○山中(吾)
分科員 あとで大臣に聞きますが、聞くだけ聞いておってください。これは
アメリカのシカゴ大学人種学研究室から来たものですが、「私は、本日大きな喜びをもって
日本社会党の
日本における教育制度の改善に関する計画を知りました。」といって意見を申し述べておりますが、「私は、ただ今、
台湾で人種学の研究をしている
アメリカの大学院の学生です。今回
アジアを訪れたのは初めてのことですが、ここで
アジアの言語問題について深く感じさせられた二点について申し上げたいと思います。第一点は、
日本や
台湾では殆んど皆といってもよい程英語を用い、また学びたがっているということです。」「そして私は今まで英語以外の他国語を学んでいる学生に出会ったのは僅かに三人でありました。
日本語を学んでいる学生はたった一人だけでしたが、それもほんの少しばかりのようです。」これは
台湾のことです。「私の
日本滞在中は中国語を学んでいる学生には全然出会いませんでした。」これは要するに、
アジア民族というものはどこへ行っても英語以外を学んでいる者はいない。「第二点として申し上げる次のことは、」「これら熱心な学生が英語の学習に大部分の時間を費しているにも拘らず彼等は殆んどそれを実地に活用できないという事実であります。
日本の学生で
アメリカに一年間留学していた私の友人でさえも、それ程英語は達者でなく理解される会話はできませんでした。ただエスペランチスト達とは会話が完全に達せられました。
台湾ではやっと一人だけ完全に英語を自分のものにしている学生に出会いました。」少し省きますが、「したがって私は、
日本の学校でエスペラントを導入するということは、単に東洋と西洋との理解のかけ橋となるのみでなく、
アジア諸国間の理解のかけ橋となるためにも偉大な前進をもたらすものと
考えます。このことの
重要性に気づくものは、多分後になってからでしょうが……」と疑問を残しながら話を進めておるようですが、これは
アメリカの学生です。さらにこれと同じようなことで、大いにそれを進めてくれという
アメリカの先生、それからこれはフランスの大学の先生です、さらにデンマーク、ポーランド、ハンガリー、ドイツ、オランダ、これらはエスペラント語でよこした。こういうことは、どこか世界共通用語の
主張が世界平和の
主張と結びついて、新しい世代の一つの要望があると思います。世界国家に向かっておるかどうかは別として、もしかりに、一つの現在ある民族語というものを世界用語にするという場合は、強大な民族が他民族を支配した場合。しかし、あらゆる民族が平等のままで完全
独立した中で、世界が一つの連邦機構というものができる場合については、いまのような国際用語が共通の広場にならぬ限りは、ある民族が他民族を征服し、支配し尽くしたときに世界の統一が成り立つ。したがって、現在のような場合には、少なくとも
日本の
外務大臣が国連に国際共通用語の採択を提案するくらいのビジョンは持ってしかるべきであると私は思う。現実にこういう問題があって、しかも
アジア、アフリカの部分に対しては、各民族がことばの統一ということで困っている。そのことばの愛着ということではなく、困っておるわけです。そういうときに
日本の文化
外交というものはどうするか、もう少し積極的に
検討してみる――
検討に値するのではないか。私は不可能とは思っていない。どこの国に行っても、そこの大学の用語、教育用語というものはそこの母国語である。一、二年そこの語学を会得さしてから学問を始める。
アジアの青少年諸君を集めて、一、二年教育用語として使用する用語を修得さして瞬間に入る。これはエスペラント語を採用しても、しなくても同じことですよ、
日本語というものは知らないのですから。そのときに
日本語という民族の優越感、植民地化するような、そういう危険のものでないことを一応前提としない限りは、私は、また同じようなことを繰り返す、そういうふうに思うので申し上げるのです。
それからさらに、現在中学校あるいは高等学校で英語の教師をしている人でエスペラント語をやっている教育実験の報告があるのですね。最初にエスペラント語を一年教えて英語に入った者が、最初から英語を教えるよりも進歩が早い、これはもうほとんど一〇〇%近いのですね。だから
外国語の補助教材としても非常に大きい意味があるのだから、そういう意味において平和思想と結びついたもので、一つの指導的なものも含んで、いわゆる教育的な
意義を含んで、決してむだはない。もう少し文部行政と
外交行政が一つになったそういう方向の
検討を何かして、新しい
時代の
外交の角度を変えた打開の道を
検討すべきだ、私はこれを強調しておきたいわけです。それで、ただ聞き置くのじゃなしに、
外務省の機構もあまり知らないですけれども、そういう方向をもっと真剣に
検討されてはどうか。
それから、ユネスコと
外務省と文部省の
関係も私はわからないのですが、もし
外務省とユネスコの
関係ならば、ユネスコの研究をむしろ
外務大臣が要請するような形でされるべきであると思うのですが、いかがでしょう。