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近藤信一君 第二班の派遣
報告を行います。
第二班は、
近藤英一郎委員、阿部
委員と私のほか、吉武
委員が現地参加されまして、八月九日から十三日までの間に、上諏訪、天竜川水系、浜松、名古屋の順に回ってまいりました。
視察個所は、上諏訪で諏訪精工舎、オリンパス光学諏訪工場、三協精機、天竜川水系で中部電力泰阜発電所、電発佐久間発電所及び周波数変換所、浜松で日本楽器、鈴木
自動車工業及び小沢渡鉄工団地、名古屋で家具団地及び既製服縫製団地、中部電力知多火力及び武豊火力発電所、三菱重工名古屋航空機製作所、大江工場及び小牧工場であります。
日数のわりに視察個所が多かったため、十分な視察ができなかったきらいもありましたが、以下おもな点だけ簡単に申し上げます。
諏訪で視察しました精工舎、オリンパス、三協精機は、いずれも精密
機械工場で
各社とも
生産の相当量を
輸出しているのであります。
諏訪精工舎は、かっての第二精工舎諏訪工場が昭和三十四年に独立したもので、紳士用セイコー腕時計の
生産を担当し、年間三百二十万個をつくっております。セイコー腕時計全体としては、全国
生産量一千三百六十万個のうち七百六十万個を
生産し、その三一%を
輸出しています。
オリンパス光学諏訪工場は、ハーフサイズ・カメラの
生産を分担し、月産四万台、そのうち約二割を
輸出しています。
三協精機は、オルゴールで知られ、オルゴール、タイムスイッチの
生産では、
業界第一位にあり、中でもオルゴールは、世界の五〇%に当たる月産百万個を数え、そのその六〇%が
輸出されているのであります。それだけに
各社とも
輸出に力を注いでおり、精工舎では、現在、
アメリカ、北ヨーロッパ、南米等が
輸出の主体であるが、今後は、豪州、南ヨーロッパの
市場を開拓し、
生産量の四〇%を
輸出に当てる体制をつくり、それも明るい見通しだとのことでありました。
オリンパス光学でも、カメラの
輸出は
業界全体としては順調で、今後は東南アジアヘの
輸出をふやす必要があるが、ただ、ハーフサイズ・カメラの
輸出には、現地におけるDP屋の普及が前提で、現狂のままでは困難ではないかとのことでした。三協精機では、
輸出についてではなく、
メーカー各社からのタイムスイッチの注文は性能に変わりがないが、
構造が
各社とも若干ずつ違っているので、
生産の合理化に支障があり、
メーカー間で規格を統一するよう通産省で
指導していただけないものかと申しておりました。
また、浜松で視察しました日本楽器は、いわゆるヤマハピアノで知られ、ここを中心としたヤマハグループでは、オルガン、ハーモニカ等の楽器のほか、オートバイ、モーターボート、グラススキー、洋弓までも
生産していますが、中でもピアノは年産十万台、世界最大の
生産を誇り、また、
国内販売では約六〇%のシェアを占めています。
輸出は年間一万八千台ですが、ヤマハグループ全体の年間
輸出額は百億円をこえているとのことでした。
ここでは、ピアノの
輸出に関連して、ピアノの原材料は、そのほとんどが外材のため、外材の値上がりは、直接、
価格にはね返り、
輸出の障害となるので物価対策には特に慎重に配慮していただきたいとの要望もございました。
同じ浜松の鈴木
自動車は、鈴木織機から始まり、戦後オートバイ、軽四輪車へと進出してきた
会社で、現在では、月産四万台のオートバイと六千台の四輪車を
生産するまでになっているのであります。
輸出も年間百億円をこえ、最近では、その
輸出が急速に伸び、中でも顕著なのは、
アメリカへの
輸出増大が目立ち、六月などは、全
輸出の七三%が
アメリカという、状況だということでありました。
このほか、三菱重工名古屋航空機製作所にも参り、大江工場で航空機をつくるまでの
研究施設を中心に、小牧工場では、YS11の組み立てをはじめ、MU2、ヘリコプター、その他、F86F、F104ジェット戦闘機の製作及び修理などを見たのであります。中でもYS11は、日本航空機製造
会社の
もとに、川崎航空機で主翼、富士、新明和、日本飛行機で尾翼、昭和で脚、三菱で胴体と組み立てという作業を分担して、今年六月までに二十五号機まで完成したのでありますが、今後の
輸出に期待できるのではないかとのことでした。
また、三菱重工では、現在、七人乗りの小型双発機MU2の
生産に力を入れ、すでに
アメリカに十三機を出荷しており、月四機から八機ぐらいずつ
輸出したいとのことでありました。
しかし、ここでは、日本の航空機工業の
現状は防衛計画と大きな関連を持ち、三菱重工においても、防衛
関係が全体の八〇%を占めているだけに、第三次防衛計画の早期決定を要望しておりました。
次に、
中小企業団地について申し上げます。
視察した団地は、浜松で小沢渡鉄工団地、名古屋で三好の家具団地及び既製服縫製団地の三カ所でありますが、この三団地はそれぞれ若干の差異が見られたのであります。
小沢渡鉄工団地は、鈴木
自動車の
下請二十工場が集まった団地ですが、その中には、資本金一億円以上、従業員も三百人以上という企業も人っていました。
ここの団地は、鈴木
自動車の
下請とはいえ、鈴木からの受注は二〇%にすぎず、他は、日産
自動車、その他からの仕事をしているそうであります。
また、団地の理事長の話によると、ここに集まっている各工場は、それぞれ独立して採算をとることが当面の目標だそうで、他の団地のような共同意識が薄いような
印象を受けたのであります。
既製服縫製団地は三十七年認可、資本金六億円で四十年三月に完成、二十工場で構成されています。現在では、団地内の工場としては赤字だそうですが、団地内の工場は、それぞれに他に本工場を持ち団地のほうは分工場という形になっているのであります。食堂、宿舎等の共同施設はありますが、本工場まで団地移るのではなく、分工場の集団であります。
これと隣接している家具団地は、三十六年に協同組合をつくり、三十八年から建設、現在、十七の家具企業で構成されています。ここでは共同仕入れ、共同加工、共同
販売等、団地が一体となって事業をしており、経営も一時は苦しい時期もあったが、本年春ごろから改善され、現在では、わずかながらも黒字になっているとのことでした。
また、目下、
アメリカからの
大口引き合いもあり、その交渉中だそうですが、団地の
人たちは、
輸出産業となる日も遠くないということで、団地の将来について明るい見通しと団地の発展に確信を持っているとの
発言もございました。それだけに、国の団地化
政策に対し、感謝の意が述べられていました。
しかし、この
政策をもう一歩前進させて、協業化法人の設立までいくことを要望しておりました。
私
どもは、これら三団地を視察して、団地の成否は国及び地方自治体の援助と適切な
指導によるところが大きいと思われ、
中小企業庁も本腰を入れて、
中小企業者及び地方自治体に対し、強力な
指導を進める必要があると思われたのであります。
最後に、電源開発について、佐久間の周波数変換所と知多・武豊の火力発電所に触れておきます。
周波数変換所は、本州東部の五十サイクルと西部の六十サイクルの常時連係を実施するため、電発が四十年に完成させた施設で、周波数変換装置による周波数の異なる系統の直接連係というのは世界でも例が少なく、特に三十万キロワットという大規模なものは、世界でも最初の計画であるとのことでした。
私
どもも、さして広くない日本において、東西の地域で五十サイクルと六十サイクルに分かれていること自体がおかしいのではありますが、この施設によって、東西両地域間の経済的な電力融通余剰水力の消化促進、電力の緊急応援等の経済的効果が考えられ、きわめて有意義な施設であろうと感じてまいったのであります。
知多火力は本年二月から一号機が運転開始し、現在二号、三号を建設中でありました。一号機は出力三十七万五千キロワットですが、計画の六号機まで完成すると二百七十五万キロワットの出力になるという大規模な発電所であります。もちろん、この発電所は重油専焼で、私
どもが参りましたときは、原油のなまだきを実施中でありました。
これに対し、武豊火力の一号機は、石炭
政策への協力のため石炭専焼として建設されたもので、三十八年十二月着工、本年八月六日に
営業認可を受けたばかりのところでありました。石炭の年間使用量五十万トン、出力二十二万キロワットの発電所であります。
これら両発電所は、伊勢湾あるいは衣浦臨海工業地帯などの産業の発展に伴う電力
需要に対応するため建設されたもので、これらの発電所の建設が完成すれば、中部管内の電力需給は安定し、今後の産業の発展が大いに期待できるものと考えられます。
以上概略を申し上げまして、第二班の派遣
報告を終わります。