○
参考人(
守屋富次郎君) 昨年の三月五日に、B
○
AC会社の
飛行機事故、
富士山麓において起こしました、それの
技術調査をいたしました、その結果について御
報告申し上げます。
まず、
結論から先へ申し上げますと、この
事故は
御殿場の
上空の
付近におきまして、突然異常に激しい
乱気流に遭遇いたしまして、
設計制限荷重をはるかにこえる
突風荷重が加えられまして、
空中において
破壊分離したという、そういうふうな
結論を得た次第でございます。
この
調査の経過につきまして簡単に御
報告申し上げますと、三月八日にわれわれ
技術調査団が任命されまして、即日第一回の
会合を開きました。このときにはすでに
英国及び
米国——米国は
製造国であるというためで、
米国にも
調査団ができまして、
英国及び
米国の
調査団が来日しておりまして、第一回の
会合は合同の
会合をやりまして、そうして今後
調査を進める
手順等につきまして当日相談をいたしました次第でございます。で、われわれがその
調査を進めるにあたりまして、そのときに討議してきめました
方法は、まず
調査団員を
五つの
グループに分けまして、
運航グループ、
証言グループ、
構造グループ、
発動機グループ、
気象グループ、これだけ、
五つの
グループに分けまして、それぞれの
専門に従いまして
調査を進めていく、そしてその途中
段階におきまして全体
会議を開きましてそれぞれの
グループのそれまでの
調査報告をしてもらいまして、ほかの
グループからいろいろの
意見を聞いてさらに詳細なる
調査を進めていくという、そういうやり方をいたしました。
そのようにして進めてまいりましたときに、いろいろ途中におきまして問題が起こり重要なポイントが生じた、そういうふうな点をかいつまんで申し上げますと、まず
運航グループについて申しますと、大体この
BOACのマニュアルによりますと、この
計器飛行が原則になっております。特別の場合においてのみ有
視界飛行ということが許されておる。その特別の場合というのはどういう場合であるかといいますと、
飛行の進行を促進するというふうな場合、そういうふうな場合においてのみ許されております。で、当日、
機長のドブソンは
出発直前までは
計器飛行によりまして
大島経由の
経路をとることの
許可を得ておりました。ところが
出発の
直前におきまして有
視界上昇の
許可を求めて、そしてこれは後にわかりましたのですが、
富士山の方向に向かって飛んでいった、何
ゆえにこういうふうなことをやったかということ。これは非常に重要な問題でありまして、
飛行を促進する
意味においてそういう必要があったかどうか、まずこれを調べてみますと、
BOACが実際に
出発しましたのは十三時五十八分ですが、十三時五十二分にフレンドシップが
羽田を離陸いたしまして、そして
BOACの予定の
コースである
大島経由の
コースをそのままとっております。ですからして、そこにもうすでに数分を経過しておりますからして、その
飛行機が
BOAC機の
飛行にじゃまするということがあるかどうか。まずいろいろその点について調べましたのですが、大体
BOAC機のほうが
速度が大きいからして、あるいは途中で追いつくことを心配して別の
経路をとりたいという、そういうふうなことがあったのかもしれませんです。それから
富士山というのがこれは
外国人にとりましては非常に観光的な魅力のあるところである、したがって、
富士山を旅客によりょく見せるためにその
付近に行ったのであろうか、そういうふうな疑問もわれわれには起こったわけであります。そのいずれであるかということにつきましては、いろいろ
調査をいたしましたけれども、
きめ手になる
資料は何
一つ得ることができません。これは
飛行を促進するということのために有
視界飛行をやるということ、これも
機長の独断でできることなんです。そういうふうな
意味でやったのか、
観光ルートをたどったか、それにつきましてはわれわれは何ら
結論を得ることができませんでした。
それから次に、
証言グループについて問題になった二、三の点を申し上げます。
証言グループと申しますけれども、かなりいろいろな
範囲の広いことを取り扱っていただきました。まず
証言グループでは、犠牲になられた
方々の
写真、これは
警察のほうで全員の
写真がとってありますが、そのコピーを全部
防衛庁の
航空医学実験隊というところへ持っていきまして、そしてその
遺体の傷の
状況、そのほか医学的な見地から詳細に調べてもらうようにお願いいたしました。そこでわかりました
事柄は、この
遺体に共通的な傷があるということ、もう少し具体的に申しますと、
最後まで座席におった人も、途中からこぼれ落ちた方も同様に
顔面に
損傷があったということ、こういうふうなことがわかりました。これは何を
意味するかということ、これは非常に急激な
衝撃を
皆さんが受けられまして、そして前の席のところへ
顔面をぶちつけたという、そういうふうな
事柄が想像されるわけでございます。それから乗客の一人が八ミリの
フィルムを写しておりまして、それが発見されまして、その
フィルムを検討すること。この検討にはいろいろな
意味がありまして、まずその
フィルムによりましてこの
飛行機が
羽田を離陸後いかなる
経路をいかなる高さで、そしていかなる
速度で飛んだかということを見出すこと。これに対しましては
防衛庁の一〇一
測量大隊というところへその
フィルムを持ち込みまして、そしていま申しましたような
事柄を
解析してもらいました。その
解析の結果は、
イギリスにおいても同様なことをやられたらしいのですが、われわれ一〇一
大隊にお願いしたということを申しましたら、
イギリス側のほうから、それなればわれわれは全面的に信頼していい結果であると思いますという、そういう手紙がまいりまして、で、われわれの
解析の結果というものが非常に信頼できる結果が得られたということであります。その結果によりますと、ちょうど
御殿場付近におきましては、四千九百
メーターくらいの高さであった。その途中も写してある、
フィルムがとられておるところにおきましては、その前の高さは五千百
メーターくらいのところ、それから
御殿場のところ、少し下がって、二百
メーターくらい下がりまして四千九百
メーターくらいのところを飛んでおった、その瞬間に、非常な異常なる
衝撃を受けたということがわかりました。で、この異常なる
衝撃を受けたということのもう
一つの
証明としまして、その八ミリ
フィルム最後の
場面——これがちょうど
御殿場市
上空付近からしまして、
山中湖が非常にきれいに写っております。しかもそれ八十一こま連続してとられておりますが、その
山中湖の景色は、
飛行機がゆれたりなんかしたという形跡は何にも見られませんで、非常に静かに、全く平常な
飛行を続けておったという
写り方がしておりました。それが八十二
こま目と、三
こま目が飛びまして何にも写っておらない。そして八十四
こま目以下が何かわからないものが流れ写っておるという
状態。この流れ写っておるのは、おそらく人の顔か、カーペットか何か、そういうふうなものであろうという、色からして推察ができました。われわれとしましては、この二こま飛んだということに着目いたしまして、何
ゆえに二こま飛んだか。その
カメラの
構造、これも分解しまして
構造を調べてみますと、これは異常な
衝撃を与えると飛ぶ
可能性があるということがわかりました。中の
構造上からそういうことがわかりました。で、はたしてその通りであるかどうかということ、その
カメラにつきまして
実験をしてみました。そうしますと、その
実験の結果、だんだんに
衝撃を大きくしていきまして、千分の七秒というごく短い時間の間に七・五Gという力に到達するような、そういう
衝撃のかけ方をいたしますと、ちょうど二こま飛びます。そうしてその
カメラは
ファインダーのところが押しつぶされたようになっている。ですからして、それから推察されますことは、
山中湖を写しておるときに、非常に突然に、がんとぶつけられるような
衝撃をその人は受けておる。それで
カメラの
ファインダーのところがつぶれておる。そしてそのときの
衝撃はいま申しましたような数値であったろうということがわかったわけであります。で、
飛行機自体がどういう
衝撃を受けたかということは、それによってはわかりませんですが、とにかく
カメラという一個の品物についても、いま申し上げましたような大きな
衝撃を受けておるということがわかりました。
飛行機全体として
機体の受けた
衝撃は、おそらくこれよりももっと大きな
衝撃を受けておるであろうということがわかりました。
それから次に、
構造グループで問題になったところを申します。
まず
構造グループは、めちゃめちゃにこわれております
機体を
たんねんに
調査いたしまして、そうして
空中でこわれた
部分であるか、あるいは
地上へ激突したときのこわれ方であるか、そういうふうな
区別を
たんねんに調べた結果、その
区別が大体わかりました。で、その結果を見ますと、
御殿場上空におきまして、これは
あとで申しますが、
乱気流に出会っているわけですが、非常に突然
右主翼だけがまず
乱気流の中へ突っ込みまして、
右主翼だけがひどくこわされております。二カ所でへし折られております。
左主翼は、
空中においては何らの
損傷を受けておりません。ですからして、まず
右主翼が異常なる
衝撃を受けたということが想像されます。で、まずその
右主翼が異常なる
衝撃を受けることによりまして、
機体全体に非常に大きな
慣性力が働きます。ここに
主翼があります、ここで非常に大きな
衝撃を受けます。そうすると、
慣性力によりましてこの
胴体の翼よりも前の
部分、ちょうどこの翼のつけ根に近いところ、このところで
胴体が割れてしまって、これから先が、後になってこれがはずれて
独立物体として落下している。それから
エンジンなども、四個の
エンジンが
慣性力によりまして、こちらのほうへぐっと非常に大きな
衝撃を受けている、左下のほうへ大きな
衝撃を受けております。そこで
御殿場上空におきましてまずぶらぶらの
状態になっている。
尾翼のほうも同じような
状態でこわれてしまいました。そうしてそれから先、
太郎坊に至るまでの間にぽろぽろと、次々と離れて落ちていきました。これは実はもっと後の
段階のところは
証言のほうから……。非常にたくさん
写真をとられた方もありますし、八ミリをとられた方もありまして、また目撃した方もありますけれども、この
御殿場上空からしばらくの間というものはだれも気がついておりません。ところが
機体の各
部分、分離した
部分が
地上へ落下しております。これが何と前後十六キロ、幅二キロの
範囲にわたって分布されております。こういう分布のしかた、これを
一つ一つ、
一つずつ、全部ではございませんが、おもなものにつきまして、
風洞実験をやりまして、どういう
空気抵抗があるかということを見まして、そうしてこういう
空気抵抗を持つものが
空中を落下してくるときには、どういうふうな軌道を描くかということを、逆に計算をいたします。そうすると、その
落下地点がわかっておりますからして、逆に
空中のどの辺で
本体から離れたということが逆算できるわけなんでございます。そういうふうにしてみますと、
御殿場市
上空で異常な
衝撃を受けて、そのときに
主要部分は、いま申しましたように、ほとんど破断されておりますけれども、まだばらばら落ちていくまでにいきませんで、それから先、
太郎坊に至るまでというものは飛んではおります。が、
富士山の
風下のほうで一番
最初に受けたような大きな
衝撃ではありませんけれども、
乱気流のためにゆすぶられまして、そうして次々と各
部分が落ちていったという、そういうふうなことが推定されます。
それから、
構造部分におきましてもう
一つきわめて重要な問題がありまして、それは縦の
尾翼の
うしろけたの右取りつけ金具に
疲労のクラックが入っておった、
亀裂が入っておったという、これは詳細に
破断面を検討してみましてそういうふうな
事柄が発見されたわけなんです。これはきわめて重要な問題でありまして、つまり
疲労亀裂というものが
原因になりまして、まっ先に
尾翼が飛びまして、そうしてその後そういうふうな
事故に到達したのか、あるいは
乱気流によって
事故が起こったのか、これをきめる重要な問題であるわけです。そこで、この
疲労亀裂が起こっておる
部分、これを
製造国である
アメリカの
ボーイング社に持っていってもらいまして、そうしてその
亀裂の残りの
部分にどれだけの強度が残っておったかということを調べてもらいました。そうしますと、それはなお
設計制限荷重の一一〇%の力は十分持っておるということが
証明されました。しかし、それだけで、なおそれが
原因であるか、そうでないかということの
きめ手にはなりません。われわれは
原因をきめる
最後の
方法としましては、この
五つの
グループの
調査結果を総合しまして、そうしてその
調査結果に一点の矛盾もない、これ以外には考えられないという、そういう
結論を導かなければならないわけです。いまの
尾翼の問題にしましても
機体のこわれ方、あるいは
証言グループのほうで調べました
遺体の
損傷の
状況、あるいは八ミリ
カメラの二こま飛んだ
状況、そういうふうなものを総合して考えてみますと、そうして
尾翼のこわれ方等を総合して考えてみますと、とうていその
疲れ亀裂が
原因でまず
尾翼が飛んで、そうして
尾翼が飛べば、
安定性も
操縦性もなくなる、それによって
事故を起こしたという、そういう行き方は考えることができない
破壊状態、あるいは
遺体の
損傷状況等でありまして、したがって、
亀裂がかりになくても同じ結果になったであろうという、そういうふうなことが推定されました。傷がありましたことは確かに重大な問題ではありましたけれども、傷が
事故の
原因でないということをそのほかの
方面から突き詰めていくと、なったわけでございます。このほか
発動機グループは、
発動機を分解いたしまして詳細に調べましたのですが、
発動機につきましては、
事故になるまでには何ら異常がなかったということがわかりました。そのほか
操縦系統、そのほか
機体の内部のいろいろなものにつきまして、やはり
事故前には不ぐあいがあったということは発見することができません。
機体は
主要部分はそのまま
太郎坊付近に落下しましたのですが、ただ
一つ、
胴体の前の
部分、
主翼よりも前の
部分の相当長い
部分、これが
本体から折れてはずれてしまって、そうしてこれが
自由落下をいたしまして、この
主要部分よりも約三百メートルぐらい先の山林の中へ落っこちております。その
前部胴体は
火災を起こしてすっかり燃えてしまって、
計器関係は全部燃えてしまいまして、
事故調査には何の役にも立ちません。
前部胴体の中には燃えるものがないはずです、それが燃えてしまっている、どういうわけか。これは
最初に大きな
衝撃を受けたとき、つまり
右主翼に非常に大きな
衝撃があったそのときに、
主翼が折れておりますが、それと同時に前けたもこわれております。その前けたのこわれと同時に、その
うしろに
ガソリンタンクがある、それも
破壊しております。それから先ほど申しましたように、
衝撃を受けたそれの反動としまして、非常な大きな
慣性力が働きまして、この
胴体にありますところの
燃料の非常に多量な
部分が、そのこわれから
慣性力によりまして
前部胴体のほうへ流れ移りまして、そのままの
状態で落ちていきまして、ところが
前部胴体にはいろいろな
電気関係の機器がたくさんありまして、おそらく地面に激突したときにスパークか何か生じた、そうしてそこにはもう一面に
燃料が流れてきておりましたので、それに引火いたしまして燃えてしまったのであろうという、そういうふうなことが推定されます。その中に
フライトレコーダーが備えつけてあったはずでありましたが、遺憾ながらそれも燃えてしまって、何の役にも立ちませんでした。この
フライトレコーダーにつきましては、まだこの
BOAC機は正式にそれをつけることに決定する前に、トライアルとしてつけておりました。したがって、正式につけることになったものについては
規格がきめられております。たとえば温度二十度にたえられるとか、何度Cにたえられるとか、いろいろなこまかい規定がありますが、まだ試みにつけられておった
状態でありまして、その
規格に合ったものがついておりませんでしたので、
火災のときに溶けてしまったという、そういうふうな
状況でありました。
で、こういうふうに、われわれはいろいろな角度からしまして、——失礼しました。
気象グループ、これはたいへんに重要な問題です。
気象グループも、その
事故後にいろいろ
研究してもらいましたが、われわれがこの
事故は
気象学的にきわめて重要な問題が含まれておるということ、つまり、
乱気流——乱気流というようなものによって起こったことにより、したがいまして、この
気象グループにおきましては、当日、
富士山の
風下においてそのように
飛行機を
破壊に導くようなおそるべき
乱気流がはたしてあったかどうか、あるいは、これを予知する
方法はなかったかどうか等、いろいろ調べていただきました。ところが、今日の
気象学の
状態におきましては、そのような強い
乱気流が生ずるということを
証明する
方法もありません。といって、また、そういうものは生じないという
証明ももちろんできません。この
乱気流というふうなものにつきましては、まだ、実は
気象学的に、これは各国ともいま
研究の
段階にありまして、日本だけでありませんですが、とにかくまだ非常に未知なものがたくさん含まれております。
で、
気象班におきましては、あの
付近の半径大体五十キロ角の
地形模型をこしらえて、そうして
風洞の中におきまして、そういうふうな
乱気流がはたして生ずるかどうかというふうなことを調べてもらいました。
富士山へ吹きつける風、当日の風は、
富士山頂におきまして、六十ノットないし七十ノットという非常な強い風でありました。そういう強い風、
つまり風に大きな
エネルギーを持っておるわけであります。そういう
エネルギーを持った風が
富士山のような
孤峰に当たった場合に、
風下にいかなる
乱気流ができるか。そうしてその
乱気流の
エネルギーはどんな程度のものであるか、いろいろ
調査をしてもらい、
実験をしてもらいましたけれども、断定する
資料というところまでには到達できませんでしたけれども、しかし、いろいろな
状況からしまして
乱気流というもののいたずらであるということには間違いがない。そういうふうな若干、まだ
気象学的には断定する
資料にはなりませんですけれども、しかし、これによりまして
乱気流というものに対する認識というものが相当深められ、また、今後も深められる機運になったということ、これは今後の
事故防止に大きな役立ちになるだろうと、そういうふうに考えております。
で、われわれがここできよう御
報告を申し上げるに至りましたまでに、われわれとしましては、非常に各
方面に
お世話になっております。
まず第一に、
事故の直後の
現場保存の問題、これは
事後調査に非常に大切な問題でありますが、これに対しましては
警察の
方々、
自衛隊の
方々等非常にそういうふうな点に留意をしていただきまして、そうして
あとの処置をしていただきましたということ、これは
調査団としましては非常にありがたいことでありました。
それから、いよいよ
調査を始めるにあたりましては、先ほど来申し上げましたように、
航空医学実験隊一〇一
測量大隊、それから
航空宇宙技術研究所、
気象庁、
防衛庁の
技術研究本部第三
研究所など非常に各
方面の
関係のところに
お世話になりまして、この
結論を
皆さんに御
報告申し上げる
段階になりました。かつ、
イギリス及び
アメリカの
調査団も終始われわれに協力的でありまして、われわれは両
調査団の示されたわれわれに対する協力というものに対しましてはやはり感謝しておる次第でございます。各
方面の
お世話になりましたことをここに深く感謝申しまして、私の
報告といたしたいと思います。