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岸最高裁判所長官代理者 ただいま鹿児島の飯守所長のいわゆる「広報」に載せております論説についての
お尋ねがございました。その前に一言先ほどちょっと私申し上げることを忘れましたので補充さしていただきたいと思いますが、
猪俣委員はあまり深く取り上げないとおっしゃいましたけれ
ども、事柄が市大でございますので、ちょっと申し上げたいと思います。
それは、
裁判所が、修習生に
裁判官になるようにすすめて、二回試験のほうは考慮してやるから、そういうことを申したというような趣旨のことが伝わっておりますが、これは事実を調べてみましても、絶対にそういうことはございません。試験は試験で厳正にいたしておりますので、
判事補に勧誘するために試験をどうのこうのするということは
考えられないことであり、事実絶対にないということを申し上げておきます。
それから、ただいま
お尋ねの、伊達
判決の結果伊達
判事はやめざるを得なくなったんじゃないかという
お尋ねでございますが、私は絶対にそういうことはないと思います。といいますのは、たまたまその何年か前に、まだ
東京地方
裁判所の
刑事庁舎が伊達
判決のありました勝閧橋の仮庁舎に移ります前に、つまりこちらのバラックにありましたときに、伊達
判事が私の部屋に参りまして、実は自分は前々から
裁判官をやめて学者のほう法政大学へ行っておられましたが、勉強のほうをしたいと思っておるんだ、それにこのごろひどい耳鳴りがして、そういう点からいっても法廷にすわっているのは非常につらいので、実はやめたいという気持ちを持っておるんだという、まあいわば個人的な相談を受けたことがございます。当時私は、いろいろ事情があるかも知らぬけれ
ども、そういうやめるというようなことを言わずに、やはり
裁判所のためにやるのがいいんじゃないかというようなことを言って別れたことがございます。伊達
判決がありましたのはそれから二、三年後のことでございますので、伊達
判事がやめたということは何ら
判決とは
関係ないということを私は申し上げることができると思います。
それから恵庭
事件、これは特定の
事件でございますが、あの
事件がどういうふうになるかということは、世間が非常な関心を持って見ておりました。あるいはああいう
訴訟指揮のやり方ではお話しのように違憲の
判決が出るんじゃなかろうかという観測をされた方も大ぜいおられました。ところが、北海道新聞によりますと、あの新聞の
司法記者は
審理の成り行きを洋紙に観察し分析して、そうしてたまたまあの
判決と同じような論説を、
判決前に推測記事を書いております。そういうことから見ましても、具体的な
裁判について他から何らかの力が加わるとか、そういうことはとうていわれわれとしては
考えられないことでございます。また七そういうことがあっては非常にたいへんなことだと思います。
それから飯守所長の問題につきまして、御指摘のとおり、昨年の
法務委員会で取り上げられました。これは七月二十一日の
法務委員会で、ここにおられます
横山委員から御
質問がございました。その際、鹿児島の地方
裁判所で発行しておりますごく薄いパンフレット、「広報」と申しておりますが、その「広報」に、非常に政治的に片寄ったという印象を与えるような論説を所長が書いておる、そういうことで、一号から七号までのその「広報」の部分部分を抜粋して読み上げられたわけでございます。当時私
どもは、そういうものが出ておって、そういうものが書かれておるということは存じておりませんでした。その際読み上げられました点を、ずっとつづられた点を聞いておりますと、非常にいわば政治色濃厚という感じがいたさざるを得なかったわけです。というのは、もっとも、現行憲法の解釈に触れておりまして、憲法という法律はまた政治とも非常に無
関係とは申せませんで、そういうことから、そういう意味合いもあったと思います。そこで、この問題についてどう
考えるかという御
質問がございましたので、さっそくその「広報」を、取り寄せまして通読いたしました。通読いたしまして私
どもの
考えを
法務委員会で申し上げようと思っておりましたら、それから一週間たちました二十八日の日に、これは
横山委員の御都合もあったと思いますが、この間の問題は、正式に
法務委員会で
意見を聞かなくても、その後
最高裁判所がどういう処置をとったか、それが自分が納得がいけばそれでいいから、それを聞かしてくれという御
連絡があったわけであります。そこで私と総務
局長が国会へ参りまして、
委員会でない別の部屋で
横山委員にお目にかかりまして、私
どもの
考えを申し上げたわけであります。そのとき申し上げたメモをたまたま持っておりますので、それを御紹介いたしますが、この間の「広報」の一号ないし七号全部を通読いたしましたが、全部が全部政治的論説ではなくて、この「広報」によって職員に政治的教育をしようというふうには必ずしも
考えられない。その内容も、全体としての意味をくみ取れば、これは随所に出ておりますが、憲法の平和主義、民主主義、議会主義を守らなければならぬということも強調されておるわけであります。また、決して戦争を賛美しているわけでもなし、特に問題になりました四号の、「大東亜戦争と
東京裁判」という論説の中でも、
日本も誤りを犯しているというようなことをちゃんと書いてありますので、全体としての真意をくみ取れば、憲法を否定しているような、そういう内容のものと断定することは問題である。しかし、その論説の内容は、各人各様の受け取り方、評価のしかたもあろうと思います。それで、所上長がかりそめにも「広報」の誌上を借りて
裁判所の職員に政治的教育をしているという誤解を与えることは、これは穏当じゃない。そこで、さっそく当時の事務次長から飯守所長に電話でその点をコメントいたしました。と同時に、私は直接の監督官である福岡の高裁長官に電話をいたして、「広報」の論説がそういう点で問題になっておる、その
連絡しました結果、今後はそのような誤解を受けるおそれのあるようなものは「広報」には掲載しない、そういうことになっておるからと長官からも私のほうへ
連絡が、ございましたので、そういう経過を
横山委員に申し上げました。そのとき
横山委員から重ねて、それでは「広報」に絶対今後書かぬのかと
お尋ねがありましたが、いやそういう趣旨ではなくて、所長が職員に政治的教育を施しておる――政治的教育といいましても、一方的なある特定の片待った政治的教育を施しておる、そういうような印象を与えるようなものは、これは今後当然慎まなければならぬ、そういう趣旨で、絶対に「広報」に載せないという趣旨のものではありません、そういうふうに、高裁上長官が非常に心配して直接何回も飯守所長に会っていろいろ話をし、勧告をしておりますので今後の成り行きを見ていただきたい、こういうことを申し上げました。そこで
横山委員の御了解を得ましたので、そのままこの問題は解消しまして、
法務委員会での正式の論議の対象にはならなかった次第でございます。
その後、七号までは当時問題になりましたが、八号以下ずっとわれわれも送付を受けましたものを目を通しております。あるいは抑留
生活時代の思い出話、しかもそれも音楽を主題とするような話、ベートーベンとかモーツァルトの話とか、そういったものでありますし、その次の九号、十号は、「男女平等、夫婦不平等」という題になっておりますが、これは読んでみてもおもしろいような、何か結婚式のスピーチにでもふさわしいような、まあ一種の随筆を書いておるわけであります。それから次の十一号に「
裁判所の防衛について」、これは題名から申しますとちょっと奇異の念を抱かれる向きもあるかもしれませんけれ
ども、この十一号の内容全体を見ましても、各人個人としていかなる政治的信念を持つことは自由であるけれ
ども、しかし、
裁判官はもちろん、
裁判所一般職長としては、政治的中立性を他から疑われるような言動があってはならないという趣旨のことがこの論説の骨子となっております。この程度のことは、どこの所長でも長官でも、表現は違い、いろいろな話し方はあると思いますが、そういう趣旨のものを書いておられる。それから十二号は「祈り」という題で、クリスマスにちなんで書いておられます。これは飯守所長はクリスチャンでありますので、これも
一つの随筆と見られるものでございます。それから十三号は「鹿児島復古と明治百年」というようなことで、鹿児島におられますので、昔の島津斎彬のことばなんかを引いて、これもやはり随筆の域を出ていない。それからあと十四号、十五号、十一号なんか「人が人を裁くことができるか」というトルストイのことばを引いて書いております。こういうわけで、なるほど一号から七号までの間には非常に誤解を招くものがございましたけれ
ども、その後は、やはり約束どおり、そういう政治的教育を施すようなものは載せないという約束は守られており、また
裁判所のほうでもそういう点を特に注意いたしております。現在としては、別にこれを取り上げてどうこうするという
考えは
裁判所としてはございません。