○西宮
委員 先ほど私は幾つかの問題点をあげて、実はそれを
一つ一つ私の見解を述べながらお尋ねをしたいと思いましたが、予想以上に時間が進みますので飛ばしてまいりますが、その私が数え上げた問題のうちのあと一、二についてお尋ねをしたいと思います。
たとえば、
政党は
政党として悪いことをしたことはない、それを
政党を規制するのはけしからぬ、こういう御意見がありました。私はそうではないと思います。たとえばまず第一に、
政党が取得をした金、それをさらに
政党員に配る。たとえば代議士にしても何にしても、
政党員に配る。その金によって所属の
政党員が悪いことをする、こういうことがあるといたしまするならば、これはやはり
政党が間接的に悪いことをしていることになる。それからもう
一つもっと大事な問題は、そういうことによって
政府の政策が左右される。金で左右されると言うと、そういうばかなことは絶対にないと答弁をされると思いますけれども、私は決してそうではないと思う。これはいろんな例をあげて申し上げることができると思いますが、そういう
意味で国の
政治の方向がそれによって方向づけられてしまう、こういうことは何よりも大きな問題だと思うのであります。
私は
一つだけ例をあげて申しますけれども、ちょうどいま米価の時期でありますので、米価に例をとって申し上げるのでありますが、これは農林省につとめております農林省詰めの新聞記者の座談会であります。こういうふうに書いてあります。米価決定のいきさつについて、その代議士会——自民党の代議士会ですね、その代議士会で要求を全部きめて、この要求が通らなければ脱党するとか、いろいろ決議をするわけだ。ところが決議をしてから二時間もたてば、いわゆる師団長に説得されて、幹部の出した
金額でバンザイだ。それでまあ終わりだというわけですね。師団長は言ってみれば財閥の代表だ、金をもらって
選挙資金を出している。それが説得をすれば全部おしまい。それをはねつける代議士はいない。これは新聞記者の座談会で新聞記者が言っておるのでありまして、私が言うわけではない。だから、こういうことが事実であるとするならば、金で、たとえば米価の問題なども間接的にはそれできまってしまう。こういうことになるわけでありまして、私はこういう例は幾らでもあげることができる。私は、実はことしの予算
委員会の際も、そういう問題はきわめて重大でありますので、特に重大な問題について
指摘をしたのでありますから、ここではさらに繰り返しません。
要するに、たとえば金を出す人の立場から見ると、これはいわゆる善意の
寄付を
制限するのはおかしいという御意見とも通じますので、そういう点とあわせて申し上げたいと思いますが、たとえば金を出すほうの側からいえば、金を出しつばなし、そういう気持ちでないことはもう疑問の余地はないと思うのです。これはかつて造船疑獄に連座をした財界人が検察庁で述べていることばであります。すなわち、一銭を争う財界人が見返りのない
政治献金をするなどはあり得ない。そんな献金をしたら財界人としては失格だ。こういうふうに述べておるのであります。これは財界人、つまり
会社は金もうけをするのが目的なんでありますから、その金もうけをする
会社がどぶに捨てるつもりで金を出すばかはないので、それはちゃんと見返りを
考えているに違いない。あるいはこの間
選挙が済んだ後の「エコノミスト」には、こういうふうに巻頭論文に書いてあります。「佐藤政権と与党主流派のために一はだ脱いだ財界は、これで二十億とやらを短時日の間に回収し、これからゆうゆうと利潤をあげることが約束されそうだ。」こういうふうにいっておるのでありまして、要するに、自分たちに都合のいい
政治が行なわれたり、あるいは自分たちに都合のいい情報を流してもらったり、そういうことが十分に期待される。こういうことで出した金は決してむだにならぬ、そういうそろばんであることは申すまでもないと思うのであります。したがって、私はそういう点でこの
政治全体が大きくゆがめられてしまうということが最大の問題、私はこの問題について実はたいへんこれはオーバーな表現で恐縮でありますが、私自身はほんとうにこの問題を命がけで取り組んでいきたいというふうに実は自分で
考えておるわけです。なぜならば、そうでないと
政治全体にいろいろと大きなゆがみを来たすからだというふうに私は
考えております。むろん、私みずからまことに欠け目の多い人間でありますから十分なことはできないでありましょうが、とにかく私はそういう決意で当たっておるわけでございます。
もう
一つだけ人のことばを引用させていただきます。これは有力証券
会社の重役の談話として読売新聞に載っておりますが、「ぼくも宴席で先生方といっしょになることが多いんだが、金を出していると思うと、先生方が召使いのように見えてくるな」こう言っておるわけであります。これは読売新聞の一月の記事であります。こういうふうに宴会の席ではなるほど床の間にすわらしてくれるかもしらぬ、先生と呼んでくれるかもしらぬ、しかし腹の中では召使と思える。こういう気持ちで、私はこういうふうに思われてまでドルの前に、黄金の前にひざまずかなければならぬのかと思うとまことに情けない限りであります。こういうふうに、つまり召使のようにというのは、自分たちのやりたいと思うことを頼めば何でもやってくれる、われわれの都合のいいことをやってくれるのだ、こういうふうに彼らは
考えておるわけでありまして、私はそれが今日の
政治を毒する最大の問題であるというふうに繰り返し
指摘をしたいのであります。
いろいろ申し上げてまいりましたが、要するに、さっき数えあげましたようなたくさんの問題点が自民党の皆さんから御
指摘になっておられますが、結局、庶民の気持ちでものを
考えたならば、そういうむずかしい憲法論とか、そういうことはしばらくさておいて、一体ああいうばく大な、膨大な金がどこからきて何に使うのだということが庶民の偽らざる感覚だと思うのであります。したがって、ああいうばく大な金がどこからきて何に使うのだということに対して答えができさえずれば、それで庶民に対する納得を得られると思うのでありますが、残念ながら今日その点が全く不明確なわけであります。午前の
委員会で同僚のわが党の小松
委員からもその点ずいぶん
指摘をいたしましたが、そういう点、まことに残念でありますが、きわめて不明確であります。
そこで、私は
選挙の問題に問題をしぼりまして、次にお尋ねをいたしたいと思います。つまり、要するに
選挙に金がかかる、それが災いの
もとなんでありますから、
選挙の問題をどうしてもわれわれは取り上げなければならないと思うのであります。
先般、田中前幹事長が朝日新聞の座談会でこう述べております。「
選挙中に法定
選挙費用以上集めようということは、もうすでに違法行為をやっているのであって、それを集めないという
原則であれば、この法律が施行されても、
選挙の金にことさら困るというようなことは理論的にも実際的にもないはずです。」まさにそのとおりだと思います。私は田中さんの言うとおりだと思う。だから、要するに
選挙が法定
選挙費用でやれる、こういうことが、そういう
原則が実行されるならば、今度のこの改正法が通っても理論的にも実際的にも何
一つ困ることはないのだ、こういうことを言っておるので、まさに私は至言だと思います。それならば自民党の皆さんが反対するゆえんは毛頭ない。ところが、残念なるかな、今日
選挙の現実はそのいわゆる法定
選挙費用が守られておらない、さればこそ自民党の皆さんがこの新しい改正法に強く反対をするのだと思うのであります。なぜ
選挙においてせっかくある法定費用が守れないのか。日本
国民は法律を守るということにはかなり忠実であります。法律にそむくということはかなり重大だと
考えております。ところが、事
選挙に関する限り法律にそむくということを全く問題にしておらぬ。全然問題にしておらぬと言ってあえて差しつかえがないと思う。こういう現実は実に遺憾の限りだと思う。
そこで、それじゃお尋ねをいたしますが、法定費用でなぜやれないのか。これは予算
委員会のときも
自治大臣にちょっとお尋ねをいたしましたが、この機会にひとつお尋ねをいたします。