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1966-09-30 第52回国会 参議院 文教委員会 閉会後第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年九月三十日(金曜日)    午前十一時二十一分開会     ―――――――――――――    委員の異動  九月二十九日     辞任         補欠選任      中村 順造君     瀬谷 英行君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     理 事                 北畠 教真君                 久保 勘一君                 秋山 長造君     委 員                 近藤 鶴代君                 中上川アキ君                 中村喜四郎君                 山下 春江君                 吉江 勝保君                 小野  明君                 小林  武君                 瀬谷 英行君                 柏原 ヤス君                 辻  武寿君                 林   塩君    国務大臣        文 部 大 臣  有田 喜一君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部政務次官   谷川 和穗君        文部大臣官房審        議官       西田亀久夫君        文部省初等中等        教育局長     斎藤  正君        文部省大学学術        局長       天城  勲君        文部省社会教育        局長       木田  宏君        文部省管理局長  宮地  茂君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (当面の文教政策に関する件)     ―――――――――――――   〔理事北畠教真委員長席に着く〕
  2. 北畠教真

    理事北畠教真君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員長は本日より委員派遣のため出席できませんので、委員長の委託を受け、私が委員会を主宰させていただきます。  教育文化及び学術に関する調査中、当面の文教政策に関する件を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。  なお、政府側より、有田文部大臣谷川文部政務次官斎藤初等中等教育局長官地管理局、長、西田大臣官房審議官が出席いたしております。
  3. 小林武

    小林武君 文部大臣にお尋ねいたしますが、ユネスコ国連教育科学文化機関の主催で開かれた教員の地位に関する政府間特別会議において、文部省から持ったいった修正案が否決された。これに対してどういう見解をお持ちですか。
  4. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) まだ最後の報告は公に受けておりませんけれども、いままでの連絡によりますと、御承知のとおり、八十二項ですか、あの問題が問題になっておるようですが、私の考えとしましては、やはり教員にはストライキ権というものは持ってもらっちゃ困る、教員組合は。そういう考えのもとで、これは国内法公務員も同様でございますが、ちょっとあのユネスコの原案というものがあいまいな点もありますようですから、そういうことだけははっきりとさしておきたい、こういう気持ちでおることを御了承願います。
  5. 小林武

    小林武君 希望があったから修正案を持っていったと思うのですね。これは少しやっぱりぼくはやぼだと思うのです。修正案を持っていって恥かいたようなものだと私は思うのです。これは勧告の八十二項というのは、「雇用条件から生じた教員雇用者間の紛争を処理するため、適切な合同機関がつくられるべきものとする。この目的のために設けられた手段及び手続きがすべて、尽きたか、または、当事者間の交渉が挫折した場合には、教員団体はその正当な利益を守るために、通常他団体に認められている手段をとる権利を有すべきである。」、これはもう国際的に通用することなんです。今度の場合も、修正案を出したのは、どっちが一生懸命やったか知らぬけれども、アメリカと西ドイツと日本。しかしこの修正案は否決された。この事実は、まあこれは長話をするつもりはありませんが、やはり文部大臣も認められなければならぬ。文部大臣という立場でなく、日本政府が認めなければならぬ。国際的なことについては、ユネスコというものの位置は私が説明するまでもなく御存じのことだと思う。国連を直視していらっしゃる日本政府でしょう。それがそういう国際的な――これは労働組合のあれでも何でもないのです。そういう易でやられている。そうして修正案を出して否決されたといったら、その結果にあまりもちもちや言わぬほうがよろしい。今村君の談話なんというのがここに出ているけれども、あいまいでござるとか、何でござるとかいろいろなことを言っている。あとでこっちのほうで発言をして、何か発言の点を記録にとどめてもらったと言っているけれども、否決されたということは、それでもう否決されたのだ。このことは国会に長い経験を持っているあなたが一番よくわかる。修正案を出して否決されたら否決されたんだ。国際的に通用しないことだと私は思う。そういう点について、やはりもっと前向きにあなたたちはお考えになるべきじゃないかと思っております。このことをひとつ私はあなたに申し上げておきます。これについての論争は、いずれ帰られて、あなたのほうでいろいろな理屈をつけるだろうから、そのときにはひとつがっちりやることにして、きょうはこれにとどめておきます。  これに関連して私はあなたにお尋ねしておきたいのだが、この間から人事院総裁が五月一日実施というものはやられないと困るんだ、こう言っている。私はあなたにお尋ねしたいのは、人事院勧告実施しない政府が、一体労働者がそれに対して統一的な行動をとにかくとる、やり方についてはいろいろあるけれども、そういう行動をとることについて、かれこれ言う資格が一体あるのかどうか。憲法二十八条の代償機関としてとにかくあなたのほうでは人事院をつくった。そうでしょう。その人事院をつくったということの合法性ですよ。違憲合憲かという議論になってくる。その違憲合憲かという議論になった場合、あなたは勧告を一ぺんも実施しないという事実の上から、それは部分的には実施したかもしれないけれども、人事院総裁は、実施していない、それは尊重ではないということを言っている。だから、そういうたてまえから言って、一体それでもなお合憲であるかどうか。代償機関としての一体完全なあれじゃないんだから、合憲性が成立するかどうかということについては法律的な根拠をあなた言ってもらいたい、ここで。そうしないでおいて、教員が何かをやると、国家公務員が何かをやるというと、すぐ違法だ違法だと言う。私はそんな聞こえない話を何べんか聞いていやになっている。ひとつ、きょうはあなたの筋の通った憲法論でも何でもひとつやってもらいたい。
  6. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 人事院勧告尊重しなければならぬということはよくわかる。しかし、完全に人事院勧告を受け入れるんだ、受けなければそれは合法的でないという、そこまでの解釈は私は持ちません。しかし、政治的に考えましても、また政治の立場を離れましても、公務員、ことに私の立場としては教員立場考えるのですが、何とかしてこの完全実施ができるようにというその気持ち努力は払っていきたい。しかしながら、この間も申したように、遺徳ながら今日の見通しは、率直に申して五月一日からは困難だ。しかし、何とかしてそこに一歩でも近づけるような努力を払っていきたいというのが私の今日の考え方でございます。
  7. 小林武

    小林武君 私はそういうことの努力とか何とかということは、いろいろ、それはひとつあれしないでお聞きしないことにして、それはいずれ別の機会にやりますから、私があなたにお尋ねしているのは、これはあれでしょう、法律上の論争になっているわけだから、われわれは一体憲法二十八条にある労働者基本的権利を剥奪するというのはけしからぬと思っている。そのことは少なくとも私はこれはもう国際的なひとつの感覚になっている、ということは、たとえば、いまのユネスコでさえもこういうことを言っているということを引き合いに出して先ほどちょっと言った。ところが、日本学者の中には、完全に代償機関としての役割りを果たす場合には、合憲性合法性があるということを主張する学者もある。しかし、そういうような方でも、実際どうですか、役割りを来たせないときはどうなのかという問題が出てくる。学者の中にはそういう議論があるわけです。あなたたちがやっぱりもっと法作的な立場でわれわれに説得しなければだめですよ。一体国家公務員地方公務員のやることは悪いということの指摘はやりますけれども、人事院勧告を一度も完全に実施したことがないというような、そういう事態によって、一体代償制度としての人事院の性格はどうなのかということの議論は一度も聞いていない。きょうはひとつそれを聞かしてもらいたい。どういう法律的な根拠によってやるのか聞かしてもらいましょう。
  8. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 私は法律家じゃありませんから、法律的な根拠といわれても困りますが、とにかく公務員に対しましては、おっしゃるとおり争議権というものを認めていない。それじゃ公務員が自分の処遇上の要求をやるのに困るだろうというので、人事院という中立的機関ができたことは御承知のとおりであります。したがいまして、人事院勧告尊重しなければならぬということはわかっております。しかし、一方、公務員ストライキをやっちゃいかぬということははっきりと日本法律でつくられております。ところが、こちらは尊重ですから、完全に実施せよとは言われない。私は法律のことはとやかく申しませんけれども、政治的な、ことに日教組の立場として、文部大臣立場としてはできるだけ近い線で実施したいというその気持ちは十分持っておりますが、それが五月一日から施行をされないからといって、私は法律違反であるということは明言はできない、かように考えております。
  9. 小林武

    小林武君 あなたの考え方はこうですか、そうすると、憲法二十八条との関係はどうなります。合憲であるという主張をしなければならぬでしょう。
  10. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 私は、先ほど言いましたように、憲法学者でも法律家でもありませんから、少し法律的にどうかと思いますが、やはり憲法の精神も、公共といいますか、全体の国の立場ということを考えまして、公務員というものは特別の国民に対する奉仕者である、そうしますと、憲法労働権は行使しなければならぬと書いてあるからといって、やはりおのずから公務員立場としての公共国家社会に対する一つ責任というものはなければならぬ。そうすると、そこにストライキ権というものを認められないということは、やはり国の全体の立場からいってそういうことが必要だ。だからといってその公務員立場を擁護する、主張するものがないのじゃいけないというので、そこで人事院ができた。そして公平な立場から、人事院仲裁裁定といいますか、公務員立場主張しておる。いま心したような人事院勧告制度ができておる、こういうように私は理解しております。それは小林さんもよく御存じのことだろうと思います。
  11. 小林武

    小林武君 よく知っているかと聞かれれば、そういう間違ったことはよく知っておる。間違ったことはよく知っておる。あなたは法律家でないということを言いますけれども、あなたは文教行政をやって国家公務員教職員並びに地方公務員教職員給与ということについて、あなたは責任があるんですよ。その場合に、法律学者であるとか何とかということじゃなしに、あなたは文部大臣として法律的にがっちりした見解を持たなければだめでしょう。当然そうじゃないですか、法律上、憲法上。だから、いうならば、あなたはまず、たとえば教員がそういうことをやっちゃいかぬとか、争議行為はだめだとか、国家公務員はどうだとかいうならば、人事院勧告というものは完全に実施されなくても、ストライキをやっちゃいけないのだという説明をしなければだめですよ。その場合でも、人事院というのは憲法に違反しないのだということを説明しなければいかぬですよ、それを説明してくれというのです。いまあなたおっしゃったけれども、いわゆる国の公僕であるということ、これは憲法立場からあなた言っているんじゃないかと思うが、それならその憲法の二十八条との間に一体どういうあれがあるか、私はそれを聞かない限りにおいては、あなたのほうでいろんなことを言ってもなかなか納得はいかぬですよ。あなたのほうがいままで主張したことは、ぼくは何を主張しているということはわかります。わかるけれども、それでは法治国らしいやり方ではないです。たとえば、どうですか、一番あなたのほうにとっては穏当な学者だと言われる人の説だと思うが、給与に関する限り団体協約を締結する権利にかわるべきある種の保障がないわけではない。したがって、これが保障されている限り、現行の制度は必ずしも憲法に違反するとは言い得ないと思われる。保障されているということが条件であります。憲法違反でないということを言うためには、人事院のあれが保障されなければならない、代償機関として。そうでしょう、それなしにやるということで。あなたたち立場に立っても。ぼくはこの説には賛成しませんけれども、少なくともいまの国の立場に立っても、これが保障がなければだめです。人事院総裁は苦しがって、この間からやってもらわなければ困るのですと言っている。だから、そこのところをあなたたちははっきりしなければいかぬですよ。もしなるならば、五月一日実施しないならば、これを国としても勧告尊重しないことになるから、ひとつ教員組合大いにやりなさいくらいのことをここであなたが言うならば別だけれども、そうでないならば、まことに私のほうではその点で一方的のことをやっていますとか何とか言ってください。そうしないで、働く者のほうの側を責めるということは穏当を欠きますよ。それもぼくはこの間からだいぶ弱気な意見を言ってきているのです、ずっと何回も何回もやられて。今度は特別の事情があって国の財政上やむを得ないというところに追い込まれているので、今回はかんべんしてくれという話ならば、これは聞かなければならぬなという気持ちになる場合もある。しかし、人中院ができて一ぺんもやらないということはどういうことですか、あなただって無理だとは思いませんか、それをおこらぬというのはおかしいですよ、憲法尊重しないことになりますから、おこらぬということは。ぼくの言うことが間違っているなら間違っているということを、あなたそこで言ってください、どこが間違っているか。
  12. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 小林委員立場はわかりますよ。しかし、やっぱり本本的に見解が違うようですね。私は尊重ということは、もちろん尊重しなければならないが、尊重ということは人事院の言うとおりにやらなければこれは尊重でないとは考えていない。しかし、尊重だから人事院勧告に近い線を出さなければならない、内容的には全部政府は入れることは最近の慣例で、よく御存じのとおりでございます。いままで十月ということが、尊重して、少なくてもというので、数年前から九月になっていることはこれまた御存じのとおり。それを何とか五月の線に近いようにしたいというのか私の今日の考え方であります。だからといって、五月じゃないから完全にお前のほうはだめだ、そういうような、そこまで言ってもらっても、これは日本財政その他の経済情勢を見たときに、なかなかそこまで正直に申して責任を持っていけないというのがいまの現状なんですよ。ところが、公務員なり教員ストライキ権というものは、はっきりともう法律でこれは禁止されているということが明示されているから、そこは尊重ということと禁止ということはおのずからそこに相違がある、こういうわけですね。片一方尊重しないのだからだめだ、それなら文部大臣大いにストライキをやってもよろしいということを明言せいと言われても、そういうことは難題を言われていることだ。私としては、そういうことは申されない。その点はよく御理解をいただきます。
  13. 小林武

    小林武君 あなた考え違いしちゃいけないですよ、大臣、いいですか、ぼくとあなたと立場相違を論じているんじゃない、あなたと私の間には憲法があり日本法律がある、この法律なり法令なり、憲法もあれだ、その法を中心として、どう正しく私は解釈するべきかという話なんです。立場相違じゃない、もしそこにあれば学説の違い、よりどころとすれば学説の違いとか解釈の違いとか、あるいは判例がどうだろうとか、いろいろな問題が出てくるでしょう。だから、あなたのほうでそれをやるならそういう立場でやってくださいよ、何も私とあなたとは、片一方は労働者立場で、あなたのほうは資本家立場で言っていると、こういうふうに何もあれをやっているのじゃないですから、ここでは議員と大臣とでやっている。そういう立場議論してください。私を説得するならば、いまのような憲法、あなた一つだけ法律をいった。しかし、それじゃ一体公務員のように、一体、悪法の二十八条適用外の人間だという、そういう一体根拠はどこにありますか、どこにもないと私思う。ただ、通用外に置けるということは、人事院というものを置いて初めてそれができた。しかし、それも合憲性か――合憲であるか、憲法違反であるかという問題が一つある。それについても、説は、法学者の間で説は分かれている、それは認める、ぼくも。分かれているけれども、一番あなたたちのほうの側に近い人の想見であっても、人事院というものが代償機関としての勧告をやり、何なりをやる、やったものはそれを尊重するということは、全部実施するということだということはこれはもうきまり切ったことじゃありませんか。こんなことを九月にやったからという恩着せがましいようなことを言うのは、あなたおかしいですよ。私はあなたがどういう出身の方だかよく知っているのですよ。労働者相手にそんなこと通用しますか。そういう場合には一体公共企業体の場合にどういうことになりますか、団体交渉できめたことを一体あれですか、きめておいたあとでそんなばかなことができるか、おまえらと交渉やってきめたけれども、金を払うときはまた別だということが、あなた言えるかどうかということですよ。この役目をどうしてくれるかといったら、第三者機関人事院がいろいろな点からとにかく考慮してそうして出しくくるのだ。だから労働者の側から言えば人事院なんというものは何たるものだという気持ちもある。あるけれども、今度の場合はそれを抜きにして、人事院があれだけやってもらいたい。こう言っている。筋が通っている。それをあなた無理だというような、立場が違うとか何とかいうようなことを言うのじゃなしに、いまのこともう一ぺん言ってください、憲法とか法律とかをたてにとってきちんと言ってください。
  14. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 私が立場が違うと言ったのは、労働者とか資本家とかそういうことを言っておるのじゃないのですよ。あなたは前重ということを完全実施と同じように御解釈の上で言われておるその立場。私は尊重というものは完全実施じゃなくても完全実施に近い線にできるだけ近づけるということが尊重だと思っておる。その立場が違うということを申した。私が申しましたように、憲法二十八条というものがあるのですが、やはり法律――憲法法律一つですか、やはり国家社会化活をしている以上は、やはり国家社会の全体に対する制約というものがおのずからあるのです。法にはっきり書いてなくても、ことに公務員というものは国民に奉仕する立場にある。したがいまして、ストライキ権国家社会の秩序の上からいって、公務昼にストライキ権を与えないということのほうがむしろ妥当でないか。そういって、それをほったらかしにしておると、あまり公務員に対してはいろんな生活上その他の要求に対して何ら擁護する機関がないというので人事院ができておる。そうだから、私たち人事院勧告尊重しなければいかぬ。尊重はするけれども、それを完全実施しなければいかぬというところまでは進まない。だからできるだけ、私も何も九月実施にしたことを恩着せがましく言っておるのじゃない。いままでの十月が九月になる、それが一歩一歩と人事院勧告に近づけるように、ことに私としては努力をしたい。こういう立場で言っておる。それが完全に法律無視考え方だ、こう言われてもそれは困る。見解相違立場の違い。だから、尊重ということと完全実施ということは、そこにおのずからある程度差があるということは御理解の上でこの問題を話してほしい。かように思います。
  15. 小林武

    小林武君 これは別な学者の団結と協約の法理という本の中からとれば、国家公務員、まあ公務員関係関係について人事院保護措置が当を得ないとか、誠意をもって実施されないという場合には、国家公務員労働基本権の剥奪は代償を欠くと言わなければならないと、こう言っている。これはひとつやはり学者意見、これはあなた認めなきゃいかぬですよ。私は非常に、むしろあなたのほうの側になったような立場で、ずいぶん同情あるものの言い方をしている。人事院というものがあるじゃないか。人事院のきめたことは、それはあなた、尊重ということは九月にやれば尊重になると思ったりしているようだけれども、これに近い――近いなんていうのは何に近いのかよくわからぬけれども、年の募れに近いのか、その勧告の時期に近いのかよくわからぬけれども、そんなあいまいなことを言うのはおかしいので、あなたはやはり完全に実施して、いまのような主張をするならば、政府側の答弁としては、まあそうだろうと思うけれども、五月実施ということを、いつ実施するかわからぬようなことを言っておいて、そうして、一体その労働基本権を剥奪した、二十八条を一体否定したようなことをやるのは、これはおかしいですよ。あなたそれについて立場相違とか何とかいうことはできない。目下、きょうはこれ以上議論してもしょうがないものだから、あなたもう少し筋の通ったことで見解をまとめてきてもらいたい。そんな法律以外のことをいろいろ持ってきて、私は法律家でないなんて言うことは、何も私だって法律家じゃない。私は、しかし、働く者の立場に立って法律というものをどう理解しなきゃならぬかということについてはいろいろな理論を見るのですよ。非常に不利な議論も、判例も読みますよ。どこの争議でもってこういうことが起こってどういう判決を受けたというようなことだって、われわれやはり必要だから読みますよ。あなた、だって少なくとも国家公務員地方公務員を含めての文教関係労働者相手にしているのですから、それを説得するだけの法律的な説明をしないでおいて、そうして、立場相違だとか、尊重というのはこういうことだとかいうのは、そういう解釈は私は納得がいかぬ。納得いくような議論をこの次またやりましょう。きょうはこの程度でやめます。  重ねてひとつ立ったままやります、区切りですから。ひとつお尋ねいたしますが、期待される人間像ということについて、このごろ答申があったので盛んに議論されているのです。そこで、私は文部省にひとつ貸しがある。これは答申を求めたのだから、あなたのほうでは期待される人間像というのはどういうふうにあれしたらいいだろうということを、おそらくお聞きになったと思う。それに対する答え、私はその人間像とは一体何だということをこの前から聞いたけれども、ついに解答を得なかった。学術用語ではございませんということだけは聞いた。学術用語でないことになると、非常にこれはもう文部省的定義というものが出てこないじゃないか。人間像というのをひとつどういうふうに一体解釈しているのか。文部省的に言うとどういうことなのか。私の本心の中には、人間像なんていうことを教育の中に引っ張り出してくるのはどういうことだろうと、理解できないところがあるのです。ただし、これは私個人でです。そういう意味でお尋ねします。
  16. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) これは私ながらの解釈ですけれども、人間像というものは、やっぱり人間としての一つの姿といいますか、そういうことを狙っておるのじゃないかと思いますが、これは、私は責任のがれをするわけじゃありませんけれども、この人間像ということに対して中教審でいろいろやっておる。そのほうの、もし何でしたらば、私の答弁で不満足でしたらば、審議官がおりますから、そのほうで答弁さしていただきたいと思います。
  17. 小林武

    小林武君 不満足だらけですよ。そんなことを聞いているのじゃない。文部省としては、人間像というのはかくかく、一つ法律つくってもそうでしょう。学校とはということ、学校とはこれとこれを学校というのだ。文部省の場合には、学校教育法の中の学校というのはこれだ、教員というのはこれだとちゃんと書いてあるのですよ。そのように人間像人間像ということをあれほど日本国民の中にはんらんさせるならば、文部省では人間像というものはこう考えていますということをしっかりしなければだめです。それが学術用話としてあるならば、これはもうおまえら勉強したらいいじゃないかということになる。学術用語としてないということは、やっぱりそういうことを説明をするべきだということを、この前からあなたたちの答弁がなかったから求めておったのだけれども、ついにずうっと長々とあなたのほうから何も言ってこない。これは将来議論するために必要だと、こう思いますので、だれが答弁してもいいですから、ひとつ。
  18. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私は大臣官房におきまして中央教育審議会の審議の事務に関与しておる者といたしまして、中教界がこの人間像という問題を御検討になります場合に、人間像というものの意味をどういうように理解しておられたかということを御説明申し上げようと思います。  後期中等教育の拡充整備について人間像の諮問が検討すべき課題として提案されましたときに、後期中等教育の理念を明らかにするためには、教育というものが、本来、人格の完成を目指すものであるという立場に立ちますと、一人の人間がどのような人間であってほしいかという教育の究極の理想を明確にしなければならない。そうしなければ、一人一人の人間がどんな素質を身につけてほしいという個別的な要請というものを考えただけでは、教育の終局の理想として一つの主体的な人間のあり方というものが明確にならない。そのような観点で、その主体としての人間のあり方、理想的な姿というものをここに描き出すべきだ、人間のあり方についての一つの理想像であります。そしてこれを追求することが教育の究極の理想を明らかにすることにつながるという観点から、その主体としての人間の理想像というものを審議会として検討するという立場に立たれたわけであります。したがって、そのような人間のあり方についての一つの理想像というものをここで期待される人間像ということばで呼んでおられると私ども理解いたしております。
  19. 小林武

    小林武君 それは、あなたの答弁はあれですか、文部省ではなくて中教審の答弁ですか。中教審の意見を代表しての意見ですか。
  20. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 文部省自身が諮問におきまして期待される人間像ということばを使っております。で、このことにつきましては、これまで国会でお尋ねの機会に、主管局長から、これ自体が学術的な用語ではない、しかし、人間のあるべき姿としてのものを、単なる理念とか要請とかいうもの以上に、より具体的な表現として人間像ということばを使っておるという説明を申し上げておるようでありますが、中教審自体がこれを受け取られて検討された結果、この人間像というものを、この諮問との関連において、いま申し上げましたような意味で中教審は理解をし、そのような考え方でこの中身を答申に盛り込むというようなことで作業をしてこられたと私は理解いたしております。
  21. 小林武

    小林武君 あなたどこからそういうことをお聞きになったかようわかりませんけれども、私がこのことについて質問したときに、なかなか答弁が得られなかった。それで、だれかぼくはやっぱり役所だから起案した人がいるだろう、起案した人が出てきて説明があるまでひとつ待ちましょうということでその日は終わって、そのあとおいでになったけれども、どうもあまりはっきりしない。それからずっといままでそういうことについての御答弁はなかった。どこか別なところでやられたのですかな。――それはいいわ。それはいいけれども、文部省も同じ見解だということになると、そうすると、ひとつお尋ねいたしますが、この主体としての人間の理想像ですか、主体としての、教育の主体としてということですね。それは何ですか、主体というのは、どういうことになるのかね。
  22. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 教育考えます場合に、一般社会なり世間の方々が、教育によってこういうものを身につけてほしい、こういう能力を伸ばしてほしいという、そういう要請を考えながら教育の改善を考えるという立場一つございます。それからもう一つ人間像の検討の場合に、基本法自身が明確に述べておりますとおりに、教育は人格の完成を目指すものだ、人格というものは人間の素質、能力を統一しておる根本的な価値であるという観点であります。したがって、人間は素質、能力を持ったものとして、手段としてこれを考えるのではなくて、そのような人格を持った一人の主体である。主体というのは、道具であり、手段であるという立場ではなくて、それ自体が主人公であるという意味の主体であります。そのような人間のあり方というのはどういうものかということを考えてみるべきだ、そういう観点から主体としての人間のあり方ということを申し上げておるわけであります。
  23. 小林武

    小林武君 理想像という場合には、これは理想的な像ですからね、これはどういうことになりますか。同じものができるわけですか、そうすると、教育によって。いろいろなとにかくあなたのほうの道徳教育資料とかいうものを見るというと膨大な内容を持っているね。あれみんな身につけてもらう。そうしていったら、結局あれですか、一つの型にはまった人間ができるわけだね。それで、あなたのほうでは、この前質問したときには、鋳型でありません、鋳型でありませんということをたいへん主張された。理想像というのは一つの鋳型を示しているのではありません、こう言っている。しかし、いまの発言からいけば、いろいろなことを言っておるけれども、要は人間としての理想像をつくるというんでしょう。そうでしょう。その理想像というのは、まあひとつあなたたち立場になってものを考えてやれば、理想像というのはどういうことかといったら、像なんかということばを使うのではなくて、いろいろなものを身につけてほしいと、こういう考え方、のろまなやつも、すばしっこいやつも、鼻っぱしの強いやつも弱気のやつも、正直であるということは、これは身につけてもらいたいことでしょう。それは、そういう持ち床がみんなあるのです。個性というものがあって、人間というものはさまざまな人間があるけれども、これだけは身につけてほしいというものを人間の社会をつくっているからね、人間のルールとしてつけてほしい、こういうことをいっているのか。像といっているから、こういう一つの姿をとにかく実現させなければならぬ、こういうことなら同じ人間になってしまうのじゃないですか。どうですか、その点。
  24. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 現在まだ中教審の二つの特別委員会が総会にそれぞれの委員会の報告を提出された段階でございまして、中教審ではそれらの二つの委員会の報告をもとにいたしまして文部大臣に対する答申を現在起草するための検討を続けておるわけです。したがって、おそらくそれらの最終答申におきまして中央教育審議会がなぜこの人間像についての検討を加えたか、これはどういう意味を持つのか、これに対しての政府に対してどのようなことを期待するかということは、おそらくその答申の中に述べられることになる予定でございます。したがって、私ども現在の段階におきまして、それをすべてここで私の個人の意見として申し上げることは不適当だと思いますが、現在までこの人間像を十九特別委員会で検討されました経緯を拝見いたしますと、そのような主体としての人間のあり方についての理想像を描く方法といたしまして、その根本には憲法に掲げられた国家理想、教育基本法に述べられた教育の理念というものを根底といたしまして、さらに現在のわが国がどのような課題に直面しておるかということを分析をいたしまして、そのような課題にこたえるための人間としてはどういう徳性を特に強調をして考えなければならぬかというものをあらわす、これによっておのずから現在の日本における期待される人間像というものの徳性が明らかになるであろうと、このような方法で十九特別委員会は期待される人間像の作業を進められてきたように思っております。したがって、そこにあげられた徳性は、現在のわが国の状況における日本人に期待されるいろいろな徳性の最大公約数を示すものというようなことも論議の中で言われておりました。そして中教審自体があの報告の中で個人として個性を伸ばせということを積極的に一つの徳性として強調しておられますとおり、そのようなあげられたものを中心といたしまして、さらに個人個人が自分の個性をみがくということを積極的に考えなきゃならぬということを述べられておりますので、このような最大公約数としての徳性を示されたことは、人間を一定の型にはまったものとして一律に個性尊重に反するような効果を生むことを中教審が考えておられるのではない、私はかように存じます。
  25. 小林武

    小林武君 まあ失礼だけれども、あなたは戦前の教育というようなこともあまり御存じでないようでございますね。徳目のようなものをたくさん並べて、最大公約数として一つの像というようなものを描いてやるというようなことになるというと、これはもう行く先は大体きまるのです。そういうあれは、われわれが考えても、世界の国にはいろいろな、右でも左でも傾向がある。私はそういう人間をつくっちゃいかぬと思っております。個性尊重だ。しかし、日本の国なり世界の国なりに生きている限りにおいては、それは共通な一つのやっぱり道徳というか、そういうものを持たなきゃならない、ルールのある生活をしなければならぬ、こういうことが要請されるのは教育としてけっこうだけれども、大体同じような人間をたくさんつくらなければいかぬというなら、昔から軍隊がよく言ったように、靴に足を合わせ、被服に体を合わすという式の、そういう教育はおかしいのです。そういうことをいま議論するつもりはございませんから、あなたと議論してもしょうがない。文部大臣とここで議論しようと思うが、人間像というのは不適当なんです、こんなものは、ぼくに言わせると。こういう人間像なんて国民を誤らせるのです。  それと、もう一つ、二つ聞きたいのだが、大体これは何ですか、文章は。長いことかかっていて、「当面する日本人の課題」、その中の1を見ると、「現代文明の特色と第一の要請」と書いてある。現代は自然科学の勃興期で、原子力時代、宇宙時代、これはわかる、特色として。そうして、あの中には「人間性の向上を伴わないということ」、これもわかりきったことだ。そして、もしその面が欠けるならば、現代文明は跛行的になって人間が機械化され、手段化される」おそれがあると言っている。そうして、あとへ持ってきて、そういうことになるから、どうしなければならぬという回答は、これに対する回答じゃないわけです。「人間性の向上と人間能力の開発という第一の要請が現われる。」ということは一体どう結び付くのか。私はこういう文章は、偉い人が、学者がやればよくわかるか知れないが、われわれは理解できない、ひとつ文部省でも、答申をさしたはいいが、あとのところは責任を持たなければならぬ。大いにひとつ検討してもらいたい。いまそういう議論をやる時間がないからだけれども、やがてやらなきゃならぬ。こういうことが出て来たら、あなたのほうでどう扱うかという問題になって来たら。それと、第二の問題で、一体「思考」というものをあなたたちはどう考えるか。「日本人の思考法に重大な変革がもたらされた。」、こう言っている。この「思考」とか「思考法」とかというのはどういうことなのか、私のようなものはわからぬ。これは一体「思考法」とは何だ、それを聞きたい。われわれはとにかく教科書的なそのことの上っつらのことしかしらぬけれども、「思考法」というのはどういうことですか、「思考法」がどういうふうに変わったのですか。
  26. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私どもこの文章で理解いたしますことは、戦後におきましては、戦前の日本のあり方と根本的にたてまえも変わってまいりましたし、また、戦中戦後において行なわれました教育考え方が戦後において急速にその変革が加えられた。たとえば教育におきましても、個人が一つの学習をするというものは一定の定型的な知識を教えるよりも、より経験的にこれを学習し、自分で体得するということがより深く強調されるようなことが出てまいったことは御存じのとおりであります。そのような点から申しますと、その思考法――人間のものを考える発想法におきまして、何を大前提とし、どういうことを正しいと考えるか。どういうものを自分の行動の指針と考えるかというものの取り出し方においても、戦前と戦後においては非常にその辺の変化が起きたんではないか、こういうことを表現しておられもものと私どもは理解いたしております。
  27. 小林武

    小林武君 そういうことを聞いていない。その説明にあなた入る前に聞きたいことがある。「思考」とは何ですか、「思考」というのはこれはちょっとあれでしょう。どういうふうに「思考」というものを理解しているか。「思考」というのは考えるということではない。単なる考えるということですか。われわれの言う「思考」というのは考えることだが、このくらいでいいのですか、もう少しはっきり言ってください。
  28. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私どもはものの考え方理解いたしております。
  29. 小林武

    小林武君 ものの考え方というのは何ですか、どういう意味ですか。
  30. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) それ以上くだいた説明をする能力はございません。
  31. 小林武

    小林武君 能力はないというのはおかしい。能力がないならなぜ答弁するのですか、いや私はあなたをいじめるというつもりでもなければ、とんでもないことを言って文句をつけるというのではないのです。しかし、「思考法」が変更したということについては、やはり非常に問題があることだと思う。これはずいぶん思い切ったものの書き力だと思う。このあとのところを読んでみると、「思考」というと、思考が変化した法というのがまあ「思考法」とか、「思考」のしかただと思うが、これは「思考」ということをどう理解するのですか、そのことをぼくは聞きたいと思う。能力がないと、考えることですと、そういうことを言うならば、私はまずいと思う。学者の書いたものであるから。そうでしょう、学者が書いたのでしょう。いろいろの人が集まっただろうけれども、やはり説明するときにはきちんとわかるように説明してもらわなければいけない。ただ考えるだけと言うならば考え方くらい書いてもらわなければ。「思考法」が変わったというからぼくらは問題にするのです。そこで考え方がずいぶん大きく変わりましたと言うならば、われわれが新聞の記事でも読むように、考え方がずいぶん変わったということを説明してもらわなければ、ただ何でも「思考法」が変わるのか、あなたが能力があるとか何とかという問題ではないのです。それを言ってください。そうでなければ調べてこなければならない、聞いてこなければならない。そんなことを言っていないのです。聞いているのです。
  32. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私どもこの文案作成に関与いたしていないのでありまして、で、ここに述べられております「思考法」というのは、ものの考え方ということと完全に同じような内容を持っているものと理解いたしておりますので、それを「思考法」と表現したことにより、新しい問題があるというふうには私どうしても理解できないわけでございます。
  33. 小林武

    小林武君 ものの考え方というのは、たとえばもう少し具体的に言ってもらおうじゃないですか、どういうことを言っているのですか、ものの考え方というのは。
  34. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私はここに書かれております文章は、「思考法に重大な変革がもたらされた。」ということだけで、中教審が具体的にその変更が何であるかということを少しも言っておられませんので、ここの文章表現の中で言っていることを私自身受け取っております理解で申し上げることにいたしたいと思います。たとえば、戦前におきまして私どもが国家というものに対する考え方、そうして国民国家関係というものにおきましては、少くとも戦前と戦後におきまして非常に考え方が変わってきたと思います。これは日本憲法の大きな影響というものもございますし、また、日本の家族関係における親子関係その他一般社会における人間関係におきましても、それまでの日本に伝統的であった一つ社会的な風俗、習慣における日本人に一般的であったものが戦後には大きく変更が起こりつつあるということを私はさまざまの形で感じておりますので、そのようなことをこの文章が表現しているものと理解いたしております。
  35. 小野明

    ○小野明君 関連。先ほどからお聞きしておりますと、審議官は何ですか、中教審のメンバーですか。
  36. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 法令によりまして私どもは中央教育審議会の事務をつかさどると書いてございまして、事務局は各委員の御意見の進みをよく確めまして、それぞれの御意見のありますところを一つの文案にまとめる作業につきまして主査をお助けいたしまして文章の練り上げをいたします。したがって、このような文言の出てくる経緯、その内容につきましては、論議の過程及び主査の指示に従うように理解しておるつもりであります。その限りにおいて私が御説明申し上げたっもりであります。
  37. 小野明

    ○小野明君 そうすると、大体、中教審の代表といいますか、そういった立場であなたの答弁をお聞きしていいわけですね。
  38. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) ただいま申し上げましたように事務局でございますので、中教審を代表するということばでは申し上げかねます。事務局が理解しております見解としてお受け取りいただきたいと思います。
  39. 小野明

    ○小野明君 そうすると、中教審事務局に……、大臣文部省としては出たものをまだ検討しておらぬわけでしょう。その中教審の人にそういう答弁をさせる、たとえば文部省を代表した答弁だと私は受け取れますが、それはどういう関係になりますか。
  40. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 先ほども西田審議官みずからが前置きして説明しておりますが、現在の段階では新聞紙上発表されたものは中教審の中の一つの特別委員会といいますか、高坂主査を中心としてそれができた、それを中教審の本会議といいますか、森戸会長のところにそれが提出された、それが今日世間に発表されているわけですが、文部大臣に対する正式の答申は近くあるようでございますが、およそ一カ月のように聞いております。したがいまして、文部省としましては、まだ答申も出ていないものを御説明する段階ではないわけでございます。西田君はそれを前置きして、しかし、お聞きになれば、自分は文部省の審議官であるけれども、たまたま中教審の事務局にいるから、いささかわれわれよりも勝手がわかっているからと、そういう前提に立って御答弁させてもらいますということを前置きをして言っておりますわけです。いま中教審の代表的のもの、また文部省見解を言っているわけでもございません。ほんとうをいえば、小林委員もみずから言っておられるように、まだほんとうのいろいろの質問は文部大臣答申を受けた後にやるということを小林委員も言われております。そういう前提でただいま話し合いが出てきておるというわけでございます。
  41. 小野明

    ○小野明君 そうすると、やっぱり昔でいうと、ことばは悪いかもしれませんが、中教審というのは文部省の審議官が入っておる、二足のわらじというか、かいらい機関というか、やっぱりそういったものなんですね。そうすると、西田さん、これは大臣も両方二足のわらじで、どちらにもお尋ねしてみたいのだけれども、この期待される人間像というものは、私どもから言わせれば基本法に明確に書いてあるのだが、これにまでつまらぬ解釈をつけて、蛇足をつけてこれをどういうふうに活用するというか、生かしてくるお考えですか、これは西田さんと両方から聞かなければいかぬ。
  42. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 二足のわらじでもないんです。西田君は中教審の事務局におりますけれども、中教審でいろいろ論議された点について、おそらく事務局では発言権はないと思いますよ。ただ、中教審でいろいろ取りまとめられるときに、こういうように委員の方が、こういうように主査は考えるから、それをひとつ文章に考えてくれという言わば庶務をつかさどっておるわけですね。でありますから、二足のわらじというほどのものではないわけであります。ただ、私もそれはいろいろのことを聞いておりますけれども、まだ正式の答申を得ていないんです。また、中教審におきましてもまだ論議を重ねると思うんですよ。したがいまして、いま特別委員会といいますか、そこで高坂さんを主査としてやったものが、それがうのみになるか、また、ある程度修正されるかということは、まだ私自身としてはわからない、こういう段階でございますので、こいねがわくば、正式に文部大臣答申を受けた後に、これはどうだ、どうだというような質問を受ければ、私ども答えやすい立場にあるんですが、現段階ではまだ答申を受けてないのに、先走って、これはこうだろう、これはこうだろうと言うことは私は行き過ぎである、こういう考えであります。
  43. 小林武

    小林武君 西田審議官の話を聞いているというと、思考というようなものはただ考え方の問題である、憲法ができたから考え方が変わってきた、そういうくらいのように受け取っているが、書いている人はそうではないでしょう。思考というのはもう少し、やはり問題を解決する、状況の判断をする、状況、課題に対処するというような、そういう精神的機能のことで、これはかなり深みのあることをいっているのだ、深みというよりも、「思考法」ということばにとらわれるのはおそらくそうだろうと思う。そのあとで戦後の理想は掲げられたが、それは抽象論にとどまり云々と、そういう発展のしかたをしているんだから、このことにぼくは大きなかかわり合いを持っていると思って質問をしたわけですが、しかし、あまりあっさりおっしゃるからね、考え方ですというようなことをおっしゃるから、それでは討論が深まらないのではないかと思ってそう言った。しかし、これはいま議論をしないということを前から言っているんですから、ここらでやめましょう。  しかし、もう一つ聞いておくが、あなたは中教審の報告の中で、第三、「日本のあり力と第三の要請」の中にある「階級」というものをどういうふうに理解しているんですか。受け売りでいいですよ。どういうことを階級というのか。
  44. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 中教審の審議の段階で階級という文言が出ておりましたときに、階級とは何かということを議論をしておりません。私は階級ということばは私なりに理解できておるつもりでございます。
  45. 小林武

    小林武君 これはあなたに聞いておるわけじゃない。西田さんの学閥のあるところを聞いてもしかたがないんです。中教審が何を言おうとしているかということを知りたいので聞いておる。しかし、あなたのほうで、これは少なくとも出したのだから、文部大臣も一応の説明ができなければならない問題ですよ。そんなことをいま言ってもしょうがないが、たとえば、階級というのはどういう立場で階級ということを一体議論しているのか。これは何か労働者を誹謗するような書き方をしておりますわね、ぼくの見たあれでは。しかし、そういったあれでもって階級というものを考えているのか。階級闘争はけしからぬというようなことを書いている。そういう見方について労働者なんというのは階級がなくなればいいと思っている。一体どういうたてまえかというようなことは、これからあなたのほうでおそらく説明せられることがあるんだろうから、そういう点はひとつ学者のおっしゃること――主査は学者ですからね。学者のおっしゃることは正確にわれわれにもわかるように、ひとつこれから出してもらわないというと、われわれも討論できませんし、国民も討論できないということになりますから、ひとつ十分これからものを発表するときにはそういうたてまえでやっていただきたい、このように思います。時間がありませんから、きょうはこれでやめますけれども、この取り扱いの問題についても、文部大臣は、あとで完成しましたら、ひとつはっきりこういうふうにやりますということを言ってもらいたい。
  46. 小野明

    ○小野明君 審議官の答弁はなかったんですかね、これができましたら、どういうふうに期待される人間像というのは使われる考えですか。あなたでは、ちょっと――事務局ですからね、代表者かだれかでないと答弁できないかもしれませんが、どういう話があったんです。
  47. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 御存じのとおり、この十九特別委員会の報告の付記のところに、この中に述べてきたところのものは、すべての国民、特に教育者その他人間形成の任に当たる人々の参考としてであったということばが出ていると思います。そうして利用上の注意ということまで付記されております。これは少なくとも十九特別委員会が出されましたものがそのような形で利用されることを希望するという意思の表明でございます。これを受けまして、中教審自体が文部大臣に対する答申として、この人間像の扱いについて中教審としての意見をどのようにするかというものは、起草委員会で別途検討されております。先ほど大臣言われましたように、文部大臣としては、そのようなものが出る前に、文部省としての見解を述べるというのは妥当でないとおっしゃいましたが、中教審自体がそのようなことについて最終答申についてどのような表現をするかということは現在検討中であります。
  48. 小野明

    ○小野明君 これは先般、北海道の釧路で、あそこの人事委員会か公平委員会か知りませんが、教頭が管理職でない、こういう決定をされた。その後いろんな経緯があるようでありますが、この辺の事情をひとつ説明をしていただきたい。
  49. 斎藤正

    説明員斎藤正君) ただいま北海道の釧路市のお話をいただきましたが、御承知のように、ILO条約の批准に伴います国内法の改正に関連いたしましては、国家公務員地方公務員ともに、この管理職員等の範囲を定める規則の制定が人事院ないしは人事委員会、公平委員会の権限となっておるのでございます。そこで、釧路の委員会におきまして、これは情報によりますと、一町、教頭を入れるか入れないかということで議論がございまして、教頭を入れないというような内示と申しますか、そういう意向も漏らされた。その後、制定にあたりましては、教頭も入るということの正式の規則を制定されたというふうに承知いたしております。文部省といたしましては、これは国家公務員につきまして、すでに人事院におきまして、校長、教頭等、国立学校の職務にある者につきましては、人事院の定めに沿って人事委員会ないし公平委員会が定めるように指導いたしております。また、国立学校でなくて、公立学校の特有の職のようなもので校長及び教頭に準ずべき者、これにつきましては一定の例を示して、よく職務の実態を見て定めるようにという指導をいたしてきたわけでございます。
  50. 小野明

    ○小野明君 どうも局長明確でないですね。北海道の釧路では教頭は管理職でないということを一度きめたのではないですか、そうではないですか。
  51. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 行政機関としてのこの委員会のきめは正式の制定公布であります。その間に、これは人事院もそうでございましたけれども、正式に決定する前に、労使双方に内示を、大体こういう方向でいくということを示して一度意見を問うという機会を国家公務員についてもいたしております。文部省に対しても、これは国家公務員でありますれば、使用者側として途中に内容の提示もございまして、それから地方で申しますれば、おそらく相当のところでは使用者たる委員会におきまして教育委員会側に対しましても、また組合に対しましてもその途中で考え方を示すということがあると思います。しかし、一度きめたものをというようなことを申しますれば、きめたのはこの制定のときでございますから、これは教頭を含めて制定をされた。その内示の段階でそういう入れる入れないというようなことがあったということを情報として私どもは承知しておるわけでございまして、最終のところは教頭を含めて制定をされた、そういうことになっております。
  52. 小野明

    ○小野明君 そうすると、内示の段階では一応釧路の公平委員会ですかね、管理職でないというきめ方をやった。その時点で福田次官がこういう談話を発表しておるわけですね、これはおそらく取り消されることになるだろうと。こういう話を総合しますと、この釧路の一度きめたものがひっくり返っていった。こういう段階であなた方のほうで何か次官の新聞談話があった、こういうものから推察しますと、何か圧力をかけてひっくり返したんじゃなかろうか、こういうふうに受け取るのが常道だと思うんですが、その辺はどうなんですか。
  53. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 文部省の態度ははっきりしておりまして、実は七月九日に初中局長であります私の名前をもちまして、正式に各都道府県に対して管理職等の範囲について指導をいたしております。そこで、この人事院が定めましたものと同種の職種にあるものについては人事院考え方に準じてやられるように指導いたしております。したがいまして、私どもは教頭が管理職として制定さるべきであるという態度で終始指導いたしております。その指導は、私どもの考えでは管理職の範囲として教頭を含めるのがその職務権限からみて妥当であるという考え方で常時指導しておるわけでございます。
  54. 小野明

    ○小野明君 次官がこういう取り消されることになるであろうという新聞発表をしたんですが、この点についてちょうど次官がおりませんが、必要であれば呼んでみてもらいたいと思うんですが、大臣御存じですか。
  55. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 次官がどういう場で、取り消されるであろうということを言ったかということは私は承知しておりません。しかし、先ほど初中局長が申しましたように、教頭というものは名のとおり校長に準ずる立場で校長を助けて学校の運営に当たっておるわけであります。したがいまして、文部当局としましてはこれを管理職として扱う、こういうことは文部省として一つの方針を立てておることは明らかであります。そういう立場から、もし次官が取り消されるであろうということを言うたとするならば、そういう前提に立ってそういう話をしたのではなかろうかと、これは私の推察ですが、さように思うわけです。
  56. 小野明

    ○小野明君 そうすると大臣は、釧路が、たとえば教頭が管理職でない、こうきめた、そうすると、これは取り消されてもあたりまえだ、そういう立場文部省は指導するんだ、こういうふうにお考えですか。
  57. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) これはそれぞれの手続がございますが、先ほども言いましたように、国立の教頭に対しましては人事院規則ではっきり教頭を定める、そういう二とが確立するならば、地方のほうも御承知のようにそれに準拠してやるということになっておりますから、おのずからその方針で教頭は管理職じゃないというようなことがきめられたといいましても、やっぱり順法精神からいって教頭を管理職とせざるを得ないという結果になるものと私は考えております。
  58. 小野明

    ○小野明君 順法精神からいってと、こうこられたんですが、そうしますと、教頭は管理職でないと、こうきめましたらこれは違法ですか。地方の公平委員会なり人事委員会がきめたら違法ですか、あなた順法の精神からいってと、こう言うのだから。
  59. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 教育公務員特例法二十一条の二によりますれば、一般の地方公共団体の行政職とは違いまして、国立学校の教職員の例に準じて定めることになっております。ですから、例に準じないような職を実際に置いてありますれば、これは論外でございますけれども、例に準じて置かれている職、そしてその勤務の態様等につきまして、その職務の態様が同一の性質のものでございますれば、これは教育公務員特例法に違反をしていると私どもは考えております。ただ、人事委員会ないし公平委員会がその定めをいたしました場合に、それに対して行政上具体的にどういう措置をとるかという二とは、これは個々の事案に即して考えることでございますが、私どもの法律上の考え方としては、特例法の二十一条の二は異なった定め方をすべきものではないというふうに考えておるわけでございます。
  60. 小野明

    ○小野明君 この場合は、これは勤務の態様というととを言われておるのですが、教頭の場合いろいろ勤務の態様というものがあると思うのですね。これによって具体的にきめられていかなければならぬと思うのですが、その問題に入る前に、まず、基本的な文部省考え方、福田次官のこのことばに見られますような、そういう考え方に変えさせるのだ、何ごとも一律に文部省考え方にするのだ。文部省の権限は、これは設置法の五条十九号にありますような「指導、助言及び勧告」のほかいろいろあるわけでありますけれども、これは局長が七月九日に出されたやつはいわゆる通知ということで出してありますね。これはやっぱり「指導、助言」の域を出ないものだ、このように考えていいんですね。
  61. 斎藤正

    説明員斎藤正君) もちろんこれは「指導、助言」でございます。ただいま申しましたような管理職の範囲自体を文部大臣がきめるわけではございませんから、それぞれの権限ある機関がきめることに対して、文部省は法令の趣旨にのっとって、そして具体的な指導をしたということでございます。ただ、次官の取り消されるであろうという記事は、私、見ていないのでございますけれども、この事柄の筋として、教頭は当然に入るべきだということを申し、また、そういう指導を文部省としてなす意思をあらわしたものだと、私はそういうふうに考えるわけです。その指導はこれは圧力というものでなく、この法の施行以来、文部省としては各教育委員会に対し、また、府県知事に対して指導を繰り返してその徹底をはかってきたことでございます。
  62. 小野明

    ○小野明君 その教頭の問題は、特例法違反である、こう言われる前に、勤務の態様の問題があるわけですね。勤務の態様がいろいろ異なるために、学校教育法には教頭というのをうたっていないわけですね。それで、勤務の態様ということについて、特例法違反の前に、何らかの考え方はないわけですか。
  63. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 勤務の態様という意味は、私は職務の実態という形で申し上げたわけであります。教頭を置く以上は、教頭の職務は「校長を助け、校務を整理する。」という立場でございます。したがいまして、教頭として置かれている以上は、学校の管理をすべき責任者である校長を助け、いろいろな企画に参画をする、そしてまた校長の命を受けて、その職員の勤務時間の振り割り、あるいは休暇の承認等の業務を行なう、あるいは校長が不在あるいはその他の事故の場合には、ゆだねられて校長の権限をすべて代行する。そういう職務の性格から見て、教頭として発令をされておる者は、疑いなく管理監督の職にあると思うのであります。ただ、職務の実態でそれほど慣行上はっきりしないものがございます。たとえば、これはいろいろな形であらわれておりますけれども、その分校の長のような形であっても、それが本校に近接しておってほとんど単なる連絡役であるというような者もございましょうし、明らかに分校の全責任を校長から部分的に委任を受けて管理監督の職を執行している者もありましょう。そういう者は法令に共通的な定めがなくても、それぞれの慣行なり何なりでやっておる、名称を付しておる。こういう者については職務の実態、あるいは勤務態様の実態を勘案して、その権限ある公平委員会なり人事委員会が独自に判断する分野があろうと思いますけれども、教頭につきましては、これは法律の条文にないということは、ばらばらということではなくて、学校教育法というものの委任を受けまして、施行規則で学校の組織なり、あるいは編制なりについて、共通的に、国公私立を通じて定めてあることでありますから、教頭として発令された者は私は具体的にこの地公法の管理監督の職にある者、かように私は考えておるのであります。
  64. 小野明

    ○小野明君 いまお聞きしておりますと、教頭の権限というのは校長の代行である、こういう管理監督の職である、こういうふうにお聞きをしたのですが、そのとおりですか。
  65. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 学校教育法施行規則にありますように、「校長を助け、校務を整理する。」という職務でございます。でございますから、その校長のなすべき仕事に全部参画する。それから校長に部分的にゆだねられて校長の職である職員の監督等についても実務に当たる。これが通常の態様でございます。
  66. 小野明

    ○小野明君 代行ということを先ほど言われたのですが、そのとおりですか。
  67. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 実際上代行しているかどうかということは、いま管理職に当たるか、当たらないかということのきめ手になるものとは思いません。通常の場合、代行するときが、校長のいまの職務の執行の態様から見て、多いということはありますけれども、かりに校長が常時おって教頭に一切自分の権限を委任するということがないようにいたしましても、その職務の性格から見て、「校長を助け、校務を整理する。」と施行規則に定めております職務の内容自体は、他の同種の行政関係の職務等から見まして、これは管理監督の職である、私はこういうふうに考えております。
  68. 小野明

    ○小野明君 どうもすっきり、せぬのですがね。おたくのほうの地方課で出された「ILO関係改正国内法一問一答」、これを見ますと――施行規則には「教頭は、校長を助け、校務を整理する。」とあるのですね。それからこれの二十二ページを読んでみますと、「その職務執行の態様は、校長の命を受け、学校の運営に当り、所属職員を指揮監督するものである。」こういうふうに書いてある。「所属職員を指揮監督する」、これは学校教育法にもないことばですね。指揮監督ということば、考え方がどうして出てくるのですか。これはあなたの言われた代行ということを是認されるならば私もわかるつもりですがね。
  69. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 地方課でつくりましたもの、これは討議資料としてつくったものでございます。ここで書いてありますことは、「校長を助け、校務を整理する。」ということで、その職務執行の態様、今度は現実の態様が大部分どうなっているかということを見ますならば、その校長の命を受けて部分的に、あるいは不在のときは全般的に所属職員の指揮監督をすることをゆだねられておるものがあるということを討議の資料として書いたものでございます。いままっ正面から、先生のように、指揮監督をゆだねることは権限としてないじゃないかといえば、そのとおりでございます。それは法令上の職務としては「校長を助け、校務を整理する。」ということでございます。例をあげますならば、他の行政職でありますならば、私のところに審議官なり次長がおる、私を助けてその局内の事務を整理するということになります。その権限の範囲内につきましては、私を助けていろいろな管理監督の職に関することを企画し助言をするという立場にあり、そうして通常は私が命じて、ある特定の事項をまかせて、そうして課長以下を指揮監督して業務を行なうということがございます。こういうことが教頭にあるわけでございますから、私は校長が全部握っておいて教頭に一切をゆだねないでやった場合でも、「校長を助け、校務を整理する。」という観点で、これは管理職ということは間違いない、かように考えます。
  70. 小野明

    ○小野明君 どうもあいまいでね、実際は指揮監督する校長にも指揮監督というあれはないわけですね。これは監督ということばは指揮があるから監督があると、こうあなたたちは言うかもしれぬが、校長にもない、実際はあるけれども、このことばは何ですか、そうすると、誤りだということですか。
  71. 斎藤正

    説明員斎藤正君) その問6にありますことは別に誤りではございませんで、ここに書いてありますものは、権限として校長を助け、校務を整理するというその監督的な職というものは、これは共通して定められておる。しかし、その職務執行の態様を見ます場合には、教頭は校務をつかさどり、所属職員を監督するという権限の一部を校長の命を受けて、学校運営なり、あるいは職員の管理について指揮監督するというのが実態としてある、こういうことをここに書いてあるわけであります。
  72. 小野明

    ○小野明君 そうすると、校長の職務代行ということですね、それは。校長から委任を受けてそれをやるのだ、監督するのだと、代行ということですね。そうしますと、これは昭和三十二年の十二月二十五日初等中等教育局長、これは照会に対する回答ですが、次のようなものがあるのです、これはあなたも調べておるかもしれませんが、学校管理規則に職務代行の定めがない限り、教頭に校長を助け、校務を整理する職務があるからといって当然に教頭が校長の職務を代行することはできない、こうありますね。これは地教行法の三十三条ですか、これによって学校管理規則によってこのことがぴしゃり明確にうたわれぬ限りは、教頭か職務代行することはできないということが書いてあるわけですね。管理規則がない場合ですね、これはできないと書いてあるのですが、これはどうですか。
  73. 斎藤正

    説明員斎藤正君) これはこまかい議論になりますのですが、そこで管理規則との関係は、これは行政機関としての校長を対外的に教頭の名によってできるかどうかということは、管理規則上の法律上の権限委任等の関係がなければできないということを言っているのであります。ただいま申しましたのは、そうではなくて、校長が自分の権限に属することを委任をいたしまして、たとえば、もう通帯の週の中の勤務の振り割りというのは、教頭限り、おまえやれというふうなこと等が事実上起こる。その事実上の関係が所属職員を指揮監督するものであるということを言っておるだけでありまして、いまのお示しのことと私の説明と矛盾するものではない、かように考えております。
  74. 小野明

    ○小野明君 何ですか、対外上と対内上といろいろ使い分けてやられると私のほうも困るのですがね。法律法規によらないで管理監督、指揮監督権があるなんという、こういうふうに言われると私のほうも言いようがない。それならこれはどういうふうに解釈すべきですか。私がいま読んだこれは学校管理規則がないとした場合、こういう職務代行権がない、こういうふうに明確にしてあるのですが、これはどうですか。
  75. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 代行と申しますのは、そこで申しておりますのは、校長の権限に属することを管理規則で明確に書いて、もう教頭自体の名によって対外的にいろいろな効力を発する行為ができるようにするためには、管理規則に明文をうたわなければならないであろうということを言っておるのであります。これはまあ何と申しますか、他の行政機関でも当然のことでございまして、行政の慣行として、いろいろ部内でどう事実上委任をされ心かということはあるわけでございます。私どもが深長にどの程度の権限を委任するか、審議官にどの程度のことを命じて、委任をしてやらせるかということは起こるわけでございます。一つもこれは矛盾をいたしません。しかし、またここで問6に書いておきましたその背景には、管理規則におきましても大部分のものは代行――いまおっしゃったような代行の規定があるというのがほとんどの実情のようでございますが、その管理規則に代行規定があるなしによって、この地教行法に言う管理監督の職であるのかないのかという問題ではないということを私は申し上げているわけです。
  76. 小野明

    ○小野明君 それはあなたいま言うのは違っているじゃありませんか。これは学校管理規則に職務代行の定めがない限り、その定めがない限り、教頭にはこの施行規則に言うような職務があるからといって、教頭が校長の職務を代行することはできない、いわゆる所属職員を監督するという権限はないのだ。こういうふうにあなたのほうの、あなたじゃないか何代か前の初中局長――いまの次管かもしれないが、書いてある。それをひっくり返すようなことを言われてもわからぬ、われわれには。それからもう一つ、それならついでにお尋ねするのだが、教頭を置かないことができると書いてある。校長はどこの学校にもいるわけですね、施行規則に教頭はなくてもいい、ない学校もある。これではやはり教頭が管理職だという規定がどうもあいまいではないか、二つ尋ねておきます。
  77. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 後段の御質問からお答えいたしますが、特別の事情があるときにはこれを置かぬことができるということは、これは学校の規模等を考慮いたしまして、校長を補佐すべき職を特に置く必要がない程度の状況であるという判断をした場合に、それを欠くことも違法ではないということを念のために規定したものでございますから、この規定があることをもって、管理職でないということには法律上ならないと思います。  それから第一の御質問でございますが、これはこの問答集に書いてありますのは、現実の職務執行の態様におきまして、事実上、校長から一部の仕事を、職員の指揮監督をゆだねられるというその実態を申したのであります。先ほど申し上げましたような管理規則に定めがないと、いわゆる整理職という権限だけのもので、対外的に当然に代行権があるということではないということを、当時の通牒でございますか、それに出ているわけでございまして、いまの管理職たる職務の内容ということとこのことは少しも矛盾しないことだと思います。
  78. 小野明

    ○小野明君 少しも矛盾しないということはない。どうもたいへん矛盾しているように思うのですがね。この管理規則は地方教育行政法の三十三条によってきめなければならないようになっていますね。これは御存じですね。学校運営、学校管理の基本事項としてやらなければならないようになっている。そうすると、法的にそれがない場合、まだきめられてない場合ですよ、法的には教頭には校長の職務代行権がない。勤務の実態としてはあるかもしれませんけれども、法的にはないですね。そうでしょう。あなたは実態としてそうだと、こう言われるのだが、法的にはないということが言えるでしょう。管理規則に定めない場合ですよ。
  79. 斎藤正

    説明員斎藤正君) いま校長の名において行なうべきことを対外的に教頭の名において行なったことについて、管理規則の定めがなければできないということでありまして、これは行政機関の内部において、事実上部下をしてある職務をゆだねて、そしてその責任を対外的には全部校長、その長がとるということはこれは通常あるわけでございます。ですから、そのことはひとつも矛盾しておらないということを申しております。
  80. 小野明

    ○小野明君 しかし、それは実態論であって、実態としてはそれがある。しかし、それはそういうものが、職務代行権か管理規則によってない場合には明確に規定されないわけでしょう。そうすると、何ら法的に責任を問われるということにはならないじゃないですか、法的に明確じゃないじゃないですか。その点はどうもわからぬですね。
  81. 斎藤正

    説明員斎藤正君) それをゆだねるべき職員の範囲として教頭が適当であるということは、事実上やるにしても適当であるということは、教頭という職が校長を助けて校務を整理するという特別の職を与えておりますから、やり得るということでございまして、これを任意にどこからでもその職務をゆだねてやるという仕組みはなかなかできないだろうと思います。そのことと、対外的に校長の名においていろいろなことを、かりに処分権の問題のようなものがありますときに、管理規則にないのに教頭の名において処分したら法律上問題が起こるというだけでありまして、少しも私の申し上げておりますことが管理職の地位の問題等に影響を受けるような問題ではないと考えます。
  82. 小野明

    ○小野明君 校務を整理するということから指揮監督するということばはどうして出てくるのですか、管理規則がないとすればできないのだ。そうすると、あなたは実態論で逃げる、実態はこうだと。やはり法律法規の上からきちっと説明してもらわないとぐあいが悪いですよ。
  83. 斎藤正

    説明員斎藤正君) どうも私も御質問の意味がよくわからないようなところがあるのでございますけれども、まさにおっしゃるように、教頭の職務に、施行規則に書いてありますように、校長を助けて校務を整理すると、その権限だけで直ちに所属職員の指揮監督ができるということではないことは、先生のおっしゃるとおりなのです。それはひとつも争っていない。しかし、整理するという職務の内容自体が、管理職であるから、管理職として指定すべきだということが全体にあるわけです。それから今度は勤務の態様を見ますと、校長が管理規則等の法令に基づいて代理権を付与していない場合であっても、校長が個々の職務命令として教頭にいろいろな仕事の範囲をゆだねて指揮監督を命ずる。具体的に学校で申しますれば、勤務町間の振り合いでありますとか、休暇の承認というような承認権の行使というようなことがあげられるだろうと思いますが、そういうことがあるということを勤務の実態として申し上げたわけであります。
  84. 小野明

    ○小野明君 そうすると、あまり長くなっても何ですが、あなたはもう管理職であるという前提からものを言われている。私はそうじゃないわけなんです。これは管理職である場合も、管理規則がぴしゃっとある場合には管理職である場合もあるし、あるいは置かないことができるということ、あるいは勤務の実態、こういうものから管理職でない、こういう場合も勤務の態様から、実態からあるではないか、全国のあれから見れば。国立はきめられておりますから、これはそうでしょう。しかし、準じてということはそのとおりにせよということではないのだ。そうすると、管理職でない地域もやはりあるのだ。そういう場合もあるではないか、こういうことを私は言いたいのです。
  85. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 職務権限として国公立を通じて校長を助けて校務を整理するという職を内容として命ぜられているのが教頭でございますから、教頭として発令された者は、私はその限りで管理職だということを申しているのでありまして、その個々の職務態様が、どの程度事実上委任を受けて、一種の代行的な仕事をしているか、これは学校により地方により差別があるわけでございます。その差別があるから管理職ではないというふうには申せないことだろうと思います。
  86. 小野明

    ○小野明君 教頭として発令されたものだと、こう言われますけれども、それは管理規則によって発令されているわけですね。だから、管理規則がない、発令していない地域があるとすれば、これはどうなりますか。
  87. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 教頭を発令していないとすれば教頭がないということでございますから、管理職も何にもないということだけでございます。
  88. 小野明

    ○小野明君 そればそうだ。だから、そうすると、地域によっては管理規則がない、あるいは教頭ももちろんない、こういう地域があっても、これは文部省がテコ入れしてどうだこうだということはないわけですね。
  89. 斎藤正

    説明員斎藤正君) まあ置くか置かぬか自由だということにはなっていないので、特別の事情がある場合には置くことができないということでございますから、各教育委員会で置くか置かないかという判断をいたします場合に、通常、全部置かれているけれども、特別の事情によって置かないのだという合理的な判断があった後に、初めて置かないことができるわけでございます。置くも置かないこともいかなるときも自由だというふうに私は考えておりません。
  90. 小野明

    ○小野明君 そうすると、管理規則、これについて全国的にはどこもやはりあると、こういうふうにお考えですか、つくっておると。
  91. 斎藤正

    説明員斎藤正君) 管理規則はこれは大体のところにおいてあるだろうと思います。また置くように、いろいろな争いがありましたけれども、制定するように指導してきたわけであります。管理規則と申しますのは、これは単にその学校内部のことよりは、主として教育委員会とそれから学校との関係、その権限の委任関係をどう整理するかということが非常に大きな目的でありまして、それがないと、学校にいたしましても、あるいは社会教育施設の図書館にいたしましても、いかなる権限まで教育委員会実施に行使するか、いかなる権限は校長の限りでできるかというような限界があいまいで紛争が起こってきた事例がございますので、この教育委員会法を改正する際に、その点はできるだけ明文で明らかにしておくようにという立法趣旨で、管理規則はその根拠規定を置いたものでございます。ですから、管理規則というものは大体において制定をされている。ただ、管理規則にいかなる部分をいかに規定しているかということは、あるいは地方によって増減があるということはあります。
  92. 小野明

    ○小野明君 最後に、学校教育法に校長は規定してあります。校長、教諭というのは、それぞれ以下の問題は規定はしてありますけれども、教頭というのは規定をしていないわけですね。そういうところから、やはりいまの職務代行権がないということからも、教頭を管理職に持ってくるというのは、いまの法規の上から言うと、やはり無理があるではないかということが私は考えられるわけですね。その点はどうですか。
  93. 斎藤正

    説明員斎藤正君) いかなるものを法律自体で定め、いかなるものを法律の委任に基づく命令で定めるかということは政策としていろいろあろうかと思います。御承知のように、教頭のみならず、学校に置かれる職員につきましても、その法律自体で定めているものとそうでないものと、こういうものを一体どういうふうに整理すべきかということは立法政策としていろいろ検討すべき課題があるというふうにも思いますけれども、そのことは、実は職務の性質を議論する場合には、法令上の、形式上の根拠をおくことにしておるということで、その職務内容が左右されるものではない。それから、それによって共通的な職務内容が行なわれる行なわれないというようなことを左右すべきものではないと思います。これは立法政策の問題として適当な判断をもって出し入れということがある。この点につきましては、単に教頭のみならず、先生御承知のように、いろいろ法律上の地位としては左右されないとしても、もっと法律自体で入れてもらったほうがいいというようなこと等もございますから、こういうような職の種類に応じて、将来どういうふうに学校教育自体について規定するのか、その他の付属法令で規定するのかということは、当然検討の課題になるであろうかと思います。
  94. 小野明

    ○小野明君 現行の学校教育法施行規則の関係では、施行規則に「校長を助け、校務を整理する。」、これだけしかない。そうすると、校長にははっきりそういう権限が学校教育法の本法にうたってある。そうすると、現行教育法施行規則の態様から見ると、あり方から見ると、教頭を管理職として位置づけるのにはいまの法文からいうと無理があるのではないかということを私は言っておるわけですがね。
  95. 斎藤正

    説明員斎藤正君) その点は管理職を定めるか定めないかにつきましては、全然無理がないというふうに考えております。ただ、どういうものを法律上に載せたらいいか、どういうものを命令等にゆだねるのがいいかということは、これは全般としていろいろ問題かありますが、その根拠法規を異にすることをもって、いま御質問の管理職になるのは無理だ、無理でないということではございません。また、中には地方だけの条例規則、あるいは長年にわたる慣行はよって職務の内容か固定して、その内容が管理監督的なものであるならば、これは法令の形式上の根拠を問わず、管理監督の職に指定されるべきものである、私どもはこのように考えております。
  96. 小野明

    ○小野明君 終わります。
  97. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 期待される人間像について、関係者の方にちょっとお伺いしたいと思います。  このパンフレットを読んでみたんですけれども、一体文部省は中央教育審議会の、この答申の期待される人間像に何を期待しているのかということを伺いたいと思うんです。端的に言えば、文部大臣はこんなものが何かの役に立つと思っているのかどうか。こんなものというと失礼なんだけれども、役に立つものであるならば、どういうふうに役に立てようとしておるのか、これを教育のサンプルとして、今後、日本のあらゆる教育の中枢にする、こういうお考えに基づいているのかどうか、その点をまずお伺いしたいと思います。
  98. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 先ほども申しましたように、まだ文部大臣にはほんとうの答申がきていない。おそらく近くくると思いますが、また、答申の中にも、どういうような扱いをしてくれという、おそらく中教審の要処があると思います。したがいまして、私いまここでどうのこうのという段階ではございませんけれども、いま特別委員会から中教審に答申されておる、その案を考えてみますというと、この期待される人間像に対しての取り扱いについて、一般国民、ことに教育者その他教育に携わるものに対して参考にしてくれというような趣旨が書いてありますが、私はその参考にするということはきわめて妥当な考え方である、かように考えまして、いいものは参考にしていきたい、かように思っております。具体的にあれをどうする、これをどうするということは、先ほど申し上げましたように答弁の段階ではありませんが、大いに参考にしたいと思っております。
  99. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 具体的にといっても、こういうふうなものが発表になったわけです。発表になって、しかも、どういうことが書いてあるかというと、いま大臣がおっしゃったように、「教育者その他人間形成の任に携わる人々の参考」にということが書いてある。それならば、そういうことは頼んだ覚えがない、よけいなことを言うな、そういうことを頼んだ覚えがたいというならば話は別だけれども、一応答申をさせておいて、参考にという以上は、文部省が参考書的な取り上げ方をするということにならざるを得ないだろうと思いますね。まず初めのほうから読んでみて、意味が大臣よくわかりましたか。私は読んでみて、どうも意味のわからないような点が多々あったように思うのです。率直にお伺いしますけれども、一体意味がわかったかどうか、どうですか。
  100. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 先ほども何回も繰り返して申しておるように、私のところにはまだ答申がきていないのですよ。したがいまして、私も一々字句を詳しく検討する段階にいっていない。まあ平たく言えば、こういうようなものがいま特別委員会から中教審のほうに答申されたというものがここにありますが、すらっと一応目を通した程度でありまして、本答申がひょっとしたら変わるかもしれません。したがって、本答申がきてからしっかりと目を通していきたい、かように考えますので、いま、中についてとやかく言う段階でないことを御了承願いたい。
  101. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それじゃ本物がくるといっても形式上の問題なんだから、事実上はこういうパンフレットがきておるのですから、本物ががらりと変わるということになれば別ですけれども、この委員会でもって文句をつけられたらまた変えますと、こういう性質のものじゃないでしょう、おそらく。本物がきていないということは手続上の問題でしょう。そうなると、読んでみて意味がわからなければいかぬと思うのです。一度読んだのじゃさっぱりわからない。二度三度繰り返して読むとなおわからない、こういうのじゃ値打ちはないと思うのですよ。率直に結論から言うと、私、読んでみたけれども、味かないのですね、さっぱり。それから内容が空虚ですこぶる抽象的なんです。片の教育勅語というものは、中身はいろいろ問題かありましたけれども、とにかく中身のよしあしは別として、いい方はわりあいに具体的で、表現も文学的で格調の高いものがあった。それに比べるというと、この答申は味もそっけもない。つかみどころがないのです。だから、こういうものを参考にするといったって、どうやって参考にしたらいいのか、私は教育者そのものが困るのじゃないかと思うのです。砂をかむようなんです、いうなれば。しかも具体性がない、味がないということになりますと、何といいますか、コンニャクの水たきのようなもので、栄養にもならなければ、うまくもない。砂をかむようだということをよくいわれるのだけれども、コンニャクの水たきを砂でまぶしたらこんなものじゃないかなというふうな感じがするのです。もう少し日本語として通用するようなふうに書きかえができるのかどうか。私は率直に――意地悪く言うのじゃないが、率直に読んでみた感じを言うのだから。どうも評判が悪いということになったらもう一度、本ものはもうちょっと書き直しをして、それで出し直しをさせる、こういうことはできるのかどうか、そういう性格のものかどうかをお伺いしたい。
  102. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) これは中教審の答申ですからね。一々字句をああせい、こうせいというようなことは文部大臣としてはできない。しかし、これを大いに参考にする上におきましては、このうちのいろいろいいものもありますから、いいものは大いに取り入れて参考に供したい、こう考えております。
  103. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 事務局の人にお伺いしたいけれども、大臣は本ものがきてないということを言われたけれども、週刊誌にだってちゃんと載っているのですよ、評判が。サンデー毎日に書いてありますよ。平均年齢六十九歳が期待される人間像だと書いてある。だから、公になっているのですよ。公になっている以上はどうもこいつはうまくない、こんなもの役に立たないと思ったら練り直しをするというくらいの配慮をはかるのが私は妥当じゃないかと思うんだけれども、いまさらこの平均年齢六十九歳の委員にもう一度やり直しをお願いするというわけにはいかないというものなのか、少しは手を加えるということが可能なものかどうか、この点をお伺いしたいと思う。
  104. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 中教審は人間像を検討するために第十九特別委員会を設けられまして、その委員会の長期にわたる検討の結果の結論を総会に提出されました。総会ではこれを一応了承された上で木答申にこれをどのように組み入れるかということを検討しておられる段階でございます。したがって、その段階において私どもは事務局の立場から、この全体的な表現の中身をより一般の理解がしやすいようにするためにいろいろ委員に御助言を申し上げ、より完全なものにするためのことは事務局としていたしておりますけれども、本審議会へ答申として出てまいりましたものをあらためて文部省がこれを練り直すようにということを審議会に要望されるということは、いままでそういう先例もございませんし、おそらくそういうことはなかろうかと存じております。
  105. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それじゃ、時間の関係もありますから、少し中身に入って部分的に指摘をしてお伺いをしてみたいと思うんですけれども、日本及び日本人の過去においては改めるべき点も少なくないが、継承され、発展させるべきすぐれた点も数多くある、これは五ページにこう書いてあります。そこで、改めるべき点と継承され、発展させるべき点は具体的に何かということがわからなければ、これは教えようがないわけですよ。個々の教育者に継承あるいは発展させるべき点というものの解釈を一任をするのか、その一存にまかせるのか、あらためて中教審や文部省でもってこういう点を継承し、発展させなければならない、こういう点は改めなきゃならない、こういうふうにするのか、この点さっぱり具体性かないでしょう。これはどうなんですか。
  106. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) ただいま御指摘の五ページのところは、日本人が当面しておる課題というところで、一般的な問題として、いま御指摘のように改めるべき点も少なくないし、すぐれた点も多いということを指摘をしておられまして、そのような要請に応じてどのような特性を身につけるべきかは第二部以下に述べられておるわけです。そして、いまの御指摘の欠点、長所に関することとして具体的に触れておられますことが第二部のほうに名所に出ております。具体的に申し上げますならば、改善を要すべき点というものは、たとえば九ページの初めのほうに、日本人は「寛容と忍耐の精神にも富んでいた。豊かな知性にも欠けていない。ただその知性は社会的知性として、人間関係の両においてじゅうぶんに伸ばされていなかった。」、そのような社会的知性としての開発が重要だという一つの欠点として述べられております。また、改めるべき点としては、二十二ページに、社会的な規範に関する問題が述べられておりまして、その部分には、表現といたしましては、「日本社会の最大の欠陥は、社会的規範力の弱さにあり、」というようなこと、それからさらに、「日本人は社会的正義に対して比較的鈍感である」、さらにまた、次のページの二十三ページの後段には、「日本人のもつ社会道徳の水準は遺憾ながら低い。」というようなこととして出ております。さらに、継承すべき特質といたしましては、ページとしてはもとへ戻りますが、九ページのところにおきまして、日本人は情諸、寛容の精神、そういったものに富んでおったということがまず述べられておりますし、十六ページの家庭のところにおきましては、家庭を愛の場とし、そのいこいの場とするということが述べられております中に、「古い日本の家族制度はいろいろと批判されたが、そのことは愛の場としての家庭を否定することであってはならない。愛の場としての家庭を守り、育てるための家庭道徳の否定であってはならない。」、この背後には日本の古来の家族制度の中には、そのような意味において伸ばすべきいい点もあるということを言っておられます。さらに総括いたしまして、二十五ページに、「すぐれた国民性を伸ばすこと」という項目の中には、具体的に改めるべき点としましては、日本人の愛情のこまやかさの裏には広さが少ない、深さか浅い、寛容の精神の裏には自主性が足りないということを述べられておりますし、さらに、日本人は、国民性として、勤勉秘方の性格、高い知能水準、技能的素質などを指摘されておられます。このようなことを伸ばすことによって、わが国は大いに平和と繁栄の道を歩むことができる、このように、第二部においては各所にそのようなことを具体的に指摘されておると理解いたしております。
  107. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 節二部に書いてあることも、これまたすこぶる抽象的なんですよ。これは具体的に指摘をするならば、民族あるいは国家の歴史の中から具体的に指摘をしないというと、改めるべき点だって、伸ばすべき点だって、これだけじゃ何にもわかりませんよ。いま読んでもらったような内容の点はですよ、個々にいろいろあるものだから、愛情だって深いとか、浅いとかいいますけれども、民族として、過去の民族の歴史の中で、じゃどういう失敗をおかしたか、どういう美点があったかというようなことを、これは個々に具体的に取り上げなければこれはわかりません。抽象的な文句じゃ、こういう表現じゃ、反発をする場合もあるし、そんなことじゃないという場合もあるし、さまざまなんです。だから、こういう抽象的なことでは、これまた教科書にはならぬというふうに私は指摘したい。  その次に、じゃ日本語として、はたして合格しているかどうかというようなことも、最初のほうからちょっと言ってみますと、六ページの終わりのほうに、「日本は強くたくましくならなければならない。それによって日本ははじめて平和国家となることができる。」、いまちっともたくましくも強くもないというふうに言っておるように聞こえる。「もとより、ここでいう強さ、たくましさとは、人間の精神的、道徳的な強さ、たくましさを中心とする日本の自主独立に必要なすべての力を意味している。」、これがどうも一体わかるかということなんですね。へたな通釈が外国語を翻訳したような感じなんですね。こういう日本語として一回読んだのじゃわからぬ、二回、三回読んでもなおわからなくなるこういうような表現は、私は文部省あたりの、文部省でなくても、中教審の中で、少しは文革の面ですぐれた素質を持っている人がいるのじゃないかと思うのですね。こう回りくどくて意味がわからないような表現をなぜしなければならぬのか。これは起草者自身のお書きになったものを尊重したのか、あるいは助言をする事務局の人がこのようにつくり上げたものか、その点はどうなんですか。
  108. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 第十九特別委員会の作業の方法といたしましては、当初、中間草案をつくります前段におきまして、各委員の自由なる意見の交換が行なわれました。それらの御意見を取り入れた上で、主査がまず原案を起草いたされました。それに対して、各委員の御意見に対してそれを全体的に修正して、中間草案として各方面の意見を聞くために公表されたわけでございます。その後、各方面の意見を伺った上でさらに審議会で検討し、最後の段階におきましては、文章表現におきまして、われわれ事務局も、それ自体からどのような意味を読み取るべきかという、もし不可解であると思われるところについてはわれわれの意見を申し上げ、その内容をより的確に表現するようにお願いをいたしました。そしてさらに日本語としてこれで文法的に誤りがあるかどうかについては、文部省の国語課の専門職員に検討していただきました。
  109. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 文法的に誤りがないかどうかという点で合格してみても、読んでみてその意味がすなおにわかるかわからないかという点で不合格になれば何にもならないのです。そういう意味では私どもは文章を沈むのにはなれているつもりなんですけれども、これでもどうもぴんとこないという点がありますから、文部省の規格には合格したかもしれませんけれども、感じとしては落第というふうに言いたい。  それから今度は大臣にお伺いしたいけれども、まず六ページに、「日本は西と東、北と南の対立の間にある。」と書いてある。その対立を一体どう説明するつもりか。たとえばベトナム問題、現実の問題を取り上げるとベトナム問題、このベトナム問題というのは西と東の対立なのか、北と南の対立なのか。方角からいうと北と南ということになるかもしれぬけれども、現実の問題としてどういう対立を意味しておるのか。これはこっちのほうにもその説明がついておりませんよ、うしろのほうの各論のほうに。しかし、この対立があるというふうに書いてある以上は、その対立はどういうものか、ベトナムは一体どういうことなのか、説明が出ていなければならぬわけでしょう。そのベトナム問題に対する認識は、いまの日本の外務省のとっているような、アメリカのやっている行為が正しいんだといったような認識に立つのか、あるいはアメリカのやっているベトナム戦争というものは誤りであるという国も、いわゆる自由主義陣営の中にもたくさんあるんだから、そういう認識を取り上げるのか。だとすると、この対立というものは説明がつかなくなる。こういう問題に対しては一体どのような解釈をしたらいいのか、文部大臣見解をお伺いしたいと思う。
  110. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) いまの問題は文部大臣として答弁することは妥当でないと思います。あるいは政府全体として総理大臣、ことにいまのこの問題は中教審自身が書かれた問題でありまして、私はもしほんとうの答申を得たならば、中教審に対してどういうあなたは考えのもとにこういうことを書かれたか聞きただしたいと思います。その上で私は政府見解とあわせてかくかくに実は考えておるというような答弁をしたいと思っております。
  111. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 文部大臣すら答えられないといったようなものが教育者にどうやって答えられるかということになりますよ。  それではその次に、民主主義を考えるにあたって、自主的な個人の尊厳から出発するものと、階級闘争的立場から出発するものとの対立があるという、これは今度は国際的な問題から国内的な分野に幅を狭めてきたんだろうと思う。さっき小林さんもちょっと触れておったようですけれども、それでは階級闘争的立場から出発した民主主義と、それから自主的な個人の尊厳から出発したその民主主義というものは、これはどこでだれがどういうふうに対立をしておるか、こういうふうに考えるのか、これもまた説明ができるかどうか、お伺いをしたい。
  112. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 十九特別委員会の報告に書かれました文言に関してのお尋ねであるとしますれば、私は事務局としてこの文案からわれわれが何を理解しているかということを申し上げたいと思います。中教審のこの第一部におきまして述べられておりますそれぞれのことばは、中教審自体が、現在の日本国昂が当面の課題としてどういうものを目の前に持っているかということを全体的に述べられたものでありまして、ただいま御指摘の民主主義の問題につきましても、同じく民主主義ということばを使っており、そのものを理想として掲げながらも、世界の国々の中には個人と社会との関係についていずれをより優先的なものとして考えるかという点で、国家理想において異なるものがあるという事実を指摘しておられるんだろうと思います。私どもはそれなりにこの文革は理解できると思っております。ただ、それがここのどれがそれに相当するのかということはここでは論議をしていないわけでございます。
  113. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それはまた具体的にはわからぬことになるのですよ。それは階級闘争的な立場からと考えている民主主義というのは、大ざっぱに分ければ革新勢力というものは民主主義というものを階級闘争的な立場から考えているのだ、だから間違いなんだ、自主的な個人の尊厳、こういう考えから出発している民主主張とは全然別の問題である、あれはまやかしであるというふうに言いたいために書かれたのではないかというぐあいに解釈されると思う。このことで論議をしてみても始まらないから、これもまた具体的には説明がしがたい。教育者に対してサンプルとして与えた場合に個々の考え方によってどのような説明もできるようになる。じゃ現実にはだれとだれが、あるいはどういう団体とどういう団体がどういう対立をしておるかということの説明はこれまたできないわけです。  それから「法的手続きを無視し一挙に理想境を実現しようとする革命主義」とは、七ページに書いてありますけれども、一体そういう主義が今日存在しているのかどうか。「それと関連する全体主義」とは一体何かということになりますが、あたかも日本の国内では「法的手続きを無視して一挙に理想境を実現しようとする革命主唱」というものが存在をしているかのようにここでは読み取れるわけです。しかもそれが全体主義である、こういうふうに七ページに書いてある文章を読めば感じられるわけなんですけれども、あからさまにこれは革新勢力に対する一つの一方的な誹謗として書かれたものではないということが今度は言い切れるのかどうか、その点をお伺いしたいと思います。
  114. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 御指摘の七ページは、「日本のあり方」というところで、最初に日本に民主主義が十分に定着をしていないということを述べられまして、以下注意すべきこととして、まず民主主張考え方というものを、そもそもの思想の発展の歴史から考察するというふうに表現されております。したがって、ここに述べられております御指摘の「法的手続きを無視し一挙に理想境を実現しようという革命主義でもなく」というのですから、わが国の民主主義というものが憲法等の国家理想から考えるならば、そのような立場の民主主義ではないということで説明をしておられるわけでありまして、わが国にそういう革命政党があるということをここで言っているのではありません。しかしながら、当然、世界の全体の立場から見ますならば、いわゆる極右極左と言われますような非合法的な手続を持った革命を目的とする政治団体が過去にもあったし、現在もあろうという認識が根本にございます。さらに、個人の自由と国家との関係考えますと、個人の自由よりは国家の全体目的を優先的に考える、これを私どもは全体主義ということばで表現されていると思います。これらは極右極左の団体が通常思想的な背景として持っていると考えられますので、それとの関連において全体主義という表現がとられていると思います。
  115. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それでは今度は八ページには、「今日の日本は、世界が自由主義国家群と全体主義国家群の二つに分かれている事情に影響され、民主主義の理解について混乱を起こしている。」、こう書いてあるのですね。それじゃ自由主義国家群と全体主義国家群に二分されているというのは、たとえば地球の裏側のことまで言わないことにして、この近所で言った場合には、アジアに限定して言った場合には、どことどこが自由主義国家群で、どことどこが全体主義国家群というふうに規定をするのか、たとえばベトナムあるいは韓国、南ベトナムなり韓国という国がある、これらの国の現在の政権というものはどういう経路を経て今日の政府というものが存在しているかということは大体わかっておるわけなんですが、これらの国々までも自由主義国家群である、いわゆるその理想的な民主主義の国である、こういうような規定をした解釈をするのかどうか。こういう自由主義国家群と全体主義国家群とに二つに分けるという考え方が当を得ているとお考えになっているのかどうか、その点をお伺いしたいと思います。
  116. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私はあくまで中教審がこれを書かれました立場考え方を御説明申し上げるわけでありますが、ここの表現といたしましては、世界の国々をその国家理想の面から見ますならば、個人の自由に重点を置いた国家理想を掲げる国と、それよりも国家の統一的な目的の実現に重点を置く国家理想を掲げる国とにこれを分けて考えることができる。そして具体的にどのような国がそれかということはここでは議論になって  おりませんし、これは中教審自体も、これらの資料を読んだ人が自分で考える資料にしてもらいたいという立場から、おのずからそれらの判断は個々の人のあれにまかされておると私は理解いたしております。
  117. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 そういう個々の判断にまかせるくらいだったら書かないほうがいいですよ。ここの書き力は、世の中を善玉と悪玉に分けてしまう。それで、たとえどんな事実上悪いことをやっておっても、善玉は自由主義国家群である、それで悪玉は全体主義国家群である、それは社会主義国であると、こういうふうな規定をしようとしている意図が明瞭なんですね。こういうような意図は、思想教育の点で大きな誤りをおかすと思う。いかに自民党の文部大臣といえども、このような割り切り方というものが、今日の世界情勢において当を得ているというふうにはお考えになれまいと思うのですけれどもね。文部大臣見解をこの点についてお伺いしたいと思う。はたしてこういうような割り切り方、こういう規定をして、それを教育のサンプルにするということが、あるいは国際情勢の認識に対する一つの模範とすることが妥当であるとお考えになるかどうか。
  118. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 何回も言っておりますように、いま私がこの内容についてとやかく言う段階でないということだけは御了解願いたい。
  119. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 とやかく言ったってかまわないのです。言う段階じゃないと言うけれどもね、すでに公表されていて、本物がきているとかきていないとかいうのは手続上の問題なんですよ。これはもう、どんなものが出るだろうかという段階じゃないのですから。もう出ちゃったのですから、われわれのところへだってこのパンフレットはちゃんときている。文部大臣のところへいっていないわけはない。しかもお読みになった。で、これがいよいよ本物となって日本教育界に君臨をするということになると非常に問題があると思う。だから、読んでみて、はっきりと、これは問題だと思われることについては、文部大臣が大いにとやかく言ってもらわなければいかぬと思うのですよ、悪いと思うことは。黙ってるいということは、問題があってもここはほおかぶりしてこのまま押し通してしまおう、こういうふうに解釈されるわけです。文部大臣としては言いたくはないということであって、腹の中じゃ考えることはあるけれども、この場では言いたくないということであれば、これ以上追及したってしょうがないから私は言いませんけれどもね。
  120. 小林武

    小林武君 関連。いまのところひとつはっきりしておきたいのだがね。内容についてはぼくはきょうは入らないつもりでありましたけれども、さっきの説明がありましたからね。あなたはさっき、全体主義国家ということに対して極左極右ということを説明されたね。そうすると、その極左極右というのが全体主義国家群で、いわゆる自由主義国家群といわれるのは極左極右でないと、こういうふうに理解してよろしいですか。
  121. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 私は先ほど、七ページのこの叙述のところにおきまして、「法的手続きを無視し一挙に理想境を実現しようとする革命主義でもなく、それと関連する全体主義でもない。」、ここでは、つまりわが国の憲法が目ざすところの民主主義というものの中外がそのようなものとは違うという説明をしておられるところに、そこに触れまして、ここでいわれる全体主義とは何かといわれますならば、そのような極右極左の政治団体が通常思想的背景として全体主義というものに考え得るということを申し上げたわけでありまして、これを国家のカテゴリーとしまして、全体主義国家群が極右極左であるということを申し上げているつもりではございません。
  122. 小林武

    小林武君 そういう詭弁はやめなさい。そんな詭弁を弄してはいかぬですよ。全体主義というものはこういうものであるとあなたは定義を下したのでしょう。あなたが下したのではなくて中教審だな。そういう全体主義によって立つ国がそういう全体主義国家群ではないですか。先ほど瀬谷君も言われましたけれどもね、大体善玉悪玉主義なんだ。国内においては国民を分けるのに階級的闘争とか全体主義とかというようなことで国民を二分して考える。国家をいう場合には国家群を分けてこういう。この考え方に一本通っている筋は、まさにその極右的思想がこの中に入っている。こういうものが一体期待される人間像なんというりっぱな名前をつけて日本教育界にのさばってきている。そして教員に影響を与えようとしている。政治的中立を守らぬ、それは。これこそとにかく政治的中立に関する法律によって罰せられなければならぬようなこれは文章じゃないですか。  文部大臣、あなたはいま言うべき段階ではないとか何とか言いましたけれども、こういうものはよく読んでもらいたい。ぼくはさっきあなたに対してはある程度譲歩した。よく読んでからひとつ中身をやりましょうと、こう言った。しかし、話が出て、瀬谷委員の質問によってだんだん聞いているというと、ますます妙なことになってきている。これはもうとにかく文書として外部に出ている。教育界にもばらまかれている。こういうことになった限りにおいては、この問題だけでひとつ委員会はもう徹底的に議論する必要が私はあると思う。そういう手続をあなたもとってもらいたいし、委員会のほうでもそういうようなひとつ配慮をしてもらいたいと私は思っているのです。その際にはあなた、まだ読んでいないとか、内閣の方針はどうだとかいうようなことを、逃げ口上言わないで、これを出された人から十分あなたは、ひとつ素案であろうが何であろうが、これが後に変えられるとか何とかということは別にして、この問題に責任を負ってやっぱり答弁もできるような態勢をつくってひとつ臨んでもらいたい。いまのようなことで、私は答えられません、具体的には私は聞いておりませんと言うのは、これは事務局です。具体的に話が出ないでもしこういうことを書いたとしたら、とんでもない話だと思うのです。自由主義国家群と全体主義国家群と分けたらはっきりしているじゃありませんか。いわゆる社会主義国家群は全体主義国家群だと言っているでしょう。それならそうと大胆に言いなさいと私は起案者に言いたい。そういうものの考え方一体いいのかどうかということもありますし、まあこの初めの書き出しのところからまことに奇妙キテレツなものだと私は思っている。これによって日本教育がこれから行なわれていくと考えると、これからいったら基本法は大体直さなければならぬですよ。教育末本法、憲法もある程度直さなければならぬ。筋が通らぬと思うのです。私はそうなると思うのです。どうぞひとつ、そういうことはあと議論することにして、あなたのほうでひとつ準備してください。いつでも受けて立つと、大臣も堂々と意見を述べる。これは早急にやるべきことだと思うのです。そういう機会をつくられるだろうと思うから、あなたもひとつそのときには堂々と意見を述べて、文部省の態度はこうだ、佐藤内閣の文教政策の態度はこうだということをひとつやってもらいたい。希望しておきます。
  123. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) いま中教審はこの問題について審議中ですね、審議中なんですよ。いかにこれが公布されましても、まだ審議中、したがいまして、文部大臣としては、これを、木答申を受けた上のことにして、本答申を受けた上でひとつ御希望のように、私の見解もはっきり申し上げる機会が出てくると思う。
  124. 小林武

    小林武君 一つだけ申し上げますがね、そういう種類のものであるなら今後出してもらいたくない。外部に出すべきじゃないですよ、本ぎまりまで。私はこういうものをやって、なしくずしに一体教育界にいろいろな影響を与えようという下心だと思っている。そんなにはっきりものを言えないようなものであるならば、あるいは具体的な内容を持っていないものであるならば出すべきじゃない。今後ひとつ絶対出してもらいたくない。こういうものは、あなたのほうから出ている事務局なんですから、そういうことは言明してもらいたい。とにかくこういうものを出さないでもらいたい。出て、これが本物だ、どこからでもいらっしゃい、そのときにひとつ議論するということにすればいいので、こういうものを出して、週刊誌には出るわ、新聞には出るわ、あなたのほうでもこれを方々各所に配っているだろうと思う。そうなれば、このことについてそう思い込む人だってずいぶんありますよ。これがまたあなたのほうの文教政策だと思う人もある。当然ですよ、それは。いままでの日本人の欠点として、この中には書いておらぬがこういう性格を持っている。だから、今後あなたのほうではっきり責任の持てないようなものはここに出してもらいたくない。出してくるときにはひとついつでも受け答えできるというふうにやるべきだと思う。しかし、このことについてはもうだめですよ、出したんですから。だから、堂々と受け答えするような態勢をひとつつくってください。
  125. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) こういうものが世間に発表された。これは文部省が発表したのじゃなくて、中教審自身が発表した。
  126. 小林武

    小林武君 あなたが聞いたから出したんだ、答申したから……。
  127. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) だから、私のほうはこういうことに対して責任は持てない。また、いよいよ中教審から本答申になってくれば、今後、文部大臣から、中教審から正式にいろいろな解釈、そういうものを聞いてその上でやる。
  128. 小林武

    小林武君 じゃ、なぜ外部に出したんですか。
  129. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それは中教審でつくったんで、おれのほうでは関係ないというふうに聞きとれるけれども、こんなことは頼んだ覚えはないというなら別ですよ。まるっきりよけいなものだ、文部省とは全然無縁だ、教育とは関係ない、こういうんなら別ですよ。そうじゃないでしょう。頼んだ覚えがあるのでしょう。文部省のほうで関係しておるわけでしょう。だとすると、わしゃ知らぬでは済まないですよ、これは。出かかってきたんです。本物であるかどうかは別として、出かかってきて、こう出ているわけなんですから。話題になっているのですよ、現に。教育に携わる人間の参考にしてもらいたいと書いてある、おしまいのほうに。大臣がこんなものは参考にできないというのなら別ですよ。だが参考にしてもらうつもりでおるのです、片一方じゃ。書いた人間が平均年齢六十九才の脳みそにカビのはえたような連中がたわ言を言っているといって済ましてしまえば別ですけれども、一つの電球をもって日本教育界に君臨をする可能性が多分にあると思うから、われわれだって本物であろうとなかろうと別にしてこれを問題にしているわけです。先ほどちょっと私言いましたけれども、すこぶる抽象的で、味がなくてコンニャクの水たきのようだと言ったのですけれども、コンニャクだってだんだんこれを内容を吟味していくうちに、毒にならなければいいけれども、すいてきたり、異臭を発するようになってきたんじゃますます食えないことになる。だから、もしいま型どおりの逃げことばを大臣述べられたけれども、そういう段階じゃないん、だから、もし、これは内閣全体の問題で総理から答えてもらわなければならぬということであるならば、じゃ本物が形の上でも手続の上でもちゃんとした場合には、総理大臣にも出席してもらって、内容の一つ一つについて責任を持った回答をしてもらえるのかどうか、そうしなければならぬと私は思うのですが、どうですか。これはそれが約束できるならばあえてこれ以上内容については触れませんけれども。
  130. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 総理大臣云々ということは約束できません。少なくとも、文部大臣としては、それは皆さんと十分討議をしたい、かように思っております。まあしかし、コンニャクの味がないとおっしゃいますけれども、またじっくりと読んでいただければ味わっていただければまたいい味いが出てきますから、あまりかたくならずに、床もまたかみしめていただきたいと思います。
  131. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 コンニャクだからもとも初めからかたくはないです。幾ら問答やったところで歯ごたえがないですから、歯っかけばあさんがコンニャクをかんでいるみたいだ、問答やったところで大臣にそういうふうに逃げられちゃったんじゃ話の進めようがない。総理大臣に出席してもらう気はないと、こう言ったけれども、先ほどのあなたの答弁の中では、いまの段階では言えないとか、それは総理大臣でなければ言えないとかいった意味のことばがありましたよ、言ったでしょう。言った覚えがあるでしょう。国家的な問題、外交上の問題等については、それは総理大臣の出席はあえて求めなくても、やはり近い将来、本物が出た場合には、内閣の責任においてあなたが十分にお答えになっていただける、こういうように約束されるわけですか。
  132. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) そういう場合には文部大臣もあれしましょうし、あるいはまた外務大臣からも聞かなければならぬ場合もありましょうから、これはこの委員会の運営の問題でして、私がいま総理大臣に必ず出席してもらいますとか、とやかく言うことは、いまのところでは言うべき段階じゃない、そのときに、委員会で御相談してくださればいい問題じゃないかと思います。
  133. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 コンニャク問答していてもしょうかないから締めくくりたいと思いますが、これではどんなにこれを聞いてみても、最後にはこれは本物じゃないというだけで、いまとやかく言える段階じゃないという話だけなんです。だから、これ以上やりとりしても意味がないと思いますから、私はまだほかにもありますけれども省略をします。  で、最後に、象徴の問題について書いてありますが、ここのところは「象徴に敬愛の念をもつこと」というふうに書いてあります。で、これは憲法に書いてあるからということ、ここのところで憲法を持ち出してあるわけです。最初のほうは、憲法くそ食らえ、こういう調子でずって書き進んでおります。終わりのほうにくると、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国昂の総意に基く。」、という表現で明確に憲法では規定してある、こういうふうに書いてあるのですけれども、「もともと象徴とは象徴されるものが実体としてあってはじめて象徴としての意味をもつ。」、ここら辺ですよ、何回読んでみてもわからないのは。「そしてこの際、象徴としての天皇の実体をなすのは、日本国および日本国民の統合ということである。しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。もしそうであるならば、日本国を愛するものが、日本国の象徴を愛するということは、論理上当然である。」、論理上さっぱりわからないことが書いてあって「倫理上当然である。」、ここら辺書いた人間の私は精神状態を疑いたくなるのですよ。ここのところを読んでみてすなおに意味のわかる人が一体ありますか。よくかみしめてもらえばとさつき文部大臣言いましたけれども、文部大臣自身、「象徴に敬愛の念をもつこと」、この二番の個所が理解できますか。また、こういうようなわけのわからないことでもって天皇というものを説明することが現場の教師にできるかどうか、いや教育者全体にできるとお思いになるのかどうか、これはとやかく言うことはできるできないの問題じゃなくて、ここのところを読んだ感じでもって文部大臣自身の見解を私はお伺いしたいと思います。
  134. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 何回も言いますように、内容には入りたくないのです。これは差し控えさしてもらいますが、私の全体の、いま中教審で審議中のこの案の感じは、やはり憲法教育基本法というそれの前提に立って、それにのっとってやっておるものと考えております。したがって、何も憲法を無視するどころじゃない。憲法を非常に尊重しながら、また教育基本法というものをしっかりと頭に置きながら、その上に立ってこういった答申ができておるものと私は考えております。
  135. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それじゃこれ以上押し問答してみたところでらちがあかないから私はやめます。しかし、期待される人間像というのはすでに今日世の中にあらわれておる。本物になるかならないかという手続上のことは別として、もう話題になっておるのですから、これを文教委員会として、文部大臣責任を持って、とやかく言うべき段階じゃないとか何とか言わないで、今度は大いにとやかく言ってもらって、とことんまで私は論議をする必要があると思う。そういう機会を持ってもらいたい。そうすれば、期待される人間像というのが、老人に期待される人間像だったのか、保守党に期待される人間像のことだったのか、一体何を期待しているのかということもおのずから明らかになってくると思う。そういう機会をひとつ、ぜひとも責任を持って持っていただくということをお願いをして私の質問は終りたいと思います。
  136. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 期待される人間像についていろいろお伺いいたします。この最終報告が発表されましたが、具体的な教育目標が望まれていますときに、このようへ人間像が示された内容について、概念的だとか、抽象的であるとか、具体性がないというような、またいろいろ問題点が内容には何カ所かございますが、一応はその労は買われるべきだと思います。しかし、今後これを実現させるためには大きな問題があると思います。そしてまたそれは検討されなければならないと思います。で、こういう点から二、三質問をいたします。  一つは、今回の案は中間発表案に対する種々の批判にこたえて手直しをして発表された。その批判はどんな批判であり、そしてどのような手直しをしたのか、説明をしていただきたいと思います。
  137. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) お尋ねが委員会の審議の手続、内容に関することでございますので私からお答えを申し上げます。この中間草案が発表されましたのは昨年の一月でございまして、御承知のように、文部省としては、この期待される人間像とは、日本国民日本国民に期待するものという意味において、広く国民の御意向をここに十分反映したいという立場で、積極的に御要望のある向きには配布をいたしまして御意見を伺うことにいたしました。この結果、いろいろ新聞、雑誌等で論評を発表された力もございますし、文部省へ直接意見書を提出された方もございます。そのような全体を通じましてわれわれが入手できます限りの御意見を整理をいたしましたわけでありますが、件数にいたしまして約二千件ほどでございました。そしてそのようなものをこの案文の各項目に即して事項別の意見表として取りまとめましてこれを委員会に提出をいたしました。そしてそれをもとにいたしまして、各方面から述べられた御意見について十九特別委員会としてはどのように考えるかという論議が繰り返し行なわれてまいりました。またその間、そのような文書による御意見以外に、中教審としては、本年になりましてから数名の参考人の方々からまたこの中間草案に対する御意見も直接伺う機会を持ったわけであります。そのような手続を経ました結果、全体的に、御指摘の中で、委員会自体がこの点は前の中間草案として不備であるという点をいろいろ感ぜられたところはかなり大幅な修正が行なわれております。たとえば、その具体例を申し上げますならば、この当初の案におきましては、象徴の問題が第一部、当時は総論と申しておりましたが、そこの末尾につけ加わっておりましたが、これは象徴の問題は日本人の当面する課題という観点ではなくて、日本人に国民として期待される一つの徳性の問題として取り上げるべきであるというので、これは第二部の第四革にこれが場所が変わりました。それからまた個々の徳目の表示にいたしましても、これが内容から見まして必ずしも表題が適切でないというようなもの、それから当時必ずしも十分に強調されていなかった観点等がございました。たとえば人間のからだを大切にする問題というような問題は今回新たにつけ加わりました。さらに、宗教的情操の問題といたしまして、これを中心にした項目が個人の徳目として大半であるという観点から、「畏敬の念をもつこと」という項目が新たにつけ加わりました。また、社会人の場面におきましては、社会福祉に寄与する、社会奉仕の精神というものを強調すべきであるという観点が取り入れられまして、そのような項目がふえております。そして最後に、従来日本人としてさまざまな、たくましい日本人、美しい日本人、それから豊かな日本人という項目がございましたが、これらは徳目というよりもむしろわが国の憲法教育基本法が述べております国家理想として第一部の前提のところにそれを述べるべきだということで、そのような平和国家、民主国家、福祉国家考え方は第一部のところに内容的にこれを移しかえて、「国民として」というところの項目からはこれを除いたというような点で、各方面で内容的な編成をやりかえております。そして、なお文章表現といたしましては、直接これを国民に命令形の形で呼びかけるということは、むしろ読む人に対しての与える影響を考えまして、期待されるものとしてその項目は何々することというような表現に改まっております。そのような点で、各方面から出ました意見を審議会としては慎重に検討されて、一応、最終報告案をまとめられたように理解いたしております。
  138. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 第二点は、この期待される人間像、それと後期中等教育の拡充整備とをあわせて文部大臣に正式に答申されるようでありますが、この二つをあわせて答申させる文部省としては何か考えはあると思いますけれども、その点、基本的な考え方について文部大臣から御説明をいただきたいと思います。
  139. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) この問題は西田審議官から答弁させたいと思います。
  140. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) これはたとえば、御存じと存じますが、昭和三十八年に後期中等教育の拡充整備ということを諮問いたしました場合に、その拡充整備のことを検討するのに、文部省自体が検討すべき問題点として二つの項目を規定いたしております。第一は期待される人間像、第二が後期中等教育のあり方、そして人間像についてはその問題点の中の表現といたしまして、その諮問事項にかように表現いたしております。「すべての古少年を対象として後期中等教育の拡充整備をはかるに当たっては、その理念を明らかにする必要があり、そのためには今後の国家社会における人間像はいかにあるべきかという課題を検討する必要がある。」、かような表現にございますように、後期中等教育を拡充整備するのには、その根本の教育理念を明らかにしたい、そのためには人間形成の目標としての人間の理想的なあり方というものをここで考えてもらいたいという諮問があったわけでございまして、これが後期中等教育拡充整備の理念の背景になるものと考えておるわけであります。
  141. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 大臣にお伺いいたしますが、そうしますと、この後期中等教育の拡充整備の内容には、この期待される人間像の理念というようなものがやはり盛り込まれるものと、こういうふうに考えてよろしいでしょうか。
  142. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 大体においてこの後期中等教育の場合も、いまの答申が得られれば同じように参考に供せられる、かように思います。
  143. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いま大臣が参考にとおっしゃいましたが、参考の内容にもいろいろあると思いますが、文部省から答申要求して、そして出さしたものなんですから、その答申に対しては重要視しなければならないものだと思うのですね。したがって、相当、中等教育の拡充整備の内容にはこの期待される人間像の描かれたものか取り入れられると考えてよろしいわけですね。
  144. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 大体、教育課程にそれが相当取り入れられて参考になるだろう、かように思っております。
  145. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 期待されるこの人間像が正式に答申された場合に、文部大臣教育上でこれをどのような態度で取り扱うかということは大きな問題であり、私たちが関心を一番そこに持っているわけですが、先ほどのように、本答申が来てないからとか、参考の程度にというふうに、この答申の内容にあるから、それに対して自分も参考の程度にこれを用いるとか、そういうようなあいまいなことをおっしゃっておりますけれども、答申として出される以上は、やはり相当検討して出したものであるから、また検討されたその内容は、いまの教育界に大きな問題として今後考えていかなければならない内容のものでありますので、私はいまの段階としては参考程度にしかはっきり答えられませんというような大臣の態度をほんとうに情けないと言おうか、無責任と言おうか、張り合いがないと言おうか、もう少し積極的な意見をお述べになってもいいんじゃないか。むしろ一般社会では大いにこれについて意見を述べているのに、文部大臣はあいまいだというふうに思うが、これについてどういうふうにお考えなんでしょうか。
  146. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 決してあいまいでも何でもないのです。ただ、いまそれを述べる段階でないので差の控えておるだけであります。したがいまして、本答申を得ましたならば、そのときに私の考え方をはっきり表現する時期がくるだろうと思います。ただ、いまでも言えることは、あのいまの中間答申というのか、特別委員会でつくられたあの案を見ますと、その末尾におきまして、一般国民、ことに教育者、教育に携わる人間は大いにこれを参考としてということが書いてありますね。その趣旨を大いに尊重していきたい。これだけは私はっきり申し上げたい、かように旭います。
  147. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 大いに尊重していきたいというそれが大胆のお考えだと、こういうふうに解釈しておいてよろしゅうございますね。
  148. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 末尾に書いてあるあの趣旨は私はきわめて適切だと思うのです。参考にせよと書いてありますね。そのことは私はきわめて妥当で適切である、かように考えております。
  149. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次にお尋ねしますが、期待される人間像を学習指導要領の中に盛り込むのじゃないかとか、初中高の教育課程の改正の際にこれを取り入れる考えがあるのではないかというようなことがいろいろ言われております。もしこのような取り扱いが実行に移されるならば、やがて教師の手引き書や教科書の中にもこの人間像が描かれている考え方が入っていくと思います。かつての教育勅語のように、教育の指導理念として政府がこの考え方教育界に押しつけることになる、そういうおそれがありますので、この期待される人間像の付記に、先ほどから言われておりますように、「参考としてであった。」と述べている。この二つを考え合わせたときに矛盾することになる結果になりますか、どうでしょうか。
  150. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 私のいまの考えでは、まだ正式に答申を得ていないから言いませんが、いわゆる教育憲章的な形にしようというような考えは現段階では持っておりません。けれども、あの末尾に書いてあるような、教育者なり、あるいは教育関係する人があれを大いに頭に入れて、教育の上において大いに尊重して参考としてもらうようにしたい、こういう考えを持っておりおす。
  151. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次にお聞きしますが、中間報告に対しては個性を伸ばせというような命令調であった。これを個性を伸ばすことというような調子に表現を改めた、そうして押しつけがましいというような印象を避けようとして発表されていると思いますが、このような観念的なことでよりよき人間性が形成されるとは私は思わない、人間像の発表について最も重要だと思われることは、この人間像を青少年が受け入れるかどうかということが一番大きい問題だと思います。現在は古い道徳から新しい道徳へと変わっていく時期であると思うのです。中教審はこのために若い世代の意見を聞いたのかどうか、そのことが一点、また若い世代の考え方、正義感、道徳観、家庭、社会、こうした全般に対する見解などをあらかじめ調査したかどうかということをお聞きいたします。
  152. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 審議会としてのこの案文をまとめる手続についてのお尋ねでございますが、先ほど申し上げましたように、各方面の御意見を文書その他でいただきました場合に、投書その他の中にはかなりお若い方々の御意見もたくさんまじっております。なお、参考に意見を聴取いたします場合に、そういう観点から特に若い世代の方にもお願いしようというように考えて参考人をお招きしたこともございます。しかしながら、この報告をつくりますために若い人たち考え方を積極的に調査したかということにつきましては、ございません。それはただいま命令調を変えたということと関連するわけでございますが、審議会としましても審議の全体の過程を見ておりますと、当初はいろいろの委員の中には、これを直接青少年に呼びかけて、若い人がこれを読んで大いにみずから体得するという文章としてつくるのかどうかという議論がございます。それに対しまして今回の付記に明確に出ましたように、これは若い人に直接読んでもらうということそれ自身もちろん期待されておりますが、根本のねらいは、その若い人の教育に携わる人がどういう人を人間の理想像と考え教育に携わるべきかということをそれぞれの方が御自分で考えられる、その場合にそういう教育者の人に参考として読んでもらう。その場合の考え、材料として必要なものをここに盛り込むんだといういう考えに徹底いたしましたために、命令調のようなものよりもこのようなものが期待されるのであるという一つの表現に全体が改まったという点に特に御留意いただきたいと思っております。
  153. 辻武寿

    ○辻武寿君 関連。期待される人間像についてはいろいろ時間文教を尽くしてお伺いしたいと思いますが、きょう大臣はお忙しいようですから、私は一つだけ簡単に。さっき、手直しした中で新たに宗教的情操教育をつけ加えたということ、これはどういう理由からこういうことはつけ加えられたわけですか。
  154. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) この個人としての特性の中に「畏敬の念をもつこと」という表題が出ておりまして、いま御指摘の点がここに新たに強調されておるわけでございますが、これは実は当初の中間草案におきましても、それに関連のある項目といたしましては、「幸福な人間であれ」という表題が当初ございました。それの後段の中に、「生命の根源に対する畏敬の念を抱くこと」ということが述べられております。そして、「幸福な人間であれ」というこの表題そのものが必ずしも適切でないし、さらにこの畏敬の念というようなものがすべての倫理、道徳の根本的なやはり基礎であるという感覚が委員の中で論議をされまして、そのような観点から、これを新たに、「畏敬の念をもつこと」というものに徹したものとしてこれを書き直すということでこれが改められたわけでございます。したがって、中間草案にもある程度出ておりましたものを、さらにふえんいたしまして、このような生命の根源に対する畏敬の念というものがあり、これが宗教的情操の基盤である、しかも、それがあることによって初めて自主独立の人間として使命観なり気概が持てるのだという一番根本的なものとしてこれが強調されたように私ども理解いたしております。
  155. 辻武寿

    ○辻武寿君 生命の根源に対して畏敬の念をもつということは、これは非常にけっこうなことだと思う、根本的な問題だと思いますが、そうなると生命観、特にキリスト教的な生命観もあるでありましょうし、仏教的生命観もあるだろうし、永遠の生命観というものも確立されていないと宗教的情操教育はなかなかできないのじゃないか、そうなると現在の教師のほうに問題が起きてくるが、教師に対してそういったような新たな講習会なり教育というものをすることを考えての上でこういうことが持ち出されているのか、そうでなければ、これは絵にかいたぼたもちになってしまう、こう思うんですが、そこまで考えての上でこういうことがうたわれたわけですか。
  156. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 大臣がたびたび申しておられますように、中教審は大臣の諮問を受けまして、期待される人間像の中身をできるだけいいものとして仕上げるための努力を中教審自身の責任においてやっていらっしゃるわけでございまして、これを土台にして文部省にどのような行政上の措置を望むかということは、おそらく最終答申の中に中教審の御意見として出てくると思います。したがって、これをお書きになりましたときに、中教審としてどのような行政施策を念頭においてこのことが出たかというお尋ねに対しましては、審議会の論議の過程におきまして、それに伴う行政上の施策というものを必ずしも前提として議論されていなかったというように考えております。
  157. 辻武寿

    ○辻武寿君 私はこのところをなぜ質問するかといえば、これは現在、青少年の非行問題に対して非常に影響があると思うんですね。それは単に道徳教育を推進してみても、現在のやり方では項目を並べてみても、いまは良家の子女に犯罪が多い。しかも悪いことをしちゃいけないということを知らないでやるんではなくて、百も承知の上で、あえてスリルを味わいながら完全犯罪をやつていこう、そういったような非行青少年が多くなってきた。これに対しては道徳教育なんかだけでは不完全だ、ほんとうにこれを解決する問題はやはり宗教的情操教育に関連してくると思うんですね。それであるならば、これはそれを教えている教師自体からその正しい思想を持って、宗教観というものがなければならないと思うんです。こういう問題に対して大臣はあらためて何か考えておられることがおありかどうか、大臣にお伺いしたいと思います。
  158. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) せっかくのお尋ねでございますが、いままで何回も繰り返しておりますように、そういう中身に対する考え方は、正式の答申を得た上で、また場を改めて申し上げたい、かように思っておりますから、御了承を願いたいと思います。
  159. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 時間を短くするようにと言われておりますので、人間像のことはまたあとにすることにお願いするとして、あと二問お聞きします。  私学振興会の答申の中に、寄付金の免税について取り上げられておりますけれども、文部大臣は大蔵省当局とどんな話し合いの段階になっておりますのか、お聞かせいただきます。
  160. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 私学振興の問題につきましては、すでに第一回の答申を受けております。また、来年の六月までこの調査が続きますから、来年また引き続いて答申を受けることがあるだろうと思いますが、私の立場としては、いま答申を受けた四つの項目がありますが、これを来たるべき予算に盛り込んで、予算並びに税制改正のほうに盛り込んで、そうしてこれをできるだけ強力に推進したい、かような考えで、いま大蔵省と予算その他について折衝中でございます。
  161. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 現在の大学生の収容力は、学生の七割までが私立大学で引き受けている。こういう現状から見ても、私立大学の果たしている役割は大きい。したがって、問題になっております二年間の時限措置は不適当である。今度の予算折衝には時限なしの免税にする、こう私は大臣に訴えますが、時限なしの免税にまではできないとしても、二年間の時限措置というのは私は不適当だと思う。どのくらいの点まで大臣努力されるのか、その御意見を聞かしていただきたいと思います。
  162. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) いまの税制の問題は、時限を切った折衝をやってないつもりなんです。これは将来とも続いてやれるようにという考え方のもとにおいて折衝をしておるところであります。
  163. 天城勲

    説明員(天城勲君) ただいまの大臣の答弁に、ちょっと事務的な問題でございますので、補足させていただきます。  指定寄付のことにからんでの二年というお話だと思います。私どもとしては大蔵省とその点相談いたしまして、いまの指定番付をもう少しいろいろな――現在の扱いと申しますと、たとえば十社以上のものが寄付をしなければいかぬとか、あるいはそのうちの一社が五〇%をこえてはいかぬとかいったような、法律ではなくて、まあ大蔵省の内規的な扱いがあるわけですが、そういったようなことではなくて、もう少し基本的に法律を改正するなりした、まあいい前向きの改正をしてもらいたいということをお願いをしておるわけです。したがいまして、いまおっしゃいました二年云々といったようなことも、できれば、そういうことでない扱いを要望いたしたいと思います。
  164. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 もう一点、私学の一致した要望は、経常費に対する国庫補助でありますが、この私学振興調査会の答申には見送りになっておりますが、文部省としてはこれをどう考えていらっしゃるんでしょうか。
  165. 天城勲

    説明員(天城勲君) この私立学校振興方策につきまして、文部大臣から臨時私立学校振興方策調査会のほうに諮問いたしております。それにつきまして、先ほど大臣が申されましたように、当面緊急な問題として四つの項目について中間的な御答申をいただきました。その中にはおっしゃるように経常費のことが書かれておりませんが、ただ、その答申の中にもちょっと読みますと、「本調査会は、昨年七月発足以来、私立学校振興方策の改善について根本的な検討を進めてきましたが、その具体策について最終的な結論を得るには、なお経常費助成など検討を要する問題も残されているので、調査会の存続期間とされている明年六月三十日までになお十分な審議を尽す必要があります。」ということで、以下ございますが、今回は当面緊急に、また実現可能と思われることを中間的に答申する。ただ、経常費等についてはいろんな根本的な検討問題が残されておるから、来年の六月三十日までに、この調査会は時限的に二年間の存続しかございませんが、その最終的な答申のところでこの問題はそれまでに検討して答申をしたいというお考えでございます。したがいまして、文部省といたしましては、この私立学校振興方策につきましては調査会の答申尊重するというたてまえから御諮問を申し上げておりますし、そういう前提で今回中間的な御答申のないものにつきましては最終的な答申を待ちまして、予算措置その他は検討したいということで、一応、来年度の予算ということにつきましては見送る形をとっております。
  166. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 まだほかに聞きたいことがございますが、時間が限られておりますので終わります。
  167. 林塩

    ○林塩君 時間をたいへんせかされておりますので、要点の質問をいたします。この問題につきましては、将来また時間をいただいて質問すると思いますのでその点お願いしたいと思っております。  最近、人命尊重の問題が広く叫ばれてまいりました。したがいまして、ただ単に人命の尊重と言いましても、人命を尊重しますためには人命を保持しておりますところのからだが非常に大切でございます。そういう点につきまして、最近、問題、それからまた医療に携わる人たち教育の問題、医師、薬剤師、栄養価、看護婦、保健婦、こういった教育の問題がたいへん重要な問題になってまいっております。同時に、そういう医療が行なわれる場所でございますところの病院問題というのが大きな問題になってきております。それに関連いたしまして、きょうはぜひ大学病院の医療、特に第一線医療の――第一線と確信を持っておるのでございますが、働いておりますところの看護婦の問題、そのことに関連いたしまして、文部省御当局の御見解を伺いたいと思うのでございますが、まず第一番にお聞きしたいと思いますことは、文部省関係の大学医学部に付属しておりますところの大学病院、この大学病院の目的というのはどこにあるかということについてはっきり御見解を伺ってみたいと思います。お願いいたします。
  168. 天城勲

    説明員(天城勲君) 国立大学の医学部の付属病院の性格という御質問でございますが、これは病院でございますので、もちろん診療機関でございますけれども、床学部の付属ということで教育研究の面のあることは当然でございます。したがいまして、教育研究機関であり、それと診療機能を持っておる。この診療機能は、社会でありますと、社会的な診療機関でございまするが、大学から見ますれば重要な研究教育の機能を持っておるという面もあると考えております。
  169. 林塩

    ○林塩君 病院であります以上は文部省関係でございましても、やはり病院としてのあり方が確立されるべきであろうと考えます。もちろんこれは医療法上の病院であろうかと思うのでございますが、そこで最近起こってきております問題は、看護婦の定員は何とか埋めてあるというようなことでございますけれども、研究機関であると同時に医療法上の病院であるならば、この二つの目的を持っておりますところの病院でありますために、研究をいたしますのには看護の手が必要でございます。実際問題といたしまして他の病院では考えておられないようなことさえ大学病院では行なわれているということでございますれば、これは研究機関と、それからまた同時に医療法上の病院としてのほんとうは二重になった人員が必要になるのでございますが、それにつきましては、文部当局としてはそういう定員の考え方について何かお考えになっておられるでしょうか、伺いたいと思います。
  170. 天城勲

    説明員(天城勲君) 御指摘のように社会的な診療機関といたしましては医療法の規定いたします看護要員の具備が必要でございます。たとえば入院患者の問題につきましては病床当たりの看護婦の定員、あるいは外来患者に対しましても一定の基礎に基づいた看護婦の用意が医療法上要求されております。国立大学はそういう点につきましては、この医療法の基準を当然守っております。と同時に、御指摘のように教育研究機関でもございますので、これ以上に各種の研究をいたしますし、また、診療機関といたしましても模範的な診療機関でありたい、あるいは先進的な診療も行ないたいということで、その要素を当然含まなければならぬと考えております。その点につきましても大学病院としての必要な観点からの看護要員の定員の配置をいたしております。
  171. 林塩

    ○林塩君 定員のことでございますけれども、欠員を補充するということにつきましては、大学関係並びに政府では、たしか現在の定員といいますか、多少欠員ができたときにはそれを補充することを普通の公務員の場合には〇・五、看護婦職員に対しては〇・九ということで予算がとられているようでございますが、これはどういう御見解なのでございましょうか。実際申しますと、看護の仕事というのは事務と違いまして、それからまた医師もそうでございますけれども、その場で処置しなければならないことがたくさんございます。ほっておかれないことです。ちょうど泣いている子供、乳をほしがっている子供、病気で困っている人たち、その場の問題、それを十人やめたときには九人補充する、あとの一人は補充しないというふうな通達が一昨年か出ております。その後このことについては何回も陳情をしたのでございますけれども、そのことは踏襲されているようでございますが、将来それを改めて、十人欠員の場合には十人補充するというようなことが推進されないかどうか、これを伺いたいと存じます。
  172. 天城勲

    説明員(天城勲君) 御指摘のとおり三十九年の九月四日の閣議決定に基づきまして、原則として定員の増加を行なわない、事務量の増加については行政運営の能率化、職員の配置転換によって対処するということで、いわゆる欠員不補充の措置がとられております。この場合に、これも御指摘のように、一般職の場合には、一人欠けると〇・五凍結というので、二人欠員がないと一人入れられないという措置でございますが、看護要員の場合には〇・九という、九〇%の範囲内でやるというやり方をいたしております。ですから、一人欠員の場合には両方とも同じことになってしまいますが、何人かの欠員を埋める場合には看護要員のほうが有利という取り扱いには一応なっているわけでございますが、これはもちろん行政職員全般につきましても、部面部面におきましてかなり窮屈な状況を感じております。特に看護要員につきましては現場の病院ということを対象にいたしますと、これは非常にきつい措置であると考えられますので、私たちもこの措置ができましたときから、看護要員、こういう現場の仕事につきましては強くこの例外措置、この緩和について行政管理庁と交渉を続けておりますが、まあこれは公務員全体の措置としてまだ全面的な解除になっておりませんが、私たちも現場の事情に十分存じておりますので、現在も機会あるごとにこの問題は取り上げておりますし、また、大学全体といたしましてもこの問題は非常に強く取り上げておりまして、今後も努力を続けていくつもりであります。
  173. 林塩

    ○林塩君 文部大臣にお伺いしたり、またお願いしたりしたいことがございますが、ただ学校だけでございませんで、文部省管轄の中には正式に国立になっておりますところの病院が三十九ございます。そしてその従業員が全部で一万七千四百六十四人、そのうち看護婦が六千八百十四人、三分の一強の状態でございます。その着護婦の人たちが病院等に働いておるが、しかも先ほどから指摘しておりますように、教育機関として、同時にまた医療法上の診療業務をやるための病院として非常にむずかしい状態の中で労働過重をしいられている、そういうような状態を御認識いただきたいわけです。それからいま申し上げましたように、そういった状態の中で欠員が補充されないままで非常に困っている状態がございます。それから、なおまた近ごろ病院の管理状況がたいへん変わってまいりました。診療の形態も変わってまいりました。それで中央化というのが行なわれてまいりました。医療法自体が変わらなければならないと思います。四人に対して一人ということがあり得ない。他の委員会でもたびたび申しておりますが、医療法の病院でございますと、四ベットに一人ということになっておりますが、四ベットに一人ということは、三交代いたしまして、御存じのように八時間勤務でございます。病人は夜休むというわけにいかない、夜も病人でございます。ですから二十四時間の中を三分の一ずつ分けて八時間勤務といたしますと、三人要るわけです。休みその他をとりますと、実際の数は二十人に対して一人というような状態でございます。しかも御存じのように、医師がとてもたくさん大学病院にはおります。無給のお医者さんもおればインターンもおります。そういう人たちの世話もたいへんという状態でございますので非常に困っておる状態でございます。それから中央化によりましていろいろなところにしわ寄せせられて、手術室だとか、産科室だとかいうところにずいぶん人手が取られます。そのために病室は非常に手薄になっておる状態でございます。そういう中で看護婦は忙しく仕事をしております。そして満足感がない。そしてたいへん不幸である。だれでも看護婦でございますので十分な看護はしたいという気持ちは十分にございます。しかしながら、それができない状態に落ち込んで、看護婦であることにたいへん満足感が得られないような状態であることは患者さんにとっても不幸であるというふうに思いますので、その状態をよく御認識をいただいて、将来、定員の問題については十分に検討していただきたいと思うわけでございます。  急ぎますので次に移ります。次には、看護教育の問題でございます、看護教育は先ほど申し上げましたように、医療問題が非常に大事になってまいりますとともに、看護教育の問題というのは捨てておかれない問題でございます。現在までどういうふうな教育になっておるかと申しますと、学校教育法の第一条に当てはまらない各種学校のような状態になっておるところから生まれてくる問題が一ぱいあるわけでございます。よい素質の人が看護婦を望まないということは学校が資格がないということでございます。現在、保健婦助産婦看護婦法によって見ると、高等学校を卒業して三年でございますにもかかわらず、これが各種学校になっておりますために、卒業後の資格が、社会的な資格がはっきりしないということのために、どうしても看護を志す人たちが志にくいという情勢がございますので、これをどうしても文部省の面接の関係のありますところ、と申しますのは、国の施政として、現在、医科大学医学部付属になっておりますところの看護学校をぜひとも短期大学に昇格するような方法をとられますことが、医療をよくしていきます上にも、また現在非常に叫ばれております看護婦問題を解決していくためにも非常に大切なことだと思うのでございますが、これにつきまして文部省御当局はどういう御意見とそれからまた何か御対策をお持ちでございますか、伺いたいと思います。
  174. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) 看護婦が非常に直大だということはよくわかっております。ことに各国立大学は先ほど天城局長が申しましたように、単なる診療のほかに研究という面もあります。ことに大学病院へ入院する人はいずれかというと重症者がまいります。それだけ看護婦さんの荷が重いということはわかっております。そこで、看護婦さんの欠員の補充につきましてはもっと積極的に、現場の仕事ですから、ちょうど郵便局の配達夫がなくなると困ると同じように、それ以上人命をあずかっているだけ重大だと思いますから、できる限りこれにつきまして欠員補充なんかも具体的措置をやってもらうようにしたい、行政管理庁にも十分話し込むつもりでおります。  それから同時に、一方、看護婦さんの養成ですね、いずれかというと、いま看護婦さんが足らぬ足らぬといわれておりますが、養成につきましても十分やっていきたい。いまおっしゃる厚生省関係の国立のものもありますけれども、文部省といたしましては看護婦さんの養成につきまして努力いたしまして、すでに御承知のとおり本年は熊本の大学で養成ということをやっております。また、来年度は徳島大学にそういう課程を新設する予定でございます。なお、国立大学の短期大学といいますか、昇格の問題でございますが、これも数年来、一三に四十年来やかましくいわれておりますが、まだそれが実現していないことはまことに遺憾に思っておりますが、来年度は看護のほかに診療、放射線、あるいは臨床病理検査というような各部門の高度の技術者を養成するために、医学部の付属としまして、何とかして短大、いまの各種学校を改組しまして短期大学を創設するために実は予算の要求もやっておるようなわけでございまして、極力その方向に向かって努力いたしたい、かように考えておりますが、詳細なことは天城局長のほうからお答えさせていただきます。
  175. 林塩

    ○林塩君 この問題につきましては、文部省御当局がやはり健康問題とか、あるいは医療というものにつきまして、あまりいままで熱心に教育をお考えにならなかったからじゃないかと思いますので、その短期大学の問題につきましては、短期大学でございませんで、将来はもっと高い教育要求されると思います。社会要求しておるのでございますけれども、一応順序を追って短期大学に昇格するというふうに考えられてよいと思うのでございますけれども、何年来やっておりません。どの文部大臣もそのうちにそのうちにとおっしゃる、それで来年度はとおっしゃる、来年はいつくるのかと私よく言うんですが、来年といえば鬼が笑うそうでございますから、どうぞ鬼が笑わないように、四十二年度には必ずそれを達成するというふうに文部大臣せっかく御努力いただきたい。これは政府の政策になっておりまして、人命尊重、あるいは社会開発というようなことを口だけでなく実際に具体的な問題で示されることが一番よい政治じゃないかと思うのでございますが、その点特にお願いを申し上げておきたいと思います。  なおもう一問いたしまして終わりにいたします。それは文部省では一昨年からでございますか、たいへん看護教育に力を高等学校の段階で入れていきまして職業高校ができておりますが、その教師の問題でございます。本来ならば教師を先に養成して、それで十分な教育がなされるはずでございますのに、それができませんで、いませっかく学校はできたけれども看護教師がいないという状態でございます。これについて文部省ではどのようにお考えになっておりますか、お答えいただきます。
  176. 天城勲

    説明員(天城勲君) ちょっとさっき大臣も触れられたわけでございますけれども、御指摘のとおり、高等学校に着護学科ができましてすでに五十校ほどになったわけでございますけれども、ここの専門の先生の養成が御指摘のとおり不十分でございます。現在、熊本大学にこういう先生の養成課程を設けておりますが、明年もさらにこういう課程を引き続いて拡大いたしたいと考えております。なお現在、看護科の担当の先生は基礎に看護婦の免許状を持っておらなければならぬ、それに高校の教員の免許資格を持っていなければならぬという非常に複雑な制度のために、そういう方がおられないもので、保健科の免許状を持っておられる方々がそれを担当しておるわけでございます。したがいまして、現在これらの方々に認定講習を実施いたしまして、必要な専門の単位をとって上級免許状を取得する道をここで考えておるわけでございますが、なお基本的には高校の看護学科の担当の教員のために看護の免許状が必要ではないかという考えもちまして、実は去る通常国会におきまして免許法の一部改正の機会に、この看護の免許状を創設するための法改正を国会に提出したのでございますけれども、諸般の事情でこの法律が成立いたしておりませんので現在も同じ状態でございます。したがって、これは一つの課題でございますので、将来の機会に免許法上の立場をはっきりいたさなければならぬと考えておりますと同時に、いま申し上げましたように、現在のいわば仮免許状であられる先生方に対しては認定講習を実施いたしまして、上級免許状を取得する道をさらに拡大していきたい、かように考えております。
  177. 林塩

    ○林塩君 その問題につきましては、またいずれ御質問申し上げ、本日はこれでやめまして、もう一つ最後に、これは文部省御当局としてどういうふうにお考えになりますか。御担当の方がないようでございますので、文部大臣に伺いたいと思います。映画が及ぼす影響というのは多いのでございまして、最近、「赤い天使」というのが大映で――それもわれわれは看護問題を医療問題と考えまして、そして熱心に皆相ともに教育その他をやっているのでございますけれども、この従軍看護婦を主題にいたしまして、そしてこれを見ていただくとわかりますが、天使か娼婦かというような、こういう映画をつくっております。これはエロ映画でございます。それからまた看護婦を非常に侮辱したものであるというような意味におきまして、こういう映画自体、これは映画が及ぼす社会的な影響というのは大きいのでございます。そうして、こういう映画を見た一般の人、または一般の女性は、こういうことが看護婦であるならば、われわれは看護婦になりたくない、こういうふうに思うでありましょう。国民の医療の上に非常に大きな役割りを果たすべき看護婦さんを、こういうふうな取り扱いをすることについて、御当局としてはどんなふうにお考ええになりますか。時間がございませんので簡単にひとつ御意見をどなたかに伺いたい。大臣に伺います。
  178. 有田喜一

    国務大臣有田喜一君) いま伺いましたんですが、まことに遺憾だと思います。これにつきましては、政府でもほかの機関がございますので、その詳細につきましては関係局長から御説明申し上げたいと思います。
  179. 木田宏

    説明員(木田宏君) いま御指摘の映画につきましては、近く封切られるということで、私どももその中身等詳細を承知いたしておりませんですが、映画の内容につきましては、御案内のように、映倫管理委員会という組織が映画製作者あるいは外国映画の取り扱い者の間でつくられておりまして、その関係者の自主的な責任で映画の中身並びにその広告等のあり方についての自主規制を行なってまいっております。私どもそうした映画の内容の問題について行政的にとやかく言う立場に現在まだ立っておりませんので、もっぱらそういう映画製作関係者の自主的な規制、反省、自覚に待つということで従来から態度を維持してきているわけでございます。いま御指摘のようなことで、「赤い天使」につきまして関係者の御意見というのが高まってまいりますれば、映倫管理委員会としてまた考えるということがあろうかと思いますが、聞いているところによりますと、一応、一般興行映画として今月の三十日、映倫の審査済みでパスをしているということでございまして、どの中身をどのように考えたのか、現在の段階ではちょっと詳細のところ承知しておりません。従来こうした問題が全然なかったわけでもございませんけれども、そういう場合にも関係者の世論の反映ということをバックにいたしまして、映倫が自主的な審査機関として自主的に処理をしていくということをやってこられております。現在の段階でやはりそういうふうなたてまえを維持してまいりたいというふうに思っているところでございます。
  180. 林塩

    ○林塩君 そういう映倫の問題というのはよくわかるのでございますけれども、映倫を通りさえすれば何でもいいかというと、私どもはこういう業務に従事しておる者、将来、看護婦を志す人、そういう映画が封切られますと、おそらく看護婦というのはこういうものだというふうな印象を与えまして、曲がった印象を与えまして、看護婦志願者が少なくなるという意味は重大な問題でございます。申し上げましたように、やはり医療関係というものの教育は非常に大事、人も必要でございますが、そういうことも文教として考えられていってよいのではないかと思いますので、この方面については十分に御監督方をお願いしたい、この場ではそれだけを要望申し上げまして私の質問を終ります。
  181. 北畠教真

    理事北畠教真君) 他に御発言がなければ、本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  次回の委員会は十月十三日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時四十九分散会