○美濃
委員 次に、草の質の改善についてお尋ねしたいと思います。
牧草の質というものによっては、
日本の
酪農は非常に落ちるわけです。たとえばルーサンのように、枯れ草にしてたん白の高い草を供与しませんと——あるいはまた
日本の寒地においては、凍上のために根が切れてルーサンがうまく育たないという問題があります。しかし、そういう
地域を歩くと、野生ルーサンは育っているわけです。あの野生ルーサンにたとえば
改良ルーサンの品種配合をやる。寒地向けのルーサンをつくるということは農民はやれないわけです。先ほど来
耐用年数の問題が出ましたが、
耐用年数が
日本の牛は少ないという
原因は、現在供与している
濃厚飼料の過多にある。先ほど来いろいろ乳価の問題を引っぱり出して申し上げておりますが、いわゆる百キロ
当たり九百円という購入
飼料、これは私の調査の結果は、購入
飼料の見積もりは大体適正である。適正ではあるが、
乳牛一頭
当たり五千キロとした場合に、百キロ
当たり九百何がしでありますから約四万五千円、これを計算いたしますと、確かに草食
乳牛の体質の許容限度を越えているわけです。
日本の牛の個体そのものは北欧にそう劣りません。また生んでしぼる乳も、
日本人は勤勉ですから、三べんもしぼると、そのしぼった場合の一頭
当たりの乳量というものは、北欧よりもよけいしぼっておる。ただ、
乳牛全
頭数に対する乳量が低いのはなぜかというと、空体なんですね。はらまない牛が多いわけです。はらまない
原因は何かというと、粗
飼料が悪くて、
濃厚飼料過多で、脂肪体質にして不妊
原因をつくっておる。これがやはり
日本酪農の特徴であります。この
原因を解消しなければならない。その
原因を解消することによって、必然的に
耐用年数が二年くらい延びるわけです。二年くらい技術員が治療し、獣医師の洗浄を受けて、毎月人口授精してみても、とまらなければしかたがない。いい能力の牛だけれどもとまらなければ、乳をしぼらなければ経済性がないわけですから、やむを得ず
屠殺にやってしまう。これは肉が高いだけの
原因でもないわけです。それのみが
原因ではない。
日本の
乳牛の
屠殺が多いのは、もちろん肉高
原因も一面ありますけれども、不妊によってやむを得ず
屠殺という
原因もあるわけです。そうして
耐用年数が二年短いという。たとえば二十万の牛で
耐用年数が六年か八年かということは、
耐用年数からくる
乳牛償却だけで一万何千円ですから、
牛乳百キロとすると三百円か四百円というコストの違いが二年の間に出てくるわけですね。そうして、
濃厚飼料を多く食わしておる。それで
飼料コストは草よりも高いというわけです。これらを計算すると、私の計算では、北欧のいわゆる
生産性から見た場合、大体
牛乳一升で、飼育労賃は別として、十円高いわけです。これだけの計算で、
濃厚飼料が多くて、粗
飼料が少ない。
耐用年数が二年短い。
牛乳一升のコストが十円高い。このダウンをこの近代化
計画に合わせてすることが、やはり私はこれからの
日本の
酪農政策でなければならぬと思う。十円コストをダウンすれば、農民の
所得にすれば十円乳価が上がったと同じことになるのであります。そうすると消費者にもいい。
牛乳を上げて
酪農が安定するのじゃないのですから。技術開発によってコストをダウンして農民の
所得を上げるという政策が、私は一番正しい政策だと思うのです。それでなおかつどうにもならぬときに、乳価を上げて農民の
所得を確保するという手段に訴えるべきです。まだまだ技術改革によって
生産費をダウンして
酪農農家の
所得を向上し、
経営の安定をはかれる余地があるにかかわらず、それに対する
対策、政策というものが、全然やっていないとは言いませんけれども、真剣の
姿勢がない。たとえば試験場を歩いてみると、危険だからやめなさいと言う。豆の試験は、
農林省の直営の試験場、十勝にもあります。これもけっこうですよ、十勝は豆どころですから。寒地を歩いてみて、極限地だから米をやめろ、豆も危険だから少し反別を減せと言う。その試験研究は、昔の食糧増産のときから続いている試験研究だからいいのですけれども、それは依然として力を入れてやっておるけれども、新たに発展する
方向の技術改革の試験は、全然しておらぬとは言わぬけれども、過去の実績に基づきそろそろ転換しなければならぬという農作物の試験研究のほうは、まだまだ人員的にも経費的にも設備的にも力が入っていない。私はここに問題があると思うのです。やはり千年の歴史は大切だと思います。私は、
日本の米というもの、今日世界農業の中で一反から人間が食べるカロリーを
生産する中では、
日本の米というものは高単位の
生産をしておると思います。これは
日本の水稲の千年の歴史だと私は思うのです。千年の主食としての歴史がある。北欧地帯あるいはアメリカの
酪農とでは、
日本の
酪農はそういう非常に欠けた面があるわけですね。欠けた面は、やはり政策によって、技術開発によって、追いついていかなければならぬ。ただ
日本の
乳製品が高い高いという、あるいは
牛乳が高いという。それをさも
日本の農民の
生産性が悪いからだというような変な意識で乳価を論じるときに、そういう点に対する政策の手を打たないで、また、打ったとしても不十分で、そういう点は依然として短い年度で解決してやる。この政策あるいは
自給度を高めるという
考え方にならぬと、何か
日本の農業の
生産性が特に低いのだ——先ほどからの麦価の問題、麦の問題だって、欠けておる点がたくさんあるのです。
日本の農民は勤勉ですよ。
外国と同じ
生産体制に政治が
努力したなら絶対負けません。そうならない
原因は何かということなんです。政策の違いがあるのですね。そこを私どもは言いたいわけです。農政の上で、政策の違い、そういう大きなはっきりした違いがあるものを、全然それを技術的に解決してやろう、開発してやろうということをしないでおる。ただ
外国から買えば安いのだ、
日本の麦は高い、
日本の乳は高い、こういう理論でいったとしたなら、そういう
考えだけでは私はいけないと思う。そうして、農政を論ずれば、二口目には、
努力します、何とかしますと抽象論で片づけてしまう。それではものごとは済まないのですね、具体的にきちっとしていかなければ。
私は、先ほど麦の問題で大臣の
答弁を聞いておっても、私は残念に
考えて聞いております。ああいう抽象論で一体
日本の農業問題が解決できるのだろうか。
努力するということはだれでも言えます。抽象論ではだめだと私は思うのです。やはり具体性と、政策に力が入ってこなければ。政策が具体性があり、力が入れば、私は農業問題は解決できると思うのです。同じ条件を与えれば、私は、
日本の農民は世界のどこの国の農民にもそう落ちないと思います。特別有利だといって誇大にいばることもどうかと思いますけれども、
日本の農民の質が世界のどこの国の農民の質よりも落ちるとは決して
考えておりません。
それがなぜみじめなんだ、なぜそういうことをいわれなければならぬのか。ある一面においては、戦時中、終戦直後の、
日本のあの困難な時代から今日の繁栄をもたらした原動力は農業でしょう。
昭和二十五、六年、あの苦しみの中で、衣料品もない、事前割り当て、強権供出で、真に
日本の復興の一定年限は農業が基本となって
努力し、今日になったらどうでもいいようなことをいわれるのだから、これはたいへんなことだと思うのです。これは根本的には思想を悪化する問題にも続いてくると思います。そういう悪政をやると、思想問題にも発展してくるわけです。ですから、私は、ただいま申し上げておる数項目の問題は、どうしてもこの機会に解決をしなければならぬ、こう思うわけです。御意見をさらに重ねて承っておきたい。