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喜屋武参考人 私、ただいま御紹介いただきました
沖繩県祖国復帰協議会の
会長をいたしております
喜屋武眞榮でございます。なお、明らかにしておきたいと思いますことは、私の本務は、
沖繩の
教育者で組織しております
沖繩教職員会の
事務局長をいたしております。なお、今回懸案の
裁判移送問題で、
沖繩はいま島ぐるみの
盛り上がりの中でこの
撤回運動が続けられておるのでありますが、その
民間団体を結集して組織されました
撤回共闘会議の
議長をいたしております。今回、このようなありがたい、そうして私
たちにとりましてはまことに
絶好の
機会をお与えくださいましたことを、心からまずまず
感謝申し上げます。
自治と自由と
民主主義を求める
人間にとりまして、孤独と分離は
人間不幸の中の最大の不幸であるといわれておりますが、私
たち沖繩九十六万
県民は、私
たちの
意思に反しまして
祖国から分断されて、すでに二十一年目になります。その間、私
たちは一日たりとも
祖国へ帰ることを忘れたことはございません。忘れないどころか、年とともにわれわれの
復帰への
願いはますます熾烈になってくるばかりでございます。そのことは、
復帰協の
会長といたしまして、その
意識、
行動、その事実を通して私がはっきりここに申し上げる次第でございます。
施政権者である、
統治者である
米国の
経済援助に関係なく、
沖繩県民の
復帰への
願いは年とともに熾烈になっていくばかりであるということを、御理解
願いたいと思います。二十一年にわたる異
民族支配のもとにあっても、絶えず私
たちは
日本国民としての
誇りを失うことなく
——いや失わないばかりでなく、ますます
日本国民としての
誇りを堅持して今日までがんばってまいっております。おとなもさることながら、特に若い
世代の魂が、
特殊事情下における
環境から、そして
固定環境、
行動の
環境に支配されて隷属化していくことを私
たちは憂いながら、
祖国を忘れることのない
青少年に育成しなければいかぬ、年とともに
祖国に対して不信、疑惑を持つような、忘れ去るような
青少年に育てては、まことに皆さまに申しわけがない、このような
気持ちで
沖繩における
日本国民の
教育に専念いたしておるわけであります。そこで、終戦直後、
布令によって
教育がなされておったのでありますが、まずまず何はさておいても、
国民教育のよりどころである
教育法が他の手によって、異国によって、そして
支配者によって、
沖繩の
日本国民の
教育を
布令によってなされるようなことがあってはいけないと思い詰めまして、この
教育布令を撤廃させることに立ち上がりまして、幾たびか苦難の道をたどりながら
民立法を制定さして、ここに
日本国民としての
教育のよりどころを打ち立てた次第でございます。
さらに、地域的にも、
祖国は近くにありて遠きもの、また一面
祖国は遠きにありて近きもの、こういった背反する矛盾の中で私
たちは年とともにたどってまいりましたが、その間、
祖国の
シンボルでありますところの
日の丸、この
日の丸に魂の
とりでを求めて、過去、現在、そして将来も、これにひたむきな郷愁を寄せながら
日本国民の
教育に専念いたすわけでありますが、その
日の丸につきましては、私
たち沖繩九十六万
県民にとりましては、わけても二十数万の若い
世代にとりましては、
一つに、
復帰の
シンボルとして、
二つに、異
民族支配下にありましても、
日本国民ここにあり、こういう
国民的な、民族的な
誇りをこの
日の丸に求めて、
誇りの
シンボルであると同時に、ときに抵抗の
シンボルとして
日の丸にあこがれております。
三つには、
沖繩における
日本国民の
教育は、
日本政府の
義務と責任によって、そして
憲法の保障する、
義務教育国庫負担法の保障する一切の
権利は、
沖繩の
県民並びに
児童生徒にも及ばさるべきであると確信いたしておるのでございますが、残念にしていまの
立場は、その親の手が十分に差し延べられておらないところに、
沖繩における
日本国民の
教育の空白があるわけでございますが、そういう中で
日本国民の
教育の
シンボルとして
日の丸に
とりでを求めておる次第でございます。
四つに、自由の
シンボルとして、
自分の国の旗を
自分の手によって上げようが、おろそうが、掲げようが、全くわれわれ
自体の自由の
意思によってなさるべきであるのに残念なことに、何月何日は掲げてよろしい、何月何日は揚げてはいかぬ、こういう拘束を国のきまりによって受けるとするならばともかくといたしまして、他国の規制によって
自分の国の旗さえも自由に掲げることができない、こういうことに対して、私
たちは非常に情けなさを感じております。このように、
一つに
復帰の
シンボルとして、
二つに
日本国民の
誇りの
シンボルとして、
三つに
日本国民の
教育の
シンボルとして、
四つに自由の
シンボルとして、朝な夕な、そして
機会あるごとに幅広く、数多くのこの
日の丸にあこがれ求めてるのは、そのような心情からでございます。
次に、私
たちは、
沖繩九十六万
県民が
日本国民であるということを何人もこれを疑い、また否定する根拠もなければ、また
意識も持っておりません。ところが、いまだに九十六万
県民を
代表して
議政壇上において
国政に参加できず、
沖繩県民の真実の率直の声を
国会に反映させることができない。このたびの
裁判移送問題につきましても、もし
県民代表が直接に
国会に参加いたしておるといたしますならば、もっとこの問題が切実、主体的に取り上げられまして、スムーズに、そしてスピーディーに解決されていくのではないかとも、こう思い詰めておる次第でございますが、そのようなことのできないいまの
立場を情けなく思うと同時に、私
たち民間団体の
代表といたしまして、このようにかけ回り、
訴えなければいかぬかということについて、しみじみ情けなさと、そして晴れて一日も早く私
たちの
代表が
皆さんと同じ
立場のこの議席を占めて、
沖繩の問題を
自体の問題として
皆さんの前に何のこだわりもなく提案し、みんなで検討していただく、この日がいつの日かと、こう思う次第でございます。奪いにしてきょうの
内閣委員会でのこの
訴えは、まさに私
たちにとりましては
絶好の
機会を与えていただきましたことで、これに対し心から深甚の敬意と
感謝を表する次第でございます。
さて、御
承知のことと思いますが、この今回の
裁判移送問題は、
民主主義を根本から否定し、そして
沖繩県民の
人権を侵害するものであり、さらに
人権を守る
とりでといわれております
司法権の侵害をなすものである、このように思いまして、この
移送をめぐって、為政者もその道の
専門家も
沖繩におきましては総立ち上がりをしておる次第でございます。そういう中で、先日、
沖繩の
立法院において、満場一致この
撤回決議がなされまして、
院代表が先日参りましてお
訴え申し上げたのでありますが、さらにあの
代表の三名を送りまして、日一日と
沖繩におけるこの問題に対する世論の
盛り上がりが熾烈をきわめまして、その中で
各種民間団体二十五
団体が結集をいたしまして、この
裁判移送撤回の
共闘会議を結成されまして、私
たち三名が
議長、副
議長の、荷に負えない大役を仰せつかっておる次第でございます。それで、去る七月八日に
県民大会を持ちまして、その
大会で決議いたしました
要請書を携えまして、追っかけるようにして
院代表のあとをバトンタッチいたしまして、去る十一日から今日まで
昼夜兼行、
政府、政党、各機関、
団体を足を棒にしてかけ回っておる次第でございます。このように予期しない問題がこうして飛び出しますのも、せんじ詰めて考えてみますと、いわゆる
軍事優先政策を遂行していくための
大統領行政命令、
布令、
布告によって
沖繩県民が統治され、当然私
たちは
日本国憲法によって守らるべきだと信じておりますが、そういったギャップからこのようなことも派生しておるわけでございますので、私
たちは一日も早く
大統領行政命令、
布告、
布令から脱却いたしまして、私
たちの国の
憲法である
日本国憲法によって守られていきたいというのが、切なる
願いでございます。ところで、今度のこの問題をめぐって、法的に私は
しろうとでございまして、専門的な
立場はよくは存じませんけれども、
しろうとながらも今度の特に問題となっておりますあの
友利裁判とか
サンマ裁判が、どうして
米国の安全と
利益に直接つながるものであるか、こういうことにも疑問を持つものでございます。また、何ゆえに
日本国民である
沖繩の
人間同士の問題でありますのに、そのことが
米国の手によって裁かれなければいけないだろうか、こういうことに大きな疑問を持つものでございます。そこで、次のことを
訴えまして、
皆さんの心からなる御審議、そしてわれわれの切なる
要望にこたえていただき、取り上げていただくよう、
お願いを申し上げる次第でございます。
まず
一つは、今
国会におきまして、すみやかにこの
裁判移送撤回をぜひ決議していただきたい。
二つには、今後の推移によっては
日米協議会でぜひ取り上げていただきたい。そして二十一年の今時点では、もう
沖繩の問題は
沖繩県民だけの問題としては荷に負えない。もちろん、私
たちは
祖国の
皆さんにげたを預けるという
気持ちは毛頭ございませんが、やれるだけのことはしっかりがんばっていたしたい決意を持っておる次第でありますが、あまりにも荷に負えない重大な問題、それは国の問題として、
国民の問題として取り上げていただかなければどうにもならない、こういうところまで進展してまいっております。したがいまして、
沖繩の問題が
沖繩だけの問題でなく、国の問題としてこれを取り上げていただくという愛情は、当然
国会に
沖繩問題対策特別委員会が設置されてしかるべきだと思います。どうかそのような角度からすみやかに
特別対策委員会を設置していただくよう、心から
お願いを申し上げまして、私の
訴えを終わらしていただきたいと思います。
なお、たいへん時間の
制限がございまして、まことに御迷惑かと思いますが、
市町村会会長の
仲村榮春氏、また
県労協議会議長亀甲康吉氏の時間もお与えくださっているわけでございますが、あるいは私がその時間をオーバーして、まことに申しわけございませんが、できるだけの時間をお与えくださいますよう心から
お願いを申し上げまして、私の御
要望を終わらしていただきたいと思います。まことにありがとうございました。(
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