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1966-11-10 第52回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年十一月十日(木曜日)    午後一時四十三分開議  出席委員    委員長 原   茂君    理事 纐纈 彌三君 理事 中曽根康弘君    理事 前田 正男君 理事 石野 久男君    理事 岡  良一君 理事 田中 武夫君       大石 八治君    加藤 高藏君       福井  勇君    石田 宥全君       滝井 義高君    松平 忠久君       三木 喜夫君    山内  広君      米内山義一郎君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 鈴木 善幸君         国 務 大 臣 有田 喜一君  委員外出席者         総理府事務官         (経済企画庁水         資源局長)   松本  茂君         科学技術政務次         官       始関 伊平君         総理府技官         (科学技術庁研         究調整局長)  高橋 正春君         文部事務官         (大学学術局審         議官)     岡野  澄君         厚生事務官         (大臣官房審議         官)      武藤琦一郎君         厚 生 技 官         (環境衛生局長舘林 宣夫君         農 林 技 官         (水産庁調査研         究部長)    高芝 愛治君         通商産業事務官         (化学工業局         長)      吉光  久君         通商産業事務官         (化学工業局化         学第一課長)  小斎  弘君         気象庁長官   柴田 淑次君         運 輸 技 官         (気象庁観測部         地震課長)   木村 耕三君         建 設 技 官         (国土地理院         長)      安芸 元清君         参  考  人         (神戸大学医学         部教授)    喜田村正次君         参  考  人         (横浜国立大学         工学部教授)  北川 徹三君     ――――――――――――― 八月一日  委員愛知揆一君辞任につき、その補欠として田  川誠一君が議長指名委員に選任された。 九月二日  委員荒木萬壽夫辞任につき、その補欠として  福井勇君が議長指名委員に選任された。 十一月十日  委員河野正君、三木喜夫君及び米内山義一郎君  辞任につき、その補欠として滝井義高君、石田  宥全君及び松平忠久君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員石田宥全君滝井義高君及び松平忠久君辞  任につき、その補欠として三木喜夫君、河野正  君及び米内山義一郎君が議長指名委員に選  任された。     ――――――――――――― 七月二十九日  一、科学技術振興対策に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  科学技術振興対策に関する件(地震予知及び有  機水銀中毒に関する問題)      ――――◇―――――
  2. 原茂

    原委員長 これより会議を開きます。  この際、有田国務大臣及び始関科学技術政務次官よりそれぞれ発言を求められておりますので、これを許します。有田国務大臣
  3. 有田喜一

    有田国務大臣 私、先般、八月一日に科学技術庁長官の重責をかたじけのういたしました有田喜一でございます。よろしくお願い申し上げます。  私は、御承知のとおり、かつてここの委員会に所属しておりまして、初代の委員長をやったこともありまして、科学技術しろうとでございますけれども、非常に関心が深いのでございまして、ここへ参りますと、あたかも昔の古巣へ帰ったような気持ちがいたしまして、非常になつかしく思うのであります。いずれ私の所信は、臨時国会でも開かれたときに申し述べたいと思うのでありますが、何ぶんふつつかな者でございますけれども、皆さんの御指導と御鞭撻によりまして今日の科学技術振興発展のために大いに微力をささげたい、かように考えておりますので、どうぞよろしく御鞭撻、御指導のほどをお願い申しまして、私の就任のあいさつにかえたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手
  4. 原茂

  5. 始関伊平

    始関説明員 先般科学技術庁政務次官を拝命いたしました始関伊平でございます。  浅学非才の者でございますが、いま科学技術庁には重要かつ困難な問題が山積いたしておると思いますので、全力を尽くしまして職責を果たしてまいりたい念願でございます。本委員会委員各位の格別の御協力と御鞭撻を賜わりますようにお願いを申し上げまして、ごあいさつにかえる次第であります。(拍手)     ―――――――――――――
  6. 原茂

    原委員長 科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。  地震予知に関する問題について質疑の申し出がありますのでこれを許します。松平忠久君。
  7. 松平忠久

    松平委員 有田さんがお急ぎのようでありますから、文部大臣という立場科学技術庁長官という立場で御所信を伺いたいと思うのです。  実は地震研究機関というものは非常に複雑多岐のようなかっこうでありまして御承知のように地震観測運輸省所管になっておりますし、それから東大地震研究所というものがある。そのほか地殻変動というようなものについては国土地理院というようなものがありまして、それがまた調査もしておる。それから東大のほかにそれぞれの大学地震学について専門的に研究しておる人もある、こういう状態なんです。  そこで、実は私がずっと調べてみますと、政府の機関内において地震に関する特別の機関というものをつくったのは明治二十四年であります。そのときに震災予防調査会というものをつくったわけです。そうしてそのときの会議録というようなものを見ますと、地震予知研究しなければならぬということで調査会をつくる、こういうことで当時予算が二万円ついておったのであります。ところがこの二万円の予算というものは一向に上がらない。大正になりましてからこれを三万円にふやしたというような時代、そこへ関東の大震災というものがありまして、そうして現に議員の中では星島二郎さん、あの人が国会においてこの問題をかなり取り上げまして、そうしてその結果、東大地震研究所というものができたわけです。そのときの議事録を読んでみますと、やはり地震予知についてまだまだとてもいかぬから、これは大学中心にしてそういう予知研究というものをやらせなければならぬということで、予算もかなりつけまして、当時のわれわれの先輩が、関東震災のあとのあの悲惨な状況を見て、どうしてもこれはやらなくちゃいかぬというのでつくったのが東大地震研究所なんです。  ところが、その後の状況を見ますと、やはりのど元過ぎれば熱さを忘れるというか、そういう関係がありまして、いまだに地震予知というものはあまりわからない。これが現状なのであります。  ところが、松代地震等中心にわれわれしろうとがいろいろ伺っておりますと、専門家の方々の中では、どうも地震予知に関する若干のヒントのようなものが探り当てられるのではないか、こういうことを言っておるわけであります。その地震予知の探りというか、予知可能性といいますか、そういうものの中に次のようなことがございます。  一つは、国土地理院等がやりましたところのいわゆる土地隆起地殻隆起ということをずっと調査しておりますと、たとえば松代地区におきましては、ここ何十年でありましたか、かなり古いデータをとりまして、百三十五センチ土地隆起しておるというデータも出ておるわけであります。ここ数カ月の間におきまして一寸五分程度地殻が上がったところもある。そういう調査の結果が出ておりまして、そういうところに地震が頻発しておる、こういうことがいまではいわれておるわけです。  それからもう一つデータとしては、東大地震研究所松代観測所の中に設置しております水管傾斜計というものがあります。その水管傾斜計というものを見ますと、水管傾斜計東西南北にあるのでありますが、その水管傾斜計というものが水平を保っておるのがどこか狂って上がってくる。上がってきた場合に、ある場合には三日後くらいに必ず大きな地震がくる、ある場合には四、五時間後に大きな地震がくるということで、始終その水管傾斜計変化というものを見ておらなければなりませんけれども、しかし大きな変化がきた場合には必ず大きな地震がくる。すなわちそのことは三日なりあるいは数時間前に地震予知可能性があるということを示しておるわけであります。  それから運輸省関係気象庁のあそこの観測所所長の言明によりますと、松代においてはこの地震周期律がありますということを言っておるわけであります。その周期律は二週間の周期律でくる。したがってこの二週間の周期律ということは、あるいは月の満月等関係があるのではないかということを新聞に漏らしたことがあります。その漏らしたのを私がとらえまして東大地震研究所長に聞いてみると、そういうことはございませんということを言っております。しかしながら観測所長は明らかにこれは周期律がある、こういうことを言っておるわけです。周規律があるということになるならば、これは天体との関係があるのではなかろうかともしろうとには想像できるわけであります。そういうことからいくならば、またそこに何らかの予知ができるのではないか、こういうふうに思うのであります。したがって、実は本年四月の十三日に本委員会におきまして、地震研究の総合的なことをもう少しやってみたらどうか、ことに科学技術庁はその立場にあるわけであるから、もっと効率的な意味において総合研究というものをすべきである、こういう決議をしたのであります。しかしこの決議の趣旨というものは、現在の機構をすぐいじるという考え方にはなっておりません。しかしながら、これを総合的にやっていくというために、さらにもう一歩進めていくならば、何かやはりそこに総合機関というものをつくっていくべきではなかろうか、それが科学技術庁の本来の役目ではないか、私はこういうふうに思っておるわけであります。そこで、その後この問題がやや具体化された一つの事例といたしまして地震研究センターというようなものをつくったらどうかということが参議院でも問題になりまして、六月二十二日でありましたか、参議院における何かの委員会においてこの問題が取り上げられたのであります。そこで、これはいまの当座の措置としてやらなければならないということで取り上げられたわけであるけれども、その後なかなかもたついておってうまくいかない。うまくいかない原因がどこにあるのか私にはよくわかりませんけれども、しかし外部から想像してみるのに、やはりこれは地震研究というものが分散しておって、そうして現在でも、いま申しましたように観測運輸省がやっておる、研究東大がやっておる、そうして科学技術庁は別にあなたのほうの予算でもって防災センターというものがあって、その防災センターボーリングをして、ボーリングをしたところに何か計器を入れて地殻変動を見ておる。一方において建設省所管国土地理院というものは、あそこで土地隆起測量をやっておる。そういう現状の中で、もう少しとにかく地震国の日本として世界にも貢献するということで、いま申しました地震研究センターというものをつくったらどうかということで国務大臣の当時の意見も大体いいだろうということになったが、事務当局がなかなかごたごたしている。ある場合にはなわ張り争いということにもなるが、しかし今回の場合を見ると、むしろそういうものはおれのところは受けたくないというような考え方でよそへ押しつける、こういうことも見られた。それははかのほうに予算が食われるから、そういうところにはなるべくおれたちは出したくないのだ、この感覚が気象庁にも必ずあったのではなかろうかと思います。ですから荒舩さんが、だめじゃないか、やれと言って一喝食らわしたということも私は聞いておる。私は、そういうことをやはり科学技術庁長官として推進をしていくべきじゃないかと思う。現在は総理府長官なり副長官予算的な要求は取りまとめてやるということになっておりますけれども、しかしそれを推進するのは科学技術庁じゃないかと私は思うのです。そこで、科学技術庁長官としての有田さんの考え方と、これまでやられてきたいきさつというものについてここで述べていただきたい、こう思います。
  8. 有田喜一

    有田国務大臣 いまの松平さんの地震に関する御意見、非常に共鳴するところであります。何としても地震センターといいますか、総合的な研究を進めていかなくちゃならぬ。ことに今回松代が非常に御心配になっておるその事情もよく聞いております。このためにまず松代地震センター、これを何とかしなければならぬ。そこでこの地震に関する資料の収集とか整備あるいは保管、提供と、これに関連して横の必要な資料の部分的の解析とか調査などをあわせて行なう。それから同時に共同研究、こういうことに必要な施設整備を行なうためにひとつ松代地震センターというものをつくりたい。そこで、この予算措置につきましては、これは総合的なものは総理府で出すのでございますが、それぞれ各省別に必要な経費を出しましてその積算作業を行なう。そこで具体的の運営につきましては、何と申しても気象庁中心となるべきである。運営については気象庁が行なう。それから大学研究をどんどんやる。一時東大研究所ももうやめになるのではないかというような話をちょっと聞いて、私も驚きまして、そんなばかなことはないじゃないかというわけで、御承知のとおり予備費からこの下半期分をつけまして、東大地震研究はずっとやはり続けておる現状であります。かようにして、各省それぞれ一つに集まりまして総合研究をやりたい。科学技術庁としましては調整の必要が生じたときには科学技術庁がこれを行なう。こういうことで、私も就任いたしましてその総合センターというものがどうしても必要だから早くやるべしということでずいぶん事務当局を叱咤激励してまいったのであります。幸いといいますか、承りますと最近いよいよ総合センターに踏み切るということに事務当局の間でも了解がついて、近く閣議の決定になると思います。この詳細なことは事務当局説明させますけれども、全く松平委員構想に共鳴するものでありまして、微力ながらいままでもその推進に努力してまいったわけですが、えらいおそくなりましたけれども一応の見通しがついた、こういう段階でございますので、どうぞお含みを願いたいと思います。
  9. 松平忠久

    松平委員 いま有田大臣のことばで大体の方向というものが近く閣議で決定されるということを伺いまして、一歩前進だ、こういうふうに思っております。しかしこの経過を見ると、事務当局だけで話し合いをさしておったのではだめなんで、今後はやはり最高の責任を持った所管大臣というものが腹を割って話し合って、それでぴしっときめるならきめていく、こういうふうにしていただきたいと思うわけであります。あそこの観測所へ行ってみますと、ソ連のタシケントの地震についてはあそこでもうこれはマグニチュード幾つである、七何とかであるということがすぐわかるのです。この間のトルコの大地震についても、トルコのどの場所であったか、しかもそれはマグニチュードどのくらいだということがすぐわかるのです。そういう施設までできておる。のみならず、この間フランスで行ないましたところの例の核爆発実験、これもすぐ手にとるようにわかりますし、また中国でやりました実験についてもわかる。したがって、参議院でも問題になりましたけれども、スウェーデンを中心とするいわゆる八カ国の核探知のクラブというものをつくるという話がきまっておるわけでありますけれども、そういうものは松代ですぐわかるわけなんです。だから、地下核爆発実験というものを、どこで何をやっておるということも、もう少し手を入れたらそれもわかってくる、こういう実情なんで、あそこにおけるいままでの施設というものは、かなり優秀なものが入っておると思います。したがって、それを中心にやっていかれて、そうして総合的なものに持っていき、さらに一歩を進めて中央の段階においても、できるならば統一したところの機関にしていったら、なおこれはりっぱなものができるのではないか、こういうふうに私は思うのであります。  最近は大体東北のほうへ震源地が移りつつあるというのが観測所の発表しておるところでありますが、われわれもそういうふうに感じておるわけです。したがって、これはいつやむともわからないということでありますが、ただこれが地元民の不安を解消するために若干の予算をつけるんだ、そういう意味のものであってはならぬと思うのです。少なくともこれは予知に一歩近づくだけの気がまえを持ったところの総合センターでなければならない、こういうふうに思っております。したがって、その意味において、ただいま若干御説明がありましたけれども、主としてどういう仕事をやるのかということをもう一度お聞かせ願いたいと思います。
  10. 高橋正春

    高橋説明員 御説明申し上げます。  ただいま大臣から御説明のございましたように、関係各省相つどいまして、私どもで大体の調整をとりましたので、現段階におきまするところの構想を御説明申し上げたいと思います。  目的といたしまして、先ほど松平先生からも御指摘のございましたように、従来各関係省庁におきまして観測あるいは研究をいたしておりました資料をできるだけ合理的かつ効率的に使おう、特に従来はなまの資料をそれぞれの担当機関が持ち帰りまして、その集積いたしました、あるいは解析いたしましたものを資料として配付しておるのでございますが、できるだけなまの資料をそのまま、それぞれの観測機関責任のもとに集積いたしましたものをそのセンターのほうに持ち寄るということ。センター一つ協議体と申しまするか、そのようなものでございまして、関係各省、運輸――気象庁でございますが、あるいは建設、通産、農林というようなところから適当な研究者を、一部は松代に常駐していただき、一部は必要に応じまして現地に出向きましてそれらの資料解析をいたします。  資料の種目と申しますか、これにつきましては先ほど先生お話のございましたような、いろいろな、地殻変動に関しますものでございますとか、あるいは地震計によりますところの地震活動状況でございますとか、あるいは地磁気、地電流調査の結果でございますとか、あるいは地質、地殻構造というような各般の研究データをそこでもらいまして、先ほど申しましたような研究者が相つどいまして、それに対しまして簡単なというのは語弊がございますけれども、本質的な検討はそれぞれの研究機関に持ち帰ってやると思いますけれども、できるだけ早い期間に解析を加える。これを適当に資料化いたしまして、関係各省にできるだけ早くお渡し申し上げる。その結果といたしまして、将来の地震予知に対するところの成果も期待されましょうし、あるいは耐震工法その他の研究資料にも相なると思っております。そのほか、そのような資料を収集いたしますと同時に、さらにそれらの協議体におきまして、新たなる観測方法あるいは観測資料必要性というようなものにつきましても御協議を願いまして、その衆議の結果、それぞれ各省が必要な措置をとる、こういうように考えております。  なお、地震センターの、各研究者等がつどいましてそれを解析いたしますところの物理的な場所といたしましては、現在の気象庁観測所の建物を利用させていただきまして、そこにおきまして会合あるいは分析等の業務を行なう、さらに資料等保管整理等もそこで行なう、大体こういうような構想でございます。
  11. 松平忠久

    松平委員 大体内容はわかりましたが、先ほど大臣お話に、これは本年度分予備費で出す。聞くところによると、とりあえず関係各省の本年度分要求額は一億円ばかりであったと聞いております。その後査定をされたか何か知らぬが、半分くらいに減ってしまったということも聞いておるわけです。  そこで、これは予備費で出すのかどうかということと、それから来年度は一体どうするのか、これは関係各省においてそれぞれ予算要求して新たに計上するということになるのかどうか。  それからもう一点、これの所管は、総理府において最終的には所管をきめなければならぬ。新聞で伝えるところによると、十一月七日までにこの所管はきめたいということを総理府では言っておるわけであります。きょうは総理府長官も副長官もまだお見えになりませんけれども、大臣がその点についてお知りの点がありましたら、あわせてここで御答弁を願いたいと思います。
  12. 有田喜一

    有田国務大臣 先ほども言いましたように、やはり関係各省が一ところに集まってやらなくてはならぬ。どうしても各省庁のいまの行政を生かしながらいくんだから、総理府がみなを集める場所になるだろうと思うのですが、しかしながら、さっきも言いましたように、具体的の運営につきましては、気象庁がやっぱり中心となっていくが、推進役、そして同時に調整役はわが科学技術庁がやっていく、こういう方針でいままとめております。
  13. 松平忠久

    松平委員 来年度もそういうぐあいに予算の編成は……。
  14. 有田喜一

    有田国務大臣 そういうことになると思います。
  15. 松平忠久

    松平委員 現地へしばしば参りましていろいろ聞くのでありますが、たとえばこの間の地すべりが起こりましたときには、これは幸いにいたしまして人畜に対しては被害はほとんどございません。その被害のなかった原因を聞いてみますと、あなたのほうの文部省関係東大地震研究所森本教授が数回行かれまして、そして大体地すべり地帯をずっと見て歩いて、しかも自分のいないときには自分の下の助教授等をやって見てこられまして、そして地すべりのある前の日にまた行かれたのであります。夕方着きまして、夜になってから雨が降っておるのに、レーンコートを着て懐中電灯を持って山に登ったのであります。そうして、先に行っておる東大助教授等と一緒になって、その暗い中で懐中電灯によって測量をして、一分間あるいは一時間にどの程度地すべりが起こるのかということをそこで計算をされまして、そうして翌日は必ずこれは被害が起こるということで、その夜町長にその話をして緊急避難命令を出した。そういうことがあったからあれは幸いにしてそうなりました。ところが、こういう方に対する待遇というようなものは、実際言いますと、まことにこれは貧弱なんです。それで一般の人のいわゆる出張旅費というものもごく少ない。施設もいいものはありませんが、しかしながらその中でも木賃宿みたいなところに泊まっているわけですよ。そういうところでもって、学者その他の研究者は熱心にやっている。まことに私は涙ぐましいものがあると思うのです。こういう人たちの処遇というものを考える必要があるんじゃないか。これは私はやりくりつくと思うのですよ。したがって、そういう点についても、科学技術庁において単なる消極的調整ということではなく、もっと積極性のある調整というものを、調整積極化と申しますか、そういう態度で私は臨んでもらいたいと思うのです。ただ関係各省庁が予算を出して、これは多いとか少ないとかということでやるというようなそういう消極的な調整を一歩進めていけば、この総合的な研究というものも前向きに進んでくるのではないか。だから、ほかの役所で消極的な態度をとっておるならば、むしろ逆にハッパをかけて、何しているんだというぐらいの気がまえで大臣がやられてしかるべきだと私は思うのです。そういうことについての所信を伺います。
  16. 有田喜一

    有田国務大臣 おっしゃるとおり、東大研究所森本教授が非常に機宜の措置をとってくれたと私は非常に感謝いたしまして、森本教授にも非常に感謝の意を表したのでございます。そこで文部省といたしましては、先ほどもちょっと触れましたように、地震研究所松代における経費がない、こういうことを聞いたものですから、直ちに事務当局を呼びまして、そしてさっそく大蔵省と折衝して金を出させようというわけで、さっき言いましたように、大蔵省もそれを理解してくれて予算がついたわけです。  出張旅費云々ということがございましたが、これは御承知のとおり公務員としても全体の出張旅費の制約がありますので、その点はいまにわかにこうだということは、ここに私、断言できませんけれども、幸いにしまして科学技術庁研究調整費というのを持っておりますから、そういうものを活用いたしまして、そして大いに固有の予算をとると同時に、総合的の地震センターがりっぱに運用できるように、この上とも大いに力をいたしたい、かように考えております。
  17. 松平忠久

    松平委員 有田大臣、非常に忙しいようですから、私はあとの質問は後刻やります。大臣だけに質問を集中してもらいたいということだから、最後に一点だけ聞いてやめますが、閣議で決定するというお話ですが、一体いつごろ閣議決定というものがとり行なわれるような進行状態になっておりますか。
  18. 有田喜一

    有田国務大臣 きのう事務当局の間で話が大体きまって、そこで総理府が――御承知のとおり閣議に出すのは、総理府が一応のこういう構想でいくという案をつくりまして、それが次官会議を経て閣議へ出るわけでございますので、あすというわけにはいかぬかもしれませんが、いずれ近く閣議の決定に運び、こういう段取りになっております。
  19. 原茂

    原委員長 途中ですけれども、大臣に関する質問だけを――有機水銀中毒に関する問題について、お二人に先に大臣に集中的にひとつ。加藤先生のほうから……。
  20. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 私は参考人のお話を聞いてから質問したいと思いますので……。
  21. 原茂

    原委員長 それでは石田宥全君
  22. 石田宥全

    石田(宥)委員 あとで実は審議の経過も聞いていただき、そして事後の措置もお伺いしたいと思いましたけれども、お忙しいそうでありますから、本委員会ではまだこの問題を取り扱っておらないようでありますので、ごく概要だけかいつまんで申し上げて、大臣意見を承っておきたいと思います。  阿賀野川の水俣病というのは御存じだと思いますが、この被害というものは、死亡者が五名、後遺症に苦しむ者が二十一名、それから二百PPMの保有者が九名、さらに六十PPMの保有者で、胎児性水俣病の子供を生むおそれがあるという婦人が四十名ないし五十名あるといわれておるわけです。こういうふうな、かつては熊本県の水俣で起こったと同じような症状が起こっておるわけであります。  さらに、六十キロメートルに及ぶところの、鹿瀬の昭和電工の排水口から下流、海に至るまでの間の魚族の漁獲規制を行なっておるわけであります・漁業組合はやはり水産庁の方針によって、年年稚魚の放流、稚アユの放流というようなものを、相当投資をいたしておるわけであります。それがいま規制せられておる状況であります。  そこで、それに対する対策といたしましては、四十年の九月三日に、科学技術庁より特別研究促進調整費というものが九百六十三万九千円支出されまして、科学技術庁中心になって調査研究の組織がつくられました。同時に厚生省といたしましては、そのうち疫学研究班、分析研究班及び臨床研究所がつくられて、調査研究が進められてまいっておるわけであります。厚生大臣にあとでお伺いをいたしますが、厚生大臣は、十月二十四日参議院の社会労働委員会におきまして、十月末日または十一月上旬中にその結論を発表する。同時に被害者に対しては、その補償措置等に対して積極的な努力をいたしますという答弁をしておる。さらに引き続いて、十月二十六日には新潟市におきまして一日厚生省なるものを開いて、ここでも同様に、十月末か十一月上旬に結論を出し、被害者に対する補償については厚生省もまた強力な援護体制をとりたい、こういう答弁をいたしておるのでありますが、実はまだその結論が出ておらないわけであります。  そこで大臣に伺いたいのでありますが、いろいろ事情もございましょうけれども、前段申し上げるような被害者が出ており、さらに現実には二千数百名の漁民が全く漁業ができないし、またばく大な投資をしておる現状のもとにおいて、これはすみやかに学術的な見地から――私どもはもはや結論が出ておるものと考えておるのでありますけれども、やはり科学技術庁中心とする学術的な研究の結果をすみやかに御発表を願いたいと思うのでありますが、どの程度報告を伺っておられるか存じませんけれども、一日もすみやかにその結論を出し、そうしてこれらの被害者の救済対策を講じていただきたいと考えておるわけでありますが、大臣の御所見を伺っておきたいと思います。
  23. 有田喜一

    有田国務大臣 石田委員のおっしゃること、非常にごもっともと思います。御承知のとおり厚生省の研究を担当しておる研究班が、いま一生懸命にやっておるところであります。それに昭和電工側からも研究班が意見を聞いておるそうでございます。厚生大臣が十月末ということを言ったようですけれども、承りますと、あれは十一月末の間違いだったということで、一カ月違っておったそうです。十一月末をもってということだったらしいのですが、そういうことはともかくとしまして、目下厚生省で電工側の意見も聞いたりしながら一生懸命に研究しておるところですが、その結論がまだ私のほうにはきていないのです。いずれ近く疫学班がその判断をしたりいろいろして、その最終結論をいま練っておるという段階でありまして、残念ながら科学技術庁としましてはみずからこちらがいいだ、こちらが悪いだという評価をまだいたす段階に至っていない。これは非常に残念でございますが、せっかく厚生省でいまいろいろ検討されておる最中でありますから、その検討を待ちまして、それを科学技術庁としてはどうすべきかということの見解を定めたい、こういう段階でございますので、詳しいことは事務当局から申しますが、私はその程度に聞いております。
  24. 石田宥全

    石田(宥)委員 もう一問だけ、時間がないそうでありますから簡単に伺いますけれども、やはり科学技術庁中心になって調査研究をしていただいておるわけでございますし、実は特に大臣に申し上げておかなければならないことは、かつて新潟のあの地盤沈下の問題のときに、現在の総理大臣の佐藤榮作さんが科学技術庁長官の時代に、これはかるの採取による大量の水のくみ上げによって地盤が沈下するということが明白であるにもかかわらず、明白な結論を出さなかったために、今日被害者は民事訴訟をあえてやらざるを得ないという状態にあり、またあの地震被害というものを激甚ならしめたものも、地盤沈下であることは、これはもう言うまでもないところであります。科学技術庁では、その結論が出たにもかかわらず、政治的な配慮から率直に単刀直入にその結論を発表をすることをしなかったところに、重大な誤りをおかしておるという苦い経験を持っておられるので、科学技術庁長官としてやはりこの問題については明確な結論を出させるような努力をしていただきたい、こういうことを実は特に大臣に要請をしなければならない事態であるということをお含みの上で促進を願いたいと思います。自後のことについてはそれぞれの係の方からお聞きいたしますが、このことだけはひとつ頭に置いていただきたいと思います。
  25. 有田喜一

    有田国務大臣 おっしゃることはよくわかります。したがいまして、私といたしましては各省庁の研究が科学的、学問的に遂行されまするように総合的な推進をはかっていきたい。政治的なんかに左右されないようしっかりやりたい、こういう気持ちでおりますから御了承願います。
  26. 石田宥全

    石田(宥)委員 鈴木厚生大臣に、参議院予算委員会がおありで時間がないそうでありますから、こまかな点についてはそれぞれの局長その他に伺いたいと思いますけれども、特に本日は参考人として学者の方をも呼んでおりますので、ほんのポイントだけを一、二伺いたいと思います。  大臣御記憶のとおり、十月二十四日の参議院の社会労働委員会におきまして、阿賀野川の水俣病に対する調査研究については、十月末かまたは十一月上旬中に結論を出せる見通しであるということを言明された。さらにこえて二十六日に新潟市における一日厚生省が開かれまして、その際に被害者のほうから陳情等もございましたが、それに対する厚生大臣の御答弁は、やはり同様に十月の末または十一月の上旬中に結論は出せる見込みである、そして加害者が明らかになった場合においては、厳正公平な学術的な結論を待って、被害者に対する補償等については積極的に取り組んでいきますということを言明されておったわけであります。私どもは十月の下旬を期待し、十一月上旬を期待しておったのでありますが、今日まだその結論の出せる段階に至っておらないことははなはだ残念に思うわけであります。きょうは、今日までの調査研究段階におきまして、一体なぜ二十八日の時点で結論が出せなかったのか、そうしてさらに今後の見通しはどうか、この二点だけをはっきりお答えを願いたい。
  27. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 新潟県の阿賀野川で起こりましたいわゆる水俣病の原因究明につきましては、私はできるだけ早くその原因の究明を完了したい、そして、もしそれによって被害を受けられた方に対しましては救済の措置等を十分にやりたい、こういう気持ちでこの問題にあたっておるわけであります。ただ、いま石田委員からお話がありましたように、参議院の社会労働委員会並びに新潟市において開かれました一日厚生省の際におきまして、そういう気持ちで大体十月末ないし十一月の上旬には疫学班の調査研究の結果が出て、それを科学技術庁に報告することができるであろう、こういう見通しについてお話を申し上げておったのであります。しかるところ、この疫学班の有力メンバーでありますところの東京歯科大学の上田教授が海外にただいま出張しておりまして、そのお帰りが大幅に延期になっております。聞きまするに、十一月二十日ごろでないとお帰りにならない、こういうことがその原因一つでございます。  もう一つは、廃液の中から出ます検体の検査が、当初の予定以上に時間が手間どっておる、こういうような二つの理由で、私が事務当局から当初報告を受けて、国会並びに厚生省でお話しを申し上げた予定よりも相当おくれてきておる、こういうことでございます。
  28. 石田宥全

    石田(宥)委員 ただいまの大臣の答弁では上田教授は外遊中でお帰りにならないという点が一点、廃液の検査がおくれておるという点が一点、この二点だと承るわけでありますが、そういたしますと、東京歯科大学の上田教授がお帰りにならなければ結論が出せないということでありますかどうですか。
  29. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 疫学班の先生方の間ではいろいろ御協議をいただいたのでありますが、有力なメンバーの上田教授がお帰りになってから、その結論を出したい、こういう御意向でございまして、私、早くお帰りになることをお待ちしておるわけであります。
  30. 石田宥全

    石田(宥)委員 どうもおかしいです、そういう態度は。第一、新大の公衆衛生学教室では、すでに五月に、一番大切であるといわれる排水口の付近の水ごけからの検出を終わっておる。それから八月には、本日お見えになっております神戸大学の喜田村教授の結論も出ておる。同時に、上田教授の結論もすでに出ておるのです。データが出ておるのです。私はこういうふうにすでにたくさんの学者の研究が出ておるにもかかわらず、なお単に上田教授が帰ってこないから結論が出せないというがごときは、それに籍口して意識的にこれをおくらせるものといわざるを得ないのです。なぜかならば、これは「財界」という雑誌にも書いておる。「新潟県庁にかみついた昭和電工」という、こういう見出しで出ております。これは何を書いておるのかというと、昭和電工側があらゆる政治的な謀略をこらしておる、その結果がこういうふうに大きく出ておるのです。もはやこの明確な結論は、日本の財界からの圧力で出ないのではないかとさえいわれておる。昭電の安西社長は、御承知のとおり三木通産大臣も姻戚の間柄である。同時にまた皇室にまで、美智子妃殿下も親戚の間柄であるから、おそらく通産省や厚生省は公正な結論を出し得ないのではないかと流布されておる。このほかにも雑誌がたくさん出ております。そうして、それには実に不見識なものが多い。企業擁護のものが多いのです。だから私は、単に大臣が上田教授が外遊から帰ってこないからなどと言うのは、これは責任のがれであって、時日をだんだんとおくらせておいて、その間に政治的な配慮が行なわれて、明確な結論を出し得ざらしめるような魂胆があるのではないかと疑わざるを得ないのです。あなたは、かつて水俣病が出たときにはわれわれとともに農林水産委員会でこの問題を積極的に取り上げられた一人であって、私は信頼をいたしておりました。したがって、十月末か十一月上旬に結論が出せるということに大きな期待を持ったのであります。同時に、もう一つ申し上げるならば、財界の圧力というものがやはり至るところに及んでおることは、産業構造審議会の十月二十七日の、産業公害部会は中間答申をまとめましたが、その中で公害の責任は主として国と地方公共団体が負うべきものである。二番目には、環境基準はあくまで公害防止技術の範囲内で設定すべきであるという結論を出しておるではないですか。もっと早くこの結論を出せば、あなたの諮問機関であるところの公害審議会が出したように公害による損害は無過失であっても企業が全責任を負うべきである、企業は費用の一部を負担する、環境基準の設定は人間の健康を中心とすべきである、こういう答申を出しておるのに、それをいち早くその態度を貫こうとしないで、じんぜん日をおくらせるということは、そうした政治的な陰謀以外の何ものでもないといわなければなりません。あなたのこれに対する責任ある答弁を求めます。
  31. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 石田さんは声を大きくして、言われますけれども、先ほど申し上げましたとおり、学者の皆さんで構成される疫学班の結論が、そういうようなことでまだ出てきておりません。いま、いろいろ財界がどうとかいうようなことをおっしゃいましたが、私には圧力は何もかかってきておりません。そういう方に私はお会いしたこともない。何も関係のないことであります。こういう学閥的な問題を私が圧力をかけてこれを延ばすとか、さようなことは全然考えてもおりませんし、むしろ私はあなたもおっしゃったとおり当初から気の毒な漁民諸君、また被害者の立場に非常に同情もし、何とか早く解決をしたい。でございますので、参議院の社労委員会におきましても、一日厚生省の際におきましても、私としてはそういう気持ちで一日も早くこの問題を処理したい、こういう気持ちで発言もし、努力をしておる、こういうことでありまして、私に関する限りは石田さんも御信頼をしていただきたい。
  32. 石田宥全

    石田(宥)委員 私は、あなたがお見えになる前に科学技術庁長官に一言申し上げておいたのですが、実は、学者の中にも御用学者というのがありまして、本日学者のおいでになっておる前ではなはだ恐縮であるけれども、実はしばしばひどい目にあっておるのです。これは時間がありませんからよけいなことは申し上げませんが、少なくとも科学技術庁長官が、いまの総理の佐藤榮作さんであったときに、新潟の地盤沈下の問題が議論された。ところが、学術的には地盤沈下というものは、ガスの採取による大量の水のくみ上げによるものであるということがはっきりしたにもかかわらず、あいまいな結論を出して、一部は採取規制を行なったけれども、一部は規制をしておらないのです。それがために新潟地震であのような激甚な被害を受けておる。こういう苦い経験を持っておる。今日被災者は民事訴訟を出しておりますが、これは十年ものでしょう。普通の人には、この訴訟はついていけませんよ。だから、これは科学技術庁としては、そういう面について責任重大であるが、同時に本問題の直接調査研究の衝に当たっておる、担当されておる厚生大臣が、先ほど私が申し述べたようにたくさんの学者先生がいろいろデータを出しておられる、また、その環境については、私はあとで局長さんたちに申し上げますけれども、まだそのほかにもいわゆる御用学者と称するものの意見によって政治がゆがめられて、多くの被害者を出しておる例を私は知っております。ここでは時間がございませんので申し上げませんけれども、そういう点を私は鈴木厚生大臣は農林水産常任委員会に席を同じゅうして以来、その人格を高く評価をしておるものとして、実は、いささかここに不信の念を持たざるを得なかったので、別に声を大にしたわけではないが、あまり騒々しかったのでつい地声が出たわけでございまして、そういう点については、ひとつよく厚生大臣として御配慮を願いたい、かように考えるわけです。
  33. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 石田さんの、できるだけ早く公正な、科学的な根拠に基づく結果を出せ、こういう御趣旨は、私も十分了解いたしておりますので、今後とも関係者を督励いたしまして、御趣旨に沿うようにいたしたいと思います。
  34. 原茂

    原委員長 それではここで地震予知に関する問題に入らせていただきまして、松平忠久君。
  35. 松平忠久

    松平委員 中断いたしましたが、先ほどの地震総合研究センターについて少しこまかいことを伺いたいと思います。  最初に伺っておきたいのは、気象庁、それから文部省関係でありますが、それぞれの関係のところで一体幾らの予算要求し、そして最終的にはどの程度に調整されたのかということを役所別にここで明らかにしてください。
  36. 柴田淑次

    ○柴田説明員 気象庁でございます。  気象庁といたしましては、この地震センターにつきましては、予算関係するものといたしまして、現在気象庁松代に持っております松代地震観測所の建物の一部を改造いたしまして地震センターとしてそれを使えるようにするという、その部屋の改造費及びそのセンターができました場合に、できればその中に若干の器械も置きたいというような考えも持っております。なお、その他庶務をやる雑件についての若干の金額を見込んでおります。総額といたしましては、ただいま調整中でございますので、この席上で何円ということをまだ申し上げることはできませんので、ひとつその点御了承を得たいと思います。
  37. 岡野澄

    ○岡野説明員 文部省では地震センターに関する予備費要求は行なっておりませんが、北信地域の地殻活動、いわゆる松代地震調査につきましては、昭和四十一年四月から九月の期間の研究活動に対しまして東北大学、東京大学、信州大学、京都大学に二千百七十八万六千円、十月以降に対しまして東京大学、信州大学、京都大学に二千百七十四万円の予備費要求をいたしまして計上いたしまして、すでに配賦しております。
  38. 松平忠久

    松平委員 予算はいま調整中であるということは了承できますが、気象庁はやはりこれの所管になるわけですか。聞くところによると、気象庁は逃げ腰になっておって、そして第一次の案というものを見てみますと、これは松代町にも示されておるのですけれども、博物館のようなものになるんだ、だからこれは文部省の所管だ、おれのほうじゃないといって、そして文部省側に押しつけよう、こういう態度をあなたはとっておった。その後第二案、第三案というものができて、現在は当初のような第三案に落ちつくということを伺っておるわけであります。したがって、あなたがとられたいままでの態度というものは、まことにおかしな態度をとっておられた。しかし、いまになってあなたはこれを自分運輸省所管としてやっていくという覚悟になっているのですかどうですか、その点を伺いたい。
  39. 柴田淑次

    ○柴田説明員 センターにつきましての気象庁考え方といたしましては、先生承知のことと思いますけれども、気象庁としましては、せっかくセンターをつくるのであれば恥ずかしくないようなセンターをつくりたいというような考え方センターについて検討してまいったのでございます。先生が先ほどおっしゃいました博物館的なものあるいはモニュメント的なものというような考え方が途中において出ましたことは確かでございます。元来この地震センターをいかなる性格のものにするかということにつきまして、現地のほうのお考え等も参照して最終的にどういうものであるべきかということを考えておったのでございますけれども、なかなか現地のほうのしっかりしたお考えも把握できないというようなことで、一時はそういった博物館的の考えもあったので、その考えでいけばこういうようになるのだというようなつもりでおったのでございます。しかし、最初申しましたように、センターをつくるのであれば、あとで考えて恥ずかしくないようなしっかりしたセンターをつくりたいという考え方に立ちますと、博物館とかいうような考えじゃなくて、現在この段階において考えております、研究が十分できるようなセンターであるべきだというようなことになりまして、気象庁としましてもそれに対して検討しておったのでございます。  ただセンターをどういうわけで気象庁に設置できないかということでございますが、現在の気象庁の設置法内で、このセンター気象庁の業務の範囲内で行ないますと、それは現在気象庁が行なっております気象庁の業務の範囲内でしか実施できませんので、組織的にも気象庁の内部組織というようにならざるを得ないわけでございまして、たとえば一係程度の小さいものになってしまう。しかしそれでは恥ずかしくないようなものをつくることができないというので、気象庁単独でこれをつくるということについては種々問題がある。したがいまして、現段階におきましては科学技術庁気象庁が協力して共同で運営その他の業務に当たって、科学技術庁気象庁中心になってこれをやるというようになったのでございます。そういういきさつでございますので、その間の推移は紆余曲折がございました。したがいまして、あるいは先生がおっしゃるように、気象庁が逃げたとかなんとかいうようにお考えにならざるを得ないようなことがあったかもしれませんが、気象庁としましては、そういうことじゃなくて、初めからしっかりしたものをつくりたいという考で一貫してまいったわけでございます。
  40. 松平忠久

    松平委員 そうであれば非常にけっこうであります。その考えを貫いてもらいたいと思う。そこで、いまお伺いすれば、まだこれは所管がきまっておらない、科学技術庁とあなたのほうで相談しながら運営していくのだというようなことを言われておったけれども、閣議に出す原案としてどういうふうになるのか。つまり、かつて伝えられるところによると、これは総理府所管にする、こういうこともちらっと聞いたことがございます。しかし、総理府予算的なものをまとめて、側面的に援助して予算を取るということは総理府でもいいかもしらぬけれども、技術者も何もいない総理府所管にするというのもおかしな話だ。それからこれは共管というようなことになると、また突っかけ合いみたいなぐあいになって、うまくいかないということも考えられるわけです。そこで始関君がそこにすわっておられるのだが、あなたは責任者として政府を代表して答えてもらいたいのだが、これは結局どこの所管にするのですか。
  41. 始関伊平

    始関説明員 ただいまの問題となっております地震センターは、各省庁から独立いたしました独立の機関ではございませんので、各省庁の出先機関あるいはそこに出向いておる者が一カ所に集まって相互に連絡をし、協調して観測なり調査研究の効果の完ぺきを期する、こういう体制のもののように私は承知をいたしております。一つのまとまった政府の出先機関がそこにできるという段階にはまだなっていないと存じております。そういう関係でございますので、研究としての総合調整科学技術庁がやり、予算の世話なりあるいは閣議決定の案を出すとすれば、それはどこから出すかということになりますと総理府から出す、こういうふうに私は了解しております。
  42. 松平忠久

    松平委員 それはいま法律を直すわけにいかぬから暫定的にそういうふうにするというのなら話はわかる。しかしこれは来年度もずっとそういうどこのものともつかぬようなものを、だれが一体責任を持つのですか。責任も持てないようなものをそこへつくって置くというつもりですか。それはおかしいと思うのです。しっかりしたものをつくるというのなら、この四月十三日の決議にもあるとおり、むしろ所管一つにしてみんなが協力していくというのなら話はわかるけれども、みんなが寄り集まって、ただそこへ泊まる場所をつくるとか、あるいはオフィスがないからオフィスを少し増強するということだったら、何のために一体これをつくるのですか。さっきの有田長官の話によると、これはりっぱなものにするんだという話があったし、気象庁長官もりっぱなものにするんだという話があった。りっぱなものにするのだったら、やはりりっぱなものにするような態度でしかるべきだと思う。責任の所在も明らかでないようなことで一体どうして運営がうまくいきますか。将来もそういうふうにするつもりですか。
  43. 始関伊平

    始関説明員 たとえば気象庁、あそこに地震観測所を持っておるわけでございますが、そこにおります者は気象庁に所属したままの資格で、なお通産省の地質調査所の者は地質調査所の職員としての資格を持ったままで一応集まりまして、相互に連絡をして調査研究の成果を大きくしよう、こういう考え方でとりあえずおるわけですね。それを、気象庁の者も通産省の者も科学技術庁の者も、それぞれ自分の所属するところを離れて独立したものにして、しっかりした、いわば独立の法人といいますか、そういったようなものに持っていったほうがいいじゃないか、しっかりしたものになるのじゃないかという松平さんの御意見だと思いますが、まだこれは始まったばかりでございまして、おそらくこの地震研究は、先ほどもお話がございましたが、今後相当長く、かつまた、国際的な関連と申しますか、国際的にも注目を引いておるものとして相当恒久的な体制を整える必要もあろうかと思いますが、とりあえずはそういうふわふわした形で揺籃期の姿で進んでいって、その次に、あなたがおっしゃるような形に固めてまいる必要がある、こんなふうに考えております。
  44. 松平忠久

    松平委員 それではこの総合センター研究センターに所属してそこへ研究に参加する役所はどことどこですか。それぞれの役所の代表がおったらそこから返事をもらいたいということと、それぞれの役所でそこへ常駐する職員は何名おるのか、あるいは常駐じゃなくて、ときどき研究のために行くのだという参加者は大体何人くらい予定しているか、伺いたい。
  45. 高橋正春

    高橋説明員 ただいま最終の姿ではございませんけれども、各省庁でお話し合いの途次でございますことを前提として申し上げますが、松代に常駐いたします者六名、その内訳は、現在話し合いの途次では、科学技術庁防災センターから二名、それから気象庁から二名、なお文部省の信州大学から一名、長野県から、これはむしろ庶務的な人材になると思いますけれども一名、計六名。そのほかに非常勤といたしまして十四名、内訳は科学技術庁二名、建設省が土木研究所二名、建築研究所国土地理院各一名、通産省の地質調査所二名、農林省から一名、なお文部省の東大震研、信州大学から一名及び二名、長野県から二名、計十四名をお願いを申し上げ、非常勤といたしましては大体二泊三日程度で月二回程度出張をしていただきたい、このような原則でただいまお話し合いを進めております。
  46. 松平忠久

    松平委員 それは本年度とりあえずのことだろうと思う。  そこで先ほども質問したけれども答弁がなかったが、来年度はこれをどういうふうにしていくつもりなんですか。それをそのままの人員なり何なりということなんですか。何か来年度の計画のようなものがやはり新しくそれぞれのところから要求されて出るのかどうか、来年度の予算についてはいまどういうように進んでおりますか。
  47. 高橋正春

    高橋説明員 現時点におきましてはとりあえず、これは先ほど先生から御指摘がございましたように、六月以降調整がはかどりませんで、だんだん事態も切迫いたしておりますので、まず本年度につきまして一刻も早く発足をしようという心がまえでやっております。したがいまして、時限的に申し上げましても四十二年度の概算要求のほうに各省庁ともこれは計上いたしておりません。したがいまして、一つは来年度におきまして予算的な措置が必要と思いますればやはり予備費というような形に相なるのではなかろうかと思っております。  なお、今後どういう形に持っていくかということにつきましては、先ほど政務次官からもお答え申し上げましたように、さらに今後各省間において検討さるべきものだと思っております。たいへん申しわけない次第でございましたけれども、早急に事を解決いたしますために、年度内のことに目を向けますことが一ぱいでございまして、将来の構想につきましては、まだ各省とも十分に検討いたしておらない状態でございます。
  48. 松平忠久

    松平委員 そのことを伺うと、やはりこれは地元住民の不安感を幾らか解消してやるためにやるのだ、だから予備費でやるのだ、来年もそうなんだ、したがって地震がだんだんなくなっていけば、そんなものは予備費だから出さない、こういう思想がそこにあるように思えるのだけれども、それは始関君そういうことなんですか。どうもそう思える。
  49. 始関伊平

    始関説明員 いわゆる地震センターの設置の目的は二つあると思うのです。  一つは、確かにおっしゃるように地元に対しまして避難、待避の勧告その他適切な助言等をもなし得る体制を整備して、実際の役にも立つし、地元住民を心理的に安心させるというような当面の目的と、なお先ほど地震予知とかなんとかいうむずかしい問題についていろいろお話もございましたが、地震調査研究ということになりますと、関係各省の範囲も非常に広いわけですから、これを今後とも続けて地震というものを総合的に調査したり研究したりする機関に持っていく、こういう二つのねらいがあると思いますが、当面はっきりあらわれておりますのは地元対策の意味のほうがよけい出ておる、あとのほうはだんだんと発揮させていきたい、こういうようなところだろうと考えております。
  50. 柴田淑次

    ○柴田説明員 ただいまの先生の御質問につきましてちょっと補足的でございますけれども、私のほうから、気象庁としての立場からお答えいたしたいと思います。  現在まで約一年半ほど松代地震は続いておるわけでございまして、最盛期におきましては一日に六千回以上の無感地震の記録があったこともございます。したがいまして、現在までに集積されている資料というものは膨大なものでございまして、これを特に地震予知のために解析しまして成果を得るためには、一朝一夕の日数ではとてもだめだろうと思います。そういう資料をこのセンターに全部集めて、だれがそこに行って研究しても、ちゃんと資料はそこにあるんだというような状態にしたいというように私は考えておるのでございますので、松代地震がいつ終わるかわかりませんが、いつ終わっても、その松代地震に対する研究というものはそう簡単に終わるものではないというように私は考えております。
  51. 松平忠久

    松平委員 時間がございませんので、ほかにたくさん質問する人があるものですから、国土地理院の方に質問したいと思いましたが、質問ができませんので、それはあとで電話か何かでお尋ねしたいと思いますが、最後に一つ聞きたいことは、地震予知研究十カ年計画というものをお考えになっておる。それで百億円これは金を使うんだという話だった。したがって、これはその地震予知十カ年計画という研究計画の一環をなしておるのだ、こういうふうにわれわれは了承しておるわけだけれども、そういう考え方でやっていこう、こういうものであるかどうかということなんです。もしそうであるならば、これはさっき始関君が言った、いまはふわふわしたものだが、将来だんだん固まっていくんだということも受け取れるわけだ。そうでなくて、ただ地元民のためのカムフラージュや安心感を与えるのだというような、そういうこそくなことであるとするならば、地震予知研究十カ年計画とは関係なく、予備費でもってときにやっていくのだ、こういうことになるわけだが、そこのところはいままで考えられておった地震予知研究十カ年計画というものの一環をなしていくものとしてこれをやっていくということであるかどうか、最後にこれだけ伺っておきたい。
  52. 岡野澄

    ○岡野説明員 地震予知研究十カ年計画についてこの機会に申し上げますが、学術会議から昭和三十八年、地震予知研究推進について政府に勧告があったわけでございます。それを受けとめましたのは文部省に測地学審議会というのがございます。これは文部省についてはおりますけれども、関係各省研究機関全部網羅しておるわけでございます。そこで、その勧告をもとにいたしまして、各省立場でこれをこなしまして、調整いたしまして、昭和四十年度から予算を計上しておるわけでございます。四十年度に一億七千四百万円、四十一年度には二億四千万円を全部で要求しておるわけでございます。で、おのおのの研究機関の分担をきめておりまして、国土地理院は主として測地をやる、あるいは地震の活動についてマグニチュード三以上のものは気象庁がやる、それより小さい地震大学がやるというような計画をもって進めておるわけでございます。たまたま松代地震が勃発したということでございまして、当初の十カ年計画に松代地震を対象にしたものは予想はしておらなかったわけでございますが、松代地震自身が、そう言ってはあれですが、地震予知研究には非常な貴重な資料だということでございますので、関係各省ともこの研究についてやっておるわけでございますが、予算の費目としては、一応現在では別のたてまえになっておるわけでございます。もちろん実質的には非常に関係があるというふうに御了解いただきたいと思います。
  53. 松平忠久

    松平委員 そういうことになると、もう一つ最後に承っておきたいのは、予算的には別だ、しかし実際は貴重な資料があるからあそこでやるのだ。貴重な資料があるということは、ああいうところに貴重な観測機器その他があるということだろうと思う。そうするとやはり十カ年計画の中でこれも一つの部局としてあそこを活用していくということが考えられてしかるべきじゃなかろうかと思うが、そういう考えはないですか。
  54. 岡野澄

    ○岡野説明員 現在東大におきましても、突発的な事故でございますので、地震予知計画以外に特別に予備費要求してこの地点を特に厚くやっておるという姿になっております・将来どうなるかということははっきりいま明確にお答えできませんけれども、もちろんそういうものは一つデータとして解析されるわけでございますから、そういう意味では非常に関係があるといってもいいかと思いますが、予算の技術としてどっちがいいかという問題になろうかと思います。
  55. 原茂

    原委員長 次に、有機水銀中毒に関する調査のため、本日参考人として神戸大学医学部教授喜田村正次君及び横浜国立大学工学部教授北川徹三君に御出席を願っております。  この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ、本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。どうかそれぞれの立場から忌憚のない御意見を、おのおの十分以内で恐縮に存じますが、お述べくださるようお願い申し上げます。  それでは喜田村参考人からお願いいたします。喜田村参考人。
  56. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 私、ただいま御紹介いただきました神戸大学医学部におります喜田村でございます。  阿賀野川の下流流域の有機水銀中毒症の原因について私の見解を申し述べます。  本症が魚を介したメチル水銀中毒症、すなわち第二の水俣病であるということはすでに明白でございます。問題は阿賀野川を汚染し、魚を有毒化したメチル水銀が何に由来したかということにあります。メチル水銀と申しますものは、天然には存在いたしません。もとより生物が他の水銀化合物からこれをメチル水銀に転換するものでもございません。したがって、その由来はメチル水銀を含む工場排水か、水銀農薬か、あるいはこの両者が相伴ったものか、このいずれかに限定されるのであります。阿賀野川の水俣病も工場排水に基因したものであることはきわめて濃厚でありますが、水銀農薬の汚染が魚の有毒化に関与した可能性につきましては、研究班でなお検討が行なわれております。しかし、私個人といたしましては、これが魚の有毒化を助長したとの説にははなはだ疑問を持っております。と申しますのは、私、熊本の水俣病が発生しました当時熊大医学部におりまして、原因究明に三カ年従事いたしました。その間、またその後とも、水俣病、特にその発生機序について詳細の検討を加えて、だれよりも詳しく承知しております。また今回薄層クロマトグラフィーあるいはガスクロマトグラフィーによります諸種の有機水銀化合物の超感度分離定量法というものを初めて確立いたしまして、これを使用して関連の試料中のメチル水銀の測定を実施しておりますし、さらにアセチレン接触加水反応に随伴いたします未知の副反応によりまして、メチル水銀が必然的に、かつ定常的に産生するものであるということを明らかにいたしまして、その反応機構や生成量につきましても実験的に求めておるのであります。  しかるに、この水俣病の認識に乏しい者の中には、阿賀野川に排水を注ぐ化学工場は三十年前より操業して何の異変もなかったにかかわらず、新潟地震後に初めて患者が出るというのは、新潟埠頭倉庫の被災農薬が阿賀野川を汚染したためである。その証拠には、患者は農薬汚染を受けた下流流域に限局している。したがって、水銀農薬も原因として否定できないといたしておりますし、そこまで言わずとも、患者発生には水銀農薬汚染が少なからず関与したと誤解する者もございます。  そもそも水俣病の原因を理解するには、少なくとも次の事項をわきまえておく必要がございます。  第一には、魚介類がメチル水銀の汚染によりまして有毒化するのは一朝一夕では起こり得ないということでございます。実験的にも魚介は一過性の汚染では有毒化をいたしません。持続的の微量汚染により初めて多量のメチル水銀を蓄積して有毒化することが確かめられております。すなわち、汚染源から持続的にメチル水銀が川あるいは海に流出することこそ、魚介類を有毒化して水俣病の原因となり得るのでございます。  第二には、有毒魚介を普通量食べたぐらいでは人もネコも水俣病を発病するものではございません。反復大量に有毒魚介を食べて初めて発症するものでございます。この点は、一般の細菌性食中毒あるいはフグの中毒といったような食中毒とは異なるのでございます。また、有毒魚介を反復大量に食べましても必ずしも発病するものではございません。多量のメチル水銀をからだの中に保有してなお発病しないものがあります。むしろ、患者の数よりはそういった人々の数のほうが多いのでございます。したがいまして、表面にあらわれました患者だけに着目いたしましたのでは、メチル水銀の汚染時期あるいは汚染範囲、こういったものに関しまして真の姿をつかむことができないのであります。きわめて単純なことでありますが、これをわきまえずして阿賀野川中毒を見ますと、その原因に関しまして誤解を生ずるでありましょうし、これをわきまえて見直せば中毒のおもなる原因が工場排水汚染にあったということはおのずから明らかになるのでありますが、なお若干補足説明を加えたいと思います。  従来存在しなかった患者が発生したのは、何か突発的な原因がありましてメチル水銀の異常汚染、魚が急に有毒化したと解釈する向きが多いようでありますが、ため池の魚ならいざ知らず、流量毎秒二百トンといわれております阿賀野川に突然異常汚染があったのでは、さきに申しましたように、魚は有毒化しないのでございます。異常な大量汚染というものがございますれば、魚はメチル水銀を蓄積するひまもなく即座に死滅してしまいます。また、阿賀野川の魚は地震の前からメチル水銀を蓄積し有毒化しておりました。これはネコの水俣病というものが三十八年の九月、すなわち地震の九カ月前に発生したことによりまして明らかでございます。ネコの水俣病と申しますのは、類例のない特異症状を示すものでありまして、これはだれが見ても間違いはございません。また、人体へのメチル水銀蓄積も地震の前から行なわれております。これは頭の髪の毛を寸刻みにいたしまして経時的に水銀蓄積量を測定した成績で証明されております。しかし、それでもなお水銀農薬による汚染が工場排水による汚染に上積みされまして、発病患者が地震後に初めてあらわれたのではあるまいか、こういう疑いが残るかもしれませんけれども、私が計算いたしましたところでは、地震で被災した農薬に由来いたしまして阿賀野川を汚染したメチル水銀量は百五十グラムに過ぎません。工場より毎日流出いたしましたメチル水銀量の三分の一にも満たないのであります。こういうことからも水銀農薬汚染というものが魚の有毒化をもたらしたものとは思われないのでございます。患者が下流流域に限局したということも、上流の汚染を否定することにはなりません。上流にも患者に匹敵いたしますメチル水銀を頭髪に蓄積した者が見られます。また魚にも、下流に劣らずメチル水銀を蓄積したものがあります。すなわち汚染は上流、下流の別なく行なわれたものでございます。ただ、患者の発生が上流に見られず、メチル水銀の蓄積者の数も少ないというのは、結局漁法、ひいては漁獲量、ひいてはその摂食量、魚を食べる量、これに違いがあるからでございます。下流は漁場でもありますし、網で魚をとっております。したがいまして、有毒魚を多食するという者が多くなりました。したがいまして、メチル水銀を限界以上に蓄積して発病するに至った者が出たのでございます。阿賀野川に直接排水を出しました工場のアセトアルデハイド生産に伴うメチル水銀の生成量は、私がモデル実験を行ないまして求めたところでは、アセトアルデハイドートン当たり約十グラムでございます。昭和三十三年から当工場のアセトアルデハイドの生産量は急にふえておりまして、昭和三十八年、三十九年には当時の約三倍量に達しております。当然これに伴いましてメチル水銀の生成量も増加いたしておりまして、昭和三十八年、昭和三十九年には毎日約五百グラムのメチル水銀が生成され、持続的に阿賀野川を汚染したものと推測されます。これこそ昭和三十八年、昭和三十九年から限界量を越えたメチル水銀の蓄積を起こしまして、ネコや人人を発病に至らしめたおもな原因でありまして、これと豊漁、いわゆる魚がよけいとれまして、そういうことによります魚の多食というものがその発生を助長したものであろうと思うのでございます。  要しますに、メチル水銀の流出量と持続的汚染の有無、こういうことから、今般の新潟水俣病の原因も工場排水によったものであるとのことはきわめて濃厚でありまして、水銀農薬が関与したということに対しましては私は非常な疑問を持っております。  以上でございます。
  57. 原茂

    原委員長 次に、北川参考人にお願いいたします。北川参考人。
  58. 北川徹三

    ○北川参考人 横浜国立大学工学部におきまして安全工学を専攻いたしております北川でございます。  安全工学と申しますのは、主として爆発事故、工場火災、工業中流、職業病、労働傷害、それから公害問題、こういうものの原因を科学的に明らかにしまして、その予防対策を技術的に考える、そうした科学及び技術的な一つの知識体系、こういうふうに考えているわけであります。  私、この問題に取りかかりましたのは、政府からの依頼でもございませんし、また産業界からの依頼でもなく、もっぱら安全工学の問題としてこれを取り上げ、そして各方面から資料をいただきましたけれども、公正な意見としてまとめてみたものであります。いままでにも多くの災害や公害の原因調査に関連いたしましたので、その経験をもとにしまして次のような考え方をまとめてみたわけであります。  ただいま喜田村教授から水俣病のお話がございましたが、この水俣湾並びに不知火海におきまして発生しました水銀中毒事故は最初はセレン、タリウム、マンガン、いろいろな物資がそれではないかと思われていたのでありますけれども、熊本大学の医学部の御研究によりましてこれが低級アルキル水銀中毒であるということが確定しましたことは非常な業績でありまして、私はこれに敬意を表するのでございます。しかしながら、今回の阿賀野川の水銀中毒事故におきまして、これを別の立場から、地震に伴うところの農薬の流出という立場から考えてみれば、どういう経緯が考えられるか、これについて申し上げまして、皆さまの御批判を仰ぎたい、こう思うのであります。  こういう大きな川の局所的な範囲におきまして、魚の浮上を見、しかも、その魚を食した人が中毒をするという現象は、非常に濃厚な汚染が行なわれたのではないかということをまず疑ってみる必要があるのであります。しかも、その汚染の範囲というものは、一年間におきまして消滅いたしております。こういう川の河口におきましてそういう汚染が起こります機会としましては、四つが考えられておりますが、第一は海からの遡上、それから第二が支流からの混入、第三が上流からの流下、第四が河中への投棄、こういうふうな機会が一般的に考えられると思われます。  それからこのメチル水銀中旬事故が昭和三十九年六月十六日の新潟地震の二カ月後に起こっておりますところを考えまして、地震あるいは津波という、こういう天災との関連を一応考えてみなければならないのでございます。  それで、いまも話にございましたように、低級アルキル水銀の源泉としましては、アセトアルデハイドの製造工程に伴う工場排水と、それから水銀農薬と、この二つが考えられるのでありますが、新潟地方は、御承知のように有名な穀倉地帯でございまして、毎年多量の有機水銀農薬が使用せられておりまして、地震当時、信濃川の河口にありますところの倉庫に貯蔵せられておりました有機水銀農薬は、少なくとも千トン以上にのぼっていたということが明らかにされております。その中には、フェニル酢酸水銀系のものが大部分でございますが、アルキル水銀を含有した農薬も含まれていたわけであります。  その後、地震の後におきまして、七月三日付の新潟県衛生部長の通達によりますと、信濃川の埠頭付近に、被災しました倉庫から流出した農薬が多数に漂着していることが報ぜられております。  次に、七月二十三日に至りまして、さらにこの漂着農薬は海のほうに出まして、信濃川の河口から約五キロ余り離れております阿賀野川の河口をはさみました両側の海岸約十キロメートルのあたりで、七十本余り拾得したことが記録されているのであります。  その後、七月二十四日から八月六日にかけまして、やはり同じく信濃川の下流の突堤付近に百本、松ガ崎海岸に百本、ちょうど阿賀野川の河口をはさみまして数百本の農薬の容器が拾得されております。  それで、信濃川の河水は、海に出ましたあとどの方向をたどって海に入っていくかということを考えなければならないのでありますが、この信濃川は、海岸に直角に、つまり西北の方向に流れるのではなくて、海に出ました直後、河口の構造によりまして東北の方向に、つまり阿賀野川の河口の方向に流れてまいります。  それから毎年七月にはこの地方は必ず大雨が降るのでありまして、記録によりますと三十九年七月八日から七月二十日までの間におきまして河川の流量が著しく増加しております。これから考えますと、信濃川の河口に浮かんでいた農薬は、大量に海の中に押し出されたことが推定できるのでありまして、先ほど申しました二つの衛生部長の通達は、この七月の流量の大量増加の前後に出ているわけであります。つまり信濃川が大量に増加したために海に流れ出て、その後に第二の通達が出ているわけであります。こういうことから、信濃川から流れて出ました農薬が阿賀野川をはさんだ両端の海岸付近に漂着するということは、このことからも十分に理解できるところでございます。したがいましてその当時は、阿賀野川の河口付近の海水は、多量の農薬の漂流物によりまして非常に汚染せられていたことが推定できるのであります。  七月はこういうように大雨が降りまして水量が増加いたしますが、八月になりますと、これは渇水期に入りまして、水量が急に減少いたします。そのために阿賀野川の塩水くさびとしてよく知られております、海水が比重の差によりまして川水の底のほうに入り込んで川をさかのぼってくるという現象が出てくるわけであります。この現象は、川の水が全く停止したときには約十三キロメートルといわれておりますが、大体八月の渇水期には毎秒百立方メートルくらいの流量にまで落ちますので、このときにさかのぼる距離は大体六キロメートルないし七キロメートルと推定せられるのであります。  こういうように塩水くさびが農薬のために非常に濃厚に汚染せられていると仮定いたしますと、この河口から七キロメートルの間の非常に深い部分によどみまして、その部分の底の海水は容易に浄化せられない、そういう状態になることが推定せられるのであります。現に河口から四キロメートル川上の一日市の対岸付近には非常に深いところがありまして、これは阿賀野川の横断図を見ればよくわかりますが、普通阿賀野川の水深は三メートルないし四メートルでありますが、その付近は十メートルの水深を持っているところがあります。そういうところに汚染した海水が一たん入りましたならば、なかなか容易には出てこない、そういうことが考えられるのであります。その間にニゴイとかマルタといったような底棲魚類は、底の塩水くさびの境界面から汚染が河水のほうに入ってまいりますから、その辺の非常に濃厚に汚染せられた川水で急性中流を受けまして、そして浮上するということが当然考えられることでございます。  こうした汚染濃度は、水俣湾における工場排水による汚染濃度に比べましたならば極端に濃厚なんであります。したがって、これを水俣湾の事例から推定するには、もう一つ条件を変えた立場から考えなければならないのではないかと考えるわけであります。  次に、どうして一年後の翌年七月以後患者が出なくなったか。つまり、このときには漁獲も禁止されましたけれども、阿賀野川の海水の汚染がもはやなくなったのではなかろうか、こういうことが考えられるのでありますが、先ほども申しましたように、毎年七月には大雨が降りまして、阿賀野川の水量も急激に増加するのであります。記録を見ますと、四十年の四月、五月、七月に著しい増水が認められておりまして、特に四十年の七月十八日前後におきましては、最大の流量を記録しております。その流量は毎秒二千立方メートルないし二千五百立方メートルに達しますので、非常な水量と考えねばならないのであります。四十年の七月末を境としまして、その後患者の発生を見ておりませんが、この推定からいたしますと、四十年の七月の大増水のために、阿賀野川の河水の底にありました塩水くさびはすっかり海のほうに洗い出されまして、もはや汚染は認められなくなったのではなかろうか、こういうことが考えられるのであります。  以上のように、農薬の流出というこの事実はもはや動かすことはできないのでありまして、どのぐらいの量が流出したかということは、正確には推定はできませんけれども、ここに持ってまいりました写真は防災科学技術センターにおきまして保管せられておる航空厚真であります。六月十六日が地震でございましたが、六月二十七日の高度一万フィートからとった写真でありますが、信濃川の河口付近にはこのような斑点が明らかに見えているのであります。この海面の汚染はちょうど阿賀野川の河口付近までまいっておりまして、この図から判定いたしましても、阿賀野川の河口付近の海水が汚染せられ、それが塩水くさびとなって上がるということは当然考えられることでございます。しかも、塩水くさびの上昇します距離は、大体六キロメートルから七キロメートルと考えますと、今回の水銀中毒患者の発生しました部落の範囲は、大体河口から六、七キロメートルの範囲に限られておりますので、この点も合致するわけであります。  次に、工場排水であるかどうかという問題は、水俣における状況と今回の阿賀野川の状況とを比較検討しなければなりませんが、なるほど今回の中毒事故を起こしたものは、低級アルキル水銀でありまして、両者とも同じものであろうということは否定はいたしませんけれども、第一に、水俣における工場排水は専用の排水路を通りまして、約一キロメートルにも満たない水俣湾に流入しまして、しかも、その水俣湾と申しますのは南北二キロメートル、東西一キロメートル半、そのそばには明神崎及び恋路島がありまして、ほとんど海水は流動しない、停滞した水域であります。こういう水域に排水が流入した場合と阿賀野川のような、毎秒百トンないし千トンといったような大容量の水が流れている河水に放出された場合と条件が非常に違うのであります。  第二の問題は、アセチレンの水加反応に伴うところのプロセスの相違がございまして、農縮工程において両者根本的な違いがあるわけであります。したがいまして、海水中の有機水銀の濃度も相違がございます。  第三に、水俣における水銀中旬の発生は約八年間にわたりました。その間に一応排水の流入が長期にわたったということで説明はつくのでございますが、今回の場合、一年間にわたって鹿瀬工場から六十キロメートル下流の限定せられた区域におきまして、一年の長期にわたって汚染を生じるということの説明がどうしても困難でございます。しかも、その水銀は、川の底に沈着した無機水銀が原因ではなくてアルキル水銀であるといたしますと、これは水の中に溶ける性質を持っております。数百PPMの溶解度がありますので、わずかのものは水に溶けて流れるわけであります。したがいまして、一カ所に沈着するということはとうて、考えられないことでございます。  こういうように考えますと、今回の阿賀野川沿岸の水銀中海事故の原因は、これはおそらくアルキル水銀でありましょうが、しかしその経路につきましては、水俣の事故の場合と今回の場合とは多少様子が違うんじゃないか。いま申しましたような、三十九年六月に発住しました地震と津波によって流出しました農薬が海中に漂流して、阿賀野川の塩水くさびとなってさかのぼってきたことに原因があるのではないか、こういうように考えたわけでございます。
  59. 原茂

    原委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の聴取は終わりました。
  60. 原茂

    原委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。  加藤高藏君。
  61. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 ただいまは喜田村先生並びに北川先生から今回の阿賀野川に生じた水俣病に関して明快なるお答えをいただきましたことにつきまして、厚く感謝いたす次第でございます。  私は、当委員会に所属いたしましてからまだ半年でありまして、事実におきまして、科学的の問題についてはまあ通称弱い、こういうところでありまして、これから二、三点両先生にお尋ねしたい、かように考えておりますが、その間におきまして、用語の上やあるいはその他の点につきまして、不用意な点がございましたらばお許しいただくように、前もって申し上げておく次第でございます。  今回の阿賀野川のいわゆる水俣病事件というのは、地方といたしましても非常に重視しておる点でございまして、ただいまも委員会を開会するにあたりまして、わざわざ新潟県の流域の漁業組合の代表方から二千数百名に及ぶ漁民の生活問題だ、一日も早くこれが原因を究明して、除去の方法を政府側並びに国会側として真剣に努力していただきたいというような話がありました。せっかくの機会でありますので、私といたしまして御質問を申し上げる次第でございます。  これは四十一年十月十八日の新潟日報という新聞のコラムの切り抜きでございまするけれども、新しく知事となられた亘知事が、「今後の公害は工場経営者のモラルによって未然に防ぐべきだが、善意で始めた産業が結果として公害問題を起こしている場合は、取り締まりも工場側との摩擦を避けるようにすべきだ。」この中で言っている公害というのは、もちろん阿賀野川の水俣病の問題でありますが、さらに付言して、この阿賀野川の水銀中毒事件は、「工場が原因とは思えず、農薬じゃないかと考えているので、話題にしなかった。」というようなことが言われておるわけでございまして、その間、地方民に対しまして、非常に大きな精神的な動揺を、この公害がもたらしているということは疑いない事実であると思うのであります。  話は本論に戻りまするけれども、ただいま両先生お話を承りましたところ、全く相反した立場に立たれた御議論のように拝聴したわけでございます。片やこれは工場の排水である。片や農薬である。これは失礼な言い分ですが、そういうようにとった私の印象ですからお許しを願います。そういうような御発言のように聞いたのですが、二、三点にしぼりまして、先生方の御見解と、なおその後に科学技術庁並びに厚生省関係から一言お伺いしたいと考えております。  まず第一に取り上げられるべき点といたしましては、工場排水説をとる先生方のお考えは、工場の装置内に生成されるメチル水銀が阿賀野川に流出して、下流約六十キロメートルの地方に今回の中毒事件を惹起した、こう言っているわけです。これに関して、ただいま申し上げましたように、お二人のお考えは全く違っておる。本中毒事件につきましては、先ほど石田宥全先生から厚生大臣並びに科学技術庁長官にお尋ねになりましたように、試験研究班あるいは厚生省国立衛生試験所診断班また疫学班の三班が、本件の発生後に、この究明に当たったのでありますが、この間に関して、先ほどちょっと北川先年ですか申されましたが、私として考えますと、何か県の衛生部当局としてとった態度に多少疑問を抱く点があるのでございます。これは石田先生にまことに悪いんですが、石田先生のお持ちになった「財界」から引用して申し上げたいと思うのであります。  第一は鹿瀬工場ですか、私はあまり新潟の地理には詳しくないのでお許し願います。通船川という川があるそうであります。信濃川と阿賀野川を結ぶ間に通船川がある。初めは、県側では通船川には閘門というものがあったということを言っておったのですが、後には、いろいろ調べられて問題が大きくなるにつれて、やはりあそこには閘門がなかったという一つの事実があるわけであります。そして、またさらに、これもこの「財界」の記録でございますから御承知の上で……。「新潟地震並びに津波により新潟港の県営埠頭及び臨港埠頭付近の農薬保管倉庫が倒壊又は水没したが、これらの農薬倉庫は、おりからの津波のため保管中の農薬のうち毒物、激物に該当する農薬の一部が流出し、これが倉庫付近に漂流、または埠頭周辺の場所に漂着して発見されております。今回発見された農薬のうちには、きわめて毒性の激しい特定毒物」があるということは、やはり県の衛生部で言っておる。こういう事態から考えてみましても、私、しろうとの考えでございますが、ただいまの両先生お話にもありますとおり、秒間平均約二百立方メートルの、流量を持っている阿賀野川の水量で、かりに鹿瀬工場のメチル水銀であるというならば、何と申しましょうか、相当溶解性に富んでおるものでありますから、相当溶解してしまって、下流に至っては、六十キロでありますから、もうほとんどなくなってしまうのではないかと、しろうととしては常識的に考えるわけであります。しかも、その発生が河口から七キロ付近であるというようなこと等も考えますと、どうもやはりこれは農薬の被害によるものではないかというような感じが私はいたすのであります。  また、初めに戻りますけれども、疫学班の第一回の報告には、県衛生部の調べとして、農薬の流出は皆無であるという報告を出しておる。しかしその後、四十一年八月十六日の第一次訂正では、メチル水銀系農薬の在庫があったということを認め、訂正報告を出しておる。こういう点に私は疑問を持っておるのであります。しかもこの第一次の訂正では精密調査であると銘打っておるのでありますが、それは考えようによりますと一方的の考え方ではないか。この訂正の数値によりますと、推定で百二十キロぐらいあったと存ぜられるのであります。県当局の報告によりますと、被災した農薬は全部メーカー引き取り、あるいは減価販売、埋没処分の措置をとったとはっきりいっておるわけでありますが、新潟県下における平均的な農薬使用の状況及び新潟県の病虫害防除資材等の調べから、有機水銀系の農薬の量は在庫量ともども相当あったと思われる節が十分あるのであります。一方では流出を認め、片方では否定するということに、何か疑問を抱かざるを得ないというのが私の率直な見解であります。  私はこの問題に取り組みましてまだ数週間なものですから、細密な調査をいたしまして、後日また機会がありますれば、両先金の御意見を伺いたいと思っておるのでありますが、とにかく鹿瀬工場というのは、先ほど先生がお述べになりましたように、約三十年間続いておるわけでありまして、その間いままで事故がなかった、こういうことを聞いておるのであります。しろうと目に私どもが見ますというと、一面において考えますると長い間微量な水銀が沈積して、それが新潟地震によって急に浮き上がった、それを食べた魚をまた食べた人が病気になったというようなこともいえるのでありますが、ただいま北川先生お話にありましたように、地震直後、被害直後、毎秒平均二千立方メートルですかの、平常の約十倍くらいの阿賀野川の水流があって、その後病気という病気は全部なくなった。さらにもう一つ奇異な感があるのでございますが、それはこの鹿瀬工場の上流において、また頭髪検査や何かした場合に水銀保持者があるということであります。こういうことから判断いたしますと、やはり農薬というものも大きな原因になっておるのではないか、かように考えられます。北川参考人の御意見によりますれば、全く溶解する、そしてよく散らばってしまうということでありますが、私どももこの点については、後日の機会におきまして、技術者あるいは科学者の御意見を聞いて、さらに承りたいと考えておるのでありますが、お話の中で、信濃川が汚染されると、その汚染水は阿賀野川の河口から通船川をずっと通って、塩水くさびというので流入するということでありますが、私の考え方は、その汚染水はやはり通船川並びにいまの塩水くさびのせいではないか、かように考えられるものでございます。阿賀野川の汚染経路というものは非常に重大と存じまして、ひとつよろしくさらに御研究のほどをお願いしたいと思います。  次に、喜田村先生にちょっとお伺いしたいと思うのでありますが、先生は患者の毛髪、阿賀野川の魚、工場の装置並びに排水口付近の水ゴケ等からメチル水銀を検出したということを書いております。これもやはり雑誌でありますが、この九月に阿賀野川で津川町というところの町長さんが主催で魚釣り大会をやったのであります。そして、そのとき、「うちは魚屋をやっているんだが、売れ行きは落ちなかった。そうそう、津川町が主催して毎年フナ釣り大会をやっているんだよ。水俣病の原因は昭電の廃水からだといわれてからだが、この九月に釣り大会をやったらね、九十人も集まった。地元の人はもちろんだが、新潟、燕、新発田市あたりからきたよ、盛大だったねと豪快に笑った。」と、こういわれておるのでありますが、傍証としてこの点をひとつ先生、あとでけっこうでございますから、お答え願います。  農薬がまた病源の一つでありますならば、私も聞いた話でこれもはっきり言えないのですが、やはりメチル水銀ばかりでなく、エチル水銀も検出されるということであります。なおまた、疫学班報告書によれば、その他傍証として、地震前に犬、ネコが、先生もおっしゃいました一、二匹死んだ、あるいは患者発生地帯から工場付近に至るまでの間に手足のしびれや歩行障害などが出た、いわゆる有症者がおったということをあげております。  そこでお伺い申し上げたいのですが、第一に水ゴケよりのメチル水銀検出については、試験研究班において疑問の点がまだあるということ、つまりその試験方法など、それで今度の再調査にあたりましてはどういうふうにおやりになりますか、ひとつお聞きしたいと思うのであります。  それから私どもの聞くところによりますと、鹿瀬工場の上流で、先ほど申しましたように、水銀を含んでいる万が何人かあった、また地元でいいますと、犬、ネコの死については、必ずしも阿賀野川の魚を食べたのでなくて、あるいは農薬を食べて死んだ場合もあるのではないかということをいわれておるのでありますが、この犬、ネコの死が、現在の県民の水銀中流と新潟地震による被害農薬との間の関係が全くないという証拠にはならないのじゃないか、かように考えるわけであります。  また第四といたしましては、工場付近で手足がしびれるとかいろいろ言っております。それがまた有機水銀の中毒の疑いがあるとして工場排水と結びつくかのようにいわれておりますけれども、新潟医大の教授であり、本件診断班の班長である椿先生によりますと、上流地区の有症者は県が調査したもので新潟医大はこれに関係してない、その後の状況から見て有機水銀中毒ではないだろうと新潟医大の診断班の椿班長は言っておられる。  しろうとがいろいろ専門家先生にお聞きするので、失礼なことばがあったと思いますが、どうぞお許しをいただきまして、何らかのお答えをいただければ非常に幸甚と存じます。  何しろこうした問題は、農薬の普及につれて日本の全国的な問題にもなりかねない、あるいは米の中にも水銀があるといわれて非常に重大視されておりますので、この機会にひとつ先生方もう一歩前進して御研究くだすって、全国民を納得させるようにお願いしたい、かように考えております。  以上簡単ですが……。
  62. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 ただいまの御質問に対しまして、お答えいたします。  数多くございますが、たしか一番初めにおっしゃいましたのは、九月に魚釣り大会があった、そこで皆さんで釣って食べたというお話でございました。あるいは売れ行きが落ちてないというふうにおっしゃったのですが、これは私先ほども申しましたように、水俣病というものを起こしますには、普通に魚を食べるといったくらいでは絶対に発病いたしません。これに関連して申しますが、私水俣におりましたときに、金を出して買った水俣湾の魚を食うなら中毒をしない、こういう話がもっぱらいわれておりました。それは結局金を出して買ったからもちろん魚の毒が消えるのではないのでございまして、金を出して買って食べるくらいの魚でありましたら、食う量が知れておるということ、そのくらいの少量を食べたのでは水俣病は起こさないということでございますので、いまのお話の魚釣り大会で釣りまして、それを全部食ったくらいでは、これは水俣病は起こりません。もっともこの九月にそういった魚釣り大会をおやりになったというのですが、工場は去年の一月でたしか操業を停止しておりますので、もうそれ以後一年半以上たっております。私そこまで調べておりませんが、いまの阿賀野川の魚がどの程度メチル水銀を持っておるかどうか、そういったところもございますので、そこで魚釣りをやって食べたのに別に患者が出なかったということだろうと思いますが、それはもっともなことだと思います。  それと農薬が原因ならメチルだけではなくエチル水銀も検出されてしかるべきだということは、これはいま農薬の中でメチル水銀を含んでおります製剤、メチル水銀が主剤になっております土壌消毒剤、それと種子の消毒剤、こういった製剤には確かにメチル水銀のほかにエチル水銀が入っております。ですから、それに汚染されました魚は、当然メチル水銀のほかにエチル水銀も含まれております。これは私どものところでそういった水溶液の中で魚を飼いまして実験いたしました。メチル水銀、エチル水銀ともに検出されますし、その農薬をネズミに与えますとやはりメチル水銀、エチル水銀ともに検出されます。  ところが阿賀野川の魚、それと患者さんの髪の毛、こういったものからはメチル水銀だけが出てエチル水銀などは出ておりません。  それと、農薬の中の水銀が非常に問題にされておるのでありますが、結局、農薬と申しますのは、製剤の九九・九%くらいはフェニル水銀というものが主剤になっております。フェニル水銀では水俣病を起こしません。あの水俣病はメチル水銀の中毒でございまして、フェニル水銀ではそういった症状を起こしません。  それと、確かに農薬が倉庫に千トンあった、何千トンあったとおっしゃいますけれども、それは農薬の全量でございまして、その中にございますフェニル水銀と申しますのは、粉剤の場合は〇・三%から〇・四%くらいでございますので、千トンでもフェニル水銀は三トンか四トンということになりますので、先ほどからそういった千トンというような話が出ておりまして、そういったのが川に流れたんだろうというお話でございますけれども、総量が千トンで問題のフェニル水銀は〇・三%、確かにフェニル水銀の製剤の中にもごく微量のメチル水銀は含まれております。これは私のほうではかりましても確かに〇・〇〇五%くらいは入っております。ですからいま千トン流れましてもそのうちの三トンはフェニル水銀である。その中のさらに〇・〇〇五%ということになりますと、メチル水銀としては非常に少ないものであります。先ほど私申しましたように、そういった流出のあったメチル水銀は百五十グラム――倉庫の被災農薬に由来いたしますメチル水銀は百五十グラム、こういう計算をいたしております。これに対しまして、工場で産生されますメチル水銀は日産と申しますか、一日でそれの三倍以上の五百グラム、こういう計算になっております。それが四六時中にわたって流れます。先ほどおっしゃいましたように、それが溶けてしまえば別に――確かに溶けます。溶けますけれども、溶けてしまえば無毒になるというものじゃございませんで、溶けているからこそ魚の中に入ってくるわけでございます。そういった農薬に関する御質問に、それだけお答えいたしておきます。なお検討はいたしております。
  63. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 もう一つ、厚生省、科学技術庁にお尋ねいたします。  新潟地震についての「衛生対策の記録」というのが新潟県衛生部から出ておるのであります。奥村一衛氏「体験と反省」の記録のうちから「一九六四年八月一六日午後三時ごろ波高一・五メートルを最高とする数波の津波が襲来し、八千八川と唄われ、いつもは大河の風格で静かに落着いた流れを保っている信濃川も一メートルの津波が襲い船は木の葉のように、ノアの箱船のように翻弄され、岸に重なりぶつかり、粉々に砕ける情景が県庁の衛生部長室から手にとるよう望まれた。さらに同課員は総出で、あるときは医務課員と共に倒壊した倉庫から流出した毒物農薬の処置と自衛隊車を動員しての運搬などに追いまわされた。」というような一節があるわけであります。これに対して厚生省はさらに新潟県に対してどういうふうに指導を与えたか。  もう一つは、同じく三九年七月三日に「新潟地震災害による漂流農薬の危害防止について」依頼として新潟県衛生部長は市町村長、関係機関に農薬流失による危害防止を指示している。すなわち毒物としてのパラチオン、フッソール、フラトール、メタシストックス、EPN、セレサン石灰、PCP、ブラエスMなどでありまして、県北部海浜地帯、山形、秋田海岸に漂流するおそれもあるを申し添えて」発表しておるのでありますが、これについて厚生省はどういう指示を新潟県衛生部に与えたかという一点であります。  それから「七月十七日、続いて七月二十三日、計三通の通達により「漂流による危害防止」、「農薬の保管管理の徹底を」言っているのであります。特に七月十七日通知では、「農薬保管管理の徹底」が徹底しておらず、前年、すなわち三十八年十二月十日付「薬第三八二五号」でも各界に呼びかけていることが明らかでありまして、農薬需要期である三月から九月。ころまで、専用倉庫を持たないものの措置などについてきびしく指示されている」というわけでありますが、事実はどうでありますか。
  64. 舘林宣夫

    舘林説明員 新潟地震に対しましては、ただに農薬だけではございませんで、上下水道その他各般の衛生問題がございまして、ただちに厚生省から現地にそれぞれの部門の職員を派遣いたしまして衛生的な指導をいたしたわけでございます。お尋ねの農薬の問題は、これは水銀農薬その他多くのものはそれ自体劇毒のものでございます。したがって慢性毒性というようなことを考えるまでもなく、これは急性毒性も考慮する必要があるということで、県は技術者にその処置をさせまして、相当量を新潟の阿賀野川と信濃川の中間地帯の海津に埋めさせております。また一部の水につからないようなものに関しましては、それを他の倉庫に移すなり、他の業者に引き取らせるというような措置を講じておりまして、今回の事件に際しましても、あらためてそれらの処置の点を確かめたわけでございますが、問題の倉庫の信濃川の下流にございました、ごく海に近いところにございました倉庫が特に水びたしになったわけでございますが、その中にメチル水銀そのものが相当大量、百何十キロというようなものがあったわけでございます。これに関しましては、海なり、その他河川へこれが流出することなく、他の場所へこれを移した、こういう措置になっておりまして、実際に海に流れ、あるいは海岸地帯に埋めたという種類のものは主としてフェニル水銀系のものである、かような報告を受けております。
  65. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 ただいまのお話でありますが、それは、メチル水銀系のものは全部安全であったということについて確信を持っておるのですか。
  66. 舘林宣夫

    舘林説明員 その問題は、かなり今回の中毒事件に関連することでございますので、先般も重ねて県にその調査を依頼いたしました結果、県が重ねてこのような回答をいたしてきたものでございます。
  67. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 始関政務次官に申し上げます。  先ほどは石田宥全先生に対して科学技術庁長官とそれから厚生大臣、両大臣から、水俣病の原因の追及はできるだけ早い機会にやるように努力すると言い、それからまた厚生大臣は、十一月二十日、東京歯科大学先生の帰朝を待って早急にやる、こう言っておりますが、今後諸先生方のお力にまつところが非常に多いのであります。また、原因究明という、この事実というものはいいかげんなものでは済まされない大問題でありますから、その点は厚生省でも特に注意して、われわれはそれ以上は必要としませんけれども、やはり先生方には出すべき資料は全部出して、正確な基礎の上に立っての御調査をさらにお願いするよう、特に厚生大臣要求します。それから科学技術庁長官にも、先ほどの言にたがわざるように努力されんことをお願いいたしまして、私の質問を終わる次第であります。
  68. 始関伊平

    始関説明員 ただいまのお話は全く同感でございまして、どうも発生の原因がわからないということでは困るわけでございますので、今後とも関係各方面の御協力をいただきまして、一日もすみやかに、また客観的に正しい、学問的な科学的な調査の結論が出ますように今後とも努力してまいる所存でございます。
  69. 加藤高藏

    ○加藤(高)委員 続いて申し上げますが、政治的な云々ということが「財界」にも出ておるのですから、これは純粋に科学的な意味で、ひとつ先生方に特にお願いいたします。
  70. 原茂

  71. 石田宥全

    石田(宥)委員 なるべく重複を避けたいと思いますが、私が質問に入ります前に、いま加藤委員から、新潟知事の意向が新潟日報に載った問題が指摘されました。実は、新潟県知事は、どうもこれは鹿瀬の廃液ではないようだ、こういう意見を何回か言っておりますので、私が特に亘知事と対談をいたしました際に、そういう意思ではないのである、こういうことを明確にいたしておるのであります。実は、本日参考人としてここに出てもらう予定でございましたけれども、都合が悪いために本日は出席できないということで、原委員長あてにその意思を文書で出すということになっておったわけでありますので、委員長からひとつ朗読をしていただきたいと思います。
  72. 原茂

    原委員長 いま石田委員の発言されましたとおり、新潟県知事の亘四郎君から私あてに十一月七日付で意向が伝えられてまいりましたので、朗読いたして参考にさしていただきます。  秘第一九八号の二  昭和四十一年十一月七日   衆議院科学技術振   興対策特別委員長       原   茂殿          新潟県知事 亘  四郎     阿賀野川水銀中毒事件の原因について   新潟県に発生した「阿賀野川水銀中毒事件の  原因について」最近一部新聞に報道された事項  は私の真意を伝えておりませんので御了解載き  たい。以上であります。
  73. 石田宥全

    石田(宥)委員 ただいま御朗読になりましたように、亘知事の意向は新聞に伝えられておるようなものではないのだということをまず明らかにした上で質問を申し上げたいと思うのであります。  両先生方にいろいろお伺いをしたいと思うのでありますけれども、最初にやはり厚生省の環境衛生局長に伺いたいのであります。  私は阿賀野川の水を飲んで育って、いま阿賀野川のほとりに住んでおるわけです。昭和電工株式会社ができましてから、昭和二十年ごろから、私のすぐ前の阿賀野川のアユが何年間か全滅いたしまして、そのたびに漁民は大騒ぎをいたしました。昭和三十一年に、私も口をききまして、原因を究明するために、アユの解剖を――新潟大学でも東京の大学でも解明をしようと努力いたしましたが、ついに解明されませんでした。ところが、その間昭和電工は、実は、昭和電工株式会社がその被害を与えた張本人であることはみずから知らないわけではないのでありますけれども、言を左右にして補償しません。三十一年についにこういう答を出しました。昭和電工と昭和合成と東北電力株式会社と、三つのうちどれだかわからないが、三つの会社で見舞い金を出すという形で、漁業組合に見舞い金を出したのです。ところが、昭和三十四年の七月二日の豪雨で昭和電工のボタ山が大量に流れたのです。そこで、阿賀野川の漁類は、コイもナマズもウナギも全滅いたしました。それがはたして何であるかは私にはわかりません。しかし、そのことによって、従来しばしば阿賀野川のアユが全滅をし、フナやコイも浮き上がったということが、原因は昭和電工にあるということだけは、自来昭和電工は認めてまいっておるのであります。  さて、そういう状態の中で、昭和電工は、電工ではないと言っておりますけれども、私はこれは記録にとどめる必要があると思って申し上げますが、昭和電工鹿瀬工場では、昭和十六年ごろからアセトアルデヒド合成を行なってまいりました。昭和三十四年七月、豪雨のため、いま申し上げたような状態になって、これを認めるに至りましたが、そこで、そのときに昭和電工が、河水を汚染したのであるということの責任をとって、二千四百万円の補償金を出したのです。昭和電工という会社のこの工場は、用水として毎時取水量二千五百トンで、アセトアルデヒド生産量は、月産最高一千八百トンであります。平均一千五百トンでありましたが、なお、排水個所のどろからは百五十一PPM、ボタ山排土からは一万一千八百PPMの水銀量を検出いたしておるわけであります。この点はやはり本問題解明の上に、過去の歴史と、現在検出されたボタ山における一万一千八百PPMが存在するということは、今後の漁業の問題、上水道の問題、あらゆる問題に関係があるということをまずあなたは念頭に置いていただきたい。  そこで、いまいろいろ両先生方の御議論がありましたが、昭電側が反論をする中で、過去三十年間操業しておるが、かつて被害者は出ていないというのでありますが、私のところに、今日まで同工場に勤務し、アルコールや水銀など特別原料の保管係をしていた人がこういう書面を届けております。私は、時間の関係がありますから、要点だけを申し上げますが、「何といっても多量の水銀が阿賀野川に流れ出たことは事実だ。それと工場封鎖時には、元合成に勤務していた技術関係、特に水銀現場に関係ある人たちは合併後次から次と転勤して、現在では何人も残っていないので、運転休止時には多量の廃液が処理されたと思うが、そのときに科学知識に乏しい人たちが、その取り扱いや処理をどのようにしたものやら心配なことである。めんどうくさがって川へ流すということは十分考えられることである。このままにしていたら、また原因不明に終わるのではないかと心配でなりません。」こういうふうに手紙で言ってきているのであります。  ところが、一面これに符節を合わせるように、実はたまたま東大工学部の宇井助手という学者が、個人的に日本の各地の公害病研究に取り組んでいるというのであります。そこで、本問題に対してこう言っておる。「なるほど患者発生は地震後だが、頭髪汚染は地震以前から見られる。これは汚染源が被災農薬ではなく、廃液であることを物語る。工場生産において、操業開始、停止、無理な増産時に原料損失が増加することは、化学工場従事者ならだれでも知っている常識。同工場も水銀操業の停止に先だって、有機水銀の湧出量が増大、急激汚染を引き起こしたと見られる。」こう言っておるのであります。その水銀等の管理者の手紙と、そうしてこの東大工学部の宇井助手の言うことが符節を合わせたようなものであるということを、あなたは一体どうお考えになるか。  それからさらに、時間がありませんから続けてまいりますが、実は死者五名、その他の患者を出しておる患者同盟の諸君がいろいろと検討をいたしております中で、昭電鹿瀬工場付近に住む人で視野狭窄、言語不明瞭、歩行困難、手足のしびれなどを訴える人が七名いるとのことを調査いたしております。これは一体調査になったかどうか。これほどしろうとが行って調べても、鹿瀬を中心にして七名のまさに水俣病と同じような障害を起こした患者が出ておるという事実をお調べになっておるかどうか。  もう一つは、十月二十四日の参議院の社労では、杉山委員が、昭電鹿瀬工場の診療所が火事で焼けた、それがためにカルテはない、はなはだ残念だ、こう言っておる。ところが、今日昭電鹿瀬工場の上田浄雪取締役は私に向かって、カルテはある、こう言っております。もちろん、昭電の従来の歴史から見て、昭電がそのようなカルテを簡単に出すとは思われないし、あるいは水俣病の問題が国会などで議論をされるこの段階で、私はあの火災がはたしてどういうところから出たかにも疑いを持つ。上田教授が外遊して帰って来られないことを理由にして結論が出せないというようなことは、私には納得がいかない。あるいは電工が金を出して数年間外遊させるかもしれない。そういう性質の会社であるということは、あなたは御存じのはずです。先ほど大臣が答弁をしておりますが、それは上田教授が外遊中だから結論が出せないと、こう言う。私は、御用学者というものがいたずらにこういう重大な問題を混迷におとしいれておる苦い経験を持っておるということを、冒頭に大臣に申し上げました。あなた方に誠意があるならば、ほんとうに憲法の趣旨に従って――憲法では基本的人権と生存権が保障されておる。この生存権が保障されておる憲法のもとに皆さんは行政府におる、そうしてたくさんの人命を失っておるにもかかわらず、はたして一体これで十分だという調査研究をしておるのかどうか。私は、大臣がいないからしかたがないけれども、上田教授一人がいないために、結論が出せないなどということはもってのほかだと思う。それは環境衛生局長中心責任者であるかどうかは別として、以上私の申し述べたことについての所見を承わりたい。
  74. 舘林宣夫

    舘林説明員 先生から今回の水銀中毒に関連すると思われる過去に起きましたいろいろの事象をお示しいただきました。これらの諸問題は、できるだけ研究班におきましても、それぞれの班の責任においていままで解明の努力をいたしてきたものでございまして、先ほど御指摘いただきました七名の疑わしき患者というものも、当初から阿賀野川の沿岸全般にわたりまして、特に新潟大学にお願いいたしまして、疑わしい患者の調査ということに努力してきておりますので、当然にその対象として調査を行なったもの、かように思っております。したがいまして、数々おあげいただきました、過去に起きましたいろいろの事例の関連、それを今日との関係にどう考えていくかということも、私、いままでの研究班の御調査の範囲内を伺いました内容でも、それらの問題がいろいろ討議され、検討の材料になっておることを承知いたしております。  そこで、もはやこの調査はかなり長期にわたって行なっておるということでございまして、私どもとしてもこういう問題は一日も早く結論を出すべきであるということを思っておりました。ただ最初に私どもが予想していたよりはかなり時間がかかった原因の大きなものといたしましては、そもそもメチル水銀のようなもの独特の単体の微量測定という点でかなり基本的な研究をせざるを得なかったということで、相当長期の時間を要したわけでございますが、それもすでにかなり前に終わりまして、その間、各方面の調査も終了いたしておるわけでございまして、もう大詰めであることは間違いないわけでございます。私どもとしても一日も早く結論が出ることを希望しておるわけであります。  お尋ねのございました研究班の一員が、ただいま海外にあるということで、ここまで長期間研究をいたしてきまして、ことに上田先生は非常に貴重な資料をたくさん持っておられるし、前々からこの方面の権威であられるということから、この段階先生の御意見が伺えないということは研究班としても非常に残念でございまして、そういう意味合いで、できることなら先生を入れて全会一致の御答申をいただけることが、私どもとしては希望するところでございますが、もしも非常に長期にわたるということでございますれば、今日の情勢はそのような延期を許さない情勢でございますので、私どもとしては当面御意見を伺うというようなことをいたさざるを得ないか、かように思っておる次第でございまして、できるだけ私どもとしても結論を急いでいただきたい、また私どももそのような努力をしたい、かように思っておる次第でございます。
  75. 石田宥全

    石田(宥)委員 いまの答弁の中で非常に大事なところが、たとえば鹿瀬町を中心として七名のそれらしい患者があるということについても、お調べになったであろうと思うような答弁でありまして、これは、あなたのほうの研究班なり疫学班なりが直接調べたものではないと言わざるを得ないと思いますが、そのとおりですね。
  76. 舘林宣夫

    舘林説明員 ちょっと私、ここでつまびらかにいたしませんので、はっきりした回答は保留さしていただきたいと思います。
  77. 石田宥全

    石田(宥)委員 そういう非常に重要な面が行き届いておらないということは、私は、やはり皆さんの怠慢だと思うのです。科学技術庁中心とする諸機関が相当な研究費、調査費をもらっておりながら、肝心な点を調べてないではないですか。農薬の問題にしてもしかり。農薬などについては、私も昭和電工の説明を聞きました。でたらめ千万と私は言いたい。一体いつの何日にだれが立ち会ってこれを調べたか、これを写真にとったかということは全然わからないのです。それでただカラー写真にとったらこういう状況であります。いつの幾日にだれが立ち会ったかというもののないものが、何の証拠になるかと私は言っておる。これは私の意見だけれども、そういう点についてあなた方がはっきりしたものをつかんでおらなければならないはずだ、こう言うのです。同時に、さっき大臣は二点をあげておる。要するに排水口の水銀の測定がまだ明確でないということと、上田教授が不在だという二点をあげておる。なるほど上田教授もよくやっておられるに相違ないけれども、そもそも水俣病というものは、昭和三十四年に私ども農林水産委員会で長い間討議をいたしましたが、その結論を最初につけられたのは喜田村参考人ではないですか。喜田村参考人が今日日本の水俣病に対する権威ではないですか。これは何人も疑うことのできない事実なんです。したがって、喜田村参考人に、私はしろうとではあるけれども、しろうとなりでいろいろ調べてみて、私は全くここに頭が下がる。敬意を表さなければならないと考えておるんだが、にもかかわらず、上田教授が来ないから結論が出せないという大臣の答弁は、だれが聞いても納得いかないのではないかと思います。あなたは役人としてどう思いますか。
  78. 舘林宣夫

    舘林説明員 この調査は、一年数カ月にわたってすでにやってきておることでございますし、ここへきて月のうちに先生がお帰りになるという段階でございますので、しかも水銀中毒に関して上田先生は非常な権威でございますので、できることなら班員の一人としてしかも終始この調査に加わっておられましたので、結論にお入りいただくことが望ましいと思うわけでございますが、ただ、ただいま申しましたように、これがさらに長期に延びるというようなことでございますれば、行政的にもそういつまでも待つというわけにはまいりませんし、私どもとしては当面残った班の先生方が結論に達したところを御報告いただく、かようなことを考えておるのでございます。
  79. 石田宥全

    石田(宥)委員 喜田村参考人に伺いますが、排水口から川、魚、人体と、こういうつながりができた。しかし最終的には排水口の水ゴケに付着しておる水銀が検出できるかどうかということが、最後に残された疑問点の一つだと新聞も報じ、私もそのように理解をしておったわけです。この水ゴケに付着した水銀については、先ほどもちょっと触れましたけれども、新潟大学、神戸大学、それから東京歯科大学、これは上田先生中心のようですが、一応それぞれの結論が出たように承っておるのでありますが、この三者の検出の結果ですね、これは程度の差はあるいはあるかもしれません。しかし同じような結論が出たように承っておるのでありますが、いかがでございますか。
  80. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 お答えいたします。  おっしゃりますとおり、水ゴケからのメチル水銀の検出は新潟大学、それから私のところ、東京歯科大学、この三カ所でいたしまして、それぞれ分析者はメチル水銀を検出したと申しております。ただこのメチル水銀の検出法と申しますのか、ガスクロマトグラフィーを使用いたしまして検出しておりますので、たとえて申しますれば、ものの影を見ているというようなかっこうになりますので、これがまさしくメチル水銀であるということを断定いたしますにはさらに慎重な検討を要することになります。その検討をただいまやっておるのでございまして、一応ガスクロマトグラフィーで、影と申したら少し語弊があるかもしれませんが、それは各三大学の検査したところで認めております。
  81. 石田宥全

    石田(宥)委員 時間を急ぎますので、まだお聞きしたい点はありますけれども、次に通産省に伺います。やはり十月二十四日の杉山善太郎君の質疑に対して、新日本窒素水俣工場やあるいは鹿瀬の昭和電工のような工場が幾つかあって、それに対する万全の防災措置というものをとったという答弁の中に、こういうことを言っておるのです。「実は排水等について具体的に処理工程を改善するとか、あるいは排水装置等について、あるいは排水施設につきまして、たとえば貯水池を設ける、あるいは除濁槽を設ける等につきまして、それぞれの工場に対してそれぞれの工場の態様に応じた処置をとるようにという指示をいたしたわけでございます。その結果、実は昭和電工の鹿瀬工場、これは御存じのとおり、昨年の一月から操業を停止いたしております」こういう答弁をしておるわけです。そうすると、防災措置をとらせようとしたところが製造をやめて、工場を封鎖したということに、この文章に出ておる限り読み取らなければならないわけですね。そうだとすると、私は昭和電工の鹿瀬工場は完全な防災措置をとらないでしまったのではないかと考える。この点今後の問題に非常に重要ですから明確にしていただきたい。
  82. 小斎弘

    ○小斎説明員 局長が商工委員会に参りましたので、かわりに御答弁申し上げます。ただいまの局長の答弁の内容でございますが、昭和電工鹿瀬工場がかわりましたのは、いまお読みになったような理由ではございません。新しい石油化学方式に転換いたしまして、したがいまして、新しい工場を建てまして、その工場を閉鎖したのでございます。それからもう一つ、私いま、局長が持ってまいりまして、速記録を持っておりませんのですが、先生お読みになりました「その結果、」という次は昭和電工の工場の説明が続きましたので、そういうふうにお読みいただくとわかりにくくなるのでございますが、その先のほうをお読みいただければ、「その結果、」というのは、「その結果、」の次の「昭和電工」というのは、昭和電工の移りましたという説明が間に入りまして、その次に続くわけでございます。お読みいただければおわかりだと思います。
  83. 石田宥全

    石田(宥)委員 それは、一応いろいろな防災措置を講ずることを指示いたしました、その結果、昭和電工はやめました、そういう意味ではないということですか。
  84. 小斎弘

    ○小斎説明員 速記録を私持ちませんのですが、その先のほうをむしろお読みいただきたいと思います。「その結果、」――その前にまるがございまして、たしか「その結果、」で点が打ってございます。その昭和電工がやめたというのは、昭和電工の説明をいたします前に、やめたという解説がちょっと挿入されておるわけでございます。
  85. 石田宥全

    石田(宥)委員 そうすると、防災措置はやった、こう理解してよろしいわけですか。
  86. 小斎弘

    ○小斎説明員 当時、まだ分析技術その他技術が進まない点もございましょうけれども、水俣事件以後、明確な結論が出ていなかったと私承知しております。したがいまして、その当時としては念を入れまして各工場に指示いたしました。各工場、工程によってそれぞれの差がございますが、一応念を入れて、廃水その他がじかに流れまして水銀が流れないようにというような措置を極力講じたはずでございます。
  87. 石田宥全

    石田(宥)委員 喜田村先生にちょっと伺いますが、水ゴケから水銀の検出に成功された。その水ゴケを採取した時点はいつごろになりますか。
  88. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 これは、私どもその試料は新潟県の御生部から検査を委託されましたので、先方で採取いたしております。採取の時期はわかりませんが、私のところへ送ってまいりましたのが八月の末か九月の初めだったと思います。
  89. 石田宥全

    石田(宥)委員 環境衛生局長、あなたはこの水コケを採取した時点ですね、おおよそいつごろだとお考えになりますか。
  90. 舘林宣夫

    舘林説明員 私どもの承知いたしております採取の時点は四十一年四月及び五月でございます。
  91. 石田宥全

    石田(宥)委員 そういたしますとやはり通産省は防災措置をするようにという通達も出し、そして排水口その他の施設をやらせたという答弁と若干食い違いが出る。万全を期しておれば排水口から水銀が流し出て水ゴケに付着するということはあり得ないと思います。私はなぜこういう質問をするかというと――これは喜田村先生に伺ますが、実は先ほど先生お話の前に陳情があったわけですが、六十キロにわたるところの阿賀野川がはたして一体いつになったら漁獲をすることができるか、これはわからないわけです。だから半永久的に、一万一千八百PPMの水銀を含有している膨大なボタ山があって、大雨でも降るたびに相当量の水銀が流出するということになると、六十キロの阿賀野川は死の川になるおそれがあるのではないか。ことに、これは水産庁のだれか参事官ですか、来ておるわけですが、水産庁が漁業組合に対しては義務的に稚魚の放流などをやらしておるわけです。相当量の投資をしておる。ここに資料があるけれども、私別に数字はあげませんけれども、相当な投資をしておりながら漁獲を禁止されておる、こういう状態がいつまで続くことか見当がつかない。一体それに対する完全な防災措置が施されたならばそれは可能になるのか、あるいはまた、いまの農薬説からいけば鹿瀬は全然関係ないことになりますから、いますぐにどんどん漁獲をして食べて差しつかえないということにわれわれには考えられるわけですね。これらの点について、これは学者でいらっしゃるから実験をしてみなければわからないとおっしゃるかもしれないけれども、これは多年、昭和三十四年から、先先手がけておられるのですから、大体のところでけっこうですが、きょうは漁業組合の代表も心配して来ておるわけでありますので、ひとつお尋ねをいたします。
  92. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 ただいまの御質問でございますが、ボタ山に残っております水銀は、これは私実測はいたしておりませんが、メチル水銀ではないと思います。ボタ山の水銀は無機の水銀、おそらく微細な単体の金属水銀になっておりますので、これが一万PPMございまして、雨で洗われて流れましても、魚を有毒化する危険はほとんどないと私は考えます。と申しますのは、私熊本におりますときに、あの工場の排水口のどろ、これには二千PPMの水銀が入っておりましたが、これを使いまして魚を水槽の中で飼いました。オコゼのようなものを飼いました。それで攪拌いたしましてその水銀がオコゼの中に移るかどうかという実験をやったのでございますが、おそらくそれも無機の水銀だったと思います。そのせいで、これはオコゼの中には入っておりません・メチル水銀だけがあのような特有な蓄積を起こすのでございますので、ただいまのボタ山の中に残っております水銀のほうはそう御心配は要らないのじゃないかと思います。ただ実際現実に阿賀野川にいま飼っていらっしゃる魚の水銀量のほうは、たしか新潟県衛生部のほうでずっと継続しておはかりになっているのだろうとは思いますが、そういった結果から御判断なさるほうがよろしいのかと存じます。
  93. 石田宥全

    石田(宥)委員 そこで実は昭和電工側は、無機水銀が魚や貝の生体を通してメチル水銀になる可能性があるのではないかという意見を出しておる。いまの先生の御意見を承ると、無機水銀は有機水銀にならないのだ、こう断定しておられるのだが、昭和電工はそうは言っていない。無機水銀が魚や貝のからだを通して有機水銀に、いわゆるメチル水銀に変化することが考えられる、こういっておる。そういうことは専門学者の間では無機水銀が魚や貝の生体を通して有機水銀に変わって人間のからだに入る、こういうことはあり得ないとお考えになりますかどうですか。
  94. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 そういうことは絶体にございません。生体の中で無機の水銀がメチル化されてメチル水銀になるといったようなことはございません。
  95. 石田宥全

    石田(宥)委員 そこで環境衛生局長にお伺いしますが、実は鹿瀬の電工側は、無機水銀がメチル水銀に転化する可能性があるやに主張しておる。そうなると、一体鹿瀬の電工の反論の中には、三十年間以上やってきて社宅などは阿賀野川の水を上水道に使ってきたけれども異状はなかったと、こういっておる。しかしここに従事しておった人たちは危険性があるというので会社からはいろいろな薬物を供与したりいろいろなことをやっておったと実は書いてきておるのです。いま喜田村先生の御説のようであれば――下流に上水道があるわけです。まだ増設されようとしておる。喜田村先生の説のようであれば、これは心配はございませんね。けれども昭和電工のいうように、無機水銀が生体を通して有機水銀になる可能性があるということとになると、これはやっぱり一つ問題ではないか。電工の反論の中には、三十年間も社宅はその水を揚げて飲んでおったけれども病人は出なかったというところに、私は喜田村先生の説が正しいと思うが、一体あなた方の上水道に対する指導はどのような判断でこれを行なっておられるか。
  96. 舘林宣夫

    舘林説明員 上水道の水質基準というのは昔から非常に厳密にきめておりまして、世界ほとんど共通の水質基準によっておるわけでございます。従来中性洗剤が含まれておりませんでしたものを今回新たにそれを加えたということで、私どもとしては今日の水質基準は、これをいかに長期に飲用いたしておっても中毒を起こすようなことはあり得ない、かように思っております。
  97. 石田宥全

    石田(宥)委員 そういう点についての配慮はすでに行なわれておる、万全を期しておる、こういうことですね。  水産庁に伺いますが、いまいろいろな議論が行なわれて、私はしろうとながらもう少し学術論をしたいと思ったんですが、時間がありませんからいたしません。  そこで、あなたが管理しておられる阿賀野川は漁業組合に対して稚魚の放流その他を義務づけておるわけですね。ところが、いつまでとられないのか見当がつかないという情勢です。一体これに対しては、国がその放流を義務づけをしておる、ばく大な投資をさしておる。しかもその魚をとることができない、こういう状態のときに、原因が明らかになれば、たとえば鹿瀬工場だということが明らかになれば、鹿瀬工場がかつて補償をしたように、これは補償をしなければならないし、厚生大臣もそのように言っておる。けれども、私はさっきちょっと力み返ったんだけれども、新潟地震のときのようにすっきりした結論が出ない。わずかだけれども疑問点がある、これは未知数があるという結論が出ないとは限らない。私は学者の諸君の良心的な今回の研究に対しては敬意を表するものであるが、必ずしも学者の出した結論どおりに政治的に結論が出せるかというと、往々にして政治的な結論となって、学者の意見が無視される場合がある。そういう場合においては、これは国がその損失を補償しなければならないのではないかと考えるが、どうでしょう。
  98. 高芝愛治

    ○高芝説明員 長官が出席できませんので、私代理として調査究部長であります。  ただいまの放流の義務は、漁業権の免許の代償として放流の義務を課するというのが現在の漁業の制度でございます。私は現在調査究部長をやっておりまして、直接その行政関係にはタッチしておりませんので、いまここで正確なことを申し上げるわけにはいきませんが、いまのように漁業権の代償として放流義務を課しておりますので、もし漁業権が行使できなければ、放流の義務についても、ある程度考慮できるのではないだろうかというふうに考えております。補償の問題につきましては、また別だと思います。
  99. 石田宥全

    石田(宥)委員 そうすると補償は別であるが、漁業権を停止するとかいうようなことはあり得るということですか。そういう意味ですか。
  100. 高芝愛治

    ○高芝説明員 漁業権を停止するのでなしに、漁業権を免許する際に、免許する代償として放流の義務を課するということなので、漁業権はあるい  はそのままにしておくかもしれませんけれども、放流の義務についてある程度考慮するということがあり得ると思います。
  101. 石田宥全

    石田(宥)委員 どうも大臣長官がいないとこの問題はらちがあきませんからこの程度にいたします。しかし、これはやはりきわめて重大な問題でありまして、放流を義務づけておきながら漁獲を禁止しておる。そしてその補償については、いま立場上言えないということだからやむを得ないけれども、これは当然政府がその補償の責めに任じなければならないと思うのです。これはひとつ長官によく言っておいてください。機会があれば私は大臣に、これは国の当然の責任であるということを強く要求をしたいと思います。先ほど私が述べた憲法の条章によって生存権が保障されておる。ところがその生存が奪われて死者数一名を出し、そうして四十名ないし五十名が胎児性水俣病の子供を生むおそれがあるというこの現状のもとにおいて、私は政府の態度全般はまことに遺憾にたえない、怠慢だと言わざるを得ない。これは通産省も科学技術庁も同じように責任を負わなければならない問題です。大臣が四時四十五分に出席をするという連絡がありましたけれども出てまいりませんが……。大臣参議院予算委員会に呼ばれておるそうでありますから――この問題については、先ほど厚生大臣が指摘したような、たった二点だけでその結論が延期されておるなどということは国民は納得しません。しかも、今日まで延期をされた期間において、いろいろな雑誌でこういう昭電側の主張をさも真実らしく流しておる。同僚議員だから、言いたくはないけれども、その方面の筋の資料を持ってきて、そうして農薬説などというものを打ち出す。そういうチャンスを与えたという責任は私は重大だと思うのです。もっと延ばしてごらんなさい。もっとそれをやるでしょう。きのうあたりはかなりいろんな動きがあったようです。昭和電工は、昭和電工の廃液でないということをあらゆる面でこれは宣伝をしておる。そうして、それに動かされておる人たちもたくさんおる。きょうの委員会の様子をごらんになってもおわかりでしょう。私は水俣病の際に数回この問題に関与をいたして、涙をのんであのときは見舞い金をもらったが、喜田村参考人などがようやく結論を出されたときには、見舞い金のただし書きに、あとで結論が出ても補償金は請求いたしませんというただし書きがあったために補償が行なわれなかったというこの苦い経験がある。今日昭和電工は新潟県知事をはじめ新潟県庁に圧力を加えておることは事実です。これはもう厳然たる事実です。県会でも県会議員から追及をすることになっておりますが、私は率直にいって、さっきの厚生大臣の答弁でも、あるいは科学技術庁長官の答弁でも、多分にその影響を受けたところの答弁であると言わざるを得ないのです。また、委員長に申し上げますが、こういう状況でありまして、大事な責任者である大臣が出席いたしておりませんので、ここではっきりしたことが聞けないことははなはだ残念でありますので、近い機会に委員会をお開きいただいて、もう一度この間一題についてひとつ御審議を願いたいと思います。
  102. 原茂

    原委員長 そういうふうにとりはからいます。
  103. 滝井義高

    滝井委員 関連して。私、喜田村先生と北川先生にちょっとお尋ねをしたいのですが、両先生の御意向がまっこうから対立しておるために、質問もちょっとしにくいのですけれども、率直にお尋ねしたいのですが、まず北川先生にお尋ねするのですが、この鹿瀬の工場の廃液の中には、先生としては有機水銀が幾分でもあるということはお認めになるのでしょうか。
  104. 北川徹三

    ○北川参考人 アセチレンから水銀を触媒にしまして、アセトアルデハイドを製造するという工程は、一九一二年にドイツにおいて開発された工程なんです、これは世界じゅう方々の化学工場におきましてこれが採用せられまして、わが国におきましても数工場でこれが実施せられていたことは御承知のとおりでございます。たまたま水俣病の発生に伴いまして、メチル水銀中毒が問題になりましたが、この工程の中におきまして、水銀触媒とそれからアセチレンとの反応の中間体と申しますか、副生物と申しますか、そういうものとしてどういう反応機構によるかわかりませんけれども、低級アルキル水銀が生成するということは、これは考えられることであります。しかしこの生成反応のメカニズムにつきましては、まだ徹底した研究は行なわれていない状況でありますから、今後もう少しこれを追及する必要があると思われます。
  105. 滝井義高

    滝井委員 私のお尋ねしたいのは、鹿瀬の工場排水の中にメチル水銀が北川先生としてはないと断定をされるのか。それともなお疑わしい、もう少し研究をさしてくれとおっしゃるのか、そこらが今後私たちが諸先生方の意見を聞いて論争する上に非常に微妙な重要な点だと思うのです。というのは、喜田村先生のほうは明らかに工場排水である。しかも、それが長年にわたって微量に流れて、いつの間にかそれが魚類に蓄積してくると明白にしておられるわけです。先生のほうは、農薬があって、それが下流の倉庫にあった。地震その他でがあっと一挙に災害を起こしておる、被害を与えておる、こういう見解なんですね。これはしろうととしてはどちらも鮮明でわかりいいわけです。わかりいいんだけれども、先生のほうの研究の結果が、工場から一つも流れていないということになれば、これはもうますます明らかになるし、しかしいまのようになお検討の余地があるとおっしゃるならば、その質問はこれでいいと思うのですが、先生方のほうの研究の成果というものは、一体この工場廃液の中にメチル水銀、有機水銀というものが含まれていないと断定できるのか、そこらをひとつ明示願いたいと思うのです。
  106. 北川徹三

    ○北川参考人 いまの御質問の御趣旨のように、これはないということは断定できないと思います。しかしその量の問題がそこに入ってくるわけです。われわれはこういう反応を扱いますときには、いつもの慣例としまして、その反応が一つの論文形式として出たときに初めてそういう反応がはっきりと確認できるわけです。単に見つかったとかいうだけでは、どういう反応によってできるか、そこのところはまだはっきりしないわけです。ですから、いまの場合にはできないということは断言できないと思います。それから排水の中にもしありましても、その排水の出口のところの濃度の測定値、これを問題にすべきだと考えるのです。その測定値がどの程度のものであるか。単に出たといっても、それが量に非常に関係があるわけです。その排水口、出口のところの濃度と農薬による汚染の濃度との比較検討というものが非常に大切だと思います。
  107. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、先生の御見解では、鹿瀬の工場からメチル水銀が廃液として出されていないという断定はできない、こういうことですから、廃液が量はとにかくとして出ておる可能性はある、こういう認識でよろしいのですね。  次に御質問しますが、そうしますと、一番問題になるのは、魚類なんです。そこで、魚類が急性の症状を起こしたときの状態というものは、メチル水銀を多量にとって急性症状を起こしたときには一体どういう状態になるのか、すなわちカーバイドの山がくずれて魚が浮き上がった。いまも石田さん何回もおっしゃった。しかしそれはメチル水銀であったかどうかわからないけれども、とにかく浮き上がったことがあるというようなぐあいに、メチル水銀をその魚が一定限度以上蓄積してくると浮き上がることになるのかどうか、この見解は両先生にお尋ねしたい。
  108. 北川徹三

    ○北川参考人 先ほどから、ごく微量のメチル水銀が水中にありました場合に、魚類に蓄積するというお話でありましたが、この点は私まだはっきりと理解できないのでありますけれども、それに対する研究論文などを拝見しましたならば、また何か意見が申し上げられると思いますが、これに反しまして急性中毒と慢性中毒とやはり両方があると考えられます。それで今回の場合、そうした非常に微量のメチル水銀による蓄積ということが確実でない限りは、これは河口における急性中毒によって魚類が浮上したのではないかと考えるのが妥当ではないか、こういうふうに考えるのです。これは実験してみればすぐにわかることでありますが、農薬を河水の中に投じましてそして阿賀野川に生息しております魚を飼ってみればすぐにわかることだと存じます。
  109. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 私のほうでいたしました実験を申し上げますが、メチル水銀が〇・三PPMでございますので千万分の三、これだけ含まれております溶液の中に、これは金魚でございますが、金魚を入れますと三十分以内で金魚が死んでしまいます。あばれまして、死にましたあとは、それは腹を上にして浮くだろうと思いますが、そういったのが急性中毒症状でございます。その場合にはその期間が短うございますので、メチル水銀がそれほど金魚のからだの中に入らない。ところがさらに、この十分の一ですから一億分の三、それから十億分の三、百億分の三、こういった薄い濃度の水溶液の中で金魚を飼いますと、十日、二十日とたつ間に金魚がその水溶液の中のメチル水銀を蓄積いたしまして、かえってそのほうが多量のメチル水銀を蓄積いたします。しかしその際に金魚は何ともありません。異状がございません。こういう実験成績は得ております。申し添えますが、そのときに水槽の中の水をしょっちゅう取りかえませんと、そういう希薄なメチル水銀をごく短期間の間に金魚が全部それを蓄積してしまいます。ですから次にまた水をかえる。こうしてやりますと、二十日、あるいは一月と飼いますと、濃度にいたしまして数百倍から千倍といったような程度の蓄積いたします。そういう結果は得ております。
  110. 滝井義高

    滝井委員 そういたしますと、それでおおよそのことはわかったのですが、農薬が逆流をしてくるというときに、当時相当の魚が浮上をしたかどうかということですね。いわゆる浮き上がって死んだかどうかということですが、これは両先生、何かそのときの状態がおわかりになっていないでしょうか。
  111. 北川徹三

    ○北川参考人 先ほども言いましたように、農薬が流出しましたのは、信濃川の河口からでありまして、ここに写真がありますが、このような状態に空中航空写真がとれておりますから、これをひとつごらんいただきたいと思います。そうして阿賀野川の塩水くさびによりましてこれが上がりますのが七月の増水期のあとの八月の渇水期であろう、こういうふうに推定したわけであります。渇水期になりますと、海水くさびは六キロないし七キロメートルも上流にさかのぼってくるわけであります。ちょうどメチル水銀中毒の患者が発見されましたのが昭和三十九年の八月の末ころであります。そうしてそれから後に一カ月に一人ないし四名ずつ患者が発生して二十六名になったわけでありますけれども、その人たちは大体浮上した底棲動物でありますところのニゴイ、マルタその他の魚を食した人でありますから、その当時から浮上が始まったのではないか、こう見て差しつかえない。そう見れば、非常に合理的に説明がつくのではないか、こう考えるわけであります。
  112. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 私は新潟の場合は現地に一度しか行っておりませんので、その当時、魚が浮いたかどうかは存じませんが、水俣のときの経験からお答えいたしますが、どうもああいった水俣病を起こすのは、浮いた魚をたくさん食べたから水俣病が起こったんだ、あるいは腐れかかったような魚を食べるから水俣病が起こったんだということが、水俣の場合に非常にいわれました。しかし、そういった事実はございません。今般の場合は私存じませんが、非常に生きのいい、もうわれわれが見ただけでは食いたくなるような魚で、非常に毒を持っております。別に浮いたからよけい毒を持っておる、それを食べたから水俣病になったというものではございません。こういったところが、現地で実際の状況をよく知っております者と、それから本で読む者との違いだろうと私は思うのでございますけれども。
  113. 滝井義高

    滝井委員 それからお尋ねしたいのは、海水と上流から流れてくる水との混合によって有機水銀が泥中に沈着をすることがあるのかどうか、沈でんのような状態を起こすことがあるのかどうかですね。
  114. 北川徹三

    ○北川参考人 海底に沈でんしますのは、これは有機水銀が主たるものでありまして、たとえば工場の排水口の近くに水銀が多量に見つかるというのは金属水銀か、あるいは酸化水銀か、あるいは硫化水銀か、こういう形で沈積しているのが多いのであります。有機水銀は、先ほど申しましたように、微量でありますと水に溶解いたしますので、川の底に沈積することがおそらくなかろうと思われますが、私が先ほど申し上げました塩水くさびが非常に深いところに停滞するであろうという推定は、これはそこに沈でんしたのと溶解したのと、こういう区別の差異ではございませんので、溶解した状態でもその深いところには停滞いたしますし、それから塩水くさびに伴われて農薬の容器そのものが上流にさかのぼってそういう深いところに落ち込むという場合も考えられるのであります。そうなりますと、そこに非常に局所的な濃厚な汚染が起きるであろう、こういうことは推定できるわけでありまして、そういう意味でございます。  それからこの際、一つつけ加えさしていただきたいと思いますが、倉庫に保管されておりました農薬の量と被災した農薬の量の関係でありますが、地震当時七つの倉庫に保管されておりました農薬の総量は千七百五トンであります。そのうち水銀系農薬は千四十五トン、その水銀系農薬のうちでアルキル水銀系農薬は千五百二十一キログラム、それから地震及び津波によりまして被災したと称せられております農薬の総量は四百八十七トン、その中で水銀系農薬は二百六トン、またその中でアルキル水銀系農薬は四百二十三キログラムといわれております。この中にメチル水銀を含みます農薬が百二十キログラム含まれておりましたが、そのうち七十八キログラムが被災したと称せられているわけであります。この中には三%のアルキル水銀が含まれておりますけれども、この七十八キログラムを含めましてその他の被災農薬はすべてが返品されたとなっておりますけれども、しかしその写真でごらんになりますように、大量の農薬が流出しているという事実から考えまして、この被災農薬の中には流失農薬が含まれているのではないか、こう考えられます。もちろん、この数字は新潟県からの報告の数字によるのでありますが、この数字が正しいものとしての考えでございます。これが最小値であろうと思いますが、それ以上に保管農薬があり、あるいは被災農薬があったであろうということ、これは推定でございますが、そうした数字になっておりますから、御参考までに申し上げておきます。
  115. 滝井義高

    滝井委員 海水と淡水とが合流をする地点というのが、さいぜんの御説明では六キロとか七キロとかいうことでありましたが、喜田村先生のほうで、その塩水と淡水との合流する地点における化学的な変化と申しますか、何か有機水銀が特に濃厚になる、その塩水と淡水が合流するために何かそこに化学的な変化が起こって、そして有機水銀の濃度が濃厚に停滞をするというような状態が起こるというようなことは、そういう点で考えられませんか。
  116. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 私のほうではそういった塩析の量、それは考えておりません。熊本の場合は排水口から直接海へ出ておるのでございます。そこで、もしもそういった沈でんするというようなことが起こりましたら、それから先に行かずにああいった事態は起こらなかったのでございますし、事実上非常に希薄なメチル水銀が、海水と合流したところで沈積するというようなことはございません。
  117. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、こういう実験というか検討をおやりになったことがあるかどうか。海水と淡水とが合流する地点より下流の地帯、ここにおける魚類、水ゴケ、どろ等の有機水銀の状況、それから海水と合流するところから今度はずっと水のよどむまでの地点における魚類とモの類というか水ゴケ、どろ、それからそのよどみ始めるところから工場までの地点の魚類とどろと水ゴケというか、その川の中にはえている草、それから鹿瀬の工場より上流のそういう状態、できればその流域における、いま石田さんからの御指摘もありました、工場の中に手足がしびれ、視野狭窄――視野狭窄が起こるというのがメチル水銀中毒の非常な特徴ですが、そういうもの、それから人の毛髪の関係ですね、できればその四段階ぐらいのものをお調べになっていただく――われわれが最近米の生産に農薬を使うので毛髪の中の水銀含有量が外国人に比べて日本人は非常に多いというのが最近定説になって、この委員会でも決議をしているくらいですが、その四つぐらいの地点の――問題は微量な有機水銀の定量法その他が確立されていないと、学者同士お互いに定性、定量の意思統一ができていないと水かけ論になる可能性があるので、できればそういうものをしていただくと、これは非常にはっきりしてくるのじゃないかという感じがするわけです。ただ、いま患者の分布が非常に下流だけにあるところにやはり農薬論というものが出てくる余地が、われわれが客観的に学問的に見ると、あるから、そういうように四つぐらいに区切って、魚類とその付近における人間の毛髪とそれから水ゴケ、どろというようなものを微量に定量、定性の分析をやられる方法があるのかどうかわかりませんけれども、やっていただくと非常にわかるのだと思います。きょうはあまり鋭く対立しておるので、どうも私たちしろうとが見ると、なるほどどっちの意見も正しいような感じがするわけです。どっちの意見も正しいような感じがするというならば、両方とも犯人にしますかというようなことにもなりかねないんですね。問題は、いま苦難の道を歩いていらっしゃる遺族の方なり患者なり、それから漁業権者というものにやはり早く光明を与えてやらなければいかぬと思うのです。学者の論争だけでは事態は解決しないので、できれば、何かいまのようなわれわれにもわかりやすいような、軍配が振れるような道をひとつ見つけていただきたいと思いますが、いまのような検討をされたことがあるのかどうか。
  118. 喜田村正次

    ○喜田村参考人 いまおっしゃった中で、上流から下流までの住民の髪の毛の中のメチル水銀をはかった成績はございます。魚の中のもございます。どろもございます。水ゴケは排水口のところを取ったのでございまして、あとアシか何かのあれは、ずっと下流のほうで取って分析したのがございます。それからさらに排水口の上流の魚、それから水ゴケ、どろの分析値もございますが、簡単に申しまして、排水口から下流のほうは相違がないそれから上流になりますと、これは検出できない、検出限界以下だ、こういう成績を得ております。
  119. 滝井義高

    滝井委員 どろとかあるいは草、あるいはモの類、コケというようなものは、これははえておるから動かないわけですね。しかし魚は動くわけです。しかし動くけれども、魚というのは十キロも二十キロも動かないんですよ。これはアユの習性を見ても、自分の領分というものがあるから友釣りなんていうのができるわけです。コイだってフナだって、そんなに十キロも二十キロも行かない。サケみたいなものは、のぼってきたら下るから、これはあれですけれども、そうでないのは動かない。したがって、これはある程度区切っておやりになって、その中における魚類に蓄積されておるメチル水銀の量をある程度確かめてみるということになると、わりあいしろうとわかりがして、なるほどそうかなという判断が下しやすいわけです。私はさいぜん非常に科学的な知識が少ないものですから、その潮のところの関係をもう少し何か検討していただいて、海水と淡水との関係、その当時のその付近の海の魚には少しもメチル水銀はないのだという御意見石田さんから聞いたのですが、そうなりますと、これはやはり検討の余地があると思うのです。海水と淡水との合流地点あるいはすぐその河口付近のほんとうに海水だけのところの魚というようなものを御検討になって、もう少しわかりやすく説明される機会を持っていただきたいと思うのです。これは北川先生のほうもひとつやっていただきたいと思います。
  120. 北川徹三

    ○北川参考人 私のほうで阿賀野川の水量の毎日の変化を調べてみたのですが、昭和四十年の七月に非常に大きな増水がありまして、そのときに、私たちの推定では、海底にありますよごれた塩水くさびはすっかり海のほうに押し流されまして、海に入ったものはもはや再び戻ってまいりませんから、そのときを境にしまして塩水くさびの汚染はなくなっているものだろうと考えるのです。ですから、そのときに、魚の浮上した当時海底のどろを取りまして分析すればもっと明確なものが出てきたかもしれませんけれども、いまとなりましては、その増水を境にして河底のどろは海中に排せつされたかもしれません。ですから、現在のどろを採取しまして測定をいたしましても、少し期間がおそきに失したのではないか、こういう感じを持っているわけであります。御参考までに……。
  121. 原茂

    原委員長 この際、田中武夫君より発言を求められておりますので、これを許します。田中武夫君。
  122. 田中武夫

    ○田中(武)委員 有田大臣に簡単に一言だけお伺いしておきたいのですが、決して私は大臣をいじめる、そういう気持ちでないことをまず申し上げておきます。  実はあなたは兵庫県の何人目かの大臣です。私も兵庫県の者としてある程度の期待を持ち、またわれわれが選挙区へ帰っておっても、荒舩さんとか上林山さんの話が出て、有田さんはどうですか、こういう話が出るわけです。そこで、いや、あの人はだいじょうぶだ、こういう話をしてきたのです。ところが、大臣もごらんになったと思うのですが、きょうの読売新聞の社会面に「黒い霧、有田文相の身辺に」、この見出しを見たときに、私ほんとうに、有田さん、あんたもか、だれかのことばのように、そういう感じを受けたわけです。このことについてひとつお伺いしておきたいのですが、こういうことは事実なんですか。ここに新聞に出ているような、昨年の九月十日に選挙違反で神戸地方裁判所柏原支部で懲役一年、執行猶予三年の判決を受けた者を現在大臣秘書官として使っておられるという新聞のこれは事実ですか。
  123. 有田喜一

    有田国務大臣 その問題は、昭和三十五年の選挙のときに、いま使っております藤原秘書官が選挙違反にかかったことは事実でございます。それが判決がおくれまして、昨年の秋だったと思いますが、御案内のような事実があるわけです。で彼は執行猶予中でございます。お知りかとも思いますが、藤原秘書は多年私の国会議員としての秘書をやっております、非常にまじめな真剣な男であります。不幸にして違反にかかったことは実に残念でございましたけれども、その後彼は非常に改心いたしまして、そのあとの三十八年度の選挙のときも何らそういうことがなく、彼は非常に真剣にやっております。彼の平素のまじめの態度から見まして、再びさようなことを起こすはずもない。また彼もかたく改心して、そういうことに対して特別の注意を払っておりますがゆえに、私は彼を信頼して秘書官として使っておったのであります。しかし、けさも予算委員会で言ったのですが、そういう心境にあるのだけれども、もし世の指弾を受けるようなことがあるなれば私は善処するにやぶさかでない、こういうことを申し上げておったのですが、いろいろと御心配をかける筋もあるようでございますから、非常に個人としては情においてしのびませんけれども、彼にこの際秘書官をやめてもらう、こういう措置をとって、いま手続中でございます。
  124. 田中武夫

    ○田中(武)委員 そういう答弁であるならば、もうこれ以上申す必要もないのですが、この新聞にも出ておりますように、いわゆる禁錮以上の刑に処せられた者は国家公務員法三十八条二号で一般公務員ならもう欠格条件者としてやられるわけです。あるいは刑の執行を終わるくらいな者は公務員法の第七十九条二号によって意に反する休職を命ぜられるわけなんです。もちろん大臣秘書官は、同法の二条による特別職でありますから、これは法律上問題ないといたしましても、私は同じ郷土の者としてそういうことを言われて、いや、だいじょうぶだ、荒舩だ、だれだとは違って有田さんはそんなことはないよ、こう言ってまいったわけですが、これを見てほんとうにそういう感じを受けましたので、むしろ私は党は違います、また選挙区は違いますが、同じ兵庫県の者としてあえて苦言を申し上げようと思ったのですが、そういう心境であるならもうけっこうです。しかし、今後そういった疑惑を受けることのないような行動を、ことにあなたは科学技術庁長官と同時に文部大臣なんですから、その上に立って十分に行動を考えていただき慎んでいただきたい、こう思うわけです。
  125. 原茂

  126. 石田宥全

    石田(宥)委員 大臣が見えましたので一言申し上げておかなければなりません。それから、ついでといってはなんですが、いま滝井委員からも指摘されましたような塩水くさびの問題が出ておるのですが、これは農林省からもちょうど試験関係の方が来ておられますから伺いたいのでありますが、海水魚には水銀を含んでおらないということを新潟大学でも検出をしておるし、また漁獲を規制もしていない。もし含んでおるとすれば漁獲も規制しなければならないが規制しておらない。この点を明らかにしてもらいたい。  もう一点は、これはすでに五年ほど前でありますけれども、福島県の、鹿瀬からちょっと上のほうに、やはりメチル水銀の症状を呈しておるような者があるということを漁業組合から農林省に申し出をし、全国の漁業組合の大会でこれを取り上げられたという報告を聞いておるのですが、この二点だけを伺っておきたい。
  127. 高芝愛治

    ○高芝説明員 前半の海水のほうの魚に水銀が入っておるかどうかという問題ですが、これはわれわれのほうでは日本海区水産研究所に命じて、海のほうの魚も採取していま厚生省の衛生試験所のほうへ分析を依頼しております。その内容につきましては、私はいまここに詳細な資料を持っていないので、どの程度含んでおったかということをいま即答はできませんので、はっきりと御返事するわけにはいかないと思います。  それから後半のほうは、実は私まだ調査究部長になってそのほうのあれを担当してなかったので承知していませんので、調査してみたいと思います。
  128. 石田宥全

    石田(宥)委員 この点は重要ですからさっそく調査していただきたい。もし海水魚にも水銀を保有している魚があるとすれば、これもやはり漁業規制をしなければならないことになるわけですよ。それは放任してあるということは、新潟大学の公衆衛生学部ですか、そこで研究をしたが、メチル水銀は含んでおらなかったということでそれは放任されておる、こう言われておる。  それから、五年前に福島県の漁業組合で問題にしたということは、やはり一つの問題点であろうと思うのです。これは漁業組合の記録にありますから、これらの点は早急にやってもらいたい。  そこで、大臣に一言申し上げたいのですが、実はあなたのほうで科学技術庁として相当な予算をあげて今日まで検討を続けてきておるわけで、もう二カ月くらい前にほぼ調査は完了した、結論を出すばかりだ、こう言われておってなかなか結論が出ない。先刻申し上げましたように、十月の下旬か十一月の上旬には必ず結論を出す、こう厚生大臣は言明をしておる。ところがまだ結論が出ない。先ほどのお話だと十一月の下旬まで出ないかもしれない。こういうことはいまの時点でこれを考えますと、今日まで結論を出し得なかったということがわれわれは納得いかないのです。もっと早く結論を出すべきであったのです。だから今日の時点になると、いろいろわけのわからない反論が出てくる。昭和電工などは通船川から信濃川を通って阿賀野川に農薬が流れたなどというけれども、その直後は、通船川は一時隆起して水は流れていないのですよ。あとになって流れるようになってから空中から写真をとって、通船川は流れておったなどという反論も中には出ておる。一体そういう策動の余地を与える――いま田中委員大臣にはなはだ失礼な質問をしたようだけれども、いろいろ黒いうわさや、霧などといわれるのは、そういうかせぎ場を与えておるのじゃないか。なぜ一体もっと早く結論を出させないかということ、結論をおくらせればおくらすほど財界の策動が盛んになってきて、きのう、おととい盛んにいろいろな策動が行なわれておりますよ。それで次から次と事実を歪曲したような論文などがあらわれてきておりますよ。今日まで出さなかったということは、私はやはり科学技術庁の怠慢であると言わなければならない、また厚生省の怠慢であると言わなければならないのです。先ほど大臣が退席されたあと厚生大臣が参りまして、結論が出ないのはなぜかと言ったら、東京歯科大学の上田教授が外遊中で結論が出せない。もう一つは、どうも排水口のメチル水銀の検出がはっきりしないというようなことを言っておるけれども、これはもうすでに明らかになっておるのです。これは新潟大学あるいは神戸大学、東京歯科大学ですでに明らかになっておるにもかかわらず、言を左右にして結論を出さないで、財界の策動の余地を与えてきたということは、これはもう許しがたい問題だ。これはすみやかに結論を出すべきであり、そしてそういう策動の事実に対してはやはり結論の中に何らかの明快な項目を挿入すべきである、こう私は考える、大臣の所見を伺いたい。
  129. 有田喜一

    有田国務大臣 この問題についてまだ結論が出ていないことはまことに遺憾に思います。ただし科学技術庁は、御承知のとおり研究を総合的に推進する立場でありまして、研究自体を行なうところではないのです。したがいまして、厚生省の研究成果が科学技術庁に送られてきた後に、最終的の結論を出すことになっております。私としましては非常におくれておることは遺憾に思いますから、関係庁を一そう推進いたしまして、そして早くその結論を出すようにひとつ努力いたしたい、かように考えております。
  130. 原茂

    原委員長 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、本問題調査のためたいへん参考になりました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。      ――――◇―――――
  131. 原茂

    原委員長 次に、先般、宇宙開発、原子力発電開発及び原子燃料の製錬、採鉱の実情調査のため委員派遣を行なったのでありますが、調査報告は、参考のため会議録に掲載いたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  132. 原茂

    原委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう取り計らいます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十五分散会