○
佐々木(良)
委員 特に私は最後に要望申し上げて質問を終わりたいと思います。
御
承知のように、
原子力というのは非常に危険なものであります。同時に、ウランも戦略物資であります。したがって、平和利用に懸命になっておられる
方々から見れば、思いも染めぬような疑いを
外国やその他からはかけられ得る危険性のあるものだと思います。これまでの
日本の
原子力行政といいますか
原子力政策、
原子力部門の発展の過程において一番
最初に取り組まれたのがコールダーホール一号炉であった。これは偶然でありますけれ
ども、プルトニウムの製造炉であることは御
承知のとおりであります。それからいま懸命に
燃料公社でやっておられる再処理工場の
計画は同様な意味でこれは幾ら言われても目下そう簡単にそろばんに合わないものであることは明らかです。それにもかかわらず、そろばんに合うと強弁をされて、この事業、この
計画を進められようとしておる。しかし少なくとも国際的にはいまあんなものはそろばんに合わないということは知っていると思うのです。さらに御
承知のように、プルトニウムの使用技術の
研究を進めるために、むしろこれが
高速増殖炉の一番中心にもなるわけでありますから、プルトニウムの使用技術
研究というのは一番中心に目標を立てなければならぬと思うのです。このようなコールダーホール、それから再処理工場、さらにいまのプルトニウムの使用技術の
研究開発というふうにずらっと並んできて、しかもその中に、これはそろばんに合わないけれ
ども国の利益のためにこうこうでやらなければならぬという
裏づけ政策がぴたりとしておらない。みんな個々ばらばらに
——説明は受けますよ。説明は受けますけれ
ども、コールダーホールをやるというときには、私はそろばんに合わないと言ったにかかわらず、皆さん御
承知のようにそろばんに合うからやりますと強弁をされた。それから再処理工場もそろばんに合うと称していま行なわれようとしておる。同じ意味で今度の
新型転換炉にしましても、プルトニウムにいたしましても、国際的に見れば当然に損失が伴う、リスクが伴うものだ。このリスクが伴うにもかかわらず、国としては産業
政策上こうやらなければならぬからこの損失はおれが負担するという、やらなければならない国の目的と、したがって、そのための損失は国が負担する、こういう
裏づけがあって初めて国際的に疑いを招かない基礎が
ほんとうはできると私は思う。その基礎が何にもなしに、そろばんに合うはずだからやれ、そろばんに合うはずだからやれ。しかも何だかやっているところを見ると、ごそごそやっているのは事業費という名において、
研究開発費という名において何だかおかしいかっこうの補助をしているらしいぞ、
電気会社に対しても
事業団に対してもそういう感じが出れば
——悪いけれ
どもプルトニウムというのは御
承知のように爆弾のもとだ。したがって、そのような国際的ないわれなき疑いを受ける危険性をなしとしない。その意味で私は、この
原子力政策に対しましては国の
政策として、国の
計画として、したがって、にない手が民間であろうが、
国家機関であろうが、原則としては国が損失を負担するんだぞというたてまえを明らかにされながら、その中の計算は
——人の見ておらぬところではどうでもいいじゃないですか。
電気会社が文句言うのなら、おれが出せといってもよろしい。しかしそのたてまえははっきりしてもらいたい。この間申し上げましたように、ドイツにおいても、イギリスにおいても、アメリカにおいても、みんなそれはそろばんに合わないから、そのそろばんに合わぬ高くついた部分は国が持ちますよ。民間の
電気会社がやってください、しかし高くついた部分は国が持ちますよという
政策を
裏づけにして推進をさせている。したがいまして、このような意味で私はぜひ
ほんとうに、銭がなければ出さぬでもいいから、そのたてまえを
政策上の
裏づけにしていただきたい。そうしないと円満な
原子力の平和利用産業を確立していくことが非常に困難になるのではなかろうか。これが第一点。
それから第二点は、一番
最初の質問のときに申し上げましたビッグサイエンスに対する取り組み方だと私は思います。長官からも抱負を承りましたが、基本的にこのビッグサイエンスに対する取り組み方のもとは、国際的な常識になっているのは、ビッグサイエンスは国の
計画でやれ。国の
計画で、しかも民の
能力は全部総動員して、民の
能力を国の
計画で合体させるところにビッグサイエンスの基本的な
政策の出発点があるというのが、私は言うならば目下の国際的な常識ではなかろうかと思います。このような方針をとろうとする場合に、
日本のいまのわれわれ政治家の責任も
相当のものでございますが、同時に、その
政策の立案のもとが
政府ということになっており、しかも
政府の中では大体役所が中心になって立てられるところから見ますと、これは従来の役所のシステムの中で、それに合わした
政策がつくられようとする意味で、このことが非常に困難になっておるような気がいたします。
日本の従来の
考え方によりますと、国の
計画というのは国の役人が自分でやるのだ、国の官僚が自分でやるのが国の
計画だと
考えられ、そして民間の
能力というのは、国からなるべく統制や規制を受けずに自由放任の
状態にしておいてもらって力一ぱい
能力を発揮するのが民間の
能力の発揮のしかただという、言うならば古典的自由主義の原則が民間産業の中にある。この民間産業の中にある、
政府はものを言うな、おれだけやらぜい、おれだけやらせいという自由放任主義的な
能力発揮と、それから
日本の役所の中の、民間なんかにやらしたらあぶなくてしょうがない、国の
計画、国の銭を使うのは国の役人が自分の目の届く範囲内で絶対に遂行するのだという従来の
日本の行政のシステムと、この二つは、いまのようなビッグサイエンスの時代を迎えて、ビッグサイエンスに取り組もうとする場合の最大の阻害要因になる危険性を感じておるものであります。
それから口をすべらしたことでひとつお聞き願いたいが、こういう際に、悪いけれ
ども、学者的論争と学者的偏狭というものが政治にとって非常にじゃまになることが多い。われわれはいま政治で遂行するのであって、
プロジェクトを実施するのであって、学理
研究をしておるのでもなければ、論争して、
外国の頭よりもおれの頭のほうがいいんだなんという証明をしておるわけでも何でもないわけでありますから、ひとつ今後長官がビッグサイエンスの時代を迎えて科学技術を推進されようとされる場合に、私が非常に言い過ぎた、暴言をはきましたことを御記憶いただきまして、新しい時代に即応する方針を立てながら遂行していただきたいことをお願いをいたしまして質問を終わりたいと思います。