運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1967-06-28 第55回国会 衆議院 文教委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年六月二十八日(水曜日)    午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 久保田藤麿君 理事 中村庸一郎君    理事 西岡 武夫君 理事 八木 徹雄君    理事 小林 信一君 理事 長谷川正三君    理事 鈴木  一君       菊池 義郎君    久野 忠治君       河野 洋平君    葉梨 信行君       広川シズエ君   三ツ林弥太郎君       渡辺  肇君    唐橋  東君       川村 継義君    小松  幹君       斉藤 正男君    平等 文成君       三木 喜夫君    山崎 始男君       吉田 賢一君    有島 重武君       山田 太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  出席政府委員         総理府青少年局         長       安嶋  彌君         警察庁保安局長 今竹 義一君         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      天城  勲君         文部省社会教育         局長      木田  宏君         文化財保護委員         会事務局長   村山 松雄君         建設省道路局長 蓑輪健二郎君  委員外出席者         大蔵省主計局主         計官      小幡 琢也君         大蔵省国有財産         局国有財産第二         課長      立川 宗正君         大蔵省国有財産         局鑑定審議官  三島 和夫君         文化財保護委員         会委員長    稲田 清助君         厚生省環境衛生         局食品衛生課長 石丸 隆治君         参  考  人         (日本道路公団         理事)     藤森 謙一君         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 六月二十八日  委員唐橋東辞任につき、その補欠として野口  忠夫君が議長指名委員に選任された。 同日  委員野口忠夫辞任につき、その補欠として唐  橋東君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 六月二十三日  学校給食法の一部を改正する法律案斉藤正男  君外八名提出衆法第二七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  日本学術振興会法案内閣提出第九〇号)  文化財保護に関する件  社会教育に関する件(青少年不良化防止に関  する問題)      ————◇—————
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  内閣提出日本学術振興会法案を議題とし、審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 前回の委員会で同僚の西岡委員から本法案に対しましていろいろ御質問がありまして、かなりその法案内容が明らかになってまいりましたが、私は西岡委員質疑を承り、また、さらに関係資料等をいろいろ短い時間でありますが調べてみまして、この法案は、これはなかなかたいへんな内容を持った法案であり、日本の今後の学術研究体制あるいは学術振興に対しまして、まことに重大な影響のある法案であるということを一そう感じておるのであります。すでに日本学術会議におきましても、先般の西岡委員質疑にも出ておりますが、強い要望と申しますか、意見が述べられておるようでありますし、また学術会議自体では、すでに数年前から日本学術研究なり振興なりの体制組織については勧告をしておるように伺っておりますが、それらとの関連について考えてみましても、これはなかなか重要な法案であって、政府が提案し、また与党皆さんもこれをおそらくその立場から支持されていると思うのでありますけれども、しかし、与党とか野党とか、反対とか賛成とかという前に、やはりこの法案の実体と、特に今後に及ぼす影響というようなものにつきましては、ほんとうに虚心にこれは考えまして、ひとつ慎重に審議をしてやりませんと重大なあやまちをおかすのではないか、私はこういうことを強く感ずるのであります。特に、学問、思想の自由は憲法の保障するところでありますが、学術振興ということにつきましては、学者研究自主性が一〇〇%に保障されませんと、ほんとう学問振興にもなりませんし、また、学問が片寄った政治的な意図や時の国家権力などに奉仕する狭い活動になってしまう、こういうようなことは政府当局者自体も、ことに文教の府にある文部大臣以下文部省の方々、さらに与党皆さんも、これはほんとうに慎重に考えていただかなければならぬのじゃないか、こういうことを痛感いたしておるわけであります。そういう立場から、私はこれからしばらく御質問を申し上げたいと思いますので、ぜひひとついま私が申し上げたような大所高所に立った立場から、行きがかりにとらわれない率直な御答弁をお願いし、悩みがあれば率直にその悩みも出していただきたい、こう思うわけであります。  そこで、順序といたしまして、先般も、いままでありました財団法人日本学術振興会成立経緯等について西岡委員からも質問があり、資料にも概略が出ておるのでありますけれども、もう一ぺん、この日本学術振興会財団法人としてのものの成立経緯と、それから特にその事業の要点、功罪、そういったものを要約して、これは大臣が全部御答弁になるというわけにもいかないかとも思いますが、大臣並びに関係者から御答弁をいただきたいと思います。
  4. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 学術振興会成立過程でございますが、昭和六年でございますか、だいぶ古いことでございますが、日本学術振興する意味におきまして、その当時天皇の御内帯金ですか、これを受領いたしまして、そして財団法人を設立いたしまして日本学術振興中心的機関としていこうとしたわけでございます。ところがその後、いろいろ紆余曲折はあったのでございますが、終戦と同時に日本学術の新体制という問題が起こりまして、新しい日本学術体制をいかにすべきかという委員会がつくられまして、その委員会によって結論が出されて組織されましたのが日本学術会議でございます。申すまでもなく、日本学術会議は、選挙によります学者の民主的な学術団体といたしまして、そしていわば学術上の最高の機関として政府に対しまして学術研究に対しまする勧告をいたす、政府はそれを受けまして施策として学術振興施策を行なってまいるという体制になったのでございますが、その際に、この学術会議勧告機関でございまして実施機関ではございませんので、この傘下に財団法人学術振興会をその実施機関として認めてまいったのでございます。その後、この学術振興会事業学術会議勧告に基づきましてだんだんと拡充され、事業内容につきましては後ほど御説明申し上げると思いますが、国内の学術振興のみならず、国際交流と申しますか、そういった国際提携の面につきましても学術振興会が行なってまいったわけでございます。これはいままでそういう国際的な働きもいたしてまいりましたし、それから、政府施策としてこれをいたします学術振興予算の実際上のことは、学術振興会がこれを実施するという形になりまして、いままでのような単なる財団法人では国際的な信用の面からいってもどうもなりませんので、この際、特殊法人としてこれを認めていただきたいというので法案を出したわけでございます。学術振興会という特殊法人にいたしまして、これは国がやはり予算的な措置を、責任を持ってやるという関係がございますのでこういう関係にいたしたのでございますが、しかし、学問研究の面は、役所が直接にいたすのでなしに、あくまで学者の自主的な研究活動を助成する、こういう意味合いにおきまして、政府は金は出しますけれども、その研究活動内容についてはあくまで学者自主性を尊重して、その研究を助成すべきだ、こういう形において特殊法人といたしておるのでございまして、いま長谷川先生のおっしゃったような趣旨をなお一そう徹底していこう、こういう意味合いから設立をしようとしておるのでございます。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの大臣の御答弁は、私が御質問申し上げたのはその前段に対して御質問申し上げたので、後段の特殊法人としての今回の法案趣旨にまで及ばれたわけですが、財団法人としての振興会がやってきたことにつきまして私はお伺いをしたのです。大臣からでなくてもけっこうですから、その点をひとつ……。
  6. 天城勲

    天城政府委員 いま大臣が申し上げましたように、戦前からの機関でございますので、事業とその実態は、戦前と戦後に分けて申し上げたほうがいいのじゃないかと思います。  昭和六年に貴衆両院学術研究振興に関する建議がございまして、それに基づいて、昭和七年に御下賜金百五十万円を資金として設立された団体であります。戦前におきましては、秩父宮殿下がずっと総裁というポストを占められまして、歴代首相会長をつとめておった機関でございます。  やりましたいろいろな仕事もございますが、二、三具体的なことを申し上げますと、パラオの熱帯生物研究所災害科学研究所物理探鉱試験所の設置というようなものが、ここの仕事として出ております。それから学界と産業界との共同研究の推進、研究者に対する研究費交付というような実績をあげてまいりました。また、天災の営造物に及ぼす危険防止の方策、これは昭和九年でございますけれども、これをはじめとして、幾つかの学術上の建議政府にいたしておりまして、そのうちの多くのものが国の施策に採択されてきたわけでございます。そういう意味では、学術援助団体として、戦前からのしにせの団体であるわけでございます。  戦後は、御存じのような財政事情の悪化によりまして一時事業が縮小いたしました。昭和二十八年に、これは学術会議からの御要望もございまして、特に閣議決定によりまして、研究者外国図書あるいはフィルムとか器材の購入の便宜をはかるために、ユネスコクーポン制度というものが発足いたしましたので、その取り扱い機関に指定いたしまして、これをきっかけにしまして事業もだいぶ活発化してまいりました。  それで、先ほど大臣が申し上げましたように、戦後の学術体制の中で学振のあり方をどうするかということでございましたけれども、結局、学術会議との関係一つございまして、民間財団法人でいくということになったわけでございますが、何せ財政状況が非常に悪かったものですから、民間機関として仕事をするにしましても資金面で非常に苦労いたしておったわけでございますが、やはりしかるべき政府補助金が必要であるという御意見も出てまいりまして、文部省から逐次補助金を出すような方向に入ってまいりました。特に、先ほど申したユネスコクーポン取り扱い機関として指定されてから活発化してまいりましたが、次いで三十一年に南極地域観測事業発足いたしましたのに対して、これに対しまする後援事業をいたしております。それから、三十四年からは、これは文部省からの補助金でございますが、いわゆる奨励研究生制度、それからこれを外国人にも及ぼしまして外国人流動研究員制度、それから三十七年から日米科学協力研究事業、三十九年からは外国人奨励研究員制度、四十年から宇宙線研究あるいは地磁気研究というような国際共同研究事業をそれぞれ文部省補助金として実施してきているのが、ごく大ざっぱに申し上げた戦前、戦後の学振の事業の中身でございます。  組織といたしまして、当時学術体制発足にあたりまして学振をそのように重視いたしたいきさつから、この学振の評議員会構成におきましては、学術会議関係政府機関学士院等との関係を緊密にするという前提のもとに、評議員会構成も行なってきているわけでございます。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それではお尋ねいたしますが、戦前振興会法的性格はどうであったのでございますか。  それから、御内帑金発足したわけですが、その間の事業費というものはどこから仰いでいたものか、まずそれをひとつお聞きいたします。
  8. 天城勲

    天城政府委員 戦前法的性格は、民法の財団法人でございます。これは今日まで同じ性格で来ております。  当時の資金でございますけれども、戦前昭和八年のころを申し上げますと、民間寄付金が百八十万ございまして、一方、政府補助金が当時七十万——最初がそうでございますが、政府補助金は大体七十万、八十万ぐらいでございまして、民間寄付金の出入りがございますが、その後民間寄付金のほうはあまり伸びておりませんで、一時は十万円台に落ちているときもございますが、全体として、政府補助金と合わせて百万円ぐらいの規模でございます。昭和十四年ごろから少し政府補助金もふえ、民間寄付金もふえてまいりまして、ちょうど戦争の過程でございますけれども、一番大きなときに、当時の金で三百万円ぐらいの規模になっております。あとは、戦時中のことで、政府補助金による、先ほど申し上げました個人研究費交付をいたしております。その金が主体でございまして、終戦を迎えてしまったわけでございます。  戦後一時、先ほど申した形で民間寄付金もほとんどございませんでしたが、二十三、四年ごろから、二百万、三百万あるいは五百万というふうに、逐年民間寄付金も上がってまいりましたし、政府のほうの補助金も三百万台、四百万台と上がってまいってきているわけでございますが、戦前は大体そんな様子でございます。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの続きですね、戦後になりまして、学術会議ができ、そして、執行機関でないからなおこれを存続させてということですが、それの費用分担がどういうふうになっているか、できたら年度別にずっと……。
  10. 天城勲

    天城政府委員 戦後の状況でございますが、学術会議のできたのは昭和二十四年でございますけれども、大体その前後から申し上げますと、政府補助金は、二十三年から三十二年まで十年間ぐらいは、大体三百五十万、あるいは年によりまして四百万という年もございますが、大体三百五十万。その間の民間寄付金は、出入りございますが、徐々に上がってまいりまして、二十三年の二百四十万から三百万、三百八十万、五百万となってまいりまして、三十二年ころに一千万になっております。三十四年から文部省流動研究員制度その他の補助金がそこへまいりまして、三十四年ころから国の補助金が二千万、それから翌年が四千万、それから六千万、そういうふうに上がってまいりまして、それから国際共同研究事業が入りましてから億台になってまいりまして、現在三億ほど補助金が出ておるというような状況でございます。一方、民間のほうの寄付金も、先ほど申しました一千万円台から逐次上がってまいりまして、現在のところ二千八百万前後というのが実情でございます。
  11. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その費用分担経緯はわかりましたが、今年度はどういうふうになっておりますか。
  12. 天城勲

    天城政府委員 四十二年度学術振興会予算の大体でございますが、収入におきまして、事業収入が千三百四十万、これは出版物収入とか、先ほどのユネスコクーポン手数料とか、あるいはその他委託事業手数料等でございます。それから国庫補助金は三億三千万、その他雑収入ですとか資産収入が百五十万ほどございます。それから秩父宮記念学術賞としての収入が二万ばかり、合わせまして三億四千四百九十三万六千円というのが本年度収入でございます。  それに対しまして支出でございますが、管理費として四千四百万、これは主として人件費が三千九百三十四万八千円、それから管理運営費が四百七十五万九千円でございます。それから事業費のほうが三億九千三百九十二万九千円でございまして、その内訳は、事業によっていろいろ違いますが、流動研究員制度に関しまして七千百三十八万三千円、これは流動研究員奨励研究生あるいは外国人流動研究員外国人奨励研究員等によっての事業によって構成されております。それから大きく分けて、学術国際協力事業が二億一千九百六十一万七千円でございまして、日米科学協力研究事業日米教育文化協力事業国際共同研究事業等に分かれております。それから学術普及事業として二百九十二万九千円、これは印刷出版物とか学術情報の調査その他でございます。合計三億四千四百九十三万六千円というのが支出合計でございます。
  13. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 昨年度と比べて、支出総計についてどれだけ違いますか。
  14. 天城勲

    天城政府委員 四十一年度と比較してみますると、管理費におきまして千四百六十九万一千円の増でございます。約一千五百万。それから事業費におきまして千七百九十一万一千円、約千八百万の増でございます。先ほど申しましたように、総額におきまして本年は三億四千四百九十三万六千円でございますが、前年度は三億五百四十三万四千円でございますので、総計で三千九百五十万二千円の増となっております。
  15. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 管理費が千五百万円で、事業費の増は千七百万円ですね。それは管理費の増がずいぶん大きいと思うのですが、それに比べて逆に事業費が、もし新しい使命を帯びてこういう発足をするということになると、あとのほうは特殊法人となった場合のことを想定しての予算でございましょう。これはそうですね。
  16. 天城勲

    天城政府委員 いま御指摘のとおり、管理費関係が千五百万ふえる、これは、この学術振興会事務組織というものが非常に現在弱うございまして、必要な職員も十分ないし、給与関係も十分でないということで、基礎固め最初にしなければならぬということで、本年度管理費関係がかなり大きなウエートを占めておるわけでございます。
  17. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 では伺いますが、財団法人にしておくと、必要な人員をふやすというようなことはできないのですか。
  18. 天城勲

    天城政府委員 財団法人に対しまして、国が財政上の責任管理費から一切負うということは、実際問題としてなかなかできないわけでございまして、事業のような特殊のものにつきましては特に委託させるというような趣旨で出すこともできますが、人件費管理費というものを国で十分出すということは、理論的に絶対不可能とは申しませんけれども、現実の問題として非常に困難でございます。
  19. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、もう一つ伺いますが、昨年の人件費管理費の中で、特に人件費とことしの人件費との差はどのくらいになっておりますか。
  20. 天城勲

    天城政府委員 人件費、いろいろなものを含めて総体で申しますと、昨年度、四十一年度が二千二百九十万三千円でございます。これは役職員職員二十八名分でございます。これが四十二年度では三千九百三十四万八千円でございまして、役職員職員の増を含んでおりまして、職員は三十六名考えております。したがいまして、この分だけでも増額が千六百四十四万五千円でございます。
  21. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その分を役員分職員分とに分けて説明していただきたいのです。
  22. 天城勲

    天城政府委員 役員分は四十一年度で百四十八万八千円でございます。これは理事者が全部非常勤なものですからこういう金額でございますが、四十二年度ではこれに相当する金額が八百十九万六千円、これは理事長理事監事の専任を含めております。それから職員の分でございますが、四十一年度が二千百四十一万五千円、二十八人分でございますが、四十二年度は三千百十五万二千円、三十六人分でございます。
  23. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 役員の分のほうの内訳を、もうちょっと詳しくお願いします。
  24. 天城勲

    天城政府委員 四十二年度で予定しております役員関係給与の大体を申し上げますと、会長非常勤でございますが、理事長は、予算上は二十一万ないし二十三万という幅のある考え方をとっております。それから理事が二十万でございます。監事が十七万五千円という積算根拠になっております。理事長について幅のある考え方をいたしておりますのは、実際にどういう方が来られるかということによってきめられるということで、予算的にはこれくらいの幅をもって予備費の中で調節するような考え方をとっております。会長あと非常勤理事非常勤監事等は、これは月額の手当という形、一日日当的な手当としまして、他の特殊法人と大体同じように、理事監事で四千円、それから会長は八千円というのを予算上計上いたしております。
  25. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの八千円、四千円というのは、出た人の日当ということですか。そうですね。
  26. 天城勲

    天城政府委員 さようでございます。
  27. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これを見まして、事業費に比べて人件費だけが非常に大きくなっているという感じなので、事業費は今後において、特殊法人になってから、来年度から大幅にふやしていくというお考えなのですか。
  28. 天城勲

    天城政府委員 実は、学振の仕事として、現在やっております仕事でも非常に拡大要望がございまして、ぜひ流動研究員制度あるいは共同事業等で伸ばしたいものもあるのですが、何せいまの学振の体制が不十分なものでございますので、まず基礎を固めることによって今後の事業拡大をはかっていこう、こういう考え方でございます。
  29. 床次徳二

    床次委員長 関連質問要求がありますので、これを許します。川村継義君。
  30. 川村継義

    川村委員 いまの御質問で、ちょっと確かめておきたいことがあるのです。ことし、四十二年度予算で、学術振興会のために文部省から出される増額は幾らでしたかね、去年に比べて。
  31. 天城勲

    天城政府委員 この学振の予算で、合計の伸びが三千九百五十万二千円でございます。
  32. 川村継義

    川村委員 皆さん方から、われわれは文部省予算書をもらっているのですが、これにはトータル的なやつが書いてあるのですね。それを見ると、日本学術振興会拡充強化と、学術行政体制整備と書いて、一番、日本学術振興会拡充強化、昨年度が三億一千万、本年度が三億三千万、プラス二千万円となっている。そうして第二項、学術行政体制整備、ここには予算はない。これはどういうことですか。あなたが言われるのは三千九百万、われわれが見ておるのは二千万、その違い、それから、学術行政体制整備になぜ予算を計上していないのですか、これをひとつ説明しておいてください。いまのお話を聞きながら、私は疑問になったものですから……。
  33. 天城勲

    天城政府委員 いま私が申し上げましたのは、学振の総予算におきます四十一年度、四十二年度増減を申し上げたわけでございます。学振の収入の中には、先ほど申しましたように、一千三百万の事業収入もございますし、雑収入もございますので、差し引きいたしまして、国庫補助金におきます差額が、いまの数字はたしかまるめた数字になっておるのじゃないかと思いますけれども、お手元数字は、国庫補助金だけでの増減数字になっておると思います。
  34. 川村継義

    川村委員 だから、文部省から出ておる金はどうかと聞いたのです。あなたは三千九百万と答えた。ところが、われわれの予算書には二千万増としかなっていないのだ。
  35. 天城勲

    天城政府委員 私のことばが足りませんでしたけれども、数字的には先生のおっしゃるとおりでございます。
  36. 川村継義

    川村委員 そうすると、第二項の学術行政体制整備というところには、これは定員増を見てありますよ。定員増を見てあるのに、なぜ予算は全然考えていないのですか、私たちの資料によると。——いまわからなければ、あとでよく調べておいてください。
  37. 天城勲

    天城政府委員 ちょっとお手元資料がどれか確認いたしておりますので、あとで……。
  38. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いままでずっと伺ってまいりまして、どうも一般にこの問題については、冒頭私が申し上げましたように、日本における学術研究あり方あるいはその振興のしかたについて非常に心配されているという面と、もう一つ、もっと卑俗なことがいろいろ流布されておりまして、それが耳に入るのですが、それはいま私がずっと伺いました役員人件費、そういったようなものに関連しまして何かいま天下り人事というようなことが非常に問題になっておりまして、また、行政管理庁でも、これ以上公団等のような機関はふやさない、きびしくそういう方針を出しておる。そういうときに、どうもその精神からは逸脱した、相反した形でこの法案が考えられ、特殊法人としての振興会が考えられ、そうしてそこに何か天下り人事的なものをもって、いわば花道をつくるというようなことがあるのじゃないか、こういったような好ましくない憶測等も相当流れております。また週刊誌の話題なんかにならなければいいと私は思っておるのです。非常にそういうこともあります。したがって、私は大きく分けて、日本学術振興というものがこの法案によって、国の予算は多少出しやすくなるかもしれないけれども、全体としては非常に国家統制のもとに置かれる。真の意味学問振興でなくて、もっと目先の軍事科学あるいは産業と直接結びついた面だけの学問振興、こういったような方向に片寄っていくおそれがあるのじゃないか、この二つの面が、本法案について私が最も危惧をしておるところであります。これは主観の相違ということになれば水かけ論になりますけれども、しかし、文教行政を進めるという上では、特に大臣は、こういう点については慎重の上にも慎重な配慮というものが私は必要だと考えておるのでありますが、そういうようなことにつきまして、文部大臣の御所見を伺いたいと思います。
  39. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 この学術振興会につきまして、その性格上、過去におきましては国の補助金というのはごく小部分でございまして、戦前は大体一般の寄付金でまかなってきたのでございますが、だんだんと最近におきまする学術振興が国家的な非常に大きな重要課題になりまして、特に民間寄付金ということについてはそう大きな期待をかけれらなくなってまいりました。そこで、学術振興会日本学術振興について非常に重要な役割りを果たすようになってまいっておりますので、これを特殊法人にしていきたいという希望はずいぶん前から今日まであったのでございます。しかし、公団、公社等、特殊法人政府は原則として認めないという方針によりまして、非常に難航して今日までまいったのでございますが、この学術の今日の振興の重要性にかんがみまして、そういう方針の中におきましても特にこの法人は特殊法人にする必要があるという話し合いがつきまして、そして政府としても特殊法人にいたすということに踏み切ったわけでございます。それで、これは前にも申しましたけれども、いまお尋ねのありますように、これが国家統制になるというようなことは、きわめて私どもとしては避けてまいりたい。そういう意味合いにおきまして国から相当の援助はいたしますけれども、その実質的な実際の運営につきましては、学者意見を聞き入れまして、それが運営の主になりまして、学者の自主的な研究の助成ということにまいりたい。ただ、研究の一部分におきまして、産学協同といいますか、会社等が、最近特にこれは国会でも論議されましたが、いろいろ資本の自由化とかいうことになってまいりますと、会社いわゆる日本の産業自体が、その科学研究力において相当高度のものを持ってまいらなければなりません。こういう問題につきまして、どうしても実際の産業面からこの振興会のほうに相談を持ってきて、共同研究とか、そういったものの援助を求めてまいりますので、そういう面から一面産学協同といった面もございますけれども、しかし、学振の本来の研究助成はほとんど基礎研究が主でございます。そして、その大体の奨励費の支出は、基礎研究を主として今日までやっておるのが主でございます。とにかくそういうふうな特殊法人ができましても、学者の自主的な研究を阻害しないように、これは私ども文部省として十分つとめてまいりたいと考えておる点でございます。
  40. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私、いま二つの問題を提起したのですが、その前段のほうについていま御答弁があったと思うのです。後段のほうについて文相の御答弁がなかったように思いましたが、天下り人事というようなことですね。役人の花道づくりだなんという、まことに好ましくないことがマスコミ関係者等の間に流布されておるということは、私はもしこれがまた大きく取り上げられるようなことになりますと、文教の関係者としては非常に恥ずかしいことだと思うのです。そういうことについて御答弁がなかったのですが、お願いいたします。
  41. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは、つけ加えてお尋ねに関連して申し上げたいと存じますが、今年度予算は管理機構の確立ということで、管理体制のほうに相当大きな増額を示してまいりました。これは特殊法人にいたします一つの大きな、しなければならぬ理由でございまして、財団法人にいたしておりますとどうしても身分関係、それから給与関係が不確定でございまして、なかなか優秀な人が来てくれないのであります。そこで、これにいろいろな事業を委託いたしましても、たくさんの事業をやる能力が第一に欠けてまいっておりますので、これはやはり特殊法人にいたしましてその採用する態勢も整え、しかもその待遇等につきましても、大体公務員に準じて行なう、こういうことにいたしまして、管理体制をまずことしは整えようというので、管理費が相当増加しておるわけでございます。  それから構成につきましては、いろいろわれわれ考えたのでございまして、会長と、常任といたしましては理事長、常任理事、それから監事一名、常任はわずか三名に限定をいたしました。  それで、一番問題になりますのは会長の人事でございますが、会長は、国際的にも信頼の置ける、学術その他において十分な信頼の置ける方をぜひお願いしたいと存じまして、これはもう各方面とも、できましたら私直接にいろいろな意見を承りまして、ぜひりっぱな方をお迎えしたいと思っております。  あと、天下り人事と言われるのは、理事長あるいは常任理事の問題だと思いますが、これらにつきましても十分私どもそういうことのないようにしたい。しかし、これは実際問題といたしまして、いわゆる学術関係あるいは学術振興の面におきまして、やはり何らかの関係のあるエキスパートを持ってこなければなりませんので、全然外部の畑から持ってくるというわけにはまいらぬと思います。しかし、そういう人を選ぶ場合におきましても、天下り人事とか、そういうことの非難は受けないように、私どもといたしましては処理したいと思っております。
  42. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 一般的なお答えとしては、大臣としてはそうお答えになるだろうと思うわけですが、いまの御答弁を伺っても、いま申し上げたことの危惧が全部取り去られるという感じがいたさないのであります。  しかし、その人事関係の問題はあとといたしまして、もう一ぺんもとに戻りまして、学問ほんとう振興を阻害しないかという心配について、少しまた御質問を申し上げたいと思いますが、さっき大臣の御答弁に、これは国が費用は出すけれども、その学問研究学者にまかせるんだ、こういうふうにおっしゃっておるのです。しかし、具体的には、その研究費なり助成金なりというものをだれかがどこかに配分しなければなりません。そこには非常に権力と支配される者との関係が出ることは、だれが考えても常識であります。したがって、抽象的なことばではなくて、いま大臣のおっしゃったようなことが、具体的にこの法案の中に条文として十分定着をし、基礎づけられていなければ、これはことばだけに終わるおそれは十分あるし、従来ともにそういう経験を私どもたくさん持っております。先ほども御答弁にありましたように、日本におきます学術研究の最も権威ある機関としては、日本学術会議というものがきわめて民主的な形で組織をされておる。従来もこの学術会議意見というものを尊重して、文部省研究費にしましても科学研究費にしましても、あるいは財団法人のほうに回してからの金の使い方にしましても、非常に学者意見が、完全とはいかなくてもかなり通るような筋道になっておったと思うのですけれども、今回のこの法案の条文を一べつしただけでは、そういう道は全然どこにも見られない。これは私は非常におかしいと思うのです。先ほど来の大臣の御答弁では、公社、公団等、政府機関的なものはなるべくつくらない、こういう方針にかかわらず、科学振興という立場から特別にこれは認めてもらうのだ。そういう特殊性のあるものだけに、私は、単に特殊法人はこういう形式だという形式論でなしに、いま言ったような問題につきましては、十分これが保証される手だてというものが具体的に明記されていなければならないと思うのです。その点について、非常に私はこれではどうにもならぬという感じがいたしますが、どういうふうにお考えですか。
  43. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 前段のお尋ねの問題でございますが、学術振興会が今度特殊法人になりましても、その事業のワクになります金額は、文部省のほうで予算的にこれをつけるという形になります。しかし、その事業の実施につきましては、学術振興会自体がこれを行なうのでございますが、たとえば流動研究員とかあるいは学術奨励員といったような補助の対象になります、奨励の対象になりますものの選び方でございますが、これは学振におきまして一般に公募をいたしまして、公募した中から、その学者によって構成されております委員会によってその採用を決定する。この学者構成につきましては、十分学術会議等とも連絡をとりましてその人選をしてまいっておるわけでございます。そういう意味におきまして、実際の実施面におきましては、文部省は行政的に何らのタッチをいたしていないのがこれまでの実情でございますから、また今後ともこれを続けてまいることになると思います。  後段の学術会議との関係でございますが、この学振の成立過程におきまして、終戦後におきまして学術会議とはきわめて密接な関係がございまして、学術会議がこれを決定し、勧告いたしましたものを、学振が実際に実施に移すという機能をして今日まで事実上まいったのでございます。そこで、この法案に対しまして学術会議との関連を何ら規定いたしていないのはいかぬじゃないかということが学術会議におきましても相当論議をされまして、その点について不満の意を表明され、今後、学術会議との実際上の関連といいますか、その提携について十分やってほしいという会長からの決議に基づく申し出がございました。これはこの前のときに御答弁申し上げました。それで、その答申を受けまして私ども学術会議会長、副会長などともよくお話し合いを進めてまいりました。この条文としては入れてないということについての御了解を得たのでございますが、それはこの特殊法人立場といたしまして、特殊法人に対しまして直接学術会議勧告をいたすということではなくて、学術会議は、その学術会議で決定いたしましたことを政府に対しまして勧告をいたすわけでございます。勧告をいたしまして、この勧告を尊重いたしまして、文部省として学振に対します計画の予算を計上いたしまして、学振にそれを実施してもらうようにいたす仕組みになるわけでございます。一応学術会議政府との関係がこの学振に及んでまいるということで、学振と学術会議が直接の取引という問題は、法的には起こってまいらないのでございます。しかし、実質的には、これは学術会議と学振とは今後緊密な形をとってまいらなければなりませんので、この法人ができました場合において、その学術会議と私ども、学振と十分話し合いをいたしまして、何らかの緊密な連絡をとる具体的な方策を十分検討し合おう、そういうことで学術会議もこれを了承されまして、そうして今日にまいっておるのでございます。  なお、評議員等について、学術会議から何名か法規上入れたらいいじゃないかという話がございましたが、この評議員には実質上は学術会議から入ってまいります。ただ、学術会議の代表として評議員会に入るという形は、一応相談はいたしましても、法規上は、学術会議から何名ということになりますと学術会議の代表といった形になりますし、そうしますと他の方面から何名ということをずっと限定して書かなければなりません。これは実際上この評議員会あり方につきまして、将来そういうふうなきめ方はかえって不都合が生ずる場合もあると思いますので、これは学術会議と十分連絡をいたしまして評議員の実際の人選をする、そういうことをいたしてまいりますので、今日文部省学術会議、これは場合によりましたらひとつ学術会議のほうから御協力を得たいと存じますが、完全に話を詰めて、誠意を持ってその点は処理してまいるつもりであります。
  44. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大臣のせっかくの御答弁であり、しかも運用上、いま私が申し上げたような学術会議の意向は十分尊重する、そしてそれについていろいろくふうをしたいということをおっしゃっておるわけでありますが、しかし、せっかくの御答弁でありますけれども、それだけではやはり時と人が変わっていけば、何といっても法律なり条文なり規則なり、そういったものがたてになるわけでありますから、これは私は保証されないと思うのです。したがって、少なくともいまの財団法人における理事構成なりあるいは——財団法人にも評議員会がありますね、そういうものの権能なりあるいはその構成なり、そういったようなものがやはり具体的に保証されるようでないといけないと思うのです。どうして、たとえばいま大臣が言われましたように、学術会議から入れるということを明記し、その他考えられる構成のものを幾つか入れて、そしてその他ということでくくっておいたならばはっきりすると思うのですけれども、そういうことをやってはいけないのですか。その理由が全然わからないのですが、どうですか。
  45. 天城勲

    天城政府委員 特殊法人役員構成でございますので、役員構成を法的に領域をきめるとか、あるいは分野別の比率をきめるということにいたしますと、学術会議ということになると政府機関でございまして、学術会議の議員が当然なるという前提で評議員と書きますと、結局この学振の考えております広い分野の意見を聞くという評議員会趣旨から、他の分野の方はそれではどの機関になるか、どの分野になるかということになるわけでございます。先ほど来も申し上げておりますように、当然学界の意向を反映しなければこの機関は運営されないわけでございますし、また産業界の意思もここに反映していくべきだという考え方がございますので、この辺はもうこの学振の趣旨、この特殊法人趣旨、それから事業内容からいたしまして、当然そういうことを前提としているわけでございます。技術的に特定の機関の代表の人だけをはっきり書くというわけにまいらなかったというのが、実情でございます。実施につきましては、いま大臣が申されましたように、学術会議とも最初はいろいろ誤解があったようでございましたけれども、私も行ってお話し申し上げましたし、大臣も直接会長学術会議の権威者の方とお話し合いになりまして、その辺の関係は十分御了解をいただいておるわけでございまして、ある意味では技術的にやりにくかったということと、今回の趣旨からいって学術関係の方が入るということは当然の趣旨じゃないか、こういう考え方でございます。
  46. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 せっかくの御答弁ですが、どうも、そこまではいまもおっしゃっておったことでありますし、学術会議との関係を明確化するということの規定の論拠としては、私は弱いと思うのです。法律違反になるんだとか、そういうことなら別ですけれども、何に抵触するのですか、そういうことをきちっときめることが。何かそういうことがありますか。
  47. 天城勲

    天城政府委員 別に具体的に他の法律に抵触するということはございません。
  48. 川村継義

    川村委員 関連。いまの質疑応答を聞いておりますと、先ほど大臣の御答弁では、特殊法人だからというような御意見が飛び出してきた。ぴんとくるんですね。ところが、局長答弁では、政府機関だから学術会議との関係を法文上いろいろ考えることは無理だ。一体政府機関だからということですか、特殊法人だからということですか。
  49. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 特殊法人というのは、学振のことが特殊法人でございます。局長がお答えいたしましたのは、学術会議はれっきとした政府機関でございます。その政府機関の代表者をある特殊法人の評議員に入れるということは、やはり法文上も、法規違反ではないと思いますけれども、非常に疑問があると思うのです。学術会議はれっきとした政府機関でございます。この代表者を特殊法人に法律上明定して入れるということは、法規上非常に疑問があると私思います。事実上学術会議の人が入りましても、これは個人として、学者として入ります場合はさしつかえないのじゃないか。しかし、法文上書きますと、一つ政府機関の代表が特殊法人機関の評議員になるというような書き方はちょっと法規上疑問があると思いまして、これは学術会議一つ政府機関の代表を入れますと、他の政府機関の代表はどうするかというような問題が起こってまいる。そういう意味合いにおいて、法文上入れるのは困難であろうと私は思っております。
  50. 川村継義

    川村委員 そういうような御答弁ですから、長谷川委員もどうも納得できないと言っておるのであります。ちょっとあなたのお考えと、われわれ逆に考えるのですがね。たとえば——私がきょうここで言うべき段階ではないかもしれない。いずれ時間をいただきましたらお尋ねいたしますが、この特殊法人学術振興会ができたとする。いろいろ理事長会長なんか、あなたが任命するわけですね。評議員もあなたがとにかく任命する。たとえばこの評議員の選考等において、日本学術会議意見を聞いてとか、そういうものを法文に入れるということ。先ほどから、長谷川さんが質問し、心配しておるような天下りというか、大臣のえらい権限強化というような、そういうものが排除できるのではないかというお気持ちで聞いていらっしゃると思うのです。日本学術会議意見を聞いて評議員会の評議員をきめて、あなたがそれを任命する、こういう形をとれば、その点が非常にすっきりするわけですね。そうなると、あなたが言っているようなことが法文上明らかになってくる。それは何も不都合がないはずなんです。学術会議政府機関であればあるほど、好都合じゃありませんか。政府機関だから特殊法人の中に入っていくのは困るというのは、ちょっとおかしな気がするのですけれども、それはあなたのお考え方と逆じゃありませんか。
  51. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私どもが考えておりますのは、評議員というのは法規上置かれたのでございまして、学術会議との実際上の連絡機構と申しますか、これはいま学術会議と下打ち合わせをいたしておるのでございますが、実際上の連絡機関でございますけれども、これは運営上設けていけばいいのではないかと思っております。評議員の人選を学術会議に聞いてやるということは、これは学術会議が決議機関でございますから、別個の政府機関の決議を——評議員を任命する場合、その特殊法人以外の機関によってその法人の組織が決議されて決定するということは、おそらくこれは例のないことではないかと思います。それは特殊機関の、一つの独立機関役員なり評議員を、他の政府機関が決議をしてこれをやるということは、考えられないことではないでしょうか。それは私どももよく研究をいたしますけれども、非常に困難な問題だと思っております。
  52. 川村継義

    川村委員 学術会議が決議機関といいますけれども、たとえば一つの例ですよ、評議員をあなたが任命なさる。その評議員の選考範囲があるでしょう。その場合に、学術会議意見を聞くといいましょうか、学術会議意見に基づくといいましょうか、それを学術会議で決議をして持ってこい、そんなばかなことがありますか。学術会議の中で、今度文部大臣が評議員を任命するそうじゃ、こういう人をひとつ推薦したらどうじゃろう、こういうような意見を出しあって、三十人ですか十五人ですか、その中からあなたがこの人はと思うのを任命するという方法をとることは、何も不都合でもなし、あなたのおっしゃるように決議機関を持ち込んできては困る、そんな形になりっこないですよ。決議して持ってこい、そんなことはやろうとしてもできっこないですよ。わかるでしょう。間違いはないでしょう、私の言っておることは。そういう方法は考えられるのではないか。そうすると、学術会議意見を、あなたがおっしゃるようによく尊重したということが明らかになってくる。私はそれを聞いておるのです。
  53. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これを法律に書きまして、学術会議意見を聞いて評議員をきめるという方法にいたしました場合には、それは学術会議が決議をして持ってこなければ、学術会議意見を聞いたことにはならないと思います。そういうことは非常に不都合が生じますので、私どもは事実上連絡会議のようなものを常置いたしまして、その運営等につきましては学術会議の幾人かの選ばれた方方と常時連絡していこう、こういう具体的な方法で私どもは考えておるのでございまして、学術会議意見を尊重して聞くということについては、私どもは全く同感でございます。ただ、聞き方を事実上どういうふうにしていくかということは非常に苦慮いたした点でございまして、これを法文上学術会議意見を聞いて、たとえば評議員を任命するということになりますれば、学術会議は決議機関でございますから、意思決定はやはり決議でなされるということに当然なるわけでございます。そういうことは実際運営上どうであろうかということで、事実上学術会議と、たとえば会長なり副会長なり、おも立った方々とこの振興会の者と常時連絡の組織を持とう、事実上のものを持とうということを、学術会議会長と話をいま進めておるところであります。それによって、私は十分、学術会議の意思を尊重して運営をするということが可能であると考えておるわけでございますし、その点については学術会議の側のほうにおきましても同意をされておるのでございますから、その点はひとつお認め願いたいと思っております。
  54. 川村継義

    川村委員 学術会議は、何かやるときはみんな決議ですか。何か理事会みたいな構成はありませんか。
  55. 天城勲

    天城政府委員 中間にはいろいろ委員会を持っておりますが、最終は総会決議でございます。
  56. 川村継義

    川村委員 総会で決定される前に、やはりいろいろな理事会等、そういうような機関があるでしょう。その理事会なら理事会の一つ意見というものも、やはり学術会議意見を聞くことですよ。何か決議決議と、決議へ持ち込まれることを非常に警戒されておるようですが……。
  57. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 おそれ入っておるわけじゃございませんけれども、法律に書けばそうなりますので、学術会議には運営委員会というのがございますし、大体学術会議の意思は事実上そこで聞けばわかるのでございますから、そしてそれを事実上連絡協議の形でやっていこう、こういうのでございますから、法律に書くことについては私どももずいぶん考慮したのでございますが、これはどうしても法律に書くのは無理だということでなっておるのでございます。いわゆる学振の性格学術会議と切っても切れぬ仲でございますから、その点は今後私どもが、この学術会議と何らの関係のないような運営をやっていこうというようなことは絶対ないのでございますから、その点はひとつ御信用願いたいと思います。
  58. 川村継義

    川村委員 それでは、私、ついででございますが、委員長にお許しいただいて、いまのはもう言いませんが、ちょっと資料をお願いしておきたいと思います。  文部大臣が、何というか役員を任命するというか、そういうかっこうになっている、ことばをかえて言えば、特殊法人、これは幾つかあるはずですね。法人税法の対象を受けるやつ、所得税法の対象を受けるやつ、いろいろたくさんあるはずです。そこで、私がいまから、みんなは言いませんが、五つ、六つ、名前を聞いてください。一つは国立教育会館、一つは国立競技場、一つは私立学校振興会一つ日本育英会、一つは国立劇場、それから日本学校安全会、日本学校給食会、この七つばかりでいいでしょう。公務員共済関係は言いません。この七つについて、役員の名簿、その役員の就職年月日、それから勤務年数、それから俸給額、これは昭和四十二年四月現在、これだけの資料をこの次の委員会にひとつ御提出いただきたい。
  59. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 提出いたします。
  60. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いままでの御答弁では私はやはり納得ができないのですが、役員の問題については、一応これはまたあと資料が出ましてから使うとして、少なくとも学術振興会なんですね。それで、特殊法人として位置づけようというときに、しかも政府の公社、公団等はふやさないという方針の中であえてこれをやる。こういう特殊な性格のものである。日本学術会議あるいはもっと民間のいろいろな学問組織があって、それをも含めてやるようなことがあるなら、そういう方法も考えてもいいと思いますが、いずれにせよ、日本学者の最も権威のあるというか組織、そうしたものとの関連を条文に書いていけないということは絶対ないと私は思うのです。いま役員の問題に限ってずっと進んでまいりましたけれども、その役員構成のときにということに限らなくとも、学術会議との関連をこの中に明記することが技術的にできないということは、あり得ないと私は思うのです。ないのはおかしいと思うのですけれども、専門家の立場でどうですか。
  61. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 学術会議は、いわゆる学術体制によってつくられました。学者の選挙によりまして民主的に構成されました学術会議は、日本学術に対しまする政府施策に対して、最高の勧告機関でございます。でございますので、単に文部省だけではございません、科学技術庁にしろ……。これは内閣に直属しておりますので、政府に対しまして勧告をする。政府はそれを受けまして、その勧告を尊重しまして施策にこれを実現してくるというのでございますから、この学術振興会も、文部省はその事業について勧告を受けますと、これは責任を持って勧告を重んじて学術振興会事業にこれを計上してまいる、こういうことになりますので、これは機構上当然に学術会議勧告に基づいて、それを重んじ、そうして学術振興会の今後の事業なり内容につきましても行なわれていく、こういう機構になっておりますので、あらためてこの法文に書かなくても、政府機関たる学術会議政府との関係におきまして、その問題は、それからきます当然の作用として行なわれてまいっておるのでございまして、いまさらこの法文に書くことは必要はないのではないか、こう考えております。
  62. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは逆に伺いますが、あなたのおっしゃるのだと、むしろ日本学術会議はもっと高いところにある、これは政府全体に対する勧告権を持っておる、それで、これは文部省の中のまた出先の一つ機関としての特殊法人、だからここで学術会議との関連を書く必要はないのだ、また書くのはおかしいのだ、こういう言い方なんですね。私はそれは了承できないのですけれども、それはおくとして、学術会議法のほうにこれは包括的に、政府関係のほうでいろいろあるでしょうが、この振興会との関係について、何か改正をして入れるというお考えはありますか。
  63. 天城勲

    天城政府委員 いま大臣が申し上げましたように、日本学術会議会議法の中に、学術会議はたいへん大所高所に立った立場が規定されております。その設立の目的の中に、「日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、」もちろん行政でございますが、「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。」ということになっております。これは政府の中における学術に関する最高の機関でございまして、しかも「日本学術会議は、左の事項について、政府勧告することができる。」という規定がございまして、もろもろの政策を政府に浸透させるわけであります。これはひとり文部省だけではございません。もちろん学術関係でございますので、文部省勧告をこなす一番大きな対象になっておりますけれども、先ほど申しましたように、産業や国民生活に浸透させる方策というものまであるわけでございまして、かなり高い段階の機関だと思います。これは学術会議法のことでございますから、私のほうではとやかく言う筋合いではないかもしれませんけれども、おおよそ学術会議法のたてまえから申しますと、特定の機関との関係をいまさら書くまでもなく、もっと高所から学術に関する基本的な立場を持っておられる機関だ、われわれはこう理解しておるわけでございます。学振の特殊法人化の場合にも、学術会議性格というものをわれわれそのような理解、こういう前提でもって考えておりましたし、先ほど来大臣もるる御説明申し上げたようないきさつを含んで、学術会議学術会議としての立場、今度の特殊法人立場というものも十分御了解いただいているわけでございます。
  64. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 端的にいまのお答えを要約しますと、私の質問に対しては、別に学術会議法のほうをいじる考えはない、学振法に関連して、こういうことですね。
  65. 天城勲

    天城政府委員 私たちの了解はそうでございますし、また具体的にこの法律は総理府所管の法律でございますので、いじるかいじらぬかということは、ちょっと申しかねるわけでございますが、考え方といたしましては、私たちのほうとしては、学術会議法のほうには手を加えなくて当然学振の特殊法人化はできる、こう理解しているわけでございます。
  66. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その点は、お考えはわかりました。そこで、先日の委員会で私が、この日本における学術振興に関する政府施策はもちろんでございますが、民間関係においてもいろいろな機関があり、いろいろな形で学術振興に金が使われている、それをできるだけ、調べられる範囲で調べてほしい、こういう御要求をしたのですが、これはなかなか短時間ではできなかったかもしれませんが、いままでのところの資料の中にはございませんので、これについてはどうしていただけるのか、その点をお伺いします。
  67. 天城勲

    天城政府委員 この前の委員会先生から資料提出の御要望がございまして、鋭意努力しておるところでございますが、昨日までに研究助成法人の資料が、たいへん恐縮なんでございますが、間に合いませんでした。もう二、三日でできると思っております。たいへん範囲が広いものでございますから、もうしばらく御猶予いただきたいと思います。
  68. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 では、資料につきましてはせっかくひとつ御用意いただいて、なるべくすみやかにお出しを願いたいと思います。私は冒頭にも申し上げましたように、なぜそういうような資料要求するかというと、この法案が出た際に、十分日本の今後における学術振興体制について、組織なり財政なりについて本文教委員会として大いに総合的な検討をしておく必要がどうしてもある、こういうふうに思いましたので、資料要求したわけであります。  そこで、お尋ねしたいのですが、日本学術振興に対しまして、この振興会法案も、文部省のお考え、政府のお考えとしては一歩大きく前進させるためにこれをつくる、こういうお考えだと思いますが、もっと広く日本学術振興の上に最も大事な施策は、どういうことと、どういうことと、どういうことにあるのだ。これはその中の、私は一つだと思うのです。それをどうお考えになっているか、これをひとつ大臣並びに関係の方から伺いたいと思います。
  69. 天城勲

    天城政府委員 私から、いま文部省で考えております点を御説明申し上げたいと思います。  私から申し上げるまでもないことがたくさんあるわけでございますけれども、一言で申しまして、学術の進歩ということが学術自身の命題でもございますし、また、国民生活あるいは諸種の経済的な関連から見ましても、外からも非常に大きな要請がございます。ところが、学術関係が、最近は科学技術の発展ということを言われまして、従来科学と技術というものにかなり距離があった考え方でございましたが、今日、時間的にも、また研究体制からも非常に密着してまいりまして、特に最近は実施技術の開発というようなことから、科学への要望が外からも非常に強くなってきております。ただ、そういう中で、われわれ学術行政を預かっておる者の立場から申しますと、いかに科学技術の開発が必要だとは申しましても、やはり基本的に基礎科学がどうしてもすそ野を広げて、奥深くいたしておりませんと、言われている技術の開発もできませんし、特に研究者を十分持っておらないと、このことができないわけでございます。そういう、やはり単に科学と技術が密着してまいりましても、基礎科学技術の基本的な研究振興するのが、われわれの最大の使命だと考えております。それと一方、学術の発展の方向が従来の伝統的な、何と申しますか、分類と申しますか、ディシプリンを越えまして、いわゆる境界、領域とか、全然考えられなかったところに出てまいりますので、学術研究体制というものをかなり弾力的なものにするというか、未知なものも十分こなし得るような学術体制というものを常に頭に置かなくちゃいけない。それは大学の大学院の問題にも、研究所の問題にも関連いたしますが、体制をかたくななものにしてはいけないのじゃないかということを基本的に考えております。そういう点で従来の研究所のあり方、あるいはもっとすそ野まで参りますれば、学部のあり方まで考えなければならぬ段階に来ているのじゃないかという気もいたします。そのうちの一番極端なものが人文、自然科学といわれておった従来の分け方に対して、必ずしも人文だけではいかない、自然科学だけではいかない、協力しなければならない分野も出てきております。それから一方、学術研究が非常に共同化してまいりますと同時に、大型化と申しますか、規模拡大してまいります。その規模拡大は、一つには研究上の技術の発達と申しますか、あるいは研究機器が非常に発達いたしましたために、相当高額の研究機器を使わなければ研究が進まないという分野が非常に出てまいりましたので、したがって、その逆転とかに要する人、経費というものが非常に多額になってくる。それに、従来の考えでいきますと、別の分野だと考えられた方々が共同してやるということで、科学が精密化していくに従って大型化していくという傾向が出てまいっております。その大型化していくということに対しては、その経費の問題が一番でございますけれども、これはどこから出てもいいわけでございますけれども、現時点で基礎科学の振興を考えますと、どうしても国費を投入しなければこれはできないという面が非常に多くなっております。これは各国とも同じ傾向でございまして、学術行政に対します国費のシェアというものが非常に大きくなってきておりまして、民間の技術、科学技術の革新ないしは発展に対しましても国費の分担が全体的に大きくなってきております。そういうようなことを考えますと、やることが非常に多いのでございますけれども、基本的には、それらの点を考えて、私たちこのたび国会の御承認を得ました文部省組織の改正によりまして学術審議会という制度を設けまして、基本的に学術の発展に対する、いま申したもろもろの問題をも考えてまいりたいと思っておるわけでございます。個々に申しますと、研究者の養成に対して大学院のあり方、育英会の問題、あるいは処遇の問題から、あるいは研究所の規模とか、科学研究費をどれだけ増すとか、あるいは国際交流のための経費を出すとか、いろいろな現実的な課題が出てきておりますけれども、基本的には、ただいま申し上げましたような考え方のもとに、学術審議会で関係の方々のお知恵を拝借しながら、新しい行き方を考えていかなければならない、これがわれわれのむしろ切実な願いでございまして、その辺のものの考え方と新しい体制ができませんと、いたずらに従来のものに対して、ただ予算をつけて手を加えるという部分的な性格に終わってしまうことを心配しておりまして、いまそういう気持ちで学術審議会を中心にこの問題を考えていきたいと思っているわけでございます。
  70. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 学問研究が非常に高度化してきて、大型化してきているということの御説明はわかりましたが、最後の結論が、学術審議会ですか、これはいままでの学術奨励審議会というものを改組してこの審議会にするというお考えのようですが、そのために二百四十五万ですか、増額をしたようです。最後の落ちがそこへ来ているのではたいへんしりつぼみな感じですが、もちろんこれでもって研究をやっているわけじゃありませんけれども、一つ体制を整えるためにこうするということなんでしょうが、いませっかく学術審議会のお話が出ましたから、奨励審議会から審議会に直したその具体的内容というものを、もうちょっとわかりやすく説明をしてくれませんか。
  71. 天城勲

    天城政府委員 従来、文部省学術奨励審議会というものがございました。これは沿革的にはいろいろな道を通ってきておりますが、現在七つの分科会を持っておりまして、これは審議会の整理統合等の過程がございましたので、いろいろな審議会を整理しながら、学術奨励審議会の分科会という形で現在存在しておるわけでございます。ところがこの分科会は、先ほど申し上げましたようないろいろないきさつがございまして、それぞれの具体的な目的を持っております。これを総称して学術奨励審議会と言っているのが、実態でございます。ところが、ただいま御説明申し上げましたような学術体制とか、あるいは学術行政の基本問題をどうしても考えていかなければならないものですから、七つの分科会を総称して学術奨励審議会というのじゃなくして、学術審議会という学術行政の基本を考える審議会を置いて、その基本方針のもとに、従来ありました分科会のような仕事を特別委員会のような形でやっていくのがいいのじゃないか。いわばさか立ちしておったという感じがいたしますので、本来の学術振興方策を考える学術審議会というものを置こう、こういう考え方でこのたび改組をお願いして御承認をいただいたわけでございます。  例で申し上げますと、科学研究費の配分をいたします科学研究費分科会あるいは学術情報分科会、学術資料分科会、学術文献総合目録分科会、あるいは学術用語分科会というようなものがその実態でございます。最近、研究所の創設等については学術会議からも御要望が非常に出てまいりますので、近年になりましてこの分科会に学術研究体制分科会というものを一つ加えております。昨年から学術研究の基本方策分科会というのをつくったわけでございますが、先ほど申したように、分科会の寄せ集めで、その一部分で基本方策をやるのはどうもやってみてぐあいが悪いものですから、この七分科会をもう一ぺん検討いたしまして、学術研究の基本方策を中心に置こう、そういう意味の改組でございます。  なお、立った機会に先ほど川村先生の御質問の点、ちょうど学術行政の点なのでちょっと資料を調べてみましたけれども、四十二年度予算要求額事項別表という資料をお手元に差し上げているのじゃないかと思いますが、これの五〇ページ、「学術研究の推進」として「(1)学術行政体制整備」の中に、「学術審議会(仮称)」としてございます。これに八百七十一万二千円、四十二年度一千百八十六万八千円、比較増減額として三百十五万六千円というのが載っております。その下に「日本学術振興会」として、先ほど御指摘のような数字が載っておりますので、さっきの御質問趣旨がちょっとわかりませんが、私たちの資料の上では確認ができないのでございますが、いま持っておる資料で申しますと、このようなことになっております。
  72. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまの審議会ですが、七つを廃して五つにしたのですか。その新しい内容はどういうものですか。その構成はどういうふうになっておりますか。
  73. 天城勲

    天城政府委員 現在七つある分科会を、学術審議会という形に基本的なものにまとめまして、その中に四つの分科会は残しております。科学研究費分科会、学術情報分科会、学術資料分科会、学術用語分科会、これはかなり実質的な仕事をしておる特殊なものでございます。これを残すことにいたしました。あとの分科会は廃止いたしまして、審議会の特別委員会という形で問題は取り上げてまいりたい、そういうふうな考え方をいたしております。
  74. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまのお話だと、その四つを残すのがそれぞれ特別委員会になるわけですか。
  75. 天城勲

    天城政府委員 ちょっとことばが足りませんので、いまの四つは分科会として残します。その他の仕事につきましては、必要に応じて新しく特別委員会を設けてやっていったらいいのじゃないかということで、四つの分科会は恒常的に残すつもりであります。
  76. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 七つを廃して五つの特別分科会にするという方針になっているんじゃないですか。そのうちの四つがいまのとおり生きて、最後の第五にその他を全部ひっくるめよう、そういうことじゃないですか。
  77. 天城勲

    天城政府委員 この前のときに御説明申し上げたのは、七つある分科会を整理統合しまして四つの分科会を残す、それから新たに特別委員会は五つくらい予定しているということを申し上げたかと思います。
  78. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、特別委員会を五つ設けるというのは、いまの残す四つの分科会とは別ですね。
  79. 天城勲

    天城政府委員 違います。考え方が違います。
  80. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その五つの特別委員会というのはどういうものを考えていますか。
  81. 天城勲

    天城政府委員 これは実は学術審議会がまだ発足いたしておりませんで、一ぺんここで基本的なお話し合いをしていただきまして、テーマによって特別委員会をつくっていこうという考え方でおりますので、どこにどうということまで、まだきまっておりません。
  82. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 この特別委員会構成はどういうふうに考えているのですか。
  83. 天城勲

    天城政府委員 特別委員会は、いまのところ全体の構成だけでございますけれども、大体委員が十名くらいで構成していくつもりでございます。委員と特別委員を加えまして、十名くらいで構成していくつもりでございます。いま考えておりますことは、たとえば研究所、研究施設の建設要望学術会議からも出てまいりますので、そういうものをこなしていく特別委員会、それから最近は、人文社会科学関係でいろいろな新しい動きが起きております。そういうものは自然科学と違いますので、人文社会科学関係体制を考えていく。例で申しますと、そのようなことを頭に置きながらこの特別委員会構成していきたいと思っておるわけでございます。
  84. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、委員、専門委員十人で組織すると、これは五十人の方々を任命することになるのですか。そういうことですか。
  85. 天城勲

    天城政府委員 学術審議会の本委員が三十名でございますので、その先生方と、それからそれ以外の方で構成していくつもりでございますので、外部の方も、定員以外の方も委員として迎えるつもりでございます。
  86. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ちょっと枝葉のほうに入ったのですが、いまの質問の冒頭に申し上げたのは、日本学術振興というものはどういう方策が一番大事なのかということをお伺いして、この振興会もその中の一つの手だてとして、しかも最も有力なる手だてとして、いままでの財団法人特殊法人に変えるのだという御説明のように承っておるのです。その際に、もうちょっと広く学術振興の行政全般の力点というものを伺ったわけですが、結論が、学術奨励審議会を学術審議会に変えて、ここで検討するんだというふうに結ばれたようにさっき伺ったのですが、ちょっとそれでは違うのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  87. 天城勲

    天城政府委員 どうもことばが不十分でございました。その一環として、行政体制を考える場としてはこういうものを新しく開設したということを申し上げたので、いろんなことを考えて、最後で締めてここですべてぶち込んでしまうという意味では毛頭ございませんので、ことばが不十分でございました。たとえば、科学研究費の問題にしましても、あるいは大学の講座研究費の問題にいたしましても、あるいは教員の待遇改善の問題にしましても、それらはそれぞれの立場からそれぞれの意見が出ておりまして、文部省関係のところでそれぞれこなしてまいったのでございまして、それらの問題ももちろんここの審議会でもう一ぺんやり直して、結論が出るまで待つとかいう意味では毛頭ございませんので、少しことばが足りなかったので補わせていただきます。
  88. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 お尋ねは、おそらく、局長がお答えしたことじゃなしに、学術振興会が将来どういう点を重点的にやっていくかという問題ではないかと思います。学術振興会が今後やっていきますいろいろな問題がございますけれども、幾つかの課題があると思います。一つは、どうしても若い研究者の養成といいますか、これが日本においては学術振興会が非常に力を入れてやるべき問題の一つだと思います。それからもう一つは、研究体制におきまして、共同研究と申しますか、一つ研究をたくさんの学者が協力してやるという体制も、学術振興会があっせんをしてそういう体制に持っていく、こういうことが必要ではないかと思っております。もう一つは、学術振興会として学術国際交流及び国際協力の問題をここでやっていく。そういったような点が、今後重点として学術振興会がやっていく課題になる。いままでもだいぶやってまいりましたが、将来もこういう問題が重要な問題になってまいると思っております。
  89. 床次徳二

    床次委員長 この際、暫時休憩することとし、午後一時より再開いたします。    午後零時二十三分休憩      ————◇—————    午後一時二十五分開議
  90. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文化財保護に関する件について調査を進めます。  この際、おはかりいたします。  文化財保護に関する件の調査のため、本日、日本道路公団理事藤森謙一君を参考人としてその意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  91. 床次徳二

    床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  参考人には、お忙しいところ御出席いただきまして、たいへんありがとう存じます。  なお、参考人の御意見は、委員からの質疑に対するお答えでお述べいただくよういたしたいと存じますので、さよう御了承いただきます。     —————————————
  92. 床次徳二

    床次委員長 それでは、質疑の申し出がありますので、これを許します。長谷川正三君。
  93. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 お忙しいところ道路公団の藤森さんにおいでをいただきまして、たいへん恐縮でございます。ただ、今日国土の開発が非常に急速なピッチで進められておりまして、特に道路公団はその重要な一環をおにないになっておるわけでありますが、これに伴いまして文化財の保護との関係におきまして各所に問題が起こっておりまして、本委員会におきましても、私、先年来しばしば取り上げまして問題とし、文化財保護委員会におきましても道路公団におきましても、それぞれ御努力いただいている点は多といたしますが、なお今日まだ非常に不備な点、問題のある点が多多あるように思いますので、それらの点につきましてきょうは御質問申し上げ、なお御善処をお願いしたいと思うわけであります。  実は、きょうは主として道路公団関係では北陸縦貫高速自動車道ですか、この問題について御質問申し上げたいのですが、その前に、かつてやはり私が本委員会で問題といたしました東名高速道に関しましてまだどうも処理のついてない問題があるようでございますので、この点をまず御質問申し上げたいと思います。  東名高速道につきましては、非常にたくさんの遺跡にひっかかっておりましたけれども、実際は四ヵ所程度しか発掘調査等がなされずに終わったということを、いまでも非常に遺憾に思っております。しかし、これは済んでしまいましたので、このことについてはいまさらどうこう申しても間に合わないわけでありますけれども、道路公団側とすれば、県のほうから申し出たところはやったのだということになっておるかもしれませんけれども、その県の申し出ということにもなかなか問題がありますし、いまその点は、きょうはここでは問題にいたしませんが、一度川崎市の下原遺跡につきまして、当時そこの発掘調査をやっておりますうちに非常に重要な遺跡だということがわかりまして、最初の予定の調査費では間に合わなくて、担当した学者の方が借金をしてなお調査を進めた。それから、公団からその事業を請け負った直接の工事担当者と申しますか、その会社が非常に理解を持ちまして、かなり協力をしてくれまして一応その調査は進めることができたというふうに聞いておりますが、そのときの調査費として約五十万円を責任学者が銀行から借りてまかなっておる。さらに、その後の発掘物の処理なり整理なり、そういうものに三十万程度の金が要るということで、八十万ほどの金が必要であったようでありますが、それがそのままいまだに解決されずに、最近県のほうで、やむを得ないから何とか出そうかということになっておるということを耳にしておるのですけれども、これは文化財保護委員会ではその間の事情をどう把握され、どう処理されようとしておるのか、また、公団側としては、この問題についてはどういうふうに把握をされ、処置をされようとしておりますか、この点をお尋ねを申し上げます。
  94. 藤森謙一

    ○藤森参考人 ただいまの御質問にお答え申し上げます。  私、東名高速道路を担当しております藤森でございます。  ただいま先生の御指摘の川崎の下原所在の長尾遺跡の問題でございますが、これはちょうどルートにぶつかってしまいましたので、当時文部省の三木調査官、それから文化財保護委員会の斎藤委員その他の方が、三十九年二月に現地調査をされまして、それで大体四十八万円程度の調査費でまずよかろう、こういう話でございまして、道路公団の京浜建設局が、神奈川県の文化財担当でございますが、実質的には県の外郭団体でございます文化財協会ですか、道路公団と神奈川県文化財協会と四十八万円をもちまして、その他の二、三の件を含めまして契約をいたしました。この契約は三十九年の三月にいたしまして、これにつきましては、四十年の五月に報告書をいただきまして、清算も四十年七月に終わっております。この間におきまして、どうしてもこれではまだ足りないということがございまして、そのほかの三ノ宮地区というのがございまして、これと合わせましてそれでは九十万円を調査費に充てよう、その割り振りは、県の文化財のほうの担当者におまかせするということにいたしました。このときに、三ノ宮地区のほうに六十万円、それからこの長尾地区に対しまして二十万円、それから事務費として十万円でございますが、その割り振りをもちまして第二回目の契約をいたしました。ところが、第二回目の契約につきましては、その後道路公団の京浜建設局のほうから、県の教育委員会、担当のほうにいろいろ催促をいたしておりますが、全然清算書が出てまいらないという実情でございます。それで、その間に、清算が終わらないうちに、四十一年六月十四日付で県の教育委員会から京浜建設局あてに文書がまいりまして、この前の二十万円で調査をやったのでありますが、実はもっと金がかかりました、それでもっと増してほしい、こういう要望がまいりました。こちらとしては、それでは、もう調査は終わったのでございますから、実際にどの程度の人夫並びにアルバイトを使ってどういう作業をやったか、明細内訳を添付してくだされば清算いたしましょう、こういう申し出をいたしたのでございますが、再三連絡をいたしましても県からまだ出てきていないというのが実情でございます。それで、公団といたしましては、しかるべきものが出てまいりました場合に十分にこれを審査いたしまして、必要と認めるものにつきましては、あらためて二十万円を多少増額するという用意がございます。
  95. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうしますと、これは県のほうが、その要求はしていながら具体的な事務を進めていないために執行がおくれたというふうに解釈してよろしゅうございますか。
  96. 藤森謙一

    ○藤森参考人 契約書の中によりますと、途中で変更するときにはあらかじめ計画変更を申し出るという約束になっております。したがいまして、きわめてしゃくし定木に契約書の条文どおりにまいりますと、私どもには責任がないということも言えるのでございますが、実情は、先生がおっしゃいましたように、この現場を担当しております三井建設が相当援助いたしまして、宿舎の提供その他機械などを提供いたしまして、協力もいたした事実も確かめておりますし、実際に担当された先生も詳しくおやりになったという実情は知っておるわけでありますが、そのことが県から出てまいらないというのが実情でございます。
  97. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私の調査したところでは、そのときに担当された学者の方々の要求は、その個所について最初百万円であった。ところが、道路公団が、神奈川県の分として三ヵ所ですか四ヵ所ですか、全体で幾らということで契約をされた。その配分上にも県としても問題があったかもしれませんけれども、いまお話しのように二十万円しかこなかった。ところが、事実掘ってみますと、やはり五十万円さらに追加しなければ、せっかく掘り始めて非常に重要な住居遺跡が見つかったにもかかわらず、途中で放棄するわけにはいかないというので、学者の良心として、とりあえずあとから出してもらうということで了承して、銀行からお金を借りてやった。学者先生ですから、おそらくそんなにお金持ちではないと思う。五十万円という金は、なかなか個人の生活では大きいお金である。銀行から借りておれば、あれは四十年のことでしたから、利子もだいぶかさんでおると思いますが、非常に困っておられるように聞いておりますので、これは何とか早く処理をしていただかなければならないわけですが、しゃく定木に言えば、県から申し出たとおり公団では了承して、その金は出しておる。だから変更しない限り、あらかじめ申し入れてない限り、済んでしまったから了承することはできないということもわかります。そう野方図に、これだけかかった、あれだけかかったとあとからイモづる式に出てきては困るだろうということはわかりますが、ただ、特に埋蔵文化の場合は、これも専門家が精密に調査すれば、必ずしも発掘しなくても相当程度の遺跡があることはわかるそうでありますけれども、まだそこまで手が及んでない。神奈川県に、東名高速道路がかかっただけでも、私の調査したところによれば二十五ヵ所遺跡がある。ところが、県が申し出たのはたしか三ヵ所か四ヵ所で、そこに非常なずさんさがあったわけで、さっき申し上げたように、死んだ子の話をしても戻らないからこれは言いませんけれども、少なくともいまのような事情で、なかなか見つからないというか、表からではわからない性質があります。掘っていってみて非常に重要だ、それこそ、ときによっては道路計画自体を変更してもそっくり残してもらわなければ、世界の学界に対しても重大な冒涜になるというようなものにぶつかる場合もあると思う。そういうときには、文化財保護委員会はもちろん先頭に立ってそういう問題の解決に当たられると思いますが、公団側としても十分な理解を示される態度でありませんと、一度掘られてしまえばあとに戻らないものでありますから、建設をお急ぎになるということもよくわかりますけれども、ローマなどの例で伺いますと、どのような工事でも一たび遺跡にぶつかった場合には、無条件にと申しますか、その工事を中止してもまず遺跡の調査、保存というものを第一に考えるというふうになっておるということも聞いておりますので、そういう態度を公団側もひとつ持っていただきたい。  それから、いまの具体的な問題につきましては、これは早急にひとつ——私、詳しい専門的、技術的なことはわかりませんが、文化財保護委員会に指導の責任があろうと思いますが、県と公団と当該学者との間にすみやかに調整をとっていただきまして、その解決をしていただきたいと思うのですが、公団側並びに文化財保護委員会の御意向をひとつ聞かせていただきたいと思います。
  98. 藤森謙一

    ○藤森参考人 ただいまの先生の言われた御趣旨に沿って公団はやるつもりでおります。なお、具体的な、本件につきましては、先ほど申しましたように、県のほうに実際にかかった内訳要求しております。それで、実際には何人、何日かかったかということでございますが、これが出てまいらない実情でございますので、これを県から出していただきまして、検討して善処いたしていきたいというふうに思っております。
  99. 村山松雄

    ○村山政府委員 この公共事業等による原因者負担の調査の場合、調査委嘱者と、それから直接調査の委嘱を受ける学者との間には、従来から県または市の教育委員会を介在せしめて調査計画をはっきり立て、特に経理上にいざこざの起こらないように従来も指導いたしておったわけでありますけれども、本件に見られますように、その間の連絡が必ずしも十分でなくて、まあ学者のほうではできるだけ綿密に調査したいということから、調査の当初計画をはみ出す場合が間々ございます。そこで、文化財保護委員会といたしましては、県の教育委員会に、当初から見積もりを正確に立て、学者との間であとで経理上の問題が起こらないようにすることはもちろん、途中で計画変更の必要が起こったような場合には、これも直接交渉にゆだねないで、よく実態的に、間に入って計画の変更なりあるいは費用額の変更なりの折衝をやって、あとで不足額の処理がペンディングになるというようなことのないように一そう留意いたしております。本件につきましては、遺憾ながら現在まで処理がついていないようでありますが、さらに神奈川県の教育委員会と連絡いたしまして、実情に合うような解決をはかりたいと思います。
  100. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは、この川崎市の長尾遺跡につきましてはこの程度にとどめたいと思いますが、最後に一つだけ念を押しておきたいのであります。たてまえとしてはわかりますが、最初の契約どおり出したのだから、これ以上出せぬという態度で押し切られることのないようにやっていただきたいということと、これは四十年度のことだから、ことしはもう四十二年になっていますから、そういうものは扱えないのだというようなことは、具体的資料が出てくればそういうことはおっしゃらない、このことは確認してよろしゅうございますか。
  101. 藤森謙一

    ○藤森参考人 よろしゅうございます。
  102. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ありがとうございました。  それでは次に、北陸自動車道の建設に伴う問題についてお尋ねいたしますが、これにつきましては、最近北陸の遺跡を守る会というのが、福井、石川、富山三県の考古学者の方々が集まって組織されまして、この縦貫道路ができるために遺跡が破壊されるのじゃないかということを非常に心配をされている動きがあります。それを御承知と思いますが、これについて道路公団としてはどういうような文化財保護に関して処置をとられてきたか、経過を御報告願いたいと思います。
  103. 藤森謙一

    ○藤森参考人 新高速道路につきましては、北陸三県につきましても目下用地買収のための路線測量中でございまして、およそ四〇%の路線を発表いたしております。この場合に、まず県のほうに関連公共事業の調査をお願いしているわけでございますが、関連公共事業の調査費としてある程度の調査費を県のほうに委託しまして——この中には文化財の調査も一応含まれております。これはもちろん関連の道路であるとか、あるいは河川であるとか、あるいは土地改良であるとか、そういうことが含まれるわけでございますが、その中にも、関連公共事業の中に文化財のものが入っておりまして、実際にルートの五万分の一で申し上げますと、幅は二キロの幅にわたります調査を県に委託しておりまして、たとえば、この五万分の一の地図に、ちょっとお見せしますが、このような調査を県でやっていただきます。それで、このうち特に重要なものにはしるしがつけてございまして、これはできるだけ避けるように私どものほうで作業いたしましてルートを選定する。それで、ルートを選定いたしましたものを一千分の一で図化いたしましたものにルートを入れて、詳細な設計をして、この場合には現在までわかっております文化財は避けるという方向でやっております。ただ、埋蔵されておりましてまだわからない、ただこの辺にありそうだということがはっきりいたしました場合には、発掘調査費というものを個別につけて、先ほどの川崎のようなケースになるわけでございます。大体東名、名神でもこういうふうなぐあいでやってまいりましたので、大体それを踏襲してやっておる次第でございます。
  104. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これはいま四〇%を……。
  105. 藤森謙一

    ○藤森参考人 路線発表したわけでございます。
  106. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それはどこからどこまでですか。
  107. 藤森謙一

    ○藤森参考人 北陸道につきまして路線発表いたしましたのは、福井県においては、足羽町の一部から金津町まで二十八キロほどでございます。それから石川県につきましては、小松市、根上町、美川町、松任町、金沢市の一部分ということで、これは約三十キロ。それから富山県につきましては、小矢部市、砺波市、高岡市、大門町が発表完了でございます。
  108. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そのうち福井に関しまして、予備調査、分布調査、それはどの程度やりましたか。
  109. 藤森謙一

    ○藤森参考人 分布調査は、先ほど申しました関連公共事業調査というものに含めましてお願いいたしております。ですから、金額はその中の幾らになったということは、ここではっきりつかめないわけでございます。
  110. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 保護委員会ではつかんでいますか。
  111. 村山松雄

    ○村山政府委員 道路、鉄道等の工事に際しまして、いろいろな団体の調査があるわけでありますが、一番最初の段階といたしましては、大体の路線が内定いたしますと、いまお話しのように約二キロ幅で内定されるわけでありますけれども、そこで文化財保護委員会としては、まず第一段の分布調査、これは国庫補助により都道府県を実施主体としてさせるようにいたしております。北陸自動車道につきましても、ある程度路線がきまってまいりましたので、本年度福井県分といたしましては分布調査費約百万円、二分の一国庫補助でこれから実施する予定になっております。
  112. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、これは国から五十万、県から五十万、合わせて百万円で分布調査をこれからやるというわけですか。
  113. 村山松雄

    ○村山政府委員 その予定でございます。
  114. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、この五十万というのは、文部省の持っておる研究調査費ですか。
  115. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護委員会の埋蔵文化財調査費、約五十万ございますか、四十二年度には新幹線、高速道路関係として約一千万増額されております。それを含めて約五千万でありますか、その費用を使いまして国庫補助で調査いたすわけであります。
  116. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 この分布調査については、公団は関係してないということでございますか。
  117. 藤森謙一

    ○藤森参考人 これは文部省文化財保護委員会と日本道路公団におきまして、ただいま協定を——ほとんどまとまっておるわけでございますが、覚え書きの交換を近々にいたすことになっておりますが、分布調査に要する費用は、原則として文化財保護行政側において措置するものとするというふうなことで覚え書きを交換する予定になっておりますが、原則としてということばがございまして、道路公団では、関連公共事業というものを県のほうに委託調査いたしております関係上、この関連公共事業の中に一部は含まれることがあるということでございます。
  118. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ちょっといまの御答弁、ぼくよくわからないのですが、ということは、要するに、分布調査の段階では、公団では出さないとおっしゃったのですか。
  119. 藤森謙一

    ○藤森参考人 原則として文化財保護委員会側において措置するというふうな覚え書きをいたしております。原則としてでございまして、例外的には多少出す場合もあるというふうに御理解願えればけっこうでございます。
  120. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その点はよくわかりました。  それから、北陸道関係の埋蔵文化について、一応の調べというようなものを、県からもうすでに提出をされておりますか。
  121. 藤森謙一

    ○藤森参考人 北陸三県に関しましては、まだその段階まで至っておりません。
  122. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、この計画にまだ何ヵ所あるかということは、別につかんではおられないわけですね。
  123. 藤森謙一

    ○藤森参考人 非常に重要なものにつきまして、ある程度マクロ的な調査をいただいておりますのでは、北陸道で重要なものは三十二ヵ所ばかりある。しかし、実際には、先ほどの図面でお示ししましたように、非常に数がたくさんございます。
  124. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 先ほどの図面とおっしゃったのは、さっき広げられた地図ですね。
  125. 藤森謙一

    ○藤森参考人 はい。
  126. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私の調べたのでは百三十八ヵ所というのがあるのですが、これも重要度がどうであるか、あるいはもっと多いか、その辺は専門家でないので詳しくわかりませんが、概略そういう最低限度百三十八ヵ所ということが資料としてございますけれども、いま伺いますと三十数ヵ所じゃないかというお話で、これもだいぶ食い違いがありますので、また将来問題が起こるんじゃないかということで非常にいまから心配になりますが、その点はいかがですか。
  127. 藤森謙一

    ○藤森参考人 具体的にルートがきまりまして、それにきわめて関係のあるものというものを対象といたしまして、発掘調査なり必要な調査というものを、別個に県当局と計画して実施したいというふうに考えております。それで、これも、従来やりました名神、東名の例にならっただけの金額を準備いたしております。
  128. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは、次にお尋ねいたします。  「北陸自動車道の建設に関する意見書」というものが、県の社会教育課の文化財係のほうから公団側のほうに出されておりますが、そういうふうに伺っておりますが、いかがですか。
  129. 藤森謙一

    ○藤森参考人 金沢の建設所のほうには出されておるかもしれませんが、実は本社のほうではまだ受け取っておりません。
  130. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、現地のことはここでは御質問を申し上げてもわかりませんか。
  131. 藤森謙一

    ○藤森参考人 多少時間をおかしいただければ、電話連絡等で御答弁できると思いますが、現在私、存じておりません。
  132. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私の聞くところによりますと、学者の方々が、さっき申し上げたように、北陸の遺跡を守る会というようなものを組織して運動を起こされておる。それから、県の社会教育課の文化財係のほうからも意見書というのが出されておる。これらに対しまして、その金沢の建設所というのですか、そこの御態度はきわめて高飛車というか、官僚的というか、高圧的というか、そういうような御態度で、この調子でやられてはこれはたいへんだというふうな心配をよけいかき立てておるというふうに承っておるのでおりますけれども、そういう状況については、全然御存じありませんか。
  133. 藤森謙一

    ○藤森参考人 さっそくその件につきましては——新聞で知りまして、これはたいへんであるということで金沢の建設所の上司に連絡したところ、多少の行き違いがあったのかもしれないけれども、新聞では非常に誇張して書いておる。実情は、私たちは、先ほども何べんも申し上げておりますように、在来やっておりましたとおりの、文化財を非常に尊重して、建設を進めていくという態度には変わりございません。ここで私からまた釈明しておきます。
  134. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 まあたいへん明快な御答弁で愁眉を開く感じがいたしますが、ぜひひとつそういう御態度で進めていただきたいと思います。  この際、大事なところだけここで申し上げておきますと、さっき申しました意見書の中にこういうことが書いてあるのです。その二項の中なんですが、「先般発表された計画路線に従って、古墳群、史跡、城跡等の地区概要等を記述し提出したが、これはきわめておおまかな机上の資料で、古墳の実数もその性格も確認せず、調査資料の不充分を遺憾に思っている、しかし多くの古墳が分布している金津町坪江庄(横山古墳群)、それに藤島、岡保にかけての弥生式古墳群、足羽町大土呂、半田、二上の文殊山ふもと一連の古墳群、城跡、また武生市の八皇子山古墳群は昔から明らかにされてて、これに関する資料もあるので、土地所有者、工事施工関係者等よく横の連絡をとり、保存、または事前調査ができるよう努力してほしい、」こういう項目がございます。ですから、これは県自身が前に一応出したのだけれども、これはたいへんずさんで申しわけなかったという意味もあるようですが、とにかくここにはたくさんあるので、こういうことを言っておるようです。  それから三番目として、「直接道路の上にかからなくても、土路工事の関係で附近の山ふもとの土地を掘り、盛土とすることは必ず生じる、その際、土を取る山等も古墳群があるためこの点充分検討して施行されるよう要望する」、こういうことも書かれております。この点もたいへん重要なことだと思うのですが、これらに関して、建設事務所では、当初県から申し出ておる、そこ以外には一切認めないのだというような答弁だったというようなことが新聞にも報道せられて非常に問題になったわけですが、この点は、いまのお話で十分善処するということですが、いま申し上げたような点がすでに県からも申し出られておりますから、十分ひとつ慎重にやっていただきたいと思います。  そこで、いまの中の三項に出てまいりました土盛りの土をどこからとってくるか、これがまた非常に重要で、二キロ幅なら二キロ幅、四キロ幅なら四キロ幅で調べましても、それ以外に、今度は直接道路にならないけれども、その道路建設用の土を山から持ってくる、そのために平気で文化財を破壊してしまう、埋蔵文化財をこわしてしまう、こういうような事例が頻発してはたいへんでありますが、その意味で土はどこからとってきたのか聞きましても、これについては明らかにしていない、こういうことだそうでありますが、この土盛りの土を持ってくるという点については、どういうふうにお考えになっておりますか。
  135. 藤森謙一

    ○藤森参考人 まだ詳細な設計ができておりませんもので、どこの山から土をとって、どこへ持っていくかという具体的なことは、まだ決定いたしておりません。これはできるだけ道路の沿線に近いところで、しかも良質の土砂というふうなことで、どこにどういう土があるかということを私のほうで調査をいたしております。そのうちから最も経済的ないいものを持っていこうということでございますが、その間におきまして、ただいまの先生の御憂慮なさるような事態が起こりましたときには、これは十分考慮して計画を立ててまいりたいというふうに思っております。
  136. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまのこの工事に関する土盛りの土をとる場所が、文化財を破壊するという事態が今後非常に起こってくるおそれがありますが、すでに起こった事例がいままでもあります。千葉県にもこの間ございましたけれども、こういう点について、文化財保護委員会としてはどういうようにお考えですか。
  137. 村山松雄

    ○村山政府委員 特に埋蔵文化財包蔵地を知らないために、土木事業あるいは採土のために破壊するという事例があるにかんがみまして、昭和三十五年から三年かけまして埋蔵文化財の分布調査をやりまして、約十四万ヵ所検出したわけでございますが、大体それが現在まで各県の教育委員会の遺跡台帳に登載されておるわけでございます。今回の北陸自動車道につきましても、おそらく県がすでに資料を何か出したとすれば、前回の調査に基づく遺跡台帳によって出したのではないかと思います。それだけでは不十分でありますので、具体的な計画がきまりますと、補助事業で分布調査をもう一ぺんやるわけであります。もう一ぺんやった結果、さらに工事担当者側と文化財側とで協議する、こういうことになっております。そういうことでありますので、御指摘の場合ですと、実は、私はばく然と道路予定地の調査をやれば足りるというぐあいに考えておったわけでありますけれども、採上のために調査範囲があるいは広がるというようなことも、この際頭に置いて調査計画を立てる必要があるのじゃないかといま思いついた次第でありますが、その辺も含みに入れまして綿密な調査計画を立てたいと思います。
  138. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 この点は非常に、いま文化財保護委員会の事務局長からもはっきりした御答弁があったと思いまして、たいへん私は心強く思いますが、しゃくし定木にこの路線なり建設予定地なんというものだけに限ってすべて文化財保護の対策がとられるので、それに要するとり土の盛り土をするためにほかをこわしたというようなことについては、そのらち外だというような、そういう解釈がもし——とかくどうもしゃくし定木にやられがちですから、一つは、なるべく費用を少なくということが一番基本にあると思いますが、ぜひ、ひとつそういうことがないように、道路公団側でも十分な御理解をいただきたいと思いますし、文化財保護委員会もそこまで十分目を配って配慮をして指導されていく、あるいは調査をされていく、こういうようにお願いしたいと思いますが、もう一度念のためにそれについての御見解を御両所からお願いいたします。
  139. 村山松雄

    ○村山政府委員 分布調査をやる際に、これは文化財保護委員会並びに県の教育委員会でやるわけでありまして、道路公団側とは直接共同調査ではないわけでありますけれども、公団側におかれましても、関連公共事業の調査などもなされますし、また道路のために路線以外にも土木事業が及ぶというようなことがありますれば、どういう計画かお伺いして、連絡不十分のために漏れるというようなことのないように留意いたしたいと思います。
  140. 藤森謙一

    ○藤森参考人 土とり場等につきましても、十分県の教育委員会当局と連絡して善処してまいりたいと思います。
  141. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ありがとうございました。たいへん明快なお答えで心強く存じます。  そこで、最後にもう一つだけお願いして御確認を申し上げ、その態度を表明していただきたいと思いますが、ぜひひとつこういう調査が行なわれました場合は、その研究者の調査結果の意見というものを十分尊重して、最初これだけ調査したから、もうそれだけ終わったから調査したという、形式だけ整ったからいいんだというようなことで、あとは工事を強行してしまう、こういうようなことはひとつぜひないようにし、またその調査結果の評価にいたしましても、十分研究者の評価というものを尊重して、ときにはこれを保存するとか、あるいは記録保存にとどめるとか、あるいは発掘物についての保護の措置を講ずるとか、こういうようなことにひとつ万全を期していただきたいと思うわけです。  そこで、私がお伺いをしたいのは、たとえばこれが完全に重要な遺跡であるとして、路線を変更してもそのまま保存しなければならないというようなこともときには出てくる。そうではなくて、発掘物を別にどこかに保存し、学問の用に供するように陳列をする、またその遺跡を全部写真その他の記録に十分とどめまして、そうしてあとこわす、こういう場合もあると思いますが、そういう場合に、とかく事前調査費は、いま申したとおり、これはむしろ文部省側あるいは県側でやる。文部省側という意味は、文化財保護委員会の予算でやる。それから実際の工事をするにあたっての発掘調査等は、原因者負担で公団がやる、こういうような大体たてまえになっておりますが、その際に、この発掘したものをどう保護、保存するかという問題や、あるいはこれをほんとうに記録にとどめて学問の今後の資に供するためには、一定の部数の記録、出版等が必要なはずであります。そういうものがなければ、ただ調査して一部紙に書いたものを残したというだけでは結局埋もれてしまって、学問の世界にほんとうに役に立たなくなってしまう。そういう点まで十分配慮した予算が、これは公団側で組むか文化財保護委員会側で組むかわかりませんが、そういう点はぜひひとつきちっとしておいていただく必要がある。そうしないと、仏つくって魂入れずの結果になる。このことは、きょうは大蔵省からも主計官においでいただいておりますが、大蔵省の立場からも十分ひとつ御認識をいただきまして、万遺漏なきを期していただきたいと思います。そういう意味におきまして、いま申し上げましたお三方から、これについてのお考えをお述べいただきたいと思います。
  142. 村山松雄

    ○村山政府委員 埋蔵文化財の発掘調査をやった結果の処理でありますが、調査の経過をできるだけ詳細に記録し、結果に対する評価、意見等もあわせてこれを何らかの形で公表するのが第一点でございます。  それから、発掘調査中に埋蔵物、出土品として発見した場合の措置でありますけれども、これは遺失物法の適用がございますので、もし所有者が判明するような場合には、これはやはり所有者に帰属いたします。それから所有者が判明しないような場合には、これは警察から文化財保護委員会に届け出がございまして、国庫に帰属することになりまして、土地の所有者並びに発見者に対しましては報償金が支給されるたてまえになっております。なお、国庫においてこれを文化財として保有する必要がないと認められた場合には、土地の所有者なりあるいは発見者なりに、あるいは折半というような形で譲与することができることになっております。国で保有したものにつきましては、きわめて重要なものは文化財の指定に関する措置をとって指定をして、博物館等に保存するという措置がとられますし、そこまで至らないものにつきましても、博物館等に保存する、あるいは出土地の公共団体等で譲与を希望される場合には譲与をして、そこに保管をするというような措置を講じております。
  143. 藤森謙一

    ○藤森参考人 ただいまの第一点の記録の問題でございますが、これは私どもで県の文化財関係の方々と契約をいたしますときに、報告書を印刷したもので提出をしていただく、写真等もつけていただくということになっておりまして、少なくとも三部程度はしっかりしたものが残っておりますし、これを増し刷りするというようなことは、その費用はまた別途だと思いますが、そういうものに必要なものは報告書を提出していただくという契約になっております。  それから第二番目は、ただいま局長さんが御答弁なされたようなことでございますが、道路公団といたしましては、今後文化財保護委員会当局との覚え書きにおきまして、公団は、発見したものにつきましては公団に帰属する埋蔵物に関する一切の権利を放棄して、委員会または都道府県教育委員会等、しかるべき機関へ無償贈与いたしたい、こういう考えでございます。
  144. 小幡琢也

    ○小幡説明員 最近土地開発の進展に伴いまして、文化財保護の見地から、こういった埋蔵文化財の発掘調査とか遺跡の記録、こういった必要性が急増してまいりましたので、財政当局といたしましても文部省の御要望に沿いまして、特にこういった埋蔵文化財関係予算を四十二年度も大幅に増額いたしておりますし、また今後におきましても、財政の許す範囲内におきまして先生の御意思を体しまして、できるだけ善処したいと存じております。
  145. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それぞれの御答弁をいただいて、ありがとうございました。ぜひその線で御善処いただきたいと思いますが、ただ、いまの御答弁の中でちょっとはっきりしませんのは、発掘調査の結果について特に印刷等に付して刷る場合に、いま少なくとも三部程度はというお話はありましたが、考古学会なり学術会議なり、あるいは場合によっては世界の学会に送るというようなことが必要になってくるのじゃないかと思います。その程度によって広げたら切りがありませんが、ある一定の部数は印刷して保存ができ、学会の資料に供するような措置が講ぜられなければならないと思いますが、一体その予算は発掘調査費に含めて出すのか、あるいは文化財保護委員会のほうで別途の方法を講ずるのか、そういうのはもう発掘した学者の個人の研究領域にまかすということで、学者個人がやらなければならないのか、発掘者、研究者個人がやらなければならないのか、県が一部補助するのか、その辺は一体どういうふうになりますか。
  146. 村山松雄

    ○村山政府委員 ただいまの点は、埋蔵文化財発掘調査の態様によって、報告書の扱い方あるいは公表のしかたにもおのずから差があろうかと思います。現在問題になっております公共事業等のために、原因者負担で発掘調査をされる場合には、その発掘調査にかかる契約におきまして報告書をどの程度にするということも取りきめられるわけでありまして、その場合は、必要最小限の部数というようなことになろうと思います。  それから、そのようにして個々の調査報告がとにかく世の中に残るわけでありまして、それらを通じまして少しまとまった調査報告を出す必要があるかないか、ある場合にどうするかというのは、また第二段目の問題になろうかと思います。
  147. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 第二段目の問題になるということはわかりましたが、それについてはどうお考えですか。
  148. 村山松雄

    ○村山政府委員 埋蔵文化財の原因者負担による発掘調査報告を文化財保護委員会で何かまとめてさらにつくるというようなことは、従来は実ばいたしておらなかったわけであります。重要な遺跡等につきましては特別の調査費を出し、あるいは場合によっては国で直営の発掘調査をやって、かなり詳細な報告書を出すというようなことは別途やっております。原因者負担による発掘調査の処理につきましては、現在のところ一応報告を出して、とにかく世に記録としてとどめていただいて、その次にどうするかということは、状況に応じて今後検討すべき課題というぐあいに現段階では考えておりまして、具体的な計画を直ちに御説明するほどのものを持っておりません。
  149. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私も、事務局長がおとりになっているような大幅な出版とかということは、また別途の問題だと思いますが、先ほど必要最低限度の記録を残すといったのは、たとえば百部程度は印刷して残すということなのか、三部程度、これは印刷ということにならぬだろうと思いますが、残すということなのか、その辺のけじめは、最低限きちっとある程度はしておかなければ困るんではないかと思うのですが、いかがですか。
  150. 村山松雄

    ○村山政府委員 その点、必ずしも従来、最低限何部でなければならぬという共通的な取りきめはいたしておりません。個々の場合において、少なくとも当事者のそれぞれが保有する部数を、若干余裕を見てつくる。場合によってはガリ版のこともありますし、簡単な活版にすることもありますが、最小限度の部数をつくって調査者、それから調査者が場合によって学会報告などをする必要かあるような場合にはそれに必要な部数であるとか、あるいは調査委託者である公社、公団等も、それぞれの部局で後日の証拠その他に必要でありますから必要部数を保有する。それから、文化財保護委員会にもお届け願う。それから県の教育委員会にも残すということで、具体的に何部ということはなかなか申し上げにくいわけでありますけれども、当面の必要をカバーできる程度の部数はつくっております。共通的な取りきめが必要かどうか、今後検討いたしたいと思います。
  151. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 御答弁ごもっともな点もあると思いますから、別にこれ以上申し上げませんが、いまもお話があったように、きわめて貴重な調査が、ガリ版刷りか、二、三枚のものが報告されて終わりになって、あとは調査に当たった者はある程度知っておるけれども、どうもそのまま雲散霧消してしまうということがあっては私は重大だと思う。ですから、やっぱり貴重なものとして予算を出して調査する程度の重要なものであれば、ある程度の活版できちっとした調査書ぐらいは残すということ、あるいは配付するということの措置は、どうしてもとらなければいけないんじゃないかと思うのです。もうこれ以上御答弁は求めませんが、せっかく時宜に合った、しかもせっかく貴重なこういう調査をした場合のあとの処理について、万全を期していただくように、強くこれは関係者に御要望を申し上げておきます。  直接道路公団関係につきましては、本日の私の質問は以上ですから、次の質問に入る前にほかにありましたら……。
  152. 床次徳二

    床次委員長 ほかに藤森参考人に対する御質問があれば、お願いしたいと思います。
  153. 斉藤正男

    斉藤(正)委員 関連して。長谷川委員質問にお答えになって概略わかったわけでありますけれども、特に埋蔵文化財を発掘して出土したものを、どう利用し、活用していくかという点につき特段の御配慮をいただいておるということも聞いておるわけでありますけれども、私は静岡の出身でありますが、東名の工事にあたって非常に多くの埋蔵文化財を調査をし、発掘をし、なお今後もあることでございますけれども、出土品があるわけです。先ほど長谷川委員質問に答えて、事後処理の問題として今後十分配慮したいというようなお答えがあったわけでありますけれども、たとえば収蔵庫の新設といったようなものに対し、道路公団側はどこまでの配慮をしようとしているのか。といいますのは、各県の実情によって、公団側の配慮にもどうも少し薄い厚いがあるのではないか。市町村なり県なりの熱意によって公団側が動かされるという面もあるんではないかというようにも仄聞しておるわけであります。もちろん、それがいいとか悪いとかいうことは一がいには言えないと思うのでありますけれども、少なくも調査費をつけ、しかも発掘費をつけ、調査が終わった。しかし、出土したものについては、いまの印刷物にしても、あるいはその出土品の陳列なり貯蔵にしても、十分な配慮が行なわれているとは言えない。一番欠けているのは、やはり調査、発掘後の事後処理について万全が期せられていないというようにも思うわけでありますけれども、これもケース・バイ・ケースで、重要度あるいは文化的な価値といったようなものによって違ってきて、一がいには言えないということもわかるわけでありますけれども、最終的に、一体収蔵庫というものを含めて、公団側はどのような配慮をされているのか、見解を承っておきたいと思います。
  154. 藤森謙一

    ○藤森参考人 先ほど、文化財保護委員会との協定というところで申し上げましたが、発見した埋蔵物につきましては、公団は文化財保護法の趣旨にかんがみて、公団に帰属する埋蔵物に関する一切の権利を放棄して、委員会または都道府県教育委員会等、しかるべきところに無償供与したいという気持ちでございます。私のほうは道路をつくることが専務でございますので、文化財の保護まで当たるということは、気持ちとしては先生のおっしゃることはわかりますけれども、任務としては、こういうものは文化財保護委員会のほうに差し上げて、そちらのほうで保存していただくのが原則だろうと考えております。
  155. 斉藤正男

    斉藤(正)委員 気持ちとしてはよくわかるのです。しかし、せっかくできたものを市町村なりあるいは都道府県なり、陳列をして学研の用に供するという場合は、その施設についての助成なり協力というようなものについては考えていない。出土品の所有権を放棄するということについては、公団の本来の性格からわかるわけです。そこまでは十分理解をいたしました。その後なお、都道府県なり市町村なりが、これの陳列なり貯蔵あるいは保存というようなものに対する措置に対して、公団側は何もしないのかということで承りたいのです。
  156. 藤森謙一

    ○藤森参考人 先ほど御答弁申し上げたとおりでございますが、気持ちといたしましては、たとえば地元の教育委員会ないしはそういうところで、占用して高架下に陳列場をつくりたいというような場合には、できるだけ御便宜をはかりたいというふうに考えます。
  157. 斉藤正男

    斉藤(正)委員 公団側の考えはわかりましたけれども、委員会関係でちょっとお答えをいただきたいと思うのです。やはり埋蔵文化財については、掘り起こして物を出したあと、これを、先ほどの長谷川委員質問にお答えのように、十分関係各省庁で配慮したいということはわかったわけでありますけれども、さらに一歩突っ込んで、その出土品の保存、陳列のための助成といったものについて、文化財保護委員会側の考え方もちょっと聞いておきたいと思います。
  158. 村山松雄

    ○村山政府委員 道路建設事業による発掘調査で多量の、しかも貴重な出土品が出た事例があまりございませんので、もう少し一般化して申し上げますと、たとえば昨年問題になりました兵庫県の田能遺跡ですとか、それから公共事業関連するというよりは、むしろ学術的な調査で発掘調査をやったような場合には相当な埋蔵物の出土品がございます。そういう場合の処理の一般原則は、先ほど申し上げたとおりなんでございますけれども、地元において保有を強く希望されるような場合には、たいへん失礼でありますけれども、地元における保有管理能力その他を勘案いたしまして、地元に保有させても差しつかえないというような場合には、文化財保護委員会のほうでもそれを承認しておりますし、場合によっては収蔵庫の建設というようなことにつきましても、これは一般的に補助事業でなし得るわけでありますから、そういう条件に適合すれば、抽象的な設問としては認め得る課題だと思います。
  159. 斉藤正男

    斉藤(正)委員 了解。
  160. 床次徳二

    床次委員長 藤森参考人に対する質問は終わりましたね。  それでは、参考人には長時間御出席をいただき、まことにありがとう存じました。     —————————————
  161. 床次徳二

    床次委員長 それでは、引き続き文化財の問題に対して質疑を続けます。長谷川正三君。
  162. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私はまだたくさんありますが、小林委員のほうで国有財産のほうの関係の方をお呼びしておって、これも一時からということにしておられたそうですから、一ぺん私の質問を中断いたしまして、小林委員のほうにお譲りいたしまして、そのあと時間がありましたらまた続けさせていただきたいと思います。
  163. 床次徳二

    床次委員長 小林信一君。
  164. 小林信一

    ○小林委員 国有財産第二課長に来ていただいておりますが、私も一時からということで御無理を願っておったわけでありますが、道路公団の一時のほうにお譲りいたしまして、長谷川委員のほうから質問をしていただいたわけですが、お約束ですから時間を繰り合わせていただきまして、これから私のほうから御質問を申し上げます。  私がきょう文化財の問題でお尋ねしようとする目的は、日本の文化財というものは非常に保護しにくい。そういう中で平城宮趾のように、非常に重大な問題でありましたが、文化財保護委員会を中心として、関係する学者とかあるいは一般世論、こういうふうなものが強く盛り上がって、最近ともすれば経済成長政策の中で道路が整備される、あるいは住宅がつくられる、あるいは工場がつくられるというような点から非常に問題が多くなってきておる中で、まず平城宮趾が国有に指定をされまして非常に希望をもたらしておるわけなんですが、しかし、ますます経済事情というものは、文化財を守ることにはいろいろな点で危機がきておるような気がいたします。そういう点でいま所々に文化財を守る運動というものが起きつつあるのですが、私は運動によって守られるのではなくて、あくまでも行政によって守ってもらいたい。これがまず一つ。  それから、法律がつくられますけれども、なかなかこの法律の適用ということが困難であるが、これを適切に指導してもらいたい。  それから、いろいろ指定をされますが、指定をされた場合に、国も金がなくて非常にえらいのですが、必ず地方公共団体というものが何らかの金を出さなければならない。これがまた地方財政の非常に苦しい中で支出が困難な状態にある。こういう点で幾つか問題を出しまして、それぞれの関係者にお話をお聞きして、私は特に委員長には、文教委員会としてはいろいろな法律がいま山積しているわけですが、これからの審議期間の短い中で、何とかこの文化財問題の適切な審議をしていただくために小委員会等を設けまして、別個に審議を続けるような御配慮をお願いしたいと、それも一つ申し上げておくわけです。  前置きは略しまして、お忙しい方たちですからこれから御質問を申し上げてまいりますが、道路局長さんもそこにおいてですか。——長谷川さんの質問が終わったらお帰りになるというお忙しい方のようでございまして、私も実はお聞きしたい点があるのですが、一つだけ御答弁願いたいと思うのです。  それは、例の藤原宮趾の問題で、内裏の地域がいままでは無視されたような形になっておりまして、そこに国道百六十五号線ですか、これが予定されて通すことになったわけですが、事前に調査しましたら、いろいろなものが発掘されたということでいま中止をされておりますが、これに対する建設省の、いまの現況から考えておられる点を一言だけお聞かせ願いたいと思うのです。
  165. 蓑輪健二郎

    ○蓑輪政府委員 お答えいたします。  藤原宮跡の問題につきまして、ここは一般国道の百六十五号線の橿原バイパスというものが、都市計画決定がされております。ただ、それによりまして、現在直接藤原宮跡にかかりませんかなり西側のほうを工事いたしておるわけでございます。その後いろいろ文化財保護委員会と連絡いたしますと、非常に重要な文化財でありますし、これが関係なく都市計画されたということで、こういう結果が出たのではないかというふうに考えております。今後横原バイパスのルートにつきましては、文化財保護委員会と十分打ち合わせいたしまして、私ども、必ずしも都市計画決定されたんだから、このルート以外にはやらないのだという考えではございません。できるだけ国民の重要な文化財を残して、かつ地元の要請もいれられるようなルートの検討を、文化財保護とあわせて相談して今後きめていきたいというふうに考えております。
  166. 床次徳二

    床次委員長 なお、小林委員の申し出による文化財に関する小委員会の設置については、いずれ理事会で相談いたしまして決定いたしたいと思います。
  167. 小林信一

    ○小林委員 ありがとうございました。  いま建設省のほうからの御答弁を承りまして、これも非常に希望が持てるわけでありますが、しかし、あれを迂回するとまた民家のほうに非常に影響するというふうなことで至難だということも承っておるのですが、もしもあそこが重要な地域であってどうしてもまずいという判断が出た場合には、何らかの方法で迂回するような、そういうことも可能と判断をされておるのですか。
  168. 蓑輪健二郎

    ○蓑輪政府委員 実は、この迂回の問題につきましては、きょう午前中にも橿原の市長さん以下私のところへ参りまして、これは非常に苦労してきめたんだし、そう簡単に迂回してもらっては困るというふうな話も聞いたのでございます。ただ、こういうような国家的に重要な文化財でございますれば、単に地元のそれだけの理由でそれを迂回しないとか、また構造的にいろいろ方法を考えるとかいうことを、やはりやっていかなければならないというふうに考えております。ただしかし、迂回いたしますと人家がかかるという問題がございますが、これはやはり人家がかかるということは土地の所有者、家屋の所有者と十分話をしていかなければならない問題で、私たち、それ以外の一つの交通の混雑を解消する方法も全然考えないわけではございませんので、その辺は十分文化財の重要さを地元も認識してもらって、われわれは地元と今後折衝いたしたいと考えております。
  169. 小林信一

    ○小林委員 なおもっと詳しくお聞きしたいのですが、それだけお伺いする機会が与えられたことは非常にうれしいことでございまして、以上で道路局長さんへの質問は終わらしていただきます。  次に、国有財産第二課長にお伺いいたします。これもお忙しいようですから、文化財保護委員会のほうからお話を承って話を進めていきたいのですが、略して直接お伺いいたします。  それは東京の帝国ホテルの問題です。これは最近新聞等に盛んに意見が一般から述べられており、あるいは新聞としてもいろいろな記事に書いておるわけなんです。私が申すまでもなく、文化財というのは大体明治以前というふうなことで、明治以後のものも最近はだんだん指定をするような形になってまいりましたが、大正時代のものということになると、これはまた文化財保護委員会としても非常にむずかしい問題だと思うのです。しかし、それほどいま申しましたように一般の関心というものは非常に強いわけなんで、外国の都市等を見れば、日本のように木造建築でないために、建物というふうなものがりっぱに昔のまま保存をされておる。ところが日本は、木造であるために、すべて取りこわして新しくする。それが明治、大正のものは一応こわされて、そうしてまた今度は高層建築というふうな時代へ入ってきまして、もう二段にも三段にも段階が分かれておるような状態なんですが、その中で、建築学者をはじめとして学者諸君が、いまや東京に残されておるものとしては帝国ホテルと、そして東京駅近在の赤れんがの建物、せめてこれくらいは日本の東京の昔をしのぶものとして残したい、こういうことをいわれておるのです。そこで、国有財産としてその敷地がいま保有されておるわけなんですが、これもやはり新聞等にたくさん書かれております点を私は拾って申し上げるのですが、帝国ホテルの敷地が国有財産であるかどうか。これが国有財産であるとすれば、どういうふうな契約で、いつだれに貸したのかというような点をひとつ御説明願いたいと思うのです。
  170. 立川宗正

    ○立川説明員 お答えいたします。  帝国ホテルの敷地につきましての御質問でございますが、本件の経緯について申し上げますと、現在問題になっております帝国ホテル、いわゆる旧館の土地の大部分につきましては、大正九年の一月に、これは御料地といたしまして当時皇室の私有財産でございました。御料地として宮中の財産でございましたのを、当時の宮内省の御料局長が、二十年間の有償貸し付けを帝国ホテルとの間で締結したわけであります。それが戦後、例の財産税によりまして物納されたわけでございます。それが二十二年の四月一日でございます。したがいまして物納によりまして、これは大蔵省の所管の普通財産になったわけでありますが、物納財産の一般の処理といたしまして、原則として建物の所有者に売る。それから例外的に、やむを得ない場合には貸し付けをするということで処理方針を固めておるわけでございますが、現在まで帝国ホテルとの間に貸し付け契約が結ばれておるわけでございます。そういう状況でございます。
  171. 小林信一

    ○小林委員 そうすると、最初は皇室の所有地としてこれが貸与されたということは、何か使用目的というふうなものに拘束されるものがあったのかどうか。それが今日もなお国との契約になっておるが、そういうものが継続しておるかどうか。そこで、問題になりますのは、権利金、敷金というふうなものを取ってあるのかどうか。それから、地代というふうなものが、何か新聞を見ますと秘密を要するというようなことを書いてありまして、発表しないというふうなことを書いてありますが、ここではお聞きをすれば発表されるのではないかと思いますけれども、できたらそういう点も明確にしていただきたいと思います。
  172. 立川宗正

    ○立川説明員 宮内省が貸し付けた当時のいきさつについてはつまびらかにいたしておりませんで、ここでお答えすることはできないわけでございますが、現在、国が物納によりまして収納いたしまして以来の貸し付け契約は、ホテルの敷地として有償貸し付け契約を結んでおるわけでございます。  それから権利金、敷金についての御質問でございますが、これは一般に、国有財産の貸し付けにつきましては権利金なり敷金は取っておりません。したがいまして、帝国ホテルの場合も取ってはおらないわけでございます。  それから地代につきましては、ごく最近の契約、これは一応現在の国有財産の貸し付けは三年間の貸し付け契約を結んでおりまして、三年ごとに更新する、こういう考え方でいっておりますが、現在の貸し付け契約は、四十一年の四月一日から四十四年の三月三十一日までの一応の貸し付け契約を結んでおります。貸し付けの地代、使用料につきましては、一平米当たり千三百三十五円、こういうふうに相なっております。
  173. 小林信一

    ○小林委員 それは年間ですか。
  174. 立川宗正

    ○立川説明員 年間でございます。
  175. 小林信一

    ○小林委員 坪数は幾らあるか、それがまた、いま帝国ホテルの敷地のどれくらいのパーセンテージを占めておるのかということをお聞きしたいと思うのです。  それから、いまお話しのありましたように、権利金、敷金は取らない、これは他の国有財産もそうだ、別に帝国ホテルであるからどうだということではないように承ったのですが、そのとおりであるか。しかし、特別な内意があってということですが、新聞等に書かれておりますものでは、迎賓館、まあ国賓をあそこへ泊めるというような目標で皇室の所有を提供したというふうな形で、多少公共性というものがあの帝国ホテルにはあったのじゃないかということを盛んに言っておりますね。そういうことで、その帝国ホテルには相当特別なものがある、こういうふうにもうかがわれるわけなんですが、そこら辺はどうか。そして今度は、一番大事な点ですが、これも関東財務局の財務部長談として新聞に発表しているところでは、いままでの契約からすれば、この建物をこわすという場合にはその土地を買うか、あるいは国に返すべきである、こういう何かむずかしいことを言っておるようですが、そこら辺はどういうふうにお考えになっているか、お伺いしたい。
  176. 立川宗正

    ○立川説明員 全体の坪数でございますが、現在国が貸しております坪数は一万二千八百七平米でございます。三千八百七十四坪、こういうふうになっております。そのほか、帝国ホテル自身の土地として四千二百坪程度あるように聞いておりますが、私、はっきりした坪数は確認いたしておりません。それから権利金につきましては、先ほども申しましたように、帝国ホテルのみではなく、一般的に国有財産の貸し付けの態様といたしましては、権利金、敷金等は取っておりません。  それから公共性があるのではないかという御質問でございますが、確かに当時、当初宮内省が貸し付けた当時のいきさつは、そういった公共的な色彩の強い面もあったように聞いておるわけでございますが、現在では必ずしも迎賓館として利用されておるわけではなく、一般のホテルとして使用されているというふうに聞いておるわけでございます。国の契約も、あくまでも物納でございますから戦前の貸し付け契約をそのまま踏襲する、踏襲するといっても現在のホテル業としての敷地として使うということでやっておるわけでございます。  それからもう一点の御質問でございますが、建てかえる場合、これは土地を買うか返すかという、そういう御質問でございますが、国の貸し付け契約は、あくまでも私契約として借地法の法律に沿ってやられるわけでございます。したがって、こわす場合には、借地法のたてまえから言いますと一応ものがなくなるわけでございます。したがって、その場合に、国としては黙っておりますと引き続き借地権が延長するというかっこうに相なるものと思うのでございますが、やはり物納財産の一般的な処理といたしまして、あくまでも先ほど申しましたように買い受けてもらう、こういうことをたてまえといたしまして、貸し付けというのはきわめて例外的に私どもは考えておるわけでございます。したがって、今回の問題があって初めてこういった問題が出たわけでございませんで、従来からすみやかに、できるだけ早い機会に買ってくれということを話しておったわけでございますが、いろいろな関係からまだ売り払いには至っていない、こういうふうな状況でございます。
  177. 小林信一

    ○小林委員 ここではこういうことは明確にお聞きすることは無理だと思うのですが、あそこら辺の土地とすれば相当に高いので、新聞では四十億というようなことを言っておりますが、大体そんな見当でわれわれが承知しておっていいのかどうか、明確な答えでなくていいんですから、ひとつお考えがあったら述べていただきたいと思うのです。
  178. 三島和夫

    ○三島説明員 価格についてお答えいたしますが、先ほど四十億とおっしゃいました数字につきましては、実は関東財務局あたりでいろいろ調べましたのですが、そういった根拠は出ておりません。御参考までに一応あの辺の価格について調査いたしました点を申し上げますと、相続税課税標準の路線価が百四十万の価格で設定されております。したがいまして、さら地として評価いたします場合は、坪当たり二百五十万円から三百万円程度にあの付近はなるのではないか、かように考えております。ただし、先ほど二課長から申し上げましたとおり、当該地は借地権の対象となっておる土地でございますから、やはり実際の評価をする場合には、借地権相当額を幾らに見るかということは非常に大事な問題だと思います。したがいまして、これは国税局等で定めております基準とかあるいは民間の借地権の割合、そういうものを調査いたしまして、それから評価を決定いたしたい、かように考えております。
  179. 小林信一

    ○小林委員 大体大蔵省関係からお聞きすることは以上で、これから文化財のほうへお伺いをしたいと思うのです。ありがとうございました。  文化財の委員長さんが来ておられるでしょうか。別に事務局長さんを軽視したわけじゃないのですが、大事な点ですから、委員長さんに御意見を承れれば非常に幸いだと思うのです。いまお話をお聞きしていてもわかると思うのですが、帝国ホテルを存置したい、保存したい、こういう希望が多いのですが、しかし、いままでの経過から見て、大正時代のものを保存するというようなことは、まだ文化財としてもそう例はないと思うのです。こういうような要望に対して文化財としてはどんな考えでおられるか、お伺いしたいと思うのです。
  180. 稲田清助

    ○稲田説明員 ただいま御質疑のありました帝国ホテルの問題でありますが、先般来建築学会その他各方面から、この建物の存続が危うくなっているということについて非常に心配せられまして、ぜひ存続するようにという御意見が表明されております。文化財保護委員会といたしましては、まだ明治以降の建物全般についての確たる方針を決定する段階に至っておりません。これにつきましては、やはり法制に基づきます正式な審議会において、十分彼此勘案いたしまして結論が出ることだと存ずるのでありますが、まだ大正時代までにはそうした研究なり調査なり意見の一致を見ておりません。おそらくは、この問題につきまして、実際問題としては賛成もあろうし、また相当ちゅうちょする御意見も出てくるのではないかと思っております。私どもは、そうした一般の世論なり学会の意見というものを、機会を見ましてこうした正式な審議会あたりには伝達して、正式な御審議、御検討は願いたいと思っております。ただ、今日の段階におきましては、建築学会その他の御意見も、必ずしも直ちに指定する、直ちに国費をもって存続をはかるというようなふうに動いてはいない。何だか世上こういうことを問題にすることによって、当事者あるいはまた第三者において、何かいい方法が出てきはしないかという御意見も出ているようでございます。私どもといたしましても、こうしたホテル的な建物を将来維持するといたしますれば、大体建物というものは、その目的に沿うて使用することが一番いい維持管理の方法だと思います。したがいまして、こうしたホテル的に構造せられました建物をかりに国有財産として維持いたします場合には、だれかにホテル経営をさせるということも、これはかなりいろいろな問題を包蔵することだと思います。もし民間において、やはり現地においてあるいは他の地においてこうしたものを維持経営する者が出てくれば、これは一番望ましい形だろうと期待しながら、いまいろいろな状況を見守っているようなところでございます。
  181. 小林信一

    ○小林委員 もちろん委員長もそういう点はお考えになっておると思うのですが、いまのお話を聞くと、建物の一般論的なお考えのようにお伺いできるわけです。やはり学者諸君が言っておることは、東京の姿というものがどんどんなくなっていく中で、なつかしい東京を象徴する建物、あるいは、これは事務局長さんにお伺いをいたしますが、帝国ホテルそのものに対する価値というようなものをどういうふうに御判断願っておるか、お聞きしてみたいと思うのです。委員長さんのお答えは、一般的な建物というものをお考えになっての答弁のようにお伺いするのですが、やはり皆さんが保存してほしいというのはあの建物の特徴、あるいは建てた人、こういうようなものに私は意味を持っておいでになると思うのですよ。その点からすれば、時代がどうであろうとも、あるいは使用目的がホテルでなければならぬということに必ずしもならないと私は思う。それから、学者意見が出たから肯定する、あるいはこれを否定するという判断だけをするのが、文化財ではないと私は思うのです。文化財自体においてもある一つの見解というものは持たなければ、うしろの文化を保存して、そして今度は前向きの文化に更新をしていくという仕事ではないと私は思うので、そういう点において委員長さん並びに事務局長さんの御意見を承りたいと思います。
  182. 稲田清助

    ○稲田説明員 ただいま申し上げたことを繰り返すことになって恐縮でございますけれども、私どもといたしましても、この建物は問題になるだけの非常に大切な建物、だと考えております。ただ、これにつきましては、所有者あるいは第三者その他におきまして、なお実際いままで維持経営いたしておりましたようなホテル的な経営において維持管理せられることが、第一段階としては望ましいことに考えております。そうした状況が今後どういうふうに動くかということを十分注意して見守りながら、この大切な建物の維持保存というようなことについて、私どもが直接何か決定しなければならない段階がまいりますれば、法律の定むる各種の委員会等の手続を経て、その答申に基づいて決定いたしたいと考えております。
  183. 村山松雄

    ○村山政府委員 帝国ホテルは、周知のとおり米国人のフランク・ロイド・ライトの作品でありまして、ライト氏はそれ自身有名な建築家でありますが、ライト氏の作品は米国においてもあまり残っていないそうでありまして、帝国ホテルはその中期の代表的な作品で、単に日本の重要な建造物であるのみならず、世界的にも高く価値を評価された建物というぐあいに承知しております。竣工いたしましたのは大正十二年でありまして、関東大震災の直前に竣工しました。竣工直後大震災にあったわけでありますが、さしたる破損もなく今日に及んだわけでありますけれども、現在ではホテルとしては内容も外観も実用的な目的には合わないようになっておりまして、所有者としては、何としてもこれを取りこわして新しく建てたいという希望のようであります。そういうことでございますので、文化財保護委員会としても、直接この問題についてまだ具体的な動きをしておらないわけであります。もし何かするとすれば、ただいま委員長が御答弁申し上げましたように事務的に調査して、調査した結果、指定の原案をつくって文化財専門審議会に付議して、可決されれば指定をする、指定をすれば必要な修理、防災、それから所有者において維持困難な場合には、場合によっては買い上げというような一連の行政的措置が続くわけでありますけれども、その初段の判断がいまだつきかねておる現状でございます。
  184. 小林信一

    ○小林委員 事務局長さんの言われるだれが建てた、そしてそれはどういう建て方であるというような点からすれば何か希望が持てるのですが、しかし、御両所が共通しておっしゃっておることは、何とかするとすればというふうなまことに消極的な態度をおとりになっておることは、私は一般市民のこれに対する愛着を非常に軽視しておるような気がするんですよ。というのは、この十二月から取りこわすということを経営者に言明しているでしょう。これから何とかすればというようなことで一体間に合うかどうか。やはりこれは保存をするかあるいは移転をするか、それは具体的な構想をひとつ練っていただいて、そしてはたしてその価値ありやいなや、こういうものは手をつけておられるのが私は常識じゃないかと思うのです。経営者はもう——私も先ごろ中を見せてもらいました。問題になっておる孔雀の間とかロビーとかいうふうなものは、これはもう、ことにこれを建てた人の最も代表的な構想であって、将来どんな形かで経営者も、たとえば建てかえてもああいうようなものは写真なり何なりにとって、それを今度はまねをしてつくるというようなことを言っております。しかし、周辺を見ますと、東宝劇場の側はさしたことはないのですが、あの反対側に回ってみますと、たいがいあすこら辺の路地は自動車も通るので舗装されてなければならぬのですが、舖装もされておらない。舗装されておらぬところから見ますと、大谷石がだいぶくずれたりひびが入ったりしております。そうしてその大谷石の間につくられておる窓なんというものは、もうがたがたになっています。あれではもう近代的な設備をしなければならぬ。暖房だとか冷房なんというものは、あの建物に関してはきかないんでょう。したがって、ホテルとしての役目というものは果たさないような状況になっておる。だから改造するかあるいは放棄をするか、あるいは移転をするかというようなことは、当事者にはもう切実な問題として考えられておると思うんですよ。まあそういう腹があるけれどもわれわれに見せないのかどうか知りませんが、いまの御両者の答弁というものは、何か一般の意向というものを無視しているような気がするのですが、どうですか。
  185. 稲田清助

    ○稲田説明員 多少消極にお聞き取りかと存じましたが、ただいま申し上げましたように、近代建築というものは、あるいは住居なり、あるいはホテルなり、あるいはその他官庁営造物なり、それぞれ生活の地にあり、また経済活動の中に生きている建物でございます。また、元来建物というものの維持、管理というものは、私繰り返して申し上げますが、やはりその用途に従ってこれを使用することが一番いい維持、管理のあり方だと思います。帝国ホテルの建物は非常に美術的なものではありまするけれども、大体ホテルでございまして、おもに小部屋から成り立っております。これは美術館にも使いにくい建物である、あるいはその他公共的施設にも使いにくい。やはりホテル的に使うことが一番その生命を長くする大切な使用方法だと思うのでございます。したがいまして、いまの社会活動の中において第一に望ましいのは、これをホテル的に使用する者が見つかることができれば、あるいは現にいまの経営者がそう使用してくれれば、これが第一だと思います。まだこのことについて私どもは絶望して、単に死物として維持、保存するという段階まではいかないのじゃないかと思います。そういう意味において、建築学会あたりも何とかこれをホテル的に経営するものはないだろうか、かりにどこか移築するにしてもそういうものがないだろうかというようなことで、いろいろ研究しておられる段階なんです。われわれもそういうことがありはしないかと考えております。決して気長にいつまでも便々だらだら考えておるわけではありませんけれども、まず第一段階は自然な方法がありはしないかと考えている段階でありまして、いよいよ究極これを何とかしなくてはならなくなった段階におきましては、それぞれの手続等を経まして、いろいろ私どもも最後の判断をしなければならない時期がまいるだろうと思っております。
  186. 小林信一

    ○小林委員 稲田さんのお話は、昔から聞いておるのですが、なかなか慎重で、一体どこに何があるのかわからぬ昔ながらの御答弁で、まことに理解しにくいのですが、確かに経済活動とかあるいは生活などとかいう、おっしゃるとおりのことは、考えなければならぬと思うのですよ。しかし、世界的なものと比べて、日本のこういう建物というのは、私は、利用価値あるいは活用するということをあまり基礎に置いては保存できないと思うのですよ。そんなことを言ったら、木造建築なんというものは、これはどうすることもできない。やっぱり何らかの形でもって、むだであっても保存をする、それでなければ日本のこういう建造物は保存できないのではないかと思うのですよ。どうも委員長さんの御説明では、石でつくった外国の建物と同じような形でもってこういうものを保存するようなふうにお伺いされるのですが、そういう点は、特に日本の建物の特徴というものをお考えになっていただきたいと私は思うのです。  これは委員長さんでもどちらでもかまいませんが、こういうことが書いてあったのです。ロバート・ケネディが何かアメリカの大使館へ書簡を送って、あの帝国ホテルを保存することについては、ひとつできるだけアメリカ側も力を入れろというふうな書簡がきたというようなことをいっておりますが、御存じですか。
  187. 村山松雄

    ○村山政府委員 先ほど、帝国ホテルの保存についてはアメリカからもいろいろな意見があると申し上げましたが、ロバート・ケネディから手紙がきておるかどうか、私ども実は確認しておりません。しかし、建築学会、建築家協会には、数十通あるいはそれを上回るくらいアメリカからの保存に関する要望、何だったら応分の援助もするというような好意までついた保存の要望書がきておるようであります。その中にあるいは含まれておるかもしれませんけれども、具体的には確認しておりません。
  188. 小林信一

    ○小林委員 別にロバート・ケネディが書簡をよこしたからあるいは金を出すからというようなこと、私はそれに期待をするわけじゃないのですよ。あの平安宮趾が問題になったときに、フランスの文化大臣が、たまたまエジプトのあの遺跡を移転する問題でもって世界的な一つの運動が行なわれた中で、このエジプトの遺跡ともう一つ世界で問題があるのだというので、平安宮趾というものが問題になったことがあると思うのですよ。そういうふうに、日本の文化財というのは、なかなかほかのところの文化財のように、形に見えたりあるいは保存に簡便なものでないだけに、それだけに保存ということがむずかしい。それを日本人が多少軽視するうらみを感じて、外国の人たちは特にこういうふうな関心を持つのだろうと私は思うのです。奈良の平城宮趾は、私が申し上げるまでもなく、中央の長安ですか、そして奈良と、こういうふうにあの時代のものが残っておるのはわずかである。ところが長安のほうは、上に町ができてしまったために、これはもう発掘したりあるいは復元をすることは不可能であるというふうなところから、盛んに日本人に刺激をあの当時与えたことを私は覚えているのですが、いまもこの帝国ホテルの問題でもって外国からそういうふうな話があるということは、うれしいことでもあるけれども、何か日本人の文化財に対する関心というものが薄い、その責任を持っておる文化財保護委員会が消極的ではないかということを、私は言っても差しつかえないと思うのです。それは口だけであって、腹にはもっと燃えるような保存意欲が委員長の中にあるのかどうかわかりませんが、これはもう委員長の個性がそうであるから伺うわけにいかないのですが、ひとつ十二月に取りこわすという話を聞いて、私は特に文化財保護委員会の御決起をお願いしたいと思うのです。それはどういうふうに判断されるかは別問題として、ひとつ仕事は急いでいただきたい。そして私どもは、帝国ホテルとかあるいは三菱の赤れんがの建物、これもこわされていくわけなんですが、こういうものを一つでも残していきたい。さもなければ、もう昔の東京というものはなくなってしまうわけなんですね。私は東京だからそういうもことを言うんですが、地方の府県、こういうものもだんだん急激な世相の変化でもって昔のものがなくなってしまって、民族文化というものが、大きなものは残っているかもしれませんよ、しかし、ほんとうに生活の中に溶け込むような、糸を紡ぐ機械あるいはお百姓さんが脱穀した昔の機械というものが全部なくなってしまうのですが、この際、そういう点でも保存する機会というものをつくっていく大事な時期ではないかと思っているわけです。そういう意味で東京の一つの情緒あるいは東京に対するところのなつかしみ、またその中に、ライトが非常に有名な建築家であって、しかもそれを代表する作品であるという点から考えれば、もっと強い意欲を持って当たっていただきたいと思うのです。  その次にお伺いしたいのは、文化財保護委員会というものも、法律制度というようなものを振りかざして仕事をしているわけですが、なかなかこれが、いろいろな社会事情の中でもって適切に施行されないという問題を取り上げていきたい。これは太宰府ですね。確かに史跡に指定すべきであるという答申が出ているはずなんですが、まだそれが公示されておらないように見えるのですが、これは何が都合があってのことかどうか、お伺いしたい。
  189. 村山松雄

    ○村山政府委員 太宰府につきましては、従前から一部都府楼のあとなどが史跡になっておったわけでありますが、昨年の三月の文化財専門審議会におきまして、さらに裏山一体約十六万坪に指定地を拡大することが答申になりまして、地元と折衝に入ったわけでありますが、地元とは実は答申を得て初めて折衝したのではなくて、地元の町長のほうから大体、一部に反対はあるけれども、指定があれば受け得る見込みだというような話し合いのもとに指定の内定をしたわけでありますが、いざ指定の告示をするという段階になりますと、住民の一部に反対があるから少し待ってほしいというようなお話がありまして、以後今日に及んでおるわけであります。その間におきまして、こちらからはたびたび係官が出向き、地元の太宰府町、それに福岡県の教育委員会を交えまして、指定の促進についていろいろ話し合いをいたしました。一部の住民の反対の根拠は、一言で言えば、史跡に指定されると現状変更が許可制になるというわけでありまして、万事所有権が制限されて住むことが窮屈になる、そういうことは困るということに尽きるわけであります。そこで、私どもとしても、あれだけ広い地域の史跡を指定するからには、現状変更につきましても、きわめて狭いコンパクトな史跡の場合と違いまして、住民の生活上必要な現状変更は、史跡の指定の趣旨を没却しない限り認めるというような方針を打ち出しまして、たとえば家の必要な改築、増築などは、とっぴな形あるいは著しい高さ、あるいはけばけばしい色などを控えてもらえれば、普通の形の家ならば認めようじゃないかという線を出しまして話し合いを続けまして、だんだん反対も緩和してまいりまして、そう遠くない将来に指定の告示に至るのではないかと思っております。たいへん迂遠のようでありますが、文化財保護法は、一面において文化財保護政府、公共団体に義務づけると同時に、所有者の所有権その他の財産権の尊重、あるいは開発との調整ということも法律の義務として命じておりますので、気長に話し合いまして、関係者の了解の基礎の上に指定をして保存することが、大局的に見てよく史跡を守るゆえんであると考えまして、そのような方法をとっておる次第であります。
  190. 小林信一

    ○小林委員 確かに史跡の重要であるということすら、なかなか一般の方たちに知っていただくのはむずかしいような情勢というもの——日本の文化財がたくさんあるということを先ほど申し上げたのですが、そういう意味もあるし、普通、史跡に指定をしてもらえば、その史跡を守るということよりも、観光業というふうなもので土地が高くなるのじゃないかというふうな考え方で指定を喜ぶような、そういう多少おもしろくない面もあるわけなんです。したがって、そういう点を説得して所期の目的を達するためには非常な御苦労も要るし、時間もかかると思うのです。だが、そういうふうな考え方でもっていままでやってきておるうちに、奈良の所々に見られるように、大事な宝物の向こうのほうにつまらないホテルの姿が見えるというふうなことになってしまうわけで、いまの方針に私は反対するわけではありませんが、積極的な仕事をしていただくようにお願いをしたいと思うのです。ことに太宰府町ですね、年間一億くらいの予算でもって経営をする町が、今度の施設をするために四千万くらいかかっておるわけですが、その四千万のうちの八割が国の負担で、一割が県、一割が町だそうですか、町が一割負担をするということは非常にえらい。ここにも、私が先ほど申しましたように、文化財を守っていくためにいまの地方財政ではなかなか困難であるから、ついに断念をするというふうな危険も出てくるわけなんで、日本で太宰府あたりが最もその典型的なものだと思うのですよ。こういうところには、制度はどうであっても、法の規定はどうであっても、相当文化財保護当局が配慮をして財政的な援助を多くしてやることが必要であると思うし、そうしてもう一つ、この太宰府の問題では、何かこの近辺に西鉄不動産の計画があるように伺っておるのですが、そういう点は当局ではお知りないのですか。
  191. 村山松雄

    ○村山政府委員 西鉄不動産による団地造成の計画は、私どもが指定しようとしている地域のやや西側にあるようでございます。指定地には直接かかっておりません。
  192. 小林信一

    ○小林委員 しかし、この西鉄不動産が宅地造成をしようとするのは、その背景になるというふうに私どもは聞いておるのですが、私は現地は知りません。実際に文教委員会でもって、例の彫刻がたくさんありますね、あれが一時一つの寺か何かのところに全部押し込められておって、そうしてそのまわりに民家があって、もしも民家から火事でも出れば、大事な木像が全部やられてしまうというふうな、そういう危険を感じて調査をしたことがあるのですよ。調査をわれわれがしたためなのか、あるいは文化財保護委員会からそういうふうに仕向けられたのか知りませんが、今度相当これが整備をされて、いまはそういう危険もなくなり、りっぱに保存をされるようになったわけですが、問題は、観世音ですか、それから太宰府の学校あと、こういうようなものを中心とした環境整備を考えていかなければならないわけで、先ほど屋根がわらの問題が事務局長さんからお話があったのですが、けばけばしいものを使わないような、そういう配慮をされるというのですが、一番問題になってくるのは、地元では、西鉄不動産が背景になるようなところにいわゆる宅地造成をしようという計画がある。それが強く働いているために、なかなか史跡指定地の公示がされないといううわさも、新聞等には書かれておるわけなんです。私は決してその点は信じません。あくまでも文化財保護委員会を信じますが、そんな疑惑を持たれないように、せっかくの史跡を保存していただきたく、お願いを申し上げます。たいへん長くなりますから、こまかい点は、またいずれ時間をいただきましてすることにいたします。  もう一つ、それはさっき道路局長にお伺いしました藤原宮の問題ですが、たまたまここはいいだろうというところで国道百六十五号線をつくろうとしたら、埋蔵文化財に出会ったというふうなことでいま問題になっているわけですね。いま建設省のほうでも言っておりますように、必ずしも最初のルートを敢行しようとは考えておらぬ、これから文化財のほうの調査の結果によって、相談の上で、あるいは迂回をしても差しつかえないというような答弁までもらっておるわけなんですね。  そこで私は、この際ひとつお伺いしたいのですが、木簡がたくさんに出ておる。一体その木簡というのは、どういう文化財としての意味があり、価値があるのか、ひとつここでお説を承りたいと思うのですが……。
  193. 村山松雄

    ○村山政府委員 藤原宮跡の問題でありますが、藤原宮跡に百六十五号線の路線を建設省なり橿原市が考えました時点におきましては、実はその地域は史跡の指定地外であったわけであります。藤原宮跡は戦前に調査が行なわれまして、大極殿あとが確認されて、それをめぐる地域が特別史跡になっております。で、その北側の指定地外に道路の路線を計画しまして、そういうことでありますから、関係者としては、まあいいだろうと思ったのではないかと思います。道路をつくることになりまして調査を始めました。その調査は最近でございますので、すでに平城宮跡の調査の実績がございますので、大極殿の北側には内裏があるというのは大体常識的にわかっておりますし、そういう目算のもとに調査を始めましたところが、遺構あるいはいま御指摘の木簡類が多数検出されまして、これはもう内裏あとにほぼ間違いがないということが確認されたわけであります。  木簡の価値でありますけれども、これは奈良時代のことでありますので、まだ紙なども潤沢でなかったので、簡単な記録など、紙に書くかわりに木の切片、これも割り木のような木でありますが、これに墨書しまして、要するに紙のメモのかわりに木を使ったというようなものであります。そこで、記載されている事項はたいへん種々雑多でありまして、中には地方から荷物を送った荷札みたいなものから、何か覚え書き、いまでいうメモ式なものまで種々あります。これを判読することによって、当時の文献的な意味があるわけであります。個々の一片というよりは、それだけの木簡をできるだけ集めて全体的に検索すると、藤原宮が存続したころの政治、経済、生活といったようなものの何がしかのものがつかめる。当時の様子がわかる貴重な資料ということで、その価値が重要視されておるわけであります。
  194. 小林信一

    ○小林委員 新聞等でもそういう説が非常にたんねんに書かれてありまして、一般の関心が非常に高まっておるところなんです。ことに、三代十六年間ではありましても、日本書紀にもあるし、続日本紀ですか、これにもいろいろな点を書いてある。そういうものが裏づけられるわけであって、ことに律令体制で政治が行なわれたということでは、非常に重大な時代だと思うのですね。そのものがいまのようなものを通して見ることができるとすれば、これは非常に大事な点だと思うのです。すでに奈良の文化財研究所では内裏があるということを前から言っていたように私は聞いておったのですが、文化財としては、それは認めておらなかったのですか。
  195. 村山松雄

    ○村山政府委員 奈良時代の宮あとの調査研究としては、平城宮跡の調査研究が行なわれましたので、藤原宮は平城宮に先立つ十六年間の都であり、同じく唐の長安を模して建てられたということになっておりますので、藤原宮の機構、建物配置もほぼ平城の例で類推され得るものということは、学者間では常識的なことでございますので、平城の調査が進捗いたしました最近の段階では、藤原宮跡も大極殿の北には内裏があるということは、関係者の間では、調査を待つまでもなく、大体そのような推定が常識的に信ぜられておったことは事実でございます。
  196. 小林信一

    ○小林委員 そういう点が、手がないというのか、あるいは金がないというのか、そういう研究がなされておったにもかかわらず、道路が敷かれそうになった。しかし、手をつけてみて初めて内裏のあったことが確認され、重要な遺跡が出てきた、こういう点の経過を考えると、何かさびしいものがあるのですね。文化財保護委員会たよりにならぬじゃないかというふうな一つのさびしさも感ずるわけですが、そこまで私は突き詰めて考えないにしても、お願いしたいのは、新聞等に出ております図面を見ますと、内裏の下のほうに池があるのですね。大極殿との間に池があるのですが、これは平城宮趾をいろいろ問題にしたときも、池とかあるいは井戸とかいうものが、一番こうした木簡とかあるいは当時使ったくしだとかいうふうな日常生活に使われたものが発見される重大な要素を持っておる。今度はわずか三十センチぐらいの地下から発見をされたというのは、これは何か排水溝とかいうふうなものから発見をされたと思うのですが、特にこの池があるという点は、私は非常に重大だと思うのですよ。ほかの平たんな地面に残るものは、そうたいしたものは残りませんが、井戸あるいは堀の中にはわりあい完全なものが残るのじゃないか。あの平城宮趾をわれわれが審議をするときに、文化財ではあの正方形のまん中、三分の一を国有地として主張しておったわけです。ところが、この委員会では、これは全部買うべきである、ことに近鉄の車庫をつくるというところがちょうどその池の近所に当たったわけで、大問題として反対をし、全部を国有にせよという場合に、東のほうの半分ですか三分の一ですか、そこにたまたま池があることがやはり古い書物によってわかったわけです。そういう点を論議をして、学者等の意見を聞いたことから、あれを全部国有地にすることになったわけですが、この内裏は、そういう意味からしても、国がどんな犠牲を払っても確保をしなければいけない。したがって、この際あそこを、どんなに大事な道路であるか知りませんが、迂回をしてもらうように文化財としては確保をしてほしい。いま建設省でもお聞きのとおりの答弁をしておるわけなのですが、大体文化財が、何か私は、文化財保護委員会以外の人たちに信じられないものは、そう言っても文化財が何とかこれはもう発掘さえ済めばいいだろうというような判断をしてくれるのじゃないかというふうな、疑っちゃ悪いのですが、安心感の中でもって、重要であれば迂回をしますというようなことを言われるのじゃないかと思うのですが、どうかそういう言に惑わされず、文化財保護委員会は、この問題についてしっかり取っ組んでいただきたいと思うのですが、その点、委員長さんのほうから、いまのような表現のしかたでなくて、きわめてわかりいいお話でお願いしたいと思うのです。
  197. 稲田清助

    ○稲田説明員 藤原宮趾の問題は、遺跡につきましても非常に重要な場所であると文化財保護委員会当局としても考えておりますので、これから先もできる限り調査ということに専念いたしまして、また先ほど来建設省当局が申しておりますように、関係省庁とも十分相談をいたしまして、できるだけ遺跡の保存ということについて万全を期したいと思っております。
  198. 小林信一

    ○小林委員 大体委員長がそういうお考えであれば、事務局長さんやってくれるとは思うのですが、できるだけというふうなことでなくて、いまもう、これは国論にもひとしいわけですから、平城宮趾を守って、そこを放棄するということがあってはたいへんだと思うんですよ。  そうしてもう一つ大事なことは、平城宮趾の東一坊の道路、あそこに道路をつくって、東一坊ですか、あの道路が発見をされたわけですが、したがってまだ平城宮趾は東のほうに出っぱったところがあるという判断が最近なされておりますが、これに対してはどういうお考えをしていますか。
  199. 村山松雄

    ○村山政府委員 御指摘のように、平城宮跡の東側に国道二十四号線のバイパスをつくりたいという話がありまして、バイパス予定路線の発掘調査をやりましたところが、従来信ぜられておりますように、東一坊大路は平城宮跡の東側を南から北まで貫通しておらず、南からある程度上がったところで門があって、元一坊大路と信ぜられた道路の上に建物の遺構があったり、あるいは井戸が検出されたりして、東一坊大路は平城宮創建後何らかの事情で道路以外に転用された疑いがあるということがわかりました。その後さらに東側に調査を進めてまいりましたところが、南向きの門が検出されまして南向きの門があるということは北側が宮の宮域だということでありますが、そういうことで平城宮跡は東側の、従来築地と信ぜられたところを越えて東側に延びているということが、ほぼ調査担当者の間では間違いのない推定というぐあいになってまいりました。ただ、それがどこまでどういう状況で延びておるかにつきましては、現在そこまでの計画がございませんのではっきりわかりませんが、東側にずっと参りますと法華寺があるわけですから、それを越えることはよもあるまいと思いますけれども、平城宮跡から法華寺までの間において、どれだけの程度にまで平城宮跡が延びておるのではないかというのが、現在まで発掘調査の結果引き出された結論でございます。
  200. 小林信一

    ○小林委員 だから、文化財保護委員会としてはこれをどうするかということが私ども聞きたいところなんですが、私どもはあそこを調査したときに、まだ三分の一が確保されておったときなんですが、地元の農民の人たちは、大事な土地を提供するのですから相当犠牲を払っているんですね。しかし、古都を守るという点で気持ちよく協力をされておりましたが、ただ一つ、こういうことを言っておりました。文化財保護委員会は買い上げたは買い上げたけれども、放置しておるために、もう草むらになってしまって害虫の巣になった。だから周辺でもって耕作をしてこの文化財が保護されるために、害虫で非常に迷惑を受ける、あるいはヘビの巣になっておるというような苦情は聞きました。しかし、そういう苦情は言いながらも、自分たちの耕地を奪われても古都を守るという点で地元の人たちは協力しておるし、あのときの知事、いまもってずっと継続してやっておるわけなんですが、知事をはじめ、全く県民こぞってこの古都を守ることに専念をしておられるわけなんです。せっかく全部が確保されましたが、新しく発見をされたところがいまのように重要な意味を持つならば、私は、満足な形でもって法華寺まで確保するということはこの際やっていただきたいと思うのです。金はかかるでしょうが、やっていただきたいと思うのですが、これに対するお考えはどうです。
  201. 村山松雄

    ○村山政府委員 平城宮跡が東に延びておるのはほぼ事実でありますが、どの程度に延びておるかの確認は相当時間がかかりますし、現段階で指定地を拡大するという計画は持っておりません。
  202. 小林信一

    ○小林委員 拡張する御愚図はない。しかし、どんな事跡が出ても拡張する意思はないというのですか。これから調査をして、その調査の結果がどうであってもこれ以上拡張はしない、こういう御意思ですか。
  203. 村山松雄

    ○村山政府委員 絶対に指定をしないということはもちろん確言できないわけでありますけれども、これは、調査には相当時日を要しますし、調査の結果出てまいる実態は種々さまざまでありましょうし、また東側ということになりますと、現在の指定地内と違いまして、いろいろ所有権の関係あるいは居住の関係なども錯綜しておりますので、相当検討いたしませんと、どうするという前向きの具体的なものが出てまいらないという意味合いにおきまして、現段階では指定するつもりがない。将来どうなるかにつきましては、調査と客観情勢によって判断すべき問題だと思っております。
  204. 小林信一

    ○小林委員 もう質問を終わろうと思ったら——いままでは非常に気持ちがよかったんですが、とたんにがっかりしちゃったのです。事務局長さん、そんな意思では、前向きの仕事は私はできないと思うのですよ。する意思がないなんて最初からきめてしまって、ほんとうに文化財を守ることはできないと思うのです。まだ埋没されておる、調査したら重要なものが出てきて、これを確保することによって完全な平城宮跡が保持できるという判断があるかもしらぬ。そういうふうな予想の中で常に文化財保護に当たっていくのが、私は文化財保護委員会の仕事であり、事務局長の一番の責任じゃないかと思うのです。初めからもう意思はないなんて、調査しない先からそんなこと言ってしまうようじゃ、これは学者もおこりますよ。考古学者なんか、協力を一生懸命しておる人たちが全くがっかりしてしまう。一体文化財を保護するのに、あなたたちだけでやっておりますか。ほんとう日本の文化、民族文化というものを守るために、一つの希望を持って、報酬もなしに動いておる人たちが、日本じゅうにどれくらいあるかわからぬわけですよ。そういう人たちは、何があるかわからぬという中でも常に動いておるわけです。ところが、文化財保護委員会の事務局長が、これほど世間が騒いでおるときに、私はもうこれを確保する意思はないなんという断定的な、そういう気持ちを出されて、これはもう保護するというような、そういう気持ちがなくなってしまうわけですよ。いまあるものを保護するのは当然です。しかし、まだ未発見のものを発見して保護する、そういう意欲を持たなければならないと私は思うのですよ。そういうものがなくて、いまのようなことばを出されたら、これはほんとう日本の文化を守る役所であるかどうか疑わしくなるわけです。どうですか、委員長
  205. 稲田清助

    ○稲田説明員 私、隣で聞いておりましたが、現段階においては指定を拡張したり、あるいは何と申しますか、買収を広げるという断定には到達してないと事務局長は申しております。これは事務局長が非常に正確に、事務的に申しておるわけでありまして、現在一坊大路のまん中から法華寺に向かっての地点の調査は、私ども緊急にやりたいのであります。ところが、水田にはすでに作付があるし、調査ということについてなかなかその近辺の方々の同意を得にくい。私どもは非常に焦慮しておる段階です。いま事務局長のことばには、そういう焦慮の気持ちがあらわれておるのではないか。ものをはっきりつかまなければ指定の案も立てにくいし、あるいは大蔵省に対して買い上げということの説明もしにくい。とにかく現在ものをつかみたいという焦慮のうちにあるという気持ちが、ただいまの事務局長のことばになってあらわれたものと御了承願います。
  206. 小林信一

    ○小林委員 焦慮のうちに意見を出す、それは私もよくわかりますよ。わかりますが、たとえそこに住宅地ができておっても、しかし、調査した結果として重要なのが出てきた場合には、私は、どんな犠牲を払ってもここを確保したいというのが一般国民に好感を持たれるわけであって、いまのところ、調査は全部完了しておらないうちに、その意思はないというような、気持ちはわかったにしても、何か消極的な意味が感ぜられるわけです。それは大蔵省でさっき言っているでしょう。何も遠慮することはないわけです。大蔵省だって協力すると言っているわけです。まして何かに投資するといえば、何兆円という金を出す日本ですよ。その日本の過去を知り、これからの日本の将来をつくっていく大事な文化財を守っていくために、二十億や三十億の金が何ですか。それくらいの大きな気持ちを持っていただかぬといかぬ。まず委員長さん、そういう気持ちでもって事務局長さんを激励してやっていただくようにお願いして、私の質問を終わります。
  207. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ちょっと関連して。いまの最後の問題、そこに私もひっかかったのです。私もたびたび御質問申し上げたのですが、法華寺に光明皇后ですか、お住まいになっておられて、行き来があってだんだん東へ平城宮が発展していったのではないか。思い切って法華寺のところまで大々的に調査をやって、そこまで買収するくらいの計画をぜひ立てたほうがいいと思うのです。ただ、私がいま立ちましたのは、この経過でしばしば明らかになっているように、東一坊大路にバイパスを通すということで幾つかの案があって、むしろ当初は、事務局長から答弁があったように、ここには昔確かに貫通した道路があったので、往時の平城宮を復活するような形になるからよろしいじゃないかというので、進んで保護委員会のほうで献策をしてそこへ道路を持ってきたといういきさつがある。ところが、実際に掘ってみると、どうもこれはぐあいが悪かったということになってきたけれども、これは役所と役所同士のそういう関係、どうも役所の関係は動かしがたいものになる悪いくせがあるのではないか。しかし、小林先生がるる言われたように、これはまことに重大な、日本の文化でも最も典型的な一つの重要な遺跡です。これは飛鳥宮、藤原宮、平城宮という三つの時代にわたるもので、これは完全保存するというような計画をぜひ立てるべきだ。思い切ってバイパスを通すという行きがかりを捨てて、自衛隊のあるほうにぐっと移動したらどうかと思うのです。そのくらいの気がまえでひとつこれはもう一ぺん再検討をしていただいて、調査についても、まず手始めに——いま何か調査の計画すらあまりないようですが、時期は、もちろん田植えの時期とか収穫の時期とかあると思いますが、どうしても秋から冬にかけてになると思いますけれども、ぜひ大々的な調査をやり、そして事実が明らかになれば新たな構想のもとに進めるということが必要ではないかと思います。その点について強く御要望を申し上げると同時に、もう一ぺん御決意を承りたいと思います。
  208. 稲田清助

    ○稲田説明員 繰り返して申しますように、この平城趾の、重要性から見まして、平城宮趾として従来考えておりました点及びその周辺における埋蔵文化財及び史跡の維持につきましては、私どもは、非常に重要な問題として取り組む考えでおります。
  209. 床次徳二

    床次委員長 本問題に関連しまして質疑の通告がありますので、この際、これを許します。吉田賢一君。
  210. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっと簡単に伺ってみたいのですが、コウノトリの保護の問題であります。御承知のとおり、兵庫県の但馬豊岡市の周辺に七羽のコウノトリが住んでおりまして、これは昭和三十七年に特別天然記念物に指定されたようであります。これは兵庫県の前の知事の坂本というのが信念的にこれの保護に当たりまして、言うならば、全県的な支援のもとに保護に当たってきたという歴史を持っておるのでございます。  そこで、最近この四月から五月に産卵いたしました四つの卵をふ卵器に入れてふ化をはかりましたが、発育がとまってしまったので非常に驚きまして、善後策はどうかということにつきましても教育委員会等いろいろな方面から検討を続けておりますが、どうしてこれを保護し、もしくは繁殖せしめたらいいかということについて、特に保護委員会のほうで特段の御協力をいただきたい、こういうのが大体の県民の要望でございます。  そこで、この問題に対する考え方といたしましては、いろいろあると思うのですが、一つはえさの問題もあるらしいのです。えさにつきましては、昔はドジョウとかフナとかやっておったようでありますけれども、鯨とかあるいは羊の肉がいいのではないだろうか。これはヨーロッパで実現しつつあるようで、成功しておるようであります。  それからもう一つは、特殊鳥類の生物学的な、栄養的な、技術的な、そういうような方面の専門家にみっちりと取り組んでもらう必要があるのではないか、こういうふうに言っておりますので、これについても、もちろん財政的な補助の点についても特段の配慮が必要と存じますけれども、そういう方向に持っていかねばなるまいのではないか。あるいはこれは、産卵したものがこのまま繁殖に通じないということになれば死滅してしまいますから、この間ある小学校で、なくなってしまいはしないかという新聞記事が出て、少女たちが先生に、コウノトリをひとつ生かして保存してもらう方法はありませんかと言って訴えたということが、地方の記事に載ったようなことも実はあるのです。それほど県民全体の関心事ですが、そこで具体的に、全国的にどういった人がこれらの問題の専門家であるか、あるいはまた、方法はどうすればいいだろうか、技術的に、生物学的にこれに協力、指導するのはどうしたらいいだろうか、こういう辺がどうも集約した問題点らしいのでありますが、これについて何かありましたら、ひとつ御意見を伺いたいと思います。
  211. 村山松雄

    ○村山政府委員 兵庫県下のコウノトリは、御指摘のようにだんだん減ってまいりまして、現在は野生のものが四羽と、それから捕獲してフライングケージに入れて飼育しておるものが三羽、計七羽になっております。最近までは但馬にももう少しおりましたけれども、それから福井県のほうとか、あるいは熊本県の水前寺動物園の人工飼育下にあったものもいなくなって、現在はいま申し上げた七羽になっております。生物の種属の個体が非常に減少してきますと、個体の生殖能力も減退するのだそうでございます。そこでいろいろ苦慮しておったわけでありますが、実は捕獲する以前、昨年野生の状態で卵を生んだのを確認しまして、そのふ化を待っておりましたけれども、ふ化いたしませんでした。調べてみたら、これは無精卵であったということがわかりました。  それから、えさの問題もありまして、昨年の段階で、これは野生のままに置いておいたのでは繁殖がむずかしいという判断をいたしまして、昨年の秋からことしの冬にかけまして、捕獲いたしまして二つがいとらえたわけであります。そのうち一羽が死にまして現在三羽になっておるわけでございますが、この捕獲したものを含めまして、コウノトリに対しては、御指摘のようにえさが問題である。ドジョウなどには農薬による中毒のおそれもあるということで、中毒のおそれのないえさを与える、栄養的にも管理するということでやってまいりました。さらに、御指摘のように、外国では生きえによらない調合飼料で、たいへん栄養的にもくふうされたものがあるということを、たとえば前の上野動物園長の古賀先生などから承って、実はスイスからえさの処方など取り寄せてみたりしましたけれども、何せ経験がないものですからなかなかうまくいかないで、その後もくふうを重ねております。ことし捕獲したものが卵を生みましたのでたいへん期待しておりましたけれども、やはりふ化するに至りませんでした。これは抱卵の初期において何か冷えるとかなんとか、ふ化が継続しがたいような状況になって、ふ化しなかったというぐあいに言われておりますが、とにかくふ化いたしません。ただ、幸いなことに、ことし生んだ卵は有精卵で、ある程度発育したということが確認されましたので、私どもはあきらめずに人工飼育下において栄産その他を管理して、えさなどもくふうして、さらに卵が生まれれば人工ふ化など、もう少し万全を期したいと思っております。  そこで問題の、そういうことを適切に指導してくれる専門家があるかという問題でありますが、この人にたよればだいじょうぶという専門家が遺憾ながらいらっしゃらないようでありますけれども、先ほど申し上げた古賀さんですとか、山階鳥類研究所の山階さんですとか、そういう鳥類学者の御協力と指導を仰いで、できるだけのことをやっておる段階であります。  蛇足でありますけれども、同じく特別天然記念物の新潟県の佐渡のトキにつきましては、同じような状態で人工飼育をやっておりまして、これはコウノトリよりもう少し活発のようでございます。鳥の種類の違いと場所の違いで一様にはいかないかと思いますけれども、トキとコウノトリ、これはアホウドリと並んで日本が世界にある意味責任を持っておるような天然記念物でありますから、これの繁殖、保存についてはさらに努力いたしたいと思います。ただ、るる御説明しましたように、なかなか明るい希望が持ち得ない状態ということを率直に申し上げなければならぬわけでありますけれども、なお絶望することなく努力いたしたいと思います。
  212. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 いまの、前の上野動物園長の古賀さん、こういった方に、直接ひとつ問題と取り組んで調査、研究、対策方法を発見してもらうという努力をしてもらってはどうだろうか。これは教育委員会の人らにも直接いろいろと聞いてみたんですが、そういったことでもするのでないと、ほかの方面にたよっては結局手がないのではないか。時宜を失するわけにもいかぬし、こういったふ化しないで卵の発育がとまったという実態が二、三ヵ月前にあったあとですから、できるだけ早い機会に、そういった専門家と目されるような人の直接指導を受けることを一ぺんやってみたらどうだろう、こういう意向が大勢なのであります。でありますので、その点について、いまの山階さんなども非常な権威者と聞いておりますが、そういう方にでも現地へ行って指導を願う、こういうことを委嘱されてはどうか、こういうふうに思いますが、この点はどうでございましょうね。
  213. 村山松雄

    ○村山政府委員 山階先生、古賀先生には一般的なお願いもいたしておりますし、それから古賀先生は、現地も御調査願ったように私承知しております。さらに、コウノトリをもっぱらお世話願ったらというお話でございますが、なかなかお忙しい方でありますので、そういうことがお願いできますかどうか、私のほうからも接触はいたしてみたいと思います。
  214. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 終わります。      ————◇—————
  215. 床次徳二

    床次委員長 社会教育に関する件について調査を進めます。  青少年不良化防止問題等について質疑の通告がありますので、これを許します。山田太郎君。
  216. 山田太郎

    ○山田(太)委員 非常に古い話から鳥の話、それから現実に立ち返ったような、いまの一番先端の問題に返って恐縮でございますが、将来の日本を背負って立つ青少年の教育の問題については、社会全般においても非常に心配されておる問題でございます。その点について、きょうは時間の関係もありますので、直截的にお尋ね申し上げたいと思います。  まず最初に、厚生省の環境衛生局の石丸さんですか、現在世上非常に問題にされております。原宿族とかあるいは青山族とか一般世間にいわれておりますけれども、全国的な気風にいまなっておりますその点について、厚生省関係といたしまして、まず、現在の飲食店法とそれから風俗営業法との区別は私も承知しておりますが、東京ではスナックバーとか、あるいは大阪ではサパークラブ、このような名前で呼ばれておるそうですか、原宿あるいは青山あるいは渋谷に例をとってお尋ねさしていただきます。  このような文教地区とかあるいは住宅専用地区に現在許されておるスナックバー、これは飲食店法によって許可されておるものと思いますが、どういう状況でしょうか。
  217. 石丸隆治

    ○石丸説明員 ただいま先生から御質問のございました業態につきましては、現在厚生省といたしましては、食品衛生法に基づきましてこれを許可営業にいたしておるわけでございます。食品衛生法に基づきます分類といたしましては、このような業態は一応飲食店営業という形で許可をいたしておるわけでございます。食品衛生法に基づきます許可の取り扱いにつきまして申し上げますと、食品衛生法第二十条によりまして、このような業態に対しまして都道府県知事は、公衆衛生の見地から必要な施設の基準を定めなければならない、こういうふうになっておりまして、衛生上そこで取り扱います飲食物による危害が発生しないような施設の基準を要求しておるわけでございます。さらに、同法の第二十一条によりまして、このように定められた基準に合致する場合には許可をしなければならない、こういうふうな取り扱いになっておるわけでございます。したがいまして、このような営業につきましては食品衛生法に基づきます飲食店営業の許可をとらしておる、このような状態でございます。
  218. 山田太郎

    ○山田(太)委員 いまの御回答の中には出てきませんでしたが、ではもう一歩突っ込んで、飲食店の営業法と、ことばは違うかもしれませんが、それから風俗営業の場合と違う点はおもにどういうところでしょうか、二、三あげてみてください。
  219. 石丸隆治

    ○石丸説明員 これは風俗営業等取締法と、それからわれわれのほうの食品衛生法との問の問題でございますが、施設を設けて客に飲食をさせる営業を食品衛生法では飲食店営業として一括取り扱っておるわけでございまして、その中におきます営業の形態によります分類は、食品衛生法の立場では分類が行なわれておらないわけでございまして、この食品衛生法に基づきまして許可されました飲食店営業の中で、この風俗営業等取締法によりましてさらに風俗営業に該当するもの、そうでないものとが分類されておるように私、理解いたしております。
  220. 山田太郎

    ○山田(太)委員 そうぼかさないで、もっとはっきり言うてください。風俗営業法ではやってもいいけれども、飲食店の場合はやっちゃいけないのだ、こういうものがあるはずです。たとえば酒の問題あるいは食事を主とする問題とか、そういうふうな問題があるはずです。それをはっきり言ってください。
  221. 今竹義一

    ○今竹政府委員 私からかわりましてお答えいたします。  飲食店の規制は、いわゆる飲食店の衛生関係の規制でございまして、こういう面から規制をいたしておるのでございますが、風俗営業法のほうは、それにかぶせまして風俗的見地から、一つは風俗営業といたしまして、たとえばキャバレーであるとかあるいはカフェーであるとかいうようなものにつきましては、飲食店であると同時に風俗営業法の風俗営業であるというふうに把握いたしまして、これについて風俗上必要な取り締まり、規制を加えておるわけでございます。そのほかに風俗営業ではございませんが、普通の飲食店の深夜における営業というのを、また別に風俗営業法の四条の二でとらえまして、たとえば深夜喫茶であるとかあるいは深夜酒場であるとかいうような形で規制いたしております。
  222. 山田太郎

    ○山田(太)委員 石丸さんにもう一度お伺いしますが、では、そのような飲食店にしてもあるいは風俗営業の店にしても、許可は同じなんですか。
  223. 石丸隆治

    ○石丸説明員 食品衛生法によります許可は、酒食を供するもの、それから酒類を供するものが飲食店になりまして、主として茶菓を供するものが喫茶店、この二種類になっておりまして、この中におきます営業の形態による区別はございません。
  224. 山田太郎

    ○山田(太)委員 では、許可は同じ形態で行なわれるのだと解釈してよろしいのですか。
  225. 石丸隆治

    ○石丸説明員 さようでございます。
  226. 山田太郎

    ○山田(太)委員 では、そのあとのアフターケアは、厚生省の関係としてはやらなくてもいいというふうになっておりますか。
  227. 石丸隆治

    ○石丸説明員 現在食品御生監視員という特殊な身分を持ちました職員がおりまして、常時これらの営業体に対しましては監視を行なっておるわけでございます。ただ、食品御生監視員が監視を行ないます対象でございますが、これは先ほど申し上げましたように、衛生上の基準につきましての監視でございます。したがいまして、施設が衛生上の基準に合っておるかどうか、あるいは飲食物の取り扱いが衛生上危害を及ぼすおそれがないかとか、そういう観点からの監視のみを行なっておる状態でございます。
  228. 山田太郎

    ○山田(太)委員 では、その監視の現実に行なわれている状況を、この一年間にわたって、わかれば教えていただきたいと思います。何回行なわれて、どのようか。
  229. 石丸隆治

    ○石丸説明員 これは全国的な平均で申し上げますが、現在飲食店営業あるいは喫茶店営業につきましては、食品衛生法の政令に基づきまして所要監視回数が定められておるわけでございますが、これは年十二回ということになっております。ただ、昨年の実績を申し上げますと、所要監視回数の二〇%の消化をやっておる、こういうような状態でございます。したがいまして、平均いたしますと、二・四回というような状態でございます。
  230. 山田太郎

    ○山田(太)委員 先ほどお断わりしてからお話したのですが、原宿とかあるいは青山、渋谷、その方面についての実情をお聞きしたいわけです。
  231. 石丸隆治

    ○石丸説明員 原宿とか特殊な地帯につきましての実情というものは、具体的にはわれわれはつかんでおらないわけでございますが、本日東京都のほうと連絡をとっておりますところによりますと、アフターケアの回数につきましては必ずしも十分ではないようでございますが、あの地帯におきまして、これらの業種につきまして、食品衛生法による許可をとっていない、いわゆる無許可の店はないというふうに聞いております。
  232. 山田太郎

    ○山田(太)委員 それを聞いたわけではないのです。アフターケアの問題を聞いたわけです。現実に調査してみたところの範囲内では、このアフターケアはほとんど行なわれていない、こういう状況になっております。この点を承知おき願いたいと思います。  また、後ほどでもけっこうですから、日を改めてでけっこうですから、ことしに入ってからどのようにアフターケアが行なわれておるか、その点を報告していただきたいと思います。お願いしますね。  それから次に、警察庁の保安局長今竹さんにお願いしますが、簡単に言わしていただくために、また原宿族とかあるいは青山族と呼ばしていただきますが、もう間もなく海水浴場開きにもなりますし、あるいは学校の休暇になるのも非常に近いですし、警察庁においてもやはりこのような人たちのために頭を悩ましておると思いますが、いま現実の状況は、このようなスナックバーとかあるいはサパークラブに類した全国的な状況が把握できておったら教えてもらいたいと思います。
  233. 今竹義一

    ○今竹政府委員 最初に原宿と青山の状況から申し上げます。  本年の六月二十五日現在で、原宿地区の深夜飲食店が四十九軒、青山地区の深夜飲食店が二十軒ございますが、このうち特にそういう青少年のことで問題のある店は、原宿地区の九軒、青山地区の五軒でございます。この店につきまして、昨年も実はいろいろ取り締まり及び少年の補導をいたしまして、季節的にも冬になったせいもあって問題が解消したのですが、本年もまたいろいろ問題が起こりましたので、五月二十日から六月二十五日までの間、原宿地区で延べ八回、青山地区で延べ六回取り締まりと補導を行なった状況でございますが、この地区内の深夜飲食店、いま申しました深夜飲食店の二十軒につきまして、照度違反と申しまして、非常に暗い状況で営業行為を行なっている。暗い、照度違反。あるいは営業所内で客にダンスを踊らせているというような、深夜飲食店の取り締まり規則に違反する行為が行なわれておりました。  なお、少年の補導状況につきましては、原宿で十九名、青山で三十名、合わせて四十九名という状況でございまして、これは無断でこういうところに遊びに来ているというような非行の状況で、一般的なこういう少年についての非行の問題としては、そうたいした問題じゃないのじゃないか、この程度であればそれほどの問題であると考えられないと思われます。  なお、この地区でいろいろ車を暴走させたり、整備不良車両で大きな音を立てているというようなことの取り締まりをいたしております。これが百九件ございますが、ほとんどが駐車違反と整備不良自動車の運転、こういう状況でございます。  なお、この種の、実は深夜飲食店に集まりまして、住宅街のまん中のこういうところに集まっていろいろと非行的な行為が行なわれておるということは、青山とこの原宿だけでございまして、そのほかの地域には聞いておりません。ただ、車に乗りまして、いろいろ車を暴走させてまわりに迷惑を与えておるというようなことは、たとえば環状八号線、環八で言われておるような問題、あるいは京都の宝池の周辺に車を走らせているというような問題がございますが、深夜飲食店にからむものはここだけの現象でございます。
  234. 山田太郎

    ○山田(太)委員 これぐらいの問題ならたいしたことはないと思いますという、そういう考え方に大きな問題があるのではないかと思います。もう局長は御存じと思いますが、じゅうたんバーだとかいうのはもう耳にしていらっしゃると思いますが、あるいは中にバンドの入っているのも耳にしていらっしゃると思うし、その現状はどのようなことが行なわれているか、もし実地に視察なり探訪なりして御承知ならば、それをここで、この委員会の席で話していただきたい。
  235. 今竹義一

    ○今竹政府委員 私がただいまこの程度であればと申しましたのは、少年の非行という観点から見ればのことだけでございまして、御指摘のありました個々の深夜飲食店における営業の違反行為あるいは車の暴走等による騒音というようなことについては、かなりのことが行なわれている、かつ周囲の方々にもたいへん御迷惑をかけているという状況でございまして、警察としましても、ただいま御説明申し上げたようにその取り締まりにつとめておる、こういう状況でございます。
  236. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうも回答をぼやかされたように思うのですが、私がお聞きしたのは、警察の当局も、また教育の当局も、あるいは厚生省関係ですらも、協力してこの青少年教育の問題には力を入れなければならないはずです。  そこで、お伺いしたのは、現実にその中においてどのようなことが行なわれておるのか、ひどいところとそうでないところとあるはずです。それを把握できないで、それを知らないで取り締まろうなんてできる問題じゃない。おそらく今竹局長さんは知っていらっしゃると思うから、それを教えていただきたい。現実にその中でどのような状況が行なわれているのか。飲食店の許可で、そして現実に中でどのようなことが行なわれているのか、知っているはずなんです。ちょっと変な聞きようですけれども、しかし、ここは大切なところです。その実際の姿を知らずして取り締まろうなんてできないはずだし、それを教えていただきたい。ひどいところとそうでないところとあるのは承知しております。しかし、大切なのは、ひどいところがいかに青少年に悪影響を及ぼしているか、また付近の住民の方々に、ものすごい深夜公害とさえもいわれるような、そういうノイローゼを出してみたり、病人を出してみたり、あるいは子供さんを東京都の中で寄宿舎へ入れてみたり、あるいは病人がかえってひどくなってみたり非常な状況になっております。あとにするつもりだったのですが、このようなパンフレットさえもある。局長さんは知っておりますか。住民の方々が全部、みな一緒になってよくしていこう。読んでみますと、「もうがまんできない原宿族、地域の生活環境はみんなで守りましょう。」いま東京の原宿のことを言いよりますけれども、これはやはり交通の問題で、御承知でしょうけれども京都の宝池がある、あるいは大阪にもたくさんあります。ただ、問題点をしぼったほうが話がわかりやすいから、いましぼって話をしよるのです。だから現実の状況は、飲食店の許可でありながら、しかも表札なんかもかけないで、レストランとさえもかけてないところもありますよ。いま局長さんが言われたような軒数は、それは違いますよ。私が歩いてみただけでも軒数が違います。もぐりがあるのかもしれません。許可を得ておるのですかと私どもは聞く権利がないですから。だけれども、現実においては門札さえもかけないで、レストランとさえもかけないで、何を売るかとさえもかけないで、そして入り口が一メートルくらいの四角で、中へ入ったらちゃんとくつを脱がす、じゅうたんが敷いてある。知っていますか。そうしてその中でどのようなことが行なわれているか。しかもそれが飲食店で許可をもらっておる。食事を供するのが主体であって、酒は従たるものだ、その従たるものがもうほとんどになってしまっておる。そういう状況を目の前にしたときに、環境が非常に青少年の教育を、将来社会のためにもりっぱに戦える青少年が全部不純になっていきよるというようなはだ寒い思いもいたしましたよ。だから、その状況局長が知っているならば、知らないなら知らないと返事をしてください。知っているなら知っている、このようなことが行なわれておるということを明言してもらいたいと思います。
  237. 今竹義一

    ○今竹政府委員 先ほども申しましたように、また御指摘のとおり、風俗営業法の違反の事実、無許可で風俗営業を営んでおると考えられるようなもの、あるいはまた、酒場の時間外営業違反と考えられるようなもの、あるいはまた御指摘のように、深夜飲食店ではあるけれども、その順守すべき照度違反であるとか、あるいは楽器の使用の問題であるとかいうようなことがかなり行なわれておることはよく承知いたしております。また、警察としても、これについて取り締まりを加えておるところでございます。今後も取り締まりを励行してまいりたい、かように考えております。
  238. 山田太郎

    ○山田(太)委員 私が先ほど申し上げたことは、まだ遠慮して申し上げている程度です。私が先ほど申し上げたよりももっとひどい状況であるということは、御承知でしょうかどうでしょうか、その返事を聞かしてください。
  239. 今竹義一

    ○今竹政府委員 先生の御質問に直接お答えできるかどうかわかりませんが、何度も繰り返しますように、風俗営業法に規定する規則に違反するような事実が行なわれておるということでございますので、違法の行為ということで、それは当然取り締まるべき行為でございますので相当のものである、かように考えております。
  240. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうも局長さん、ぼやかしておるようで、それ以上答えられない立場かもしれませんが、では、ことしに入ってから、そのような青少年を悪のほうへ導いていく飲食店の違法行為、これについて、その場所を提供する営業主にしろあるいは営業店にしろ、このほうの問題も非常に——これは悪の中の悪です。これに対しての取り締まりはことしに入ってからどのように行なわれ、現在停止を行なったとか、あるいは許可を取り消したとか、そこまでやった例がこの原宿あるいは青山においてありやなしやをお聞きしたいと思います。
  241. 今竹義一

    ○今竹政府委員 本年になりまして、この青山地区及び原宿地区で、深夜飲食店及びその他の風俗営業すべてを含みますが、これで九十九件の取り締まりをいたしております。そのうち深夜飲食店につきましては、先ほど申しましたように二十軒の店、これは件数でございませんで店でございます。こういうものについて取り締まりをいたしておる。なお、これに対して十四件行政処分を行なった、こういう状況でございます。
  242. 山田太郎

    ○山田(太)委員 聞いたことはそのまま落とさないで答えていただきたいと思いますね。何も局長さんを責める目的で言いおるわけじゃないですから。やはり青少年をよくしていきたいという願意で言うておるわけですから、どうかその点は安心して答えていただきたいと思います。ことしに入ってから何回取り締まりを行なって、そうしてその結果の状況を聞いたわけです。何件とかあるいは何軒といった意味じゃないのです。直截にお伺いしておりますから、直截に答えていただきたいと思います。
  243. 今竹義一

    ○今竹政府委員 本年の五月二十日から六月二十五日までの間、原宿地区につきましては八回、青山地区については六回一斉手入れをいたしております。
  244. 山田太郎

    ○山田(太)委員 もう一つ答えが落ちていますが、そうして、その営業主に対してどのような制裁を加えたか、あるいはそのときには立ち入り検査までやっておるかどうか、それも今度は追加します。それを一緒に答えてください。
  245. 今竹義一

    ○今竹政府委員 そういう、いま申し上げたような一斉取り締まりをいたしまして、原宿地区の業者十三軒、青山地区の深夜飲食店業者七軒、これにつきまして照度違反である、あるいは営業所内でダンスを行なっておるという、風俗営業法違反の行為でこれを取り締まっております。
  246. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうもはっきり答えていただけないようですね。では、行政処分まで持っていった唐は何軒ありますか。
  247. 今竹義一

    ○今竹政府委員 いま申し上げました件数は、実はことしの五月から六月までの、ごく最近の取り締まりの状況を申しましたので、その中でまず行政処分まで持っていくということは時期的に間に合わないわけでございますが、昭和四十一年のことで、むしろ答弁させていただいたほうがいいと思いますが、原宿地区について十七軒の業者に行政処分をいたしております。
  248. 山田太郎

    ○山田(太)委員 許可の取り消しの申請とか始末書程度の軽いものならば、これはたくさんあるでしょうけれども、あるいは五日や一週間の停止、それくらいの軽い程度ならば、これはあるかもしれませんが、それも回数は調べておりますが、この許可停止の申請は、監督の所轄署長が申請するようになっておりますかどうですか。そうして、所轄の署長が申請するようになっておるならば、この原宿署から申請された件数、しかもその処分の内容と、分けて話していただきたいと思います。わからなければしようがありません、日を改めてけっこうですが、わかればここで回答していただきたいと思います。
  249. 今竹義一

    ○今竹政府委員 ただいまの十七軒のうち、原宿署で取り締まりましたものが十二軒、本部で取り締まりましたものが五軒でございます。  行政処分の内容につきましては、ただいま資料を持ち合わしておりませんが、御承知のとおり深夜飲食店につきましては、営業の許可が衛生部局にございますので、風俗営業等取締法によります処分は、六ヵ月以下の営業停止だけ、こういうことになっております。
  250. 山田太郎

    ○山田(太)委員 では、許可の取り消しまでいった件数はゼロと解釈いたします。いいですね。その上で申し上げたいのですが、いまの現状のまま続けておっていいと判断なさいますか、あるいは、これはどのように対策を講じなければならないと判断いたされますか、この点が一つと、時間がありませんからはしょって言いますが、付近の住民の方々の被害状況——国民を守る立場から、住民の保安の立場から、安全の立場から、これは警察当局に責任があり、義務があると思います。この付近の住民の方々の被害状況調査、そういうことをしたことがあるかどうか、この二点について答えていただきたいと思います。
  251. 今竹義一

    ○今竹政府委員 付近の住民の方々のこういう事情につきましては、警察としては承知いたしておりまして、ただいま申し上げたような取り締まりを励行いたしておるところでございます。しかし、なおこういうことが行なわれて、付近の住民の方にいろいろと騒音その他被害がございますので、さらに取り締まりを励行いたしまして、いろいろの法令によりまして、きめのこまかい取り締まりによってこの事態を解決いたしてまいりたい、かように存じておるところでございます。
  252. 山田太郎

    ○山田(太)委員 抽象的なお返事なんですが、私が調査した範囲では百十世帯——百十世帯ですから、当然、付近の住民の世帯の被害状況の全部ではありませんが、そのうち八五%、九十世帯は全部被害を訴えております。御存じないかもしれませんからつけ足します。そうして、中には眠れないで、舶来品の耳にせんをする道具を買って、一家じゅうで耳にせんをして寝ておる。それでさえも、まだ朝方——四時あるいは三時まで騒音と嬌声と喚声と、そしてかき鳴らす楽器の音に、あるいは爆音に安心して眠れないことを訴えている人は、百十世帯の九九・八%あります。これはこのままの状況で置いていいものでしょうか。これに対して保安局長の所見をお聞きします。
  253. 今竹義一

    ○今竹政府委員 付近の住民の方が騒音の問題でいろいろと苦情を訴えておりまして、警察でも昨年六十二回、そういう苦情に接しておるわけです。私どもとしては、そういう状況でございますので、昨年も取り締まりの実施によりましてこれを終息せしめたのでございますが、今年もまた、いま行なっております取り締まりと並行いたしまして、そういうことのないようにいたしたい、かように考えております。
  254. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうも局長さんは政治的な答弁がおじょうずで、もっと警察の局長さんらしく端的に言うてもらいたいと思います。いままでと同じような取り締まりあるいは制限を行なっておれば、この悪の温床であるこういう店を根絶することができるとお思いでしょうか、どうでしょうか。
  255. 今竹義一

    ○今竹政府委員 私も、現在の法令の取り締まりだけでこれが必ずできるかどうかということについては、ここではっきりお答えすることはできない。しかし、現在与えられた法令によりまして取り締まりをして、そしてこの問題を解決するという方向に努力いたしまして、その努力の上で解決すればそれでよし、また解決しないということになれば、その段階におきまして、法令の不備があるのかないのかということは検討しなければならないと思います。現在のところでは現在の法令によりまして取り締まりを励行したい、かように考えております。
  256. 山田太郎

    ○山田(太)委員 もうすでに、ことし最初に始まった問題じゃないわけです。過去何回か年を経ておるわけです。だから、現在の法令ではだめだということは、もう歴然としておるわけです。時間的な制限を設けるとか、あるいは地域的な制限を設けるとか、スナックバー式の店が全部悪いと言うわけじゃありません。国道べりにあるような、当然なくてはならないような店があるのも承知しております。しかし、そうでない店が全国にたくさんふえてきております。全国的な問題であります。  焦点を原宿だけにしぼって申し上げますけれども、人口が十五万、二十万の都市以上になってきますと、ほとんどと言っていいほど次々にできております。そうして、これが全部悪の温床になってきております。したがって、時間的な面から、あるいは地域的な面からそういう制限を当然やらなければいけない問題であると私は思いますが、局長さんはどうでしょうか。
  257. 今竹義一

    ○今竹政府委員 貴重な御意見、ありがとうございます。  実は私も、あるいはそういうことを考えなければいけないということはいろいろ研究はいたしておりますが、やはり営業の自由との関連の問題、その他いろいろの問題がございますので、まず私どもとしては、現在の与えられた法令の執行によってこれに対処してまいりたい。それでどうにもならないときになりましたら、またそのときの状況によって、いま御指摘のありましたような点についてもあるいは検討しなければならない、かように存じております。
  258. 山田太郎

    ○山田(太)委員 取り締まりのほうの問題は、まず局長さんは私の意見には賛成である。これは私だけの意見じゃないと思います。きょうの文教委員会委員皆さんも全部心配しているんですから、また国民の多くが心配している問題ですから、このあたりでそのような抜本的対策を講じていかなければ、どうにもならない問題です。ことに原宿だけが、ほかの警察署と比較したときに手ぬるい感じがするわけです。取り締まりに行ったところが、ほとんどいなくなってしまったという例が何回か繰り返されているのも承知しております。これは局長さんも聞いておられると思いますが、この点に対しては十分処置してもらいたいと思います。ただ取り締まりさえすればいいと言える問題ではございません。これは両方からやらなければなりません。  それで、保安局長への質問はまた最後にさしていただくとしまして、次に、総理府青少年局の安嶋さんにお伺いしますが、いま青年の船、これは新聞等でもやかましく取り上げられている問題ですが、先ほど申し上げた青少年の、ことにますますふえてくる不良化の問題について、局長さんは全国的な規模状況を把握しておられるかどうか、教えてください。
  259. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 御承知のとおり、青少年の問題は、非常に間口の広い、奥行きの深い問題でございます。ただいま非行対策の問題を中心にいろいろお尋ねがあったわけでございますが、この青少年問題の発端は非行対策、不良化の防止でございます。私どもは、青少年問題はただ単に非行対策、不良対策に終わることなく、さらに青少年の健全育成という方向に推進すべきであるというふうに考えておるわけでございます。青年の船という構想を立てましたのも、青少年対策の一環といたしまして、青少年の健全育成という大きな趣旨からそういった構想を立てて、明年一月から三月に東南アジアにこの船を巡航させたいということで、準備を進めておるわけでございます。
  260. 山田太郎

    ○山田(太)委員 青年の船のほうの話が大きくなりましたが、聞いている主眼点は、このような青少年の不良化の問題について、総理府青少年局長さんとしてどのような対策を持っておるか、あわせて答えてください。
  261. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 ちょっと先生の御質問を取り違えたわけでございますが、総理府青少年局は、御承知のとおり、青少年の行政に関する基本的、総合的な施策の樹立ということと、関係行政機関施策樹立の総合調整ということが基本でございます。したがいまして、先ほど来御質問がございました非行対策につきましても、これは施策といたしましては、警察庁あるいは法務省、厚生省だけではなく、さらに基本的に申しますならば文部省、労働省等にも関連があると思いますが、そういった広い面から非行対策の全体的な展望をいたしております。  現在まとまっておるものといたしましては、これは青少年局の前身でございます中央青少年問題協議会が、昭和四十年の秋に、青少年の非行対策に関する意見具申を行なっております。これは非常に全体的な、総合的な意見具申でございます。その全体的な推進を関係省庁にお願いをする、こういうたてまえをとっております。その非行対策に対する全体的な、総合的な計画の中身につきましては、御質問があればさらに御説明を申し上げたいと思います。
  262. 山田太郎

    ○山田(太)委員 もっと具体的な問題で、どのようなことをやってどのように持っていく、そういう具体的な案、これは全くないわけでしょうか。
  263. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 具体的な案は非常にたくさんあるわけでございまして、これはそれぞれ個別には各省庁の施策内容になるわけでございます。非行対策、これはいわゆる不良化対策も含めるわけでございますが、原因といたしまして、あるいはその対策の対象といたしましては、社会的な対策あるいは個体的な対策、この二つに区別できるかと思います。個体的な対策といたしましては、非行と精神衛生という問題、これは非常に深い関係があるわけでございます。精神衛生上からのいろいろな施策というものが、これは主として厚生省を中心に進められております。それから社会的と申し上げるよりか環境的と申し上げたほうがいいかと思いますが、そういったような面からの対策といたしましては、家庭教育、家庭福祉の問題、一一具体的な施策がそれぞれありますが……。
  264. 山田太郎

    ○山田(太)委員 一つ、二つでいいから具体的に……。
  265. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 たとえば学校における対策の問題として一、二具体的なものを申し上げてみたいと思いますが、教師が適切な個別指導を行なえるような体制を整えるといったような施策がございます。そのためには、たとえば中学校や高等学校における教員の定数基準を引き上げるとか、あるいは学級定数を下げるといったような、あるいは中学校や高等学校において生徒指導主事、カウンセラー、そういったようなものを設置する、そういった施策がこれは職場におきましてもあるわけでございますし、あるいは地域におきましてもございますし、あるいはマスコミ、娯楽、そういった面につきましてもそれぞれ具体的な施策があるわけでありまして、そういったものの総体を私どもは非行対策というふうに考えております。
  266. 山田太郎

    ○山田(太)委員 マスコミとか娯楽とか、そういう御回答もありましたが、この青少年の方々たちのスリルを追う、冒険を追う、そういうものがたくさんあるわけですね。あるいは向上心を失ってせつな主義になっておる、享楽主義になっておる、こういうものに対応して、ただ取り締まりだけをやってそういう店をなくしたからといったって、これはまたすぐ、東京で言うならば多摩川とかあるいは成城のほうとか、そういうほうへ散らばっていくに違いありませんし、そういう問題点をかかえた青少年をどう処置していくかというすぐ目の前の問題——将来ずっと成果を期待するという問題でなしに、こういう青少年の方たちに対して、どのような具体的な対策を、取り締まり面と、またはけ口あるいは行き場所、そういうふうなものがなくては、これはどうにもならぬはずですし、そういう点について対策があれば教えてください。
  267. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 確かに、御指摘のとおり、青少年に健全な娯楽をすすめると申しますか、そういう機会を多くつくってやることがやはり一番基本的な対策であろうと思います。そういう意味におきまして、青少年に対するレクリエーションの正しいやり方を指導いたします。あるいはレクリエーションの場所といたしまして、体育館、運動場、プール等の各種のスポーツ施設の整備でありますとか、あるいは屋外活動の施設を整備いたしますとか、あるいは青年の家でございますとか、勤労青少年ホームといったような、そういった勤労青少年の健全育成のために非常に有効な施設を整備していく、そしてそこでほんとうに正しい娯楽、楽しみを与えるようにしていくことが必要である、そういうふうな施策を各省庁と協議をいたしまして進めていきたいと思います。
  268. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうもおっしゃることは非常にいいことですし、りっぱなことなんですが、この悪の温床を取り締まったときに、行き場所を失ったその青少年の方々を具体的にどう、そういう方面に引っぱっていくかという点は、まだまだ協議されてない状況じゃないかと思います。したがって、総理府等が中心となって関係民間の方々を交えて、こういう青少年の方々の育成という機関、そういうものを考えられたらいいのではないかと思うのでありますが、どうでしょう。
  269. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 民間の方々も含めてというお話でございますが、総理府には現在青少年問題審議会というのがございまして、これは全部民間の方で構成されている審議会でございます。そこにおきまして、ただいま青少年の健全育成施設の整備のための長期計画、総合計画の審議が行なわれております。その中身というのは、ただいま申し上げましたように、青少年の健全なレクリエーション、娯楽、スポーツ等の機会を与える、あるいは余暇の善用をする、そういう方向でその施設を利用していくということが基本になっておるわけでございます。そういった施策を、関係各省ともどもさらに積極的に推進していきたいというように考えております。
  270. 山田太郎

    ○山田(太)委員 どうもくつの裏から足をかくような気がしてならないのですが、青少年問題審議会があるのも承知しております。そういういま現在のものでなしに、端的に申し上げたわけです。行き場を失った、いま現在の原宿族とかあるいは青山族とか、全国にたくさんいますが、その方々をすぐ効果あらしめる対策、そういう点について伺ったわけですよ。では、いま言われたことで、いまの行き場を失った——取り締まりが激しくなれば当然行き場所を失ってしまいますよ、そうすると、こういうような方々がどのようなはけ口を見つけるかわからない、その点を心配するわけですよ。そしてどろなわ式にやったのではしようがないから、その点についての対策もあわせて考えておられたほうがいいのではないか。いま現状のままで、いまの青少年問題審議会がそのままで、いまおっしゃったとおりのことで、そしてこの問題が解決すると思っておられますか。きれいごとを言うのではなしに、解決すると思っておられるですか、自信があるのですか、確信があるのですか。
  271. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 私ども日ごろ考えていることでございますが、この青少年問題には、これがきめ手だといったような施策はなかなか見つかりにくいわけでございまして、いろいろな施策を根気強く積み上げていくということが一番大切なことであろうと思います。そういった観点から、先ほど来申し上げているような施策を進めているわけでございますが、原宿、青山等における青年をもし取り締まった場合に、その者を直ちにどこへいかにするかという答えにつきましては、私ただいま具体的な案が浮かんでまいりません。
  272. 山田太郎

    ○山田(太)委員 、だからそれを前もって考えておいて、受け入れ態勢をつくったほうがいいのではないかということを申し上げたわけです。これはこの程度にしておきます。  では、文部省社会教育局長の木田さんにお伺いしますが、諸外国においても、やはりこのような青少年の問題で苦労している事例もたくさん聞いておりますが、成功しておるような外国の例はぼくも寡聞にして知らないのですが、もし成功に近いような状況になっておるところがあったら、教えていただきたいと思います。
  273. 木田宏

    ○木田政府委員 端的に申しまして、これで成功しているというような事例については、私どもも聞いておりません。この問題は、豊かな国になればなるほど、都市化の現象が進めば進むほど、どうしても片一方においてこうしたひずみの現象が起こるというのは、アメリカの例を見ましても、それからイギリスの見聞いたします事例を見ても起こっていることでございます。それに対する取り組み方につきましては、これはほんとうにむずかしいことでございまして、いま先生のほうからの御質問に対しまして、私ども関係者、いろいろ述べますけれども、私ども自身も、どうしてそういう青年たちを少なくするかということ自体、社会教育の大きな課題として考えておりますけれども、これはほんとうに個々の末端の団体、いろいろな団体の教化活動団体活動というものが活発になっていく、あるいは日本の場合で考えますと、家庭というものを中心にした健全な市民生活というものを盛り上げていく、こういうじみな努力をやはり続けていく以外には方法がないのじゃないかというふうに考えて、苦悩しておるところです。
  274. 山田太郎

    ○山田(太)委員 私の調べたところでは、この青少年の方たちの七割近くが学生です。しかも親は知らない、あるいは中には女性は高校生もたくさんおります。大学生や高校生が約七割以上になっております。ほかのその他の方は、埼玉県や千葉県やあるいは神奈川県からもかけつけてきております。そういう状況になっております。しかし多くは、学生であるという点は御承知だと思うのです。この点について文部省として、所管は違うかもしれませんが、どのような対策を考えておられますか。
  275. 木田宏

    ○木田政府委員 先ほど青少年局長からもちょっと対策の事例の中に出ておったかと思うのでございますが、実は学校教育の課題といたしまして、道徳教育の推進あるいは生徒指導の強化推進ということを、初等中等教育ではかなり力を入れて措置いたしております。そして、こういう問題の多い地区の学校を選びまして、道徳教育の指定校でありますならば、二百七十校ほどこの生徒の健全な指導のための指定をしていく、あるいは生徒の指導につきましても、百数十校の緊急指定校を設けて、いろいろな指導を試みているのでございますが、いままで出ております結果から私ども聞いておりますことは、やはりそういうふうに生徒に対する指導を強化するという措置を学校の当事者がとりましたところでは、非行の数が指定をする前に比べて少なくなっているということは、現にあるわけであります。したがって、先ほど安嶋局長からの答弁の中に、生徒指導のための担当教員を強化していくというようなこと、あるいはそういう活動を端的にとっていくということが、じみではございますけれども行なわれておるわけでございます。なお、大学になりますと、これはただいまのようなこととは別でございまして、学生に対する一般的な指導の対策ということと、それから最近起こっておりますいろいろな学生問題の事例等にもかんがみまして、学生の適正な指導をはかるための方途、これは学生のいろいろな部活動を奨励するとか、あるいは学生の健全な集会の場を学内に設けていくとか、そういうふうな措置を講じておるわけでございますが、問題は、御案内のように大学がマンモス化しておるということでございまして、学生指導の面からは、いかにして個個の教官がもう少し個々の学生に緊密な人間関係を持てるようにするか、これを大学教育の一方の教育内容の問題とは別に、学生補導の問題として、大学局の担当部課を中心に進めておるところでございます。
  276. 山田太郎

    ○山田(太)委員 もうあとわずかで終わらしていただきますが、現実においては、原宿族の場合は範囲が広がっただけで数はふえております。そういうもぐりとまでは言えませんが、そこまで調査していませんから。だけれども、場所は非常に広がっていっております。そうしてマンションの地階やあるいは一階、あるいはその中にたくさんと散らばっていっております。区域から言うたら何倍かになっております。そうして人数も非常に大きくなっております。しかも道徳教育を受けた青年です。だから、うのみにするわけにいきません、いまの御返事は。この点を知っておいてもらいたいと思う。自己満足におちいってしまいますから。あとはお聞きしませんけれども、これは間違いです。  それから原宿の署からの報告も、去年よりはよくなっているような報告が行っておるやに聞いております。これは警察庁の局長さんに、現実をほんとうに把握しないで報告が行っているやに聞いております。去年よりもよくなっているように、これも現実は、もしそのような報告が行っておるとするならば、これも間違いです。  そこで最後に、保安局長さんに要望とそれから質問とを兼ねたような問題ですが、付近の住民の方々がこのスナックバーやあるいはおにぎり屋ですか、いろいろな名前でやっておりますし、名前も出さないでやっておりますし、百軒以上は確認しております。だから、まだまだそのような調査さえも行き届いていないのじゃないかという不安すらあります。一番大切なことは、その青少年の方々とあわせて付近の住民の方々が不安なく夜を送れるように、こうしなければ何もならぬと思うのです。ただ取り締まった、何回取り締まった、そうして処分をこうやった、それが目的じゃないわけです。付近の住民の方々が安心して休まれるように、安心して子供を教育できる、安心して学校へやれるように、安心して営業ができるように、これが一番大切じゃないかと思う。この点について、これがほんとうの取り締まりのバロメーターじゃないかと思います。もしいま現在と変わらないようならば、また変わりばえがしないようならば、またもう一度文教委員会に来ていただかなければならないと思います。その点、必ず実効をあげてやる、実効をあげるだけの結果を出す、その返答をしてください。
  277. 今竹義一

    ○今竹政府委員 昨年原宿だけの地域の現象でございましたのが、本年は青山地区にまで広がったことを遺憾に存じております。昨年よりことしの状況はいいというように思っておりません。昨年は、実は夏の終わりごろから問題になりだしたものが、本年は、五月ごろから問題になっておるということでございます。この点につきまして、私ども、ただいま御指摘のございました付近の住民の方々に御迷惑をかけないということ、さらに青少年不良化防止の観点からの補導を強化するという趣旨によりまして、こういうことの取り締まり、補導を励行いたしまして所期の目的を達成いたしたい、かように念願いたしております。
  278. 山田太郎

    ○山田(太)委員 取り締まりのほうは厳重にやっていただくとして、今度は受け入れのほう——青少年局長文部省の教育局長、受け入れのほうについて、先ほど来回答があったような、そういう具体性のない問題でなしに、取り締まられればたちまち行き場がなくなっていきます。これに対してどうやったらいいんだろうか、よそのほうの住民に影響を与えていくようになる、この点についての対策を千分検討もし、実行できるような体制要望しておきます。  以上です。
  279. 木田宏

    ○木田政府委員 蛇足になって恐縮なんでございますが、実は問題の原宿地区の近くにございます国立競技場におきましては、年間三百万人の延べ人員でございますが、青年たちがスポーツに興じておるわけでございます。ところが、その競技場のそばで、いま御指摘のようなことが一方では起こっております。したがって、競技場があって、そこへ連れてくるというふうに端的にいくかどうかという問題はあろうかと思います。なかなかむずかしい問題があろうかと思いますが、私どものほうでは、先ほど青少年局長も申し上げましたように、健全なスポーツのための施設あるいは健全なレクリエーションのための施設、あるいは健全な研さんの場というものを数多くしていく、そういう方向で、いま山田委員の御指摘の点につきましては今後の施策を考えてまいりたいと思います。
  280. 床次徳二

    床次委員長 次回は、明後三十日、金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時二分散会