運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1967-05-17 第55回国会 衆議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年五月十七日(水曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 菊池 義郎君 理事 久保田藤麿君    理事 坂田 道太君 理事 八木 徹雄君    理事 小林 信一君 理事 長谷川正三君       木村 武雄君    久野 忠治君       河野 洋平君    竹下  登君       中村 寅太君    葉梨 信行君       広川シズエ君   三ツ林弥太郎君       唐橋  東君    川村 継義君       小松  幹君    斉藤 正男君       平等 文成君    三木 喜夫君       山崎 始男君    吉田 賢一君       有島 重武君    山田 太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  出席政府委員         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部省初等中等         教育局長    齋藤  正君         文部省大学学術         局長      天城  勲君  委員外出席者         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 五月十七日  札幌オリンピック冬季大会準備等のために必  要な特別措置に関する法律案内閣提出第一二  四号)(予) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出第四〇号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 過去三回ほどの本委員会におきまして、四月四日に私から文部大臣に対しまして日教組文部省との話し合い中央交渉ということばを私が使ったのに対しまして、そのことばについてたいへん文部大臣はこだわっておられたようでありますが、名前は中央交渉であろうと話し合いであろうと、どちらでもいいのですけれども、この問題につきまして質問を申し上げました。その後参議院議事録を見ますと、四月十八日にも小林武委員鈴木力委員からそれぞれ御質問があったようでございます。さらに、四月の十九日にまた本委員会におきまして、再度斉藤正男委員から質問がございました。さらに、五月の九日に参議院鈴木力委員がさらにこの点についていろいろ御質問を申し上げ、剱木文部大臣のこの問題に対する態度表明をいただいておるわけでありますが、これらを読んでみまして、私はわが国の今後の文部行政というものに対して非常に大きい危惧を感じますので、この際、さらにこの点にわたりまして御質問を申し上げたいと思います。  剱木文部大臣としては、原則的には日本教師教育の第一線にありまして日夜日本の青少年と接し、教育仕事に当たっております教師ほんとう話し合いたい、またその集団代表にもいろいろ現場要求というようなものも聞きたい、そういう切なる文教行政責任者としての御真情の吐露も一面にありまして、私はその点については大いに敬意を表し、ぜひそのお気持ちを具体的にあらわしていただきたいということを再三申し上げてきたところであります。また、私、長い間東京都の教員組合仕事に携わっておりまして、戦後、日教組の結成以来の歩みにつきましてはかなり詳しくその経過を承知しておるつもりであります。身をもって体験をしてまいっております。この間におきまして、剱木文部大臣がかつて文部次官であられましたころ、やはり日教組文部省との間ではいろいろと折衝が続けられたことがあったと記憶しておりますし、当時の剱木文部次官日教組に対する御態度がいつもきわめて誠実であり、誠心誠意を持って教員代表と会われ、重要な問題には、ときにはみずから教組の本部までかけつけてきてお話をなさるというような事態も、私はこの目で見ておるのであります。そういうことを考えますと、どうして今日、中村文部大臣当時のお話し合いの際に出された三つの強い要望というものを、いつの間にか、まるで日教組文部省話し合いの絶対条件とすりかえるかのような態度でこの会見を拒否されておる、こういうことにつきましてはどうしても納得がまいらないのであります。前回斉藤委員からもるるこの点について訴えられ、ごく素朴に考えましても、国民の皆さんが、教育の衝に当たっている現場教師の最も大きな集団である日教組代表文部大臣とがなぜ胸襟を開いて話し合おうとしないのか、この点については非常な疑問を持ち、また、何とかこれがスムーズに進んで日本教育が、文部行政当局現場教師相携えて日本教育向上のために力を尽くし合うというようなうるわしい関係が樹立できないのかということを強く要望しているというこの国民の意向、この背景から考えましても、どうしてもこの問題は、何かそこに剱木文部大臣自身の純粋なお考え以上に政治的な背景、これが政府・自民党のどういう御方針から出てきておるのか、私どもには十分了解ができないのでありますけれども、何かそこには大きな誤解が横たわっているのではないか、あるいはためにする人々がいるかいないかわかりませんが、そういう方々の横やりと申しますか、そういうようなものが、この国民の待望に対して制約をなしているのではないか。こういうような感じがしてならないのでございます。したがいまして、もう一度文部大臣に率直に——私もまだしろうとではございますけれども、国会に入りまして四年目になり、いろいろ政治的な背景というようなこともわからないではありませんので、あるいは率直に申し上げて剱木文部大臣にその御真情をそのまま吐露せよということが、この席では無理なのかというようなことも考えないではないのでありますけれども、しかし、日本教育を愛するという立場から、やはり文教最高責任者としての文部大臣でありますから、どうぞひとつ信念を持ちまして、その点についての御所見をもう一度聞かしていただきたいと思うのでございます。
  4. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 日教組との会見の問題でございますが、昨日も参議院でございましたが、繰り返しお尋ねをいただいておるわけでございます。結論的に申しますれば、終始一貫、私の立場として、現段階におきましてはまだお話し合いをする状態ではない、こう申し続けてまいっておるわけでございます。実は終戦直後一番大きな問題でございましたのは、もうこれは十分御承知だとは思いますけれども終戦までに至りまする小学校より、地方教育公務員でございます教師待遇は非常に特殊の給与でございまして、これは現職の場合は極端に悪かったのでございます。そこで、終戦と同時に公務員としての給与を改定いたします場合において、少なくとも一般公務員と同列に持っていかなければならないという、文部省としては大きな課題に迫られたのでございます。その当時にいわゆる日教組がだんだん成立をいたしまして、給与改定につきましてのいろいろ団体的行動をなさいました。このときにおきましては、私ども、いわゆる文部省課題日教組の唱えております給与改善の問題とは全く同一の問題を背負ったのでございまして、その当時においては、私自身率直に日教組と全く一面で言えば共闘と申しますか、共同的に行動いたしました時代がございます。そうしてようやくにして一般公務員の列にまでは給与を持っていくことができたのでございますが、またその後、私次官をいたしますまでに、一時は日教組との労働協約を結ぶとか、そういったような時代もございまして、交渉の直接の衝にずっと当たってまいりました。その間において、私自身としましては、日教組の諸君と私との間に対立的な気持ちは全くなかったと申し上げていいと存じます。  ところが、それが、その後の日教組のある時期におきまして、私はやはり、日教組教員団体といたしましてその勤務条件改善という問題について話し合いをいたすということであるならば、これは私どももそういう問題についてはずっと共同の目的を持っておるものだと考えますので、十分御意見を承らなければならない問題だと思いますが、日教組話し合いその他の過程におきまして、だんだんと政治的な意図を持ってまいられたようでございます。話におきましても、相当私は給与改定とか勤務条件という問題以外に、政治的な性格をずっと帯びてきたことは否定できない事実だと思います。そういうようなことになりまして、私は文部省を去り、今日までの段階において、だんだんと文部省日教組との間に不信感が醸成されていったのが今日までの傾向だと思います。  私はもちろん初めから関係をいたしておりましたし、またお互い同士胸襟を開いて、特に私どもとしましても、教育公務員たる日教組組合員でございます各教師方々待遇改善し、また、教育環境をよくしてまいるということは、当然文部大臣責任でございますので、そういう問題につきまして現場の声は十分聞きたいというのは現在も持っておるわけでございます。ただ、先ほど申し上げましたように、相当これは政治的な転向をいたしますし、歴代の文部大臣日教組とのいきさつが歴史的にいままで続いてまいっておるのでございまして、中村文部大臣のときには、御承知のように数回お会いをいたしましたけれども、その後だんだんとこれが続けていくという状況でなしに、とだえるような状態になってまいりました。また、私の前任者である有田文部大臣のときには、全くこれはお会いできなかったという事情でございます。その有田大臣のときにお会いできなかったという事情は、私が大臣になりましても全く同じ、同一状況で今日にまいっておるのでございます。実は現在青森日教組大会が行なわれておるのでございますが、大会のいろいろな問題につきまして、私は非常な関心を持って見守っておるわけでございまして、日教組の行き方について何らかわれわれが近づき得るような状態に、私ども努力しますが、日教組の側のほうもそういう状態に近づいてくるということを実は熱望いたしまして、じっと見守っておるわけでございます。まあ三条件ということをかたくなに私どもが言っておるようでございますけれども、しかし、その三条件が全部法律的にどうだとか、そういう問題は別にしまして、やはり教育者として教育中立性を保ち、また法律を守っていく、この精神を子供たちに教えるのでございますから、ひとつ日教組がそういう立場に、態度に一日も早くなっていただきたい。そういたしますならば、教育者のために、教育者現状をよくするために文部大臣としては当然仕事をしていかなければなりませんので、対立的な気持ちでなしに、お互いに手を握って日本教育のために尽くしたい、これが私の念願でございます。でございますから、今日まで会わないのは、党から圧力を受けておるとか、そういう問題ではございません。ただ文部省としての、大臣としてのいままでのいきさつから、私のときになって、その条件がまだ成就していないにかかわらず、私が前任者意図に反しまして単独の行動ということは、これはやはり一つ行政責任者としまして避けなければならぬ。ただ、一日も早く会える日がくることを実は念願をいたしておる次第でございます。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ただいま大臣からたいへん真情を吐露された御答弁でありまして、一日も早く日教組代表とも胸襟を開いて教育の問題について語り合うような日を待望している、熱望しているというお話でございまして、この点は、私重ねて敬意を表するわけでありますが、しかし、にもかかわらず今日、いまのお話では、現在開かれております日教組全国大会青森市で開催中のこの大会でどういうような日教組方針なり態度なりが打ち出されるかということを見守り、その結果いかんによっては、何とか会うような道が開けてくることを熱望しておる、こういうふうに御答弁されたように解釈いたしたわけであります。お気持ちはわかりますが、日教組大会に具体的にどういうことを望まれておるのか、その点がはっきりしないわけでありますけれども、その点についてもう少し突っ込んだお考えをひとつお伺いしたいと思います。
  6. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は、まだ会議模様について新聞で承知しているだけでございまして、内容については詳しく存じておりません。ただしかし、今度の大会で、たとえば宿日直の問題でございますとか、超過勤務の問題でございますとか、いろいろな問題が論議されるとは思いますが、その日教組大会において、昨年も行なわれたことでございますが、闘争方針と申しますか、によって、昨年行なわれましたような、いわゆる実力行使のようなことを今度の大会では決定をしないでいただきたい。もしそういうことになりましたら、それだけでも日教組としましてはだいぶ変わってくると思うのでございまして、相変わらず何月には一斉ストライキに移るとか、そういったような強硬な運動方針決定するということになりますと、どうも私ども残念でなりません。どうかこの大会でだんだん日教組も変わってきたという態度を示してほしいということで、実はその大会模様を見守っておるわけでございます。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまのお答えは、私はお気持ちはわからないではないけれども、むしろ失望をせざるを得ないのです。と申しますのは、確かに今日の法律のもとで、日教組についていろいろ組合運動としての制限があることは、これは私どもよく承知しております。しかし、これは、本来完全な保障制度というものが確立しておって、しかもそれが正常に運営されておって、初めて公務員に対する労働運動の諸制限というものが、正当な理由づけがなされると思うのでありますけれども、残念ながら現在の段階では必ずしもそういっておらない。したがって、本来公務員にも憲法が保障しております労働幕本権というものを与え、その上で事態が円満に解決するように努力されるということのほうが、本質的に私は正しいと考えております。しかし、いまの法律がある以上、それを無視するということを私は申し上げるわけではありません。しかしながら、日教組以外の他の公務員関係なり公労協関係労働組合におきましても、それぞれ御承知のような一定の制限を、それが正しいか正しくないかはひとまずおくといたしまして、受けておることは事実であります。しかしながら、問題はその制限に見合う保障措置というものが完全に行なわれるか行なわれないかの度合いによって、労働連動としては多少、何と申しますか、雇用主関係から法律を見れば、これは違反だといって行政処分対象等にいつもなさっておるような事態が、どの労働組合にもあらわれておることは御承知のとおりであります。だから、交渉の窓口を一切閉ざすというようなことになっている労働組合なりその監督官庁なりというものが、日教組文部省関係以外には全然ないということも、これまた事実であります。そしてむしろ、そういういわゆる管理者側から言いますと、違法措置だといって処分等はなさるのでありますけれども、しかし、できればそういうことのないように、誠意を尽くして、なるべく交渉段階で、あるいは制度的に調停の段階で、最悪の場合は仲裁裁定というような制度があるほうはそれでやっておりますが、公労協のほうの場合など考えますと、特にことしなどの傾向は、民間におきましても、非常に当事者同士話し合いで、それ以上の第三者機関になるべく世話にならずに解決していこうというような趨勢が見られておりまして、これは公務員関係におきましても、ある意味国民としては非常に喜ぶべき、ことしの紛争が未然に防げるという方向で問題の処理がなされているというこの趨勢は、文部大臣も御承知だと思うのであります。したがいまして、たとえば昨年の一〇・二一の問題にいたしましても、宿日直なりあるいは警備員制度問題等、いま全国教職員が切実に要望している問題について、何とかこれを実行してもらいたいという、その運動背景として、大臣のお考えから見ればあるいは違法というふうに考えられるかもしれませんが、まっこうから違法のストライキというようなことでなしに、今日の法律制度のもとにおいても、最大限の解釈によれば法律的にも違反でないという理由のつけられる範囲行動で何とかこの意思をあらわそう、こういうような方向で、いま日教組大会は論議が進められておると私は思うのであります。そういうものについて、もし決定があった場合に、いまのような御答弁でありますと、逆にますます日教組とは話し合いをしないということの前提条件をここで固めてしまうようなふうにさえ私には受け取れますし、また、組合としての自由な討議に対しまして、何かこの大会中に雇用主権力側として一つ牽制球を送っているような、そういう印象にすらこれはとられるのでありまして、そういう意味では、これはまことに重大なことだとも考えるのでありますけれども、そういう意味で私は、今日の労働運動現状、大きな意味の常識、そういう中に立って、一々そういうことにこだわるのではなくて、むしろそうであればあるほど、何とかそういうことが未然に防げるように、その強い要望というものを踏まえて、むしろその実現に向って大臣先頭に立ってがんばっている、そういう行動の中から教員大衆ほんとうに身をもって説得する、そういう形があらわれてくるのが私は正しいと思うのです。大臣の御見解はいかがですか。
  8. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私どもは、さきにも申しましたように、現場教師勤務条件なり環境を整備するとか、そういった問題につきましては、当然の私どもの責務だと考えております。したがいまして、たとえば宿日直の問題、あるいは超過勤務の問題につきましても、ただいま勤務実態調査のすでに集計に入っておるのでございますが、これに基づきまして、私ども誠意を持ってこの問題を解決したいと思っております。結論としてどういう結論が出るかは、いまにわかには申し上げるわけにはいきませんけれども、しかし、これは日教組闘争体制を整えて、あるいは実力行使によって私どもがそれを聞くとかということでなしに、日教組の切実な御要望は十分私どもにもわかっておるわけでございますから、私どもはそれを受けるとか受けぬとかいうことより以上に、先生方勤務をよくするという意味からいいまして、当然にこの問題は私どもの解決すべき問題だ、それを考えておるのでございまして、ただいま、見守っておるということで大会を牽制するとかいうような、私もそれを承って、あるいはそういうことになってはと思いまして、そういう気持ちは毛頭ございませんということだけは、ひとつ御了承願いたいと思います。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま私が、牽制球になるのではないかということは、私も、大臣意図がそうでないということは信じております。ただ、社会的な現象としては、そういう結果を招き得るという心配をちょっといたしたものですから、あえて御指摘を申し上げたのであります。しかし、いまそのことにはそれ以上こだわろうとは思いません。  ただ、いま大臣がおっしゃったような誠意と、ほんとう文部省あげての努力をする、あるいは政府としても努力をするという姿勢があるならば、日教組がどういう強い要望についてきめても、それは何ら心配することはないと思うのです。そういうものをぶつけていけば、私は問題は解決すると思うのです。それから、何か強い要望を決議されるから、それによって文部省が動かされてやったんではないかということが心外である、そういうことばは使われませんが、そんなことがなくても当然文部省はやるべきことはやっているんだ、こういう、いまお話だったと思うのですが、しかし、やはり大きな社会の動的な動きを考えたならば、六十万からの現場教師の強い要望が、一つの強い形をとってあらわれるという、そのことを何にも押えることもないし、またこれに妙なひが目を使うこともない。すなおにそれを受けて、よし心配するな、おまえたち、とにかく政府は当然の努力をしておるんだから、進んでこれを実行するという方向に力をかせばよろしいのであって、何かこれが対立的な力によってこれが押されて、一城でも落とされたかのような印象をもしお持ちとすれば、これはとんでもない考え違いだ。むしろそういう教職員の強い意思、動向というようなものを十分国民の世論として、さらにこれを広げさして、そしてこれが一日も早く理想の形に実現するように、文部大臣としては先頭に立って御努力をなされればいいことであって、また、そのことが忌まわしい事態が起きない一番正しい解決の道だ、私はこういうふうに考えるわけでありまして、大臣もおそらくそうお考えだと思いますが、ただ、いま御答弁の中に、日教組一つ決定をするとか、態度表明をすることによって何かやるのはまことに心外だというか、そういうようなニュアンスのおことばがありましたので、その点についてもう一度、念のためにひとつお気持ちをただしておきたいと思います。
  10. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 もちろん、日教組大会で強い要望を決議しますとか、そういうことをいたしますのは、これはけっこうだと思います。むしろそうしていただきたいと思います。ただ、それを獲得する意味におきまして、その手段として実力行使決定するということ、また、法規違反行為大会で決議するということはこの際避けてほしい、これを申し上げておるわけでございます。
  11. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 実力行使実力行使とおっしゃるのですが、いまだかつて日教組——ああいう法律を不当だと腹の中で思っておりましても、法律はできておりますので、できれば憲法に保障された労働基本権というものは、公務員といえども全部許されるべきだ。また、世界の全体を見渡しましても、そういう制限を受けていない教職員がたくさんおるわけでありますから、これは本質的には納得していないにしても、しかし、現にある法律をまっこうから無視するというような考えは、だれ一人教職員は持っておらないと思います。いまの法の解釈範囲のぎりぎりで、とにかくじっとしていてはやってくれないのですから、何らかの意思表示をしたい。この切なる気持ちはむしろ積極的にくみ上げていただいて、そういう無理をしてまで、ぎりぎりの解釈でこれが合法的な手段最高表現方法である。一週間も十日も学校ストライキでストップさして、全く文字どおり教育に停滞を来たす、そういったようなことは一度も日教組はやったことはないと思います。もう日常茶飯事のように何か行事がある、やれお祭りがある。間には今度、天皇がこの県に来県される、こういうようなときになれば、たちまち半日や一日の授業は、変更をしてやるということは日常茶飯事に行なわれておる。そういうものと、それ以下の程度のことしか、いままでもやってきていないはずです。そういうことをたいへん違法の行為のように、まるで鬼の首を取ったようにして、いたずらに罪人をつくるというような方向に力が入ってしまって、その本質的な要求というものをどうくみ上げて、ほんとう教育向上方向に向かってするかというところに力を入れないとすれば、これは本末転倒である。もちろん、いまの制度、機構の中で行政的立場についての一つの処置をとられるというようなことについて、私ども全然わからないわけではありませんけれども、しかし、それ以上に大事なことは、ほんとう教育をよくするために教師が何を望んでいるか、国民が何を望んでいるか、これをはっしと受けとめて、その実現に向かって努力することを通して教育の正常な関係を打ち立てる、これが私は本来のあるべき姿だと思いますが、その点について大臣にもう一度、ひとつ理解のある御答弁をお願いしたい。
  12. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 御要望の点を決議をもってされたりすることは、私は十分尊重してまいりたいと思いますが、ただ、学校行事の中で、ほかのいろいろな行事があるからと、そういう理由でやはり法律にきめられました禁止された事項をあえてやるというところに問題があると思うのでございまして、これはやはり教師として、特に子供を預かっておられる先生方が、法律違反行為をしてもいいんだというようなことは、教育上にも大きな影響を及ぼしますので、この点はぜひひとつそういう態度に出ないように熱望してやみません。
  13. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これは水かけ論になるかもしれませんが、正当防衛というのがあるんですね。これは私が申し上げるまでもないと思うのですが、身に危険を感じたときに相手を傷つけたり、場合によっては殺すというようなことが起こり得ても、その場の全体の状況判断から、不当な危険な状態にさらされたような場合には、これは有罪としないということがあります。お笑いになる方もありますけれども、一〇・二一のことを考えますと、この公務員制度ができまして十何年にわたって、特に労働基本権の幾つかが制限された代償として人事院ができまして、そしてその勧告もまことに必ずしも公正だとは私ども考えていない低いものだと思いますが、それでもそれを認めるとしましても、いままで一度もそれを完全に実施しなかった。それが十何年重なって、一人にすれば十万円も十五万円も不当に盗まれたことと同じだ、こういうようなことがだんだんわかってきた場合に、しかも相変わらず、ただ法律だ、法律だでやられたんでは私はかなわない。それが一〇・二一のような行動になったと思います。このことは、私はそのこと自身はちっとも歓迎もいたしませんし、たいへんめでたいことだとは思いません。思いませんが、そういう事態にしてしまったということについて、為政者が一番責任を感じないで、どうして問題の本質的な解決があり得ましょうか。聖徳太子のことばに、上下相争うときはおおむねあしきこと上にありとありますが、私は近ごろの公務員労働運動に対する紛争を見るたびに、この聖徳太子のことばを思い出し、非常に痛切に感ずるのです。それは日教組にも全然欠陥がないとは決して申しません。ときには行き過ぎもあるでしょうし、たとえば交渉のしかたにも、私どももあまり感心しないような事実もあります。けれども、それはそれといたしまして、大きな筋から見ますならば、これはやはり政府側のほうで、そういう事態が起こらないように未然に十分の処置をとるという方向での努力の欠除こそ、私はまず第一に反省さるべきなんであって、それは責任を感じていると思いますけれども、それはただ口先だけであって、それで実際は起こった結果に対してだけ、いまの法律だけをたてにして責める。こういう行き万は本質的な解決にならない。あふれてくる洪水を、ただ土のうを幾つか積んで防ごうとしておるにすぎないんで、もっと本質的に川の流れが正しく流れるようにしない限りは、そういうびほう的なことは本質的な解決にはならない。むしろ悪い方向に内向していくとさえ心配されるのであります。教育界の中に、私は、不明朗なうっせきされた不満をいつも持ちながらこれも明らかに表現できない、こういうようなじめじめとして空気が教育界を支配するということほど、民族の将来にとっておそるべきことはないと考えるのであります。もっと学校の先生たちが、伸び伸びと言いたいことを言い、そうして教育上の問題につきましても思い切った研究をどんどんやっていける、そういうような体制をつくらなければいけないし、生活についてもできるだけ最小限度の、心配をさせないような方向に持っていかなければならないと思うのですけれども、そういう点に多々欠くるところがありながら、一方に責めるばかりで、しかもその代表とも会わないというようなことでは、私は日本文教行政として、まことにこれではお粗末と言わざるを得ないのではないか。剱木文部大臣の御答弁から、私は、大臣個人の御心情なり誠意というものについては決してこれを疑わないものでありますけれども、いま私が申し上げたような立場から——もちろんいまの法律に照らして、これは取り締まらなければならないという場面もそれは起こるでしょう。しかし、おのずからその問題の所在のとらえ方によってその処し方というものは違いますし、また、その誠意が、お互い教師文部省との間の血の通った関係と申しますか、そういったものが生まれてくるような処置のしかたというものはあるはずだ。そういうふうに文部大臣文部行政を持っていくべきだ、こういうふうに考えるのでありますけれども、この問題につきましてはこれ以上は平行線になりそうでありますから、あえて答弁を求めないことにして、次の問題に移りたいと思います。  それは、ただいまは日教組大会に関連しまして、いわゆる実力行使問題についてお話がありましたから、この問題については憲法との関係等についてももっと掘り下げた議論をしたいところでありますが、あとの質問者も控えておりますから、本日のところはこれで一応打ち切りまして、日教組の倫理綱領に関しまして、これまた前回の議事録を見ますと、大臣は非常に思い切った発言をされておるのであります。その点につきましてしばらくお尋ねをしたいと思います。  一つは、日教組の倫理綱領について、「唯物史観に立ったマルクス的な考え方であるということだけは否定できない。」ときめつけていますね。十九日の本委員会における斉藤委員質問に対する大臣の御答弁の中で、そうおっしゃっています。また、その前には、「現日本の社会とは違った一つの社会的変革を意味することをその倫理綱領の中にうたってあることは事実でございます。」こういう断定をされておるのであります。それからさらに、その前に、「日教組教師としまして、その対象となる生徒、児童に対しまして、その目的を達成するように教育をいたすことが教師の倫理綱領の中に書いてある。」こういうふうなことも言っております。これらはそういうふうにきめつけていいものか。これは非常に重要な問題で、これは倫理綱領の逐条にわたって討論しませんと明らかにならないと思いますが、いやしくも一国の文部大臣が、日教組というれっきとした団体の倫理綱領に対して、こういうきめつけを公式の委員会の席でなさった以上は、その責任はまことに大きいと思うのであります。そういう意味におきまして、これはどうしてもほんとうに明らかにしていただかなければならないと考えます。しかし、その内容論に入る前に、第一に、日教組という一つ団体の綱領というようなものを、これは大衆的な討議の上にできたものだと考えるのでありますが、それについて文部大臣がとやかく言うということが許されるのかどうか。意見を述べることは当然自由でありましょうけれども、それを理由に会う会わないの一つの基準にする、これはいけないことだとか、こうきめつけること自体が許されるのかどうか。もう一歩割りますと、それでは個人がどういう思想を持ち、信条を持とうとも、それについて、おまえはこういう思想を持っているから、したがって教師にしておけない、教師としての資格がない、こう言うようなこと、この考え方を進めますとそこへ行き着くと思うのでありますが、そういうことは憲法の精神と全く背馳した、非常に危険な独断が文部行政の中にあらわれてくるきざしのように思えてなりません。この教師の思想、信条の自由ということ、そして日教組の倫理綱領というもの、これ自身が完全なものではないでしょう。あるいは時代の進歩に伴ってさらにその修正なり、あるいはさらに豊富な内容の加除なり、そういうことが行なわれることは今後もあり得ると思いますが、それをとにかく文部大臣の側からこういうふうな言い方で、しかも公式の席できめつけるということは、私は非常に問題があると思いますが、これにつきまして大臣の御所見をもう一回ただしたいと思います。
  14. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 中村文部大臣が当時政府と労働団体との複合的な会議を開きましたときに、日教組に対します文部大臣としましての考え方を率直に述べまして善処方を期待した文書がございますが、その文書の中に、「倫理綱領及び解説について」といたしまして、「日教組教師の倫理綱領とその解説は、わが国の現実の社会体制を根本的に変革することを基本理念としていると考える」、これははっきりそういうことばを述べておるのでございます。私が先般、委員会でございましたか、倫理綱領をつくりましたのは、マルクス主義、唯物史観に基づいてつくったと自分は解釈する、こういうことをはっきり申し上げました。ただ、そのときに私が申し上げましたのは、文部大臣もこれは手渡しをいたしておるのでございます。それから私もそのときに、もしそうでないと言われるなら、これは唯物史観なりマルクス主義的考え方で起草されたのじゃないとおっしゃるなら、そうでないという理由を私の納得するように御説明いただければ、私のその前言は取り消します。だが、それを取り消さない限り、私どもははっきりと、それはそう解釈をいたしておりますということを申し上げたのでございます。これは中村文部大臣がやはりお渡しをいたしまして、私もいままで何らこれに対します反駁的な反対理由はお述べになっていないと聞いておる。でございますから、一応はお渡ししましたものを、これは公式にお渡しした書類でございますが、日教組としてもお認めになっていると私は解釈いたしておるのでございます。
  15. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま、中村文部大臣日教組に手渡された文書をお読み上げになりました。中村文部大臣日教組との話し合いの中で、中村文部大臣がこう考えるがどうかということをおっしゃったのであって、それについて日教組が返事をいま、していないということでありますが、これは日教組が認めたということであるのか、そういうことは本来大臣から言われる筋でないという意味であるのか、その点は私はまだつまびらかにいたしておりませんが、後ほどよく調べてまいりたいと思いますけれども、それはそれとして対等の御議論だからいいと思う。ただ、私が問題にしておるのは、衆議院文教委員会の席で、大臣が、日教組はかくかくの団体であるときめつけた発言をされたということは重大だということを申し上げている。その点について、いかがですか。
  16. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 でございますから、私はそう解釈いたしております。ですから、それでないということでございましたら、反対理由をあげましてこれは解明していただきたい。私は、この倫理綱領をつくりますあのときの社会情勢及び時の情勢をずっと存じております。それで、そのときに、倫理綱領の成立過程におきまして、そういう基礎的な考え方に立ってこれはつくられたものと、いまでもはっきりそれを信じております。そうでないという御趣旨ならば、それを私は、はっきり反証をあげてひとつ納得させていただきたい。
  17. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私は、これには二つの議論があると思うのです。一つは、倫理綱領が唯物史観、マルクス主義に立つものであるかどうかという議論を客観的、学問的にする議論があります。だから、いいとか悪いとかということは別であります。もう一つは、よしんばマルクシズムであろうと何であろうと、あるいは公明党さんがお考えになっておる日蓮宗の教義のお考えで人生や政治や社会をごらんになっていこうとする一つ立場もあるでしょう。そういうようないろんな思想があると思いますが、そういうもののどれかであってはいけないということを文部大臣はどうして言えるのですか。
  18. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 倫理綱領はそういう立場に立っておる、これは一つの全国民の思想でないことだけはおわかりいただけるものと思います。でございますから、日教組が唯物史観に立った倫理綱領をお持ちになるということをとやかく申し上げる権限は私にはない。また申し上げる筋でもない。ただ、そういうことが望ましくないとは考えております。だが、お持ちになること自体を私どもがやめろとか、そう言う権限はない。ただ、この考え方をもって日本の青少年を教育をしなければならない、そういう考え方に日本の青年を育成しなければならないということが、この倫理綱領に明確に書いてあります。これを私どもは申し上げるのであって、先生が一つの自分の思想を持つことは自由であるかもしれませんが、教育は全国民のためにあるべきことで、自分の思想を子供たちを育成する目標に持っていくという倫理綱領の規定が、私ども教育を守る者としまして、全国民のための教育であるということを守る限りにおきましては、こういう倫理綱領で実施されては困るということを申すのは当然だし、また私ども責任であると考えております。
  19. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 ちょっといまの御答弁一つの飛躍があると私は思います。前段に、倫理綱領を一つ団体としてどうお持ちになろうと、それは自主的にお持ちになることだから、それを云々するということは私のやるべき権限ではない、これは明確におっしゃっておる。しかし、その内容をもって教育すると書いてあるからいけないのだ。これは、あくまで教師教師という職業で具体的に教育をする場合に、文部省なりあるいは国の方針なりに出てきておる方針を無視して、何かそういう教育教育の中に実際持ち込むということを書いてあるかのごとく解釈しておるところに私は大きい飛躍があると思う。これはお互い一つのグループをつくり、組織をつくり、その中の精神、ある場合にお互いに人生の態度としてそういうことを申し合わせているのであって、職業的に一つ仕事として教職にある場合に、それをごっちゃにするようなことは何ら倫理綱領の中に書いておらないのであります。ここに公明党の方もいらっしゃいますが、公明党の方々は、一つの教義信条を持たれてそれを一貫して人生のあらゆるものを処理されていると思うのです。学校教師にもたくさんいらっしゃるでしょう。しかし、そういう個人の人生態度と、実際に教室で子供に学習をする場合の学習の内容を混同しているわけではないのです。これは、そこは明確にしておるところであります。  実は一九五三年、昭和二十八年ですか、ウィーンで初めて戦後世界教員会議というのが開かれました。いろんな組織がありますが、組織の違いを乗り越えて全世界の教師教員組合を中心にして集まって、いろいろ戦後の教育問題を討議し、お互い教師の身分や地位、待遇向上、そして大きくは世界の平和に寄与するような教育お互いに進めるようにしようという話し合いが持たれたわけであります。第一回世界教員会議に、私は日本代表団の一員として参加する機会を得まして、そこでいろいろ討論をいたしました。そして、そのときは草案にとどめまして、その翌年のモスクワの会議におきまして、世界教員憲章というものがきめられております。その世界教員憲章の討議を私がウィーンの会議でやったときも、私たいへん感銘を持って今日記憶しているのは、この教員憲章の小委員会に出席をいたしまして、各国代表と討論いたしました。そのときに、教師がその基本的人権を守られる一番の要件として第一にうたったことは何か、それは、教師が自分の思想、信条というものを絶対に子供に押しつけない、このことをきちっと確立している限りにおいては、教師は一切の政治的、思想的自由を確保されなければならない。これは第一条に書かれ、一番討論したところであります。私は非常な感銘を持ってこの討論に参加しており、それはそのとおり文字にも表現されているのであります。これは世界教員憲章のことでありまして、日教組の倫理綱領のことではございませんけれども、こういうことなんです。世界教員憲章の第二条に、「教師の権利は性別、人権、皮膚の色によって差別されない。また、かれがいかなるときにも自分の信念と意見とを子どもにおしつけさえしなければ、かれ自身の信念と意見とによって差別されることはない。」こう書かれております。このことは、いやしくも今日の教員養成制度の中で、大学を出て教師になっておる者の常識であります。しかし、同時に教員組合をつくり、そしてお互いの生活を守り、また日本の前途というもの、あるいは世界の前途というものに、お互い教師仲間として話し合う中で、こういう態度お互いに生きようということを申し合わせてもこれは一向差しつかえないことである。その中に誤りがあれば、それは、教師事態か何十万の英知の中からそれを絶えず改変をし、修正をし、もっと豊富に実らしていくべきものでありまして、これは行政当局がとやかく干渉すべきものではない、私はそういうふうに思うのです。これに対して剱木文部大臣はいささか考え違いをされているのではないか。それを日教組と会わない理由にされているのではないか。もちろん、一般の市民として、国民の一人として日教組の倫理綱領に対して批判をお持ちになり、意見をお吐きになることは、私は大いにけっこうであり、歓迎されるべきであると思いますけれども、そのことをもって、何か日教組教育そのものを私物化して、聖断しているような受け取り方をもし文部大臣がなさっているとすれば、これはまことに重大なことだと思う。この点について、大臣の御所見をもう一回はっきりと伺っておきたいと思います。
  20. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 長谷川先生がおっしゃるとおりに日教組がやっていただいておるならば、ぼくらは何にも申し上げることはございません。この世界教育会議の宣言でございますか、自分の信条とか考え方というものを子供に押しつけないという、このことがもし徹底的に、日教組が先生のおっしゃるとおりにお考えならば、これはもう私どもは何も言うことはないのでございます。しかし、実際におきましては、先生もおそらくこれは御存じだと思いますば、私どもはこの倫理綱領によって、この信条によりまして子供たちをこのように育成しなければならない、そうしてこの倫理綱領の精神によって、子供たちを現実の場において育成するのにはどうしたらいいか。そこで日教組は教研大会をやり、また帰りましてずっと伝達講習をやり、お互い同士がディスカッションをやるという形におきまして、実はいかにして現場においてこれを採用すべきかということをずっと研究をしてきておるのが現在までの実情であります。日教組ほんとうにこの倫理綱領にいかように書こうとも、また、倫理綱領の精神がいかにあろうとも、これを子供たちに押しつけるものでなければ、これは私ども何も言うことはないのであります。ただ、今日までの教育の実情におきまして、かつて大連さんのときに偏向教育ということで問題になりました。いろいろな実情も調査されたことばございます。これはやはり現実の問題として、ぜひひとつ日教組は、自分の信条はいかがありましょうとも、全国民のための教育ということにほんとうに自覚をしていただきたい。そうして教育の場におきましては、そういう自分たち考え方を、また日教組の倫理綱領を子供たちに押しつけることのないような日本教育の姿に一日も早くしていただきたい。これを念願いたしておるのでございます。
  21. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 時間がだいぶ経過しておりますし、あとの質問者もありますから、一応この辺で一ぺん切りたいと思いますが、ただいまのお話は、また今度一つ新たな問題を提起して、これは学問研究の自由であるとか、あるいは教育の研究ですね、これの自主的な研究というものと何か倫理綱領をごちゃごちゃにしたような御答弁が飛び出してきて、これはまた一つ重大な問題が提起されたと思っております。教師が官製の講習会以外にも自分たちで研究会を持ったり、いろいろ現場の現実の経験の中から、どうしたら効果は上がり、どうしたら力がつき、どうしたら美しい信条が養われるかということは日に日に新たに研究されておることであり、それは民間教育団体であろうと公式の教育団体であろうと、できるだけ自由に相互交流が行なわれ、教育というものが豊富にされていくことは、これは当然のことであると思うのですが、何か日教組の教研集会があって、伝達講習があってどうこうというような非常に妙なお話が飛び出してきたのですが、これは新たな問題として、また次の機会にこの点については議論したいと思います。  時間がまいりましたので、まだまだ私の質問申し上げたいことの序の口にも入っていないのですが、一応本日はこれで打ち切っておきます。      ————◇—————
  22. 床次徳二

    床次委員長 国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。唐橋東君。
  23. 唐橋東

    ○唐橋委員 国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案に対して質問をいたします。  まず、全体の問題といたしまして、この法案のおよそ前半は国立大学の拡充整備計画でございまして、これは説明にもございましたように、急増対策に対する一環でもある、こういう説明がなされておるわけでございます。だとするならば、いま高等学校が急増期を過ぎて、大学が急増期に入っておる、こういう中において、この程度の急増拡充でほんとうに乗り切っていけるかどうか。これだけの大きな志願者をかかえている中において、国の責任としてやはりやっていけるのかということを私は第一の疑問としたわけでございます。したがって、私がまずお伺いすることは、四十二年度の私立、公立、国立の入学者はほとんど決定いたしました。したがって、高等学校の卒業生が全国で何人おり、その何%が就職をし、その中で大学の進学者はこの程度に進学をした、公私立の中においてこれだけが実質入学された、だからその他についてはいわゆる浪人ということになって、この浪人はまた来年度の入学者の数に入るわけでございますが、これらの入学者の実態、そして入学志願者の実態、さらに残された浪人の実情、実数とまでいかなくとも推定数、こういうものは、もう大体文部省においてつかんでいい時期だと考えますが、どの程度この実情を把握されておるのか、まずこれについてお伺いしたいと思います。
  24. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 詳しいのはまた数字でお示しすることができると思いますが、大体のことを私から申し上げますと、大体、大学の志願者は、戦後のベビーブームの影響を受けまして、四十一年度から急激に増加してまいりました、四十二年度の志願者は、まだ完全な集計はいたしておりませんが、大体七十二万九千人程度と推定されております。また、四十三年はさらに増加いたしまして、七十六万七千人にのぼる予定でございます。これに対しまして、文部省といたしましては、大学の質的低下を来たさないような配慮をいたしつつ、入学志願者の急増に対して、多数の浪人が発生いたしませんように、できるだけ収容力の拡大につとめたのでございます。国立におきましては、すでに予算で御説明申し上げましたように、三下九百八十五名の増をいたしました。また、公立学校におきまして四百四十名、私立学校において 万九千八百五名、いわゆる収容定員を増加したのでございます。そこで、この結果といたしまして、四十二年度の入学者の割合は、大体志願者の六割程度でございまして、その前年度、前々年度に比しまして、そう大差のない程度まで収容できたと思います。四十三年度におきましては、やはり増加いたしてまいりますので、いまの計画といたしましては、国立において三千名、公立に一千名、私立において一万五千名、これを大体見込んで四十三年度の増員計画をいたす予定でございまして、この四十三年度を過ぎまして四十四年度に入りますと、今度は入学志願者が、実際しの統計的な数字から申しますと、ずっと減少の過程に入ってくるわけでございます。ただ、四十四年度になりますと、入学志望者の増加、いわゆる志望率の増加ということも考慮いたさなければなりませんので、四十四年度以降においてどのように変化してくるかは、今後の推移を多少まだ見ていかなければならぬ点がございます。結局は、四十三年度まで一応急増対策を続けていかなければならぬというのが現状でございます。
  25. 唐橋東

    ○唐橋委員 急増対策は文部省として何とかやっていけるんだ、こういうような趣旨の御答弁でございますが、私、実情の中において考えさせられることは、文部省は、たとえば六割なら六割を公私立を問わず入れた、こういう増加された実数の中の率を問題にされておるようでございますが、この率というのは、実は実数からいえば大ぜいになった。六割となれば、やはり残っている数というものは大きくなってきて、浪人というものが大きくなってくる。したがって、これはやはり単なる率からいかないで、むしろ急増期は率を上げていくという、これこそがほんとうの急増対策でなければならない、こう考えているのに、いまの御答弁のように、まあ大体六割程度を入れたから、したがって急増対策は一応何とかいけるのだという考え方では、いまの該当者の青少年に大きな失望を与えると思うのでございます。したがって、いま申されました四十三年度の計画というようなものはもっと大幅に伸ばすべきじゃないか、そしてことし浪人されておる方々、そういう方々をやはり大量に収容し得る、こういう前進的な考え方を大きくいまから打ち出して、それに対する対策を立てておいて、そしていろいろめんどうな予算面やその他が多少そのために縮小されるとしても、一応責任者である大臣としてこの程度でいいのだという姿勢であったならば、やはり私は今後いろいろな前進的な方向に対する阻害になるのじゃないかと思う。やはり文部省一つの理想案を出しながら、この理想案がある程度現実で縮小されてもいいが、それはある程度やむを得ないとしても、いま四十二年度の実態がわかり、そしてさらに四十三年度の計画を立てようとするときに、いまのような単に現実論的な、推移的なものの考え方では、文部省としては非常に消極的であり、今後やはり私としては、こういう点においてもっともっと積極的な姿勢を示してのみ初めて文部省のあり方、かつ、特に大臣としての責任があるのじゃないかと考えるのでございますが、これらに対してもう少し積極的に出られないものかどうか、お伺いしたいと思うのでございます。
  26. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 お尋ねの点はごもっともだと存じますが、一面また、実は日本の大学のあり方の問題でございますが、大学の問題についていろいろな意見が今日ございます。その一つは、日本で大学が多過ぎるのじゃないか、これは大学の数からいえばもはや世界第二位でございます。それで、大学をあまりに日本がどんどん増設し過ぎるのじゃないかという意見が一つ、よしあしは別としてございます。それからもう一つの問題は、国立におきましては、主として私学において非常に困難でございます理工系の、いわゆる自然科学系統の学部を増加すべきであって、人文科学については私学にまかしたらどうか、こういうような意見の人もございます。そこで、これを無制限に大学のワクを広げますということは、一面私学の場合を考えますと、いま私学の経営状況についていろいろ問題がございまして、授業料の値上げその他において紛争も起こっておるようでございますが、この私学について、ベビーブームに対処いたしまして私学の設立を無制限にどんどんワクを広げて認可いたしますと、今度はベビーブームが終わりまして入学志願者が非常に減少してくる、そういうときに、今度は逆に私学の経営に非常に困難な時代がくることが予想いたされます。それで、もちろん私学の対策については、基本的にいま調査会で結論を急いで出していただくようになっておりますけれども、しかし、無制限に無責任にどんどんつくりまして、それでどんどんその経営が非常に困難になる、それを全部国がかぶっていかなければならぬというような状況が起こりましたら、これはたいへんな問題になるおそれがございますので、急増対策について私どもは、現在の段階におきまして、入学志願者に対していままでより以上な大きな社会不安を起こさないようにできるだけの処置はいたしておりますけれども、同時にまた、大学全体として将来のことも考慮に入れまして現実の計画は立てなければならぬ。そこに計画を立てるほうで非常に困難性があるわけでございます。なお、現段階において、よしあしは別といたしまして、私学の場合におきましては約一万九千の新設その他のワクを広げたわけでございますが、実際上の問題といたしましては、相当多数の定員以上の収容をことしはいたしておるのでございまして、この実態は、いま精密な調査をしつつございますが、それによって、そのよしあしの批判は別といたしまして、ある程度入学難の問題の解決には、ことしの状態としては役に立っていると思っております。
  27. 唐橋東

    ○唐橋委員 いまの国立、公立、私立を含めた大学制度のあり方というような点については、ここで議論する場でもないので、いろいろ大きな問題として議論し、そして、急増期を含めながら、将来の日本全体の教育制度のあり方というものをこの辺でほんとうに正しく立てるべき時期であるということについては、私も了承します。そういう中において正しいあり方というものを考え出していこう、こういうかまえについては了承できますけれども、ただ、私がいまの状態を見てどうしても了承し得ない気持ちの一端は、ベビーブームのこの三年なら三年なりの期間の人はしかたがないのだ、こういう考え方、すぐ急減期に入るのだから、急減期に入れば、現在の予備校なんというのは、受験雑誌に書かれておりますが、何か今度も転向しなければならないとか、あるいは拡充した大学が今度どういう形に維持するか、これこそ問題であるというようなことが——急増期を終えた高等学校の自立にいろいろな問題等も出ておるのは了承しておりますけれども、そういう中において、その時代にいる青少年に対して、おまえたちは運の悪いときに生まれたんだから、がまんするしかないのだというようなものの考え方だけは与えてはならない。将来の計画は計画として、もっとこの急増に対する考え、施策、設備の拡充というものを国として当然とるべきであり、そして、そのことはこの計画の中において非常に少ないということをどうしても言わざるを得ないし、先ほど申し上げましたように、大臣としてはもっと積極的な、将来は将来として、やはり犠牲者を出さないというかまえの上に立って、施策を立てていくべきでないのかということを考えさせられているわけであります。したがって、この問題の結論として、もう一度大臣の所見を率直にお伺いしたいのであります。
  28. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 戦後のベビーブームに対処いたしまして、私ども、義務教育の面について、まず第一にその急増に対処する文部省として方策をとってまいりました。続いてこれが高等学校に及びまして、高等学校の急増対策を実施いたしてまいりました。ただいま大学の急増対策に移って実行中であるのが現状でございます。しこうして、小学校におきましても、御承知のようにいま急増対策が終わりまして、入学者が非常に減少の段階にずっと至っておるわけでございますが、実はその減少の段階を利用いたしまして、教育内容の充実ということに教員定数その他を振り向けてまいりまして、その減少によって教員の犠牲者を出すことのないように、逐次教育内容の充実によってそれをいたしてまいりました。高等学校において、今回国会に御提案申し上げております定数上の問題も、全く同じ趣旨で、ずっと高等学校の生徒が減ってまいりますので、それに対処して先生のほうの数を充実していくという方法をとってまいりました。大学のほうにおきましても、できるだけ私どもとして、まだ少ないと申されますけれども、できるだけのワクの拡張に努力をいたしておるのでございまして、これが今度は減少期に至りますと、いよいよ今度は本格的に大学の質を直していく、拡張いたしましたときの過剰人員とかいうものを、今度は実際上の教育現場におきまする充実に持っていきたい、そういう計画を持ちまして、拡充計画にはできるだけ即応いたしますように努力はいたしております。もちろん、御批判のように不十分な点は十分ありますけれども、できるだけの拡充計画をいたしておるということだけは御了承願いたいと思います。
  29. 唐橋東

    ○唐橋委員 この問題は、現在いろいろ議論しても、努力を認める、一生懸命に努力していただきたい、こう言う以外には結論が出ないような問題でございますので、打ち切りまして、二番目の問題といたしまして、学芸大学を教育大学に名称を変更する、この点についてお伺いしたいわけであります。  御承知のように、戦前の教員養成機関が、いわゆる師範制度ということで非常な超国家主義教育の根源になった。その反省の上に立って解放的な教員養成機関というものが現在の大学制度の中に持ち込まれたということは、もう私から申し上げるまでもないわけでございますが、その解放的な大学制度の中における教員養成というものに対して、やはりあまりにも解放的なための弊害あるいは欠点というものが生じた、そういうような反省の上において、中教審あたりもそのような見方に立って教員養成制度改善方策ということが出され、その中に、いまの学芸大学を教育大学にし、それらに関連した教員養成機関をもっと考えていこう。こういう趣旨は一応了承できるのでございますが、私たちがいろいろこの問題について考えさせられておることは、いままでの解放的な制度の改正はいいのですけれども、と同時に、もとの師範制度というものの弊害、そういうものがやはり出やしないか、こういうことが逆に今度の制度の中に心配されてくるわけでございます。入学志願者のいろいろな希望等を私たちは具体的に聞きます。なかなかはいれないから、しかたがないから教育学部に入るのだ、しかたがないから教育大学に行くのだ。このしかたがないから行くのだという、こんなようなものがやはり底流として大きく伸びておる。そして、そういう場合は男性に多くて、今度新しく教育学部になった場合には、女性のほうの志願者は相当多くなってき、男性が減少する、こんなような傾向が、いまの一つ制度を進めていく上においてかもし出されてきておる現実の一端であると私は考えさせられておるわけでございますが、この制度の改正の中で、いま申しましたように、何か型にはまった教師というものの養成になりやすいのじゃないのかということを危惧するわけでございますが、これらに対してはどのような考え方で一つの講座とか、あるいは課程制の中において考えられておるのか、これはひとつ具体的にお伺いしたいと思うのでございます。これは大臣でなくて、むしろその課程制やその他を含めた問題については担当局長のほうからもお伺いしたいし、前のほうの考え方については、大臣のほうからひとつ明確にお答えをいただきたい。
  30. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私がお答え申し上げまして、足りないところを係のほうからお答え申し上げたいと思います。  教員養成の問題につきましては、基本的には非常にむずかしい問題を含んでおると思います。終戦教員養成をいかにやるべきかという問題から、戦前にございました師範学校制度に対しまする批判が非常に強く起こりまして、いわゆる教員養成という一つのワクの中で教員養成をしないで、一般教養という教育のやり方によってその教員を養成しようという考え方のあらわれが、学芸大学とか学芸学部でやりました思想の一番のもとであったと思います。その後、教育者となりますものは教育者としての自覚を持って、そして教育者としての教育をやるべきであるという考え方が中教審の答申となって、教育学部なり教育大学という観念であらわれてまいったと思います。この観念は、いつも二つの流れとしまして存在する観念であろうかと思います。ただ、今回私ども教育学部ということに変えましたのは、もちろん中教審の答申にもよることでございますけれども、この学芸大学の持っておりました内容のいいところはもちろん存置して、その上になお教育者としての自覚においてやるという形において、この教育学部に対する印象を変えてまいったのでございます。したがいまして、その内容面におきましては、いままでの学芸学部がとっておりましたその方針を相当それは踏襲してまいりますし、ただ、いままでよりも変わってまいりますのは、できるだけ内容を充実して、いい教育学部に持っていきたい、内容の充実には今後十分努力してまいりたいと思っておる次第でございます。  なお、足りないところは政府委員からお答えさせます。
  31. 天城勲

    ○天城政府委員 いま大臣が申し上げましたような基本の線に沿いまして、具体的に何をやっているかということになるかと思うのでございますが、御案内のように、歴史的に師範学校を母体として発展してきておりますのが実態でございますので、その点が一つと、それから戦後、特に国立大学におきまして、大学の中に、大学によりますと文理学部と教育学部という組み合わせのところがございました。それから学芸学部という形のところもございます。ところが、大学全体としまして一般教育を整備する、これは内容的にも、また制度的にも整備するということで、教養部制をとってくる動きも出てまいりました。一般教養のカリキュラム、すなわち教育課程を明らかにするという必要が出てまいりまして、従来文理学部を持っておりました大学の教育学部、それから全学の一般教養を学芸学部において担当する制度の大学など、いままでの姿に対してどうしても手を加えなければならぬ状況になってまいりました。したがいまして、現在われわれといたしまして、教育学部で必要な学科目の整備、これは中心的には俗称五教科の整備と言っておりますけれども、国語、社会、理科、数学、英語の五教科の学科目の整備ということに力を注いでまいりまして、現在毎年五十名から六十名ずつ教育学部に教官の増加をはかってまいってきております。こういうように、教育の体制をできるだけ整備していくという形を基本的に考えておるわけでございます。
  32. 唐橋東

    ○唐橋委員 私もこういう大学の教科内容というのはまだ不勉強なんですけれども、端的に申して、学芸学部から教育学部あるいは教育大学になったときに、一番ポイントになる変更は、いわゆる教科の面では何なんですか。私はやはりそこが一番お聞きしたいところなんです。したがって、何といってもいままでの大学は、私から申し上げるまでもなく、広い視野に立った教育でなければならないのに、やはり専門教科が中心になり過ぎていく、そうしてどうしてもやはり従来の師範あたりに初めからワクづけをされるがゆえに、自然にそういうようになっていくということを非常に心配するのですが、名称の変更に伴う場合、端的に言って、いまの学芸学部ではどういうことだったのが教育学部ではこういうように改正したのだ、こういう点が一つの欠点としてあったのでこうしたのだ、これをひとつお聞きしたいわけなんです。大臣は内容の充実ということを言われておりますが、内容の充実という、その具体的なものは何かということをひとつはっきりと理解したいのです。
  33. 天城勲

    ○天城政府委員 これにはいろいろな要素がからまっておりまして、私も一言でお答えしかねるかもしれませんけれども、いまの御質問によって端的に何かと申しますと、一般教養を引き受けたりあるいは専門を文理学部で行なったりという形態になっておりましたのを、教育学部というのは、とにかく小学校教員の九割、中学校教員の七割を養成しておるわけでございますから、教育の内容をはっきりする。そのはっきりということは、結局先ほど申したように五教科の学科目が不整備でございますので、それを整備するということが中心でございました。  それから、先ほどちょっと申しましたように、教養課程を整備するということは、これはひとり教育学部だけの問題でございませんで、大学として一般教養を充実した姿においてやるということが別の面から出ておりますので、これは教育学部におきましても、やはり一般教育は充実した姿の上で行なう。その上に教職関係の五教科の整備をはかるというのが、端的に申し上げると現在の中心の仕事でございます。
  34. 唐橋東

    ○唐橋委員 いまの問題なんですが、教科の整理は具体的に結果として出てくるのですけれども、私たちは、あなた方のような専門家にお聞きしたいのは、やはり社会人あるいは一般人が教員養成機関で——いままで学芸学部でやったのが、こういう点で非常に欠点があった。だからこの教科を変えるんだ、あるいは実習期間が短かったから、ほんとうに実習期間をよけいにしたんだ。だけれども、全体としては、やはり第一に掲げなければならない教養というものについては、むしろ普通の大学よりもこれだけ充実したんだというふうに、学芸学部と比べてみた場合に、一般しろうとでもわかるような、はっきりしたものがほしいのです。でないから、やはり教員制度という中に閉じ込められていくんじゃないか、こういうことが志望者の中にもあるのです。現実としては。だから、やはりどうしても教育大学、いわゆる二流、三流級的な考え方を持って志望していくという傾向は、私は否定できない事実だと思うのです。だとするならば、いまのようにあなたたちが専門的に考えて、せっかくいい大学をつくったとしても、いまのような点がほんとうに理解されないために、それに伴う人材の集めというか、養成というのですか、非常にその間に問題がある、こう考えざるを得ないので、もう少しはっきり一般にわかるように説明できないものですか。
  35. 天城勲

    ○天城政府委員 どういうふうに御説明したらいいのですか、教育学部の問題は、要するに、教員養成を大学のレベルで行なうという前提でできておりますので、大学のあり方と非常に関連いたします。大学の問題の中で、いろいろございますけれども一般教養のカリキュラム、教育の中身と一般教養を行なう場所、学部の関係一つございます。従来は学芸学部が全学の一般教養を引き受けておったのが一つのタイプでございますし、それから文理学部のある大学におきましては、文理が引き受けておったわけでございます。ところが、たいへん複雑で私の説明が不十分になるかもしれませんが、教育学部におきましては、専門の教科を文理学部で行なうというタイプをとったところがかなりある。たとえば国語なら国語をやるときには、文理学部の国文の授業を受けるというやり方をしておったところもある。非常にからみ合っておりまして、これは簡単にはここで申し上げかねるのですけれども、要するに、教育学部というのは教育と文理の関係、学芸のあるところは全学の一般教養を引き受けるという形で、非常に学部そのものの目的、性格というのがきっちり出ておらない。そのことは大学全体の一般教養のためにも非常に問題がございますので、一般教養を整えるということで、大学全部じゃございませんで、教養部というものを設置した大学が非常に多くなっている。そうしますと、教育学部あるいは学芸学部に従来行っていたものは、本来教育プロパーの専門教育ができるはずだということで、一般教養は、全学の基盤の上に教員養成の学部といえどもやります。これは工学部でも法学部でも同じようにして、大学として広い基盤の上に一般教養を受けまして、教育の専門科目も受ける。こうなってまいりますと、文理と教育を整備をいたしまして、一般教養の整備をいたしますと、教育学部で非常に不十分な講座、学科目がございますので、それは専門的に見なければならないというので、現在、先ほど来申し上げておりますように、五教科を中心に学科目を整備していく。したがって、教官の定数をふやしていく、こういうやり方をいたしております。
  36. 唐橋東

    ○唐橋委員 この問題については、この時点では私ももっともっと検討してみたいと思うのですが、あとで機会があればお聞きしたいと思いますので、この程度にとどめたいと思います。  その次は、芸術工科大学の新設なんでございますが、これはこの場ではまだ質問等の段階にないので、内容については入れないかと存じますけれども、いままでの説明の中で、これだけで予算を通せとか、あるいは一応理解をしてくれ、こういうことになると、私たちはやはりもう少し内容が知りたいわけでございます。したがって、ある程度、このくらいのものになるんだという青写真をひとつ出していただかなければならないと思うのです。  それからもう一つは、このような大学については、新しい国立の——いままで、私立のほうにはこれに似たような大学があるということも、多少私も承知しておりますけれども、国が責任を持ってこのような新しい大学をつくるとするならば、やはりもっともっと私たちに資料の提示、各界の意見、いわゆる専門家の意見等も含めた意見の提示ということがなされなければ、私たちは、やはり一つの大学という機関の中で、けっこうでございますと言うわけにはなかなかいかないのが、現時点としての問題だと思うわけでございます。したがって、具体的な内容等について、あるいはまた、それに対する各界の専門家の意見等もつけ加えて私たちに提示いただけるかどうか、まず大臣にその点をお伺いしたいと思います。
  37. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 御承知のとおり、芸術工科大学は、全く日本といたしましては新しい構想に基づきまして、過去三年間準備委員会を開きまして検討し、その結論をいただきまして、こういう大学の新設に踏み切ったわけでございます。でございますから、その内容等につきましては御了解をいただきにくい点もあるかと存じますが、それに対しましては、いかようの資料も私のほうで御提出を申し上げますし、また説明も申し上げてまいりたい。せひひとつこれは新しい試みといたしまして、御承認を得たいと思っておる次第でございます。
  38. 唐橋東

    ○唐橋委員 大臣気持ちもわかります。したがって、もっと芸術工科大学に対する一つの青写真とでも申しましょうか、こういう計画でこういう——人員や予算はこの資料に出ておりますけれども、そういう問題でなく、大学の性格として、そしてこういう日本の大学制度の中の一つの格づけとして、あるいは日本の産業の中における重要性としてというような、いろいろな立場からの検討があろうかと思います。したがって、そういう資料を検討することによって、私たちは四十三年度に出発するのをもっと大きくすべきであるとか、あるいは各大学にそういうものを、あるいは一つでなくてもっともっと置くべきであるという、大学制度全体の問題としてやはり問題が出てくると思うのです。したがって、私のほうからこの青写真を出していただきたいと言う前に、いままでの議論の資料が何かあるのですか。そして、性格を論議した資料が何かあるわけですか。そういうものがあったら出していただきたい。そうして、いま考えておるこれだけの一つの性格規定、来年の予算にならなければ人員やその他はなかなかきまらないと思うのですが、いま大臣が申されましたように新しい試みの大学でございますので、いままでの資料等も一応議論されたものがあるならば委員会に提示願いたい、こういうことでございます。
  39. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 御要望のとおりに沿うかどうかはわかりませんが、私どももできるだけの資料を集めまして、御提出申し上げます。
  40. 唐橋東

    ○唐橋委員 それから、これは委員長のほうであとでひとつ理事会等において取り計らっていただきたいのですが、いまのような新しい大学の性格でございますので、私たちとしても、ある程度この方面の専門家、だれにするかはいろいろ理事等において御審議いただいて、やはり提出された資料を見ながら専門家の意見を聞いて、せっかく発足するこの重要な大学について私たちの認識も深めたいので、そういう点についてひとつ取り計らっていただきたいということでございます。
  41. 床次徳二

    床次委員長 唐橋委員にお答えいたしますが、ただいま委員長に対して、本問題につきまして参考人招致の件についての御意見のように伺ったのですが、これにつきましては理事会にはかって御相談いたしたいと存じます。
  42. 唐橋東

    ○唐橋委員 それから、これは老婆心ながら、そういうことはないと私は承知しているのですが、もしあるとするならば、仮定の問題ですが、たいへんこれは問題だと思うのですが、現実が私は予想されるのです。こういう大学ができると、すぐ地元でこちらのほうがほしい、あちらのほうがほしいという一つの問題が出てきたり、それが非常に政治的に問題化されていくということになりかねない。一つの国立青年の家をつくるにしても御承知のような経過ですから、私申し上げるのですが、このようなりっぱな大学を設置するとするならば、そういう点については問題を起こさないように、そしてほんとうにすっきりと教育環境——特にいま都内のいろいろな大学が一つの学都圏と考えられるように、芸術工科大学が町のまん中に今度は建って環境が非常に悪いというようなことになれば問題ですから、そういう点もいろいろあげれば切りがないと思いますが、そういう中において場所やその他の点について混乱させないように、そして政治的な何かかけ引きの道具にされないように、ひとつ四十三年度にはすっきりと進んでいくのだという指針を大臣としては持たなければならないと思うのですが、この点についてひとつ。
  43. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 この大学を要望いたしまして、それから研究いたしましてから三年余になるわけでございます。これにはもうはっきりと、四十三年度から開設いたします土地とか、そういう問題は確定いたしております。学芸大学が福岡におきまして統合されまして、統合された福岡の本校のあとが実はあいてまいるわけでございまして、この土地にこの新しい大学を建てる、この方針は確定いたしております。ただ、校地その他におきまして、なお運動場その他を拡張するような問題が将来はあると思いますけれども、位置の問題その他につきましては、政治的とかそういうトラブルは絶対に何もございません。意見がずっと一致いたしましてまいっておる問題でございます。
  44. 唐橋東

    ○唐橋委員 そういう点であるならば、非常に私たちとしてはこの大学の発足を心からりっぱに願って、御努力願いたい、こう要望するわけでございます。  その他、あと脳研究所の問題、工業高専の問題等がございますが、先ほど申しましたようにちょうど区切りもいいし、時間もあれでございますので、残余の分は次回に回していただくようにお取り計らい願いたいと思います。
  45. 床次徳二

    床次委員長 この際、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時二十五分休憩      ————◇—————    午後一時五十九分開議
  46. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。吉田賢一君。
  47. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 第一点は、大学制度につきまして若干まず伺ってみたいのです。  ただいまの大学は、国立、公私立を問わず、入学生徒が専門の教育を受けることを非常に意気込んでいったにかかわらず、どうも高校の繰り返しのような感じがしてならぬという、そういう声も相当聞くのでございますが、これは軽視できない一つの大きな問題を持っておると思います。そこで、大学の教育の課程におきまして、教養課程と専門課程の振り分け並びにその実施の教授の実情というものに相当再検討をせねばならぬ問題があるのではないか、こう思いますのですが、これらにつきまして、まず一般的に大臣の御所見を伺っておきたい。
  48. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 現在の大学制度につきまして、ただいま吉田委員から申されましたように、一般教養と専門課程の両方ございまして、新制大学としましては、一般教養を三分の一、専門課程を三分の二ということになっておるわけでございますが、高等学校におきまして大体一般教養みたような科目をやり、また大学に入りますとそこにかわりばえがしない、大学に入ったというような気持ちがしないというような学生の風潮も、ないことはないと思います。でございますので、将来の問題はともかくとしまして、大学の一般教養と専門課程のあり方ということにつきましては、各大学におきましても、また大学間におきましても、いろいろがだいま研究を続けておるところでございますが、さしあたりといたしましては、やはり高等学校におきまする一般教養と異なる、程度の高い、学生の要望するような一般教養に、内容的に改めていかなければならぬというふうに考えます。実は、たとえば大学のいまの制度でございますが、アメリカの大学等におきましては、一般教養を教授いたします教授は、いわゆる最高級の教授がこれに当たる。でございますから、大学に入りましてから学生がそういう気持ちを起こさないで、非常に偉大な教育者に触れるという感じを持つのでございますが、日本の場合は、残念ながら一般教養を分担する先生が高等学校とそう——まあ研究内容は別としまして、年かっこうでございますとか態度において、そうかわりばえがしない。それで、非常に偉い、その大学でも一番尊敬されるような方が一般教養を受け持つというようなことが行なわれていない現状でございまして、やはり日本の新制大学のあり方につきましては、こういう点は十分研究、検討をいたさなければならない問題だと思っております。
  49. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そういたしますと、やはり基本的には、高等学校制度並びにその運用、教育の実情との関連において、相当重要な問題点があるようでございますが、いまの現状は、親も本人も受験準備に追われているというのがおそらくは大半だろうと思います。受験受験、進学進学、大学を待ち望むという、そういったようなことに明け暮れしておるというような現状でございますので、この点につきまして何らか打開策を講じねばならぬということが一点と、それから、やはり一般教養の場合におきましても、いかにりっぱな教官、教員が担当いたしましても、もしそれが繰り返しもしくは延長のような感じを与えるようでしたら、これは制度として一考をしなければならぬのではないであろうか。これはむしろ専門課程と一般教養との両者の関係をさらに再検討しなければならぬのではないであろうか、こういうふうにも考えるのでございますが、いまの点は、高等学校教育との関連におきまして、両者相かね合って総合的に解決せねばならぬ点であろうと思うのでございますが、これはどんなものでございましょうか。
  50. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ただいまの学制の一番の欠点と申しますか、批判を受くべき学制の一つは、何と申しましても入学の問題であろうかと思います。この問題は、文部省としましても、できるだけ入学試験の方法等につきまして合理的な方法を見出して、入学試験準備に終わるというようなことのないように持っていきたいと存じますけれども、なかなか急には改革はできないで今日に至っておるのでございます。  それから、高等学校と大学との関連におきまして、一般教養等につきましてこれを一貫して考えていくべきことは、お説のとおりでございます。ただ、私どもといたしましては、現在ございます大−の一般教養のあり方、それらをあわせまして改善をいたすべき問題であると存じまして、研究をしたしておるわけでございますが、しかし、一面におきましては、学制全体につきまして、義務教育から後期中等教育、それから高等教育、これらを一貫しまして学制を再検討してみるというときがきておるように考えております。
  51. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 高校の進学率がずいぶん高くなり、大学の希望者がが然ふえてまいっておりますことは、どうも世界的の傾向らしゅうございます。文部省の発行しております要覧によりましても、日本は国公私立合わせて百万の大学の学生を持っておるらしゅうございますし、あるいはまた、世界的に見ても多いようですな。イギリスは六〇年には二百十六万ですか、フランスが二百十一万、西独が百八十六万、世界的にやはり大学の教育を受けるという傾向が戦後非常に盛んになっておることも、いなみがたい趨勢のように考えるのですね。  そこで、現実の状況なんかを聞いてみましても、以前は、少なくとも少数者の学生に対して人間的な一つのつながりも感じながら教授もできたが、いまは、そうじゃなしに、言うならばオートメーションのような、そういう雰囲気下に教授をするということだから、機械化している。機械化は画一的になるわけでございましょうから、索莫としたものをそこに感じながら授業を受ける。まあ極端な話には、教授の顔を遠方から見ねばならぬ、こういうようなふうにいわれますので、そういう人の海のような、生徒の海のような中で授業を受ける、高等学校の延長に似たような状況であると、せっかく高い志を持って大学に入ったという誇りも一瞬にさめてしまう、こういうのが、やはり青年の心に非常な不安動揺、寂莫感を与えるのじゃなかろうか。これが一つの危険だろうと私は思うのです。そういうことでありますので、これは遠い将来の問題というのじゃなしに、きわめて重大な今日の問題でございますから、文部大臣とせられましては、この大学の現状とそれから高等学校との関連、そして教授の実情、こういったものを一貫的に、総合的視野においてもう一度再検討しなければいけないのじゃないだろうか、どうもそういうふうに思われるのですが、この点はいまのお答えを聞くと大体御了承のようで、漸次御努力になっておるようでございまするが、了承しはするものの、いいかげんにほうっておきましたら次々の問題はとても解決できないと思いますから、やはり第一はいまの点でなかろうか、どうもそう考えられますので、くどいようでありますけれども、ちょっと重ねてその点につきましてお答えを願いたいと思います。
  52. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私ども、だいぶ前に大学教育を受けた者から見ますと、高等教育につきまして昔の制度というものに一つの郷愁を感じるのでございまして、お説のとおり、大学に入りまして、昔のように教授と人格的な接触ということはとうてい話にもならないような実情の今日の大学教育が行なわれておるのでございます。現在におきまして、先ほどもちょっと御答弁申し上げましたが、昭和四十三年までは、どうしても社会的な考え方から、大学の入学者を相当収容いたしませんと社会問題が起こるような可能性もございますので、究極これを拡大するという方向にまいって、ただ、大学の質的低下を来たさないような最高の考慮はいたしておりますけれども、現段階において内容面にまで向上を期待するというわけにはいかない事情がございます。しかし、昭和四十四年から実は相当入学者の数も減少してまいるのでございまして、そういうときに今度は全力を注いで、ひとつ大学の質の向上という面に力を注いでみたい、これをただいま私どもの計画として持っているわけでございます。ただ、基本的に申しますと、現在の大学制度そのものにつきましては、お説のように、再検討しなければならぬときがきておると考えておるのでございます。
  53. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私、実は自分が旧制等学校の体験がないのでありますけれども、いろいろと当時の話、体験談を聞いてみますと、旧制高校において、たとえば文学とか数学とか哲学とか心理学とか論理学とかといったような、ずいぶん多方面の、こういった広い教養の機会を持っておるというようなことを思いますと、これは郷愁ではございませんけれども、やはり基礎的な一般教養の段階においてもう一ぺん再検討する必要があるんじゃないか。これは後期中等教育の関連においてとらまえるのがほんとうかもしれませんけれども、しかし、大学との関連においてとらまえることのほうが、あるいは別の意味におきまして重要かもわからない。いま、たとえ大学を出まして就職しましても、学力低下を云々すると、とかく逆批判がありますけれども、しかし、たとえば手紙というもの、日常茶飯事のそういうものにいたしましても、ほんとうの教養を積む機会に恵まれておらぬ、こういうふうにさえ感ずることがしばしばございます。ということを考えますと、戦後学制改革が失敗か成功か知りませんけれども、こういうことは大胆に制度面からも絶えず研究をしながらいくように、ぜひひとつせられんことを御希望申し上げたいのであります。  それから、たとえば専門課程におきまして、二年とかりにします。二年としましても、現状は、どうも会社は十月入社の申し合わせをしておるようでありますけれども、実際は五月ごろになるとみなそわそわしちゃって、就職に頭一ばいだろうと思うのです。そういたしますと、一年半じゃなしに、正味一年二、三カ月が専門課程ではないだろうか。かりに一般教養が一年半として、あと二年半とした場合にはやや延びますけれども、とにかく専門教育を受けるということはおよそ不可能です。だから、法律学なら法律学のようなものでも、憲法とか、その他実体法とか手続法に広くわたるようなことはとても不可能でございます。そういうこともあれこれ考えますと、専門課程自身もやはりこれではいかぬ。一体大学の教育というのは、学校教育法の大学の趣旨に沿ったような目的は達しておらぬことになるのではないか、こういうことになるのでありますが、この点も相当議論はされておる課題でございますので、深く繰り返すことはいたしませんけれども、しかし、一般教養と専門課程との関連は、同時に、後期中等教育との関連と同じように、同じく一貫性があって、総合的に制度、運用両面から相当大きくこれに対処しなければならぬことではないだろうか、こういうふうに思いますが、いかがでありますか。
  54. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 採用試験の問題でございますが、極力文部省としましては、十月以降に行なってもらうようにということを会社等にずっと働きかけてまいりましたけれども、人不足とかそういうような意味も含めまして、最近におきましては非常にそれが乱れてまいりまして、もう四月になりましたらすぐ就職の問題が起こってきておるような現状でございます。こういう点を考慮いたしますと、お説のとおりに、現在の大学におきまする専門教科は、非常に不十分な状態において行なわれておるのでございまして、結局今日のような状態を続けますと、大学の卒業者の実力低下という問題が相当大きくあらわれてまいるおそれがなしとしないと思います。こういう意味におきまして、大学の一般教養のあり方、それは事前に一年半という期間を一般教養だけをやりまして、その上に積み重ねて専門教養をやるのでなしに、相当早期に専門教養をやりまして、一般教養と織りまぜていくというようなくふうを大学によってはやっておるようでございます。しかし、全体としまして、現在の新制大学というもののあり方がこれでいいかどうかという問題を、私どもとしましては基本的に再検討しなければならぬときがきておると考えております。
  55. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 たとえば工学部などのごときは、大阪方面の会社などにおきましては、もう一度大学院において、たとえ一年でも実験を兼ねた研究をやってもらわぬと、大学を出ただけでは困るというような会社が少なからずあると思っております。でありますので、そういった方面のことも考えますと、やはり大学のいまの制度はこれでいいのかということで、いろいろな角度から問題点が出てまいります。四年制の問題につきましては、東京大学の例の法学部長の談話なるものが昨年の十一月九日に発表されたようでございます。これをめぐりまして座談会ができたりいろいろできておるわけでありまするが、専門課程を三年制度にしたい、こういうことで、その実現に向かって検討を遂げておるというのが当時の状況のようでございましたが、東京大学の法学部の教授の言っておる実情、それから見ましてまことにもっともだとうなずかれる節がございます。ことに卒業の予定者の三〇%が留年しておりますね。こういうことも実にどうかしておると思わざるを得ないのでございますので、この点につきましては一つの解決の方法ではないだろうか。一年延長の問題については、大臣はどういうふうにお考えになるのでしょうか。
  56. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 いま申しましたように、私としましては、大学のあり方については再検討すべきときがきておると思いますが、いま東京大学の法学部だけを五年に延長するとか、ある大学の法学部だけをやるというわけにはなかなかいきませんので、これは制度全体の問題として考えていきたい。事実上におきましては、卒業しませんで学内に残っておるとか、そういう状況も生じてきておりますので、この問題は、大学の内容につきましてはそんなに遷延を許さない問題であるように考えております。
  57. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 この教員、教官の待遇の問題ですが、これもやはり切り離すことのできない重要な問題であろうと考えます。外国におきましては、大学の教授は社会的にも相当な尊敬と信頼を持たれ、したがってまた、あらゆる面における待遇もそれ相当であろうと考えるのでありますが、この面も、当該荷の質とともに待遇については根本的に再検討することが必要ではないか、こう思われます。  試みに古い四十一年の給与の実情を調べてみますると、いわゆる大学の教授は、平均しますると税込みで本俸が五万九千六百八十八円、こういうことになっております。これを裁判官と比較してみますると、裁判官、判事補を含めまして、同年同日で十一万四千七百七十一円、そういうことになっておりますが、独立の裁判官になりますと十五万円余り、こういうことになっております。それで、裁判官と教職員と比較することは妥当かどうか一応別といたしまして、やはり大学の教官、大学の教職員というのは、いずれにいたしましても、どこの国でもいつの時代でも高い尊敬、信頼のある地位であり、職であるのですから、こういう辺から考えましても、よりよい教員、教官をつくるという面との関連で、この待遇の問題はまた根本的に再検討をする必要があるのじゃないか、こういうふうにも思うのですが、その辺の具体的な御意見はいかがでしょう。
  58. 天城勲

    ○天城政府委員 大学の教員給与の問題でございますが、ただいま司法官の給与体系と御比較のお話がございました。本質的には職務は違いますけれども、私たちも、やや似た給与体系があっていいんじゃないかという考え方を持っております。特に職務の実際の行使のしかたが、必ずしも階層的な組織でございませんので、普通言われますように初任給を一般公務員よりも高いところから出発して、ある程度早く一定の段階までスピードアップしていくような方法が、考え方としては大体司法官と似ている点があると思います。この点につきまして、私たち毎年人事院とも御相談を重ねておりますし、逐次その方向改善をいたしてきておるのでございますけれども、また、現在におきましても教官の給与の体系につきまして、われわれのほうで内部で検討会を持っておりますが、その結論を得て人事院とも交渉いたしたい、こういう段階にございます。
  59. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 この問題は、やはり一つ背景といたしまして大学の制度、それから運営というものに相当突っ込んだ調査研究をいたしまして、そうして真に大学の使命に関することが国民に納得せられていく、こういうふうな信頼感を持つことが一つの前提になるものと私は考えております。そういう意味におきまして、やはり私立大学の問題が俎上に出てくるわけでございまして、私立大学と、公立、国立大学のあり方、あるいはまたその負担、こういう問題を思いますと、なかなかに大学問題は予算、財政の面からも重要な問題を背負い込んでおる。国公立大学の場合は、学生は授業料その他の学資を支弁し、また下宿代等を払えばそれで済むのでございますけれども、私立大学になりますと、言うならば、運営から建設までこれを父兄が負担しなければならぬ、こういうことになるわけでございます。だから、一方は大部分の重要なものは国が持つ、他方は父兄の個人負担になる、そうして大学は、七割までは私立大学だと私記憶しておりますが、七割がそのような状態に置かれておるということになりますと、この問題は別の角度から、国立、公立、私立をあわせて、全体として大学制度のあり方を検討する必要があるのではないであろうか。国立なるがゆえに父兄の負担が少なくて、私立なるがゆえに父兄が建物も設備も運営までも背負い込んでいかなければならぬ、こういうようなこと、数百万円の寄付金がなければ入学させてもらえぬというような、そんなばかなことは、どうかしておるのではないかとさえ実は考えるのでありますが、こういう角度からも大学のあり方、制度、運用というものを根本的に再検討する必要があるのではないか、こういうように思うのですが、いかがですか。
  60. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ただいま御指摘になりましたように、いま私立大学の問題は非常に重要な問題になってきておると思います。それで、昔は私学を建設いたしますときには、相当の授業料等の収入をカバーする基本財産がございまして、基本財産の収益からある程度の学校運営とか将来計画をやってまいったわけでございますが、ただいまは、お説のとおり、単に運営だけでなしに、建設の面まで学生の納入金でまかなっておるというような状況になりまして、父兄の負担がますます過重になってきておる。これはもうおおい隠すことのできない事実でございます。  そこで、私どもとしましては、この状態を何とかして基本的に解決したいというので、臨時私学振興方策調査会によりまして、その結論をいま急いで出してもらっておるわけでございまして、六月末には一応の結論が出ることを期待されておるのでございます。ここで私学に対しまする国の援助の方式をどのようにいたしてまいりますか、少なくとも授業料の負担をできるだけ軽減して、私学と国立との間におきまするいまのような大きな格差をなるべく是正していきたい。実際上の教育におきましては、私学が大部分の分担をいたしておるのでございますから、私学の現状におきましては、私どもとしては、授業料の値上げは、いわゆる父兄の負担はもう一定の限界にきておる。これ以上上げました場合には、各私学ともいろいろいま私学問題が、構内における騒乱問題か起こったのでございますが、こういうのが避けられないような状況に立ち至るおそれがございますので、基本的にこれを早急に解決いたしたいというふうに考えておる次第でございます。
  61. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これは申し上げるまでもないことでございますけれども、やはり社会全体から見ますると、大学は次代のための一種の人間投資でございます。このような重要な使命を持った教育の殿堂であるべきでございますが、しかしながら、いまのような実情からいきますと、いかがわしい短大などもできまして、あたかも一種の純然たる企業の性格を持つ。企業と教育は、およそ私は区別すべきだと思うのです。一方は利潤の追求でございましょうし、一方は人間をつくる教育でございます。だから、人間をつくるそれが企業の場で行なわれるということになりましたら、一体何ができるのだろうか、こういうことになってまいります。そして、いまのように、洪水のように大学へ押しかけていく。大学の中では教育やら何かわからぬようなことが繰り返されていく。社会的にも、というよりも、みずからの負担もまことに大きい。こういうことになりますと、そういう不安とか寂莫とか憤りとかいうようなものが、やはり大学生の思想的な傾向に相当大きな影響を与えるものでないか、こう思われます。私はいろいろな意味から見まして、たとえば早稲田大学のああいう騒動といい、あるいはアメリカあたりにおきましても、加州大学で相当騒動があったようでございますが、こういうような一つの世界的な動揺のうちにおける現象のような一面もありながら、しかし、とりわけわが国におきましては緊急を要すべき大学教育の根本問題がそこにあるのでないか、こういうふうに思われます。でありまするから、これは一文部省仕事というべきではなくして、また佐藤内閣の仕事というべきではなくして、やはり国の将来のために一億の国民がかたずをのんで、その最も正しい権威のある解決の方途を生み出してもらいたい、こういうことに私はなっておるものと思われます。  私も、東京における私立大学のあちらこちらの内部的な動きというものも、少なからず耳にいたしております。こういうことも考えてみますると、やはり表へ出たときはもう時期はおそいのです。だから、内輪においていろいろと問題をはらんでおるときに、そこに向かって鋭意解決の手を差し伸べていくという文部大臣の気魄、見識というものを実際あらわしていただかねばならぬ段階にきておる、こういうふうに思います。  要するに、大学制度はあらゆる角度から見まして、人間をつくる意味から見ても、財政の面から見ても、国民の負担面から見ても、中等教育の延長、発展の面から見ても、将来の面から見ましても、これは制度、運用全般にわたりまして再検討をぜひしてもらわねばならぬ、絶えず検討はしてもらわねばならぬ。そしていろいろな事象に対しましても鋭敏にこれをとらえて、持ち込むようなぐらいにしてもらわねばいくまい、私はこういうふうに思っておりますが、どうですか。
  62. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私も文教責任を持たされまして、私学対策が、私としましては最重要な政策の一つだと考えておりまして、できるだけ、私の力の及ぶ限り私学の問題について解決をしたいと強く覚悟いたしておるのでございます。ただ、先ほども申し上げましたが、いまその抜本的な対策としまして、調査会におきまして六月下旬までに一応の解決策の答申を得ることになっておるのでございますが、その私学対策の調査会におきます今日までの論議の状況等を見ておりますと、私学に対しまする抜本的な対策と申しますか、援助対策は非常にむずかしい問題が多々ございます。で、どういう形におきまする答申がなされるか、私はその答申に非常に期待を持っておりますけれども、あるいは暫定的な対策に終わるのではなかろうかとも考えられる節もございます。ただ私学対策と一言に申しましても、たとえば経常費を援助するという問題一つつかまえましても、いかなる形態でどういうふうにやっていくか。また、私学の中には、いま申されましたように、その性格あるいは内容におきまして、非常に優秀な私学と比較的にそうでない私学といろいろございまして、それを悪平等に是正するとか、そういったような問題で非常に問題点があると思います。答申を待ちましてできるだけの解決をしたいと存じますが、現段階におきまする私学対策はきわめて困難であるということだけは、私ども覚悟いたしておるわけでございます。
  63. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 アメリカのバークレー事件というものの報告をちょっと読んでみましたら、問題の中心点といたしまして、日本と非常に類似した傾向がやはりあちらにもあるように思われます。多人数の教育であるので、一種の知識の伝達に終わっておるような感じがする、そういうことに対する大学当局への学生の不満の爆発であったように思う。さらにまた、人格的な、個人的な接触による学習というものがほとんど行なわれていない。で、学生からいうならば、IBMの何か符号のような、そういう扱いになるおそれがある。教育が全く機械化して、人間的に行なわれていない。現在の学生は、新しい一種の価値観を求めようとする傾向が強い。人としての教授の内面の真情に非常に触れたがっておる面もある、しかし、教授はこれに応じようとはしない、それは時間の浪費になると考えておる、これが教授の態度であります。  こういうようになってきますと、日本も将来そうなるんじゃないだろうか。そういうことになりましたならば、私は、やはり豊かな情緒、商い道徳を持つような人間形成はできなくなるのではないだろうか、こういうふうにも実は考えるのでございます。これはとくと文部省は御承知のことと思いますが、いずれにしましても、日本傾向もゆるがせにできない重要な問題のあることを、ひとつぜひとも特に御留意を願っておきたいと思います。  次は、大学院の問題でございますが、大学の問題が重要であることは、大学院の現状とのつながりにおいてこれを把握することがまた一番重要になってくるのであろうか、こういうように考えるのです。率直に伺ってみたいのですが、学校教育法によりますと、六十五条には、「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」きわめて高度な教育の課程でございます。この大学院でありますが、この大学院というものはまたやたらに多くできておるようでございまして、昨年でありましたか、わが国に百三十一大学院数があって、これは大学の総数の四一%強に該当するようであります。つまり、四割以上が大学院を持っておるということですね。そうして大学院の学生は、四十一年の五月には、これは文部省の統計によりますと三万二千七百八十五、こういうことになっておるようでございますが、これほどものものしい法律の宣言によって生まれておる大学院が、一体現状はどうかということになると、またこれはあ然とせざるを得ない。そもそも、大臣に聞きますが、大学院というものは一体独立した処物を持っておるのかどうか、設備を持っておるのかどうか、図書を持っておるのかどうか、それはいかがでございます。
  64. 天城勲

    ○天城政府委員 御指摘のように、大学院は高い水準をねらっておる教育施設でございますけれども、いま私たちのほうの考え方でやっておりますことは、学部と大学院とを組織、特に教官組織において分離した考え方をとっておりません。講座という制度をとっておりますが、この講座が、学部の教育と同時に大学院の指導にも当たるという考え方を前提にとっております。建物が独立かどうかということでございますが、大学院を持つ場合と持たない場合に従いまして基準のとり方を異にいたしておりまして、大学院のある場合には高い基準で坪数の計算をいたしておりますが、具体的に、ここからここまでが大学院であるというような形の建物の区分は、大学でその坪数の中で最も適当な形で建てておりますので、一般にここが大学院の建物だという独立の建物は、少なくとも国立についてはないわけでございます。実情は、講座を中心に大学院の教育考えておりますので、建物その他につきましても、いま申したようなやり方をいたしております。
  65. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 大学の制度は、現状においてはとかく学力は低下する、高い学力を望み得ない現状にある、根本的に再検討しなければならぬ、こういったときに、大学院は、いまのように学問の深奥をきわめるというようなそれほどの使命を与えておるのならば、建物ぐらい持ってよかりそうなものじゃないか。何も建物がそんなにどうというわけじゃございませんです。日本はここらにビルでも何ぼでもできている。これほど重要な使命を持ち、これほどたくさんな学生を収容し、これほど多くの大学院になっておりますこの大学院が、その使命にかんがみると、建物ぐらい持ってよかりそうなものじゃないか。バラックでも何でもいいです。建物もないのじゃどうにもならない。一体どういうわけだろうか。文部省はそんな意欲はないのだろうか。建物も人間も学生も設備も、一切がっさいもっと重視しなければならないというのが大学院じゃないのだろうか。なぜ一体大学院は建物ぐらい独立のものを持たないのだろうか。文部大臣、一体どのようにお考えになります。
  66. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 大学院に特別の教室、建物がないというのは、いま大学局長が申しましたが、国立の場合には大体そういう方式をとっております。だが、私学の場合におきましては、大学院の専用の建物を相当持っておるところがございます。ただ、国立の場合におきましては、大学の仕組みが講座を中心に考えておりまして、学部教育と大学院の教育とを一貫してその講座につきましては大学院までその講座で分担してやるという形をとりまして、実は学部と大学院とがこん然一体としてあるような形が現在行なわれておるのでございます。そこで、これは全く主観でありますけれども、将来大学院の問題を考えますときに、国立大学は七十四ございますが、これらの大学のすべてにいわゆるドクターコース、博士課程、最高の大学院までを全部設置するということは非常に困難でございますし、大学院の学生は各科目にわたりますと非常に少数な学生になるわけでございますので、これはまだそうやると決定したわけではございませんけれども、将来の問題といたしましては、やはり幾つかの大学院を主とする大学を設けまして、各大学の卒業生で大学院に入るのはその幾つかの大学に全部集中して行なう、そして十分な設備なり教授陣営を整える、こういう形をやるべきではなかろうかというふうに私現在考えておるのでございまして、今後大学院の施設整備につきましては相当問題がございますので、十分研究してまいりたいと考えております。
  67. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これは一つ考え方だと私は思いますけれども、いまのような大学の制度の実情でございますと、要するに専門研究はまことに不徹底しごくであります。そこで、いまの大学は一般教養を中心とする制度に切りかえ、大学院が専門課程を研究する、こういうふうにすることも一つ考え方でないか、こう思うのです。全部をそういうふうにすることは困難と思いますけれども、そういう方向へ解決の方向を見出していくということも一つのあり方でないであろうか。どうも大学院がちょっとこぶのようにひっついておるだけである。こういうふうなのは、戦後アメリカの制度を輸入したといいますけれども、どうもアメリカのそれと比較しまして同じでないようにも考えるのですが、同じがいいか悪いか一応別にいたしまして、ともかく一つの大学制度のあり方、大学院のあり方を、そういうふうに一般教養を中心としたものに大学は改めて、大学院におきまして専門課程を研究する、こういうふうにでもすることが一つ考え方でないかと思うのですが、御批判、御意見はいかがでしょう。
  68. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 まあこれはいまの新制大学を基本的に再検討しませんと、にわかにいまのお説のとおりにいくべきだとは断言できないわけでございますが、しかし、実際問題として、かりに東京大学の場合を考えてみますと、一般教養は駒場にございまして、ここでまとめてやっておりまして、専門課程とそれから大学院とを本郷で全部一括してやっておる。それは一般教養大学という考え方はしておらぬのでございますが、専門的な学問研究の場は本郷に集中してやっておる、こういう形で、いま先生のおっしゃいましたような一つの形で、自然に、そういう形で一般教養大学にはしておりませんけれども、大学の中でこういう形があらわれてきておると思います。
  69. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これは日本人はものまねが好きな国民でありますが、何でもかんでも旧制の、昔のいわゆる帝国大学、東京とか京都とか北海道、九州なんかのあのあり方をまねするという傾向が残存するのではないだろうか。これは私の憶測にすぎないかもしれませんけれども、そうではないであろうか。何でもかんでも大学院を設けなければならぬ。大学院があるかないかわからぬような存在である、貧弱そのものだということでは、これはまったく学生を愚弄したことになります。でありますので、これはやはり抜本的に大学院をしかるべく整理するか、大学院を設ける以上は進んでその基準として建物を持ち、それから設備も持ち、それから図書も備える、こういうふうにして、それは講座中心にできておるのだからというて何か仮住まいのようなかっこうになっておることは、ひいては担当の教官にも及んでおるのだろう、こう思うのです。担当の教官も、専任はないのでしょう。専任の教官はございませんですね。いずれも兼務でございますね、兼ね合っておるのでございますね。そうでございますね。だから、その辺も進んで専任の教官がなければならぬと思うのです。建物、設備、図書、専任教官と、こういうことは一貫してやはり大学院の充実、拡充のためには絶対必要な基準ではないか、こう思うのですが、深くそこまで進んでいって、そしてネコもしゃくしもと言うと語弊があるけれども、何でもかんでも旧制帝大のまねをするようなことをしないで、権威のある大学院はある数つくって、いずれもこのような内容をそれぞれ備えておる、こういうふうにしていくことが、これが今日の大きな解決の方向ではないかと思うのですが、いかがですか。
  70. 天城勲

    ○天城政府委員 御指摘のように、大学院の使命から考えまして、施設の面にしろ、設備の面にしろ、人的要素にしろ、充実しなければならぬということは全くお説のとおりでございます。さっきことばが足りませんでしたけれども、講座でごちゃごちゃにやっておるという意味ではございませんで、大学院を設置いたしますときには、大学の形式と違う設置の審査会で、一人一人が大学院の教官としての指導能力があるかどうかを調べた上で、大学院の設置を認可しておるというような状況でございます。私たちも、大学院の充実は、今後の大学教育の中の多くの問題の中で最も重要なものの一つだと認識いたしております。ただ、特に教官の組織につきましては、すべて大学院の担当と学部と分けてしまうということも、大学の現状からいって非常にむずかしい点がございますし、また研究所等の関係もございまして、お説の趣旨はわかるのでございますが、現実の転換のしかたについてはなお検討いたしております。方向といたしましては、施設の面につきましても経費の面につきましても、大学院の充実をはかっていくべきだということにつきましては、私たちもお説のとおりその方向に向かって考えておりますし、努力もいたしたいと思っております。
  71. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 大学を卒業しますと、浪人しなければ二十二、三歳ですね。そこで大学院に入って修士課程、博士課程、こういうふうにしますとやはり二十七、八になります。この設備も貧弱だし、十分な教育、学問も身につけられないような状況でもし進んでいく、こういうことになりますと、これは一つは、やはり大学の学生不安の大きなもとになるのではないか、あるいは欲求不満というようなことがいろいろなことにまた作用していくのではないだろうか、こういうふうにも考えられますので、アメリカあたりにおいて見られますところの、たとえば相当思い切った奨学金を出すとか、あるいはまた、夫婦で生活したり、あるいは大学院で結婚をしたりするようなことをしながら学問をしていく、教育を受ける、こういうようにおとなとして扱っていく。こういう半面も日本においては必要ではないであろうか、こういうふうにも考えるのでございますが、いまの実情から見ますと、その辺がかなり満たされないものが学生のうちに多くなっているというふうに感じられてならぬのであります。こういう意味におきましても、大学院の充実は絶対に必要である。ことに専任教官がないということは、これまたどうであろうか。これは人手不足、教授不足という面もあるかもわかりませんけれども、やはりこれは待遇の問題とのつながりもあるのではないかと思います。ことにこれは最近八%加俸ですか、本俸の八%加俸とかいうことになっておるようでございますが、現実の教官の人に、一体どれほどあなたは大学院でいろいろな講義等の時間、それからその準備、心労負担はどうなんだろうというふうに聞いてみますと、かなり大きな負担をしておるようであります。こういう辺は大蔵大臣に聞くべき点かもわかりませんけれども、やはりもっと積極的に、船員教官ができないのならできないで、兼任、兼務ならば、大学院を担当するという教官に対しまして経済的待遇は特にまた考慮する必要があるのではないか。八%というのではどうであろうか。しかもこれが、何か本俸の繰り入れの問題でとかく問題になったとか聞くので、これは別な機会に大蔵大臣と問答してみたいと思うのでございますけれども、もっと大胆に、大学院の充実は物と人の両面から充実していくことを進めていくのでないと、これはやはり先が詰まっておるような感じがどうもしてならぬ。大学院が権威のある学問の府になる、こういうふうに積極的に持っていってもらう必要があるのではないかと思うのですが、どうですか。
  72. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 先ほど局長からもお答えいたしましたように、現在の大学制度の中で、大学院のあり方というものは非常に重大な問題であるということはお説のとおりでございます。  第一にございました大学院学生の問題でございますが、実は大学院学生につきましては、これは俸給とかそういうことは考えられませんので、育英会におきまして相当多額の育英会の金を貸し付けることにことしの予算で相当考慮をいたしました。ほとんど大学院に入学いたします者につきましては、私どもとしては一〇〇%その対象にしたいと考えておるのでございます。そうして、もしその学生が将来学者とか学問研究の職務につかれます場合におきましては、将来にわたりまして学資の返還を免除いたす制度をとっておるのでございます。  それから、大学院の教授の待遇でございますが、お説のとおり八%の加俸、加算では、全くこれは不十分だと存じます。現段階におきましては、大学院を置ける大学というのは、講座を分担いたしております教授が大学院の教授になる資格のある大学しか大学院は置けない関係でございまして、その教授をやはり大学院の教授にいたすわけでございますから、その教授は学部の教授と大学院の教授とを兼担いたしますけれども、同時に、その教授を助けますところの助教授以下の定員について基準を設けまして、大学院を置く大学については特別の正員を増加していくという方法をとっておるのでございます。俸給の点は、ぜひひとつまた上げていきたいと思います。
  73. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 最後に、予算の関係をちょっと伺っておきたいと思いますが、大学院の予算を見てみますると、文部省の予算を通覧いたしまして、一体大学院の経費はどれで、どう使っておるのかということがよくわからぬ。だんだん御説明を聞いてみましても、人件費だとかあるいは学生一人当たりの積算の割り出しとか、あるいは教授一人についての積算の割り出しのしかた、設備等等ありますけれども、大学院としましての予算の仕組みというものが、どうもこれではいかぬのではないだろうか、こういうふうに実は思うのでございまして、幾ら大学院に国の経費が使われているのかということがわからぬ。大学院というものは、学校基本法によりまして目的を持っておることが明らかになっておるのですし、それから、なしておるところの業務も明らかになっておりまするし、すべて明らかになっておりまするのですから、そういう従来の予算の仕組みじゃなしに、この際いわゆる事業別予算制度をここに適用いたしまして、そしてその機能、目的あるいは予算の効率、結果、こういうものが一目りょう然にわかるようにしてはどうだろうか、こういうふうにも実は考えられます。もっともこの点は、大学院の予算を予算書から拾ってみてどうもはっきりしないものだから、私のほんの思いつきにすぎないのでございますけれども、確かにこれは研究に値する面ではないであろうか。教育だから、その教育の結果が直ちに物的な企業のように、生産の結果のようにあらわれませんけれども、しかし、予算の結果どのような効果があったかということの掌握はせられますし、一見して大学院はこのような国費を使ってこのような業績をあげようともくろんでおる、その作業計画はこういうふうになっておるということがわかるのでありますから、こういうふうな予算制度のあり方を抜本的に研究するというふうに一歩乗り出してみましてはどうだろうか、こういうふうに思うのですが、これは大蔵省との間で御相談になってしかるべきと思いますけれども、むしろ文部省から進んでそういうふうになさってはいかがか、これが大学院を拡充する一つの転機になるんじゃないかと考えるのでございますが、この点はいかがでございましょうか。
  74. 天城勲

    ○天城政府委員 現状をちょっと先に申し上げまして御意見にお答え申し上げたいと思いますが、現在、大学の予算は学部と大学院との関係についてどういう違いを持っておるかと申しますと、まず学生一人当たりに幾ら校費がかかるか、ここで学部と大学院ははっきり分けてございます。たとえば理科系の大学の専門の学部の学生は一人二万円と積算をいたしますが、大学院の場合は五万三千八百円、これは本年度の予算でございますが、積算根拠を明らかにいたしておりますし、大体倍以上の単価を組んでおります。それから教官当たりの校費、いわゆる教官研究費といわれておるものでございますが、これも大学院を持っておる講座につきましては、たとえば工学部でしたら三百八十万、それが大学院を持ってない場合には、これは教授、助教授、講師というそれぞれの単価になっておりますが、別の単価になっております。それから建物の場合は、大学院を持っている場合には一人当たりの坪数につきまして、これも実例で申しますと、工学部で申しますれば、大学院を持っておる場合には、一つの数式があるのでございますが、一番基礎のところを四百九十五平米という形で出発しますが、大学院のない場合には三百九十五平米という形で、百平米ぐらいの基準の違いを持って総計を出してございます。したがいまして、われわれとしては大学院の経費をなるたけ充実するような前提のもとに、いま申したような予算の中では意識して分けておるのでございますが、御指摘のように組織として大学院だけを学部から引き離して別の予算の形をとるということにつきましては、実は大学の中におきます運用において、現在、それは学問の違いだろうと思うのでございますが、学問によりましては大学院と専門と非常に密着した形で運営している学問がございます。たとえば理学部などは、ほとんど専門の課程と大学院というものを一緒に考えております。また、法学部のように、学部と大学院というものを非常に一線を画して分けているところもございますので、かえって予算上の組織を分けてしまうことによって大学の学内における運用のしかたを阻害してもいけませんし、特に各学問の分野によって違いがあるものでございますので、いま御指摘のような点はにわかにとれるかどうか、なお検討いたす問題でございますが、非常に実態が弾力的でございますので、私たちは積算の上でいま申したような態度を現在とっているわけでございます。  なお、御指摘のように、大学院に対して充実すべきであるという御意見についてはわれわれもそのとおりでございますので、今後予算の面につきましても、合理的な方法については格段の努力をいたしていきたいと思っております。  なお、設備費につきましては、実は本年度も大学院につきまして別の積算根拠をもって、大学院用の設備という形で予算も要求いたしたのでございますが、これは本年度は不首尾に終わっておりますが、私たち、なお大学院用の設備の基準を明らかにして、これは別途に予算積算をいたしたい。ことしもやって、うまくいきませんでしたけれども、今後はそういう面はさらに続けてまいりたい、こう思っております。
  75. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私のいま申し上げましたのは、予算を見まして、大学院の事業は何であるか、どのような目的を果たそうとして予算を組んでいるのであるか、予算の執行の結果が決算にあらわれて、どのような成果があったのであろうかということをやはり予算面からつかむことが一番必要でないか、こういうふうに思われますので、実は伺ったわけなんであります。いまおっしゃいました学生一人単価幾らというような区別のしかたというだけでは、大学院の機能、目的、その成果というものはつかみにくいのではないだろうか、こう思っております。先般の例のエカフェの報告なんかも、これはやはり一種の事業別予算制度を採用しているように私は思うのです。国連あたりにおきましても、かなり高度な事業別予算制度を施行しているということが全体の傾向でございますので、わが国におきましては、予算制度の根本に触れますからとかく大蔵省では異論もあるのですけれでも、もっと大胆に事業別予算というものを取り入れるということ、特に大学院をもっと学問研究のほんとうの殿堂にするということに、そういうことをきっかけに取り組んでいくというふうな熱意を私はぜひお示し願いたいと、こう思います。この点はひとつ大臣に御希望として申し上げまして、私の質疑を終わります。      ————◇—————
  76. 床次徳二

    床次委員長 この際、文教行政の基本施薬に関する件について、先ほどの長谷川正三君の質疑に関連いたしまして、小林信一君より質疑の申し出がありますので、これを許します。小林信一君。
  77. 小林信一

    小林委員 その問題についていろいろとお聞きしたいことがあるのですが、いまお話を聞いておりまして、非常に重大な問題で、あらゆるところでこの問題についてはいろいろ検討はなされているわけなんですが、いまの長谷川委員とのお話し合いの中で、私は一つ結論が見えたような気がするのです。というのは、日教組の倫理綱領というものは、これはどういう形であろうとも問題ないので、そういうことを教師自体が持つことは、これは文部大臣としてどうこう言っているわけじゃないのだ、それが教育の場でそういうものを生徒に押しつけるということに大臣は非常に問題を感じておる。したがって、そこから日教組の諸君と交渉を持つとか会うとかというふうな問題もできなくなっておるのだというふうな、こういうお話になったというふうに私は先ほど承ったわけなんです。そうしまして、そのあとでそういうことがあるかないかということについて、大臣はそういう事実があるのだ、こういうふうに言われたのですが、そうしますと、大臣行政責任者としては、そういう問題があることを放置しておくことも一つ責任問題だと思うのです。  それからもう一つ教師立場からすれば、日教組と会わない一つ理由をつくるために、大臣あるいは文部省が一方的な見解を持ってそういうふうに解釈しておるのだ。とすれば、これは教師立場からは非常に無慈悲な問題にもなってくると思います。これは先ほども大臣からお話がありました、かつて大達文部大臣が偏向教育というものを出しまして相当世間を刺激したことがございます。しかし、私ども、そのときには非常にこれは重大な問題だと考えまして、一々その事実について検討をしていったのですが、幾つかの問題の中には、その地域の人たちが泣いてこの委員会に訴えるような、そういう事実はないのだ、偏向教育があるというふうな判断を下されたことはわれわれとしても情けないことだというふうに、教師自体ではなくて、その地域の父兄の諸君が文教委員会にねじ込んできたことさえあるわけなんです。したがって、軽々に偏向教育ありというふうにものを断定はしてはならぬと思うし、あるならばそれに対して、大臣としては当然適切な処置をしなければならぬわけなんです。  私は、大連文部大臣があのときに出されました偏向教育云々の問題はあとで聞いたのですが、要するに、従来の教育委員会法を黒にするために、しいてああいうふうなものをつくったのだ、こういうことまで私は聞いております。私はその翌年ですが、文部大臣要求をいたしました。ああいうことはしょっちゅう文部大臣として行なっておるのだろう——単に教育委員会法をつくるために偏向教育の有無を全国的に調査するという、そんな軽率なことはないはずなんです。したがって、本年度も偏向教育学校ありやいなやという質問をいたしましたら、時の文部事務次官がこう答えました。こう答えたのじゃない、この廊下で、小林さん、あのことにつきましては文部省は答えないことにしました。私はそのとき政党にでも所属しておれば、政党の立場から文部大臣にもっと究明したかもしれませんが、無所属という立場にあったために、ただ一人の発言であったためにこれは無視されたわけなんです。それは事実、文部省がどのくらいその問題で困ったかということがわかるわけなんですよ。いま大臣がおっしゃったように、そういう事実があるとするならば、私はやはりこの際、ただあるというふうなばく然たる言い方でなくて、どういうところにどういう方法であるかということを明白にして、そうしてもしそれがないとするならば、大臣の先ほどの見解からして、倫理綱領にはこだわられることなく、日教組文部大臣は会うことがしかるべき当然のことではないか、こう考えられるわけなんですが、そういう点がこの委員会で明白にすることができるかどうか。私は、あるとするならば、そういう点は大臣責任でしなければならぬものだと思うのですが、大臣の御見解を承りたいのです。
  78. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 大達文部大臣のときに、御承知のように偏向教育禁止の法律が国会を通過したわけでございます。でございますから、今日偏向教育を行なっておるものがあるとすれば、すでにこれは法律違反行為をやっておることになるわけでございますが、その法律に実際従っておるかどうかにつきましては地方の教育委員会責任を持ってやっておるわけでございますから、私ども文部省が直接に小学校、中学校教育の内容にまで、監督と申しますか、これはやっていないわけでございます。でございますから、直接的にそういう事例があるかどうかというような問題は、法的にやはり教育委員会にまかしておる現在の日本の仕組みではございますまいか。でございますから、私どもが申し上げますのは、倫理綱領の中にはっきりと、教師一つの守らなければならない要素として、倫理綱領の精神を子供たちに押しつけていくということを書いてあるわけである、それが倫理綱領だ、そうやることが教師責任だと書いてある。そうなりますと、これはやっていないならば倫理綱領をおやめになっていただきたい、これは当然やめていただいていいのじゃないか。やめないとおっしゃるなら、やはりこれは書いてあるところをやられるような、何かそこに御意図があるからやめられないのではないか。ですから、実際問題として現場において、大達さんがいわゆる十八でしたか二十八でしたか、偏向教育の実例として国会に提出いたしました。私ども一議員でございましたから、大達さんが出しましたのを実地に現場について議員として調査に参った。現実にあの事例が、相当偏向教育の実例として認められた点もあるのでございまして、全くなかったとは言えないと思います。これは実例というものを報告をとってやったのでございますが、いま私どもは具体的な実例を持っているわけじゃございません。しかし、この倫理綱領にそういうことを教師責任としてやらなければならぬということは、規定がある限りにおいては、そういう可能性はあるものと考えなければなりません。そういう可能性のあることはひとつやめていただきたいと申しておるのが、さっきから私が申していることでございます。
  79. 小林信一

    小林委員 速記録を次の委員会のときに私は大臣と一緒に見たいと思うのですが、先ほど大臣は、そういうことがあるからと、具体的に大臣はそういう点を掌握されておるからという、長谷川さんとの応答の中に出てきたのですよ。だから私は、倫理綱領の解釈の問題も、それは非常に神経質に考えればあるいは大臣のような考えになるかもしらぬし、あるいは五十万という教師があれをどういうふうに実際毎日の作業の中でやっておるのか、そういう点が、これは非常にむずかしい問題で検討を要すると思うのですが、長谷川さんがそういうことがはたしてあるのかどうか、ないとしたらというふうなお話質問に対しまして、大臣はあるのだ、何か研修とか教研とかいうふうな問題のお話の中に出たほど、何かそういうものを大臣が具体的に取り上げておっしゃったから、そうおっしゃられると、これは文部省が何かつかんでいるとするならば、これをここの議員が聞くだけでなく、これは国民に言われたと同じことなんですから、教師自体として、はたしてそういうことがあるなら言ってもらいたいというのが、教師の心情じゃないかと私は思うのです。その教師代表するなら、私は、そういうものがあるならば、大臣、ここへ出してもらいたい、こう考えるわけなんです。先ほど大臣は、具体的な問題はつかんでおらぬ、そしてそういうものがあった場合には、地方の教育委員会がこれを処置する。私は処置なんという問題を聞いておるのじゃないのです。そういうものがはたして大臣が言うようにあるとするならば、これはやはり明白にしてもらわなければならぬ。おそらくきょうの大臣の発言というものは、これは教師の手にも渡ると思うのですよ。そういう場合に教師がどういう心境になるかということを私は考えるときに、具体的な問題があるならば出してもらいたい。それは大達文部大臣の出した偏向教育の問題は、これは大臣として出した場合には、全部がそうでありますという、そういう責任で出したのですよ。その中の一部が事実だったとかどうだった、そんな不見識なものであってはならぬわけなんです。だから、私は覚えていますが、岩手県の一関ですか、あそこの学校あるいは父兄、こういう人たち文教委員会に参りまして、私たち学校にはそんな偏向教育と称せられるようなものは絶対ないのだというように、問題を起こしたことがあるのです。だから、大臣がそういうようなことばを一言でも出す場合には、明確にそういうものをつかんで、そして立証できるものを持っておらなければ、私は、いまの日教組とのいろいろな関係が複雑であるだけに、ますますみぞを深めていくのじゃないか、こうも思うわけです。したがって、先ほどの長谷川委員とのお話の中に、そういう事実があるから、こういうふうなものは取り消されるのか、あるいは実際あるというのか、もう一ぺん御回答を願いたいと思います。
  80. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私が長谷川委員にお答えいたしましたのは、日教組の教研大会を開かれまして、教研大会を持ち帰りまして伝達講習と申しますか、各府県でやっておられることは事実でございます。それで、その内容を一々ここでいつの場合はどうだったというようなことは、いま申し上げる資料を持っておりませんけれども、大体におきまして日教組が、日教組の自分の考え方で各教科についてどういうふうにこれを教えていくかという、このいわゆる倫理綱領を実際面において教育の場にどう持っていくかということを大体講習をして帰ってくる。これは私が申さなくても、大体その事実は否定できないのじゃなかろうかと思います。そうならば、具体的に持って帰って現場においていかなる教育を各先生が準備されておるかというようなことは、文部省としては調べる方法もありませんし、また調べるべきではないと思います。学校の先生の一々——これこそ先生の教育の自主性を害するということになりまして文部省はできないのでございますが、そういう一つの過程をとっておれば、やはり倫理綱領にこう書いておれば、その現場において、そういう講習によってそういう教育が行なわれておるものと私どもは推定できる可能性があるのであります。ですから、それをこういう過程の想像のできるようなのはおやめいただいたらどうか、こういうふうに申し上げておるのでございます。
  81. 小林信一

    小林委員 大臣は、それでもっていわゆる日教組と会わない理由にしようとしておっしゃっているのかもしれませんが、いまのことばの端々をこれから速記録から拾い上げて検討していけば非常に矛盾があると思うのですよ。たとえばいまの、そういうことを大会できめたから、きめた以上は持って帰ってそういうことをするだろう、そういう推定の中から五十万教師全体に偏向教育のレッテルを張るということが、大臣として言えますか。そして現実にそういうことがあるかどうか。倫理綱領の解釈というものだって、大臣解釈一般教師解釈というものはまた違っているかもしれませんよ。そういうような思いやりの中で、そして具体的な事実をつかまえて、いまの重大な問題については、大臣は対処しなければいけないと私は思うのです。なお、私は次の委員会のときに速記録を見せてもらいまして、そして大臣のおっしゃっていることは非常に疑惑を持たれる——大臣はどうお考えになっているか知りませんが、とにかく最後におっしゃった大会でもってああいうことをきめるのだから、帰ってこれを研修会を開いて、そうしてそれを今度は実際授業の中に持ち込むだろうというような、だからどうだというふうに教師全体に一つの判定を下すというようなことは、これは私は非常に軽率だと思うのです。そういうことがほんとうにあるかないか。先ほど非常に大臣の謙虚な質疑応答を私は聞いておりまして、問題を解明できるじゃないか、あるいはそういうところから日教組にも何か反省ができるじゃないか、こう思ったのですが、一番最後に長谷川さんが、そういう実際があるかないかということが問題だと言ったら、大臣があるんだと言うところから非常にがっかりしたわけですが、しかし、いまのそのことばは次回の委員会にひとつ大臣のおっしゃった点を具体的に出して、そして検討してみたいと思うのです。結局大臣とすれば、そういうものを文部省としてはつかんでおらぬ、ただ、そういう倫理綱領とそして大会というふうな、そういう形の中から推定できるんだというだけですか。
  82. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私の言ったことばが、あるという——私が事実文部省責任者として、具体的に、警察官でも何でもないのですから、私があると言ったことが間違いであるという場合は、現実の場合においてそんなことはないという立証をひとつしていただきたいと思います。
  83. 小林信一

    小林委員 それはおかしいですな。ぼくらのほうにそういうことを——ぼくらは日教組でもあるいは教員という立場でもないのですよ。県民あるいは国民代表して、国民立場からあなたの発言に対して質問をしているわけなんです。ぼくたち日教組をどうこうするということも、私は日教組関係者ではあるかもしれませんけれども、ないわけなんです。そんな大臣の妙な言いがかりをつけたような答弁というものは、私はおかしいと思う。  とにかく委員長、これでいいです。
  84. 床次徳二

    床次委員長 次会は、明後十九日、金曜日、午前十時より理事会、理事会散会後委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十九分散会