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中村喜四郎君 私は、去る六月十日、それから六月の二十四日、七月の二十一日、この三日間にわたって衆議院の
法務委員会に取り上げられ、衆議院の坂本
委員、畑
委員、落合寛茂
委員、志賀義雄
委員との間にそれぞれ法務省、自治省、農林省との間に質疑が繰り返された問題についてお尋ねをしたいと思うのですが、この問題は、茨城県の岩井町の町長の吉原三郎という町長が、この四月の四日に選挙が行なわれ、当選された。その町長の選挙違反問題、並びに岩井町が岩井町に企業開発のために工場誘致をしまして、その中で大阪に本社を置く聯合紙器という段ボール工場の利根川工場、すなわち岩井町に誘致される利根川工場、この工場誘致にからんで役場が公金を不当支出したということ、及び収賄があったと、こういう問題で町の刷新議員連盟及び刷新協議会という代表者から、選挙が行なわれる前、すなわち、三月二十八日の告示でございますが、二十四日に
検察庁及び警察のほうに
告発された問題に関しての
内容でございますが、この間の選挙違反の問題等につきましては、すでに警察のほうで
取り調べが終わりまして、書類は
検事局に送られて、
検事局の段階になっておるわけでございます。収賄等の問題につきましても、すでに
調査が開始されておるようでございますが、私は、その主体となるところの岩井町役場が公金を不法支出をした、背任横領をしたという問題につきましてお尋ねをしぼって続けたいと思うのでございます。
その前に、私は、この問題が起きたいわゆるバックグラウンドというものを検討せねばならないと思うのでございます。先ほど申しましたように、三月の二十八日の選挙告示前に、二十四日に
告発され、しかも刷新協議会、刷新議員連盟の人たちが約一週間にわたって臨時新聞を出して、吉原三郎のような悪い町長をわれわれ町民は出してはならないというようなことを書いて全戸に配り、さらに一週間にわたって町内を宣伝カーを繰り出して吉原排斥をして回ったのであります。そうした中で選挙が行なわれたわけでございます。
先般の衆議院の三回にわたる
質問のそれぞれの質疑者の
内容を見ますと、具体的な事実が比較的検討なされずに、感情的なものの見方、
考え方で
質問が提起されておるように私には愚考されるわけでございます。たとえば、町長吉原三郎というのは、非常に独裁的な町長である。ヒットラーの「マイン・カンプ」——「わが闘争」を主体として信条として町政をやっているのだ。町の議会の意思を無視して独裁的に町政を進め、常に議会に圧力を加えて予算執行等もしている人物だ。また、警察に対しましては、警察後援会等をつくって町費から支出をしておって、警察は
自分の力によってどうにもなるのだというようなことを豪語をしたり、おれを警察は取り締まれないのだという
意味のことばが
質問の中にことさらに織り込まれ、このような性格の町長を当局はきびしく
追及せよというような
内容が衆議院の
質問の中で繰り返されておるわけでございます。
そこで、問題は、私は個人的な問題を取り上げるわけではございませんが、吉原町長という人は、二十八歳で町長になり、五回も町長に当選している。しかも、この問題、
事件の
中心である三十七、八年当時、町をあげて、町を発展させるために工場誘致をしようという、全町一体となってやっているときで、全議会の推薦と全町民の支持で無競争で町長に当選したという事実、しかも二十六年に当選して以来十六年間今日まで納税成績が一〇〇%であるという事実、二十八年当時には国税庁より納税成績全国第一位の表彰を受けており、また、自治
大臣がみずから岩井町に行きその実態
調査まで行なっているような実績のある町長であります。さらには、十六年間の町長の在任中に八代の
議長が生まれているわけでございまするが、その七人の
議長が野党から出ているのでございまして、こういう町議会の姿勢の中で、私どもがちょっと類推いたしましても、独断専行で町政を運営することがはたして可能であるか否かは、おのずから判断できることと存じます。しかも、岩井町の議会は、自治省でお
調べになりますとわかりますけれども、議会の定例会は自治法で年四回ということがきまっておるにもかかわらず、年に十二回も開いておる。月に一回ずつの割りで
会議が持たれているのであります。おそらく県下最高の議会開会数を示していることと思います。そうして、議案等の審議の際にも、事前に議会と十分協議して案件をまとめて提案されているのであります。このような姿勢の中で町と議会が進められてきたというこの姿を一応頭に入れておいて御判断をいただきたいと思います。
そこで、次の問題を私はお尋ねいたしたいと思うのでございます。
問題は、
昭和三十五年に、大阪の工場を主体とする段ボールの会社すなわち聯合紙器株式会社というのが岩井町に工場進出をしようとしていた当時にさかのぼります。その当時は、茨城県は非常におくれた県で、全国四十七県のうちで四十六番目のおくれた県なので、茨城県では県をあげて工場誘致をしようということを一生懸命やったわけでございます。当時、私は茨城県の工場誘致
関係を担当するところの古都圏整備の特別
委員長をいたしておりましたので、その間の
事情はよく存じ上げているわけでございます。茨城県では、企業誘致のために、県で工場誘致条例というものをつくったわけでございます。それは、資本金二億円以上、従業員三百人以上の工場が進出した場合には、その投下資本等に応じてこれに対して県は特別の助成措置をするという条例を制定したのであります。たとえば、投下資本五億円以下の場合には、千分の五に該当する県費を支出して助成をはかり、県外からの企業進出を奨励しようとしたのであります。その他、工場側の利便と福利厚生をもはかろうという工場誘致条例をつくったわけでございます。よその県の企業誘致条例では、進出工場に、その事業税の三年分に該当するものを奨励金として出すという県条例を定めている県もあるのでございます。この茨城県が定めた工場誘致の条例に見ならって、茨城県下の市町村では、水戸市をはじめ四十二カ町村がそれぞれの工場誘致条例をつくって、県の態勢に即応して多くの町村や市は工場誘致のために一生懸命に努力を重ねていたのでございます。市町村でできた工場誘致条例は、投下資本五百万円以下で従業員二十人以上というようにその範疇は下げましたけれども、県の企業誘致条例のねらいの精神と同様に、その町村の誘致条例に基づいて、固定資産税を免税したり、幅利厚生
施設や道路はつくってあげましょうというふうな優遇措置で工場誘致を各町村が競ってやったわけでございます。
たまたま、岩井町でも、段ボール工場を呼ぶために、大阪に工場のある先ほど申しました聯合紙器に町長をはじめ議会の代表者が行ってこれの折衝をしたわけでございます。当時、聯合紙器は、岐阜の水の豊富な長良川の附近に移りたいという動きがありました。豊富な水があるということが聯合紙器段ボール工場にとっては最大の要件なのであります。そこに着目して岩井町が大阪に乗り込んで企業誘致をはかったのであります。岩井町は、利根川に画し、豊富な水もあり、山林も安いから、ぜひ来ていただきたいと、数字をあげて何回も交渉に当たったわけです。茨城県知事もこのために大阪に行ったはずでございます。条件としては水を与えることが最大の条件で、工場が必要とする水はどのくらい必要かというと、生まれ出るこの工場では、一秒間〇・四トン、ドラムかんで二本、一昼夜で三万四千トン、この程度の水量はどうしても必要だ。その水はどこから取るか。岩井町には国営の鵠戸沼土地改良区というのがありますが、その面積は約五百町歩余、千六百人の組合員がいる。この土地改良区が利根川から取り入れて用水に使用している水量のうち相当量の残水があるはずだから、この残水を工場側に割り当てることによって工場側の要望を満たすことができるのではなかろうか、こういうことで、実は、町長はじめ、工場を誘致するため議会でこの問題が検討されたわけです。先ほど私が申しましたように、当時私は県議会の中の首都圏特別
委員長をやっておりました
関係上、議会から私は招かれまして岩井町に行き、議会の全員協議会の席上で、工場誘致条例をつくって工場を誘致したがよろしいか、工場に補助金を出して工場を誘致したのがよろしいか、どちらが町のためになるかを例をあげて
説明したため、議会においても真剣に検討されたわけでございます。各県あるいは各町村では誘致条例をつくって税の減免措置を講じて工場を誘致したけれども、岩井町の場合には、来る工場は二十億円以上の投下資本の大きな工場だから、これに他町村のように固定資産税等を免除したのではたくさんの恩典を与え過ぎることになる。むしろ、岩井町の将来の財政のために、工場側から税金は規定どおり徴収して、そのかわり工場には水その他の利便をはかってやるのが町のためにもなり、会社も喜ぶだろうというように議論は進んでいったのであります。水の条件は絶対的に確保してやろうということで議会はまとまったわけでございます。したがって、工場誘致条例をつくらずに、町の議会で議決をして助成をしてしようということにまとまったわけでございます。
そこで、水の問題は非常にむずかしい問題でございまして、上流栗橋から最下流の波崎まで三十六里の間に利根川の豊富な水は流れておっても、埼玉県、千葉県側は利根の水をいろいろな方面に使用され、正当な取水権も持っておったが、茨城県側には一滴の水も取る権利が昔からなかったわけです。この鵠戸沼の土地改良区が水を使用し得たのも、旧来の、いままでの慣行、すなわち慣行水利権によって水を利根川から導入し得たわけなんです。この水を正式に導入するためには、どうしても権利が土地改良区になければならないというので、茨城県と土地改良区側、町長及び議会代表とが農林省をたずねまして、取水権をぜひ土地改良区に与えてくれと要請した。ところが、当時、河川法の改正があって、水の問題か非常に問題であったので、許可されなかった。しかし、取水権認可のうち知事の権限で一トン以下すなわち〇・九九トンまでは水を取ってよろしいという法の解釈をたてに利用して、知事の認可ということで千葉県知事、埼玉県知事側に茨城県知事が働きかけて合意を得、建設省にお願いして、〇・九九トンの水の権利を土地改良区は獲得し得たわけです。土地改良区では、利根川から流入する水を常時使っているわけじゃございません。夏場に稲が水を欲しているときに用水、かんがいに水を使うわけで、その時期以外は余っておるわけです。そうして、農林省と検討した結果、〇・四トンまでは土地改良区の営農上に差しつかえないから、この水を町にすなわち工場側に分けてあげよう、分けてもよろしいのじゃないかという県知事からの正式な意見書が農林省に出された。農林省が実情
調査の結果、よろしいということになり、鵠戸沼土地改良区に移った水の権利のうち、どのような割合と方法で聯合紙器に割り当てるかということで議会代表及び町長が県庁に行き、知事、農地部長、当時県会の首都圏整備
委員長であった私もそれに同席、協議したのであります。そうして、水の問題について合意に達して、水については会社側に十分これを配慮しよう、こういうふうな経緯から工場誘致ができたわけであります。
ここで
問題点となりますのは、土地改良区の水の権利のうち〇、四トンの残水を与えることにより聯合紙器工場が来るのだから、他の町村の誘致条件と異なって、水を不便なく工場に提供することが工場進出の条件であり、岩井町としての工場に対する助成措置の基本であるという
考え方で、御
承知のように、聯合紙器工場が新井町に誘致されて今日まで、町は助成措置として約二千二百万円の助成をしたわけであります。もちろん、それは水確保を基本とした助成措置でありますが、反面、聯合紙器からの税金が岩井町役場に幾ら入ったかと概算してみますと、一億三千万円の税金が固定資産税その他で入っておるわけであります。そうしてみますと、その当町議会の人たちや町長の
考えた助成策というのは町の将来のために非常に先を見た明敏賢明な措置ではなかっただろうか。今日、その問題が、営利会社に助成措置をするのはもってのほかだというふうな
考え方が一部にわいてきたことがそもそもの今次
事件の一
原因であることも間違いないのであります。
したがって、私はここで自治省にお尋ねしたいのは、以上のように、議会のほうでも、水の問題が工場誘致の条件であり、町の力によって水源を確保するという一致した
考え方のもとに聯合紙器を誘致し、聯合紙器に対して町役場が積極的に助成措置をすべしと町と議会が合意をされて、工場誘致条例設定なくして助成したことが、これが不法支出であるかどうかということをまずお尋ねしたいと思います。