきめる価格ですね、これは利用しているから、その利用の利潤分だけは高いのだ、というきめ方をするのか。とにかく土地の価格というものは、先ほど清水さん言っているように、利用の価値なんですね。これは私も同感なんです。利用の価値なんです。所有の価値じゃないのです。利用の価値なんです。利用の価値しかないというなら、その山にも立木がはえている。その立木は、三十年たつと、もうこれはとらなければ、これは伸びていく。そうすると何メートルの大木になるからこれは幾ら幾らの価格だ——。どこかで金銭に換金する形のきめ方をしなければ、その価値が発見できないわけですね。それが、隣のどこかの山をだれかが買った、幾らで売ったのだ、立木は別にして土地だけ買ったというなら、一つの標準ができますね。そういう場合に、どういうものを、どれをもって近傍類地の価格というのか。近傍類地の価格というのか、それをひとつ収用委員会として見る場合。それが一つ。  もう一つはね、いわゆる土地の所有権に対して、われわれはもう所有権というものは非常に弱いものだ。ゼロじゃないですよ。日本の制度としては、所有権に対して税金を取るのですからね。税金はやっぱり土地から生み出した利潤というものを見合いながらやるのだ。だから、利潤がない、何にも。遊ばしておくのだというなら、それだけ損失なんですよ、地主は。利用しないからこれは損失なんです。これも日本の資本主義社会、それから高度成長なんてうまいことばでつられて、黙っておれば、税金を払っていれば、十年たてば税金の百倍くらいになるだろうという期待でもつて持っている人が多いと思う。しかも、これを悪人ときめつけてはおかしいと思う。したがって、利用と所有と、これの価値づけの比率というものですね。これはどのくらいにお考えになっておるか。その二つ伺いたい。
  79. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) たいへんむずかしい御質問ですけれども、個人同士の間で売買する場合に、どういう値段で取引をするかということは、これはもうめいめいの自由です。別にそれに対してだれも強制もしくは拘束しない。ただ、それを収用という場合になりますと、結局は収用委員会が値段をきめます。ただ、きめるにつきましては、一方において、近ごろ鑑定評価の制度がだいぶむずかしくなりまして、鑑定士というものの鑑定を経なければならぬことになっておりますから、むろん鑑定も頼みます。それから一方において、固定資産税なりあるいは相続税等の課税標準というものも参考にいたします。それから一般の世評、それから売買実例、そういうようなものを参考にいたしまして、収用委員会としては値段をきめるわけでございます。ただこれが、そのまあ神様でありませんから、はたして適当かどうかということは、これはわかりません。あるいは間違った裁決をするかもしれませんけれども、そういう場合には、さらに裁判所のほうに提訴をしてもらいまして、そうして再審査をしてもらうという道が開かれておるわけでございます。実際の問題としては、そういうようなことになっております。
  80. 田中一

    田中一君 もう一つのほうは……。土地のね、所有の価値と利用の価値を、現時点で都会地なりね、農地なり何なりという……。
  81. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) ちょっとそれはむずかしい問題で、私どうも御質問の趣旨もはっきりいたしませんし、なお詳しく何らかの機会にひとつお伺いしまして……。
  82. 田中一

    田中一君 たとえばね、底地権とかそれから借地権、底地権と借地権というのは、——そこを利用している、建築が建っている。その場合に、底地権というのは全体の価値、片っ方は、一人の底地権者は、何にも、ただ貸しているにすぎない、賃料取って。けれども、借地権持っている人は、利用しているわけです。そうすると、その土地全体の価値の比率は——配分だ、利用分と底地の所有との価値の配分は、どの辺でどのくらいなのかという、これはいまあなたやっているじゃありませんか、東京都で盛んに。そういうのは、大体常識的にどういう辺で押えておるのですか。
  83. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) そういうお尋ねならば、お話のとおり、毎日やっていることでございます。まあ大体の傾向として、商業地、銀座その他ああいうようなところでは、借地権の割合のほうがまあある場合八割とか、場合によっては九割ぐらいのところまでいくかもしれません。それから郊外の住宅地みたいのところでまあ半々でございましょうか。あるいは商業地と逆の場合もあるかもしれません。しかし、いずれにしましても、収用委員会としてはっきりした何か基準があるわけではございません。この割合は、原則としては、やはり所有者と借地権者との話し合いできまるものならばきめてもらって差しつかえない、こういう態度をとっております。
  84. 田中一

    田中一君 もうそういうね、うるさい——あなたも神さまでないから自信がないと。神さまだって知りゃしませんよ。利用の価値なんというものは、利用する者が正直に言って初めてわかるものです。税務署だってたいていごまかしていますよ。利用している価値がどのくらいあるからといって、税務署は比率できまずから公平ですよ。だからわからぬのだから、裁判をやったって裁判官だってわかりゃしないということになるかもしれない。真実を言わない限りはわからない。だから、これは結局、土地収用委員会なり裁判でもってものをきめるというケースを五十例ぐらいつくると、裁判における判例と同じようにつくると、飯沼さん、あなた楽になるわけですよ。五十例ぐらい、ダムはどこどこと、三つか四つこうきめる。道路。いろんなケースバイケースでつくるわけです、判決例を。そうすると国民も、ははーんこれは五年争って結局あれか、そうすると自分のところはこうだからプラスアルファつくだろう、あるいはマイナス幾らになるだろうということで納得つくわけです。そういう形で、午前中も総理に向かって、全部収用委員会に持ち込んで、収用委員会の裁決を受け、不服な場合にはこれを裁判を受け、そうして最後の決着をつける例を、ケースを、これを五十例ぐらいお出しなさい。そうすればおのずから国民は納得しますということを言ったわけです。まあ一番最後まで抵抗する者に対して、これを執行するのがということを言っておりました。私はそうは見ない。結局国民がもう抵抗しなくなる。公共の福祉のためには、全部提供する気持ちになる。それには正当な補償——どれが正当だかわからぬから抵抗するわけですね。そういうことにすれば、飯沼さん、あなた楽になりますよ。どこでもいい。私はそう思う。そうしてね、これを午前中に総理に聞いたのですが、結局公共事業、公共事業でまあ三条の三十幾つか業種ありますね、事業種類があるわけです。この人たちがみんな、自分が推定するうちの買収価格を予算という形で持っているわけです。みんな持っているのです。予算という形で持っているから、どうしてもそれを買収に当たる場合ですよ、その自分の持っている予算というものを一歩も出ないわけです。出れば、あんなものはけしからぬ、あんなものは使いものにならぬとしかられるから、それを守りながら買収交渉をするわけなんですよ。だから、そういう収用委員会に五十例でも百例でも判決例的なものが公表されれば、これはもう収用委員会に対する信頼うんと強くなります。そんなめんどうなことをするよりも、再建の道をはかるからあれならいいだろうということで、金をもらって再建に取りかかるということになると思う。その親切が足りない。そして常に、この収用法を適用さすとあなた損をしますよ、ということを言外にほのめかしながらやっているのが現状なんです。そういう点でも、全部収用委員会で相当の数のものをかけたらいいじゃないかという私の議論に対して、どう考えますか。
  85. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) お話ごもっともな点もございます。どうもお互いに土地が必要だという人と、それから売りたくないという人の交渉は、とかくどうも何といいますか、円滑に進まない。むしろ公平な第三者が間に立って、そして問題を片つけたほうがやりいいことは、これは私はお話のとおりだと思います。ただしかし、そういうことになりますと、収用委員会は今日は都道府県ごとにありますが、その収用委員会が府県内のこういう用地関係の問題を全部引き受けなければならぬことになるのではないかと思うのでありまして、そうなりますと、どうも今日の行政の組織では、ちょっとむずかしいのじゃなかろうか。これを全部立てかえまして、そういう用地係は全部収用委員会に集めてしまって、そして収用委員会がその両者の間の話し合いを取り持つというようなことになりますれば、これはたいへん私は話としてはスムーズにいくのではないかというふうに考えます。
  86. 田中一

    田中一君 清水さん、まあ憲法の上においては、あなた指摘しているように、二十九条には、私有財産というものは土地だとか書いておらぬとおっしゃるが、民法の二百六条には「所有者ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ有ス」という文句です。二百七条に、「土地ノ所有権ハ法令ノ制限内ニ於テ其土地ノ上下ニ及フ」とする私有財産的な条分があるわけですよ、で、おっしゃるとおりこれ以外にはどこにもない。民法の上にもどこの上にも土地が財産だと、私有財産だということの規定は、日本の法律のどこにもないのです。民法二百三条だけにそれらしき痕跡を認めるというようなものがあるのでありまして、これはまあ非常におかしな問題です。そこで、固定資産税というものは——いま固定資産税、昔は地租と言ってましたね、地租というものが、われわれは税というものの一番初めのものだというふうに聞いておるのですがね、地租というものは明治維新から始まったのかいつだったかは、ぼくはよくわからぬけれども、そういうように見られておるんですが、そこで、土地の国有だなんて言っておる、前段でこう言っておりますけれども、そこで再三再四土地収用法の改正によって……、これは土地収用法でしょう、土地ですよ。こんなに土地がほしいならば所有権というものは全部国が持ちなさいということになったほうがいいんではないか、ただ、そのかわり利用権というものを別に設定するということなんです。利用権を設定する、したがって利用税というもの取らなければなりませんよ、税金取りたがっている社会だから。そしてその地目を変更する場合、一ぺん所有権者に戻すわけですよ、その利用権だけ返ってくる。移動する場合には一ぺん移動の権利というものは、所有の権利は国に戻るわけですね。そこで、まあいままで財産権的な価値を持っておった通念があるこの土地のことですから、その目的変更の場合、この場合それに対するところの売り方買い方——売り方にならないが、利用者のまたその再利用者といいますか、この間に、資本主義社会だからその価値の変動というものに対して税を取るなり、あるいはやむを得ず利用権を放棄しなければならぬというものに対する対価、正しい対価があるならば、求められるならば、それが与えられるという方法はどうですか。
  87. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 国がそれほどまでにして土地をなぜほしがるのかということなんですけれども、現代の社会は農木国の日本から都市工業的な日本に大きく移り変わっているわけです。そのために、国土の革命的な変貌を必要としますので、土地需要は非常に高いわけであります。それでは全国土が必要かと申しますと、ほんのわずかでいいわけなんです。それは日本に農地が六百万ヘクタールありますが、今後二十年間にどれほどの土地がそのために必要かと申しますと、私の計算では五十万ヘクタールあれば足りるわけです。今後二十年間どれほど開発すればいいかというと、これは農地のわずか八・三%にしかすぎないのです。したがって、全国土を国が持つ必要はないわけです。その八・三%の中に民間の宅地も入っているわけなんです。二十年後に農地のわずか八%あれば、ほんのわずかでいいわけです。しかしそれをとろうと努力すると、これは八%の土地が上がれば、あとの九〇%は一斉に上がるというこの矛盾なんです。したがって、あとの価値というものは幻想の価値なんですね。したがって、将来ほんとうに実質需要というものと供給量を整理してみると、ほとんどがみんなこれは幻想であるということに気づくわけです。そういうわけですから、ほんのわずかをとれば何とかなるわけですから、国有にまずする必要はなくて、大部分はみんなに持たしておいて、みんなに大いに利用させるという別な制度が必要なんであります。私は地主を悪人のように言いましたけれども、地主は決して悪人にしているわけではないのであります。地主がものすごくこりこうに働いているから、こんなに地価が上がったかというと、そうではないわけですね。手をつないで地価値上げ運動をやっているわけではない。なぜこうなったかというと、それは時代が変化しているにもかかわらず、その土地体制というもの自体が昔のままになっているという、地主を非常に保護するという前提、それによって国家が成り立っていた時代のままになっていて、そういう土地制度の矛盾をそのままにしておけば、これはどんなにばかな地主でも億万長者になれるという体制自体が悪いので、地主が悪いわけではない。したがって、その体制をそのままに放置しておいた国家というものが、なぜそれを、このくらいになることは十年、二十年前にわかるわけですね、こういう体制にしておけば必ずそうなる、それを何らの手を打たなかった国の怠慢だと思うのでございます。したがって、これは個人で幾ら努力してもできない、各地方自治体で幾ら努力してもできない。もちろん、そのできない問題を、国政で次元の高いところのものでもって早くやるべきだ、こういうわけであります。したがって、これは体制の変化ですから、いまの田中先生の言われたようなさまざまの借地権だとか利用権だとか、いろいろありますけれども、そういうもろもろのものがすでに過去のものなんです。われわれが都会に住んで地代を払わなければならないというのは、小作料を取られているわけです。何のために取られているのかということは、考えてみれば明らかであります。そういうものを一応整理して、そうして新しい基準というものを出す、出さなければ土地収用委員会に何回かけても、じゃ土地収用委員会あるいは裁判所に訴えても、裁判所は何を基準にして裁判するかといったら、いままでの法律制度によってやるからやっぱりだめです。だから裁判所の基準は、とにかく国が出さなければならないと思います。そういう意味で次から次へと収用の制度とかそういうものは出すべきじゃないかというのが私の考えです。
  88. 田中一

    田中一君 イギリスも二、三年前から二度にわたって部分的国有化をはかりました。これは成功したようです。それじゃ、結局昨年の国会でしたか、例の正しい価格で買い上げて分配した農地解放事件、これに対する農地報償という形で昨年ばく大もない金を出しましたね。あれなんかあなた御承知だと思いますが、そのように日本の土地というものは、政治に悪用されている。けれども、善良な地主がいるわけです。善良な地主が抵抗するというこの姿を、いま今度の改正の中にあらゆる手続を省略して、いち早くとにかくその土地を取得するのだという方法に改正される法律案に、あなたが賛成するのはおかしいと思う、実は。ただその中で清水さん、それならば、もし賛成するならば、金を、予算というものを持たないでやったっていいと思う。自分で買いつけるのはおかしいのです。事務を執行するものがこれは売買です。何も標準はないのです。売買は買い値と売り値ではいつもぴたっと合うのは少ない。これは資本主義社会ですから、いまは。ですからもうけてもいいんです。そのかわりもうけたら税金を払う。これはお客様ですよ、政府には。だからことしなんかでも四、五千億の自然増と言われております。だからお客様ですよ。  そこで最後に私があなたに伺いたいのは、さっき飯沼さんに申し上げたような収用委員会の制度というものを活用することです。活用して、国民に収用法というのは——これは法律ができた当時は保護法ですよ。それは反動的に戦前の明治二十二年にできた収用法、そのうち二十何年かに変わった。これは飯沼さん御承知のように、あの当時のああした強権的な取り方をした。ことに戦時というものはひどい。それから見た場合には、非常に民主的に変わったものであって、保護法的な性格を持っておったと思う。逐次収用の強権的な色彩を帯びてきたという現時点で、何かもっとひとつ、国民がこの法律を信頼するということになる方法が発見できないでしょうか。これは飯沼さんと清水さんに両方伺いたいんです。さもなければ、これは飯沼さんもかつての法律はこうだった、今度は事業者のほうに立ってものをごらんになるからそうなるだろう。善良な被収用者もいるんです。これに対してやっぱりその権益、これは露骨に権益と言っちゃ、そんなものはないと言うかもしれないけれども、何かそこに納得させるような方法、あるいは精神というものが出ないかどうか。ひとつお二方に伺います。
  89. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 田中さんは今度の改正が何といいますか、一時民主的な法律であったものが逆戻りするものであるかのようなお話でございましたが、私どもは決してそう考えておりません。戦後にできました収用法の民主的な精神、土地の所有者を十分保護していこうという精神においては、少しも変わっておらぬというふうに考えます。ですから、この手続は、この忙しい世の中ですから、むだを省いて能率をあげるようにということを心がくべきことであろうと思いますけれども、しかし、運用にあたってはどこまでも懇切に、丁寧に、できるならば両者納得の上で仕事が運ぶようにということを心がけていくべきものだろうと思うのであります。私どもの、先ほども収用委員会の会長なるがゆえにこれに賛成するんだというようなお話がございましたが、収用委員会は決して起業者本位のものではございません。同時に、所有者のことも十分考えまして裁決をしておるようなわけでございます。常に私ども感ずることでございますけれども、収用法にかけて収用される人には、私はいつもお気の毒だと考えております。せっかく落ちついて商売をし、住宅を設けて子供を教育して落ちついているところへ、にわかに道路ができる、住宅が団地になるということでそこを追い払われなきゃならぬ、これは私はできるならば、そういうことのない行政が行なわれるべきでなかろうかと思うのでありますが、それはまあ収用法だけの問題じゃありませんで、国つくり全体の問題、収用法などを適用しなくてもいいような町づくり、国づくりがまず私は考えられなきゃならぬ問題だと思っておるわけでございます。私どもも、収用委員会に関係いたしまして事件を扱ってまいります上では、いま田中さんお話のとおり、国民を十分安堵させるような方法というものを考えたいつもりでございます。精神が変わったとは、私ども決して考えておりません。
  90. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 田中さんは、この改正が後退というような見方をしておりますけれども、私は先ほどみたような観点から非常に前進であると、突破口になると、それに対して国民のほうから取り上げる……、その国民ということを、私の立場では全国民の立場をとっておるわけなんです。つまり国民の立場から発言しておるわけなんです。つまり大多数の国民のために幸福になることを考えておるから、一部善良なる地主といってもほんのわずかなんであります。それじゃ切り捨てごめんでいいかというと、そういうことはいけないのですけれども、一部の国民から取り上げるという、その国民は二束三文で取り上げられるわけじゃないのです。十分、日本の農地というものは五百円ぐらいが正当なのを三千円ぐらいは平気で、近郊では何万円になっておる。そしてごね得をする、全然損失補償というものはどこを探してもないわけなんです。私にいわせれば損失補償なんということはないわけです。そういう意味で地価を安定させるというようなことが絶対必要だと思うのであります。私は日本の現代の政治、現代の社会でもって狂ったことが二つあると、一つは土地のあばれようですね、狂った地価である。それでなぜ政府が農地報償とかそういうことをやるのか、そういうのは結局もう一つの大きな狂い——狂った選挙があるから……。狂った選挙で国民が選挙しても正当に国民の意思が反映しないという、農村と都市とは人口が逆転しておるわけです。過密化速度が逆転しておる。人口は、普通だったら政治の勢力分野においてもそうなるべきが全然逆転しておる。過密化速度が全然逆転しておる。狂った選挙から、私は国を訴えたこともありますけれども、それを直さなければだめなんですね、それを訴えても。そうすると、裁判所は、それは、法律がだめだといって訴えてみたって、その法律は国会がつくるんじゃないか、おまえたち、国会の選び方が悪い。その選ぶことが、初めから三割捨てて国民の意思が国会に反映するような前提に立つ国会でいいのかどうか。結局、私は国会の問題だと思う。狂った選挙と狂った地価、この二つがあると思うのであります。
  91. 春日正一

    ○春日正一君 飯沼さんの話を聞いていますと、ずっと、幾つか理由をあげて説明されたのですけれども、収用するほうから見れば、早く、安く、取り上げられるきわめてけっこうな改正だということになるわけですけれども、収用されるほう、取られるほうから見れば、これは文句なしに、いやおうなしに、取り上げられると、苦情の言いようもないようにされるということになると思うのですが、それで、あなたは、実際、収用委員会の仕事をやっておいでのようですけれども、いわゆる土地収用のための補償の基準といいますか、どういう立場で補償という問題を考えておいでになるか。
  92. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) ただいまの御質問、この法律の改正の結果、何といいますか、非常に土地所有者にとって不利になるのではないか、こういう御心配のように伺いましたが、私はそう考えません。いずれにしましても、ある事業が公共の事業として事業認定を受けてしまえば、事業認定を受ければ、どうしてもその仕事は、これはやらなければならない。それに必要な土地は、売買なり、あるいは収用なりで公共事業のために出してもらわなければならない、今度は。その点については、いままでと変わりないわけです。それから、値段の点は、それは現行法では、だんだん時日がたってきまして、二年なり、三年なりたちますれば、最初のときよりは、時期ズレで、値段が上がってまいります。ですから、それと今度の問題とを比べますと、それは金額は少ないかもしれません。少ないかもしれませんが、しかし、早く補償金をもらって、早くあとの方法を考えることができる。いままでのように、収用の裁決のときまで待って、非常に高い値上がりをした金額で補償金を払う。金額においては、それは今度のほうが少ないかもしれません。しかし、事業認定のときの価格で、なるべく早く補償金額を手に入れることができるわけでありますから、それでそのあとの生活なり、営業の方策を立ててもらうことができるようになった、こういう趣旨でございますね。それで、その時期ズレによる地価の値上がりですね。これは、やはり、その人が自分のふところに入れるべきものではなくて、一般の公共のために、それは還元すべきものだ、こういう一つの大原則があると思うのでありまして、それに従うという点においては、私は、今度の改正案のほうがいいのではないか、こういうふうに考えるのであります。
  93. 春日正一

    ○春日正一君 その点、早く金をもらって、早く越して行けるというのですけれども、実際上、ごね得——ごね得ということを言いますけれども、そういう人も若干あるかもしれない。しかし、実際は、私ども知っている例で言えば、得をしようと思ってごねているのじゃなくて、そこにとにかく生活の基盤がある。わずかな土地の上に、店を出して商売している。それがよそへ移って行って、同じようにやっていけるかということになると、そこで補償されたものだけではやっていけない。たとえば近傍類地の価格というようなことをいってきめたとしても、そのときに近傍類地の価格で取り上げられたとしても、道路ができるなり、鉄道ができるなり、いろいろそういうものができて、そうしてそれで土地を取り上げられない人たちは値上がりでもうかるでしょう。しかし、取り上げられた人は、そこで金をもらって、近傍類地の金でよその土地を買おうと思っても、土地がもう上がっていて、その金ではもとの坪数だけ買えない、幾らでもたくさん例があるのですよ。だから、何とかいまやっている生活程度をよそへ行ってもやれる、そういうふうにしてくれるように、また皆金をもうけようとは思っていないのです。きょうの生活があすもできるようにしてくれと言っている。ところが、それによって、近傍類地の価格でもってあるいは値段がきまっていて、不動産に対してはこうだ、収用権に対してはこうだ、借地借家に対してはこうだという基準がきまっており、その基準で実際、放り出されていくというようなことになるから、必死になってしがみつくという現象が出るのだと思うのですね。だから、やはりその点では収用の基準を私は聞きましたけれども、考え方が何かこの値段が、相場がこれだけだから、これで取っていいのだろうと言いますけれども、土地売買業者なら、これは時価で売って損得なしにいけるのだということになるけれども、売るための土地ではなくて、そこに住んでいて、生活していく土地なんですね、これは。そこに住んで営業している土地なんです。だから、ただ地価がこれだけだといっても、私は、地価がそれだけになったから、売ろうと思っていないし、売ったら困ると思ってる、それを取るわけなんだから。そうすると、近傍類地の平均価格ということで一方的に押しつけられると、必ずひどい打撃を受ける人がある。現に、方々のダムで土地を取られたとか、あるいは道路で土地を取られ、農地を取られて、百姓ができなくなって非常に困難しているという人も少からず知っている。だからそういう問題ですね、これを十分に、憲法でいう補償ですね、あれがもうけるという意味じゃなくて、生活を破壊されない、そういう意味での補償ということが前提になってやられないから、問題が起こるのです。それが一つ問題になるのじゃないかという点ですね。  それからもう一つは、土地の値上がりという問題ですね。これは放っておいても上がるのですよ、放っておいても。事実、私のところの地主さんなんか七百反くらい持っているけれども、これは放っておいても上がるのですね、どんどん。そういうことで、それは土地収用を受ける人がねばるから上がるという問題ではなく、放っておいても上がるような仕組みになって上がっている。そういうときに収用されるところだけその時点において釘づけをしてしまうということになれば、不当な被害を受けるような結果になりはしないか、その辺どうですか。
  94. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) いろいろ問題があるようでありますが、取られる人だけが何というか、損をして、そのまわりの人は値上がりで、値上がりを自分の利益にすることができる、不公平ではないかという御質問ですが、これは先ほども申し上げましたとおり、将来、税制の上なりあるいはまた受益者負担金制度の活用によって是正していくべきものだと思います。  それから、収用される人が、その近所で同じような商売を始めようと思っても、もらった補償金ではとてもできないというようなお話、これは、そういう事例はわれわれは始終、見聞するところでございますが、自分がいままで住んでおったところ道路のために収用される、その近所でまた新しく店を持ちたいと思うけれども持てない。それはどんどん道路工事のためにその付近の土地は値が上がっている、とてももらう補償金では買えない、こういうことは事実たくさんあるようであります。しかし、さればといって、この収用によって収用される人が、いままでより以上の財産を持ち得るということもちょっとおかしなことではないかと思うのです。結局やはり補償金額を見積もる方法としましては、現在その人が持っておる財産がどれだけの値打ちがあるかということを鑑定し、従来の売買の実例等を参考にしまして、そうしてきめていくよりほかどうもしかたないのではないか。もちろんお話の御心配の点については、これはひとり収用法だけの問題ではなしに、一般の行政の問題として生活再建の方法を都道府県において心配をしてやる、あるいはかえ地を準備して、そのかえ地を補償のかわりに提供するというようなやり方が、同時に一方において必要だと思いますが、とにかく収用される土地の評価という点について申し上げますと、どうもその土地の値段を鑑定、評価するのであって、その金で隣近所を買おうというわけには、今日の収用法のたてまえではできないのではないかというようなことを考えております。
  95. 春日正一

    ○春日正一君 その点に無理があるんですね、結局。つまり、いまあなたの言われた税制なり何なり改めて、大いに値上がりで不労所得を得るというものから取り立てて、立ちのきする者にちゃんと補償ができるというようなことまで全部そろえて出してくれば、それはいいけれども、取るほうだけ先行して出てくるというところに、一つ無理があると思いますよ。  それからもう一つの問題は、やはりなぜこういう問題が深刻になるかと言えば、いわゆる政府のやる公共事業、こういうものに今日ごく一部の人たちが不当な利得を得ておる。それを目の前で見せられるのですね。たとえば新宿の副都心を見てごらんなさい。あそこをあれだけでかいビルだのデパートがどんどんできてしまって、そうして地価もうんと上がっている。たまさかああいうところにいて家を追い立てられた人は、安い立ち退き料で出ていったけれども、坪三百万も四百万もするじゃないかということになれば、何だということになる。渋谷駅の周辺でも見てごらんなさい。つまり、政府の公共事業というものが、ごく一部の大資本に不当な利益を与えている。海岸の埋め立てでもそうです。私は横浜ですけれども、磯子の浜なんか全部埋めて漁師は陸へ上がってしまった。ところが、あの土地は石川島とか日石とかの大きな会社が全部持っている。あれは会社の土地でしょう。いま独占会社というのは、土地の私的所有者になっているでしょう。しかもそれを担保に入れて金を借りる。買うときには安いほうがいいけれども、担保に入れて金を借りときには高い。いまこういう資本主義の環境にあるのです。一面では、土地は自然物だ、それを私有するのはけしからぬという論が出るけれども、それが貫徹されずに、取るときにはその論で取り立てて、そうして大きく取得した者は、自分の所有物として担保に入れて資金源をつくっている。そのときにはできるだけ高く担保に入れようという形で大きなもうけをしている。結果的に見れば、公共事業のいまの進行というものは、零細な庶民的な土地所有というか、農民的な土地所有というか、そういうものを強権で収奪して、大資本の独占的な大土地所有というものをつくり上げていく、これが実態だと思うのです。そういう現実が目の前にある。だから取られるほうから見れば、やはり生活の基盤が立つようにしようというくらいなことは、少な過ぎるほどささやかな要求なんだということになるわけです。公共事業といっても、皆のためになるんじゃない。確かに電車でも何でも人は乗るけれども、やはり新宿のターミナル・デパートをつくって公費で地下鉄を入れてもらって、そうしてお客さんを運んで大きなもうけをしているということになれば、これはとうふ屋さんと私鉄の会社が営利事業であるといってどこが違うのかという問題になるんですね。しかも、こういう私鉄にも収用権を許している、山の上のドライブウエーに収用権を許しているということを聞いてびっくりしたが、そういうものがある。だから納得して自分の生活を犠牲にしても、生活環境が変わっても承知いたしましょうということにならない。公共事業そのものが公共の利益ということでなくて、結果とすれば大資本がもうける。そのための大きな市街地づくりをやる、要所要所はみんな大資本が取る。いなかに行っても、町かどのいい所は銀行や金融機関です。でかいビルを建てているのはみんなそういうわけですが、そういう条件をつくってやるための公共事業ということになるから問題があるが、その点どうなんですか、計画のほうをやっているようですが。
  96. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 私どもが扱っております問題は、大体において道路でありますとか、あるいは住宅の団地、まわりの学校というようなものでありまして、ただいまお取り上げになりましたようなものはちょっと思い当たりませんが、道路について土地収用を認めることはこれはいかがでございましょうか、これもいけないとおっしゃいますか、あるいは住宅が不足しているから住宅団地をつくるために立ちのきが必要だ、そのために協議のまとまらない土地の所有者に対して収用法で収用するというようなことで、ちょっといまお述べになりましたようなことは、あまり私ども遭遇しておりませんわけでございます。大体そういうようなことであります。
  97. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 春日さんのお話による公共事業を考えると、みんな大資本家のほうに入ってしまう、これはちょっと飛躍した考え方じゃないかと思うのです。道路をつくったりなんかする、しかも公共事業をやる人たちが資本家のためにやろうとは思っていなかったけれども、結果として入るかもしれない。しかし、それだったらそれは直せばいいので、公共事業をやるのは、これは資本家のためになるからやめろということはちょっと飛躍した考え方だと思います。公式的にいくとみんなそういうことになってしまう。私は日本国民全体がみんな幸福になるという前提に立っているのです。そのために土地を持っている人——地主、あるいはいまの大資本家の土地を持っている人も同じなんです。土地を持っている人が収用される場合に得になるか損になるか、必ず得になる。ただみたいなものがこう上がってくるのです、その分だけ必ず……。土地を持たない庶民には何を補償してくれるか、なべ、釜を持っておりましても補償してくれない。一方は土地を持っているという特別な条件のためにぽっとなる、そこを平均化するのが政治だと思います。それで土地を取られることによって悲惨な運命におちいるかどうか。むろん、そういう人もあるかもしれないが、それは先ほどから繰り返し言っているように、もうけそこなうという人はある、もうけそこなうということです。それが致命的に、自殺しなければならないということはあり得るだろうか。そうした土地を収用する場合に、ほんのわずかなものです、国土のわずかです、先ほど言ったように。しかも一つ道路ができたからといって、それによって、農家なんかは一町も持っているのだし、ほんのわずかな所が取られるだけであって、その残っている残地は地価が上がることがあるでしょう。全面的に土地が取られるという機会は少なくて、一坪取られるとか十坪取られるという人のほうがかえってごねる、そうすると自分のほうが上がる。一部買収が大部分でありまして、全面収用ということはあまりないわけです。そういう意味で不平等を公平にするという意味で、この法律は一歩前進だと。そしてこういう問題を真剣に国民が考える、政府も考える機会を与える、こういう意味で言っているわけであります。不、平等を是正するということなんであります。
  98. 春日正一

    ○春日正一君 あなた学者だから簡単に言いますがね。やはり資本主義の発展法則というものは、結局大資本が小さいものを収奪して大きくなっていくことでしょう、現状では。現にそういうふうになっていっている。
  99. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) そうだとは思いません。
  100. 春日正一

    ○春日正一君 思いませんと言っても、事実がそうでしょう。学者として否定されるなら、それでいいですけれども。だから資本主義的な立場で公共事業、都市計画をやれば、結局大資本を育成していく、そういうことになる。さっき飯沼さんどういうことかわからぬと言いましたけれども、さっき総理に聞いてみたんですよ。まあ土地収用法の適用される、あるいは都市計画法とか、整備法とか、そういうことで土地収用がやられるような事業ですね。分類して見ると、私鉄とか電力会社とか、あるいはガス会社とかというような純然たる営利会社ですね。これが収用権を持っている、これはおかしな話だ、営利会社ですから。やっていること自体がどんなに公共性を持とうと、これは営利会社なんだから、営利会社が小さな営利会社なり、個人なりを収奪するというのはおかしな話だ、強権力で。そういうのがある。もう一つは、たとえば工業用水道、下水道、あるいは高速自動車道路みたような、主として大資本が自分の営業のための助けにするような目的でつくられるもの、こういうもののために収用がやられる。もう一つは軍事基地ですね。それから最後に残るのが学校だとか公園だとか一般道路だとか。まだたくさんありますけれども、項目は。そういったまあ国民一般が直接利益を受ける、利用する、そういうような性質のものでない、そういうものがいろいろある。これは都市計画法なんかでは幾らでも広げていって、対象を、専業の。だからそういうふうなことの中で、先ほど言ったように新宿の副都心の例言ったらわからぬというなら、千葉県のあの海岸の例でもそうですけれども、あそこは漁師がやっておったわけでしょう、魚とって。あれを漁業補償とか何とかいって全部追い出しちゃって、大きな埋め立てをやった。あそこの土地が全部国有になっているかというとそうじゃないでしょう。川崎製鉄なり、発電所なり、何なりかんなりの大資本の会社の所有地ですよ。そういう意味で言えば、清水さんはそういうことはないと言うけれども、この十年間にそうした製鉄会社だとか、発電所だとか、石油会社だとかというようなものが、膨大な工業用地の所有者になっている。この土地がうんとふえているということだけは間違いないと思うのです。つまり収用したものは、そういう形で大きな会社の所有になってしまっている。そういうことですね。そのためにあなた方は収用をおやりになっておいでになるという結果になってしまうんじゃないか、そこを取られる方は不満を持つわけです。
  101. 藤田進

    委員長藤田進君) いいですね、御意見のようですから。瀬谷君。
  102. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 だいぶ春日君の話は極端な例をあげたわけですけれども、公共事業の内容の問題に触れておったわけですが、公共事業の内容が私鉄、電力、ガス、軍事基地といったようなもののために使われるということであれば、土地収用法は土地を持っている人間やその対象に該当するようなものを圧迫するようなことになるのではないか、こういう論点で言われましたけれども、その公共事業の内容道路であり、鉄道であり、学校であり、住宅団地であると、こういうふうになると性格が違ってくると思う。そこで、こういうみんなが使う道路あるいは鉄道、住宅団地というものが土地入手難のために、なかなか思うようにならないということになると、やはり一般大衆がそれだけ迷惑をこうむるということになりはせぬかという気がするわけです。そこで、そういうふうになった場合にというのが、一応裏面はともかくとして、表向きのこの土地収用法のねらいというのは、そういう、いわゆるほんとうの公共事業のために問題を解決するのだ、土地を収用するのだというたてまえになっています。だから、そのたてまえにのっとって話を進める場合にですね、地価の高騰ということが大きな理由になっているのですけれども、地価の高騰は一体どこに原因があるのかですね。地価の高騰がなければ収用法の必要もないことになるわけですけれども、提案理由によると。そうすると地価の高騰は一体どこに原因があるか。さっき春日さんは土地はほうっておいても値が上がると、こういうふうに言われましたけれども、清水さんの話によると、地価の高いことは世界一だと。地価の点では日本はまさに先進国だと。そうすると世界じゅうどこの国でもほうっておいても地価が上がるというのじゃなくて、まあそういう国もあるかもしれないけれども、日本の場合は特別に値上がりが激しいということになる。その特別に値上がりの激しい原因は一体何か。その原因の究明をして原因を排除しなければ、問題は根本的に解決できないんじゃないかと、こういうふうに考えられるんですがね。その原因なり、その対策なりというのはどこに目を向けていったらいいのかという点を、清水さんからお話をお伺いしたい。
  103. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 問題がほかのほうへ移ってまいりまして、地価の高騰の原因といったような問題になったわけですけれども、これはもう結局は地価が下がれば何でもないわけですね、安定すれば。こうなった理由は、先ほどから私が申しておりますように、国家が土地に対する何らの手も打ってないからなんです。黙っていれば上がります。農民がりこうであったから上がるのじゃなくて、先ほどから言ったように、土地がまるで放任されている。よその国ではかなり私権が制限されているわけですね。最後は国王のものであるというような意見のもとになっている。戦前は国家が上から押えていたわけですね。取ろうと思えば簡単に取れた。それが戦後は国家の権力がなくなってしまったから、つまり地主が領主になってしまった。領土の主権者になった。それをそのままにして、しかも制度が、先ほどここに書いたような地主を守る制度になった。土地は絶対のものである。これを持っていれば絶対いいんだ。財産三分法だ何だといって、とにかく財産として最大なものである。それを守っていた理由というものがかつてあったわけです、それによって国家が成り立っていたのですから。それから地租を取り立てて明治政府が成り立っていた。だからそれを保護する理由もあったわけですけれども、いまはその理由は全然なくなったわけです。だから、地主を保護すれば国家は栄えるということじゃないんですから、そういったような地主は絶対で手を出せないというようなことは、何もどこにも法律に書いてないにもかかわらず、これは明治以来の慣習であり、通念であり、みんながその魔術にひっかかっちゃっているわけですね。その魔術からいま目ざめればいいわけです。要するに土地の制度というものを、先ほど言ったように土地はだれのもの、何のために存在するといった国土基本法といったようなもの、これは資本家にあれするものでも何でもない、国民のためになるような制度というものを全然手をつけないでおくから、ばかでもちょんでも土地を持っておれば億万長者になれた。だから大衆が悪いのでもなければ地主が悪いのでもない、悪人でもない、それを放置しておいたやっぱり政治が、私は悪いのだと思います。
  104. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 清水さんの先ほどの御意見の中で、まあ賛成ではあるけれども要するになまぬるい、それでなまぬるいけれども、やらないよりいい——簡単に言えばですね。そういうお話だった。どこがどういう点がなまぬるいか。そのなまぬるい点は、あなた自身のお考えによれば、ほんとうならばどうしたらいい、このように考えているとか、その点をお聞かせ願いたい。
  105. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 旧法は先ほどから繰り返し言っておりますように、地主サイドになっている、それを起業者サイドに立とうとしている点で前進ですけれども、それじゃ起業者のためにほんとうになっているかと申しますと、事業認定時に地価を押えたことはいいんですけれども、そのあとに旧法の地主に遠慮してか周辺の近傍の地価の値上がり、それをいろいろ修正してプラスアルファするんだというようなことを、どうしてつけなければならないのかということです。そういう点がやはり非常に地主に遠慮しているということですね。  それから先ほど言ったように、ごね得をなくしたじゃなくて、ごね損となるような制度に積極的にいかなければいけない、こういう点が出ていないと思います、もっと強い立場に立っていいと思います。先ほど春日さんは千葉なんかのまわりの地主が、自分のものにならないでそうして大企業にみんなとられてしまったという……。
  106. 春日正一

    ○春日正一君 漁民ですよ。
  107. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 漁民はたいへんな補償金をもらいました。私たち何も持たない者にとっては想像つかない金をもらっているわけです。それじゃ近傍の土地はいまどうなっているかというと、ほとんどが農民の地所であったわけですね。それがまた私たち土地を持たない者から見ればばく大な金になっています。それを使い方が悪いから、一夜にしてすってしまった人もありますけれども、それは使い方が悪いのであって、われわれ持たない者と持てる者とは、もう格段の格差ができてしまっていることは事実でございます。それじゃ工業用地というものが、それが大資本家に取られているといっても、新しい国土がそれによってその土地を基本にしてまた地価をつり上げたりしているかというと、そういうことはしていない。それは利用しているから私は土地が利用される者に渡るならいいという考え方です。十分利用していると思います。で企業というものは初めから国民をやっつけるために企業をしているんではなくて、やはり企業というものは公器である、昔の資本主義とはだいぶ違ってきていると思うのです。ですから、やることなすこと全部それが資本家のためになっているのだというような単純な見方というものは、これはいけないんじゃないか、もうそろそろ修正しなければいけないんじゃないかと思います。
  108. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 個人の私権の制限ということが、地価対策の場合でしばしば問題になっているでしょう、予算委員会なんかでも。きょうの総理答弁もそうですけれども、私権と公共の福祉との調和をはかることが大事だということを言うわけですね。総理建設大臣も似たようなことをおっしゃっているけれども、そのことば自体はそのとおりだと思います。私権と公共の福祉との調和をはかる、ことば自体はもっともな話だけれども、しかし裏返して考えてみると、あたりまえのことなんです。ふろに入る場合の湯かげんはぬるくもなければ熱くもないようにしたほうがいいというのと同じことなんです。どのくらいがいい湯かげんかということを具体的に言わない、いままで。それではやはり回答にならない。だからこういう問題に対しては、私権の制限、個人の土地所有というものを具体的には何万坪も持っていて、そうしてそれを売買する、あるいは土地そのものを預金通帳のかわり、あるいは株券のかわりに土地を持っていて、そうしてこの値上がりを待って売ってもうけるといった、証券のかわりにするというふうなことができないようにしないことには、問題は根本的には解決しないんじゃないか、こういう気がするわけです。そういう場合の私権の制限というものはどの程度必要か、これは思い切って打ち出すとすれば、たとえば外国なんかの例で言えば、社会主義国の場合と資本主義国の場合と違うかと思うけれども、こういう公共用地取得難のために私権の制限をしているというような例があるのかないのか、もしあるとすればどういう例があるのか。日本で採用するとすれば、どういう方法がよろしいとお答えになりますか、お伺いしたいと思います。
  109. 清水馨八郎

    参考人清水馨八郎君) 私権の制限と公共の福祉の調和の問題ですが、私は先ほどから申しているように、こういうものを私権と考えていいかどうかということなんですね。土地というものをいままでのような絶対的な私権と考えるならば、近代国家は成り立たないじゃないか。特に土地のようなものは、絶対この土地はおれのものである、動かしがたいものであるというような絶対的な私権はあってはならないと思うのです。先ほど言ったように、土地の上の価値というものは、ほとんどが社会分なんですね。そういうものまで私権だ私権だと言って出すところに問題がある。つまり国家が私権として守らなければならないのは、労働の成果、努力して獲得したもの、非常に努力して獲得したものは、それは国家が大いに守ってやらなければいけない。もちろんこの土地の上にあるところのさまざまの価値というものは、ほとんどが現在はもう自分のあれでなくて先祖伝来の土地であって、偶然のものであって、自分の努力で得たものではない。そういうものを私権だ私権だと言って振り回すのは問題である、そういうのは公共に返すべきではないか、こう思っております。じゃあ実際にどういうふうにするかというふうな問題だったようですけれども、具体的には私が先ほどから申していますように、土地所有に対しては利用の義務というものを強くつける。私有を許すというのはたいへんな責任を負わされるのである。こういうものをうまく国土基本法の中に入れていく。利用の義務制度、それから責任を負っているということになるから、市街地開発地域ということになったら、そこで農業やっているということは計画に沿った利用じゃないから、未利用税を取られるのは当然だ、遊ばしておけば空閑地税を取られるのは当然だということになる。外国ではどうかと申しますと、いろいろ国によって違うでしょうけれども、外国の場合では、地価という概念がないそうですね。地価という概念は日本だけだ。土地だけが利用を離れて売られているということはあり得ないことなんです。土地というものは利用と一体となって、上ものと下ものと一体となって売買される。家を不動産として売られる、そのために下に場所があるのだ。ところが日本の場合にはこれだけが遊離してしまって売買される。こうなった根本原因は、日本の場合には風土的に言っても木の家が中心になっているから、上ものはすぐこわれてしまってだめだ。土地だけが価値があるのだ。西洋は石でできているから、初めから石のほうの上もののほうを重要視して、何十年も何百年ももつという、そういうことからも来ていると思いますけれども、土地は利用と一体となってあるのだという、こういうものが日本では欠けてしまっているから、ここで利用制度というものをぐっと一歩進めれば、土地問題のかなりの部分は解決するのじゃないかと考えております。
  110. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 最後に飯沼参考人にお伺いしますけれども、清水参考人の話は、この程度のことでは少しなまぬるい、こういうふうにおっしゃっておられる。飯沼参考人としては、なまぬるいというふうにお考えになるのか、まあまあ適当であるというふうにお考えになるのか、大ざっぱに言ってそういう点ひとつ……。それからこういう方法、この土地収用法自体が地価の値上がりに対するきめ手にはなるまいという気がする、いうなれば蚊とり線香程度のものじゃないか。やぶや水たまりをそのままにしておいて、蚊とり線香を一つ燃やすやつを二つ燃やす程度の効果はあるかもしれないけれども、根本的には問題の解決策にならぬような気がする。根本的に解決策を講ずるということになれば、ある程度私権の制限ということを考えなければならぬだろう。これは先ほど来清水参考人からお伺いしたところでもあるのですが、もし私権の制限ということがいろいろむずかしいとしても、道路の周辺であるとか、鉄道の周辺であるとか、駅の近辺であるとか、明らかにこれは公の用に用いるような場所は、これは個人の私有地ということを許さないで公の、国のものとするか地方自治体のものにするかは別として、公の所有とする、こういうような方法でも講じないことには、なかなか地価の問題は解決をしないんじゃないかという気がいたしますけれども、その程度の制限というものはやはり考えたほうがよろしいと思っていらっしゃるかどうか。都市計画についても相当の権威であると思われますので都市計画の点から、見解をお伺いしたいと思います。
  111. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) この改正案がなまぬるいかどうかというお話でしたが、私はやはりこういうものはそう一足飛びにいくべきものでなく、一歩一歩前進していくのが、適当な方法ではないかと思っております。したがって、今日この時点においてこの程度の改正がけっこうではないかと思っております。  それから地価の問題についての根本問題のお尋ねでございますが、私は地価の問題は、結局人口配分の問題がひとつありはしないか。ある特定の場所にむやみにたくさんの人間が集まってくるのをそのままに放任しておきましたのでは、非常な地価の値上がりというものが、急激な値上がりが起こってくる、この点について手当てをしなければならぬことが一つ。それからもう一つは、土地に対する統制ですね、土地の統制、これが一方において必要だと思います。土地に対する統制がありませんければ、人口集中と相まって、一局部に非常な値上がりを生ずるということは、これはもう自然の勢いだと思うのでありまして、いろいろの方面から国策として人口配分の問題を考え、土地を統制する問題を考えなければならぬと思っておるわけでございます。  それから特別な土地についての問題、駅前であるとか、その他のお話がございました。私は市町村が土地を所有するということは、たいへんいい方法だと思っております。できる限り手に入る土地があったならば、市町村はできるだけ私はたくさんそういう面積の土地を手に入れるべきだと思うのでありまして、かってドイツの都市計画がたいへんうまくいっておった理由として、半分もしくは半分近くまでその市の区域内の土地を所有しておる例が非常にたくさんありました。これがドイツの都市計画の非常にうまくいった例だということを聞かされております。おそらくいまでもそうであろうと思いますが、先年私たとえばウイーンでありますとか、チューリッヒなどに参りまして聞いて見たときに、非常にたくさんの面積を持っております、周辺に市が。これが一面において都市計画を容易ならしめ、同時にそれがまた市内の地価をひとつ統制する動きをしておるのではないかと思います。御承知のイギリスの新都市、あれは土地は全部公のものです。個人の所有を原則として許しておりません。これが都市計画をたくみにやり得る理由だと私は考えておりますが、できるならば市が土地を持つことはたいへん私はけっこうなことだと思っております。  それから先ほど清水さんからイギリスの土地は結局において、究極においてキングのものもしくはクイーンのものだというお話がございました。私はこの間ロンドン大学のロブソン教授が見えましたときに、イギリスでは土地というものは、結局国王もしくはクイーンのものだという話を聞き、一体法律的に言ったらどういうことかといって尋ねてみました。そうしたらロブソン教授は、それは公共のために必要があれば、いつでもそれを公共のために使うことができるという意味にほかならないと、こう説明しておりました。別に国王もしくはクイーンの所有物だということではないらしいようであります。そうだとすれば、日本でも土地収用法の制度を完備することによって、日本の土地も日本の国土も国のものだと言って差しつかえないのではなかろうか、必要があればいつでもそういうものを収用できるという制度を持つことによってですね、というような、昔から日本にも普天の下王土にあらざるはなく、率土の濱王臣にあらざるはなしということばがありますが、ものは考えようで、そういうふうに解釈すれば、日本の国土もまたこれでいいのではなかろうか。要は、収用法の制度をますます完備していく。と申しましても、先ほどから国民の利益はどうでもよい、ただ公共事業だけよければいいという意味では決してございませんが、両者たくみに調和することによって、われわれの目的を達し得るのではなかろうかというふうに考えております。
  112. 小山邦太郎

    小山邦太郎君 一点だけ。大体お話を伺って、現在の収用法よりはこの収用法が、公共事業を進める上において非常に役立つ、その上にごね得をなくすという点にも、私は非常に効果的だと思うんですが、ただ一点、その収用についてさっきの御質問で、同じ面積を持っておっても、その所有者がどれだけ利用しているかという利用度をやっぱり考えないで、単純にただ近所の土地の評価だけで押し切るというのはいかぬじゃないか。たとえば、私はここに家を建てようと思って買ったんだ、ところがそれがかかったんだ、値段をかれこれ言うんじゃないが、これと同じような適当な所を見つけてくれと言えば、値よりはむしろその目的を達するようにしてやるのが、収用法を適用する場合にも大事じゃないか。もう一つは、営業しておって、その人はそこから利益をこれだけ生んでいるのだ、ほかに売ればその利益はなくなっちゃうというようなことは、たとえどんなりっぱな法律であっても、それはある特定な人に負担をかけ過ぎはしないか、これらはどういうふうに緩和するか、これらの点を収用法適用の上にひとつ考慮をわずらわしたい。いままでは収用法がただ時期をかまわないでごねていて、道はよくできた、地価はおのずから上がった、上がったところにもっていって適用する、こんなばかげた現在の収用法というものはない。これをひとつ改正するのは当然のことだ。しかしながら、今度は収用の機会が多くなるのですから、多くなったときに、それも相手方に対する評価の標準というものを、利用度というものを考えてやらなければいかぬじゃないかということを私は思ったわけです。なぜならば、土地を持っている人には利用の責任があるんだ、利用しないようなやつはどこかに持っていけ、だれが使ってもいいんだと言ってもいいと思う。かつて戦争中に山を切ったものは必ず植えなければいかぬ、植えないようならば、ほかの人が植えてもいいというくらい法律をこしらえたんです。あれは私がこしらえたんです。ところが社大党さんも賛成してくれ、私は憲政会であったが、社大党はもちろんだし、それから政友会も賛成した。時の政府はどうもそんなものができたらたいへんだぞ、めんどうだぞということで、それをやるときは。植えたときは土地を持った人が責任を果たした以上、公の国家で負担しなさい、木を植えたということに対して。それは結局そこまではいかなかったけれども、とにかく植える費用の半分を国家負担してやる、こういうようなことであったが、戦争で敗けてしまってなくなっちゃった。土地を持っているということは、私の意思だけで動いているが、公のためにどうなるかということを考えてやるべきだという御意見は全然同感なんです。今度収用の機会がうんと多くなる、そうすると個人に不当な圧迫を加えてはいけないが、利用度を考えてやることが必要であろう。その点はひとつ運営の上にしっかり御研究をわずらわしたい、そうすれば私は賛成したい、これだけ申し上げておきます。  これは現在はどうです。現在はその利用度は考えておるのか、考えておらぬのか。
  113. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) 利用度と申しますのは、収用した土地をどう利用するかということですか。
  114. 小山邦太郎

    小山邦太郎君 収用される人が現に利用している、その利用している人とまるで利用しない人と同じ評価でいいのか。
  115. 飯沼一省

    参考人飯沼一省君) それは、もし何かその上で営業しておるとすれば、営業に対する補償はいたします。農業をしておれば農業補償というものが考えられます。何も遊ばせておく土地に対しては、そういうものはありませんから。
  116. 藤田進

    委員長藤田進君) 他に御発言もなければ、参考人に対する質疑は、終了したものと認めます。  参考人の方々には、御多用のところ、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼申し上げます。     —————————————
  117. 藤田進

    委員長藤田進君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についておはかりいたします。  昭和四十二年七月豪雨による建設関係災害に関する実情調査のため、委員の派遣を行ないたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  118. 藤田進

    委員長藤田進君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員の人選、派遣地、派遣期間等は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  119. 藤田進

    委員長藤田進君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、本院規則第百八十条のこの規定により、議長に提出する委員派遣承認要求書の作成等も、便宜委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  120. 藤田進

    委員長藤田進君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十二分散会