○
關谷委員長 承知いたしました。
—————————————
〔
楢崎委員の発言を省略した部分〕
まず、反対の基本的理由は、何としてもわが党がかねてより主張しておりますとおり、自衛隊の存在そのものが違憲であるからであります。しかし、わが党といえども、自衛隊が
現実に存在している事実を否定するものではありません。したがって、自衛隊をいかに解消していくかについては、実現可能な条件とそのプログラムとをすでに国民の前に明らかにしているところであります。
第一、わが国の平和と安全が、まぼろしの脅威に対する軍事的対応だけで確保されるという発想そのものが、すでに
現実的な意義を失いつつあるのであります。
以下、私は若干その点に触れてみたいと思います。
昭和三十二年五月二十日付国防
会議決定の国防の基本方針の中におきましても、また本年から始まる三次防の文言の中におきましても出てまいっておるのでありますが、自民党内閣は、国防の基本に日米安保体制を置いているのであります。すなわち、自衛隊は自前でわが国の平和と安全を防衛するのではなくして、日米安保体制のもとで、
アメリカの戦略体系の中に組み込まれて初めてわが国の防衛ができるという仕組みになっておるのであります。
昨年、安保論争が国会で蒸し返されましたときに、外務省もまたそのことを裏づける見解を出しました。次のように言っておるのであります。日本は安保条約五条によって、
アメリカの核戦力が、日本に対する核攻撃を未然に防止するための、主たる抑止力をなしていると言っております。さらに、安保条約第六条によって日本は米軍に基地を提供しているけれども、日本にある米軍基地への武力攻撃を行なおうとする国は、安保条約第五条によって、日本の防衛に当たる米国との間の武力衝突を覚悟しなければならない。対米戦争の危険をおかしてまで対日武力攻撃を行なうことは、実際問題としてほとんど考えられないことである。以上のように言っておるのであります。
すでにお気づきのとおり、ここにおいてはベトナム戦争に対する認識と経験とがあざやかに忘れ去られておるのであります。なぜなら、現にベトナムの人民は
アメリカの武力侵略に対して勇敢に戦っているではありませんか。しかも、国会審議を通じてすでに明らかになりましたように、このベトナム戦争に対して、日本は進んで安保条約の適用を許しております。そのことによって、日本はみずから中立的立場を放棄し、侵略のための基地を提供しております。さらに、その特需に応じ、LST日本人乗り組み員をあっせんするなど、役務を提供するだけでなく、お金と引きかえに大学と企業の中から学者と技術者と施設とを供出して、
アメリカの軍事科学技術の下請機関となり、あまつさえ国家の最高機密であるべき最新のデータを盛り込んだ軍用地図を提供するなど、わが国の政治、経済、学術、技術のすべてをあげてベトナムに対する
アメリカの侵略に奉仕しておるのであります。
このような形の中で、
アメリカの武力侵略を受けておる国が、その侵略基地である日本の軍事基地を攻撃しないでいるのは一体なぜでありましょうか。すでに
アメリカ軍と戦争をしている国とその人民が、あらためて
アメリカ軍と武力衝突することをおそれるわけがありません。それでも彼らがそのことをしないのは、おそらくその力が許さず、またその効果に慎重であるからであると思うのであります。しかしながら、その能力があり、一たんその効果を見込むことができるようになれば、自国への侵略に利用されておる日本の基地を攻撃しないという保証はどこにもありません。私は、昨年八月、空襲下のハノイに入り、ホーチミンその他の北ベトナム政府の要人たちに会ってそのことを身をもって感じてまいったのであります。
かくして、
現実にいまエスカレートしておるベトナム戦争、あるいは同様な形で起こるかもしれないさらに大きな戦争の場合に、日米安保条約のもとで、日本にはたして一体何が起こるであろうか。この想定を
佐藤内閣が全く考えていないと私が
指摘するゆえんのものは、以上のような理由からであります。それは
一つの不幸な見通しであるかもしれません。あるいはまた思い過ごしであるかもしれません。しかし、それは決して架空の見通しでないことだけは断言できると思います。
現在の南ベトナムの事態を見ますと、
アメリカ軍が地域の安全保障をするということは、すなわち
アメリカ軍が欲する限り、果てしなく戦争を続けるということにほかならないではありませんか。人民がいかに戦争に苦しもうと、戦争に反対しようと、全く意に介しないばかりか、その国の政府でさえ、自分に都合の悪いものは、次から次へかいらいを入れかえていくという事実を、私たちはずいぶん見てまいりました。かつての韓国がそうでありました。そしてまた、今日の南ベトナムがそうであります。
このような経験と教訓は、
アメリカと相互安全保障条約
関係にある限り、どこにでも起こり得ると考えねばなりません。起こり得べき脅威の備えとなるものが日米安保体制と自衛隊ではなくて、むしろ逆に脅威を起こり得べきものにしているものこそ、日米安保体制であり自衛隊であるという認識を、ベトナム戦争の経験は具体的に日本国民に教えておるのであります。
それでもなお、
佐藤総理は南ベトナムへ激励に行くというのであります。もしも、
佐藤総理が真剣にアジア問題へのアジア的アプローチを考えておられるのなら、南ベトナム民族解放戦線はまさに民族独立運動であり、国連憲章が保障している民族自決の精神にのっとり、ベトナムはベトナム人にまかせることが一番自然であるという認識を前提とすることが必要ではないでしょうか。中国問題もまたしかりであります。アジアの独立国家かすでに認め、フランスのドゴールさえいまそれを知るに至っておるこの種の認識にさからって、朝鮮については南北分断を固定化する日韓条約を強行してソウルを訪問し、中国貿易については、台湾の介入を許して台北を訪れようとし、ベトナムについては
アメリカの言いなりになってサイゴンに足を踏み入れるようでは、アジアにおける独自の平和外交というものはとうてい望むべくもありません。
かくして、
防衛庁は、三次防においてもひたすら軍事力の拡大強化のみを求めておるのであります。一体、それによってどのような形の戦争を夢みているのでありましょうか。そうして、どのような安全を国民に約束しようとしているのでありましょうか。いま自衛隊が、起こり得べき脅威に対処しようというまぼろしの戦略は、まさに本土を決戦場とする苛烈な戦争を夢みているのであります。
三次防から四次防、四次防から五次防へと際限なく強化されていく軍事力が、国民の被害を増しこそすれ、本来の
意味における安全を保障するなどということは絶対にできるものではありません。そのことを認識することのできない自衛力や防衛
計画は、日本国民の犠牲によって
アメリカの安全に奉仕するだけの
意味しかないことになります。
真に必要なものは、長期の防衛
計画ではなくして、まさに長期の展望を持つ平和
計画でなければなりません。そのことの認識が国民の間に潜在的にあるからこそ、自衛隊の自力
募集は思うにまかせず、
定員は
不足し、結局徴兵制度を思わせるような適格者名簿作成による
組織募集を
市町村に強要するという違憲行為をあえてせざるを得ない羽目におちいっているではありませんか。
しかし、ただ
一つだけ内閣
委員会における審議を通じ、私たちが支持を表明したいものがあります。それは、わが党の
山本弥之助委員並びに山内広
委員の関連
質問に対しまして、
増田防衛庁長官は、以下のようにはっきり
答弁しておるのであります。すなわち、核装備の国内持ち込みは憲法に違反する、こう明確に
答弁されました。さらにもう
一つ、日本はベトナム戦争に対して中立的立場である、このように明確に
答弁されました。この
答弁は、従来の政府の態度と明確に相違するものでありまして、私どもは、この
長官の見解を支持したいと思います。
以上、「死んでいった者は黙して語らざるがゆえに、生き残った者は何をなすべきか」この戦没学徒出陣の若者たちが残していった命題にいまこそ真剣にこたえる
意味におきましても、国民の代表たる同僚の皆さんの良心と良識にお訴えを申し上げまして、反対討論を終わる次第であります。