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1967-05-24 第55回国会 衆議院 文教委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年五月二十四日(水曜日)     午前十時十三分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 菊池 義郎君 理事 久保田藤麿君    理事 坂田 道太君 理事 中村庸一郎君    理事 八木 徹雄君 理事 小林 信一君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       稻葉  修君    久野 忠治君       河野 洋平君    竹下  登君       葉梨 信行君    広川シズエ君      三ツ林弥太郎君    渡辺  肇君       唐橋  東君    川村 継義君       小松  幹君    斉藤 正男君       三木 喜夫君    山崎 始男君       有島 重武君    山田 太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  出席政府委員         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      天城  勲君         文部省管理局長 宮地  茂君  委員外出席者         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 五月二十三日  委員河野洋平君、竹下登君及び三ツ林弥太郎君  辞任につき、その補欠として赤城宗徳君、内海  英男君及び金子岩三君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員赤城宗徳君、内海英男君及び金子岩三君辞  任につき、その補欠として河野洋平君、竹下登  君及び三ツ林弥太郎君が議長指名委員に選  任された。     ————————————— 五月二十日  公立高等学校学級編制及び教職員定数標準  に関する法律案長谷川正三君外八名提出、衆  法第二号)  公立の盲学校聾学校及び養護学校幼稚部及  び高等部学級編制及び教職員定数標準に関  する法律案唐橋東君外八名提出衆法第三  号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出第四〇号)      ————◇—————
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。山崎始男君。
  3. 山崎始男

    山崎(始)委員 すでに同僚議員からこの問題についてはだいぶ議論がされておると思いますが、あるいは私のお尋ねすることで重複する点があるかもしれませんが、その点は前もってお許しを得ておきます。それから、大臣は昔からこの道の専門家なんですから、できるだけ大臣の御答弁を願いたい。ただし、事務的の問題がありますれば、それは局長その他でけっこうだと思います。  まず、国立学校設置法の一部改正は、今日のわが国の大学の自治を破壊するおそれがある合理化と再編成を進める具体的なあらわれであるのじゃないかというにおいが、多分にすると思うのでございます。まず最初にお尋ねしますが、文理学部改組教養学部の問題なんですが、第一点といたしまして、人文社会科学系理工系分割をしておるが、その充実計画は一体あるのかどうかということなんです。充実計画、その点をひとつお尋ね申し上げます。
  4. 天城勲

    天城政府委員 御質問の趣旨は、文理学部改組の問題としてお答えいたしたいと思っております。  文理学部は、御存じのとおり十四大学にございましたのですけれども、従来からその大学におきます一般教育の全部と、それから教員養成のための教科に関する専門教育、それと同時に文理学部専門教育を行なうという、かなり複雑な性格を持って実際動いてまいりました。そういう状況でございましたけれども、目的が非常に多角的でございますのと、新しい制度運営上いろいろ問題がございまして、文理学部を何らかの形で充実するための改組という議論が起きてまいりまして、特に昭和三十八年の中教審からの答申もございまして、文理学部はそれぞれの実情に応じて改組したほうがいいのじゃないかという御指摘がございましたけれども、かねてそういう議論がございましたときに、いわゆる四十年からの学生増加という事態も伴いましたので、それぞれの大学考え方中心といたしまして、文理学部をそれぞれの大学の考える方向改組拡充するという措置をとりまして、それに伴い同時に学生増募も行なうという方法をとって、今日までその十四大学について準備の整い、案の整備されたところから改組を行なってきたわけでございます。それに伴いまして、学校によって違いますが、人文学部理学部に分けるとかいうのがおもにございますが、学科整備し、教官増加を行ない、学生の増募を行なっていくというやり方を今日までやってきたのが、われわれの考え方でございます。
  5. 山崎始男

    山崎(始)委員 この教養部は、全国的に見ましてその教授陣学部専門課程に比べて充実されておらない、学生からもこの点は非常な不満が出ておると思うのであります。大学教育基礎をなす教養部充実、特に計画的な充実を行なう必要があると思うのですが、また、その教養部運営について、専門学部下請になるような傾向があると思いますが、その点はどうでしょうか。
  6. 天城勲

    天城政府委員 御指摘のとおり、大学におきます一般教養というのは、新制大学におきまして広い教養人間形成のためにきわめて重要な部門を受け持っているものでございまして、それの充実のために、従来とも教養部教育課程あり方、あるいは教職員充実ないしは物的な条件整備ということが課題でございまして、私ども努力してまいりましたけれども、先ほど申しました文理学部のように、一つ学部で本来の専門教育をやりながら他学部の全部の教養を引き受けるというような制度もございまして、運営上非常に問題がございました。そこで、組織といたしまして、大学の意向と内容の整ったところから教養部というものを設置してまいったわけでございます。現在すべてに教養部があるわけでございませんで、約三十大学教養部といって一般教養を担当する部ができてまいりまして、それに伴いまして、教官整備ですとかあるいは施設の整備、ないしはその他財政上の整備をそれにあわせて確めている状況でございます。御意見のように一般教養内容専門下請では毛頭ございませんで、それは大学教育においては専門と同じようなウエートを持っている教育でございます。ただ、実際問題として、大学教官の配置とかカリキュラムの内容等からいって、一般教養専門と同じように扱われないうらみが若干ございますけれども、最近はこの教養課程の問題について非常に大学側の関心が高まってまいりまして、私たちもそれに応じた処置をいま逐次進めておる次第でございます。
  7. 山崎始男

    山崎(始)委員 この学部分割新設の際に、不完全講座のままスタートをさせております。そのまま人間が固定化されていないかどうかということですね。といいますことは、不完全講座は、申し上げるまでもございませんが、講座定数ですね。学部学科講座というシステムの中で、一講座あたり自然科学系教授が一、助教授が一、助手が二、技術職員が一、事務または用務が一、そういう定員がついていることをいうのでありますが、実際は一、一、二のいずれかが欠けていたり、技術事務職員を全く欠いたままで学科講座増加が行なわれております。この点は大蔵省文部省からの圧力だと巷間言われておるのですが、このことがこの教養学部へのしわ寄せとなったり、また、大学基礎的な活動をおろそかにすることになっているというふうに思いますが、この点は一体どうでしょう。
  8. 天城勲

    天城政府委員 ただいま例に申し上げました文理学部改組について申し上げますと、従来、文理単部の中に、いまおっしゃったような講座単位に、ある部分では助手が欠けておったり、助教授が欠けておったりという不完全講座が事実ございました。この機会に、そういうものは定数的には全部充員して、新しい学部発足をいたしております。それからなお、従来からあります学科の中には、御指摘のような、講座によっては欠員の状態があるものがございますので、私たちは機会あるごとに、いわゆる欠員不完全講座充実という形でこれを直しております。しかし、なお新設の要望が非常に多いために、不完全講座が一ぺんに解決しないでいるのは私たちも残念でございますけれども、方向としては逐年その穴埋めをいたしております。  それから、いまのお話で、専門のほうにたとえば学科ができました場合には専門講座が生まれますが、そのあおりが一般教養に来るんじゃないかという御指摘がしばしばございますが、私たち、これにつきましては専門のほうの教官充実すると同時に、新しいものができました場合には、必ず一般教養教官もあわせて措置するという方式をとっております。ただ、従来からのいろいろな実態で、アンバランスがあったり穴があいているところがあることは事実でございまして、その点が大学側から御不満の出てくるところかと思いますが、考え方はそういう方向で、整備充実方向をねらっておるわけでございます。
  9. 山崎始男

    山崎(始)委員 学部名称変更について少しお尋ねしたいと思いますが、大阪学芸大学及び秋田の大学学芸部名称変更ですね。教員養成大学の広い教養、リベラルアーツ、学芸の上に立って行なうという戦後の教員養成基本原則といいますか、それを否定してむしろ教員養成専門教育課程のみを持つ大学学部、そういうものに押し込めようというところから起こっているのじゃないかと思うのですが、文部省は、教育系大学に対する一連の干渉あるいは統制をきかす中で、これを全国的に進めてこられたのではないかと思うわけであります。例をあげますが、大学に置く学科目は省令で大体きめる、これは昭和三十九年のはずですが、また教育系大学教官定員削減計画を出す、かつまた、教員養成学部設置基準管理について、教育大学協会意見を無視して、大蔵省文部省教大協の一部幹部の合作で教員養成学部設置基準をつくって運営しておる。この基準が公開されておりません。大阪学芸大秋田大学学芸部は、これらの一連の攻勢に対して大学の自主的な立場と発展を要求してきたことは御存じだと思いますが、これに対して文部省は、学部名称を変更しなければ、大学新規予算については一切認めないという圧力をかけてこられた傾向があると私は見ております。大阪学芸大学については、教授会教員定数削減であるとか大学名称変更が保留になったら、いわゆる学長試案あるいは事務局長試案というものを出させるなどの方法をとってこられたように聞いております。最終的には、大学拡大のための条件として、大学院設置問題と引きかえにやられたというふうなことも聞いておるのでありますが、こういうふうな名称変更大学側がのまされたという傾向があるということを聞いておりますが、そういう関係は一体どうなんでしょう。
  10. 天城勲

    天城政府委員 従来、国立大学の中に、教員養成を主とする目的を持つ学部として教育学部ないしは学芸学部というものがございました。この教育学部学芸学部という名称も、実はたいへんややこしいのでございますが、文理学部を持っている大学の場合には、一般教育専門教育との関係文理教育で行なうために、教育学部という名称をとっておりましたし、文理学部を持ってないところを学芸と称しておりました。先ほど御指摘のございましたように、一般教育充実ということが非常に大きな課題になってまいりまして、文理学部改組が行なわれておる段階で、一つ大学教養部設置されまして、したがいまして、それと同時に教育学部性格文理学部とも教養部とも離れまして、独自の目的を持ったプロパー学部になってくるというような関連の過程もございました。そういうことで、教育学部名称をその学部目的性格に即した名前にこれをはっきりして、従来のように専門一般教育と、あるいは他学部とからみ合った姿ではなかなか管理の面も十分いかないということで、最も性格に即した名称にしようという話になったわけでございます。それで、こういう方向を出すことによって、大学教育としての広い一般教育がおろそかになって、狭い専門に追い込むんじゃないかという御批判もございましたけれども、実は大学全体の一般教育というのは、何学部であれ、工学部、農学部に進むにしろ、教育学部に進むにしろ、一般教育充実という一般的な基盤の上でやることになりますので、教養部設置等によって、むしろ各学部を共通して一般教育の拡充には努力いたしておるつもりでございます。したがいまして、教育学部目的性格に即した充実をするということは、決して狭い範囲に追い込むという意味では毛頭ございません。  それから、学科目制度化されていると申しますが、これは講座学科目全部につきまして同じ扱いをしておりまして、教員養成学部だけではございません。あらゆる分野につきまして、講座学科目というものは制度化しております。  それから、いまの教員養成学部基準が公表されないで、何か別に未公開でもってこういうものを運営しているというような御質問でございましたけれども、実はこれはまだできておるわけではございませんで、審議会で検討しておりますが、その間に、いろいろな方面からこれに関する意見が出ておるわけであります。確定したものがあるわけではございません。先ほど申しましたように、教育学部名称変更大学教養部設置あるいは教養部充実という、全体の中でいまやっておりますことに関して十分な御理解を得られないために、名称変更というものが非常に意図的な、何か教育学部というものを狭いものに追い込んでしまうんじゃないかという誤解もあったようでございますが、これは十分学校側と話をして、大半の意思がきまった段階でやろうということで、実は昨年もいたしましたけれども、いま御指摘大阪学芸大学あるいは秋田大学学芸学部のようになお学内でいろいろ議論があって、学内意思統一がなかったということで見送ってまいりまして、その後学内意思統一がされたので、この際名称を改めるということでお願いいたしておるわけでございます。
  11. 山崎始男

    山崎(始)委員 もう少し突っ込んでお尋ねしたいのですが、大臣のお時間やまた私のあと同僚議員がもう一人やるということでありますから先に進みますが、教員養成学部の卒業生の就職率、どれだけ教員に就職しておるのか、これはあとでよろしいが、資料を出していただきたいのです。私が聞いておりますのは、就職率があまりよくないと聞いております。大学名称だけを教育大または教育学部にすることに対しては、かなり問題があるんじゃないかと私は思うのですが、簡単でよろしいからひとつ……。
  12. 天城勲

    天城政府委員 資料は別途お出しいたしますが、いま大ざっぱに申しましても、昨年、一昨年を見ましても八八%ないし八六%でございまして、特に悪いという状況ではないと私ども考えております。
  13. 山崎始男

    山崎(始)委員 名称変更過程で、先ほどもちょっと触れましたが、大学院設置と取引をしたという事実があったのですかないのですか。
  14. 天城勲

    天城政府委員 大学院設置問題は全然別の観点でやっておりまして、これと関係はございません。
  15. 山崎始男

    山崎(始)委員 学大名称が全部教育大に変更されるのですが、東京学芸大学名称は依然学芸大学であります。これは矛盾しているのじゃないかという気がしますが、どうですか。
  16. 天城勲

    天城政府委員 御指摘のとおりでございます。ただ、東京学芸も、名称を変えようといたしますと東京教育大学になってしまいまして、教育大学というものが実はあるものでありますので、他に名称がないかといって大学も苦労しているのでございます。これはまことに別の理由でもってしばらく考えさせてくれというだけの理由でございまして、学部はすでに教育学部に直っております。候補の名前として三十ぐらいあげていろいろやったのでございますけれども、どうもいいのがないという、それだけの理由でございます。
  17. 山崎始男

    山崎(始)委員 東京学芸大に設置された大学院は、その後一体どうなっているのでしょうか。それから、大学院設置に伴う定員増はやったのですかどうですか。
  18. 天城勲

    天城政府委員 東京学芸大学教育養成大学としての初の修士課程が昨年度設置されまして、昨年度は理科、数学、英語、それに学校教育学という四つの柱で修士課程を設けたわけでございます。今年は引き続きまして国語と社会と音楽の専攻が増設されました。学生定員で申しますと、本年度のと合わせて全部で七十六名となりますが、大学としても、最初修士でございますので入学については非常に厳選をいたしておりまして、必ずしも定員どおりは現在入っているわけじゃございませんが、本来の定員の目標に向かいまして努力されているように承知いたしております。  大学院設置に伴う教官お話だったと思いますが、これは本来が現在の学部教官組織をもとにいたしまして、大学院設置するに足るだけの条件があるかどうかということが前提になって、大学院設置審査会審査した上で大学院設置を認めているわけでございますので、現在の定数のみならず、一人一人の担当教官大学院の指導にふさわしい教官であるかどうかという審査でございます。したがいまして、大学院設置前提が、その条件があるかどうかということでありますものですから、このために特に新しく定員増加ということはやっておりません。
  19. 山崎始男

    山崎(始)委員 こういうふうなお尋ねをする気持ちは、四十二年度の予算を見ますと、帯広畜産大学畜産学研究科ほか十一研究科を含むとして、予算では職員定数は全然ゼロですね。いわば窓口だけを広げて、子供を産みっぱなしにしておいて、それに対していろいろな育て上げる栄養素をやらない、いわば予算上の中身がまことにお粗末な傾向になっておる。いま申し上げました帯広畜産大学関係予算を見ましても、大学院設置をしておきながら教員定数はゼロだ、こういう現象、これは大臣ひとつ考えていただかなければいかぬと私は思うのですが、一体どうなんでしょうか。
  20. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 国立大学大学院設置考え方でございますが、大体その学部教授陣容を調査しまして、その学部教授陣容修士課程を置くにふさわしい力を持っておるということが審査されましてから、そこの大学大学院を置くという形をいままでずっととってまいったのでございまして、修士課程を置くために特別の教官定員の増をやるということは、ずっととってまいっていないのでございます。帯広の場合におきましても同様に、帯広畜産大学におきましては、その修士課程を置くに足るだけの学部教授力充実しておるという観点におきまして修士課程を認める、こういうことにいたしたわけでございます。
  21. 山崎始男

    山崎(始)委員 次に、東京工大理学部工学部分離の問題なんですが、一体なぜ分離されるのですか。
  22. 天城勲

    天城政府委員 御存じのとおり、東京工業大学は現在単科大学でございます。理工学部という大学でございますが、同時に四つ付置研究所を持っておりまして、教授助教授で三百八十九名でございますか、非常に膨大組織でございます。したがいまして、単科大学でございますのですべての運営教授会一本ということになりまして、教授会あり方の上で、従来から学内で非常に問題があったようでございます。端的に申しますと、非常に膨大で能率的にもぐあいの悪い点があるというようなことでございまして、かねて、この中身の上からいっても、大学教授会中心とした運営方法からいっても、工学部系統理学部系統に分けたほうが、研究所四つある関係運営がうまくいく。学部二つになりますれば、協議会制度もとれるしということで、これは全く大学側教授会運営事情中心でございまして、一面工学部理学部系統がそれぞれ充実してまいりますので、将来のことも考えて、単科大学で将来の拡大を考えていくとぐあいの悪いことが多いというお話がございまして、私たち大学実情から見て、そういうことが大学運営上いい、大学が非常に御要望されるなら取り上げようという考え方で、学部分離をいたしておるわけでございます。
  23. 山崎始男

    山崎(始)委員 その点、ちょっと私疑問なんですが、東京工大では従来理工学部として一本になっておりました。いわゆる基礎学科基礎科目である理学部とそれから応用科目である工学部と、これが一本になって統一的な研究教育がなされておったのですが、これを二つに分けた場合は、従来のような一本になって教育研究をやったというその姿が分断をされて、おのおのがセクト的になって切り離されてくるのではないかという心配があるのですが、その点どうでしょう。
  24. 天城勲

    天城政府委員 御指摘のとおり、東京工業大学は、新制大学発足以来あえてと申しますか、積極的に理工学部という名称をとって、おっしゃるように理学系統工学系統を一本にやるという理想で進んできたわけでございます。しかし、これは全体が小規模のときには運営上理想をそのまま実現できたようでございますけれども、最近の東京工業大学拡大も非常に著しいものがございまして、御指摘のような精神、考え方を決してくずすという意味でなくして、やはり全体をうまくするためにはパートパートが十分基本的な単位として充実し、動いていかないと、いきなり四百名近い教官で全体を運営しても、かえってその目的がうまくいかないという考え方中心のようでございます。工業大学としては、従来からねらっております基礎的な理学系統と応用的な工学系統を一本にして運営していきたい、研究もそういう線で進めていきたいといっておりまして、その考え方を変えたわけではございませんので、この学部分離することによって、御指摘のような弊害が起きないような運営上のくふうをいろいろいたしておることを承っております。
  25. 山崎始男

    山崎(始)委員 この東京工大学部分離というものは、全国的に、特に旧制大学工学部などに連鎖反応を起こすおそれはないかという問題なんですが、たとえば東大工学部では千人をこえる定員を擁しております。それから京都大学工学部でも、ここ二、三年来研究者が二倍になっております。こういう面から見て、この東京工大の場合の連鎖反応が私は心配だと思うのですが、その点はどうですか。
  26. 天城勲

    天城政府委員 確かに最近工学部が非常に膨大化いたしまして、お話のような大学では、むしろその規模の拡大に伴ういろいろな問題をかかえていることは事実でございます。ただ、東京工業大学の場合には、一つ大学、要するに工科系単科大学として、大学自身の持っておりますいろいろな運営上、それから逆に積極的に御指摘のねらいを遂げるために、学内運営組織として分けたほうがいいという考え方で出てきたわけでございます。東大とか京都の場合のように、総合大学の一学部としてある場合と若干事情が違うかと思っております。なお、基本的には工学部の例に見ますように、学部が非常に膨大になってまいりますと、これは単に工学部を割るという問題でなくして、工学部自身運営のしかた、大きくなった学部あり方という問題は、それ自身の問題として確かにあると私は思いますが、工大の問題がそのまま連鎖反応という形でいくとは私は考えておりません。
  27. 山崎始男

    山崎(始)委員 この学部分割によって、定員増は一体どんなになっておりますか。
  28. 天城勲

    天城政府委員 工大の場合には、教官学科はそのまま二つに分けるために、そのための増員はございません。ただ、事務組織が、学部になりますために二名の事務官増加があったわけでございます。
  29. 山崎始男

    山崎(始)委員 全く貧弱ですね。この大幅な定員増をしなくては、複数の学部制にたえられないのではないかという心配をするわけです。単科大学と違って複学部の場合、本部の事務機構充実学部事務機構新設などが予想されるのですが、人をふやさずこれをやるとすれば、教育研究人員から補充しなくてはならないですね。このことは、教育研究の人員不足、低下につながる問題だと思うのですが、一体どういうふうにお考えですか。
  30. 天城勲

    天城政府委員 工業大学の場合には、学部運営が、一つ学部ですべてやりますから非常に非能率になっているわけでございまして、それと先ほど来申したように研究所との関係もございますので、学部学部として二つに分けて適正な規模にしていこう、こういう考え方でございます。したがいまして、教育研究そのものにつきましては、従来の学科講座が両方に分かれるわけでございまして、それに伴う新しい仕事の量がふえるという状況ではないわけでございます。ただ、学部ができますために、学部運営上事務機構整備されなければならぬという点は仰せのとおりでございまして、従来とも、この大学は本部と、それから形の上では学部研究所という形になっておりましたが、その学部二つになりましても、全体としての運営はいままでとそう違わないわけでございます。ただ、内部で事務関係を、学部と本部と研究所と、どういうふうに配分するかという問題が新しく出てくるかと思いますが、それに伴います事務系の二名増員は、普通学部の他の例から見て不足する分を増強したわけでございまして、全体をどうするかということは、工業大学のかなり大きな所帯の中でごくふうがあることと思っております。
  31. 山崎始男

    山崎(始)委員 それなら次に、長崎大学の問題をお尋ねしますが、この風土病研究所の熱帯医学研究所への名称変更、この問題についてお尋ねしたいと思うのです。  長崎大学では、以前にベトナムに医療団を派遣したことがあるはずなんですが、その規模あるいは目的というものはどういうふうな様子でしたか、明らかにしていただきたい。
  32. 天城勲

    天城政府委員 ちょっといま私、記憶がございませんので、調べてから御返事いたします。
  33. 山崎始男

    山崎(始)委員 すぐに調べられますか。それが明らかでないと言われると困るのですが、私らが心配するのは、今回のこの法律で名称変更をされるのは、いま私が申し上げましたことと関連があるのじゃないかという疑いが起こってくるのですね。この点、ひとつ大臣どうお考えになりますか。
  34. 天城勲

    天城政府委員 風土病という名称は、普通一地方的な病気の研究という印象を与えておりますが、長崎の風研も、フィラリアその他地方病的なものを手がけておりましたけれども、最近マラリアとか日本脳炎、あるいはコレラなど、熱帯性の伝染病といわれるものが、何と申しますか、はやるというのですか、研究対象にしなければならぬということで、名称研究内容にぴったりさせるという意味で、風土病研究所を熱帯医学と改めたわけでございまして、研究内容の発展から出てきたのが今回の改正の趣旨でございます。
  35. 山崎始男

    山崎(始)委員 この熱帯医学研への名称変更ということは、従来の風土病の研究というものがおろそかになるんじゃないかという心配一つございます。その点と、また研究というきれいな名前のもとに、いまも申しましたように、今度は公然とベトナムであるとか、あるいは東南アジアのほうへ堂々と出ていく可能性が出てこないかという心配を私はしているのですが、その点はどうでしょう。これは特に大臣にお願いしたいのです。
  36. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は、日本が今日置かれている地位といたしまして、東南アジアと相提携いたしまして、また、東南アジアの未開発性を指導していくということは、やはり日本の一つの大きな使命だと思います。特に東南アジアにおきましては、医学的な問題についてはまだはるかにずっと後進性が強いのでございます。でございますから、日本の大学におきまして、東南アジアにおきまするこういう熱帯性の病気の研究ということを十分やっておくことは、むしろ積極的に日本の置かれておる地位として、東南アジアの指導者といたしまして、ぜひやらなければならぬ問題じゃないか。その風土病的なものに限られておりましたものを、長崎医科大学としましてはその研究の範囲を拡大して、東南アジアを対象とし、その熱帯病というものを研究していくというふうに、発展的に名称を変え、また研究内容を変えたものであると思いますし、日本といたしまして、大学といたしましての研究対象としてはきわめて妥当なものである、私はこう考えておるのでございます。
  37. 山崎始男

    山崎(始)委員 いまの大臣の御答弁は、平面的に申し上げますとそのとおりだと思うのです。ただ、私らが心配するのは、長崎医大が、かつてベトナムへ軍事医療団として行っておる学校なんですね。それが今回の名称変更によって——いまも平面的には、堂々と、将来の日本における立場と東南アジアとの関係というものから見れば、研究に出ていってもいいじゃないかというような意味の御答弁なんです。私が言うのは、平面的な問題じゃなくて、これが堂々と、今度は軍事的な問題に移行するおそれがあるかないかということを心配しておるが、その点、大臣、どうですか。
  38. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 いま調査いたしておりますから、詳細は私、存じませんけれども、ベトナムに行った事実のあるなしについては、はっきりと確認いたしておりません。しかし、私は、東南アジア全体に対します熱帯病の研究というのを直ちに軍事目的に結びつけて考えるようなことは必要ないし、また長崎大学といたしまして、そういったようなことは絶対にないと私は確信いたしております。
  39. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、大学の自主性の立場から、大臣いま御答弁になったと思うのですが、もし軍事的に行くようなことがあることは、大臣としては好ましいことか好ましくないことか、また、そういう軍事的に行くことは私の在任中絶対にやらさないという御約束ができるかどうかという点……。
  40. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 医療の問題でございますから、たとえば医療の対象といたしまして、たとえそれが戦争地帯に起こった病気でありましても、何も戦争の一方的な支援をするという意味でなしに、人類全体のための医療に対してやるというような目的でやるのは少しも差しつかえないじゃないか、また、おそらく大学でそういう研究をやっております場合において、一方に軍事目的を援助するというような意味でなしに、全人類の医療の関係、人命尊重の意味から医療に当たるという意味合いにおきましては、私は大学において研究の対象にしていいんじゃないかと思っております。また、長崎大学は、この一方だけの軍事目的を援助するためにそういったようなものに参加することは、今後あり得ないと思いますし、また私どもとしましては、そういうことのないように大学とも十分話をしてまいりたいと存じております。
  41. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、時間がありませんので私のほうから、いま大臣のおっしゃったことを要約して再確認しますが、軍事目的に行くようなことはないと思うが、もしそういうことがあるならば、大臣として、文部省として好ましくないから、そのような方向はとらさないつもりだというふうに解釈できるのですか。イエスですか、ノーですか。
  42. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 イエスです。
  43. 床次徳二

    床次委員長 川村継義君。
  44. 川村継義

    ○川村委員 時間がありませんから、いろいろお尋ねするわけにはまいりませんが、ひとつはっきりとお答え願いたい。  今度のこの法律案の提案理由の趣旨を見ますと、何ページですか、「第四は、大阪大学医療技術短期大学部の新設についてであります。」こう書いてある。そして、「従来、看護婦、衛生検査技師、診療エックス線技師等の養成は、その大部分が各種学校において行なわれてきております」云々と書いて、「これら技術者の資質の向上が関係各方面から強く要望されてまいった」のでありますから短期大学をつくる、こういう趣旨説明をしておる。そこで、さっさと答弁してくださいよ。看護婦養成の国立の数、それからいわゆる各種学校の数——それでは、国立の大学にある看護婦の養成所だけ言ってください。数だけでいいです。名前は要らぬ。
  45. 天城勲

    天城政府委員 看護婦の養成施設、文部省の所管のものも、厚生省所管のものも、私立も全部含めまして現在二百九十二であります。
  46. 川村継義

    ○川村委員 それでは衛生検査技師の養成所、それからエックス線技師養成所、これを国立と厚生省所管に分けて……。
  47. 天城勲

    天城政府委員 衛生検査技師関係でございますが、学校数として文部省所管二十二、厚生省所管二十七、合計四十九校であります。それから診療エックス線技師の養成機関でございますが、文部省所管十一、厚生省所管十、合計二十一ございます。
  48. 川村継義

    ○川村委員 最後のものは私の調べたのと数が合うが、前のは違うようだが、まあいいでしょう。この次に機会があれば聞きます。  それで、今度この大阪大学に短期大学をつくるというのですが、「資質の向上が」と書いてある。短期大学は修業年限二年でしょう。
  49. 天城勲

    天城政府委員 この場合は三年制の短期大学でございます。
  50. 川村継義

    ○川村委員 今度併設されるものは、これは三年制になるわけですか。わかりました。  それでは、いま大阪大学の医学部の附属衛生検査技師学校、同じく大阪大学学部の診療エックス線技師学校、これはどうなるのですか。
  51. 天城勲

    天城政府委員 これらを母体にして短大にいたしますので、今後各種学校は廃止いたします。短大で行ないます。
  52. 川村継義

    ○川村委員 この各種学校は、二つあるものはなくすのですか。
  53. 天城勲

    天城政府委員 さようでございます。
  54. 川村継義

    ○川村委員 その手続はどこでとりますか。
  55. 天城勲

    天城政府委員 一ぺんに廃止するわけではございませんで、短大ができて、まだその間存続しますが、年次計画でこっちが完成した段階で廃止いたそうと思っております。
  56. 川村継義

    ○川村委員 いろいろとやりとりはしませんからね。そこで、大部分が各種学校で行なわれている。資質の向上が要求される。今度のものが三年間となると、なるほどよくわかりました。いままでは、衛生検査のほうもエックス線技師のほうも、これはみな二年でしたね。ところが、こういう文章を見ると、各種学校でやっているものはどうも資質が悪い、大学にくっつけたほうが、文部省の所管にしたほうがいい、こういう印象を受けるんですね。今度の大阪のものは三年にするといえば、それを考えて三年間の修業年限にしようというわけですから、それだけ研修を深めていくということになると思います。その場合、皆さん方は厚生省とどういう話をしておるかわかりませんが、もうこれについてはとやかく申しませんが、看護婦の問題にしても、衛生検査技師の問題にしても、エックス線技師の問題にしても、やはり免許のあり方とか国家試験——看護婦なんかは県でやっておるのです。そういうものもありますね。非常に複雑多岐である。免許のあり方とか国家試験のあり方とか、そういうものを厚生省あたりと、もう少し合理化するということを話し合ったことはありますか。
  57. 天城勲

    天城政府委員 一般に医療技術者の養成の問題は、資格との関連もございまして、現状非常に複雑になっております。しかし、全体としてこの教育充実して医療技術者の素質の向上をはかるということが、日本の医学の向上のために非常に要望されてきておりますが、私たち、需給関係ということも一方にございますのと、それから技術者の養成でございますから、すべてが学校制度でなければならぬという前提をとっておりませんが、たとえば看護婦の養成にいたしましても、准看は准看の養成機関がございますが、最近、御存じのとおり、女子の高等学校への進学率との関係で高等学校に看護科ができ始めまして、これが非常な勢いで伸びております。そういう意味で、私たち学校教育になり得るもの、またなる希望のあるものは、やはりその道を開く必要があるのじゃないかと思っております。短期大学にいたしますと、もちろん資質の向上ということをねらっておりますが、同時に、やはり大学教育としての教養もこれにプラスしていける、御本人の将来のいろんなことを考えると、こういう道もやはり必要ではないか、こう考えているわけでございます。  なお、厚生省とのことにつきましては、前々からいろいろお話を進めておりまして、いま非常に複雑になっておる現状については、私たちも、できるだけ合理的な方向にいくことを望んでおるわけでございます。
  58. 川村継義

    ○川村委員 今日こういう技術者の皆さん方の養成が非常に必要だということはわかりますが、ただ、私がこれまで知り得る実態からすると、かりに衛生検査とか診療放射線の技師さんを三年課程にする、そうすると、やはり当然卒業後の待遇ということも考えなければならぬ、あるいは就職という問題を考えなければならぬ。もちろん、大阪で一校、こういう修業年限の技師養成ができたからといって、私はそれが就職に困難だなどと考えませんけれども、全般的に見ると、なぜ今日、このエックス線や衛生検査のこういう非常に高度な要求があるのに三年制というものを考えないかと今日まで主張してきたところが、三年制にするとまず待遇が問題になる、そうすると就職に大きな影響を及ぼす、こういうことで、今日までずっと二年できているわけです。ところが今日では、私も、やはり二年では不足するのではないか、こういうことを考えておったのです。そういう点もやはり十分検討していただきませんと、せっかくこういう一つ方向、方針がきまっても問題になる。  それから、私がもう皆さん方の前でいろいろ言う必要はないけれども、看護婦の養成の問題でも幾つかやり方がある。衛生検査技師にしても、エックス線の技師にしても、試験はこうだ、免許はこうだ、もう行政事務の問題からきて、幾つかの問題がからんでおる。これはここでは論議すべきことじゃないけれども、臨調の問題、地方制度調査会の問題等も御存じのとおりである。そういう問題等もやはり関係省できちっと話し合って筋道を立てる、こういうととろに努力をしていただきたい。時間がありませんからいろいろ一問一答しませんけれども、それが一つ。  それから、もう一つ大臣にお尋ねしておきますが、今度商船高等専門学校ができる、以前から工業専門ができたということは、言うならば今日まで、教育基本法に基づいて人間形成一つの学制というものは六・三・三・四だ、こういう考え方発足した。それが全然動かしてはならぬものだということは、私も実は考えない。考えないけれども、何かなしくずしにこういう複線型をつくるということは、やはり文部当局としてはよほど慎重でなければならぬのではないか。こういうような検討を加えるにあたっては、大きな立場からたくさんの衆知を集めて、学制全般について検討を加える必要があると私は思うのです。今度商船高専ができて、複線型的なものが追加されることになるわけであります。  そこで、時間がありませんからいろいろ聞きませんが、文部大臣に、学制改革についてあなたの構想というものをちょっと聞いておきたいと思う。つまり六・三・三制を堅持せよという世論もある。しかし、これは時代の趨勢に応じて再検討すべきだという世論もある。特に皆さん方の立場から、文部当局の立場から、この前の中村さんの時代でしたか、中村さんが、就業年齢の引き下げであるとか中学を四年制にするとかいうようなことから口火を切ったわけでありますけれども、その後この前の大臣、有田さんも何かそういうような改革の意向を示しておる。総理大臣もそういうことを言っておる。ところが今日あなたも、大臣も近いうちに中央教育審議会に学制改革のことを諮問しようと用意をしておるということを漏れ聞いておるわけです。そこで、あなたが今度中央教育審議会に学制改革について諮問をされようというあなたの構想——ぼくたちが聞くところによると、剱木さんは義務教育の就業年齢を引き下げるのには反対だとか、大学教育をりっぱにしなければいかぬとか、こういうことを言っておられるとか聞いておるのですけれども、ひとつあなたの構想を聞いておきたいと思います。
  59. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 高専制を設けますときに一番論議になりましたのは、六・三制を日本が採用いたしますときに学制の単一化ということが一つの大きな目標でありました。それで、その学制からそれました新しい制度をつくることはどうかという意見が非常に強うございまして、この点について非常に論議されたことは事実でございます。ただ、現在の産業界の実情から申しまして、高等学校と短期大学を合わせました一貫した技術者養成計画の必要性というものが要望されまして、高専制度ができたわけでございます。それに加えまして、今度主として外国航路に当たります船員の養成について商船高等専門学校制度の要望が強うございまして、これは国立の五つを高専制に直すのでありますから他に大きな影響はないので、一応この国会にお願いをいたしておるのでございます。  そこで、高専制を今後どのように持っていくかという問題は、今後のさしあたりの一つの問題点だと思います。しかし、これは私ども、どの範囲にこれをやるかということで十分研究してまいりたいと存じます。  それから学制全体の問題でございますが、私は、いまにわかに学制改革というものを打ち出して、この学制改革をいかにすべきかということの諮問をいたすという考え方は持っておりません。しかし、日本の戦後二十年、なお今後急激に社会情勢が進展してまいると思いますので、これが社会的な一つの要望で、現代の学制について改革を必要とするという時代が来ることを予想しなければならないと私は思うのでございます。そういう意味合いにおきまして、将来のそういう問題に対処する意味におきまして、長期的視野において現代の学制をいかに拡充するかという意味におきまして、学制全体にわたる視野から研究、検討を開始するときが来ておると思うのであります。したがいまして、幼児教育についてこれを延長することに私が反対だとか、あるいは大学の問題とかいうことでなしに、全部の学制につきまして、現段階の六・三制の現に置かれております位置を確実に把握すると同時に、これに対していかなる場合におきましても対処し得るような状態に研究、討議を始めるときが来ておる、これを開始したいと私は考えておるのでございます。
  60. 川村継義

    ○川村委員 いま工業高専、商船高専、農業高専という要望が非常に出ておる。これは早急に考えるのかどうか、これをちょっと簡単に、はっきり言っていただきたい。
  61. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 高専の範囲をいかにすべきかということは、実は今度の予算で検討する経費を計上いたさせていただいております。予算が通過いたしますれば、この工業高専を将来拡大するのがいいか、あるいは拡大するといたしますればどの程度にいたすべきか、これをひとつ検討したいと考えております。
  62. 川村継義

    ○川村委員 山崎さんから時間をいただいて、たいへん時間が短くて残念ですが、いまの学制改革の問題はまたいずれ御意見を伺うことにして、最後に、この法律は六月一日施行となっている。そこで、それまでに通過させねばならぬ。もしも通過しないときにはどうなるのか、どうするのか。これを私は心配しているのですよ。そこで、実はいろいろ御意見を聞きたいが、時間がないから、私はここで重大なる提案をする。これは委員長はじめ理事さん各位で十分御検討願いたい。というのは——もちろん簡単に、私がこういうことを聞いたら、それは附則を公布の日に改めるというような御返答があるかと思うけれども、重大なる問題がある。それは、一番大事な母法であるところの学校教育法を、実は高専の問題で改正をしてない。これは手落ちじゃないか。なぜこういう法律を出すときに、あわせて教育法の改正を提案しないか。私は、この法律の表題の文句まで、それを入れて改正しなさいとは言いません。いろいろ御意見を聞きなければならぬが、時間がないから……。決して私は文部省の横着を許さない。  そこで、私が提案するのは、附則の第一項、二項、三項、四項を譲りなさい。そして附則の第一に、学校教育法の一部を次のごとく改正する。第七十条の三に「工業及び商船」ということばを入れる。第七十条の四に、工業高等専門学校の修業年限は五年、商船高等専門学校の修業年限は五年六カ月とする。そして附則を一つ譲る。この修正を附則の中の一項に入れなさい。そうすると、これが完全に整う。大事な学校教育法を——二、三日うちに施行しようというのに、それをしかも説明資料の中には、これは提案中でありますなんてうそばかり言っていて、こういう出し方はいけませんよ。よその各省の法律を見てごらんなさい。たいてい関係法律は附則で改正して、整えて持ってくる。これは国会審議を軽視すると言ってもいいのですよ。そこで、私は、きょう午前中に採決の約束があるのだそうですけれども、これはやはり一応理事さん方で委員長のもとに話をしてもらって——悪いことじゃないのだ、正しいことなんだから、話をして修正をする、これを強く私は要求したい。でなければ、かりにここを通過しても、そのまま国会は簡単に承認できないという重大問題を含んでおる。教育法を、まず附則の中にこの改正部分を入れなさい。これが大事な問題であります。これは国会審議の一番大事な問題です。これを私は強く委員長はじめ皆さん方に——ここには自民党のりっぱな国会対策の幹部の方々がおられますから……。これは間違いないのだ。これだけをやらなければ、かりに六月一日施行がずれた場合には、教育法違反の法律が通っているということになる。こういうことになれば、剱木さんがいつも言っておるように、特に法律を大事にする文部省としては、これは許されない。これを強く私は要求するのですよ。よろしゅうございますね。でなければいけない。時間がありませんからもう一問一答しませんが、ぜひひとつこれは相談してもらいたい。委員長、お願いします。
  63. 床次徳二

    床次委員長 この際、暫時休憩いたしまして、五時より委員会を再開いたします。    午前十一時二十九分休憩      ————◇—————    午後五時九分開議
  64. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。山崎始男君。
  65. 山崎始男

    山崎(始)委員 ちょっとベトナム派遣の問題で、午前中に私が要求しました資料がわかったそうで、大学局長のほうから最初にひとつ御報告願いたいと思います。
  66. 天城勲

    天城政府委員 午前中に長崎大学の熱帯医学研究所の問題に関連して御質問のございました、この研究所からベトナムの現地に行ったのではないかという問題でございますが、昭和三十九年の八月から十二月にかけまして、財団法人で東南アジア文化友好協会という団体がございまして、この協会が外務省の依頼を受けまして、ベトナム共和国に対する民生安定救援事業の一環として派遣されたのでございますが、その中に加わった医療団として、長崎大学のお医者さんが四名、看護婦が二名の六名でございます。この東南アジア文化友好協会が行なった仕事は、ベトナムへ医療品、薬品、医療機械等を送り、あわせて現地で診療をするということでございます。したがいまして、長崎大学から行きました者は、先ほどの研究所の者ではございませんで、大学の医者の方でございますが、現地で診療に当たり、あわせて熱帯病の調査、研究を実施したというのが実情でございます。
  67. 山崎始男

    山崎(始)委員 それでは午前中に引き続きましてお尋ねいたしますが、いまの長崎大学のほうからベトナムへの医療団としての派遣、これはある程度わかりました。それで、この問題も時間があればお尋ねしたいと思いますけれども、もう時間があまりありませんので、一応御報告だけで了承しておきます。  それでは次に、引き続いて前の続きを申し上げますが、どう申しますか、文部省の施策というものを見ておりますと、ややもすると長期の展望というものが欠けておるのではないかという気がするのであります。たとえて言いますと、三十六年に強行されました臨時工業教員養成所が、ついに昨年から学生の募集をやめたはずです。また、この養成所の卒業生は、工業教員になる員数というものは半分以下だというふうに聞いておるのであります。現に、東京都あたりでは、この卒業生は工業教員として一名も採っていない、こういう点が出ておるのであります。したがって、昭和三十六年にこういう学校を、子供を産んだことは産んだのでありますが、産みっぱなしでとうとう野たれ死にをした、学生募集をやめた、これは私は、文部行政の施策に長期の展望というものが欠けておったのではないか、文教政策とすれば明らかに非常な失敗をしていらっしゃるのではないかと思うのです。そういう意味からいいまして、今回の設置法に基づく学部新設であるとか、あるいは大学名称の変更の問題、こういうものも、はたしていま一つの例で申し上げましたような長期の展望に立って、責任のある行政というものに対して見通しを持っていらっしゃるのかどうかということを非常に心配するわけです。  そこで、結論的な質問としましては、臨時工業教員養成所の制度というものは、いまも言いますような状態でありますが、このこと自体は成功とは私は言えないと思うのですが、文部大臣は、これは明らかに失敗だとお認めになるのかどうかということが一点と、今回の設置法に基づいて間口を広げた、広げたが、このような失敗をしないような長期の展望計画というものがほんとうに確立されておるのかどうか、これは予算面からも、あらゆる面からも言えると思うのでありますが、その点を二つに分けて御答弁願いたいと思います。
  68. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 三年制の工業教員養成所をつくりましたのは三十六年でございますか、工業教員養成所の姿としましても、私どもつくる前から完全なものとは考えておりませんでした。ただ、当時、急速に科学技術者養成という社会的な要請が非常に急増いたしまして、このために工業関係技術者の高等学校を急増しなければならぬ。ところが、それに対しまする一般の経済界の事情その他から、その工業教員を充足することができないという状況でございましたので、これは臨時に工業教員養成所という形をとりまして、各大学にその養成機関をつくったのでございます。今日におきましては、大体その工業教員の養成も、順調に普通の大学を出た者から充当することができるような状態になりましたので、これはもともと臨時につくったものでございますから、これはことしをもって今後廃止の方向に向かってまいるということでございます。もちろん、この制度自体がよかったとは思いません。しかし、あの当時の工業教員を急増いたすという形におきましては、やむを得ない措置であったと思います。  なお、文部省の行政そのものに対しまして、長期的視野において計画がないのではないかというおしかりを受ける点も多々あるかと思います。でございますので、私といたしましては、やはり文教行政につきましても、今後長期的な視野に立ちまして一定の計画を持たなければならぬ、こういう意味におきまして、この学制の問題を含めまして、今後とも、たとえば大学につきましても、ただいま私立大学であるとか、国立大学も同じでございますが、各地域に大学新設を認めておるわけでございますが、これらもやはり地域的及び社会事情その他を考えまして、もう少し長期的な計画性を持たなければいかぬ、こういうふうに考えまして、その方向に向かいまして今後努力してまいりたいと考えております。
  69. 山崎始男

    山崎(始)委員 次に、大阪大学の医療技術の短大設置について、午前中に川村委員から御質問がありました。私もこれは質問しようと思っておったのですが、川村委員がせっかく御質問になった。しかし、時間の関係で川村委員は言いっぱなしのかっこうなんです。そこで、一点だけこの問題は、川村委員にかわって私はお尋ねしたいと思うのですが、結局川村委員のお尋ねになりたかった要点というものは、看護婦の養成をするところと現在の養成所との関連は一体どうかという問題ではないかと思うのです。言いかえますと、このことによって看護婦養成制度が複線のコースになる。一方は厚生省の養成所になり、他方は文部省関係になってくる。この矛盾は一体どうするかというところが、川村委員が尋ねたかった要点じゃないかと私は思うのですが、そういうふうな矛盾というもの、その矛盾が実現しますといろいろなまた派生的な問題が起こってきます。短大の看護婦と養成所卒業の看護婦は、そこに差別待遇を受ける場面も出てくるんじゃないかというような派生的な問題、いろいろな問題が起こると思うのですが、この点についてどういうふうな御見解を持っておられますか。
  70. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 大阪大学につくりました医療短大でございますが、これは最近におきます診療におきまして、医療技術者と申しますか、お医者さん以外の医療技術者が、その程度といいますか、技術が相当機械化され、高度化されてまいりまして、その素質も、相当高い素質が質的に要求されてまいったことは一面事実でございます。また一面、医療機関におきまして、たとえば看護婦等の数的な関係におきましてなかなか充足ができない。いわゆるこの数の需要という問題が一つ大きくあるわけでございます。そこで、私ども医療短大をつくりましたのは、その質的な面におきまして現代の要請に即応する形におきまして、この大阪に三つを合わせまして一つの短大をつくったわけでございますが、これは質的な関係を——ここでこう申し上げるとあれでございますが、一種のテストケースと申しますか、これがうまくまいりますれば、だんだんこういう程度の高いものに移行していく。しかし、これはいろいろ収容とか社会的待遇とか、いろいろな問題がございますものですから、これをいま急激に全面的につくることは危険でございますので、一応テストケースとしてこれをつくりました。  それから、看護婦制度につきまして、いま確かに、厚生省その他とも二重、三重になりまして非常に複雑な傾向にございますが、ただいまのところは、やはり文部省も厚生省も養成するのに数的充足に一生懸命でございまして、なおその制度一つにまとめてそろえるという状態には立ち至っておりません。しかしながら、将来におきましては、必ず看護婦制度というものにつきまして厚生省とも十分打ち合わせをいたしまして、一つの統一ある制度にまで持っていかなければならぬ、そういうふうに考えておる次第でございます。
  71. 山崎始男

    山崎(始)委員 そうしますと、いまのお話を要約しますと、将来厚生省とも十分話し合いをして、そうして矛盾の起こらないような一本の姿に持っていきたいということ、と同時に、文部当局としては、いまの文部大臣お話では、いま大阪にだけそういうような短大の制度を今度の法律の改正で置くのだが、将来は、看護婦養成のものを全部大阪と同じように短大に持っていきたい、いまは暫定措置なんだ、こういうふうに解釈してよろしいわけでしょうか。
  72. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 いまも申しましたように、一つのテストケースとして私ども試みにやっておるのでございますが、日本の将来の医療の発展に伴いまして、やはり医療技術者の資格が向上していかなきゃならぬという面から申しますと、だんだんこういうふうなものが要求されてまいると思います。ただ、それは、急速にこういうふうに全部一気に変えるというわけにはいかぬと思いますが、私ども、理想としてはやっぱり漸次高い養成機関にまでいくべきではなかろうか、かように考えております。
  73. 山崎始男

    山崎(始)委員 東京の教育大学の移転の問題についてお尋ねしたいのですが、これは今回の法律に、直接法文の上にはございませんが、内容的には非常に関連のある問題だと私は思っております。まず、そういう立場からお尋ねするのですが、文部省では、本年の五月中までに筑波に移転するかどうかということを返答せいというような要請を大学当局へ出されておるやに聞いておるのでありますが、一体、この移転という大事業をやるのでありますから、それに対する文部省とすれば基本的なマスタープランというものがあるかどうか、お尋ねしたいと思います。
  74. 宮地茂

    ○宮地政府委員 御質問が二点でございますが、前段の教育大学が筑波山に移転するということにつきまして、五月までに回答をせよということを文部省が言ったかどうか、これは私のほうは申しておりません。ただ、筑波山ろくに研究学園都市ができますが、これにつきましては、教育大学自身が三十七、八年ころから現在敷地が狭隘でございますし、現在あります学部充実するためにも、もうこれ以上充実の余地がないほど敷地が狭うございます。そういうことで、筑波山ろくの問題が起こります前から、移転について、たとえば八王子とかあるいは東松山市といったようなところを、いろいろ学内で物色しておられたようでございます。そういうときに研究学園都市の問題が起こりまして、文部省といたしましては、各地を物色しておられるという教育大学に対しまして、研究学園都市はこういう構想のようだから、どうですかという意味でおすすめしたことはございます。それから後連絡は保っておりますが、五月までに云々というような日限を限ってこのことは申しておりません。  それから筑波山の研究学園都市につきましては、大学といたしましては、一応いま申し上げましたようなことで、教育大学が一番可能性があるというふうには考えておりますが、整地がまだその他に広くございますので、いろいろな研究所等につきましてもある程度できることなら、適当な場所でございますので、移転あるいは今後新設するにはそこへといったような計画は持っております。
  75. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、期限はまだ切ったことはないとおっしゃることが一点ですね。それについてお尋ねいたしますが、現在の移転問題に対して、大学当局の賛否の問題は一体どういうふうな様子でしょうか。
  76. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 実は期限は限ってはおりませんけれども、しかし、向こうのほうの都市計画、建設計画の問題もございますし、あまり予定をされませんと、筑波山ろくのほうの土地の使用区分とか、そういう問題にも影響してまいります。それから移転いたしますならば、大学にできるだけ適当な土地を選ぶということも必要でございますので、私としては、学長ともお話ししまして、きめられるならひとつ早くきめたほうがいいじゃなかろうかということを御相談申し上げておりまして、最近に至りまして大体大学の意向もわかってまいりまして、大学当局と私とよくお話し合いをしまして、また私どもの今後の建設いたしまする協力態勢でございますか、これに対しまして御納得がいきますならばおそらく移転に決定していただけるだろう、その条件も、まあ私たちはたいして御無理な条件ではないと考えておりますので、移転にはっきり御決定が願えるものとただいま期待をいたしておるわけでございます。
  77. 山崎始男

    山崎(始)委員 かなり賛否の両論があるやに私どもは聞いておるのですが、大体いまの大臣お話では、見通しは明るい見通しだと言われるわけなんですが、私たち心配いたしますのは、ややもすると文部省が、大学問題について今朝もお尋ねしましたが、昨年度でしたか、大阪の学芸大学の問題、るるうわさが飛んでおります。と同じように、筑波山ろくへのいまの東京教育大学の移転の問題も——官房長いらっしゃいますか。おられなければけっこうです。時間もあまりありませんので。昨年の十月ごろに各大学から陳情か何かに行ったときに、教育大学の移転の問題を早くやれ、やらなければ予算をつけてやらぬぞ、とは言わなかったのですが、予算で締めつけるごとき印象を与える言辞を言われておるということを聞いておるのです。それで、これはわれわれの立場からいえば明らかに大学自治の侵害であり、同時にまた、このような予算上で締めつけるぞという、いわば圧力といいますか、こういう例は、教育大学ばかりでなくて、いままでに方々で実際にあったはずなんです。こういう点は、私は、非常に改めてもらわなければいけないと思うわけです。移転を条件予算を云々ということばは、そのときの官房長の一言一句は私もある程度聞いておりますけれども、官房長はいらっしゃらぬので私と論争するわけにいかないのですが、教育大学だけにそういうことを云々されるという反面に、東京工大の場合なんかは、現存のキャンパスとは別に、五万坪ばかりの土地をたしかつけていらっしゃるはずなんです。ただ教育大学だけに移転をやれやれと言われる点がちょっとふに落ちないのですが、どうでしょう。
  78. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは管理局長から先ほど申されましたように、教育大学自体、いまあそこの、小石川のあの地帯は非常に狭隘でございまして、付属学校を除きますと、本学のほうは非常に発展性がないところでございますので、大学自体がどこかに移転したい。これはもう大学自体の御要望でございまして、それで今度ちょうどいい場所がありますから、筑波山ろくにどうだということでお話が進んでおるわけでございますが、ただ、これだけは予算を削るとかつけないとかいうことでございませんで、永久建築を移転をするという予定のところに、これは押えるとかなんとかいうことでなしに、やはり大蔵省におきましても、移転するという将来の予定があるならば、現地にこういう永久建築は無理じゃないかというようなことは、全国にもそういう例がたくさんございます。しかし、私どもとしては、だからといって教育大学予算を押えつけて、そして移転を促進するとかそういうことは——官房長がどういうことを言ったか知りませんけれども、私、責任を持って部下には言わせません。また、そういうことは絶対にないと御承知願いたいと思います。
  79. 山崎始男

    山崎(始)委員 いまの大臣の御答弁の、責任を持って自分は厳重にそういうことはさせない、ぜひこれは実行していただきたい。  東京教育大学が、昔から高師あるいは文理大という教員養成の上で示してきた長い伝統といいますか、そういうようなものの役割りが、筑波へ移転をして間口がうんと広がると、従来の伝統的なものが性格の変わったものになるのじゃないかというおそれが出てくるのですね。そうして従来の東京教育大学でやっていたその役割りというものを、今度東京学芸大学教育大学にお変えになった場合、その学芸大学が今度教育大学になったときに、いまの伝統のある役割りというものをそのほうに与えて、そうして筑波へかわった新しい教育大半は、性格の違ったものになるのじゃないかというおそれが出てくるのですが、この点は一体どうでしょうか。
  80. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 おそらく大学当局と私との話し合いの重点も、そういったような問題に触れるのじゃないかと私、想像をいたしております。いままでの教育大学という形以外のものを何か大学当局でお考えになっておるのじゃなかろうかと思います。これはひとつ、私どもと大学とじっくり話してまいりたいと現在思っております。
  81. 山崎始男

    山崎(始)委員 それで、筑波へかりにかわった場合に、いま一点、非常に大切な問題で心配になる問題がありますことは、大学における研究教育は、他の学問や産業との関連の中で行なわれるのじゃないかと思うのです。したがって、ただ形だけが筑波へ行って大きくなるというだけで、内容充実しない。言いかえますならば、東京都みたいなところに大学があるというと、あらゆる産業の研究機関、あるいは自己の大学以外の大学研究機関というもので相互に研究し会うことができるわけです。そうすると、筑波へ行ったときに、そういう面から言いますと、非常に研究の分野が狭くなってくるおそれが出てくるのです。したがって、現に名古屋あたりの大学教授あたりでも、東京に住居を置いて、名古屋へ通勤していらっしゃるような人が相当あるはずなんですが、それはやはり東京都という、いろんな産業なり各大学なり、他の研究所というものが利用できるというところに、私はそういう現象が出ておるのだと思うのです。したがって、筑波へかりに行ったといたしましても、学者的な研究的な良心の上からいうと、私はそういう悩みは多分に持たれるのじゃないかと思うのです。  そこで、これは一つの例なんですが、そういうことはなるほどそうだとおっしゃるなら、筑波へ行った暁には、各大学の先生方に自動車でも一台ずつ与えて、東京までやってきて研究機関へ行かれるぐらいな配慮がなければ、ただ筑波へ行った、間口は広がった、学校の敷地は大きいわ、こういうような逆に中身はからっぽ——からっぽと言っては語弊がありますが、お粗末な内容になるおそれが多分に出てくる。こういう点について、一体大臣はどういうふうにお考えでしょうか。
  82. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 まあそれは筑波へ参りますれば、やはり都市計画としまして、あらゆる交通機関が東京との間に近接する状態ができると思います。しかし、教育大学の場合を考えますと、私は——これは私個人の考えをこういうところで申し上げて相すみませんけれども、大学がずっと東京を離れまして筑波に移転するという一つ意味は、東京の過密化を多少防ぐという意味があると思います。そういう意味におきまして、大学が立ち去ったあとに相当稠密な人口を必要とするような施設をつくるということは、大学が移転することの矛盾になるのじゃなかろうかと思います。また一面、大学自体から申しましても、あそこには付属機関がございますので、付属の学校がございます。これは筑波に持っていくわけにはまいりませんので、あそこに残します。残さなければならぬと思います。と同時に、ただいま先生がおっしゃいましたように、筑波に参りますと同時に、やはり東京の中におりまして、何と申しますか、東京の雰囲気の中でいろいろな研究に接触する体制を持つということは、やはり教育大学としては非常に必要なことじゃなかろうか。こういう意味から申しまして、あの現地はわずかな土地でございますので、私どもとしては、教育大学の希望があるかどうかわかりませんけれども、希望がございますならば、ある程度研究機関的なものは現地に残して差し上げたい。これは今後話し合いで進めていく問題でございますが、これは立ちのくにつきましては、教育大学にそれくらいはして差し上げなければいけないじゃないかと思っております。
  83. 山崎始男

    山崎(始)委員 教育大学の問題で、時間がありませんからもうあと一点だけお尋ねしますが、かりに移転をするといえば、これは個人の家でも同じことなんですが、やはり生活問題というものが必ず関連してくる。まして個人と違って大きな大学ですから、相当の人数の人がいらっしゃる。行ったために、生活上の問題は相当考慮を払っていただかぬといけない問題が、私はたくさんあるだろうと想像するのです。そういうとき、大臣はどういうふうな御決意、お気持ちを持っていらっしゃいますか。
  84. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これはせっかく広範なあの地域に参るのでございますから、たとえば住宅問題とかその他教授の問題、あるいはまた学生の寮とか、そういったような問題につきましては十分計画を進めまして、移転をしてきたことが後悔されるような状態には絶対持っていきたくないと考えております。
  85. 山崎始男

    山崎(始)委員 それでは、いろいろ質問したいのですが、非常に大切な問題もあるのですけれども、時間がありませんので、一点だけ、これは資料要求いたしておきます。  文部省昭和四十二年度の予算参照表というものがあるはずなんですよ。これをあとでけっこうですが、ひとつお願い申し上げたいのです。この点、ひとつ委員長からぜひ要求していただきたい。
  86. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは各省で予算を編成いたしますときに、相当広範な参照表をつくっておりますが、私はいまお聞きしておるところでは、これは国会にいままで資料としてお出ししたことがないと実は思っておるのでございます。何も秘密書類じゃございませんから、出すのはあれでございますが、しかしまあ非常に事務的なこまかいことを積算の基礎で書いておりますので、それでまた数を、印刷とかそういうことになりますと、こういうことを申し上げて悪いのですが、先生がもし御参考に御必要でございますれば、先生に差し上げるのはひとつも差しつかえないと思いますが、資料として全部これをここで皆さんにお配りするというのは、もう予算の説明なんか終わりまして、いわば省としましては不要になりかかったものでございますから、あらためてここで作成するというのはちょっとあれだと思いますので、お許し願いたいと思います。
  87. 山崎始男

    山崎(始)委員 国立学校予算参照表、いまの大臣お話しのように、多数の人間にはまた刷らなければならぬから、また一点は、いまだかつて他の省でも出したことがない、しかし、これは必ずしも秘密書類でないんだから、要求をいたしました私だけなら資料があるから出してもいいとおっしゃったように承ったのですが、他の委員さんから文句が出なければ私だけでもよろしゅうございますから、一部、あとでけっこうでございますから、お願い申し上げたいと思います。出していただけますれば、もうこれで私は質問をやめます。予算上のことで私はあとまだたくさん質問したいことがあるのです。実際言ったら。だから、その資料をひとつお願いいたします。それで私はもうこれでやめます。
  88. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ごらんに入れるようにいたしますから……。
  89. 床次徳二

    床次委員長 本案についての質疑はこれにて終了いたしました。     —————————————
  90. 床次徳二

    床次委員長 ただいま委員長の手元に、八木徹雄君外三名より、自由民主党、日本社会党、民主社会党及び公明党の四派共同提案にかかる本案に対する修正案が提出されております。
  91. 床次徳二

    床次委員長 提出者から趣旨の説明を聴取いたします。長谷川正三君。
  92. 長谷川正三

    ○長谷川(正)委員 私は、自由民主党、日本社会党、民主社会党及び公明党を代表して、修正案について御説明申し上げます。  案文につきましては、すでにお手元に配付されておりますので、朗読を省略させていただきます。  本修正案は、附則におきまして学校教育法の一部を改正しようとするものでありまして、高等専門学校に工業に関する学科のほか商船に関する学科を置くことができるものとし、その修業年限を五年六カ月とするものであります。  何とぞ委員各位の御賛成をお願いいたします。(拍手)
  93. 床次徳二

    床次委員長 これにて修正案の趣旨の説明は終わりました。     —————————————
  94. 床次徳二

    床次委員長 これより本案及び修正案について討論に入るのでありますが、別に討論の申し出もありませんので、直ちに採決いたします。  まず、八木徹雄君外三名提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  95. 床次徳二

    床次委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除いて原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  96. 床次徳二

    床次委員長 起立総員。よって、本案は修正議決いたしました。  本案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  97. 床次徳二

    床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  98. 床次徳二

    床次委員長 次に、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  学術研究に関する件の調査のため、脳研究に関する問題について参考人から意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  99. 床次徳二

    床次委員長 御異議なしと認め、さように決しました。  なお、日時及び人選につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  100. 床次徳二

    床次委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  次回は、明後二十六日、金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十九分散会