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1967-04-24 第55回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年四月二十四日(月曜日)     午前十時五分開議  出席分科員    主査 北澤 直吉君       相川 勝六君    赤澤 正道君       正示啓次郎君    古井 喜實君       保利  茂君    石野 久男君       佐藤觀次郎君    西宮  弘君       山中 吾郎君    和田 耕作君       伏木 和雄君    兼務 北山 愛郎君 兼務 堀  昌雄君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君         厚 生 大 臣 坊  秀男君  出席政府委員         大蔵省主計局次         長       岩尾  一君         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部大臣官房会         計課長     井内慶次郎君         文部省初等中等         教育局長    齋藤  正君         文部省大学学術         局長      天城  勲君         文部省社会教育         局長      木田  宏君         文部省体育局長 赤石 清悦君         文部省管理局長 宮地  茂君         厚生大臣官房長 梅本 純正君         厚生大臣官房会         計課長     高木  玄君         厚生省公衆衛生         局長      中原龍之助君         厚生省環境衛生         局長      舘林 宣夫君         厚生省医務局長 若松 栄一君         厚生省薬務局長 坂元貞一郎君         厚生省社会局長 今村  譲君         厚生省児童家庭         局長      渥美 節夫君         厚生省保険局長 熊崎 正夫君         厚生省年金局長 伊部 英男君         厚生省援護局長 実本 博次君         社会保険庁医療         保険部長    加藤 威二君         社会保険庁年金         保険部長    網野  智君         農林省畜産局長 岡田 覚夫君  分科員外出席者         大蔵省主計局主         計官      小幡 琢也君         厚生大臣官房企         画室長     首尾木 一君         厚生省環境衛生         局乳肉衛生課長 恩田  博君     ————————————— 四月二十四日  分科員石橋政嗣君田畑金光君及び谷口善太郎  君委員辞任につき、その補欠として石野久男君、  玉置一徳君及び林百郎君が委員長指名分科  員に選任された。 同日  分科員石野久男君、玉置一徳君及び林百郎君委  員辞任につき、その補欠として佐藤觀次郎君、  和田耕作君及び谷口善太郎君が委員長指名で  分科員に選任された。 同日  分科員佐藤觀次郎君及び和田耕作委員辞任に  つき、その補欠として西宮弘君及び田畑金光君  が委員長指名分科員に選任された。 同日  分科員西宮弘委員辞任につき、その補欠とし  て石橋政嗣君委員長指名分科員に選任さ  れた。 同日  第三分科員北山愛郎君及び第一分科員堀昌雄君  が本分科兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十二年度一般会計予算文部省及び厚生  省所管  昭和四十二年度特別会計予算文部省及び厚生  省所管      ————◇—————
  2. 北澤直吉

    北澤主査 これより予算委員会第二分科会を開会いたします。  昭和四十二年度一般会計予算及び昭和四十二年度特別会計予算中、文部省所管を議題とし、質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。古井喜實君。
  3. 古井喜實

    古井分科員 私は、二、三の問題につきまして文部大臣にお尋ねをしたいと思います。  第一の問題は、教育費父兄負担の問題であります。今度の文部予算で、この問題を重点施策の第一番目にお取り上げになっておりますことは非常に喜ばしいことと思います。私は、これは今度の文部省予算における考え方で一番けっこうだと思う一つの点であります。七年ばかり前に、ちょうど池田内閣が初めてできましたときに、早早に池田総理をたずねて、ひとつだれでも教育が受けられるような教育保障というふうな考え方を取り上げてみないかということを進言してみたことがあるのであります。大きにそうだということではありましたけれども、何さま経済の好きな総理大臣で、どうも経済のほうにばっかり頭が向いてしまって、おしまいになったようであります。自来、この問題は何とか発展さしたいものだというふうに願ってきておるのでありますが、今度、こういうわけでたいへん喜んでおるのであります。喜んではおりますが、そこでこの内容を見ますと、看板看板ですけれども、いかにも断片的であるし、貧弱であるし、いわんや、基本的な理念というものがどこにあるだろうかをちょっとつかみかねるようなうらみがある、こういう気がいたすのであります、えらい率直な言い方でありますけれども。それで、中身につきましても、たとえば教材費の問題であるとか、あるいは施設の超過負担の解消の問題とか、これなどはたいへんよろしいと思います。そのほか、就学援助内容にも改善が若干あったり、育英資金にも改善があったりということで、よい点もむろんありますけれども、しかし、たとえば教科書無償給与の問題にしても、もう予定より二年ずれてしまった、こういう状況であります。それから給食費の問題などは、やっと現状を守った程度で、給食費父兄負担を軽くするという方向には何にもできていないというような感じがするのであります。やはり教科書、それから教材費、今度は、給食費の問題と、こうくるのだと思うのです。教科書の問題はまだもう一年かかるようですけれども、済んでからぼつぼつ給食費改善に進もうというのじゃ、ちょっとのろ過ぎると私は思う。これも不十分であると思うのです。それから、育英資金にいたしましても、ある程度改善は確かにありますけれども、どうもこれでいいだろうかという気が私はするのであります。どんな家庭に生まれた子供でありましても、本人能力があるなら、いわばどこまでだって教育を受けさせるというふうな考え方発展させられないだろうか。いま父兄教育費負担にずいぶん悩んでおることは御承知のとおり。食いものを減してでも子供教育をしようという状況で、父兄負担という点からいってもそうでありますし、それでもできないので、とうとう、ことに上級学校などはやれないという家庭もある。本人もかわいそうである。社会に出ても、高等学校さえも出ておらぬというのでは非常なハンディキャップで、低教育ということは、今日では不幸の一つの原因だとさえ私は思います。本人のためにもよくない。それから、日本の国としましても、日本の強みはいわば人間でありますからして、人間の才能、能力を開発、発展させるということは、日本としては国の発展上きわめて重要だと私は思うのです。いろいろな角度から見て、できることならば、本人に力があるなら、どこまでだって教育が受けさせられるような、そこを目ざして持っていけぬものだろうか、そう思うのであります。  そこで、一つの問題は、教育費負担をぼちぼち改善するということから一歩進めまして、やはり一つ基本理念を持って、そして体系的に、総合的にこの問題を発展し、前進させる必要があるように思うのであります。そこらから見ると、初めに申しましたように、これは断片的であるようだし、基本的な理念というものがどこにあるんだろうかというような気もいたすのであります。それで何か総合的、統一的に調査研究企画立案をするというふうな、そういうやり口を考えなければいかぬのじゃないだろうか、こういう気がいたします。そうして理念を確立する、それから体系的に施策発展させるという必要があるように思いますので、そういうふうな考え方をひとつ取り上げていただきたいと私は思うのであります。その辺につきまして大臣はどういうお考えをお持ちになっているか伺っておきたい、こう思うのであります。
  4. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 古井先生のただいまの結論でございますが、父兄負担並びに特に義務教育におきまする父兄と国との経費分担区分と申しますか、これを基本的に総合的に一応考えたらどうか、これは私は全く同感でございまして、非常に示唆に富んだ御趣旨だと思います。私自身が、実はそのことについて相当な、いま基本的には非常な、未解決と申しますか、悩みを持っておるわけであります。私は、義務教育の形におきましては、義務教育機会均等と申しますか、これは最優先に考えなければならぬ、こういう考え方を一応持っておるのです。したがいまして、経済的及び身体的あるいは地域的な関係におきまする就学困難な者に対しまして、これを必ず就学できるようにしてやる、これを第一段階考えなければいかぬ。それから、父兄負担軽減と申しまして、義務教育無償とするといいますが、いかなる限度までこれが無償であるか、父兄負担とのその負担区分をどうするか、これは必ずしも観念上統一した見解はいまないと思います。ただ、概して言えますことは、できるだけ父兄負担軽減すべきだということで、義務教育は当然無償だから、父兄が何も持たないで、国なり公共団体が全部持つべきだという結論には現在なっていないかと存じます。その意味におきまして、私どもとしては、父兄負担をできるだけ軽減するという措置と、それから義務教育教育を受ける機会均等ということを二本の柱のような考え方で進んできておりますが、その間に統一的な一つの基礎的な限界点研究と申しますか、調査研究、これは非常に必要なことだと思いますし、私も、ぜひそういう面に今後検討を加えてみたいと思います。  それから、ことしはいま申されましたように、教材費の問題については、これは基準教材についての調査をいたすのに多少時日を要しました。それで、これに基づきまして十年計画教材費も一応整えようという計画を立てまして、これがちょうど教科書無償の問題と重なり合いました関係から、二年教科書無償がおくれまして残念でございましたが、二年までということで、私どもがまんせざるを得なかった。そして教材費関係をことしからスタートするという形をとりました。ともに不十分であることは私ども十分存じております。申しわけなかったと思いますが、まあ、幾らか改善の道に進んだということでお許しを願いたいと思います。  それから、ことしの予算で、父兄負担軽減で私が一番残念に思いますし、申しわけないと思っておりますのは、給食費の問題でございます。いままでの給食に対します補助を維持したにすぎない。したがいまして、物価騰貴その他の問題によりますところの父兄負担軽減し得なかったことは非常に残念でございます。しかし、この点につきましては、ただいま保健体育審議会に、学校給食の全体の基本的なあり方、及び国がどのような程度にこれを負担すべきかというような根本問題について審議を要求しております。これも急いでやってもらいまして、何かそこに一定のあれが出ましたならば、その方向に向かいまして最善の努力をしてまいりたい、かように考えております。
  5. 古井喜實

    古井分科員 大臣のお心持ちはこれを了といたしますが、社会主義の国に行ってみて、よいところも悪いところもありますけれども、うらやましいと思う一つは、とにかく本人能力があるならどこまでだって教育を与える、こういう考え方発展さしておるところは、私は非常によい点だと思う。ぼやぼやしておると負けてしまう。やっぱりこれは先ほど申しましたように総合的に、基本的に、ひとつ考え発展をさしていただきたい、こう希望いたします。  具体的なとりあえずの問題としましては、いまお話しの、少なくとも来年度は給食費の問題は大いに解決していただきたいと思うのです。保健体育審議会研究なさっておることも伺っておりますが、何かえらいおそい。とうとうことしの予算ははずしてしまったというような気もします。これは来年度は給食費の問題を、教科書の問題が残っておってもものにするようにひとつぜひ考えていただきたい。これが一つです。  それから、学校運営費というものを父兄にいろんな形で転嫁するということが実際行なわれております。東京都が何か基準をつくって、四十二年度からこの問題を解決しようというふうにしているかのように聞きますが、これは東京都だけの問題ではありません。こういう慣行は正しくないと思います。第二番目には、やはり学校運営費というものにちゃんと基準を立てて、そうしてよけいな父兄負担をさせない、こういうことをひとつ実行してもらいたい。これを第二番目に希望いたします。  それから第三番目には、上級学校に力があればだれでもやりたい。ことに高等学校程度は、もう今日教育を受けていないと非常なハンディキャップです。これは育英資金においても、大学も必要ですが、特に私は高等学校関係について不十分なような気がしてならない。例の特別奨学金というのでありますか、あれにしましても、大体金額が安い。また、それがみんなの意見になっておるように思うのであります。育英資金については全面的に改善をしてもらいたいが、とりわけ、高等学校特別奨学金というものは、目に見えるくらい来年度は改善をしてもらいたいと思うのであります。これが三つ目の具体的問題であります。  いろんなことがありますけれども、いま申し上げておる問題の中では、この三つくらいは早いところ解決していただきたい、こういうふうに思いますが、一応御所見を伺っておきたいと思います。
  6. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 運営費の問題からお答え申し上げます。  学校運営の一般的にいわれておりますものには、ただいまお話に出ました、たとえば教材費とか人件費とか、当然公費で持つべきものを、父兄に転嫁されておるという点につきましては、教材費については計画的に国なり地方財政措置をして対処していくという方向をとりたいと思いますし、それから、人件費の問題は、わずかではございますけれども、まだいろいろな形で持っておるものがございますから、これはむしろ一面順次教職員の定数の改善ということを年次的に行なっておりますことと、また、指導の上でも、およそ人件費のようなものを持たないようにこれを指導してまいりたいと考えます。  それから、いま運営費の中の中心的な課題は、光熱水料その他の問題でありますが、東京都では暫定的に一つの方針を出しまして、東京都の実態に即しまして改善をはかろうとしております。これは東京都のみならず、各府県におきましてもそういう努力をいたしてもらいたいし、また、文部省といたしましても、そういうものを標準化して、現在の地方財政計画の中で運営費に盛らるべき要素というものが不十分な点がございますから、その点についての改善をはかっていくように努力したいと思います。
  7. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 給食費の問題につきまして非常に不十分でありましたのは、先ほど申し上げたとおりであります。特に率直に申し上げますと、本年度は例の小麦粉の一円補助の問題が問題になりまして、私どもとしましては、いまこういう小麦粉なり牛乳等主食負担区分をどうするかということを基本的に考えたいと思っておるときでございましたので、この根本的解決までは一円補助をぜひ存続したいという考え方でございます。その他の単価増等は相当不十分なところがありまして、これは申しわけなかったと存じます。しかし、将来にわたりましては、基本的にこれを考え直すつもりでございます。  それから、高校進学に対します育英資金の問題でございます。これはきょうお見えでございます植木先生もよく御存じでございますが、育英会が創立いたしましたときには、まるがかえの精神育英会をつくりました。それはもちろん成績等において優秀という制限はございますけれども自宅通学であろうが、下宿をいたしましても、その本人学資として必要とします限度は、これは貸してやる。もちろん最高限はございますけれども、大体において、その学資全部を親からもらわなくても、できるだけの育英資金は貸してやるというまるがかえの精神育英会は発足いたしました。でございますから、高等学校から大学に至るまで金額については相当差等がありまして、その返還は、御承知のように保険計算によりましてこの借り入れ金の償還を行なうという方式をとったのでございます。ところが、これは終戦後におきまして、特に金額に非常な差がありますし、保険会社じゃないので、事務的な処理で非常な困難を来たしまして、均等に、一律に貸す金額を決定して今日に至っておるのでございます。そういうわけで、今日高等学校就学する者について平等割りというような形になるのですが、非常に十分な学資を貸すことができない、これだけでは就学できないという状況でございます。これは私、現段階におきまして、これをにわかに変えるということは非常に困難ではあると思いますけれども、しかし、いま申されましたように、貧困等のために就学ができない者に対しまして、能力のある者を就学せしむる育英会の制度を徹底する意味におきましては、貸し付け金額につきまして相当考慮していかなければならない。ただ、現在は育英会借り入れをいたします人員が非常に多いものですから、需要に沿うように、なるべく多くの人に恩典を施すという意味から申しまして、極端に金額を増額するということは財政上許されません。この前の育英会ができましたときには、預金部資金を原資として借り入れいたしまして、これを貸し付けて、政府はただ利子補給をするという形をとったのでございますが、いま現計予算で、貸し付け金額の増は全部予算の増という形であらわれてまいりますから、これを急激に増額することができないという現状でございまして、御指摘の点は十分私どもも考慮いたしておるのでございますが、この問題の解決は、今後とも十分検討してまいりたいと存じます。
  8. 古井喜實

    古井分科員 それで事柄の必要は十分御認識になっておるようでございます。給食費にしましても、据え置きであって、とうとう牛乳は上がってしまうというようなことで、実際は負担増なんですね。いまのままにおいておくということは、負担をふやすということなんですね。軽くしたいという話であるのに、むしろふやしておるという現状は、どうもよくないと私は思う。これはぜひひとつ考えていただきたいと思います。  それから、いまの特別奨学金にしましても、あれは月三千円でしたね。三千円はひどいじゃないですかね。何ぼ数が多い、希望者が多いからといって、それはつまりそれだけ希望者が多いので、これは希望する人が多いということを示しておるのであって、それだから減らしていく、ふやさないというのも、ちょっとおかしなものだと思うのです。大体、大学ならとにかく、高等学校に入ってくる程度のものに貸すのだっておかしなもので、くれてやったっていいと私は思う。大学を出るくらいのものは、それは返さしてもいいかもしれないけれども……。それくらいに思うのです。しかも、金額が非常に少ないというのはまことに遺憾千万だと思います。だいぶめんどうな点があるという口吻でありますが、克服して、これはひとつぐっと前向きに進めていただきたいということを希望いたします。  それでは次の問題に移っていきたいと思います。これは皆さんはどうお考えになっておりますか、私は、いままで日本教育で、われわれも、また国民一般も、ひどく知能が発達したと思うのです。知的な教育というものは非常に進んだと思う。教育も普及し、専門の科学技術も高水準になってきた。つまり、頭はひどく発達したのですけれども、どう考えても、頭の発達に比べてからだと心というものがおくれてしまった。アンバランスを起こしてしまって奇形児のような姿になっているというのがいまの実情ではないかと思うのです。体格にしても、体力にしても、だんだんよくはなっているけれども、ひどく貧弱なことは、二年半前のオリンピックでようくわかったはずです。よその国は、御案内のように、西ドイツの例の黄金計画、フランスの二十五カ年計画、イギリスの例のウエルヘンデン卿の報告、これをもとにした施策、どこの国も大きな考え方から国民のからだをつくり上げていく問題に取り組んでおるわけです。アメリカだって大統領諮問委員会がいろんな活動をしておる。日本はちょっとこれをおろそかにし過ぎていると私は思うのです。これは一問題でありますので、ことに意味は違いますけれども日本にはもう兵役もなくなってしまった。軍隊で鍛練しておったということもかつてはあったけれども、なくなっておる。これはゆゆしい問題だと私は思っております。よその国に比べて落後するじゃないかと思う。二十一世紀には欧米人を追い越すくらいな理想を持って、長期の雄大な計画を立ててこれに取り組むべきだと思うのです。ところがこの問題、なかなか食いつく人が少ない。これは本気になれば効果を上げ得ると私は思っておるのです。少なくとも、ぼんやりしておるとよその国におくれてしまうだけでも情けない。この問題は、文部省所管というだけには限りませんけれども、一番大きな関係を持っておるのはやはり文部省ですから、ひとつ長期構想を立て、二十一世紀には欧米人を追い越すくらいな理想を持ってこの問題に取り組むように、どこかでそういう仕事を発展させることを文部大臣は推進していただきたいと思うのです。文部省にそういう機構を考えようが、ほかに考えようが、それはどこでもかまいません。関係の深い文部大臣にひとつこの問題を一はだ脱いでもらいたい、私はそう思うのであります。幾らかそういうことに腰を入れそうに思えておったのは、まあ、いろいろな政治的な問題は抜きにして、なくなった河野一郎さんだったと私は思うのです。政治家の見識としてこれは考えなければならぬ問題だと思う。文部大臣に、ひとつそういう長期構想を立ててこの問題を推進するということを考えていただきたい、こう思うのです。これが一つであります。  それからもう一つは、からだと心などと申しましたが、まあ、終戦以来の風潮を見ておっても、生活を築こう、経済を繁栄させよう、つまり生活経済に一生懸命になってここまで来たのでありますけれども、反面において、どうも人間経済とりこになってしまっておるような気がしてならぬ。つまり、言いかえれば、モラルを失ってしまった、人間の立場を失ってしまったのではないかと思う。ひどく言えば、今日もう金に踊らされておる道化役者みたいなかっこうで過ごしておるというところに、各分野におけるあのとおりの犯罪、不道徳が起こってくる根源があるように思えてならぬのであります。これは日本全体の問題だと私は思います。政界にいろいろな問題が起こるのもそこからきておると思う。この問題は、若い者にがみがみ言う前に、政治家教育者が先に立って倫理観念を取り戻すことを、実行をもって範を示す必要があると私は思っておる一人ですけれども、とにかく、問題は大きいし、きわめて広範な問題でありますが、今日、いわば経済とりこになったような人間を解放しなければならぬという、ここに大きな欠陥と問題があるという認識くらいは持ってかからなければいかぬように私は思います。そういう認識がほんとうに持てたら、あと、どういうことをやっていくか、発展させるかということは、おのずから生まれると思う。その認識が欠けておるところに根本問題があるように私は思うのであります。ただ西欧的な物質文明を輸入して、それだけで日本の将来があるものとは私は思わない。経済的繁栄は起こりましょう。けれども、いわばアジア的な精神文化と道義というものを根底に復興して、この根底をつちかっていかぬと、私はどうも大事なことが欠けておるように思うのであります。問題の認識がまず大事だ。認識があれば文部大臣お一人が何らかの行動をとられても、世間に与える影響は大きいと私は思います。  そんなことを思いますので、さっきのからだをつくる問題、それからいまの、今日の倫理の欠けておる問題を私は提供し、かたがた御所見を伺っておきたいと思います。
  9. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 終戦後の教育の方針でも、知育と体育と徳育が並行して、バランスをとって、調和ある教育がなされなければならないという原則は打ち立てられたと思いますけれども、やはり、先生御指摘のとおり、今日、二十年になりまして、相当教育の欠陥が露呈されてきていることは事実だと思います。特に体育のからだづくりの問題でございますが、これは終戦後におきます日本の学童等の体力関係から申しますと、相当改善をされてまいっておると思います。大体いろいろの調査の結果によりますと、十四歳くらいまでの期間におきましての体力は、そう欧米の諸国に比べまして劣っていない。それからの青年期の伸びがとまってしまいまして、非常な差が出てきておるような状況であるようでございます。そこで、この事実を見まして、まず第一に、将来に対しまする体力の伸びを来たすような教育的な基礎に何か欠陥があったのではないか、こういうことをいま調査をいたしまして、小学校、中学校におきまする保健体育のあり方、これをただいま再検討してもらっておりまして、学科課程の全部の改善と同時にこの問題を改善してまいりたい、こういうことで、いまこの問題につきまして極力調査をいたしておるのでございます。なお、国民全体としての体位の向上ということは、やはり教育的な面だけではございませんで、社会生活社会環境、風俗、習慣、これらのものの中にも相当ありますので、こういう問題とあわせて日本国民の体位の向上をはかってまいりたいと思っております。  次に、ものにばかりとらわれて、徳育といいますか、道徳性が欠如をしておるではないかという問題は、御指摘のとおりだと私も思います。結局、文部省としましては、昭和三十三年でございますか、道徳という教科を特設いたしまして、義務教育におきまする道徳の涵養ということについて今日まで努力してまいりました。しかし、この問題は、結局教師とそういった科目を設けただけで直ちにこれが教育に及ぼすというわけにはまいりません。現場におられる各教師の方々がその気になりまして、ひとつ力を合わせてやってもらわなければならぬ状況でございます。今後とも、私どもはこの方向に向かいまして、いわゆる知育だけでなしに、道徳及び体力、これを合わせて、調和のある国民の育成に努力してまいりたいと思います。
  10. 古井喜實

    古井分科員 それでは私はこれでやめますが、どうか文部大臣、いまの問題は少し高い大きな立場から考えてみておいていただきたい、そして御在任中に何か足跡を残していただきたい、そう思いますので、それを希望しまして、私の質問を終わりたいと思います。
  11. 北澤直吉

    北澤主査 山中吾郎君。
  12. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 私、現在の学校制度に関連しながら教育の問題について文部大臣に伺いたいと思うのですが、最近の新聞その他に発表される教育論議は、多かれ少なかれ、六・三制という学校制度と関連をして論議をが出てきておる。二、三年前までは制度に関係なく教育論議があったのですが、最近は、大体の共通した点は、制度に関連をしてきておると思うのです。したがって、日本教育問題は、教育制度というものと結びつけないと解決しないところまで来ているんじゃないかというふうに私は見て取っております。ところが、文部省の諮問のしかたは、大体幼児教育はどうだ、後期中等教育はどうだと、断片的に諮問されておる。しかし、幼児教育から大学教育までは一貫した有機的なものであるので、個々の諮問のしかたの中で、今度あらわれてきたものがおのおのそこに矛盾があって、有機的な結論にならないので、やはり未解決のまま、諮問は受けたがどうにもならない、そうして問題は解決しないという状況にきておるのではないかと思うのですが、その辺は文部大臣は専門家であるので定見を持っておられると思うので、お聞きしておきたいと思います。
  13. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは私から始めたわけではございませんが、前の文部大臣からもその引き継ぎを受けておるのでございます。いまおっしゃいましたように、たとえば中教審に諮問いたします場合に、ある特定の問題を限りまして諮問してきたことは事実でございます。しかし、現段階におきましては、いまの学制全般といたしまして、戦後二十年のいまの社会の進展その他の状況、変化に即応しまして、全体としてこの学制について再検討するときが来ておるのではなかろうか、こういう意味から申しまして、実はこの中教審にも専門委員を増加してもらいますとか、文部省に特別の係官を設けますとかして、予算を通していただきましたならばこの問題に真剣に取り組む形をとっていこう。それから中教審に対する今度の諮問の問題につきましては、まだ確定的な問題を予定しておるわけではございませんけれども、私どもといたしましては、いま申しましたような総合的な学制全体についての何らか考慮する点はないかというような意味合いの諮問をいたしたいと存じまして、ただいまその内容等について準備をいたしておる段階でございます。
  14. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 全体として有機的に検討すべきだというお考えを持っておることが明らかになったので、一つの前進の姿ではないか。もう少し有効的な方向に動くべきだと思います。ただ、ここでお互いに理解し合っておく必要があると思うのですけれども、六・三制というものはやはりいい制度であって、戦後日本教育の進展に大きい役割りを果たした。これはお互いに認識しなければならぬ。ただ、この六・三制を基礎にして、さらに日本教育制度を発展せしめるという方向で六・三制を根本的に検討すべきだという考えなんですが、最初出発したときに、拙速というのですか、そういうことで出発したので、準備をすべき教員養成計画もなかったし、この六・三制施行の財政計画もなかった。大蔵省が抑えたためだろうとも思うし、それは終戦後しようがなかったと思うが、国民に対する新制度の啓蒙運動もなかったと思う。しかし、最初の傷は永久に残るような傷になったと私は思うのです。出発点が悪かった。と同時に、六・三・三という小刻みな制度が日本のような学歴尊重主義と結合して、入学試験の弊害を、日本の風土とアメリカの風土が違うので、アメリカでは想像しない弊害をつくったのではないか。したがって、六・三・三制という小刻み制度というものの傷はどうも直りそうもないということ、それから六・三・三の高等学校の三カ年というのは、すでに準義務化するほど進学率が多くなってきたので、六・三・三という三段階を官制教育で繰り返すということに、教育の問題がうんとある。六・三までの義務教育を前提として出発したのであって、六・三・三の高校段階まで大体全入制度に近い方向にきた場合には、現行三段階を二段階にすることの再検討をすべきだ。だから、六・三制の功績を認めて、その上に状況変化に基づいた検討をすべきだと思うのです。ところが、剱木文部大臣が、就任をした直後においては、まだそういうふうな、考えにおいてはそこまでいっていないと私は見てとっておるのですが、その点はどうでしょう。
  15. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は、このいまの学制の立て方に対します考え方は、種々雑多と申しますか、いろいろな方面でいろいろ論議されておるのも存じております。ただ、現段階におきましては六・三・三・四制を直ちにどう変えるというようなことは、よほど基本的な調査をいたしまして、これならばという制度に国民も納得するのでなければ、にわかにこの学制そのものを変革するという議論は、これは巷間いろいろ申しますのは自由でございますが、文部省としてもこれは研究しなければならぬ問題だと思います。ただ六・三制の現在の制度の中において現に相当な欠陥も露呈してきておるのでございまして、その欠陥は必ずしも制度そのものの悪さでなしに、制度のやり方において、たとえば入学試験とかそういったような問題で弊害が出てきておる。だから、そういうものはできるだけ早く直していきたい。だから、制度をどう変えるかという問題につきましては、やはり基本的に再検討いたしまして、その結論については、いわば国民全体の納得するような結論を得てやるべきだと私は思っております。
  16. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 少し大臣認識が違うのですが、六・三制の運営に欠陥があって、六・三制という制度とは無関係であるという御意見のようです。これは時間がないので、ここで論議するとたいへんだから飛びますが、大体中学を卒業したときの入学試験、さらに三年たって大学の入学試験、十二、三歳から十五、六歳の少年時代に二回もこういう不適当な入学試験制度を重ねていくということ自体、これは小刻みの制度からきていると思うのです。そういう中で、これはやはり六・三・三という小刻み制度は検討すべきだと思う。これは入学試験の方法だけではなしに、制度と関係があると思うのです。そういうことも含んでやはりもう少し前進して、文部大臣もビジョンを持って文教行政を進めていただきたい。論議はここで取りやめます。次の機会にしたい。  それでは具体的なことについてお聞きしたいのですが、一つは、日本の学者、研究者に対する待遇改善の問題、これはよほど検討すべき段階にきておると思うので、その点についてお聞きしたいと思うのです。そこで、日本の学者の中で、諸外国にいわゆる頭脳流出というのですか、流出しておる大体の学問別の人数あるいは諸外国の国名まで、明らかならば言っていただきたい。そこまでいかなくてけっこうですが、大体の日本の一流学者が諸外国に流出しておる資料をひとつここで紹介していただきたい。
  17. 天城勲

    ○天城政府委員 日本の学者の海外への流出ということがよくいわれるのでございますが、それをどういうふうにとらえるか、とらえ方によっていろいろの数字が出てくるわけでございますが、昭和三十四年から三十八年度までにつきまして、これはかつて私いろいろな方法で調べたのでございますけれども、三十四年から三十八年度までの期間を特に限りまして、科学技術関係の技術者の問題もございますし、文部省の教官の問題もございますので、共同で調査いたしましたのが、必ずしもまとまったものではございませんが、当時六カ月以上の期間にわたって海外に渡航した——これは自然科学者を中心にやっておるのでございますが、研究者、学者は四千七百名でございます。そのうち大学関係は三千二百六十名でございます。この全体の八割は二年以内に帰国しております。したがいまして、海外に就職したと思われます自然科学者は全体の三%で、約百四十名というわけでございます。そのほか、私たち、国立大学の教官につきましては、毎年度海外に就職するために退職したという面からとった資料もあるのでございます。これも非常に限られた資料でございますが、それによりますと、助教授、教授について見ますと、毎年そう多くはないのでございまして、三十六年で九名、三十七年で十三名、三十八年で十九名、三十九年で九名、四十年で十一名というような数字が出ております。ただ、これはいろいろ押え方によるのではないかと思っておりますが、いままで概括的に見ました資料は以上のとおりでございます。
  18. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 数学の学者を中心として、新聞紙上その他憂うべき現象として評論されておるのですが、やの点は文部省ではどういうふうにお考えになっておりますか。心配ないのですか。
  19. 天城勲

    ○天城政府委員 いままでの調査で申し上げましたように、すべてが海外に就職して帰ってこないというわけでございませんで、大体八割方の先生、研究者は二年以内に帰国されております。基本的に申しますと、若い研究者が広い視野で国際的な場で研究を進められるということは、私けっこうなことだと考えております。ただ、いま世間でも問題になっておりますのは、数学者が非常に多く、これはアメリカに行ってそこに定着するという問題が特に大きく取り上げられておりますが、数学の問題はちょっと別として、全体といたしましては、学者の出入りが、外国の学者も日本に来、日本の学者も海外に出るということそのものは私はけっこうなことだと思っております。ただ、数学の場合に見られますように、日本研究条件が悪い、あるいは研究環境が不適当だ、そのために、外国のほうがよりよい条件だから外国に行くという点につきましては、われわれも国内における研究者の研究環境の整備ないしは待遇の問題については、今後なお十分に努力をしなければならぬと考えております。抽象的でございますが、基本的にはそういうふうに考えております。
  20. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 いずれ、海外へ流出しても、日本の国の学者だから帰ってきたいという気持ちから帰って来ると思うのですが、学者の人々の欲求不満というのですか、実感からいった欲求不満はずいぶんひどいように思うのです、行政の感覚は別として……。それは第一は待遇の問題、第二は研究環境の問題ということは常識に言っておるようですね。それで、アメリカあたりの待遇を見ると、またわれわれ比較できないほど非常にいいので、これは別にして、もう少し研究者、学者に対する給与体系というのですか、これはいわゆる一般公務員という一本の行き方でなしに、全然別途の給与体系というのか、そういうものをつくる必要があるのではないか、そういうふうに思うのですが、その点について、戦前と比べて確かに研究者というものに欲求不満を与えるような物質的、社会的な環境を与えていることは間違いない。いま、日本教育とかあるいは学問のエネルギーというものは、戦後に積み重ねたエネルギーでなくて、戦前蓄積したエネルギーが戦後に一つの効果を出しておるという感じがしている。戦後はむしろ消耗しているのじゃないか。戦前のストックを消耗さして現在の功績を出していると思う。文部省においては、そういう切実感がなくて、これは戦後やはりわれわれの文教行政の結果うまくいって効果が出ているんだとお思いになるのは間違いじゃないか、それを考えるので、学者、研究者の教育研究環境の根本的な改革、これはぜひやるべきだと思うので、いろいろ資料があるのですけれども文部大臣もその点は十分おわかりだと思うので、現在のこういうものに対する考え方、それと今後についての方向を示すようなあなたの御意見を伺っておきたいと思うのです。あと、いろいろの機会に内容的に議論を進めていきたいと思いますので、これについての大臣の方針が明らかになるような御所見を聞いておきたいと思う。
  21. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは教育者全般について私も一つ考えがあるのでございますが、やはり教育者の給与体系というのは、特に学校の教授及び教師の給与体系は、一般の公務員と違った給与体系をとるべきじゃなかろうか、これは私、基本的にそういう思いをしております。特に、たとえば勤務状態等につきましては、一般の公務員とは全然違う勤務の態様を持つべきであって、したがってまた、給与の体系もそれと異なった体系を持つべきじゃないか。ただ実際問題としまして、多分荒木文部大臣のときじゃなかったかと思いますが、この問題の解決に踏み切る意味から申しまして、大学の学長の地位につきまして特別の考慮をいたしたことがございます。これは大学の側からの反対にあいまして、ついに実施に至りませんでした。しかし、何らかの意味において、大学教授等につきましては特別な給与の体系が当然考えられなければならぬ。私は就任いたしましてから日はまだ浅うございますけれども、私といたしましては、十分この問題に取り組んで解決してまいりたいと考えております。
  22. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 荒木文部大臣のときに、大学総長の認証官の法案が出ましたが、それは私も正面切って反対したので、一言論及しておかなければいかぬと思うのです。待遇改善はうんとしていただきたい。しかし認証官とかいうふうな一般の官庁の任命のしかた、役人的な地位に近づけることと待遇改善を結びつけることは、学者としてのイメージがつぶれる。そこにどこか悪意があることも、悪くいえば推察できて、それで文句を言ったわけです。そして認証官にしなければ十八万に上げられないというのは、国会議員が十八万であるから、認証官にしなければ上げられないんだ。一般の役人の最高の給与ということが提案の説明であった。ところが一方はもう二十四万になった。そのときに理屈はなかった。そういうふうに、そういうものと結びつけて学者の待遇をできるだけ行政官庁と同じような方向に持っていくような意図で文教行政をやられるという精神そのものに根本的な疑惑があったのでああなったのですよ。誤解のないようにしてもらいたい。  それから、大学研究学者の待遇改善をするというのは、総長ではなくて、現在の助教授その他のほんとうに研究をしておる者、伝統的に封建的な人間関係で、研究しないで弟子の研究したものを自分の名前で発表するような研究室の封建的なものをなくして、助教授級を上げなさいというふうな世論も、そこにあの法案をつぶす大きい問題があったので、もう少し内容的に分析して、新しい文部行政というものを進めていただきたい。いま荒木さんの話が出たのですが、異議がありますから、申し上げておきます。  そこで教師の場合についても、いま何か八時間制とか出ておるそうですが、その前に、もしそういう方向に持っていくならば、戦前の教師の場合のように待遇改善を徹底的にすべきである。戦前において東大の卒業生の初任給が八十円のときに、高等師範のほうは初任給を百円にした。十五年もすれば逆になるけれども、最初は百円、教壇に立ったときから一つ生活の安定をはかるぐらいにして、戦前の教師はエネルギーをストックしたはずですが、これをしていないで、ああいう枝葉末節で、何か日教組の対策と結びつけるようなけちくさいやり方はとるべきじゃない。そうなればいまの公務員の倍にしなさい。そうして教壇に立って、教授技術を覚え、教師としての精神的な態度ができてから、生涯の職業であるということを自覚してから、そのときに昇給をしたらいい。昇給は六年停止しておってもいいから、最初は倍ぐらいにするとか、もっとほんとうに教師の待遇を考えるならば、そういう方向改善すべきだ。そういう根本をいじらないで、枝葉末節の現象面でけんかをせねばならぬということばかりおやりになるのはやめたらどうか。もし教育者の全体の給与体系を論じられるならば、私は、もう少し文部大臣と論議をしなければならぬと思う。そしてもっといい者を入れるならば——いつかも言ったのですが、戦争前の師範学校に入った者には短期現役制度を採用して、軍国主義時代であったのに徴兵忌避制度を認めた。まことに不合理千万なことまでして、農家の長男の最も優秀な者が教育界に入るようにした。それが現実においては、十七、八歳の青年に教壇というのは魅力がない。教壇に立ち、教育が一番大事だというのは、われわれ四十、五十になって、生活経験が豊かになった後なんだ。二十歳ぐらいの者は、そういうじみな教壇に魅力を感じていくというのはないのですから、そんならそれで別な方向で、使命感がどうだという前に、優秀な者が教育に入っていくだけの魅力とそれから環境を与えるべきであると思うのです。それをしないで、教師に使命感を説いたり、そんなばかなことをして、どこに優秀な教師が入ってきますか。剱木文部大臣自身は文部次官になったけれども、二十歳前後、大学を出たときに、教育が人生で重大であるからといって教壇を希望されたことはないでしょう。そういう現実の心理というものを考えて文教政策を立てるべきである。それを政治家の思いつきで、いまの教師はなっておらぬとか、そういうことは枝葉末節であり、本末転倒であると思う。私自身が、同じ体験をしておるのです。生活が豊かになったあとで初めて教育というものの重要なことがわかるのであって、そういうものを切り離して文教政策を立てるべきであり、日経連の助言をすぐ容易に受け入れるとか、あるいは政党の意見をすぐ——それがほんとうの教育の政策からずれておる、団体弾圧のにおいがある、あるいは選挙対策のにおいがあっても、それをすぐたやすく受け入れられるというなら、これは教育行政の中立性は出ない。教育の中立性を主張する前に、教育行政の中立を、文部大臣が腹をきめて、確立する中において日本教育というものが進められるのですから、そういう思想も十分持って、この問題はもう少し深く掘り下げて検討してもらいたいと思うのです。教育者と同時に、私は、学者、研究者というものは、やはり違ったものがあると思うので、その点も検討すべきではないか。それは大学院の問題に入ってくると思います。だから、大学院について素質優秀な者を入れるという制度と同時に、やはり大学院に対しては生活費も含んで十分の奨学資金を出す。教授は大学院と学部の兼務を解いて、あるいは設備も独立せしめて、形式的な大学院の独立、大学学部の独立でなくて、教授、助教授、設備を独立せしめるという姿の中で日本研究を高めることをやらなければ、いまのような状況では戦前の日本の学問のストックがなくなってくるだけだと思うのです。そこで、ぜひその点は幼稚園から大学まで含んだ有機的な検討の中で、もう少し積極的に検討してもらいたいと思うのです。検討するかしないかを含んで文部大臣考えておりますが、あまりそう慎重とか消極的でなしに、ある程度大担にやるべき段階にきておると思うのですが、その点はどうですか。
  23. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 まず第一に、ちょっと私、申し足りなかったと存じますが、荒木さんのときのことを例証に引きましたが、私は、認証官をまた復活して私がやろうという考え方を持っているわけじゃございません。ただ、あのときに教育者に対しまして何らか異なった給与体系を考えたい、こういう意思であれをやったと考えておりまして、その努力が行なわれたことは事実だと思います。そういう意味におきまして、何らかそういう点を考えたいということを申し上げたわけでございまして、認証官そのものを再現しようとかいう考え方をいま私が持っておるわけではございませんから、その点は誤解のないようにお願いしたいと存じます。  それから、学者養成のための大学院の制度でございますが、いま申されたとおりでございます。それで今度の予算なんかでも、もちろん不十分ではございますけれども大学院の学生に対します育英会の貸費は相当考慮いたしましたし、人員の点から申しましても、また単価の点から申しましても、現段階におきましてはできるだけのことをやりました。しかし、これだけではまだ十分生活まで保障するというわけにはまいりません。しかし、この点は相当将来に向かいまして重点的にやってまいりたいと思いますし、大学院のあり方の問題だと思いますが、いま御説の点は、私どももぜひ研究してまいりたいと存じます。大学院をあらゆる大学に分散いたしまして大学院制度を置くべきか、あるいは数個の大学に対しまして、大学院を主とする大学で、あらゆる国公私立を問いませず、大学院に入りたいという優秀な者をその一つのところに集中的に受け入れていく、こういったような大学院を——これはまあ、大学院だけを置く大学をつくるということは、私自身は賛成できないと思います。やはり小さくても学部を持っておって、足を持っておって、その上に大学院を置くべきだと思いますが、特定の大学においてはあらゆる大学から受け入れるような、大学院を主とする大学考えてみる必要があるんじゃなかろうか。いま私はこれを直ちに実施するとか、そういうことではなしに、いまお説がございましたから、こういう点について十分考えなければならぬときがきておると思っております。
  24. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 終着駅については論議があるんですが、大学院を主とする大学方向をぜひ検討すべきだと私は思うので、積極的に、大胆に、もう少し制度論を含んで文教政策を吟味してもらいたいと思います。  民族教育、私学関係、質問者が二人予定しておりますから、それはやりません。これで大体終わりますが、今度初めて出された教材整備計画、これについて一言だけ。今度、本年度の予算が四十四億でしたか、全体計画について八百億国の予定をして、したがって地方の二分の一の支出を含んで千六百億ですかの十カ年計画のように聞いておりましたが、いまの四十四億という出し方から、この十カ年計画はずれることが明確に予算の計上のしかたで出ておる。しかも、第一次の査定において大蔵省がゼロに査定しておったのが復活して、ようやく四十四億に戻っておる。大体文部省計画というものはずれて、ずれて、そうして教材整備ができた時分には、今度は教材が古くなって、一番古い教材で教育をするというふうな、日本の文教政策は後手後手ばかり。経済は成長し過ぎる、文教政策はストップ、こういうアンバランスが常にあると思うので、この点、責任を持って十カ年計画を推進してもらいたい。現場の教師からいいますと、いまの教材整備では、おそらく半分は教師が自分で教材を製作しなければやれない、非常に少ないものだと思うのです。だから、大きく必要なものは各町村に共通の教材整備センターを置いてもいいが、教育の水準を高めることだけは責任を持ってやってもらいたい。大蔵省の主計官もおるけれども、一番大事な問題が一番じみなため取り残されておると思うので、これが成功するかしないかが戦後の教育水準を高めるか高めないかの一番のめどだと思うのです。もう質問しませんが、主計官にも十分その点認識してもらって、教材計画だけは確実に実行するように、私は日本教育水準を高めるべく、国民の一人として切望しておきたいと思う。それを責任を持って明確に答えてください。
  25. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 教材費の問題について非常に御考慮いただき、ありがとうございました。われわれ十カ年計画を立てまして、大蔵省との間に、十年で必ずこれを実施するという完全なる御了解のもとにございます。ただ初年度におきましては、これはことしから初めてスタートするのでございますから、これにつきまして御了解を得るために相当難航したことは事実でございます。しかし、また実際、初年度において十分の一というわけにはまいりません。これは暫定予算を組み、年度もおくれてまいりますし、準備行為もありますから、初年度はこれで充足していける。しかし、十年計画でやるということだけは明確に大蔵省と了解を得ておりますから、その点御了承いただきたいと思います。
  26. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 けっこうです。
  27. 北澤直吉

  28. 石野久男

    石野分科員 文部大臣にお尋ねします。  大臣は、先日、東大の宇宙航空研究所のあり方について、東大宇宙研究のあり方は大学の自治とも関連するので、東大側で自主的にきめてもらいたい、しかし、同研究所の本務はロケット及び宇宙空間に関する基礎研究研究者の養成の二つに限るべきだと思う、このように大河内総長と高木所長にお話しなさったようでございます。この東大宇宙航空研究所の運営といいますか、ここでお話しなさいました今後の運営の問題ですね、それについての構想を、この際ちょっと聞かしていただきたいと思います。
  29. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 いまそのロケット研究のあり方でございますが、これは宇宙開発審議会でございますか、そこで大体の方針は決定になっておるわけでございまして、東大で行ないます宇宙開発はミュー型の研究開発、これをもって限界といたしまして、これはあくまで宇宙物理学の原則の線に沿いました研究の面でございまして、応用ロケットの開発につきましては科学技術庁においてこれをやるという限界はきまっておるわけでございます。でございますから、東大の宇宙研におきましてもこの線に沿いまして、ミュー型の開発までを限界といたしまして今後続けてまいりたい、こういうふうに思っております。
  30. 石野久男

    石野分科員 その考え方は、いまの内之浦の研究所ですね、あすこではミューだけということにして、それ以後は全部種子島でやる、こういうことですか。
  31. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 御承知のように、ミュー型までは固型燃料を使っておって、これが科学技術庁で開発しております液体燃料になりますと、相当大きなしかけが要るわけでございまして、内之浦ではできないのではないか、ですから、いまの限界までが内之浦でやれると私は聞いております。
  32. 石野久男

    石野分科員 意見は別として、ここで言われる研究者の養成という問題とそれから基礎研究、それから応用という実際上の関連する問題が非常にむずかしかろうと思うのです。ことに内之浦、それから種子島とがああいうふうにして二つに分かれたりなんかしていますが、そこらのところの研究者の養成の問題と、それから基礎研究、応用、その連係する関係はどういうふうにお考えになっておりますか。
  33. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 まあ、原則といたしまして大学で行ないますのは、これは基礎研究が主になることは当然でございます。しかし、最近の科学技術の進展によりまして、基礎研究、応用研究、開発研究ということが必ずしも分離して行なわれない場合もございます。東大で行ないます場合はあくまで基礎研究を主といたしまして、これに伴いまして多少の応用研究、開発研究というのが、特にロケットなんかの場合は伴ってまいりますけれども、しかし、これはやむを得ないのじゃなかろうか、あくまで基礎研究を主体として行なってまいる。それから、これは将来の応用研究でございますか、実用のロケットを打ち上げるとか、各省でいろいろなことが行なわれまして、これを一元化するという問題が起こっておるわけでございますが、いよいよこれらのそういう研究が行なわれてまいります場合におきまして、常に研究者の養成、供給源というのは、これはどうしても大学が分担しなければならぬ。だから大学の学生なり若き研究者、学生を養していく任務というのは、常に大学がこれを持っていなければならぬ。その意味におきまする研究大学において今後とも続けていくべきだと考えております。
  34. 石野久男

    石野分科員 今度宇宙航空研究所の問題で、経理的な問題がありました。この経験にかんがみて、今後文部省が受け持たれる、特に東大の研究所の問題についての予算編成の上で、何か特別にお考えになっている点がありましょうか。と申しますのは、いままで、結局あそこまでくるについていろいろ金もかけたし、実績も、まだ十分でなくても相当程度あがってきている、その中で不祥事実が出てきているわけですから、そういう点で、予算編成上特に文部省として考えなくちゃならぬ問題がもしあったら、この際聞かしていただきたい。
  35. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ロケットのこれまでの研究過程におきまして、経理上につきまして会計検査院から注意事項の問題がございました。これは確かに御注意を受けるだけの理由はあったわけでございます。その点はまことに申しわけないと存じておりますが、その後会計検査院とも十分お話し合いをいたしまして、経理上の間違いを起こさないように、契約その他の事項を改善していくという方途をとってまいっておりますし、今後はああいう問題は起こさないと私は確信しております。ただ、東大の中におきましてああいう大きな予算を取り扱っておるのでございますし、いろいろなロケットの発注その他におきましても、新しい面を開拓する面がございますし、経理上から申しますと相当複雑であり、また、東大の現在の能力の限界を越える点もあるかと存じます。そこで、とりあえずの予算措置といたしましては、宇宙研に対しまする経理関係の人員を増加いたしまして、その体制を強化するという方法をとってまいっておるのでございますが、まあ、今後の経理につきましては、文部省も十分考慮を払いまして、誤りのないようにしてまいりたいと存じております。
  36. 石野久男

    石野分科員 この際一つ聞いておきたいのは、いろいろ事件があったり、そして事故があったりしたからというので、経理関係の人員だけはふやすけれども予算の額はなるべくなら詰めたらいいじゃないかというような、後退的な考え方などは持っていないのでしょうね。
  37. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 予算関係は、予定計画に従いまして、そのとおりにずっと計上して、今後の研究を進めるのに何ら支障ないだけの予算を計上いたしております。
  38. 石野久男

    石野分科員 大臣は、先日の分科会で川崎議員の質問に答えて、ユニバーシアードの問題について、できるだけ予算措置をして、学生スポーツの意義を高めたいということをおっしゃられている。このユニバーシアードの開催の問題については非常に問題点が多いと思うのです。特に文部省の立場からすると、外務省は外務省なりにいろいろな方法なり処置をとっておるようでございますが、この際はお聞きしておきたいのは、ユニバーシアードのFISU憲章の第二条は、政治的、宗教的、人種的差別を認めない方針だということを明確にしておりますし、それから第三条では、これの立候補の予定地は、本則第五条から第十条に期待されるべきすべてのものを保護せよということが書いてある。それから第五条には、ユニバーシアードの規則を守ることを約束する事項が書いてある。第六条は、開催国の出入に河らの困難にあわない旨の正式保証を提出しなければならない、こういうことが書いてあるわけです。この際、いま朝鮮民主主義人民共和国の国名問題が非常に問題になっていて、そしていまの段階ではオリンピック方式でやるんだということで、日本は北朝鮮という名前をそのまま使うということを言っているようでございます。しかし、これはリスボンのFISU実行委員会で、国名呼称の問題についていろいろ論議をしたときに、日本の提案したのは必ずしもそれを認められているわけではありませんですね。IOCから資料を取り寄せて研究するということになっている。そういう実情からいいますと、学生スポーツの世界的なオリンピックをやるわけですから、競技をやるときの日本の文部当局のものの考え方は、学生スポーツの精神を守り抜いていく意味において非常に重要だと私は思っています。不幸にして日本日本の独自の立場だけで方向をきめたりしていった場合に、世界各国の集まりという実績ができなくなってくるというようなことになっては、非常に困るだろうと思います。私は、文部大臣が川崎委員に答えた学生スポーツの意義を予算措置もして高めたいということ、その意図はよくわかりますけれども、しかし、この精神を忘れてしまったのでは困る。そういう意味で、いま問題になっている朝鮮民主主義人民共和国という国名問題について、政府としてはどのような考え方を持っているか。特に文部省の立場からどういうようにお考えになっているかを、この際聞かせていただきたい。
  39. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は、憲章の線に沿いまして、できるだけ学生スポーツとしてあらゆる学生が希望して参加しまして、学生スポーツの神髄を発揮してもらうようにやるべきだと思います。ただ、実際の実施につきましては、組織委員会の決定というか、それにおまかせしてやっておるのでございまして、私としましては、組織委員会のほうでその趣旨にのっとりまして、できるだけ学生スポーツとしての趣旨をこわさないようにしていただくように希望いたしております。
  40. 石野久男

    石野分科員 組織委員会の決定が参加各国の理解と賛成が得られるというような場合は、それでいいと思うのです。しかし、その場合、必ずしも全部の賛成が得られないで、一部の国が参加できないというような事情がある。そういうような場合には、文部省はどういう態度をとりますか。
  41. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 そういう問題は、具体的な問題が起こってみませんと、いま仮定でどうだということを申し上げかねますけれども、できるだけそういう問題が起こらないように、やはり学生スポーツとしてあくまで親善関係において行なわれますように、具体的な問題が起こりました場合にそれに対しまして善処してまいりたいと思います。
  42. 石野久男

    石野分科員 政府が直接行なっているものじゃないと思いますけれども、しかし、文部省は、世界学生スポーツの祭典を営むときの開催国、当事者国の政府の立場というものを明確にすべきだし、また、無定見にとにかく力の関係やなんかでごたごたがあるのをそのままほうりっぱなしにしておくということは、よろしくないだろうと思うのです。私は、もし参加国の中で完全参加ができないような不祥な事態が出てくるような場合は、日本国という国の名誉の観点から、そういうことを開催することによって不名誉な歴史を残さないようにむしろすべきじゃなかろうかと思ったりするのですが、そういう点について大臣はどういうふうにお考えになりますか。
  43. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 あくまで学生スポーツの精神にのっとりまして、フェアな形で行なわれることを希望いたしますし、日本の不名誉にならないように努力してまいりたいと思います。
  44. 石野久男

    石野分科員 この問題は、実際に問題が出てきたときに、いまのような大臣考え方で善処してもらいたいと思います。大臣にお尋ねしますが、各種学校法の問題について私たちもいろいろなうわさを聞いておるのですが、この際に、わが国におる外国公民の民族教育という問題について、文部大臣はどういうふうなお考えを持っておられるか、ひとつ聞かせていただきたい。
  45. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 学校教育法の一部改正につきましては、まだ提案をいたしておりませんから、その内容についてどうということはこの際申し上げるあれはないと思いますが、民族教育という問題につきまして、いまいろいろ論議されておるわけでございます。外国に滞在する場合におきまして、自国の祖国のいろいろなことばでございますとか、そういったようなものについて忘れさせないようにするというような教育、これがいま外国人教育という問題の重点だと私思います。これはほとんど世界各国を通じまして、その滞在する国におきまして、祖国のことばによる教育とか、そういうことをやったりいたします場合は、ほとんど、たとえば外交官でございますとか商社に行っております者の子弟でございますとか、そこの国に永住をするということでなしに、長短の期間はございましても、一応国に帰ってくる、こういう状況の学校が今日まで対象になって、それで外国人教育というものが論議されてまいったと思います。ただ、日本の場合におきましては、日本と朝鮮との特殊関係によりまして、終戦後におきまして相当たくさんな朝鮮の方が、その以前においては日本人であった者が、終戦と同時に外国人という国籍になりまして、しかも、それが相当長く永住するという形において相当数の方がおられる。この事実は、おそらくこれは世界に類例のない一つ日本の特異の現象であろうかと思います。これに対しまして、終戦後その国籍が日本人から移ってまいりました朝鮮人に対しまする教育をどうするかという問題が、終戦後の教育上の非常な重大問題となりまして今日までまいっておるわけでございまして、ある場合におきましては、朝鮮人の民族教育を圧迫するとかいろいろなトラブルが起こったことは事実でございます。  そこで私どもといたしまして、いま文部省考えておりますのは、これは日本の特異の形でございまして、これを日本がどう処理していくか、その基本的な立場でございますが、私は、あくまで国際親善の立場におきまして、現実に朝鮮の人がたくさんわが国におり、しかも、わが国の国籍から離れていっておるそこで祖国のことばや国語やあるいは歴史をその子孫に教えていきたい、これらの問題につきましては、率直にそれを認めて、そしてそれに法的な根拠を与えて差し上ぐべきだ、こういうのが現段階におきます私の考え方でございます。
  46. 石野久男

    石野分科員 できるだけ日本にいる朝鮮人の子供たちの教育を、いわゆる祖国のことばを忘れさせないようにというようなことで、またその民族の歴史や地理や社会環境というものを教えさせるようにする、そういう趣旨は、私どもまことにけっこうだと思っております。ただ問題は、そういうことではございまするけれども、実際上文部省がやっていることで不平等な取り扱いなんかがあっては私はいけないだろう、こう思うのです。いま現実に在日朝鮮人の子弟の三分の二というのは、日本の学校で日本語で勉強しているわけですね。こういうような日本語で勉強している子供さんに対しては、日本人の学校で教育しているわけですから——この場合に、こういうようなことが前にあったのです。一昨々年、ちょうど六四年の三月に、教科書無償配布をするということになったときに、大阪のほうの教育委員会から、とにかく在日朝鮮人の子弟には、その名前を日本の名前に変えなければ無償配給はできないというような通知をしたことがあります。これはその後どうなっているのですか。
  47. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 外国人が、外国の国籍を持っておりましても、日本の正規の学校に入学しております者に対しましては、日本人と何らの差等のないように、たとえば教科書無償にいたしましても、あるいは就学援助にいたしましても、これは何らの差別待遇をしないという方針で、もしかつてそういうことがございましたら、そういうことは絶対に今後いたしません。全く同じ取り扱いでまいりたいと思います。
  48. 石野久男

    石野分科員 大臣はそうおっしゃるけれども、各地でそういうようなことがもしあるとすれば、これは大臣の意図が下へおりていないことだし、このことは、かつて日本が朝鮮を支配した時期に、創氏改名ということをさせたことがありました。これは非常に朝鮮の諸君には——これは南も北もありません。どちらの方々も非常にいやがっていることです。そういうことを子供教育、たとえば教科書一つ配付するのに、日本人の名前でなかったらおまえにはちょっとやれないぞ、こういうようなことをやられたのでは、日本人と朝鮮人との国際的な、民族的な関係からいってもおもしろくないと思うし、実をいいますと、この種のことは、教育の問題のほかに国籍問題にからんでいろいろ出ておる。こういうことは、ひとつ絶対にさせないようにしていただきたいと私は思います。  いま日本に外国人がたくさんおりますが、実際に外国人学校といいますか、そういうように教育をつけている外国の子供さんですね、国別にしましてどの程度おるのでしょうか。それとまた、そのための学校はどういうふうになにしておるか、その点をひとつ御説明願います。
  49. 宮地茂

    ○宮地政府委員 現在、わが国に在住しております外国人は、一応約六十七万くらいで、そのうち韓国人及び北鮮系の朝鮮人が五十九万、中国人は五万、その他アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといったようないろいろな国がございますが約三万人、こういうふうになっております。その外国人の子弟のうち、小中学校あるいは一般の私立学校のほかに、いわゆる認可を受けました各種学校、こういったようなところで、そういう学校で教育を受けておる子弟の数は、約十五万五千人でございます。そのうち、韓国人並びに北鮮系の朝鮮人が約十三万人でございます。その十五万五千人のうちに、日本の小中学校、高等学校、こういった正規の、文部省で申しますれば、学校教育法の一条学校ですが、そこで日本人の子供と同じように勉強しておる子供は約十二万人でございます。残った三万五千人が、いわゆる朝鮮人学校とかアメリカンスクール、こういったようなところに在学しておる。大体の状況はそういうことであります。
  50. 石野久男

    石野分科員 この残った三万人の方々の中で、朝鮮の方とそれからその他の国との色分けは、どういうことになっておりますか。   〔主査退席、正示主査代理着席〕
  51. 宮地茂

    ○宮地政府委員 先ほど申しました三万五千人の者が、いわゆる各種学校に行っておるわけでございます。詳細なデータをいまはっきり持っておりませんが、アメリカンスクールといわれる、いわゆるアメリカ系のもの、それからイギリス系のもの、カナダ糸、フランス、ドイツ、それから中国、それに大部分が北鮮系と韓国糸といわれる朝鮮系のもの、こういうふうになっております。詳細に、どこが何校という数字をちょっといま持っておりません。
  52. 石野久男

    石野分科員 正確な数字はなくてもよろしいのですが、主として朝鮮の数と、それからアメリカ、イギリスあたりの数は、どの程度になっておりましょうか。
  53. 宮地茂

    ○宮地政府委員 いわゆる各種学校として認可されておりますのが、現在百七校でございます。そのうち、韓国人、北鮮といった、いわゆる朝鮮人の学校は、認可されておるものが八十三、それから無認可のものがほかに二十四ということになっております。したがいまして、認可された各種学校百七校のうち、八十三は韓国、北鮮糸のいわゆる朝鮮の学校、それから他の二十四校がアメリカンスクール、フランス、イギリス、こういったようなもの、そのほかに無認可のものが北鮮、韓国系、いわゆる朝鮮人系の各種学校に似たもので認可されていないものが二十四、こういうようになっております。
  54. 石野久男

    石野分科員 各種学校が百七といま言いましたね。
  55. 宮地茂

    ○宮地政府委員 はい。
  56. 石野久男

    石野分科員 北鮮、韓国が八十三認可されているのですが、この中に二十四が無認可になっているのですか。
  57. 宮地茂

    ○宮地政府委員 いえ、その百七校のうち、朝鮮——韓国、北鮮等いわゆる朝鮮人の学校が八十三校でございます。そのほかの二十四校がアメリカンスクールやイギリス系、ドイツ糸、フランス糸でございます。その百七校のほかに、無認可の朝鮮系のものが二十四ある、そういうことであります。
  58. 石野久男

    石野分科員 文部大臣にお尋ねしますけれども、民族教育の問題で、特に朝鮮の問題が問題になりますときに、よく、教育内容が国益に反するとか、あるいはまた、その他いろいろと話があるようでございますが、この国益に反するという問題が、なかなかわかったようでわからないようなことなんですよ。文部省ではそう言ってないのかしらないのだけれども、私どもによくそれが耳に入ってくる。この国益に反するということは、大臣は大体どういうような点を明確にその範疇としてものを言われているのでしょうか。
  59. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは外国人学校制度を認めた場合のことでございますが、外国人学校は、外国におきましてその国において学校教育をやる限りにおきましては、その認められた国の、いわゆる概括的に国益を害するというようなことはあってはならないということは、当然に一応規定さるべき問題だと思います。これは具体的に申しますと、この学校を認めまして、教育内容につきまして、実は文部省が直接に学校の教科内容その他について何らの取り締まりをいたしておるわけではないのでございますから、その点は、自主的な形におきまして、その学校自体がその国に在留して平穏に教育を行なっておる限りにおきまして、その国の国益を害するようなことはしない。これはむしろ私は自主的に当然にそのことがあるべきであって、そのことを規定上は一応書かなければ——これは最小限度の規定はしておかなければならぬ、こう思います。ですから、具体的にどういうことになったら国益に反する——まあ、条文上は一応は抽象的なものを私ども考えておりますけれども、お互いに国際親善を害する、あるいは民族間の不信感を抱かせる、そういった問題について、積極的にあらわれた姿におきまして取り締まりをやるということはやめていただかなければならない。これは当然なことだ。そういうことはむしろ学校自体が自主的にお考えいただいてやっていただきたい。法律上あらわせば、これはしてはならぬという法律上の規定になると思うのです。そこのところが非常に誤解をされて、それをこちらのほうから常に監視をいたしまして、そしてそれを国益に反するというので民族教育を圧迫する、こういうふうにお考えになって、反対されておる向きが非常に多いと思います。この点の誤解は、私は十分解いてもらいたいと思います。
  60. 石野久男

    石野分科員 そうすると、たとえば各種学校の中には、朝鮮の学校もあるし、アメリカンスクールもあるし、イギリスやフランスもみなある。そういう各国の在日外国公民に対する教育については、その国のいわゆる教育体系などが一つありましょうし、また、その国の教育課程というものがやはりあるだろうと思います。本則的には、そういうものを認めつつ、それが日本の体制にそぐわなくなったときには、日本としては国益に反するということになりましょうが、それが弊害を伴わない場合は、別にそのことは当然その国の教育体系なり教育課程で、やっておることは文句を言わない、こういう御趣旨でございますね。
  61. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 全くそのとおりでございます。
  62. 石野久男

    石野分科員 それからもう一つ朝鮮の問題で、外務省が外国人という規定をするときに非常にむずかしくなってくる、私どもとして考えにくい問題に、いまの朝鮮民主主義人民共和国を支持するといわれておる在日朝鮮人の諸君の外国人としての規定のしかたがあるんです。これはなかなかむずかしい問題が一つあるんじゃないかと思いますが、文部省は、それをどういうふうに理解していらっしゃるのでしょうか。
  63. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私どもは、外国人というのは、日本の国籍を持たない人だという考え方で、いま日本でいわゆる韓国人として取り扱っておるのと、それから朝鮮人として取り扱っておるのとおりますが、南鮮系であろうが北鮮系であろうが、その点は朝鮮人として取り扱って、日本の国籍を持たない方、こういうふうに取り扱っていいんじゃないかと思っております。
  64. 石野久男

    石野分科員 そうすると、文部省としては、朝鮮人を韓国人と朝鮮人と両方の形で取り扱う、こういう意味で外国人ということに扱うわけですね、北朝鮮を支持する諸君を。
  65. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 さようでございます。
  66. 石野久男

    石野分科員 私の時間が非常に超過しているようですからこれ以上聞きませんが、一つだけ最後にお尋ねしておきたいことは、私は、この民族教育関係して、特に朝鮮人問題では、大臣も先ほどからお話がありましたように、在日朝鮮人がこの国に永住的な形でおられるという事由は、歴史的にいろいろな問題があったろうと思いますし、日本の側でも、この問題を、おれは知らぬぞというわけでほうりっぱなすわけにはいかない問題があると思います。それだけに、世界のどこにも比較できないほどたくさんの朝鮮人の諸君がここにおる。それらの人々がやはり祖国の善良な国民になるためにその国の教育をつけようとすることは、これはやはり当然民族の本然の姿として権利があるかと思います。そういう問題について文部当局がいたずらに民族教育を圧迫したりあるいはまた同じ朝鮮人であっても、だれが見ても差別されるような形の待遇があってはならないと思いますので、その点だけはひとつ……。ただ、これは佐藤内閣というだけではなしに、日本の国の政府として、朝鮮人と日本人との関係という立場から剱木文部大臣はひとつこの問題に対処していただきたい、私はそういうふうに思っておるので、大臣もひとつそのようにお願いしたいと思います。所見を承りたいと思います。
  67. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私どもがこの制度をつくろうといたしておりますのは、この歴史的な事実を認識しつつ、お互い同士が真剣に国際親善のため、相互不信というものを払拭して、平穏に日本の中でお互いに安定、またしあわせな——ともに同じ国の中で暮らしておるのでございますから、その親善関係を維持していきたい。これは、いままでのいきさつはいろいろありましたでしょうけれども、この事実をはっきりと認識いたしまして、ここに新しい形、お互いに信頼感に立つ形というものをつくりあげるべきではないか、私はこういう考え方でおります。
  68. 石野久男

    石野分科員 私は一つだけもう一ぺんお聞きしますが、外国人学校法をつくる場合に、各種学校法の中でいま現に取り扱っておりますね。そして先ほど、いろいろまた私はこまかくこれはお聞きしますけれども、百七の学校があって、そのほかに無認可のものが二十四ある、こういうことについても、実はなぜ無認可にしておるかという問題も一つあります。それから他の学校に対して、アメリカやイギリスやその他のところについては、別に新しく学校制度をつくらなくとも、このままでやっていける状態にあるのだと思っておりますが、ただ朝鮮の場合になると、国益に反するとか、反日教育をしているとかいうようなことを盛んに言っているようです。いま大臣からお聞きすると、そういうことはないようですが、実はそれが非常に私たちの耳に入ってくる。だから、私はどんな取り扱いをするにしても、不平等な取り扱いをしてはいけない。そのためには、やはり事案の内容がはっきりわからないようなことを概念的に規定してずっと下へ——下へといっては悪いのですが、その取り扱いをしている窓口では、判断に苦しんでかってな判断をしてしまう。そのことのために、結果的に見ると、非常な差別的な扱いが出てくるという事情がたくさんあるわけです。先ほど私が大阪市の教育委員会の教科書無償配給の問題について話をいたしましたのもそのことですが、こういうようなあやまちをおかすような法律内容なりあるいは規定が出てしまいますと、かえって国際親善の関係が悪くなっていくと思いますので、私は外国人の子弟に対する教育を善良な立場で公平にやろうとするならば、それを取りきめるべき法律内容なり規定というものは、だれが考えても決してあやまちをおかさないような内容を明示しているものでなければいけない、それでなかったら、人々によってみな判断が違ってくるような内容になってはまずいと思います。先ほどの国益に反する問題などについても明確な、明示をされるべき要件が、実際問題に沿わない。ところが、国益に反するということばは、だれにでも、おおそうかというようにすぐわかるような印象を与える、こういう非常にあやまちをおかしやすいような法律の規定をつくるということではよくないので、その点はひとつ大臣もはっきりしておいてもらわないと困るのですが……。
  69. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 その点をぜひひとつ御了解願いたいと思うのです。それは、これは国際的に考えてみましても、外国人ばかり教育する学校を、その国の法律に基づきます学校形態の中に取り入れて許しておる国というのはないと思うのです。それは事実行為として、外国人だけの子弟を教育するのをその国の政府が法規にも何にもよらないで認めている国はあります。それから特別に外国人の学校というものを法律なりで認めている国はございますが、外国人だけを対象といたします学校を、その国のいわゆる学校の形態の中に取り入れて認めている国はないのです。ですから、文部省は従来からその理論によりまして、これは各種学校として——各種学校も学校教育法の中に規定がしてありまして、これは日本人に対する一つ教育の形態として学校教育は認めたのでございますから、これを各種学校として知事が認めるのは理論的にはおかしいじゃないかという考え方は、ずっと持ってきておった。これを圧迫するとかいうことじゃなしに、理論的にやってきております。しかし、学校をやっておりますから、事実上府県知事が各種学校として認めてまいりました。今回この各種学校制度というのは、基本的に学校教育法で変えようといたしております。これは中教審の答申によりまして、いままで何か存在がよくわからなかった各種学校というものに法律上の一つの格づけをしまして、それに対して国家的な援助もしてやろう、こういうことで、これは各種学校自体の非常な要望もありますし、中教審の答申もありまして、その各種学校制度というのを確立いたそうといたしております。そうなってきますと、いままで認可されておった外国人学校というのは、法規によらない事実上の問題の学校形態に、法の外に放置されてしまうことになるわけです。それでいいかどうかという問題でございまして、それだったら、ここで外国人学校制度というのを認めてやる、そうしてその学校の中では民族教育をやることをはっきりと条文の中にも認めて、その法の保障のもとに置くべきではなかろうか。ですから、もしそれをやらないとすれば、事実行為としてそういう学校形態をやっておるという状態だけになりまして、これはたとえば学校法人、準学校法人とか、そういうような認可の対象にもなりませんし、学割とかそういう問題も何ら考慮されません。そして事実上教育をやっているのを教育法規の外にこれを立てなければならぬというのは、教育秩序の上から申しましてもおもしろくないので、そこで何とかしてここで外国人学校という制度を認むべきではなかろうかということに踏み切って、私ども考えておるわけでございます。ですから、いままでどおりでよかったんじゃないかと申しますが、いままでどおりの各種学校としての存続というものは、各種学校それ自体を今度は変えますものですから、いままでどおりにはいかなくなるので、そこでこういう制度を積極的に設けるという必要に私どもとしては迫られておるといいますか、やるべきだという観点に立ってまいっておるのでございます。ですから、基本的に、いままでの歴史的事実で反対される方が多いのでございますが、こういう状況になったということを十分理解をしていただけば、わかっていただけるんじゃないか、私はそう考えておるわけでございます。
  70. 石野久男

    石野分科員 あまり論議すまいと思いますけれども大臣が非常に重要なことをなにしますから悪いのですが、実は外国人だから、その国の自主性があるのだからほっておけ、かってにその国の教育規定で教育する、日本人は一つも手をつけさせないとかなんとかいうことを言っておるのではないのですよ。だけれども、現に各種学校の中で外国人の諸君はちゃんと扱ってきておるわけですよ。だから、いまここで理屈は言いませんが、一つだけそれじゃお聞きしておきます。この状態において、過去において非常に不都合な状態があったのかどうか。この点をそれじゃ一つだけ聞かしてもらいたい。不都合な事態や事件があったならば、これはもうやはり直さなければいけませんけれども、その不都合な事態や事件が具体的にどこでどういうふうにあったのか、このことがはっきりしないで、どこにもそんなことがなかったのに、ただ単にそう思うから、そうしたほうがいいからということだけで、しかも、その結果としては非常に差別的なものが出てきたり、あるいは罰則規定だとか何かいろいろなものが出てきたりして、かえって新しいものをつくったことによって、国際親善の関係からいってもきわめて敵意に満ちた、敵視的なものが出てくるということを私は憂えるわけです。そういうことがあっては困るから、だからどうしてもそういうように新しく外国人学校をつくらなければならぬ、いまのままでは不都合であり、そしてまた、いろいろなまずいことがたくさん出てきたということだったら、その一、二の例だけここで聞かしてもらいたい。理屈はまたあとで文教委員会で……。
  71. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 どうもそこのところ、私申し上げることがおわかりいただいてないと思いますが、いままで不都合があったから、これを変えて外国人学校を設けなければならぬというふうには考えておりません。ただ、学校教育法を変えて各種学校というものをつくりました場合に、いままであった各種学校で認可されておったものはなくなっていくわけなんです、これは法律の規定の外になりますから。そこで、この法律の中で外国人学校という制度を設けて、公にそういういままでどおりの、各種学校で認められたような教育が行なわれていくように、その制度を設けようというのがこれでございまして、いままで悪かったから、そういうのじゃなしに、新たにそういう外国人学校というものの制度を積極的に認めようという趣旨でやっておるのでございますから、そこのところ誤解されないように。何か悪いことがあったから、報復的にやるというのじゃ絶対にございません。これはむしろ、このほうが私は国際親署関係に役立つと思いますから、やっておるのでございます。
  72. 石野久男

    石野分科員 じゃ、一つだけなにしておきます。私は、それであれば、各種学校法の中で従来やっておったと同じような条目規定でやってもいいのじゃないかと思う。ことさらに新しくそれだけ独立法にしなければならぬということにはなるまいと思っております。しかし、これはまたあとで文教委員会等で論議したいと思いますが、やはりこれを別途にするには、それだけの意図があるからだと思うので、そういう点を私どもは非常に懸念しておるわけですから、その点あとでまたお尋ねします。
  73. 正示啓次郎

    ○正示主査代理 佐藤觀次郎君。
  74. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 文部大臣に私学振興のことで少しお尋ねしたいのですが、実はだいぶ剱木さん専門家ですからいろいろお骨折りいただいておることもわかりますけれども、どうもいま問題になっておるのは、私学の経営が非常に困難である、この数年来慶応、早稲田、明治というような学校の月謝値上げ問題から大きな社会問題になり、学生が騒動を起こしておるという原因がすべてこの月謝の値上げからきておるということも、御存じだと思うのであります。そこで、いま問題になっておるのは、私学の経営状態を根本的に改善せよという意見の中で、経常費を何とか国の保護にしろ、またそれが法的に何か不都合なことがあるのじゃないかという意見があったり何かしておりますが、この私学というものもやはり公の支配に属しておるので、憲法の精神からいっても、これは日本教育考え方からすれば、当然私学にも助成をすべきではないかと思うのです。そこで私立学校法第五十九条によって各種の助成保護を行なうのが当然であって、むしろ経常費を助成して悪いということはどこにもないのです。これは法律論の中で、私学経営の経常費を補助するということは何か私学の根本精神をくずすというような意見もあるのですが、剱木さんは文部省に長くいられた方でもあるし、この意見について政治上いろいろ意見もあると思うのですが、この点をどのようにお考えになっておるか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  75. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私学制度の振興調査会におきまして中間答申が出まして、それから基本的な問題につきましては、ただいま六月末日をもって結論が出るわけでございますが、その結論の中には、もちろん根本策でございますから、ただいま申されました経常費の援助をどうするかという問題も含まれて答申があるということを期待しております。ただ、私率直に申しまして、ここで経常費の補助ということにつきまして問題が幾つかあると思いますが、その問題の一つは、やはり私学の自主性をそこなうということによりまする私学側のほうの一つの意見がございまして、でございますから、経常費を補助する場合において私学の自主性をそこなわないでこれをいかなる方法でやったらいいかという問題が、相当検討を要する問題ではないかと思います。これはもう早急に結論を出すために調査会におきましては非常な御努力をいただいておりますから、私があらかじめ一つ結論を意見として出すことは、この際は差し控えておったほうがいいと思います。ただそういう問題があるということだけを申し上げます。
  76. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 御承知のように、イギリスなんかは私学に大体九割五分ぐらいの国が補助をいたしておりますけれども補助をすれども干渉はしないということだということは、御存じだと思うのです。そこで、私学に補助をするから国が干渉しなければならぬという規則はないので、やはり教育の立場からいえば、私は当然そういう考え方は捨てるべきで、これは会計の問題なんかあるのでいろいろそういう論点が起きると思いますが、一体、いま融資の対象になっている私学はどのくらいあるか、それからまた、どれくらいのあれがあるかということを、あらかたでけっこうですから、事務当局から伺いたいと思いますが、わかりませんか。
  77. 宮地茂

    ○宮地政府委員 現在まで私学振興会が学校に対して施設の建築費等に融資をいたしておりますが、これは一応いわゆる学校法人で学校を経営しておるものに限定しております。それで一応学校法人の数といたしましては、今日まで約千二百の学校法人に対しまして融資をいたしております。
  78. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 千二百の学校でありますが、実はいま私学というものは、大体剱木さん御存じのように、国の全体のたしか七割五分ぐらいの学生を収容している。それを全然捨てておくというような状態で、金の融資をしているという問題だけで、しかも金利も五分五厘という高い利息でやっておるわけですから、これでは私は私学の根本的解決はできないと思うのです。そこで私は、文部大臣として、これはあとで大蔵省の主計官も来ておられるようでありますからお伺いしたいと思うのですが、いろいろ大蔵省の予算の面もありますが、大臣としては、どこまでの限界があればいまの私学が救えるかという立場で、これはあなたの理想論でもけっこうですが、その理想論をひとつここで聞きたい。根本的な問題でございますから、その点を伺わないと、私は私学の問題は片づかないと思うので、剱木さんは専門家ですから、おそらくおれだったらこうするという御意見があるのではないかと思いますが、その点をひとつお伺いしたいと思います。
  79. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 どうも専門家という、そういう点ははなはだどうもあれでございますが、しかし、私学の経営上どのくらいあったら一応私学が経営できるかという問題になりますと、これは教育内容、それからやり方等にもよることでございますから、やはり自主的な経営をしていくためには、私学の側の立場に立ちましても、そう極端なことを要求するというわけにはいかないと思います。でございますので、いま現在におきまして私学の経常費においてどういう支出をして、たとえば俸給でございますとか、研究費でございますとか、そういうのはどこが足りないかということを詳細に調査いたしておるのでございますが、大体の結論といたしましては、私学でいまの状態で一番欠陥がありますのは、どうしても教授の研究施設でございますか、研究が国立のようなふうに現在うまくできない、これが一番大きな欠点であるように思います。大体俸給は授業料収入によりまして支払いができておるのでございますが、それ以外の教育的なものの費用が、非常に私学の場合切り詰められておる、これは教育をほんとうにやるためにはそういう問題を考慮していかなければならぬ、そのように思っております。
  80. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 これは剱木さん、私たちがひがむわけではないのですけれども、大蔵省の役人も、大体正示さんもそうですけれども、大体九制七分ぐらいは国立の大学を出た人が多い。文部省の天城さんも齋藤さんたちも、みな国立の大学の秀才ばかりなんです。だから、私学の苦しさというものを知らないんですね。だから、第一あなた自身があまり熱意がない。内容を知らぬと言っていたって、文部省の剱木さんといえば、だれでも知らない人はないのですよ。何とか要領よく逃げて、そうしてなるたけ文部大臣をやっているうちだけは触れずにおこうというような印象を受けるのです。ところが、膨大な私学の赤字というものは、御承知のように、この間の新聞にもよく出ておりましたけれども、医学関係だと六百万か七百万ないと学校へはいれない。これは私は私学側だけ責めるわけにいかないと思うのです。現実の施設なんか考えれば、定員ははっきりしている。それから病院は御承知のように赤字だらけという現実で、それはわれわれが想像している以上に苦しい経営をやっていると思うのです。これは一触即発というような非常に危険な状態になっておると思うのですが、こういう点については、私は一国の文教をつかさどる文部大臣というものは、もう少しそういうような問題についてお考えがあってしかるべきだと思いますが、剱木さんはどういうようにお考えになっておられるのか。いまの学者とか設備とかということ以上に、そういう危険な状態をはらんでおるという現実は、御認識になっておられるかどうか、これをひとつ伺っておきたいと思います。
  81. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 実は私も文部省に参ります前、私学を経営してまいった体験もいたしておりますが、実際問題としまして、私学がそういう逼迫した状況にあることは、よく認識しておるつもりでございます。ただ、その問題につきまして、いま基本的な調査をして六月に答申をいただくことになっておりますから、私がその方向づけをするようなことは、いまここで申し上げないで、自主的に調査会で答申をいただきたいと思います。ただ、そういう答申がどのように出るかわかりませんけれども、相当抜本的な対策について考慮していただく答申が出るものと、私は期待をいたしております。で、その答申が出ました場合は、私全力を注いでその実現に努力をいたす覚悟をいまのところいたしておるのでございまして、その内容をどうするという予定につきましては、現段階においては私差し控えたいと思います。
  82. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 答申というのはちょうど大臣の隠れみのでありまして、実際はやろうと思えばやれるけれども、答申がないからというのは、これは国会での大臣の答弁の逃げ口上だと思うのですよ。文部大臣がやろうと思えばやれぬことはないと思うのです。時間がありませんからこれ以上あんまり追及しませんけれども、私は、少なくともいまの私学の立場から言えば、いろいろ裏に罪悪があると思うのです。これは剱木さん知っておられると思うのですが、私は、そういう点で、いまの教育というものに非常に危機をはらんでおるというような感じがするので、特に私学に対しては、これは御承知のように経営をやかましく言えば結局月謝を値上げする、月謝を値上げすると学生が反対してストライキをする、一カ月でなく三カ月も四カ月もやったような危険な状態をはらんでおるという事実は、答申を待っておったんじゃ現実には間に合わないと思うのですよ。おそらく、いましばらくは静かになると思うのですが、これで休みが終わるとまた始まるというようなことで、毎年繰り返される。そこで、国が何らかの補助を与えるということがなければ、私はこの問題は片づかぬというように思っておりますが、大臣がそういうように答申を待ってから待ってからという間に、大臣がまたかわって——文部大臣は一年くらいでかわりますから、そろそろかわる時期がくると、またその次の大臣が答申を得てからというようなことになって、次々順送りになってしまう。私は、文部大臣というのは、三年か五年やらなければほんとうの仕事はできないと思うのです。おそらく剱木さんもそういうように思っておられると思うが、これは日本文部大臣がいまのように一年置きにかわっておっては何も仕事はできない。ちょうど答申が出たあとで、結局かわってしまうということになっては何にも仕事ができなくなってしまうと思うのですが、そういう点で、いまの私学の状態については、非常に危険な状態をはらんでおるということだけは、十分に認識をしていただきたいと思うのでございます。  それから、もうひとつ、これは大蔵省の主計官に私お尋ねしたいのです。  図書館の申請が各地区から非常にたくさん出ておるのですが、これについてほとんどいままでのおざなり式で四つか五つくらいの予算より立てられない。大体文部省というのは非常におとなしい。これは天城さんも齋藤さんもおられますけれども、いわばゼントルマンで無理をしない立場と、大蔵省に対してはあまり圧力団体でないものですから、あまり強いあれがないのですが、そういう点で非常に予算をちぎられて、前年の一割増とか、あるいは五分増しくらいのところでずっと続いてきておると思うのです。こういう査定をしておって、そうして一方においては、文教予算というものはこれはほとんど義務教育が大部分で、あと使う分というのは非常に少ないのです。たとえば、この図書館の申請などというものは、いま名地区からたくさん出てきておるのですが、一体どういう予算で五つぐらいをつけておるのか、これをひとつ大蔵省の主計官に伺いたいと思います。
  83. 小幡琢也

    ○小幡説明員 公立図書館の整備につきましては、いろいろ財政上の都合もございますので、四十二年度は特に配慮いたしまして、前年度予算五千万円に対しまして、約四割増の七千万円というようなのを計上した次第でございます。
  84. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 七千万円でどれくらい図書館ができますか。
  85. 小幡琢也

    ○小幡説明員 一応積算は八館を予定しております。
  86. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 文部省への申請はどのくらいになっておりますか。
  87. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 担当局長が来ておりませんので、実は現実に四十二年度の申請がどうなっているということを承知いたしておりませんが、予算に見積もりました八館は大型のものが三館、それから主として市町村の小型のものが四館、それから過去数年来実施してまいりましたいわゆる農村地区のモデル図書館が一館、合わせて八館になっております。いわゆる大型のものにつきましては、現実の申請数とほぼ見合った形のものを積算していただいた、かように考えております。
  88. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 いま青少年の不良化とか、あるいは不良化的な悪い傾向にあるという社会的の事実がありますが、直接的にこういうことを誘導するのには、やはりそういうような公民館あるいは公立の図書館をつくるとかいうような、建設的なものが非常に必要だと思うのですが、そういう点について日本はまだ何といっても少ないと思う。文化国家といわれながらも非常に少ないと思うのですが、そういう点について大臣はどのようにお考えになっておるのか。公民館とか図書館というようなものについてどのようにお考えになっておられるのか、この際伺っておきたいと思います。
  89. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは特に社会教育的な諸施設の問題でございますが、この社会教育活動の主体と申しますのは、もちろん国は力を入れなければなりませんけれども、地方公共団体におきましてももっと積極的に力を入れてもらいたい。でございますから、いろいろな社会教育施設において非常に熱心な県は県費をどんどん出してでもやっておりますが、熱心でない県はなかなか出してくれない。これは本質的に言いますと、地方自治の観点から申しまして、国が十分地方自治体に財政力を持たして、それでどんどん自主的にこの社会教育施設をやるのが本質と思いますけれども、現段階においては、地方の財政が非常に逼迫しておりまして、何とか国で施策をやっていきませんと、地方のほうではまるで出せない。図書館の設備補助なんかは非常に補助率は少のうございますし、館数も少のうございます。この点は、私ども段階で十分とは思いませんけれども補助は、ただ誘い水というような形で地方に補助をいたしますと、それに地方起債がつく、こういうことで、わずかなのでも地方で建てよう、こういうことで、いわば現段階においてはほんとうに誘い水の程度より入れてないと思います。現状でいいとは考えておりません。将来に向かいまして、特にこういう方向に各公共団体が熱意を持ってきておりますから、この状況を生かして大いに努力してまいりたいと思います。
  90. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 地方公共団体が、そういうような教育の見地からいろいろと施策をやるのは当然だけれども、御承知のように、日本は中央集権の傾向がありまして、いままでのような、戦争前にそういうような傾向とか習慣があって、地方の中でそういう運動を起こしてもなかなか育たないということがあるのではないかと思うのです。これは、いまなおやはり中央の、特に文部省などの指導的な要求がないと、なかなか地方では実施することが困難のように思っておるのですが、そういう点について文部省自体が、実際に具体的に、模範的にモデルケースをつくったり、こういうことはこうやるというようなことをやらないと、地方に浸透しないのではないかと思うのです。そういう点について、文部省では何か施策を行なうような企画があるのかないのか。また、そういう傾向を助長するような施策があるのかないのか。それも予算がないからやれないのかどうか。これらのことについては何か大臣に抱負があるのか、ひとつ伺いたいと思います。
  91. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 先生がおっしゃいますように、いま日本社会教育の進め方につきまして一つの矛盾した考え方があると思うのです。実は社会教育の点は、公共団体において自主的にどんどんやっていただくべき筋だと思うのです。しかし、公共団体にまかせきりでございますと、なかなか予算その他の関係で思い切ってやってくれない。そこで、文部省といたしましては、それを奨励する意味において、いろいろな社会教育活動につきまして補助をいたしまして、これを振興させようという熱意で、誘い水を出すという形をとってまいっておりますが、そうなりますと、一面から申しますと、大蔵大省等の関係もありまして、最近の知事会でやったように、零細な補助は要らない、こういうような申し入れまでやってくる。こういうような社会教育的には非常に矛盾した中にあるわけでございます。そこで、私どもとしては、あくまで地方が自主的にどんどんやってくれるのが望ましいのでございますが、しかし、現段階におきましては、やはりある程度社会教育について文部省が指導的な役割りを果たして、こういう必要なものをどんどんつくっていただくように行政指導をやっていくよりほかにないと存じております。
  92. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 大蔵省の担当の方にもう一つお尋ねするのですが、大蔵省はなるたけ金をちぎるのが商売で、予算の折衝になると、御承知のように教育というものはすぐには効果があらわれぬものですから、実質的にはすぐ反対給付がないという立場でよく文部省予算なんか削られやすいのです。どうもそういう点でウエートの置き方が通うのではないかという感じがするのですが、これは外国へ行くとわれわれはすぐそういう感じを受けるのです。たとえば、日本なんかはラジオやテレビなんというものは、世界的にアメリカに次いで非常に普及されておる。ところが、教育的な見地のものは非常におくれているということを痛感するのです。こういう点については、いずれまたわれわれ大蔵委員をやっておる者は、そういう方面で、また予算委員会などで、もっと質問したいと思うのですが、どうもウエートの置き方が多少違うんじゃないかというように思うのですが、そういう点について主計官はどのように思っておられるのか。どうも大蔵省は、文部省の人がいわば非常にゼントルマンライクで、どうも予算の折衝に遠慮しがちなところにつけ込んで非常に渋いというような感じを受けるのですが、その点はどうですか。
  93. 小幡琢也

    ○小幡説明員 いろいろ文部省から御要求がございまして、それぞれ事項的にも相当の数になっておりますので、やはり財政上ほかの施策とのバランスといったようなものをいろいろ考えなければなりません。一つだけに従来のバランスを破って特段につけるというわけにはなかなかまいらないのではないかと思っておりますが、全体といたしまして四十二年度は、文教予算につきまして、従来よりも大幅に拡充、整備につとめたつもりでございます。
  94. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 従来よりも大幅といっても、元が少ないのですから、どんなに大幅に上積みしても、もともとが少ないのですから、そういう検討を一ぺんし直さぬことには、なかなか私は文教予算はふえぬと思うのです。文教予算といっても、御承知のように義務教育がほとんど大部分ですから、あとの予算というのは、ほんとうにわずかだから、文部大臣が非常に活躍しようと思っても、予算の中ではほんのわずかな——いまあなたの言われるような、たとえば図書館の七千万円なんか、これで多かったと言われておるのですが、これは人に言って恥ずかしいくらいわずかだと思うのです。そのウエートの置き方をもう少し考えて、これはあなたの責任じゃないですから、あまり詳しいことは言いませんけれども、私はそういう全体のことを考えて、やはり文教の予算については、もう少し抜本的な考え方でやらぬと、いままでの積み重ね方式で、前よりは一割増しとか二割増しとか三割増しとかいったって、元が大体ないのですから、そういう点について二十年ずっとこの方やっておられてもさほどの進展を見せてお  られない。そういう点は、いずれ主計局長かそういうところに言わぬと、あなたには気の毒だからあまり言いませんけれども、これは十分に検討してもらいたいと思います。  そのことはそれくらいにしますが、最後に、私学振興のことについて、先日、川崎君も何か一点大臣に質問したようでありますけれども、私は大臣にお伺いするのですが、非常に重大な問題が起きるのではないかというように非常に心配しておるのです。それはどういうわけかというと、そろそろ御承知のように二十六万も浪人がことしあたり出る。また、いろいろ受験生の学校がふえるなどの問題があるからまだいいけれども大学の受験生が減ってきたらどうなるかというような問題が起きて、私学もいまのところは、入学志願者が殺到しているからいいけれども、これが殺到しなくなったらどうなるかという問題が起きると思う  のです。だから私は、受験生には気の毒だけれども、現実には私学というものは、その点では危機ではないけれども内容的には非常に危機があるのではないか。これは表には出ておりませんけれども、私が二、三の学校を聞いてみますと、非常に高い利息で学校の経営が困難になっておるという話も聞いております。しかし、設備だけはどんどんきれいになって、内容は非常に苦しい場面になっておるというようなことを聞く。また、このほか、教師なんかの俸給も出せぬような学校も出ているということを聞いております。そういうことまでは文部省がやる管轄ではありませんけれども、そういう大きな見地から、われわれは私学の経営の問題についても一応考うべきことじゃないか。その点で、やはり文部省はこの際思い切って、学生の七割くらいをあれしておる大きなにない手である私学に対して、少なくとも局くらいつくって、私学の重要性に相当するような方法を講じたらどうかと思いますが、この点は大臣はどのようにお考えになっておられますか、伺いたいと思います。
  95. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 おことばを返すようでございますが、私学の調査会を隠れみのにするというようなことは、これはなかったとは否定できません。しかし、これは六月末日で法律上最終答申を出すように規定されております。したがいまして、六月末日に答申が出ますれば、四十三年度の予算には絶対に間に合うことができますので、私どもとしてもそれを隠れみのにして引き延ばすという考えは毛頭ございません。でございますから、やはり抜本的な対策を何とかこの際いろいろな面から考究してもらうということでやっておりますので、それが出ますれば誠意をもってやってまいりたいと考えております。特に申されますように、現段階では、実は入学志願者が非常に増加傾向にあるときでございます。しかし、来年まではまだ増加いたしますが、昭和四十四年から五年にかけましてだんだん減少してまいりましたときに、私学の中に非常に困った状態になることが予想されますので、いまからその問題に対処することを考えておきますし、私学にも協力してその問題に対処していただかなければならぬと思います。  それから一つだけ、これは大蔵省の代弁みたいでございますが、実は文教予算で伸びの悪いのは、おっしゃるとおり私どもの力の及ばないところでございますが、従来大体予算要求をいたすに際しまして、八〇%程度が認められる率でございました。本年度は特に文教予算にお考えいただきまして、たぶん九二%だったと思いますが、要求分の大部分につきまして予算を考慮していただいております。ことしにつきましては相当私どもも大蔵省のほうで——ただ私のほうの予算の要求のしかたが悪かったということは言えると思いますが、その点、その一言だけ申し上げておきます。
  96. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 ひとつ、あまり遠慮しないで、どんどん要求していただくようにお願いいたしまして、終わります。
  97. 正示啓次郎

    ○正示主査代理 以上をもちまして、昭和四十二年度一般会計予算及び昭和四十二年度特別会計予算中、文部省所管に対する質疑は一応終了いたしました。  午後は二時より再開し、厚生所管について質  疑に入ることとし、この際、暫時休憩いたします。    午後零時三十九分休憩      ————◇—————    午後二時三分開議
  98. 北澤直吉

    北澤主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和四十二年度一般会計予算及び昭和四十二年度特別会計予算中、厚生所管を議題とし、質疑に入ります。  この際、分科員各位に申し上げます。質疑の持ち時間は一応本務員は一時間程度兼務員もしくは交代して分科員となられた方々は三十分程度にとどめ、議事進行に御協力願います。  なお、政府当局に申し上げますが、質疑時間が限られておりますので、答弁は的確に要領よく簡潔に行なうよう、特に御注意申し上げます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。北山愛郎君。
  99. 北山愛郎

    北山分科員 私は、総括質問の際にもお尋ねをいたしました外地の戦没者の遺骨の収集問題、遺体の収集問題についてお尋ねしたいのであります。  まず、まだ外地に残っておる戦没者の遺体の数のことでございますが、それは政府が昨年でありますか、予算委員会で明らかにしたところでは、外地の戦死者の数は概数で二百十万人である、そのうち遺骨として返されたものは三分の一である、ですから大体百四十万くらいが残っておるのだ、こういうお話でございましたが、その厚生省、政府調査によって、各地域別に大体このくらいの遺体が残っておる、こういうふうな概数をひとつこの際明らかにしていただきたいのであります。
  100. 実本博次

    ○実本政府委員 ただいまお尋ねの外地の戦没者の概数を申し上げますと、先生のお話のとおりでございまして、陸海軍の軍籍のある戦没者の数が二百十万でございます。そのほかに満州、北朝鮮あたりで一般邦人の約十八万の方々の遺骨も同じように眠っておられますので、これを合わせますと約二百三十万ということでございますが、昨年の社会労働委員会で申し上げました数は、陸海軍の兵籍のある方々の二百十万という数でございます。それから、その眠っておられます二百十万に対しまして、いままで実骨として収集して遺族のほう、そのほかにお届け申し上げましたのが約七  十万、三分の一でございます。
  101. 北山愛郎

    北山分科員 私のお伺いしたいのは、そのあとの外地に残された、まだ収集されない、収容されない遺体あるいは遺骨の地帯、地域別の数字でございます。それは厚生省としておそらくいろいろな方法でもって調査をされておると思うので、その地帯、地域別の数字をお示しを願いたいのであります。
  102. 実本博次

    ○実本政府委員 便宜、概数で申し上げます。まず沖繩、台湾関係の戦没者の数でございますが、それが十二万、それから南方八島、これは十万八千、それから中部太平洋諸島が十三万八千、それからフィリピンにおきまして四十九万八千、それからベトナム、ラオス、カンボジアが一万二千、それからタイ、マライ、シンガポール、それからニコバル、アンダマン地方で二万、ビルマ、インドで十六万四千、インドネシアが六万二千、ボルネオが一万八千、西部ニューギニアが八万二千、東部ニューギニアとビスマルク、ソロモン群島が二十四万二千、それから韓国が一万五千、北朝鮮が三万三千、満州が二十四万五千、樺太、千島、アッツが一万八千、ソ連で樺太と千島を除きました地区が五万二千、それからモンゴルが千七百、中国本土は、香港を含めまして四十五万五千、こういう概数になっております。この中には、先ほど申し上げましたように、一般邦人の十八万が含まれておりますので、概数が約二百三十万になるわけでございます。
  103. 北山愛郎

    北山分科員 二百三十万といいますから非常に膨大な数でありますが、それが一体どういう状態に大体なっておるのか。実は昭和三十三年の一月ですか、フィリピン方面の地点別遺骨収集調査というのが、これは厚生省の調査だと思うのですが、地域別、地点別に大体の想像される状況を相当こまかく描いて、これに記録してあるわけです。ですから、これはフィリピンの分でありますが、それ以外の各島嶼とかその地帯における遺体が一体どうなっているのか。これで見ますと、ほとんど戦闘でもって戦没したまま、あるいは病死した、あるいは餓死したというものがこの山野に野ざらしになっておるような、そういうふうな状況に書かれておるわけなんで、一体どういうふうな状態にあるのか、これをひとつ説明していただきたいのです。
  104. 実本博次

    ○実本政府委員 いま申し上げました戦域別の戦没者の遺骨がどういうふうな状況になっているかというお話でございますが、このおびただしい数の遺骨の収集につきましては、政府は、昭和二十八年から遺骨収集の収集団を編成いたしまして、この収集につとめてまいったところでございます。二十八年には南方八島、サイパン、テニャン、グアム、ペリリュー、アンガウル、ウエーキ、南鳥島及び硫黄島というところについて政府の収集団を派遣いたして、現地の遺骨の収集並びに慰霊を行なってまいったわけであります。それから三十年に、ソロモン群島、ビスマルク諸島、それから東部ニューギニア、マライ、シンガポール、その方面の収集に参りました。それから三十一年におきましては、ビルマ、インド、西部ニューギニア、ボルネオ、その方面の収集に当たったわけでございます。それから昭和三十三年にはいま先生のお話のフィリピンを収集に回ったわけでございます。それから、ずっと最近になりまして昭和三十九年にインドネシアでの収集に当たったわけでございます。  この収集の結果、遺骨のお迎えできた数は大体一万一千ばかりでございますが、何ぶん非常に広い戦域でございまして、しかも主要戦場が非常に僻地と申しますか、非常に不便なところに多うございますものですから、短い期間に限られた人員で収集いたしました関係上、そういった遺骨のお迎えができた数が非常に少なかったわけでございます。一応主要戦域につきまして収集団を派遣いたしまして、目につくもの、ひどい状態になっているものにつきましては収集してまいりまして、お祭りをいたしておるというふうな次第でございます。
  105. 北山愛郎

    北山分科員 その経過についてはまた例にお伺いしたがったのでございますが、とにかくフィリピン方面の地点別の概況を見ましても、大部分が山野に放置されたようなかっこうになっているということが書かれてあるわけです。ですから、フィリピンだけ考えましても、調査にしても収集にしても相当大規模な措置をとらなければならぬ、こういうことだったのです。私率直に言って——いま九回ですか、いままでの調査団、収集団が派遣されたのが。しかし非常に小規模なものである。ほんの一部しか収集されておらぬ。全体を合わせて一万一千と言われていますが、ほんの一部であります。その長い間にそれだけしか収集されておらぬ。いま御説明のように、困難な地帯であればあるほど、相当規模の人員と費用を使ってもこの収集に当たるべきではないか、こういうふうに私は思うのであります。  厚生大臣にお伺いしたいのでありますが、一体この外地の二百万以上の戦死者をどうするかという問題、これは重大な問題だと思うのであります。終戦直後の場合においては外国との関係もございまして、あるいはその措置がとりにくかったかもしれませんが、平和条約も結ばれたというあとにおいても——平和条約を結んだ際に、外地におけるこの膨大な戦死者の遺体の収集については、やはり大さな事業として基本的な方針をきめてかかるべきであったと思うのですが、一体その当時の経過ですね、外地の遺体の収集について政府としてはどういう基本方針を持って臨んだか、これをひとつまずもってお尋ねしたいのであります。
  106. 坊秀男

    ○坊国務大臣 外地の犠牲者の遺骨につきましては、日本の国が責任を持ってこれをお迎えするということは当然のことでございまするので、政府といたしましては相手国等と折衝をでき得る限りやりまして、今日まで鋭意遺骨の収集につとめてまいったのでございますけれども、御指摘のとおり、いろいろな難渋な点といったようなことがございまして、まだ十分の遺骨の数をお迎えすることができないということは非常に遺憾なことに存じております。
  107. 北山愛郎

    北山分科員 現在の厚生大臣に当時のことをお伺いしてもちょっと無理かもしれませんが、政府としてその当時、普通ならば平和条約でもできますと、関係国の間で、交戦国の間では戦場措置の協定とかいうものができるわけなのですね。やはり一つの基本方針に基づいてあとの処理をどうするかという問題、これは基本問題であります。ですから、ただ、いまのようなお答えでそういう考え方だというだけではこれはいかぬので、実際に、一体政府として平和条約の際、あるいは終戦当時において、外地における戦死者の遺体というのはどういうふうな処理をしようとしたのか、そういう基本方針をきめておったのか、何もきめておらないのかという点を私は非常に疑問に思うわけです。それからもう一つは、いろいろな困難があると言いますけれども、困難があればあるほど——非常にわずかな人員と予算しかつけておらない。昨年はたった二百十九万ですか、この大事業が困難な仕事であるというのであれば、もっともっと人員とか費用をかけてやるべきであるのに、毎年の予算あるいは調査団等の事業についてもまことにこれは貧弱きわまるものではないか。いま大臣が言われたような、ほんとうにできるだけの収集をするというこの気持ちがいままでの措置にはどうも私どもは受け取れないのです。  そこでお尋ねをするのですが、一体どういう人員とどういう予算でいままで何をやってきたのか、二十八年度から経過的にお話をいただきたい。
  108. 実本博次

    ○実本政府委員 この遺骨収集の問題につきましては、占領時代におきましては、これはいろいろな制約があって、全然手がけられる状態になかったということでございます。平和条約によりまして独立を見ました直後から、すなわち昭和二十八年から政府としては遺骨収集に乗り出した、こういうことでございます。  それで、当初私がつまびらかにしておりますことは、やはりいろいろな外交上の制約等もあって、必ずしも戦没者がたくさん眠っておられて、そして早く処理をしなければならないというふうな場所について、受け入れ態勢と申しますか、受け入れ国側のほうの条件等もあるいは見合わなかったり、あるいは見合っても、いろいろな制約の関係上、制限された期間内に行なわれるということもあったのじゃないかと考えられるわけであります。したがいまして、先ほど申し上げましたように、二十八年以降三十年、それから三十一年、三十三年、三十九年というふうに、主要戦域について順次そういう条件の整いますところについて実施をしてまいったということでございます。特にインドネシアの三十九年までずいぶんおくれてまいりましたのは、向こうの受け入れ国側のいろいろな国内事情というふうなことがあったりしておくれたわけでございます。  そういうわけで、従来遺骨収集の事業につきましては、大体主要戦域の各方面につきまして、地域別に一渡り渡って派遣団を出し、そして慰霊をしてきた、こういうふうなかっこうでございます。  ただ最近、未処理の遺骨の状態が、風雨にさらされておるとか人目につくとかいうような状態で、なくなられた戦没者の霊に対して非常に相すまぬような状態になっておるという情報が非常に多く入ってまいりますので、その分につきましては、早急に遺骨収集事業をそういうところを重点にいたしまして進めてまいりたい。  それからもう一つは、いま申し述べましたこれまでに政府の遺骨収集派遣団が回りましたところで手直しを要するようなところについても、この際やはり政府の収集団を派遣して処理に当たりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。昨年は年度当初から予算を計上いたしまして計画を立ててまいっております。それはぺリリュー島とニューカレドニアの島であったわけですが、四十二年度におきましては最も戦没者の多うございますフィリピン、それからマリアナ諸島を中心にいたしまして、当初から計画を立てまして、収集に当たりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  109. 北山愛郎

    北山分科員 私のお尋ねしているのは、二十八年以来この事業に使った予算なんです。私の聞いたところでは、一年に千万円とか、昨年なんかは二百二十万円ばかり、今度の四十二年度も千三百万円、まるでこんな費用ではどうにもならぬと思うのですよ。調査員が三、四人出ていくということで、先ほどお話があったような非常に困難な地域であればあるほど、こんなよいかげんな少しばかりの人員と費用でこの仕事をやるなんということは、私は熱意がないと思う。こんなことではできるわけはない。いままでのようなやり方では何年たってもできないと思う。私はこの問題はやはり国としての大きな責任だと考えるものです。したがって、いままでのようなやり方ではだめだ。  時間がありませんから、私は結論的なことをお聞きするのでありますが、そんなことではなくて、むしろ出先外交機関が、フィリピンにも大使館があるでしょう、そういう機関が常時の仕事としてやるべきことなんだと私は思う。あるいは大使館の中に厚生省の駐在員を常駐させて、そして年がら年じゅうやるべき仕事だと思う。それでも十分にはできない。少しばかりの調査員を一年に一カ所とか二カ所派遣して済むというようなやり方は、私は遺骨収集に対する熱意を疑わざるを得ない。だから従来のやり方を根本から改めて、これから相当思い切ってやらなければならぬ問題だと思うのですが、厚生大臣はこの問題をどのように対処するつもりであるか、この点大臣のお考えを聞きたいのであります。
  110. 坊秀男

    ○坊国務大臣 北山委員の御趣旨は、私もまことにそのとおりだと考えます。私もでき得るだけすみやかに、できるだけ遺憾のないように遺骨を収集すべきものだと、かように考えますので、でき得る限りその方法等につきましては各方面ともいろいろ相談をいたしまして、御趣旨に沿い得るような方法をとってまいりたい、かように考えます。
  111. 実本博次

    ○実本政府委員 いま大臣からお答えいただきました点につけ加えますと、北山先生のおっしゃいますように、ただ限られた人間をその限られた期間だけ現地に派遣して収集させるというのでは、これは全く効率的でないわけでございまして、この点につきましては、昨年もいろいろ第二分科会の先生方からも御意見をいただいたわけでございますが、フィリピンの四十九万の戦没者のうち、全部一回でやってしまうということはとうていむずかしゅうございますので、今四十二年度において考えておりますのは、まずレイテ島を中心にしてやってみる。それにつきましては、お話のございました外務省のほうからのお話で、現地の大使館等におきましても、そういう計画についていろいろ事前に準備をしていただくようなかまえもいたしておりますし、現地の日本政府の出先機関の使えるものは全部いまからそういった意味での計画を周知徹底させまして、協力して効率的に収集作業を進めてまいるような準備は、外務省とも相談してやっておるところでございます。
  112. 北山愛郎

    北山分科員 そうすると、ことしの予算にしても千三百万くらいじゃどうにもならないので、政府としては早急に各地域の年次計画を立てて、そうして、むしろ船もふだんから常用して、あるいは駐在員も常駐さして、相当思い切った方法でもって費用も惜しまないでやる必要がある。早急に政府計画を立ててもらいたい。この国会中にでも部分的な計画は別に立てて、そうしてこれは予備費を使ってもいいから早急に手をつけてもらいたい、こういうふうに思うのですが、厚生大臣はそういうお考えがあるのかどうか。
  113. 坊秀男

    ○坊国務大臣 四十二年度の予算が少ないではないか、そういうような小額のものでは十分な効果をあげることができぬじゃないか、こういうお話でございますけれども、とにかく計上せられましたこの予算をできるだけ有効に使いまして、それでなお足りない——おそらく北山委員のおっしゃることは初めから足りないじゃないか、こういうお話でございますが、とにかく計上された予算をフルに活用いたしまして、それで足りないといったようなときには、そのときの予算措置を講ずる、こういうことで、初めから予算費を使うとかなんとか、これはちょっと予算のたてまえ上適当ではない。私も、千三百万円の予算でもって十分だとか、これで目的を達成し得るものだとか、さようなことは考えておりません。とにかく予算に計上された金額をできるだけ活用いたしまして、そのあとはあととして考えていきたい、かように考えます。
  114. 北山愛郎

    北山分科員 それはお役所式の答弁ですよ。この問題の大きさを考えてごらんなさい。二百万以上の遺体がまだ残っておるのですよ。大臣はこれはできるだけ収集しなければならぬと言っておるのです。それも南方の非常にめんどうくさい諸地域にばらばらになっておる。それを収集しなければならぬというなら、これはなまやさしい事業じゃないわけです。そうすれば、いままでのような何百万円とかあるいは一千万円とかいったようなことでは、この仕事はできないにきまっておるのです。この前の全日空の事故の際に、あの遺体の収容におそらく何億円も使ったでしょう。これと同じような考え方を持つべきだと私は思うのです。何かしらなくなってしまったものだからというような——もちろん南方に残された戦死者の遺体というものは声も出せないのですから、圧力団体にもなれない。ほうっておいても黙っている。しかしそれでは済まないわけです。そんなことは常識的にわかっているのです。そうなれば千三百万円くらいのものでは、これから新しい心組みでこの事業に取っ組むならば、とてもまず初年度から足りなくなるということが予想されるのです。まずもって私は、厚生省だけじゃなしに、これは厚生省からプランをつくって、そうして政府全体の基本方針をつくってもらいたい。そういうような基本方針をつくって、政府の年次計画としてこの事業を進めていくというお考えがあるのかないのか、この点をまず明らかにしていただきたい。
  115. 実本博次

    ○実本政府委員 橋をかけたり道路をつけたりといった意味の年次計画ということじゃございませんが、先ほど申し上げましたように、非常に戦没者の数が多い戦域、あるいは数が少なくても全部玉砕してしまって、まだ一度も伺っていないというような戦域、そういった過去の、二十八年から三十九年まで行ないました遺骨収集の手直し、最終的にとにかくこういった英霊についての処理をして差し上げたいという意味で、これはまだまだだいぶ時間をかけて計画的にやっていかなければならない。まずとにかく四十二年度におきましては、一番戦没者の多いフィリピンから始めていって、これが一体どのくらいの予算がかかるか、いろいろ問題がございますが、しかしこれは一種の終戦処理の仕事でございますから、なるべく早い機会にこういった意味での処理を進めてまいりたい、かように考えまして、とりあえず四十二年度におきましてはフィリピンから始めてまいりたいというふうに努力をいたしておるわけであります。
  116. 北山愛郎

    北山分科員 時間がございませんから終わりますけれども、もう少し真剣な気持ちでこの問題は取っ組んでもらいたいと思うのです。私も実は一昨年まで気がつかないでおったのですが、ある機会にこれに気がついてみると、非常に重要な戦後処理の問題が残っているというふうに考えます。外国の例などを見ましても、外国では相当徹底的にやっているわけです。それはこんな、いままでのやり方ではだめなので、私が先ほど申し上げたように、政府全体がこの問題を、従来とは考え方を変えて、思い切ってできるだけすみやかにできるだけの収集をするという基本方針、そういうものをつくってもらいたい。  それから、最近では、政府がまごまごしているものですから、民間のほうで各地域で金を集めて戦跡を訪問する遺骨の収集団なんかをやっている。そんなことでほうっておいて、一体国の責任のある姿勢かというふうに言いたくなるわけです。ですから、これはあらためてまた機会を見て私ないしわれわれの同僚が政府に要求いたしますが、どうぞこの問題に真剣に取り組んでいただきたいということを最後に申し上げて、私の質問を終わります。
  117. 北澤直吉

  118. 西宮弘

    西宮分科員 私は二つの問題をお尋ねしたいと思うのです。その第一は、牛乳あるいは最近特に牛乳に類似するいろいろな飲料が出回っておりますので、それらについての取り締まりないしは指導、そういう面についてまず最初に伺いたいと思うのです。  それで、最近、特に牛乳問題については、価格の問題が非常ににぎやかな論議をされているわけですが、実は価格よりももっと大事な質の問題等があるのではないかと思うのです。そういう点について、厚生省として、単に取り締まるという立場だけでなしに、積極的に国民の栄養を向上させる、そういう立場から、厚生省としてはどういう態度で望んでいるか。まず最初にその点、大臣のお考えを聞きたいと思います。
  119. 坊秀男

    ○坊国務大臣 申すまでもなく、牛乳というものは、特に乳児、幼児の非常に大事な食糧でございまして、この牛乳に十分なる栄養価が含有されてないとか、あるいはこれに有害な細菌が入っておるとか、あるいは非常に水分が多いとかといったようなことはきびしく看視し、さようなことのないように持っていかなければならないものでございまして、厚生省といたしましては、そういったような点につきまして、ある角度からいいますと、今日世間から、少しきびし過ぎるじゃないか、そういったようなこともいわれるほど、牛乳については厳重なる注意をやってまいっております。
  120. 西宮弘

    西宮分科員 事務当局でけっこうでありますが、いわゆるほんとうの牛乳ですね。そのほかに加工乳であるとか、あるいは乳飲料であるとか、そういうものが非常に最近出回っておるわけですが、それがどういう傾向でここ数年間伸びておるか、変わっておるか、まずその点を一応お知らせを願いたいと思います。
  121. 恩田博

    ○恩田説明員 私どものほうで調べましたことにつきましては、牛乳と加工乳の比例は、大体牛乳が五五で加工乳が四五くらいになっております。
  122. 西宮弘

    西宮分科員 要するに、最近、ほんとうの牛乳に対して、たとえば加工乳とかあるいは乳飲料とか、そういうものがここ数年間非常にふえている、こういう実情にあると思うのですが、最近のここ何年間かの経過はどうですか。
  123. 恩田博

    ○恩田説明員 はっきりした数をいま持ち合わせておりませんが、若干ずつ加工乳のほうがふえておるようでございます。若干と申しますのは、パーセントにしまして、一年に一%くらいずつ上がっておるように記憶しております。
  124. 西宮弘

    西宮分科員 いま課長の言ったような、年に一%ですか、そんな程度では絶対にないと私は思うのだけれども局長牛乳に対して、加工乳あるいは乳飲料、それがふえていっている実情をまず聞かしてください。
  125. 舘林宣夫

    舘林政府委員 以前はもちろん牛乳が大部分を占めておりましたものが、加工乳並びに乳飲料の使用量がだんだんふえてまいりまして、最近では、ほとんど両者半々に近い状況でございます。
  126. 西宮弘

    西宮分科員 両者半々に近い……。たとえば、私の手持ちの資料でも牛乳と加工乳が大体半々くらいだ、そのほかに、それのちょうど半分くらいに相当する分量が乳飲料で出ておる、こういう実態だと思います。ただ私が問題にしたいのは、最近の傾向をさっきから聞いておるわけですが、ところがそれに対していままでずっと答弁がないのであります。いまその半々だと言われたのから推して、私の手持ちの資料はおそらく間違っていないと思うのでありますが、それについて見ると、たとえば牛乳は五年ほど前に比べてごくわずかにふえておる。それに対して加工乳などはちょうど五年間ですか、同じ期間中に倍以上ふえておる。それから乳飲料はこれまた倍はちょっと欠けるという程度にふえておる。そういう事実はお認めになりますね。
  127. 舘林宣夫

    舘林政府委員 牛乳のふえ方に比べて加工乳並びに乳飲料等がより多く用いられるようになっておる傾向がございますことは、御指摘のとおりでございます。
  128. 西宮弘

    西宮分科員 私はそこに非常に問題があると考えるわけでして、単により多くという程度のものではなしに、非常に大幅に伸びておるということに問題があるわけであります。こういうふうにほんとうの牛乳が総体的に減っておる。そして逆に、いまのような加工ものあるいは乳飲料というようなものがふえておるということ、しかもその加工乳なりあるいは乳飲料の原料に使われるものは大体輸入ものだと思うのですが、そういうことになりますと、日本の酪農というのはある意味においては全く必要ないものになってしまう。むろん必要がなくなって、優秀なものが得られるならば、消費者の側だけから見れば、あるいはそれでいいかもしれませんが、決して内容的に優良なものではない。それがいわゆる牛乳に類似する食料としての大半を占めてしまうというようなことになると重大問題だと思う。  ちょうど畜産局長も見えたのでお尋ねいたしますが、いわば日本の酪農はその必要がなくなってしまう、あるいはまた、場合によれば日本のそういう乳製品の市場は、海外の酪農の植民地みたいになってしまう、こういう実情が考えられるのですが、その点はどうですか。
  129. 岡田覚夫

    ○岡田(覚)政府委員 お尋ねの飲用牛乳につきまして、加工乳だとか乳飲料が伸びておるのはどうだ、畜産政策上問題があるではないかというお話のように伺ったわけでございますが、最近の傾向を見てみますと、やや加工乳がふえております。加工乳がふえております原因といたしまして、実は御承知のように三十九年から生乳の生産の伸びが鈍化をしておるということが出ておるわけでございますが、一方で需要は非常に堅調で、需要は相当な率をもって伸びておる、こういうふうなことから、どうしてもその需要に対して供給が応じなければいかぬということから、加工乳というものがふえてまいっておるというふうに考えられるわけでございます。したがいまして、生乳を豊富かつ低廉に供給いたしますためには、どうしても酪農をさらに振興いたしまして、生乳の生産をふやすということが最大の必要になってまいろうかというふうに考えるわけでございます。  そこで、四十二年から価格政策等につきましても相当な配慮をいたしましたし、また、生産につきましても、急速な回復をはかるための生産対策というふうなものも講ずることにいたしておるわけでございます。そういうことを通じまして必要な生乳の供給をはかってまいりたい。国際的に見ましても、牛乳を外国から輸入するということは、これはなまものでございますので困難でございます。現在やや乳製品という形で脱脂粉乳なりバターの輸入がふえておるわけでございますけれども、将来のことを想定してみますと、国際的に自由に必要なものが入るという情勢には必ずしもならないわけでございます。そういたしますと、どうしても国内で十分な供給をするということを考えてまいらなければならないというふうに考えておりまして、先ほど申し上げましたように、生産の増大のために特段の努力をいたしたいと考えておるわけでございます。
  130. 西宮弘

    西宮分科員 いまの畜産局長の答弁のように、生乳の生産が鈍化をしておる、したがって、それがためにそれを補うべく加工乳なりあるいは乳飲料がふえておるのだというような御説明のようですが、むろんそういう面もあると思うのです。しかし、私は逆に、たとえば加工乳なりあるいは乳飲料、こういうものが非常に採算からいって、メーカーにとって都合がいい、そういうところから、これをむしろ盛んに売り出そうと非常にそれに馬力をかけて売りだす、そういうところにむしろ問題があるのではないかと思うのです。  そこで、厚生省にお尋ねをいたしますが、私はいまの加工乳なりあるいは乳飲料に対して、それに含まれておる牛乳の分量を明らかに表示をする、明示をする、こういうことをやるとか、あるいはまた、第一これを乳飲料などと呼ぶのが非常にまぎらわしいのではないかと思うので、そういう乳飲料の乳の字を取ってしまう、そういうふうにしたほうがまぎらわしくなくていいのではないかと考えるのですが、その点はどうですか。
  131. 舘林宣夫

    舘林政府委員 私どもが入手いたしました乳飲料の含有量の調査によりますと、悪いものは四〇%あるいはそれ以下のものというようなものがございます。また、いいものは六〇%あるいはそれ以上が牛乳あるいは乳成分というもので、それに対しまして、他の成分は残りの一〇〇から除いたもの、それがいわゆるフルーツ部分とか、あるいはコーヒー部分というようなものでございます。一般民衆がこれを飲む場合に、牛乳に少しコーヒーを入れた程度のものであるとか、牛乳にフルーツのにおいをつけたり味をつけたりしたものであるというような印象を受けるとすれば、その内容とはだいぶ隔たったものでございます。ただ、いま申しましたように、数十%程度牛乳成分があるわけでございますので、看板に偽りがあるという種類のものとは必ずしも言えないわけでございますが、受け取る側の国民の印象と違うかどうかという問題は、御指摘のとおりあり得るわけでございます。今月規則によりまして成分は明示しなければならないということで、どの乳飲料も内容は一応ふたに書いてあるわけであります。しかし、非常に小さい字でありまして、一般の人々がそのパーセントを十分それから知ることは非常にむずかしい程度にしか書いてないというところにも問題があります。  いま一つは、先生の御指摘のように、国によりましては、そういう乳あるいはミルクというようなことばをなま乳の普通の牛乳以外のものには使わせない。これは目標はあくまでも畜産奨励というような意味もあるようでございますが、そういう方向で規則をつくっておる国もございます。それではわが国ではどうするかという問題は、先般来種々この問題についての御指摘がございました。私どもとしては、どういう方向改善をはかっていくかということは目下検討中でございます。
  132. 西宮弘

    西宮分科員 その乳成分が四〇%ないしいいもので六〇%程度を含んでおるというのですけれども厚生省の省令によると、加工乳あるいは乳飲料のいずれも、生乳もしくは牛乳いろいろありますけれども、それを「主要原料」としてとうたっておるわけです。主要原料ということばには幅はありますけれども、それが主要な原料というからには大体八〇%、九〇%といったもの、いわゆる主要ということばの概念はその辺にあるのではないかと思うのですよ。そういう点から見ると、たとえば四〇%なんていうのは半分にも足りない。こういうことでは、とうてい主要とは言えないと思う。これは明らかにそういう意味では厚生省の省令に違反しておるといって差しつかえないと思うのです。半分を割っておるというのは、主要原料というようなことばの中には絶対入らない。ですから、そういうものはすべからくいわゆる乳製品の範疇からははずすべきだと思う。むろん、これを単なる嗜好品として飲む分には、衛生に害がない限り差しつかえないと思うのだけれども、乳の字を使って、いかにも牛乳とまぎらわしいような扱いをすることは、これはどうしても間違いだと私は思うのですよ。ですから、ぜひそうしてもらいたいと思う。そうして、牛乳は一切何ものも加えない、あるいはこれから何ものも引かない、プラスもマイナスもしない、そういう原則を明確にすべきだと考えるのです。急ぎますから、一応簡単にいまの点についてもう一ぺんだけ答弁してください。
  133. 舘林宣夫

    舘林政府委員 前段のお尋ねにつきましては、実は今日の乳飲料は必ずしも牛乳あるいは加工乳にかわるべき栄養食品ということよりは、むしろ嗜好品的なものであるという配慮から、必ず牛乳らしからざる外貌をするように着色をさせるということをいたしておるわけであります。その上に、私どもとしては、内容がもっとはっきりわかるように書かせるということで、一般国民にこの乳の成分はそう多くないものであるというようなことをよく周知せしめるのはよろしいかと思いますが、それを乳ということばを排して、ミルクということばに変えるか、あるいは、一切乳というようなことばを使わせないというような点は、この席ではっきりお答え申し上げるまでには私どもとして結論を得るに至っておりません。  それから、お説のとおり、牛乳はあくまでもしぼりたてのままの純粋の姿のものを保存して、これをスタンダードとして栄養食の基準にするということがたてまえでございまして、私どももできるだけその方針を堅持いたしてまいりたい、かようなことで考えております。
  134. 西宮弘

    西宮分科員 いまの牛乳の乳の字をミルクにするなんというのは、全くインチキきわまると思うのだけれども厚生省がそういう考え方でおられたのでは、国民ははなはだしく迷惑千万なのであります。ただ、内容を標示するというような点は、さっきもお話があったように、一般の国民にはとうていわからないような、そういう形で標示されておるというようなことでは何にもならないので、ぜひともそういう点を明確にしてもらいたい。私は、乳というようなことばを使うことがすでに間違いを生む原因だと思うので、ぜひその点を検討してもらいたい。いまここで答弁ができないのならあとでけっこうです。しかし、ぜひその点は検討してもらいたい。  最後に、この間ちょっと新聞にも出ていましたけれども牛乳そのものにいわゆるまやかしものがある、こういう問題であります。厚生省はどういうふうにこの事情を調べていますか。つまり、この間新聞で見たのは、牛乳なるものが、牛乳ではなしに、その内容が全然別なもの、全然別なものというか、たとえば植物性のヤシからとった油を使ったり、あるいはそういうものを要するにまぜて、それで牛乳らしきものをつくって、牛乳の形だけつくって売っておったということを都のほうで摘発しているわけだが、全国的にどういうふうに見ておりますか。
  135. 舘林宣夫

    舘林政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、牛乳はあくまでもなま乳の内容そのままをびんに詰めて販売するというたてまえでございまして、その成分も省令によってはっきりきめられてあるわけであります。したがいまして、御指摘のように、ヤシ油のような他の植物性の脂肪でかえるというようなものは違反物件でございまして、違反物件をどのように取り締まるかという問題に帰着するわけでございます。私どもといたしましても、各種食品衛生取り締まり上の見地から、監視員を督励して各種の調査を全国的にやらせておるわけでございまして、先般あがりましたものも、その監視の一端であがったわけでございますが、私ども数少ない監視員を督励して努力はいたしておりますけれども、なお他の地区にもこういうものがあるかもしれないということは、御指摘のとおりでございまして、十分取り締まりを厳重にしてまいりたい、かように思っております。
  136. 西宮弘

    西宮分科員 私は、いま局長の言った、他の地域にもあるかもしらぬというので、そういう実情はどうかということをお聞きしたのです。実情はわかっていないわけですか。
  137. 舘林宣夫

    舘林政府委員 ただいまブロック会議を開きまして、東京都の事例を話して実情の調査中でございます。
  138. 西宮弘

    西宮分科員 いまから会議を開いて実情を話すというのじゃ、ずいぶんまだるっこいと思うのだけれども、現にすでに大阪府立ですか、公衆衛生研究所の発表等によると、調査をした二十六メーカーの中で、七メーカーは異質の脂肪が検出をされたというような報告が出ておるのです。ですから、もう大阪地方では、ずいぶん広範に調べた中で、二十六メーカーの中で七メーカーもそういうものが出ておるという報告が発表されておる。
  139. 舘林宣夫

    舘林政府委員 御指摘のように、大阪地方ではそういう事実が判明しておりますが、いま督励をして調査中でございまして、いずれ全国的に調査して全貌がわかる、かように思っております。
  140. 西宮弘

    西宮分科員 私は、これから督励をして云々というのじゃ、まことに手ぬるいと思うのだけれども、こういうことがすでに大阪の公衆衛生研究所から発表されておるのですから、いまから調べるという問題ではないと思う。こういうふうに最近牛乳の需要が伸びておる。しかも供給が停滞しておる。そういう中にあって、こういう悪質な業者が出てくるということは、しろうとが考えても当然予想されることだと思います。いわんや、すでにそういう事実が相当件数出ておるというのに、これから会議を開くということじゃ、全く私は間に合わないと思うのだけれども、それじゃ、いま資料がないというなら何ともやむを得ないので、この次の機会までにぜひその資料をひとつ明らかにしてもらいたい。私は、それをぜひお願いしておきたいと思います。ことにこれなどは全く悪質きわまりないと思うのですね。こういう供給が停滞しておるという中で一もうけしようというようなものがあらわれてくる。私は、さなきだに最近の乳業メーカーは非常なぼろいもうけをしておると思うのですよ。さっきもちょっと言ったけれども、これは生乳の供給が足りなくなったという結果ではなしに、むしろこれで一もうけしようというようなことから、いまの乳飲料とか、そういうものがはびこってくるのだろうと思う。現に、たとえばいわゆる三大乳業メーカーなどを見ましても、わずかに過去三年半の間に利益金は二倍半くらいにふえているわけです。これは決算報告を見ればわかります。こういうふうにわずか三年半ばかりの間に利益が非常な膨大な伸びを示しているというようなことは、明らかにそうだと思う。ましていわんや、これをやっているのは、そういう三大メーカーみたいなメーカーではないでしょう。いまのまやかしものをつくっておるというのはそういうものではないと思うけれども、ましていわんや、こういうものをつくって、ほんとうにこれは保健衛生の立場からいっても、これは危険きわまりないと思う。ですから、これは厳重に監督してもらうということを要望し、かつ次の機会に資料を見せてもらいたいということをお願いしておきます。  それでは時間もありませんから、牛乳に関連した問題はこの程度にいたしまして、続いて厚生大臣にお尋ねしたいのは、福祉施設に働いております従業員の労働条件の問題なんであります。これの従業員が、各施設とも人手が足りないというような点は、公立の施設においても同様だと思います。あるいはさらに、自治体がやっておる施設などは、さらにこれ以外に超過負担の問題に悩まされている。こういうこともまさに事実であります。しかし、いまは私立の問題に限ってお尋ねをしたいと思うのですけれども、私立の施設に働いている人たちの労働条件の改善あるいは給与の改善、こういう点についてどういう方針で厚生省は臨んでおるか、まず大臣考えをお聞きしたいと思います。
  141. 坊秀男

    ○坊国務大臣 施設に働いておられる方々の処遇は非常によろしくなくて、特に民間の施設がひどいじゃないか、こういう御指摘でございますが、そういう傾向は、これは否定するわけにはまいらないというようなことでございます。その民間施設の経営の調整費といったようなものがございますが、そういったようなものを逐年ふやしてまいりまして、民間とそれから公立との格差ができるだけ縮まっていくような措置をとっておるのでございますが、詳細な数字等につきましては、担当の局長から御説明させます。
  142. 渥美節夫

    ○渥美政府委員 お話の児童福祉施設、特に保育所におきまする保母の処遇の改善の問題でございますが、問題点は大きく分けて二つあろうかと思います。第一点は、保母さんの労働条件をできるだけ改善していくというふうな問題と、それから保母さんの給与を改善していく、こういうふうなことであろうかと思います。なお、そのほかにもいろいろな運営上の改善の問題もあろうかと思いますが、いま申し上げました第一点につきましては、逐年保母さんの労働条件を、特に受け打ちの子供さんの数を減らしてあげるというふうなことを重点といたしまして考えております。本年度におきましては、三歳未満の子供の受け持ちを、従来が七人について保母さんが一人という配置の状況でございましたのを、六人の子供さんについて一人ということに改善をいたそうとしているわけでございます。もちろん六人でございましても非常に足りないであろうということは考えられるのでございますけれども、本年度におきましては、とりあえずそういった措置をしたい、かように考えております。  次に、第二点の給与の問題でございますけれども、現在、給与は大都市を中心とする地域を甲地と称しております。それから、それ以外の地域を乙地と称しておりまして、甲地域と乙地域との間におきまして国が措置いたします予算基準が違っております。格差がございます。したがいまして、その格差を少なくするということにいたしたいと思っております。したがいまして、本年度におきましても、この格差を昨年に引き続きまして縮めてまいったのでございます。  それから、先ほど大臣が御答弁申し上げましたように、民間の施設の重要性にかんがみまして、民間の施設に対しましては特に民間の経営を改善する、調整するという意味におきまして、民間施設経営調整費というのを昨年度は公立に比べまして三%加算をしてまいったのでございますが、本年度におきましては、それを二%ふやしまして五%の加算額を見まして、所要の財源を確保しようというふうに考えておるわけでございます。
  143. 西宮弘

    西宮分科員 いま保育所についてお答えがあったけれども、保育所についてももちろん問題があるわけで、三歳未満児について七人を六人にした、もちろんだんだん少なくすることは大いにけっこうだと思うのだけれども、たとえば三歳児については何らの改善もされてないわけです。しかも、これは何年でしたか、児童福祉審議会からの答申で、二十人に一人にしろという答申が行なわれておるはずなんだけれども、これに対して、全然採用されておらないという状況があり、あるいはまた、たとえば養護施設等においても、これは八名に一人という標準になっておりますけれども、実際は保健婦とか栄養士とか、そういうものが全然認められておらない。それがために、そういうものに食い込んでしまうというような点があるとか、あるいはまた、いまの八人に一人というのには指導員も含まっておるから、したがって、そっちのほうに食われてしまうので、結局ほんとうに保母が担当する児童の数は、それよりもはるかに多い、おそらく基準よりは五割程度多いんじゃないかと思います。そういう実態がある。あるいは、それ以外に、たとえば雑役をする雇用人がいないとか、問題はきわめて多いと思うのです。そういう意味では、とても人手が足りない、あるいはさらに、病休とか産休とかいうものに対する代替の要員定数ももちろんない、こういう実態で、きわめて職員が足りない。したがって、労働時間も、あるいは労働の密度も、非常に高くなっておるというのが現実だと思うのですが、これは大臣いかがですか。そういう実態が労働条件としてきついわけですよ。そういう点について何とか改善の方法はないのですか。
  144. 渥美節夫

    ○渥美政府委員 ただいま御指摘のありましたように、こういった受け持ちしております子供の数を減らしていくということにつきましては、児童福祉施設の最低基準というのがございまして、その最低基準改善をするということになるわけでございますが、その最低基準改善につきましては、昭和三十八年に中央児童福祉審議会におきまして意見をいただいたわけでございます。その意見によりまして、逐年予算編成のおりにその改善をしつつまいったのでございまして、いま御指摘の養護施設等の施設におきまして受け持ちの子供を減らしていくというふうな点も触れられております。また保育所につきましても、三歳の子供三十人に対して一人の保母が現行でございますが、これを二十人の子供に対して一人の保母というような意見も出ております。これらにつきましては、はなはだ残念でございましたが、昭和四十二年度は実現を見なかったわけでございます。来年度以降、こういった受け持ちの子供数を減らすということにつきましては最大の努力を払っていきたい、かように思っております。  なお、産休の保母さんに対しましては、代替の保母さんを雇えるような予算を計上してございます。
  145. 西宮弘

    西宮分科員 いま局長の答弁では、たとえば三歳児の問題にしても、四十二年度で解決がつかなかったのはたいへん残念だというようなことを言っているけれども、第一、厚生省は予算の要求をしてないのじゃないですか。
  146. 渥美節夫

    ○渥美政府委員 予算の要求の段階におきまして、こういった児童保護措置費の予算内容につきましていろいろ検討したのでございますが、四十二年度におきましては、ともかくも、最もその緊要な問題として考えられておりました三歳未満児の保母さんに対する処遇の改善を第一義に考えたのでございます。
  147. 西宮弘

    西宮分科員 たとえば、同じ厚生省内で、保健婦を置かなくちゃならぬというような問題、あるいは栄養士を置かなくちゃならぬというような問題等について、厚生省の出先であります保健所等からは、それを置けということを施設に対して要求しているわけですよ。しかも、さっき局長も言われたように、最低基準には保健婦あるいは栄養士というようなものが入っておらない。こういう実態では、実に矛盾もはなはだしいと思うのだが、その点はどうですか。
  148. 渥美節夫

    ○渥美政府委員 栄養士の問題でございますとか、あるいは保健婦の問題、そういった点につきましては、現在のところそういうものを置くことに必要な経費というものは組まれておりませんけれども、ただ、児童福祉施設におきまして、近隣の保健所なりその他の福祉保健関係の機関と十分に連絡をとって指導を受けるように、現在のところは徹底しておるというふうに考えております。
  149. 西宮弘

    西宮分科員 時間がまいりましたのでこれで終わりにしなければなりませんが、大臣にお尋ねをいたします。  大臣は、最初の答弁のときに、いまの調整費を逐年ふやしていくということを言ったのですが、去年の三%はことし五%になったと言うのだけれども、去年もことしも、たとえば定期昇給をやるというようなことであれば、ことしふえた分に要するにことしの定期昇給に回される。回されるといっても、それだけでは私はきわめて不十分だと思うのですよ。去年の三%というのは、定昇に回るというのはおそらく二%だと思う。同様にことしは四%だと思うが、ことし四%になりましても、そのことは、去年もやるしことしもやるというたぐいのものであって、去年以上に楽になったという筋合いのものでは毛頭ないと思う。しかし、それにしても、先ほどの大臣の話だと、それを逐年ふやしていくというお話なんだけれども、これは今後にわたって続いて増額をしていく、さらにまた、さっきも言ったように、その程度では定昇の実情には合わないと思う。そういう点をどういうふうにお考えですか。
  150. 坊秀男

    ○坊国務大臣 厚生省といたしましては、できるだけそういうふうに持っていきたいとは思っておりますけれども、いずれにいたしましても、予算の問題でございますので、いまここではっきりとこうするんだというお答えを申し上げることは困難であろうと思います。
  151. 西宮弘

    西宮分科員 明確なあれは出ないかもしれぬ。しかし、さっき冒頭に、逐年ふやしていくのだということを答弁をされたので、われわれはそれに期待するほかはないと思う。ですから、ぜひ来年以降においても、毎年毎年ふやしていくという努力をしてもらいたい。ことに定期昇給も行なわれないというふうな実情のもとでは、あの施設に働く職員の諸君は、安心して勤務に従事するということは絶対にできないと思うのですよ。労働環境そのものが、他の事務職員なんかとは比較にならない困難な条件の中にあるのですから、それがしかも完全な給与の支給も得られないというような状態では、とうてい満足な任務の遂行はできないと思うので、ぜひともそういう点を徹底的に改善をしてもらうということを強く要望しておきたいと思います。  残念ですが、時間がありませんから、これで終わりにいたします。
  152. 北澤直吉

  153. 古井喜實

    古井分科員 私は、社会保障の前進と発展をこいねがう、そういう立場から、幾つかの問題について多少愚見をまじえながらお尋ねをしたいと思います。  まず最初に、社会保障全体の水準の問題であります。私が申すまでもなしに、日本社会保障の水準は低いのであります。日本と同じ程度経済発展段階にあった当時、西欧の先進国がどうあったか。それと比べてみても、十数年の距離があるのじゃないかというふうに、大ざっぱにそういう気がするのであります。で、国際比較から見ても低い。国民一人当たりの社会保障給付費の比較、あるいは国民総所得の中で占める社会保障費の割合などから見てもはなはだ距離があって、おくれておるように思うのであります。それから、日本の国内の事情から見ても、御案内のように、非常に経済的、社会的な大変動のさなかにいまあります。いわゆる経済の二重構造というものが漸次解消されるというか、変動を起こしておる。で、前途に対してはなはだ不安を持っておる農村や中小企業の人々もおるのであります。こういう日本の実情から見ても、どうもこれでいいのだろうかという気がいたします。それから、割り切ってはっきりやらなければならぬことまで、きょうやらないでおいている、そういう問題もあるように思います。要するに、全体的にだいぶまだおくれておる。少なくとも早く西欧水準には追いつかなければいかぬ。本気でこれは考えなければいかぬのじゃないか、私はそう思うのです。  意見はその点であまりたくさん述べないことにして、一つ、二つそれに関連して伺っておきたいのは、新しい経済五カ年計面、経済社会発展計画と称するものにおいて、社会保障費ないし振替所得というものは、どのくらいな割合を国民所得に対して与えられておるのか、これをひとつどなたからでもいいから、何%ぐらいの割合を与えておるか、伺いたいのであります。
  154. 首尾木一

    首尾木説明員 経済社会発展計画におきましては、社会保障の規模の増大ということを考えまして、昭和四十年の実績で申しまして、振替所得が国民所得の五・五%でございますが、これを目標年次である昭和四十六年度には、二%程度引き上げるというような考え方に立っておるわけでございます。
  155. 古井喜實

    古井分科員 最終年度で二%程度引き上げる、こういうのですから、五年間の各年度の平均からいうと、二%にはいきはしない。またいったところで、七・五%というのは、言うまでもなしに低いのであります。私はどうかと思う。社会開発というのが政策の大きな題目になっておるが、社会開発というのは環境を直すだけじゃない。人間の福祉と能力というものを発展させるのが、社会開発の中心問題であります。これは少し低いと思います。で、いままでもそうだったけれども、五カ年計画というのは何べんも練り直す。その意味では権威がないとも言えますけれども、ゆとりもある。これはもっと押し上げるということを努力する必要がある、私はそう思います。これは意見として申し上げて、よく考えていただきたいと思います。  もう一つ、ILO百二号条約、社会保障の国際的最低基準をきめた条約、あの条約できめているのは、後進国まで含めての基準ですから、あのくらいな程度のことは、どの項目だって日本は満たしてもよいはずだと思う。けれども、まだ各条項を満たしておるところには至っていないと思います。日本の実情が実情だなんていっている話じゃない。これは最低の基準であって、後進国だってこれくらい考えろという基準なんだから、全部の条件を満たしてもいいはずだくらいに、私はそう思うのです。  そこで、現状であの条件を満たしている項目と満たしていない項目とありますけれども、満たしていない項目のおもなものを少し言っていただきたい。この条約を批准するかしないかということは——まだ批准していないのですけれども、私は、きょうはこれは議論しません。いろいろな考慮の上でやったほうがいいから議論をしませんが、実態的に、あの条件を全部が全部満たしていないのですけれども、はずれていると思うような項目を、ひとつ政府委員の人から簡単に話していただきたい。
  156. 首尾木一

    首尾木説明員 先生御承知のように、部門別にいたしまして、医療、疾病給付、失業給付、老齢給付、業務災害給付、家族給付、母性給付、廃疾給付、遺族給付、この九部門につきまして、社会保障の最低基準に関する条約がそれぞれ基準を示しておるのでございますが、このうちで、日本が該当していないものと考えられますのは、まず第一に医療保健の関係でございまして、医療給付の面につきましては基準を満たしておるわけでございますけれども、妊娠、分べんに関しましてILOの百二号条約では、医師または助産婦による介助及び必要ある場合の入院というような条件がその給付を行なうべきこととして定められておるのに対しまして、日本の健康保険では、現金給付として分べん給付の支給をいたしておりますが、この額が、配偶者の分べん費につきましては、現在三千円というような全額にとどまっておりまして、その意味においてこの要件を満たしておらないということが言えるかと思います。  それから家族給付の面でございますが、これは家族手当あるいは児童手当といったような制度でございますけれども、わが国におきましては、それがいまだ実現されておらないという点において、これは全部満たしておらないわけであります。  それから先ほども申し上げました妊娠分べんに関するものが医療保険の内容として規定されておりますが、さらに母性給付といたしましてもそういう部面がございまして、母性給付のうちには、同じように妊娠分べんにつきまして必要な医療、必要がある場合の入院というものが規定されておるのでございますが、その点が条件を満たしておらないわけでございます。  それから第十部の遺族給付に関する問題でございます。遺族給付におきまして、条約のほうは、資格期間を五年といたしまして、子二人の加算を含めて従前の所得の三〇%以上というような規定になっておりますが、わが国の厚生年金におきまして、現在、標準報酬の下のほうの人につきましてはその基準を満たすわけでございますけれども、標準報酬が一万六千五百円をこえる階層につきましては、その点を満たしていないというような点がございます。  満たしていないおもな点というのは、そういったような点でございまして、その他にも若干条約の規定にわが国の現行制度が適合しているかいなかというような点につきまして、疑問もあるような問題点も若干ある現状でございます。
  157. 古井喜實

    古井分科員 それで、いまも説明がありましたように、幾つかの項目はまだ満たしていない。御承知のように、西ドイツにしても、ベルギーにしても、オランダにしても、全部条件を満たしておる。これは最低の条件ですから、よく考えてみる必要があるのじゃないかと思うのです。ことに分べんとか出産とかいうものをおろそかにしているというのは、日本のおくれを示しておるものであります。これはあとで他の関係でもう一ぺん伺いたいと思っております。  家族給付の問題の中の児童手当がそれに当たるかどうか知りませんが、これもあとで別に伺いますけれども、やはり一通りのかっこうくらいは整えるのが至当じゃないか。日本もここまできて、世界の幾つの国の中に入っておるといっておって、少しは底辺のことも考えなければいかぬと私は思うのです。大いに熱意を持ってもらいたいのであります。  全体論をやっておるときりがありませんから、部門に入りたいと思いますが、医療保険のことを聞きたいけれども、ほかの用事があるようですから、あと回しにしまして、年金のことで少し伺いたいと思います。  年金制度は、社会保障の中でひどくおくれておる。これはもうみんながそう言っておる。ことに国民年金が低水準である。それだから、一番大事な対象である農民に対して農民年金を別につくれというような議論も起こってくる。つまり、これは内容が貧弱だからこういう議論が起こるのです。要するに、年金はばらばらであるし、ひどく水準が低いと思うのであります。  それでひとつ伺っておきたいのは、次の厚生年金の再計算期、四十四年ですか、そのときにはどれくらいなことをやろうという考えでもあるのか。また、何かそこまでに調査を進める手だてを考えておるのか。国民年金のほうにはどんなつもりでおるのか、しばらくほっておこうというのか。この辺をまず伺っておきたい。局長からでもけっこうです。
  158. 伊部英男

    ○伊部政府委員 わが国の年金制度は、皆年金達成後、着実にその内容を充実してまいったのでありますが、昨年におきましても国民年金の画期的な改正を行ないまして、大幅な引き上げが本年一月一日から実施をされておる状況でございます。このため、たとえば母子年金等におきましては一月一日から二倍半にのぼる引き上げが実施されておるのでございますが、なおいろいろな意味で年金制度において宿題が残されておりますことは、御指摘のとおりでございます。そのため、次の再計算期でございます昭和四十四年には、前回の再計算期後におきます諸般の条件の変化を考慮いたしまして、年金給付水準の引き上げを実施いたしたい。さらに、国民年金についても、同時期をめどといたしまして、厚生年金に対応する改善を実施すべきではないかと考えておるのでございまして、今後厚生年金及び国民年金に共通する問題といたしまして、給付水準の問題はもとより、従来からの諸般の懸案事項や新しい課題を含めて、制度そのものについて検討を進めるべきである、かように考えておる次第でございます。
  159. 古井喜實

    古井分科員 それで、厚生年金のみならず、あわせて、その機会に国民年金の水準引き上げを考えてみたい、とにかく国会の場で、政府委員からではありますけれども考えを披瀝された。これはたいへん私はけっこうだと思う。なるほど昨今引き上げたとはいうものの、もとが低いのですから、お話にならぬ。これはぜひ同時に厚生年金とあわせてつり合いをとって国民年金も改善するように、いまから十分研究して基礎を固めてもらいたい、こういうふうに注文をしておきます。  そこで、国民年金は二倍半も上げたというのでたいへん大いばりのようですけれども、夫婦一万円年金と称するものは、きょう幾つの人が標準になって、六十五歳になって夫婦一万円もらえるのですか。きょう年齢幾つの人間を標準に考えての話ですか。
  160. 伊部英男

    ○伊部政府委員 四十一歳未満の方でございます。
  161. 古井喜實

    古井分科員 そうしますと、つまり国民年金の法律を施行したときに三十五歳であった者、つまりきょう四十一歳、それからさき若い者は、六十五になっていわゆる夫婦一万円年金をもらえるのですが、それより年の上の人は、六十五になってももっと安い金しかもらえない。四十二歳より上の人、つまり早くもらう人は、六十五になって夫婦一万円だといって、六十五になったら一万円もらえると思っておったところが、割り引きを受けてけちな金額しかもらえない、こういうわけですね。私は、たいして大いばりするほどの引き上げとは、ほんとうは思わぬのです。みんなが夫婦一万円もらえるのだと錯覚を起こしているくらいです。そこでしかたがない、きょうの話になりますと、早いところ、ほんとうに六十五になったら、だれでもいわゆる夫婦一万円をもらえるくらいに考慮を払っていく必要があるのじゃないか。それにはやはり四十二歳以上の人には、掛け金を割り増しで払おうという人は払わして、そして六十五になったら一万円もらえるくらいのことは考えてもいい。それくらいの掛け金を払う者は今日たくさんおる。そういう道を開けば、これは割り増しを払って老後もらおうという人は、たくさんおると私は思う。これをひとつ早いところ考えたらどうかと私は思うのです。むろん、それに対して国が何ぼかつけるというのは、大蔵省ぐずぐず言うかもしらぬ。そんなけちなことを言っている人がおるかもしらぬ。いま低いのだから…。それからさらに、一口で夫婦一万円、一人五千円、これを余裕のある人は二口入ったっていいじゃないか、三口入ったっていいじゃないか、掛け金を払う者は。そういうゆとりや幅をつけるということも考えてもいいのじゃないか、いまいかにも低いから。そういうゆとりをつけることも少し考えたらどうだろうか。民間の保険会社だったら、これくらいのことはすぐ考えると思う。お役所仕事なものだから、きめられた仕事をよちよちやっておればいいということになるかもしらぬが、これは私はよくないと思う。そういう道を速急に開くべきではないかと私は思いますけれども、どんなもんでしょうか。これも政府委員からでもけっこう、大臣からでもけっこう、どちらでもよろしゅうございます。
  162. 伊部英男

    ○伊部政府委員 ただいま古井先生御指摘の年数の短い方についての問題は、非常に大きな問題でございます。これは単に年金額の問題のみならず、年金の受給につながらない場合もあり得るわけでございまして、これらの方々をどう考えていくかということは、基本的に非常に大きな問題でございます。特に国民年金に関しましては、発足が比較的他の年金制度に比べておくれておるのでございまして、かつ、当時——いまから六年ほど前でございますが、当時におきましては、古井先生も御承知のとおり、必ずしも年金制度に対する認識が十分でなかった。国民の皆さまからいろいろ疑問が出されたのでございますが、その後、世の中の推移あるいは年金制度の改善に伴いまして、年金に関する関心が非常に高まってきたということが言えるかと思うのでございます。これらの過程から、国民年金が発足した当時におきましては、三十五歳未満の方のフルぺンションにつきましては、相当の給付を前提にいたしたのでありますが、経過的な方につきましては、比較的保険料が少ない、あるいは自主納付というたてまえから、一定の年数以上の方は任意加入、あるいは加入をしないといったような扱いが行なわれておるのでございます。しかしながら、この問題は今後の年金制度に非常に大きな問題でございますが、ただ、国民年金そのもので考えてみますと、他の年金制度との比較において考えてみますと、実は、たとえばあと五年後に出る十年年金にいたしましても、かような、いわば有利な経過的な年金制度を設けておる制度は他にないのでございます。たとえば、十年年金で出る給付は年額二万四千円でございますが、これに対する拠出額はこの二割程度でございます。このことは、国庫及び他の若年被保険者が相当ないわば負担をしているということになるわけでございます。こういうことで、国民年金は国民年金としていろいろくふうはされておるといってよろしいかと思うのでありますが、なお御指摘のように、基本的に大きな問題も存在していることは事実でございまして、今後の研究の大きな課題として考えてまいりたいと思う次第でございます。  なお、国民年金の二口あるいは三口加入を考えてはどうかという御指摘でございますが、この点につきましては、実は発足当初からあった考え方でございます。その後、主として基本的な年金額の引き上げに努力を集中してまいりまして、この問題につきましては、その後顕著な検討の発展がないわけでございます。しかしながら、基本的には二口、三口というものを国民の被保険者の側から任意に選択し得るという点につきましては、やはり年金制度といたしましては、将来若干の問題を残すかと思う次第でございます。また、特に先般の改正によりまして、財政方式がいわゆる修正積み立て方式に変わっておりまして、そういう点も考えますと、当代の被保険者に対する負担関係につきましても、若干の問題点を残すのでございます。これらの点から、なお慎重に検討いたしたいと思うのでありますが、基本的には、国民年金と厚生年金と比較をいたしまして、国民年金の二十五年の年金額と、厚生年金の二十年の定額比例とをそろえるという基本姿勢を立法当初から持っておるわけでございます。比較をいたしますと、厚生年金におきましては、いわゆる報酬比例があるのに対しまして、国民年金においてはそれがないということがあるのでございますが、この点につきまして国民年金審議会におきましても御検討をいただいておる段階でございまして、これらの問題とのからみも見まして慎重に検討してまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  163. 古井喜實

    古井分科員 何だかめんどうなことがちょこちょこあるのでというふうで、腰が重いように思うのですけれども、それがつまり事務官僚というか、役人の悪癖だ。少しそんなことばかり考えないで、よいことをするためにめんどうな点を解決するということで、前向きに考えなければならない。第一、きょう問題の農村の人などは、子供は出てしまう、たよる人間はおりやしない、どうするんだ。これはいまの四十一歳から上の人たち、働けなくなる時期はやがてくる。若い者はいやしない。いまのままでおいたら、もう時間的に間に合わぬと私は思う。少しは世の中の動きも見ることだと私は思うのです。実を申せば、国民年金法を施行したのは、私が厚生大臣をしておるときでした。で、こんなけちくさいものなら、もうやらぬほうがいいじゃないかとほんとうに思いました。けれども、小さく生んで大きく育てろという理屈もあるから、早く大きく育てるという意味においてまず発足したほうがいいじゃないかと、私は分別を当時つけておったんです。そもそも元が小さいのです。これは尋常一様に考えないで、少しスピードを上げてこれは考える必要があると私は思うんです。めんどうなことは知恵を出せば解決つくんですから、ぜひひとつ前向きに考えてもらいたい、速急にこれは研究してもらいたい、間に合わぬようになる、こういうふうに思います。大臣もどうぞこれは考えておいてもらいたいと思います。  それでは次に移りましょう。そこで、さっきもちょっとありましたけれども、児童手当の問題です。四十三年度から実施するというふうな目標が昨今あるのですが、ほんとうにそのつもりで準備しておるのかしてないのか、悪いけれども、いささか疑問を持つのです。世界の六十二カ国がみなやってしまっておる。これをやってないために、いろいろなへたくそなことがあちこち起こっておる。これをやっておればやらぬでもいいことを、あっちやこっちでしりぬぐいみたいにやっておることがある。社会保障の後進性を打破する意味においても、思い切ってこれは来年ぜひ実施する、そういうつもりでことし準備をされる必要がある、そういうふうに私は思うのです。現在もうぼちぼち地方のほうで任意に児童手当を始めておるところがあることは、御承知のとおりです。武蔵野市などは、市町村が任意に、ごく貧弱な内容ですけれども、児童手当を本年度から実施するということになっておる。何を中央はぼやぼやしているんだ。ああいうふうにあっちやこっちでちょこちょこ始めると、あとで統一するのに骨が折れるくらいの話である。つまり、中央がおくれておるのです。私はそう思うのです。ですから、これは、どうしても来年は実施するという考え方で臨んでもらいたいと思うのですけれども、これは大臣に伺わぬとどうもなりませんが、御所見を伺いたいと思います。
  164. 坊秀男

    ○坊国務大臣 児童手当の点につきましては、古井先生の御指摘のとおり、これは日本社会保障制度の中の一つの今日の姿から見れば足らざる点だということは、私もそのように考えております。さようなわけで、これは社会保障の点からも、また、いまの日本の国の人口構成あるいはひいて雇用だとか、そういったような問題にも関連がある。そこで、これは非常に大事な問題だというふうに考えまして、でき得る限りこれの実現を期すべく、これについて鋭意研究を重ねておる、こういう段階でございます。
  165. 古井喜實

    古井分科員 そこで、でき得る限りでなしに、必ず来年度からはやる、これだけの決心をされたらどうかと私は言うのです。厚生大臣が決心されても、それは政府全体としてつぶしてしまうかもしらぬが、厚生大臣ができ得る限りじゃいかぬと思うのです。体当たりでもこれは何でもやると、これだけの決心をされる価値があると私は思う。また、そう早くはない。そこなんです、問題は。ひとつ坊大臣厚生大臣としては必ずやる、こういう決心を持っていただけませんか。だめですか。
  166. 坊秀男

    ○坊国務大臣 厚生大臣としては、古井先輩のおっしゃるようにこれはやるべきものだと思う。しかし、そのやるいろいろやり方、実際やるということになってきますと、そこにまたいろんな方法、手段等も、形の問題、姿の問題、そういうことも私はあろうと思います。ただ、厚生大臣としては、これはやるべきである、かように考えております。
  167. 古井喜實

    古井分科員 たいへんりっぱで、やるべきである、こういうことをおっしゃったということをひとつ伺っておきます。いろいろな問題点はありますよ。けれども考えておったってだめなんで、へたな考え休むに似たりで、きめなければきまりゃしません。ですから、やるべきであるというお考えをうやうやしく拝聴しておきます。  その次、児童手当にきましたから、それじゃ母子保健の問題について伺いたいと思います。  日本人というか、日本民族の体質を改善するということは大問題だと私は思っております。年とってから始めても、なかなか民族の体質改善はできない。生まれる前後からこれは始めなければいかぬ。そこで、やはりこの母子保健というのは、考えれば考えるほど重大だと思うのです。さっきもちょっと触れましたけれども、とにかく日本人の体格も体力も劣っているのですから、追いついて追い越さなければいかぬ、こういうくらいな考えを持たなければいかぬし、それにはやはり人生の始まり、母親のおなかに宿ったときからもうそのつもりで、毎年百七、八十万人生まれる子供のことを考えていったら、そのうちに日本の民族の体質は変わってくると私は思う。ところが、今度の予算を見ましても、はなはだ悪いけれども、母子保健というのが一体頭にあったのか、ないのか、わからない。今度の予算は、たくさんの母子保健関係の項目はあるけれども、合わせて五億ぐらい、ちょびっとついておるくらいなものである。何をやっていたというのだ。全然認識がないように私には思えてならぬ。こういうことは一日も早く始めないとだめなんですから、これはひとつぜひ大臣認識を持っていただきたいと思うのであります。それで、この根本問題の認識ということは、これも大臣に伺わなければいかぬでしょうが、むろん持っていただけるものだと思って、実際問題を二、三政府委員の方から伺っておきたいと思う。  母子保健というものは、保健所という大きな区域を持ったところで握っておっても徹底するものではない。市町村にやらせなければこれは徹底しやしない。そういう案をつくったことはあるけれども、どこかの横やりが入ってぐじゃぐじゃになってしまって、できそこなった。残念なことをしたと思う。そこで、いま余地を開いておる市町村にこの母子保健事業を委任するという道があるのですから、これでひとつ実際問題で委任して、そうして市町村にもそういう能力をつけるように鍛練をしてやったり市町村を育ててやって、市町村にこれをやらせるということにもっと腰を入れるべきだとぼくは思うのです。この点を、これは運用でできる問題ですから、ひとつ伺っておきたいのであります。  時間の節約上幾つか並べますから、返事してください。  その次には、都会地はだいぶ進みましたけれども、やはりおくれておるのは農村です。そこで、私も関係させられているが、母子健康センターというものをもっと普及しなければいかぬ。府県別に年次計画を立てて、いつまでにどうするという計画を立てて母子健康センターを普及するということぐらい考えても恥ずかしくなかろうと私は思います。きょうまでのやっておる実績から見ても、あれは非常に役に立って喜ばれておるむ。それが、運営費が貧弱なものだから、お医者さんや助産婦さんにひどい扱いをしておる。もう少しそういう辺も考えたほうがいいじゃないか、育てたらよいじゃないかと思います。  もっとあわせて言っておきます。二、三年前に低所得の人にミルクをただで配るということをやっと口火を切った。さんざんあっちこっちで値切り倒されて、初めて発足したときはしょぼしょぼしたものだった。二億足らずの予算しかできなかったけれども、二億足らずの予算を新聞という新聞がどんなに喜んで大きく取り上げたか。政治と世論の食い違いというものをまざまざあのときに見たような気がします。今日幾らかずつ改善をしてきましたけれども、ミルクを飲ませるということをもうちょっとやらなければいかぬのです。いまはたぶん保護世帯とそれから市町村民税均等割りを納めていない家庭の一部分が対象になっておる。均等割りを納めていない全家庭ぐらいはこれを対象にしなければいかぬと思うのです。あまりにけちばっておる。つまり、対象をその辺まで拡大するということをひとつお考えになったらどうだということが第三番目の点です。  それからついでに言っておきます。さっき、児童手当を来年はやるべきである、こういう大臣のお考えでしたが、児童手当を考えるときには、児童というのは生まれた子供ですが、生まれる前のおなかにおる胎児ももうちょっと頭に置いて、その意味で、あわせていわば妊娠手当というか、そういうものも児童手当を考えるときには検討すべきではないか、私はそういう気がいたします。これは注文で、検討の対象にしたらどうだという意味で、質問というよりも、そういう意味で申し上げておきます。そういうふうな幾つかの問題について、これは局長さんからでもけっこうです。
  168. 渥美節夫

    ○渥美政府委員 五点につきまして御質問がございますので、逐次お答えを申し上げます。  第一点の母子保健事業は、もっと市町村にというか、地域のニードに密着しているものだ、そういうような方向で進んだらどうか、特に母子保健法ができましたときに第二十七条というものができまして、都道府県がやる母子保健事業を市町村に委任することができるという規定も明定されておるので、そうすべきではないかというふうな御指摘でございます。確かに母子保健事業というものを効果的に行なうためには、地域に密着した、地域のニードに応じた仕事をするということが必要であることは当然であろうかと思います。ただ、現状におきましては、御承知のように市町村のこういった母子保健関係の組織といいますか、指導体制、指導組織、そういった点についても多少問題がございます。それからまた、指導要員でございまする保健婦の確保、こういった点についての問題もございますし、また、お話がありましたように、母子健康センター等の中核となる施設等につきましても、まだ問題が残されております。そういった点がございまして、なお市町村が直接全面的にやるという点につきましては問題があると思います。したがいまして、そういった市町村におきまする施設並びに要員等の指導体制をもう少し整備して、それに全力をあげて、逐次そういった仕事が進むにつれまして、市町村の事業としてやってもらうというふうな考え方で進んでいったらどうか、かように考えております。  第二点の母子健康センターの設置がなお不十分であるというふうな御指摘でございます。現在まで母子健康センターは全国で約四百六十カ所になっております。私ども考え方でいきますと、人口が三万以下の農山漁村につきましては、全部これを設置いたしたいと考えております。この予定個所は約一千カ所にのぼっておるのでございまして、それに比較いたしますと、まだ半分にも満たないのではなはだ残念に思っておりますが、これらにつきましてもさらに大いに努力をして、ほんとうの母子保健事業の中核体となる母子健康センターの拡充につとめたい、かように考えます。  次は、母子健康センターの運営費がいかにも不足しておるというような御指摘でございます。この点につきましては、母子健康センターの仕事自体が、たとえば助産のそういうふうな問題なり、あるいは保健指導というふうな問題なり、そういった仕事なりをやっておるわけでございますが、現在のところ特別交付税といたしまして、一カ所につき約二十万程度が見られておるというふうな状態でございますので、これらの交付税の増額ということにつきましてさらに努力をする必要があろうと思いますが、たまたま昨年の十二月に母子健康センターの運営の実態調査というものを手がけております。こういった実態が明らかになりますれば、そういった特別交付税というふうな方式でなしに、場合によりましては、国が面接どうしたらいいかというような結論も出ようかと思いますので、こういった経営実態調査の結果を現在のところ期待しておるということでございます。  次にミルクの問題でございます。単一の食品といたしましては、ミルクというものはすべての栄養素を含む、食生活改善にとって、なくてはならないものであるという点については、御指摘のとおりでございます。現在のところ、お話のように、低所得者層に対しましてこの栄養強化の事業を推進しているところでございますけれども、当面、本年度におきましては、ミルクの補助をいたしまする単価の是正という点に実は重きを置いていたのでございます。来年度以降、いまのお話のありました対象の拡大というふうな点について十分研究を進めていきたい、かように思っております。  妊娠手当の問題につきましてもお話がございましたが、こういった点につきましては、先ほど来お話がありましたような、たとえば児童手当の問題あるいは出産手当の問題とか、こういったところと関連がありますので、もう少し広い立場におきまして検討してまいりたい、かように思っております。
  169. 古井喜實

    古井分科員 それで、さっきILO百二号条約のところでも、こういう方面が日本はおくれているということが説明ではっきりわかったのです。この妊娠手当であるとか出産手当のようなものが日本では欠けている。つまり、こういう大事なことをおろそかにしているということが問題だと思うのです。われわれのように、年とってから騒いだっておそいのです。これはほんとうに早いときから考えてかからぬと、民族の体質改善はできないと私は思うのですから、よくお考えいただきたい。いま市町村に委任してやらしたらどうかという問題、何だかはっきりしなかったが、それはやらせなければ市町村だって行政能力はつきはせぬ。つくのを待っておってまかしてみよう、こういう考え方では私はだめだと思う。やらせればやれるところがあるので、やらせぬからこれはできないのだ。保健所が持っておりたいから、こんなことになると私は思うのです。前向きに考えるべきだと思う。ことに母子健康センターをつくっておるところなどは、すでにああいう拠点があるのだから委任したっていいと思う。なぜできないのか、これが、私はどうしてもわからない。おなかの大きい婦人とか、そういうものを保健所に来いなんていったって、できはしない。市町村でも区域が大き過ぎるぐらいだと私は思う。これはやっぱりよく考えなければいかぬ。できるだけ育ててやるつもりで、市町村に委任するということをぜひ考えてもらいたい、ぼくはそう思うのです。注文だけ言っておきます。急いで進みたいと思うので、これは考えてください。  保険局長が見えたようですから、残しておった医療保険の問題を少し伺っておきたいと思います。医療保険、健康保険、この方面は社会保障の中で非常に発達しておる。ほかの部門に比べてこの部門だけはひどくよく発達しておる。たいへんけっこうだと思いますが、反面、保険財政の問題で今日行き詰まっておる。政府管掌などはお手あげになってしまっておる、赤字解消のめどはつかぬ、赤字がどんどん生まれるだけであるという状況になっておるのであります。いわんや、これをよりよくするための、改善のための改正なんというのは手が出せないような現状であるのは、まことに遺憾だと思います。まだまだ改善すべき問題があるけれども、今日の程度でも財政が持てぬというのですから、困ったことになっているのであります。  そこで、こういうことになるのもいろいろな欠陥があるせいで財政も困難になるというわけですし、前々いわゆる抜本的改善をやらなければいかぬ、そうでなければ、一時をつないでおっても、赤字だって減りはしないし、こういうことはもう天下の公諭になっておるわけです。抜本的改正ということは、言うはやすくて行なうはかたい。あっちこっちから横やりばかり入って、じゃまをする人間がよけいおって、なかなかやりにくい。けれども、やらなければもうこれは財政だってつぶれるし、よりよくすることなどできはしない。これは坊大臣ならば、正義の士ですから、正しいということなら、だれが何と言ってもやられる人じゃないかと、望みを嘱するのであります。そこで、いうところの抜本的改正というものは、一体いつごろをめどに準備をして、いつごろ実行するめどでやりたいとお考えになっておるものですか。ことしの政管の健康保険などの赤字対策は、この一年限りの対策で、来年からの対策はないということになっておる。そうすると、来年から抜本改正を実行するということになってきても、もう一年来年も、やれ暫定でござる、つなぎでござるということになってしまう。そこで、いつを目標に、それからどういうプログラム、やり口でこれに取り組もうとされておるのか。これは私が伺いたいというより、国民が聞きたいのだろうと思ので、それを伺っておきたいと思います。
  170. 坊秀男

    ○坊国務大臣 御指摘のとおり、医療保険の問題は、このままではつぶれてしまうというような危険をはらんだ問題だと私は思います。そこで四十二年度におきまして、いろいろな関係で抜本改正ができなかったということは私も非常に残念に思っております。そこで、抜本改正が行なわれるまでの暫定対策として、今度の四十二年度の予算に伴う措置として、いずれ御審議を願うということに暫定対策はなるのでございますけれども、抜本対策は四十三年度をめどといたしましてこれを実現していかねばならないと、かように考えております。
  171. 古井喜實

    古井分科員 そこで、ほんとうは四十三年度からでも、腹をきめてやる気になればやれないことはないと私は思うのです。もう議論は出尽くしておるように思うのです。実行する、断行するというところが残っておるのであります。これは厚生大臣だけ責めても悪い。厚生大臣ではどうにもならぬような圧力が圧力団体と称するものからかかってくるので、これはできなくなってしまう。ほんとうは総理大臣がしっかりしておらなければできはしません。ごきげんをとって圧力にへらへらしておるようなことでは、これはできません。これは、問題は簡単なんです、そこなんです。それだから、私は坊大臣にこれを大いに期待するのです。これは一大臣が職を賭せなんて言うのじゃありませんよ、それ以上の価値があるかもしらぬと私は思うのです。だれかやらなければならない。これはひとつよく考えてやっていただきたいと思います。ころばし方の手口には、いろいろ考えなければならぬ点があると思います。ことに、何か権威ある審議会か何か要らぬものかなんということも思います。足場がないと、役所で案をつくった、それで、さあ、かつぎ出してやりましょうというようなことでやれる話かどうか。さらばといって、そういう機構をつくる中に圧力団体を入れたりなどしたら、そこで乗り上げてしまう、めんどうなところがあります。その辺は深く申しませんけれども、よく考えていただいて、後世に残る坊大臣の足跡として、これはひとつお考えを願いたいと思います。  そこで、これは局長からでけっこうですけれども、とりあえず二、三のことを伺いたいのです。東北地方などでは、国保が任意の仕事として、例の乳児、それから老人、妊婦、こういう者に対しては十割給付を始め出した。いまは七割給付ですけれども、こういう種類の人だけは十割給付を、貧乏なと言っては相済まぬが、後進地域といわれている東北の市町村で始めたのがだいぶ多い。これをよく黙って見ておれると思う。これは中央でもっと統一的に考えなければいかぬのではないかと思う。それで、いまのような特殊な人に対しては、国保でも十割給付——十割給付というのは、観念を言うのです。十割になると若干弊害があるとか何とかいうことはあります。そういう考慮はやってみたらいいかもしらぬが、まさか乳児だ、年寄りだ、妊婦だという者が乱用もしはすまいと思う。これは一体全国的に十割給付ということを考えてみる必要がありはしないかと思うが、どんなものですか。いつか新聞で見たら、中央でそういうことをきめてもいないのに、地方でこんなことを始めるのはどうもちょっと問題で、押えねばならぬかもしらぬということを厚生省の者が言っているようなことを書いてあった。何を言っているんだ。てめえがおくれておって、進んだことをやるのを押えるも何もあったものじゃない。これはさかさまだと思う。自分のほうが前向きに考えるべきだと思うのです。これが一つの問題です。  それから、さっきもありましたけれども、保険で分娩給付というものを取り上げるという問題はどう考えるか。それは保険の責任者だから、保険局長に聞いておきたい。  それから毎々の問題ですけれども、予防給付というのか、健康審査を一体保険給付として取り上げるわけにいかぬのか。そんなことをしたら、保険財政がたいへんだというかもしらぬ。そこまでいったら、しめたものだ。保険に入れてやるから、ひとつ健康な段階で検査にきなさいといって、みんながわんわん来出したら、しめたものだ。私はむしろそういう道を開いても、たいして活用してくれる人がなかろうと思う。道を開いて大いに活用しなさいということを、むしろ啓蒙するほうが筋だと思う。保険財政の心配なんか当座は要らぬと思う。これはどう思うか。しりぬぐいばかりでなしに、予防的な健康段階における健康管理の問題としての健康審査というのですか、健康診断というのですか、これを保険給付に取り上げるという問題はどうだという問題であります。  いま三種類の問題を言いましたけれども、あまりけちけちしたことを考えないで、大赤字でさえやろう、片をつけようくらいな話であるのは、これくらいのことをぐずぐず、さあ、どうでしょうかなんということでなしに、意見を聞いておきたい。
  172. 熊崎正夫

    ○熊崎政府委員 東北地方に限らず、その他の地方におきましても、老人あるいは乳幼児に対しまして十割給村を現実にやっておりますし、また、そういう空気が非常に強いということは、私どもよく承知いたしております。むろん法定給付でなしに任意給付という形でやるわけでありますので、各市町村におきまして、議会の了承を得ましてそれをやることにつきましては、私どもはとやかく申し上げる筋合いのものでもないと思いますし、古井先生御指摘のように、将来の方向としては、そういう対象をある程度選定をいたしまして、十割給付に持っていくということは確かにあり得る方向だと思っております。  ただ、現実の問題といたしましては、その町村の財政状況によってどの程度まで給付率をアップするかということに関連する問題でございまして、私どもが聞いております個々の例につきましても、非常にはなやかにスタートをしましても、結局市町村の住民がそれにたえ得る保険料の納付ができないということで、結果的にその市町村の国保財政に非常に大きな悪影響を与えまして、それでにっちもさっちもいかぬような状態になっているというところが間々見受けられるわけでございまして、これはやはり現在の国民健康保険の七割給付を目標にしまして、ようやく四十二年度で完成をするという片一方の国の積極的な指導施策と関連の上で、この考え方は今後検討していかなければならないというふうに私ども考えておりまして、やはり保険である限りにおいては、その保険料を納付するだけの、また、負担に耐えるだけの市町村の住民の方々の協力がなければならない。ただ保険料を上げるのはいやだ、しかし十割給付はやってもらいたいということでは、これは私は制度的になかなかむずかしい問題が出てくるのではなかろうか、こういうふうに考えておるわけでございまして、方向としては私どもは決して悪いとは申し上げておりません。ただ、それと見合うだけの国保特別会計の財政的な裏づけが必要だということを私どもは申し上げておるわけでございます。  それから分娩給付につきまして、保険の給付として将来どういう方向に持っていくべきかということにつきましては、むろんこれはILOの百二号最低基準条約の中にも入っておる事項でもございますし、十分検討に値する問題だと思っております。ただ日本の場合に、いわば現在の病院での分娩といった場合と、それから助産婦にかかった場合の分娩という場合と両方あるわけでございまして、その場合に、現在の健康保険制度のかなめをなしております保険医療機関あるいは保険医の指定につきまして、たてまえとして現物給付のたてまえをとっておりますから、助産婦をいわば保険医療機関としてどのような指定をやっていくかというふうな問題も含めまして、これはぜひ抜本対策の際に私どもは真剣に検討してまいりたい、こう思っております。  それから予防給付につきましては、古井先生御指摘のとおりだと私ども思っております。ただ、これも二言目には抜本対策だということで言いのがれをするのじゃないかというおしかりを受けるかもしれませんが、現在の疾病保険の対象をどこまで限定していくか、いわば医療保険とそれから他の公的医療——結核、精神その他を含めまして医療保険の守るべき、いわば守備範囲というものが必ずしも明確でない、これをどこで線を引いていくかということにつきまして、まだわが国でも定説というものがないわけでございます。予防給付を取り入れるということにつきましての御意見があるということは十分承知をいたしております。しかし、それを保険のワク内でやるか、あるいは公的医療という立場のもとで、公衆衛生の施策として、これを保健所その他の第一線行政機関を通じて拡充していくことが適当であるかどうかということにつきましては、私ども抜本対策の一環として、この面も十分検討してこの問題を処理してまいりたい、こういうふうに考えております。
  173. 古井喜實

    古井分科員 それでは急いてやりますが、そこで、抜本対策で何でもかんでもやろうということで、そこに追い込んでしまっているようですが、私は、いまの予防給付のことは保険でやったらどうかという方式で議論をしているのです。公的医療機関が自分一存でやるというのではなしに、もっと自由を認めて、自分の都合のいいときに行って調べてもらう、自由主義だということを言っているのです。抜本対策で逃げてしまうというと困るけれども、よくそれくらいのところまで進歩するように考えたらどうでしょうか。  それから、さっきの東北などの乳児だとか老人とか妊婦の問題、結局話を聞いておると、財政問題を言っておる。それはいいことをやれば金がかかるのはあたりまえなんで、財政は何もしなければ金がかからぬ。つまり、あれほどおくれた地帯の人でもぜひやってほしいということで市町村は始めている。やってほしいにかかわらず、金の関係でできぬというのは悲惨ではないですか。何とか解決してやらなければいかぬじゃないですか。金で済むことじゃないですか。そこでいよいよ負担がたいへんだというなら、それを軽くしてやる政策を、中央がめんどうを見てやるとか、こういう考え方でいかなければ私はだめだと思う。財政で困りますからというところでごめんこうむってしまったのでは、もうおしまいでございまして、すべて前向きにひとつよいことは発展させるように考えてもらいたいという希望を言っておきます。  そこで、最後に一問だけ聞いておきたいと思いますが、少し憎まれ口をこれから言わなければならぬ問題がある。またここで質問をすると、あしたかあさってはね返りがくるだろうと思う。けれども、私も政治家の良心に立って質問しなければならぬのであります。それはほかでもないですが、昨年この分科会で質問をしておきました例の医道の高揚を大いにやろう、これを一番目標にして、そうしてそのあと医学あるいは医療、医学教育などの研究をやろうというので、大学の医学部の教授、権威のあるほとんど各大学の教授連中、それから公私立の病院のお医者さん、その上に、ある範囲の開業医の人が一緒になって、日本医学協会というものを一昨年の七月につくったのである。これを社団法人にしたいという願いを厚生省に出している。ところがいまだにそのままにほうってある。そこで、もうそろそろ二年にもなるのだから、まだ調べておりますという話では通らぬと私は思う。世間じゃいろいろなうわさがあります。どこかで圧力をかけているのではないかとか、うわさがあります。もしそうなら、二、三日あとに私にはね返りがくるからすぐわかる。それは承知の上で、私は正義というか、正しい行政と政治のためにこれは聞いておかなければならぬ。  第一番目に、あの団体は民法に定めた公益法人の要件を整えているのか、いないのか。つまり、公益非営利の団体としての要件を整えているのか、いないのか、これをひとつまず伺いたい。
  174. 若松栄一

    ○若松政府委員 公益法人としての性格は整えておるものと私どもは判断いたしております。
  175. 古井喜實

    古井分科員 公益法人の要件を整えているものをかってに許可しないということができますか、どんなもんですか。自由に、これは要件を備えているけれども握りつぶしてしまう、こういうことが法律的にできますか。
  176. 若松栄一

    ○若松政府委員 先生十分御承知のように、この日本医学協会はたいへんりっぱな目的及びその事業計画を掲げました団体でございまして、しかも、現実に法人の認可申請の当時以来、着々と既定の実績をあげております。しかし、この法人が許可の申請が出ております内容あるいは事業規模等を検討いたしましてみましても、これは全国的な医師の団体であり、医道高揚あるいは医学振興、医学教育の普及あるいは医療の改善という大目的を掲げた大きな団体であろうと思います。ところが現実の姿を見ますと、会員を一万数千というところをねらっておりましたところ、遺憾ながら、なお千三百程度でございまして、その後会員も依然としてふえない、非常に少数でございます。まじめにやっておるということは認めますけれども、あまりにもこの団体が掲げるところがりっぱであり、また、事業計画も雄大でありますのに比べて、いまのところその目的あるいは事業を遂行するのには、まだ少し足らないのではないか。もしもっとりっぱに成長するという見込みがついて、本来の掲げた事業目的あるいは事業計画が達成されるという見当がつく段階に至れば、これは当然認可さるべきものではないか、そういう意味で、経過をなお観察しているという状態でございます。
  177. 古井喜實

    古井分科員 一体社団法人というものは、千人以上も会員があって社団法人になれないのですか。何万人もなければ社団法人というものはつくれないのですか。それから、公益的な活動を現にやっている実績があるのです。あなたもいまおっしゃったようにりっぱにやっておる。それで、その程度が全国を風靡する程度にならぬからといって、公益に寄与している事実は、実績からいってもあるじゃありませんか。それから会員がふえないとかいうのは、社団法人を許さないからふえないのだ、ある意味では押えるから。許してごらんなさい、ぐっとふえる。話が逆だ。つまり、それは何かわからぬ理屈があってそういうことになっておると思う。そこが問題なんだ、行政の末としてそこが問題だ、政治の末として問題なんだ。政治の末を正すというのが、きょうの問題になっている。正しい理屈がないのに、公益的な活動を押えてしまうということは一体どういうことか。これはだれが聞いてもわからぬ話だと思います。で、これはよくわが身の姿としても考えるべきだ、私はそう思うのです。いろいろなことを言われていますよ。よくお考えなさい。すみやかにこれは処置しなければいかぬ。ことに私は思うのに、一方において権威のある日本医師会というものがありますけれども、これは強制加入じゃないのですよ。民法上の社団法人ですよ。入らない人があったってあたりまえなんですよ。その入らない人が結社をつくる、結社の自由を奪うということはどういうことか。憲法が認めている結社の権利を役所が無視してつぶしてしまうということはどういうことです。せめて強制加入の団体で、入らない者はないというなら別だ。入らぬ者があるのがあたりまえのたてまえになっておる、その連中が結社をつくろうという場合もいけないというのか、これは大問題だと思う。そういうことをして独占団体をつくるから弊害が起こっている。これはまじめに考えなさい。これは事務当局を責めるのは、たぶん無理だろうと思う。大臣考えてもらわなければいかぬと思うし、大臣だって苦労されるだろうと思う。そこが坊大臣の一番長所の正義の人間であるという——これは坊大臣、あなたはどうお考えになる。こんなことを処理できないで、一体看板にきずがつきますよ。いかがですか。早いところ処理できましょうか、いつのことかわかりませんという話ですか、きっぱりひとつおっしゃってください。
  178. 坊秀男

    ○坊国務大臣 どうもたいへん看板とか、古井先輩から足の裏のくすぐったいようなことをお聞きをしたのでございますが、私は別に看板とかそういうものにこだわっておるわけでも何でもございません。適法に申請のあった社団法人の許可をしないというようなことは、これは別に私申し上げておることでもございません。いまともかく、だいぶ古い話のようでございますが、私は実はお聞きするのは、そんなに古くはないのです。事務当局で長い間その経過、推移、経緯などをいま見守って処理をしようと、こういうことのようでございますが、いずれ私がそのしさいな報告を受けて、そして検討して判断しなければならない問題だと思っております。
  179. 古井喜實

    古井分科員 昨年の分科会でこの問題をお尋ねしたところが、間もなしに、予算委員会の中におられるある議員の人が、おい古井君、あの団体は赤だよ、こういうことを議員の人で言った人があったが、これは赤とお考えになっておるか。この発起人になっておる人の名前をごらんになっても、これは赤などと言ったら、ほんとうにそれこそ名誉棄損以上ですよ。冗談じゃない。そういうことを注ぎ込まれて、まさかへどもどしているんじゃなかろうと思うが、そういう宣伝をしておる向きもある。そういうけしからぬことじゃいかぬと私は思う。すなおに——そうしてまた医道も盛んにならなければいかぬ。たくさんあるのかないのか知らぬけれども、水増しや架空の請求をしてとっつかまったお医者さんなどもあったようだが、一体それを検査だ、審査だなんというふうに取り締まりをやってもどうなるものじゃない。それよりもお医者さんの中に、やはり医の倫理を守ろうじゃないかという機運を起こして、そうしてみながりっぱにやるというふうに持っていくことが一番よい道であるのです。取り締まりではうまくいかない、まずいことばかりです。それを、いままでの実績でほかの団体が、看板はあるかもしらぬがさっぱりやらぬから、心あるお医者が、大いに医道を高揚しようじゃないかといって始めておるのを、何でこれをじゃまするのだ、よいことじゃないですか。私は、これはよくお考えになったらいいと思う。それから、きょうまでの実績で公益的な活動は確かにしておる。何回かシンポジウムなどをやった実績を御存じだろう。いままでの実績で、他の団体と摩擦を一つも起こしていやしません。これはぜひひとつお考えになって、正しい心がまえで処理されるように私は強く考慮を求めておきますが、しかし、いつまでもぐずぐずしておられるというならば、私は、これは事柄が不正だと思っているから、いつまでたっても、何回でもやりますよ。これはお含みを願いたいと思う。もしどうしても許可できぬというものなら、何年もたなざらしにしないで不許可にしなさい。なぜどっちもしないで長い間預かっておるか。このくらいで勝負されたらどうです。こういうことを申し上げて御考慮を求め、私の質問を終わりたいと思います。
  180. 北澤直吉

    北澤主査 堀昌雄君。
  181. 堀昌雄

    ○堀分科員 質問の中身の前に、ちょっと私はものの考え方を少しはっきりしておいていただきたい点がありますから、厚生大臣にお伺いをいたしますが、人間にとって一指大事なものは一体何でしょうか。
  182. 坊秀男

    ○坊国務大臣 非常に端的な御質問でございまして、いろいろな角度からこれはあろうと思いますけれども、まあ人間が一番大事なことというと、自分の存在といいますか、実存といいますか、とにかく事実存在しておるということ、御質問のねらいにすっかり合うかどうか知りませんけれども人間とおっしゃいますから、個人ということでお答え申し上げますと、存在だと思います。
  183. 堀昌雄

    ○堀分科員 厚生大臣、だいぶむずかしいことばで、人間の存在とおっしゃった。一番簡単には命でしょうな。人間はやはり生きていなければ人間として存在しないわけだから、とにかくわれわれにとって一番大事なのは命だと思う。それはよろしゅうございますね。
  184. 坊秀男

    ○坊国務大臣 存在の基盤は生命だと思います。
  185. 堀昌雄

    ○堀分科員 その次に、われわれ人間として存在していましたら、お互いに願うことは、やはりただ生きておってもしかたがないのです。しあわせに暮らしたい、しあわせに生きたいというのが私はその次の願いではないかと思いますが、大臣、どうでしょうか。
  186. 坊秀男

    ○坊国務大臣 自分の存在ということをできるだけ安定し、できるだけ存在を、何と申しますか、主張できるということでございましょうね。
  187. 堀昌雄

    ○堀分科員 大臣、えらい哲学的なことばが好きなようで、こっちはどうも常識論でいきますけれども、私はいまおっしゃるようなことをわれわれの普通のことばで言うと、人間はやはりしあわせに暮らせることが一番大事なんだろうと思うのです。そこで、しあわせの基盤は一体何だろうか。私は、あなたの言うように言うと、その存在が最もうまくいく状態は健康であるということであろうと思うのです。ここはどうでしょう、大臣
  188. 坊秀男

    ○坊国務大臣 いろいろありましょうけれども、その健康ということが、とにかくも大事な要件でございましょうね。
  189. 堀昌雄

    ○堀分科員 資本主義社会というところは、大体のものは何でも金で買えてみたりいろいろするのですけれども、健康というものは資本主義社会といえども買えないのですね。これはやはりいろいろな要素もありますけれども、病気になったらなおさなければ健康にならないですから、私はよく言うのですけれども、幾ら金があったって病気で寝ている人にしあわせはないはずだと思うのです。幾ら金があったって、命がなくなってしあわせな人はない。かつて有名なことがありましたけれども、汽車が転覆をして、だれかお金持ちの人が助けてくれというときに、金は幾らでも出すから助けてくれと言ったという有名な話があります。そういう意味で、金というものはもちろん資本主義社会では大事なものでしょうけれども、ちょっと比較するとあれですが、命とか健康というものは確かに金で買えないのじゃないか。そういう中で、最近われわれ日本人の平均寿命が延びてきた。命が延びてきたのですね。命が延びてきたというのは非常にいいことですね、大臣。それからいまの健康であるかどうかという問題も、これはこの前もここで一ぺん議論したことがあるのですが、病気になった人の統計を見ると、非常に早くなおるようにだんだんなってきた。だから、そのことが裏返して言えば、病気である期間が短くなったんだから、健康のほうが延びてきた。同時に病気そのものも、重い病気は減ってきているようですから、総体的に言って健康というものが非常に守られるようになってきた。われわれ人間社会としては非常にいいことである。しかしこれをささえている日本の大きな問題は、先ほどから医療の問題が出ていますし、ずいぶん医療の費用はかけていると思いますけれども、しかしこのかけがえのないものに金を使うということは、幾ら金がかかっても、さっき古井さんもおっしゃいましたけれども、いいことだと思うのです。命が延びて、そうして健康になったということは非常にいいことだ。  そこで、きょうは大蔵省主計局も来ていただいておるのは、やはりこういういろいろなこれから医療費の問題というものを見る角度の問題をちょっと先に私は申し上げておきたいのです。その角度というのは何かというと、医療という行為はどういう行為かというと、確かに、いまの人間の命をできるだけ保存していこう、あるいは病気をなおして健康な状態にしていこうというのが主たる目的です。だからそれをやるためには、さっき古井さんもおっしゃたけれども、金はどうしてもかかるわけです。金をかけずにうまいこといけばいいけれども、金はかかる。その金のかかり方の問題はありますが、だからだんだん金のかかり方がふえていくということは私は避けられない問題じゃないかと思います。程度は別ですけれどもね。だから、そういう医療というものの持っておる本来の一つの側面と、しかしこれは行為である以上、費用がかかるということからくる経済的な側面とが常にあるわけですね。同時に、医療という問題はそういう本来の目的だけではなくて、これは手段としては科学が利用されると思いますから、そういう意味では科学というもう一つの側面もあるんだ。そうすると、科学というものは進歩すると同時に、これもまた費用がかかるようになっている。一般的に言うとそういう傾向になる。こういうような医療という問題についての基本的な側面があると思いますね。そこで今度、いろいろなことが議論されておる中で、私はどうも医療の問題というのはとかく経済的側面のほうに比重がかかって、クローズアップされているような気がして笑はしかたがないのです。もちろん経済的な問題、赤字になっていいとかなんとかいうことではありませんけれども、やはり問題の主眼はどこにあるかといったら、命を保存する、健康をできるだけ安定させることが一番の主たる問題なんです。それを科学的な手段で、医療というかっこうで推進する結果として経済的に費用がかかる、こういう順序ではないかと思うのですが、厚生大臣、その順序のところをひとつ……。
  190. 坊秀男

    ○坊国務大臣 堀委員はお医者さんとして非常な専門家であり、かつまた議員として非常に社会経済等について研さんをされていらっしゃる方でありまして、両面から問題をとらえられての私に対する質問でございますが、先ほどから申し上げておりますとおり、人間という個体、これはどうしたって健康でなければならない。その健康のためには、まず第一にみずから病気にならないようなからだをつくっていくということが一つあろうと思うのです。そのためには、これは釈迦に説法になってしまってはなはだ恐縮なんでございますけれども、十分な栄養をとる、それから適当な運動もする、それから堀委員が御専門になすっている医学面から十分予防をしていくといったようないろいろな面があろうと思うのでございます。  本来医療ということは、いままでの医療というものは、これは不幸にして病気になったときにこれをできるだけ早く、できるだけ完全に治療をするということが一つの医療の側面であったと思うのですが、これからの医療というものは、個人が病気にかからないように努力する、その努力に対していろいろなアドバイスをするとかあるいはこれを指導する、いわゆる予防医学というのでございましょうか、そういったようなことも大事なことである。  そこでいま堀さんがおっしゃられましたけれども、やはりいまの医療は財政経済というところにあまりにウエートを持たしておるんじゃないか。この点につきましては、あるいはそういうことであるか知りませんけれども、いずれにいたしましても、十分な栄養をとる。それから、暑さ寒さに対してこれを防いでいく。それから、その予防をしていく。それから、病気になったときにはお医者さんにかかる。これは医療保障でもって国家が見ておるのが現状でございますけれども、個人としては、そういったような場合に、やはり経済を無視してもいけない。国といたしましても、国民の医療保障をするためには、やはり国の財政というものも、それをやるに足る財政の収入の配分をどうするかといったようなこまかいことは別といたしまして、そういったようなことも非常に大事なことであって、生命が大事だから、端的に、ストレートに生命だけをどうするのだということは、その人間なりその国なりを囲繞しているところの環境といったようなものから整備をしていくことによって、実は人間の生命の尊重する、人間の命を長くする、人間の病気を防ぐということになるのじゃなかろうか。たいへん、釈迦に説法でありますが……。
  191. 堀昌雄

    ○堀分科員 おっしゃるとおりですけれども、私は、さっき申し上げたように、順序からしますと、もちろん予防は大事だと思うのです。私はかつて一時軍隊に行って軍医をしておったことがあるのです。海軍の軍医というものは、病気をなおしたから成績があがるものではありません。船の中に病人が出ないのが一番成績がいい、戦闘力を保持するためには、病人を幾らなおしたってだめで、本来病人が出ないのが一番いい。病人が出れば、幾らじょうずになおしても成績は下がる。伝染病でも起きれば一ぺんに成績が下がってしまう、こういうことになるわけですから、それは確かに私はそういう側面が一つあると思うのですが、残念ながらいま日本の場合にはなかなかそういうふうになっていません。なっていないから、では次にどうなるかといった場合に、やはり病気になった者を早くなおして、健康にして、楽しい生活をするために本来医療があるわけですから、そういうことであれば、医療というものは、私は人間を大事にするという、そういうものの考え方のほうが前にあって、費用はやはりあとからついてくる。しかし、私も経済をやっているわけですから、経済はどうでもいいのだ、こっちだけやればいいということを言うつもりはないのですけれども、順序はそうだということです。経済があって医療があるのではなくて、医療があって経済がついていく。ここのところは、やはりはっきりしておかなければいけないところです。  そこで、今度皆さんのほうで分析をされていろいろやっておられるわけですが、非常に大事なことが一つある。それは、現在の健康保険法あるいは国民健康保険法でも、国民はともかく被保険者にならなければならぬという健康保険法十三条あるいは国民健康保険法五条とか、そういうところに、あなたは何かに入らなければなりませんよと、法律にはきめられている。これは皆保険ということですが、裏返すと強制保険で、国民は保険に入らなければいけない、入ったら必ず金は取られるのだ、こういう仕組みになっているわけですね。これは制度としては私は非常にいいと思うのですよ。強制加入にしてあることはいい制度です。しかし、強制加入にした裏側の責任もあるわけですね。この点については、強制加入にした以上は、強制加入して、あなた方からこれだけの金は取りますよ、いろいろなことをきめていった以上、それに見合うものを国は強制加入して入っておる被保険者に与える義務があると思うのですね。ここのところを私は非常に重要に考えていただきたいのです。強制加入だ、そこで強制加入になっておる人たちが、いろいろ医療制度の問題の中で、さっき古井さんもおっしゃったけれども、私は、今度いろいろこうなっている中で一番強く問題にしておるのは、やはりものの考え方として、病気になったときに、赤字だから赤字を減らすために病院に行かせないようにしよう、受診を制限をして、本来病気である者が、経済的な条件のために、経済的な制約が、その人間の医療を受けたいという欲求に逆に働くようにしようという問題提起が、実は今度の皆さん方の考え方の中には少しされているわけです。これは強制加入という一つの側面から見たら、私は非常に重大な問題じゃないかと思っています。なぜかというと、病気になったときに治療を受けるためにお金を出しなさいといって、強制加入で金を取っているわけですよ。病気になったらちゃんと給付をしてあげますから、だからお金を払いなさい。保険料は取らねばならぬ。今度病気になったらまた金を取るというのでは、お医者には行きゃしませんよ。こういうものの発想は、強制加入にした国の責任としては、きわめて論理が通らない。だから、ものの考え方を、経済的にだけ処理するならば、赤字になりました、保険料をもっとふやしてください、もっとふだんかけてください、そのかわり医療行為についてはわれわれ制限しない。被保険者から取れるものは取らなければならぬ、そしてそれから出す、その出し方はいろいろあるでしょうけれども、それはいいでしょう。しかし、何らか金を取る、その取り方をふやすことが、ただ単に収入が赤字だからふやしてほしいという意味なら話は別ですけれども、同時にそれが、ある診療を受けたいという人たちの意欲を制限する、阻害するかっこうで働くようなやり方は、私は強制加入という制度の上ではとるべきでないと思います。  いまはどうかわかりませんが、だいぶ前に、国民健康保険ではこういう時代があった。保険料は取り上げます。しかし、御承知のように、五割給付でしたから、あと半分金を払わないと、お医者さんには行けない。貧農の諸君は強制加入で保険料は取られる。病気になったけれども、お医者さんに行きたいと思っても、あとの金がない。富山の置き薬や何かで済ませて、せっかく自分が払った保険料というものが現物化できない。富農は手元に命があるから、どんどんこれを現物化して——所得の少ない人が無理に、強制加入であるために取り上げられておった保険料を、富める者のほうが金があるからどんどん現物化して治療を受けた、こういう時代がかつてあったわけです。これは、いま給付率がだいぶ上がってきましたから、あるいは農村地帯もかつてと比べていまは現金収入もあり、情勢は変わっておるかもしれませんが、そういう時代があったことは間違いのない事実です。強制加入のところにいまの半額の負担をするということになっていると、それは所得の少ない者は現物化できないという問題を起こす最大の原因だと私は思う。だから、それがもし所得の多い人に対してそういう措置のしかたをとるというなら話は別ですよ。よろしゅうございますか。要するに、あなた方の考えられておる初診料とか、あるいは薬剤費一部負担というものが、非常に所得水準の高いところなら、その費用はそんなに負担にはならない。それを払ったって、その治療をするぐらいは経済行為として何でもない層もあるでしょう。しかし、それを払うなら、ちょっと行くのを考えようという層は、やはり所得階層から考えてみた場合にあるんですよ。  この前、選挙に入る前に、新聞に、初診料を二百円以上にしたいというようなことが出たことがありますね。私は、その初診料を上げる問題についても、こう考えている。たとえばかぜを引く。かぜはかなり受診をしているだろうと思います。かぜを引いた、そうすると、今度初診料が二百円になるとかいう話があった。これは幾らになるか知りませんが、要するにいまの百円よりもふえるわけです。そうすると、要するにルル三錠だとかベンザだとか、このごろは総合的感冒の薬がいろいろあるわけですよ。便利なものがたくさん出てきている。大体三十錠百五十円か百八十円ですか、そうすると、お医者に行って二百円出して、あとはまた薬代も取られることを思えば、ひとつルルで済まそうか、それは経済行為としては当然起こる。そうすると、いまなぜ命が延びてきたのか、病気が早くなおってきたのか。健康保険という制度が、早期受診、早期治療ということで、疾病が軽いうちに治療をしようということが全国に普及した結果、今日こういう状態になっている。これを逆行させる方向に——ルルでなおればいいんですけれども、ルルを飲んだけれどもなおらなかった。こじらせたあとで、しかたがないから、二百円持って——幾ら持っていくかわからないが、行かなければならぬ。たとえ毎回金を取られても行かなければならぬという状態に、強制加入のたてまえから国民を置くことがはたして適当かどうか。だから、金額の問題もさることながら、私がここで議論したいのはものの考え方ですね。それをひとつ大臣に伺いたい。
  192. 坊秀男

    ○坊国務大臣 いま堀さんの御指摘になりましたように、現行の医療保障制度は保険の方式をとっております。保険の方式をとっておるから、赤字ができて財政が脆弱になったというならば、これはほかのことで考えずに、料率を引き上げて解決をはかっていくのがあたりまえじゃないか、こういうお話のように承ったのですが、そこで七百四十五億というこの赤字を料率だけで上げますと、八十以上を料率で引き上げていかなければならない。純理論としてはその考え方は確かに私もあろうと思うのです。しかし、実際の政治行政として考えてみますと、そこまでやるということは、御承知のとおり、被保険者の中には、給付を受ける人間と受けない人間とあるわけでございまして、そういったようなことをあれやこれやと考えてみますると、料率はいまきめましたくらいの程度、これはきめ手でも何でもございませんけれども、そういったような程度で七上げるといったようなところでとどめまして、そして保険当事者といえるかいえないかわからないのでございますけれども、その保険に関係のある人たちでございますね、被保険者、それから使用主、それから患者、お医者さんにもある程度のことを忍んでいただいて、これが四十二年度をしのぐ保険内部の緊急の赤字対策と申しますか、財政対策でございますので、これは抜本策として考える場合には、もっと準備をいたしまして、そして、むろん抜本策として考える場合に、各方面からの御批判やあるいは非難の声も生まれてくることは私も予想されますけれども、今度の、とにもかくにも四十二年度をこのままほうっておきますと、どうしても政管健保が支払い遅延といったようなことになってくずれてしまうというようなことを考えますと、何かそこに、理論的にはおっしゃるとおり割り切れぬような点もあるいはあるでございましょうけれども、これがそのぎりぎりの考え方として今度御審議を願うということになったわけでございます。世の中の事象、現象というものは、必ずしも純粋な理論だけで押していくというわけにもまいらぬ事象もたくさんございますことは堀さん十分御存じのことだと私は思いますので、このあたりでひとつ御了承をお願いしたい、こういうわけであります。
  193. 堀昌雄

    ○堀分科員 いま私、このことは了承するとかしないとかいうことじゃないですよ。ものの考え方のことですからね。  そこで私は、それじゃさっき古井さんもおっしゃったけれども厚生省が実は抜本策として本来やるべきことをやってないのですよ。私が見ておるのに、現在の医療費の、特に乙表という医療費の体系というものは、技術料というのが正確に分離されてませんね。多少分離したようなかっこうに一部なっているものもございますけれども、分離されてない。薬剤費にくっつくような仕組みに実はなっておるのです。ところが、薬剤費というものは何かというと、これは生産性が上がったりいろいろすれば、本来下がるのがたてまえなんですよ。ところが、日本現状は、物価がどんどん上がります。いい悪いは別として現実として上がる。とにかく、上がれば医師も、人件費といいますか、それに見合う技術料が上がってくれなければやっていけないわけなんです。片方では技術料という上がる傾向のものを、下がる傾向の薬品にリンクさせておるという、ここに一番経済的に矛盾をした体系が実は長い間放置されておるわけです。だから、これはどこかクロスするようなかっこうになっていたら何が起こってくるかというと、どうも何か薬剤を使う以外には技術料の入り道がないではないか。この医療費のベースなるものを調べてみても、いまの状態で見ると、医療費のベースの上がり方というのが十分上がってないのですよ。そうして、物価のほうはそれより先行して上がるという傾向にある。お医者さんとしては、好むと好まざるとにかかわらず、薬剤を使わざるを得ないところに追い込まれておる。古井さんは、大いにいい医道倫理を高揚してとおっしゃいますが、これは非常に簡単なことばで言えば、衣食足って礼節を知るなんで、まともにやったらまともにいける道をふさいでおいて、そうして、ともかく横へでもいかなければいけないようにしてある制度に実は問題があって、その制度のために壁にぶつかって横へ広がってきたのが薬剤費の問題です。  薬剤費がふえたのはそれだけではありません。これはいろいろな新しい薬剤を使うようになったが、かつてこういうことがあった。私は大蔵委員会で一ぺん言ったが、こういうことがあった。ずっと私がやっていたころは、病気になったら、かぜを引いたら、まずアスピリンを飲ませろ、それでどうしてもいけないならサルファ剤を使え、それでいけなかったら抗生物質を使ってよろしいという時代があったのであります。そのとき厚生省のだれかが、保険というのは三等でいいのだという話をした。これはとんでもない話だ。そのころ汽車は三等があった。汽車は三等であろうと一等であろうと、その列車に乗ったら同じに東京に着くのですよ。三等というのはおそく着いて一等というのは先に着くというなら話はわかるけれども、病気というものは、保険であろうと何であろうと、治療を受けたら、いかにして早くなおすかということが医療の目的なんだから、三等でいいのだからという議論は成り立たない。幸いにしてそういうことはなくなって、今日必要があれば何でも使えるようになってたいへんけっこうです。そうなればやはり当然費用はかかる。費用はかかるけれども、しかし病気が早くなおるようになる。こういうメリットがうしろ側にくっついておる。費用がかかるだけで病気がなおらぬのならたいへんですけれども、メリットがあるわけです。薬剤費のふえたのは、お医者さんが横向けに広がったというのじゃないけれども、いろいろなデータを見れば、多少横向けに広がっておるものもあるだろう。その辺を皆さんのほうは、制度のほうはさわらぬで、経済行為だけでそれを押え込もうというのが今度のものの考え方です。ですから、私の言いたいのは、あなた方が四十二年度抜本策をやるのだというようにはっきり腹をきめているのなら、そういう制度のところを合理化をして、なおかつうなるなら話は別だ。合理化もしないでおいて、経済行為だけでそいつを押え込もうというその考え方は筋が通らない。厚生省はやるべきことをやってないのです。そこでどうするかといえば、一応赤字は赤字として出るものとしてたな上げしておいて、あとの合理化の段階で出たもので取りくずせばいい、合理化がきちんと行なわれてくれば、もっともっと圧縮できる余地があるのじゃないか。だから、その点は、あなた方が本気で抜本策を講じられたら、とんとんじゃなくて、財源が少し残ってくる見通しは十分ある。だから、そういう長期的な展望に立ってこういう医療費という問題を考えるべきであって、短焦点で、目の前だけで、それを早くやるためにはどうしたらいいか。それは一番手っとり早いのは、金だけ取って、患者をお医者にできるだけ寄せつけないようにするなら赤字にならないことは確かだ。ところが、医療保険の目的は、お医者さんに行かすなというのが目的でなくて、やはり、行きなさい。そして早くなおって命を長らえて健康に暮らすのが医療保険の本来の目的だと思うのですが、そこはどうでしょう。
  194. 坊秀男

    ○坊国務大臣 おっしゃるとおり、医療保険制度の中にも、それから医療費、診療費体系の中にも、非常に、いまの段階、現時点においても、ずっと前々からでございますけれども、是正をしなければ、合理化をしなければならぬ点がほんとうに一ぱい出てきておるということを、私も厚生省へ参りまして痛感を——その前からも、それは多少政調等で勉強はしておりましたけれども、参りまして、これを痛感しておるわけであります。これはどうしてもやらなければならぬということで、たとえば医療費、診療体系といったような問題につきましては、いろいろこれは紆余曲折がありましたけれども、中医協におきまして専門家の方々、学識経験者に御検討を願っておりまして、できるだけすみやかに結論をちょうだいしたい、かように考えておる。それと密接不可分に保険制度というものを根本的、抜本的に立て直していこう、こういうふうに考えておるわけでございますけれども、先ほども申しましたとおり、とにかく四十二年度の雨漏りをどうしようかということで、いまおしかりを受けておるような案をつくったわけですが、これは決して患者に、もうお医者さんにかかるな、かかるなというような、そういう考えを持ったものではない。堀さんは、そんなことを言うたって一部負担を上げておるじゃないか、こういうふうにおっしゃられるかもしれませんけれども、一部負担を上げたということは、先ほども申し上げましたようなことで、お医者さんにかかるな、かかるな、富山の売薬で済ませ、そんな考えでもって言ったものではないということだけは、ひとつ長年のあれの間で御了解を願いたいと思います。
  195. 堀昌雄

    ○堀分科員 それはそう言われても、現実そうなってくることなんですよ。ですから、それはあなたがそう思う、思わないの問題ではなくて、世の中の経済というものはそういう性格を持っておるんですからね。だから、要するに、残念ながらいまの資本主義社会というものは、すべての中で経済的な制約というのが一番多いんですよ。これに制約をされたら、にっちもさっちもいかないわけです。ここは私非常に重要な問題だと思う。  そこで主計局に伺うのですが、今度二百二十五億円ですか、一般会計から非常に思い切って入れていただいた。これは私いいと思うんですよ。しかし、金は出してやるけれども、それは赤字のつじつまが合うようにという考えがかなりあるように、私は主計局は当然そうであろうと思うが、それが強いと思う。特に一番問題なのは、いま初診料というのは百円ありますから、これは程度の問題になるわけですよ。しかし、薬剤費の一部負担というのは程度の問題ではなくて、これは制度の問題です。だから、そこらについて、あなた方のほうは、これを取ることで、確かに財政的には取らないのを取るのだから、赤字は減りますね。要するに、一部負担料が入るという意味で入る。しかし、そういうことが受診を制限するという面でやはり何かが出てくると私は思うんですよ。それもプラスアルファとして赤字を減らす方向にある。一体どっちに比重をかけて大蔵省はものを考えたのか、予算上の措置としては。そこをちょっと聞いておきたい。
  196. 岩尾一

    ○岩尾政府委員 今回の保険改正につきまして、先ほど大臣が御説明になりましたように、もちろん前提には根本的な改正というものがございますけれども、とりあえず、四十二年だけにおきましてもかなり赤字がふえる。それを先生のおっしゃいますような、たな上げと申しますか借り入れ金と申しますか、かりに借り入れ金なんかで泳ぐといたしますと、二千億に近いような額になりますし、利子だけでも非常にたいへんなことになる。ほっておけないということで、四十二年度として、少なくとも赤字を出さないということを一つの主眼にして予算方向考えてみようじゃないか、こういうことで話し合いをいたしたわけでございます。  そこで、先ほど先生のおっしゃいますように、先生が例を引かれまして、たとえば非常に昔の場合に、所得の低い人について、保険料は納めたことになっているけれども、現実には取っていなかったじゃないかということもあったと思います。しかしまた逆の面で、ほんとうの強制保険になりまして、どんどん医療費を、手放しと申しますか、やりますと、金持ちが保険のおかげで過剰な医療を受けるということもあり得ると思います。したがって、保険というものはどこに限界があるのかということを考えてみますと、やはり保険は、将来病気になったようなときの急激な経済負担というものを排除するというところに保険の目的がある。そこにやはり限界があるのじゃなかろうか。したがって、これは英国のような医療保障でありましても、結局、国民が税金で払うことになりますから、負担者は同じでございます。そういう意味で、保険という制度をとって考えてみれば、そこにある程度の限界があるのじゃないか。したがって、この保険の赤字をなくす場合には、もちろんいま申されましたように、医療費を制限するということではいけませんけれども、しかし、片方でまた非常に過剰に医療を受けようという人に対しては、ある程度の歯どめが必要ではないかということも考えておるわけです。ただ四十二年におきます暫定策におきましては、これは大臣からるる御説明がありましたように、四十二年においてこの赤字を消すということを主体に置きまして、医療費についての歯どめというようなことはわれわれは考えません。先ほど申されたように、もちろん保険料を上げて操作するという面もございます。それから先生の御指摘になりました百円を二百円、三十円を六十円というのもございます。それから薬価についても十五円というのもございます。これにつきましては、予算の積算といたしましては、従来の実績等を見まして、受益者負担の立場に立って、保険料を納めておる人で全然給付を受けない人に負担をかぶせるのはおかしいのじゃないか、やはり給付を受ける人に負担していただく、そういう意味合いで、一剤十五円程度であれば負担できるのじゃないかということで計算をして積算をいたしました。したがって、よく言われます、たとえば長瀬理論というようなことで給付率を下げますと、受診率が減っていくという計算でございます。これは率の問題でございまして、今回御提案しておりますような薬代の一部負担のような低額のものについては、この計算はなかなか適用しにくいというふうに考えております。
  197. 堀昌雄

    ○堀分科員 いま、あなたの言われた中の所得の高い者が過剰に受診しているという問題は、これは私、別の問題として考えるべきだと思いますが、こういう制度をとったときに起きるのは、その層は実は影響を受けないんですよ、あなた方が言うようなかっこうには。日に十五円くらいなら、もっとたくさんのものを受け取るようにいくわけですから、だから、そうでない層、実際には十五円のものしか受け取らない、そういう人たちのところに寄ってくるのです。これは経済的には、過去に出費をした部分と同じように、そういう経済性というものは基本的には医療という問題の中にはあると思います。上のほうの人にきかしたい、それはわかるけれども、そうではなくて、下のほうの側の受診制限を引き起こすという問題が非常に大きくあると思います。  そこで、これはさっき古井さんもおっしゃっておりましたけれども、法律が国会に出てからいろいろ議論のあることですから、どうなるかわからないことですけれども、やはりものの考え方としては、抜本策があと一年うしろにあるのなら、これがまだ何年も続くというのなら話は別でしょうが、抜本策を四十三年から何とか実施したいということなら、一年の間における赤字がたとえ一千億出てみたところで、それは日本財政規模全体からしたら、そんな大きなものではない。いま全部一千億入れろということではない。二百二十五億よりももっとよけい入れてもいい、そして残った一部を借り入れ金でたな上げをしておいても、あとで処置はできる。これは健康保険勘定というものが黒字になって、それを積んで、とにかく積み立て金になった時期だってある。しかし、それを取りくずしていまこうなったのだ。だから、私は合理化という問題は、いろいろな角度でかなり成果を上げれば、いまの保険料率がそのままにされておる場合には、ある程度の黒字になって、それをまた積み上げる時期だって来ないとは限らない。その中の合理性の問題は検討したらいいと思います。特に、いまの、そういう所得水準の高いところが、かりにそうなっているとするならば、それは何もそういう人たちがどんどん使う必要のないことだと思います。そういうことは抜本策でやってもらうとして、四十三年度に抜本策をやるというのなら、この一年間にはあまりそういう制度に介入するようなドラスティックな措置は避けてもらったほうがよかったと思いますが、あなたたちのほうはそういうことでしょうからやむを得ませんが、ものの考え方としては、やはり経済的に見て自然の流れに沿うようなものの考え方を医療保険制度といえどもしなければ、経済原則にさからうような矛盾をするような制度がそのままいつまでも放置されておりますような、赤字が出ました、赤字が出ましたと言って、それをそこらじゅうへ余波を、とばっちりをかけるというようなことは、これは政府にもうちょっと真剣に考えてもらわなければならぬことだと私は思うのです。そのくらいはたな上げにして政府が負ってもいいのではないかというのが私の考えですが、その議論はここまでにしておきます。  あと二つちょっと伺っておきたい。これはちょっと角度が違うのですが、医療用麻薬の取り扱い上の問題でありますけれども、実は最近ちょっと医師のそういう麻薬事犯がふえておるということを聞きまして、非常にそれは遺憾なことだと思っております。それとは別に耳鼻科の診療上鼻の奥にコカインを塗って処置をしなければならないというものが相当多量にあるわけですが、一人ずつだれに使ったということを全部記帳しなければならぬという制度が依然として残っております。点眼のほうは、点眼したコカインを全部書くということにはなっておらないわけですが、耳鼻科の場合はそういうことになっておりますので、これは実際上、法律できめておっても、耳鼻科で患者の多いところでは日に百人も二百人も来まして、それを一々書くというのは非常に問題だから、その日に使ったコカインの量だけを毎日きちんと記帳きせれば、私は監督上はそれで足りるのではないのか、こういう気持ちがするのです。そういう点について、いま耳鼻科医院に非常にむだな煩瑣な事務的な負担を加えておるようですから、この点はぜひ改善していただきたいと思います。
  198. 坂元貞一郎

    ○坂元政府委員 御指摘のように、現在の麻薬取締法では、いま先生がおっしゃいましたように、麻薬を施用した場合には、その量なり、品目、年月日などを克明に記帳しなければならないたてまえになっております。  そこで、ただいまのコカイン等の関係でございますが、確かに私どももいま御指摘のような観点の御意見を承っております。ただ、最近残念ながらコカインの中毒者等が少しずつふえてきておりますので、そういう取り締まり面からも私どもは非常にこの問題を重要視しているわけであります。ただ、御指摘のように、医療機関、麻薬施用者の方に非常に繁雑な事務量を課しておるというような実態がありましたならば、確かにその点は私ども考えなければならない点だと思います。今後、各都道府県あたりでこの問題についてどの程度の指導なり監督をやっておるか、もう少しよく実態を調べてみまして、施用者の方に非常に繁雑な事務量を課さないような方向で早急に検討いたしてみたい、かように思っております。
  199. 堀昌雄

    ○堀分科員 私も、麻薬事犯がふえておりますから、そういうことはきちんとしなければいかぬと思いますよ。しかし、そうだからといって、いまのように一人一人名前を書いたら、麻薬事犯が防げるのかというと、そういうものではないと思うのです。取り扱いとしては、幾ら使用したかということはきちんと記帳させなければいけませんが、何月何日だれとだれというふうに日に四十人、五十人も名前を書かすということには問題があると思いますから、この点、私の意のあるところをくんでいただいて、よく検討していただきたいと思います。  もう一点は、実は精神病患者がよく退院をして、事故を起こす場合が非常に多いわけですね。精神病患者が退院をして家に帰っちゃうと、これは野放しになるわけです。だから、この中間段階ですね。要するに精神病患者のアフターケア、特に精神病患者では何というか、いろんなタイプがあるわけです。事故を起こすようなタイプの患者もあるし、そうではなしに、ただ、鬱性でじっとしておるタイプの患者もある。いろいろパターンはあるわけですが、やはり社会生活上入院患者と、しての処置が必要な時期と、それから常人であり心配は要らないという間に実はアフターケアの要る段階が私はどうしても必要ではないかと思うのです。文明の進歩とともにそういう層がふえてくる可能性があるわけですね。これはひとつ厚生省として、いまそういうものはないわけですから、早急にひとつ考えてもらって、この精神病患者のアフターケアの対策というものを立ててもらいたい、こう思うのです。これはひとついま御検討になっておるかもわからないのですが、これについての考え方があればちょっと聞かせていただきたいと思います。
  200. 中原龍之助

    ○中原政府委員 精神病患者のアフターケアの問題でございますけれども、これは私どものほうといたしまして、アフターケアばかりでなく、早期に発見をするというたてまえから、一つの方策といたしまして、精神衛生相談員による在宅者のケア、あるいはまたそのほかに各県にいま建設中でございますけれども精神衛生センター、これの設置によりまして、保健所の精神衛生相談員と協力して、そういった人たちの対策を押し進めております。そのほかになお、現在の医療制度の中に通院医療という制度を設けております。通院医療によりまして半分を公費負担をいたしまして、できるだけ先生のところへ行きまして指導するというような方法をとっておるわけであります。  なお、いわゆる中間施設といいますか、そういう問題につきましては、これは患者の一つの治療の段階といたしましていろいろのやり方がございます。現在精神衛生研究所あるいは公立の一部で試みておりますところのデー・ケア・センター、あるいはナイト・ホスピタル、そういうようなことを試験的にいろいろやっております。なお、この問題につきましはどういうようなやり方が一番日本のやり方に適するだろうかということで、中央精神衛生審議会におきましてもいろいろ検討をしております。これは一挙に解決するというのはむずかしいとは思いますけれども、できるものからひとつ手をつけて、そういうようなアフターケアの問題、それから早期に発見するということに努力しておるという段階でございます。
  201. 堀昌雄

    ○堀分科員 いま努力しておられるのでしょうけれども、やはり通院医療だとかなんとかいうのは、もう外へ出ちゃって自由になってしまっておるわけですね。だから、いまの事故を起こしておるというのは、そういう段階を含めてかなり事故が起こるわけですね。ですから私はやはり通院治療の前に結核でもアフターケアというものを過去においてもいろいろやっておられるわけですが、やはりそういう人たちに、何といいますか、ある程度の仕事も与えながらやれるような何か集団的な処置ですね、これは施設がなければ、保健婦がどうこうした程度では、これはやはり本物にならないと思うのです。だからそこらは何とか中央審議会で検討していただくことでしょうが、そういう問題は今後非常に多くなってからということではなくて、十分いまから検討して準備をして、ひとつテスト的にでも施設を一ぺんつくってみていくというふうに、前向きに厚生省としてはぜひ考えておいていただきたいと思います。これは文明の進歩とともに、そういう問題はどうしても重要になることですから、その点をひとつ強く大臣にお願いしておきますから、そういう点で御配慮をいただきたいと思います。これはこれで終わります。  医療の問題は、さっきもお話がありましたが、よく医療担当者との——いまお互いに相当不信感がありますから、ざっくばらんにひとつ腹を割って話をして、やはり意思の疎通をもう少ししませんと、さっきやはり古井さんも片一方を信用していらっしゃらないようですが、それは過去にいろいろ沿革がありますから、それを前提としてものを考えておったのでは話が進まないと思います。ざっくばらんにあなた方の考えておるところを言って、向こうの考えも聞いて、やはり聞くところは聞くという広い気持ちがないと、これはなかなか抜本対策といったって話は進みませんから、抜本対策をやるためにはひとつこのかきねを取っ払って、しかし先入観をあまり持たないで話し合いを続けていただきたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  202. 北澤直吉

  203. 和田耕作

    和田分科員 私は、もう時間があまりございませんから、ほんの十分か十五分くらいで質問を済ませたいと思います。先ほどから古井さんといまの堀さんの話をいろいろ承っておりまして、私が申し上げたい点が幾つかよくわかったような感じがしますので、質問を簡単にいたしたいと思います。  先ほど古井さんの御質問で、大臣はこの抜本対策というのを五十三年度にやる決心だというお考えを発表されたわけですけれども、それはこのように理解していいですか。たとえば審議会で今年の九月ごろまでは原案のいろいろ意見を聞く、十二月ごろまでには厚生省としての大体の腹がまえをつくる——大体というよりも原案らしいものをつくるというような腹がまえとして承っていいですか。
  204. 坊秀男

    ○坊国務大臣 ここで何月ということをはっきりと申し上げることも申し上げかねますけれども、要するに抜本対策も四十三年度の予算に関連する問題でございまするから、そこで抜本対策全体を四十三年度の予算に繰り込むということは、とうてい不可能なことだと思いますけれども、抜本対策のつまり頭ですね、これは四十三年度からやるという以上は、ひとつ四十三年度の予算に間に合わすというつもりでやっていかなければならない、かように考えております。
  205. 和田耕作

    和田分科員 この抜本対策というのは、一連の重要な問題を持っているわけですね。その重要な問題の一環一環が予算としてあらわれてくるというように理解できると思うのですけれども、そういうふうに理解していいですか。
  206. 坊秀男

    ○坊国務大臣 これは非常に大きなスケールの作業になろうと思います。そこで四十三年度にはどれだけ、四十四年度にはどうと、こういうふうに逐次きちっと年次計画を立ててどうということは、これから考えさせていただきとうございますけれども、そういうふうに入っていかねばならない問題だと思っています。
  207. 和田耕作

    和田分科員 まあこの問題はいままで議論のし尽くされた問題でもございますので、特に坊大臣の決意の表明がありましたところで、内容、問題の焦点もわかっておりますし、財政的な問題の大きなワクも大体見当がつくわけでございますから、できましたら、たとえば三カ年計画とか——それは計画ですから実行できないこともございますけれども、三カ年計画で抜本対策の大筋が実行されるというような考え方として決意をなさるお考えがございませんか。
  208. 坊秀男

    ○坊国務大臣 やはり三年といま限って私はここで申し上げるだけの勇気もないのでございますが、結局これからの検討の問題でございますけれども、年次でやっていく、三年でやれとおっしゃられても、はいよろしゅうございますというわけにはちょっとまいりかねると思います。
  209. 和田耕作

    和田分科員 先ほど一応申し上げましたように、全体の構想なり問題点ははっきりしているわけですから、三年ということははっきりしなくても、年次計画をつくってこれを確かに実行していくというように承ってよろしゅうございますか。
  210. 坊秀男

    ○坊国務大臣 そういうふうにやってまいりたいと思います。
  211. 和田耕作

    和田分科員 社会保険審議会の答申を拝見をしたのですけれども、これには、非常にきつくいままで何回も申し上げてきた、しかしなかなか厚生省はおやりにならない、今度は必ず四十三年度にやってくれ、こういう要望があるわけですね。これは社会保険審議会だけでなくて、良識のある人ほとんど全部の気持ちじゃないかと思う、私の知っている限りの人は。必ず四十三年度にやれという意味は、一つぐらい、二つぐらいのことをやれという意味じゃないのですね、この抜本対策という意味は。こういうふうな意味から申しましても、やはり厚生省としては腹をきめて、確かに全貌をはっきり見ながら、今年これをやる、来年はこれをやるというようなことのわかるような大体の年次計画をおつくりいただくことが大事なことじゃないかと思います。私は先ほどの古井さんのお話を聞いておりまして、厚生省ができたときのことを思い出しておりますけれども、たしかあれは第一次近衛内閣のときに——昭和十三年でしたか、第一次近衛さんのときに、国際正義と社会正義という線を打ち出して、つまり社会正義というものを実行するために厚生省をつくったわけですね。つまり、古井さんも正義の立場ということをおっしゃったのですが、これは私はいまの厚生省の皆さんが深く考えなければならない点だと思います。これはいろいろ問題点はあるし、言いにくいとは思いますけれども社会正義を実行するためにできた厚生省なんですから、その問題をひとつ特にお考えいただいて、いまの抜本対策の場合に深くこの問題を決意をして実行していただきたいと思うわけでございます。その点につきまして、いまの抜本対策のぜひやらなければならぬ問題——私、朝日新聞の論説を拝見しておりましたけれども、ここにも——これはどこにもこういう問題を議論するところには出てくるのですが、「保険財政の患部にメスを入れようとせず、一時しのぎの対症療法に終始してきたわけで、早い話が医療費が毎年二〇%もふえている原因について、十分納得のいく調査も説明もおこなわれていない。」という形で、今度の予算に出されている問題を論評しているわけです。この書いた人は大体見当はつきますけれども、非常によく詳しく内容を知っている人だと思います。そういうことで、いまの自民党の古井さんと社会党の堀さんのお話を聞いていまして、この問題についてはちょっと転倒している感じを私は受けたのですが、こういうようなところにも、いまの医療制度の問題についてのむずかしさがあると思います。いろいろむずかしいと思いますけれども、いま申し上げたとおり、来年度には全体の計画と同時に、それを年度化した構想をぜひともひとつきめていただきたいということを考えるわけでございます。  それはそれでよろしゅうございますけれども、いま問題になっておりました薬代の一部負担という問題、この問題も非常に重要な意味を持っていると私は思います。非常なプラスがあると思います。一方、十五円というのはそうたいして少ない金ではない負担もある。ただ、こういうことによって過剰投薬とか水増しとかいわれる問題の正体が明らかになってくるという意味を含めて、この案が出されておりますか。
  212. 坊秀男

    ○坊国務大臣 まだそこまでは実は考えておりません。
  213. 和田耕作

    和田分科員 だけれども、こうなりますと、お医者さんは患者からこの問題についての証明をもらわなければならなくなるし、これをつけて支払い機関のほうに提出されるわけですから、わかるわけですね。どの程度の薬を、どういうふうなものを出したかということがわかるわけですね。この問題を医師会の諸君はいやがっているわけじゃないのですか。
  214. 熊崎正夫

    ○熊崎政府委員 いま医療相当者側のほうから非常にこの案に対しまして賛成しがたいという意見が出ておりますのは、現在家族につきましては窓口で点数表に従いました金額を払っていただきまして、その五割というものを徴収しているわけでございますが、本人については初診の際の百円だけということになっておりまして、薬ということになりますと毎日本人について計算をして、十五円以下のものは取らなくてもいいし、計算をして十五円以上になりますとこれは取らなければならぬということで、非常に窓口の手数がふえるということで、たいへんだというようなことが反対の主たる原因になっておるわけでございまして、和田先生御指摘のように、これによって過剰投薬を抑えるとかなんとかいうふうなことまで想像した上での反対というふうなことにはなっておりませんし、また直接的にこういった少額定額の金でそういったところまである程度効果を期待するということはいささか無理ではないか。やはりそういった点を考えるとすれば、これは抜本対策の際にもう少し論議すべきであって、今回の対策はまさに応急的な、臨時財政対策として少額定額の金額負担していただく、こういうような考え方のもとで立案をいたした、こういうように御理解いただきたいのであります。
  215. 和田耕作

    和田分科員 おっしゃるとおり、抜本対策となりますと、こういうふうなこそくな方法は、これはこそくというよりも赤字の実態の重要な部分を明らかにするということは非常に大事なことですけれども、その対策としてはこういう方法よりもむしろ昭和三十一年にはっきりと方針をきめた医薬分業の線をはっきり出していくという、お医者さんが投薬できるという特例なんかをつけないでやっていく、そのようなお考えはございますか。
  216. 熊崎正夫

    ○熊崎政府委員 現在の医薬分業は法律的には一応確保されておる形になっておりまして、ただ例外規定があまりにも多いというふうなことで実質的な分業になってないという実態でございます。しかし、医薬分業それ自体は、これは薬剤師会のほうは当然推進をするということでこれを逐次年次的に計画をして、ここ両三年の間には実質的な医薬の分業をやれるような方向努力したいということを言っておりますし、それから日本医師会のほうにおきましても武見会長自身医薬分業については反対がございません。やはり分業の方向に進めるべきだということになっておりますが、これを一挙に何年から分業体制に変えてしまうということもこれはなかなか困難な問題があると思います。患者自体で不便な点もやはり医薬分業の場合にはあるわけでございますから、これも年次計画を追って欧米諸外国に見られるような医薬分業の実質を確保するという方向でやるべきではないかと思い、これを抜本対策の際にはぜひ爼上にのせたたいというふうに思っております。
  217. 和田耕作

    和田分科員 では、この問題はお聞きしまして一応安心をしたのですけれども、おっしゃるように、それは一挙に全部あれするというのは患者の不便な点が確かにあると思いますけれども、医薬分業の根本的な精神といえば、百円のものなら、八、九〇%はこの制度でカバーしていけるという案をぜひともお盛りいただきたい。先だって私、大臣にお聞きしたときに、三十年、三十一年以後十年間に医薬分業が非常に進んでいるんだというようなお答えをいただいたのですけれども、しかしあれは内容的に見ればごく一部の大きな大学病院とかその他のところで進んでいるだけであって、実際たくさんの国民が受けるところではほとんど進んでいないといってもいいんじゃないかと思うのです。こういう問題はいろいろむずかしい問題で、デリケートな言い回しも必要でしょうし、ここらでも抜本対策なんですから、この問題をぜひとも考えていただきたいと思うのです。  もう一つは国庫負担の問題なんですけれども、やはり先ほどのお話を聞いておりますと、全部国民が義務的にかかっているんだから、国がめんどうを見るのがあたりまえだというようなお考えを述べられたようですけれども、国庫負担の場合に、何もかも無責任に国のふところをたよっていくという考え方日本に一般的にわりあい多いですね。その結果がすべての制度をだめにしてしまうというようなところもあると思います。したがって、国庫負担の問題は慎重に検討しなければならないと思いますけれども、しかしこれは社会保険ですけれども、やはり社会保障の面が相当入らないと、政管健保のほうは低所得者が大部分なのですから、この人たちに対する社会保障の意味は、保険ということだけにこだわらないで、ある定率の国庫負担分を御検討していただくということが大事じゃないかと思います。例のないことでございませんから。保険という体制を持っているいろいろな制度を見ても、現在国保で四〇%といい、あるいはもう一つの日雇い健保が三五%ですから、事業者で負担するとかせぬとかいう問題がありますから、少なくとも二〇%前後の国庫負担というものは検討してみる必要があるのではないかという感じがいたします。国庫負担というものは、保険というたてまえがあるから国庫負担というものはおかしい、あるいは国庫負担という形はもっと制度的なものにやらなければならぬという議論があと思いますけれども、しかし、いままで出た赤字の実態から申しましても、保険制度の中でだけこの赤字を解消しようとするといろいろ無理がある、料率がたいへん上がるとかいう問題も出てくると思いますので、この問題をぜひひとつ抜本対策のときにお考えいただきたいと思うわけでございます。と同時に、これは前から、三回目から申し上げているように、やはりお医者さんも先進国並みの所得を取るべき段階に来ているわけですね。大事な職業なのですから、やはりこの診療報酬体系もそれらしい体系として、これはお考えになっていると思いますけれども、こういう問題に必要な医療経済調査というものを拒否するというのはけしからぬと私は思うのです。こういうような問題を押えるような日本人ではないのですから、労働者もそういうものを受けているわけですから。そういう問題を、厚生省のほうではお医者さんの所得をりっぱなものにするのだというたてまえを明らかにして、隠すということでなしに、こうなるとはっきりざっくばらんに国民の皆さんに訴えてやるという、つまりそういうような腹のきめ方でこの問題と取り組んでもらいたい。何となれば日本社会保障というものの根幹をなす問題がゆるぎつつあるわけですから、ぜひともこの問題をお願いしたいと思います。  私のきょうの質問はこれで終わります。
  218. 北澤直吉

    北澤主査 明二十五日は午前十時より開会し、厚生所管について質疑を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十六分散会