○石川
委員 石油の問題は常識化されておりますからここではあえて申し上げません。したがって、石油が非常に不安定であればやはり石炭というものを見直さなければならぬという問題が当然出てこざるを得ないと思うのであります。ところが、石油というものがもし安定をし、原子力が安定をすれば、石炭というものはこれだけでいいんだというふうな結果が出ておるわけでありますけれ
ども、実は原子力の問題は、アメリカと三十年の
長期契約をやって、濃縮ウランでこれだけ潤沢に供給されるんだという前提で、原子力というものは
昭和六十年の時点で二千四百四十億キロワット時、大体四千万キロワットの容量のものを日本で据えつける、こういうことになっております。これは私は有澤さんともいろいろ話をしておるのですが、実は重大な
誤りをおかしておるということを言わざるを得ないと思うのであります。ということはどういうことかと言いますと、これはほとんどアメリカの軽水炉を導入するということになっておるわけであります。ところがこの軽水炉というのは、四千万キロワット導入するということになれば、日本におけるところの原子力の技術者を全部それに注入をしなければこれだけのものを持ってこられない。したがって日本の自主開発という道は全然閉ざされてしまうという危険をおかさざるを得ないという
状態になるわけであります。ところが濃縮ウランというのは御
承知のように現在のところはアメリカから全面的に購入せざるを得ないというときに、全面的に軽水炉に依存する、しかも日本の技術陣のほとんど全力をそれに注ぐということを避けんがために、今度は動力炉開発
事業団というものを新たにつくり上げる
予定はされておりますけれ
ども、実はそのことによって日本の自主開発という道が全然閉ざされてしまうのではないか、こういう危険性が出てまいっておるわけであります。われわれとしては全面的にどんどん外国の導入炉というものを持ってくればいいのだというようなことでいって、はたして日本のエネルギー源というのはアメリカに全部死命を制されるという点は問題ではないか、こういう点が
一つ大きく問題になると思うのであります。
あと一つは、世界のウランの需給
関係というものを見落としているのではないか。私は専門家にいろいろ調べさした
資料を持っております。これはここで申し上げますと時間がかかりますから申し上げませんけれ
ども、ざっくばらんに
結論を申し上げますと、アメリカのこれからのウランの需要の趨勢というものを見てまいりますと、大体一九七五年で満ぱいです。アメリカはそれでもう自給自足が手一ぱいです。もうほかの国に濃縮ウランを提供するような余裕はとうていないであろう、こういうことがはっきり
数字の上で出ております。したがって、日本でもしこの濃縮ウランをアメリカから入手しようとすれば、どうしても天然ウランを提供しなければならぬというようなところに追い込まれるわけであります。そうすると、天然ウランはこれからの問題でありまして、もしこれから海外で探鉱し、それからそれを製錬をし、そして濃縮ウランまで持っていくというふうなことになりますと、いま直ちに着手をいたしましても十年はかかります。そうなりますと、アメリカはいまのところは商売ですからどんどんつくってあげましょうというふうなことを言っておりますけれ
ども、アメリカ自身がもう一九七五年以降は濃縮ウランを輸出するという余力があるとはとうてい思えません。そうなりますと、その原料面が全部アメリカに依存せざるを得ないということにかてて加えて、との濃縮ウランの供給源というのは、日本が簡単に考えているようなそう甘いものではないというようなことで、将来二〇三〇年から二〇五〇年ごろになりますと、高速増殖炉というものが完成することが
予定されておりまして、そうなりますと、燃料サイクルというのは自動的に回転をしますから、燃料の補給が要らないという革命的な発電炉というものが完成するのではないかというふうに思われておりますけれ
ども、これは二〇三〇年から二〇五〇年です。遠い将来の話であります。そうなりますと、現在の技術をもってするところの原子力に基づくところの動力炉、これを四千万キロワット日本に導入するというのは、日本の自主開発というものをおくらせるということと同時に、実際にそういうような濃縮ウランというものは導入され得るかどうか、導入され得るといたしましても、これは全部アメリカに首の根っこを押えられる、こういうことにならざるを得ない。日本の自主開発で実際に動力炉が、新型転換炉あるいは高速増殖炉ができるのは、
昭和六十年あたりではとうていこれは
見込みはありません。ちょっと不可能だと思います。そうなりますと、どうしてもこの原子力に一〇%依存をする、四千万キロワット依存をするというような
計画というものは、根本的に考え直さなければならぬじゃないか、こういうことが予想されるわけであります。しかもエネルギーの需要というものはどんどんどんどん増大をしてまいるわけでありますから、そこで石炭というものは、一般炭は年々
減少をして、
昭和六十年になったら
昭和四十年の
実績の四分の一
程度に落ちてしまうのだということを見通した
計画を立てて、ただそれだけ維持できればいいのだというような消極的な石炭の見方でいいのかどうかということが大きく問題になるのではないかと思っております。
したがって、これは遠い将来にわたっての石炭の見通しというものは、現在の総合エネルギー
計画の中ではどう考えても原子力あるいは石油に非常な不安があるということになれば、国内のただ
一つの資源としての石炭というものを見直して、これにもつと力強い位置づけをしてやらなければいかぬ。いまのように五千万トンをやって、一般炭はどんどん減って、
昭和六十年は
昭和四十年の一般炭の四分の一くらいになってしまうのだ、やむを得ないのだというようなことで済ましてはたしていいのかどうかという大きな問題が提起されざるを得ないと思うのであります。この点についてひとつ通産大臣の
所見を伺いたいと思うのです。