○堀
分科員 おっしゃるとおりですけれ
ども、私は、さっき申し上げたように、順序からしますと、もちろん予防は大事だと思うのです。私はかつて一時軍隊に行って軍医をしておったことがあるのです。海軍の軍医というものは、病気をなおしたから成績があがるものではありません。船の中に病人が出ないのが一番成績がいい、戦闘力を保持するためには、病人を幾らなおしたってだめで、本来病人が出ないのが一番いい。病人が出れば、幾らじょうずになおしても成績は下がる。伝染病でも起きれば一ぺんに成績が下がってしまう、こういうことになるわけですから、それは確かに私はそういう側面が
一つあると思うのですが、残念ながらいま
日本の場合にはなかなかそういうふうになっていません。なっていないから、では次にどうなるかといった場合に、やはり病気になった者を早くなおして、健康にして、楽しい
生活をするために本来医療があるわけですから、そういうことであれば、医療というものは、私は
人間を大事にするという、そういうものの
考え方のほうが前にあって、費用はやはりあとからついてくる。しかし、私も
経済をやっているわけですから、
経済はどうでもいいのだ、こっちだけやればいいということを言うつもりはないのですけれ
ども、順序はそうだということです。
経済があって医療があるのではなくて、医療があって
経済がついていく。ここのところは、やはりはっきりしておかなければいけないところです。
そこで、今度皆さんのほうで分析をされていろいろやっておられるわけですが、非常に大事なことが
一つある。それは、現在の健康保険法あるいは
国民健康保険法でも、
国民はともかく被保険者にならなければならぬという健康保険法十三条あるいは
国民健康保険法五条とか、そういうところに、あなたは何かに入らなければなりませんよと、法律にはきめられている。これは皆保険ということですが、裏返すと強制保険で、
国民は保険に入らなければいけない、入ったら必ず金は取られるのだ、こういう仕組みになっているわけですね。これは制度としては私は非常にいいと思うのですよ。強制加入にしてあることはいい制度です。しかし、強制加入にした裏側の責任もあるわけですね。この点については、強制加入にした以上は、強制加入して、あなた方からこれだけの金は取りますよ、いろいろなことをきめていった以上、それに見合うものを国は強制加入して入っておる被保険者に与える義務があると思うのですね。ここのところを私は非常に重要に
考えていただきたいのです。強制加入だ、そこで強制加入になっておる人たちが、いろいろ医療制度の問題の中で、さっき
古井さんもおっしゃったけれ
ども、私は、今度いろいろこうなっている中で一番強く問題にしておるのは、やはりものの
考え方として、病気になったときに、赤字だから赤字を減らすために病院に行かせないようにしよう、受診を制限をして、本来病気である者が、
経済的な条件のために、
経済的な制約が、その
人間の医療を受けたいという欲求に逆に働くようにしようという問題提起が、実は今度の皆さん方の
考え方の中には少しされているわけです。これは強制加入という
一つの側面から見たら、私は非常に重大な問題じゃないかと思っています。なぜかというと、病気になったときに治療を受けるためにお金を出しなさいといって、強制加入で金を取っているわけですよ。病気になったらちゃんと給付をしてあげますから、だからお金を払いなさい。保険料は取らねばならぬ。今度病気になったらまた金を取るというのでは、お医者には行きゃしませんよ。こういうものの発想は、強制加入にした国の責任としては、きわめて論理が通らない。だから、ものの
考え方を、
経済的にだけ処理するならば、赤字になりました、保険料をもっとふやしてください、もっとふだんかけてください、そのかわり医療行為についてはわれわれ制限しない。被保険者から取れるものは取らなければならぬ、そしてそれから出す、その出し方はいろいろあるでしょうけれ
ども、それはいいでしょう。しかし、何らか金を取る、その取り方をふやすことが、ただ単に収入が赤字だからふやしてほしいという
意味なら話は別ですけれ
ども、同時にそれが、ある診療を受けたいという人たちの意欲を制限する、阻害するかっこうで働くようなやり方は、私は強制加入という制度の上ではとるべきでないと思います。
いまはどうかわかりませんが、だいぶ前に、
国民健康保険ではこういう時代があった。保険料は取り上げます。しかし、御
承知のように、五割給付でしたから、あと半分金を払わないと、お医者さんには行けない。貧農の諸君は強制加入で保険料は取られる。病気になったけれ
ども、お医者さんに行きたいと思っても、あとの金がない。富山の置き薬や何かで済ませて、せっかく自分が払った保険料というものが現物化できない。富農は手元に命があるから、どんどんこれを現物化して——所得の少ない人が無理に、強制加入であるために取り上げられておった保険料を、富める者のほうが金があるからどんどん現物化して治療を受けた、こういう時代がかつてあったわけです。これは、いま給付率がだいぶ上がってきましたから、あるいは農村地帯もかつてと比べていまは現金収入もあり、情勢は変わっておるかもしれませんが、そういう時代があったことは間違いのない事実です。強制加入のところにいまの半額の
負担をするということになっていると、それは所得の少ない者は現物化できないという問題を起こす最大の原因だと私は思う。だから、それがもし所得の多い人に対してそういう
措置のしかたをとるというなら話は別ですよ。よろしゅうございますか。要するに、あなた方の
考えられておる初診料とか、あるいは薬剤費一部
負担というものが、非常に所得水準の高いところなら、その費用はそんなに
負担にはならない。それを払ったって、その治療をするぐらいは
経済行為として何でもない層もあるでしょう。しかし、それを払うなら、ちょっと行くのを
考えようという層は、やはり所得階層から
考えてみた場合にあるんですよ。
この前、選挙に入る前に、新聞に、初診料を二百円以上にしたいというようなことが出たことがありますね。私は、その初診料を上げる問題についても、こう
考えている。たとえばかぜを引く。かぜはかなり受診をしているだろうと思います。かぜを引いた、そうすると、今度初診料が二百円になるとかいう話があった。これは幾らになるか知りませんが、要するにいまの百円よりもふえるわけです。そうすると、要するにルル三錠だとかベンザだとか、このごろは総合的感冒の薬がいろいろあるわけですよ。便利なものがたくさん出てきている。大体三十錠百五十円か百八十円ですか、そうすると、お医者に行って二百円出して、あとはまた薬代も取られることを思えば、ひとつルルで済まそうか、それは
経済行為としては当然起こる。そうすると、いまなぜ命が延びてきたのか、病気が早くなおってきたのか。健康保険という制度が、早期受診、早期治療ということで、疾病が軽いうちに治療をしようということが全国に普及した結果、今日こういう状態になっている。これを逆行させる
方向に——ルルでなおればいいんですけれ
ども、ルルを飲んだけれ
どもなおらなかった。こじらせたあとで、しかたがないから、二百円持って——幾ら持っていくかわからないが、行かなければならぬ。たとえ毎回金を取られても行かなければならぬという状態に、強制加入のたてまえから
国民を置くことがはたして適当かどうか。だから、
金額の問題もさることながら、私がここで議論したいのはものの
考え方ですね。それをひとつ
大臣に伺いたい。