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国務大臣(
荒舩清十郎君)
急行をとめるというような問題につきましては、これは後ほど御
質問の際にお答えをいたすのがいいんではないかと思っております。
第二番の
田中彰治事件の問題につきましては、これは
法務委員会におきましてその問題の
黒白をつけるのがよろしいと思いますが、ただし、御
質問等ぐざいますから、要点だけを申し上げておきたいと思うのでございます。私は当時
決算委員長でございました。
決算委員会に対しまして、なくなりましたが、
牧野寛索代議士があの
拘置所の
交換等については疑義を持っておるから、ひとつこの問題を研究してもらいたいというので、
名前は忘れましたが、
上野という人を議会に連れてまいりまして、しかしこの問題は私はまことに
しろうとでございますし、また
大阪等の
事情はよく存じておりません
関係上、これは
委員会に取り上げる前に、すでに
国有財産小委員会というものができることになっておりまして、その
委員長に
田中彰治君が推薦を受けておったのでございます。したがって、そういうたんのうな人のほうに持っていってもらいたい、こういう話を当時の
牧野代議士にいたしました。その後、
田中彰治君がこの問題についてかなり突っ突んだ、あるいは
委員会の職分以上のいろいろな
調査が始まっているようでございました。そこで私は、
決算委員長といたしまして、こういう
問題等については
行き過ぎがあっては相ならぬ、あくまでも公正妥当な見地に立って対処すべきであるとこう
考えまして、たまたま二月の
早々に、
決算委員会でありましたが、五、六年前のことですからよく
記憶がございませんが、あるいは
国有財産の小
委員会であるか、はっきりそこは
記憶がございませんが、それにかかるということでございますので、これはその前に、事前に
所有権のある
延原観太郎という人に
個人の
資格で会って、そして
行き過ぎのないように
田中彰治君と
話し合いができるということがいい、そうしてあくまでも不正であるか、不正でないかということを
所有権を持っておる
延原氏と直接に話し合って、それが不正であれば
委員会にかけて論議する、あるいはその
黒白をつけることがよろしいと
考えておりまして、そこでたぶん一月の中旬以降でございますか、私が
延原氏に
個人の
名前で御高説を拝聴したい、したがってその場合には
田中彰治君も
一緒に連れていきたいと思うが、
御返事を願いたいという
手紙を出しました。そういたしますと、直ちに
向こうから
電報で、日は忘れましたが、何月何日に
大阪の
グランドホテルで、時間も忘れましたが、たぶん午前十時ごろだと思いますが、
お越しを待つという
電報が参りました。したがいまして、その
電報が来ると同時に、どうか
田中彰治君がひとつ私と
一緒に行って、
決算委員という
資格でなく
個人の
資格で、
調査という
問題等を別に、
所有者である
延原氏と会って話し合ってみろことがいいんじゃないかということで、私が
田中彰治君を伴いまして、だいぶこれに対しては行くのをいやだと言っておりましたが、まあそう言わないで
一緒にひとつ行ってもらいたいということで参りました。ちょうど私は
個人の
資格でございますし、たぶん
田中君も
個人の
資格で、
旅費も何も
自分で持って行ったと思います。私はもちろん自費で、
決算委員会の
旅費も何も使いませんが、それで参りました。たまたま
ホテルは別でございまして、たぶん九時か十時で、いまはっきり覚えておりませんが、そこへ
延原氏が来るから、ひとつ私から話をするから、あなたの
ホテルへ
電話するからそこへ来てもらいたい、そして
行き過ぎ等のないように穏やかな話をしよう、こういうことで、
グランドホテルの
ロビーで私は待つておりましたところが、あいにく
延原という人が参りませんで、たぶん御子息であると思います。同時に、番頭さんであるか、あるいは弁護士の方であるか、かなり法律に詳しいような
説明をなすっておられた方であります。お二人が参りまして、
電報をいただいたから来たのだが、ひとつきょうは
田中彰治君も後に見えますが、どうかひとつよく
話し合いをしてもらいたい、そうして正しいことは正しい、不正なことは不正でひとつ話し合ってみてもらいたい、こういうことで話したところが、どうも
田中さんが来るのでは、うちのおやじはお目にかかりたくないというので来ません、こういう
御返事でございました。そう言わないで、
電話ででも呼んでくれませんかと私が主張しておりましたところが、どうも
田中さんとはお目にかかりたくない。そこで私は、きょうは非公式に話し合って、どうも話を持ってきた人が、
上野という人と、まあ
最初牧野寛索君ではございますが、
上野という人と二人で来たので――この人は何か沖縄へ
選挙違反で逃げて
世間を騒がした人だという印象を私は持っておりましたから、そういうので、私はどうも持ってきた話も何か食い違いがあり、あるいは利権を伴うような話でもあると直観をしていたので、どうかおとうさんを呼んできて話をしてもらったらどうでしょうというお話をいたしました。そうすると、あなた一人ならお目にかかるが、
田中さんが来ているのではどうも困るということで、十五分か二十分時間がたっておりましたが、そう言っているときに、
田中彰治君が
うしろに私は来ているとは思わなかったが、
ロビーで大ぜいおりますから、立っておりまして、そうして
田中君が私に、「何だ
荒舩、おまえは、いやだいやだと言うのにせっかく
大阪までおれを連れてきているにかかわらず、
向こうから
電報が来ているというのに、なぜそれを呼びつけることができないか」ということで、
ロビーのところで
大喝一声――
大喝一声どころじゃなく、大喝何声かで私のことを文句を言いました。そういたしますと、
あまり声も大きいし、
ロビーに一ぱいいる人が何事か起こったというのでみな顔を見合わせるような
状況でございました。したがって私は、困ったことだな、別室にと思っているうちに、
延原氏の
むすこという人と、そのついてきた方とが、気持ちを悪くしたのか驚いたのか知りませんが、「これで失礼します」ということで、この問題はこれでおしまいですからというので、はっきり
ことばはわかりませんが、そういう
意味を残して、「まあ待ってください」と言ったが、立って帰りました。「待ってください」と言って出口まで私は追いかけましたが、そのまま帰りました。その後の問題については、これは私は困った問題だ。そうして三月
早々に、これも実ははっきり覚えておりませんが、
決算委員会であったか、あるいはたぶん小
委員会であったと思いますが、小
委員会で、私も
出席をいたしましたが、それは
決算委員会のあれであったか、小
委員会だったかはっきり
記憶ございません。そこで実は
田中君がその
参考人をたくさん
呼び出しまして、まああらゆる、ちょうど
検事が被告を調べるような強い
調べ方で、もう聞くに耐えないような
調べ方の
状況がございました。これはいかぬなと、こういう問題は困った問題だと思っていて、幾日もたたないうちに
むすこさんが
大阪検事局に引っぱられた。どういうことで引っぱられたのだろうと思ってあ然としているうちに、実はその
土地をどういうことですか一億何千万出して仮差し押え処分か何かしたようでございまして、もちろん
むすこさんも勾留をされておりますし、
田中君にも
呼び出しがあったようでございます。そうしてまた秘書にも
呼び出しがあったようでございまして、そのうちに
大阪から
電話がありまして、あなたも御迷惑ですがひとつ
田中君を調べるこについて
参考に聞かしてもらいたい、無理にとではございませんが、もし
大阪まで来られなければ私のほうから出張しますが、ひとつ
真相を話してもらいたい、こういう
電話がございましたので、それじゃあ私も行きましょうというので参りました。別に私も気にとめるほどのこともございませんから、
検事さんの
名前もあるいは何も覚えておりませんが、こういう問題が起こって、そうしてあの
土地は
田中君が強圧を加えて、そうしてそれを買収するつもりらしかった、こういう
検事さんの
ことばでございました。大きな値打ちのあるものを安く買うつもりのように思われた、したがって初めからの
真相をお話し願いたいと言うから、右のような話をいたしました。それはまことに御苦労さまでしたということで、私は三十分か一時間くらいかかったですか、それですぐに帰ってまいりましたが、事の
真相はさようでございまして、私が出した
手紙等につきましても、これは
個人の
資格で、
決算委員長の
名前で出した
手紙ではございません。なおついでに、
田中君と行ったことは、私が出した
手紙に対して
お越しを待つという
電報によって私は行き、なおそういうような問題が
決算委員会で諭難きれて、非常な
決算委員会の
委員の
立場をこえたような
発言でもあったら
国会全体のまずい問題でもあると
考えまして、私は非常な
誠意を持ったようなつもりで、
田中君が行かないというのを無理に
大阪まで引っぱって行ったようなわけでございますが、
事情はこういうことでございます。
その後私は
手紙を何か
法務委員会でまた
牧野君を通じて出したとかなんとかいうようなことを言ったということですが、それは全然うそでございまして、
最初に、いま申し上げたような、一ぺん
手紙を出しただけでございます。なおまた、この
問題等につきましては、
検事局で
田中君の
むすこきんが呼ばれて逮捕された問題でもありますし、なお
田中君もこれは
向こうに、
参考人ではなかったと思いますが、呼ばれて調べられたような
状況で、何かこれ以後の
問題等は知りません。したがいまして、この問題は、私が
決算委員長であったから、こういうことで、こういうような
事情でございまして、その他の点については一点たりともやましい点は天地神明に誓ってない。それから、私が行なった、
田中君を連れていって
所有権のある
延原氏と、ブローカーやなんかの話やなんかでなく、
話し合いをしてみて、そこに不正があれば
決算委員会で取り上げるとか取り上げない問題だとかいうことにしたいということで、
誠意を持った私は真心を持った行為をしたつもりでございまして、いまだにそういう点に対して私は正しいことをしたという
信念を持っている次第でございます。時間等がございまして、あるいは
法務委員会等の
呼び出し等がございますれば、進んで釈明をいたし、またきのうおそく
韓国から帰ってまいりましたために、まだその当時の
記憶、それから
記録等も調べてもございません。したがいまして、大筋を申し上げて私の
立場を鮮明いたしたいと思う次第でございます。