○大出
委員 こうなっているわけですね。私の手元で調べている中身からいきますと、東ドイツの分割という特殊な政治
事情がございます。そこで追放された方々が八百八十万あるんですね。そして逃亡者が二百四十万ある。合わせて一千百二十万にのぼる難民が無一物で帰ってきた、こういう
事情。これは日本の皆さんが
外地から引き揚げてこられたと、この
意味では同じです。そういう方々に対する対策をどうするかということが、非常に大きな問題になっていたわけですね。この困難を
国民の総意によって乗り越えなければいかぬ。だから、ほんとうに
国民諸君は
外地から引き揚げてこられた方々のことを真剣に
考えろ。
考えたそういう
国民的、ある
意味ではコンセンサスですね、合意の上に三つの立法ができている。これは一九五〇年六月十九日実施の
引き揚げ者法、それから
戦争捕虜損害
補償法、三番目が先ほどあなたがおっしゃっていた調整法、俗に戦災平等負損法、こう言っているんですね。一九五〇年法と言っていますね。つまりこの三つの
法律が土台になっておりまして、第一の
戦争犠牲者救済法の
対象というのは、戦場あるいは後方を問わず、
戦争による身体障害者及び
遺族、これは非常にこまかい
法律ですよ、ドイツの方々らしい。夫を失った妻、妻を失った夫、子供を失った両親、孤児、全部分かれている。身体障害者は、障害の程度に応じて毎月十五マルク。一マルク約九十円でしょう。いまちょっと換算率が変わっているかもしれませんが、それが最高百八マルク、そういった救援金、救済金を受ける。他に収入のある場合には、それとの調整がはかられる。非常にこまかく書いてあります。それから、めくら、頭脳障害、こういうことで職業につけない人が最高百七十五マルク、
遺族のうち子供のない四十一歳以下の未亡人二十マルク、その他の未亡人四十マルク、こういうふうに全部分けられています。父を失った子供が十マルク、両親を失った弧児が五十マルク、これは成人に達するまで
支給するということです。子供を失った両親が、必要な場合に限って
支給を受ける。子供を失った両親まで受けるのです。この制度で救済を受けている人数が、身体障害者が百五十万人、未亡人が百二十万人、父親のない子供が百三十万人、両親のない弧児が五万人、子供を失った両親三十万人、合計四百三十五万人になっていますね。たいへんな数です。それから第二の、
引き揚げ者法といっておりますもの、それから
戦争捕虜損害
補償法、これもいま私が例にあげましたように、非常にこまかく規定をされておりまして、二百マルクから三百マルクの一時金というようなものも出ております。同じく
最後の
戦争損害と申しますものの平等化法、つまり戦災の平等負担法といわれておる
法律は、通貨改革の結果
財産を失った者の救済まで入っている。つまり日本でいうならば、封鎖預金、この種のものもみんな入っているわけですね。そうすると、さっき私は封鎖預金損害
補償というべきものと言ったのだけれども、これだって、明確に外国の例から見れば
戦争損害の戦後
処理の
補償なんですけれども、残っている。明らかになっているわけです。それから、土地所有者から、つまり
戦争被害を受けなかったもの、受けたもの、そういった焼け残った
財産等々に対して、全く一ぺんだけの税金をとっているのですね。課税
対象というものは、第一に一九四八年の通貨改革の日に居住した人、あるいは法人の五千マルク以上の
財産、これに対して一律五〇%の一度限りの税金を取る、こうなっているわけです。ただしその納税は、一九七九年までに毎年四回ずつ払う、こういうことで、この税収が毎年十二億マルクあるのです。第二に、不動産担保の利益及び通貨改革による債務者利益に課税をして、この税収が毎年五億マルク。第三に、連邦
政府、各州
政府の寄付金が七億マルク。その他を合わせて約二十五億マルクが平等化基金として積み立てられている、こういうわけです。まだこの
あといろいろあります。難民の、つまり引き揚げられた方々の
生活再建への処置、この二十五億マルクのうちで、一九五三年には、戦災救済資金に九億五千万、住宅資金に六億五千万、通貨改革損害
補償に四億二千万、事業施設建設資金に四億六千万マルク、こういうかっこうで、引き揚げてきた方々に工場をつくって、住宅をつくって、そこにお入りくださいといって入れて、二十年間でその損害は取り戻してみせるということで、ドイツの場合はやっているわけですね。だから、
国民的総意の上に乗って、
引き揚げ者の方々が国の
政策の上に乗せてもらっているわけでありますから、その
意味で非常な意欲をもって
政策に協力をした。だから、その
意味では、引き揚げてきた方々のドイツ経済に対する協力の度合いというものは、すばらしいものがあったということを
政府が報告をしておりますよ。そういうかっこうで、戦後西ドイツの経済復興というものは、意外に早く成り立った。その大きな力になっているという報告が出ております。だから、私は、
在外財産問題の
処理にあたって、本来ならば早くから
国民世論というものを説得をし、その総意の上に、お帰りになった方々の救済をはかるという、そういう
措置が、住宅にしても、あるいは就職にしても、工場にしてもとられる、そういう
政策が
政府によってとらるべきであったと私は思っている。そうしないと、何か知らぬが、この
法律が出てきた、各党が賛成だなんというと、新聞が片っ端から悪口を書くということになってしまう。私は、これは
政策のまずさだと思うのですね。だから、私はそういう指摘を申し上げると同時に、戦後
処理が終わったんだということをそう軽々しく口にしてほしくない。それこそある
意味ではナショナル・コンセンサスかもしれませんが、
国民的合意という
意味で戦後
処理というものをはかれるものは、国力、国情に応じてはかっていくという姿勢が正しい。そうでなければ納得できない人は納得しないんだから、そうすべきである。そういう姿勢の上でこの
法案を十二分に審議をして通ったんだということでなければ、
引き揚げ者の方々のどなただって、
国民のまん中にあって理解をされてこの種のものができた、こういうふうに進んでいかないと私は思う。そこのところを私は言いたい。こういうことを申し上げるのですがね。どうしても私は、戦後
処理というものは終わったんだというような言いっぱなしのことについては納得できない。やればできるのですから、かくのごとくやろうとするかどうかという問題なんですから、しかも
国民的な
基盤というものを求めての
政策立案だってできるのですから。だから、私はそういうようにお
考え直し願いたい。いかがですか。