○稲葉誠一君 だから私はこれは非常に問題になる、こう思うわけですね。東京地検がこの事件を恐喝未遂で起訴したということは、私は非常に勇気が要ったと思いますが、三十六年一月三十日に荒舩さんがこういう手紙を出して、そうしてグランドホテルへ呼びつけているわけですから、それがこの田中の恐喝未遂の少なくとも時間的の一番
最初なんですから、ここに問題点が
一つ出てくるわけです。荒舩さんは九月十二日の運輸
委員会でいろいろ言っておるわけです。これは記録に基づいて調べて言っているわけじゃなくて、韓国から帰ってきて次の日ですから、記憶で言っているからいろいろ間違いがある、こう思うのですが、その間違いが非常に多いわけですね、荒舩さんの言っていることが。たとえば
一つは「延原氏に個人の名前で御高説を拝聴したい」と、こういう手紙を出したのだと、そうしたら向こうから電報で何月何日に大阪のグランドホテルで、時間も忘れましたが、多分十時ごろと思いますが、御来駕をお待ちしますという電報がまいりました、こういうのですね。こっちからやったら向こうからグランドホテルで待つという電報がきたというのですが、待つ前に、グランドホテルで待っているから来いというのですか。来てくれという手紙を出しているのですからこれは非常に違うのですね、荒舩さんの言うことが。こっちから日にちと場所を指定してそこに来てくれという手紙を出しているのですから。荒舩さんの言うのはそうじやないのですね。向こうから場所や時間を指定したように言っております。これは違います。これは「個人の資格で、調査という問題等を別に」、こう言っていますね。見ると、ちゃんと封筒は
決算委員長です。筆で書いて荒舩清十郎、
内容を見ますと、元衆議院
決算委員長田中彰治、現
委員長の荒舩清十郎同行の上参ると書いてあります。個人的とも何にも書いてございません。
決算委員長がちゃんと肩書きを利用してというか、活用してと言ったほうがいいですが、活用してこう言っておるわけですね。ここが違います。それからもう
一つは「調査という問題等を別に」、こう言っているのですね。文章を見ますると「此の度国政諸般と視察のため」そこへ行くと言っています。これは国政調査というものに名をかりて言っているわけですね。これは私が確かめたら正式の
委員会の視察でないことがわかっているのですが、これは個人で行ったのかしれませんが、調査とは別に行ったと、書いてありますのが「国政諸般と視察のため」、国政調査をするのだということをにおわせて、
内容に含ませて
決算委員長として手紙を出している。ここのところは運輸
委員会における荒舩さんの言うこととこれは違います。それからこの話の出発点が違うのです、また。荒舩さんは、「その後私は手紙を何か法務
委員会でまた牧野君を通じて出したとかなんとかいうようなことを言ったということですが、それは全然うそでございまして」と、そう言っていますが、これは私はそんなことは言ったことはないのですから、これは荒舩さんの勘違いです、これは帰ってきたばかりのときですからこれは無理もないと思うが。
決算委員会が二月三日から始まるわけですが、その後に延原に手紙を出したというのじゃなくて、その前の年にすでに問題として私は、これは手紙を出しておるのです。荒舩さんが出しておるのじゃなくて牧野寛索という人が出しておるのです。この人は元法務政務次官で、このときはたしか国会議員でなかったというふうに聞いております。これは
昭和三十五年の二月二十八日、牧野寛索が延原観太郎にあてた速達です。
其後御無沙汰いたしましたがお変りありませんか
就いては天満の土地の件につきいつぞやお手紙差上げましたが此度荒舩代議士から話しがあり是非御貴殿にもお目に懸って
お話しいたし度いと云う事でしたが此度は小生のみ参上して御意向伺った上でしょうと云う事になり小生三月一日の午前中の飛行機で出発しますので午後お目に懸り度く存じます小生は決っして無理なことは申しませんから直接お会い下さるようお願い致します
買手は大正製薬株式会社で社長は上原正吉(参議院議員)
これはよけいなことですが、書いてあることは書いてあります。
三菱銀行の三億五千万円の預金証明書小生持参します
売買価額は
お話し合いできめること登記価額もお互
納得づくできめること上野浩
関係は買人で解決し貴殿には一切迷惑をかけぬこと等の申入れもありますが何れ御会いの上万々
お話しいたし度く存じます
先づ要々まで 草々
二月二十八日
牧野 寛索拝
延原観太郎様
これは速達です。二十八日に速達を出して——これは二月は二十八日、二十九日のときですかちょっと知りませんが、いずれにいたしましても、三月一日の飛行機で行くということですね。これを見ますると、荒舩代議士から話があって一緒に行こうというような話だったのだけれ
ども、今度は自分だけ先に行くのだ。そういうことでいきますと、そのときには、買い手は大正製薬で三億五千万円の預金証明書を持っていくのだと書いてあります。これは一体何を意味しておるのかといえば、その前の年から荒舩さんがこの土地の少なくとも売買のことに何らかの形で
関係をしておったということをこの手紙は意味しておるわけです。この人はなくなってしまったんです。非常に残念というかなくなってしまいました、法務政務次官をやったそうですけれ
ども。それと同時に「上野浩
関係は買人で解決し貴殿には一切迷惑をかけぬ」と、こういうふうに書いてあるわけですね。これは一体何を物語るか。
決算委員会で取り上げる前に、くどいですけれ
ども荒舩さんがこの天満の土地の売買のことに関連をしていた、そして
決算委員長として話があったというのでこれを
決算委員会に取り上げた、こういう論理的な経過にならざるを得ないわけです、これはもう事実なんですから。だから私はそのことでどうこう言うのではなくて、そういう
関係、自分が売買に関与をしておるものを
決算委員会で取り上げるということがはたして国会議員として正しいやり方なのかどうか。このことは綱紀粛正の上からいっても、むしろまた国務
大臣というものの適格性というものからいっても当然考えなければならぬ問題を含んでおるというふうに思っておるわけです。しかし、荒舩さんがおいでになりませんので、これは私の
意見だけになってしまって恐縮ですが、この当時からそういう話があって上野との
関係もある。それは自分のほうで解決しようということを言っているわけですね。
そこで問題は、どういう経過でこれが
決算委員会で取り上げられたか、なぜ小
委員会で取り上げられたか、小
委員長に田中彰治がなって、そこに荒舩さんが一員として入っていったかというこの経過、議事録を調べましても、
参考人が呼ばれておりますけれ
ども二月三日から、それが議事録の中ではいつ呼はぶようになったのかということが全然わからないんです。突然として
参考人が呼ばれてきておりますが、その間の経過というものを明らかにしなければ私は国会の権威にかかわると、こういうふうに思います。荒舩さんは運輸
委員会で利権を伴うような話でもあると直感をしたのだとこう言っています。それで新聞記者との会見では、田中彰治が暴走するといけないから自分はくっついていったのだなどと言っております。これは
一つの
意見かもわかりません。それでは利権を伴うような話であると直感をしたならば、
決算委員長としてなぜこういうふうなことは国会で取り上げるべき筋合いのものではないのだ、こういうことを言ってそれを食いとめることができなかったのか。田中彰治が国会を利用して恐喝未遂を働いておるという起訴の前提をなしておるこの事実について、刑事事件だという意味ではなくても、少なくとも国会が恐喝未遂の場に使われた、それを阻止できなかったという私は
一つの政治責任というものは、当然
決算委員長である荒舩さんがこれはいまになっても負わなければならない筋合いのものだと、こういうふうに思うわけです。利権を伴うような話でもあると直観をした、こう言っているのですから、それならそういうことだからやめさせればいいわけです。やめさせないで小
委員会にも何回も
出席をし、
決算委員会にも何回も
出席をしておるのです。これは私はおかしいと思う。責任を当然追及されてしかるべきことだというふうに考えます。へんなことをお聞きして恐縮ですけれ
ども、三十六年九月二十一日に上野浩が恐喝未遂で逮捕されました。このときの逮捕状の記載
内容というものは、差しつかえない範囲でどういうものであったか、これをお聞かせ願いたいと、こう思います。