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池尻公述人 私は全漁連の常務
理事の
池尻でございます。本
委員会で目下御
審議中の
公害対策基本法案につきまして私見を申し述べる
機会を得ましたことは、私の深く喜びとするだけでなく、多年にわたり
水質の汚濁問題に苦しみながら生業にいそしんでいる
全国の沿岸漁民がひとしく心から喜びとしているところであります。
最近の新聞紙上におきまして、佐藤総理の諮問機関たる
国民生活審議会の会長をつとめておられる一
企業家が、「
公害が発生せずにわが国が世界第三の
工業国にまで躍進したのであったならば、それこそ
経済の高度成長以上の奇跡であったろう。」と述懐いたしております。そしてまた、「わが国
経済社会が、その驚異的な成長率にもかかわらず、
国民生活への低い歩どまりに甘んじ、成長
政策から社会開発
政策に移行せざるを得なかったのは、本質的には、わが国
経済社会が案外に冷たいものであるという半面の事実に由来する。」とも述べているのでございます。
私
ども漁民は、
水質汚濁という古くして新しい
公害の直接的な、また最も深刻な
被害者として、多年にわたりまして
公害の
防止を叫び、訴え続けてまいりましたが、
水質保全法、
工場排水規制法の制定後十年を経過した今日、その被害は激増の一途をたどるばかりでありまして、水産庁の
調査結果を見ましても、
昭和四十年度における被害発生件数は
全国で二千二百七十九件、金額にして百二十七億円に達しておるのでございまして、
水質二法制定当時に比較して、件数、金額とも約三倍半にまで増加している
実情にございます。今日ようやくにして
公害対策基本法案が提案をせられ熱心に御
審議が進められております際、
公害の加害者側に立つ一
企業家が、われわれ漁民をはじめとする
公害の
被害者を前にしてしみじみと述懐をし、反省の念を込めて告白したことは、まことにゆえなしとしないのでございます。
公害対策基本法案が国会に提案を見た今日ただいまこそ、まさにわれわれ漁民の宿年の悲願達成の糸口が見出されるものと心から期待しているものでありますが、しかしながら、政府御提案の
公害対策基本法案は、提案に至るまで案を重ねるに従って後退を重ねてまいりまして、ここにその
内容を見ますときに、遺憾ながら、私
ども漁民の眼から見ますれば、その姿勢において低調であり、しかも
水質の汚濁という一点にしぼってみました場合、きわめて微温的、消極的でありまして、われわれの悲願が達成されるところにはほど遠いものであると断ぜざるを得ないのでございます。ここに漁民を代表して
公述人として
意見を申し述べるにあたりまして、あらためて再度政府御提案の
公害対策基本法案につきまして
基本的事項の二、三につきその修正を強く要望いたすものでございます。
まず第一点は、法の
目的を定めた
法案第一条についてでございます。
政府原案は、「
国民の健康を保護するとともに、
経済の健全な
発展との
調和を図りつつ、
生活環境を保全することを
目的とする。」と
規定しておりますが、「
経済の健全な
発展との
調和を図りつつ、」との
表現を削除いたしてもらいますとともに、
生活環境の定義の中でより明確に「農林水産資源の保全を図る」という
表現を加えていただきたいのでございます。これとともに、
公害防止に関する
基本的施策を定めた原案第二章中、環境基準に関する
規定の第八条第二項が「
生活環境に係る基準を定めるにあたっては、
経済の健全な
発展との
調和を図るように考慮しなければならない。」となっておりますのを、「
生活環境に係る基準を定めるにあたっては、農林水産資源の保全を図るように考慮しなければならない。」と改めていただきたいのでございます。
原案を読みます場合、この
法律の
目的とするところが、
国民の健康を保護することについては全く無条件に、そして
生活環境を保全することにつきましては
経済の健全な
発展との
調和をはかりつつ行ない、そのことによって
公害防止対策を
推進するところにあるものと解されるのでございますが、しかしながら、
生活環境の保全を
経済の健全な
発展との
調和をはかりつつ行なうという場合、この
調和とははたして何を意味するものでございましょうか。多年にわたって
水質汚濁という
公害のために苦しみ抜いてまいりました漁民といたしましては、どのような説明を承りましてもいまだに氷解し得ない点があり、釈然としないものが残るのでございます。
水質汚濁を含めまして、
産業公害の加害者の側に立つ、前にも述べました著名の一
企業家すらもが、この点に関しまして、「
調和の概念と妥協の概念とは同一ではないが、この政府原案では妥協という響きをかなり持っているように思うし、
現実問題として、第八条の
生活環境基準を定める場合には、この基準が
調和ではなくて妥協に傾く
可能性があるので、十分に警戒されなくてはならない。」と、あえて新聞紙上で一般
国民の注意を喚起しているほどでございます。しかしながら、このような指摘にもかかわらず、われわれ
公害の
被害者の側に立つ漁民から言わしむるならば、この政府原案にいう
調和とは、その実は妥協ですらなく、
公害防止を有名無実にするために
企業を一方的に擁護する姿勢として受け取らざるを得ないということを率直に指摘したいのでございます。
われわれ漁民のかかる理解のしかたは、決して被害妄想のなせるわざではないのでございまして、それは十年前に制定を見ました
水質保全法、
工場排水規制法の施行後の
現実の姿が明らかにそのことを物語っている生きた実証でありまして、われわれ漁民のかかる理解のしかたは全く当然なものであり、きわめてすなおなものであると言っても言い過ぎではございません。
水質二法には、御
承知のとおり「
産業の相互協和」ないし「
産業の健全な
発展との
調和」という意味の
表現がうたわれております。しかしながら、その結果として、冒頭にも申し述べましたように、施行後十年でかえって
水質汚濁の事例が激増し、
全国百三十九河川のうち、いまだわずかに十河川しか指定水域としての指定を受けず、御
承知のとおり最近におきまして、新潟県において阿賀野川中毒事件という痛ましい事件が発生したのでございます。このことはだれしも否定し得ない明白な事実であります。つまり、
水質汚濁の要因の多発増大の速度と、これを
防止する歯どめの機能の無力さを比べるとき、それはまさにウサギとカメの足の速さの差よりもはなはだしいと言っても過言ではないのであります。
産業の健全なる
発展あるいは
産業協和という
立場に立った法制運用の帰結は、結果として
現実にはきわめて甘い
水質基準の設定にならざるを得ず、そして適用期日は延長され、その結果が先述しましたような水域指定の現状となっている次第でございまして、
水質二法制定当時の私
ども漁民の期待とは全くうらはらに、同法は骨抜き法の典型的なものというありがたくない汚名を受けているばかりか、逆に
水質汚濁という
公害問題を解決する場すら失ってしまったかっこうとなっているのでございます。
すでに御
承知のとおり、
公害による被害が長期間にわたって緩慢に人々の健康をむしばむものであることは、熊本、新潟両県下における水俣病ないし三重県
四日市、神奈川県川崎市等における諸事例に徴してみても明らかであり、
被害者が被害を自覚したときにはもはや手おくれの状態でありまして、再び健康を回復し得ず、社会生活への復帰の望みすらかなわないのであります。しかしながら、一般動植物は、
水質汚濁、大気汚染、悪臭等々の人々の健康、
生活環境にかかる
公害に対しましては、人間より以上にきわめて敏感であると聞いております。この点、われわれ漁民といたしましては、
公害の指標としてきわめて好適なものであると考えておる次第でございまして、人々の健康を守る環境基準の設定に際しましては、魚類は当然のことでございますが、動植物の生育基準を基準として設定すべきものであると思考いたし、農林水産資源を保全することが、とりも直さず人々の健康を守ることになるものと主張するものであります。
公害対策基本法の各条項は、それが
基本法であるがゆえに、あくまでも厳正に
規定されなければなりません。これぐらいの姿勢で取り組むとき初めて
公害対策の実効が期せられるからでございます。われわれ
全国漁民だけでなく、一般
国民の生活を不当に侵害していた過去の実績をあたかも既得権益であるかのごとく理解して、今日の全
国民的な
公害問題に関する切実な要請を
産業発展の
調和という隠れみのによって避けて通ろうとするような態度がもし加害者側にあるとすれば、それは近代社会の
企業家としてとるべき態度でないことは自明の理であり、
経済界において、よもやそのような態度、姿勢を今日とられるはずがないと考えるものであります。
第二に申し述べたいことは、
公害対策基本法案に
事業者の無過失
責任の
規定あるいは実質的にこの法理にかなう制度をこの際採用していただきたいと思うのであります。
昨年八月、厚生大臣の諮問機関であります
公害審議会は、
公害防止のための環境基準の設定とともに、
企業など原因者に対しまして損害賠償の
責任があることを明らかにしておりますが、
審議会の指摘を待つまでもなく、人為的な原因のない
公害というものはないのであり、特定の個人、
企業、その他の行為主体に原因を持たない
公害というものはおよそこの世には存在しないのでございます。われわれ漁民といたしましては、その苦い経験にかんがみまして、この際
事業者の無過失
責任の
規定を明確に入れていただきたいと思うのでございます。
われわれの経験によりますれば、
水質汚濁をはじめとして、
公害の原因の究明及び加害者側における故意、過失の有無の判定や、その間における因果
関係の完全なる立証はきわめて困難であります。私法上の
責任が原因者にあることは原則的に確立されておりまするが、損害賠償の場合においては、一定の受忍限度を越えているとの要件のほかに、加害者側における故意、過失の要件が必要とされておりまして、そのために過去の判例等を見ましても、この種の問題の解決がいかに困難であったかを物語っております。われわれ漁民も、かつて裁きの場に紛争の解決をゆだねようとしたことが幾多ございましたが、結局はその解決に長年月の時日を要するであろうということと、
費用の
負担力、挙証の困難性という条件の前に、結局はわずかな額の見舞い金で結着させられることを常としてきたのでございます。
一部に、
公害は社会的現象であると主張する向きがあり、発生者
責任主義という
考え方を社会的現象という発想によって埋没し去ろうとする動きもほの見えておりますが、そのような
考え方は、
企業の営利活動によって生み出される
公害というものを、いわば
企業に直接
関係のない第三者に立てかえ払いさせるということでございまして、
企業自体が本来負うべき原価の一部を一般
国民に転嫁させることになるわけでございます。社会的に
責任を持つべき
企業が
責任を持たない社会というものは、成長繁栄の熱っぽい装いをこらしていたといたしましても、それは他人の犠牲の上に成り立ったきわめて冷たい社会と言わなければなりません。
第三に申し上げたいことは、
被害者の保護救済を
目的とした
行政委員会の設置についてでございます。
われわれ漁民といたしましては、環境基準の設定をはじめとして、監視、取り締まり、被害の認定、損害賠償の裁定、差しとめ命令、原状回復命令、紛争の調停、あっせん等を処理する権限を持つ
行政委員会を、国家
行政組織法に基づいて設置されることを重ねてお願いするものであります。
公害対策の第一は、その予防であり、第二は、現に起こっている
公害の排除であり、第三は、
被害者の救済であり、これら三本の柱をその
基本とするものであり、この中の一つを欠いても真の
公害対策とはいえないからであります。
最後に私は、この際
被害者の救済に関する制度を
基本法と同時に確立されるよう希望するものでございます。私はその
内容として、損害賠償保険制度並びに
公害基金制度の
二つの制度を提案し、前者は、この保険から人の被害のための医療費、生活費の給付、補償金、見舞い金等を公的機関の裁定で支出するものであり、
事業者の加入によってその原資を造成し、国が後見的にその再保険を行なう制度であり、後者は、比較的に私害的要素を含んだ被害であって、原状回復や保険での処理が困難な被害の救済については、国、
地方公共団体、
企業が原資を拠出し合って基金を設置し、基金の立てかえ払いによって救済を実施した後に、被害原因及びその間の因果
関係を明らかにし、原因者が明らかになった場合に、基金に被害額と損害賠償相当額を払い込むこととする制度であります。心から一考をお願いする次第であります。
以上、漁民の
立場から私見を申し述べましたが、われわれ漁民は、今日まであえてたよるべきところもなく、みずからの力で漁場を守り続けてまいりました。しかしながら、その自衛の力にはおのずから限りがあり、われわれの眼前で幾多の漁場がその生産力を喪失し、漁民にとっては死せる海、死せる川へとその姿を変えていきました。わが国
経済社会がその繁栄を謳歌し、世界有数の
工業国にまで成長した裏面に、われわれ漁民の犠牲があったことをあえて私は強調したいのであります。
終わりにあたりまして、日本
社会党、民社党、
公明党よりそれぞれ御提案の同
法案には、いま私が指摘いたしました
基本的事項が構想として取り上げられている次第でありまして、この点につきましては心から賛同いたす次第でございますが、この際、政府御提案の
法案について、以上申し上げた趣旨による修正補強により、
全国三百万漁民が熱望するりっぱな
公害基本法が成立されるよう、
全国漁民を代表いたしまして御要望申し上げる次第でございます。(拍手)