○
佐々木(良)
委員 私はいまの
有澤先生の
お話の中で、特に西ドイツと
日本とがこのごろ
技術で相当に差をつけられた
感じを持っておられること、これは非常に重大だと思います。同じように出発して、しかも、
原子力委員会みたようなものも同じように似た形をつくっておるものが、
日本では相当おくれてきたということ、この事実は相当重大なことだと思います。したがって、ひとつ
二階堂長官に、これは別の
意味でおくれておる実態をはっきりと私は把握されたいと思います。
原子力局長にお願いしておきたいと思いますが、
技術的に相当水をあけられておる状態を、何らかの形で説明できる資料をつくってほしい、これは口で言うたってなかなかわかるものじゃありません。しかしながら、私はある程度
材料を整えれば、やはり相当水をあけられた状態が出ると思います。どんな努力でその資料ができるか知りませんけれ
ども、五、六年の間に水をあけられたとするならば、その内容がいまどの程度違っておるかということをなるべく資料化してひとつ作成していただきたいとお願いしておきたいと思います。
それから、
長官、私は実際おくれておると思うのです。話に聞くだけですけれ
ども、同じように出発したドイツの
技術でありながら、ドイツのメーカーのAEGが、最近スカンジナビア半島のどっかの国際入札に
——軽水炉だったと思いますけれ
ども、実証炉の国際入札にドイツのメーカーが参加して、そして堂々と戦っておる状態、そのことと、いまの
日本のメーカーを
中心とした
日本の
技術の状態を比べていただければ、これは重大なことだと私は思うのです。この差はどうしたら埋まるか、こういうふうに
考えていくのが
原子力政策の進め方の第一歩でなければならぬ。発電機をつくるのは、
長官、あとでよろしいんだ。電気のほうは、これはわしが引き受けるから、また、ここ十年ほどの間に早く
原子力発電所をつくらなければ、電力が足らなくなって電力制限をするようなら、それはわしのほうで引き受ける。そうでなくて、十年後においてだんだん逼迫してくる状態のときに、
日本の
原子力発電所あるいは原子炉をつくれる
技術水準が国際水準に達しておって、そして堂々と国際的に取り組めて、したがって、国内のことはもちろん国内メーカーでまかなわれるけれ
ども、輸出の
産業とさえなり得る状態になり得るかどうかということが、
原子力に対するかまえの第一なんだ。
ところが、
ほんとうはそうでなくて、これまでのかまえというのは、いま
長官が
お話しになりましたように、発電
計画自身から話がくるものだからこんがらがってしようがないのです。そういう
感じを持っておるわけなんで、どうか、その
意味でひとつこの問題は真剣にお
考えをいただきたいと私は思うわけであります。
このドイツに
日本が水をあけられた
原因をいろいろ
考えてみることが、私は、おそらく新
長官がこのような
日本の
原子力政策を推進するための
考え方をまとめるに一番いい参考になるのではなかろうか、こう思いますから、いま有澤さんから
お話しのように、大きなプロジェクトにすぐ取り組んだということもありましょうが、そのほかにも私は理由があるような気がしますから、ドイツがなぜ五、六年の間にこれだけ進み、
日本はなぜ五、六年の間にこれだけおくれたか、この理由を、これは役人さんに調べさせればすぐわかりますから、ぜひ御検討いただきたい、こう思うのです。
その理由の
一つとして、私は、これまでの
日本の
原子力政策に取り組む
姿勢——姿勢という
ことばは抽象的ですけれ
ども、いま
長官自身が
お話しになったようなことだ、その
姿勢の相違を明確にひとつあげたい。そのいいか悪いかは別問題ですよ。この
原子力政策に取り組む
姿勢が、西ドイツの
姿勢と
日本の
姿勢とが全然違っておったのではあるまいかという
感じを持つので、これをひとつ吟味していただきたい、こういう
意味で問題を
一つ提起いたしたい。
一九六一年、昭和三十六年ですから、
日本でも
原子力委員会が動き出すか、ちょうど問題がはなやかになったころだろうと思います。この一九六一年の、これは聞き伝えのデータでありますからよく知りませんけれ
ども、ドイツの
原子力産業会議において、
原子力計画というものは、ドイツの
原子力産業が他の大工業国と同一の
技術水準に達するための
産業計画の一環であるべきだ。発電
計画じゃなくて、要するに、外国の
産業に負けないような
技術をともかくドイツの中につくり上げることが、この
原子力計画の第一の
目的だ、こういうような
方針を掲げて、そして、いまのうちに
技術克服をやっておかなければ将来ひどい目にあうだろう、こういう
方針を
原子力産業会議というのがちゃんと掲げて、同じ
考え方をドイツの
原子力省といいますか、あるいは
原子力委員会みたようなものも大体オーソライズしておったようであります。したがって、こういう観点は国際競争力に耐え得る
原子力産業を確立するということが、この政策の出発点になっていると思う。そして同じ
考え方のもとに、明確に原子炉を稼働するためには相当なリスクが生ずる。原子炉を稼働するためにはリスクが生ずるが、このリスクは大部分は
政府自身がカバーしなければならぬものだ、こういう
方針をはっきりと打ち立てております。そしてドイツはこのような
原子力政策の方向を明らかにして、この方向を背景にしながら、ドイツの
原子力省と
原子力委員会が指導性を発揮して、そして、ぐんぐんと政策を進めてきたところに、私は、今日の大きな飛躍のもとがつくられたような気がしておるわけであります。そして、いまのような
方針に基づいて、御
承知のように、一九六三年以降はいわゆる五カ年
計画というものをつくって、それこそ
官民一体の
協力体制をしきながら、きわめて
計画的に
原子力の政策を進めておるのではあるまいか、私はこう見ておるのです。このように、ドイツの
原子力政策の出発点が、まず第一は、何よりもおくれておる
技術、外国の
技術を入れて、その
技術を自分のドイツの国にとにかく習得してしまおう、勉強して自分のものにしてしまおう、そして自分のものにした上で独自の改良発展を加えていこう、こういう
感じの
技術政策が第一に置かれておったこと。それから二番目には、それを
中心にして
原子力産業自身をつくり上げるんだという
考え方が非常に強くなったこと。第三番目には、
産業といったって、それはリスクが生ずるのであるから、したがって、民間まかせでおったのではできっこない。そろばんが合わぬのだから。そのそろばんに合わない部分をはっきりと
政府自身の
責任でやっていかなければならない、こういう
感じで、いまの
技術の習得と
原子力産業の確立というためには、
政府自身がリーダーシップを持って
官民一体の
協力体制をとり、同時に、そろばんの合わないところは
政府自身が埋めてやるぞ、こういう
考えで私は取り組んでおったと思うのです。この
考え方が、私は、いまのドイツの
原子力産業をつちかう大きな土台になっておる、こういう気がするのであります。これは
有澤先生でもよろしゅうございますし、あるいは
原子力局長でもよろしいが、私の
考え方はだいぶ観念的かどうか、
感じをちょっとお答えいただきたいと思います。