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吉田忠三郎君 きょうはたくさんの質問者がございまする中で、私の所用を認めていただきまして繰り上げて質問の
機会を与えていただきました
委員長並びに
理事の
方々に深くこの際感謝を申し上げます。
私は今度の大
災害の中で、ややともすれば埋没されまする北海道の冷害についてのみ限って、この際質問なりあるいは私の
意見を含めて申し上げたいと思います。
御承知のように北海道はただいま開道百年を前にいたしまして、それぞれの各
関係の
方々が百年際の準備をいたしております。五百万道民も非常にひとしく喜んでいる状態でございます。こうしたときに、私はこの
委員会でまたまた冷害の問題を提起しなければならないことは、非常に私は悲しいことだと
考えているものであります。この際、先ほど申し上げましたように、若干それぞれの
関係の
方々にお伺いをいたしておきますけれども、ただ一口に冷害といっても、なかなかこの問題についてはわかりにくいと思うのです。ですから若干北海道の冷害について歴史的なものを顧みながら
意見を申し上げたり、あるいは問題点をお伺いしていきたい、こう思うのであります。
いままでも北海道の冷害はたくさんございましたけれども、その中でおもなるものは、明治十七年にかなりの大きな冷害がございました。それから大正二年にはこれまた大冷害と称しまして、北海道全地域にわたる悲惨な状態が提起されたわけであります。その後
昭和に入りましてからもこの冷害が続きまして、
昭和六年、
昭和九年、十年等これまた連年の冷害に見舞われました。かてて加えて、いまだ日本国民の脳裏から忘れようとして忘れることのできないあの太平洋戦争が始まった
昭和十六年にも、大冷害に見舞われているわけであります。さらに二十九年、三十一年、そうして一昨々年の三十九年にはこれまた大冷害に見舞われておる、こういうことになっています。参考までに北海道の冷害の
発生頻度を申し上げてみますると、明治十九年から大正十五年まで、いわゆる北海道農業の形成期である四十一年間に九回も冷害に見舞われている、こういう実情であります。
昭和二年から二十年までのいわばこの最変遷時期における十九年の間には七回もこれまた冷害を受けている。戦後は三十九年までにこれまた十年間に四回冷害を受けている。
こうした中で
政府並びに
関係省庁は、今日までに冷害を克服するために、技術の改良やあるいは農民の救済はどう進められてきただろうか、こう思うときに私は申すまでもなくそれぞれの救済
措置がそのつど若干でありまするけれども、とられてきたことについては、私どもも承知をしておるわけであります。で当然こうした場合には保護
措置等がとられますけれども、大正年代で行なわれておりましたものは、各省の
方々が御承知のように
対策等はございませんでした。いわんや明治年間の救済
方法などというものは、ただ単に、せいぜい種子あるいは種子代の融資程度で、今日行なわれておるような地租、税等の延納あるいは減免等々は認められていなかったのであります。大正年代になりましてそれが漸次改正され、今日では国や都道府県
——北海道の場合は道でございますけれども、救農土木事業というような多分に生活保護的な
措置をとり始めてまいったのが、大正二年のころからだと、私は北海道の冷害の歴史の中から教えられるものがございます。さらに進んで経営の集約化あるいは長期の冷作
対策の確立あるいは地力の向上等、そういう根本的な問題、恒久
対策に取り組んだのは
昭和七年ごろからではないかと、こう思うのであります。特に寒地農業の振興等々を含めまして、
昭和九年ごろから乳牛の飼育つまり酪農や半寒地畑作農業に
——適地適作とでも申しましょうか、そういうようなたてまえからビート等々の耕作を奨励をして、寒冷克服がその当時から開始をされてきたのじゃないか、こういうふうに見ているわけであります。そうしてさらに根本的な問題は、やはり何といたしましても寒地農業の振興の
対策がなければ、そうした問題の解決にはなりませんから、そういうこと等も取り入れて
昭和十年には自給肥料を増産して地力を向上させようという動きも一面起きてまいりました。さらに
昭和十六年には、ちょうどこれは太平洋戦争が始まった年でありますけれども、このころには温令床の奨励あるいは改良された水稲の新しい品種、北海道では富国あるいは農林二十号であるとかあるいは栄光、土地の名前をとりまして石狩などというような新しい品種ができてまいりまして、いわば北海道農業というのは冷害を踏み台にして、非常に
速度はおそかったわけでございますけれども、前進をしてきたといっても私は誤りではないのではないか、こう思っているわけであります。で、戦後さらに急速な農薬の普及であるとか、あるいは機械の導入であるとか、あるいは栽培技術の向上はもとよりでありますけれども、そうした積み重ねの結果、
昭和二十八年ごろまでは幸いに北海道は冷害というものに見舞われることはなかったのであります。
したがいまして、冷害ということばを、北海道農民に忘れさせるかに見えたのでありますけれども、御承知のように本年はまたまた不幸にして三年連続の冷害で、北海道の水稲は全く凶作ということが決定的であります。先般も
農林省が発表した全匡的な統計を見ますと、全国的に見ますれば、何か戦後二回目の最大の米の収穫だといわれているわけでありますけれども、いま北海道の米の収穫というものは、御案内のように新潟県をはるかにオーバーいたしまして、全国一の生産量を誇るようなことになっているんで、この北海道が、そうした全国的な大豊作にもかかわらず決定的な冷害・凶作、こういうことになったのはどうしためぐり合わせか、私に言わせれば、何か北海道だけが貧乏くじを引き当てたような感じがしてならないわけであります。これらの
原因は、七月の下旬から非常に、
気象庁でも発表しておったわけでございますけれども、低温でございました。でありまするから、水稲の成育は大体平年から見れば、十日ないし二十日間おくれておったと
関係者は言っているわけであります。ために不稔粒が多くなる、あるいはまた畑作も、豆類あるいはバレイショなども、軒並みに例年から見ますると悪いわけであります。わけても北海道特有の小豆の皆無という惨たんたる状態を呈しております。かてて加えまして、目下心配は霜であります。この上は霜害に再びやられますると、三十九年の冷害を上回る大冷害になりかねないのであります。霜害のおそろしいことは、今日どうにか農民の諸君は半作くらいで食いとめたい、こういうような努力をいまいたしております、希望もしておりまするけれども、この霜害にあいますれば、一ぺんにしてそうした努力も希望もけし飛んでしまう、いわばもう収穫がゼロになってしまう、こういうことが予想されるわけであります。収穫がゼロということは、もう申し上げるまでもなく、農民にとってはこれから生きていく
方法がない、こういう結果になると思います。ですから背に腹はかえられませんから、酪農を今日まで営々として夢を見てきたわけでございますけれども、この牛を手放さなければならぬ、そうして来年に
期待をかけるほかはないと、こういうのがいまの北海道の冷害地の農民の諸君の
気持ちであります。
しかし私は、
政府の
皆さんに
考えていただかなければならぬのは、幾ら来年に
期待をかけても、この冷害や異常低温は、ことしが最後で来年はもうだいじなうぶだと、来年はもう冷害はないのだと、こういうような保証というものは、私は今日の段階では何らないのではないか、こう思うのであります。三年連続の冷害に見舞われたことは、私はこの際は、
気象庁の
長官もおりますけれども、北海道の空の中に何かそのような新しい気象上の何かの条件が
原因しているのじゃないか、あるいはまたそうした理由なくして、この冷害というものは私は
発生するものじゃないと思うのですが、こういう
関係、ひとつこの際は、どのように北海道の寒地農業等々における農業気象というものをやっておられるのか、承っておきたいと思うのであります。
それから、かような困った気象条件が解消されない限りは、この冷害というものは、このままでは北海道の場合は、これは私の心配かもしれませんけれども、固定化をしてしまう可能性さえあるような気がしてならない。そうなってまいりますれば、先ほど来歴史的に若干申し上げましたけれども、せっかくいままで
農林省を
中心として各省庁が、ささやかではありまするけれども、北方農業をかくあらしめねばならないという角度から進めてまいりました諸施策というものは、根本から私は崩壊せざるを得ないことになりゃせぬか、こう思うのであります。
ちなみに三十九年の例を申し上げますけれども、三十九年の大冷害のときには、冷害による生活苦を理由に自殺をしたり、あるいは一家心中をした農家がたくさんございます。数点申し上げますと、五世帯八人も痛ましい生命をこの冷害によってなくしております。それから十勝署管内だけで離農した者は、
昭和三十九年に五百戸もあるのであります。それから翌年の四十年には
——冷害というものはその翌年がたいへんなんですから
——五百六十戸という農家が離農しているわけであります。ことしももうすでに冷害は決定的だと冒頭に申し上げましたが、この段階で、上川というところは非常に北海道でも盆地になっております、比較的そうしたことのないところでございますが、そこの士別市の中級の農家でございますけれども、十二戸がもうすでに集団離農の計画を進めている、こういうことを私はこちらに参るときに
関係者から聞いているわけであります。冷害が毎年連続したのでは、農民に与える絶望感というものはどんなものであるかということは、先ほど来歴史的に何回かの、明治年来から申し上げましたが、各省庁の役人の
皆さんは、
政府はもとより承知だと思うのですね。卑近な例として私は一昨年、去年の分をいま申し上げた。この例を見てもそうしたことが如実に示していると思う。
で、私はそうした北海道のこういう事柄が、農民がなまけておったり、あるいは本州の農一民の人々と比較して耕作がへたであったがゆえに失敗をしたと、こういうことでは事冷害に関する限りはないのではないかと思うのですね。
関係省庁や道庁の助言に従い、特に
気象庁の
長官のほうの農業気象予報等をまじめに受けとめて、人一倍の愛情と努力を注いで農作に取り組んできたのであります。取り組んできたけれども、結果、やはり異常気象という天災にはやはり結果やられてしまった。そうして、大きな
災害を招いておる。こういうことだと思うのです。さて、これをしからばどうするかという、今日の
政府並びに
関係省庁のこれに取り組むかまえの問題、これは恒久的な問題もあるし、あるいは応急的な問題もございますけれども、何かしらその失敗の責任というものは、どうもあまり感じ取っていないような気がする。具体的に、毎年のことでございますけれども、それらのあと始未というものが、冷害に打ちひしがれた農民自身で始末をしなければならないような今日的な私は諸事情は、あまりにも残酷であるような気がしている。ですから、そういう事情の中ですから、農民の人々は絶望するのはあたりまえです。しかし、これはあたりまえで済まされる問題じゃないと思うのです。ことしだって、たくさんの人々が、こういうことは不幸なことでありますが、自殺をしたり、一家心中をしたり、たくさんの人が離農したり、数多くの人々がさまざまな悲劇を演ずるとするならば、私はまさに治政の責任であり、各省庁の行政の責任であると断ぜざるを得ない。こういうことを、きょうは農林
大臣来ていませんが、次官はいますか
——この際
政府の最高責任者たる
大臣いませんから、次官そこに来ておりますか、次官にちょっとこれは答えてもらいたい。この点は農民に対して答えてもらいたい、そう思うわけです。そうして、私はこれらのいろいろなものを総合的に判断をしたり、検討をして見てまいる場合に、ただ、いま私は北海道の冷害地の例に限って申し上げましたけれども、やはり日本の農業を、他府県のことも含めて、こういう問題が内包しているのじゃないか、こういう気がしてならない。とりわけ北海道の場合は他府県と違いまして、背後に大消費地というものはありません。本州の農業のように、兼業や、また、出かせぎでしのぐという
機会も比較的少ない。そういう、北海道が三年間も連続冷害を受けて、先ほど申し上げましたようにこの冷害が三年で終わるものか、あるいは五年ないし十年、年々冷害というふうなことになるかもわからないのですね。このままでは私は
政府として抜本的な恒久
対策がなければ、北海道の農業の姿というものは、幾ら
政府、
農林省がうまいお題目を掲げていろいろ世の中に向かって唱えても、そうした姿というものは変わらないのじゃないか。これは明治年来の歴史をずっと見ても、そのことは立証できると思います。いま申し上げたように、北海道農業は、他の府県農業が今日内包しているような暗い問題がたくさんありますけれど、その極限の状態で、集中的に北海道農業に表現されていると私は言いたいのであります。一面、これは
農林省あたりでもそういう見方をしているものもございます。脱落農家が増大して、階層分化が進めば、それだけ北海道的な大農制の芽が伸びるではないか。確かにそういう一面の見方はあると思うのです。でございますけれども、こういう見方というのは、私は今日的にながめてみると、まさに残酷的な日本農業に対する放任主義につながるものではないか、その思想というものは、これぐらい実は思っています。ですから、そういう角度、そういう立場でものごとをながめ、
考えてまいりますれば、いまの北海道農業は深刻な苦悩に追い込まれている、こういっても間違いないと思います。冷害農家の人身売買を防ぎなさい、毎度冷害の問題は当
委員会で叫ばれます。それから畑作農業についても、共済
制度を設けなさい、これなどについても私はもう四年前からこの
委員会では毎度冷害があるたびに唱えてまいりました。しかし、私は、これだけでは基本的な北海道農業をどうするかということと、これはもとより別問題だと思うのです。こういう別問題を処理する場合に、北海道だけで処理できるかどうかというと、これはもうとうていできない問題であります。したがって、
政府は、この際全体の問題として、あるいは日本全体の課題としない限り、こうした問題の打開の糸口も私はつかみ得ないのじゃないか、こう思うのであります。ですからこういう問題について政務次官に、
大臣来ていませんから、この際
政府の基本的な
考え方を、私は時間がありませんから、はしょって伺っておきたいと思うのです。
それから第二は、当然これに
関係いたす、こうした
考え方を前提として恒久的な
対策、あるいは応急的な
対策というものは当然出てまいります。そこで、この際私は伺っておきたいけれども、第一に、応急的な問題でございます。先ほど申されたように、救農土木事業等々の補助事業がございます。この場合の実施の予算の問題が毎回問題になる。先ほど申されたように、大正年代等々については、やや生活保護的な立場から、つまり賃金だけふやしてやればいいじゃないかというようなやり方では、こういう場合には私はいけないと思う。やはりこの救農土木事業というものは、翌年の再生産の政策、あるいは施策に結びつくような方向で予算化をいたし、事業もそう進めねばならぬと思うのですが、一体今日的な冷害決定的な段階で、
農林省あるいは
関係の省庁はこの問題をどう
考えているか、こう思うのです。
それから、どうもこういう問題を取り扱う場合に、毎度のことでありますけれども、基準であるとか、あるいは何々の令達に
関係あるというようなことで、ややともすれば、対象事業の種目というものを縮小していく。これでは冒頭申し上げているように、ほんとうの
意味の救農土木事業にはならない。ですからこの際は、私は対象事業種目の拡大等をやはり
考えるべきではないかと思うのですが、こういう点、一体どうお
考えになっているか。
それからもう
一つは、農民の所在地というものと、それから事業の地域との
関係、距離ですね、こういう
関係が非常に毎回問題になるのであります。もとよりその問題をあわせてこの中身は確かにやや生活を確保していくという面も多分に含まれていますから、あわせて私は少しでも多く働かす、かせがせるというようなことを
考えてみるならば、私はこの際町村等にそうした事務を委託をして、いま言ったように事業の費目の拡大であるとか、あるいはそうした事業の実施地域の面等々を調整していけば、従来ややともするとこの
委員会で問題にされたようなことが解消されるんじゃないか。これは
一つの私の
意見ですが、こういうもの等についても一体どう
考えているのか。
それからあとはもう毎度のことでございますが、バレイショの質あるいは飼料の確保、こういった問題の
対策、あるいは
気象庁のほうの
関係ですが、農業気象観測体制の充実、先ほど来一般的な
災害についても質疑がございましたけれども、特にこの北海道のように毎度々々冷害に見舞われる農業気象というものは非常に重要である。私も先般道内を視察をしてみましたけれども、現状の
気象庁の現場におけるスタッフでは、とうてい人的に私は欠陥がある。幸い予算編成期でありますから、これはたいへん
長官御苦労であるけれども、次官も御同席でございますが、これは全国的な問題であろうと思うけれども、人の配置の問題、これに対して万全な私は
措置をとってもらいたい、こう思うんです。
それから問題になりますのは、こう連年
災害を受ける場合、当然負債の問題が問題になる。農家の負債の問題が。ですから生活苦に追われて自殺あるいは心中するわけですね、ですからこの固定化した負債整理を一体
政府はどう
考え、どう行政的に指導をしようとしているのか。毎回やかましく言われますけれども、いまだに具体化されていない。まことに私は残念に思うんです。こういう点を明らかにしてもらいたい。
それから
災害が起こるたびに、必ず融資の問題が問題になるが、こうした問題についても実質的に効果のあがるようにしなければならないと思うんですね。こういう問題についても、ややともするとワクがないとかあるいは何とかという、必ずや最末端までいきますと問題がある。ですから結果的にそういう
制度がありつつも、効果があがっていない。これでは何の
意味もないでしょう。ですから具体的にやはり効果のあがるように指導すべきだ。こういう点を今度の冷害に直面して
農林省あるいは
関係の省庁がどう対処するか、こういう点をひとつ伺っておきたいというふうに思うんです。
それから冒頭申し上げたように、この不稔実粒の青稲が多いようでありますから、規格産米の買い上げ等については、一昨々年の冷害の場合にも条件緩和、こういう問題がございました。このときにはかなりの条件緩和をいたしました。非常に各
被災農民の諸君にこれは喜はれた問題でございますが、それとあわせて予納金の金利というものをやはり抜本的に免除するという方向でなければ解決できません。もう時間がありませんから、私はどのくらいの各一戸当たりの農家負債が固定化しているかということを申し上げませんけれども、もう少なくとも平均北海道の例で、冷害を受けている諸君は、もう最低一戸当たり百万以上の固定負債ですよ。これが動かざる負債を持っている。ですから非常にこういう問題がこれは大きな問題になる。
それから恒久的な問題として幾つかございますけれども、せっかく
農林政務次官もおりますから、この際
政府としては北海道における畑作農業の振興方途というものを、この際明らかにすべき段階じゃないか。依然として畑作農業については、何らそういう将来に向けて農民が希望と夢を持てるような具体的な政策、施策、方向というものを明らかにしていません。いない上に毎年毎年こういう冷害に見舞われる。さあそのときになって行き当たりばったりの当面の
対策を押しつけてしまう。これではいけないわけですね、恒久的な
対策になりません。なりませんから、やはり少なくとも
政府は責任をもって最小限度こうした問題を明らかにすべきだとこう思うのです。これが
一つ。
それからもう
一つは、寒冷地における畑作のこの金融
制度というものを大幅にもうそろそろ改正する時期にきているのじゃないかと私は思う。これだってやっぱり恒久
対策の
一つじゃないでしょうか。一体
政府はこれに対してどういうふうに取り組んでいるか。
それからもう
一つはこの畑作農産物ですね。それから寒地農業が占めていますから、畜産物等々の問題がございますけれども、その場合のこの消流
対策の問題として、やはり価格の安定を第一義的に
考えなけりゃだめです。幾ら酪農業をやりなさい、こう言ってみても、乳価が今日のような
政府のやり方で不安定な場合に、幾ら酪農やっても食えないわけですから、結果的にそれはつくらない。そうすると、ああした寒冷地にある立地条件の中で、いや応なしに、危険であることを思いながら、知りつつも、やはりある程度価格安定をされている水稲、米作に農民がおのずから力を注ぐ、これはもう当然なんです。たとえばビートの問題にしてもそうだ。次官もよう知っています、御存じのように、ビートというのは寒地適作物ですよ。ですけれども、ビートの価格安定できていますか。できていないでしょう。ですから、結果ですね、この畑作農民の諸君はあまりビートをつくりたがらない。これはいろいろな諸事情、諸問題がこれはあると思うのですけれどもね。こういう問題について、やはり価格安定
制度ということを、この際は確立をしてやらなければこういう問題は解決できないと思う。
それと、毎度申し上げますけれども、一挙に全部できないとしても、第四番目には、畑作共済
制度というものを早期に実現しなければいけないのではないか。それから、毎度これは議論しますけれども、いまたとえば大豆であるとかあるいは小豆等については検討中である、あるいは研究中である。研究したり検討中の中で、しからばこの冷害というものは待っているかというと、そうではないのですね。もうすでに三回も連続してきているわけです。そろそろ思い切って
農林省としてもこの問題に取り組んで、そうして抜本的に畑作共済という
制度をこの際打ち立てる必要が私はあると思う。いま申し上げた後段の四つというのほ恒久的な
対策でありますけれども、これは私の
意見も入っております。この際は
政府の
考え方、特に政務次官の
考え方をお答え願いたいというように思うわけであります。