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1967-07-24 第55回国会 衆議院 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年七月二十四日(月曜日)    午後一時二分開議  出席小委員    小委員長 小峯 柳多君       笹山茂太郎君    西岡 武夫君       村上信二郎君    村山 達雄君       堀昌  雄君    武藤 山治君       村山 喜一君  小委員外出席者         大蔵省銀行局長 澄田  智君         大蔵省銀行局銀         行課長     高橋 英明君         大蔵省銀行局金         融制度調査官  滝口 吉亮君         参  考  人         (全国銀行協会         連合会会長住         友銀行頭取)  堀田 庄三君         参  考  人         (日本興業銀行         頭取)     中山 素平君         専  門  員 抜井 光三君     ————————————— 七月二十四日  小委員砂田重民君同月四日委員辞任につき、そ  の補欠として村上信二郎君が委員長指名で小  委員に選任された。 同日  小委員村山喜一君同月十七日委員辞任につき、  その補欠として村山喜一君が委員長指名で小  委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  金融に関する件      ————◇—————
  2. 小峯柳多

    小峯委員長 これより会議を開きます。  金融に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として、お手元に配付しております名簿のとおり、堀田庄三君及び中山素平君の御出席をお願いしております。  それでは、まず、全国銀行協会連合会会長であります住友銀行頭取堀田庄三君が御出席になっておりますので、今後の金融制度及び金融機関あり方について、忌憚のない御意見をお述べいただくことにいたします。堀田参考人
  3. 堀田庄三

    堀田参考人 ただいま御指名をいただきました堀田でございます。  本日は「今後の金融制度金融機関あり方」というテーマで所見を述べるようにということで参上した次第でございます。  この問題は、すでに前回のこの小委員会におきまして、全銀協の田實会長及び地銀協の平野会長が公述されましたので、実はここへ参りますについて一応議事録を読んできましたが、当面の問題点はほとんど網羅されておりますし、また将来のビジョンとして描かれた方向も、おおむね両氏の御意見に賛成であります。結論として申し上げますことは、政府金融機関並びに民間金融機関とも、全般にわたって根本的に再検討する時期が到来している、かように存じます。  ついては、同じことを繰り返すのもどうかと思いますから、できるだけ両氏前回に触れなかった点について若干の所見を申し述べたいと思いまするが、事の性質上、多少重複することもあるかと思いますが、お許しを願います。  なお、私の場合は、副会長というお話がございましたが、会長と副会長意見が違うというのは、これはどうも感心しない。したがって、私は私個人としての資格でお話を申し上げたいと存じますが、同時にまた、立場上どちらかというと普通銀行中心を置いて申し上げたいと存じます。もっとも、その他の問題につきまして、あとから御質問があれば何でもお答えをいたします。最初にそれを御了承をお願いしておきます。  第一に、金融制度効率化について申し上げたいと存じます。  現在のわが国金融制度は、長短金融を分離し、さらに信託証券業務中小企業金融業務など、業務分野を区分してそれぞれの専門機関を設け、金融円滑化をはかることを一つの柱としております。このような制度は、戦後の復興過程における絶対的資金量不足時代におきましては、非常な大きな意義役割りを持っておりまして、その効果も絶対であったと思います。しかし、その後わが国経済が急激な発展と構造変化を遂げ、金融面でも、資金の絶対的不足といった状態は、近来かなり改善された感があります。その結果、金融機関業務内容も、制度確立当時と著しく異なり、いわゆる同質化現象があらわれてまいりましたことはいなみがたい事実であります。このことは田實会長が公述されておるところでありまするが、さらに今後の情勢を展望いたしますと、従来以上の大きな変化が起こり得ると予想されるのであります。  その第一は資本の自由化であり、第二は経済成長パターン変化であると思うのであります。この二つ変化は、金融面にも大きな変革を要請いたすこととなりましょう。これは、一方では金利国際水準へのさや寄せの問題が起こり、また、他方では大企業自己金融力の増大に伴う金融体制先進国化傾向が出ると思うのであります。もっとも、このような変化が今後一本調子で進むかどうかは疑問でありまして、その間相当起伏もあり、また、大きな技術革新でもあります場合は、金融の様相もおのずから異なってくることも考えられるのでありますが、いまのところは、大勢その方向をたどるように考えられるのであります。このような大きな転換期に直面して、これまでの金融制度を再検討すべきは当然と思いますが、その際われわれとして考慮していただきたい点が一つあるのであります。  それは今日、金融機関のうち、最も合理化が進み、その結果資金コストの低いのが普通銀行であります。ことに日本都市銀行資金コストは、小切手普及度の差や国民貯蓄態度の差に基づく預金構成の違いが大きく響いて、現状なお外国銀行に比べまして若干の割り高となっておりますが、人件費率経費率で見ると、そう大差はない状態になっております。  そういういわば競争力のある金融機関成長が大きくて当然だと思いますが、現実はその逆になっております。試みに、過去十年間の預金資金量成長を見ますると、全金融機関では六・一倍になっておりますが、都銀は四・五倍、地銀は五・八倍と、いずれも平均的な伸びを下回っております。これに対して、信託勘定を含む信託銀行は九・三倍、信用金庫は九・七倍、長期信用銀行は七・八倍、相互銀行は同じく七・八倍になっております。その結果、都市銀行のシェアは三十一年末の三六・三%から四十一年末には二六・七%へと、約一〇%も低下しております。普通銀行努力が足りないといえばそれまででございますが、これには主として次の各種理由が考えられるのであります。  その第一は、この間における激しい経済構造変化、別して所得構造変化であります。戦後、大衆所得の増進が顕著で、いわゆる所得革命といわれる現象が生じたことは喜ぶべきことでございまするが、その結果貯蓄層に大きな変化が生じました。  第二に、これまでの金融制度が、長短区分をはじめ職能分離原則とし、固定的なワク組みの中に銀行業務を押えてきたことが、普通銀行活動舞台を狭め、銀行をして所得構造変化にスムーズに適応せしめなかったことであります。  このように見てまいりますと、自由化に対処して金融効率を高めるには、比較的外国に対しても競争力のある金融機関活動をいま少し自由にすることが、時代要請にこたえる捷径ではないかと思うのであります。  この点で、一つの示唆を与えるのが最近の外国事例であります。たとえば、カナダでは本年五月より新しい銀行法が施行されましたが、これは旧法が銀行に課してきたきびしい制限のゆえに、他種金融機関に比し銀行が著しく立ちおくれたという現実を反省して、銀行業務自由化多様化をきめております。具体的には、貸し出し金利自由化抵当金融業務制限撤廃金融債発行等資金の吸収、運用両面にわたって、自由化多様化を進めている点が注目されます。またフランスでも、業務分野制限緩和店舗行政自由化等銀行活動に関する規制の緩和が進められております。  このように、普通銀行業務多様化はいまや世界的傾向でありまして、わが国においても、普通銀行強化をはかるには、業務多様化が最も効果的と考えられるのであります。  なお、こういった理由を具体的に申し上げますると、大企業自己金融力が次第に増大する一方、資金調達方法も、漸次傾向として社債、株式等、直接金融方向に向かいましょうから、都市銀行といえども企業取引中心とした業務運営は許されなくなります。漸次中堅企業から中小企業へと取引層を広げていかなければならず、現に私の銀行現状取引総件数の九六%、金額では二六%程度中小企業取引となっております。さらに、これから先は一そう国民生活に密着した業務分野を拡充することが必然的な要請となると思うのであります。  なお、金利引き下げのためには、金融機関内部留保を厚くすることが必要でありますが、これを税制面から見ますると、前回のこの会でも取り上げられたように、不良債権償却の一そうの緩和措置が望まれます。これは統一経理基準とも関連いたしまするが、現在程度ではとうてい問題にならぬと思われます。  ちなみに、公表決算から逆算いたしました償却引き当て前の経常利益申告所得比率を見ますると、銀行ではおおむね五、六〇%、中には七〇%近いものもありますが、こうなっておりまするのに対して、公共性の強い電力、基幹産業である鉄鋼、機械等では特別償却等それぞれの理由はあるといたしましても、銀行に比べ比率は格段に低いものとなっております。  次に申し上げたいことは、国債発行金融制度についてでございます。  現在われわれにとって関心事となりつつあるのは国債発行に関連した問題であります。これはやや角度の違う問題でありまするが、広い意味では金融制度の問題と考えられると思いますから、この際申し上げさせていただきます。  わが国で戦後国債が本格的に発行されたのは昭和四十年度からでありまするが、当時は緊急不況対策としてその発行がきめられたため、この引き受けについては市中消化原則がうたわれたものの、本格的な検討がなされないまま今日に至ったのであります。  しかしながら、現実には国債発行資金偏在拡大する働きをいたしております。これは、都市銀行国債引き受け比率は、長期信用銀行を含めると五割強と高いのでありますが、それが財政資金として支払われた場合の預金としての還流度合いはかなり小さいのであります。これに反して、その他の金融機関は、国債引き受け額より預金還流額のほうが大きいため、必ず資金余裕が生じてまいるのであります。しかし、資金余裕の生ずる金融機関資金コストが高いため、低利の国債を多く買うことはできません。そこで、結果的にはこの余裕金都銀コールで取り入れて国債引き受ける形になっておるのであります。国債保有状況海外と比較いたしますと、日本の場合、全国銀行が四九%、その他金融機関が九%、個人その他が九%で、政府、日銀が三三%となっておるのであります。これに対し、米国では市中銀行が一七%、その他金融機関が一六%、個人が二三%、英国では市中銀行が一二%、その他金融機関が一〇%、個人が二二%といった形で、日本全国銀行保有がいかに多いかがおわかりいただけると思います。さらに、その他政保債地方債に加え、事業債金融債株式保有増加傾向にあるため、都銀有価証券投資は非常な額に達し、資金じりの圧迫は、現在融資の面よりはむしろ有価証券の面からの圧迫がきわめて大きくなっておる実情であります。  このような状態で、国債発行が一時的なものであるならばともかく、発行額は今後急増しないまでも、発行が長期化するということは必定と思われますので、今後国債発行に伴う資金偏在拡大を是正することを制度的に検討してもらいたいと思うのであります。  その際まず第一に考えるべきは、国債市中消化の本来的な意味は、国民貯蓄引き受けることでございます。われわれの銀行預金ももちろんこの中に入るのでありますが、その典型的なものは郵便貯金だということであります。郵便貯金等運用部資金は、政府の手に握られておって、財政投融資の原資となるために、財政資金のように考えられがちでございますが、これは民間貯蓄にほかなりません。したがって、運用部資金は、国債引き受けに優先的に充てられてしかるべき性格のものではないかと思います。現在のごとく、市中金融機関引き受けを第一義的に考え、運用部引き受けを第二義的に扱うのは、当局にいろいろな事情があるとは存じますが、いささか疑問なきあたわずと存じます。  第二に国債引き受けかわり金市中預託制度の導入を希望いたします。これは、国債引き受けがだんだん困難になるにつれて、その一部緩和をするためにもこの措置が必要であると思います。現に米国では、国債州債はもちろん、税の取り扱いに対してもこの方法をかなり大胆に活用いたしておるのであります。  第三に申し上げたいことは、公社債市場育成強化であります。公社債市場は、各種資金を直接債券に動員する機能のほか、価格変動という一種の金利作用債券需給調節機能を持っており、国債発行もその市場価格変動基準に調整さるべきものであります。その意味で昨年再開されましたが、なお現状はきわめて不十分でありまして、これを強化する必要があると存じます。  第四に、資金余裕のある金融機関資金を直接債券投資に向かわせるような方法を検討してみてはどうかと思います。もちろん、中小金融機関資金コストは高いので、直ちに国債引き受け専門機関を考えても成り立たないと思いますが、政府保証債金融債あるいは事業債中心引き受けでも意義があると思うのであります。  以上、国債引き受け立場から見て、企業努力だけでは金融のひずみが解決せず、かえって国債発行によってその偏在拡大している現状にかんがみ、当局善処方をお願いするものであります。  次に、再編成問題について申し上げます。  日本産業は、明治以来、先進諸国に追いつくために、おおむね保護的な政策のもとに成長し、戦後も封鎖経済の中で温室経営になれてまいりました。金融機関もその例外ではありません。そのため、日本的な後進性が各方面に残っており、金融面はことに後進性の強いおくれた部面に属するかと思います。ところが今回、自由化に際会し、産業界はもとより、金融界にも国際的経営への転換を強く要請されるようになったのであります。ここに金融界集約ないし再編成を考えざるを得なくなったわけであります。しかし、百年に近い歴史につちかわれた伝統ある金融機関の再編成が一朝一夕にできるはずはなく、これには相当の時間をかけて慎重に研究してやるほかはないと思います。  その際考えねばならない基本的な問題として、本来の専門金融機関も含めてこれを考えるべきか、専門金融機関はこれを残して、その範囲で別に考えるべきかという問題があると思います。銀行業務完全同質化を指向するとすれば、職能分離原則とした金融制度は改められねばならないからであります。しかし現実問題としては、それぞれの専門金融機関が今日果たしている役割りは一時に比し軽くなったとはいえ、まだまだ相当大きなものがあります。今後も当分はその活動分野があるはずでありますから、これを短期間に完全同質化することは、実行面から見て困難ではないかと考えます。また、そのような社会的な職能を持っている金融機関は、制度がかり完全同質化方向を指向したといたしましても、歴史的な因縁や地域的密着などの特徴を生かしたそれぞれの分野専門性の強い金融機関となると思います。けだし、数多くの同質金融機関ができたとき、特徴のないものは存立理由を失うことになるからであります。  このように考えますと、金融制度面では、これを性急に無理に同質化するような改変を行なう必要ははたしてあるであろうかと考えまするが、両者の間のかきねを低くし、場合によってはそのかきねを取り除くこともできるような弾力的なものにする程度で出発するのが実際的かと思うのであります。  このような基本方針のもとで、集約ないし再編成の類型を考えてみますと、次のようないろいろな型があります。  第一は、都市銀行同士合併であります。第二は、ユニットの小さい同種金融機関の統合であります。この二つは、いわゆる横の集約であります。第三は、異種金融機関が、業務面補完関係や地域的な関連性によって集まり、ある程度スケール拡大を実現するいわゆる縦の集約であります。第四は、労働不足の進行と経費節減要請から、事務の提携または機械化が必至となってまいりました今日、その必要から、たとえば二重投資を避けるために、一つ電子計算機のもとで共同の計算センターを設けて協力し合う集約であります。これは縦も横も考えられるわけであります。  さて、このように集約の型はいろいろ考えられますが、いずれにしても、その実行となると、金融機関自主的判断によって行なわれることが理想であります。当局としては、まずこのような集約合併を妨げている法律を早急に改正し、それぞれの金融機関にいずれのパターン集約を志すかは自由に選択させる余地をつくるべきだと思います。  といっても、現実にはこれだけではなかなか集約は進まないと思います。過去の例を見ましても、また海外事例でも、合併の時期にはそれを促進したモメントがありました。その意味ではそこに一つ促進剤が必要であります。古典的な自由競争をさせ、弱いところが行き詰まらざるを得ないような政策をとることも一つ方法であると思いますが、実際には、金融機関の破綻は社会問題を惹起しますだけに、そういった政策はとりにくいものであると存じます。したがいまして、行き詰まる以前に手を打つ必要があります。そう考えますと、行政当局行政指導なり誘導政策が最も現実的なように思うのであります。つまり、行政当局は、個々の金融機関について量質両面にわたって内容をよく御承知のはずでありますから、あるべき金融機関の姿から離れるおそれのあるところについては、集約等によって、スケール内容ともに望ましい姿なりユニットなりに向けさせるような誘導をしていくことができるはずであります。この場合でも、統制ではなく、望ましい姿に集約したものにメリットを与えるといった誘導にとどめるべきであると思います。  最後に、いささか問題を離れるかもしれませんが、私が平素考えておりまする信念ともいうべきものを申し上げますと、これは金融制度に限りませんが、日本経済は、いま大きな転換期に直面しておると思うのであります。したがいまして、いろいろの問題があっても、自由化は漸次拡大せなければならず、自由化のためには経済各部門にわたって必然的に国際化する必要が出てまいると思うのであります。これは金融面では国際的水準に合致する金融制度金融機関経営に徹することであります。その具体的方向先進国の姿が一つの見本となると考えます。  もう一つつけ加えますと、われわれは、すべてにそうでありますが、金融制度につきましても、いかにあるべきか、すなわちシュッド・ビーの問題を考え、その目的を達成するためにいかにすべきか、シュッド・ドゥを打ち出すことだと思うのであります。現状に比しまして、シュッド・ビー、すなわち、目標は高く険しいながらも、ある程度だれにもわかっておると思います。これをいかに実現するか、すなわち、シュッド・ドゥの問題こそ困難な問題でありますが、これは何としても衆知を集め、その得失なり手順なりを慎重に時間をかけて検討し、結論が出たらば、その実行は、いろいろな圧力を排し、果敢に勇気を持って断行することが肝要と存じます。この点は、先ほど申しましたように、金融制度のみならず、何によらず日本現状はやはりこういう状況にあると存じます。  一応私の公述を終わります。御清聴を感謝いたします。
  4. 小峯柳多

    小峯委員長 どうもありがとうございました。     —————————————
  5. 小峯柳多

    小峯委員長 これより質疑に入ります。堀昌雄君。
  6. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまずっとお述べになりましたことの中で、国債発行のために資金偏在をしてくる、こういうことですね。そこで、この同質化の問題というのは、同質化をしたら、いまの国債発行下における資金偏在というものが、はたしてある程度正されるようになるのかどうか、その点をちょっと最初にお伺いしたいと思います。
  7. 堀田庄三

    堀田参考人 私は国債の問題を取り上げたのでありますが、実は、国債は相当な重点をなしておると思います。けれども資金偏在は、さっきも申しましたように、所得革命というような問題に基因するところが非常に大きい。従来よりも財政のウエートが国債発行によって相当高くなっておるということは言えると思います。したがいまして、いままで金融操作ですべてうまくやれたものが、いまや国債発行を含めた財政全体の操作に基因するところが多いとともに、所得水準が上がってくるということは、どうしても下部金融機関との密着度が高くなるということになると思います。そういう点から申しますと、さしずめ私どもがいま一番困っておるのは、先ほど申しましたように、昔のようなオーバーローンの姿で困っておるのではない、債券の累増で困っておる。したがって、債券なかりせば、オーバーローンは解消し、金融機関借金、私ども借金は相当減っておるはずである。にもかかわらず、金融が緩慢な状況においてなおかつ借金がふえておる。そういうのは、やはり国債等有価証券が多い。今後何年間かに国債発行が終わるというなら問題はない。今後もなお相当大量に長く続くことになりますと、それを上積みに考えれば、どうしてもコールをとって消化する。これは逆ざやになるわけでありまして、いつまでもこの方式ではいけない。資金偏在も、財政資金は一応直接には政府契約者の間に落ちまするけれども、それは漸次下へ流れていって、たとえば大工さんが三千円の日給を取るというようなことになりますとか、所得水準が変わってきたことからくるものが非常に多い。私の申し上げるのは、国債は、端的にいって、われわれが直接受ける問題として大きくクローズアップするが、財政全体の需要が多くなったというところに相当な問題がある。それから輸出の伸長も、やはりこれに関係して、すぐ代金が右から左へ現金化されるということで、金融緩慢化には大きな役割りを演じている、こう思いますが 特に国債を取り上げたのは、われわれの手元関係中心に申し上げたのであります。
  8. 堀昌雄

    ○堀小委員 そこでいまの問題は、私二つの問題を含んでいると思うのです。と申しますのは、財政が大きくなり、政府保証債なり国債なりをどんどん出していくということは片面にありますが、同時に、今度はそれを都市銀行がかなり割り当てられておる。これはお金を都市銀行が出していくわけですね。今度はその金のもとになるほうは、いまのお話所得構造変化で、下のほうにシフトをして都市銀行のほうに集まらなくなる、両面からいま都市銀行は間口が狭くなりつつある、こういうふうに理解をいたします。  そうすると、預金の獲得のほうは、いまのお話同質化の問題でそれでは解決がつくかどうかという点に少し疑問があるわけでございます。というのは、中小のほうの金融機関の集めております集め方と、いまの都市銀行が集めておられる集め方は、規則上、業態上ではあまり変わりがないと思うのです。かえって、どちらかというと、中小金融機関のほうはコストが高い形で預金を集めているのじゃないだろうか。ですから、同質化をしたらそういう預金都市銀行のほうにシフトをしてくるのかどうかという点に、私第一点の疑問がございます。  それからもう一つは、銀行のバランスがそういう形になっておるのならば、そういう政府関係債券が減らない限り問題が起こる。そうすると、資金関係から、おそらく場合によっては、コールがかなり上がってくるとなると逆ざやになる。逆ざやになったら、もう市中消化という名前はちょっと私どもおかしいと思うのですね。皆さんのほうは国債を買うために逆ざやコールを取って国債を買うのだというのは、これはかなり強制的に割り当てられるから買わざるを得ないという一とになるので、自発的意思では、ほんとうはコマーシャルベースで買えないものを押しつけられるという問題が起きてくる。ですから、この面のほうは、コール国債の利回りを上回ってきたら、自動的に金融機関としては、これ以上はわれわれは経営上の問題からしてお断わりをしたい、こういう意思表示が少しはっきり政府の側にされる必要があるのじゃないか。私は、かつて、相互銀行、信用金庫の国債引き受けについて、相互銀行、信用金庫の資金コストというものは国債のいまの利回りから見て逆ざやなんですから、一体シンジケートにあなた方が手をあげて入るということはどういうことなんですかということを、信金、相銀の代表者に伺ったことがございます。そういう点からするならば、もしコール逆ざやになったときに、金融機関は勇気を持って政府に対して、ちょうどいま金融債に対しては、各銀行かなりこれ以上困りますという意思表示をなすっているのですが、金融債だけでなく、国債についてもそういう点の意思を明らかにされない限りは、いまの問題は解決をしないのじゃないだろうか。国債がずっと出るということが前提でございますが……。ですから、この二点をちょっとお伺いしたい。
  9. 堀田庄三

    堀田参考人 いまの問題にお答えいたしますが、同質になったらば、中小金融機関のように下部に浸透して資金が集められるか。それは、先ほど私は合併の類型を申し上げましたときにいろいろなことを申し上げました。同じ土俵に全部入れて弱肉強食をやれといえば、これはできます。けれども、それはあまりにも摩擦が多い。優勝劣敗というのは資本主義の原則なんですが、私は、どうもいまの世の中は、私の表現でいくと社会主義的資本主義だと思う。あるいは社会政策的資本主義——いままでのところそれでやむを得ぬと思うのです。戦後廃墟の中から立ち上がるのには、金融が全くひずみを承知の上で資金を供給してまいりました。世界じゅうに銀行経営としておそらくこんなアブノーマルな経営はないのです。資本金も預金も使ってしまって、借金をして配当ができるかできぬかというところまでいってしまったのですから。そうでなければ、銀行を通じて資本の造出がなければ、どこからも資本というのは来なかった。だから、そういうかまえでやってきた時代は、戦後としてはやむを得なかった。その戦後はいつ終わったか。  これは七、八年前にも終わったという説がありましたが、いよいよ世界の資本の自由化に乗り出すときは、どうも終わったという覚悟をせざるを得ない。事実、工業国として世界有数な国に日本がなった現在におきましては、やはりそういう覚悟をせざるを得ない。そうなりますと、まあ早くいえば、いろいろな形において経営の方策が西欧化してくる、これは先ほど申し上げたとおりです。しかし、同じ土俵に一挙に据えて優勝劣敗をやるということは一番早い方法かもしれぬが、いま申しました戦後は終わっても、いまの段階ですぐそれをやればかなり摩擦が起きる。これは産業ではもうすでに始まっています。あるいは商社でも始まっている。しかし、金融のほうは社会的に及ぼす被害が多いし、非常に大きな摩擦が起きるということを考えざるを得ない。したがって、同じ土俵へ入れて一ぺんに整理するということは、早いことには違いないが、なかなかむずかしい。そうすると、よしんば一歩譲って同じ土俵のようなものをつくっても、結局、どこか専門性の残った銀行あるいは金融機関、そういう特徴を持った同質化というものが当分残ると思うのです。中小企業を専門にやってきたものはそちらヘウェートを置く、あるいは地域的に結びついたものはそちらにウエートを置く、そういうことで同質だということだろうと思うが、それならば、やはり類型をいろいろ分けて、その中でいろいろやっていったほうがいいのではないか。  そういう点から申しますと、われわれ市中銀行中小企業金融に相当乗り出さざるを得ないことは先ほど申し上げたとおりでありますけれども、われわれのところでは職員の養成ができていないのです。中小金融の上のほう、あるいは、下げても中位のところまでしかついていけないのです。非常に零細な金融機関では、そういう配慮の下で職員の養成ができております。したがって、同質化したならば完全に目的を達するかと言われると、ある程度は達しますが、中小金融機関であったものほどの達成はできない。現に郵便局とは対抗できない。郵貯は近ごろ非常にふえております。そういうような層にまで浸透して目的を達成することは、私はできないと思います。また、そこに先ほど私の言った類型的な集約の道があるように思うのであります。  第二点は、公債が逆ざやになったから、ここで断わったらどうかというお話、これは文字どおり言えばそうなんですが、何せ公共性の強い金融機関が、逆ざやだからといって断わるということはおだやかでない。でありますから、それは相当しんぼうしてでもやらなければいかぬ。私に言わせると、ほんとうの公社債市場というものが育成されて、そこで妥当な公債の値段がつけられて、そこからおのずから発行条件というものが変わってくる。とてもいまのままでは発行できないということで、公債の発行条件なりが変わってきて、さらにそれでも発行できないなら発行量が縮まっていくというのが、自由主義経済の根本だと思う。したがって、そういう点から公社債市場の完全な育成ということが必要だと思う。金利機能をそこで発揮させることが必要だ、こういうふうに考えておるわけであります。しかし、現状ではそれもなかなかできそうもない。  そこで、私がさっき述べたように、アメリカでやっておる市中預託制度を導入したらどうか。つまり、公債発行に弾力性を持たせる、税金を金融機関に代行業務として集めさせる、公社債を消化させる、その翌日すぐ資金を取り上げるのでは、これは早い話、利回りからいっても、文字どおり何のうまみもない。あるいは、量的に大きな金の移動が生ずるわけですね。集まったものが翌日すぐになくなる、そのためにあわててコールに走らなければならぬという事態も起きる。だから、そこに一週間なり十日なりの余裕を置いて引き上げるということになれば、弾力的な運用ということになって、実質上利回りが修正され、表面は引き合わなくとも、そういう面で修正ができるのではないか。もちろん、そのためには全額担保でよろしい。アメリカも全額担保をやっております。公社債の場合あるいは州債の場合、国債の場合、全額担保であります。そういう方法を導入すればなお消化の道はある、こういうふうに考えております。もちろん国債の一部は日銀のオペレーションで買い上げられますからまるまる手元にあるわけではありません。それも申し添えておきます。
  10. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまお話のように、確かに、公社債市場ができて、プライスメカニズムが働くようになって、抑制が起こることが一番望ましいが、実はできないんです。このできない原因は一体どこにあるんでしょうか。私は、これまでの感じでは、銀行筋が関係をなさらないのでどうもできないのじゃないかというふうに感じてきておったわけです。最近、日銀の総裁も銀行大会へお出かけになったときにこの問題にちょっと触れておられるわけですが、私は逆に、もしいまの市中預託の制度ができますと、これは金融機関側として、市中預託の期間がもう少しでも延びてくれば何とかペイするから、ひとつ公債を引き受けようじゃないかということになりますと、ますます公社債市場ができないほうにコンクリートになるのじゃないだろうか。逆に、たいへん皆さんにあれですが、市中預託はいたしませんということになりますと、皆さんのほうでは、なおかつ国債がどんどん来れば、どうしても公社債市場をつくるのか、断わるのか、この二つしか道はなくなる。私は、日本経済全体のやや安易に国債拡大発行される途上におけるこの問題の長期的な展望の解決の道としてのあるべき方向へ、かえってそのほうが行きやすいのではないか、こういうふうに思いますが、その点はいかがですか。
  11. 堀田庄三

    堀田参考人 公社債市場の育成をはばんでいるのは銀行じゃないかというお話でございますが、これは私はちょっとうなずけないのであります。もっとも、公社債市場が完全に発達してアメリカのようになりますと、定期預金が食われるという問題があります。これは定期預金より利回りがいい場合です。そういう点からいうと、銀行がかえってじゃましているのではないか、あるいは利回りがよくなるように預託制度をやれば、むしろ自分で国債を持ってしまうのではないか、こういうお話でありますが、現にアメリカは、預託制度をやりながら、定期預金は相当減りながら、公社債市場はりっぱに成立しておるのです。でありますから、日本はいま過渡期でございますので、一挙に公社債市場が開けるとは私は思わないが、漸次これを強化しなければならないということは、金融界でもそうであると申し上げておりますが、先進国の例は両立し得るということであります。  大体定期預金比率日本は高過ぎるんです。これは期末の全預金に対して五十数%ということで非常に高い。アメリカは十何%くらいのものだと思います。だから、流動性の預金がもっと高くなければいけない。私は漸次そうなると思う。直接投資ということが始まってくれば、やはり法人なり個人が——個人が主でありましょうが、そういうものが公債市場に乗り出してくる。そうなれば、定期預金より流動性預金のほうにウエートが高くなる、そうなればチェックアカウント——当座預金ですが、アメリカあたりは、もう手数料を取って出納方を銀行がやってやるという制度に変わっております。漸次そこへいくとしても、まだ日本はだいぶ時間がかかると思います。
  12. 堀昌雄

    ○堀小委員 私は、いまのお話で、外国特徴をまだ詳しく調べておりませんが、公社債市場のほうができて、あとから市中預託ができてきたんじゃないだろうか。ここのところは、政府のほうでもしその点がわかれば、アメリカの場合、公社債市場が先か市中預託が先なのかという点は、私、問題をあまりあれするわけではありませんが、おそらく市場というものがあって、なおかつ預託の制度が出てきたのではないかと思いますが、そこはどうですか。
  13. 澄田智

    ○澄田説明員 ちょっといま……。
  14. 堀昌雄

    ○堀小委員 では次へまいります。  さっき、すべてのいろいろな機関の再検討が非常に重要だというお話でございました。私も確かにそうだと思うのですが、特に輸出入銀行、開発銀行、あるいは中小企業金融公庫、国民金融公庫、これは中小金融に関する問題でありますが、こういうふうな政府関係金融機関も当然金融機関でありますから再検討される段階にくるんじゃないかと思いますけれども、これについて、ちょっとお話しにくいかもわかりませんが、われわれは大いに遠慮なく言っていただきたいと思うのですが、お話しいただける範囲でひとつお願いします。
  15. 堀田庄三

    堀田参考人 輸銀は政府機関でありまして、まさに、日本の輸出立国というたてまえから申しますと、輸銀の資金量拡大すべきだというふうに思います。当分の間、まだ日本としてはこのような機関が必要だという考え方を持っております。しかも、先般中南米あたりを回ってみますと、国際市場で値段の点では日本の商品が大体勝っておりますが、延べ払い条件が七年、八年ないし十年では問題にならぬ、西欧では十五年ないし二十年をオーバーしておる。そういう点からいいましても、相当資金量が多くなければとても太刀打ちできないという感じを持ってまいりましたので、輸銀についてはむしろ量をふやす。  開銀については、これは差しさわりがあるかもしれませんが、戦後復興金融金庫というものができまして、これは一応の役割りを果たしました。次いで開発銀行というものができました。開発銀行というものの本来の使命も、最初の間はかなりたくさんやることがあって、十分りっぱな成績をあげられた。最近になって私どもが非常に必要と思うのは、構造改革からくるところの体制金融というものです。それから地域開発、都市開発といったようなリスキーなもの、普通ではやれないものはぜひ必要である。だから、一般的には出せない、しかも国家的には必要であるがリスキーなものは、総じてやはりまだ必要である、そういう意味においての開発銀行の使命はある。しかし、問題点金利が高いということです。私は、ここでこそやはり安い金利を出して、日本産業の基盤の強化に役立てていくのがいいのではないか。六分何厘のものもあるようですが、多くは八分二厘ぐらいのものである。これは一つの例ですが、私は一九五七年に政府の命でヨーロッパを旅行してツーリズムの関係をいろいろ調べたことがあります。ほかにも幾つかの調査アイテムがありまして、その中の一つですが、そのときに、イタリアの観光収入の増加をはかるためにイタリアの銀行がどうしておるかを調べました。主として市中銀行で国家の息のかかった銀行でありますが、それはホテルに対して年四分、三十年賦の金融をやっておる。これは不動産ばかりでなく、動産に対しても貸し出しておる。それから外貨収入は貿易だけでなくツーリズムでもずいぶんかせいでおる。そのとき、表面に出ておる金額は三億ないし四億ドルということでしたが、実際は十億ドルにも達しておるということでしたから、いまはそれ以上かもしれません。そういうような点から申しますと、それはホテルのことでありますけれども、やはり国策に沿ったものにはもう少し安い金利でやるべきだ。開銀は、あるいはガリオア、エロアの返済資金がその収益から出されるということで、いろいろ制約があると思うのでありますが、それはほどなく終わると思いますから、その後においての問題かもしれませんが、私は、都市開発、地方開発というような面については、よしんば政府金利を補給してでも安い金利でやるべきだ、かように考えております。
  16. 澄田智

    ○澄田説明員 先ほどの市中預託の問題と公社債市場とのアメリカにおける前後関係でございますが、市中預託の問題は、これは第一次大戦中、米国の軍費調達のための国債の消化に端を発して第一次大戦のときに設けられた、かように存じます。それから公社債市場のほうですが、形式的にはおそらく一九三四年の証券取引法等で市場としては整備された。ただ、その前からすでにあって、それが法律としては三四年の取引法で非常に整備された、こういうことではなかろうかと思います。なおもう少しよく調べて申し上げたいと思います。
  17. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまの輸銀と開銀の問題は、私どもも確かにいまお話のようなことだと思います。ただ、そうかといって、財政資金を出資する条件は、財政資金をそこに出資するために、国債発行して市中の金を回してきてそこにやっていくのでは、これはぐるぐる金が回るだけのことであまり意味はありませんから、その限りでは、もしこの際そういうことをやるとすれば、利子補給の範囲のようなことがまだ現実的ではないかと思いますが、もう一つ政府関係のところは、この前私ちょっと申したのですが、どうしてもいまリスキーなところには貸さないという方向が非常に強いと思います。これは初めから焦げつくことがいいのじゃないですけれども、しかし焦げつく可能性があっても、やはりそれが政策上必要なところには資金を出すべきだという点で、これは政府関係金融機関、輸銀をはじめ大体すべての機関がもう少し角度を転換するべき時期にきている。民間金融機関を補完するという補完の意味は、やはりそういうところにあると私も思いますので、この点はぜひそういうふうなかっこうでやってもらいたいと私どもも思っております。  それからもう一つ、今度は再編成合理化の問題でありますが、さっきもお話しになっておりましたように、都市銀行のようなところでは機械化といいますか、そういうものが非常に進んでおる。ただ、そういうふうなときに、私ども中小専門金融機関という問題にちょっとこだわりを持っておるのは、なるほど零細なものに対する問題はちょっと別に考えるとしましても、片方で非常に機械化が起こる、片方の中小のところではなお労働集約性の預金をとっておるということは、今後の労働力の供給上から見て一つ問題点になってくるわけです。そうすると、同質化という問題を取り除いても、かなりな競争という問題がそこには生じてくるのではないか。ですから、同質化という面からでなく、そういう合理化と労働力との関係からかなりきびしい再編成ということが起こることが予測されるような感じがするわけであります。  その場合に、これまで金融機関は非常に保護されておりましたから、最近は大蔵省でも、預金者保護と金融機関保護は区別したい、こういう意見が述べられております。そこで預金保険というような発想も伝えられておるわけでありますが、いまの労働力の問題からくる合理化、再編成の問題と、その場合に限界的なものが落ちていくことを防ぐには、やはり不可避的に預金保険のような何らかの対策も必要ではないかと思いますが、その二点について伺いたい。
  18. 堀田庄三

    堀田参考人 いまの問題は非常に重要な問題に触れておられると思います。  私は、労働の需給関係は相当急速に逼迫をしてくる、かように思います。これはあらゆる産業でそういう事態がすでにあらわれておりますが、世界的に見るとまだ日本の労働事情は恵まれておる。したがって、まだ当分はだいじょうぶかもしれませんが、実際はわれわれはひしひしと身に感じて、労働の需給問題の逼迫感を味わっておる。現に数年前、オランダの銀行が四つ大きいのがありましたが、それが二つ合併した。第一と第三、第二と第四が合併した。これは何も行き詰まったからではないのです。一つは、一会社に対する貸し出し限度という規制もあったようでありますが、おもなる原因は、労働事情から店が開けないということ、そこでやはり合併をした、こういう問題が外国にはあるのです。わが国の例を見ましても、私などの銀行で見ますると、男子の高等学校出の採用は非常に困難であります。それから女子といえども、良質なものを多数に得ることはそう簡単でなくなってきたのです。昔は、銀行といえば喜んで来たものでありますが、このごろはそうではない。やはり短期大学へ行くとか、このごろは進んで四年制の大学へ行く、こういう傾向があらわれまして、そういう者をかりに使うとしても、勤務年限が非常に短い、だから効率的には使えないというようなことで、銀行業務も、量の増加とともに、どうしてもそれにマッチする人間の獲得がむずかしくなるのでいままでのやり方では行き詰まってくる。これは私は案外早いと思う。したがって、これにかわる対策としては機械化である。それで、いまどこでもはやりのコンピューターを設け、計算センターをつくっておるのであります。しかしこれも、日本の千二百くらいの金融機関が全部やったらたいへんなことになる。これは私は二重投資の雄なるものだと思います。したがって、そういうものは、やはりどこかに請け負わせるとか依頼するとかして、なるべくむだを省いたほうがいいのではないか。  したがって、限界的なものがどうなるかというお話でありますが、それに続いて預金保険との関係が起きると思うのであります。私は、原則的に預金保険制度というものはあっていい、こう思いますが、その前提に申し上げたいことは、金融機関がつぶれないという前提をいままでどおりやるのなら預金保険は要らないのです。金融機関がつぶれかかると、もう全部寄ってたかって突っかい棒をして、政府日本銀行も出てきて助ける、これなら預金保険は要らない。でありますから、ほんとうの自由主義経営をやる。ついては、限界的なものは、いまあなたのおっしゃったように、ついていけないということになる場合はやはり預金保険が要るけれども、一番いい方法は、手をあげる前に調整することです。だから、私がいま申し上げましたように、これは一番よく当局が知っておられるから、そういうようなものは事前に手を打って、量質ともに適当なユニットになるような行政指導をされるのがほんとうじゃないか。日本のいままでの習性からいくと、どうもそれは手をあげる瞬間まで黙っているし、やらない。事業のほうはそうですね。産業のほうはそうなのです。だけれども金融機関は私はそれでは済まないと思う。だから、重ねて申しますが、これからは、つぶれるという前提なら保険は必要です。そうでなければ保険は要らない、こういうことになります。
  19. 堀昌雄

    ○堀小委員 全くいまのお話のとおりで、大蔵省もこの前預金保険を考えるといっているところを見ると、ちょうどその裏側のことをやはり考えているのじゃないかと私は思うのですね。いまおっしゃるように、絶対につぶれない金融機関なら預金保険は要らないのですから。そういうことも起こり得るということ——これまでは預金者保護と金融機関保護はダブっていたけれども、今度は預金者保護と金融機関保護はひとつ区分して考えようという考え方は、どうも預金保険が要るほうに踏み切ってきたのだというふうに私どもは感じておるわけです。その点は、踏み切ってくれば必要だというお話でありますから、どうもやはり対策を講じておく必要があるのではないかと思います。  それから、今後の問題として信用補完という問題がある。金融機関ではいま中小の上と中くらいだとおっしゃっても、だんだんそれが下のほうにシフトしていくとすればリスキーなものはふえる、こうなるわけですから、そうなると、預金者保護という面を考えると、信用補完という問題が出てくるのではないかと思っております。私はこの問題は二つあるのじゃないかと思っております。  というのは、一つは外側からするところの補完の制度である。これはいま必ずしも十分ではありませんが、形としては一応中小企業信用保険公庫と信用保証協会という形で一つ外側からの信用補完機関があると思うのですが、もう一つの問題は、内部に、少しリスキーなものをやるということに対して、何らかのそういうものに対する積み立て——いまだって貸し倒れ準備金というものはあるわけですけれども、それがリスキーなものをだんだんやるという問題と関連をして、内部にもう少し新しい形の貸し倒れ準備金を積むということになれば、内部的にも一応対応でき外部的にも対応できる、両方の面から補完というものはかなり前進するのではないか。外側からの信用補完はもっと合理化されて、いまのような高い保証料を取るというようなことでないようにならないと私は意味がないと思っております。この信用補完についての少し具体的なお考えがあれば承りたい。
  20. 堀田庄三

    堀田参考人 いまのお話でございますけれども、信用補完の問題について、われわれは、だんだん中小企業の上、中からさらに下部のほうまでいかざるを得なくなるかもしれない、ついては補完制度をどう考えるか、こういうことだと思う。  それで二つの場合がある。一つは外部の補完制度、公庫とか協会、これはおっしゃるとおり保証料は高い。これはもっとまけるべきだと私は思う。内部の積み立て制度はどうか。これも普通ならばいい、とじゃないか。そういうものを無税で積み立てさせるというお話だろうと思うのですが、これもいいのじゃないだろうか。しかし、そのかわりリスキーなものを少しやれ、こういうお話でありますが、そういうお話が出ると、私はかねて考えておった根本にさかのぼった意見をひとつ言わしていただきたい。  中小企業金融あるいは中小企業問題となると、これは政治家の先生方もたいへんなのですね、票につながるということで。はなはだ申しわけないけれども、われわれはどこも票につながりはしないが、これはどうしても票につながる。したがって、これを助けるという声はどこにいても起こる。商工会議所あたりでも常にその問題は起きております。そうして私は、日本中小企業の実情というものはあまりにも分裂細分し過ぎておるという、その実態把握を先にやっていただくことがほんとうじゃないか。  海外で申しますと、外国先進国は、たとえばセールスマンはセールスマンで最高の月給を取って、一生セールスマンである。そのかわり、こういうのはパートナーになって、独立しないで経営者になっているのです。だからフォアマンなども、職工からフォアマンになって、フォアマンの月給のいいのは堂々たる月給を取っているのです。決して自分で旋盤を買ってすぐ回すということはやらない。したがって、そういった製造過程、流通過程を見ましても、日本くらい分裂の激しいところはない。これは昔から分家とか別家という制度が伝統的にあるわけですね。したがって、独立の精神が旺盛なことは非常にけっこうなことだと思うし、また競争の機会を与えていいと思いますが、往々にしてそのために非常な分裂が起きている。これはどうかというと、一つの協同組合式的なものに近代的な経営を変えていくとか、あるいは私ども申しましたように、相当偉いのは、これは極端にいえば、社長よりもいい月給を出してもいいじゃないか。そこで一生涯その会社のために尽くして、将来は優遇するという制度を聞いていく。こういうことをやらずにいまのままにしていくと、やたらに中小企業が末端は零細化して、これを救うのにどうしたらいいかということがしょっちゅう論じられる。いま堀先生の言われたのも、その一つとして私は賛成です。ほんとうは、根本にさかのぼって中小企業問題は考える必要がある。そのもとのほうを考えつつやるならば、もっと金融は安易につく、こういうことを申し上げて、いまの二つの御説には賛成であります。
  21. 堀昌雄

    ○堀小委員 いま後段のほうをおっしゃったのですけれども、確かに沿革もいろいろなものも違うのですが、日本では、適当にやめたら次は自分が零細企業からスタートするということになっているのですが、どうも憲法で職業選択の自由ということがあるので、出てくるものを、おまえさんいけないということには、政策的にもどこにもちょっと歯どめがきかないわけです。何かそういうものがなくなるためには、もうちょっと具体的に見ますれば、セールスにはうんと給料をやるといいのですが、日本の場合は、どうもできるだけ安く人を使いたいという傾向のほうが強くなっていて、そこで職能別賃金といいますか、能率給というか、そういうものが未発達という問題に関連があるだろうと思いますが、私も、考え方としては、どうもこう次々と零細なものが幾らでも出てくるままでいいかどうかという点は、これは確かに効率の問題から見ましても望ましくないと思うのです。しかし、そうだから何か具体的に打つ手があるかというと、なかなかどうもいい案がないわけですが、いまの点について、何かもし日本でやるとしたらどういうふうな対策があるだろうかという点をちょっとあわせてひとつ御意見を承りたい。
  22. 堀田庄三

    堀田参考人 いまの点は非常にむずかしいのです。私はむずかしいことを承知しながら申し上げたんです。しかし、これは経営者が少し反省しなければいけない。ほんとうに能力のある者には能力原則に従って給料を出す。実は私のところはかなり徹底してそれをやっております。学歴とか学閥というのは無視してそこまでやる。したがって、職工さんでもたいへん勉強してりっぱに経営手腕も持ち、あるいは高い熟練度でりっぱな仕事をする人には月給を思い切って上げる。そして老後を安泰にして、安心して仕事がやれるようにする。これならば決して離脱していかないと思うのです。だから、これは経営者側に多分に反省する余地がある。憲法でそうなっておるからだめですというお話は、ごもっともでありますが、日本は何によらず、すぐ憲法にいってしまう。何でも終わりは全部憲法——世界じゅう歩いてみて、こういう国も珍しいですよ。当たりさわりがあるかもわからぬが、そうすると、憲法を改正しなければ何もできぬ。これはいささか憲法を乱用し過ぎると思う。それはそれとしておいて、どうしたら一番日本経済のために役立つか、効率化ができるかという角度から、これは検討さるべきものである。できてしまったものをどうするかといえば、やはり協同組合のような組合組織、つまりユニットを大きくして、そこで何を有効に有利に仕入れたり販売したり、あるいはよそと提携したりして生き残るか、あるいは栄えていくかという問題になるのじゃないかと思います。
  23. 堀昌雄

    ○堀小委員 あと一問だけ。  ちょっとこれはあるべき制度と離れるわけですが、日本経済の最近の情勢は、少しさま変わりをしてきて、輸出が少し停滞をし、輸入は非常に増加をしてまいりまして、これがまたおそらく日本経済の今後の非常に重要な問題点になろうか、こう思うわけです。政府なり日銀なりも、それぞれこの問題はかなり重要な課題だと考えておると思いますが、この国際収支上の問題についての御意見を承って、私の質問を終わります。
  24. 堀田庄三

    堀田参考人 私はこの問題が日本経済の一番大きな問題だと考えております。ことしの見通しから申しましても、当初政府が立てられた収支とんとんというような見通しは、どうもいまの段階では望めないのではないか。若干の赤字、それもまだやってみなければわからないのですが、二、三億ドルの赤字ともいえるし、最悪の場合、四、五億ドルの赤字ともいえる。結局一番最後には国際収支に集約される。日本経済あり方をどうするかということで、いま二十億ドルあるか二十一億ドルあるか知りませんが、外貨の内容、ほんとうに使える金がどれだけあるかということに関係してくる。私は不幸にして内容を知りませんが、二十一億ドルあるということはだれも考えておらない。相当少ないだろうと思う。でありますから、結局輸入超過も、あるときにはあわてなくてもいいということは言い得る。原材料がやがて設備になり生産になり、それが輸出にはね返るということになれば、一時的の輸入ならばいいということになりますが、すでに生産能力が相当過大になってきている。そこでさらに増設をして、設備過剰、生産過剰ということがあるならば災いがある、こう思うのであります。つい二、三年前にまさしくその問題で日本経済は塗炭の苦しみをなめたわけであります。それが公債発行を契機として、財政の膨張等によって、あるいは幸いにも輸出の増進によって非常に短期間にうまくいって、これは慶賀すべきことでありますが、どうもこれが長続きするかどうかについては問題をはらんでいる。ついこの間アメリカへ行ってまいりましたが、アメリカ向け輸出というのは日本の全輸出の約三分の一に相当すると思うのでありますが、日本の輸出は大体二%ぐらいしか伸びてない。スローダウンしている。いまアメリカへの輸出でラッシュしているのはヨーロッパであります。あの堅実なドイツがことしは成長率ゼロという状態で、ヨーロッパは大体不況であるから輸出ドライブを猛烈にかけている、こういう状況であります。ところが日本は、国内の建設、たとえば社会資本の充実が非常におくれているから、やらなければならぬことでありますが、そういうようなことで相当原材料が国内に投入される。むろん設備にも向かうでありましょうけれども、設備が完成したときに、再び設備過剰、生産過剰におちいらずに済むかというと、これは相手があることでありますから、輸出したくてもできない、こういう場合があり得ると思う。わけても私、輸入の増加について気になるのは、食糧——飼料を込めた広義の食糧であります。これは二十億ドルをはるかにこしているという状態で、日本の輸入の四分の一弱、五分の一強といったようなのが食糧関係。  そこで、ちょっと問題がはずれるかもしれませんが、私は往年政府の命を受けてヨーロッパを回ったときに、一九五七年でありましたが、非常に感心したことは西ドイツの状態です。  西ドイツはそれほど外貨を持っておらない状態で、朝鮮動乱のあと世界的に需要が勃興したときにうまくマッチして、いわゆるエアハルトの経済の奇跡を遂げた時代ですが、そのときに一週間に三回ぐらい新聞の下の欄に三分の一ぐらいのところをさいて、そこへ漫画を入れて、AとBとの対話を出している。そこでAがBに対して、けさおまえは朝めしに何を食ったか、こういうことを聞いておるのです。そうすると、簡単な。パンとコーヒーとバター、牛乳、ハム、ソーセージ、そんなものを食べたというふうに答えている。そうするとAが聞くわけでありますが、その。パンはドイツの粉でできると思うかと言うと、それはほとんど輸入であります。砂糖はどうかというと、これはてん菜糖はできますが、台湾から輸入しておる。コーヒーはまるまる輸入である。卵はどうかというと、ドイツの鶏が生むけれども、その鶏の飼料は輸入である。それから牛乳はドイツの牛の乳であるけれども、牛に食わせる枯れ草はオランダであるといったようなぐあいに、朝めしは全部外国品だということを教えておる。外国品を朝も食い、昼、夜はもちろん外国品だ。どうしたら、これはやっていけるのだと言うと、Aが、だから輸出をしなければならぬ、輸出をしなければ朝めしも食えないのだ、こういうことを教えているわけであります。  ひるがえって日本状況を見ますと、皆さんお気づきだと思いますが、日本の朝めしは大部分外国品なんです。とうふをごらんになっても、みそ汁をごらんになっても、しょうゆをごらんになっても、あれをつくる豆はミネソタの豆なんです。これは輸入なんです。浅草ノリは浅草ではなくて、韓国なんです。パン食が多くなったら、コーヒーはほとんど全部輸入なんです。砂糖は全部輸入なんです。そうして、残る米といえども、全部日本の米ではない、一部外国から入っている。こういうふうに考えますと、私は、いまや十数年前のドイツと酷似してきた、こういうことを痛感せざるを得ない。  したがって、私の申しておりますのは、貿易立国ということは、朝めしすらそうなっておるという事実にかんがみて、輸入の四分の一、五分の一というものが食糧関係である。それはそれだけ民度が高くなっていることは喜ぶべきことでありますが、一そう民度を高めるためには輸出奨励をしなければならぬ、こういうふうに考えるわけでありまして、そういう点からいいますと、国際収支の問題が非常に大事であるということは、言うまでもなく、そこが赤になれば食糧にまで響いてくる、こういう点を最近痛感しておりまするので、どうしても日本は貿易立国よりないという結論をかたく持っている次第であります。
  25. 堀昌雄

    ○堀小委員 終わります。
  26. 小峯柳多

    小峯委員長 武藤山治君。
  27. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 一、二点、現状経済情勢、特に金融機関の内部の問題が中心でありますが、お尋ねをいたしたいと思います。  一つは、いまコールレートが二銭をこえた。日銀総裁は、去年あたり国会の答弁で一銭八厘ぐらいから上げないような金融操作をうまくやるから、コールは上がる心配はない、そういう言明を再三していたのでありますが、最近またこの二十四日には一厘上がるというようなことで、ついに二銭五毛ぐらいにコールレートが上がってきた反面、金利のほうは低金利政策だということもからんで、金利はだいぶ下がってきた。どうもしろうとから見ると、コールが上がる、貸し出し金利は下がるという矛盾現象をどう説明したらいいのか、その辺をひとつ具体的に明らかにしていただきたいと思います。
  28. 堀田庄三

    堀田参考人 これは一見しますとお説のとおりに見えるわけであります。事実、六月、七月ごろから、私ども手元で見ておりますと、資金需要はかなり活発になりつつあります。そこで、コール現実に上がっておるのは事実でありますが、この状況が季節的なもの、一時的なもの——政府の揚げが大きいから一時的に起きておるものなのか、あるいは本格的な資金需要の台頭であるか、この点の見きわめが、私はいま各支店を通じて一生懸命調べておりますが、いまひとつはっきりしない。七、八月の情勢を見たら、もうはっきりと見定めていける段階になると実は考えております。しかし、現実資金需要があるということは事実でありますが、これが案外、大企業に聞いてみますと、まだ手元流動性が非常に多い、まだ借金してまで設備をやるとか仕入れをやる段階でない、こういうところがなかなか多いのです。けれども現実にわれわれの手元にあらわれた資金需要が台頭したということは、財政の一時的な揚げに基づくものであるならともかくも、そうでなく、産業界の実際の需要であるなら、金融の基調がやや変わってきた、こういうふうに考えておる次第であります。  したがいまして、金利低下と申しましても、コールはもうすでに上がっており、いつまでも貸し出し金利、実質金利が上がらぬわけにはいかぬでしょう。公定歩合までは問題にならぬと思いますが、実質金利は少なくとも下げどまる、あるいは少し強含みになるということは、これが実需に基づいたものならば当然出てくる、こう考えております。  それからもう一つ、さっき申した国際収支の見通しが、いまのところおもに輸出が伸びず輸入がふえておる。これがもう少したって、依然として下期に輸出が出るという期待感がはずれるような見通しが立てば、そのときは転換期になる。ですから、これは大蔵大臣が日銀総裁に申されることではないのです。私は自分の銀行でだいだい色の信号を出すべき時期が来た、自分ではそう思っております。
  29. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 いま、本格的需要かあるいは一時的なものかまだ原因ははっきりしないとおっしゃっているのですが、雑金融機関はかなり預金が集まって資金がだぶついている。都市銀行は、需要はないのだけれども債券の消化のためにいろいろ資金が枯渇している。特銀筋は資金ポジションが非常に悪くなったためにコールがずっと上がってきた反面、金利のほうは下がった。雑金融機関資金がだぶついているから金利を下げて貸し出しをしている。そこで競争上普通銀行金利を下げざるを得ない。競争上そういう金利の下げ競争みたいな形が起こってきた。そういう原因から今日の二つ現象があらわれてきておるのじゃなかろうか、こんな気がするのでありますが、そこらの見当を、もう少し調査が進まぬとはっきりわからぬということですが、いまのは二つの論点からどういうことが真相だろうかという推測の域ですが、どうお考えになりますか。
  30. 堀田庄三

    堀田参考人 いまの御質問でございますが、都市銀行債券消化のためにコールを取るからコールが上がってきた、こういうお話でありますが、いままでのところ債券消化が主体であるということは御承知のとおりであります。けれども資金需要がこういうふうに台頭をしますと、あながち債券だけのためではなく、ほんとうにわれわれの手元が苦しくなる。だから、われわれのほうは下げどまりはもちろん、少しは上がりぎみになるということを申し上げたいと思います。  それから、下部金融機関資金がだぶついておるから、金利を下げてそれに引きずられてわれわれのほうが下げるというお話ですが、こうなってくると、下部金融機関もだぶつく金をコールに出したほうがいいという問題もあります。それから、やたらに一般の情勢を反映して金利下部金融機関が下げるということもやはり同じような傾向で、そういつまでも続かないというふうに考えます。
  31. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 そこで日本銀行としてはなかなか金融操作金融政策がむずかしい段階に入ってきたような気がするわけでありますが、コールがどの程度まで上がるか、日本銀行もそのうち手を打つだろうと思いますが、大体どの程度までコールが上がった場合には国債政策は破綻だ、そういう目安というのを、一体頭取はどの程度に置いておりますか。
  32. 堀田庄三

    堀田参考人 これはむずかしい問題でして、これは日銀総裁のディスクレションにまかせる、あるいは大蔵大臣と御相談なさることで、私がとやかく申し上げる性質のものではないと思うのですが、問題は、何といっても国際収支がかりにどれだけ赤になる、一年だけで済む問題ならこれは何とも申し上げません。どれだけ赤になる、使える外貨がどれだけあって、何年もつかいこの見通しが、これは数字をつかんでおる人が一番的確でありますが、この辺まできて輸出のバランスが多く望めないというならば、すみやかに手を打つ段階がくる、これ以上、どうも数字をつかんでおりませんから何とも……。
  33. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 それは、あす日本銀行総裁がお見えになりますから、そのときにいろいろまたお尋ねすることにして、この三、四月ごろには、都市銀行は盛んに、ことしは資金が非常に不足する、一兆円からの資金不足を来たすということで、国債減額論を大いに高く旗上げをしたわけですが、最近景気過熱論も消え失せて、一体景気の動向はどうなるのだろうか、資金需要は一体秋口からもっともっとふえるのだろうか、その場合、いまの都市銀行資金量からいって信用膨張をもたらさずにうまく乗り切れるのだろうか、一体、資金需要というのはこの秋口にかなりふえるという見込みであるかどうか、同時に、景気過熱という表現を使われた四月ごろまでの見方というものは完全にいまはくずれて、全く別の経済情勢に変化してきたのか、その辺の経済の動向についての御意見をひとつ……。
  34. 堀田庄三

    堀田参考人 これもなかなかむずかしい御質問で、私は三、四月ごろに資金が非常に不足で景気が過熱すると、私自身は必ずしもそう言っておらないのです。というのは、いろいろな指標をとってみますると、卸売り物価というものはそれほど上がっておらないということ、それから企業のビヘービアというものが、強気をいいながらも、わりあいに慎重なんだということであります。それは二、三年前にえらい目にあっておるということで、そういうワクは取っておこう、しかし、実際は突っ走ってしまってどうにもならぬということはいっぺん経験済みだから、実はいろいろのことを言うが、ビヘービアはわりに慎重である、こういうふうに考えておりますから、一挙に過熱するとは私は考えておりません。したがって、いまは過熱がくずれるかというお話も、私は初めから一挙に過熱すると考えておりませんでしたから、まさにそのとおりじゃないかと思います。  それから、いまふえつつある資金需要が本格的に続くかどうかという問題は、少し時間がほしいということであります。それから政府の需要が、依然として財政が大きくなり、国債発行しておりますから、それに向かって国内需要が非常に大きく続くかどうか、これはまあ財政は手かげんができることである、こう思いますから、いよいよとなれば政府もそのことを考えられるのではないか。あるいは国債とか政府保証債をどうするかという問題を含めて考えられるのではないかと思いますから、非常に危殆に瀕するというところまでは心配いたしてはおりません。
  35. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 次に、この間田實さんもこの委員会で述べたのですが、譲渡定期預金証書の発行都銀筋に認める方法はいかがかという提案があったわけでありますが、そのことを問題にするたびに思い出すのは、長銀関係が一年ものの割引債を出している、大体専門金融機関別にそれぞれ職能分化をはかった指導が、長銀はできるだけ長期的な資金の調達をやる、短期銀行はできるだけ短期の定期を、一年以上は認めない、こういう指導がずっと続いておるわけでありますが、法律でもそれはきまっておるわけでありましょうが、これはやはりあれですか、都銀筋が譲渡定期預金証書の発行ということをいっているのは、やはり長期銀行の一年もの割引債とのかね合い、競合の問題からそういう議論が出てきているのか、その辺をちょっと明らかにしてもらいたいと思います。
  36. 堀田庄三

    堀田参考人 CDの発行につきましてこの前議論があったようでありますが、CDというものがどうしてアメリカで盛んになってきたかということを調べてみますると、アメリカの法人はセービングス・デポジットはできないのです。タイム・デポジットやカレント・アカウントはできますが、日本の普通預金に見合うものはできないことになっている。したがって、手元の流動性が大きくなったときに、いつでも発行しておるCDを買っておけばそれが売れる。なおかつ、売れるのにはマーケットが要る。そのマーケットが現在できておるようでありますから、こういうものがだんだん発達してきたのであろうと思います。けれども日本現状からいうと、CDの発行がはたして成功するかどうか、マーケットがない今日、CDをたとえば企業手元流動性で持った場合、これを売りたいとなると、発行した銀行が買わなくちゃならないということになると思います。そうすると、やはり預金構成日本資金コストを高くしておると、先ほど申しましたように、大体定期預金比率が大き過ぎますので、CDを発行するようなことになれば、ますます定期預金が多くなる。しかし、コストを下げる必要がある。まだいまの段階ではCDは引き合わない。将来を展望して、CDのマーケットができて自由自在に売買され、それを使ってわれわれが中長期の貸し金もやるというようなときになってそれを使うというなら話はわかるのですが、まだ本格的にわれわれが中長期貸し出しをやるわけにいかない。やはり短期資金の貸し出しが主である、こういうときにCDを発行することはまだ少し早い、しかし、前向きに検討するだけの値打ちはある、かように思っております。
  37. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 長期銀行が一年ものの割引債を出すということについての見解はいかがですか。
  38. 堀田庄三

    堀田参考人 長期信用銀行は、いまほかに五年の金融債を出しておる。長期資金だから、設備投資に使うなら五年でも短いですね。十年、十五年くらいのものを出さなければいけない。日本の実情からそれ以上の長いものは消化しにくい。社債といえども、二年据え置き五年償還で七年でありますから、そういう慣例からいって長期銀行が五年ものになっておると思うのであります。そこへ定期預金よりもいい割引債を出されると、ほんとうは定期預金が食われるのが実情であります。しかし、一般の認識がそこまでいっておりませんからそれほど支障はないと思いますが、長期銀行が出すたてまえとしたならば、もっと長いものを出すのがほんとうだと思っております。
  39. 小峯柳多

  40. 村山喜一

    村山(喜)小委員 ちょっと私見が入りますが、御質問を申し上げたいと思います。  先ほどお話がありました日本の零細企業の自由な営業形態、その中から零細化、細分化していく状態お話がございました。私は、自由主義競争体制をとる日本状態から見まして、まさにそういうことであろうと思うのです。ただこの際、はたしてそれはその零細な業態だけが問題の責任を一手に引き受けなければならないものなのかどうかという点をこの際考えなければならないのではないかと思います。  御承知のように、自動車工業のシルバーストーン曲線を見てみますと、月産一万台の場合と月産四千台の場合と比較をいたしますと、コストが大体二倍くらいの開きになるのであります。トヨタ、日産という自動車が乗用車を中心にして今日の地位を築いておりますが、その場合、いわゆる先発メーカーの諸君がつけました販売価格というものが、後続部隊として参ります一次二次の後発メーカーの諸君がその競争の中に参入ができるような形の中で非常な一つの障壁をつくるわけですが、その障壁を乗り越えてもなお採算がとれるだけの価格をつけておきましたら、あとから、自由競争ですから後発のメーカーが次から次にこれに参加していくことができる、こういう形態が生まれてくるわけですね。だから、そのような形の中で、自由競争をたてまえとしておりますから、あとからあとからトヨタ、日産に続いて、いすゞとかあるいは日野とか、さらにダイハツとかあるいは本田、そういうようなものが次から次に競争に入っていく。私はそれが一つの物価高の現象にもなるし、また非常な過当競争の産業状態になったと思うのです。それはもちろん自動車行政に対するところの政府の施策という面にも問題があると思うのです。というのは、日本の国は中進国でございますから、先進国状態を見て、どの程度の生産数量ブランドというものを考えたら採算が合うのか合わないのかというのが、あとから続く部隊でございますからわかるわけであります。だから、月産一万台と二万台の場合にはほとんどコストは変わらないけれども、月産四千台の場合にはそれの二倍のコストがかかる、こういうようなのがわかるわけであります。わかるけれども、それが先に先発メーカーが価格をつけましても、月産四千台でも引き合う価格であるということになれば、自由競争のたてまえ上、次から次にそういうようなふうにして、たくさんの自動車産業というものが、乗用車はもうかるものなりということで参入をしていく、こういう中で過当競争が生まれていく。これを助長したのはやはりワンセット主義だということがよくいわれるのであります。それは、いわゆる金融資本を中心一つの系列化されたものがそのような姿をとったのじゃないか。こういうところにむだな投資が行なわれ、一つの設備投資が設備投資を生んでいく原因があり、一つの過当競争が形成されたという見方があります。  それは、先ほど頭取がおっしゃいましたように、単に零細企業だけではないのじゃないか、日本産業自体がそういう姿になっているのじゃないか、やはり全体的に効率のいい経済の運営ということを考えていかなければならないとするならば、確かにそこら辺にメスを加える必要があるのじゃないかということを感ずるのですが、それにつきまして、都市銀行の方々はどういう考え方をお持ちであるのかという点をお聞かせいただきたいと思うわけです。
  41. 堀田庄三

    堀田参考人 これはだいぶ専門的なお話でありまして、後発メーカーが先発メーカーに引き合うような値段を金融界が注文をする、やっていけるように注文する。つまり、二万台のところと四万台のところではコストは違うけれども、四千台のところでも引き合うように注文する、こういう意味ですか。
  42. 村山喜一

    村山(喜)小委員 ちょっと説明が悪かったようですが、一万台と二万台はほとんどコストは同じなわけです。幾らそれ以上に量産しましても、統計の上で見ますとほとんど変わらない。ところが、月産四千台と一万台と比較しますと二倍のコストがかかるというわけです。ところが、トヨタとか日産というのは月産一万台というラインですが、そのほかは四千台くらいのところがあるわけですね。そういうところでも企業が成り立ち得るということを考えますと、これはいわゆる先発メーカーがつけたところの価格というものが非常に高いがゆえに、あとから出発をしました後発メーカーの諸君が、四千台しかつくる能力がないにもかかわらず引き合っているという事実、だからそこに過当競争が生まれて、そうして全体のコストがダウンしないのではないか、それは一つのいわゆる金融企業とのワンセット主義というものが生まれているのではないか、それによって物価高というものが生まれたのじゃないかということを私は言うのです。
  43. 堀田庄三

    堀田参考人 よくわかりました。  私は実は必ずしもそう思わないのは、四千台のところが一万台、二万台と同じような部品を使えば、それはアッセンブルした会社の利益は減るわけですね。だから会社の企業自体の競争力がなくなる。それは金融資本でどうしようといっても、金を出すからかまわぬから買えというようなことは、われわれは言った覚えはないし、そういうことではやっていけないと思うのです。むしろ私どもが、いわば部品メーカーは統一すべきである、全部品のユニフォーメーションをきめて、どの会社にも提供できるような大部品メーカーをつくって、そしてマスプロによって安いものを供給する。それは機種が違いますからそうはいかぬというかもしれませんが、機種といったって、名前は違っておりましても、幾つかに統一されておりますから、それは幾つかの機種を適当に大きなユニットでつくればコストダウンできると思うのです。むしろ、そちらのほうをやってこそ、自動車工業が世界にコンビートできる、このくらいに考えておりますから、ワンセット主義なんということは、そういうことをやったほうがメーカーが損するのです。金融だけではもたぬ問題で、コストダウンはできない、こういう結論であります。
  44. 村山喜一

    村山(喜)小委員 きょうは議論はそういたさないつもりでございますので、さっき零細企業の場合と言われましたので、その融資の面からもやはり今日の大企業にもそういうような面があるのじゃないか、その面は金融機関としても考えなければならない事態ではないか、適正な競争が行なわれるように、過当競争が行なわれないような状態にすべきじゃないか。  そこで、先ほどの国債発行の問題、ちょっと堀委員のほうからも話がございましたが、私はお話を聞いておりまして、最近都市銀行筋のほうから、資金運用部資金でもう少し国債を持つようにしたらばいいじゃないか、あるいは国の歳計現金の税金等の預託、そういうような問題も考えるべきじゃないかという意見等があるということは承っております。  そこで一体、資金運用部資金がそのような方向国債を多くかかえるようになったときに、はたして国債発行の歯どめがうまくできるようになるだろうかと、この点について非常に懸念を持つわけなのです。今日市中銀行が一応割り当てのようなかっこうで持たされておりますが、その中においてあなた方が、こういうような金融資金ポジションが悪くなった段階の中においては、国債発行については弾力のある措置をとるべきである、あるいはその削減をすべきであるというようなことを強く言われるのは、いわゆる国債であるとか、あるいは政府保証債その他をたくさん持たされている立場から、これでは困るんだということであなた方が結束をしてそういうような声が出ているのだと思うのです。それが政府保証債のほうで国債をたくさん抱くようになってまいりましたら、市中銀行等々といたしましたら痛くもかゆくもないといいますか、そう直接影響を受けないというかっこうになりますから、その面においては、圧力というのですか、そういうようなものに対する一致した声が上がってこないようになるのではないか、私はそういうように考えますと、お気持ちはよくわかるのでございますが、政府保証債のほうでそれをたくさんかかえるべきである、いや、政府資金運用部資金でかかえるべきであるという考え方は、これは国債の歯どめ政策にならないのではないかと思うのです。その点についてどういうふうにお考えになりますか、お聞かせ願いたい。
  45. 堀田庄三

    堀田参考人 国債の歯どめの問題は、私、実は財政制度審議会で国債発行するときの委員長をしておりました。歯どめの問題は非常にむずかしく論ぜられております。  そこで、あのときは二つの柱を置いた。一つは建設的なものに限るということ、もう一つ市中消化ができる、市中消化といわなくても、完全に消化ができる、この二つの歯どめを置いたわけであります。  そこで、消化の問題がいま問題になっております。これは私どもが曲がりなりにも引き受けて、そのうちの一部が日銀のオペレーションによって日銀へ持って行かれておるというこの事実は、やはり日銀引き受け発行につながるものである。これはほんとうは感心しないのです。だから、われわれがあくまでも消化することがいい。そこで申し上げたのは、貯蓄で消化するとなれば、われわれの金も貯蓄でありますが、法人預金が相当多いとすると、これは一般の大衆の貯蓄ということは郵便貯金にはとてもかなわない、郵便貯金こそ典型的な国民貯蓄である。だから資金運用部の金を使われるのが妥当ではないかと申し上げたのでありますが、資金運用部が際限なく公債をかぶっていくということはとうてい考えられない。これだけ申しても、おそらく実際はわずかだろうと思うのです。というのは、資金運用部はすでに運用しておられる、しかも大蔵省証券なんというものはおそらくあそこでやっておられるだろう、かなりいろいろな方面に金を使っておられて余裕がないという御返事が出るんじゃないかと思うのです。けれども、実際は歯どめの一環として考えられるものはやはり郵便貯金の増加を相当これに振り向けられたらどうか、こういうことを申しておるわけでありまして、そういうことをすると、銀行が楽になるから歯どめのことをやかましく言わなくなって、あるいは預託制度も要らなくなるんじゃないかというようなお話は、そこまでくればこれは上等でしょうが、そんなにこないと思う、私はそう信じております。
  46. 村山喜一

    村山(喜)小委員 私は、資金運用部資金というのは大蔵省証券と短期資金のそういうようなものに充てるべきであるという考え方を持っているのですが、国債資金運用部で持つ余裕があれば、全体の財政資金資金ワクが五千億足らないわけですから、そういうような意味において政府保証債というのを出しているわけですね。そういうたてまえからいたしますと、それだけ国債を持つ余裕というものを考えるならば、当然その政府保証債を減額するというのがたてまえではなかろうかと思うのですが、その国債の問題の前にそういう政府保証債の問題があるのではないかと思いますが、その点いかがでございましょう。
  47. 堀田庄三

    堀田参考人 おそらく政府保証債は持っておられると思うのです。中身は知りませんが。そして国債を持つかわりに政府保証債を減額したらいいじゃないか、これは同感です。だから、国債発行というのは弾力的にやるということをその当時からすでに約束しておられるわけです。あるいは財政が増収となれば当然国債なり政府保証債は少なくていい、こういうたてまえでありますから、私は、政府保証債を第一義的に持たれるのがいいかどうかは別として、すでに大蔵省証券なり政府保証債を持っておられるが、この貯蓄預金の増加に伴って国債まで延長されるのはやはり妥当ではないという意見であります。
  48. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 ちょっと最後に。  住友さんの決算内容は他の銀行と比較して非常に利益率がいい。預金量がそう幾らも違わない銀行と比較した場合でも、住友は特に利益率がいいような気がするのです。これは何か経営の妙手があって——こういう点を他の銀行が見習えばもっとコストが下げられるのだというような、特別に住友だけ何かうまい経営をやっているような気がするのですが、何かありましたらひとつ。
  49. 堀田庄三

    堀田参考人 これははなはだおそれ入った御質問でありますが、別に妙手も奇手もないのであります。普通のことをやっておるわけです。ただ、どこの銀行も同じなんですが、私どもが幸運にも少しひっかかりが少なかったとか、あるいは能率を発揮する点に力を入れるのが少し早かったというようなところが、しいて違うと言えば違うのです。大なり小なりどこもやっておりますから、何も区別はありません。私の理想から言えば、住友銀行の経営はまだ六割くらいしか達していない、したがって、人さまの前で自慢する何ものもないということでありまして、どっちかというと、僥幸のしからしめるところである、かように思います。
  50. 小峯柳多

    小峯委員長 これにて堀田参考人に対する質疑は終了いたしました。  堀田参考人には、御多用中のところ長時間にわたりまして御出席をいただき、貴重な、しかも個性豊かな御意見を伺い、まことにありがとう存じました。  小委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。(拍手)     —————————————
  51. 小峯柳多

    小峯委員長 次に、参考人として日本興業銀行頭取中山素平君が御出席になっておりますので、長期金融及び長期金融機関あり方について、忌憚のない御意見をお述べいただくことにいたします。中山参考人
  52. 中山素平

    中山参考人 私、中山でございます。  本日は、ただいま委員長お話しのような長期金融あり方とかあるいは長期金融機関あり方につきまして私が御意見を申し上げることができますのは非常に幸いでございます。  御承知のように、一言で長期金融機関と申しましても、長期信用銀行とかあるいは信託銀行、生命保険会社、また、さらには日本開発銀行等といった政府金融機関があることは御承知のとおりでございます。  そこで、こういった金融機関はそれぞれ違った目的を持ちました根拠法に基づきまして設立されております。また、長期金融機能におきましても同一には論じがたい点があると思います。  私は極力問題を広い立場で整理していきたいと思っておりますが、私自身が持っております長期金融の技術とかあるいは経験とかあるいは資料等の関係からいたしますと、どうしても日本興業銀行立場ということからなかなか抜けられないと思いますが、ひとつこの点は御容赦をいただきたいと思います。  これは申し上げるまでもなく、御承知のように四十年代に入りましてから、日本経済をめぐっております内外のいろいろの環境とか条件は非常に急速に変貌してきております。また、変化のテンポも非常に早うございます。したがいまして、今後こういった諸条件の変化に対応いたしまして、日本財政金融産業などの大きな骨組みにつきまして、見直しとかあるいは改善が必要になってくるということも当然と思います。  そこで、長期金融の場合に、それではこういった環境下で今後設備投資がどういうふうに進むであろうかという問題でございますが、御承知のように、一部では、設備投資はもう下火になったのだというような、多少過小評価と申しますか、そういった見方もあるわけでございますが、しかし私は、これから日本経済がほんとうの開放経済体制に入る、あるいは国際化時代に入るとか、また、いままで非常に恵まれておりました労働の条件が非常にむずかしくなってくる、そういったことを考えますと、今後日本産業が国際競争力を一そう強化するというような面から見ましても、ある意味では新らしい設備投資時代に入ったということも言えるのじゃないか。もちろん、そうは申しましても、設備投資の水準が、かつての高度成長時代のように、前年に比較いたしまして三割、四割ふえるというようなことを申しているのじゃございませんが、最近のいろいろの見方、論調に若干設備投資を過小に見るという傾向があるのじゃないかという意味におきまして一言申した次第であります。したがいまして、今後長期の産業資金の供給につきましては、従来以上に効率的な供給体制を確立していくということが要請されるわけでございますが、ことに、今後は、単に長期資金の量的な確保ということにとどまりませんで、長期資金の質をより重視する、つまり、期間で申し上げますれば、より長期に、それから金利の点では、より低利に、一そう質を重視していくことが必要であろうと思います。  そこで、長期資金と申します場合に、企業立場からいたしますれば、御承知のように、株式とかあるいは社債の発行とか、長期借り入れ金といった調達手段があるわけでございます。  そこで、株式、社債に関して、証券市場につきましては、今後とも市場の正常化というものに引き続き努力することも必要であることは申し上げるまでもございませんが、公社債市場では、たとえば起債の大型化でありますとか、期限の長期化というようなものが一そう促進され得るような環境の整備と同時に、流通市場の育成というものについても特段の配慮を払っていくことが必要だと思います。これは後ほど申し上げますが、国債発行されてきているというような事態から考えましても、流通市場の育成ということが非常に必要になってまいります。これに関連いたしまして、当然のことでございますが、証券金融強化というような問題も出てくると思います。  こうした過程の中で、今後国際的な規模を目ざします日本の大企業といたしましては、漸次社債発行によりまして長期資金を調達していくということにウエートが加わっていくことも当然と思います。ただ、この社債発行につきましては、先ほど申し上げましたように、当然今後企業の経営者が、株式とか社債とか長期借り入れ金とかあるいは外資といったようないろいろの調達手段を選択していくわけでございまして、ただ社債が万能であるということでは当然にございません。また、この消化構造につきましても、個人消化について努力していくべきでございますが、これはアメリカ等の例に見ましても、やはり私はそこに限界があると思います。  そこで、長期金融機関といたしましては、今後こういった公社債市場の育成というものにも当然協力していくことも必要であると思います。  また、株式市場につきましては、かつてありましたような投信の急膨張を背景といたしました大量な増資はもちろん許されません。たとえば、時価発行への移行、あるいは株主の額面割り当てというような場合でありましても、市場原理を尊重した形がとられることが必要になると思います。  そこで、こういった各種金融の調達手段が整備されるに伴いまして、先ほど申しましたように、企業側といたしましては、企業の収益力でありますとか、あるいは金融情勢といった、そのときどきの環境とか、条件、資金需要の性格などを勘案しながら最も効率のいい資金調達を選択することになりましょうし、また、このような要請にこたえるために、金融界でありますとか、証券界の体制を整備していかなければならぬと思います。  そこで、長期金融の問題に入るわけでありますが、わが国では、御承知のように、長短分離の制度がとられていることは皆さまとくと御承知と思います。このことは、金融政策の合理的な運営、また、金融機関の健全性維持など、広く申しますならば、金融効率化という観点から金融制度の基本的な理念とされているわけでございまして、その上に長期信用銀行信託銀行といった長期金融制度が成り立っているわけでございますが、もちろん、こういう制度はありましても、この制度は、わが国経済の実情とか、あるいは諸外国金融制度あり方を勘案いたしましてつくられたわけでございまして、合理的なものでありますし、私も、今後の金融制度も、やはり基本はこの方向は変わらないと思います。しかし、これを固定的に考えていく必要はないわけでございまして、経済発展の実情にあわせまして、弾力的に運営されていくことは当然でございまして、この点に関しまして、先日田實会長がお述べになりましたような御意見もあるわけでございますが、しかし、私は、田實さんの御意見も、いま申し上げたような大原則を踏まえました上での御議論であるというふうに推察いたします。  この点は、過去におきます昭和三十一年度から四十一年度の間の設備資金の供給状況を見ましても、民間金融機関全体では八兆三千億円見当の供給をしているわけでございますが、このうちで、専門の長期金融機関であります長期信用銀行と、また信託銀行の中の信託勘定、生保などが供給いたしましたのはその六割見当でございまして、残りの四割見当は都銀、地銀といったその他の金融機関から供給されておるわけでございます。すなわち、ここでも長短分離の原則は、そのときの金融環境に応じて弾力的に運営されてきているという一つの面があるわけでございます。  そこで、われわれ長期金融機関といたしましては、従来も本格的な長期資金を供給することに努力してきたわけでございますが、残念ながら、いままでのような環境のもとではなかなか本格的な長期資金の供給というわけにはいかなかったわけであります。この点は、たとえば、公社債の期限一つとってみましても同様でございます。また、いま期限は七年でございまして、七年程度ではまだ不十分ということが言えると思います。幸い、今後は、経済の安定化が進むにつれまして、漸次本格的な長期低利の資金を供給できるような環境が熟しつつありますので、一そうこの面の努力をしていきたいと思います。  御参考までに申し上げますと、私ども銀行の長期貸し付けのうちでは、その約八割強が期限五年をこえるものでございます。企業側の要請と、私ども努力いたしまして、たとえば、最近四、五年間の傾向を見てみますと、四年以下の比較的期限の短いものは、四年前の一一%台から六%台に比率が減少しております。逆に、七年をこえまして十年以下のような長期の貸し付けが一八%から三〇%というふうに比率が上昇しております。  そもそも、こういった長期の金融は、長期間にわたりまして、企業の収益でありますとか、あるいは減価償却の一部といった自己資金によって返済を受ける性質のものでありまして、その点が短期の金融とは償還資源の面から見ましたときに違った性格が出てくるわけでございます。  したがいまして、私どもが長期金融を行なうにあたりましては、当然のことでございますが、内外の経済情勢であるとか、産業の動向などを勘案いたしまして、長期的な見通しに立ちまして企業の将来の予測を行なうことが必要になるのでございますが、さらには、こういった長期の期間には、御承知のように通常予測し得ないようないろいろの不測の事態が発生するわけでございます。私はよく申すのでございますが、企業に長期の資金をお貸しいたしておりますと、その期間中には企業のほうでかぜを引くこともありますし、おなかをこわすこともある、これを、やはり治療に御協力しながら健康体に持っていくということが、長期金融機関としての一つの使命ではないかということを申しておるわけでございます。  そこで、御承知のように、日本企業はいわゆる借金経営ということになっておりまして、先般の不況のときにもいろいろの事態が出てきたわけでございますが、その原因の一つといたしましては、やはり借金経営の中でも、当然のことでございますが、借り入れ金の量が多いと同時に、その質が問題でございまして、期間が短期であるとか、あるいは高利の資金を使うというところに問題があるわけでございまして、借金をいたしましても、質が適正であればいろいろの変化にも耐えていかれるというような面があるわけでございます。それが、先ほど申し上げましたような長期金融機関としてこういった金融をいたします場合に、資金面におきましても十分そういうかまえとか備えというものを持って対応しなければならぬということが一つ特徴であると私は思います。  また、これもたびたび申し上げますのですが、御承知のように、私ども銀行は戦前は特殊銀行でありまして、特殊銀行という立場に立ちまして、先ほど申し上げましたようないろいろな経済情勢の変化あるいは恐慌的な事態の場合にもこういった事態に対処し得る機能を果たしてきたわけでございますが、戦後は、日本金融制度といたしまして政府金融機関が幾つかございますが、それぞれの金融機関は法律によりまして機能が限定されております。たとえば、開発銀行さんは設備資金しか出せない、あるいは輸出入銀行さんは輸出入の金融だけということになりますと、そういった事態に機能し得る金融機関制度的には欠けているわけでございます。そこで私どもといたしましては、いろいろ御批判はあると思うのでございますが、過去におきまして、そういう事態に、民間金融機関としてあるいは株式会社として許し得る範囲におきまして、また、銀行の経営採算の許し得る範囲においてこういった機能を及ばずながら代行してきたつもりでございまして、こういった機能を、今後金融制度をお考えになる場合にどういう部分において担当するかという問題も一つの問題として私はあると思います。  次に、長期金利の問題に触れるわけでございますが、産業界が、御承知のように国際化時代に入りまして、今後欧米の企業と戦っていけるという一つの条件としては、やはりこの金利の引き下げという面が必要になってくると思います。長期金融機関もその中におきまして当然努力していく必要があるということは言えるわけでございます。  しかし、この金利の問題につきましては、やはりそれぞれの金融機関が経営の合理化等によりまして努力することはもちろんでございますが、やはり国全体の金利体系全般との関連におきまして考えていかなけたばならぬ面が多いのでございまして、金融市場全体への影響について配慮しながら、これは慎重に取り組んでいかなければならぬと思います。  一つの例といたしまして、昨年、御承知のようにわれわれ長期金融機関といたしまして、二度にわたりまして、少のうございますが、〇・五%の長期貸し出し金利の引き下げを実施したわけでございます。そこで、この間におきまして、私ども資金吸収手段であります債券レートの引き下げは、いろいろ金利体系への影響を考慮いたしまして、極力小幅にとどめざるを得なかったわけでございまして、利付債は〇・一%、割引債は〇・二%、その大部分がいわゆる合理化によって吸収したわけでございます。先ほどから金利引き下げの問題が金利体系全般との関連において考えなければならぬということを申し上げましたが、昨年の引き下げのときもやはり社債の利回りというようなものはいろいろの事情で引き下げができなかったわけでございます。したがいまして、現状におきましては、ほんの一部の社債の発行者利回りを除きまして、優良企業の社債の発行者利回りというものが、私どもの長期金融機関の貸し出しのベストレートよりは高いというような状況すら出ております。また、これは体系だけの問題ではございませんで、今後こういう債券類の消化の構造のうちで大きな柱になります日本の基幹投資家というものの資金コストでありますとか、あるいは投資のビヘービアというものが変わってまいりませんと、こういった金利水準の引き下げということもなかなかむずかしいわけでございます。  次に、中小企業に対します長期安定資金の供給という面から、われわれ長期金融機関の果たし得る役割りについて申し述べたいと思います。  御承知のように、資本の自由化でありますとか、あるいは大企業の再編成が進展いたします面から、今後中小企業につきましてはやはり金融以前のいろいろ施策も当然に必要になってくると思いますし、私はむしろそれが先行すべきだという感じすら持っているわけでございますが、しかし、当然金融面からもいろいろの施策を講じていかなければならぬわけでございまして、その一つといたしまして、現在、御承知のように、金融制度調査会でこの中小企業金融制度の問題が議論されておるわけでございます。もちろんこの論議を十分尊重していくべきだと私思います。しかし、日本中小企業の実態というものは、もう皆さまが御承知のように、非常にいろいろの階層もございますし、また経営等にもいろいろの格差があるわけでございます。したがって、こういった中小企業について、先ほど申し上げましたような、金融以前の施策というものを十分に施す必要があるということは当然でございますが、現状におきまして、金融制度だけをかりにすっきりするということでは、なかなか片づき得ないのではないか、むしろ中小企業現状というものを前提にいたしまして、この中小企業金融制度というものを考えなければならないのではないかという感じがするわけでございます。  一般論は、もうこれは御承知のとおりでございますが、中小企業が収益力が低い、あるいは証券市場を利用し得ない、したがって、大企業に比べまして自己資本の不足が非常に激しゅうございます。そこで、中小企業に対します長期金融が大企業以上に必要になり、またその拡充が望まれるわけでございます。先ほど申し上げましたように、長期の金融をいたします場合には、大中の差なく、私は、金融のたてまえとして、あるいはかまえとして十分の備えがあることが必要であると思いますので、そこで中小企業金融専門機関というような機関が認められました場合に、こういった機関が、長期の金融中小企業といえども大量に、大きな比重でするということは、金融制度としてもあるいは健全経営という面からも若干問題があると私は思います。  そこで、どうしてもこれを補完するというたてまえが必要になってくるわけでございます。その面におきまして、政府金融機関役割りもあると思いますが、われわれ長期信用銀行といたしましても、今後、従来ありましたような代理貸しというような制度が、率直に申しまして、債券発行銀行のほうから見れば資金調達という面に比重が置かれ過ぎておる、また、中小企業金融専門機関立場から見ますれば、どうせ債券を消化するならというような観点から、本来の中小企業長期金融という立場が若干軽視されてきたんじゃないか、そういった意味におきまして、この補完としての代理貸し制度というものを、ここでいま申し上げたような本来的な中小企業の長期金融、あるいは準政策的な金融をこれに加味していくというような面において代理貸し制度を活用するということも私は必要になってくるんじゃないかという感じがするわけでございます。  以上、るる申し上げましたが、今後金融円滑化でありますとか、あるいは資金効率化、健全経営の推進、あるいは均衡のとれた国民経済の発展といった観点から金融制度全体を見直し、その中での新しい各種金融機関の位置づけというものを検討するということは、大いに私は意味があると思うのであります。しかし、この点は田實会長もおっしゃったように、金融機関の問題というものは、事柄の性質上なかなかデリケートでございます。  また、後ほども御質問に応じましてお答えいたしたいと思いますが、私はこういった問題の検討、取り扱いというものは十分徹底してやっていただきたい。これが、ことばは悪うございますが、中途はんぱで検討されるということでは私はいかぬと思います。検討については十分徹底して、あらゆる角度から検討していただきまして、そうして一つ結論が出た場合には、実行はむしろ大胆に行なっていただきたいという感じがするわけでございます。  そこで、長期金融機関が今後どういった位置づけを受けるかということで、具体的に長期金融機関の場合、たとえば政府金融機関との間の業務分野の調整というものも一つの課題になると思います。  基本的には、御承知のように、政府金融機関というものは、国民経済的見地から見まして、特に重要な分野民間金融を補完するという使命を持っているわけでございますが、今後環境の変化に即応いたしまして、前向きにこの機能を活用、再検討していただく必要があると思います。今後は、方向といたしましては、やはり一そう質的な補完機能に徹していくべきであるというふうに考えます。  また、民間金融機関につきまして、こういった自由主義経済体制のもとにおいて競争原理を働かせる、そこで経営体制の合理化をはかっていくということは、これは当然のことでございますが、しかし、金融機関の場合には、他の産業と異なりまして、当然この競争の原理を働かす場合にも一つの限界がございます。また、この競争原理を導入して制度をかえていく、あるいは再編成をしていくという、その手法いかんによりましては、かえって金融機関の過当競争というような面が出てまいりまして、こういった編成がえのねらいでございます金利の低下とか、あるいは効率化と逆の結果というものもその過程では出てくる危険もあると思います。特に長期金融につきましては、これは金融市場におきまする金融の短期的な繁閑によりまして、当然こういった面の影響を受けるわけでございますが、長期資金の供給体制が大きく変動するということは、私は好ましい現象ではないと思います。  そこで、こういった見地から、長期金融機関につきましては、金融機関としての公共性でありますとか、社会的責任といったことが、より強く要請されるわけでございますから、その面におきまして、先ほど異常な事態における長期金融機関一つ役割りということもひとつ指摘したわけでございます。われわれ長期金融機関相互間におきましても、正しい意味での競争関係と同時に、やはり大きな立場からの協調関係というものを打ち立てていくことが重要であると思います。  最後に、こういった問題に関連いたしまして、最近新聞、雑誌等で、長期信用銀行あるいは長期金融機関というものが資金の調達の面から一つの曲がり角にきておるのではないか、そういうような議論が出ておりますわけですが、一面においてそういったことも言えるわけでございます。私は、やはりこういった問題は、単に長期金融機関だけの問題ではございませんで、日本各種金融機関全般に、多少質は違いますが、それぞれ先ほどから申し上げておりますようないろいろな変化に即しまして問題が出てきておるわけでございまして、私ども銀行債券の消化について出ております問題も、御承知のように、都市銀行さんのほうでなかなか預金資金の流れの変化とともにおふえにならない、あるいはそういった状況下におきまして、国債とか政保債とか社債、金融債、多量の証券投資を必要とするというような事態から、かなりいろいろむずかしいポジションにおありになるというようなことから債券削減というような問題も出ておるわけでございますが、私はこういった債券の削減という問題も、いま申し上げたような事情を考えますと、ある意味では当然のことである。当然当然と言っておりますと、債券は売れないわけでありますけれども、しかし、事柄はむしろそういった債券を消化なされる側に非常に大きな問題が出てきておる。したがって、その問題の解決が、単に債券の消化を削減するということだけでは私は片づき得ないという感じすらあるわけであります。  そこで、いま話題になっておりますような多様化とかあるいは同質化とか、いろいろな問題が出ておるのではないかという感じがするわけであります。あるいは何か弁解めいたお感じをお持ちかもしれませんが、私は、最近起きておる問題の性格をそういうふうに理解しておるということを申し上げまして、一応御説明を終わらしていただきます。
  53. 小峯柳多

    小峯委員長 ありがとうございました。     —————————————
  54. 小峯柳多

    小峯委員長 これより質疑に入ります。武藤山治君。
  55. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 もう結論お話をいま中山さんから出されたので、あまり聞く点がなくなるような感じなんでありますが、最近金融債の売れ行きが少々不振になってきた、それはいろいろな理由があるそうでありますが、都銀側に原因がある、いろいろあると思いますが、三菱銀行あるいは野村証券が引き受け削減的な、引き受けストップをしたということが六月の金融財政事情などにも書かれておったわけでありますが、それは興銀側のほうからすれば、どこかで引き受けてもらわなければならない。  そこで、いままでの発行ベースをちょっと見ますと、昭和四十年が一兆九百五十九億円、それから四十一年度が一兆三千一億円、こういう金融債発行ベースになっておりますね。そうすると、本年度は資金需要の見通しやなんかから見てこれを下回るようなことでは、長期銀行としては困るのか困らないのか。先ほどの設備投資の動向とからんでくると思うのでありますが、その辺はどのような見通しが立てられておりますか、ちょっと明らかにしていただきたい。
  56. 中山素平

    中山参考人 最近、御指摘のような債券の消化に若干変化が出てきているわけでございますが、われわれといたしまして、もちろん自力で債券を消化する、そういう努力をするということは当然のことと思いますが、ただ、いい機会でございますので、先ほど長短分離あるいは債券銀行のことをちょっと触れたわけでございますが、日本でなぜこういった債券発行銀行というような制度が考えられておるかということを、この機会につけ加えさしていただきたいと思うのでございます。  お聞きようによっては非常に虫のいい議論というようにおとりになるかもしれませんが、やはりなるべく低利で長期の資金を調達するということになりますと、日本のいわゆる貯蓄の性向とかあるいは投資の性向ということから見ますと、各預金銀行さんに集まりました資金というものを債券という形でお引き受け願いまして、短期資金を長期化するという仕組みが債券発行の消化の仕組みになっております。そこで、それじゃコストが高いじゃないかという御議論が出るかもしれませんが、やはり先ほど申し上げましたように、債券の条件というものが日本金利水準の中できめられるということでございまして、預金銀行さんなり他の金融機関によって消化されるから債券の条件が高いということではないと私は思います。そういった形によりまして、預金で集められた資金を、債券をお持ち願って長期資金を調達し、しかもこれを運用する場合になるべくコストを安くするというような意味におきまして、非常に少ない店舗と少ない人員で、つまり、申すならば経費率が非常に低いわけであります。そういった経費率を加えて運用するというのが現在の債券発行銀行のたてまえでございます。どちらかと申すならば、各金融機関債券をおろす、また、一般大衆に対しては証券会社を通じておろすという卸売りのような形においてやっておるのが現在の仕組みでございまして、したがいまして、いまのたてまえにおいては、他の仕組みを考えても、そう金利の安い長期資金が調達できるかどうかということには、私は若干問題を持っております。  武藤さんの御質問の本年度の資金需要ということでございますが、本年度は、御承知のように、先ほど申し上げましたような新しい設備投資時代に入ったということを私申したのでございますが、ここ三、四年はいわゆる製造業の設備投資というものが非常にふるいませんで、ほとんど対前年に比べまして横ばいであったのでございますが、昨年の下期から製造業の設備投資というものがむしろふえてくるという動向に入ったわけでございます。現実資金需要は他の金融機関さんも同様でございますが、いま予想されております設備投資の増加率に比べれば、現実に窓口にそう大きくはきておりません。ただ、私ども銀行などはかなりの水準がきているわけでございます。そういった点から考えますと、先ほど御質問の債券の純増が三十九年は一千三百五億円、四十年は千九百九十九億円、四十一年度が千六百八十一億円という数字が出ておりますが、やはり四十一年度よりは少しふえたものが必要になるのではないかという感じを持っております。  それで、こういったむずかしい消化の情勢の中で、それでは資金の調達ができるかというような御疑問があるかも存じませんが、私ども長期信用銀行といたしましては、私ども銀行は若干預金を持っておりますので、日本銀行さんからその預金の出入りに関して借り入れはできますけれども、他の債券銀行さんはそういったあれもないというようなことから、ボンドオープンのときの経験等に徴しまして、私どもといたしましては、できるならば、ある程度余裕金を持つということが債券銀行としても必要なわけであります。昨年は、御承知のように金融が非常に緩慢でございましたので、そこで各債券銀行とも債券の消化に努力し、また、こういった緩慢時期には割引債の比率を下げて利付債を上げていく努力をするわけであります。そういった関係で、ある程度余裕金を持ち得たわけであります。私ども銀行ども前々からそういった資金政策をとりたかったのでありますが、御承知のように、高度成長期で絶えず資金逼迫でございまして、余裕金を持つに至らなかった、ところが、たまたま昨年は若干そういう余裕金を持ち得たということから、これが活用と相まちまして、本年度はまだはっきりした数字は申し上げられませんが、債券の消化ということも、各金融機関に、先ほど申し上げましたようなごもっともな御事情であることはわかりますけれども、やはり現在の金融制度というものをたてまえにいたしますと、なるべく削減していただくという御折衝と相まちまして、消化が可能ではなかろうか、そういった判断をいたしております。
  57. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 長期の設備資金はこれからたくさん需要が起こってくるだろうということで、発行ベースは変えたくないという御意見のようでありますが、日本興業銀行の資産運用の内容をちょっと見ますと、有価証券の増が四十年度と四十一年度を比較しても一千億円ふえておる。もちろん国債がその中で三百億円新たにふえておるわけでありますが、株式、社債、こういうものがふえて一千億円くらい有価証券保有が増加しておるわけですね。私どもしろうとから考えれば、長期銀行資金を融通するところで、株を買うところではない、そういうたてまえでいくべきでなかろうか。高い金融債を出しておいて、それで今度は安い有価証券を買わなければならぬ。株式の場合は安くはないのでしょうが、そういうような面で有価証券保有はどうしても避けられない機構になっておるのかどうか、有価証券くらいは現金にかえて、それだけ発行ベースをことしは落としたらいいのではないか、こんな感じがするのでありますが、その辺はいかがでありますか。
  58. 中山素平

    中山参考人 はなはだおことばを返すような感じがいたしますが、ただいまの有価証券保有の純増の数字が若干違っておりまして、私が記憶し、また持っております資料から見ますと、三十九年が三百億円、四十年が五百億円、四十一年が七百億円、こういったふえ方になっておりまして、その中の公社債と株式も、大体八割が公社債それから二割が株式というような比重になっております。現在手持ちの有価証券が全体で二千七百三十億円でございますから、この中でもいま申し上げたような比重が出てくるわけでございます。  そこで、なぜ有価証券投資債券銀行の場合に必要かということを申し上げますと、一つは、国債政保債については申し上げる必要はないと思いますが、社債等につきまして、私ども銀行が御承知のように社債の受託というものをかなりの比重やっております。社債の消化はほとんど金融機関消化が多いわけでございまして、金融情勢のいかんによりますと、やはりこの社債の消化というものも円滑を欠くわけでございます。そういたしますと、やはり幹事銀行というものが、自分が幹事をしております社債というものを相対的には大量に引き取らなければならないというのが実際の社債の消化状況でございます。そういったような意味から、社債類の消化というものがやはり債券銀行の場合、受託という機能を果たしていく上においては当然必要になってまいります。  そこで、また株式の問題でございますが、これも御承知のように、本来銀行が株式を持つということの善悪の議論はあると思いますが、戦後日本の資本蓄積が喪失いたしますとか、あるいは財閥解体というようなことから株式を持つという場合に、金融機関がある程度持ちませんとこの消化がなかなかむずかしいわけでございまして、特に最近は資本取引自由化というような面から安定株主としての銀行ということで、一部の御議論としては、現在独禁法で許されております一割というものをむしろ引き上げろというような議論もあるわけでございますが、この議論について私が賛否を申し上げるわけではございません。  それから、私ども銀行はやはり資金が長いものでございますから、長期の資金というものを持っている場合には、先ほどから申し上げているように、決して株式投資を積極的に進めるという意味ではなくて、いろいろな関係において持ちます場合にも、資金の吻合という意味からは比較的恵まれた条件にあるということは言い得るのではないかという感じを持っております。
  59. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 私はいまの国債発行下における都銀資金ポジションなどをいろいろ考えてみますと、どこへもなかなかしわ寄せが持っていけない。国債を減額してくれということも一つの議論、あるいは、そう景気は過熱しそうもないから金融債のほうを少し減らすべきではないかという議論、いろいろあります。  そこで中山さん、国債に対する見解ですね。本年みたいな経済情勢の場合には国債に対してどういう注文をお考えになっているか、その辺をちょっと明らかにしていただきたい。
  60. 中山素平

    中山参考人 これはおそらく堀田さんもお話しになったと思うのでございますが、やはりこの国債発行の当初から民間の——日本経済活動が活発になりまして、たとえば民間資金需要が出てくる、あるいは反面において税収がふえてくるというような場合には、当然に国債発行を弾力的に考えるという前提のもとに国債発行制度が戦後初めて導入されたわけでございます。したがいまして、現状において私まだ税の自然増収がどのくらいになるかというようなはっきりした数字を持っておりませんので、抽象論でお答えいたしますと、経済状況が非常に活発である、あるいは企業の収益が高いというようなことからある程度の自然増収が出ることは当然予想されます。そうなってまいりますと、均衡財政のもとでは、たとえば税収が多くなるということによっておのずから経済のあるいは景気の調節をするということも考えられたわけでございますが、こういった国債発行になってまいりますと、またいわゆる国債金利を負担してそのままやっていくというようなことが、財政上の面から見ても非合理でございますので、当然ある程度国債発行の減額というものが必要ではなかろうか、そういうふうに考えております。
  61. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 金利を今日たいへん引き下げて、長期貸し出し金利も、最近は新たに借りるものは二銭二、三厘という状況になった。たいへん好ましい姿ですが、最近コールがたいへん上がって、取り手で二銭五毛ぐらいになってきた。そうなってまいりますと、短期資金金利がずっと上がってくるという傾向から、おたくのほうでも、せっかく下げてきた金利がまたまた反騰するようなことになって、国際長期金利との比較上、また差がたくさん開いてくるような危険はないか、その辺の動向をちょっと明らかにしていただきたいと思います。
  62. 中山素平

    中山参考人 まだ私は現在の経済状況が過熱であるから、あるいは過熱の危険が非常に強いから、経済政策金融政策を転換するあるいは金利政策を転換するという必要は認めないわけでございます。もちろん、今後いろいろな条件をウォッチして警戒的な態度をとるということは必要だと思いますが。したがいまして、いまの段階において長期金利を上げるというようなことは当然考えておりません。しかも長期の金利の場合は、短期の金利と違いまして、先ほども資金の消化の面で申し上げたように、あまり短期的な金融情勢の繁閑によって長期金利を動かすということは、私は避けるべきではないかという感じを持っております。  それから大きな方向といたしましては、毎々申し上げておりますように、機会をつかまえて金利水準をできるだけ下げていくという努力をすべきではないか。実は、先ほど申し上げた昨年十一月の長期金利引き下げということも一部にいろいろ御意見はございましたが、私は、日本金利政策としては、金利を下げる場合には、そういった条件をつかまえてはむしろ積極的に下げていく、それから金利を上げるという場合に、短期金利の場合はやはりちゅうちょなく大胆に金利を上昇すべきだと思いますけれども、たとえば、先ほどから申し上げておりますような公社債市場金利機能とか市場メカニズムというようなものも、当然、こういった金融情勢になりますれば、あるいは社債あるいは債券類の発行条件を上げるということがオーソドックスな金利機能とか市場メカニズムが出てくるわけでございます。しかし、いま日本が置かれております現実のいろいろな経済条件というものを考えますと、なかなかそれを上げ得ないというような条件があるのではないか。しかし、そこにはいろいろ限界がございます。ですから、金利を上げていかなければならぬという場合には、なるべくその上げる期間を延ばす、あるいはその幅を小さくいたしまして、他の手段によってこれを吸収する。先ほどの国債発行の減額もその一つだと思いますが、そういった方向をとらざるを得ないのではないか。非常にオーソドックスに金利メカニズムあるいは市場メカニズムというものによって調整するというのにはまだ条件が熟していないという感じを私は持っております。
  63. 小峯柳多

  64. 村山喜一

    村山(喜)小委員 二点ほどお尋ねいたしたいと思います。  いま武藤君のほうからもお話がありましたように、都市銀行資金ポジションが非常に悪くなった。三菱銀行に引き続いて今度は住友、第一等が金融債引き受けを減らしてもらいたい、こういうようなことで、長銀三行に申し入れをしたというようなことが伝えられておるわけです。そこで、金融債コールレートの上昇によって逆ざや現象になるというようなこと等もあって、なお引き受けにくいという事情が出てくるわけでしょうが、そこで、長期銀行といたしましては、その金融債の減少分を——そういうような声が出るのはやむを得ないというようなことを先ほどお話をいただいたかと思っておりますが、そうなりますると、その減少に引き合う分として、割引債でございますか、この分の比率を高めなければならない、こういう方法をとるか、あるいはその債券額全体を再検討してこれを減らすかしなければならない。しかし、長期資金の需要というのは非常に旺盛だと私は思うのであります。そういう立場から、どういう方向を今後おとりになるのか、全体の計画がすでにでき上がっているのであるならば、それを数字で示していただきたいと思います。
  65. 中山素平

    中山参考人 先ほども申し上げましたように、ただいまの段階では一部の都市銀行の中で債券削減というような御要請もございますが、これに対しましては、一つは個々の銀行さんとの関係、お取引関係にも差異がございますので、私はそういった削減というお話が出ます背景としての事情を申し上げましたように、まことに御無理のない事情でございますので、これを真正面から肯定しておるわけでございますけれども、しかし、他のいろいろ手段が講ぜられぬ限りにおきましては、非常に大きな削減になりますと御指摘のような支障が出てまいりますので、削減額をなるべく小幅にしていただくというお願いをすると同時に、余裕金の活用ということでこれに対処していきたいというふうに考えておりますのですが、しかし、そういう現象の中にはかなり恒久化するような事由もございます。  そこで、日本銀行さんといたしましても、現在のような金融制度を前提といたします場合に、いまの都市銀行さんのポジションの問題も、私ども債券の削減ということだけでは片づかぬわけでございますから、こういったポジション問題について日本銀行としてどういう考えをお持ちになるか、あるいは現在オペレーション政策といたしまして金融債は一応はずれておるわけでございますけれども、確かに日銀のオペレーションの対象としては国債政保債が一番いいことはわかりますが、しかし、先ほどから申し上げておりまするようなほんとうの金利機能とか市場のメカニズムだけで問題が片づき得ないというのが日本経済なり金融の条件でございますので、そこで、いま申し上げたようないろいろなことを考えますと、もし事態が長引くというようなことになれば、そういった面についても私は御考慮をお願いする一つの問題があるのじゃないか。しかし、いまから自分らが努力いたしませんで、ただ何をしていただきたい、何をしていただきたいということは一切すべきじゃないということで、現状は、われわれの自分の努力によりまして、また、各金融機関の現在の制度を前提にいたしましての御協力をお願いして、これによってもう少しいろいろ推移を見た上で私は考えるべきじゃないか、さように考えております。
  66. 村山喜一

    村山(喜)小委員 現行制度の上に立ってさらに努力をするという見通しでございますが、非常に時期的に切迫をしておると思うのです。そういったような意味において、全体の計画をどういうふうに立て、今日の事情の変化をどのように織り込んで、態度をどういうふうにするのだという方向、いわゆる確定づけができるのはいつごろという見通しをお立てになっていらっしゃるわけでございますか。
  67. 中山素平

    中山参考人 いままで申し上げたようなことをいたしまして、当然のことでございますが、私ども債券の自力消化と申しますか、これに努力いたしますならば、私は、本年度は、先ほどから申し上げておりますような昨年度以上の債券消化というようなことを果たし得ることが、余裕金の活用、あるいは多少資金ポジションは悪化いたしますけれども可能であるというような感じを持っております。  したがいまして、その間におきまして、事態の推移に応じて、日本銀行さんあるいは大蔵省というような方面におきましても、いろいろいま申し上げた私ども銀行だけの問題じゃない性格を持っておりますので、その関連においてお考え願う。  ただ、先ほどから私は現行の金融制度のもとでということを繰り返し申し上げておりますのですが、いま皆さんの間でこういう金融制度の問題をお考えくださるのも、先ほどから申し上げておるようなあらゆる角度から徹底した検討をしていただくということになりますと、また他の場においてもそういうことが行なわれることでございますので、私は、ある期間が当然に必要になってくる、事柄、方向は先ほどから申し上げておるようないろいろな条件下において、より効率的な金融ということで急がなければならぬ問題ではございますけれども、事柄の性質上、検討には時間を要するのじゃないか、そういたしますと、そこで結論が出るまでということは、少なくとも現在の制度で円滑に運用するということで運営されないとすれば、たとえば、新しい設備資金一つとりましても、資金の円滑な供給ということに障害を来たすということは避けていただきたいと思います。
  68. 武藤山治

    ○武藤(山)小委員 いまのに関連して。  いまたいへん重要な発言があったわけですが、金融債を日銀オペレーションの対象にというようなことを期待する発言でありますが、いよいよ方法がなければ、結局国債政保債、さらに金融債を加えてオペレーションの対象にするということに進む、これは論理上そうなると思うので、それをやった場合はどうですか。信用の膨張が起こって、物価騰貴やなんかに悪影響を与える、そういう国民経済全体から見た場合のデフレートが大きくなって、長期銀行を助けるために逆に国民全体に悪い影響を与える、こういう信用過多の問題についてはどうお考えになりますか。
  69. 中山素平

    中山参考人 私のことばがあるいは少し過ぎたのかもしれませんが、ただ金融債日本銀行のオペレーションの対象にするということだけでこの問題を片づける、また片づけ得る問題ではないわけでありまして、従来金融債がオペレーションの対象であったわけでありますが、国債発行後、金融債よりは国債のほうがオペレーションの対象としてはより適格であるということで金融債ははずれたわけであります。  しかし、先ほどから申し上げておりますように、すべて本来的なものだけでは片づけ得ない。たとえば、それじゃ私ども債券の消化を円滑にするために発行条件を上げるというようなことは許されぬわけでございます。それはやらないでいこうということになる。オペレーションの対象としては若干国債よりは劣るけれども、これを加えることによりまして——これは決してそれですっかり片づくわけではございません。前よりは流動性は加わるというだけでございます。また、量といたしましてもそれをオンするというのじゃなくて、結局はオペレーションの額はそのときそのときの金融情勢に応じて日銀がおきめになるわけでありますから、国債なり政保債が対象として減るということになるわけであります。その置きかえだけの問題になると思います。
  70. 村山喜一

    村山(喜)小委員 これは皮肉な質問になるかと思うのですが、いままで都市銀行債券引き受け銀行であります。あなた方のなにを引き受けまして、それを見返りにして系列関係企業資金が貸し与えられるという一つのメリットがあったと思うのです。そのメリットが今日もうだんだん薄くなってきた。そういうことから都市銀行のデパート論化という問題が発生するのじゃないか。私は、そういうふうに金融情勢をめぐる事情の変化というものが、いま長期銀行の今日の存在価値という問題を問うておるのではないかと思うのですがね。いわゆる金融債引き受けというのは、ただ一時的な現象だというふうには考えられないような本質的問題が背景にあるのではないかとさえ思っておるのですが、それは一時的な現象なんだ、資金ポジションが悪化したために今日の事態が生まれているのだ、こういうようにお考えになっていらっしゃるのですか。そのことはどういうふうに判断をしていらっしゃいますか。
  71. 中山素平

    中山参考人 お尋ねでございますのでお答えいたしますが、先ほどから、いま起きております現象の中で一時的なものと恒久的なものとがあるということを申し上げたわけでございますが、ただ長期資金の需要といったような面について、冒頭に設備投資を多少過小評価しているということを申し上げたことが一つと、もう一つは、企業手元流動性が大きくなってきて内部資金がふえてきておるということはそのとおりでございますが、この点はもう少ししさいに私どもも検討しなければならぬわけでございますが、企業側のいろいろな資金需要、設備投資とか在庫資金、こういった資金を調達する資金源の中においての内部資金の比重というものを見てみますと、売り上げ高に対します比率としてはほとんど安定しております。したがって、今後かりに設備資金需要が相当の高さを持つとした場合に、内部資金の比重が高くなって銀行からの借り入れが減るかというようなことについては、若干問題があるということが一つあると思います。  それからもう一つは、長期金融機関の存在価値の問題でございますが、御承知のように、よく多様化とか同質化という御議論も出ておるわけで、これは私大いに検討すべき問題だと思います。私、決してそれを否定するわけじゃございませんが、これを検討する場合にいろいろ検討すべき問題があるのじゃないか。  その一つは、欧米と日本とのいろいろなこういった金融制度についての比較をなさるわけでございますが、申し上げるまでもなく、欧米でのいわゆる企業の事業資金を外部資金に依存する比重は非常に低いわけです。特に設備資金の場合は低いわけです。しかし日本の場合は、従来もかなりの比重をもっております。また、今後におきましても、先ほどから申し上げておるような設備投資の増高とか、企業の手持ち流動性といったような面から見ても、私はかなりの比重を持つと思います。そうすると、欧米の場合の非常に小さな比重、柱のものと日本の場合は非常に違って、かなり太い柱でございます。したがって、その太い柱を多様化するという点については、いま申し上げたような事情というものを十分お考えになる必要があるということが一つでございます。  もう一つは、要は、先ほどから申し上げておりますように、今後大、中、小を問わず、やはり長期金融の場合に長期で低利でということをねらわなければならぬわけです。ですから、はたして多様化によって現在の制度よりもどう長期化し低利になるかというような点も一つの問題として十分お考えになる必要がある。ですから、目的がどこにあるかということを考える、あるいは日本の長期金融の比重というものを考えましたときに、これをどういう仕組みでやっていくことがいいかということを十分検討する——多様化同質化の問題について私大いに尊重もいたしますし、研究すべき問題と思いますけれども、まだほかにも幾つか問題がございますが、そういう先ほどからのあらゆる角度からの検討ということは、いま申し上げたような点が一つの問題であるということを申し上げておきます。
  72. 村山喜一

    村山(喜)小委員 議論をする気持ちはございませんが、六月の金融債の動きを見てまいりますと、割引金融債が三倍増になっておるわけです。これはやはりボーナスがふえたというようなこと、あるいは証券会社の販売強化による分がふえたということ、それに比べて利付金融債のほうは、金融機関資金ポジションの悪化に伴う引き受けしぶりがもたらした影響でほとんどふえていない、こういうような現象を見ましても、今後はやはりそういう現実を踏まえながら、割引債の一販売強化というところに重点を指向していかなければいけないのじゃないかと私は思うのです。そういうような方向はおとりになるつもりでやっておられるわけでございますか。
  73. 中山素平

    中山参考人 割引債が私ども資金源の一つの大きな柱であることは御指摘のとおりでございます。ただ、私どもが先ほどから申し上げておりますように、なるべく融資の期限を長くするという努力をしております。たとえば七年ないし十年というものが三割もある、そうすると、一年の割引債というものを主たる資金源にするということは、経営の上から非常に不適当ということでございます。もちろん、私どもも割引債の消化層につきましては、安定消化と申しまして、かなりの比率は乗りかえをしていただくわけでございますが、実質は長期でございますが、経営の面においては、やはりここにある限界を持つ必要がある。従来は利付債七割、割引債三割という一つ基準を持っております。大蔵省のほうの行政指導としてもそういう線でやっておられる。ただ、お断わりしておきますが、これは一つのたてまえでございまして、残高も実績もそうなっております。しかし、そのときどきの金融情勢によりまして、たとえば六月の月を御指摘になりましたが、これはやはり一つのボーナス期である、あるいは七月から割引債の税制が変わってくるという異常な月でございます。しかし、これはやはり例年六月、十二月というようなときはふえてまいる、そのときは割引債の発行はふえますし、また、先ほど申し上げましたような金融の逼迫いたしますときは、長いものの消化はなかなかむずかしいものですから、割引債の消化をよけいいたしまして、その満期になりますと、これをむしろ利付債に切りかえるというような資金政策をとりまして、終局においては七割、三割、できれば、やはりいまの五年の利付債すらもわれわれとしては長くしていきたいという努力をしているわけでございます。
  74. 小峯柳多

  75. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまの最初お話にありました中で、三十一年から四十一年までの設備資金民間の供給が八兆三千億円で、長期関係で六割、こういうお話でございましたが、そうすると、残りは都銀、地銀が四割、こういうことになると思います。それとこの数は、短期金融というたてまえの都銀、地銀が長期の金融をしているという一つの実態だと思います。  そこで、この中身がよくわからないのは、実はその次にお話になりました、最近四、五年の傾向としては、四年以下の貸し付けは一一%から六%に減ってきた、しかし七年以上というようなものは一八%から三〇&にふえてきた、要するに、日本の長期資金の需要の状態というのは、少なくともこの形では次第に長期のものを要求する方向に動いている、こう思うのです。そこで今度は、この六割、四割のうちの長さの中身ですが、要するに全体がこういうふうに動いてくるとなると、都市銀行、地方銀行が七年、十年というものをいまの一年の定期へ回していくということは、本来的に無理がだんだん出てくるのではないか、こうなるわけでありますが、この長期銀行のほうはこういうふうな形なんですが、その点、資金需要はお調べになっていることでしょうが、一体四割のほうはどういう形になっているのか、もしおわかりでしたら……。
  76. 中山素平

    中山参考人 いま御質問のここ四、五年のということですが、これは興業銀行だけの数字でございます。他の債券二行の数字は実はわからぬわけでございます。だから、他の債券二行がどういう期限、資金運用がされているかということが私にはわからぬものですから——興業銀行としては、いま申し上げたように、少なくとも七年、十年という非常に長期に持っていっている、したがって、他の債券銀行もわからぬくらいでございますから、全体の四割の都市銀行さん、地方銀行さんその他の金融機関がおやりになっている長期資金というものの条件がどうであるかということは、実はわからぬわけでございます。
  77. 堀昌雄

    ○堀小委員 これは一ぺん大蔵省が今後の資金の需要の姿は一体どういうことになっていくのか。いまは興業銀行は御自分のところでお調べになったが、大蔵省として、全体としてこれは大体どういう形に動いているかということを一ぺん調査して当小委員会に御報告願いたいと思います。  実はこのことは、今後、いまの同質化論なり、長短金利の分離の問題、そういった制度上の問題に非常にかかわりのある問題になってくる。私はかねて申し上げておりますように、金融機関サイドですべてを考えるべきではなしに、産業側の需要に応じて金融機関の問題がそれにアウフヘーベンしたかっこうで動いていくということにならないと、こちら側だけを考えてみてもこれはちぐはぐになると考えますから、やはり産業資金の需要がどういうふうな方向に動きつつあるかということをひとつ調べていただきたいと思うわけです。  それから、いまのお話をずっと聞いておりますと、非常にはっきり感じ取られますのは、やはり長期銀行としてはわりに——長期信用銀行と言ったほうがよろしいと思いますが、わりにこれまでの銀行の性格が特殊的でありますから、同質化という問題がどこまでくるかという問題と関連があるんだろうと思うのです。ですから、同質化という問題がこう長期のもののところまでくるということになると、これはなかなか問題がむずかしくなると私思います。単にいまの長期信用銀行の問題ではなくて、信託銀行の問題も実はそういう意味では非常に大きな問題を持っておると私は思います。いずれ信託銀行の方においでいただいたときにこの議論をしたいと思いますけれども、まあどちらかといえば、長期信用銀行よりも信託銀行銀行のほうがより同質化の問題としては近接をしておるわけですし、片や、銀行勘定でほとんど経営がまかなわれるという形においてはこのエリアの中はかなり同質化の対象になると思うのですが、ちょっと私も長期信用銀行都市銀行同質化の問題というのはかなりちょっと次元的に違う問題のように感じますから、その点は、将来的に長期信用銀行という問題がほかの形になっていくのがいいのかどうかという点には私も少し疑問がございます。その点では疑問がございます。ただ、長期信用銀行役割りが変わるであろうことは、これは私は、やはりさっき申し上げた資金を要求する側の変化につれて変わらざるを得ない問題はおそらく起きてくるであろうと思います。いまお話のように、確かに設備投資の過小評価という問題が多少あると思いますし、同時に、内部留保と借り入れ金の問題も問題があると思います。  ただ私は、この問題は設備投資のスピードに関係があるだろうと思うのです。非常にスローに設備投資をやっていくならば、これは私は、内部留保のワク内ではかなり有効にきくでしょうが、スピードをかけて設備投資をやろうとすればまかない切れませんから、当然借り入れになる。ですから、このことはやはり今後の日本経済のスピードの問題に非常に関係が出てくるのではないか。そうしますと、まあ、本年度、昭和四十二年度は、政府は九%くらいの見通しのようですが、どうも私はいまのスピードでいけば実質一二、三%あるいはそれを上回るかもしれないというかなりスピードがかかってきておるわけですが、そのわりに実は設備資金がまだ出ていない。まあ前半の年度としては、まだ第一四半期が終わったところでありますけれども、その点から見ると、どこに設備投資が行なわれているかということも、やはり大手よりは中小のほうに設備投資のスピードが高いんじゃないだろうか。ですから、そのことは内部留保の薄いところに実はいま起きているんじゃないかなという感じがしておるわけであります。ですからこれが、それじゃ大型のところにどういうスピードで出てくるかというのが今後のやはり問題だろうと思うのですが、どうも大型のところがスピードを持って設備投資をするにしては、国際収支の問題はそういう状況を許さないというような段階にあるのではないのか。  こう考えてみますと、やはりどうも全体としては日本経済の今後のスピードというのはことしぐらいが頂点で、これより早くするわけにはいかないとなれば、やはりだんだんこうスローになっていくことは否定できないだろうと思うのです。  ですから、そうすると、やはり資金需要の形というものはどうしてもこう全体としてシフトが起きてくる。その場合に、やはりある意味ではもうちょっと国民経済的要求といいますか、この間建設省が住宅資金の問題、新しい住宅ローンの問題というもので問題を提起しておりますけれども、やはりそういうふうなところにかなり今後はシフトをせざるを得ない問題が一つ出てくるのじゃないだろうか、こういう感じが一ついたしますのと、さっきお話のありました代理業務関係の問題、やはりこういうところを通じて、お話のあったように、単にこれまでは金融債を売る先ということではなくして、資金貸し付けのまあ窓口というかっこうが今後は必然的に起きてくるのじゃないのか。ある意味では、そういう意味で本来的な卸売り業務、小売り業務的な再編成といいますか、それは何も自分で相互銀行合併するという問題じゃなく、機能的なつながりというものが拡大をされてくるということで、全体としてはやはり長期信用銀行もこう変化をしていく過程はあるのじゃないか。それは私、同質化という問題ではなしに、長期信用銀行そのものの過程としては必然的に起こってくるのじゃないか、こう思うのでありますが、そこらについてひとつ……。
  78. 中山素平

    中山参考人 私も、いまお話のような方向はおっしゃるとおりだと思います。でございますから、日本経済全体の成長をスピードという面で安定的に持っていくということで、設備投資についても従来のような乱高下というようなものはあってはならぬと思いますし、また、そういう方向を持ってくると思います。ただ、その水準がどの程度の高さに——私ともの銀行でも、現状において明年度の設備投資の水準は本年よりは若干低いのじゃないかといういま見当すら出ておるわけでございますから、方向としてはそのとおりでございますが、ただその内部資金の問題につきまして、先ほども申し上げたように、これはいま私どものほうでも研究しているのですが、さっきの設備投資過小評価と同じように内部資金過大評価という面があるのじゃないかということで、過去の幾つかの例をとってみましても、先ほど申し上げたような資金の需要というものと内部資金というものの比重が、売り上げ高に関してはほとんど安定的な比率を示しておりますね。そういうところから見まして設備資金が高くなってまいりますと——まあ、ことしなんか高いわけでございますが、借り入れ金需要が、これは大といえども出てくるわけでございます。  もう一つは、企業手元流動性、あるいは内部資金の、ある意味では裏でございますけれども、この面におきましても、ちょうどアメリカの企業がかなり手元に高い流動性をかつては持っておりました。が、だんだん電子計算機の導入等によりまして経営が徹底して合理化する、たとえば、在庫管理が徹底するというようなことから、相対的に内部資金の比重が少し下がってきている。内部資金というか、有価証券投資ですね、内部資金の裏として。日本企業の場合には、逆に、最近いろいろな動きもございますけれども有価証券投資、これは関係会社投資を除いた純然たる流動資産としてはこれはふえてきておりますね。これには先ほど申し上げた、かつてのアメリカの大企業手元流動資産をよけい持ったという少し前の時代というものと似通った現象が出てきている。しかし、これも日本といえども電子計算機の導入等によって経営が非常に合理化されてきておりますから、それから従来以上に資金の運用についての効率化というようなこともそこへ出てきているのじゃないかという感じがするわけであります。したがって、現在予想されている設備資金の需要が出てこないということにいま申し上げたような問題も非常に関連してきているのじゃないかという感じを持っておりまして、この辺はもう少し徹底して調べてみる必要があるのじゃないかということで、設備投資についても過小評価、内部資金についても過大評価という問題を指摘しているわけでございます。しかし、そうかといって、いまお話のような大きな傾向は間違いなくそっちにいくでありましょうし、またそういくことが望ましいと思います。  したがって、私ども長期信用銀行といたしましても、業務分野として、たとえば中小企業の比重が高くなっていくとか、あるいは資金の期間とか期限が許されれば他の社会開発投資といったようなものにも前よりは比重がふえてまいると思いますが、これはもっぱら資金源の質によりますので、そういったところは、これからの変化に対応してわれわれの経営もどう適応させていくかという問題はあると思います。
  79. 堀昌雄

    ○堀小委員 そこで、いまの内部留保との関係、おっしゃるように、確かにこれはしばらく調査が必要だろうと思います。同時に、いまお触れになった公社債市場の問題ですね。流通市場の問題、この流通市場の問題がかなり本格的にできてくる段階では、やはり今度は大型の企業がかなりここに社債を出してくるという問題が出てくるのじゃないだろうか。そうなりますと、当然、さっきお話のように、長期の資金を必要とするというたてまえから見ましても、社債、それもいまお話のように大型化、長期化の社債ということが大企業にとってはよりコストが安くなって有利でありますから、そういう問題がここへ出てくる。こうなりますと、やはり長期銀行は社債を出せないような企業に対する設備資金の供給ということが主たる今後の使命になってくるのじゃないだろうか。まあしかし、全体として、小は中になり、中はやや中の大型になるという全体の発展がありますから、その中ではいろいろな問題がありましょうけれども、そういうものをささえていく一つの大きな役割り、言いかえれば、大企業から、どちらかというとどうしても中小企業のほうに資金需要はシフトするということが、やはり将来的には考えられるのじゃないかと思いますが、その点いかがでございますか。
  80. 中山素平

    中山参考人 これも方向としては、私はそういう方向が出てくると思います。また、私どもの融資というものは、中小企業の比重というものがいまよりは高くなるということが言えると思うのでありますが、ただ、社債の発行あるいは公社債市場の育成ということも、方向としては当然私はそう考えるわけですが、先ほどもちょっと社債万能論ということを申し上げたのですが、企業といたしましては、非常に簡単に申し上げますと、やはり早く安い金が借りられるということから、一つの選択が——それだけじゃございませんで、いろいろな知的サービス、いろいろございますけれども、やはり本能的にそういうことがあるわけでございますね。アメリカの例も、御承知のとおり、社債という場合には、借り入れ金以上に特に個人消化のものをふやしていこうという際には社債権者の利益というものを擁護しなければならない。したがって、日本の各会社が外債を出すというときにはSECで非常に厳格な審査を受ける。アメリカの国内債の場合も同様でございます。したがって、アメリカの企業家としても、非常に問題のないようなマンモス企業の場合は、SECの審査というようなものも当然適格になるわけでございますが、やはり審査がうるさい、時間がかかるというようなことからプライベートイシューをやる。パブリックオファーになりますとそういう審査にかかるわけであります。そういう傾向すらあるわけであります。  それから、日本公社債市場を育成すべきことは当然でございますが、やはり根本として長期資本の蓄積、たとえば、先ほどの機関投資一つとってみましてもまだまだ力が弱い、あるいはそこの資金コスト、要求される資金コスト、あるいはビヘービアといったものからなかなか安定した機関投資家として出にくい。それから、戦後は御承知のように毎月——最近は大型化で発行の回数も減ってまいりましたけれども、戦前は、御承知のように日本の場合といえども、一番有利なときに起債するということで、一年に何回というような起債はないわけですね。それから金利が下がってくれば低利に借りかえる、そういうことから、企業家としては、収益力をにらんで、まだ増資はできない、それから起債条件、金融情勢も不適当ということになりますと、借り入れ金によってこれを調達しておいて一番有利なときに起債するというふうに——私、先ほどから選択選択と申し上げましたが、今後経営者は、いまあげられたようないろいろな調達手段というもの、これは増資まで含めてそのときどきのいろんな条件を考えて選択するというようなことから、当然社債に大きく依存していくということは考えられますけれども、すべて社債で片づくということは、私は、不適当であり、危険であると思う。これは、そこに経営者の才能が出てくるわけで、また金融機関のほうも、そういった選択にどうこたえるかというところに今後の経営があり、また競争があり得るのではないか、さように考えますので、大きな方向としては肯定いたしますけれども、しかし、非常に短期間の間にそういう現象が出てくる、あるいは、私どもの融資が社債が出し得ないところだけに大きく傾くというようなことは、私は、ここかなりの期間をとってみてもちょっと考えられないと思います。
  81. 堀昌雄

    ○堀小委員 その問題の一番土台になるのが、私はやはり公社債市場というものができないことにはまずいと思うのです。特に中山さんの場合には、証券問題なり、いろいろこういう幅の広い関係でこれまでおやりになっておるので、私は、今後の日本の証券業が安定的な経営をやっていくためには、いまのような株式だけに依存をしておる形は望ましくない、こう思っているわけでして、やはりそういう公社債の取り扱いというものはかなりな比重を占めるようになることが、安定的な証券業の発展の役に立つのではないか。そのためにはどうしてもオープンマーケットというものを各界がやはり力を合わせてやっていくことにならなければ、私は、証券を幾ら免許制にしましても、何にしましても、そういう客観情勢の整わざるところで問題は解決をしないだろうと思います。私は当委員会でもう数年来、おそらく委員になりましたころからこの問題は強く主張しておりますけれども、この五、六年声はしょっちゅうあるのです。声はあるけれども、だれもやらないということで、今日ちっともできていない。国債市場がありますけれども、実際には、まあ形式的につくられている市場ということでありましょうか、ほんとうの市場役割りを果たしていないと思います。さっき、これについては証券金融その他の問題にお触れになっておりますけれども、どうも私は、ここで御意見を伺うと、公社債市場をつくることは非常に必要だという御意見は皆さんおっしゃる。公社債市場をつくらなくていいというような御意見なんかない。しかし、だれも必要だとは言うけれども、みんなで力を合わしてつくろうというかっこうにはならない。そのことは、さっきおっしゃった機関投資家に十分の力がないということも多少あると思います。しかし私は、いま日本国民金利機能に対する先行性というものは非常に高くなっていると思うのです。さっきのお話のように、六月には確かにボーナスが入りますから割引債に行く傾向があります。税金が七月からつくとなれば六月に買っておこうというぐらいに、実はもう先行性が非常にはっきりしてきておるわけですから、ただ問題は、買ったあとで、結局売るときの問題が残っているわけです。この売るときの問題は、結局いまの場合には証券会社へ売り戻す、こういうことに現実になってくる。私どもは、最近金融債についても国債についても、かなり逆流をしておる現象を承知しておるわけです。ですから、そういうときにやはりそれは受けられるような市場を皆さんでつくっていただくのでないと、たとえば、生命保険にしても、いまは社債よりも、ともかく株を買おうというようなことで、ずいぶん株の比重が高くなっているわけですね。もちろん株を買っていただくのもいいのですが、やはりその何割かで、そういう場合において、ひとつ売ってきたものはそこで買いましょう。売ってきたのは安いにきまっているのですから、それは買いましょうというような、やはり長期関係の皆さんがかなり足並みをそろえてそういうことを実際に踏み切っていただかないと、さっきのお話の中で、やるときは大胆にやるべきだ、こういうお話なんですが、これは全く、そういう意味では、私は大胆にやるべきときが来ていると思うのですが、この点についていかがでございましょうか。
  82. 中山素平

    中山参考人 いまの堀さんの御意見は私もたびたび伺っておりまして、もちろん同感でございますが、ただ、私は非常に憶病かもしれませんが、この進め方がやはり問題ではないか。もちろん公社債市場はつくるべきであるかもしれませんが、やはりつくると同時に、いろいろな条件とか力が  ついてこなければできないということも言えるのじゃないか。先ほど武藤さんから御指摘がございましたように、私どもといたしましても、社債の保有というものを、本来ならば、投資利回りからすればそう高くないわけですからふやしたくないのでございますが、幹事銀行として買わざるを得ない、そういうのが現状でございますし、それから、もしこれがりっぱに機能すれば、先ほどから申し上げておるように、こういう情勢下でも、国債とか既発債とかいうものが、自己金融力とかあるいは外部からの証券金融によってある程度いま出ているような現象にならないで済むということも言えるわけですが、その辺に付随するものが欠除しておるということも一つ現象であると思います。しかし、先年からの証券の問題等を見ましても、やはりつくるというほうに急で、いろいろな力が伴わなかったということから出てきている事態を思い起こしますと、公社債市場をつくるという場合にも、私、非常に憶病とか回りくどいとかいうことを申し上げたのですが、要は、先ほど堀さんがおっしゃったように、経済全体の運営を、設備投資の非常に乱高下にならぬようにうまく成長さしていって力をつけるということが大事でありまして、そうすれば協力的な投資ということよりも積極的に力が出てまいりますが、長期資金蓄積ができればおのずからそこに市場ができてくる、しかしそれをただ待っていたのでは、なかなか百年河清でございますので、そこで、ある程度のつくる努力あるいは協力というものが必要ではないか、さように私考えます。
  83. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまから十年か十五年たちますと、おそらくほっといてもかなり情勢は変わってくるだろうと思います。いまアメリカでもペンションファンドというものが非常に大きくなりましたが、おそらく日本でも調整年金を含めてペンションファンドというものが相当大きな機関投資家になるでしょうし、長期的に見ますと、なるほどおっしゃるとおりだと思うのです。しかし、短期的にもかなり必要な条件というのが実に多くあるわけですね。私どもが声を大にしておる国債の調整の問題も、オープンマーケットでプライスメカニズムが働きさえすれば、私どもは何ら心配がないと思うのですが、そういう制度がないために、非常に危険な状態国債発行は依然として置かれている。必要とする側は非常にたくさんあるのだけれども、いまのように、客観情勢が確かに整わないのだろうと思いますが、しかし、どうも私は努力がされている感じが実はちっともしないのです。ですから、これはどうも大蔵省あたりも必ずしもあまり真剣ではないような感じがするわけですけれども、しかし、口ではみな必要であると言いながら、だれもイニシアチブをとろうとしないならば、私はやはりいまおっしゃるように百年河清を待つごとしで、ちっとも問題は発展しない。ですから、これは皆さま方も、特に中山さんのように証券なりいろいろな問題に幅広い立場にいらっしゃる方を中心にして、もう少しどういうふうにして——まあ、私も急にできようなどと思っておりません。思っておりませんが、いまの国債市場だとか、実際に公社債市場なんて、市場はあってなきがごときもので、ほんとうに市場があるのは電電債ぐらいで、多少オープンマーケットのような感じのもののように思いますが、これは皆さんでも少し御研究いただいて、どういうところにネックがあって、どの程度にすればどのくらいの市場になるのだ、それに必要な証券金融というのはどういうかっこうでつければこの問題はもう少し前進するのだというような、少し具体論をひとつ御研究をいただきたい、こういうふうに思いますね。どうも私、この点やはり特に今後の問題としては非常に重要ではないかと考えるわけです。  それからもう一つ、さっきお話しになりました政府関係金融機関との調整の問題、特に開銀との関係というのが一番大きな問題だろうと思いますが、これについて少し具体的に、ちょっと御意見があれば承りたいと思います。
  84. 中山素平

    中山参考人 私も戦後日本の復興、再建、成長と三つの段階で、ちょうど復興金融金庫ができます前に、私ども銀行で復興金融部から発足したわけで、その部長をつとめましたり、開発銀行設立のときも当初理事をしておりまして、多少政府金融機関というものの運営、特に戦後の運営について知っておるわけでございますが、もう御説明するまでもなく、開発銀行の場合なんか、法律によりまして償還確実ということがはっきり入っております。しかし、私は開銀におりましたときから、この償還確実ということを一つの限定と申しますか、たとえば長期に見て償還確実ということで、いわゆる民間金融機関がいう償還確実よりは、限定ということばが的確でないかもしれませんが、もう少し幅広く考えたい、そういう感じを持っております。したがって、われわれが開銀の経営をしておりました時分は、御承知のように民間の長期資金の不足しておる時分でございますから、ある意味では、本来の政府金融機関あるいは開発銀行としてのあり方として、質的補完から量的補完という面があったわけでございますが、今日のような時代になりますと、量的補完という時代は私は過ぎたのじゃないか、したがって、質的補完という面に、先ほど申したようにもっと重点を置いていいのじゃないかという感じを持っております。先ほどの長期に償還確実ということは、たとえば貸し付け条件につきまして、当然国民経済的に見てここで大いに育成すべきだとか、助成すべきだとか、そういった産業が対象になるわけでございますが、そこで金利の面につきましても、原資その他でいろいろ問題がございますが、低利な金を長期に貸せば償還も確実になるというケースがかなりあるわけでございます。ですから、方向としてはやはり非常に限定された、先ほど申したような性格の産業企業に対して長期で低利な資金を融資していく、そういった分野に比重をシフトしていく、あるいは重点を置いていくというのが、やはり今後の開発銀行としての方向じゃなかろうか、さように考えております。
  85. 堀昌雄

    ○堀小委員 先ほど実は堀田さんに伺ってもやはりそこらは御意見は同じだと思います。私も、開発銀行が、これはまだ先のことでわかりませんが、長期的に見て、かなり資金需要が緩慢になってきたときには、質的に同じかっこうで民間と競合するのでは、これは開発銀行を設けている意味がないわけですから、どうしてもおっしゃるように、最近はやりのことばの構造金融といいますか、ある意味での戦略産業といいますか、そういうものに対する長期低利の融資ということが、やはり私も政府関係金融機関一つの行き方だろう、こう思っておりますが、それに関連をして、先ほどからの長期低利の資金ということ、これは当然なんですが、周囲の関係もありましょうけれども、具体的には、皆さんのほうとして長期低利の資金を供給しようということになる場合にはどういうことになりましょうか。実はさっきもちょっと話が出ておりましたが、長期銀行での利ざやというのは、都市銀行よりは幅、差がございますね。これは物件費、人件費その他非常に小さいのですけれども、出ていく金融債なり割引債のコストがある程度あるわけですから、合理化というものは、他の金融機関に比して合理化はできない仕組みになっておりますね。そうすると、どうしてもこれは不可避的にこれを下げる以外に長期低利のものはできない。特に割引債のようなものは、比重を下げることが長期低利のものになってくる、こうなりますと、同質化論と逆なんですけれども、どっちかというと、まあ割引債のようなものをやめちまうというのはなかなかあれでしょうけれども、極度に減らしていくことが、いまのコストを下げる、低利の資金が供給できることになるのではないか。そうすると、同時にまた、いまの金融債の五年ということが、もしかりにこれが七年に延びるとそれだけコストも低くなる、こういうことになるだろうと思うのですが、いまの長期低利の資金を貸し出そうということは、さっきからおっしゃっておるように、他の問題との関連がありますから単独にはいきませんけれども方向としてはどういうことになりますでしょうか。
  86. 中山素平

    中山参考人 先ほどの御説明の中で、長期金融機関資金が、短期的な金融情勢の繁閑によって影響を受ける、つまり、安定して調達できないということはなるべく避けていただきたいということを私申し上げたのも、一つはそういった問題にも関連してくるわけですが、いま御指摘のように、割引債をやめるというようなことは、現実の問題としてはなかなかむずかしいという問題も、いま申し上げたような事情からも御推測がつくと思うのですが、それでは、今後の資金需要が長期といって、はたしてどの程度が一番望ましいかということでございますが、私、七年から十年が三割になったと申し上げましたけれども、十年以上というものの比重は、これは今後少し変わるかもしれませんが、主として電力会社への融資が多かったわけですが、ここ一両年電力の資金需要が減りましたので、この比重は少し下がったのです。しかし、また今後電力の投資が大きくなってくる、あるいは原子力発電というようなものがふえてくるというようなことからこの需要がふえてまいりますと、多少この比率は変わるかもしれませんが、現在目標にしております一応十年というようなものが、一応われわれ民間金融機関としては、長期といったときにその十五年とか二十年とかいうところを目標にせぬでもいいのではないかという感じを私は持っております。ただ、開発銀行さんの場合は、先ほど御指摘のように、原子力産業とか、あるいは今後先端産業として育成していかなければならぬということから、もう少し長いものが入ってくるかもしれません。かりに十年としたときに、それじゃ資金源をどこに求めるかということでございますが、本来、いま五年の期限でございまして、これといえども七年、十年のものをやっていくのには短いわけでございます。社債が七年でございますが、私どもとしてはできるだけ早く七年に持っていきたい。しかし、金利を下げるという面からもう少し水準の下がった時期をつかまえて七年にしようということで、いまの金利でやろうと思えばできるわけですけれども、あえてしていないわけです。ですから、ここは当面は七年が目標でございます。  それから、先ほどから申し上げておるように、私どもとしては、日本としての巧妙な長期金融制度、これがもし肯定をされて——肯定されてというと変でございますけれども、持続いたしまして、かりに各金融機関で七年になった金融債さえも消化しようというような体制が、金融情勢のいかんにかかわらず確保されていくということになれば、ここでもって比重をふやしていくという考えもあります。  それから、たしかあれは同友会の意見などにも長期信用銀行が外債を出したらどうだという意見があるのですけれども、これは私ども戦前は興業銀行が外債を出した経験がございますし、それから戦後もこういった日本よりはもっと金利水準の低い資金を導入するということもしょっちゅう研究はしております。しておりますが、現状においては、アメリカの場合は利子平衡税の関係でもちろんでございますが、ヨーロッパにおきましても、たとえばわれわれの民間銀行としての信用力——政府保証か何かつけば別でございますが、外債を出しましても、発行者の利回りは国内の金融債よりはるかに高くなる。もう一つは、例の税の問題がございます。二重課税になっております。ですから、たとえば一部の方の御意見として、日本の事業会社が外資を調達する、そういたしますと、過去の例のように非常にラッシュして、むしろ条件を不利にする、そこでそれを金融債というパイプで一元的に調達する。同友会の御意見はどうも一部の方はそういう御意見でございます。そういうことをし、さらに進んで、非常に欲ばったことでございますけれども、現在国債政保債については国内での課税がされておりません。で、二重課税が排除されていく、そういったことができれば、質の面では多少いまよりは有利な外資が入ってくる。しかし、量としては、他の国債とか政保債との競合で、優先債がございますからそう大きな量を期待できない。したがって、これによって長期低利の金を相当量調達するというようなことはなかなかむずかしいのではないか。もちろん、いま申し上げた非常に欲ばったようなことが実現され、あるいは私どもの信用が加わってくる、あるいは日本の国全体の経済力なり信用力が加わってくれば、ある量が期待できますけれども、ここしばらくの間これに多くを期待するというようなことは無理ではないか、私はそういう感じを持っております。
  87. 堀昌雄

    ○堀小委員 終わりに、ちょっといまの制度や何かの問題と違うのでありますが、中山さんにもたびたびこの問題で来ていただいておりますたな上げ株、共同証券の問題でございますね。私は、昨年、ちょうど五月ごろでございましたか、この問題を取り上げて、できるだけ早く処分してもらいたい、こういうことでございましたが、残念ながら市況必ずしもよくないということで今日に至っております。しかし、ずっと見ておりますと、どうもダウ千五百円にかんぬきがかかってしまいまして、証券市場はどうにもやはりすっきりしない不正常な状態がずっと続いておるわけです。実は、共同証券にしても保有組合にしてもそうでありますけれども、何も全部放出しなければならぬのではなくて、私が議論しておりますのは、日本銀行からの特別な融資による部分だけはとりあえず返してもらうというのが理論構成の一番の中心でありますから、まずその分だけでも適当な処置をしませんと、これはいつまでたっても日本の証券市場というものは立ち直れないのじゃないか。せっかく免許制にいたしましても、免許に合格したものだが先へ行ってどうなるかわからないということでは、これは私は免許制の意義がなくなるのではないかと思いまして、できるだけ早くいまの証券市場を正常化するということは非常に大事な問題だろうと思っておりますが、この点についての中山さんの御意見をひとつ承りたい。
  88. 中山素平

    中山参考人 この問題もいままでここでお答えしておりますので、私も、他のほうと違いまして、ちゃんと速記録に載っておりますので、そう節を変えるわけにいかぬわけでございます。したがって、方向は、設立のときからああいう臨時、異常な機関でございますから、証券市場状況、その他経済金融情勢等をにらみ合わせてなるべく早く解消することが適当ではないかということをここでも申し上げておりますし、それからまた、それに伴いまして、われわれ金融機関が大株主になっておりますけれども、そこの利益を壟断するというようなこともすべきでないということを申し上げておるわけでございます。  それからいまのあそこのたな上げ株の放出についても、現在の証券市場取引、あるいは特に個人投資家の動向、株価等にもこのたな上げ株というものが大きく雲としてかかっておるということも、私御指摘のとおりだと思います。したがいまして、いろいろな意味において、この放出を部分的にも促進すべきではないかということは言えるのでございますけれども、ただ、先ほどから申し上げておりますように、実際問題といたしまして、非常に隠密に巧妙に放出されればいいのですけれども、放出されるということになりますと、むしろはめ込み競争というような事態が起きてまいりまして、これが銀行にも株が多くなるんじゃないか、特に資本取引自由化で安定株式工作が始まっておりますので、市場の消化力と適応させて、また適当な消化層に適応させてそれを放出していくということはなかなかむずかしいのではないか。ですから、いまのような条件が満たされれば、堀さんのおっしゃったように、もう部分的にでもなしくずしにこれを巧妙に処分すべきだというような感じは同じでございますけれども、ただ、実態がいま申し上げたような、それにふさわしくないような条件があるというところに問題があると思う。これは先ほどからの公社債市場の育成の問題と同じように、何もしないではいつまでたってもできないじゃないかということにもつながるわけでございますから、われわれといたしましても、条件はそういう条件でございますが、その中で時間的にもなるべくこれを縮めるという努力をやっていかなければいけないんじゃないかということは、共同証券の処理の問題とかあるいは証券市場の今後の育成というような問題に関連して当然出てくる問題だと思います。
  89. 堀昌雄

    ○堀小委員 いまの問題で、現在投資信託が依然として解約が多くて、売り越しにずっとなっておるわけです。それでは、いまの投資信託の売り越しがどこかでとまるのかというと、私はとまらないと思うのです。株主の先行きの見通しがはっきりしない限りは、いつまででもああいう状態が続く、この中には、もちろんこの間投信の社長の皆さんがお見えになったときに申し上げた押し込み販売という現実の問題もありますから、そういう問題を含めての問題になりますけれども、ぬるま湯に入って、上がるに上がられず、あまりじっとしているうちにかぜを引いてしまうのじゃないか、私はどうもこういうふうになりそうな気がしてしかたがないのであります。ですから私は、共同証券にしても会社型投信にしたらどうか、あるいは持ち株会社にしたらどうかとか、いろいろな御意見があると思うけれども、これはやはり中山さんが前からおっしゃっているように、つくったときの沿革理由がありますから、それはそれとして一応整理することが正しい、私もそういう考えでおります。  ただ、どうも株式の持ち合いの問題なんかも、私がどうも非常にふしぎでならないのは、事業会社同士で株式を持ち合っていることは擬制資本になっているにすぎないことでありますし、金融機関の中でも金融機関預け合いというようなことで仮装の預金残高が出たり、日本というのは非常にふかしぎなことをやる国だと思うのですけれども、そういう問題は、はたしてそういうことでいいのかどうか。それは何も証券問題の側からだけでなくとも、私は、はたしてほんとうの株主安定化工作なのかどうかという点に実は多少疑問もありますし、特に金融機関が株式を買っておられるというのは、何か両建てみたいな感じがしまして、これもどうも筋としてはさらっと理解しがたい部分があるわけですけれども、そういうことが片方では行なわれていて、たな上げ株の部分は実は置いておくのだ、ここらがちょっと得心がいかないのです。相当なものが安定株主工作としていって、そのために、ものによっては株がすれが起きて、そのことが株式の値上がりを促進しておるような一部のものもあるという状態があるわけですから、そこらについては、簡単な例で言えば、最近非常に上がるようなものについてはある程度出したっていいのじゃないかと思うのですが、出さないとなったら一切出さないんだというようなことで、まことに流動性を欠いておるように思う。そういう点については、私はもう少し流動的であってしかるべきじゃないかと思います。  それから、さっきちょっとお触れになった時価発行ですね。いまの不正常の状態ではもちろん問題になりませんけれども資金調達の面からすれば、今後の増資の問題としては企業サイドの問題も考慮していくとなると、時価発行の問題は必然的にプログラムにのぼらなければならない問題だろうと思うのです。これについての中山さんの御意見を承わって終わりにします。
  90. 中山素平

    中山参考人 方向は堀さんの御指摘のとおりと思いますから、問題はこれを具体的にどう進めるかということでございまして、現在の株価の形勢とかそういうことから考えまして、私は漸進的に進めるしかないのじゃないかということで、ドイツでやりました方式とか、いろいろなことが今後の日本の時価発行を進めるについての参考になると思う。あるいは、かってございましたような非常に増資のしにくいところが、政策的な転換社債でなくて本来的な転換社債をもう少し導入するとか、時価発行を本来的に進め得るようないろいろの手段を漸進的に進めていくという方向じゃなかろうかと私は思います。
  91. 澄田智

    ○澄田説明員 先ほどの資料でございますが、設備資金について長期金融機関以外の分も含めて資金需要の動向から見た期間の状態、これはいまの統計ではどうもそのままずばりの数字が出ておりません。何とかくふうをしてつくるように努力をしてみたいと思います。
  92. 小峯柳多

    小峯委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人には、御多用中のところ長時間にわたりまして御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  小委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。(拍手)  次会は、明二十五日、火曜日、午後二時より開会することといたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十八分散会