○
公述人(大内力君) きょうは、農業のことについて
意見を述べるように、こういう御注文でございますので、農業のことを中心に申し上げてみたしと思います
予算そのものの問題に入ります前に、これは
委員の諸先生方にはもう十分御
承知のことかとは思いますけれども、一応今日の
日本の農業がどういう問題を持っているかということを、ごくかいつまんで申し上げてみたいと思います。
今日の
日本の農業の
状態というものにつきましては、すでに四十
年度の
政府の農業の
動向に関する年次報告も出ておりまして、すでに国会にも提出されているはずでございますが、これでもある
程度明らかにされておりますけれども、私は、今日
日本の農業が非常に大きな転換期に差しかかったのではないかというふうに判断をしております。で、御
承知のとおり、
日本の農業はたびたび曲がりかど、曲がりかどと言われてきたわけでございまして、
昭和三十年以来一度大きな曲がりかどに差しかかったわけでございます。それに対応するという
意味で一応農業基本法ができまして、基本法農政という路線がしかれたわけでございます。で、しかし、どうも最近の農業の
状態を見ておりますと、ここのところで再び大きな転換点に差しかかったという
感じが強いわけでございまして、したがって、また農政といたしましても、いままでの基本法農政という路線で、はたしていき得るかどうか、こういうことを根本的に再検討しなければならない、こういう時点に差しかかったのではないか、こういうのが総活的な私の印象でございます。
そこで、なぜそういうことを申し上げるかということでございますけれども、今日
日本の農業は、もちろん、こまかく申し上げますならば、いろいろむつかしい問題を持っておりまして、なかなか一口で申し上げるということはむずかしいわけでございます。けれども、その中で、単にこれはひとり農業だけの問題ではございませんで、
日本の
経済全体にとっての非常に大きな問題だと思われます一番基本的なことは、大体
昭和三十七年というのを頂点にいたしまして、
日本の農業生産それ自体が明らかに衰退過程に入った、こういうふうに判断せざるを得ないという事実であろうと思います。で、もちろん、農林省の発表しております農業生産指数というものをごらんになりますと、これはまだ多少伸びているような形が出てきております。もちろんその
伸び率は三十七年ごろから非常に鈍ってまいりまして、その前は大体年率四%余りだったわけでございますが、それ以後は二〇%
程度、つまり半分ぐらいの速度に落ちてくる、こういう形で、すでに生産指数そのものも伸びが鈍ってきているという形を示しておりますが、とにかく生産指数で申しますと、まだ伸びているというような形が見えております。けれども、これは主として、
一つは、かつていまから数年前ないし十年前に、植栽が非常に進みました果樹生産というものがいま、なる期に入ってきたところから、かなり生産がふえてきている、こういうことが
一つあらわれてきていることと、もう
一つは、鶏及び鶏卵、それから豚もある
程度そうでございますが、小家畜を中心といたしました畜産が比較的まだ伸びているということを反映している。やや極端に言いますと、それだけである、こう申し上げてもいいような
状態になりつつございます。そして主要作物でございます米とか麦とかいうものはむろんのことでございますが、最近大きな問題となっておりますように、たとえば肉牛のようなものにいたしましても、生産がむしろ減ってきているか、あるいは
伸び率が著しく鈍っている、こういうような形になっております。それからまた酪農にいたしましても、これはまだ世間
一般ではそれほど重視していないようでございますが、すでに三十九年の後半から非常に伸びが鈍ってきている、こういう形になりまして、このままでまいりますと、需要の伸びにはとうてい追いつけない。もうおそらくことしの夏とか、あるいは少なくとも来年あたりになりますと、牛乳の不足という問題が相当大きくなるだろう、こういうふうに判断をせざるを得ないような
状態になってきています。こういうふうにして
日本の農業生産全体がすでに衰退過程に入ってきたということが、御
承知のとおり、いろいろな形で
日本の
経済に問題を投げかけているわけでございます。
その
一つの問題は、言うまでもなく、物価問題にそれが大きな影響を及ぼしつつある、こういうことでございまして、この点につきましては、特に野菜のようなものが一番多くの消費者の関心を引いておるわけでございますが、しかし、乳製品にいたしましても、それから米は、これはもちろん
政府の米価
政策の影響が非常に大きいわけでございますけれども、しかし、こういう不足
傾向が大きくなりますと、どうしても生産者米価を上げていかざるを得ないような
条件が強くなる、こういうことは否定できないだろうと思います。こういうわけで、多くの農産物が不足
傾向を強めていくということによりまして、もちろんそれでなくとも農産物は生産性が総体的に低いわけでございますから、いまのような
状況では価格が上がるのはやむを得ない、そういう面があるわけでございますけれども、おそらく、それを越えまして需給の不均衡が拡大するという形で農産物価格が非常に早く上がる、こういう問題を持たざるを得なくなっていくのではないかと思われます。そして、このことが今日の物価情勢から申しますならば、たいへん大きな問題にならざるを得ない、こういうことを
一つ申し上げておいていいだろうと思います。しかし、もう
一つ、非常に大きな問題は、言うまでもなく、農産物の輸入が非常な勢いでふえているということでございます。これにつきましても、こまかい数字を申し上げる必要はないと思いますが、わずかここ三、四年のうちに大体農産物の輸入は三倍ぐらいに膨張しております。たぶん四十
年度は今月一ぱいたちませんとはっきりわかりませんが、おそらく二十億ドルは楽にこえるだろうと思います。それから、その中ではもちろんえさの輸入ということが非常に大きな
割合を占めておりますが、しかし、米にいたしましても、すでに今日では、御
承知のとおり、百万トン近くを輸入いたしませんと需要に応じ切れない、こういう事態になりつつあるわけでございます。いずれにいたしましても、輸入における農産物の
増大という問題が、また
日本の
経済に大きな問題を投げかけているわけでございます。で、この輸入の面につきましては、しかし、世の中にはかなり楽観的な議論をする人ももちろんございます。つまり
一つは、御
承知のとおり、
日本の輸出が非常に好調に伸びているから、したがって、多少の農産物を輸入することあるいはそれが
増大するということはそう心配するには及ばない、こういう議論をする人もございます。もう少しそれを極端なことを言う立場から申しますと、かえってそういう外国から輸入する農産物が安いならば、
日本で高い農産物を何も無理して増産をしなくとも、むしろ工業製品を輸出して、かわりに安い農産物を輸入するというほうが合理的だ、こういうような議論をする人さえあるわけでございます。けれども、この問題は、かりにいまの議論に関連いたしまして、外貨収支という問題だけから申しましても、私はそう簡単に楽観していいことではないというふうに
考えております。御
承知のとおり、なるほどいまのところ
日本の輸出は非常に好調でございまして、貿易収支で申しますならば、黒字がかなり出ていることは御存じのとおりでございますけれども、この最近の輸出の好調と申しますのは、もちろんアメリカの
景気が異常によかった、こういうような問題がございましょう。それからまた、
日本が
不況に押されましてかなり無理をした、いわゆる押し込み輸出というようなものにつとめてきたということももちろんございましょう。そのほか、しかし同時に、
日本がかなり
不況でございまして、いままで国内の工業生産が比較的押えられてまいりましたために、輸入のほうがかなり押えられてきたという問題もございます。むしろ
日本の
経済構造全体から申しますと、御
承知のとおり、国内の工業生産が相当拡大するときには、原材料を中心といたしまして輸入がかなり大幅に伸びるということは当然のことでございます。したがって、輸出がある
程度伸びても貿易収支が必ず黒になるという保証は実はどこにもないわけでございます。さらに、その上に大きな問題を持っておりますのは、最近の情勢では、資本収支が
日本にとって非常に不利になりつつあるということでございます。しかも、この先行きを
考えますと、おそらく資本収支が好転する見込みはまず出てこないのではないか、こういうふうに思われます。そういうふうに
考えてまいりますと、私は
日本の国際収支という問題は、ただ輸出が好調だから楽観的に
見通していいんだ、こういう議論はとうていできないというふうに
考えているわけでございまして、依然として
日本にとっては国際収支の問題というのはきわめて神経質に
考えておかなければならない問題だろうと、こういうふうに思っております。ところで、そういう国際収支の中で、いま申し上げましたように、農産物がすでに二十億ドルをこえるような
割合を占めている。これだけでも大きな問題でございますが、このままで推移いたしますと、
日本の農産物輸入というものはきわめて急激にふえるという見込みはありましても、それが減るという見込みはほとんどないというふうに言ったほうがいいと思います。将来どのくらいの農産物輸入がふえるかという
見通しを立てますのはなかなかむずかしゅうございますが、いろいろな機関なり団体なりで
日本の農業の将来図というようなものをいろいろ描いておりますが、そういうものをごらんになりますと、多くの
見通しでは、今後十年ないし十五年くらい先には、農産物輸入だけで五十億ドルをはるかにこえるだろうという
見通しが多いようでございます。それが当たるか当らないかということは、なかなか複雑な問題がございますけれども、いずれにせよ、そういう急激に農産物輸入がふえていくという問題は、外貨収支の問題として
考えましても、実はそう楽観を許さない問題だと、こういうふうに申し上げていいだろうと思います。けれども、実は問題はそれだけではございませんで、むしろ、かりに外貨のほうは何とかまかなえるといたしましても、
日本が欲する農産物自体が国際的にきわめて窮迫した
状態にある。したがって、
日本がこれ以上輸入を拡大するということは、そもそも世界的な供給力からいってもかなり無理だ。その中で
日本がしいて買い付けをしようといたしますと、価格が非常に上がるということを覚悟しなければならない。こういうような問題がいろいろな農産物についてあらわれてきております。早い話が、米
一つをとってもそうでございますが、すでに今日
日本が買っております米の量というものは、少なくともいわゆる準内地米について申しますと、国際的な供給力のおそらく半分をはるかに越えているというふうに
考えていいと思います。そうしてまた、これによりまして、最近米価の国際的な騰貴というものが非常に著しくなっていることは御
承知のとおりでございます。さらに、牛肉なんかにしてもそうでございますが、あるいはえさにいたしましてもそうでございますが、すべて国際的には非常に供給力が限られておりまして、
日本がこれ以上輸入を拡大していくということについては楽観を許さないと言ったほうがいいものが多いわけでございます。しかも、それにつきましては、さらにいろいろな議論があるわけでございまして、たとえば、
政府と申しましても、これは農林省よりはむしろ通産省のようなところのようでございますが、たとえば東南アジアのようなところと長期契約を結んで、
日本と同じような米をつくってもらえば、米を十分そこから確保することができるし、それによってまた東南アジア貿易を拡大することもできるというような、そういう議論が一部には行なわれているようでございます。けれども、こういう議論も、私はたいへん失礼ながら、そそっかしい議論だというふうに
考えておりますけれども、それは東南アジアの今日の
状態から申しましても、
日本の米のような、かなり高度な技術を必要といたしますような米をすぐに取り入れまして、そうして安定的な生産ができるというような
条件は、大体において東南アジア諸国にはないというふうに申し上げたほうが私はいいだろうと判断いたしております。そればかりではございませんで、もし東南アジアの開発というものがある
程度でも進みますならば、むしろ東南アジア諸国、アフリカもそうでございますが、そういうところでは食糧の国内的な需要がふえるという勢いが非常に強いわけでございまして、現在そういう国が農産物の多少輸出力を持っていると申しましても、それは実は一種の飢餓輸出でございまして、国内の、需要が極端に抑えられているところから輸出力があるにすぎない。多少とも開発が進みまして、
国民所得の水準が高くなってまいりますならば、むしろ食糧は非常に不足するというのが東南アジアや、アフリカの
一般的な
状況だろうと思います。こういうようないろいろなことを
見通しました場合に、安易に、輸入に依存していればそれで安心だ、あるいは輸入するほうが合理的だという議論は私ははなはだおかしな議論ではないかと、こういうふうに
考えております。もちろん、そうは申しましても、何も
日本が一〇〇%農産物を自給しなければいかぬと言っているわけではございません。また、そういうことはおそらく不可能だろうと思いますけれども、しかし、それにいたしましても、もう少し国際的ないろいろな視野の中で、どれだけのものは
日本が自給を維持していかなければならないかと、こういうことをはっきりさせた上で、農業の問題なりあるいは農業
政策なりというものを
考えるべきだろう。現在までのところ、残念ながら、
政府の姿勢というものはそういう点が非常にはっきりしておりませんで、何となくずるずるべったりに輸入をふやしていく、こういうような形になっておりまして、そしていまから二、三年前には、たとえば食糧自給率は八〇%に維持すると、こういうふうに
政府はおっしゃっていたわけでございますが、今日すでに八〇%を割っているわけでございます。もちろん八〇%を割ったからたいへんだというふうにすぐ申し上げるわけではございませんけれども、そのこと自体は、つまりこういう国際的な環境の中に
日本の農業をどういう形でどれだけ維持するか、こういう点についての基本的な姿勢が少しもきまっていなかった、すべて
状況に押されて次から次へ何となく輸入をふやしてきてしまったと、こういうことが今日事態をはなはだむずかしくしているということは、やはり根本的に反省しておいていいことではないか、こういうように思うわけでございます。さて、そういうわけで、要するに、最近農業生産そのものが衰退に向かいまして、そうして
日本の農業が
国民経済的な要求に応じ切れなくなってきた、こういうことが非常に大きな問題であり、そしていま申し上げましたような
意味で、どうしてこれから先の問題といたしましては、農業生産をいま以上に
増大させていくという形で、
日本の
経済全体の要求にこたえるためにはどうしたらいいか、こういう問題をあらためて立てなければならないような事態になってきた、こういうことを以上申し上げたわけでございます。ところで、こういう問題を立ててみますと、それが、先ほど申しましたように、従来の基本法で
考えてまいりました農政の路線と根本的に違う——と言っては少し言い過ぎになるかもしれませんけれども、少なくとも基本法で
考えてまいりました路線のかなり大きな部分を修正しなければならないという事態をもたらすものである、こういうことはおのずから明らかになってくるのではないかと思うのでございます。それはどういう
意味かと申しますと、もちろん、農業基本的法自身は、御
承知のとおり、いろいろな内容を持っておりまして、またいろいろなねらいを持っていたわけでございます。けれども、基本法のかなり根本的な
一つのたてまえと申しますか、基本的な
考え方になっておりましたのは、
日本の農業についてとにかく労働生産性を高めていく、こういうことを追求しなければならない、こういう
考え方であったと言っていいと思います。労働生産性を高めなければならないという
考え方が出てまいりましたゆえんは、申すまでもなく、農村の労働力がだんだん減ってきているのだから、したがって、労働生産性を高めなければ生産を維持することができないということでもあったと言っていいと思います。さらに、それは農業所得を
増大させるというねらいもあったわけでございましょうし、あるいは国際競争力をそれによって持たせようというねらいもあったでございましょう。いろいろねらいがあったにいたしましても、いずれにせよ、労働生産性を高めるということを
一つの機軸にしながら、農業基本法というものは組み立てられているわけでございます。そして、いわゆる基本法農政というものの機軸になってまいりました農業
構造改革
事業というものを取り上げてみましても、ここではもちろん選択的拡大とか、いろいろほかの目的も入っておりますけれども、その中心的な部分は、特に稲作を中心といたしまして、大型機械を導入することによって労働生産性を格段に高める、こういうことが
一つのねらいになって動いてきたわけでございます。ところで、その場合に、そういう労働生産性追求と、こういう
一つのたてまえをかなり大胆に出すことができましたのは、農業基本法ができます
段階では、御
承知のとおり、特に米を中心といたしましては、将来需給がかなり緩和するであろうという
見通しを持っていたためでございます。したがって、この需給がかなり米について緩和するんだから、ここでは多少総生産量が減るなり、あるいは反当収量が下がるなりということは犠牲にしても、とにかく労働生産性の高い技術というものをそれ一本やりで追求しよう、こういう
考え方がある
程度大胆に打ち出せたわけでございます。そしてまた、そういう労働生産性を高めることによって免じました余剰労働力をもって、畜産なり果樹なりその他成長作物にこれを振り向けていけば、選択的拡大もできると、こういう
一つの構想の上に基本法というものは立っていたわけです。ところが、今日のような事態になってまいりますと、むしろわれわれは、はたしてそういう労働生産性追求と、こういう一本やりで
日本の農業の問題を押せるのか、こういうことがたいへん大きな疑問になってくる時期になったと思います。むしろ、先ほどから申し上げておりますように、今日
日本の農業の持っております問題からいえば、畜産物やくだものにいたしましても、これから先はむしろ不足の問題が大きくなると思いますが、それより前に、むしろ米を中心といたしました主穀作物につきまして、いかにして生産量全体を拡大させるか、あるいは少なくとも現在減りつつある、急激に減りつつある生産の減少というものをどうやって食いとめるかという問題が非常に大きな問題としてあらためて出てきたわけです。そうなりますと、いわば労働生産性を追求するだけではなくて、農業
経済の用語で言えば、土地生産性そのものをいかにして高めていくか、こういう問題をもう少しつけ加えなければならない、こういう問題が新たに出てきたように思うわけでございます。ところで、土地生産性を拡大する、そういう形で米麦の増産をすると、こういう問題だけでございますならば、これは必ずしもむずかしい新しい問題ではないわけでございまして、むしろ明治この方
日本の農業が長年やってまいりましたことは、ある
意味では米麦を中心として土地生産性を
増大させると、こういう
一つの
方針であったわけです。ただ今日、それが非常に新しい問題であると申しますゆえんは、従来の土地生産性を
増大させるような方向というものは、御
承知のとおり、農村に過剰労働力があるということを前提といたしまして、したがって、やや極端な言い方をいたしますならば、いわば人海戦術でもっても増産をすればいいんだというたてまえでもって、あらゆる増産の問題というものが解決されてくると、こういう方向で
日本の農業は発展をしてきたわけでありまして、ところが、これから先の
日本の
経済なり、
日本の農業を
考えますと、言うまでもなく、かつての
日本の農業のような、過剰人口を持ち、その過剰人口を惜しみなく使うという形で生産をふやせばいいと、こういうような
考え方というものは、もはやできなくなっております。むしろ現在におきましても、御
承知のとおり、農村は非常な労働力不足に悩んでおるわけでございまして、先ほど申し上げましたような、三十七年以来の農業生産の衰退なり縮小と、こういうことも基本的には労働力不足が一番大きく響いている、こういうふうに
考えなければならぬと思います。さて、それでは、これから先はどうかということになりますと、むしろこれから先は、これまでのように、
日本の
経済の成長率はおそらく高くないということは、これはだれも異論のないところだと、しかし、かりにその
経済の成長率が、従来の一〇%くらいのところから、たとえば五、六%というような半分くらいの速度に落ちてくるということを
考えましても、御
承知のとおり、新しい労働力の供給というものが、もうすでに来
年度からは非常に減る時期に入っております。ことしの学卒が、御
承知のとおりピークでございまして、これからはむしろ急速に減るわけでございまして、
あと三年くらいいたしますと、むしろ新規学卒の頭数ではリタイアする労働力をカバーできない、こういう形になるわけでございまして、
あと三年くらいたちますと、労働力の供給は完全にマイナスになる、こういう時期に入るわけです。そういう
状況を
考えますと、どう
考えてみましても、農村に若い者が大量に残ってかつてのような過剰人口ができるというようなことは
考えられません。また、いますでに農業で働いております
人たちは相当高齢化しております。六十歳以上がすでに一割をはるかにこえていると
考えていいと思いますが、こういう
人たちは、そう
あと十年も二十年も働けるわけではございませんで、おそかれ早かれリタイアせざるを得ない。そういう
状況を
考えますと、農村の労働力不足というものは、
経済成長率がかりにかなり落ちたということを
考えましても、やや長期的に見ますと、私は、ますます逼迫するという方向に動くのであって、過剰になるというふうにはとうてい
考えられないというふうに判断しております。そうなりますと、したがって、どうしてもまた、一方では労働生産性を高めるということを
考えながら、しかし、先ほど申し上げましたようなわけで、労働生産性一本やりではいかないので、土地生産性も高めなければならないと、こういうような、いわば二兎を追うような
方法というものを発見しなければならない。こういう新しい問題を
日本の農業は持つのではないかと思うわけでございます。ところで、この点で、もちろん純粋に技術的に申しますならば、機械化をして労働生産性を高めるということが、必ず土地生産性が下がることだとか、あるいは土地生産性を犠牲にすることだとかいうふうには、抽象的には言えないわけでございます。むしろ、抽象的に、技術の問題として
考えますならば、概して言えば、機械化をするということは、労働生産性を高めると同時に土地生産性をも高め得ると、こういう可能性を持っているということは言えるであろうと思う。したがって、技術の専門家はその点をかなり楽観的に言う人もあるわけでございますけれども、ただ問題は、言うまでもなく、そういう試験場なりあるいは実験室で
考えたときにそういうことができるということと、農村の
現実においてそう動くかどうかということとにはかなりの距離がございます。もちろん、新しい機械化の体系というものが何年かたちまして相当安定して、農業の中で十分こなせるようになりますならば、私は、必ずしも土地生産性がそれによって下がるというふうには
考えませんけれども、しかし、おそらく、機械が入りましてそれが十分使いこなせ
一つの技術体系として定着をいたしますためには、五年とか十年とかいうようなかなり長い
期間というものが必要であろうと思います。その
期間の間はある
程度土地生産性を犠牲にせざるを得ないような問題が起こると、こういう危険性を十分勘定に入れておかないで農業
政策の問題は
考えられないと思うわけでございます。そこに非常に大きな問題があるわけでございまして、そういうふうに
考えてまいりますと、要するに、いままでの基本法路線、こういうものが——もちろん全部御破算になるわけではございませんでしょう。いま申しましたように、つまり、とにかく労働力が足りなくなるんだから労働生産性を追求しなければならないという限りでは、基本法の路線というものは生きていると、育ってもいいかもしれません。しかし、いままでのような簡単な、ある
意味ではいままでももちろんむずかしかったわけですが、それにしましても、いままでのように簡単な
考え方で、労働生産性一本やりで押せるという
段階ではなくなってきたということが、いよいよもって
日本の農業に困難な課題を課していると、こういうふうにわれわれは判断しているわけでございまして、したがって、これからの農政はそういう困難な課題に真正面からこたえる姿勢を持っているかどうか、こういうことによってわれわれは判断しなければならないというふうに思うわけでございます。そういう
意味で、この手始めに、
昭和四十一
年度の農林
予算というものをわれわれが
考えるにいたしましても、はたして農林
予算というものがそういう
日本農業の事態を十分に認識した上で、それに十分こたえるという姿勢を持って組み立てられているかどうか、こういうことが一番基本的な問題ではないか、こういうふうに
考えるわけでございます。
そこで、少しその具体的な
予算の内容を検討してみますと、なるほど今度の農林
予算は、総額といたしましてはかなり膨張しているという形になっております。もちろんこの中には、食管の繰り入れ金とか、あるいは災害復旧のための経費とかというものがございますから、必ずしも実質的に農業
政策がそれによって拡大される部分だけではございません。しかし、実質的に農業
政策の展開に役に立つというふうに
考えられます経費だけを拾い出しても、大体、昨
年度に比べて——昨
年度と申しますか、四十
年度に比べまして、五百億円ぐらいはふえていると、こういうふうに判断してよさそうでございまして、そういう
意味で
予算全体がもちろん膨張しておりますが、その中で農林経費というものは、やや優遇されている、こういう言い方はできるかと思います。けれども、それだけの総額について申しましても、たかだか五百億円ぐらいの
増大ということで、そしてこれだけまた物価騰貴が苦しいという
状況の中で、はたして、いま申しましたような問題にほんとうに前向きにこたえるということが言えるのかどうかということになりますと、これはまあいろいろ検討してみなければならない問題が残るのではないかと思います。しかし、その総額の話はそれといたしましても、今度はこの農林経費のいろいろ中身について多少検討をしてみますと、確かにここではいわば従来になかったような新しい幾つかの構想というものが新たに打ち出されていると、こういうことは事実でございまして、その限りにおいては農林省なり
政府なりの一応の前向きの姿勢というものをわれわれは読み取ることもできるように思うのであります。しかし、それは
あとで申し上げますように、そういう前向きの構想自体につきましても、なおいろいろ問題が残っておりまして、はたしてこれだけのことでもって何がやれるのか、こういう疑問を率直に言えば持たざるを得ないようなものでございます。しかも、それを全体の
予算の中で
考えてみますと、そういう前向きだというふうに
考えられるものは、比較的わずかでございまして、かなりの部分は、どうも何となく従来の情性の上に従来と同じような
考え方で総花的に
予算を配っている、こういうだけのことでございまして、格別新しい姿勢なり新しい構想があるというふうにはどうも言えないものが非常に多いと、こういうことを見ますと、どうも農林
予算全体としては何か焦点が定まらないし、いま申しましたような農業の重大な問題をほんとうに認識しているのかどうかさえ疑いたくなるような、そういう
感じをぬぐい切れないわけでございます。しかしまあ、その中で、とにかくいまちょっと申し上げましたように、幾つかの新しい構想なり新しい姿勢なりというものが出ているわけでございますから、それについて多少検討をしておくということが必要であろうかと思います。それは、こまかく拾えば幾つかあるのでございますけれども、その中で、先ほど来申し上げてまいりましたような点と関連いたしまして、かなり重要な
意味を持っているというふうに
考えられますものが三つほどございます。
一つは、言うまでもなく、例の、農林省がいまつくりつつございます長期土地改良計画、こういうものが新しく浮かび上がってきたわけでございまして、これによりまして、土地改良をこれから大
規模に押し進めていこうと、こういう構想がつくられまして、そしてその初
年度としての
予算が今度の
予算の中に組み込まれているわけでございます。ところで、この土地改良
事業を大
規模にやると、こういうことは、そのこと自体につきましては、おそらくだれも異論がないことであろうと思います。先ほど申し上げましたような、労働生産性を高めるだけでなくて、土地年産性を高めるという観点から申しましても、土地改良
事業を徹底的にやると、こういうことはだれが
考えてもまっ先に着手をしなければならない点でございまして、そういう
意味で、土地改良
事業を拡大すること自体には私もむしろ大いに賛成でございまして、なるべくこれを積極的にやるべきだというふうに
考えます。けれども、従来から農林省がやってまいりました土地改良
事業のやり方そのものについて申しますならば、御
承知のとおり、これはきわめて大きな欠陥が幾つかございます。その欠陥があるがために、土地改良
事業というものが、これまでも相当の
予算をかけて相当大
規模にやってこられながら、必ずしも効果をあげない、ことに農民のために必ずしもプラスにならない、こういう問題を持ってきたわけでございます。したがって、問題は、新しくそういう大
規模な土地改良計画というものをお立てになるならば、従来そういう土地改良
事業というものが持ってきたいろいろな欠点を十分に検討した上で、そこをほんとうに直した上でやるのだ、こういう姿勢が入っておりますならば、われわれも大いに賛成したいところでございますが、どうも、残念ながら、いまの農林省の説明している限りにおきましては、土地改良
事業を推進していく仕組みそのものは従来とほとんど変わらないままで、ただ
規模だけを拡大しようというお
考えのようにしか受け取れないわけでございます。それでは、その従来の土地改良
事業というものはどういう欠陥を持っていたのか、こういうことになりますと、これはもちろん幾つもの欠陥をあげることができます。しかし、時間の
関係もございますから、こまかいことは省略いたしますが、たとえば、土地改良
事業というものは、御
承知のとおり三段がまえになっておりまして、国営
事業と県営
事業とそれから地元負担でやります
事業と、こういうふうに——私はこれをげたばき
方式と言っておりますが、げたばき
方式でやっております。ところで、このげたばき
方式でやりますことが、いろいろ
事業の進み方というものをばらばらにしてしまいまして、一貫した計画でもって一貫的に動かすということが非常にむずかしくなってきております。ことに、最近のように地方
財政が非常に詰まってまいりますと、いままでは地方団体はむしろいろいろな理由から大いに土地改良
事業をほしがりまして、むしろ
政府に頼んで、くれくれと言って積極的にやっていたわけでございますが、最近ではむしろ地方団体はもうとても土地改良
事業の負担にたえ切れないわけです。むしろ県としてはこれをいやがっているような
傾向が強くなってきております。そういうこともございまして、はたしてその三段がまえのげたばき
方式でいけるのかどうかという問題がございます。それからそれと関連いたしまして、たとえば末端におきましては農民の負担というものがかなりございます。なるほど
政府に言わせれば、
構造改造
事業のときには七割が国庫の負担になっているとか、あるいは、
一般の土地改良につきましても、五割とか六割が
国民の負担になっているから、地元負担は軽いのだというふうには申しますけれども、しかし、地元の農民自身の立場で申しますと、軽いと申しましても、それは相当大きな
借金として残らざるを得ない、こういうようになっておりまして、もちろんその
借金に対しましては農林漁業
金融公庫がめんどうをみておりまして、一応低利長期の
資金が与えられるという仕組みにはなっておりますけれども、それにもかかわらず、少なくともいまの土地改良
事業をやろうといたしますと、農民の負担は、一反歩について、多いところは十万円ぐらい、少なくとも五、六万円の負担を覚悟しなければならない。そういたしますと、一町歩をやれば、すでに百万円ほどの
借金を負ってしまう。こういうようなことになって、そのこと自体がまた農民の土地改良
事業に対する意欲を非常に失わしめていると、こういう問題があるわけでございます。さらに、もう
一つ進んで
考えれば、土地改良
事業というものは、単に改良しただけで話は片づくものではございませんで、改良いたしました土地自身を農業生産とどういうふうに結びつけていくかという組織の問題が必要でございます。これにつきましては、特に前々から、これはすでにいまから数年前にできました農林漁業基本問題調査会の
段階から、土地につきまして公的な管理組織というものを早く育成して、そこで計画的に土地を利用するという
方法を
考えなければいけない、こういう答申が
政府に対して出されているにもかかわらず、今日までその土地の利用権の公的な
意味における計画化なり調整なりというものは、全くと言っていいほど行なわれていない。こういうようないろいろな欠点が、そのほかにもたくさんございますが、その
程度でもおわかりかと思いますが、そういう欠点をそのままにいたしまして、ただ土地改良
事業をやるというふうに御計画をお立てになっても、それではたして動くものかどうか、また、多少の土地改良
事業ができても、それは農民に
借金を負わせるだけに終わってしまうのではないか、そういういろいろな心配がわれわれには持たれるわけでございまして、その辺のところに対する十分な手当てというものははなはだ不足しているのではないか、こういう印象をぬぐい切れないわけでございます。
それからその次に、第二番目の柱になっておりますのは、御
承知のとおり、この前の国会で流れてしまいました農地管理
事業団でございます。この管理
事業団につきましては、もちろんいろいろ御批判の向きもあるようでございますけれども、私は管理
事業団そのものの基本的な構想自体は必ずしも悪いものではないというふうに
考えております。もちろん、今日、いわゆる土地の流動化を拡大しなければならないということは、これはだれが
考えても当然のことでございまして、農業の合理化のためにはそれがある
意味では先決問題だというふうに
考えられるのでございます。もちろん、土地の流動化というための方策といたしましては、ただ土地を売買するだけではございませんで、たとえば、農地法のたてまえをゆるめまして小作
関係を自由にしていく、こういう
方法でもって土地の流動化を促進するという
考え方もございます。その農地法をどこまでゆるめるかとか、どうするかということについては、いろいろ問題が残っておりますけれども、まあ私ももちろん借地
関係でもってある
程度土地の流動化を促進するという道はないわけではないと思っております。ただ、実際問題としては、私は農地法のたてまえをゆるめて借地
関係を大きくするといいましても、それでは問題は根本的には解決できないだろうと思うのは、言うまでもなく、今日では、昔とは違いまして、農業経営を成り立たせますためには、土地に固定するような投資、先ほど来の土地改良
事業から始まりまして、農道の整備なり、いろいろな土地に固定するような投資というものを大量にいたしませんと、農業生産というものは成り立たなくなっておる。そういう長期にわたって土地に固定するような投資は、やはり耕作権が安定しておりませんと投資ができないわけでございまして、一年とか二年の借地の上に同定的な投資をするということは不可能でございます。そうなりますと、かりに小作
関係を認めるといたしましても、結局相当長期にわたって耕作権を安定させるという措置はとらざるを得ない。そうなれば、また地主のほうは、今度はそんなものは貸したくないということにならざるを得ないわけでございまして、したがって、いずれにせよ、小作
関係を自由にしてみても、私は借地の上では土地の流動化というものはあまり進展しないだろうと、こういうふうに
考えます。したがって、基本的には、どうしてもある
程度所有権を動かしていくということを
考えざるを得ないわけでございまして、その所有権の流動化をはかるというためならば、そこに
政府がある
程度介入いたしましてその流動化を促進するような措置をとるということ自体は、これは決して間違った
考え方ではないと思うのでございます。けれども、この管理
事業団そのものにつきまして、それではこれで十分動くかということになりますと、いろいろの問題がございます。管理
事業団そのものの構想にいたしましても、今度は、この前流れました案に比べますと、やや
規模が大きくなっております。前に流れました案につきましては、私はこんなものはやっても二階から目薬だという批評をしたことがございますが、今度は、二階から目薬よりも、一階半から目薬ぐらいになったのかもしれませんけれども、しかし、それにいたしましても、きわめて小
規模でございまして、これだけで必要とするいまの
日本の農業に対応するような土地の流動化が促進されるなんということはとても蓄えない、全く部分的に何かがやられているというだけのことにすぎなくなるだろうというふうに思います。さらに、管理
事業団の一番大きな問題は、今回の案につきましても、依然としてフランスでやっておりますような土地の先買い権というものが認められていないということでございますが、土地の先買い権というものを規定しておきませんと、実はこれは全く底抜けになってしまうわけでございまして、私的に土地が売買されるということを防ぎ得ないで、結局、計面的には何事も動かなくなってしまう、こういう大きな欠陥を持っているということが
一つの問題だろうと思います。けれども、実は、この管理
事業団の問題というのは、管理
事業団自体の問題というよりは、その周辺のそれが十分に活動し得るような
条件を整えるということにおいてはなはだ欠けていると、こういうことが大きな問題のように私は思うのでございます。その
条件に欠けているという問題もいろいろございますが、
一つの側面は、先ほど来申し上げましたように、管理
事業団が管理
事業団として動くにいたしましても、その前に、もっと全体的に土地をどういうふうに配分し、どういうふうに管理をするのかという公的な組織というものが先にございませんと、管理
事業団がかってに土地を売ったり買ったりするとか、あるいは売買のあっせんをすると申しましても、どららを向いて何をやるのかということがちっともわからなくなってしまう。また、かりにそういうことをやってある
程度土地を動かしてみましても、再びその土地が分散して変なところに流れてしまうという問題も防ぎ得なくなってしまう、こういうことになりまして、いずれにせよ、全体としての土地の公的管理という姿勢をどこまで強くするかという問題が先決問題として残るわけでございまして、それについての対策がほとんど
考えられていないというところに大きな問題があろうと思います。それから、他方におきましては、言うまでもなく、土地を売買させると申しましても、他方におきましてはある
程度離農をする
人たちのことを
考えておきませんと、ただ土地を売買させるだけでは問題はちっとも解決しないわけでございますし、第一離農者に対する十分な対策というものなしには、土地の売り手がおそらくないだろうというふうに
考えていいだろうと思います。それでは、その離農者に対してどれだけの措置がとられておるかということでございますが、かつてから問題になっておりますようなたとえば離農年金というような
考え方も今回の
予算の中には全然出てきておりません。それからさらに管理
事業団自身の問題といたしましても、ただ土地を買うというだけのことで、しかも特価で買うというたてまえになっておりますけれども、もしほんとうに離農者の問題を十分に
考えるといたしますならば、離農する者に対しては、単に耕地だけではなくて、住宅とか宅地とかその他のものにつきましてもこれをきわめて有利な値段でもって買い上げてやる。そして、そういうことによって、そういう離農する
人たちの離農後の道をつけてやる。これだけの配慮をいたしませんと私は
意味がないと思うのでございますが、そういう配慮も全然管理
事業団の中には入ってきていないわけでございます。こういうつまりいろいろな大きな欠陥を持っている中で、ただ管理襲業団だけをぽんと出してしまいましても、これは初
年度なんだから、とにかくこれをやって、おいおいそういう突っかい棒を整備していく、こういうのが
政府のお
考えだろうと思うのですが、それならそれでしかたがないといたしましても、やはりそれだけのことを近い将来にはやるのだという姿勢がきまった上でお
考えになるべきことではないか、こういう
感じをやはり強く持つわけでございます。
それから第三番目には、もう
一つ大きく取り上げられておりますのは、先ほど申し上げました肉牛の不足という問題に対応いたしまして、特に子牛の飼育センターのようなものをつくりまして、それによって肉牛の増産をはかろうという
考え方でございます。ただ、これにつきましては、
予算そのものがはなはだ貧弱でございまして、たしか四億幾らであったと思いますが、とにかくこれだけで十分かどうかという問題もございますし、これにつきましても実はそれ以上に大きな問題がございます。これは、単なる肉牛だけの問題ではございませんで、実は乳牛まで含めまして、
日本の将来の畜産を維持し、酪農を維持していくためには、どうしても飼料給源というものを非常に大きく確保しなければならない。ことに、肉牛の場合には、御
承知のとおり、非常に広大な放牧地というものを必要とするのでございまして、それなしには肉牛経営というものは成り立ちません。そうなりますと、これはただ飼育センターをつくって子牛を少し育成したらそれで
日本の畜産がうまくいくなんていう話ではございませんで、むしろ
日本の山林原野をどういうふうに畜産と結びつけて利用するか、こういう大きな
見通しなしにはこの問題は
考えられないことでございます。そして、山林原野を利用するという点になりますと、その前に、山林原野の所有権なり利用権なりというものをいかにして調整するかという問題が入ってくるわけでございます。もちろん、そのほかに草地改良
事業のようなものにもっと
予算をつけなければならないという問題もございましょうが、ただ、たとえばいままでの農林省がやってまいりました草地造成
事業でも、これがほとんどうまくまいりませんのは、山林の所有権なりあるいは利用権というものにぶっつかってしまいまして、したがって、農民の便利とするところに草地造成ができないで、とんでもない山奥の不便なところに草地造成をしてしまう。そうなりますと、草地をつくってみてもだれも利用しない、こういうようなことになりまして、実際には山の利用権の問題にひっかかってしまいまして、少しもその問題が進展していないわけでございます。そうなりますと、少なくとも基本的に山林原野の利用権をどういうふうに開放していくのか、これについてはまだ御
承知のとおりわずかに国有林開放がほんの部分的に手をつけられたというだけでございまして、それ以上の構想というものは何も打ち出されていないわけでございます。
こういうふうに検討してまいりますと、要するに、新しい芽が多少出てきておるという点についてこれを一応認めることにやぶさかでないといたしましても、以上申し上げましたように、その新しい芽というのははなはだ基盤が整っていない、また、基盤を整える姿勢というものは残念ながら四十一
年度の
予算を拝見した限りではほとんどうかがえない、こういうふうに申し上げるしかないわけでございまして、そういう
意味では、農業問題がきわめて重大化しているのに対してこういう
予算しか提示されなかったということは、われわれから申しますとはなはださびしい
感じがする、こういうことを申し上げまして、何か御参考にしていただきたいと思う次第でございます。
たいへん蕪雑なことを申し上げまして恐縮でございます。(拍手)