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丹羽参考人 私、原研
理事長を拝命しましてからちょうど満三年と十日余りになるのであります。私は過去のいろいろな事実もできるだけ見聞
——見るわけにはいきませんでしたが、聞くべく
努力したのであります。そこで、いま御
質問がありました、いろいろなプロジェクトがあったのにかかわらずほとんど
成果をあげていない、あるいは立ち消えのようになってしまったという事実も
一つ、二つあるやに思います。
そのうちの
一つがいわゆるセミホモジニアスリアクターといいますか、半均質炉のプロジェクト
——はっきりプロジェクトとまでいっておったかどうかは知りませんが、そういうものが、かっては大いに有望視されてやりかけておったけれども、それが自然消滅してしまった。これはやめますということは、おそらく当時の
理事者から
原子力委員会には御報告か御承認を求められたことであろうと思いますけれども、一番大きな例がこの半均質炉であろうと思います。それで私、これがどうしてそういうふうになったのだ、今後の参考にもなるからという意味で、やや深く調べてみました。その原因はいろいろございましょうが、大別して二つあったと思います。
そのうちの
一つは、おそらくあれを始めたのはいまから五、六年前からだと思いますが、まず第一番にあげられる点は、これは原研の恥を申し上げるようではなはだすみませんが、
ほんとうに原研の所内の一致団結といいますか、所をあげての大事なプロジェクトである、したがって、これは各
理事はもちろんのこと、いろんなデパートメントがありますが、それらが
ほんとうにこれはひとつぜひやり遂げるのだということで、挙所一体的な完全なる
体制がなかったと、どうも言えそうであります。それが
一つ。
それからもう
一つは、例のビスマスというものを考え出した。これはいろいろな人に聞きますと、非常にむずかしい問題であって、あれを取り上げてやろうとしたこと、これ自身も非常にあのプロジェクトの完成を困難ならしめた原因の
一つではないかというようなことも聞いております。世界ではほんの一部分ある国で半均質炉的な
研究を続けておりますが、いま世界各国はあれにはあまり手をつけていない。当時は、一応理論上としては有望視されたようなものであったようでありますが、その当時はあまりいろいろなはっきりしたプロジェクトもなかったものですから、原研がむしろ自発的に考えて、
原子力委員会の御承認を得て始めたものではあったらしいのですが、いま申し上げたような理由、その他にもありまするが、十分なる
成果をおさめない前に、もうちょっとこれは望みがないからやめようというふうに原研の中で自発的に考えて、これはやめさしていただきますというふうにお届けしたというふうに考えております。
ちょっとこれは、いまから申し上げますことは、はなはだ差しさわりもありますし、いかにもなまいきそうに聞こえるかもしれませんが、ちょうど四年半ぐらい前に、いま先生がおっしゃいましたいわゆる国産動力炉の
開発というプロジェクト的なものをやれというディレクティブを当時の
原子力委員会から原研にいただいておりました。私がちょうど就任いたします一年半ぐらい前にそれが出されておりました。ちょうど私が就任いたしました直後ぐらいにその経過の中間報告が出てまいりました。それはもちろん、私もはなはだ無知でありましたけれども、できるだけ話を聞き、内容を読みしてみましたが、結論は出ておりませんでした。むしろこういう点が問題だ、こういう点が問題だという問題点を羅列しておったにすぎないと言っても差しつかえない程度の中間報告でありました。そこで私は、その後いろいろ内外の
方々、先輩諸公に御
意見を伺いまして、意を決して、私は就任直後、半年ぐらいたったときでありましたか、
原子力委員会のお
方々の前で、ああいう
原子力というものは日進月歩でありますので、当時はそういうことであろうということもよくわかりますが、原子炉というものはほかにいろいろなタイプがある。すでに世界各国でもいろいろな、ほかのもっと進んだような形のものも着々と実験的に進めておる。と同時に、
燃料政策というものも、ある型式の炉の
開発には非常に
関係がある。したがって、あるものだけをつかまえて、これをこういうふうに
研究開発をやれということでは、少し片手落ちじゃなかろうか、世の中にいま考えられておるいろいろな型の原子炉というものがある。それを総合的に、一貫的に、そして
燃料政策も取り入れた一まあ
燃料政策と一口に申し上げましても、いろいろなことが含まれておることは申すまでもありませんが、それらを一括して総合的に考えた上で、そのうちの
一つをまず、タイムスケジュール上急ぐから、こういう方法でやれということでなければいけないと思う、したがって、せっかくちょうだいいたしておりましたあのディレクティブもあわせて、もう一度原研としましてはこういうふうに進むべきものであるということを立案さしていただきたいと思います、ということを申し上げたのであります。したがって、例の国産動力炉というものはあのとおりのやり方ではやらないということに、その後
原子力委員会がお持ちになりました動力炉
開発懇談会というもので一応の結論を出され、私、一昨年暮れには
原子力委員会の御命令で先進諸国の
原子力機関なり
研究所なりの
現状はなぜそうしているか、どういう理由でそんなことをやっているかというようなことを調べさせていただきまして、帰ってきて、ある結論を提出いたしました。幸いにしてその結論にほとんど近いような結論を昨年の初めに
原子力委員会はおきめになりまして、ただいまではすべてのものがその
方向で進んでおるというようなことでありまして、四年半ぐらい前に一応お示しいただきましたいわゆる国産動力炉
開発というプロジェクトは、むしろそれを何と申しますか中絶的な形にさせた犯人の一人は私であろうと思います。
その他、先ほど
石川先生がおっしゃいました
科学技術振興に関する基本的問題につきましては、私、長らく
科学技術会議議員をさしていただきまして、臨時行政
調査会における
科学技術行政改革案を立案する班にも属しまして、すでに答申はいたしております。その中で、先生の御
質問のありましたことについては申し上げたいとも思いますけれども、
質疑応答の形でありますので、あえてここでは述べることを御遠慮申し上げます。