○吉田(賢)委員 その第三点につきましては、これは総理府の
青少年局もあることでございますが、総理府がいろいろな
意味において、
青少年問題の行政を総括している面もございますが、各省とも、それぞれと業務を分担しておいでになります。私は、各省とも、文部省にいたしましても、その他にいたしましても、そのような大きなかまえを根本的に打つということについて一致するように、そういうふうに強く主張していかねばならぬ。事後処理ばかり幾らいたしましても、これは百年河清を待つですよ。厳罰にするとかあるいは何をするとか、どうするとかいいましても、それはそれなりに力を入れておりましても、これは私はまことに至難なわざじゃないかと思います。でありますので、
法務省の業務
範囲で根絶を期するということは、それはできないかもわかりません。けれ
ども、行政ですからね。国の行政は、やはり全体総合統一的に、お互いが責任があるはずであります。内閣におきましては、
法務省は
法務省だ、文部省は文部省だといって、それぞれとお互いにお互いのことをやっておればいいというわけにはいきません。受けるものは
国民ですから、統一的帰一した責任は、この内閣が行政上持っているわけでありますから、それはやはり総理府なら総理府になとどこになと、いまお述べになった、私がお尋ねしましたようなそういう線に沿った、よほど雄大な
少年対策、施策が行なわれなければ、何ぼ口で言うておりましても
——何年か言うております。もう終戦後、
青少年の健全育成は述べ述べ述べてきておりますけれ
ども、一向改まらなくて、まことに凶悪の傾向が強くなるというのがあなたのほうの御
説明なんです。これは
説明にも弁解にもならぬ。かぶとを脱いでいるというのがいまの行政の態度ですよ。何か間違うている。何か間違うているというときは、根本的に反省が要りますよ。根本的に反省することなくして、一々
説明やら弁解ばかりしておってはいけません。極端なことを言うなら、職を賭してでもこれをやり抜くという考えを、行政官が持たなければだめですわ。マンネリズムにどこもかもなってしまったら、ますます惰性は悪い
方向に向いていくものだ、私はそう思います。マンモス東京になりまして、東京といなかは空気が違います。きょうあたりも、表にたくさんいなかから来ておりますね。子供がついてきております。それが何を見て帰るのかと思うと、私はぞっとします。純朴ないなかで育って、はち巻きしておとうさんが米の値上げのことで一生懸命になっておる。それはそうとして、帰りしなに銀座の裏あたりにこそこそと行くようなことで、何を覚えて帰るだろうかと思うと、私はぞっとします。会館あたりで、そういう
少年が何人かおりますと、そういうことさえ思います。それほどに、東京というところは複雑な
社会環境にありますから、こういうときに対処していきます
少年問題での行政施策、態度、行政のあり方というものは、まことに私は重要だと思いますので、いろいろと意見も加えましたけれ
ども、そういう観点から実は御意向を伺った次第なのでございます。
それで、さっき言いました不良文化財の問題、少し横へそれ過ぎたんですけれ
ども、この問題はどうも解決しないんですね。私は、映画館の全国的な何かの陳情をちょっと受けたときに、何とかもっとならぬものかという話をしてみたことがあるんですけれ
ども、とんとわれわれでは間尺が合わぬ。なかなかむずかしい問題らしい。しかし、映画だけとは申しません。すべての不良文化財につきまして、これまたほんとうに取り組んでいくということ、これもまた、
法務省が、わしの領域でないということになってしまうのであろうかどうであろうか。憲法の表現の自由とか、営業の自由とか、なんとかかんとかの自由と権利の主張で、どんなに
社会に悪い影響を与えてもいいというような、そういうことになっていいんだろうかとさえ私は感じるんですが、これはまた何か適切な具体的な
方法はないものでしょうか。
対策の問題です。