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灘尾委員 私は、昔といまと事情が違っておるということは、私
自身にも若干の経験もございますのでよくわかるわけでありますが、その際にやはり
考えなければなりませんことは、何か
大臣の定期異動が行なわれておるというような過去の事実であります。この定期異動ということがあるために、いろいろ
綱紀の粛正上私は問題が発生する種があると思う。願わくは、今回の
人事の一新を
機会といたしまして、私は
大臣の定期異動というような慣習はひとつ打破なさることが必要ではないか。もとより長いことやっておりますれば、あきられるということもあれば、しくじるということもある。それによっておかえになることは御自由でありますけれ
ども、少なくとも、りっぱな業績をあげておられる
大臣を、一年たったからかえるのだというふうな安易な
人事異動はおやりにならないほうがよろしいのじゃないか、こういうふうにも
考える一人であります。と同時に、先ほどマージャンをやるな、酒を飲むなというふうなこともありましたが、私は、必ずしもマージャンをやめろと申すのじゃありません。酒を飲むなと申すわけではございませんが、ただ、ただのマージャン、ただ酒というふうなものをどんどん飲むことが平気になっておるような官僚では困るのであります。そういう点においてのけじめをはっきりつける気持ちを持った官僚であってほしい。そのことは、同時に、もちろん
大臣の
指導監督も必要でございますけれ
ども、外部からの誘惑もずいぶん強いこととも思うのでありますが、やはり
人事はきわめて公正におやりになると同時に、深い愛情を持って官僚
諸君に対する
指導をしていただかなければならぬかと思うのでありまして、よき官僚の存在こそ、やはりよき
政治をやっていく上において基本的に必要なことであろうと思うのであります。特に
綱紀粛正に関連して私は申し上げましたような次第でございます。
だんだん時間も経過いたしましたので、
委員長のお指図のように、なるべく早く切り上げたいと存じますが、いま一、二申し上げたいと存じますことは、
一つは解散に関する問題でございます。
今回の
国会がこのような不正常な
状態にあることの
原因は、いろいろ
不祥事件が起こったとか、あるいはおもしろからざる
事件が起こったとかいうようなことがたいへんに騒がれておる。そういうところから起こってきておるように思うのでありますが、先ほど申しましたように、私は、事柄が犯罪に
関係がある、犯罪の容疑があるというのであれば、すみやかに司直の手にお渡しになったらよろしいと思うのであります。そして、そこで黒白を明らかにしてもらう、これが必要なことであろうかと存じます。それ以外の問題は、
お互いの
道義的反省の問題になってくる。あるいはまた、
お互いに従来不注意であった点をよく注意をしていくというようなことで
解決のつく問題でありますが、このような不正常な、変則な
国会をするほどの問題とは私は思わないのでありまして、むしろ
国会としましては、もっと真剣に
国民生活に
関係のある問題について、問題を取り上げて十分に論議を尽くすということが、
国会の果たすべき職務ではないかとすら私は思っておる次第であります。なぜあれほどの大騒ぎをするのか、またなぜ総辞職というようなことばをもって
政府に迫ってくるのか。総辞職ということは、何もやりたくて言っているのではないと私は思うのであります。ほんとうの
意味で総辞職をやる気があるのかどうかも実は疑問だと思うのであります。しかし、要は、そういうふうな
各種の手段を使って議会を解散に追い込もうというのが、
野党の
諸君の
考え方ではなかろうかと実は私は思うのであります。おそらく、
総理もそのようにお
考えになっていらっしゃるのじゃなかろうかと思う。総辞職をしたければ、さしたらよろしいのであります。
国民の負託を受けて
国会議員に当選している者が、ただ単に自分の党の党利党略のもとに、つまらない党議に縛られて総辞職をやりたいというのなら、これは
政府のやることじゃございませんけれ
ども、議会においてそれをその問題としてお受け取りになったらよろしいと思うのであります。何もそういうことにこだわる必要は
政府としては私はないと思っておる。問題は、
政府としては
野党のそのような
考え方のもとに、
野党の党利党略のために、こういうふうな時期に解散でもすれば、何かいいことがありはしないかというような
考えのもとに迫ってきますような、いわゆる理不尽な解散という問題に対して、
総理大臣は、あるいは
政府は、決してたじろがれる必要はないと私は思う。
政府としましては、
政府としてのお
考えのもとに、必要があらば解散もなさろう、必要がなければ解散をする理由はないのでありまして、憲法上解散すべき場合はきまっておるのであります。
政府が自由に解散をするということは、必ずしも
政府にかって気ままな解散をしてよろしいということじゃないと思う。
総理も、世論の動向であるとか、
国会の
審議というふうなものを勘案して
考えるとおっしゃっている。それにいたしましても、
政府といえ
どもみだりに私は解散すべきじゃないと思う。
国会議員は、四年の任期を与えられておるのであります。従来ややもすると、この四年の任期という問題があまりにも簡単に
考えられ過ぎておるのではないかと私は思うのであります。過去の例において、先ほど私は
野党の
諸君の党利党略ということを申しましたが、われわれのほうの側におきましても、あるいは党利党略のそしりを免れないというふうな解散がなかったとは申し上げかねる。そういう点も、こういう際に
お互いによく
考えなければならぬと存じます。その解放が
国会の
審議のために、あるいは
国民生活のために必要であるという前提のもとに
総理の解散権というものが認められておると私は思うのでありまして、これは
佐藤一人の権限であるというふうにお
考えになるべきではないのであって、
国民のために
佐藤がお預かりしておる解散権であるというふうなお
考えのもとに、私は解散の問題はぜひ慎重な扱いをしていただきたいと思うのでございます。
かつて政友会内閣の時代に、原
内閣総理大臣が、この解散という問題について非常な慎重なお
考え方であったということは、何かの本で私は見たことがございます。私は、まさにしかるべきことではないかと思うのであります。いかにそれが
自由民主党の利益になりましても、解散すべからざるときには解散をしてはならぬ。自分かってな解散を認めておるのが今日の憲法の精神ではない。議員の任期というものはあくまでも尊重していただきたい、こういうふうな基本的な
考え方を実はいたしておるのでありますが、今度のこの
野党側のいわゆる解散要求というふうなものは、明らかに各党それぞれの家庭の事情に基づいたいわゆる党利党略に基づく解散の要求であろうかと存じます。現に
自由民主党は
国民から過半数をいただいておるのであります。過半数をいただいておる
自由民主党が、そのような理不尽な解散要求に対してたじろいだり、屈服したり、譲ったりというふうなことは、私は憲法の精神が許さぬと思う。また
国会法の精神が許さぬと思う。そういうふうなことがあってはならぬと思うのでありまして、この点に対する
総理のお
考え方につきましては、
総理が非常に強い正しいお
考えのもとに終始していらっしゃるというふうに伺っておりますので、非常に意を強くいたしておる次第でございますが、今後におきましても、こういったふうな
意味における解散権の行使というふうなことは、これは解散権の行使でなくして、むしろ
自由民主党あるいは内閣の敗北といわざるを得ないのでありまして、そういうふうな敗北といわれるような解散だけは、ぜひひとつ絶対にないようにやっていただきたいと思いますが、今日までは
総理の
態度はまことにごりっぱであると私は思うのであります。今後どういうふうになってまいりますか、この解散の問題について、なおいろいろ取りざたせられておる次第でありますが、基本的な
考え方において、私の申し上げておりますことが間違いであるかどうか、その点、ひとつ
総理のお
考えを聞かしていただきたいと思います。