○
剱木国務大臣 ずっといままでの
先生と
政府委員とのやりとりを承っておりまして、私、ここで取りまとめて私の
考え方を一応申し上げたいと思います。
第一に、
国会内部で
芸術関係に非常に御関心のございます議員の
方々が、超党派でいろいろこういう
芸術の問題につきましてお話をいただき、また、この
芸術院の
あり方等につきましてもいろいろ御論議をいただいておることを
承知いたしておりますが、私はまことにありがたいことだと存じております。
結論から先に申し上げますと、私は、
先生がおっしゃいましたように、
日本の
芸術家の中で最高の権威があり、
日本の
芸術、世界の
芸術に非常な貢献をした
方々に対しまして、国といたしまして最高の
栄誉を、形は問いません、とにかく
栄誉を差し上げるということは、やはり今後続いてまいります
芸術家に対しまして大きな刺激にもなりますし、
芸術の発展という
意味から申しましても非常に意義あることではないかと思います。
それでは、はたしてこの最高の
栄誉を与えるような仕組みに、いまの
日本芸術院がなっておるかどうかということについて、いろいろな点からの御
意見なり御
研究された面がございまして、
日本芸術院はやはり発展の過程におきまして——一番最初にできましたのは、その当時の文展を審査する審査員をきめるということから発足いたしまして、いろいろ変遷をいたしまして、まあこれは文展あるいは日展との
関係だと思いますが、これは、当時
文部省がいわゆる官製の展覧会を、
日本の
芸術を振興するという
意味でやりましたが、文展そのものの存在につきましても、官製的な展覧会の主催に対して、当時からいろいろな議論がございました。まあ文展に参加する者としからざる者と分かれてまいったわけでございます。そうして
文部省が直接に展覧会をやるのに対しての批判もございまして、場合によって
芸術院が主催者になるというような形をとってまいりました。終戦後におきましては、そういう官製の展覧会はいけないという
一つの批判が起こりまして、三十三年でございますか、完全に
文部省の手を離れまして、また
芸術院の手を離れて、独自の
立場で展覧会が行なわれて今日に至っております。ところが、その日展と非常に密接な
関係におきましてずっとやってまいった
芸術院の
性格でございますので、いま申されますように、その
会員の中には日展系の人が大部分を占めておるとか、こういう
伝統的な
一つのあれが残っておりますし、これが
日本の全部の最高の
芸術家をはたして代表する仕組みであるかどうかということにつきましては、やはり議員連盟で御論議になったとおりだと私も
考えるのでございます。でございますから、いわゆる最高の権威者に対して国が
栄誉を差し上げるこの制度はぜひひとつ存続をしたいと思いますが、それにはいかにすべきかという問題が、今後の
検討の問題として残っておると思います。ただ、私どもといたしましては、最高の権威者を選ぶのについて、
第三者の
選考委員会というのを設けて選ぶという
方法自体につきましても、それが直ちに、どういう
方法によるかということについて私は非常に問題があると思いますし、もう
一つは、いやしくも現に一応、最高の方が抜けておられるという実情でございましても、一応
芸術院会員として私どもは最高の
栄誉を差し上げておるわけでございますから、これらの
方々の御
意見、御意思を無視して、そしてここに新たに全然別のものをつくるという段階は、やはり現在の
芸術院会員に対しましてそういうことはできるだけ避けたい。やはり現在の
芸術院におきましても、ひとつ自発的にそういったようなものにつきましてお
考えをいただき、われわれもこれを
研究し、
国会におきましてもいろいろ御
検討いただきまして、そして、やはりほんとうに、真に
芸術家に
栄誉を与えるような制度というものに
考え直すときがここに来ている、かように
考えます。そういうことにおきまして、今後とも
委員の
方々の御協力を願いますし、私どもも、日展、
芸術院ともに十分話を進めてまいりまして、
芸術院のお気持ちをそう侵害しないで、そこにスムーズに何とかいく問題を
考えてみたいと現在
考えておる次第でございます。