運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1967-06-15 第55回国会 衆議院 法務委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年六月十五日(木曜日)    午後三時二十七分開議  出席委員    委員長 大坪 保雄君    理事 安倍晋太郎君 理事 大竹 太郎君    理事 高橋 英吉君 理事 中垣 國男君    理事 濱野 清吾君 理事 横山 利秋君    理事 岡沢 完治君       千葉 三郎君    藤波 孝生君       加藤 勘十君    中谷 鉄也君       西宮  弘君    三宅 正一君       小沢 貞孝君    沖本 泰幸君       松本 善明君  出席国務大臣         法 務 大 臣 田中伊三次君         国 務 大 臣 藤枝 泉介君  出席政府委員         警察庁警備局長 川島 広守君         法務省刑事局長 川井 英良君         法務省訟務局長 青木 義人君  委員外出席者         専  門  員 高橋 勝好君     ————————————— 六月十五日  委員下平正一辞任につき、その補欠として中  谷鉄也君が議長指名委員に選任された。 同日  委員中谷鉄也辞任につき、その補欠として下  平正一君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 六月十五日  会社更生法等の一部を改正する法律案内閣提  出第一四三号)  会社更生法の一部を改正する法律案田中武夫  君外十二名提出、衆法第七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  法務行政に関する件      ————◇—————
  2. 大坪保雄

    大坪委員長 これより会議を開きます。  法務行政に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤勘十君。
  3. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 私は、今度の行政事件による総理大臣のとった行動に対して、いろいろな角度からこれを検討して、政府所信をお伺いし、将来このような事態が起こらないようにするためにはどうあるべきか、こういうことに対して政府側反省を求めるし、またわれわれも反省しなければならない点があれば反省をする、ただいたずらにことばをもって責めるというような気持ちで私は質問をするのではありません。あくまでも事態をあらゆる角度から検討して、そして将来の戒めにしたい、こういう観点から質問をするのでありますから、本日は、本来ならば総理大臣としての確信に基づいた所信をお伺いしたがったのでありますけれども、総理大臣が所用のために出席されないので、総理大臣に関する質疑の点は他日に保留しまして、今日は法務大臣並びに公安委員長自治大臣としての藤枝さんにお伺いすることにいたします。  第一にお伺いいたしたいことは、今度の総理大臣行為は、確かに法律の狭い解釈によりますれば違法ではない。それは総理大臣が答えられているとおり、私どもも違法であるとは思いません。しかしながら、違法でないということ、適法であるということが、常に必ず適正であるとはいわれないと思うのです。もしこれが適法であり、適正であるならば、世間に何らの疑惑も起こらなければ、また反対の意見もないはずであります。ところが世間には、多いか少ないかはわかりませんけれども、総理大臣の今度とった態度に対して、それはなるほど法律にはかなっておるであろう、しかしながら、はたして社会的常識に訴えて適正、妥当であったかどうかということについては多くの意見が表明されておるのであります。先日来の新聞記事を見ましても、たくさんの例が、いろいろな人々によって意見が述べられております。これを一々私は申し上げるつもりはありませんが、問題は、法務大臣にお伺いしたいんですが、裁判所決定に対して総理大臣のとった異議申し立てというものが、違法ではないが、はたして妥当であったかどうかということについて、司法権行政面を担当しておられる大臣としての所信をお伺いしたいと思います。
  4. 田中伊三次

    田中国務大臣 まあこれは、ありのままにひとつ私のほうもお答えを申し上げます。  この法律上の形式的な外形からながめてまいりますと、内閣総理大臣という行政権の、裁判所決定という司法権に対して、異議申し立てによってこれをくつがえしたという結果が起こっておるといえるのであります。これ、加藤先生でなくとも、どなたがお考えになりましても形式的にはそういうことになる。そこで、憲法は、先生承知のとおりに、司法権には行政権は介入まかりならぬということを明文をもって規定してある。その明文に照らすときに、この法律によるところの異議の陳述というものは、憲法上の精神からおかしいのではないかという一応の外形がそこに出てくると思います。しかるところ、ここがありのままに申し上げたいというところなんでありますが、裁判所の行なった停止決定というものではあるけれども、その停止決定中身は何かと、こう調べてみるというと、中身は、そもそも東京都の公安委員会の行なった進路変更許可決定というもの、その許可決定というものに対して、効力の停止決定をした裁判でございますから、形は裁判所裁判であるけれども、その内容は行政権に基づく行政処分なんだ、そういう実質を持っておる。行政処分という実質を持っておるものだとするならば、表の形式裁判であっても、内閣総理大臣がこれに対して抗議を申し出る、異議を申して出るということは、司法権の侵害ではないかというような大げさなことにはならぬのではなかろうか。いまここで私が申し上げますことが、二十七条の精神でもある。私の申し上げておることが違うということになるならば、二十七条自体が憲法違反ではないかということにならなければならない、こういうふうに、実は申し上げにくいのでありますが、ありのままに申し上げますと、そういうふうに私は信念を持っております。
  5. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 いま法務大臣が言われたとおり、私もまた総理大臣のとった行為が決して違法であるとは言っていないのです。それは明らかに行政事件訴訟法の二十七条の規定に基づいて行なわれた異議申し立てである、その限りにおいては決してこれは違法ではないだろうが、さっきも申しまするように違法でないということ、適法であるということが、必ずしも社会的通念に従う適正であるということは私は断定できないと思うのです。問題は、このとった行為が適正であったかないかというところに問題が生まれてくるわけなんです。世間でかれこれ非難をするということ、あるいは批判があるということは、適正でないと思われる部分があるがゆえにそういう批判なり非難が生まれておると思う。だから、そういうことに対しては率直に、二十七条の規定があるから、それですべてが公正であったということは私は言い得られないんじゃないか、私のお聞きしたいことは、こういう点にあるのです。あなたのいまお答えになったことは、裁判判決決定裁判所がもと旧憲法時代にあった行政裁判所というものでなくして、特別の裁判所を設けることができないという規定をしておるということは、現在の裁判所をもってただ一つのものとして、上級、下級の差別はありまするけれども、裁判所は一本である、そしてこれには第三条によって明らかであるとおり行政権からも何ものからも干渉は受けない、また干渉すべきでないということがあるわけです。そこで問題は、実は私は総理大臣にお伺いしたいことは、憲法の条章とそれから県の条例とか公安条例とかいうような地方で発する条例との比重の重さ、これに対する点を総理大臣から主として聞きたかったんですが、いまおいでにならぬから後日聞きますけれども、問題はこの点なんです。どうかこういう点に対して、裁判所規定しておる第三条によって示されたこの決定決定といいますか判決というものに対しては、何ものにも侵されないという裁判所権限を持っている。これこそ、これが確立して初めて司法権の確立はあり得るわけなんです。旧憲法時代でありまするならば、三権分立といいながら、日本においてはしばしば行政権によって司法権が左右されておる実質があるわけなんです。形式上はともかくとしてそういう実態はあるわけなんです。行政上の必要から裁判の公開が禁止されたり——それくらいは私が申し上げなくても法務大臣十分御承知の点であります。けれども、新憲法において、われわれが新憲法をとうとしとするゆえんのものは、またこれを尊重しなければならないというゆえんのものは、そういうあいまいな点において行政権関与を許さない、ここにあると思うのです。それに対して今度の行なわれた点が、先ほど大臣が言われたるとおり、行政権の範囲内に属する行政の、地方条例に基づくその規定に従って総理大臣が行なわれたことなんです。でありまするから、あなたも率直に認められておるとおり、ある意味から言うならば行政権関与である、それでその関与する権限は二十七条に規定されておるところに従ったものであるから適法である、こういうことになると思うのです。だから、そういう点で行政裁判関与するという事柄が、旧憲法時代と新しい憲法時代においては全く観念が違わなければならないはずであります。こういう点について大臣はどのようにお考えでしょうか。
  6. 田中伊三次

    田中国務大臣 私の答えが舌足らずで、適法であるということについての意見は申し上げた、しかしながら、それが妥当であるかどうか、適法であるとしても行き過ぎでない、妥当であるかどうかということについての見解を申し上げることが落ちておりました。  そこで、一口で申し上げますと、東京公安委員会の下しました進路条件つき許可というものをそのまま生かさなければ、裁判所立場で申しますと、裁判所停止決定というものをそのままに放任していくならば、ことばを変えると、電車道を通すのではなしに、この議事堂裏通りを通すということであるならば、二十七条にいう公共福祉に重大な影響があるものと内閣総理大臣は認めざるを得なかった、こういうことで二十七条の発動をしたわけでございますから、さきに申しましたように、適法であると同時にこれは妥当であった、これは行き過ぎではなかった、適正であった、こういうふうに判断をしております。
  7. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 もし大臣のいまお答えになったようなことであるとするならば、私は残念ながら総理大臣の認識がどんなに不足であるか、また社会的通念に対して、いかに盲目であるかということを言わざるを得ないのです。私はそういうことばは使いたくないのです。ないのですけれども、これが適正であるという結論を下されるとするならば、一体今度の護憲連合の請求したデモ行為というものを、どのように見ておられるかというところに勢い触れてこなければならないわけなんです。そうでしょう。だから、もしそうなるとしますと、護憲連合デモンストレーション許可申請した理由は、明らかに憲法を擁護するために、憲法に対する世間の注意を喚起するために行なうものであって、総理大臣から言うたような、いわゆる物理的な力がここに加わって云々というようなことは、最初から観念の中にないのです。明白なんです。主催護憲連合で、憲法を守る団体である。そのデモンストレーションの趣旨とするところは、世間に向かって憲法を注意しろ、憲法を守れということを宣伝する、喚起するということが主眼である。みじんも、総理大臣が言うような考え方は含まれていないんです。これは明白であります。この申請書をごらんになれば明白であります。それをどういうかげんか、総理大臣が、いま私が口にするもいやなような過激なことばを使って非難をされておる。それは二十七条による異議申し立てを合理化するために、しいて誇大なことばを使われたということになってしまうのです。そういう点に対して大臣は一体どのように考えおいでになりますか。
  8. 田中伊三次

    田中国務大臣 これは加藤先生、あなたのお考えになっておることと——内閣総理大臣とこう言うのでありますが、内閣総理大臣でなしに、補佐の責任藤枝田中大臣にございます。したがって、お尋ねの点は、総理にお聞きをいただくまでもなく、私たちがえりを正してお話を承りながらありのままのお答えはできるわけでございます。  そういう意味先生に申し上げるのでありますが、お考え観点が、先生のお考えと私たち両名のものの観点が違うのではないか。どう一体違うのかというと、私たちはこういう基本的なものの考え方を持っておるわけでございます。議事堂周囲議事堂をめぐる周囲は、この裏通りばかりに限りませんが、この議事堂周辺というものは、これは公共秩序公共福祉を維持する必要性が他の場所よりは高いのだ、一口に言うと公共性が高いのだ、この周囲デモなどをやってもらっては困るのだ、どこの国にそういうばかなことをする国があるのか、おとなしい団体なら危険はないじゃないかとか、三十人ならいいじゃないかとか、二百人ならいいじゃないかとか、届け出が一千人以下ならいいじゃないかなどということでなしにです、観点は。いやしくもこの議事堂周辺デモなどをやってもらうことは迷惑なんだ、そういうことをやってもらうことは困るのだ。なぜ困るのかということを突っ込んで申し上げますならば、この議事堂衆参両院議事堂の命は、言論である。その言論をもって審議することを生命としておるこの議事堂周辺に、言論以外のデモその他の形が出てきて、そうして議事堂の審議を妨害するおそれのあるような行為をしてもらうことまことに迷惑である、量の問題や、数の問題や、程度の問題じゃない。議事堂周囲に出てきてもらうことが迷惑しごくであるとの観点に立ち、そういう考え方公共福祉を守る上から必要なことだ、こう、ずばっと考えておるわけであります。それ以外のことは考えていない。  そういうことでございますので、そういう観点に立ちますときに、両大臣は、相談の結果、これは内閣総理大臣の二十七条を発動さす以外にない、そうしなければわれわれの考えておるこの公共福祉、公の秩序というものを守ることができなくなる、重大なる影響がこれにくるおそれがあるからである、こういうふうに判断をいたしまして、静養中の内閣総理大臣にこのことを連絡いたしまして、発動を頼んだということが事情でございまして、責任はわれわれ両大臣にある、こういう事情でございます。
  9. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 もちろん、当面の責任者があなた方二人であるということは、よくわかります。したがって、私は、こういう点は総理大臣には聞こうと思っていないのです。  いまお答えによって明らかになったことは、国会周辺というものを何か特別の地域のように考えていらっしゃる。新聞等によると、何かここを聖域のように考えておられる。こういうことでありまするが、やはり大臣もそういうように考えておられますか。
  10. 田中伊三次

    田中国務大臣 私の申し上げることが、いつでも舌の足らぬところがあるのでありますが、一口つけ加えますと、開会中の国会周辺はと、こういうふうにひとつおとりをいただきたい。開会中の国会周辺は、他の場所と比べると公共性が高い、公の秩序を守らなければならぬ必要性が高いのだ、こういうふうにお聞き取りをいただきたいと存じます。
  11. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 法律条例等には、地域を特に限定してはいないわけなんです。法律は、もしくは命令は、一般的な普遍的なものを対象としておるわけですね。それをことさらに、ある一定の区域を限定して、そしてこれに特殊な性格を与えるということがはたして法律精神であろうかどうか、この点に対してどうお考えですか。
  12. 田中伊三次

    田中国務大臣 特に地域の限定をするわけでございませんけれども、私たちが心配をしておりますように、公共福祉を守る必要性が特に高いと私たちが申しております。開会中の国会と申しますと、この地域以外に国会がないので、勢い結果においては地域に限定したような感はあるのであります。あるのでありますが、一定地域に限ってここをどうこうという考えなしに、私は、開会中の国会周辺についてはデモをやってもらいたくないのだ、それが公共福祉を維持する上から必要なんだ、こういう考え方に立っているわけでございます。
  13. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 法務大臣お答えを聞いておりますと、何でもかでも開会中の国会周辺は困るということになるのですね。これを異議申し立て理由の中に示されておるように、ときには主催者はもちろんのこと、警察力を持ってしても、どうすることもできない事態が、群衆心理の結果として、あるいは思わない物理的な力が加わって、そういう事態が起こらないとは限らない。だから、これを未然に防ぐためにあの異議申し立てをやったんだ、こういうことになると思うのですが、それは一体何を対象としてそういう推定を下されるのですか。そうなると、私はその推定対象となる事態そのものが非常に問題だと思うのです。そこでその対象を何と見て、そういう事前の措置をとられたのであるか、それをお伺いしたいと思います。
  14. 田中伊三次

    田中国務大臣 先ほどもくどく申し上げますように、根本の考え方としては、国会周辺開会中は困るんだという考え方に立っておりますが、それだけでは申請ができないのであります。二十七条の条文は、先生お読みをいただいておりますように、具体的な、なぜ公共福祉を害するおそれがあるのかという「事情」という文字も用いておりますが、そういう事情をよく述べなさいということになっておる。そこでその具体的な事情を述べるということになってまいりますと、いま言うように、物理的な力が突如として出てこないとは限らないとか、あるいはこの周辺には、単に議事堂のみならず、両院議員が使う両院の車庫もあるとか、あるいは議員面会所という大事な、国民関係の深いところもあるとか、あるいは議員会館が二つも三つも並んでおるとかいうようなことを、そこに具体的には述べなければならぬ。これは国会議事堂ホールの外のできごとを具体的に想定して述べておる、あくまでも想定でございます。おそれがあるということで想定をしておるわけでございますが、さて国会内部はどうかというと、内部では、土曜日であったではないか。幾らか会議はあったのでありましょう。社会党国会対策委員会という、正規委員会以上の重要な意義を持った会議も、九時三十分から公報によると行なわれておる。事実行なわれた模様のごとくでございます。この何十人かの人々にも、議員も、国会議事堂出入りしているということが現実にある。そうすると、国会内部においても、土曜日だからと言ったって、正式の会議以上の大事な会議だってあるじゃないか。ただ会議が多いか少ないの差である。議院登院者が多いか少ないかの差であって、一名も登院がない、かぎがかかって締まっているという事情ではない。院外はどうかというと、ホールの外におきましては、いま私が申しますように、いろいろな人が交通、出入りをしておる、こういうことが妨げられるおそれがある、こういうふうなことを具体的に書かなければ、二十七条の発動ができないので、実はそういう事情をありのままに述べて書いておるわけでございます。現実にそういう悪影響があったかどうかということは別でございます。法律条文のごとく、さようなことが起こるのではないかと思えるおそれのある場合においては発動してよろしいということでございますから、おそれのある場合を想定いたしまして、院の内外においてこれを例示した、こういう事情が、くどく説明を一件書類にしております申し立て書の記載の事情でございます。
  15. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 私は、法務大臣田中さんが、牽強付会の説としてそういうことをお話しになるならば、それはそうかしらんと思って聞いておりまするけれども、いやしくも法務大臣としての職責を持った権威ある立場において、そういうおことばをお出しになるということは、ちょっとどうかと思うのです。院の内外を問わず、こういう建物があるということは、だれでもが知っております。またかりに当日院内においてどういう、本会議が開かれておろうとも、委員会が開かれておろうとも、私はそういうことは理由にならぬと思います。また議員やその他の関係者出入りする、登院をする、そういうことも問題にならない。それは一般の往来でありまするから、どういう人が通るかもわからない。私は実際はそこまで触れたくなかったのです。それは他の同僚の質問に譲るつもりでおりましたけれども、大臣のほうから答えられたから、勢いお尋ねをしなければならぬのでありまするが、議員は言うまでもなく立法府において法律を制定するという重大な使命、職責を持った権威の存在でなければならぬのです。その国家の立法府を構成し、立法権という重大な職責を持っておる議員が、一々外部行動によって動かされる、そんな不見識なものであってよいでしょうか。議員議員としてのりっぱな権威を持たなければならぬ、また持っております。一々それを、いまあなたが言われたような多数の人がデモをやったら、それにおびえて出入りができないとか、あるいは自分たち職責を果たすことができないとか、なぜ、そういう断定をしなければならないでしょうか。これは私は大臣としては少し言い過ぎではないかと思うのです。みずからの権威を没却することになる。もう少し私は自分の自信というものを、自分の国から与えられる権威というものを確信を持って保持したらよいじゃないでしょうか。この点はどうですか。
  16. 田中伊三次

    田中国務大臣 これはおことばを返すことになるのでございますが、そういうふうに判断をすべきでないと実は私は思う。議員田中伊三次、おまえが表のデモに対して驚くことは不見識ではないかという問題は、私はこの本件の公共秩序を維持する必要があるかないかという問題とは別個の問題ではなかろうか。たてまえが、議事堂生命言論をもって行なうべき場所である。正規代表たる者言論を戦わす以外に、外部の圧力が目にちらついて、そうしてこれに重大なる影響を及ぼすかもしれないような姿が外にあることが、公共秩序を維持する上から困るのだ、こういうことではなかろうかと思うのでございます。それは感じ方を申しますと、先生の御所属の社会党さんが、何万何千のデモを見るのと、心臓の弱い保守党の代議士の私たちデモを見るのとは、こわさが違うのでございます。それは間違いはない。こわさは違う。こわさは違うけれども、そういうふうなことも、こわがるかこわがらぬか、そういう事柄は問題ではないのでありまして、議事堂国民を代表する人々言論以外によって左右されるという、そういうたてまえ、そういう外形公共福祉を維持する上から困るということ、私はそういう判断をすべきではなかろうか、こう考えるのでございます。たいへん不見識な言い方でありますけれども、そういう判断をしていくことが、法律制度において所論をする筋ではなかろうかと、こう考えるのでございます。
  17. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 先ほども申しますように、このデモ行為というものは物理的な、申し立て書の文句をかりれば、物理的な力を加えよう、あるいは心理的にかわかりませんけれども、あなた方が心配しておられるような行為みじんも含まれてはいない。先ほど言ったとおりなんです。むしろ憲法という、これは国の骨格です。最高法規なんです。そういう国の最高法規であり、国の骨格をなしておる憲法を守ろうというんですよ。憲法条文の中のどこに物理的な威力を加えて公共秩序を破壊しよう、そんなことがありますか。ないでしょう。ないことの憲法を守ろうという立場に立っておるわけです。したがって、院の中でどんな会議が行なわれておろうと、議員がどのように往来をしようと、そういうものに対して、みじんも物理的な力を加えようなんという考え方は持っていないんです。それをあなたのほうでは、そうかもわからない、どういう事態が発生するかもわからない。——全く杞憂なんです。その杞憂を前提として、行政命令をくつがえすような行政措置をとられるということがはたして妥当であるかどうか、こういうことなんですから、それはもう少し私は率直に——実は総理の名で出ておる。これは法規がそうきめておるから総理大臣の名で出したのだけれども、実際はどこで——おそらく法務大臣はこれに関与していないと私は思うのですね。官房で書いたのだろうと思う。あるいは自治大臣は知っておったかもしれませんけれども。そういう場合に、たいていのところはこれでやっておけということで生まれてきたのがあの異議申し立て書じゃないか。それならば、そのようにはっきり率直におっしゃったほうが、私はこれから再びこういうことが起こるような場合に、判断をする——このデモは一体どういう性格を持っておるか、これがそれこそ物理的な、はっきりとした筋道の立った、予断ができるようなことになるためには、私はそういう点をはっきりしておいていただいたほうがよいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
  18. 田中伊三次

    田中国務大臣 書類に記載してありますもろもろの説明は、これはいま私が申し上げましたように、根本において議事堂周辺開会デモは困るんだという大前提がございます。その大前提に立って、さてどう困るのかということを申請の書類では言わねばならぬ。それをどう困るのかを言おうとすると、書類に書いてあるような内外の説明をしなければならぬことになるわけで、大前提がない場合においては、こういうことは、かってにおまえたちが取り越し苦労をしておるではないかというおしかりはもちろんあろうと思います。あろうと思いますが、大前提と合わせてお考えいただきますと、無理のない措置ではなかろうか。それから、これは大事なことでありますが、いま先生のおことばによりますと、おまえは事実は知らなくてあとから聞いたんではなかろうか。事実は官房で書いたんではなかろうかというおことばがありましたが、私は、電話をもって、その申請の内容を一言半句違わないように聴取をいたしました。そうして説明も求めまして、その文章でよろしい、それならよろしい、大前提は、デモが困るんだな、そうすると、土曜がいけないばかりでなく、日曜もいけないという理屈になるぞ、開会中はすべていかぬな、それでなければ徹底しないが、そういう考えが根本にあったんだな、こういうことで、私は確めておりますので、先生の仰せのごとくに、一切私のところで出ております書類は、先にものができてあとでめくら判をつくということは、ないとは言えませんが、簡単なものはないとは言えませんが、本件は、私の責任でよろしいと認めたものであるということを、どうぞ誤解を願いませんように……。
  19. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 そこで判断をされる二十七条の異議申し立てをするについて、理由がなければならない。その大前提として、国会周辺においてのデモ行為はいけないのだ、こういう前提に立ってあの文章ができたということでありまして、あなたが直接筆をとられたかあとから電話で聞かれたか、それは聞いておられれば聞いておられるでよろしいと思います。問題は、そういうように行政面立場からだけ一方的に判断してよいものであろうかどうか。なるほど治安を維持するということは、裁判にかかるまでは行政権の範囲でありまするから、その間において行政権を持った政府が、行政権の許す範囲においていろいろなことをなさることはそれは自由でしょう。自由でありまするけれども、そういうものごとを、ことにこれから先のことを予断する、——できた結果に対してかれこれ批判をするならだれでもできることですが、これから先のことを予断するわけです。予断する場合に、そういう何か一個の前提を設けて、それからその前提に従って自分の都合のよいような理由をつけるということが、はたして行政権の妥当な行為であると言えるかどうか、この点に私は疑義を感ずるのです。  たとえば一枚の紙をとろう。政府行政権を持ったものは、表の面を見て、紙というものはこうつるつるしたものである。また一方から裏を見て、紙というものはこういう多少ざらざらする。表から見た場合でも、裏から見た場合でも、紙というものには変わりはないわけです。その場合に、表だけから見て、裏側のざらざらしたものを見ないで、つるつるしたもの、これが紙である。この紙を、つるつるしたものを前提として紙を一方的にきめつけてしまうということは、私は、紙の本質をきわめないものである。こういうことになると同じように、行政権を行使される場合に、行政権を行使する側だけから自分の都合のよいような前提を置き、それに基づく道理をつけられるということは、その反面の行政権の行使を受けて損害を受ける相手方もあるわけです。それはどうなるのか、そういうことをおもんぱかって、紙の表裏両面から全体を総合して判断をして、その上に適切なる措置を講じられるならば、これは私はだれでもが納得すると思うのです。そういう点において、少なくとも行政権を行使する立場にあるあなた方が——あなたと言ってはおかしいが、とにかく所管大臣なりあるいは総理大臣なりが、そういう行為をされてそれでよいでしょうかどうか、こういう点についてのお考えをお聞きしたい。
  20. 田中伊三次

    田中国務大臣 行政権の行使に対して、一方的な判断ということは、先生ことばのとおりに、これは深く慎まなければならぬものであると考えます。そこで本件は、一方的な判断をしたのかというと、ありのままに申しますと、判断は確かに一方的にやらざるを得なかったので一方的にやったものでございます。問題は、一方的に行ないました判断、すなわちその判断の内容は、国会議事堂周辺開会中はデモは許さないのだという判断、そういう判断が一方的な判断であるけれども、これは国民全体に受け入れられる普遍妥当性のある判断なりやいなやということによっておしかりのことが違ってくるのだと私は思うのです。  そこで、はたして普遍妥当性のある、国民の了解を得られるものであるかどうかという問題でございますが、これは私たちの信念といたしましては、開会国会周辺デモを許すべきでないというこの一方的な判断は、国民多数の支持を必ず受けるのだ。外国の例を引いて——日本の政治に外国の例などを引く必要はございませんが、イギリスでは開会中はデモは許しておりません。それからアメリカにおきましても、フランスにおきましても、西ドイツにおきましても、閉会中であると開会中であるとにかかわらず、四六時中国会議事堂周辺デモは許していない。これは法律をもって禁じておるというような事実を見ましても、日本国民に良識があるならば、この一方的な判断は普遍妥当性のあるものと認めてくれるものと私は信じております。
  21. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 国会周辺は、国会開会中はデモを禁止する、やってもらいたくないという前提に立ってあのような行為がなされた、こういうお答えでありましたけれども、そしてまた外国のいろいろな例をおあげになりましたけれども、外国においてはその国の事情によって、どういうことが行なわれておるか私は知りません。だが、日本国民としては、最高法規である憲法の条章に従って生活するということが、国民として最も忠実なる生活態度であるといわなければならぬと思うのです。その憲法にはどういうことが書いてあります。「公共」という文字が使われておるのは、十二条と十三条、私から申し上げるまでもないのです。  十二条のほうは、この法律すなわち憲法を、公共の利益になるように国民が不断の努力をしなければならぬということが書いてある。第十三条に至って初めて、公共福祉に反しない限りは人間としてあらゆる場合に尊敬を受ける、こういうことなんです。  それからまた肝心の二十一条の点でありますが、ここには法律とか公共とか、何にもそういう制限はつけられていないのです。御承知のように旧憲法によりますと、国民の権利義務を規定されておる条文全部に「法律ノ範囲内」もしくは「法律ニ依ルニ非スシテ」というように、法律という網がかぶさっておるのです。新憲法においては法律の網をかぶせておる条文は納税の場合、義務教育の場合、不法な監禁を受けない予防のため、この三カ条しかないのです。したがって、法律が主でなくして憲法そのものが主なんです。  それで御承知のように、憲法規定の中には天皇、摂政、国務大臣国会議員、公務員、これらの者ははっきりとこの憲法を擁護しなければならぬと規定されておるのです。なぜ天皇をはじめ摂政、国務大臣国会議員、公務員が条文の中に特に加えられて、憲法を擁護しなければならぬ義務をしょわされておるか。これはどういうわけでしょう。いかにこの憲法が重大であって、この憲法を尊重しなければならないものであるかということを、念を押してくどいようにこの規定が設けられておるわけなんです。この憲法には法律も何にも制限が設けられておるのではない。ただ公共の利益に反しない限りという一項が加えられておるにすぎないのです。したがって、この憲法精神に反するような法律命令行政措置というものは、その効力を全部かもしくは一部を失うとすると憲法の中には明記してある。そういう点からいきまして、一つの行政命令にすぎない、しかも地方行政命令にすぎない地方公安条例なり、県条例、市条例というものを、憲法以上に重く見るということはどういうことでしょうか。これは著しく国民権威を傷つけるものである、国民の自由を失わしめるものである、こう私は思うのです。いかがでしょう。
  22. 田中伊三次

    田中国務大臣 たいへんむずかしい深刻な法律論になりましたが、先生の仰せのとおりに、憲法で権利と自由を規定しておる。しかるに、それを公案条例とは何ごとか、また二十七条とは何ごとかというおしかりでございます。あえて法律上の理屈を申し上げるのではないのでありますが、そのとおりの理屈になるのでありますけれども、憲法条文の中にもこういう規定がございます。これは日本全国民何人もこの規定の存在というものを忘れてもらっては民主主義がこわれるのであります。こういう規定がある。憲法十二条、「この憲法が國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」ここまではどうでもよい。その次、「又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」こういう条項であります。したがって、憲法の条項自体の中に、明文をもって先生が仰せになるように、権利と自由は認めてやるのだが、しかしながらこの権利と自由というものは公共福祉のためには制限を受けるのだぞ、かって気のままは許さぬぞということが、憲法自体の十二条、独立の明文の中にこのことが示してある。こういう条項を、これが日本の憲法制度であるということを前提にいたして考えてみますというと、公共福祉のために二十七条があることも、公共福祉を維持するために公安条例があるということも、憲法上差しつかえがないとの結論になるので、私は日ごろからそういうふうにこの憲法を読んでおるわけでございます。
  23. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 私は、法務大臣憲法論、法律論を戦わすつもりはありませんけれども、いまお示しになった十二条の点ですね。もちろん乱用してならぬことは言うまでもありません。乱用すれば、秩序は乱れるのです。乱用をするということが、秩序が乱れるということと同意語であるとするならば、この間のデモは、憲法を守るための、そして憲法に対する認識が薄くなるものを注意を喚起する宣伝の意義を持っておる、むしろ賞揚さるべきである。憲法国民の不断の努力によって、公共の利益のために使わなければならぬ、それについて乱用をしてはならぬというのでありますから、乱用はしない。乱用するというのは何を乱用するという意味か。具体的な何の行為によって秩序が破られるのか、国会周辺デモして歩いたからというて、それで秩序が乱れるということがいわれますか。またかりにここで歌を歌うたというて、それが院内にどういう影響を与えるか。そういうことは秩序を乱すことになるのではないかという広義の解釈をなさるかもしれませんけれども、そういうことは都合のよいような主観的な解釈であって、客観性を持ってはいないのです。ことにいわんやこのデモには相当の制限がつけられておる。ちゃんと秩序を維持するに必要なだけの制限がつけられておる。この道を歩いたらどうであるとか、その道を歩いたらどうであるとかいうようなことの必要はないわけなんです。だからこそ、その制限の範囲内において申請許可されておるのです。たまたま道路の一点だけが問題になった。あなたはいろいろことばをじょうずに、あるいは何とか言いくるめてしまおうと考えておられるかしらぬけれども、あなたの心理的な内在性の中には、いまおっしゃったとおりに、国会周辺デモを禁止しようという、昨年国会デモ禁止の法律を出そうとされたそのかすが残っておると思うのです。そういうところから、何とかしてここでは、やらしてはならない、こういうことであると思うのです。なるほどわれわれも、国会周辺がいつでも静かであることはけっこうです。国会ばかりではない。世間全体が静かであることを欲します。それには政治のよろしきを得なければならない。もの平衡なればならずで、なるのは平衡ではないからなる、そういう点になると、政府責任ということになるわけでありまするが、いまはそこまで議論を進めようというつもりはありませんけれども、とにかくそういうように、内輪に国会周辺デモ禁止の法律をつくろうというような前の恐怖のかすが残っておる。それが今度の二十七条の理由となってあらわれたのではないかと思うのですが、その点はどうでしょうか。
  24. 田中伊三次

    田中国務大臣 国会周辺デモ禁止の法律をつくろうという意図があって、こういうことをやったということはございません。それは考えていないのであります……
  25. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 途中ですけれども、いや、意図があったと言うんじゃない。かつてそういうことがあったから、そのかすが残っておる……
  26. 田中伊三次

    田中国務大臣 そういうふうにお受け取りをいただかずに、最初私が申し上げたように、国会を聖なる場所などとなまいきなことを言うのではないけれども、いやしくも国会周辺は、国会開会中に限りどうぞ静粛にしてもらいたい、デモなど、どんな上等なデモでも来てもらいたくないんだ、こういうことは総理の頭の中にも、藤枝大臣のお考えの中にも、私の考えの中、胸の中に一致して入っておる。そういうことからいいますと、具体的になぜ困るのか、こう言われると、院の内外がこれこれ、これこれで困る、こういうことを言わねばならぬのでございます。大前提が、あなた方のお考えと私たち考えとは違うところがあるのではないか、こう考えるのであります。
  27. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 前提についての考え方が違う、これは違うのです。それは行政権を持ってこれを行使しようという側と、その行使によって多かれ少なかれ被害を受ける側と、これは違うのは当然です。しかし、この違ったのをいかにして調和せしめるか、私は政治の要はそこにあると思うのです。権力を持ったから、これを何でもかんでも自分の都合のいいように解釈をして、相手がどうあろうとこうあろうと、とんとかまわない。やるだけのものをやればいいんだという考えでは、これは政治でも何でもない。それは暴君のやり方なんだ。そうではないはずです。いわんや民主主義の時代におきまして、権力の行使によって多かれ少なかれ、何らかの形において被害を受ける相手方——今度の場合でいうならば、護憲連合というデモ主催者——あなたから言わせるならば、デモ主催者というような少数のものは犠牲にしても、全体の公共福祉に重きを置いて、それをとればよいではないか、こう言われるかもしれぬ。しかし、それはまた別個の問題です。もしほんとうに公共福祉ということをいうならば、公安委員会が示したような赤坂見附から溜池、向こうを通ったほうがどんなに交通の障害にもなり、いわゆる世間人々に対して多くの迷惑を与えるかわからない。こちらのほうがどんなに静かで、そういう多くの被害を与えないで済むかわからない。だから、そういうことは問題じゃないのです。ただ一方的な解釈によって、一方的な行為だけが許されるということではいけない、権力を持ったら何でもできるというような考え方はいけない、こういうのです。それはどうでしょうか。
  28. 田中伊三次

    田中国務大臣 加藤先生、これはそれほど一方的な考えでしょうか。私は、個人の思想をここで申し上げては恐縮でありますが、左の思想も理解できる、右の思想も理解できると、自分ではそう考えておるのであります。私は、国会開会中、議事堂周辺というものは、デモはやってもらっては困るのだというこの根本の思想というものは、そんなに偏したものではないと思うのです。国民投棄制度というものがかりにあるとするならば、私は圧倒的多数をもって、そのとおりやれ、こういう結論が出るものとさえ考えておるのです。そんなに偏した、けしからぬ考えだというようにこの大前提を私たち考えていないのですがね、先生、いかがでしょうか。
  29. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 そこで、そういう行政権発動と、これを受ける民主対象物とのその利害の相違というものがあって、これを正しく調整をするのが裁判所の存在なんです。裁判権は行政権にも偏せず、また国民の奔放な自由にも偏しない公正妥当な決定をするのがそれこそ裁判所の任務なんです。その裁判所が、一体今度の問題についてどう見ておるか、当然そういうことに論理的に進んでくるわけですね。  そこで私は、念のために裁判所決定なるものをまず見てみましょう。これはもちろんあなたもごらんになっていらっしゃると思う。理由は、こまかいことは別にしまするが、   申立人は、昭和四二年六月八日、当裁判所に対し、昭和四二年(行)ウ第八二号事件として公安条例に基づく条件付許可処分取消しの訴えを提起し、あわせて処分の効力を停止する旨の裁判を求めたので、当裁判所は、被申立人の意見を聞いたうえ、つぎのとおり決定する。 これが決定ですね。その理由としては、  1 本件疎明によれば、申立人が東京護憲連合の代表委員として、同連合に加盟している各団体の所属員を中心として昭和四二年六月一〇日憲法施行二〇周年を記念して憲法擁護の趣旨を広く国民各層に訴えるため、杉並区役所前から日比谷公園まで集団示威運動を行うべく、昭和四二年六月五日東京条例(昭和二五年七月三日条例第四四号)一条に基づき、被申立人に対し、別紙三記載のとおり、右集団示威運動の許可申請したこと、および被申立人が同月八日付を以て、別紙三記載のとおり、右許可申請にかかる集団示威運動の行進順路中、赤坂見附より永田町小学校および首相官邸前を経由して特許庁わきに至る間につき順路を一部変更のうえこれを許可する旨決定したことが認められる。   以上の事実関係のもとにおいては、集団示威行進の本質にかんがみ、進路の変更に関する本件申立てについては、回復の困難な損害を避けるため緊急の必要あるものと認めるのが相当である。  2 ところで、昭和二五年東京条例第四四号「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」三条一項は、「公安委員会は、前条の規定による申請があったときは、集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない。」とし、また「公共秩序又は公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合の進路、場所又は日時の変更に関する事項」に関し必要な条件をつけることができる旨を規定しているがこれらの規定憲法が保障し、かつ、民主政治にとつてきわめて重要な集団行動による表現の自由を制限するものであるからその運用にあたつては、いやしくも公安委員会がその権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう戒心すべきことはいうまでもない。しかるに被申立人は前示のとおり申立人の本件許可申請許可するにあたり、進路変更等の条件を付したが、右進路変更の条件を付するについて前記「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」または「公共秩序又は公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合」であつたことを認めるべき資料はみあたらない。それゆえ、本件許可につき、進路変更に関し申立人主張のような条件を付したことは、被申立人において前記規定の運用を誤まつたもので違法といわざるをえない。  被申立人は、被申立人が本件許可にあたり進路変更の条件を付したのは、その進路にあたり国会等が存在しこれらはいかなる妨害または物理的圧力等をも受けることなく平穏な環境のもとにおいて国政を審議すべき任務を有するから、本件進路変更の条件を付すことなく許可を与えた場合には、国政審議権の公正なる行使が阻害されるおそれがあり、公共福祉に重大な影響をおよぼすおそれがあると主張するが、しかし本件許可申請がなんらの条件も付されることなく許可されたのであればともかく、前示のような諸条件が付され、なかんずく危害防止および秩序維持に関しきびしい条件が付されていること、本件集団示威行進の主催団体およびその参加予定者数が前示のとおりであること、前記被申立人の変更にかかる当初の進路が国会周辺すべての道路ではなく永田町小学校から国会裏側を経て特許庁に至る道路であるにすぎないこと等にかんがみれば、本件集団示威行進が被申立人主張のように国政審議会の公正な行使を阻害する等のものとは断ずることができない。   なお被申立人は、本件申立ては被申立人の本件許可前になされたもので不適法であると主張する。しかし、かりに本件申立ての後にもせよ、すでに本件許可がなされた以上右主張は採用しがたい。 最後に結論としてこういっております。   よつて、申立人の本件申立ては理由があるから、これを正当として認容し(したがつて、行進の進路は本件許可申請書記載のとおりとなるものと解すべきである。)、申立費用は被申立人に負担させることとして、主文のとおり決定する。 これが、裁判所のいわゆるいずれにも偏しない、公正な判断をした結果得られた決定なんです。この決定に対して法務大臣としてはどうお考えになりますか。
  30. 田中伊三次

    田中国務大臣 裁判所裁判に対して批判を行なうことは、国会の場においては避けたい、これは憲法条文でございます。同時に、行政府の長もそのようなことは避けるべきものである、こう考えますから、批判は避けます。批判は避けますが、いかに裁判所裁判といえども、裁判所はいかなる内容の裁判を下したものか、その裁判官が下した裁判理由は、いかなるものであるかという理由の分析、解明というものはやらなければ世の中にはわからない。こういう意味において先生お尋ねも妥当であり、私の答えも、その趣旨でお答え申し上げようと考えるのでありますが、裁判所裁判裁判所裁判と仰せになるのでありますけれども、この東京都の下級裁判所裁判というものは、必ずしもいかなる場合においても神聖犯すべからざるものであるとは言えない。この東京都の決定をされた下級裁判所裁判というものは、政府考えからいたしますというと間違っておる。間違っておるので、これに異議を言うことになるわけでございまして、裁判所の御意見内閣総理大臣意見とが相対立をしておる、真正面から異なった意見を持っておる、公共福祉考え方がてんで違うのです。その場合において、法律は第二十七条によりまして内閣総理大臣意見を優先せしめる。優先の方法として二十七条に基づく異議の陳述を行なわしめること、こういうことをきめておるものでございます。裁判所の御判決に対してまことに言いにくいのでありますが、このたびのこの当該裁判所の行なわれた裁判の御決定というものは誤りである、はっきりと政府はこれを信じまして、この手続をとった次第でございます。
  31. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 あなたのほうから、裁判所決定が間違っておるという断定を下される、これも批判の一つとしていいでしょう。そしてまた、それなるがゆえに二十七条で総理大臣が権力の行使をやった。二十七条の申し立てを受ければ裁判所の効力は停止する。それからまた、下級裁判所判決なり、決定なりというものが、絶対なものでない、これも私どももよくわかります。一審裁判所が二審でくつがえされることもあり、また最高裁判所によって変更されることもある。一応法の最終決定は、言うまでもなく最高裁判所判決なんです。最高裁判所判決といえども、これは絶対不変なものではない。当然、次の判決が下されるまでの間の一時的な、ときには長くなるかもわかりませんけれども、とにかく永久的なものでなくして、次の判決が下されるまでの判例になるにすぎないわけです。だから、だれがやっても、最も公平であると思われる裁判官がやっても間違ったことがなし得ないとは限らない、間違いがあり得る。でありますから、行政官が行政権の行使をやった場合でも、何も自分の主張だけが正しくて他の違うものは間違っておるという結論は下されないわけです。でありますから、そういう点をどのように持っていくかということが、私は政治でなければならぬと思う。もし先ほどからしばしば言いますとおり、権力を持った者が権力を行使する。これは絶対的なこういう前提に立っておるのだから間違いない。しかし、その前提たるや、公共福祉という、何人も反対することのできないものを前提としておる。ことば公共福祉であるが、実は権力の乱用であるかもわからない。その内容はわからない。自分公共福祉を前提に主張しておると言っておるが、前提にしておるという公共福祉は単なる口実であって、実際は自分の都合のよいように、自分の権力の行使が有効であるようにすることのために権力の行使が行なわれないとは限らない。それはいろいろあります。であるから、これを一方的にがんばるということでなくして、そこでお互いに顧みて反省すべきものがあるならば反省し、そしてでき得る限りの最大の調和をそこに見出すということが民主政治の本旨でないでしょうか。権力で一ぺんやったから、もうこれは絶対に間違いないということであれば、私は政治にはならぬと思う。どうでしょうか。
  32. 田中伊三次

    田中国務大臣 条理を尽くしたお話、よくわかりました。よくわかりましたが、本件の場合は、先生、こうすればよかった。そんなに一方的に、下級裁判所のやった裁判だから、それじゃ話にならぬといって処置をせずに、本来申しますと、下級裁判所の行なった裁判に対しては、即時抗告という不服の申し立て手続が、法律によって、本件の場合でも定められておるわけでございますから、不服手続としての即時抗告を行なえば、上級裁判所で、一段高い目をお持ちになった高等裁判所が所管いたしまして、裁判を行なうのであります。ここで黒白をつけていただけば、やり過ぎであるとかないとかいうことの批判をされる余地もなかったのでございます。しかるところ、これをこのまま放任しておきましては、即時抗告は十日や一週間でできるものではない。翌日午前九時三十分ということに定められたデモの規制問題でございますから、やむを得ず緊急の必要あるものと認めて、とにかく二十七条の適用を行なった。これがやむを得ざる適用の真相でございまして、即時抗告の時間的ゆとりがなかったということで、本件のごとくやむを得ずこれを行使したという事情となった次第でございます。
  33. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 だんだん法務大臣もいろいろの点から、表現の方法は違いますし、またニュアンスもわれわれと違うかもわからぬが、一つのものに対しては同じ結論が出ておるように思うのです。  そこで問題は、なぜ二十七条の強権の発動をなさらなければならなかったかという点については、いまあなたがおっしゃるとおり、もう時間的な余裕がなかった、これが唯一の理由なんです。そこで、時間的な余裕はないと言うが、大体が届け出は千人以内、そして実際には三百人にも達しない、こういう事態なんです。一ぺんこれをやらしてみて、抗告を一方にしておいて、裁判の結果は結果として待つ、それで一方示威運動は示威運動として申請のとおりやらしたらどうだったでしょうか。はたして内閣が危惧しておったような事態が起こったか、それとも、ああ何だ、こんなことかと言って済んだのか、それは結果を見なければわからぬとおっしゃれば、それもそうでしょうけれども、実際問題としてここで対象になったデモ行動の状態を見ますならば、私も赤坂見付の下にいて見ておりました。みじんもそういう危惧を感ずるような余地は公平に見てなかった。一市民として見て何のそういう心配もない。いわんや日比谷公園ではもう集会が予定されておったんです。途中で道くさを食って、秩序を乱す行動をやるような余裕もない。だから法律の命ずるところ、また政府行政権の行使についても、結論的に公正だと言われるような抗告の手続がとられて、一方においてこの行動をそのまま行なわしめて、そして結果を待てばよかったのではないでしょうか。こう言うと、あるいはそこで、文句にあるとおり、物理的な力とか不測の群集心理とかいうことが出てくるかと思いますが、しかしながら、これはそれこそほんとうに思い過ごしであると言わなければならない。非常に好意に解釈して思い過ごしであったと言わなければなりません。警察力をもって排除することができないような事態が、今日までありましたか。あのやかましかった安保騒動のときですら、しかもあのときは、何万人という群集が来ておって、この国会はそれこそ道一ぱいに広がるほどの多数によって包囲された形であった。だが警察官はこれを排除したではないか。今日の日本の警察官は、あなた方がごらんになるようにそんなに無力でしょうか。十分に何方という群集を排除した過去の経験を持っておる。問題は、あなた方から言わせるならば、そこまで事態が進んでは困るんだ、こういう考え方だろうと思うのです。初めから特定の目的を持ち、特定の人数を限り、そして憲法そのものを守ろうという立場からのデモ行動をどうして一体抗告するという合法的な手続をとる余裕はないと言われましょうか。
  34. 田中伊三次

    田中国務大臣 どうも先生の仰せになるお立場と、私たち考えております立場は、立場の相違があるので波長が合わぬのですね。それはどう違うのかと申しますと、先ほどからくどく申し上げておるとおり、何らの危険がないのならば、何、場合によっては国会議事堂周囲は通してもいいんだ、危険があれば通しちゃならぬのだという、相対的禁止方針じゃないのです。政府なり私たちの立っておる考え方は、いわゆる議事堂周辺は、国会開会中はいかなる事情があろうと、非常に極端に言えば、危険があろうがなかろうが、いかなる事情があろうとデモをやってもらっては困るんだ、これは困るんだという立場に立っておるのだ、そういう立場に立っておるわけでございますから、警察力をもって阻止する余地があるじゃないかとか、たいした人間じゃないじゃないかとか、穏やかであるとか、目的がいいじゃないかというような事柄は、いま申し上げますとおり、これを採用する余地がなかった。絶対的禁止の立場。そういう立場がよいか悪いかの批判は別論でございます。絶対的禁止の立場。ただし、国会開会中、こういう立場でこの事件を処理したという事情でございます。
  35. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 まあ、立場の相違ということになれば、あくまでも二線平行であって、交差することはできないでしょう。しかしながら、それでよいとは私は言われないと思います。立場が違う、はっきり違うんです、それは。違うから、したがって解釈も違ってくるかもわからない。それをいかにして調整するかということが、先ほど来詳しく言うておるとおり政治の眼目でなければならぬ。お前たちはかってにそっちを向いておれ、おれたちはこっちを向いていくんだということでは、それは政治でも何でもない。それからまた絶対の禁止ということの前提に立っておるということを言われるが、これこそ私は行政権の非常な乱用だと思うのです。絶対というようなことはあり得ない。事柄により、条件により、当時の社会的事情によって私はものを判断するということこそ、合理的だと思うのです。そうでない、初めからこれは絶対である、そういうことというものは立場の相違じゃないのですよ、立場の相違から生まれてくることじゃないのです。これは権力というものを自分の都合のよいように用いようという考え方が前提である。前提が違っておる。  なお、私はこれらの点について、いろいろ裁判所判決から、総理申し立て理由から、全部写して持っております。持っておるけれども、これを一々読み上げることはもう時間もあまりありませんし、だから一応あなたに対する質問は、二線平行のままで終わるけれども、これは政治の本旨でないということだけを明らかにしておきまして、次に自治大臣藤枝さんにお尋ねしたいと思います。  藤枝さんは、この県条例もしくは市条例というものが設けられるに至った沿革というものを御承知でしょうか。
  36. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 非常に確かな記憶はございませんけれども、いずれにいたしましても、公衆の集団行進につきまして、公共福祉を守るために必要最小限度のものは設けてよろしいんだというような意味におきまして、こうした条例ができたものと心得ております。
  37. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 地方自治法に規定するところによりますれば、各種の保安、衛生等についての条例を設けるということができることは規定されております。けれども、そういうことを前提とした条文というものは、公安という文字は自治法の中にないのです。なぜこれができたか、私は少しく沿革を申しましょう。  終戦直後、アメリカから戦略爆撃調査団というものが来たのです。その戦略爆撃調査団が、東京においても、GHQにおよそあらゆる階層から五百人ほどの人間を集めて聞いた。これが今度は隊伍を分けて全国に回ったのです。ところが、回って尋ねるところは、県に設けてある終連事務局であった。そうすると、どこの県に行っても事情が何もわかってない。まだ戦後の混乱時代であって、なかなか手も回らなかったであろうが、当時の県庁においては、終連事務局においては何もわからない。これでは困るということが言われてきたんです。大体労働者がいまどんな組織をしておるか、どんな集会をしておるかということがわからなかった。そこで、まず私の記憶によれば、愛知県において、名古屋において、労働組合の組織の状況なり、労働者の運動の状況なりを尋ねたときに、何もわからなかった。そこで終連事務局では、これではいかぬと思って、急いで労働組合に向かって、集会をするときにはひとつ知らしてくれ、こういうことで労働組合のほうと連絡があって、労働組合も別に集会することをどうこう言うわけじゃないから、そのまま知らした、こういう前提があるのです。  それから、なぜこれが公安条例化してきたかということについては、これは二十一年の一月です。一月に私が愛媛県の松山に行った。そのときに私が一週間の予定で各地で演説会をやる予定があった。ところが、私が行ってみると、師団司令部の命令で一切の集会は四日前に英文、和文の届け出用紙三通ずつを出して許可を得なければ、集会はできないということになった、そういう命令が出たと、こういうわけなんです。そこで私は、そんなばかなことがあるか、大体四日も前に届け出なければならぬということはない、一体だれがそういう命令を出したというので、私はまず第一に終連事務局に行った。それからCICにも行った。それから師団司令部にも行った。どこに行ってもみなわからぬ、わからぬ。わからぬということがあるかということで、突き詰めたところが、二十五師団司令官から発した命令である、こういうのです。当時四国一円は、この二十五師団司令部の管轄下にあった。そこで四国一円どこへ行っても、演説会は四日前に届け出て許可を受けなければできぬという状態だった。ところがミスター加藤だけは前に計画したものであるから許そうということで、私の演説会だけは許してくれた。だけれども、そんなことではだめだ、なぜそういうことが命令が出されるようになったかというと、師団司令部の所在地、隣が松山の市役所なんです。ここに一月の十二日の日かに、よその奥さん連中がみな子供をかかえて、子供をしょって、そして市役所の中を歩き回って米よこせの要求をしておる。それを師団司令部の窓から見ておって、これはとんでもないことである、何とか規制を加えなければいかぬということから、この命令が発せられた。そこで私は、厳重な抗議をしたところが、ここではどうにもならない、師団司令部の司令官が発した命令であるから、この命令を取り消す者はGHQ以外にない、こういうことだったんです。だから、文句があればGHQにいってくれ、こういうことだったんですよ。  そこで私は、実にアメリカというのはけしからぬ、民主主義、民主主義とえらそうなことを言うけれども、何が民主主義か。それで私は、東京に帰ってGHQに行きまして、当時の労働課長はカペンスキーという少佐であった。このカペンスキー少佐に向かって、アメリカの占領政策とは一体何か、一体アメリカの民主主義とは何か、日本においてはあの官僚支配のやかましいときですら、民衆の集会というものは三時間前に届け出れば集会はできた、屋外集会といえども十二時間前に届け出れば集会ができた。何だ、それを三日も四日も前から届け出て、しかも許可を受けねばならぬというのは何事か、どこに一体民主主義がある、私はそういう抗議をしたのです。そうすると、カペンスキー少佐が、そういうことはないと思うけれども、一応調べるから、二、三日待ってくれ、こういうことだったのです。ところが、三日か四日たちましてから、愛媛県連合会から、あの命令は一応取り消された、こういう報告が党の本部にありました。だから、これ幸いだと思っていたところが、一方ではさっき申しまするように、爆撃調査団というものが各地を歩いて、終連と連絡をとったところが、何にもわからぬということから、これではならぬというので、この新聞の記事によると大阪が一番初めてのように出ておりますが、私の記憶によれば愛知県が初めてではないかと思うのです。愛知県ではそういう県条例を出した。それは、ほんとうに労働者の行動——集会とか、あるいはその他の行動を知るための一種の便宜な方法にすぎなかった。東京条例のごときは、それからずっと後のことなのです。だからして、現在でも、もしこの条例、県条例なり市条例というものが、ほんとうに治安維持のために、公共秩序を保持するために必要であるというならば、これは法律によって全国民にこれを規制するところの制度がなされなければならぬはずなんですよ。ところが、現在県においても市においても、こういう条例を設けていない県があります。ということは、結局、この条例は全く特殊なものであって、普遍的なものでないということを立証するものではないでしょうか。どうでしょうか。
  38. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 地方自治法の第二条の、地方公共団体の事務のところに、一つとして「地方公共秩序を維持し、」云々ということがございまして、地方公共秩序を維持するための手段として条例を設けることは、必要最小限度に限られてやむを得ないことだと私は考えます。それからまた、三十五年七月の最高裁の大法廷での東京条例を合憲とした中にも、地方の実情に応じて必要最小限度のこうした規制をすることはやむを得ないということをうたっておりますことは、加藤さん御承知のとおりでございます。そういう意味で、なるほどこういうものは、たとえばほんとうの片いなかのようなところではこういう必要もないわけでございましょうし、そういう意味で、現在地方によっては、こうした種類の条例のないところもあるということでございまして、おのおの地方の実情に応じてつくっておるものでございます。ただそれを、それじゃ全国普遍的に、そういう何か法律でやるべきではないかという御議論も一部あるようでございますが、現在私どもは、そういうものを全国普遍的な法律の規制をいたすつもりはございません。
  39. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 まだあとに、私たちの同僚の質問も何名か残っておられるそうだし、私一人で時間をたくさんとってもいかぬと思いまするが、しかし、話を途中で打ち切ってしまったのでは、これはどうにもならぬでしょうから、もう少し藤枝さんにお伺いするのですが、なるほど私どもはそういう法律を必要としないという前提に立っておるものの立場から言うならば、たとえ部分的にもしろ、そういう条例が設けられて、憲法で保障されておるところの自由というもの、権利というものを抑制するということは、先ほど、一番初めに申しましたように、総理大臣に聞こうと思っておった憲法条例との比重の重さということになってくるわけなんですよ。あなた方の解釈からいうと、公共秩序を維持するためには、憲法条例も同等である、こういうように聞きとれるのでありますが、その点はどうでしょうか。
  40. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 もちろん憲法がわが国で最優先であることは当然でございますが、この表現の自由、その中には言論、出版という表現もございましょうし、集会、集団行進、集団示威運動、いろいろなものがあることは申すまでもございません。そうして、これらの手段による表現の自由をいかにして確保するか。たとえば、出版については、憲法で検閲をまともに禁止をいたしておるというようなやり方もございますが、また集団示威運動というような性格のものにつきましては、その表現の自由の確保につきまして、ある種の出版、言論とは違ったことに地方の実情に応じてすることは、必要最小限度、しかも、それが乱用に流れることのないようにしながらすることはやむを得ないということは、これまた最高裁の判決にあるとおりでございまして、私はそういう意味で、表現の自由というものは憲法に保障された国民の最大の自由の一つであろうと思いますが、それをいかにして確保するかというところにおきましては、その手段につきまして差があってもやむを得ないのではないかと考えておる次第でございます。
  41. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 最高裁の決定がなされております。それはこの種の運動についての最後の決定判決として出されておりまするが、御承知のようにこれも無条件ではないのです。重要な条件がつけられて、初めて合憲性が認められておる。これは当然のことであるとして認めておるのじゃないのです。こういう場合のことをちゃんと規定して、この場合はいけないのだ、この場合はいいのだというように条件つきで最高裁の判決というものがなされておる。これも先ほど言ったとおり、これが決定されたから最後のものじゃないと言うが、次の判決の出るまでにいろいろ判例として残るとすれば、これを利用されるのはやむを得ないけれども、しかし、その後本年に入りまして、京都においては二月、東京においては五月、それぞれ地方裁において同種の問題について、合うとか合わぬとかいうことは、ことばとしてはあらわれてはおりませんけれども、適法であるということで無罪の判決を受けておる。適法であるというと語弊があるかもしれませんが、違法でないということで無罪の判決を受けておる。そういう事態もあるのです。これはもちろん最後に最高裁で争われて、最高裁の決定がどういうように出るかわかりませんけれども、とにかくこの問題については、こういう事態について多くの疑義があるということ、これはもう避けることのできない事実だと思います。だから、そういう最高裁の決定があるとは言いながら、これには条件がついておるということ、その後、こういう最高裁の判決があったにもかかわらず、同種の事件について二度までも地方裁判所が無罪の判決をしておる。ということは、私は行政権をあずかる者としては当然考えなければならぬ点ではないか。ことに自治大臣として地方行政責任を持たれる藤枝さんは、地方行政命令が出る、これを行使する場合に、こういう最高裁の裁判、もちろんこれは決定的なものであるから、一応例にとられることもよいけれども、下級裁判所とは言いながら、同じ事件が二度までも繰り返されて無罪になっておるというところは、私は行政権の行使について大いに反省するところのものがなければならぬと思うのですが、それはどうでしょうか。
  42. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 下級裁判所で同種の事件というお話でございますが、最高裁でいう必要最小限度というものをどこに見るか。そして先般出された第一審の判決におきましては、この許可にあたってつけた条件が、必要最小限度を越えておるというような趣旨で違法でないという考えであろうと思います。したがいまして、これまた検察当局では上訴をされておりますから、結論的には申し上げられませんけれども、われわれといたしましても、表現の自由を守るための必要最小限度というのは、文字どおり必要最小限度にしなければならない、そういうことは常に考えて指導をいたしておる次第でございます。
  43. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 これはいつまで質疑を繰り返しても、結論的にはなかなか一致点を見出すことはできないと思います。しかしながら、世間にはいろいろな批判がなされておるから、その批判が全然行政府の耳に入らぬということではいけないと思うのです。そういうことから、私はもしこちら側にも反省するものがあるならば反省するであろうが、行政権の行使にあたっては、十分な反省をしてもらわなければならない。これが同じ表現の自由というても、もし、二十一条で出版、言論の自由が許されておるからということで、いわゆるわいせつ文書が出たとします。だれが見てもわいせつで、その行為を挑発するような表現がなされておると思います。これならば、これが不当であるというて、たとえ二十一条の保障があるとはいいながら、当然公共福祉を守るという点から、あるいは出版の禁止なり、あるいは没収なりということがなされても、世間は納得すると思うのです。そうではなくして、かりにもしこれが純文学的な価値があるということになると、これは争いが起こってくる。たとえばこの前のチャタレー夫人の翻訳の問題のごとき、当然そういうことになるわけなんです。いわんや、一個の政治的な目的を持った行為に対しては、なかなか一方的にきめつけられるものではないのです。それを行政府において、一方的にみずから決定した前提を置き、みずから決定をした判断に基づいてなされるということは私は妥当ではない、こう思うのです。こういう点について、あなた方はどう考えておるか。
  44. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 確かに世間のと申しますか、いろいろな御批判にはこたえながら、十分それも尊重してやっていかなければならないと思います。ただ、先ほど法務大臣お答えなされましたように、国会というものは常に平穏を保たれなければならないという高い公共性を持っておる。一方集団示威運動という——単なる集団行進、集団が場所を移動するということである種の表現をするのと、こういう集団示威運動という一種の先ほどから加藤さんが仰せられておるように、潜在する物理的な力に支持されながら表現をする、訴えるということとは、また違ってくるのではないか。その集団示威運動というものは、国会周辺には好ましくないということでございます。よけいなことを言うとおしかりを受けるかもしれませんけれども、国会に対する国民の訴えは、憲法に保障された平穏な請願権で十分達成できるはずなんです。それ以上国会に、そうした潜在する物理的な力に支持されながら表現をしなければならないのであろうかということを、私は常に反省をいたしておるわけでございます。今回も護憲連合会の方々には、東京都の公安委員会におきまして、そういうものですから、自発的に路線を変えていただくような事前の折衝をしたが、それはお聞き入れにならなくて、御承知のとおり、許可条件として路線の変更をいたしたといういきさつでございます。なぜそれでは、いわゆる集団行進ではなくて、集団示威運動を国会周辺にあえて、どうしてもやらなければならないという御必要があったのだろうかということも、国民一般の表現の自由の権利を持っている国民の側においても、いろいろと御検討をいただく必要もあるのではないか、これは決して押しつけるわけではございませんが、そういう気持ちも私はいたしておるわけでございます。
  45. 加藤勘十

    加藤(勘)委員 同じことを何べん繰り返してもきりがありませんから、もうこれ一つだけで私の質問はやめますが、それは平穏な方法による請願活動、こういうことがいま言われたですね、一体国会に平穏な請願——請願書を出して、そうしてたくさんの請願がなされる、あらゆる種類の要件についての請願がなされる、ほんとうにこれは効果がありますか。あなたは効果があると思われますか。あの公報を見れば、一日に幾つも出ておって、そうして最後になると何百というやつが各委員会に配付されて、それぞれ担当の委員会で、いや、ほんとうに紹介議員の説明が聞かれるやら、聞かれないやら、これが実情でしょう。そういう実情で一体国民の請願の目的が達せられる——法律条文としてはそういうことが書いてあっても、実際においては何にもならない。まるで風のようにどこへ飛んでいくかわからない。採択されたものは内閣に送付される。内閣で、一体これはどこへ入りますか。なるほど一つや二つくらいはあるいは所管大臣のところで目を通されるかもしれないけれども、あとはどこかにたばねて積み重ねられているだけじゃありませんか。そういう平穏な手段による国会請願ということもありますよ。だが内在する物理的力にたよってやるという集団示威行動も一つの運動なんです。いつでも物理的力が内在しておるからというて、それがいつ爆発する——爆発するためには、爆発する条件がなければ爆発しません。ダイナマイトでも、雷管に火をつけなければ爆発しないのです。それと同じように、そういうことを見きわめて適正な処置をとるのが政治じゃないですか。何もここに、かりに極端な例を言えば、雷管がある、ダイナマイトがある、マッチがある、こういうものが目の前に示されたなら、これは危険が予想されるからというて、事前に取り片づける手段をとられることも差しつかえないでしょうが、しかし、そうではないのです。何もないのだ。まるでかげろうの影を追うようなものだ、かげろうの影を追って一体何をつかまえようというのですか。そういう点で二人の大臣が席を並べていろいろ私の質問に対してお答えになりましたけれども、問題は、田中さんが言うとおり、大前提として国会周辺ではデモ行動はやってもらいたくないという前提なんです。その前提は、あなたの説明によれば、公共秩序を維持するためなんです。公共福祉を維持するためにという理由のもとに、それをやってもらいたくないという前提に立っている。この前提はなるほどあなた方は主観的にそう思われる。それは主観的にどう思おうとこれはかってですけれども、ただ思うだけならいいけれども、それが行為にあらわれた場合は迷惑するものがありますよ。だから、そういうことによって、はたしてそれが妥当であるかどうか。何らの条件、何らの事情、そういうものをしんしゃくすることなく、頭からきめつけることによって、ばんと押えてしまうということが適当であるかどうか、それは私は非常に議論のあるところだと思います。  なお、具体的な問題や憲法の問題、裁判所の問題等について、もう少しくお伺いしたいと思いますが、これは他日総理大臣お尋ねすることにして、きょうは私の質問はこれでやめておきます。
  46. 大坪保雄

    大坪委員長 西宮弘君。
  47. 西宮弘

    ○西宮委員 田中法務大臣は、ただいま私のほうの大先輩であります加藤委員質問に対して、国会周辺デモをする、こういうことを絶対に禁止をする、こういうことがわれわれの願いである、それがそもそも私どもの主張の根拠である、こういうことで、その点が根本的に食い違っておるんだ、こういうお話でありました。政府がそういう考えを持つか持たないかは全く政府の御自由だと思う。しかし、それを何を根拠にしておやりになりますか。
  48. 田中伊三次

    田中国務大臣 国会、ことに開会中の国会周辺は、秩序の維持を必要とするという根拠に基づいて、国会周辺開会中はデモは許さぬ、こういう立場に立つわけであります。
  49. 西宮弘

    ○西宮委員 ですから、それを何の法律の何条に基づいておやりになりますか。
  50. 田中伊三次

    田中国務大臣 法律はございません。法律はございませんが、本件事案については、法律があるわけでございます。有名な二十七条という法律がある。この法律の命ずるところによって、公共福祉というものをたてにとって、いけないという判断をするわけであります。
  51. 西宮弘

    ○西宮委員 いわゆる行政事件訴訟法の二十七条でやれる、こういうことであるならば、なぜ、かつて自民党は、国会周辺デモ規制というああいう法律をお出しになったのですか。
  52. 田中伊三次

    田中国務大臣 それは先生、そういうこともあるんじゃないでしょうか。私の考えは別にあるのですが、政府立場、与党の立場というものを申し上げると、現在は比較的まあ理想に近い姿で運営されておるのではなかろうか。それはどういうことかと申しますと、これを規制する法律はない。法律はないけれども、願いを出す者と願いを受ける公安委員会との間において、懇談と話し合いが行なわれている。この順路に変えてくれまいか、このたびはひとつデモはがまんしてくれないかといったような話し合いが、現状において事前に行なわれて、それではしからばということで、やむを得ざる場合以外は、一方的には条件等は変更をしていない実情にございます。そういうのはたいへん私は民主主義の行き方として正しい、こう考えておるわけでございます。そういう事情に置かれておる。しかしながら、デモを規制する法律自体はないわけです。法律はないけれども、そういう好ましい状態で現在は運営が行なわれておる、こういうことです。運営が行なわれておるが、国会周辺についてはやってくれるな。やってくれるなということの基準を政府がこれを尊重することは、公共福祉の上から正しいんだ、こう考えておる事情でございます。
  53. 西宮弘

    ○西宮委員 ですから、そういうことを事実問題として話し合いをする、これはたいへんけっこうなことですよ。だから、その願いを出す人と、それを審査する立場の人と、これはデモの規模はこういうふうにしてくれ、コースはこうしてくれ、いろいろなその他の条件もありましょう、そういうことを話し合いをするととは、これはまことにけっこうなことで、大いにやってもらいたいと思う。しかし、最後にその話し合いがつかないときに、政府先ほどのお話によりますると、開会中は国会周辺デモは絶対禁止をする、こういう立場を根本原則にしておるんだ。こういうわけなんだから、そのいわゆる絶対禁止をするということを何によっておやりになりますかということを聞いている。
  54. 田中伊三次

    田中国務大臣 絶対の——さかのぼって申し上げますと、デモは御承知のとおり表現の自由として憲法の許すところでございます。ただし、憲法第十二条というものがありまして、公共福祉のために必要なる限度においては、与えられたデモの権利は制限を受けることやむを得ないという条項が明瞭にあるわけであります。そういう条項がありますので、本件について申し上げれば、開会中の国会周辺については、憲法十二条の条項に基づいてがまんを願いたい。本来は、法律をつくったって違法とは言えないんだ。つくったっていいんだけれども、それをつくるよりは、いまのほうがもっと民主的に見てよいと考えるので、法律をつくることを遠慮をしておる、こういう事情でございます。
  55. 西宮弘

    ○西宮委員 それは、私は事実が全く違うと思うのです。法律をつくったほうがいいんだけれども、あるいはつくっても違法ではないけれども、つくらないほうが民主的だからつくらない。そうではなしに、去る三十三国会並びに三十四国会には、自民党からお出しになったのですよ。ただ三十三国会のほうは、衆議院は通ったけれども参議院は通らなかったのです。三十四国会のほうは、参議院は通ったけれども衆議院は通らなかった。こういうことで、自民党側から言うならば、残念ながらそれは通らなかった。したがって、それは通さないほうが、そういう法律をつくらないほうがより民主的だ、そういう判断政府がおやりになっているんでないことだけは明らかだと思う。そんな法律をつくれば、こういう国会周辺デモを禁止する法律をつくれば、それはかえって民主主義に反する。だからそういう法律をつくらないでやろうというんなら、前に法律を出したのははなはだしく民主主義に背反するんじゃないですか、いかがですか。
  56. 田中伊三次

    田中国務大臣 前回流れましたときは、流れました事情において先生おっしゃるとおりの事情でございます。現内閣と現在の立場においては、いま私が申し上げますように、法律をつくっても違法でないということは内閣は信念を持っておる。持っておるが、現在つくることを決定しておるわけではない。現状のようにうまく運営ができれば望ましいものである。ただ、デモはけっこうだが、国会周辺開会中はこらえてくれ、こういうことなんですね。
  57. 西宮弘

    ○西宮委員 ですから、国会周辺デモを一切禁止するというんなら、さっきのお話のいわゆる絶対的に禁止する、そういうことであればそういう立法措置以外にはやれないと私は思うのですよ。あの二十七条は、すでに加藤委員がるる説明をいたしましたとおりでありますが、あの中には実に重大な制限があるわけですね。そう自由かってに、行政機関の自由な判断で絶対やれるという筋合いのものではない。つまりいわゆる絶対禁止というようなことをあの二十七条だけで自由にやれるということは、あの法律には許されていないわけですね。あの法律には実に厳重な二重、三重のいろいろな条件をつけておる。そのことは十分御承知だと思う。だからその条件を完全に満たしているか満たしておらないかということが問題だと思う。この間の政府が出しました異議申し立てには、いわゆる物理的な力を背景にしている、こういう場合には一瞬にして暴徒に化するおそれがある、こういうことを長々と述べているわけですね。これは申すまでもなく昭和三十五年の最高裁の判決をそのままとってきたわけです。もちろんそれでけっこうだと思う。昭和三十五年の最高裁の判決を、てにをはまでみんな同じに、ここまでは引用してきた。それはそれでいいと思う。しかしてそういう危険性を述べて、このような危険が現存するため今回はいけない、こういうことで二十七条を発動したわけですね。だから、どこにそういう危険が現存したかということを立証しなければならぬ。どこで立証できますか。
  58. 田中伊三次

    田中国務大臣 それは二十七条の条文にありますように、そういう危険のおそれありと認めた場合においては発動はできるわけであります。その文章にどう書いてあるかは別、おそれありと認める、おそれがあればできる。現実にそういう危害が発生したかどうかは別論でございます。おそれがあればできる。おそれがあるものと認めるか認めぬか、こういうことでございますが、現実のおそれがあったではないか、なかったではないかという結果論は別でございます。
  59. 西宮弘

    ○西宮委員 それは、もちろん結果論はその十日が過ぎてみなくちゃわかりませんよ。そんなことは、いまさら議論の余地はない。そういうおそれがあると判断するかしないかということです。あの日は、加藤委員もるる述べたように土曜日の午後ですよ。あの日は衆議院の公報、あるいは参議院の公報、どちらを見ても何の会議もない。わずかにあるのは、社会党国会対策委員会が九時半から招集されている。それ一つですよ。いつもの日ならば、たとえば各政党のいろいろな会合がある。そういうことが毎日あるんだけれども、あの日に限ってはそういうものも一つもない。政党の研究会等の会合も何一つない。わずかにあるのは、いま申し上げたように、社会党国会対策委員会がただ一つあるだけで、このほかには衆議院、参議院を通じて何にもない。そういう事態の中で、どういう危険が予想されるのですか。
  60. 田中伊三次

    田中国務大臣 それは政府の出しました文章の中にも、ごらんのとおりくどく書いてありますね。私も先ほどからくどく言うておりますね。ホールの中において、国会議事堂の中においては、何も会議はないことはない。社会党国会対策委員会という重要会議があるではないか。それ以外の個々の議事の遂行をめぐる打ち合わせ、連絡等のことを、この議事堂の中でやらなかったという保証もない。当然、そういうことはあるべきものである、こう考えられるわけです。何らかの状態はある(「調べたのか」と呼ぶ者あり)調べぬでもある。そうして外においてはどういう事情があるかというと、向かいには議員会館が三つもあるではないか。議員の使用するところの、両院の車庫もあるではないか。もっと大事なのは、国民が面会に来られたときにお使いになっている面会所というものもあるではないか。その往来は自由でなければならぬではないか。何千人、何百人の者がデモをすれば、デモることによってそういうことの往来は妨げられるではないか。   〔発言する者あり〕
  61. 大坪保雄

    大坪委員長 静粛に願います。
  62. 田中伊三次

    田中国務大臣 こういう具体的に考えられるものがあるわけです。根本を申し上げると、開会デモはやらさぬのだ、やらしたくない、こういう根本の考え方が一方において前提があるわけですね。そしていま申し上げたようなことを言うてみると、先生の仰せになるのは、結果に重点を置いて仰せになる。どこに危険があるか、どこに物理的な実力がそこへあらわれるのか、こういうふうにお考えになると、お説のとおりになる。そういうことを聞いておる者はなるほどと思う。この傍聴席で聞いておる者は、みなそう思う。しかし、そう思うのは、結果に重点を置くからであって、そんなことは法律に書いてない。おそれがある、おそれがあると認めればよろしいと書いてある。二十七条で書いてあるのです。ですから、いけないということならば言い過ぎかもわかりませんが、二十七条がもっとスムーズに運営されるように、この二十七条をひとつ改正するようなことをすれば、将来はいろいろな事柄がいけるのかもわからない。決してこの法律を乱用したというのじゃないということです。内閣総理大臣が、裁判所権限を変更したというのですから、乱用に聞こえるのでありますけれども、先ほどからも一口触れましたように、内閣総理大臣意見裁判所の御意見とが相対立をしてそぐわないときには、内閣総理大臣意見を優先せしむることをもって二十七条の立法趣旨とする。これはいかなる学者も、この判断には間違いないのでございます。そういう趣旨でございます。
  63. 西宮弘

    ○西宮委員 先ほども申しましたけれども、私は結果論を言っているのじゃありませんよ。結果論はそれは十日の……
  64. 田中伊三次

    田中国務大臣 結果論ばかりですよ。
  65. 西宮弘

    ○西宮委員 違う、違う。私は十日が過ぎてみなければわからないと思う。結果はだれもわからぬわけですよ。そういう問題、そういう事態が起こるかどうか、その起こるおそれがあるかどうかという判断の問題なんです。それならばその十日の日は九時半に社会党国会対策委員会ただ一つ、衆議院、参議院を通じてただ一つ、これだけしかない。しかも、この国会対策委員会というのは、いつもの例によって三十分しかやらないわけですよ。かりに延びても四十分か五十分のものでしょう。そのデモが出発するころには、大体国会対策委員会は終わっているのですよ。これは明らかなんです。だから、私はそういう十日には何が起こるであろうかという見通しを言っているのですよ。決して結果を言っているのではない。結果で言えば、だれだってそれはどういう議論だってあとからできると思うのだが、そんなことを私は毛頭言っておりません。だから、そのときにこういういわゆる一瞬にして大事故が起こるかどうかという判断の問題だ。ところが、これは、この公報をつくったのは九日の日の五時四十五分にはこのことはきまっておるのですよ、この原稿は。だから五時四十五分には、あしたは衆議院、参議院を通じて会合はこれ一つしかないのだということは明々白々なんです。だからそのときどうしてそういうおそれがあると判断ができるのか。お話のように、たとえば国会議事堂だけではない、向かい側に会館が三つも建っている。そういうことを言うのならば、それをやるのならば、それは国会周辺デモは一切禁止をする、こういう法律をつくる以外には道はないのですよ。そういう法律ができれば、あそこには議員面会所もある、あるいは会館が三つも並んでいる、それを全部禁止しようとするならば、これはそういう法律をつくる以外にない。その法律ができれば、それはもう明らかにその法律に従っておやりになってけっこうだ。しかし、その法律がないというならば、二十七条によるほかない。二十七条は、大臣も言うように、おそれがあるかないかという判断の問題ですよ。こういう状態の中で、ある大事件が起こるであろうと、そういうおそれがあると判断することは絶対に許されないと思うが、どうですか。
  66. 田中伊三次

    田中国務大臣 それは御判断のお立場が違うから、そうお考えなのですね。結果に重点を置いてはおらぬと仰せになりながら、結果ばかりに重点を置いていらっしゃるから、いまのような御発言の結果が出てくる。結果に重きを置いていらっしゃるから、当日になってみて、現実にそういう影響はなかったではないかということをまず頭脳に置いて、どうして影響があると考えられたか、こういう御議論になるわけですね。筋はそういうことでしょう。ですから、そういうことではこの二十七条の条文の本旨がおわかりいただいていないということになる。本旨は、二十七条の条項は申し上げるまでもなくおそれがあればよろしい、それならおそれのとおり重大な悪影響があるのかないのかやってみなければわからない。当日、その国会において議会があったではないか、何々委員会があったとか、その委員会には何人出席しておったとか、委員長がおしっこにいっておったとか、いなかったとか、議員食堂に入っておって議事に参加していなかったとか、そんなことはどうでもいいことで、国会開会中であって、その開会中の裏通りデモが通る、通ることによって影響するという可能性、たてまえというものが存在するときにおいては、おそれありと認定すること幾らも差しつかえない。そのおそれありということの意味が、何がためにこういうことば法律が書いているのかということをお考えいただければ、これはすぐわかることであります。
  67. 西宮弘

    ○西宮委員 あまりよけいなことをお話しにならぬでください。おしっこに行ったとか行かないとか、そんな問題ではないのですよ。  私がいま聞いているのは、もしおそれがあるかないかという判断をするならば、そのデモがどういうデモであるかということと、そのデモ影響を受ける国会の状態がどうであったか、問題はこの二つだと思うのです。だから、そのデモが、ものすごい大デモが来るというのであれば、そういう事件が起こるおそれもあるだろう、あるいは国会のほうでたいへん重大な問題を審議しているというのであれば、そのデモによってそういう影響を受けるかもしれない、そういうおそれありと判断することもできるかもしれない。その二つの面を判断するほかない。判断の基礎はそこにあると思う。その際に、いわゆるこのデモなるものは、人員は一千名ですよ。(「二百人、二百人」と呼ぶ者あり)それからそのデモにはプラカードとかその他持ち物は制限をされておる。あるいはデモのやり方は、かけ足をしてはいかぬとか、いろいろなその他の点について制限されておる。そういう制限されたデモ、一千名のデモ、それがそういう物理的な大爆発をするものかどうかということも、そのおそれありやいなやという判断をする根本的な基礎だと思う。  それから、片やそれの影響を受ける国会は、いま申し上げたように何もやっておらない。それは前日の午後五時四十五分にはっきりわかっておる。そういうときにどうして国会がそういう重大なる侵害を受けて、あるいは国会の機能を麻痺する、こういうおそれありと判断できますか。
  68. 田中伊三次

    田中国務大臣 これは何回申し上げても同じでございますが、根本の考え方としては、開会中の国会周辺デモは困る、そういう立場に立って、本件の場合はどういう影響がある、おそれがある、そのおそれを想定してみると、院の内外においてこれこれこれと政府が記述しておりますようなおそれがある。現実にそういう影響があったかなかったかということとは別でございます。そういうこととは別でございます。そういうおそれがあると判断をするに足る事情はどこにあるか、開会中であるということに事情がある、こういうことでありますね。
  69. 西宮弘

    ○西宮委員 開会中であるということだけで、ただいま国会開会中であるというだけでそれのおそれがある、そういう判断をするならば、それはさっき申し上げたように、そういう特殊な立法をする以外に道はないのじゃないか。あの二十七条を使って、国会開会中である、単にそれだけの事情であの二十七条を発動できるとは、これはどうしたってわれわれには承服できないのですが、自治大臣もこれには参画しておられるわけですから……。
  70. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 国会は常に平穏を保たれていなければならないということ、それは国会で本会議があるとか委員会があるとか、そういうことではなくて、国会が常に平穏に保たれていなければならないというのが、高い公共性があるのではないか。そして、一方、集団示威運動というのは、千名足らずとおっしゃって、また現実には二百だとおっしゃいましたが、千名という集団のエネルギーにささえられて、潜在する物理的な力にささえられておるというそういう性格、しかも心理的な法則からいっても、従来の実例からいっても、そういうものがあった。こういう両方を踏まえて今回の異議申し立てをいたしたような次第でございます。
  71. 西宮弘

    ○西宮委員 それでは、その千名の集団行進で、しかもこれは護憲を主張する人たち、しかもその指導者は、名前は何といいましたかな、大学の助教授ですね。こういう人のデモで、何かそういう実例があったというお話ですが、何か国会の機能が麻痺したそういう実例をお持ちですか。
  72. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 国会の機能を麻痺した実例があるというのではございません。そのデモそのものが、あるいはかけ足をし、渦巻きデモをやって、相当公衆の迷惑になった実例が過去にある、そういうことが平穏に保たれなければならない国会周辺で起こっては困る、こういうことでございます。
  73. 西宮弘

    ○西宮委員 問題は、道路でかけ足をやったかやらぬかという問題ではなしに、国会にどれだけの影響を与えるかというのが、その判断の基礎なんです。われわれは、そういう実例があるなら実例を聞きたいと言ったのだけれども、そういうものはないと言うのならばいたし方がないのだけれども、それじゃ一体、いま東京都内の警察力は幾らあるのですか。公安維持に当たる警察官は何名おりますか。
  74. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 警視庁の実員は、約三万五千でございます。
  75. 西宮弘

    ○西宮委員 三万五千といったら、全員ですね。
  76. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 さようでございます。
  77. 西宮弘

    ○西宮委員 ただし、交番に勤務したり交通整理をやったり、いろんな人もありましょうから、警備に当たれる人は何人ありますか。いわゆる機動隊みたいな立場で警備に当たれる人。
  78. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 今回の護憲連合デモにつきましては、申請は千名でございまして、護憲連合から各傘下団体に動員要請の割り当てを出されましたのは三千三十五名となっております。  ただいま大臣が申し述べました過去の実績というお話が出たわけでございますけれども、護憲連合に、東京護憲を含みまして、昭和三十九年以来、過去にすわり込みやら、フランスデモやら、あるいは投石やらといったふうな事案がかなり数多くございます。中でも、われわれが関心を持っておりますのは、これは先生方も御案内のことだと思いますけれども……   〔西宮委員「いや、警察官の数を聞いているのですよ」と呼ぶ〕
  79. 大坪保雄

    大坪委員長 ちょっと答弁を聞いてください。不正常発言はやめてください。
  80. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 社青同等の暴力事案が数多くございます。  今回のデモ取り締まりに従事しました警察官の数は、交通警察官が大体二百二十名程度。これは路線が四路線ございましたから二百二十名。それから待機いたしました数が三百八十。それから機動隊が二個中隊四百五十名でございます。したがいまして、隊長全部含めましておおよそ七百名という数字でございます。
  81. 西宮弘

    ○西宮委員 いや、私の質問に答えてくださいよ。私の質問は、東京都内の警察官は三万何がしというお話だったので、その中で署内勤務その他に従事して、あるいは交通整理その他に当たって、こういう問題には利用できない警察官もあるでしょう。だから、それを引いた残りが幾らあるのか、それをお尋ねしているのですよ。
  82. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 御案内のとおりに、警察事象は必ずしもその日その日で予想できない問題でございますが、機動隊の数を申し上げますと、約二千でございます。
  83. 西宮弘

    ○西宮委員 デモの参加者が一千名で、機動隊が二千名おる。それでもさっきのような混乱が起こる、それを防げないのだ、こういうふうにお認めになったのですか。
  84. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 防げる防げないではなくて、そういう集団示威運動というものはそういう性格も持っておる、そうして、過去にもそうした公衆に迷惑をかけたような幾多の実例がある、そういうものが、平穏に保たれなければならない国会周辺で起こっては困る、こういうことが理由でございます。
  85. 西宮弘

    ○西宮委員 だから、それはデモの性格だというならば、もうそのデモ一切を禁止する以外にない。だから、そうでなしに、いま問題は、一千名の人が参加した、しかもいろいろ制限された、条件をつけられた、その条件に従って行進する、そういう際に、どういう混乱が起こるか、そして、それをいかにして防ぐかというときに、参加者は一千名で、警察官は二千名おるというならば、それで治安の維持ができないという道理はない。だから、それは性格の問題ではなしに、現実にそういう問題が、二千名の警察官を擁してそれができない、そういう治安能力がないというような話は全く別なんだけれども、それならばそれはやむを得ないと思う。だけれども、それだけの警察力を持ってどうしてそれができないか。その事態の中では一瞬にして暴徒と化す、そういう大混乱が起こる、そういう判断をどうしてしなければならないのか。
  86. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 ただいま申しましたような性格がある。したがって、そのようなことで、警察官が国会周辺でその規制をしなければならないような事態は避けたいというのが、私どもの考え方でございます。
  87. 大坪保雄

    大坪委員長 関連して、横山君。
  88. 横山利秋

    ○横山委員 何か、デモというものの本質が一瞬にして暴徒に化すおそれありというふうにいま考えられておるようなんですが、一例を引いて聞きますが、主婦の諸君が、物価値上がりに反対して、国会デモをした場合にはどうなりますか。やはりいけませんか。一瞬にして暴徒に化すおそれがありとして禁止されるおつもりですか。
  89. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 その集団の数、内容その他いろいろあろうかと思います。具体的にはそれらを考えなければなりませんけれども、先ほど来西宮さんにお答えしているのは、そういう性格を持っている、一瞬にして暴徒と化すなんという大げさな——おそれありということなんで、それまでにならなくとも、すわり込みだとか、フランスデモだとか、そういうことが国会周辺で起こっては、平穏を保つべき国会というものに困る、こういう考え方でございます。
  90. 横山利秋

    ○横山委員 あなた、答えませんね。主婦の諸君が、しゃもじデモ国会に来たときも、これは開会中はだめですか。あなたの理論からいうと、あなたの理論は二つなんですね。一つは、開会中は絶対だめだということ。その根底になっているのは、一瞬にして暴徒に化すおそれあり、こういうのだな。おかあさん方が物価値上がりに反対してデモをやってきた場合はどうかということを、端的に答えてください。
  91. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 いわゆる集団示威運動としてやってこられるということになれば、やはりおそれある一つだと思います。   〔横山委員「あかあさんが……。驚いたね」と呼ぶ〕
  92. 大坪保雄

    大坪委員長 不正常発言は中止してください。
  93. 横山利秋

    ○横山委員 あなた、ちょっとそこは弱いね。ちょっと答弁が行き詰まってきましたね。おかあさんが物価値上げに反対して、しゃもじを持ってここをデモをやってきた場合に、あなたの理論からいうならば、一瞬にして暴徒に化すおそれありと見なければ禁止できませんな。そうですわ。しゃもじデモ国会の平穏を乱すおそれありと見なければいかぬでしょう。主婦の会のしゃもじデモが、そういうおそれありという理由を言ってください。
  94. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 私からお答え申し上げます……   〔横山委員大臣大臣——だめだ。君に質問しているのじゃない。やめなさい。大臣に言っているじゃないか。何を言っているのだ。大臣、答えなさい」と呼ぶ〕
  95. 大坪保雄

    大坪委員長 横山君、発言を許しましたから、まず発言を聞いてください。   〔横山委員「いや、われわれは聞きませんよ。大臣に聞いているのだから」と呼ぶ〕
  96. 大坪保雄

    大坪委員長 警備局長のあとで大臣から答えますから……。   〔横山委員「いや、承知できませんよ。大臣、あなたもひきょうじゃないか。私とやり合っておってことばに詰まったから部下に答弁させるなんというのはひきょうだよ」と呼ぶ〕
  97. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 横山さんはおかあさん方がと言われますが、その数にもよりましょう。二人や三人来られたって、それはおしゃもじを持ったって——集団示威運動というものは、相当多数の者で、しかもそういう威勢を——単なる場所の移動でなく、その中にいわゆる示威を含むわけです。したがって、おかあさん方だって、国会周辺にすわり込まないとは限らない。シュプレヒコールを上げないとは限らない。そういうことを言っているわけであります。
  98. 横山利秋

    ○横山委員 ちょっとそこら辺、あなたも、あまり藤枝さんらしくないんだけれども、理路整然としてないね。おかあさん方がシュプレヒコールをしないとは限らない。それはわかる。けれども、あなたが先ほどから答弁しているのは、みんなでまき散らしているのは、元気のいい若い者や労働者がわあっとやる雰囲気をまき散らしているんであって、おかあさんが、数によってとあなたはおっしゃるけれども、そんなら数は何人ならいいんですか。二人以上が集団示威運動と言えるんですな、これは軍隊用語で言いますと、二人以上を部隊というんだから。そうすると、あなたの話だと、数が少なければよさそうな感じがするんだね。おそれがあるということは、男と女と区別して、あなたの一番弱い女ということを言ったんだけれども、女がそこにすわって、いやだ、物価値上げいやだわと言ったって、それで国会周囲を乱すと思いますかね。それは何方のおかあさんが来れば、たいへんなごやかで、たいへんはなやかで、たいへんあれだけれども、それで警察が大動員しなければならぬような事態、おそれがあるとはとうてい想定できませんわね。どうです、ちょっと弱いでしょう。
  99. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 これは要するに示威運動、いわば威勢を上げて、それにささえられて何事かを訴えるというものですから、それは男女の別は限らないと思います。
  100. 横山利秋

    ○横山委員 もう一点。集団示威運動とは一体何だと思っているんですか。デモとは一体どういうことだと思っているんですか。何もしないでずうっと通っていくだけでもデモする意味があるんです。効果があるんですよ。何かデモというと、わあっとシュプレヒコールをやって、わあっと何か物情騒然として、そうして乱闘でも起こるようなことが集団示威運動だとあなたはお考えのようだが、そうじゃないんですよ。デモというものは国際的に認められておる労働者の権利なんです。静かに静穏にずっと多くの人が通っていくことも、大きな強力な沈黙デモでもある。いわんや女の、おかあさんが、最近物価が値上がって困るといってデモをやる、それで国会の静穏が云々だとか、それで一瞬にして暴徒に化すおそれあり、これだけはあなたはよう言わなかったんだけれども、そういうことがあるのでありますか。だからあなた方の一番弱い点は何かというと、国会開会中一切まかりならぬ、なぜならば、それは一瞬にして暴徒に化すおそれある物理的な潜在性がある。それなら物理的潜在性がなかったらいいじゃないかということになるんですよ。絶対にだめだという理論をあなたは言ったから、これはついに藤枝理論も破れたりと思っておる。
  101. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 都のいわゆる公安条例の中にも、集団行進と集団示威運動とを分けて書いてあります。集団行進という、集団が場所の移転によってその意思を国民に訴えるという方法と、集団がある種の威勢を背景にして、そうして国民に訴える、その二つを書き分けておるわけです。そのうちの集団示威運動について、私どもは国会周辺には好ましくない、こういうことでございます。
  102. 田中伊三次

    田中国務大臣 これは私に対するお尋ねではないのですが、話の方向がだいぶん混乱しておるから、これはものが間違うと大事な会議で申しわけない、こう考えるから三百申し上げると、おしゃもじのおばさんがデモをなさったという場合においても、このたびのデモの場合と同様の、同じ項目をあげた理由をつけなければならぬということはないんです。おばさんが来られたときの理由は、また別個の理由でよろしい。これはどういう理由になるかというと、通路がじゃまになるではないかという理由でも一つの理由となるわけでありますね。このたびの理由をそのままおばさんに適用せんならぬわけはないわけです。お話を承っておりますというと、何でもかんでもデモの制限をする場合においては、いまのお話のような荒々しいことが想定されなければならぬというふうに聞こえる。そうじゃない。たとえば、国会議事堂に対する影響がかりに絶無であったと仮定をしても、理論的に申し上げれば、国会議事堂の中にたとえ議員が三人おっても、五人おって本、何人かの議員おいでになる場合においては、理論的に影響想定できる。できるのでありますが、かりにそれがゼロであったといたしましても、表には国会議員の事務所として使っております議員会館が三つも並んでおる。議員の使う自動車の車庫もある。議員に面会を求めに来る一般の民衆もおる。それらの往復が、それらの通行が自由にいかない、じゃまになるという事情があれば、この事情をもってしても国会全体の運営が妨げになるという理由は成り立つのです。ですから、場合、場合によって、これは理由は使えるわけです。また現実にこの次、第二の発動をする場合においては、ちゃんと事情が違うわけですね。同じ理由で言わなければならぬことはない。このたびの事情をもって、仮定された場合の話を論及するということは、混乱と誤りがありますから、ちょっと一言申し上げます。
  103. 西宮弘

    ○西宮委員 あとに同僚の質問がたくさん控えておりますから、残念ながら終わりにいたしたいと思いますが、私は、たとえばいま田中大臣の言われたその別な理由、いわゆる婦人のデモの際に道路の交通を妨害する、そういうことなどが理由になるかもしらぬという話だったけれども、そういうことで、道路の交通上、このデモは禁止すべきであるというような問題が起こるならば、これは当然現実に即して判断しなければならぬ。国会議事堂の裏を、あの通りを通る。その際に、問題は、いまあそこを通すか通さぬかという問題なんですから、その際に、あそこの道路の交通にじゃまになる、こういうことでこのデモの禁止をしなければならぬかどうかということになるわけですよ。私はそのときに、あそこの道路の状態がどうであるかという問題と、それからもう一つは、藤枝大臣の所管に属する警察力がどうなるか、こういう問題で問題を判断さるべきだと思う。ですから、それがいまの警察力で十分に一般の道路の交通は確保できる、そういう見通しが立つならば、それは当然に許可を与えなければならぬ問題だ。あるいはさっきこれは藤枝さんが言われたのですけれども、おかあさんが来たときでもすわり込みがあるかもしれない、あるいはシュプレヒコールを唱えるかもしれない、こういうお話もあったけれども、それがたとえばすわり込みの問題にしたって、おそらくいまの警察力で御婦人のすわり込みならばたいてい解散させられるだろうと思う、だから、それができるならば、その警察力で十分に確保ができる。その警察力をもってしても、おかあさんのすわり込みを解散させることができない、そういう判断ならば、これはしかたがないと思う。それならば二十七条もやむを得ないと思うけれども、おそらくいまの警察力で、おかあさんのデモぐらいならば十分に処理できるんじゃないか。そういう状態ならば、私はデモを禁止する、その道路の通行を禁止をする、そういう問題はとうてい起こり得ないと思う。  これは何回繰り返しても同じだから終わりにいたしますが、どうしてもわりあい根本的な問題で意見が合わないのは、田中大臣は、あるいはいまの自民党政府はというのかもしれませんが、国会周辺デモは絶対に禁止をする、こういう立場に立っているわけですね。もしそれがそのとおりであるとするならば、それはいまの法律では残念ながらできないんですよ。それはよくお考えになっていただきたいと思う。いまの法律ではできない。できないからこそ、さっき言ったように第三十三回、第三十四回国会でその法律をつくろうとしてお出しになったのです。だから、あの法律ができていればそれはできるのですよ。だけれども、あの法律が通っておらない今日は、できないのです。これは二十七条にたよらざるを得ない。二十七条にたよるということになれば、もろもろの制限がついているのだから、その制限の中でやれることしかやれない。いまの政府は、国会周辺ではデモを絶対に禁止をする、こういう願望を持っておられる。これはよくわかりますよ。これはわかるけれども、いまの法律ではそれはできないんだということを十分知っておいてもらわなければならぬ。どうですか。もし答弁があるならお聞きしましょう。
  104. 田中伊三次

    田中国務大臣 二十七条で、たいへんややこしい条文でありますけれども、苦心をすれば二十七条で禁止ができる。(「その苦心というのは乱用ですよ。」と呼ぶ者あり)いや、乱用でない。それはやろうと思えば、これはだいぶ無理がありますけれども、できる、こう考えられます。そこで前回の法案を出しましたときにはそうでないからそうであろうというお話がありましたが、それではないのであります。どういうことかといいますと、現在二十七条においても無理をすればやれるけれども、しかし法律を堂々とつくっておくほうがよかろうという立場に立ったので、前回の場合においては、二十七条を否定したわけではないのでありまして、立法の方法も考えた、こういうことでございます。
  105. 西宮弘

    ○西宮委員 最後の発言にいたします。  そこに重大な誤りがある。あるいはわれわれにとって、国民によって最大の危険を感ずる。非常な危険がある。つまり苦心をすれば何でもやれるんだ。つまりそれは乱用すればということですよ。だからそういうやり方で乱用されたんでは、これは全くたまったものじゃないと思うのです。法律をつくろうと思ったけれども、通らない。だから別の法律で、しかもそれには二重にも三重にも、三つの条件がついているわけですよ。第二項、第三項、第六項ですか、そういう条件が三つにわたってついている。これは二重にも三重にもそういう——これは全く異例なんですから、その行政権司法権と対立の中で行政権を優位させる、こういうことは全く異例中の異例、例外中の例外なんだから、それには厳重な制限をつけている。だからそれを無視してかってにやる、つまり苦心すれば何でもやれる、そういうような考え方をとられることは危険千万なんです。私はその点を指摘しただけで終わりにいたします。  それから藤枝大臣には、いかにもデモは全部ことごとく何かそういう危険性を持っている。したがって、これはデモは一切禁止をしなければならぬ。そういう考え方を基礎にして判断をしておられるというところに最大の重大な危険性を持っている。こういうことを私は強く指摘をいたしまして、質問を終わります。
  106. 大坪保雄

  107. 中谷鉄也

    中谷委員 お尋ねをいたします。  私はまず、非常に素朴と申しますか、何というか、今度の二十七条の異議申し立ては、次のような反応を国民の中に呼び起こしたということを最初にお尋ねをして、その点についての自治大臣の御答弁をいただきたいと思うのです。  司法権の独立というのが最も大事なことである。これは言うまでもないことだと思います。いま一つ裁判官は弁明をしないということわざがございます。ところが私、きょうの新聞を見てみますと、呉の富川という裁判官の方が新聞に、あえて裁判官は弁明をしない、そういう社会的なことについては御発言をしないというのが裁判官の一つのいままでのお考えであったと思うのですけれども、「政府の実力支配を恐れる」こういう題の投書をしておられるわけです。私はその投書の一節を読んでみたいと思いますけれども、「東京地裁が、都公安委員会デモ許可処分の執行停止を命じたところ、首相から国会周辺デモで公正な審議が害されるおそれがあると、異議申立てがあって取消しになったという。本当に審議の邪魔になるなら話はわかるが、当日は土曜で両院ともお休みだったというからあきれる。」中略をいたします。「政府にとってデモが不愉快だとしても、それだけでデモを禁止する理由にならないどころか、むしろその故にこそ、デモの存在価値があるともいえよう。東京地裁が公安委の処分を不当とした理由は、まさに少数者の権利の保護にあったと考えられる。政府がこれに不服なら、上訴審で争うべきであった。私はそこに、問答無用といった力への過信を感ずる。政府反省を求めたいと思う。」こういう趣旨の投書が出ているわけです。猪俣先輩が、本会議において、杉本裁判長の執行停止決定を、ほんとうに三人の裁判官が不眠不休の中でおやりになった。それが一瞬にして取り消しをしなければならない杉木裁判長の心中を察するに余りある、こういうことを言われましたけれども、司法権の独立という立場から見て、あえて裁判官の一人がこういうふうな投書をされたこと、二十七条というのは、行政と司法との接触する非常に大きな問題のある条文でございますけれども、このことについて自治大臣はどのようにお考えになりますか。私はそういうことも一つの世論として聞いておきたいとかいうふうな御答弁を伺いたくはございません。あえて裁判官が司法権の独立があぶなくなっているのだ。司法権の独立が侵されようとしているのだということを、現実に身をもって今度の問題についてお感じになっている、そういう影響を与えたということがこの投書に私はあらわれていると思う。このことについて主管大臣である自治大臣の率直な御答弁をいただきたいと思います。
  108. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 今回の政府の処置に対して、いろいろ御批判があることは当然だと思います。当然と申しますか、あり得てけっこうだと思うわけでございます。政府のとりました処置の理由につきましては、先ほど法務大臣からお答えをいたしましたので重ねては申しません。そうして特に裁判官は弁明せずという中にあって、裁判官の一人が今度の政府の処置に対して意見を述べられたということについては、私は一つの注目すべきことだと思います。思いますが、先ほど法務大臣お答えいたしましたように、この行政事件訴訟法なるものにつきまして、本訴の起こった場合は別問題でございますが、執行停止というようなその申請があった場合におきまして、本来行政権発動である東京都の公安委員会許可条件につきまして、それの執行停止ということをやりましたということは、なるほど裁判官のおやりになったことでございますけれども、その性格としては、やはり一種の仮処分的なと申しますか、行政関係をしておる問題、したがいまして二十七条においてさらにそれの最高行政機関である総理大臣異議申し立てというものを認めておるのだろうと考えます。なるほど、司法権行政権との接点の問題ではございませんが、そう解釈することが妥当ではないか。そうして今回とりました処置につきましては、先ほど来るる理由を申し上げましたように、あの二十七条のいろいろな条件についてそれが満たされたものとして処置をいたした次第でございます。
  109. 中谷鉄也

    中谷委員 多くの裁判官はその良心の中に、この問題は司法権に対する大きな侵害である、こういうふうな印象を今度の事件で私は持ったと思うのです。そのことが今度の投書に私はあらわれてきたと思うのです。だから私は事は非常に重大だと思います。  そこで私は、自治大臣お尋ねをいたしたいと思いますが、いわゆる国会周辺デモ規制についての外国の立法例については、あるということをしばしば政府質疑の中で御答弁になっている。はたしてしからば、行政事件訴訟法二十七条のような規定が、外国の立法例の中にあるかどうか、この点はいかがでございましょうか。
  110. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 浅学にいたしまして、外国の立法例を存じておりません。
  111. 中谷鉄也

    中谷委員 私は、本日はすでに六時も過ぎておりますし、実は私、法務委員として出てまいりまして、こういう時間まで国会の中で審議に参画できたのは初めてなんです。だから、あえて歯に衣を着せずに自治大臣にお伺いをいたしたいと思います。  外国のデモ規制の立法例はありますよ、たくさんあるんだよと、これが政府の御答弁なんです。ところが、では二十七条のような立法例が外国にあるかどうか。ことばをかえて申し上げますならば、二十七条というのは、言うまでもなしに、行政権によって司法権に対するところの大きな一つの禁止と申しますか、抑止する規定だと私は思うのです。かつて名裁判官といわれた最高裁の真野裁判官の論説の中に、そういうふうな憲法の大原則である三権分立が混迷し、ふんぷんとして乱れているところに、専制政治や全体主義政治やシーザリズムが頭をもたげる危険が伏在することはあえて識者の言をまたない、こう真野裁判官はあえて断言をしておられるわけです。だから、そういう立法例があるかないかということ以前に、藤枝自治大臣——そんなデモ規制の立法例はありますよという御答弁を政府はしておられて、主管大臣であられるところの自治大臣が、反面内閣総理大臣のそのような異議申し立てについて、外国の立法例があるかないかについては——あるかないかは別として、そういうことについては知らないのだ、ここに私はアンバランスがあると思うのです。歯に衣を着せずに申し上げますけれども、デモに対しては政府に非常に嫌悪感があるのじゃないか。デモというのは大体いやなものだと、そういうお気持ちがあるのじゃないか。そうして行政権司法権に対するところの強い抑止、強いその権力、権限というものについては、自治大臣非常に御勉強家であるということは私は承っておりますけれども、そのことについては自治大臣御存じないというところに、私はこの問題の本質があると思う。  重ねてお尋ねをいたします。政府委員の方も御出席になっておられるようでございまして、先ほど何かお打ち合わせがあったようでございますが、立法例はありますか、ありませんか。——しかし私がお聞きしていることは、あるかないかが問題じゃないのです。そういうことを知らないということが問題なんです。
  112. 青木義人

    ○青木政府委員 行政事件訴訟法の二十七条のような制度は、外国には立法例としては見当たりません。
  113. 中谷鉄也

    中谷委員 お尋ねをいたします。田中法務大臣お尋ねをいたしたいと思います。  先ほど、一番最初の御答弁の中に、いわゆる東京地裁のこの決定というのは、外形から見ると何かたいしたことのように思うけれども——私実は速記ができませんから、私自身は正確に大臣の答弁を筆記したわけではございませんけれども、本来内容は行政処分に対する一つの仮処分的なものなんだ、だからそう大げさな問題としなくてもいいのじゃないかと思うという趣旨の答弁があったやに私は伺いました。そういうふうなこととしてお伺いしてよろしいのかどうか。要するに二十七条という、この内閣総理大臣異議というのは、きわめて重大な問題だという前提に私は立っております。大げさな問題——ということばは私確かに聞いた、としなくてもいいんじゃないかどころでない、たいへんな大問題だと私は思う、二十七条の異議申し立てということは。  では、あらためてお尋ねいたします。二十七条の異議申し立てをするかしないかということは、これはきわめて重大な問題なのかどうか、この点いかがでございましょう。
  114. 田中伊三次

    田中国務大臣 そんなことを言いましたかね。
  115. 中谷鉄也

    中谷委員 言われました。
  116. 田中伊三次

    田中国務大臣 いや、私が申し上げたことはこういうことなんです。もう一ぺん言いますが、一口ですけれども。  法律の形の上では、裁判所裁判である。しかし中身はどうかというと、これは行政処分的なものである。行政処分的なものを裁判所がなさっておると、こういうことなんです。そういう内容のものであるとするならば、内閣総理大臣がこれを変更する権限を持っておっても、憲法違反ということは起こり得ないではないか、こういうことを言っているわけですね。  それからもう一つ、皆さんの御意見をはねっ返して悪いのでありますけれども、一つ私は申し上げたいのは、二十七条という条文憲法違反だ、こんな条文はそもそも全世界にだって類例はないじゃないか、全世界にないものをなんで置いているんだ、この二十七条は憲法違反じゃないか、こういう御議論をなさるのならば、話は別なんです。その議論はせずにおいて、そうして司法権を侵害した、侵害した。二十七条があるじゃないかということを忘れておる。二十七条があるじゃないか、二十七条を使ってなぜ侵害になるのか、法律に基づく行為がなぜ侵害になるのか、こういうことです。ですから、二十七条の条文憲法違反であってけしからぬのだという御議論になると、応待の話は別にあるのです、この話は。
  117. 中谷鉄也

    中谷委員 法務大臣、冒頭の御答弁とただいまの御答弁とは私は違うと思うのです。要するに憲法違反かどうかという論議をせよとおっしゃるなら、憲法違反であるという論議は私は幾らでもさせていただきます。ただしかし、このことだけはまずお尋ねをいたします。  前回、本会議において猪俣議員、大先輩の猪俣先生が、佐藤総理お尋ねになった。要するに二十七条に四十国会のあらゆる議論が集中した。そうして、それに対する総理の御答弁は次のようでございました。「関係大臣並びに法制局長官もこの条文がどういう審議の経過をたどり、」ということについては十分承知しているはずだ、こういうふうな御答弁があったはずです。だから法務大臣お尋ねをいたしますが、これはもうあたりまえのことをお尋ねをいたしますけれども、四十国会におけるところの政府の答弁というのは、今日なお政府の答弁として意味を持ち、四十国会においてこの二十七条に議論が集中した、その答弁について政府としては責任をお持ちになるということは、これは当然だと思います。あたりまえだ。私は先輩の法務大臣にまずお尋ねをいたします。いかがでしょう。
  118. 田中伊三次

    田中国務大臣 この法律ができても乱用いたしませんということの声明をしておるように記憶しております。それはそのとおりであろうと思う。したがって、皆さんは今回は乱用したじゃないかと仰せになるのですが、私のほうは乱用はしていない、どこが乱用か、こういうことでございます。
  119. 中谷鉄也

    中谷委員 質問の前提になりますので当時の速記録の、問題になろうかと思う点を、一応両大臣もうすでに速記録は十分御記憶なんだ、お読みになっているはずだという総理の御答弁がありましたけれども、いま一度私読み上げておきたいと思います。  阿部五郎委員質疑に対して当時の植木法務大臣の御答弁でございます。「総理大臣異議申し立てにつきましては、その理由が、公共福祉に対してほんとうに重大な影響を及ぼすということがあまりにも考えられ、放置するときは、そのためにどうしても公共福祉が妨げられるということがはっきりしておるという、非常に重大だというときに、いわゆるこの異議申し立てを」いたします。さらに同じく阿部委員質問に対して、「司法権に対して」——若干補足をいたしますが、要するに司法権行政権との接触の条文だという前提に立って、阿部委員はずっと質疑をしてきておられたわけでありますが、それに対して、「司法権に対して行政権が介入することがいいか悪いか、これは悪いときまっておると思うのです。だから、なるべくならばこういう事態は避けたい。」よろしゅうございますか。「従って、この二十七条の提案におきましても、めったにこれをやらないのだ、ほんとうに真に公共福祉に及ぼす影響が重大であると認めたときにのみ執行するのだ、こういうところにあるのでありますから、司法権を尊重していこうという気持は、これはもう変わりない。」こういうふうな御答弁でございます。そうすると、これはまさにほんとうに、乱用すべきではないというところくらいの話ではなしに、まず二十七条というのは司法権に対する侵害のおそれは十分に含んでおる条文なんだ、非常に、用い方によっては直ちにそのような結果を生ずる条文なんだという趣旨の御答弁が私はあったと思うのです。  ところが、先ほど加藤先生、あるいはまた西宮先生などのほうから、非常に詳細な御質疑がありまして、大臣の御答弁もかなり長時間にわたられたので、全体としてすべてをここではっきり再現するわけにいきませんけれども、この法案が出されたときの法務大臣の御答弁に基づくところの二十七条の解釈と、そうして、いま法務大臣がお述べになっている御解釈との間に、若干ずれがあると私は思う。これは、端的に言えば、植木法務大臣の御答弁は、要するに二十七条というのはとにかく悪法なんだ、あまりいいものではないんだ、しかし、やむなく置いてあるんだという趣旨に私は理解する。この速記録、そうでないと言うなら、これをお貸しいたします。ごらんをいただいて、私の都合のいいところを読んで、大臣お尋ねしたということになれば、私も非常に困りますから、ごらんをいただいてもけっこうです。二十七条というものは一体どんなものだろうかということを、いま一度法務大臣に御答弁いただきた  い。
  120. 田中伊三次

    田中国務大臣 先生仰せのごとく、二十七条は、もうどうにもこうにもならぬときにのみ使うべきものであって、めったに使うべきものではないんだ、その表現をうんと押し上げて、極端な議論をするなら、そんなら、二十七条という条文をつくったことは間違いじゃないか、一体二十七条という条文はどんなときに使うんだ、こういうことになるんですね。(発言する者あり)ちょっと聞いてください。いけないところがあったら、反省もするし、改めもします。いやしくも国権の最高機関である衆参両院議事堂周囲に、しかもそれが開会中だ。この場合はいかなる勢力といえども、示威行進など行なうべきものではない。それを行なうことは、民主主義の上からは誤りである。藤枝大臣の仰せになったごとくに、どうしても意見があるならば、民意を代表する衆議院、参議院の議員以外に、意見があると仰せになるならば、それは請願でお出し願いたい。請願をいいかげんに扱っているではないかというお話がございましたが、めっそうもない話、いいかげんに扱っているというようなことはございません。われわれのところに一団になって出てまいりましたならば、これを検討しておりまして、法律の改正を行なうような場合には、すでに何年、何年、何年、何国会、何国会、何国会に、これこれの請願が行なわれておることでもあり、民意尊重の上からこの改正をいたしたいというふうな理由がついてくるわけでございまして、請願がいいかげんに扱われておるということは誤りでございます。そういう請願の道があるのだから、請願をすればいいではないか。その請願以外の方法によって、国会秩序影響を及ぼすがごときデモンストレーションは、ぜひとも御遠慮を願いたい、こういう趣旨でありまして、一口に申し上げますれば、国会周辺は、秩序を維持する必要性が高いということであります。そういう高いもので……(「村役場の場合は」と呼ぶ者あり)村役場とは違います。これは絶対に最高に高いものであると考えるのであります。そういうものでありますから、最高秩序維持の必要性の高いところにデモを許さないということ、そういう場合こそ二十七条は発動をしてもいいものではなかろうかということが私の解釈でありまして、軽々にこれを使えという解釈ではなくて、こういう重大な事柄に対してこそ使うべきものであるという解釈を持っております。
  121. 中谷鉄也

    中谷委員 一応、国会との問題を離れまして、二十七条についての解釈については、当時の、四十国会における法務大臣の答弁に責任をお持ちになりますか、それでけっこうなんだ、そのとおりだ、——まずこの点から論議をしていきたいと思いますが、いかがでございましょうか、——そこでお尋ねをいたしたいと思います。  自治大臣お尋ねをいたします。二十七条には、「おそれ」ということでございますね。そこで、そのおそれというのは、結局植木国務大臣の御答弁によりますと、「公共福祉に対してほんとうに重大な影響を及ぼすということがあまりも考えられ、放置するときは、そのためにどうしても公共福祉が妨げられるということがはっきりしておるという、非常に重大だというときに、いわゆるこの異議申し立てをしまして、」こうあります。そのおそれというのは、そのようなものとして私は理解をいたします。これはおそれについての御答弁でありますから、そういうものとして理解をいたします。それでよろしいかどうか、まずお答えをいただきたいと思います。
  122. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 おそれというのは、やはり一方においていろいろな心理法則、あるいは過去の経験、そういうことが相当にあり得るということ、そして一方において国会は常に平穏に保たれなければならない、こういうふうに判断すべきものと考えております。
  123. 中谷鉄也

    中谷委員 そこでいま一つ、そのおそれというのをお尋ねをいたしますけれども、それは先ほどから法務大臣の結果論だとか何とかいうふうなお話がありましたけれども、おそれがあるかないかの判断は、異議申し立てのその段階において、その時期において、おそれの有無は判断さるべきだということについては、これはもちろん間違いのないといいますか、私の解釈、自治大臣もそういうことであろうと思いますが、おそれの有無の判断の時期は、異議申し立てのその時期におけるおそれであるということは間違いないと思います。いかがでございましょうか。
  124. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 そのとおりでございます。
  125. 中谷鉄也

    中谷委員 お尋ねをいたします。  植木法務大臣の御答弁を引用いたしましてお尋ねをいたしました中に、過去の経験その他から相当な、というおことば自治大臣のおことばの中に出ました。人相が悪いからすりだというふうなものは、相当な、ではございませんですね。うろうろしているからどろぼうだというわけでもございませんですね。自治大臣の御答弁をいただきます前に、一年間に日本の国では集団示威行進というのは一体何件行なわれますか、政府委員の御答弁を求めたい。
  126. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 まず、集団示威運動でございますが、全国で六千九百八十二でございます。
  127. 中谷鉄也

    中谷委員 それは昭和四十一年の統計とお伺いしてよろしいでしょうか。——そうだとすると、その四十一年の六千を上回るデモの中で、私はまことにデモ敵視の思想があらわれておると思いますが、あえてそういうことを言いたいわけだけれども、これは最高裁判決をお引きになっているのだから、それはともかくとして、六千件の中で、一瞬にして暴徒に化した、要するに騒擾罪にもなりかねないというのは一体何件ありましたか。(「ゼロだ」と呼ぶ者あり)ゼロでございましょう。そんなこと、答弁を求めないでも、ゼロだということは私ははっきりしていると思います。
  128. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 先ほどお尋ね最高裁の判示されましたものの内容は、要するに集団行動というものの特殊性を……(中谷委員「御答弁中ですが、違うのです。六千件の中で何件あったかと聞いております」と呼ぶ)
  129. 大坪保雄

    大坪委員長 静かに答弁を聞いてください。
  130. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 一瞬にして暴徒に化したという件数は、実は調べておらないのでございますけれども、検挙されました件数を御参考までに申し上げたいと思います。検挙件数が……(中谷委員「そんなことは聞いてない」と呼ぶ)検挙人員百七十二名でございます。御参考までに……。
  131. 中谷鉄也

    中谷委員 自治大臣お尋ねをいたします。  実は、これは法務大臣にもあとでお尋ねをいたしますから、お聞きをいただきたいと思いますけれども、この異議陳述書、大臣は電話でお聞きになって、それはよかろう、なかなかうまく書けているとおっしゃったといいますけれども、端的に申しまして、きわめてお粗末きわまるものではないか、私はそう思います。もちろん私は、実務家ですから、停止決定が出て早々の間に書かなければいかぬという事情があったということはわかりますけれども、もう少し書きようもあるものだと私は思う。西宮委員の御発言がありましたけれども、最高裁判決のまる写し、書き写しという印象を私は免れない。  そこで自治大臣お尋ねいたしますけれども、この場合の「おそれ」というのは一体何か。「おそれ」としてこの異議陳述書の中に書かれているが、この文章の中に「一瞬にして暴徒と化し」ということばが出ておりますけれども、こんなおそれはなかったのだ。このことが、おそれの中の一つの内容として異議陳述書の中には出ておりませんですね。そうですね。しかも政府委員の御答弁によりますと、そんなものは知りません、存じません。一瞬にして暴徒と化すようなことがもしあって、あなたが知らない、そんなことがあったら、これは職務怠慢だ。そんなものはないにきまっているのですよ。少なくとも六千何件のうち——職務質問をいたしましても、うろうろしている人を百人つかまえれば、一人ぐらいはどろぼうが出てくるかもわかりません。六千何件やったって、一件もそういうものがないということは——相当なおそれというものは、少なくとも相当なおそれですよ。何万分の一の可能性というのは別ですよ。相当なおそれというものは、少なくともこの点についてはないと言わざるを得ないと思うのですが、いかがでしょうか。
  132. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 一瞬にして暴徒に化すというような、そういうおそれを私は言ったわけではございません。ただ、あれの中に定義づけましたのは、最高裁でもいっておりますように、集団示威運動というのはこういう性格を持っておる、そういう性格を持っておる、そうしてその中で、一瞬にして暴徒に化さなくても、あるいはすわり込みをする、あるいは投石をする、そういうようなものは、当然平穏を保たれなければならない国会周辺にあっては避けなければならない事態であるというふうに感じたわけであります。
  133. 中谷鉄也

    中谷委員 御答弁をいただきまして、そういうふうなまことに不祥なできごと、一瞬にして暴徒に化すというようなことが相当なおそれ、おそれのそういうことがあり得ることとして政府はお考えになっていない、まずこのことが御答弁の中から引き出されてきたと思うのです。おそれといわれる限りは、相当に高い、非常に高い蓋然性を持ったものでなければならない、それを私はまず答弁として伺ったと思います。  その次にお尋ねをいたします。この異議陳述書というものを拝見をいたしましたが、先ほど法務大臣の御答弁になっておられる、国会というのは「平穏な環境の中において公正な審議ができることを常に保障されていなければならない」私は当然のことだと思うのです。しかしそのことは、平穏な環境のもとで保障されておらなければならない、それが望ましいのだ、そうありたいのだ、国会というものは、そういうものであるべきだということ、その平穏の保障ということ——この場合の平穏というのは、静かなという意味ですよ。私はそういう意味お尋ねしているのです。そのことは、異議陳述の中のいわゆる「おそれ」として書かれていないと思います。異議陳述の中の「おそれ」というのは、具体的に大臣お尋ねをいたしますけれども、一体具体的にはこの異議陳述書は何を「おそれ」としておっしゃっておるのか、お尋ねいたしたいと思います。異議陳述書に基づいてお答えいただきたい。
  134. 田中伊三次

    田中国務大臣 そういうお尋ねのしかたは無理なんです。(中谷委員「そんなことはない」と呼ぶ)いいえ、日本語で書いてある。日本語のおそれというものは、現実具体的にどのような影響が生じたのかということを、ここで断定することはできないおそれなんです。したがって、そのおそれとはどういうことかといえば、おそれとは、あえて別のことばをもって申せば、可能性ということです。影響する可能性がある、こういうことなんです。それを現実にどういう根拠に基づいて——それは無理というもので、法律にはそんなことは書いてない。
  135. 中谷鉄也

    中谷委員 法務大臣、少しお疲れになっているのではないかと思います。私は申し上げたいと思います。異議には理由を付さなければならない。自治大臣は、もちろんそういうようなことについてはわかり切っておられるはずです。そうですね。そこで、そのおそれというのが可能性だとか蓋然性だというようなことを書くのは無理だ——そんなことを書けとだれも、私も言っているのではないですよ。異議陳述書に書いてあるじゃないですか。大臣、こう書いてありますよ。まず、異議陳述書の組み立てばこうなっております。要するに、平穏な環境の中において保障されることが望ましいという前提がありまして、そして最後に、出入り往来について確保できないおそれがあると具体的に書いていますよ、大臣書けないとおっしゃるけれども。いまの御答弁は、だから、私の聞いていることを何か誤解されたか、お取り違えになったと思うのです。  要するに、お書きになっていることは、関係施設等に出入り往来することの確保ができない、そのおそれがあるのだということを認めるからにほかならない、こう書いてあります。そして最後に、私をして言わしめれば、言わずもがなのことだと思いますけれども、最高裁判決をお引きになって、一瞬にして暴徒ということが事情として出てきている。事情というか、何というか、説明として出てきている。そこで、この場合の異議陳述書の「おそれ」というのは、要するに施設等に出入り往来することの確保ができないおそれがあったかなかったかということが、異議申し立て当時の御判断の基礎であったと思いますが、私は何も大臣にそういうおそれというものの法律的な意義をお聞きしているのではないのです。おそれということの具体的な事実はそういうことで異議陳述をお出しになったのですね、そうお聞きしているのですよ。
  136. 田中伊三次

    田中国務大臣 ですから、先ほどから何度も申し上げておるように、本件については、重大なる影響を及ぼすおそれのある事情を書けというのだから、いまあなたが具体的と仰せになっていただいた事情を書いておる。そういう事情を書いておる。よくできておるでしょう。——いいえ、よくできておりますよ。私はそう思う。それで何かおかしいところがあるかというと、私の見るところではおかしいところはない。おそれを書いている。おそれあることの事情を比較的具体的にできるだけのことを書けという意味で書いたわけですね。
  137. 中谷鉄也

    中谷委員 だから、私もあまりしつこいほうじゃない。お尋ねいたしますが、要するにおそれというのは、そうすると、この中ごろにある、そのような「おそれがあると認められるからにほかならない。」こう書いてあるのですね。逆にいうと、このために関係施設等に出入り往来することの確保ができない。そのおそれがあるという、その事情は、そのことだ。あといろんなことをおっしゃった。静かにしろとか、平穏にしろとか、平穏でなければならぬということは異議陳述の「おそれ」ではないというふうに、私はこの陳述書を、これこそすなおに日本語として読めばそうしか読めないのです。陳述として、私は法律論としてお伺いするのですけれども、それでよろしいですね。
  138. 田中伊三次

    田中国務大臣 ちょっと待ってくださいよ。
  139. 中谷鉄也

    中谷委員 待って……よくお読みになる、何べんもよくお読みになって、暗記しておられるとおっしゃっておるから聞いておるのですよ。
  140. 田中伊三次

    田中国務大臣 中谷さん、あなたの熱心なお話を聞くとつり込まれるのです。そこで、こういうことですね。「往来することの確保ができず、」これは中に説明として書いてありますね。それから「このため国政審議権の公正なる行使が阻害されるおそれがあると認められるからにほかならない。」この通りですな。
  141. 中谷鉄也

    中谷委員 そこで、書いてあることはそのとおりであります。
  142. 田中伊三次

    田中国務大臣 書いてあることは、往来の自由が妨げられても国政審議に影響しますね。これは書いてありますね。このとおりですね。
  143. 中谷鉄也

    中谷委員 このとおりですね。どうぞ。
  144. 田中伊三次

    田中国務大臣 いや、それだけなんです。
  145. 中谷鉄也

    中谷委員 そうすると、先ほどから集団示威運動の中で、とにかく静かにしてもらわねばいかぬのだ。歌声が聞こえてはいかぬのだというふうな何は、審議に対する異議陳述の中の「おそれ」としては、申し立ての「おそれ」ではない。結局それは先ほどから大臣何べんもとにかくやかましかったらいかぬのだ、こうおっしゃったけれども、それはもちろんやかましくないほうが私もいいと思います。しかし、国会の前の道路は、自動車がどんどん走っている。その音は聞こえてまいります。そういうふうないろんな自動車が走る権利がある。その権利と、国政を審議するという、これは一番大事な権利です。それとのからみ合い、接触、交錯、そんなものの中で、やはり自動車も走る権利がある。その自動車の騒音というものが、やはり委員会の窓を通じて聞こえてくることもある程度受忍しなければならぬというようなことを考えてみますと、先ほどから大臣が盛んにおっしゃられた、何かやかましいのはいかぬというふうなことは、少なくとも異議陳述の中の「おそれ」でない。何か大臣のお話は、非常におそれというものを異議陳述書とちょっと離れたところで、国会のあるべき姿というか、私はそれは大臣と見解を異にするのです。私は、やはり国会というものは、もっと——国会聖域論というふうなことを一部で言われました。国会議事堂は聖域である。しかし、そのことはほんとうに民衆の泣いている声、あるいはまた民衆の悲しみの声、あるいは喜びの声、そういうふうなものがじかに響いてきたとして、私は何らその聖域を妨げるものではないし、国会の尊厳を傷つけるものではないという考え方に私は立っている。大体こうして総理自身が答弁しておられる。声が聞こえてきたからといって国会議員の皆さんが審議に妨げになるような人は一人もおらぬでしょうといって本会議で答弁されましたね。だから、私はこうして大臣に一生懸命に聞いているときに、そんなものは耳に入ってこないと思うのです。  そういうことで、まずお尋ねをいたしたいと思いますけれども、静かであってほしいというようなことと、この異議申し立ての「おそれ」は違う、この点をまず明確にしておいていただきたいと思います。
  146. 田中伊三次

    田中国務大臣 それは、こまかいお話をなさるから、何度も承って初めて御質問の御趣旨がわかったのですけれども、自動車が音を立てて走っている、議事堂の中から窓に臨んで車を見ていると、ブーブー走っておる音が聞える。それは事実じゃまにはなりますね。同じようにデモがやってくる。デモがじゃまをする、これも同じ音ではある、静ひつを害している。しかし先生、性質は二つ違うでしょう。自動車は示威行進、示威運動ではない。デモストレーションではない。通行をして自然にガソリンの排気が出ておる音がしている、ベルが鳴っているということなんです。しかし、デモそれ自体は、示威運動だ、これを見ろということだ、これを見ろということは国会議員、これを見ろ、こういうことなんです。それはえらい違うでしょう、何ぼ性質の内容、騒音の内容でもね。これを見ろという意図を持ってくる。そこで私が最初から言うたように、国会議事堂生命言論でなければならぬ。国民を代表して行なう有資格者たる議員諸君の言論でなければならぬ。その言論以外の何ものでも議事堂に対して示威を行なうべきものでない。そんなことにおじるとかおじぬとか、お前のような心臓の強いものがおじるはずはなかろうというようなことは問題でない、そういうことは一切問題でない。そういう示威を行なうこと自体、そのことが公共福祉の上からおもしろくない、こういう考え方に立っておるのがこの書類でございます。
  147. 中谷鉄也

    中谷委員 私はそうは思わないのです。要するにデモの好きな人、あるいはそういうデモというものは、国民の権利なんだという理解を示している人、またデモについて非常な嫌悪感を示しておる人、その人についてはその気勢が一つの騒音と感ずるかもしれない。しかしほんとうは国民の切実なものなんだということになれば、胸に響いてくる人間だってあるのです。しかし、私が申し上げているのは、デモに対してあまり好きじゃないのだという立場の人にとってみたって、平穏に平穏にとおっしゃるけれども、その人にとってみたら、けっこう自動車の騒音と音の高さは同じであります。しかし、それに耳を傾けて、聞こうとする耳を持っていただきたいということを、もちろん前提に置いて言っているのですよ。だから私は、結局異議陳述でいっている「おそれ」というのは、しつこいようですけれども、いま一度お尋ねをいたしますけれども、ただ一点、施設に対する出入りが確保されないかもしれない、そのおそれとして異議申し立てがなされた、平穏だとか何とかいうことについては、必ずしも異議申し立ての内容にはなっていないのだ、そんなことまで——とにかく国会というのは、オールマイティではないのだという異議申し立てでございますね、こう聞いているのです。  では、重ねて大臣お尋ねいたしますけれども、総理は本会議で、「審議に関係する人たちに対しまして気勢が示されるのでありまして、国会の審議権の公正な行使に支障を与えることは」云々、こういう御答弁になった。この気勢ということと、また異議陳述書の出入りの確保ということと、これはおのずから違ってくると思う。そうすると先ほどから私が聞いているのは、そういうふうな異議陳述書の「おそれ」というのは、出入りの確保一点に限るのですよ。そうだというふうに私はお伺いしたと思うのです。そうするとこの本会議の答弁の中の「気勢」ということになってくると、それがいかぬのだということになってくるが、異議陳述書と総理の答弁とは食い違ってくると思いますが、いかがですか。
  148. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 先ほど法務大臣お答えいたしましたように、この異議陳述書の中のいろいろな審議、折衝あるいは連絡、そうしたものをいろいろあげまして、そして関係施設等に出入、往来することの確保ができない、そういういろいろなことで国会の審議権の公正な行使が阻害されるおそれがある。国会審議権の公正な行使が阻害される、それが「おそれ」でございます。
  149. 中谷鉄也

    中谷委員 「事情」としての前提としては、しかしそうは読めませんですね。公正な審議を害されるおそれとしては「事情」として一つしかお書きになっていませんから、この点についてはまたあす横山委員のほうから質問をしていただきます。  そこで私、お尋ねをいたしたいと思いますけれども、要するに本件の異議申し立てが乱用にわたったかわたらなかったかという点が、結局争点に相なっておりますが、二十七条の違憲論ということをここで展開しろというなら、展開をいたしますけれども、これは展開をしない。問題は、この二十七条のは、こういう異議申し立てが乱用にわたったかわたらないかということを、先ほどから何べんも申し上げた。  そこでもう一度自治大臣お尋ねいたしますけれども、植木法務大臣の御答弁から、政府のお考えになっている「おそれ」というのは、自治大臣、相当な、というおことばをお使いになったけれども、要するに学説的に言われております現存明白なもの、そのおそれというのは現に存在し、そうしてそれが明白なおそれなんだ。おそれというものは、そういうものでなければならないというふうに理解をするのが通説であると考えますが、この点についてお尋ねをいたしたいと思います。  なお、裁判所に対して異議申し立てをされた。裁判所はそれにもう何らの抵抗する方法がない。ところが裁判所決定の中には、加藤委員質問になりましたように、そのようなおそれがある資料はないと、こういうふうになっていると思うのです。資料がない。疎明資料がないとなっている。疎明資料は結局、自治大臣国会開会中なんだと、その事実、それだけがその疎明資料ということですか。
  150. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 そのおそれというのは、先ほど私申し上げましたように、相当なおそれがある。いまおっしゃった現存明白なというどころではないと思います。私は、この問題につきましては、その意味で、今回の処置は植木さんの当時のお答えと異なっていないと考えます。もちろん学説には、現存明白であるべきという学説のあることは承知をいたしております。
  151. 中谷鉄也

    中谷委員 おそれ入りますが、植木法務大臣の、ほうっておいたらたいへんなことになるんだという場合しか異議申し立てをしないんだと、これはもう私は、現存し、そしてそれがはっきりしているんだという、現存明白というその原則が貫かれた立場での御答弁だと思うのです。そうすると、一体この場合のおそれというのは、その異議申し立ての当時、現存していなくてもいいということに相なるんでございますか。そのおそれは、不明確でもいいということに相なるんでございますか。そういうふうな異議申し立てをおやりになった、そういう異議申し立てもいいんだ、しかも現存明白でなかったということになるんですか。
  152. 藤枝泉介

    藤枝国務大臣 先ほどからお答えをいたしておるように、そういうことが、相当のおそれがあり、それをほうっておけば、場合によってはたいへんなことになるということでございまして、その判断する時点においてすでに現存し、あるいは明白になっておるおそれというところまではいかないと思います。
  153. 中谷鉄也

    中谷委員 では、一点だけ、もう最後の質問で別のことをお尋ねいたします。  停止申し立てをいたしまして、当然前提として本訴が提起されますですね。この本訴の運命は、こうして集団示威行進が異議申し立てがあって、そうしてすでに異議申し立てによる停止の取り消し、もとに戻ったコースで行なわれたと思う。そうすると、一体、この本訴の運命というのはどういうことになるのでしょうか。これはひとつ政府委員のほうから御答弁をいただきたいと思います。これは何べんも、私申し上げているように、乱用してはならないという問題と私は関係があると思うのですが、本訴の運命は一体どういうことになるのでしょうか。政府委員の御答弁を求めたいと思います。
  154. 田中伊三次

    田中国務大臣 これは大事なことでございますから、私からお答えいたします。  本訴の運命は、有効に現在裁判所で審理しておるわけですね。係属しておる。その係属中の事件の運命をいかに処理するかということは、裁判所以外のものが言ってはならぬ。これが新聞、言論界、国民の皆さんが仰せになること御自由でございますが、そういう事柄立法府たる国会が言ってはならぬ。同時に、行政府もこれに触れてはならぬ。こうなるであろうという判断はございますけれども、触れるべきものでない。これは、そのこと自体が司法権に対する侵害になる、こう考えるのです。で、これは政府委員からも答弁はさせません。どうぞ御理解をいただきます。
  155. 中谷鉄也

    中谷委員 デモが不許可になりまして、あるいはまた許可されたそのコースが動けないということで本訴を出した。その場合に、すでにそのデモの日時が経過したというふうな場合に、訴える利益がないということで本訴は終結をする。何かその以外の救済方法もあるんですよ、あるかもしれませんよ、裁判所のことだから、とでも法務大臣はおっしゃるのですか。そんなことは——私が申し上げたいのは、要するに、異議申し立てが出てしまったら、すでにもう訴える利益がないということで、結局——現在係属していることはあたりまえのことです。係属しております。結局、これがもう最終審みたいなかっこうになってしまって、訴える利益がないということで救済の方法がない。そうすると権利の救済というのは、とにかく裁判所で最後まで争えて、裁判所で御判断をいただけるんだということの問の矛盾が生じてくるじゃないか、だからこそ異議申し立てについては慎しむ上にも慎しむんだということが、私が言いたい点の第一点なんです。  いま一つ私が申し上げたいのは、外国にも立法例がないということ。あるかないかは、私はそれほど関心を示さなかったけれども、ないと思う。しかも大臣のほうで、あるかないかについて御存じなかったということと、そういう状態の中で、しかも端的に言って、デモというものに対する異議陳述書の御記載を拝見いたしますと、デモ大衆あるいは公衆、群集というものに対する信頼というものが、必ずしも政府にあるというふうには私は思えない。これは見解の分かれるところですけれども、そういうふうないろいろなことから考えてみて、私は今度の申し立てば権利の乱用のそしりを免れないのではないか、少なくとも妥当ではないと思う。こういうことを申し上げたわけです。しかし、この点については加藤委員、それから西宮委員のほうから、両大臣に対して質疑があり、御答弁がありました。平行線をたどったようなわけですから御答弁を求めませんけれども、私はやはりこの問題は、あすさらに横山委員に引き継いでいただいて、ことに「おそれ」というものは論点の一つとして掘り下げていただきたいと思います。ですから、端的に申しまして、何か大臣の御答弁も、「おそれ」というのは可能性とか蓋然性とかということで言いあらわされないじゃないか、異議陳述書が土台になり、これを掘り下げるべきものですから、これを基本にして御論議をいただきたい。このことを私は要望いたしまして、なお、私自身も、この問題については、まだまだお聞きしたいことがございます。したがいまして、この点について、委員長のほうにおいて機会を与えていただきましたならば、さらに質問をさしていただくということだけを委員長にもお願いをいたしまして、本日の私の質疑は終わりたいと思います。
  156. 大坪保雄

    大坪委員長 本日の議事はこの程度にとどめます。  次会は、明十六日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時五十九分散会