○瓜生清君 そこに私は問題があるのじゃないかと思うのです。国内的には二割、国際的に八割という、そういう比率の中で私はどういうような手を打たれても確かに救済措置というものは私は必要であるということを認めます。またそうしなければならないと思います。しかし、それはあくまでもある一定の期間だけであって、しょせん国際競争力には勝てない、そういうことが明らかになっておる。そういう展望というものがある程度あるということになれば、私は困っておる業界に対して救いの手を伸ばすということは、第三者でありますけれども、そんなものはあくまでも一時的なものである、そういうやっぱり観点に立って、しからば日本の精
糖業界というものをどうするかということをお考えになるのが私は
政府当局の正当な見通しじゃないかというふうに思うんです。
そこで、この問題で時間を費やすのは、私も、もったいないですから、次にまいります。
まず、次の第一の点は、三
金融機関、これについて
お尋ねをしたいと思います。私は長い間民間産業で働いておりましたけれども、その感覚からいきますと、この共和製糖事件ほどばかげた問題はございません。こういうことを言うとしかられるかもしれませんけれども、これだけばく大なこういう
資金がこんな企業にたくさん出されておるということ、しかもそれが不幸にして今日失敗いたしました。普通の会社ならば不渡り手形を出して、倒産をして、会社更生法の適用を申請するような、そういう状態でしょう。それが今日かろうじて持ち長らえておる。生産減はやりながらでも操業をやっておる。それは一にかかってこの三
金融機関のいわゆる援助的な、政策的な
融資によって生き長らえておるわけです。それが断ち切られるならば、とっくにつぶれております。そこで、私はこの三つの
金融機関を、昨日
資料をいただきまして、比較をしてみました。最も健全な貸し出しをやっているのが
日本開発銀行であります。これはおそらくあまり
文句のつけようがないくらいの慎重さがあります。次が農林
公庫であります。最もずさんなのは農林中金であると言っても私は過言ではないと思います。
その
一つの例として、
日本開発銀行は
昭和三十九年の十月五日に二億円、以下
昭和四十年の九月三十日までに六億円、合計八億円の金を出しておりますけれども、三十九年十一月に実査をしております。これはここに書いてございます。第二番目の農林
公庫は三十九年の十月六日に四億円出しまして、約半年後の四十年の三月に実査をしております。ところが農林中金というのは、
昭和三十八年の十二月三十日から、これに載っておる
金額だけを集計しましても、
昭和三十九年の九月三十日までに十億円のつなぎ
融資資金、これは短期の
資金でありますけれども、それを出しながら実査をしたのは
昭和四十年の七月であります。これを言いかえますならば、
日本開発銀行というものは、一回金を出して次を出すまでに危険か危険でないか、工事の進捗状況はどうなのか、そういうことを現地に行ってつぶさに調べておるわけであります。ところが片っ方は十億円という金を出しながらその間全然そういうことをやっていない。私はここにいわゆる金を出す側の姿勢の問題があると思うのです。そこで、先ほど
松野農林大臣が
融資の問題につきまして補足
説明をされました。四十一年の八月現在で長資、短資合わせて四十八億五千七百万円、これだけ貸しておる。ほかの
機関からの借り入れ金を加えれば総額六十七億七千二百万円に及んでいる、こういうようなことが
資料として出されております。しかもこの会社は赤字会社です。そして、
政府側の見解におきましても、こういうことはどうかと思うと、「適格な見通しが立ちがたい状況のもとに、多額の運転
資金を融通してきたことは問題であり、現存債権の
整理、今後の
融資態度につき、慎重かつ十分な配慮を必要とする。」、こういうふうな見解というものを出しておられるわけです。これは私以外の
委員からもしばしば
指摘されました。だけれども、本
報告書というきわめて具体的な
数字の中におきましても、三
金融機関の態度にこれだけの差異がある。私はこれは問題だと思うのです。ここにそれぞれの
責任者が
参考人として列席されておりまするけれども、そういうふうな何といいますか、違いというものが
一体どこから起こってきたのか、
関係者からお答えをいただきたいと思います。