○
松野(頼)
委員 この
法律ができました
昭和二十三年ですか、そのときの
速記録を読んでみますると、その問題が現在生きておるだけに、その問題がいまだに各所に出てまいります。
第一に、これでいけばほとんど
官公労の
労働組合は全部第三条第二項に該当する。そうなると、今度の
政治資金規正法改正案において問題になっております
答申案の中に
——もちろんこの
答申案を
政府は忠実に
法文化されております。その
答申案の「
政治資金の
規正に関する事項」の中に、「
政党の
政治資金は、
個人献金と党費により賄なわれることが本来の姿であるが、その
現状は、多くは
会社、
労働組合その他の
団体の
資金に依存しており、」ということが実は書いてあります。そうすると、この
政治資金規制の前に
政党そのものの
規定が問題になってくるんじゃないか。その同じ条文の第三条以降を今度
改正されております。そうすると、第三条の前文に疑問があるものが、
あとの
項目の
規制のほうで
政治資金を
規制するということは、同じ
法律の中に二つの矛盾を包含するんじゃないか。もう少しわかりよく言うならば、第三条の第二項に該当する
労働組合の
官公労はほとんど該当する。その該当するものは、今度
政治資金規正法改正案のときには該当しない。
献金側に実は立って
規制されておるんじゃなかろうか。だから、
政党として
政治資金を受ける者が、
あとの
項目にくると出すほうで
規制されているんじゃないか、こういう疑問が実は第三条の
条項を見ると生まれてくるのです。これはこの
法律の
成立当時から
疑問点です。第三条第一項、第二項のこの
政党の
定義は、どの
学者も言っておりますが、みな疑問が多い。
政府も必ずしもそれに対して
——当時は
議員立法ですから何も
政府が答弁したという
政府の
責任じゃありませんけれど、実は
疑問点を掲げられておるのです。また、その
該当者はほとんどそうだとみずから認めておるのです。こういう
法律じゃわれわれは
政党になってしまう、
労働組合じゃなくなるんだ、この第三条はみなそうなってしまうんだという
反対意見を
組合の
代表はみな強くされておる。そのまま実はこの
法律が今日実行されておる。それを
前提として、今度はこの
政治資金規正法改正案では、出すほうの側になっておる。言うならば、この
法案には
政党とは何かという
基本的な問題がまず存在していると私は思います。この辺が、いずれまだ時間もありますから
審議しなければならないと思いますけれども、非常に大きな第一点です。
第二番目に、さてそれじゃ
政治資金はどういう姿が望ましいか、どういう姿であるべきか、また、過去においてどういう姿を
日本及び民主
主義を守る国はやってきたか。
第一は、
政治は総合戦である。
個人の意思で、
個人の自由で、自分の
理想の
社会を打ち立てるために行なう
行為、
行動、
目的、
団体、結合である。各党員が、力のある者は自分の力を、知恵のある者は自分の知恵を、
資金の余裕のある者は自分の
資金を、あらゆるものを
お互い共同の
目的のために奉仕することは当然である。これはいまでも私は生きていると思う。
第二番目には、
選挙資金というものに関しては
規制をしなければならない。
選挙資金だけはやはり
制限をしなければならない。
選挙に金をかけることは悪である。したがって、
選挙資金に関しての
規制をしなければならないというのが第二の範疇に入るのじゃないかと私は思います。
第三番目に入りますのは、この
政治資金規正法の中で年間の
収支というものは公開を原則とした。
収支明細をガラスばりでやるべきだ。ただここに疑問が出ますのは、
収支の公開、この一面は明朗であるが、逆に言うならば投票の秘密というものは守られなければならない。自分の支持する
候補者、支持する
政党は、だれも侵すべからざる
個人の民主
主義における
基本的な特権である、これも忘れちゃならないと私は思います。公開ということと、投票の秘密、自分の支持の自由、これはある
意味においては多少矛盾するかに見えますけれど、この問題がやはり
民主政治においては守られなければならない。
個人の投票の自由である、
個人の投票の秘密である、また
政党支持の
基本的な自由を守られなければならないというのと、
資金の公開をしなければならない、この二つはよく
考えあわせなければならないと私は思います。もちろん、支持する
政党に、支持する
候補者に献金をする、あるいは自分の財を応援するということは悪じゃありません。しかし、公開、公開といっても、その限度の問題がおのずからそこにあると私は思います。しかし、
資金については明朗にする、明快にするというなら、公開の原則を私は否定するものでもなければ、それをとやかく言うものじゃありません。ただ、
選挙というものはそういうものだ、
政治というものはそういうものだという両面があるので、一面だけが正しくて一面だけが悪いという早計な
考えは私はよくないと思う。
そこで、公開の原則をして、そして
政治資金を明らかにするという
法律、これは
現行法、これはおそらく
外国ではアメリカの
制度がこうだったと思います。ことに今回諸
外国にない例をとったのは、
政治資金の公開と同時に
選挙資金もあわせて行なった、これは前例がないのじゃないか。
選挙資金と
政治資金を
一体にした、これが今回
問題点として最大の問題だと私は思う。
選挙資金の
制限あるいは
一般的総力戦としての
制限をなるべくなくすること、あるいは一年じゅうの
政治資金を
規制すること、このほかに一年じゅうの
政治資金と
選挙資金というものを結びつけた、これが私は今回の非常に大きな特徴だと思います。諸
外国にこういう例があるかといえば私はないと言っていい。あってもそれはポケットをたくさんつくって、窒息をしないようにある程度の空気抜きは各国の
法律にできていると私は思います。私が調べたのが必ずしも全部じゃありませんけれども。
政治資金規正法というのは必ずしも
政治家として名誉ある
法律ではないと私は思います。言うなれば、こういう
法律がなくても期待される
政治行動が行なわれ、
政治に対する信頼というものが得られるならば
——このような
規正の
法律によってみずからの手で縛らなければ
国民から信用されないということは、
政治家として必ずしも名誉なものじゃないと私は思う。しかし、そうしなければならないというその原因から言うならば、今回のこの
政治資金規正法改正そのものに私は反対ではありません。今日の時点においてはやらなければならない、その方針については賛成であります。しかし、誇らしげに誇りを持ってこれに賛成する、あるいは誇りを持ってこれをみずから行なうという気持ちは私
個人にはありません。早くこういう
法律が空文化して、忘れたように
政治が行なわれること、あるいは年がら年じゅう
政治資金規正法にひっかかるような
行為がなくなることに、
政治の方向として一番
努力しなければならない。
そこで、諸
外国の例を見ますと、アメリカは
個人に限り五千ドル、禁錮または罰金、
政治委員会についてはたしか三百万ドルと思いますが、受け取る限度、
個人が出すほうは五千ドルです。非常に簡単な
法律のようです。しかし、その
政治委員会というのは単位と規格がありませんから、これが
政党あるいは
個人、
団体というならば、町村における支部をつくればその支部は三百万ドルの限度に入る。郡において支部をつくる、また三百万ドルの限度がある。県において支部をつくる、また三百万ドル。あるいは
個人の後援会をつくる、あるいは
政党ならば支部でしょう。支部は幾つあるかという
規定がないために、要するに幾つもポケットができる。ざる法といわれる原因はここにあると私は思う。したがって、アメリカで行なわれておりますのは、
個人の千ドルでも、十万ドルを百人に分ければそれだけ実は献金ができるという逆論も出ております。またそういう事例もあったようです。十万ドルを何十人かに分けて五千ドルずつ、合わせて十万ドルにした、そういう例も実はあるようです。そうなると、アメリカにおいてはこの問題が法文だけで、実行の
内容を見ると
日本とは非常に違うのではなかろうか。韓国は
政党法という
法律によって
制限されておる。
労働組合あるいは銀行を
禁止しておる。やはり相当なもので、
労働組合に対して
政党化することを特に
規制しておる例はあります。
民主政治が進んでおるというイギリスでも、
労働組合法の中において
政治資金を
規制しておる。この例を見ると、やはりどこの国でも
労働組合というものが
政治活動と混同される。
政治運動というものが労働運動の名において行なわれるということは、やはり
一つの過程においては多々あるし、これを見のがしてはならないと私は思います。
日本がはたしてどの水準にあるかは、おのずから判断は相違ありましょう。しかし、これはどこを見ても
政党法の中に、あるいは
政治活動の中に、労働運動との
一体的な混合混乱はある。そういうものが今回の
政治資金の問題にも出てくるのではないかと私は思います。アルゼンチンにもあるといいますが、これは
政党法という
法律によって、やはり
政治基金というものを
組合とは別にしろ、これも
労働組合というものと
政治運動との混乱を防止しておるように私には見えます。
こうしてみると、アメリカの例にも
日本の今回のものはありません。またイギリスの例にも今回の
日本のものは必ずしも該当しません。そうすると、今回のものは
日本独自のものだ、諸
外国に例のないものだということだけはわかると私は思います。そこで、今後私たちが
政党法あるいは
政党をもう少し明快にすること、あるいは
労働組合運動と
政治運動とを混乱しないようにすること、あるいは
労働組合の今日の姿は
政党じゃないのか、この
条項に該当するのじゃないか、こういうことはこの
法案の一条一条を見ましても非常に大きな疑問があります。これはあえて
政府に答弁を求めません。いずれ後日同僚
委員から
組合のあっせん、チェックオフ
条項というものについてもう少し究明されると思います。しかし、私は、この大きな
問題点が
基本的にこの
答申案の中において研究がされていないのじゃないかとは言いませんが、され方が少ないのじゃないかと思う。何となしに
政治資金は悪なり、入り口をふさげ、
寄付制限というのは世界じゅうありません。また私も
特別委員でしたが、そういう
考えが突然として生まれるとは実は思わなかった。水道の蛇口を締める、いいも悪いもないんだ、この姿は、今回の
政治資金の
規正という
ことばから、
政党を浄化する、育成するということから見れば、
現状からは必ずしも合わないのじゃないかと思います。私は悪い金なら百万円といえども悪であるということは常識であると思うし、また、浄財ならば、それが五十万であろうが五百万であろうが、その問題は
議論することはおかしいという
基本的な
考えもあります。先般わが党の
代表者の
意見は、その点を実は疑問として投げております。しかし、今日の時点と将来の時点とは違いますから、私はこれできよう直ちに
政府の答弁をこの点について求める気はありません。
そこで次に進みますが、もう
一つ問題点は
政治資金の公開制です。いままでのものは、
政党及び
政治家の
責任の範囲における公開です。要するに受け取った金額とその支出についての公開、これも
一つの公開です。今回は
寄付者のほうの公開をねらっておる。要するに
寄付者のほうが第三者といいますか、しいていうならば有権者あるいは主権者、あるいは主権的
立場のほうに今回
制限と公開制を求められておる。ここが
一つの
問題点だと思います。ことに先ほど言いましたように、一万何千という
政党、
政治団体、知らない方まで今回その対象にされておる。ここにやはりこの
罰則がかかるとなると、公開制のやり方について問題がある。もう少し明らかに言うならば、
政治家が公開を強制される。
政治家が公開の
責任を負うことならば妥当であり、そのために
罰則がかかる、あるいは監査機関を置いても私はいいと思う。しかし、
政治に関してややもすれば恐慌、
政治的な不安を私は起こしやしないかと思う。これは
選挙のときも同じです。
選挙法をだんだん窮屈にするたびに
選挙の関心
——選挙というのは違反を起こすものだ、こわいことだ、
政治的信頼がなくなる、関心が薄らぐ、危険がふえる、これは現時点で
日本にもあらわれております。今回は一年じゅうの
資金についてこれがやられるというところに問題があるのじゃないかと私は思う。これは
あとに出てきます
政治資金の
寄付制限も同じです。善意の
寄付といえども、
選挙人は
政治家にさわるとあぶない、花輪をもらうな、弔電もこれはいいのかな、電報まで心配するようになっては、これは
政治家をおりの中に入れろというような
国民と遊離する問題が
寄付制限にも同じに出てきます。今回は、その
資金の公開というのはどこまでやるべきか、党員の党費も公開すべきなのか、
寄付だけ、
政治献金だけを公開する
目的を持つのか、この点だけでけっこうです。今回の公開は、党員の党費も公開をねらうのか、あるいは
政治寄付だけをねらうのか、今までの
法律は必ずしも明快にそれが出ておりません。その点についての答弁を求めたいと思います。