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大橋和孝君
大臣からの所信はまた最後にまとめていただくことにして、私ちょっと質問を続けさしていただきます。
いま
局長からの説を聞きますと、ただ何とかという、前におられた
和田という
医師か何かの間でうまくいかなかったからこうなったということでありますが、これはこの
身障者センターに対する
厚生省の
考え方が、私はそこに問題があるのじゃないかと思うのであります。特に私は、いまのような
お話であれば、私は具体的な例をあげますが、京都府においてこの
身障者センターというものをこしらえたけれ
ども、事実上患者が集まってこなくなっちゃった。これは事実上りっぱな
センターをこしらえながら遊んでおるわけです。これは
局長も御存じだと思います。それは何でそういうことが起こったかと
考えると、そこにおる
医師がほんとうに何といいますか、
身障者の気持ちになってやらない。そうしてただ入ってきた人を
診断をして事務的に処理するだけであるというからそういうことになってくると私は思うのであります。そうしたあたたかい気持ちを持って、非常に大きなハンディキャップを持った
身障者がどうしたら少しでも前進するか、どうしたら少しでもよくなるかという点で取り組んでやらないと、私は入ってくる人は遠方から入ってこないと、こういうことになると思うのであります。私は見に行きまして、
国立身障者センターがああいうふうにしてたくさんの人が集まってくる。まあ定員には満ちておらないようでありますけれ
ども、集まってくるということは、やはりいままでの実績として、足が曲った人が
手術を受けてある程度伸びるようになったという実績のもとに、そうしてもらいたいということで集まってくると思うのであります。いま
局長の話を聞いてみると、いままでおった
和田という
医師は、なかなかカウンセリングにも出てこない、
判定会議も十分やらないでこういうことになって、役所としては統制がまかないからいけないということであります。私はあそこに入りまして第一番に感じたことは、その統制をきかしているから問題があると思う。実際、
身障者センターというものを国が経営していくならば、そこに入ってくる
身障者の気持ちになって
運営しなければでき得ないと思う。特に精薄児童とか、あるいは、からだに非常に欠点を持った
人たちは、やはり何といいますか、そういう点に対してはデリケートな気持ちを持っているのに、それを
一つ一つルールにはめてこれを処理していこうと、ただ机上処理というような形でいってはならぬものだと思う。私が一審受けたのはこういう感じであります。これはかくかく、かくかくのことをやっておるがどこが悪いんですか、――言うことをきかないから悪いのだというような形で
センターが
運営されていったならば、これは
センターに入った
人たちほどかわいそうである。これは真剣にすわり込んでまでそれに対して反抗しようという気持ちはわかるような気がする。そういう点を
考えると、私は
運営の問題について大きな問題があると思う。
それから、もう
一つ私はここで申し上げておきたいことは、ここらに入ってくる
手術というものは、いわゆるいままで医務課のほうで、医療機関のほうで取り扱っておるところの早期治療もございましょうし、あるいはそれに対する
機能訓練もあるわけでありますが、ここらに入ってくるのは、むしろ社会局で取り扱われるものはもっと緊急なものであって、もっと切な
観点から社会のボーダーライン層に放置されておる人を救い上げていこうというのが更生医療であり、あるいは、また、こういう
施設であるわけでありますから、こういう形で非常に世の中で困っておる
人たちは、いわゆる福祉事秘所ですか、こういうところからやるわけでありますから、いま
予算期でありますが、先ほど
藤田委員から
予算の問題もありましたが、私は非常に
予算的にも
考えていただきたいと思う。いま調べてみますと一億何ぼありますですね。更生医療もこれが
全国に千くらいあるのじゃないですか、福祉事務所というのが。ここらに分けてやられたら一カ所十万円くらいで医療もほんとうにできるということを私は思うわけでありますが、また、同時に、それを調べてみますと、まだそれがたくさん使われないで残っておるという状態でありますが、私は、こういうことになったら、いわゆる世の中で非常にハンディキャップを受けておるこういう
身障者とかそういう
人たちに対しての手厚い
指導がされておらないということが結論づけられていいのじゃないかということを思うわけであります。ことにわずかな
予算しかないものが、しかも未実行に終わっているようなことがあってはぼくは嘆かわしい状態だ、調べてみて私はほんとうにそう思うわけであります。そういう
観点から、
国立の
身障者センターが
一つあってぼくは模範的にやるべきだと思うわけであります。その中でこういうことが起こっているということは、第一点に私が申し上げたいと思うことは、やはりこの
運営をしておる
人たちの気持です。もう
所長もりっぱな方であるし、私も名前をよく存じております。また、いまおいでになっておるお
医者さんもりっぱな
方々が
運営の中に入っておるのだが、いわゆるかくかくであるという規則画で押えていくというような、下のほうで困っておるという
人たちの気持ちを吸い上げていこうというような立場でないわけですから、ここに大きな問題があると思うわけであります。こんな官僚的といいますか、上から押えつけるようなことでは満足なことはできないと思います。
また、私は、もう
一つここで
お話を申しておきたいのは、前に一回す
わり込みもあったらしい、
厚生省へ来られてすわり込んだというときに牛丸前次官といろいろ申し合わせもあったらしい。先ほど
局長からいろいろ
説明ありましたから、こまかしいことは触れないつもりであったのですけれ
ども、一応ちょっとだけかいつまんで触れておきますと、その中ではいわゆる
和田という
医師の
センター兼務ということやら、あるいは、また、
手術を
センターと
東一と両方でやるということやら、あるいは、また、それを
和田という
医師が執刀する、それは二十八名に区切るとかいう、いろいろ問題があったのですが、その後いま
局長の言われたいわゆる
医師が集まっていろいろの話し合いをする場において、実際話を聞いてみると、この
和田という
医師にはあまり通知していないということなんです。通知せずに来ないということでは
運営はできないわけであって、それを一方的にあるいは逃げ回っているのだとか来ないということでそれを処理しているということにやはり私は間違いもあるのじゃないかと思うわけです。それはカウンセリングという問題でいろいろ問題に、患者患者についていろいろ病状の判定をして、どうすればいいかということをやるのは非常に流行として行なわれているわけでありますが、そういうところに呼びもしないでおいて出てこないというようなことを言っておること、あるいは、また、
手術をするにも
手術のできないような条件をつくりながら、あれは
手術をしないのだ、こういうようなことをやっておったのでは、やはり
行政上非常に私は間違いが起こるもとがそこにあると思うわけであります。それから、やはり私は、こういうような
センターというものは何ごとも
センターに入っている
入所者を主体に
考える、そうしてそれをどうしたら一歩でもその
人たちがしあわせになるかということを
考えて進むことが根本的な問題じゃないかと思うわけです。この根本的な問題に対して私は非常に間違っておると思いますので、特に私はそれを追及しておきたいと思います。これについては、あとから
局長のその後の
調査状況についても御
説明を願いたいと思うわけでありますが、ことにこの中では
和田の技術を十分に反映せしめられたという、そういう人物、第二の
和田という
医師ができるまで継続するのだと書いてあるのです。そういうことに対して、いまおるお
医者さんの中でも、
和田さんと
一緒に同じような方式でやろうという人がおるけれ
ども、実際話を聞いてみれば、その
人たちが処方することも許されていない、それから、また、そういう人の意思はほとんど封殺されておるということも私は仄聞しているわけであります。この事実の真偽のほどは知りませんけれ
ども、そういうふうに仄聞しておるわけであって、結局はやらせないような仕組みにしておいて、やらないやらないと圧迫しておるということは、非常に内紛的なまずいものがある。ここで私が言いたいのは、そういう何と申しますか、機構の中の矛盾をその入っている
入所者に対してそれをしわ寄せしていく。特にこの暑いときに、私は現地へ行ってみましたけれ
ども、非常にむしむしとした中で、ああした非常に病弱なからだに大きなハンディキャップを持った
人たちが、長い間、聞いてみましたら、あれは十九日くらいじゃなかったかと思うわけでありますが、現在に至っては八日間、もうじき十日になろうとするわけであります。こういうようなことをやらせながら、非常に私は機構いじりの中の問題でこういうところにしわ奇せをしているというところが非常に解せないことだと思うのです。
それから、もう一点は、この
身障者センターというのは、私は
所長なんかの話を聞きますと、大体職能
訓練が主であって、医療はもう手を離れたやつが来ておるのだ、こういうことなんでありますが、そこに私は大きな問題があるのじゃないかと思います。そういうことが言えるほど、いますべての機関において満足な
運営がされておるならば理論的にそういうことが言えると思いますが、実際問題として、まだそうした
診断のもとにこの
センターに入ってくる人の中で、やはりいろいろ
診断をすれば、そこで
手術をしてもっと
機能が回復する患者がたくさんおるということであります。なお聞きますと、この人所者の中で、去年の六月現在で、百十二名の患者の中で、五十七名を
手術したらいい。これがやはり
厚生省のほうでは六名くらいが対象庁であるといわれておるらしいのですが、やはりいままでの検査では五十七名が対象者になる。それから、また、三十年の十月から三十三年の一月までの間に二百四十一名の患者を
診断して、これに
手術適応と認めたのが二百四十一名の中で百二十八名くらい
手術をすればよくなると
診断がされておる。こういうことから
考えてみますと、いま
局長が言われたように、二十八名と申しますか、去年だったか、その
和田という
医師が
東一と
兼務になったときの二十八名かなんかについて、あと二名くらい残っておるだけで、それであと一、二カ月で処理がつくという話でありますけれ
ども、まだほかの患者にはそういう人が入っているわけであります。それから、
センターに入ってくる者は頭から
手術しなくてもいいという
考え方じゃなしに、
手術をしてよくなればそれをやればいいじゃないか、私はここに問題があるのじゃないか。更生医療に対する隘路がありまして、それから、なお一部負担金もあるわけでございますから、あそこで一番理想は、国の
センターであるから、お金がなくて、しかも、何回も
手術をしてもらってそれで
機能が回復される、これはやはり私たちは
身障者の
方々には非常な魅力であり、これはほんとうに何と申しますか、暗いところにあかりを得たような気持ちになると思うわけであります。そういうことをやってこそ、初めて私は国としての
センターとしての値打ちもあるし、それがただ
機能訓練の場所として
考えるのではなくして、その中で医療が併施されれば私はよりいいのじゃないかと
考えるわけであります。京都でも何とかカトリックのほうでそうした
センターをこしらえられて京大の近藤名誉教授あたりがそこに入られて
手術をどんどんしておられます。やはりこの
手術というものはそう特別な
手術ではなかろうけれ
ども、これをうまく適応していくことによって
機能が少しでも回復するということは、私は
身障者にしてみれば非常に大きな魅力であるから、こういうことは国は
考えなければならぬことであります。特に私が
いろいろ話を聞いてみると、これからいろいろ遠大な
計画をもってこれから改築もされるそうでありますけれ
ども、私は、改築されるまで待つのではなくて、現在の
施設の中で生かせるものは生かしていったらいい、こういう
考え方がなかったら根本的な問題は解決しないと思うのでありますが、そのほうの御
意見はいかがでありましょうか。