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山本参考人 山本です。
沖繩における
軍用地問題について、その
特徴点、
問題点をとらえて指摘したいと思います。
現在、御
承知のように、
沖繩には
軍用地が六千三百十万六千二百五十坪余りあります。それで、この六千三百五十万余坪は、
琉球全体の
面積に比較しますと八・一九%、
沖繩本島だけで比較しますと一四%、
沖繩本島の
中部地区になりますと三二%、特にその中の
基地の最重点である
嘉手納村のごときは、八八%
軍用地に占められております。
こういった
軍用地の
実態について、
アメリカはいかなる
法律的根拠に基づいてこれを使っておるかということを見ますと、いろいろと過去十余年間にわたって変化はありましたが、現在は、
賃借権の
取得についてという
布令二十号と、それから
琉球政府の
民立法であります
土地借
賃安定法、これは昨一九六六年にできました。
布令二十号は一九五九年の二月十二日に制定されております。こういった
根拠に基づいて現在
軍用地を
使用占有しておる。
それで、特に問題でありますのは、わが
日本本土でありますと、これは
日本国対
アメリカ合衆国、
国対国の
対等関係に基づいて
土地の
軍用地使用が認められております。ところが、
沖繩における
土地収用手続というものは、
琉球政府なるものを介するカムフラージュはございますが、直接
米国がこの
接収手続を行なう、そこに
問題点があります。すなわち、
琉球政府を介してもその本質には変わりはない。なぜならば、
琉球政府は一九五二年二月二十九日の
琉球列島米国民政府布告第十三号、同年四月二日改正の
布告十三号を見ますと、
琉球政府の
法的地位というものは単なる
自治的機関にすぎない、すなわち
政府ではないんだ、われわれから見れば単なる事務的な
機関というふうにも解されるのでありますが、こういった点で、
土地収用手続というものは直接
米国が
琉球住民に対して行なっておるということに
問題点があります。すなわち、
命令関係であります。
そこで、現在、この
布令二十号の
内容というものはどういうものかと申しますと、
米合衆国が
取得する権利は、
不定期賃借権と、それから五カ年
賃借権の二種類があります。その
内容は、「
土地の上空、地下及び
地上並びに
当該土地の
地上物件の完全、かつ、
独占的使用、
占有及び享有に及ぶ」こういうふうに規定されております。それで、その
取得方法としては、
琉球政府が
地主と折衝して
基本賃貸借契約を締結し、その後
琉球政府と
米合衆国との間で
総括賃貸措契約を締結して
米合衆国に
転貸するという
方法をとっておりますが、その
転貸ができない場合は、すなわち、
琉球政府が
住民と
転貸についての
契約ができない場合、あるいは特別な
事情で
弁務官の特別な認可があった場合、
合衆国は
収用宣告書というものを提出して
賃借権を
強制収用することができることになっております。そしてまた、さらに必要とする
土地を直ちに
使用及び
占有すべき緊急の必要がある場合は、
財産取得要求告知書を提出して、
収用宣告書を提出するまでの期間はいつでも
即時占有命令を発して
土地を
使用及び
占有することができる、こういうような
布令二十号の
内容であります。
これは後ほど
問題点は指摘したいと思いますが、どういう点が問題かと申しますれば、
強制収用の要件にしても、また
即時占有命令の場合でも、何らそこに
制限的なものがない。特別の
事情、
契約の不成功、または緊急の必要という
米軍の一方的な
意思または
事情によって
接収が可能であるということが第一点。それから第二点としては、そういった
接収手続に対する
司法上の
救済手続が全く見られないということです。これは
人権一般についても同じことでありますが、
沖繩には憲法がない、すなわち、
局等弁務官のオールマイティの力によってすでに支配されておる、そういったような
実態から、
司法上の
救済手続というものがこの
軍用地の
接収あるいは
使用についても全く認められてない。単にわずかに
土地裁判所という
制度ができました。これは
司法機関ではなくて、準
司法機関という
ことばを使っておりますが、単に
訴願手続である。この
土地裁判所も一九五九年にできたのでありますが、単に
補償額の点、
補償が少ないとか多いとかいうことについての
訴願が認められるという
程度の
土地裁判所、それしがなくて、
司法上の
救済手続、
日本本土におけるような
人権保障の
手続が全くないということは、大きな
問題点かと思います。
しからば、この
軍用地問題というものは、一九五三年以来一九五九年の
布令、
布告で一応おさまった。
プライス勧告等があって、
島ぐるみ闘争というものがなされたのですが、最近というか、昨年ころまではおさまっておった。ところが、
ベトナム戦とか、そういった
戦争激化によって、最近ではまたこの
軍用地問題というものはクローズアップされてきております。一昨年の十一月、米第二
補給司令部というものが、東南アジアへの
総合的補給支援を
計画し実施するという
命令のもとに、
米本土から移駐してきて、
基地の増強を推し進めております。このような
ベトナム戦の
激化、それから米第二
補給司令部の移駐と時を同じくして、一九六五年の末期から、那覇の
軍港、
勝連半島ホワイトビーチ、
各地の
米軍基地の
拡張工事が推し進められ、また、読谷村、
嘉手納村などの
各地の
黙認耕作地——これは後ほど申し上げますが、
黙認耕作地というものが次々と取り上げられ、さらに一九六六年五月二十六日の
ワトソン高等弁務官による新
軍港計画の
声明等、
軍用地問題が大きくクローズアップされております。
関係市町村は
地主とともにいち早く
阻止闘争に立ち上がっております。また、
復帰協とか原水協などの団体や
労働組合でもこの問題を取り上げております。いずれも
反対決議を採択し、
高等弁務官、行
政府、
立法院に陳情して、
請願書を手渡しておる。一方、
立法院でもこの問題を重視しまして、
行政法務委員会を中心に、
現地の視察、
実情聴取等を行なって、一九六六年の六月十日の本
会議で、
軍用地強制接収に関する
反対決議を
全会一致で採択しております。この
決議では、
新規接収は、極東の
紛争のための
軍事基地の
拡大強化をはかるもので、不安であること、また、
接収は農民の生活を破壊するもので、人道上も許せないことを指摘して、
高等弁務官に対して
接収撤回を要請するという
決議の
内容であります。
それで、具体的に
各地の
新規接収の
間脳になっているところを二、三述べてみますと、
具志川村
昆布地区があります。この
具志川村
昆布地区というのは、現在二万一千四十一坪の
新規接収の
計画が
米民政府から明らかにされております。それで、一九六五年の十二月それが明らかにされたのですが、一九六六年の一月二十五日に
財産取得要求告知書というものを提出して、翌二十六日には早くも
占有譲渡命令を発し、同年二月一日付で
土地の
占有権を
取得する旨を通告するという強引さでした、
布令二十号の
問題点として先ほど申し上げた事態が、すでにこのような形で起こっておるわけです。
昆布地区の総
面積が七十万五千百六十三坪で、このうち
軍用地は三十二万六千坪、約四四%を占めておる。これがさらに二万余坪
接収されると、五〇%近く
軍用地となります。そこで、
接収予定地主は三十八名おりますが、
接収によって完全に
耕作地を失う者が十七名にものぼり、この中でも、六十歳以上の高齢とか、しかも、たった一人で百坪余りの
土地にしがみついて生活している未亡人が数名もいるということ、それから多くの扶養
家族をかかえながら生活している高齢者がいることは、この
接収がこれらの
人たちの生活を断つにもひとしいものであるということをあらわしていると思います。
なおまた、ただいまは
昆布地区ですが、糸満の喜屋武というところがあります。ここも
新規接収の
計画が、一九六七年、ことしの一月五日に告げられました。地元では時を移さず、まず一月七日、——世帯主の全戸主会で
接収反対決議をして、十二日、戸主会で
土地を守る会を結成し、それから二月三日、糸満町喜屋武
土地接収反対町民大会を開催しております。これと前後して、民
政府とか行
政府、
立法院にも
反対決議を手交するとともに、
昆布地区を視察して反対の体制を固めておる。
接収予定地には、
昆布地区と同様に
接収反対小屋をつくって反対運動を進めておりますが、その
接収の
内容はどうかといいますと、
土地の
使用目的は、超短波全方向式無線標識を設置するのだ、それで
接収予定
面積が約四万三千七百坪、うち、実際に用いられる
施設がなされる地域というのは約六百坪。たった六百坪です。それで残余は
黙認耕作地として各戸主に使わせるというのですが、この点も、たった六百坪の
施設を使うのに四万三千七百坪も
土地を
接収しなければならぬ必要性がどこにあるかということを、われわれとしては声を大にして叫びたいのであります。
それで、喜屋武地区の総
面積は約四十九万坪、うち耕地は三十五万六千坪で、すでに
沖繩ラジオビーコン
施設として約一万坪が
接収され、いままたさらに
接収されようとしておる喜屋武部落では、一月当たり平均わずか九百坪の耕地しかない状況で、まさに零細農業であるということができるので、この
土地が
接収された場合に、直ちに生活の基盤を失う問題が出てきて、たいへんな人道上の
人権問題を巻き起こすというように考えます。特にこの部落は、前に
沖繩の占領中建物が建てられておった。しかも、
土地にはコンクリートが打ってあった。これをつるはしで一本一本砕きながら、四、五年前やっと
耕作地にしたというような
事情のところで、それだけ農民にとっては愛着もあるし、生活問題としてもなおさら密接な問題があるのです。それで、
接収予定地の中では、耕地の八割以上を失う人が二十数名もおります。残りの耕地というものは潮害がひどいので、部落自体の存立というものもここでは危ぶまれておるというようなことであります。
先ほど
黙認耕作地ということを申し上げましたが、これは
米軍がさしあたって使わない場所、それを一時
使用許可している。一応五年
程度の時期を区切りながら使わしております。
土地の
使用条件というものはきわめてきびしいものがありまして、
使用、修理、維持、回復並びに保護については、
合衆国の一般規則に基づいて責任を負う、かつ、全体の取り消しをされないで特定の
部分のみ取り消したり追加したりすることができる。そして、耕地内の立ち入りは、日中のうちわずか数時間というふうに限られているので、農民にとっては、黙認耕作は認められたものの、長期農業経済
計画は立てられないで、生活上それほどの足しにはなっていない。これは、
沖繩側の指導層に言わせますと、地代の二重取りにもひとしいのだから、農民は非常に助かっているんだということを言っておりますが、黙認耕作自体が非常に恩恵的なものであって、農民の農業経済
計画というものと全然マッチしないんだということを、声を大にして
現地の人は申しております。
以上、こういった
土地をとられた場合に、農民の生活というものは、ほとんど
基地の
労働者とか、あるいは比較的若い層は大工などの副業についております。非常に生活面が圧迫されておる。特に
土地をとられた場合に、坪当たり年間十セント、多くて十三セントくらいですが、これは一反当たりになりますと、年間三十六ドルくらいの収入です。これが、サトウキビを植えておきますと、反当たり六トンから七トンで、大体その収入額は百ドル、約三倍になるわけです。農民はサトウキビをつくっていたほうが、
軍用地にとられるよりも三倍の農民生活ができるというような面に、われわれとしては関心を持たなければならぬと思います。こういったような、農民の生活を圧迫するということ、そういった点は、
一つはまた、
沖繩の民生一般に関する問題として、お互いに
日本本土におる者が救済の道を講じてやらなければならない、こういうふうに思っております。
救済
方法としては、外交保護権といったものも考えられるのではないか。入江啓四郎、教授に上りますと、外交保護権というものは、外国に対して自国民を保護する国際法上の原則である。国民が外国での雇用条件として、本国の外交保護権を求めない旨の
契約はできるけれ
ども、しかし、その国民の本国ではそういう
契約条項には拘束されない、また、当の外国もそういう
契約を援用できかい。国家が外交的保護を試みた場合には、それが常に正常な権利行使であるかどうかということはまた別問題である。たとえば、一八九八年十二月二十六日の仲
裁判決を見ますと、これはベルギー人に対するイギリスの外交保護権行使問題、それから神戸におけるイギリス人
強盗事件について、イギリスのまた
日本に対する外交保護権行使問題が見られます。そうした外国人の行為によって受けた国民の重大な
損害、そういったものが、その外国の保護行為によるかいなか、つまり、故意、
過失による権利侵害なのかいなかの法的問題は追及することなく、国家は外交的保護を試みる権利があるというふうになっております。
日本でいえば、ビキニ水爆実験に伴う被害の慰謝料が二百万ドル、一九五五年一月四日の交換公文で認められております。こういった点も外交保護権の行使の
一つであります。
基地使用の
土地収用というものは、
地主の個人個人とかあるいは農民の生存問題であるばかりでなく、
沖繩民生全般の問題だ。その影響を未然に防止するために
本土政府が外交保護権を試みることは妥当かつ正当な行為である、そういうふうに思います。
日本政府も、あるいはまた国会も、ぜひ外交保証権を行使して
沖繩の同じ
日本人を救済してもらうのに積極的であってもらいたいと要望したいと思います。なおその点は後ほど質疑の段階でまた申し上げたいと思います。
以上で終わります。