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1967-07-18 第55回国会 衆議院 決算委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年七月十八日(火曜日)    午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 吉川 久衛君 理事 小峯 柳多君    理事 小山 省二君 理事 白浜 仁吉君    理事 高橋清一郎君 理事 佐藤觀次郎君    理事 華山 親義君 理事 吉田 賢一君       丹羽 久章君    長谷川 峻君       水野  清君    中村 重光君  出席政府委員         外務政務次官  田中 榮一君         外務大臣官房会         計課長     鹿取 泰衛君  委員外出席者         外務大臣官房外         務参事官    内田  宏君         外務省中南米・         移住局外務参事         官       高良 民夫君         会計検査院事務         総局第五局長  佐藤 三郎君         参  考  人         (海外技術協力         事業団理事長) 渋沢 信一君         参  考  人         (海外技術協力         事業団監事)  小倉  謙君         参  考  人         (海外移住事業         団理事)    太田 亮一君         参  考  人         (海外移住事業         団監事)    筱田 正大君         参  考  人         (全国拓植農業         協同組合連合会         副会長)    平川  守君         専  門  員 池田 孝道君     ――――――――――――― 七月十四日  委員丹羽久章辞任につき、その補欠として愛  知揆一君議長指名委員に選任された。 同日  委員愛知揆一君辞任につき、その補欠として丹  羽久章君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  昭和四十年度一般会計歳入歳出決算  昭和四十年度特別会計歳入歳出決算  昭和四十年度国税収納金整理資金受払計算書  昭和四十年度政府関係機関決算書  昭和四十年度国有財産増減及び現在額総計算書  昭和四十年度国有財産無償貸付状況計算書  (外務省所管)  国が資本金の二分の一以上を出資している法人  の会計に関する件(海外技術協力事業団及び海  外移住事業団)  国が直接または間接補助金奨励金助成金  等を交付しているものの会計に関する件(全国  拓植農業協同組合連合会)      ――――◇―――――
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これより会議を開きます。  国が資本金の二分の一以上を出資している法人会計に関する件、及び国が直接または間接補助金奨励金助成金等を交付しているものの会計に関する件について調査を行ないます。  本日は、参考人として、海外技術協力事業団より、理事長渋沢信一君、監事小倉謙君、海外移住事業団より理事太田亮一君、監事筱田正大君全国柘植農業協同組合連合会会長平川守君の御出席を願っております。  参考人からの意見聴取は、委員質疑によって行ないたいと存じますので、さよう御了承願います。  これより質疑を行ないます。吉川久衛君。
  3. 吉川久衛

    吉川委員 私は本日は、海外移住事業団全国拓植農業協同組合連合会についてお尋ねをいたしたいと思いますが、それに先立って、ただ一点だけ、海外技術協力事業団から、ちょっと参考のために伺っておきたいことがございます。  事業団業務の内容を拝見いたしておりますと、第九番目に、農業協力事業とございまして、東南アジアをはじめとする開発途上にある諸国の農業開発に協力するため、農業調査の実施、農業専門家等の派遣、資材等包装業務を行なうこととありまして、これがただいまどのように実施されておりますか、その実績について御説明をお願いいたします。
  4. 渋沢信一

    渋沢参考人 ただいま農業協力実情についての御質問がございましたが、従来、大体われわれのほうのやっております海外技術協力事業の約二割は農業でございます。四十年度はどういうことをやっておるかと申しますと、海外からの技術協力一般受け入れ、この受け入れのために、特に茨城県にセンターを設けておりまして、そこで稲作、その他の実習をいたしております。そのセンターにおきます実習以外に、あるいは農業試験場その他に頼みまして、実習を行なっておるものもございます。これが一つ。それから各国の要請によりまして、専門家を数十名派遣いたしております。これが一つ。それから、インドその他に農業センターというものを設けまして、現地稲作その他のことをやっておりまして、そうしてこれを普及いたすということが一つ。さらに四十年度から青年協力隊を出しておりまして、これの相当部分農業関係として現地で働いております。これだけでございます。  ところが、最近におきまして、これは四十年度ではございませんが、農業特殊プロジェクトというもののために新しく予算をいただきまして、これは特殊の農業プロジェクト、さしあたって考えておりますところは、インドネシアの稲作改良のための一つプロジェクト、それからマレーシアのペナンの海岸におきますところの開拓のプロジェクト、カンボジアにおきますところのプロジェクト、それからフィリピンにもございますが、そういうものを実行いたそうと思いまして、目下調査団その他を派遣いたしておるわけであります。したがいまして、従来におきましては大体二割が農業協力でございましたが、今後はその割合がもっとふえてまいるだろうと考えております。
  5. 吉川久衛

    吉川委員 技術協力事業団に対する御説明をお願いいたしますのはそれくらいにしておきまして、あとでまた申し上げたいことがございます。  そこで今度は、海外移住中業団についてお伺いいたしますが、海外移住事業団業務の概要を拝見いたしますと、その五、六、七、八、九に、移住者事業職業及び生活一般相談指導移住者定着のための福祉施設整備、その他の援助入植地取得造成管理及び譲渡並びに取得あっせん移住者及びその団体に対する農業漁業工業等事業費金貸し付け及び事業資金借り入れにかかわる債務の保証、移住者受け入れ農業漁業工業、その他の事業に対する移住者受け入れ関係所要資金貸し付けとございますが、右五点につきまして、その実績を具体的に、できるだけ詳しく御説明をお願いいたします。
  6. 太田亮一

    太田参考人 御説明申し上げます。  事業団法の第二十一条第一項に、事業団業務をそれぞれ書いてございますが、ただいま先生から御指摘がございましたのは、五号から九号まで、つまり海外においてやっております事業の範囲になると思いますが、条文の立て方と実際の仕事の中身の分け方と多少食い違っている点がございますが、大体この線について御説明申し上げます。  まず第五号にございます「海外において、移住者事業職業その他移住者生活一般について、相談に応じ、及び指導を行なうこと。」、これの具体的なことといたしましては、私ども事業団は、現在ブラジルに五つの支部、それからアルゼンチンパラグアイボリビア、ドミニカ、それぞれ一つずつ九つの支部を設けまして、またその下に事業所あるいは事務所、こういったものを置きまして、現地人間を配置しております。これらの末端におきまして、たとえば極端な場合は、生活相談と申しましても、夫婦げんか仲裁にまで呼び出されるような事例があるわけでございます。そういった問題は別といたしまして、特にいままで中心となっておりました農業移住者につきましての特に営農指導、これが第一線では大きな仕事になっております。そのためにそれぞれ職員を配置しておりますほかに、特に最近におきましては、移住者の先輩でありますところの、すでにある程度成功されている人あるいは経験の特に深い人、こういう方にお願いをいたしまして、現地での農業移住者の、特に青年層中心といたしました講習訓練にこれらの方々に出ていただきまして、そうして農業のレベルアップにつとめております。  それから、工業関係に働いておりますいわゆる技術移住者に関しましては、これは現在のところ、ほとんどブラジル、しかもサンパウロ近郊だけでございますが、これらの人たち現地に着きましてからのアフターケアと申しますか、業務に関しまして、サンパウロ中心にして、センター職員を四人ほど配置いたしております。さらに、その後サンパウロ郊外に、四十一年度に完成いたしました技術移住センター、ここにおきまして、技術移住者人たち現地に到着いたしまして実際に職場に入るまでに必要な、たとえば労働手帳の配付でありますとか、こういった手続をやります期間、宿舎を提供いたしましたり、あるいは便宜を供与する、それから、その人たちが一たん職場につかれましてからあとでも、現地ではいろんな形で、日本とは違いました幅の広い技術を要求いたしますので、その場合に備えての講習訓練の補完でありますとか、こういったことを現在やっております。  それから、第六号にございます「海外において、移住者定着のために必要な福祉施設整備その他の援助を行なうこと。」、これが金額的には一番かかっておる面でございますが、まず一番簡単な例から申しますと、移住者、特に農業移住者の場合に、現地入植地事業団のやっております集団入植地に入られる場合には、まず最初には自分の家がございませんので、このために共同宿泊所と申しますか、簡単なものでございますが、こういうものを建てております。これは無料で泊まってもらっております。  それから、集団移住地中心にいたしまして、さらに相手国政府施設の手の及ばないところにつきまして、教育の面、医療衛生の面、これにつきましてのいろんな施設施策を行なっております。簡単に申し上げますと、医療衛生の場合でございますが、これは奥地移住地におきましてはなかなか医者がおらないという関係もございまして、集団移住地であります第二トメヤスそれからパラグアイフラムアルトパラナイグアスボリビアサンファン、ここには診療所を設けまして、ここに事業団のほうで頼みました医者が常駐しております。これらの診療所の建物、それから医師の宿舎看護婦宿舎、こういったものを事業団のほうで建設をいたしております。それから、さらに奥地に散在する地域、特にアマゾン近辺などはそうでございますが、ここは移住者の数がまとまっておりませんので、それぞれの便宜な都市のところに、契約をいたしました現地のお医者さん、これに若干の謝金を払いまして、これとの連絡をとって、移住者が見てもらいやすくしておる特約医制度というものがございます。それから、さらにサンパウロ中心といたしましたサンパウロ援護協会のほうに頼みまして、このお医者さんが組んで、現地巡回診療を年に一回ないし二回やってもらっております。それから、さらにベレン管内におきましては、現地マラリア対策、これが年に二回薬を配付して消毒につとめておりますが、これだけではまだ十分でないというので、事業団のほうで、さらにもう二回DDT等を配付いたしまして、マラリアの絶滅につとめております。おかげで、現在ほとんどこういった発生を見ておりません。こういった点が医療衛生対策中心でございます。四十一年度は大体四千六百万円くらいの支出をいたしております。  それから、教育関係でございますが、これも原則としまして現地人間になるわけでございますので、レベルは別といたしまして、現地教育義務教育を受けなければならない。このために、まず第一番に小学校等施設がないところでは、事業団小学校の校舎から教師の宿舎等まで建てております。それから先生も、奥地でございますので、なかなか行きたがらないという関係がございますので、これにプラスアルファの意味での謝金を出しております。これはPTAのほうと協力して、分担し合っておるわけでございますが、こういった形で、少なくとも現地における義務教育を受けさせるように対策もいたしております。さらに特に、不便な地点で、中学校等になりますと、なかなか学校そのものがないということで、大都市に出てこなければ教育が受けられないというような地域につきまして、特に昨年、これはマナオスに寄宿舎をつくることになりまして、現在運営されております。そのほか、ごくわずかでございますが、学校へ通いますための――たとえば中学、高校等になりますと、距離がだいぶ離れておるところもありますので、そこへの交通費でありますとか、あるいは宿費月謝等の一部を補助しまして、優秀でありながら、家庭がまだ十分に力がついていないために、そこまでの学資が負担できないといった家庭子弟育英費補助をいたしております。こういった教育関係の費用がやはり四千三百万円余りになっております。  それからさらに、現地につきましては、移住者個々ばらばらでは、とうてい経済生活と申しますか、生産物販売あるいは原材料の購入等もできませんので、農業協同組合をそれぞれつくらせて、団体の力で運営をやっていくようにつとめております。このために、ごく初歩の農業協同組合につきましては、ある程度の活動費補助をいたしておりますが、さらにそれが地域的にまとまってまいりますところ、たとえばパラグアイフラムとかアルトパラナとか、こういうような地域におきましては、これが将来の村につながるように、自治体制整備ということも推進をいたすために、そういった意味での若干の補助金も支出いたしております。  さらに、そのほか施設としまして、たとえば、これは若干特殊な例でございますが、ボリビアサンファン移住地道路が非常に悪いために、生産物販売が、雨期になると全然輸送がとまりますので、できないというような事情もございましたので、こういったところには、特別対策といたしまして、五カ年計画によって道路の改修を行なう、これが四十一年度では大体三千二百万円ほどの経費が支出されております。これらが第五号、それから六号にあげてある業務でございます。  次に第七号でございますが、事業団としましては、移住者人たちが、特に農業移住者現地に入るという場合にも、全然目標がなくてはなかなか行きがたいために、事業団自体入植地取得いたしております。そこにあっせんをして、この土地を分譲してあげる、こういう形をとっております。現圧持っております大規模の移住地と申しますか、数十人まとまって入れる地域を持っておりますのが、事業団自体勘定で申しますと、ブラジルでは、北のほうから第二トメヤス、それからリオデジャネイロの近郊にフンシャール、サンパウロ近郊にグァタパラ、ジャカレー、ピニヤール、それから、やや奥地になりますが、ヴァルゼアアレグレ、それからちょっと方向の変わったところでサントアントニオ、これだけでございます。また。パラグアイには、イグアスアルトパラナフラム、三つの大きな移住地がございます。アルゼンチンにグアラペ、アンデス、二つの移住地がございます。それからボリビアサンファンは、土地は先方の国有でございまして、事業団として有料で分譲いたしておる土地ではございませんが、これの造成管理はわがほうでやっております。そのほか七月から受け継ぐことになりましたサンタクルースの郊外にございます沖繩移住地についても同じような関係でございます。これらの土地は、古いものは旧移住振興株式会社が発足しましてから間もなく取得したものもございます。昭和三十二年に購入いたしましたものが最も古うございます。  面積で申しますと、ブラジルのほうは約七万町歩でございます。アルゼンチンは二カ所だけで、これは小そうございます。両方合わせて四千四百ヘクタールぐらいしかございません。パラグアイは三つ合計いたしまして約二十万ヘクタールの土地があります。これだけの土地事業団のほうで取得して分譲いたしておりますが、現在のところ一番大きなパラグァイにおきますところのアルトパラナイグアス、これらの土地を三十六、七年に買い取りまして、ちょうどその時分から移住者送出が非常に減ってまいりましたので、この地区がなかなか人が入らなくて、相当あいておる、こういう状態になっております。  土地の分譲の条件作物によって多少差をつけておりまして、昨年改定いたしましてかなり長くなりましたが、四年据え置き三年賦というものから十年据え置き三年賦というふうな長いもの、あるいはパラグアイアルトパラナは九年据え置き五年賦といったように、それぞれ作物の種類によってかなりの長い年月で分譲する条件になっております。これらの入植地勘定に投入いたされております資金は、ブラジルそれからスペイン語地域両方合わせまして大体十六、七億になっておると思います。  それから、八番目にございます移住者及びその団体に対する融資でございますが、これは四十一年度末におきまして、現在のほとんど中心は、農業移住者に対する個人貸し付け、それからその人たちが組織しております農業協同組合に対する団体貸し付けでございます。スペイン語地域におきまして約九億、それからブラジルにおきましては約七億円ぐらいになっております。この融資の中で、もう一つ次の項目にあがっております団体等で、移住者受け入れるために必要な限度で金を貸すというのがございますが、このほうは現在のところほとんど行なわれておりませんで、現在、面接自分のために使うという需要に対して投じているのが精一ばいという状況でございます。かつてこれが事業団になります前に、旧移住振興株式会社時代に若干事例があったのでありますが、新しいものは現在出ておりません。  わかりの悪い御説明を申し上げまして恐縮でございますが、現状、以上でございます。
  7. 吉川久衛

    吉川委員 海外移住に関し相談に応じあっせんを行なう事務で、夫婦げんか仲裁までやっておいでになるようで、たいへん至れり尽くせりのように拝聴をいたしたのでございますけれども、ただいまの御説明の中にいろいろ問題があろうかと思いますが、つけ加えてお伺いしたいのは、昭和四十年度における海外移住者送出実績があげられております。送出は総員で八百十八名、うち呼び任せが三百五十五名、農業をやっている者が二百八十七名、その中で百世の者が百二十七名、コロノといいますか雇用農というのが百六十名、技術移住者が百七十六名、合計八百十八名のように伺っているのでございます。四十一年では千五十九名、うち呼び寄せが三百八十七名、技術移住が二百三十三名、農業が四百三十九名、うち自営が百七十一名、コロノが二百六十八名、こういうようになっておりますが、このとおりでございますか。
  8. 太田亮一

    太田参考人 ただいまおあげになりました数字のとおりでございます。
  9. 吉川久衛

    吉川委員 私はこの数字を見ていろいろ考えさせられるのでございますが、八百十八名のうちの呼び寄せが三百五十五名、これは事業団とは直接そうたいして関係のない者である。そうすると、八百十八名から三百五十五名を引いた四百六十三名、そのうち農業が二百八十七名で技術移住が百七十六名、この技術移住というものは、必ずしも移住事業団でやらなくとも、先ほど伺いました技術協力事業団とも若干関係を持っているやにうかがえるのでございますが、この点の技術協力事業団海住との業務関係をどのように理解したらよろしゅうございますか。
  10. 渋沢信一

    渋沢参考人 技術協力事業団として御回答申し上げます。  私のほうの技術協力事業団というのは、国際条約または国際約束に基づいて人を受け入れ、あるいは人を派遣するということでございます。したがいまして、たとえばブラジル政府から日本農業専門家がほしいというような要請がございますれば出せるわけでございます。ただ移住者であるという形で、ブラジル政府からの専門家としての要請がないと、私どものほうの仕事には乗らないわけでございます。これは技術協力事業団設置法によって、そういうことになっておるのでございます。ただし実際の問題といたしましては、私のほうから、現にブラジル農業専門家を派遣いたした例もございますし、そうしてそういう人たち移住地に対してある程度のアドバイスを与えるというようなことは、今後とも推し進めていきたいと存じておる次第でございます。またこれはパラグアイ実情でございますけれどもパラグアイ森林開発という、農業関連があるわけですが、移住者による森林開発ですが、そういうものの開発を兼ねまして、調査団を出したこともございます。これはパラグアイ政府要請によりまして出しました調査団一つの目的の中に、それが含まれております。そういうことをいたしたという例もございます。なるべく私のほうといたしましては、実質的に移住事業というものと関連を持って進みたいと思っておりますが、ただたてまえの違いがあるということは御了承おきを願いたいと思います。
  11. 吉川久衛

    吉川委員 私は、昭和二十九年と昭和四十年、二回にわたりまして、中南米を歩いてまいりました。マナオスの奥からブラジルはほとんどくまなく、ブラジルだけで三週間ばかり、その他アルゼンチンから西海岸を北上いたしましてずっと見てまいりました。そういう関係で、むこうの実情はいささか承知をしているつもりでございます。そういうことで、先ほどの海外移住事業団の御説明を伺っておりますと、たいへん問題がある。ところが、きょうの理事会で与えられた時間はわずか一時間、まことにどうも残念でございますが、要点だけをこれからあとはお答えをいただきたいと思います。  ブラジル等におきましては、昔のような移住者移住は望んでおりません。むしろ技術資金を持った技術農民移住希望しておるわけであります。したがって、これらの技術者現地人を使って、ブラジル農村の発展をはかってほしいという声を聞いてまいりましたが、この点はどう処置されておりますか。申すまでもなく、わが国としても、人材と労働力が不足しております今日、わざわざ無理をして棄民同様の移住政策をとっておることはよろしくないと思うのでございますが、外務省お見えですか。
  12. 高良民夫

    高良説明員 御回答申し上げます。  ただいま古川先生のおっしゃいましたように、戦後、二十七年に、移住アマゾン移住者五十余名から発足いたしまして、今日までブラジルアルゼンチンパラグアイボリビアがおもなところでございますが、約五万六千名の人が移住しておるわけでございます。非常に広大な地域移住しているわけでございます。当初ジュートの移住者その他ドラドの移住というようなときには、正直申しますと、移住地実情を正確に日本におる移住希望者に理解せしめることがなかなかむずかしいこともございましたし、それから移住業務――移住者の力を集めまして、ある程度教育しまして、現地へ着きましてどういう仕事をどんなふうにしたらいいかというふうな問題、そういうことも何しろ急に始まった話で、若干ふなれな点があったことは否定し得ないと思います。しかしその後、海協連整備いたされまして、移住会社もできまして、その後さらに三十九年には事業団ができまして、現在のところ、大部分移住者は、おのおの非常に環境は違っておりますが、与えられた環境の中で大部分は新しい生活を築いて、前途にそれぞれの希望を見出しておるのが実情ではないかと思います。ただ何ぶん広いところに散らばっておりまして、やはり現在でも、相当辺境におられる方々には、環境改善と申しますか、特に子弟教育問題、それから衛生環境改善、こういう点で大きな努力を、政府としてもいたさなければならないと思っております。移住者の方も、最初は期待にはずれたという感を持っておられた方もあったようでありますが、そのうちに、新しい事情の違いということもありまして、いまではいわゆる棄民というような気持ちを持っておられる力は比較的少なくなりつつあるのではないかと思っております。
  13. 吉川久衛

    吉川委員 最近、技術移民と称して農業以外の行年を送っているようでありますが、移住事業団仕事としては、はたしてそれでよいのかどうか、私は疑問に思っておるのです。技術事業団との関係は、先ほど技術協力事業団理事長から伺ったのでございますが、日本自体、技術者が足りないときでありますから、先方の労働力、不足をカバーするように受け取れるやり方はよろしくないと私は思うのです。そこで、一般に開発途上の国々へ移住させるということは、むしろ移住という観点からではなくて、その国への開発協力といった点から出発しなければならない時代になってきたのではないかと思うのでありますが、外務省及び事業団としてはどう考えておられますか。特に中南米のうちでも、パラグアイボリビアのような後進国――後進国ということははいけないそうですから、開発途上にある国への移住は、その国の経済開発の一環として考えなければ意味がないと思うのですが、いま移住事業団でやっておるパラグアイ移住を見ましても、ただ単に海外への移住という点からだけ考えられているように思われます。せっかく移住させた移住者が、移住間もなく所得水準の高いところに流れ出すことにもなりかねないように思うのですが、この点はどうでございましょうか。私は一昨年ウルキッサへ参りましたときに、ラプラタ川でしたと思いましたが、あの川をおりてきて、そして国籍もとれず旅券もとれない、帰るに帰れない、非常な訴えを伺ったのでございますが、外務省の出先機関は責任をなすり合って、連中非常に困っている状態を見てまいったのでございますが、今日ではその点どうなっておるのか、あわせてお答え願いたいと思います。
  14. 高良民夫

    高良説明員 技術協力と移住の点でございますが、先ほど渋沢理事長から、技術協力事業団としての立場からの御説明があったのでございますが、それに補足の意味で申し上げたいことが一つございます。先ほど理事長は、技術協力事業団から派遣された技術者方々が、先方におきまして、日本移住者方々の営農、経営その他に対して非常な貢献をしておられる点を述べられたように理解をいたします。まさに、その点は私はそのとおりだと思います。ただそのほかに、移住者自体の活動が、やはり先方の開発途上にあります国々の経済、社会の発展ということに非常に大きく役立っておることは、これまた否定し得ないところだと思います。したがって、そういう意味におきまして、移住ということと技術協力ということは非常に密接な関連があるものと考えます。しかしながら、これまた理事長がメンションされましたように、ただいま行なっております政府ベースの技術協力は、政府政府との間の話し合いに基づいて、いわばお役所仕事でやっている。これは技術者方々が、役所からの委嘱その他で派遣されている形になっておるわけでございます。これに反しまして、移住のほうは、日本国民が、憲法で認められております移住の自由ということを基本的な考え方にいたしまして、各個人の自由な意思で海外に発展するということをたてまえといたしまして、政府といたしましても、もちろん日本人の平和的な海外発展ということは非常にけっこうなことでありますから、移住政策という形で大いにこれを援助、場合によってはある部門は指導するという体制をとっておるわけでございます。したがいまして、私は移住政策技術協力的な結果になるように、あるいは技術協力的要素を含んだ移住者政策がとられることは大いにけっこうでございまして、御指摘のとおり、特に技術者の点などは、今後技術協力事業団海外移住事業団とは密接に協力して進めるべきものだと考えます。  それから、パラグアイの、例のアルゼンチンに転住と申しますか、流出と申しますか、しております方々の話であります。これは最近調べたところによりますと、現在アルゼンチンに約七百五十名の人々がパラグアイから移っておるようでございます。この数字は、実は私最近まで現地におったのでございますが、千五百名とか千二百名とか、いろいろ各方面で聞きまして、今度帰朝しましていろいろ調べたのでございますが、い底手元に来ております数字は、約七百五十名ということになっております。最初アルゼンチン政府も、あまり数が多いのでびっくりしまして、いろいろこれは困るというような考え方もあったようでございます。大使館のほうでも努力いたしまして、とにかくここに在留だけは認めてくれという交渉をいたしまして、いまのところ、大体仮移住という形で永住を認められるという状態になりつつあります。ただ、問題はまだ完全におさまったわけではございませんから、今後ともなおアルゼンチン側について、これら転住した方々の永住権の確保という点と、それからさらに、パラグアイから将来またこういうあれが起こらないような対策を、やはり早急に研究すべきものだと考えます。
  15. 吉川久衛

    吉川委員 この移住事業団のできるまでの日本の背景というものは、農村の次三男対策をどうしたらいいかという時代、それからもう今日では長男対策をいかんせん。もう次三男の問題じゃない。長男をいかにして引きとめて営農に携わらせようかというのが、いま農政の大きな課題になっておる。そこで後継者育成資金というものをつくったり、あんななまぬるいものでは問題になりませんけれども政府もそういう苦労をしておるわけでございます。こういうように、だいぶ農村社会の情勢が変わってきておる、日本の経済事情が変わってきておる、そういうときの移住事業というものについての考え方は、よほど飛躍的な考え方を持ち直す必要があるんじゃないかと思うので、こういう点は御一考をわずらわしたいと思います。  次に、戦後行なった移住者のその後の状況はどういうふうになっておりますか。いわゆる移住者の歩どまりはどうなっておるか、さっきの質問に関連して、ごく簡明にお答えを願います。
  16. 高良民夫

    高良説明員 家族の定着率は、大体パラグアイが九六%、ボリビアが七四%、北伯、アマゾン地方でございますが、これが四四%、中伯、マットグロッソから南のサンパウロ地方六六%、アルゼンチンが九二%でございます。そういう数字が出ております。
  17. 吉川久衛

    吉川委員 この問題を、どうしてそういう歩どまりかということを取り上げてまいりますと、これだけでも一日くらい時間をいただきたい問題なんでございます。しかし本委員会において過去に取り上げた問題等もございますので、きょうはこれ以上深入りはいたしません。  海外に出ましても、日本人の教育に対する熱心さには驚くべきものがございます。そのために、北、南米を通じ、日本人の移住したところでは、二世あるいは三世の中に政治家、芸術家あるいは教授、医師など、社会の上層部で活躍しておる人が非常に多いのはまことに喜ばしいことでありますが、これは成功した一部の移住者か、都会地に近い、経済的に恵まれた移住者子弟に限られたことでありまして、おそらく大部分移住者は、その日の生活にも事欠く人が多いのではないかと思うのであります。ある人の表現をかりますれば、三代目にはサルになるというような嘆かわしいことが言われておるのであります。私もこれはパラグアイのコルメナに、ボリビアのサンタクルスに、これを見てまいりました。それからまた、いい面では、大都会の周辺の地区からは、ブラジルのごときは、あるいはアルゼンチンからも、日系の国会議員が出ていたり、カナダへ行きましても、学者の中に実に有名な人も出ているというようなことを見てまいりましたが、非常に発展のおくれている国々に移住させられた人たちは、気の毒な状態にあることは事実でございます。移住ということを、日本人をひたすら外へ送り出すことのみ考え、子弟教育をおろそかにするならば、海外移住はやめるべきだと私は思っております。自分の子供を教育できない、そういう状態に置かれている親の心境になったら、たまらないものがございます。中南米の人口は絶対的に少ないとはいいながら、知識も技術もない不熟練労働者は、相対的には過剰とさえ言える一面もございます。入植民国としては、無知な外国人を受け入れる理由はないし、日本も、わざわざ国費を投じて、国民の貴重な潜在能力の一部を原始林の中に捨てるようなことをすべきではないと思います。事実、日本政府移住者に対する教育上の関心は、ほとんどゼロにひとしいと言っても過言ではないと私は思うのです。戦後の移住は、満州移住と違って、先方の国に同化するのが目的だという理由でありましょうが、原始林の中に、土人に同化させてどうするつもりなのか。日本語もできなければスペイン語、ポルトガル語もできない、サルのような子供が成長してどうなるのか、考えてみなければならない。その日の食に困っている父兄に、教育費負担の能力がないのはあたりまえでございます。聞くところによりますと、パラグアイのドイツ移住地では、入植以来すでに五十年もたっているのに、いまだに教育だけには本国政府が全面的に補助をして、教師の派遣や、移住地出身青年の給費留学生の制度も実施しているといわれております。ペルーへ参りますと、二世、三世を、年寄り連中がその教育のことに気を配って、アルゼンチンのブエノスアイレスへ留学させました。出国の旅券は出してもらいましたが、帰ってくる場合には、入国の了承は与えておりませんでした。その後その問題はどうなっているか。そういうことを知りながらも、子供をブエノスアイレスの大学へ送っている、ハイスクールへ送っている、こういう事情を見ますると、涙の出るような思いがするのでございます。教育の問題をどう考えておるのか、私は関係官庁に伺っておきたい。決して日本人だけの特殊部落をつくれという意味ではありません。移住した人々のあと始末をつけてやるべきだということでございます。ブラジルなら、ブラジル人としてりっぱな文化を築き上げていくためにも、教育が必要でございます。むしろこの際送り出しは一時中止しても、過去に移住した人々のアフターサービスを考えてやるべきではないかとさえ、私は考えておるのでございますが、どのような御所見をお持ちでございますか。
  18. 高良民夫

    高良説明員 ただいまのお説、まことにごもっともな点が多々あると思います。移住者子弟教育問題につきましては、原理的に申し上げますと、これは向こうの国の中堅的な人になって、そこからさらに発展してもらうというのが大体の考え方のたてまえとしておるところでございます。そこで問題は、向こうの国でりっぱな教育施設を完備して、そうして日本人の移住者がそれを利用し得るような状況にあるかということでございますが、これはたとえばブエノスアイレスの町の中とか、リオとか、サンパウロの町の中というようなところでございますと、若干移住者生活が落ちつきますと、相当の利用もできるような状況でございます。ただ、アマゾン奥地とか、ボリビアパラグアイ、ただいま吉川先生から御指摘のありましたようなところになりますと、なかなか向こうの政府教育施設も、日本人の目から見ますと、もの足らぬところが多いわけでございます。これは向こうの国の教育行政の点から見ますと、まあまあこれでいいというような考えのようでございますが、やはり同胞が将来その国の社会の中心あるいは中堅となって発展していってもらうためには、どうももの足らぬところが多いようでございます。そこで、事業団といたしましても、いわゆる事業の中の一部分に、援護事業の中に交付金勘定教育援助ということをいたしまして、向こうの学校の、たとえば教師のサラリーの補助とか、それから移住者子弟に対する奨学資金の支給とか、そういうことをごくわずかでございますが、やっておりまして、現に私は、先月の末にアマゾンから帰ってきたのでございますが、アマゾン地区では、たとえば高等学校の生徒がありますと、月に十コントぐらいやっておるわけでございます。わずかの金でございますが、これは非常に喜ばれておるわけでございます。さらにそのほか、いわゆる戦後の新しい移住者だけを対象としたものではなくして、古くからおられますいわゆる在留民、そういう方々も対象にいたしまして、これは将来その国の人になってしまうのが大部分の人々でございますが、それにしても、やはり日本語とか日本に対する理解、知識、そういったものを備え、そして将来において日本とその国との間の一種の仲立ち、紐帯的な存在になってもらうようなことはきわめて望ましいことと存じます。そういう意味におきまして、これもいままでのところでは、まことにわれわれの努力不足で予算額も少ないのでございますが、約四百万円程度の予算を、在外子弟教育補助費として補助金に計上しておるわけでございます。いずれも現在のところは微々たるものでございますが、一応こういう形から出発いたしまして、さらにこの点については拡大強化していきたいと考えておるところでございます。
  19. 吉川久衛

    吉川委員 医療施設の問題で、私は非常に気にかかっている問題があるのでございますが、もうお約束の時間が近づきましたので、これは機会を改めて伺うことにいたします。  農林省の予算を見ますと、農業移住事業補助金として四十二年度に一億二千数百万円が出ております。その中でも、全国拓植農業協同組合連合会の分が大部分を占めておるようでありますが、全拓連の設立から今日に至るまでの経過と、その組織と仕事の現況について、この際、具体的にお述べを願いたい。これは農林省でも全拓連からでもけっこうでございます。
  20. 平川守

    平川参考人 ただいまの御質問でございますが、私どもは、この移住事業、特に農業者の移住の問題につきましては、当時は現在とはだいぶ事情も違いましたけれども、ともかくも、日本の農家に対する、現在行なわれておりますような構造改善といったような考え方、当時では次三男対策とかというような考え方もございましたけれども、いずれにいたしましても、農家の経営規模拡大の一つの考え方といたしまして、農業者の移住の問題は農民みずからの問題である。そこで、この移住仕事というようなことは、政府がもちろん大きく援助をし、大きな政策として行なわなければならぬものであるけれども、何よりも根本は、農民自体、移住者自体がみずからよく考え、みずから努力をし、みずから準備をして、その成功をはかるということでなければ、第三者の保護だけに依存しておる考え方では成功しにくいであろう。そういう意味において、個々の農民、個々の移住者の努力ということはもちろんでありますけれども、その移住者に一番身近な団体、そういう意味においては、農業協同組合というようなものがみずからの組合員のためにいろいろな援護、準備等をいたすということが非常に重要なことではないか。農業協同組合は従来、いろいろ生産物を売るとか、あるいは購入物資を共同して買うとか、あるいは信用の事業とか、いろいろやっておりますけれども自分の組合員の何%かが、何人かが思い切って海外に出るんだ、それによって残る組合員の農地の面積も広められる、移住した農家もりっぱに成功をする。こういうことを農民の団体である農業協同組合がみずから力を出して努力をする。もちろん、こういう事業でございますから、営利的に動かすわけにもまいりませんので、ある程度の政府援助ということもお願いしなければなりませんけれども、ともかくもみずからが自主的に力を出す、こういうことが組織として必要ではないだろうかということで、昭和三十一年に全国拓植農協連を設立いたしました。各地方の協力を得まして、現在まで――現在まだ全国的にできておりません。各府県の拓植連というものが二十五ございますが、移住にあまり関係のないような県はまだできておりません。  仕事の内容といたしましては、まず、移住そのものについての理解を、農民の間に、そういう先ほど申し上げましたような農家自体の問題として、農村自体の問題として、この問題を研究し知識を得るという意味においての啓発宣伝の仕事もやってまいりました。そのためには、農業協同組合の幹部といったような、地方における人々を現地に派遣するというような仕事もやってまいりました。また最近では、農村の青年で指導的な能力のあるような非常にまじめな、ことにこの問題に深く関心を持っておるような者を現地に派遣して、実習をさせるということもやっております。  そういたしまして、一番大切なことは、現地に参りましてからの援護でございます。まず入植地の選定等につきましてもアドバイスをいたさなければなりませんし、そこに入りました場合のいろいろな農業経営の問題等については、特に農業団体としていろいろなアドバイスをする。われわれはこういう民間の小さい団体でございますから、政府機関の事業団のように手広く手を広げるわけにはまいりませんので、私どもとしては一つでも二つでも、よい実例をつくっていきたい。いやしくもせっかく移住した人が、向こうで失敗をして逃げ出さなければならぬといったようなことのないように、土地の選定から営農の計画から、それに即応する準備に至るものを十分に整えて、小規模であっても、少しずつでも一歩一歩築き上げてまいりたいという考え方でございまして、具体的には、サンパウロ近郊のグァタパラという土地を、事業団と協力をいたしまして、事業団の協力を得てこれを購入し、これに移住地の建設をいたし、ここに現在約百四十戸の入植者が入っております。これはいろいろの経緯がございまして、昭和三十六年に入植を始めました。現在まですでに数年を経ておりますが、やはり何と申しましても開拓でございますから、なかなか簡単には成功というわけにはまいりませんけれども、現在ごく少数の、数戸の脱落者を除きましては、大部分のものが、まだ非常に豊かになったというわけにはまいりませんけれども、少なくともこの土地で前途相当りっぱな農業経営を打ち立て得るという自信を持って、現在努力をしておるというような状態でございます。これにつきましては、やはり農業経営に非常に重点を置かなければなりませんので、かなりのかんがい、排水の設備もいたしまして、御承知のように、向こうでは大体において非常に粗放な経営でございまして、土地を改良するとかポンプで水をあげるとかいうようなことはほとんど従来やられておらなかったのでございますけれども、このグァタパラの工事はかなりブラジル政府あるいは現地に大きな反響を与えたと考えております。そういうようなことで、りっぱな将来性のある移住地を選定し、そこに入植をあっせんし、さらに入りましたあとにおいても、いろいろな意味においての援護をする。農業上のいろいろな指導員のような者も置きまして、いろいろなアドバイスを加えるということ以外に、資金的にも内地の農協から援助をするというようなこともやっております。  また最近、グァタパラの移住地におきましては、全拓連が直営の農場を設けまして――移住者というのは、御承知のようになかなか口で指導しただけでは、必ずしもそのとおりついてはこない、やはり現実にやって見せないとなかなか納得をしない、農民一般にそうでございますが、そこで小さい規模でございますけれども、直営農場を設けまして、そこでひとつ模範的と思われる農業経営を実現をして見せる。これによって、水田につきましてもあるいは畑作等につきましても、畜産方面につきましても、移住者がかなりこの農場のやり方に注目いたしまして、逐次自分も自信をつけ、将来それをまねしていけば確かにこれは成功するだろうという、一つの確信の根拠になるようなものを実現してまいる、こういうことを試みておるわけでございます。  それから、もう一つ大きなアイテムといたしましては、青年の移住の問題がございます。これは昭和三十年に、当時ブラジルのコチアの産業組合というのがございますが、これは日系人を中心とした一万人からの組合員のある大きな組合でございますが、その専務から、日本の農協とブラジルの農協とが提携をして、そうして日本の青年を向こうの農協で受け入れて、三年ないし四年の間、雇用労働という形式で、実際の現地農業実習して、そこで腕がしっかりしてきた時分に、独立させることについて現地の農協で援護する、こういう方式で日本の青年を入れようじゃないかという御提案がありまして、当時は労働力も現在のようでございませんでしたので、いわゆるコチア青年という名前で毎年送られてまいりました。これは農協の事業といたしまして、内地の農協と現地の農協の提携事業――これはもちろん国家中業である事業団援助を得ておるわけでありますが、そういう形においてやってまいりましたのが、現在まで二千五百名現地に参っております。この青年たちは、もちろん数の中でございますから、中には非常に失敗をした者もございますけれども、中には非常な成功をいたしまして、日本においてはとうてい考えられないような、たとえば十年前に渡りました者でも、三十そこそこでございますが、これがかなりの成功をおさめて、年収一億以上にもなるというような者がかなりの数おるというようなことでございます。例外といいますか、悪いほうもございますけれども、いいほうもある。そこに青年としては一つの大きな夢を持ち得るというところが、日本農業とは違ったところを持っておるわけでございますただわれわれといたしましては、その失敗率のほうをできるだけ少なくして、成功率のほうをできるだけ高めるということが、私どもの任務であるわけでございます。その意味において、当初から人選、あるいは訓練、また現地に参りましてからのいろいろな世話、あっせん、また三年、四年の雇用農生活で腕ができてまいりますと、今度は独立をいたすわけでございますが、その独立に際しての資金的な援護、あるいはさらに、お嫁さんの世話までもやっておるような状況でございます。これはなかなかむずかしい問題でございますけれども、それでもすでに五百人からのお嫁さんが向こうに渡っておるような状況でございます。  そういうようなことがおもなる事業でございます。
  21. 吉川久衛

    吉川委員 世間では、移住事業団と全拓とが、同じような仕事を両方でやっておるように言われておるふしもございますけれども、いろいろ業務状況を伺って、私なりに判断ができますので、これ以上伺いません。  この送出について、これは両方に関係があるかもしれませんが、イタリアなんかは、港へ着いたときから就職がきまってしまう。これはことばの関係かもしれません。日本は、ことばはだめだし、船で幾日もかかっていく間にいろいろの問題が起こりまして、サントスの港に着くと、リオデジャネイロやサンパウロの料理屋のおかみさんが待っておるのを私は見た。何しに来たのだと言いましたら、写真見合いで、港へ着いてだめになる話が相当ある、また船の中でいろいろな問題があって、結婚できないような状態になる。この際サンパウロでもリオデジャネイロでもいいから、料理屋で働きましょうというようなところに、私は出っくわしたこともございます。その後十分御注意なさって、さようなことは改められたとは思いますけれども、まだまだ早急に改まるものではないから、輸送中の指導管理の問題等十分御留意を期待する次第でございます。  それから、海外移住事業団の監事の方にお伺いしたいのですが、その前に、各事業団、それから全拓等、海外における業務の執行に際して行なわれた決算等の監査はどういうふうにやっておりますか、それから会計検査院との関係はどういうふうになっておりますか、これは外務省に伺ったほうがよろしゅらございますか。
  22. 高良民夫

    高良説明員 お答えいたします。  移住事業団の監事は、外務大臣が任命することになっております。ただいま二名の監事がやっておりますが、監事は、経理の監査のみならず、業務監査も行なっておりまして、経理、業務双方につきまして、理事長または理事長を通じて外務大臣に意見を述べるという規定になっておるわけであります。従来、監事の方々の活動ぶりを拝見いたしますと、大体年に一回程度は現地に監査に行っておりまして、その結果は、理事長を通じまして外務者に相当詳細な、こまかい数字を入れた監査結果が提出されております。外務省はそれに基づきまして、事業団に、改善すべき点があれば改善していただくようにしております。さらに月に二回、これは別にきまったものではございませんが、事業団の幹部の方、理事長以下理事の方と、外務省事務当局、局長以下参事官、課長が定例の意見交換会をいたしまして、その席上に監事も御出席願いまして、監査的な方面から、いろいろ御意見を聞いておる次第でございます。  御承知のとおり、事業団は、旧海協連からの資産と、それから移住会社の資産を引き継ぎまして、非常に複雑な経理並びに業務を持っておったわけでございますので、この承継問題等につきましても、監事の方から非常に適切な御意見が出て、これが非常に促進されまして、一応現段階では片がついたというような状態になっております。これなども、監事の御活躍が非常に卓越しておる一つの点ではないかと思います。
  23. 吉川久衛

    吉川委員 会計検査院との関係は、どういうふうになっておりますか。
  24. 高良民夫

    高良説明員 会計検査院は、毎年というわけではございませんが、大体三年に一回、四年に一回くらい海外を回っておられまして、在外公館の監査をしております。その際、事業団の監査も在外公館の監査に付随する程度にやっておるようでございます。直接事業団の監査をやったかどうかということは、私いまちょっとはっきりいたしません。
  25. 吉川久衛

    吉川委員 会計検査院の方、見えていますね――ただいまの私の外務省との質疑関連をして、お答えをお願いいたします。
  26. 佐藤三郎

    佐藤会計検査院説明員 私の所管は、海外移住事業団の問題でございますが、海外移住事業団につきましては、たしか昭和二十八年度について、三十九年に海外移住事業団仕事を主として――これは在外公館を少しやりましたけれども、おもに海外移住事業団仕事を見る。特に当時ボリビアでいろいろな問題がございまして、決算委員会でも問題になったことがございますが、そういった経過もございまして、海外移住事業団仕事を主として、それから海協連との合併の問題も当時ありましたので、海協連との合併の問題もよく見るということで、三十九年に実地検査をいたしました。そして改善意見等も出しております。その後は、三年に一回くらい行きたいと思っておりますが、財政等の事情で、その後は実現されておりません。もちろん東京の本部、それから府県にございます事業団事務所については、数カ所を実地検査をやっております。  以上のような次第でございます。
  27. 吉川久衛

    吉川委員 海外移住事業団の監事の方にお尋ねをいたしますが、ただいままでにいろいろお尋ねしてきた件につき、特に移住事業団の最近の業務について、これをどの程度まで具体的に監査しておいでになったか、またその監査の結果をどのような方法で発表してこられましたか、また所管の官庁あるいは所管大臣に、監事としての意見をどの程度まで具体的に報告をなさいましたか、その結果をどう業務に反映してこられたのか、御説明を願いたい。申し上げるまでもなく、監事の身分というものは、理事長とともに大臣によって任命され、直接意見を大臣に具申し得る立場にあることは、ただいま外務省のほうからも御説明のあったとおりでありますから、業務上の必要と思うことはどしどし大臣に報告をして、意見を述べていただきたいのでありますが、どんなようになっておりますか、お伺いいたします。
  28. 筱田正大

    ○筱田参考人 お答え申し上げます。  先ほど外務省の参事官からお話がありましたように、監事といたしましては、まず事業団業務を監査いたします。その監査の結果、もし意見がありますれば、必要がありますれば外務大臣に、または理事長に申し上げることになっております。  それから財務諸表、決算報告書等を外務大臣に提出いたします際に、監事の意見をつけて出すということになっております。  それから、どういうふうにして監査しているかと申しますと、まず書面で、または実地に行ないまして、また定期あるいは臨時に監査するということにしております。そのほか、常時には重要な文書の回付を受けまして、また重要な会議の際には出席をいたしまして、意見を申し述べる、こういうことになっております。発足以来四年になりますが、大体二つの団体を合わせて発足した関係から、会計経理が非常に複雑でございます。どうしても匇々の間、そういうような経理の問題をまず確立せよという点に重点を置きまして、また機構もまだ十分ではございませんので、その機構の問題につきましても、不十分な点がございましたので、これを改善せよ、大体そういうような意見が多うございました。特に申し上げますれば、責任体制が十分でないということから、部課等の組織を確立して、その専務分掌等も定めまして、責任体制を十分とれというようなことでございます。あるいは旧海外協会連合会から引き継ぎました資産が確定しておらない関係から、これを早く確定して、経理を正常にせよというようなことも申し上げました。また旧会社から引き継ぎの資産勘定の監査がおくれておりますので、これが経理上非常に問題になっておりましたので、これも早く処理せよということを申し上げております。また入植地におきましては、入植地の原価がなかなか確定いたさないものですから、損益計算ができないので、入植地勘定は正常な状態ではございませんので、これも原価計算基準を確立して早く原価を確定せよ、そういうことを申し上げております。  大体そういうようなことをいままで申し上げておるのでございます。これは外務大臣に面接申し上げておるのではございませんで、監査報告書を外務省に提示いたしまして、外務省の内部でしかるべくお願いしておる次第でございます。
  29. 吉川久衛

    吉川委員 最後に、私は監事の方にお願いしたいのですが、書類の上の監査だけでなくて、また数字の上の監査だけでなくて、業務の上についても、それから海外における実態についても、十分責任を持って監査をされる。意見がございましたら、大臣にも面接御所見を述べられるくらいにやっていただきたいことを御期待いたします。  いま日本の農村は、農業人口がどんどん減っております。最近の若い諸君は、どういうことかあまり子供を産みません。したがって、日本の実質的な人口の増加というものは、横ばいどころではない。私は、労力の関係で、日本の産業経済は一つの危機と申しますか、限界が来るということを心配している一人でございます。そういう立場から考えますと、やはり海外から要請されて技術者を送る、技術協力をするということに力を入れて、そうして、技術者移住だとか農業者の移住だとかいうようなものは、そう積極的にやるべきではないのじゃないか。だいぶ移住問題については考え方を変えられなければならないのじゃないか。青年の中に、出ていきたいという熱心な者がいるようでございます。海外で創造的な活動をしたいという青年の、進取の気象を持った者の多くあることは好ましいことでございますけれども、一生懸命説き回って、そうして連れていくというような段階では、いまやないのじゃないか。こっちから一方的に押し出していきましても、向こうの国は、やあありがとうぐらいで、感謝の度合いが違うのです。やはり国際的な約束に基づいて要請がもたらされて、これに応じておこたえをして、優秀な技術者をもって技術協力をするというふうに考えてまいりますと、これは農林大臣、外務大臣、通産大臣、いろいろの人に聞いてもらいたいことでございますけれども、当初に申し上げましたように、海住の取り扱われるところの人数は、昨年はわずかで、私の計算では、お話になりません。八百十八名というけれども、実質的には四百六十三名であり、四百六十三名の中には技術移住者もある。技術移住者は、向こうへ行って、日本から進出した企業に携わるのでございましょうけれども、特殊な人は、日本からその会社の関係の人を引っぱっていったらよろしいので、これをあえて事業団にやらせる必要があるかどうか。また、その国の技術を高め、産業経済の発展に協力しようというならば、技術協力事業団がこれを担当したらどうか。それから、すでに送り出したもののアフターケアあるいはアフターサービスをやるのだとするならば、全拓連にこの仕事を担当さしたらどうだろうか。ほんとうは、臨調がこの事業団の生まれる前に誕生して、あのような答申をしておりますれば、相当これは問題になるところの事業団ではなかろうか。こういう点に思いをいたして、私は行政管理庁にも検討をしてもらいたいと思いますが、よその役所の干渉を受けるまでもなく、外務省自体、事業団自体が、これだけの陣容を擁してこれだけの仕事をやっているということについて、相当程度の反省があってしかるべきではないかと、ただいまいろいろ伺っていて思うのでございますが、私は勉強足らずでございますから、私の考え方に至らぬところがありましたら、今後とも御示教をいただいて、いい形に持っていきたいと思っておりますので、参事官は、外務大臣にもよく報告をしていただきたい。  それだけお願いをいたしまして、私の質問を終わります。
  30. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 関連質問の申し出がありますので、これを許します。丹羽久章君。
  31. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 それでは、本来申しますと、吉田先生が御質問になるのでありますが、御了解を得まして、関連質問を少しさせていただきたいと思います。  移住について、事業団の方にお尋ねいたしたいと思いますが、ブラジルアルゼンチンパラグアイ、ウルグアイ、各地へ出ていらっしゃるけれども、私ども若い当時、大きくなったら、南米、ブラジルへ行くのだというような夢を持ったことがあるのです。その後戦争が起きて一応とだえましたが、また二十九年からこれが実施せられるようになって、当時から考えてみますと、非常に予算も膨大になってまいりましたけれども、ここで私がお尋ねいたしたいと思いますことは、チリ、メキシコ、ドミニカといったような、四名だとか三名だとか、名だとかいうところ、あるいはウルグアイのように五名というような数の少ないところ、これはどうしてこんなわずかな人しか移住させないのか、また向こうからの要請がそうであるからそういうふうに出したのか、またどんな効果があるのか、そういう点について、私は御説明をいただきたいと思うのです。ブラジルアルゼンチンなんかは非常に多いのでありますし、またパラグアイにおいても百何小名という人が出ておりますが、特に少ないところ、これはどういうわけでしょうか。この点、簡単でけっこうですから、ひとつ御返答いただきたい。
  32. 高良民夫

    高良説明員 ただいま御指摘のございましたウルグアイ、チリ、メキシコ、こういう国はまことに住みよい国でございまして、移住者日本から行かれたならば、成功される率も相当多いのではないかと思うわけでございます。ただ日本人の移住者の場合には、いきなりそこに行かれましてすぐ、農業にしろ、ほかの技術移住などは特にそうでございますが、飛びつくというわけにはいきませんので、やはり一種の受け入れの地盤というものが備わっていないと、なかなかうまくいかないという点があるのでございます。それで、従来のところ、御指摘のように移住事業団は膨大な予算と人員をかかえて働いておりますが、正直、現地事情から申しますと、ブラジルボリビアパラグアイアルゼンチン、この四カ国だけでも、いまの機構とあれでカバーできるかというような状況でございます。従来から、たとえばメキシコ等からは、日本人が来たら歓迎するというような声もときどき聞くわけでございます。チリにつきましては、現在在留邦人が約六百名ほどおるわけでございますが、これはブラジル等と違いまして、農業をしておる方もあまりおりませず、大体現地でサンチアゴに集まっておられまして、中小企業的なことをしておいでになるという状況であります。ウルグァイはごく少数でございまして、三百名、最近は四百名くらいになったかもしれませんが、これはモンテビデオの近郊で花をつくっておられる。ウルグアイは、国情から申しまして、正式に日本人は入れないとは申しませんが、小さな国でございますから、日本人がどっと行きますと、むずかしい、デリケートな点もあるのではないかと思います。ただし、ウルグァイとブラジルとの国境に町があります。この町のまん中が国境線になっておりますが、そこから入ってあそこに落ちついた人は、ウルグアイでやはり在留民として非常にりっぱに暮らせるようにやっておるような状況でございます。そういうわけで、いままでのところは、ブラジルアルゼンチンボリビアパラグアイという国にまず重点を置いたというのが、いま御指摘なさいました国々にあります移住者が行かなかった理由だと考えます。
  33. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 時間がございませんので、御答弁は必要ないんだが、チリ、メキシコ、ドミニカには四名、三名、一名が出ておるわけですね。こういう必要があるのかどうか。こういう方々、四名や三名や一名は、いまお聞きすると、中小企業の関係に携わっておられるという話ですけれども、この四名、三名、一名というのはどういう必要性があるかということを聞きたいのです。
  34. 高良民夫

    高良説明員 それは、メキシコ、ウルグアイ、チリというふうに出しましたのは、いわゆる事業団扱いの移住君として行かれた方々ではなくて、具体的に、私その四名の方々について内容はいまよく知りませんが、おそらくは親類呼び寄せ、向こうにおられる方が自分の親類呼び寄せとか、あるいは昔日本教育に帰ってきた人が行った、そういうあれではないかと思います。いわゆる事業団で扱っております移住者の方とは、若干性質が違うものと心得ます。
  35. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 そうすると、この方々は、この事業団業務の概要の中におけるところの、財源として政府から出した財源から行かれた方では全然ないということでございますか。
  36. 高良民夫

    高良説明員 この方々に対しましても、移住していただくのはけっこうなことでございますから、渡航費は貸し付けておるはずでございます。ただし現地で、ブラジルの辺境においでになります農業移住者に対するような手厚い保護と申しますか、援助と申しますか、あるいは特別融資、そういうことはやっておらないのでございます。
  37. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 大体了承します。それでは、それでけっこうですが、この昭和四十年度の海外技術協力事業団の決算及び業務の概要の、第一の外務省委託事業としての、研修員受け入れ事業という点についてちょっとお尋ねいたしたいと思いますが、これを読んでみますると、「新規受入八一三名であります。なおこれ等研修員の受入施設として、当市業団におきましては東京中央研修センターのほか、名古屋、三崎および茨城にそれぞれ研修会館を設置運営しております。」、この研修員の方々日本でいろいろのことを研修せられまして、国に帰られまして、そしてこれには相当大きな国費が投入せられて、この人々を受け入れたと私は思うのですが、この方々は帰られてからその後、日本でいろいろの研修を受けたその実績を御活用しておるかどうかということについての調査は十分にせられておるか。日本はそれだけの犠牲を払って、そうしてその方々は親日的な態度あるいは親日的にいろいろやっておっていただけるかどうか、そういうような点についての調査報告をひとつ簡単にお聞かせいただきたいと思うのです。
  38. 渋沢信一

    渋沢参考人 それでは簡単に申し上げます。  大体向こうから参ります人は、日本に滞在いたしたことによりまして、大部分が非常に日本にいい感じを持って帰っておると、私は確信いたしております。ただし、日本で研修したことがはたして十分に活用されておるかどうかという点につきましては、率直に申しまして、一〇〇%活用されているとは私は思わないのでございます。なぜかと申しますと、大体向こうの政府から派遣されてきた人が多い。そういたしますると、彼らは帰りましてから、職場が変わるのでございます。月給が上がるために、前の職場ではぐあいが悪いというので、変わるということになりまして、そうして、来た当初、その直後は、その職場におりまするけれども、その後変わってしまうという事例が実は少なくないのでございます。そこでわれわれのほうといたしましては、できるだけこれらの人人とのつながりをつけますために、各地――といってもすべての地ではありませんけれども、そういうところに同窓会的にものを設けまして、そうしてわれわれのほうの人も行く、そうして向こうの研修員とできるだけ個別に会いまして、そうして実情を調介するということをやっておりますが、これではなお不十分でございますので、本年度におきまして、各研修員に対しまして調査事項を送りまして、そうしてそれに対して回答してもらって、評価測定をいまやりつつある次第でございます。この測定がいまぼつぼつ返ってまいっておりますが、おそらく二、三ヵ月中にはこれがまとまるだろうと思っております。われわれのほうといたしますれば、先方が選んでまいりました研修員の人の、あとあとのめんどうをできるだけ見るようにいたしたいと思っておりますが、その方法といたしましては、たとえばそういう人たちが入っておりまする職場で、かつ研修いたしました事項に関連のあるところに対しまして、資材を供与するというようなことをやっておる次第でございます。しかし、御指摘のとおり、一〇〇%活用されておるとは、私は残念ながら言い得ない次第でございます。
  39. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 いまのお答えに対して、もうちょっとだけお尋ねいたしたいと思いますけれども、これで見ますと、継続音が二百八名、新規受け入れば八百十三名でございますね。そうすると、この方々が出ていかれると、大体一千名近くになるのですね。それを個別的に会ってみたり、あるいは調査をするだけの予算というものは、外務省ははたしてそれの予算をつけてくれるでしょうか。そういうような点について、私は一つの心配を持つのです。相当長期間にわたって、こちらでいろいろのことを研修してもらう、そうして今度帰ってもらう、いまおっしゃったように、率直な御意見としては、なかなかうまくいかぬ面もあるのだとおっしゃるけれども、これが調査に行かれるというような費用を、はたして外務省として認めてくれるでしょうか。そういう点が、ただ一通りの答弁ではなくて、先ほど吉川さんからも質問がありましたように、要望として、堂々と必要な金は要望して、政府からもらってくれというお話があったのです。私は全く同感だと思うのです。これだけの犠牲を払いつつ、この方々が将来いろいろと、平和のためにお互いに手をとり合っていく、また日本技術を覚え込んでもらう、そういうことによって、帰っていかれたら、やはりその後の経過というものは十分に連絡をとり、そうして忘れることなくやっていただくことが、私はこの趣旨であると思うのです。そういう点については御自信があるかどうかということだけ、簡単でけっこうですから、何度もくどいようなことを申し上げますけれども、簡単にひとつ御説明をしていただきたいと思います。
  40. 渋沢信一

    渋沢参考人 御指摘のとおり、予算は不十分でございます。われわれのほうといたしましては、毎年少なくとも一回は、全部の土地というわけにはいきませんけれども、東南アジアその他に対しまして、前に来ました帰国研修員の実態調査というか、接触等のために職員を出しておりますし、また役員が参りましたようなときにも、できるだけ見ております。その予算が一般旅費の中に含まれておるわけでございます。ただし、この一般旅費の額が少のうございますので、これを要望いたしておる次第でございます。また、これは出張旅費だけでなしに、こちらからのいろいろの情報を供給するというようなことをやるための費用もある程度ついておりますが、これが年に百万円とか二百万円とかの程度でございますから、これでは不十分でございまして、御指摘のとおり、こういう点につきましては、来たるべき予算におきましては相当大幅に増額を御要求しよう、こう思っております。
  41. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 ひとつこれを十分に生かしていただくことを、理事長さんに要望いたしまして、その点はおきます。  それでは、その次にお尋ねいたしたいと思いますことは、「このコロンボ計画等により諸地域に派遣した専門家は前事業年度から継続者九四名、新規派遣一五四名」としてあります。これで事業団海外における技術調査を行なわれると思うのですけれども、その調査に基づいていろいろ、こうしたらいい、ああしたらいいという、日本技術的な面を進言せられ、開発に協力しようと思っても、技術だけの調査の結果、これをほんとうに移すということは、全然予算がなくてできませんね。そうすると、日本の国で調査をしてやりながら、その国がいよいよ仕事にかかるときには、日本の国は入札にも入ることができ得ない。そして仕事もやることができない。日本技術調査をしたら、やはり日本技術を生かして、日本はこんなに進歩した技術を持っておるのだぞということを見せてあげることが、これが友好関係でもあり、平和的な一つの大きな貢献になると思うのですね。そういうことが、私は海外事業団一つ仕事じゃないかしらんと思うが、この点についてはどういうようなお考えを持っていらっしゃるか、ひとつお聞かせをいただきたいと思います。
  42. 渋沢信一

    渋沢参考人 諸種の開発調査というものをいたしております。事業団ができましてから、百件余りの調査団を出しております。そうしまして、その調査団は、先方の政府の要望に基づいて出すものでありますから、すぐ企業に結びつくようなものもございます。たとえば橋をこしらえるとか、あるいはダムをこしらえるとかいうようなものもございますし、またそうでなくて、もっと前の段階のもの、たとえばここは地下鉄をこしらえたがいいか、あるいは道路にしたがいいかというような段階の調査もございます。そこで、すぐその企業に関係しないような調査は別にいたしまして、その他の、企業に関係いたします、あるいは、建設に関係いたしますような調査につきましては、できるだけこれを日本側なり、あるいは日本側でできなければ、世界銀行とかなんとかいうところで資金のめどをつけるようにできるだけあっせんをいたしたいと思っておりますが、実際の状態を申しますと、百件あまり出しましたうちで約四十件というものが、何らかの形で日本に結びついております。四十件のうちに、日本側で建設までやったものもございますし、また建設はよそがやりましたが、それに対しまして日本の機材が入っておるというようなものもございますし、またわれわれのほうの出しました調査に基づきまして、さらに日本のコンサルタントを雇い入れまして、そうして実施設計をやるというふうなものもありますし、まだそこまでいかぬのに、専門家をさらにその問題につきまして日本から呼ぶというふうなものもございます。それらを含めまして、四十二件くらいが、何らかの形におきましてフォローアップされておる、こういう状態でございます。しかしこれは不十分な状態でございますから、基金なりあるいはその他の金融機関との連絡をとりまして、将来はできるだけその割合をふやしていきたい、こう考えておる次第でございます。
  43. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 それでは、もう一点お尋ねいたしたいと思いますことは、日本青年海外協力隊派遣事業、通称平和部隊の派遣と申しますか、その現状と、派遣の相手国と、派遣した期間、これをちょっとお聞かせいただきたいと思います。それからまたあとでお尋ねをいたしますが、まず最初に、いま申し上げました相手国と期間をひとつお聞かせを願いたいと思います。
  44. 渋沢信一

    渋沢参考人 この四十年度は、最初の年でございますので、わずか四十数名を出しただけでございますが、現在は百五十一人、が行っております。そうして参っておりますのは、フィリピン、カンボジア、ラオス、マレーシア、インド、ケニア、タンザニア、それだけでございます。期間は二年でございます。二年でございますから、まだ一人も帰ってきてはおりません。一番最初に出ました者が本年の末から帰ってまいる予定でございます。幸いにいたしまして、いままでのところではなかなか好評のようでございまして、途中で帰ったというような者はまだ一人もございません。
  45. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 これに関連いたしまして、もう一度お尋ねいたしたいと思いますが、もうじきに二年の任期が切れて帰ってくる、この人たちに対しては、やはり何か就職――二年間こちらの職を離れて、そういう勇気を出して向こうに行ったのですね。帰ってきたときには、どのような考えをもってこの人たち職業あっせんをするというような考えを持っていらっしゃるのか、それとも政府として何か使うという考えを持っていらっしゃるのか、その点、ひとつ理事長にお尋ねいたしておきたいと思います。
  46. 渋沢信一

    渋沢参考人 ただいまやっておりますことは、近く帰国いたします人に対しまして、就職の希望をまず聞きまして、どういうところに就職したいかということを聞き合わせまして、それに基づきまして、すでに、近く帰ってまいります者の半分近くは就職のめどがございますし、そうして、七月末あるいは八月になりますと、ほとんど全部の者が就職の目当てはつくことになるだろうと思っております。ただし、これは初年度で、まだ数が少ないからよろしいのでありまして、今後は、これにつきましては、いろいろな方面にさらにもっと活動して、そうして就職のあっせんをするということが必要であろうと思います。協力隊を出すことにつきましては、いろいろの後、援団体がありますから、その後援団体に対しましても、この点は協力隊の事業の死活問題であるから、十分あとのめんどうを見てくれることに協力してくれということを申しております。  重ねて申しますが、近く帰ってまいります者につきましては、就職の心配はまずない。しかし来年、再来年になりますと、多人数が帰ってまいりますから、これをさばくためには、われわれのほうとしてもよほど努力しなければならぬし、また各方面の御協力が願いたい、こう思っている次第でございます。
  47. 丹羽久章

    丹羽(久)委員 いま理事長から、数が少ないから、間もなく帰ってこられる方に対しては十分に考慮をしておるのだというお話でありますが、その後になってくると数もふえてくるので、非常に心配な点もあるのだということですけれども、やはり平和部隊として、海外へ出て二年間の苦労をしてきた人々が、帰ってきて何らの就職先もないというようなことは、それは全く政府の責任にもなり、そうしたことが今後出てくるということになりますと、せっかくのいいことが、考え方によっては、ばかを見たといったような形になると私は思いますから、ひとつその点は、いまから十分態勢を整えて、考慮をしておいていただきたいと、お願いをいたす次第でございます。  それから、私は、こういうことを率直に申し上げて、どういうお考えかということをお聞きいたしたいと思いますが、私はちょうど七、八年前に少し海外を回ったことがあります。それはオーストラリアへ行き、さらに足を伸ばしてニュージーランドに参りました。このオーストラリアは、私が申し上げるまでもなく、日本の二十倍あるといっておりました。あるいは二十五倍もあると彼らは豪語しております。そこに住んでおる人口はたったの一千万、いまではふえたかしれませんが、私が行った当時は八百万から一千万だと彼らは言っておりました。そうした大きな国に、それだけのわずかな人が住んでおる。こんな広いところにそんなくらいの人が住んでおるならば、日本にもどこか少し分けてくれ、そうして日本人にそこを開墾させてくれ、日本人は小さな国で八千かも一億もの人が住んでおるんだからという話をしたことがある。そうしましたら、彼らは何と言ったかというと、非常に日本人は頭がいいんだ、非常に勤勉者であるけれども、ひさしを貸しておもやを取られるようなことはわが国としてはいささか遺憾であるからあまり歓迎しない、こう言った。それでは、おまえの国はこんなに大きな国であるけれども、一体今後はどうやって守をしていくのだと尋ねましたら、イタリア人を毎年毎年十万人ずつ入れるんだ、そうして三年あるいは二年の契約のもとに働いてもらうんだ、そうしてそのイタリア人が永久に住みたいというならば残ってもらう、そうでないときには相当の金額を持って帰ってもらう、こういうことを言っております。どこにイタリア人のよさがあるんだといって聞きましたら、少し体力的に日本人よりもいいし、またすなおである、そうしてこすさがない、こういうことを言いました。言いかえれば自己的なところがない、こういうことを言っております。ニュージーランドという国は、御承知のとおりに、日本と同じ大きさを持っております。私が申し上げなくてもよく御存じだと思います。そして人口はどれだけあると聞きましたら、ウェリントンそうしてオークランド、これが中心になっておりますけれども、大体二百が足らずの人口であります。日本と同じような大きさで、気候は非常に恵まれた、日本の十月くらいの気候であります。そういうようなところで、これまた話をいたしますと、同じようなことを言っておる。私はここで海外移住に対し、あるいは海外技術に対しても、後逸国的だということばはいまは使われないかどうかは別といたしまして、日本よりおくれておる国がこの周辺にたくさんありますから、それをいろいろと、外務大臣の言っていらっしゃるように援助するということもけっこうでありましょうが、また少し離れておっても、このようなオーストラリアといったような大きな国に日本人が移住して、永住の地としてここに住むことを望み、そのように指導し、その国と話し合いができたならば、私は非常にしあわせじゃないかと思う。その一点の問題を率直に申し上げますと、ここに結婚をした女性が約三百名ほどおります。豪州兵という、戦争当時に参りました兵隊と一緒になって行っているのが三百名ほどいます。それはシドニー、メルボルン、アデレード、ブリスベーンあるいはキャンベラと各地に分かれておりますけれども、彼らは何と言っているかというと、再び日本に帰りたくない、この国でけっこうだ、そして私どもはここで二世を生んで、日本の繁栄を心から祈りますと、私が行ったときに、手を握って涙を流して話をしてくれました。私は女性にしても全くりっぱなものだと思って、ほんとうに感激にひたったのでございます。どうぞひとつ海外移住に対する、技術的あるいはいろいろの人々を送り出す上におきましても、真剣にお考えいただいて、世界の国は広いのでありますから、どの国と限らず、要請のあるところ、あるいはこちらから頼んででも行ってもらって日本人がしあわせになるという国があるならば、積極的な動きをしていただくことを強く要望いたして、そしてあなた方の御努力に対し、私は心から感謝するとともに、そのような方向に遊んでいただくことを願って、私の質問を終わることにいたします。どうもありがとうございました。
  48. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 吉田賢一君。
  49. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっと関係の方、時間の都合もありますので、私もできるだけ節約してものを言いますから、要点だけお答え願えばけっこうです。まだもう一人控えておりますから……。  外務省に先に聞きたいのですが、一般的に申しまして、海外移住政策というのがあるのかどうか。ありとすれば、その目標とか理念、要約してみればどういうことになるのですか。
  50. 高良民夫

    高良説明員 移住政策の理念と申しますか目標と申しますか、これは海外移住ということは、国が国民の首を引っばってどこへ行けとかどうしろという問題ではございませんで、国民自体が広く活躍の場所を海外に求めまして、新しい生活を築き、そこで発展したい、こういう考え方を持ったときに、これを政府が極力援助してやって目的を達成させ、かたがた国といたしましても、そういう人的な発展の状態を通じまして、相手国との国交緊密化、協力、相互理解ということにも資するというところにあると思います。
  51. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、国民が自分海外移住発展したいという希望、欲望が発生したときに、これをとらえて、移住についてできるだけ政府として施策を行ないたい。きわめて消極的で、海外移住とか移住政策というものは、積極的にないわけでございますか。
  52. 高良民夫

    高良説明員 どうもただいまの答弁は、実は最初からぎりぎりのところを申しましたから、やや表現のしかたがまずかったのではないかと思いますが、国といたしましては、優秀な国民が広く世界各地に、その優秀性を発揮して、平和的に相手国の社会の分子として発展することはまことにけっこうなことでありますから、そういう意味の国民の移住思想の涵養あるいは海外発展の技術の振興ということには、大いに力を注いでおるところでありまして、事業団事業の内容の中にもかませておりまして、そのために事業団の活動は相当行なわれておるわけでございます。
  53. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、根本的には、優秀な民族が海外に進出して、そして各国の文明その他に寄与貢献するように、そういう思想を呼び起こす、涵養する、そういったことをPRする、こういうことが第一段にあるわけですか。
  54. 高良民夫

    高良説明員 政府の政策として移住政策を取り上げる場合には、単に個人個人の問題ではなくて、やはりそういった大きな目的があると思います。ただし、移住移住者個人が考えてやるのが根本的な問題でございますから、いかに政府が、各国にわが国民を派遣させたいと思いましても、移住者がまず自分から海外に発展したいという気持ちにならない以上は、これを強制してやるということは、いまのたてまえ上いかがかと思われるわけであります。
  55. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 なぜこんなことを聞くかといいましたら、これは長い移住の歴史を持っておりますから、十分に検討し尽くした問題かもしれません。しかし戦後の二十五、六年ごろからの経過に考えてみましても、ずっと数が上がっておって、そしてまた下がっていくような傾向も見えます。またいろいろと農業あるいは工業的な多面的多角的な移住の形態も発生しつつあります。こういうことを思いますと、まず根本的にいまの段階において、一体移住とは何ぞや、移住政策はあるのかないのか。背の満州に進出したとか、狭い領土を広く使うように世界的に進出しなければいかぬとかいう抽象的理念では、いまは問題の基本理念は確立しないのではないであろうか。もっと具体的な客観的なあらゆる条件を検討し尽くしまして、一つの方針を立ててするならば、政府は、たとえば今年度あるいは来年度はどの地域にどのぐらい、どの種類の移民が望ましいとか、それならその具体的対策はどうすればいいか、こういうものが、私は何かなければなるまいと思う。第二はそこへいく。そういうものをお持ちかどうか、こういうことなんです。少なくとも、PRは事業団がかってにおやりなさい。行きたい人があれば適当に世話をしましよう、向こうへ行けば何とかなりましょう、ということになっておるのではないだろうかということを実はおそれますので、前段について、ひとつ要点を御説明願いたいと思います。
  56. 高良民夫

    高良説明員 移住思想の涵養あるいは移住に対する関心の振起という点だけにとどめておきまして、政府自体は、移住の個々の具体的な政策と申しますか、そういうものがないのではないかという御質問の趣旨だと理解いたしますが、これはどの程度の範囲を政策と申しますか、なかなかむずかしいところがございますが、実は各国別につきまして、それぞれこまかな大体の送出目標、現地の御情に応じまして、それに基づきまして、たとえば現地施設をどういう程度にする、あるいは援護の融資をどの程度にする、教育施設をどの程度にする、そういうことは、毎年年度計画としてきめてやっておることでございます。ただ往々にいたしまして、われわれの努力不足と申しますか、所期の予算が十分とれなかったり、あるいは現地事情が変化したりいたしまして、計画どおりにはたして一〇〇%いっているかと申しますと、その点は若干のずれがあると思います。
  57. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 年次計面があるらしき御説明ですが、それならば、たとえば四十二年度の年次計画として、人員、どの方面にどれぐらい行くことか適当か、望ましいか、という計画でもお立てになったのですか。
  58. 高良民夫

    高良説明員 四十二年度については、大体送出人員援護計画というのがついております。ただ、その具体的な裏づけとしての各種の事業団の行ないます業務内容についての検討は、ただいまやっておるところでございます。
  59. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 具体的に、たとえば四十二年度、南米あるいは南米のうちのどこの国へどのくらいの数字、どういう種類の業種のものを振り向けるとか、あるいはその他の地域にどうとか、その辺の具体的なことを、ちょっと数字だけ説明すればいいのです。概要でよろしゅうございます。――ちょっと調べておいてください。あとにしましょう。  それでは次に進みまして、国としましては、移住計画につきまして、外務省は相当予算を持っておるのですか。
  60. 高良民夫

    高良説明員 最初の御質問の、四十二年度の送出計画でございます。ブラジルが計千七十名というものを予定しております。この内訳を申しますと、農業移住のうちの自営開拓、これが三百二十五名、それからあっせん雇用、つまり農業労働者になって行く人々であります。これが三百四十五名、それから技術移住者、このあっせん雇用が二百四十名、指名呼び寄せ十名、近親呼び寄せ、この数は必ずしも正確につかめるわけではございませんが、大体従来の数等から捕捉いたしまして、このぐらいのところであろうという数でございますが、これが百五十名でございます。合計千七十名あります。パラグアイにつきましては、総数が三百三十五名、これはほとんど農業自営開拓でございます。アルゼンチンにつきましては、総数が八十五名、以上が大体おもな対象でございます。
  61. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、大体南米が重点地区になるわけですか。その他は計画俎上にものぼらなかったということになるのでしょうか。それはどうです。
  62. 高良民夫

    高良説明員 最近の傾向といたしましては、カナダ移住等も相当希望者もふえておりますし、行っておられる方もあると思います。それで事業団といたしましては、つまり政府機関としてのいわゆる移住税業の活動でございますが、これは今度トロントに駐在員を一人置きまして、現地実情調査その他をやっていただくという計画で、近く出発することになっております。それから、従来カリフォルニア州に短期派米というような形で、青年農業者の方が行っておりますから、サンフランシスコ等にも、事業団からの駐在員を置いているわけでございます。ただ、カナダ移住者に対しましては、中南米のいわゆる発展途上にある国国における移住者のように、融資とか農地造成というようなところまではやっておりませんから、一応の数には入っておりますが、いわゆる具体的な予算としましては、それほど入れていないわけであります。
  63. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、南米を主として伺ってみたいのですが、この業種としては、現在及び将来にわたって、やはり農業移住者に重点が置かれる、その他工業的なもの、技術者的なもの、それは第二次的なもの、こういうふうな比重に、今後も発展推移するのでしょうか。
  64. 高良民夫

    高良説明員 戦前から戦後にかけまして、大部分のところは農業移住者が行っておられるわけであります。しかし、最近来の傾向から申しますと、やはりサンパウロとか、リオとか、ああいう大都市を中心にしまして、日本人のコロニーも相当発展いたしまして、そうしたものを媒体とし、またそれらを通ぜぬでも、ブラジル人の日本人に対する能力の認識、理解が漸次進んでまいりまして、いわゆる技術移住というようなものも相当ふえつつあるわけであります。  それからさらに、これはどういうカテゴリーに定義しますか、企業移住、つまり日本の小さな町工場の方とかが、旋盤何台か持って、企業ぐるみ移住される、そういう形の移住も相当ふえてくるのではないかと思います。しかも、移住者の発展という点から見ますと、農業移住も大切でございますが、こういう企業移住ないし技術移住という方向も非常に大きな重点を置くべきものではないかと思います。
  65. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ここ一両年来、本年だけでもよろしゅうございます、数字を調べるのがやっかいでございましたら。移住に関する国の予算としては、どのくらい計上しておりますか。事業団に対する交付金は一応除きまして。これは大体十五億中心に動いているようであります。漸増の形ですが……。
  66. 高良民夫

    高良説明員 ただいま数字をちょっと検討さしておりますので……。
  67. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それじゃ先に進みましょう。調べておいてください。  これは非常に抽象的なことで、お答えもお困りかもしれませんけれども、一体この移住者というのは、国籍が離脱してしまわない。完全に離脱してしまわない限り、日本の国籍があります以上は、これは日本人として、やはり憲法的な保護も当然受くべきかと思うのですが、それはそのとおり間違いないのでしょうか。
  68. 高良民夫

    高良説明員 非常にむずかしい御質問だと思いますが、日本の国籍がある以上、日本の憲法その他の法令の対象になるのはもちろんのことだと思います。ただし移住者の存在する場所が外国でありますと、法令の抵触ということがございます。そういう意味で、完全に日本の法令の対象になるとは言い得ないと思います。ただし、日本人の保護というような点になりますと、これは在留邦人の保護ということは、外務省の大きな職責の一つでございますから、相手国の法令に抵触しない範囲内で、外交的な手段あるいは領事行政的な手段を通じて、努力しておるところでございます。
  69. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 もちろん相手国の領土でありますから、その国際的な法律の関係はごもっともでありますが、ただこう問うたゆえんのものは、一つは、やはり現地におきまして、赤ん坊もありましょうし、あるいは教育のこともありましょう。そういうことを思いますと、主として行政的な立場からすると、親にまかせっぱなしでいいのかどうか。あるいは、国は進んで行政的に積極的な教育手段をとるくらいにまで、これを配慮すべきが当然ではないであろうか。どういう子供が育ってもいいというのでは、これは考えようによりましては、全く政治ではないということになります。そういう意味で私は聞くのでありますけれども外務省は、その点についての行政の主管庁でありますから、また事業団に対する監督官庁でありますから、直接もしくは他をしてやらすとか、そういう点は手落ちがないかと思うのですが、御配慮はどうですか。
  70. 高良民夫

    高良説明員 御質問の御趣旨は、移住者を含む在留邦人の方々子弟教育について、教育は親の責任だとは言いながら、国としてほったらかしていいか、ある程度やはり方針を定めて、指導と申しますか、進んで援助と申しますか、そういうことをすべきではないか、というような御趣旨だと理解いたしますが、実は南米移住も、ブラジルあたりは来年で七十年というふうに、非常に歴史が長いわけであります。そこで非常に発展しておられる方もおられまして、そういう方々につきましては、やはり現地の社会に応じました生活を確立しておられまして、それぞれの人止観なり社会観を持っておられまして、われわれ外務省の出先が、それほど御本人が現地の社会に適応するときめられた方針を、無理にこちらからいわゆる指導づらをする必要もないような場合が相当多いわけでございます。ただ移住者となりますと、これは現実に私も最近まで総領事をしておったのでございますが、もう最大漏らさず、とにかくだれかにたよりたい、特に総領事館とか事業団にはあらゆることを相談する。さっきも申し上げましたように、実は夫婦げんか仲裁まで持ち込むというのが実情でございます。その中で一番大きな問題は、お子さんに対する教育の問題であります。そういう点につきましては、われわれもこれは一がいに、右である、左であるというふうに言うことはなかなか誤解を招く点もございまして、あまり簡単ではありますが、簡単過ぎて、適切な指導とは言えないのではないかと思います。そこで限られた人数ではありますが、これはケースバイケースで、状況に応じて、取り上げて相談に乗るという態度をとっておるわけであります。それに対する予算と申しますか、こういう面につきましては、さっきもちょっと御説明申し上げましたが、事業団を通じまして、入植当初の方々の、主として辺境の学校なんかに通うのに不便だという方の子弟のためには、寄宿舎の建設、あるいはごくわずかでございますが、毎月奨学資金を出す。それからさらに、これは事業団外の外務省のほうでございますが、いわゆる在留邦人という観点から考えまして、現在三百九十万円、これは主として日本語を忘れぬようにあるいは覚えてもらうということで、予算を支出しておるわけでございます。ただ、こういう金額は、実際の必要性から申しますと九牛の一毛と申しますか、とうてい満足するに足るものではないと思います。しかしまずやっと芽を出したというところでございますから、こういう点から大きくして、できるだけ移住者の方方の相談に乗り、しかも包括的な方向づけではなくて、できるだけケースバイケースの形に持っていきたいという考えでおります。
  71. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 子供の教育まで深く掘り下げて相談にのり、あるいはまた援助し、保護をしていこうとしましたならば、相当な力の入れ方でないと、私は効果があがらぬと思います。そこでそういうことの一切の前提になるものは、現状把握が徹底的にされておるのかどうか、私はこういう点も非常に大事だと思います。かなりいただいた資料は、地域的な特質が出たような資料は若干出ておりますけれども、私が知りたいことは、一世ないし三世としましよう。各種類の業種、そういったものが、現地でどのような生活の実態であるかということは、国内におると、そういうことは非常にむずかしい問題ですけれども、しかしそれにしましても、特殊な、移住者という対象ですから、その生活実情というものは、外務省が何よりも基本的に握っておらねばならぬ。現地の実際の作業は事業団にやらすにしましても、これは当然一切の施策の前提の基礎になるべきものと私は思うのです。その辺の御調査は至難なことですけれども、十分にできて、資料もまとまっておるのでしょうか。
  72. 高良民夫

    高良説明員 非常に広大な地域に、しかもこれは、役所のほうからどこに行けと命令して行かれた方ではなくて、それぞれ希望のところに入植されて、しかも状況に応じて転々と移る方もおられるというぐあいでございまして、まず在留民の現状把握自体が非常に困難な状態にございます。ただいまの規則によりますと、在留民は、外国に行きましたら二週間以内に、もよりの公館に届け出ることになっておりますが、これは実は罰則も何もない規則でございまして、これを正確に届けてくれる方は、十人に一人あるなしという状況でございます。そういうわけで、個々のあれを詳しく把握することは非常に困難でございます。ただ、大体日本人が行かれるようなところは、いわゆるコロニーと申しますか、一つの水脈みたいなもので、大きなところだけは把握しておるわけでございます。そういう点を中心にいたしまして、常時、在外公館及び事業団を活用いたしまして、調査に当たっております。なお、日本内地から、しばしばいわゆる所在調査という要求がまいりまして、この要求の中には、法務省側からの法律問題、たとえば遺産相続の相続人の一人がブラジルに行って行くえ不明だから困るというような問題もございます。こういうものも、調査は正面なところ非常に困難をきわめておりますが、まあある程度の効果はあげておると思います。  それから、いわゆる包括的な調査の点になりますと、先年ブラジルで、移住五十周年にちなみまして、委員会が、これは在留法人の中でございますが、できまして、その記念事業といたしまして、ブラジル日本人の有識者並びに日本側からも協力いたしまして、非常にりっぱな調査研究ができ上がりました。ただしこれは若干学問的に過ぎまして、これをかみ砕いていかに利用するか、ということが今後の問題として残っていると思います。ペルーについても昨年行ないまして、いまその集計中でございます。
  73. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これはあなたに御希望申し上げまして、省義としておきめ願うような努力をしてもらいたい。やはり十人のうち九人は届け出ないので、どこにおるやらわからぬということでは心細いのです。でありますので、日本人ですから、あるいはまた何年間にかりにどこに移動をいたしましても、調査すればできるのですから、実態把握というものを前提にしまして、いまの段階は重要な移住国策というか、新しい再検討の時点でないか、こう思うのであります。そうしませんと、今後新しい現象として最近生じました技術移住、こういう傾向に対しましても、あるいは将来の教育の問題にしても、現在における保健衛生の問題にしても、経済活動発展の問題にしても、あるいは内地の先ほど論議されております人口問題との相関の関係においても、あらゆる角度から見まして、国はやはりもっと移住政策というものの基本的な立て方、あり方というものをはっきりせねばいかぬ。そのためには、やはり前提になる人間をちゃんと掌握していなければならぬと私は思いますので、これはあなたのほうの省議といたしまして、徹底的に、できるだけ早い期間に一切を検討、把握し尽くして、これを前提にいたしまして、今後の計画を立ててもらいたい。そうしませんと、たとえば事業団法の一条なんかに、移住振興に対する諸般の対策など、そういう興業などを効率的に行なうというようなことをうとうてもありますけれども、やはりそういうふうな具体的な面におきましても、私は今後非常に大事なことじゃないかと思います。だんだんと影が薄いような感じがしてならぬのであります。そういうことも思いますので、これはひとつ、あなたの独断でどうというわけにはいきますまいから、省議としておきめ願うように努力をせられることを御希望申し上げておきます。よろしゅうございますか。
  74. 高良民夫

    高良説明員 ただいまの私の説明の中で、在留届けを出す方がきわめて少ない、これに対して罰則がないということを申し上げました。そのとおりでございますが、これは在留邦人が、したがって十人に一人くらいしか所在がわからないという意味ではございませんで、届けが出なくても、やはり、いろいろさっき申し上げましたような、日本人の、あるいはそれぞれのってをたどりまして、相当の種皮はわかっておるわけでございます。ただ、非常に移動の激しい人々もおりますから、御指摘のとおり、困難があることもまた事実でございますが、これはあらゆる政策の前提といたしまして、御趣旨のとおり、努力するようにいたしたいと思います。
  75. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 事業団の代表の方にちょっと伺いますが、海外移住事業団の国内におけるPRと申しますか、宣伝は、一体何を対象に、どういうふうになさっておるのですか、ちょっと要点だけ述べていただきたい。長いなには要りませんから、時間がないから簡単でよろしゅうございます。
  76. 太田亮一

    太田参考人 御説明申し上げます。  国内におきましての海外移住に関します知識の一番啓蒙対象にいたしておりますところは、やはり長期的に見まして、日本人が今後海外に対する認識を深め、親近性を持ち、そして自分がある年齢に達しましてから、将来の方向をそういったところに求める人たちが出てくるということを考えまして、青少年への働きかけを非常に重点に置いております。これは文部省との関係もございますけれども学校教育の中で、これは面接すぐに移住ということではございませんが、海外に対して正しい認識を持ってもらうということで、海外教育という問題を、これは文部省のほうにも取り上げてもらうように、いろいろ外務省のほうからも話し合いをされております。そのほかは、ある程度地域的に、たとえばその地域における農業が今後非常に問題になっておるというようなところ、あるいは水没その他のために今後もうそこでは農業ができなくなるというようなところがございます。そういった特定の場所をねらい、そういうところの方々で、今度海外に出て大いにやられるあれはないかというようなところへのPR、これはごく個別的なものでございますが、そういう形でやっております。
  77. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、一般的な古伝ということもさることながら、やはり落ちつくところは、具体的にこの方面に移住してはどうかというようにすすめてあっせんするような態度で臨む、こういうことになるのですか。
  78. 太田亮一

    太田参考人 二種類あるわけでございますが、一般的なやり方としまして、たとえば移住関係でも、ブラジルならブラジルで、こういうような形で皆さんの先輩がやっておられるといったような現状の宣伝と申しますか、啓発でございますが、そういったようなことを通じまして、一般にあそこなら行ってみたい、あそこならやれそうじゃないか、こういう気持ちを持ってもらうという形の場合と、それからもう一つは、具体的に今度はあと相談あっせんのほうになりますけれども、じゃどこか行ってみたい、こういう形で御相談に来られました場合に、あなたの条件でいえば、こういうようなところでいいのではないか、こういう形で行った人が、こういう形でやっておられるからどうだろう、こういうぐあいの形でおすすめする二種類の形でやっております。前者の場合は、一般的に気分をふるい起こすという意味での積極的な施策、こういうふうに考えてもよろしいかと思います。
  79. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そこで、現状から見ますと、やはり数量的に見ても農業者移民が一番重要であるかとも考えますが、そこへあらわれたあなたのほうの報告等によって見ますると、そのうち、いわゆる雇用農民が断然多いらしいですね。現状は雇用農民であって、単身者が相当あるようですね。そういたしますと、雇用農民、つまり雇われ人、労働者、単身者、これは未婚者、こういうことになるのでございましょうね。といたしますると、この人らのやはり独立への指導、導き、援助というもの、その条件の点と、それからまた、先ほどもちょっと問題に出ておりました家庭を持つ問題、この問題は相当真剣に、かつまた総合的に、全体の問題として取り扱っていきませんと、一々総領事館に相談するとか、そんなちっぽけな問題ではございませんし、またどこかで写真見合いをして破談になったというようなことではなしに、できるだけよい機会を与えるということにあらゆる手を尽くして、そうして失望なからしめるような将来のよりよい家庭生活を建設し得るよらな、そういう指導が重要でないか。ことに大きな距離を隔てた地域に住む青年でありますので、これが日本人のよいものを失ってしまって、そうして別の世界へ投入する人生感を持ち得るというのでなしに、望むらくは日本の一番よいものを持ちながら現地の世界に融合して、よりよい民族性を発揮して、健康なそういう家庭の建設ということになると、これは容易ならぬ仕事でございますけれども、これについては相当大がかりな総合的な施策を実際にやらねばならぬのではないか。これは一体、事業団にやらせておいていいものだろうかと実は考えております。もっとも外務省ができないので、事業団にやらせているんだというようなふうにも、事業団のそれを見るのでございますが、そこらについての配慮はどうでございますか。それはどういうふうにお考えになるのでございますか。
  80. 太田亮一

    太田参考人 御指摘のように、雇用で行きます青年が非常にふえているということでございます。実際問題といたしまして、もうすでにある程度の年齢で、子供も何人かあるというような家庭の、農業の御主人といいますか、世帯主が出られるケースが非常に少なくなっておりますのは、一つは、これはよく言われることでございますけれども、戦後に引き揚げて来られた方々の中で、再び海外に出ようという人たちが、大体底をついたと申しますか、なくなった。またそれらの方々がすでに戦後二十年を経過いたしまして、相当の年齢に達せられておるということで、いわば時代がその次の世代に変わってきておる、こういうように考えられるわけであります。それでこういった青年たちが現地へ行かれます場合に、これはある意味では、相当の年輩の家族連れの方々よりも、現地へのとけ込み方は非常に早い。のみ込みが早い、あるいは身の変わり方が早いというようなことで、むしろそのほうが今後の問題といたしましても成功の可能性は大きいんじゃないか、こういうふうにわれわれは期待しておるわけであります。そこで、いままで毎年国内での移住者に対する講習訓練を私どものほうでやっております主体は、全部こういった青年の移住者でございます。この人たちに、長きは一カ月以上にわたりまして、現地事情、さらに現地で必要とするような技術面の訓練を行なって、それから出てもらっております。今後も、こういった面の質の向上と申しますか、あるいは向こうへ行かれてからすぐに自分の腕前を発揮できるような基礎知識を十分身につけてもらうということに力を注いでまいりたいと思っております。さらに一番問題は、向こうへ参りましてから、今日までの例でも、最低四年くらいは独立までに時間がかかるわけでありますから、その間にある程度現地状況になれ、そこで若干は自分のかせいだものもたまって、そして自分を雇ってくれた主人との信用関係、これもできまして、そういった方々援助を得て、独立用の土地を購入して一人前になられる、こういう事例になっております。  そこで、まず適当な雇用条件、これが一番大事でございます。これはパトロンといいますか、雇用面のほうの、いろいろな本人に対する将来の援助等のやり方とも関連するわけでございますけれども、相当程度の給料といいますか、これを払っていただかないと、青年がへたをするとただ働きで四年、五年済んでしまうということではあとへつながりませんので、そういう面での適当な給与をまず払ってもらうように、これは条件のほうで、私どもあっせんいたします場合に特に気をつけております。それから、今後の独立される場合の援助という問題になりますと、必ずしも一律にはまいりませんけれども、雇用主の方々のできるだけの御好意を期待しておりますとともに、事業団のほうといたしましても、青年移住者が非常にふえてまいりましたので、この人たちの数カ年たってからの独立の姿というものを一応想定いたしまして、そしてこれに対する必要な手の打ち方というものを体系的に考えるべく、現在研究を進めているところでございますが、いままですでに具体的な事例として、土地購入資金をお貸しした事例は相当ございます。  それから最後に、実は花嫁の問題でございますが、これはよく話は出るのでございますが、一番めんどうな点は、移住そのものは、御本人の決心ということでまず実を結ぶわけでございますが、結婚問題になりますと、これは二人の合意がなければなりませんので、一人だけできめてもどうにもならない。そこに、実はいろいろむずかしさもございますし、また現実に結ばれたあとでのトラブルも出てくるわけでございます。それからもう一つ、これは現地受け入れ側のほうの感覚といたしまして、その土地におる人たちを相手にしないで、自分たちの配偶者をわざわざ日本から呼び符せるということに対して、必ずしも抵抗を感じないではおられない、そういう感情を持たれるところもあるわけでございます。これを公的な機関でもって大々的にあっぜんをするというような形というのは、ちょっと微妙な点がございまして、私どももそこまで踏み切れておりません。そこで、いろいろ現地におきます県人会でありますとか、あるいは先ほど全拓連のほうで話が出ましたが、ああいう形で、農業協同組合の提携でやっておられますような青年移住者については、これは現地農業協同組合日本の農協との提携ということで、いろいろなルートがついております。そういった面を通じての嫁さがしでございますとか、あるいは、国内に海外向けの花嫁を育てる機関が幾つかございますが、そういったところとの結びつき、こういった横の連絡をできるだけお互いによくしまして、そうして表立って大きな旗を振ってやるということでなしに、できるだけ進めてまいりたい、かように考えて、事業団としては対処しておるところでございます。
  81. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 問題を並べますから、一、二分だけで答えてくださいませんか。海外移住事業団は、いわゆる特殊法人かどうか、それが第一点。それから検査院の方に伺いますが、実地検査をあまりされぬらしいですね。予算の都合上できないということを言っておりますが、必要ならば予算を要求して、なさるほうがいいのじゃないか、少なくとも隔年ごとに外に出て調査するほうがいいのじゃないか、もっと効率的に事業を行なわしめる意味におきましても、その必要がある、こう思いますが、この二点を一分間で答えてください。それで終わります。
  82. 佐藤三郎

    佐藤会計検査院説明員 いまのお話でございますが、私のほうとしても、実地検査の必要性は、先生おっしゃるまでもなく、痛感しておりまして、予算要求としては、大体毎年出ておるのでありますが、そのときそのときの財政状況によりまして、実現していないという状態でございます。本年も、もちろん概算要求としては、要求するつもりで出してございます。
  83. 太田亮一

    太田参考人 事業団自身といたしましては、これは検査を受ける立場でございますが、内部的に監事もございますし、そのほかに、監査室というものを設けまして、ここで自発的な内部監査をやっております。国内の地方事務所、センター、本部、これにつきましては、交通の便利もよろしゅうございますので、大体一年のうちに全部回れるくらいにやっておりますが、海外のほうも、ここにおられる筱山監事、もう一人の塩谷監事の二人が、大体交代で毎年一回現地のほうへ出まして、支部業務を監査してこられる、こういう体制をつくっております。
  84. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私の質問の趣旨が徹底しなかったのですが、これは行政管理設置法二条で、行政管理庁の監察の対象になる法人かどうか、それを聞いたのです。イエスかノーか、どっちですか。――もしわからなければ、よろしゅうございます。
  85. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 海外移住事業団が、行政管理庁の監察の対象になっておるか、こういうことを尋ねているのでしょう。
  86. 筱田正大

    ○筱田参考人 いまおっしゃられるとおり、監察の対象になる法人でございます。
  87. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 終わります。
  88. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参考人には、お忙しいところ、長時間御協力いただきまして、ありがとうございました。      ――――◇―――――
  89. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 昭和四十年度決算外二件を一括して議題といたします。  外務省所管について審査を行ないます。華山親義君。
  90. 華山親義

    ○華山委員 先ほど、新聞にインドネシアの大使館の建物の問題が出ておりましたが、その新聞の内容等いまここで申し上げませんけれども、インドネシア大使館が建築されるまでの経過と、特に資金の問題を中心として、簡潔にお答え願いたいと思います。
  91. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 インドネシア大使館の建設の経過につきまして御報告申し上げます。  建設の順序は、大体昭和三十八年ごろ整地工事を始めまして、くい打ち、主体工事は大体三十九年から四十年にかけて行ないまして、仕上げをして完成いたしましたのは、四十一年の十二月二十八日でございます。問題は、この間にありまして、当初、大使館の事務所の最小必要限度の建物を建てるということで、大蔵省に予算要求いたしまして、したがってその見合いといたしましての予算額は、約二億一千万円でございます。その二億一千万円の範囲内で大使館の事務所を建設する、というふうな方向で仕事を進めたわけでございます。その間にありまして、これは主としてインドネシア側の要求によりまして、大使館の建物の建つ通りは、インドネシアにとっては非常なメーンストリートである、そこの建物は一様に九階の高さのものにしてほしいという要求がございまして、現にその通りに建っております。ほかの大使館、たとえばドイツ大使館というようなものは、九階建ての工事をしておったわけでございます。そこでわれわれといたしましては、できればそのような大きさで建物を建てたいということで、予算の追加要求その他について大蔵省を打診したわけでございますけれども、財政その他の事情によりまして、その点は無理であるということになったわけでございます。ところが、その話を聞きました、当時ジャカルタにおりました日本の商社そのほかの民間団体が、その点については、日本商社並び民間団体の全体の利益といいますか、インドネシアに対する日本の国の権威を維持する大きな問題であるので、われわれとても無関心でいられないということでございまして、寄付の申し出がございました。この寄付の申し出は三十九年七月三十一日でございます。この寄付の申し出と申しますのは、要するに外務省が国家予算で建てる建物というものは、この通りにとっては非常に規模の小さなものであるから、したがってそれを補足するといいますか、そういう建物を寄付したいということでございまして、この寄付の申し出が、国有財産を寄付するという形でなされたわけでございますので、外務省といたしましては、直ちに大蔵省の国有財産局に協議をしたわけでございます。これが三十九年の八月十七日でございます。大蔵省当局が御検討になった結果、三十九年の九月十七日に、そのような寄付の申し出を、外務省は引き受けてよろしいという大蔵省からの同意が参りました。そこでその旨を、商社、民間団体の代表に通報したわけでございます。そこで商社側は、日本大使館の事務所の建築と並行して、九階建ての建物の工事を開始いたしまして、そしてその建物は、先ほど申しました大使館の事務所の完成にややおくれまして、大体四十二年三月になって完成いたしております。四十二年の三月に完成いたしました九階建ての部門につきまして、今度は正式にこの建物を大使館に寄付したいという申し出がございましたので、この具体的な案件を再び大蔵省に協議いたしまして、大蔵省の許可を得て、この寄付を引き受けることになったわけでございます。次いで四十二年四月でございますけれども、この建物の部門について、大使館が、さしあたって館員の規模その他からいって、全部使用することがないということがわかっておりましたので、商社の代表の団体から、この建物の寄付した部門について使用の許可を願い出てまいったわけでございます。そこでこの問題は、国有財産の一時使用を許可するかしないかという問題でございますので、これも法律の規定に従って、外務省から大蔵大臣に正式に協議をいたしました。これが四十二年五月二日でございます。次いでその五月二十五日には、大蔵省から正式の同意が参ったわけであります。そこで外務省といたしましては、大蔵省当局と協議をいたしまして、それから関係規定に照らしまして、四十二年の六月一日に使用の許可をいたしたわけでございます。現在、その使用の許可に基づきまして、十一社の商社並びに民間団体が、この国有財産の一部を使用しているわけでございます。
  92. 華山親義

    ○華山委員 今後ともそういう事例が多いわけでございますし、特に外国等におきましては、そういう高層の建築物というふうなことになりますと、非常に金がかかるという実態があるわけでございます。  大蔵省にお聞きいたしますが、そういう場合には、今後とも民間の寄付をもらってお建てになるつもりですか。
  93. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 きょうは大蔵省は来ていないのですが……。
  94. 華山親義

    ○華山委員 それでは、外務省にはあまり問題はないのですが、とにかく大蔵省に対して働きかけたのは外務省なんですけれども、今後とも在外公館を――日本は在外公館をあまり持っておらない、今後建築する部分が非常に多いと思うのです。昔のことを言っては悪いのですが、南京に大使館をつくるというので、たいへんな設計を私の時代にしたことがあるが、財界から金をもらってやろうというようなことは考えなかった。今後とも、そういうふうな外務省の御方針ですか。
  95. 田中榮一

    ○田中(榮)政府委員 私からお答え申し上げますが、外務省がインドネシアの大使館を建設します当時、やはり国家予算として二億一千万円を計上いたしたのでございまして、当初におきましては、もちろん財界から寄付を受けるというような意思はございませんでした。もちろん国家予算だけで建設するたてまえで進んだわけでございます。ところが、先ほど会計課長から説明がございましたように、インドネシアのジャカルタの建築事情からいたしまして、その場所は非常に目抜きの場所であり、将来そこは九階建て、五階以上でなければ建設を認めたくないというような特殊事情がございまして、日本としては五階建ての建設で進む予定でおったのでございますが、そうしたその土地のやむを得ざる事情で、ドイツ大使館が九階建てであるので、日本もドイツ大使館よりは低い大使館では困るというので、ドイツ大使館に右へならえしまして、九階建てに持っていくために、やむを得ずとった措置でございまして、今後は、やはり国家予算で建設するのがたてまえだという方針で進んでいきたいと思っております。
  96. 華山親義

    ○華山委員 ドイツ大使館は、何か民間から寄付をもらって建てたのですか。
  97. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 私どもの聞いておりますところでは、ドイツの場合は、全部ドイツの国家予算のようでございます。
  98. 華山親義

    ○華山委員 大蔵省がいないからしかたございませんけれども、そういうことに大蔵省がけちけちするのは、私はいけないと思うんですよ。しかもそれが、国民一般からとかいうこともできないでしょうけれども、一定の特別な国と関係の深い、営利関係が深いような大企業から寄付をもらってやるというようなことは、私はこれは避けなくちゃいけないんじゃないかと思う。これが前例になるおそれがありますので、私はその点を申し上げるわけです。  第二番目に伺いますが、これは一つ一つの商社が部分部分的に建てたわけではないんで、一まとめにして建物を建てて、国に寄付をしたという形でございますから、何らかそれを建てる主体があったと思うのですが、それは何でございましょう。
  99. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 先ほど申し上げました商社、民間団体の代表ということでございまして、日本ジャカルタ会というものが当時結成されたわけでございます。その日本ジャカルタ会というものが、各商社、会社の希望を集めまして、そうしてこの建物の建築及び外務省に対する寄付を行なったわけでございます。
  100. 華山親義

    ○華山委員 念のために伺いますが、外務省なりあるいは大蔵省なり、あるいは通産省なり、そういうところが財界に、こちらから話を持ちかけたという事実はございませんか。
  101. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申し上げます。さような話は承っておりません。
  102. 華山親義

    ○華山委員 この土地は借りている土地ですか。いかがでですか。
  103. 内田宏

    ○内田説明員 これは、インドネシア国の土地を借りております。
  104. 華山親義

    ○華山委員 私は外国のことはわかりませんけれども、その面において、この土地を借りるということについての権利関係あるいは登記関係等は全部完了いたしておりますか。
  105. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申し上げます。  日本側におきましては完了いたしておりますが、インドネシア国政府との間におきましては手続中でございまして、いまだ完了しておりません。
  106. 華山親義

    ○華山委員 ずいぶん前の話ですけれども、両国間でまだ話がまとまっていないというようなのはおかしいような気もいたしますけれども、時間もありませんから詳しいことを聞いていられませんが、どういうことです。
  107. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 インドネシア側におきましては、これは日本のほか、関係各国がインドネシア側と交渉中でございまして、日本だけが、まあかってにと申しますか、独自で交渉するわけにまいりません状態にありまして、各国が足並みをそろえて、この辺の土地の地代その他について交渉中でございまして、その関係と、それから御存じのような政変その他の関係で、手続がおくれているわけでございます。
  108. 華山親義

    ○華山委員 そういうふうな商社を入れている、商社から番付をもらって商社を入れている、そういうふうな問題について、今後いろいろな交渉の面で、インドネシア政府との間に支障の起こるようなことはございませんか。
  109. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申します。  ただいま華山委員からの御質問につきましては、国有財産の一部を商社が使っておるということにつきましては、インドネシア政府は十分承知しておりますし、それから本件の国有財産中、両社に一時使用を許可している部分につきましては、インドネシアの地方税というものを向こうが請求いたしまして、それを使用しております商社が払っておるということにつきまして、ですから、向こうも十分、その国有財産の一部を民間会社が使っておるということは承知した上で、徴税もいたしておる次第でございます。
  110. 華山親義

    ○華山委員 この建物は、国有財産法から申しますと、行政財産ということになるわけでございますか。――行政財産だといたしますと、これは貸すわけにはいかない。法律に禁止しておりますから、貸すわけにはいかぬ。使わせることができる、こういうことでございますね。まあ使わせると貸すとの間の違いは微妙でございますけれども、だから、貸しているのではなくして、使わせているのだ、こういうような考えでございますか。
  111. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 そのとおりでございます。
  112. 華山親義

    ○華山委員 使わせているということになりますと、これは貸しているのと違いまして、いつでも立ちのきを求めることができるわけですね。そういう法律関係になると思いますが、そういうふうに了承してよろしいんでしょうか。
  113. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申し上げます。  ただいまお答え申し上げましたように、これは一時使用許可でありまして、一時使用許可には条件がついておりまして、これは一年で更改するという条件がついております。
  114. 華山親義

    ○華山委員 大蔵省がおりませんから、はなはだ残念でございますけれども、私はそこがおかしいと思うのです。金をもらって建物を、寄付してもらって、一年たったならば、都合が悪かったならば出ていくんだなどということは、実際問題として私はできないと思う。そこに政府のやり方が、ことばが悪いかもしれませんが、便法的といいますか、ずるさがある。できないでしょう。金をもらって建物を寄付してもらって、じゃ、ちょっとこちらが使うまでは、ひとつ使っていてもよろしゅうございますよという、しかもそれが一年限り、来年になったならば、今度はあそこを何か使うから、ひとつことし限りで出てくださいというふうなことは、これはできるんでしょうか。私は実際問題として、法律的にはできても、それはできないと思う。そこのところに役人らしい、小手先のことがやられているのじゃないか、私はそう思わざるを得ないのでございますけれども、どうでしょうかね、次官。そんなことができるものでしょうか。
  115. 田中榮一

    ○田中(榮)政府委員 これは、いま華山委員のおっしゃいますとおり、使わしておるということでありますから、貸し付け規程に基づきまして、一年限りで更改をする、一年たったら出ていけということは、理論上はできるのでありますが、ただ御存じのとおり、ただいまジャカルタ市内の建築状況が非常に悪うございまして、それで実は、九階建ての大使館に入る前の日本の商社の状況というものは、きわめて貧しい民家を借りまして、まことに商社としてていさいの整わないような貧弱な民家を借りておりまして、そしてようやくこの建物に入ったわけでありますが、まあ商社のほうも、同じところに軒を並べて商売しているということは、商売上から言うとあまり有利でないようでございます。できれば他に適当な商社で借りられる建物があるならば、商社側も出たいというのが本意であろうと思っております。したがいまして、ジャカルタ市内の建築状況がいま少し回復いたしまして、商社が入る建物がこれからどしどしできてまいりますれば、おそらく商社側のほうで出ていくのじゃないか、まあこう考えておりますので、それまでの間は、やむを得ずこの商社を収容して、営業を継続せしむるほかはないと考えておるわけでございます。
  116. 華山親義

    ○華山委員 利用させている相手方は、いま何とかおっしゃった、ジャカルタ会ですか、それに貸しておるのですか。
  117. 内田宏

    ○内田説明員 正式の名称は、当初はジャカルタ会と申しましたが、その後名前を変えまして、スラマット会ということになっております。
  118. 華山親義

    ○華山委員 そこに貸しているんですか、商社一軒一軒に貸しているんですか。
  119. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 商社一軒一軒でございませんので、いま申しましたスラマット会に、一時使用を許しているわけでございます。
  120. 華山親義

    ○華山委員 そうすれば、次官がおっしゃったとおり、それは出たい出たいと言ったって、一社でも二社でも出ていかない間は、貸しておかなければいかぬわけですね。それでは何年たつかわかりませんよ。そんな、法律を抜けるような、一年一年だから、この普通財産の法の第何条だかでやるんだなんということは、役人らしい最もずるいやり方だと私は思う。
  121. 田中榮一

    ○田中(榮)政府委員 それは貸し付けの相手方がスラマット会ということになっておりまして、そして実際契約の恩恵を受けるものは個々の商社になっております。したがいまして、もしその個々の商社が、他に建物があって、それから転出したいという希望のある向きは、スラマット会を経由して、その旨、大使館との交渉によりまして、出ることは自由でございまして、これはいつでも出られることになっております。
  122. 華山親義

    ○華山委員 そういうことを申したのではなくて、貸したのがスラマット会というのですから、その中で商社が二社でも三社でも、まだ借りていたいんだと言う間は解約できないでしょう、部分的には解約できても。それだから、いつまでたっても貸しておかなければいけないという状態が出てくるのじゃないかということを申し上げた。ですから、一年一年で解約して、そのとき出ていくなどということはできないことがわかっていて、契約しているのです。そういうふうな不親切な国有財産の管理というものは、私はおかしいと思います。大蔵省がおりませんから、その程度に……。
  123. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ちょっと私から聞きますが、大蔵省から借りたんでしょうね。外務省から借りたんですか。国有財産だから……。
  124. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 国有財産でございますので、外務省の行政財産でございますので、外務省の所管ではございますけれども、法律その他の主管庁は大蔵省でございます。こまかいことは、大蔵省と一々協議してやっております。
  125. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 貸した当事者は外務省ですか。
  126. 内田宏

    ○内田説明員 貸したというのは……。使用許可を与えた。使用許可でございまして、貸してはおりませんので、国有財産の一時使用許可でございます。
  127. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 使用貸借でしょう。賃貸借にあらずして、使用貸借でしょう。
  128. 内田宏

    ○内田説明員 使用許可でございます。
  129. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そんなものあるかな。使用貸借だろう。  もう一つは、いま言うスラマット会に貸したのなら、いま使っておるのは第三者が使ってるんですね。それはどういう関係になっていっておるんだろうか。それが一番めんどうだろうと思う。そういうことは認められておるのかどうか。
  130. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 これは使用許可でございまして、一般的な行政許可でございます。その許可の対象が、申請してきましたスラマット会でございます。スラマット会の申請に使用の目的を書いてございまして、その使用の目的の範囲内で使用をしろという許可を与えたわけでございます。
  131. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その範囲は、何々何々商社と、こう羅列してあるんですか。
  132. 内田宏

    ○内田説明員 十一社併記されております。民間会社十一社、銀行とか航空会社も入りまして……。
  133. 華山親義

    ○華山委員 要するにこれは、委員長も申されましたけれども、民法上の問題ではなくて、ただ使わせますよという行政上の問題だと思うのです。それだけに、借りているほうも民法上の保護も受けられませんし、明いものではありますけれども、一ぺん金を取ってつくったものですから、使わしてくれと言ったときに、おれの都合が悪くなったからもう使わせないよと言ったって、かってなことはできないじゃないか、こういうことを申し上げたわけでございます。  さて、このようにしてでございますが、新聞その他で見ますと、在外公館としての特権は、これはだいじょうぶでございますね。
  134. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申し上げます。  いわゆる外交特権、不可侵権は、現在大使館が使用しております一、二階の部分にだけ及びまして、その他、商社の使用している部分には及びません。このことにつきましては、先方インドネシア政府も存じております。
  135. 華山親義

    ○華山委員 廊下が通じたりなんかしておりませんか。
  136. 内田宏

    ○内田説明員 その点につきましては十分に配慮いたしまして、大使館の事務所として使用している部分と、それから商社に一時使用許可をしている部分は、完全に遮断をいたしておりまして、入り口も別でございますので、大使館から商社に行く場合は、一ぺん大使館の事務所を出まして、回って商社側の入り口から入っていくというところの配慮をしております。
  137. 華山親義

    ○華山委員 ここにはいれなかった、小さな商社等に、いろいろな不満があるとかいう話も聞きますけれども、その点どうなんです。
  138. 内田宏

    ○内田説明員 お答え申します。  これが完成しました当時、申請が出ましたのは十一社でございまして、ですから当時出ました申請者に対して全部この使用許可を与えたわけでございますので、その後われわれとして正式に使用申請というのは受けておりませんが、もしそういうような声がありましたら、将来において考慮できると存じます。
  139. 華山親義

    ○華山委員 考慮できるといっても、一社ではなかなかむずかしいのかもしれませんね。スラマット会ですか、何とか会に入らなければ申請はできないのかもしれませんし、またその会はそういうものを排除するのかもしれません。そういうふうなことで、日本の役所が、ある大商社、そういうものと結びついているという唯一の実態を示しているということは、私は考えものだと思う。  大蔵省がきょうはいらっしゃいませんから、お聞きすることはたいへん中途はんぱになりましたけれども、私は大蔵省になお今後お聞きいたします。外部から寄付を受けるということは、昭和二十三年かに閣議決定があって、厳重にこれは制限している。自分のところは予算を出さないから寄付をもらいなさいなんということは、みずから閣議決定を破るものであり、こういうことをやりますと、情実が出まして、非常に困る事態が出るのではないかと思います。きょうは大蔵省が来ておりませんので、その程度にいたしておきます。  それから、非常にしつこいようですが、次官がおいでになりましたので、ちょっと申し上げておきますけれども、私が問題にいたしましたベトナム協会の問題でございますが、過日この委員会で、厚生省を審議した際に、赤十字社と憲法第八十九条との関係を法制局からよくお聞きいたしました。それで、それと関連いたしまして、具体的にいえばベトナム協会でございますが、その問題につきまして、法制局の所見は、私との間の所見は次のようなものでございます。  ベトナム協会に対して外務省が金を出した、あのことにつきまして、憲法では、委託金だからいいとか補助金であるからいいとか書いてない、支出をしてはいけないと書いてある。したがって、ベトナム協会は公の支配に属しないものであるということは、法制局でも言うとおり、明白なんです。だから、外務省がベトナム協会に金を支出したということが憲法違反でないということのためには、ベトナム協会のやった仕事が、憲法に定めるところの慈善あるいは教育というものではないということでなければ、これは憲法違反にならないということにはならない、こういうふうな結論でございます。  そこで、これは私の一方的の発言でございましたけれども、ベトナム協会の定款には、大量に自分の使うもの以外のものを貰ったり、梱包をしたり、送ったりする規定がない。したがって憲法違反でないとするならば、外務省のやったことはきわめて不適当なものだ、こういうふうに言わざるを得ないということ、これは後段のほうは私の一方的なことで、法制局に同意を求めたわけじゃございませんけれども、そういうことになりました。そのときの議事録等もごらんくださいまして、憲法は基本でございますし、私ども、各官庁、政府、みな守っていかなければいけないと思いますので、その点今後十分に戒心をしていただきたい。このことを申し添えておきたいと思います。
  140. 田中榮一

    ○田中(榮)政府委員 ベトナムの救援物資につきましては、われわれも、できれば赤十字等にお願いすることが一番適当だったと思います。ただ当時、急場をしのぐために、非常に急いだものでございますから、やむを得ずベトナム協会に頼んで利用さしてもらいましたが、現在ベトナムにつきましてはそういうことをやめまして、直接政府としまして医療救護その他を実施いたしております。そういうことはもう絶対にいたしておりませんので、その点御了解をいただきたいと思います。
  141. 華山親義

    ○華山委員 時間も来たようでございますので、これで終わります。
  142. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 次会は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後一時五十三分散会