○
永末英一君 私は、民主社会党を
代表し、
沖縄における
裁判権
移送命令事件について
質問をいたしたいと存じます。
この
事件は、
施政権返還を目ざして、
自治権拡大へ一歩一歩前進しつつあるかに見えた
沖縄のベールをもぎ取り、
アメリカの利益のためには、琉球
政府の
裁判権を容易に剥奪し、民主主義の原則をじゅうりんするという、
アメリカの
沖縄施政の
本質をむき出しに見せたものであります。
沖縄県民が全島をあげこの命令の不当を鳴らし、その
撤回を
要求するに至ったことは当然であります。
わが党は、この
事件が
日米両国の友好
関係にきわめて重大な悪影響を及ぼすものと判断し、すでに六月二十四日、
政府にも、また在日
アメリカ大使館にも、
撤回に関し善処するよう要請をいたしました。
佐藤総理は新生
日本ということを好んで口にされるのでありますが、もしこの
移送命令をこのままにしておくならば、このことばは一片の口頭禅として、
国民からあいそをつかされることは火を見るよりも明らかであります。この問題こそは、
アメリカの
沖縄支配、ことばをかえていえば、
日米関係の
本質に触れる問題であります。それだけに、
日本政府こそがこの問題
解決の責任をとらねばならぬ性質のものであると
考えます。
政府は、友利
裁判解決方法とその目途について、どうしようとするのか。以下、
問題点を
指摘して、
総理の明確な御
答弁を
要求いたします。
第一に、
政府は
アメリカの
沖縄に対する植民地的支配を是認するのかどうかという点であります。
アメリカ側は、
沖縄支配の根拠として、サンフランシスコ平和条約第三条を持ち出しております。確かに平和条約第三条は、
昭和二十年六月以降七年間にわたる
アメリカの
沖縄軍事占領に一応の終止符を打ちました。しかし、それは、
沖縄を戦前の状態へ
復帰せしめるものではなく、
日本の領土でもなければ、
アメリカの領土でもない、きわめて奇妙な地位に
沖縄を置いたのであります。この第三条を理由にして、インドが講和
会議に出席せず、エジプトが留保いたしましたのも、長年の自国の状態をかがみにして、その植民地的
性格をはっきりと見抜いたからでありましょう。
沖縄県民の国籍は、地球上例のない無国籍人のそれであり、
沖縄の船は、「われ操縦意のごとくならず」という黄色い旗を掲げて、七つの海をさすらわねばならなくなりました。
軍事占領中に出された布令、布告、これが平和条約後、
沖縄統治の基本法的
性格を有する大統領行政命令との間の不一致をも整理されることなく、くそみそ一緒に有効として取り扱われてまいりました。このような奇妙な状態が一世代にわたって続き、さらにその終結の見込みもない中で、
沖縄県民に今回の打撃が加えられたのであります。
沖縄県民の基本的
権利の主張の根拠は一体どこにあるのでありましょうか。
日本国憲法にあるのか、
アメリカ国憲法にあるのか、はたまた、世界
人権宣言にあるのか、そのいずれにもないのが現状であります。言うならば、それはきわめて悪質な植民地的状態にあるといわなければなりません。このような状態に
沖縄県民をおとしいれた責任は一体だれにあるのか。それはまず大
日本帝国
政府にあり、さらに、
沖縄県民十数万に血のあがないをさせてかち得た平和の上にあぐらをかいている現
日本政府にあるといわなくてはなりません。この無
権利の
沖縄県民に近代的
人権を取り戻す責任を
日本国政府の首班である
佐藤総理が痛感しておられるかどうか伺いたい。
平和条約第三条は、
アメリカが
沖縄を信託統治とするまで
施政権を暫定的に
アメリカに認めたにすぎません。しかし、いまや、
昭和三十一年
わが国が国際連合に
加盟した以上、同憲章第七十八条並びに百三条により平和条約三条は実現不可能なものとなっております。このような情勢の変化の中で、
昭和三十七年三月十九日のケネディ大統領の声明は、
アメリカが
沖縄の信託統治を国連に提案しない意思を明確にしたものであります。
佐藤総理は、この際、平和条約第三条の撤廃ないし
施政権即時返還の交渉を
アメリカと行なう意思があるかどうか、御
答弁を
願いたい。それとも、昨年一月の佐藤・ジョンソン共同声明において、
佐藤総理は、「
アメリカ大統領は、
施政権返還に対する
日本政府及び
国民の願望に
理解を示し、極東における自由世界の安全保障上の利益が、この希望の実現を許す日を待望すると述べた。」ということを確認していることからして、
沖縄の
施政権返還を
要求しない約束を
アメリカに対してしてきたのか、
国民の前に明らかにせられたい。
第二に、
沖縄の軍事的意義について
政府はどう判断しているか伺いたい。
敗戦以来放置されてまいりました
沖縄は、朝鮮
戦争勃発とともにその
性格を一変し、
アメリカの軍事
要求のままに
沖縄を使おうという意図が露骨にあらわれてまいりました。いま
沖縄は、
アメリカ軍事力の前進
攻撃基地として使われております。しかし、朝鮮
戦争時代からすれば、
アメリカの兵器も変わり、
ベトナム戦争の進展とともにその戦略も変わりました。
沖縄は、
アメリカ海軍にとっては、港湾施設の貧弱さのために中継基地以上の
意味を持たず、また、
アメリカ空軍にとっても共産圏に対しては脆弱な発進基地となりつつ航ります。
ベトナム戦争のために、自由に使える近接基地、陸軍訓練基地として、
アメリカはいま
沖縄をきわめて重宝がってはおりますが、ポラリス潜水艦の西南太平洋における配置と、大陸間弾道弾の発展は、中共の本格的な核武装と相まって、
沖縄の核基地としての意義を減殺し、また、
軍事基地としての重要性をも加速度的に低下せしめてきたと判断されるのであります。これは、
アメリカ国防部もつとに気づいているところであります。しかし、
アメリカ軍は、なお、やがて消えゆく大型爆撃機の中継基地として
沖縄を使用したり、あるいはクイックリリース作戦によって、その軍事的有用性をなお強く主張しようとしております。しかし、
アジア地域における局地紛争は、
沖縄を中継前進基地として、通常兵力を導入することによって
解決されるものでありましょうか。断じてそうではありません。
ベトナム戦争に見られるように、
アジアの局地紛争は、その地域の住民の意思を争うものであり、その住民の意思は、主として生活の安定と未来の見通しによってささえられるものであります。争われているのは軍事ではなく政治であります。だとすれば、
アジアの平和を
考える場合、
沖縄が軍事的にのみ使用されることについて
政府はどう判断するのか。平和に徹することをモットーとする
佐藤総理は、
沖縄の軍事的地位の変化を
アメリカに説明し、
ベトナム戦争の平和的処理のため、
沖縄を軍事的に使用しないことを
アメリカに対して説得する勇気があるかどうかを伺いたい。
第三に、もし極東における自由世界の安全保障上の利益が
沖縄の
施政権返還の条件になっているとするなら、一体、
政府は、自由世界の安全保障上の利益のためどのような責任を果たそうとするか、伺いたい。責任感の強い
佐藤総理は、まさか
アメリカの
努力だけが極東の緊張状態を解きほぐすのだと、手をこまねいて漫然としておられるわけではありますまい。あなたは昨日も、「心を許す先進工業国として東南
アジア諸国から遇せられる
日本国になりたい」と述べられました。東南
アジア諸国が心を許す
日本は、平和に徹するために責任を果たす国でなければなりません。また、そのような国であってこそ、初めて
アメリカもまた、文字どおりのパートナーとして
日本を遇するでありましょう。すなわち、
わが国の安全を
アメリカにのみ寄りすがって
経済発展をはかろうとする依存的
態度を捨てて、
日本の国の安全は
日本人で果たすという体制をつくり上げることであります。
わが国の安全をわれわれ自身で守ろうとしない体制では、軍事力を中軸に総合的国力を背景に展開されております激烈な
国際政治において、自主的な発言力は持ち得ず、国家利益をもまた満たし得ないこととなるのは当然であります。
沖縄の
施政権返還が行なわれず、今回のような
裁判権移送問題が起こるのも、そのあらわれであります。わが党は、何よりも
日本の国は
日本人で守るという
国民意思の合意を固めるべきであると
考えます。このためには、
日本民族の歴史を知り、進むべき理想を
国民一人一人のものにすることが必要であります。しかし、守るに値する社会と
経済を築くことが先決であります。イデオロギーによって国を差別することなく、積極的に敵をゼロにする多角的平和外交を推進する、そのような手段を尽くして初めて
国民意思の合意が固まってくると
考えます。この
国民の意思の上に築かれるのが自主防衛力であります。したがって、防衛の方針は常に明確に
国民に訴えられ、
国民によって消化されていなければなりません。防衛にタッチすれば政権がぐらつくのだというようなことで、これまでの自民党
政府のように避けて通る
態度は、かえって
国民意思の混迷を来たすのであります。もちろん、われわれは、完全軍縮、世界国家実現の理想を堅持しつつ、現在における
日本国の平和への責任を果たそうとするものであります。いま
政府において、第三次防衛計画が策定途上にあります。第三次防においては、すべてが
日本経済、すなわち
国民のあぶらと汗によってまかなわれます。したがって、
国民は、三次防によってつくられる兵力体系が
国民にとって真に必要なものであるかどうかを知る
権利があります。この際、
総理は、三次防決定の時期を明らかにし、その
目的、すなわち、防衛の基本構想を明らかにする用意があるかどうかを伺いたい。
この場合、明確にされなければなりませんのは、政治の軍事に対する優越の原則、すなわちシビリアン・コントロールの原則の確立であります。このためには、国防
会議議長である
総理の統裁のもとに、現在の国防
会議を改編、強化し、各省の調整を行ない得る機能を持たせ、防衛の基本計画をまとめるようにすべきであると
考えますが、
総理の所見を伺いたい。しかし、われわれのいう自主防衛力は、厳格に平和憲法の範囲内で組み立てられるものでなければなりません。ダモクレスの剣のもとにある核戦略時代にあって、
日本国民の平和に対する責任は、平和憲法に明示されていることの実行で十分であります。しかし、巷間、中共の核武装の進展に見合って、その核脅威を云々するものがあります。われわれは、
核兵器もまた武器の一種であり、それを使用する政治の
目的によって用いられるものであると
考えます。したがって、理由もなく中共の核脅威を云々する
態度に
賛成いたしません。われわれ
日本人で、
日本社会の
運営をりっぱにやってのける体制を固めるならば、核などによって、これがくずされるものではありません。しかし、
核兵器の現存することは事実であります。われわれが
核兵器を持たぬと決意する以上、核抑止力として
日米安保条約に自主防衛力の補完的機能を認めねばならぬと、わが党は
考えます。しかし、安保条約にそれ以上寄りかかろうとする
態度をとることは、きわめて危険であります。なぜなれば、安保条約は、
アメリカのためにも機能するものであるからであります。われわれが原則的に貸与基地を撤廃し、常時駐留を排除することを
内容とする安保条約の根本的改定を主張する理由は、まさにここにあります。
総理は、この点についてどう
考えられるか、伺いたい。
現在の平和に対する死活的問題は、核拡散の防止であります。核を持たぬと決意したわれわれにとっても、核拡散防止を実現し得るかどうかはまさしく死活の問題であるといわなくてはなりません。
政府のように、
アメリカの核のかさにたより、一国の核保障に依存する
態度ではこの
目的を達することはできません。核を持たぬと決意する
国々に呼びかけ、複数以上の核保有国の共同核保障を
内容とする核拡散防止条約の締結こそ、
日本外交の最も緊要な今日的課題ではないでありましょうか。
ソ連は、わが党案に類似の提案をジュネーブの軍縮
会議で行ないました。
佐藤総理は、この点について来日中のグロムイコ・
ソ連外相と話し合う用意があるかどうか、伺いたい。
私は、太平洋
戦争中海軍に従事し、
沖縄を基地として戦い、また、
沖縄に関東軍の将兵を送りました。これら将兵十万は
沖縄県民十数万とともに
沖縄の地で玉砕し、私が最後に勤務した戦艦大和も
沖縄への途上撃沈されました。もし
アメリカが自国の将兵三万の血を流した
沖縄について、自分たちに
要求権があるのが当然だというのであるならば、同時に、そこで二十万をこす
日本人の血もまた流されたということを、その
アメリカ人に思い出してもらわねばなりません。何よりもまず
アメリカに忘れてもらわなくてはならないのは、
沖縄戦闘の思い出であります。
沖縄は
本土のために玉砕いたしました。しかも戦後二十一年、いまだに
本土から分離されたまま実質的な占領のもとに沈淪いたしております。
裁判権移送問題の背景はこのように根深いのであります。われわれは、
日本と
アメリカとが真に対等の
立場に立って信頼し合う友人として平和のために前進しようというのであるならば、まず何よりも
沖縄の問題を
解決しなければなりません。
佐藤総理の信ずるところを明確に述べられんことを期待して、
質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣佐藤榮作君
登壇〕