○村田秀三君 ただいま
大臣の答弁は、この前の総括の際にもいただいておるわけでありまして、そのことは私も
承知をしておるわけであります。しかし、私がいま特に兼業農家を対象にして、ひとつ論議をしてみたいと思いますことは、そういうような抽象的、ばく然としたような
考え方で平面的にやられておったのでは、結局
現状を認めていくような形になる。
農林省の方々が、これは
現状を解決しなくちゃならぬという
努力の姿はわかりますけれども、その
努力とそれの対策、これがはたして
効果的であるかどうか、
効果的であったならば、これは幾ら息の長い
農業であっても、三年、五年たつならば相当な
効果が出てこなくてはならないわけでありますけれども、しかし、それが裏目に出ておる。それにはさまざまな理由がありましょうけれども、私がいま兼業農家の対策についていろいろとやってまいりたいと思います前段として、何かこうややこしい、理解のしにくいような質問をいたしましたけれども、しかし、少なくとも兼業農家を分類すれば、これは経営の内容もありましょうと同時に、兼業農家それ自体が兼業で甘んずるという状態ではなくて、いろいろな形の希望を持っておるわけでありますから、それに対しては個々に集中的に、いわゆる
農政の
方向に基づいて指導する、行政
措置をする、
予算措置をする、こういうことがきわめて大切でないか、こういう立場で私はいろいろ申し上げてみたいと思っておるわけです。したがいまして、
農業センサスを私も拝見いたしました。しかし、それをおとりになったということは、ここから何かしらの対策が生まれてくるのではないか、しかも今後とるべき
施策の中には、ことばの表現、それの実施の際に強弱はあるにせよ、いいことを言っておられる。したがって、具体的な
計画か何かお持ちになっておるのじゃないか、こう思って実は先ほどの質問になったわけでありますが、いままで話を聞いてまいりますると、それほどしかとしたものがあるとは
考えられないということになると、これは私の
意見を申し上げる以外になくなるわけでありますから
意見を申し上げたいと存じます。
私は福島県でありまして、
農業県でありますから、それだけに苦労しておるわけでありまするけれども、私はここではいわゆる酪農をやる、果樹をやる、そういう問題については触れません。触れませんけれども、兼業の農家の方々がどういうことを
考えておるかという前に、
現状について申し上げてみたいと思います。これに対して反論があれば、いやそうじゃないと言ってもらいたいのですが、これは二・五町歩の問題とも関連するわけでありますが、専業を希望し、かつ経営の拡大合理化をはかりたいけれども、耕地の入手が困難であるとか、あるいは近代化資金、これはいろいろ
施策は講ぜられておるようでありますが、しかし、農家それ自体は資本力は非常に少ない、しかし、これからの
農業というものは比較的資本を必要とするものであるというけれども、その資本の調達に非常に苦労しておる、こういうような問題、まあ既耕地を買い取るということがむずかしい状態の中で、付近に国有地があるとか、あるいは民間の大きな地主が土地を所有し、それを原野のままに放置しておるというような問題、こういうような問題があって、専業化を希望したいのだけれども、なかなか自力ではできないのだという層というのが、これは相当あると思うのですね。それと、その逆に、他に生計の道があれば離農してもよろしいんだ、こういう人々がおります。私たちが回っていろいろ話を聞いてみても、これは実際にいることは間違いありません。しかし、離農する際に、安定して、かつ生きるというだけではなくて、
生活され得るような職場というものが、通勤可能な地域であろうと、あるいは遠隔地であろうと、そういうところが保障されておるかおらないか。これは保障されておらないというのが現実の問題でありますね。したがって、離農はしたいけれども、離農することはできない、こういう層というのは相当におるわけであります。それから、これは中間的な層といいますか、付近に安定した職場を持って、そして日曜百姓をやっておる。まあ安定した職場があっても賃金は非常に安いから、少なくとも
食糧を自給して、そして生計を豊かにしよう、こういうクラス、あるいはおれは百姓が好きなんだ、
農業が好きで、田んぼに朝行って稲の伸びぐあいを見たり、あるいは稲の状況はどうであるか、これは
いもちであるからすぐに対策をしなければならぬ、こういうことに非常に興味を持って、園芸をやっているような気分でやっている層というものも、これはあるわけであります。
そして私は、最後に申し上げますけれども離農をしたいけれども安定した職場がないという方々の中では、つまり、付近に非常によろしい職場がないから、いわゆる農閑期を利用して、そして高い賃金の職場をさがして出て歩く、これがいわゆる出かせぎだろうと思うのです。出かせぎの問題については、いろいろ申し上げなければなりませんけれども、そう言ってみながらも、どうしても土地を手放したくない。まあ、手放したいのだけれども、しかし自分の
気持ちの中では手放したくないという
気持ちがあるという、その大きな理由、これは何であるかというふうに、私自身もこれは幾らか
関係をしておりますので
考えてみるわけであります。そうしますと、やはり一番先に
考えるのは、戦争中あるいは戦後、
食糧飢饉に遭遇したときに、たとえ幾らかの土地でも持っておれば、いわゆる生きることは可能である、こういう心理状態、それから、これは先祖から授かった土地であるから、どのようなかっこうになっても、これはずっと孫子の代まで継承したい、そういうような、まあこれは感傷的な
考え方かもしれませんけれども、そういう者がおるということ、それから、これは一部の例でしょうけれども、開拓農家あたりで見られるわけでありますが、それをもう手放して出たい、出たいけれども、いままで借金がかさんでしまって、その借金を返さないと足が抜けないという、これはまさにむかしの売春婦じゃありませんけれども、吉原なんかに足を突っ込んだら、もう抜け出すことができないというような人も、これは一部ではあるけれども、実はおります。こういうもの、それから土地だけを売り渡す事業、それを活用する事業というのは、
政府も、農地管理事業団等で
考えておられるようでありますけれども、しかし、居を他に移す場合には、住宅、作業場、
生産機材、これの処理をしなくてはならないわけです。ところが、土地を売るにしても、他に転売しようとしても、これは管理事業団は別でありますけれども、足もとを見て安く買うとか、あるいは宅地なんかはそんなにたくさんあってもしかたありませんから、宅地なんかは売れない。そのままにしておかなければならない。それじゃ倉庫はどうする、こういう問題があるわけでありますから、そういうものを一括して処理をしないと、これはなかなか解決しないという問題があるわけであります。
まあそういうような理由、他にもこまかく見るならばあるのではないかと思いますけれども、そういうような状態に分類できるのではないか、私はこう思うのでありますが、どうでございますか。