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荒舩国務大臣 お答えをいたします。
私は昭和三十五年十二月九日に、
久保委員さんの御
承知のとおり決算
委員長に
就任をいたしました。続いて昭和三十五年十二月二十六日に、国有財産の増減及び現況に関する
調査小
委員長に田中彰治君が
就任をいたしました。これは社会党の小川さんやなにかの強い推薦がありまして、私が十二月九日に決算
委員長になるとすぐ、こういうような話も聞いておりまして、満場一致で田中彰治君が小
委員長になったのでございます。続いて私は、昭和三十五年十二月二十九日に台湾に出張いたしまして、一月上旬に帰国をいたしました。
昭和三十六年一月中旬ごろと覚えておりますが、牧野寛索代議士が上野という人を連れてまいりまして、大阪拘置所の
問題等についてひとつ調べてもらいたいというような話が、衆議院におるときに参りました。そこで私は、地所の問題であるとか、あるいは国有地の問題であるとか、そういうことはきわめてふえてでございますので、それは小
委員会ができておるので、そちらにひとつ
調査を依頼したらどうか、私にはそういう能力がございませんと、きっぱりそういう話をいたしました。
その後数日たって、田中小
委員長から電話がございまして、大阪拘置所交換の問題はまことに重大であるから本腰を入れて
調査すべきだと言ってまいりました。私は、この問題はいやしくも法の秩序を立てる法務省が行なった問題であるので慎重でなければならないということを田中君に言いました。しかも、いま交換をしたその所有権がある延原氏であるから、これに会って真相を聞いてから
調査を始めることにしてもおそくはないじゃないかという意見を私から、電話でございましたが、いたしました。そこで、よく
事情を聞いてから小
委員会で議題にしたらどうかということを、重ねて私のほうからも電話をいたした次第でございます。
そこで私は、決算
委員長という名前だと実はかどが立つから、決算
委員長という名前でなくて、ひとつ田中君、この延原という人に私も会ってみるから、あなたもおいでなさいということを言いましたら、しぶしぶ返事をいたしまして、それじゃ行ってみるかというような話でございました。そこで私から延原という人に、丁重な手紙を秘書に書かせまして、こういう問題で御意見を承りたいからお目にかかれますかという手紙を出しました。しかしそれはあくまでも決算
委員長という手紙ではございません。お調べをい
ただけばよくわかりますが、あくまでも円満に、
調査をする前によく話し合いをしてからのほうがいい、いやしくも、さっき申し上げるように法務省がやった仕事でございますから、慎重のほうがいいというつもりで、そういう
意味の手紙を出しました。そういたしますと、私に延原という人から電報が参りまして、昭和三十六年の一月三十日に大阪のグランドホテルでお目にかかりますという手紙が参りました。そこで私は、それではそれに間に合うようにということで、私がグランドホテルへ行っておりましたが、午前十時に参りませんので、相当時間を待っておりました。そういたしますと、午前十一時ころと思いますが、田中君があとから来たようでございます。そこでその延原という人を待っておりますと、実はむすこさんという延原
——名前はよく覚えておりませんが、延原というむすこさんと、番頭さんであるか弁護士の方であるか参りました。私は、
自分の部屋でお目にかかるということは、疑惑が起こったり何かしてはいけませんので、グランドホテルのロビーでお目にかかることが適当だと思いまして、ロビーの奥のほうのところでお目にかかりました。そういたしますと、どうもおやじは都合が悪くて来られない、何かこわい人が来るという話のようではお目にかかれないというので、私が代理で来ましたが、なおこの人は私に
関係のある人ですから、こういう話をしておりました。そこで、それは円満に
解決をすることがいいからおとうさんを呼んでもらったらどうです、こういう話をしておりましたら、それはどうもおやじが出てくるというのをいやがっておりますので、実はきょうは私でひとつという話をしておりました。そういたしますと、私がお目にかかっておるところがロビーでございますから、田中小
委員長がうしろのほうで立っておりまして、私に非常な難詰をいたしました。延原という人が会うからいやいやなんだが君来てやったんだ、君は何でそういう人に会わせることができないのかというので、私に食ってかかるような激しいことばでそういう
発言がありました。そのうちに延原さんのむすこさんという人と弁護士か番頭さんかしれませんが、その人がこそこそ帰っていくのであとを追いかけましたが、そのまま帰ってしまいました。
以上がそのときの状態でございまして、その後は小
委員会で、
久保さんの御
承知のとおり
質問、意見いろいろなことが取りかわされましたが、どうも私といたしましては、どの人が
ほんとうであって、どの人が信じられぬかというようなことは、私は判断に苦しみました。ということでございまして、そのまま、その後に田中小
委員長のむすこが引っぱられたとか、あるいは上野という人か拘置所に留置されたということは聞きましたが、以上でございまして、私が決算
委員長でなければそういうことに
関係がなかったと思いますが、決算
委員長であります
関係上、そういうことでございました。
なお、その後におきまして、ちょうど国会中と思いました。田中君が呼ばれているので、これを留置するかしないかということを実は大阪地検ですか、どうですか、そういう
状況でございました。そこで電話がかかってまいりまして、決算
委員会でどうして取り上げたのかということが、名前は覚えておりませんが、検事局から電話がありまして、
東京まで出てきてその
状況を聞きたいというから、いや私のほうからそれじゃ出張いたしましょうというので行きまして、こういう
状況ですということを、いま申し上げたようなことを三、四十分お話をして、それから田中君はその後留置されないで帰ってきたようでございます。
以上大体の経過を申し上げますが、そういうことでございます。