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佐々木(良)
委員 たいへん重要なことだと思うのです。
ほんとうは私自身も
政策的には
丹羽さんのお
考えに近いのです。ところが説明を聞きますと、みんな
国産化するのだという説明になっておるものだから、
ほんとうにそうか、こういうふうに私は開き直りたくなりつつあるのです。
長官、こういうことらしいのです、私はわからぬのだけれ
どもね。たとえばいまは
燃料の話をしておりますけれ
ども、原子炉の場合には、
燃料イコール炉、炉イコール
燃料と
考えたら私はいいと思う。どうも炉の
一つの部分が
燃料みたいなことらしい。その中で、
先ほどの話のように、
燃料加工の
国産化、
燃料加工の
民間企業による
事業化ということは、いま
アメリカでもできておる、
日本に図面を持ってきて実用に供されておるそのものをそのまま製作できる、作成できる、こういうことらしいのです。そのことと、新しく設計をし得るかということとは、どうも別なことらしい。たとえば、炉で言いますと、東電なら東電の一号炉を入れます。東電の一号炉をGEで持ってくる。私は、
国産化といえば、一号炉で経験したのだから、二号炉は同じようなものはみな
日本でできるのだろう、こう思った。確かにできるとこの間
丹羽さんもおっしゃった。ところができるという
意味は、一号炉と同じものをつくれと言われたらできる。一号炉の図面によって一号炉と同じものを
日本の材料によってつくれと言われれば大体できるだろう、こういうことらしいのです。しかし、いまの日進月歩の
状態では、発電所をつくるのに一号炉をまず入れたら、二号炉を入れるときにはすでに能率のいい二号炉の設計に変わっておるのです。したがって、二号炉は一号炉よりももう少し能率のいい二号炉を据えつけたい。したがって、私は、
ほんとうの技術を習得するという
意味は、一号炉を入れて、
日本のメーカーが一生懸命これをつくるようになれば、それを少し改良発展させて、二号炉はもう少し能率のいい二号炉をみずからつくることができるのかと思ったのです。ところがどうもそうではないらしい。技術
提携、協力ということになって行なわれておるのは、たとえばGEと東芝との間に結ばれておるその
契約というのか、技術交流の内容はたぶんわからぬけれ
ども、一号炉の図面をそのままあげましょう。したがって、ほかの発電所でもこの一号炉と同じようなものをつくるならそれでつくりなさい。それが
国産化第一号、第二号、第三号同じものができるのでいいでしょう。それから今度は、もう少し上等な二号炉をつくる場合に、
日本でこの二号炉を入れる場合には、この二号炉の図面もまた都合によってはあげてもよろしゅうございますよ。二号炉をつくる図面を
日本の
技術者がつくり上げる能力を植えつけるということではなさそうなんですよ。
重工
業局長、ちょっと伺いたい。ややこしい問題を言おうとしておるのではないのです。私は、問題の理解ができないから、いま非常に悩みながら
考えておるわけであります。私の記憶によれば、いまの新鋭火力でも発電所を、たとえば新鋭火力の発電所を五つつくるといたします。それをずっと五年前から
一つずつつくってきたとします。その場合に、五年前につくったA発電所の一号炉は
輸入、それから二年目につくったB発電所の一号炉も
輸入、それから三年目につくったC発電所の一号炉も
輸入、それからたとえば現在に近い段階でつくられる何番目かの一号炉もまたたぶんGEかその辺の
輸入であるのではあるまいか。そうして、おのおの二号炉をつくる場合には一号炉と同じ二号炉をつくっておるのであって、同じ二号炉の場合ならば何ということはないから、初めてそれが
国産化できる。したがって、今度は三号炉を同じようなものをつくるという場合には、なるべくならば国のものでつくれ、したがって
外国のものは入れるなという理屈にはなる。しかしながら、毎年
一つずつ発電所がつくられるおのおのの一号炉が何で全部
輸入でなければならないか。それは、たぶん前の発電所の一号炉よりもことしの発電所の一号炉のほうが技術が
相当上等になっておる、変わっておる。このものがまだ国でつくれないのだ、こういうことらしい。したがって、たとえばいまの原子炉の場合でも、一号炉をつくる設計図を
日本へ持ってきて、そうして一号炉と同じものをつくれというならば、
日本の東芝でも何でも少し研究すればできる、こういうことらしいのです。だから、それを
国産化と言ってしまうのなら、私はそれでもいいと思う。だから、一号炉を入れて早くそれと同じものをつくれるようにしてしまえ、そして二度と再び似たようなものを入れるな、国でつくれるようにせい、こういう
政策は成り立つと思うのです。ところが、一号炉が完成したときにつくり上げる二号炉については、すでに同じGEの二号炉ではもう設計が変わっておって、もっと能率のいいものになりつつある。特に原子炉の場合には比出力というものが何かあるらしい。つまり同じ大きさの炉でも、発電力が大きいのだ。一号炉と二号炉とは同じ炉であって、一号炉が三十万キロであるのに二号炉が三十五万キロだというのだ。同じ大きさであるのに三号炉は四十万キロだというのです。それはさっきの
燃料との
関係において、
燃料の改善、改良が加えられ、同時にその炉のどこかの部分が改善に改良が加えられて二号炉の技術となり、三号炉の技術となってくる。したがって、
日本でつくる場合には、最初の一号炉をつくるときの
契約で一号炉の図面を上げましょう、だから一号炉と同じものを
二つでも三つでもつくることを
国産化するというのなら、それもやりなさい。しかし能率のいい二号炉はできませんよ。しかしながら、
契約の中で二号炉、つまり三十五万キロが出る設計ができたならば、その図面もまた上げましょうという技術
提携になっておるらしい。何かよく聞くと、それが包括的技術
提携とか何とかというらしいのだ。要するに、それを非常に私流に割り切って
考えるならば、何のことはない、そうすると
日本の頭脳が入る余地はないじゃないか。一号炉の図面をもらうときに、
日本人は手先が器用だから、ちょっとことばは悪いが、ちょこちょこっと
——ちょこちょこっとでもないかもしれないが、組み立てさえすればよろしい。それから今度はもう少し上等の、言うならば二号炉の図面を
輸入してくるというか、くれる
条件になっておる。二号炉をつくってもらえばそいつをまた手本にして二号炉みたいなのはすぐできるということであって、
日本人の技術の習得が一号炉を土台にして二号炉の技術を生むという習得のしかたではないという感じがするんです。そうすると、
政策のポイントは、いま
丹羽さんが
お話しになったようなことになってくるのだ。いまの
軽水炉に対して
国産化ということを言う、あるいは
燃料に対して
燃料の
国産化ということを言う。その
国産化という
意味は、言うならば、向こうででき上がった図面どおりのものをつくるのだ、創意くふうがあるのじゃなくて、向こうからできた図面どおりのものを一だけもらったら同じようなものは二でも三でもつくるのだ、これを
国産化と称する。しかし私の理解は、
ほんとうはもう
一つの
意味の
国産化で、技術自身を習得するのだと思ったのですよ。技術を習得し、その技術の上に
日本人の頭脳を加えて改良発展させて、今度は二号炉を創意くふうしてつくるんだ、こう思った。そうして、こうさせなければならぬと思った。私はわからぬけれ
ども、聞いてみると、大体ドイツの技術のやり方というのはそうらしい。要するに、国際競争に負けないために、これからはAEGがGEに対して戦いを宣しなければならぬ、負けてはならぬ、こういう感じのために、一号炉を入れたら、一号炉の中でぐっとともかく研究
開発をしていって、そこにはうんと銭をかけて、普通の
契約だけではくれないものを、図面をつくる能力までくれろ、図面をつくるところまで参加さしてくれろ、おれのほうはもっと特別出してもよろしい。設計書をつくる
——設計書もでき上がったものを手本にくれるのじゃなくて、設計書をつくるところにわれわれを参加さしてくれろ、技術を教えてくれろ。むずかしいのは炉心部分だか何だか知らぬけれ
ども、そんなことらしい。それを一生懸命に習得をして、それにドイツの創意くふうを加えて、ドイツは、ドイツ流の二号炉なり三号炉なりをつくろうという
努力をしている。私は、その
意味の
国産化をせんならぬと思ったんだ。技術を習得をして、その習得した技術は、次の改良発展のための言うならばエキスにならなければならぬものだ、こう思った。しかしながら、どうもそのあと、またあっちこっち聞いてみると、たとえば
軽水炉の技術の改良発展の進歩の速度というものは、いま
日本人が頭脳を加えて一号炉を入れてイロハから勉強してみても、とても
アメリカがいきおるのに間に合いはせぬ。だから、二号炉のちょっといいのができたらまたその設計図を、三号炉のいいのができたらその設計図も、こうもらってくるのでよろしいということになりそうだ。それであるならば、通産省の
政策も、一号炉の次に二号炉に似たような
外国のものを買うなということになるのじゃなくて、
安全性から見ると、やはり
一つずつは入れなければならぬということになるような気が私はする。一番技術に弱い私の理解でありますから、全然とんちんかんに理解をしておるかもしれないと思うのです。ひとつ重工
業局長のお
考えを承りたいと思います。