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小松委員 教育の目的的な点を言えばそういうことでありましょうが、そういうようなことをこの
センターに
関係している者がかってに都合のいい解釈をして、しかも修学旅行をあっせん業者に頼むとか、あるいは修学旅行会に何とか泣きつくというようなことで、そういう目的が達せられようと思っているところにたいへんなあやまちがある。そういう
考え方を起こすということは、旅館業をやれば、シーズンオフとシーズンとがはっきり分かれておることは間違いない事実なんだ。どこの旅館だって、シーズンのときにはお断わりをするけれども、シーズンオフのときには閑散たるものなんだ。だから、この
センターに旅館的な要素があるから、シーズンのときにお断わりするようなこともあるかもしれないが、オフのときにはかんこ鳥が鳴くというような、だからその間をあっせん業者に宿泊を頼んで赤字を埋めていこうという観念、そういう
考え方で
研修センターということは意味がない。そういう
考え方で
研修をやるということは、それは何のことかわからぬ、実際問題として。理想は、
法律的に見ても「
青少年の心身の発達を図り、もって健全な
青少年の育成」なんというえらい目的があるけれども、これは実際は目的倒れで、ほんとうは客観的に見れば、
センターという名、
オリンピックという名をかたって簡易ホテルを経営しておる。名前だけちょっと
オリンピックと出してあるからだましいいのか何か知らぬけれども、全く簡易ホテルの経営をやっておる。そしてみみっちい考え、シーズンオフにあっせん業者に頼んで客募集をやる、客引きを使うという
考え方はもってのほかだと思うのです。そういう観念があるということで
研修と一体にならない、そういうことでこの
研修を考えておったら話にならぬ。徐々に
体育の
施設というものを拡大していくという考えがあるかもしれぬ。しかし、
オリンピック記念だというならば、問題は、
体育に関する
研修の場として拡大すること、そうして
体育の
青少年指導育成の場は、東京の
オリンピックセンターに行けばその道も修養ができるというならば話はわかるけれども、
野外運動場もなくて、屋内のわずかな
研修設備くらいで大きな命題を掲げてもやりづらいのじゃないかと私は思う。やりづらいならば思い切って、
オリンピック記念東京
宿泊施設とかなんとかいう名前にしたほうがはっきりしていい。赤字が出たらこうだ、埋め合わせもあるいはおとなを泊めてもいいかもしれぬ。しかし、十五万人のうちに社員の
研修が大半で、あとはおとなでというような経営実態で、
青少年センターなどとは、これはおこがましくて言いにくい。発足一年目だから実情はそうだというならば、だがこの経営の実態から見て、私は将来も同じことが言えるのじゃないかと思う。それならば、
文部省は本格的に前向きに取り組むべきだ。旅館賃を取って
研修をさせるという
考え方を竿頭一歩を進めて、ここに選抜されてくる
研修者は国費をもって
研修の場を与える、それならば話が前向きに進むと思う。銭を取って
研修し、むずかしい理屈だけ並べたって意味がない。やはり前向きにやるべきだ。
文部省は今度冷房設備をする。これは学生
オリンピックをするから、外人が来るからということなのでしょうが、それもいいでしょう。三億円もかける。しかし、それよりも、これは全国一つしかない
センターでしょう。
オリンピックという名を冠しておる
センターなのですから、ただで宿泊さして、地方の青年の家から選抜された者がここに集まって、お互いに切磋琢磨する道場であってもいい、座禅を組んでもいいでしょう、そうしてそれは全部無料で国がやるのだ、そして国で
センターに入れたというお墨つきをつけてやるぐらいにやれば、全国青年の家も、ここで
研修を半月したら選抜されて東京の
センターで
研修をやるのだというような方式になる。いまは、地方の青年の家とこの
センターは、名前だけは似ているけれども、およそ似ても似つかない中央簡易ホテルにしかなっておらぬ。この辺、
文部省はこのままの
運営を続けようと考えておるのか。竿頭一歩を進めて、大蔵省から予算をとって、前向きに
青少年をほんとうに
研修センターで導こうというならば、それぐらいの前向きの
考え方がなくて一体何としてこれを乗り切れますか。結局、あっせん業者に頼んでとにかく穴埋めをするような経営になる。これは落ちつくところはそうなんですよ。その辺の
考え方はどうなのですか。