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1966-03-17 第51回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月十七日(木曜日)    午前十時二十九分開会     —————————————    委員異動  三月十七日     辞任         補欠選任      松野 孝一君     塩見 俊二君      瀬谷 英行君     羽生 三七君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         石原幹市郎君     理 事                 小沢久太郎君                 白井  勇君                 西田 信一君                 日高 広為君                 小林  武君                 鈴木 一弘君     委 員                 青柳 秀夫君                 赤間 文三君                 井川 伊平君                 植竹 春彦君                 大谷 贇雄君                 梶原 茂嘉君                 北畠 教真君                 草葉 隆圓君                 小山邦太郎君                 木暮武太夫君                 古池 信三君                 西郷吉之助君                 櫻井 志郎君                 塩見 俊二君                 内藤誉三郎君                 平島 敏夫君                 増原 恵吉君                 柳田桃太郎君                 吉武 恵市君                 木村禧八郎君                 北村  暢君                 小柳  勇君                 佐多 忠隆君                 鈴木  強君                 田中寿美子君                 羽生 三七君                 林  虎雄君                 村田 秀三君                 小平 芳平君                 多田 省吾君                 宮崎 正義君                 向井 長年君                 春日 正一君                 市川 房枝君    政府委員        大蔵政務次官   竹中 恒夫君        大蔵省主計局次        長        鳩山威一郎君        大蔵省主計局次        長        武藤謙二郎君    事務局側        常任委員会専門        員        正木 千冬君    公述人        法政大学教授   渡辺 佐平君        毎日新聞社経済        部長       羽間 乙彦君        商工組合中央金        庫理事長     北野 重雄君        東京大学教授   大内  力君     —————————————
  2. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。本日、瀬谷英行君、松野孝一君が辞任され、その補欠として羽化三七君、塩見俊二君が選任されました。     —————————————
  3. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) 公聴会の問題は、昭和四十一年度予算についてでございます。  本日は、午前中お二人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に、公述人の方に一言御あいさつを申し上げます。  本日は御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。  本委員会は、昭和四十一年度予算につきまして、本月七日から慎重な審査を重ねてまいりました。本日及び明日にわたる公聴会におきまして、皆様から有益な御意見を拝聴することができまするならば、今後の審査に資するところまことに大なるものがあります。  それではこれより公述に入りますが、議事の進行上、お手元に配付いたしました名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度で御意見をお述べ願いまして、そのあと委員から質疑がありました場合、お答えをお願いしたいと存じます。  それでは渡辺公述人にお願いをいたします。(拍手)
  4. 渡辺佐平

    公述人渡辺佐平君) 渡辺でございます。御指名によりまして、公債問題に関しまして私見を述べさしていただきたいと存じます。  公債発行につきましては、ただ、その発行ということだけでその善悪を論ずるということはもとよりできないことでありますし、また、それとすぐ結びつけましてインフレーションの問題を議論するということも、これはなかなかむずかしいことであると私は考えるのであります。私は、ここではそういうわけでありまして、そういう問題に面接入って私の考えを述べることは慎しみたいと思っておるわけであります。しかし、それでも国民の一人としまして実感というようなものを申し述べますと、政府公債発行という問題は案外に早く、案外に急速に出てきたというような感じが非常にいたすのでございます。もちろん、このたび政府公債発行を伴う積極的な財政を打ち出してきたというのは、御承知のように、先般の経済不況と申しますか、もしくは恐慌といってもよいかと思うのでありますが、それが非常に深刻でありまして、財政による景気振興というものを政府考えざるを得ないという状態に至ったものであるということも私にはよく了解できるわけでございます。また、最近の経済学者といいますか、経済を論ずる人たちの中には、政府フィスカルポリシーによって景気の調節をはかるべきだというような見解を述べている人が多くなってきているのも事実でありまして、そういう財政学の主張が最近強くなってきているというのは、戦後の資本主義の発展の段階によく照応するものでありまして、それにはしかるべき理由があるということも私は了解しているわけであります。確かに現在のような状況におきまして、非常に緊縮財政を行ない、失業者が出るというふうなことは、なかなか当局としてはいたし得ないわけでありまして、そういうことをする政策というものは、世界的にまだ最近では行なわれていないような状況にある、こう考えるわけであります。したがって、政府がこのフィスカルポリシーを行なえという議論に耳を傾け、そうしてそういう方向に進んだということにつきましては、その事情も私はよくわかるような気がするのであります。しかし、先ほど申しましたように、こう急激に公債発行政策を打ち出してきた、いわゆる概念的に財政政策が転換したというふうなことであろうと思うのでありますが、公債発行を伴う積極財政政府が打ち出してきたのを見ますと、私としては、まあ昔のことが思い出されるということもあるかと思うのでありますけれども、こういうふうな公債発行がどのように進行していくものであろうかということにつきまして、また、その発行が行なわれていくあとで、どういう結果が伴ってくるものであろうかということなどにつきまして、幾つかの問題点を感ずるような次第であります。その問題はいろいろございますけれども、私は主として金融の問題に関連したそういう問題について私見を述べさしていただきたい、こう考えておるわけであります。  問題の第一点というのは、フィスカルポリシーについてでありますけれども、このフィスカルポリシーというのは、先ほど申しましたように、現代の資本主義段階では、これは政府にとって、とらざるを得ない政策であるという関係にもあると思います。また、現在のような状況におきましては、政府考えでは理想的な一つ政策である、ともかく理想というか、あるいは望ましい政策一つだということになるかと思うのであります。しかし、このフィスカルポリシーというのは、考え方としては確かに望ましい、日本にとってもそういう政策が行なわれることが望ましいというふうに言えると思うのでありますけれども、しかし、そのフィスカルポリシーというのは、実際にこれを行なう場合には、それをなし得る程度、ほど合いというものは、それぞれの国においていろいろな種々なる事情によって制約されておるものであるのではないか、こう考えるのであります。たとえばその国の財政構造といいますか、あるいは金融構造とか条件等々、それがそれぞれの国において異なるわけでありますが、そのそれぞれの構造の違いによってこのフィスカルポリシーというものをなし得る度合いというものは、国によって異なり、ある国においてはかなり活発に、かなり大幅にこれをなすことができる。しかしながら、ある国においては、それをなそうとしましても、現実においては狭く、制約されるというようなことがあるのではないかと私は想像するわけであります。そうして日本の国につきましてこれを考えてみますと、まあ都合が悪いといいましょうか、日本の国におきましては、たとえば日本銀行制度、特にその発行制度というようなものが、ある点においてはこの政策を行なうのに好都合であると同時に、他の面から言うと、あまりそれを行なえば、他方の欠点あるいは危険というものが伴うというふうな状況にあるのではないかというふうに考えるわけです。また、日本銀行制度でありますが、この制度の体質といいますか、銀行の業態というふうな現実の置かれた条件、あるいは銀行日銀との間の融資関係、言いかえますれば市中銀行日本銀行に依存しているといったような、こういう状態、こういうものは、政府フィスカルポリシーを行なう場合においても、その行ない得る限度というものを狭く制約する条件になっているのではないかというふうに考えます。また、有価証券公債等流通市場の問題でありますが、この市場も、現在においては御承知のように十分に整備されたものであるということはできないありさまであると思うのですが、こういう状況のもとにおいては、公債発行を伴うフィスカルポリシーというものについては、十分にこれを行なう余地を与えていない一つ条件になるのではないか、こう思うのであります。したがいまして、フィスカルポリシーというものは、その抽象的な考え方におきましては、現在の政治においてとられる一つの望ましい政策であるということが言えるにしても、現実にこれを政府が取り上げて、日本のこの状況のもとにおいて行なうときにおいては、その行ない得る振度、振幅といいますか、幅というものがかなり狭いように感じますし、また、その幅を何らかの方法によってしいて広げようとするならば、そこに無理ができるのではないか。で、そういう無理が他のどこかにあらわれてきて、そして望ましくないような結果をここに生んでくるということになるのではないかということが私のおそれるところでありまして、これらの点につきましては、後ほど金融市場現実状況と関連さして、あらためてまた申し上げたいと考えるわけであります。  ただ、ここで一言これにつけ加えて申し上げたいと思うのでありますが、政府の四十一年度予算編成方針というものを拝見いたしますと、それにはこのように書いてあるのであります。すなわち、「財政規模並びに内容を国民経済と均衡のとれた適正なものとすることを基本とする。」、このように書いてございますが、これはもっともなことでございますが、その次に、「このため、年々の経済動向に即して公債発行額を伸縮」——伸び縮みさせると書いてあります。ここにあるように、年々の経済動向に即して財政を運営し、たとえば公債発行の額を伸縮させるというのは、確かにフィスカルポリシーの原則に従ったものであると考えるわけでありますが、しかし、もしこの精神に徹して財政を行なっていくというのでありますと、たとえば経済状況不況から好況というふうに転じ、それが非常に急速に進んでいったというような場合になってきたときには、同じ会計年度といいますか、財政年度の中におきまして、すでに予算がきまり、公債発行が予定されていても、この財政規模を縮小し、もしくは少なくとも公債発行を少なくして、しかも、ある場合においては、税の自然増収以上に公債発行を減らして、そうして財政規模を縮小するというようなことがこの精神に合うものであると考えられます。しかし、はたして今後そういうような財政の運用の方式が実現られるものであるかどうかにつきまして、私はいささか疑問を持つわけであります。というのは、現在までの財政規模増大、また特に財政投融資とか、公共事業費増大というふうな事実を見てまいりますと、そう小回りがきくように財政を伸縮させるということができるものであるかどうか、私はこの点をお伺いしたいと同時に、私としては、はなはだそこに機動性が少ないのではないかという感じを持つわけであります。もちろん、そういうふうにその年度内にこれを伸縮するということは非常に無理な話であるかと思うのでありますが、しかし、それならば、短い年数、三年とか、五年とかというような一つ期間を置いて考えてもよろしいのでありますが、そういう期間の中で景気の動きに従って急速に——公債発行が出てきたのは急速であるのに対応するような形での早さをもちまして、財政規模を縮小したり、あるいは公債発行をさらに縮小したりするようなことができるものであるかどうか、これは非常に困難であるというふうに私は先ほど申したのでありますが、それは、一つには、たとえは財政投融資の最近の傾向からも感ずるわけでありますが、これは皆さま御承知のように、最近非常に増大しておりまして、この対前年度伸び率においても、一般会計伸び率を上回る、また一般会計予算額に対するその比重におきましても、それが非常に高くなってきているということは御承知のとおりであります。こういうふうな傾向、これはなかなか断ち切れないものではないかと思うのでありますが、これは一般財政一つ傾向を示しているのではないか。こういう状況でありますと、フィスカルポリシーというのは、景気がよくなればむしろ自然増収の範囲内で、あるいはそれより少ない支出予算を組むというのが、このフィスカルポリシー精神ではないかと思うのでありますが、そういうことがこの財政の従来の傾向からしてなし得るものであるかどうか、これに疑問を感ずるわけであります。としますと、もしそういうことが行なわれないとしますと、公債発行のこの財政というものはどこまで続くものであるか、その限度というものはどこにあるのであるかということについて、私は見通しを持ち得ないように思うのであります。この公債発行を何年続けてどのくらいの額になるかというふうな計算、または財政規模がどのくらいの対前年比で増加していき、また、それが国民総生産との割合においてどういう比重を保っていった場合にどれだけの公債発行が必要であるかというような計算はいろいろできると思うのでありますが、ともかく私が申しましたような、公債発行景気の上昇に従って切り詰めるということをするためには、大体GNPの増大する割合よりは財政規模増大のパーセンテージを低くして、そうしてこの税の増額の率が財政規模増大より大きくなるというふうな方式にならなければならないと思うのでありますが、そういうことの困難性というものが私には感じられるのであります。フィスカルポリシーは確かに望ましいというふうなことが言われましても、その方式を一たん日本でとった場合におきまして、これからこれを縮小する意味でのフィスカルポリシー、それの実現の困難性があるんじゃないかというふうに感ずるわけであります。そうして、同時にそうであるとすれば、一たん発行を始めた公債は累積していって、どこでその終止点を打つのであるかということについての見通しというものが、この中からは考えられないというように思うわけでございます。つまりフィスカルポリシー政府がとるということから、それだから公債発行はいずれ終止点に達するのだというような見通しがここには出てこないように思う。また、政府におかれましても、はたしてそういう点についての見通しを十分にお示しになっているのであるかどうか。私はよくその点を知らないのでありますが、どうも私の現在までのところでは、政府からは十分な説明がないのではないかというように思うわけであります。  それから第二の問題点でありますが、それは公債発行のいわゆる歯どめという問題に関連してくるわけでありますが、政府予算編成方針におきまして、まず公債発行公共事業費等に充てるために限るというふうな限定をしておりますが、との限定は、もちろん直接的にはこの公債発行の額をそれによってふやさないようにするという意味ではないと思うのでありますが、しかし、それにしてもこういう公共事業費支出するためだけに公債発行を限るということであれば、この事業がそう急速に拡大することができなかったり、また、その事業進行度を促進することはできないというふうな客観的な関係から公債発行も制圧されるというふうに考えられているのかと思いますし、また、この公共事業費の中のあるものでありましょうが、建設的な支出であれば資産が結局残るのである。こういう資産が残るものに対する支出は経常的な支出でない、もしくは消費的な支出でないから、これは財政の節度が守られるという意味において、こういう支出にのみ公債発行による収入を充てるならば、公債発行はそう拡大しないというような考えがここにあるのかと思うのであります。しかしながら、この公共事業費として計上されておりますものは、御承知のように非常に種類が多いのでありまして、そうしてこの種類が今後増大するというふうなことがないという保証はもちろんないと思います。そういう意味におきまして、たとえ公共事業のために公債発行するとしましても、公債発行は減るということよりはむしろ増加するというおそれのほうがここに出てくるのであります。その意味においては、これはいわゆる公債発行の歯どめということはここに考えられないと私は思う。この点からしましても、公債発行の今後についてはどこでとめどを打つか、とめどが出てくるかという見通しは出てこないように思うのであります。公債発行につきましては、よく、よくといいますか、ある人は、たとえ公債発行によって政府事業を行なうにしても、公債借金であるから、この借金の使い道については、この借金をどう返すかという償還の計画を伴う必要があるというふうなことを言う人もあるわけでありますが、確かに理想的にはそうであると思いますが、そして企業でありませんから、企業の場合ならば借金をして事業を行なうにしても、その借金をもって投資したその事業から収益が上がり、またその借金を返済するような見通しがなければ、そういう事業をすることは無謀であるということになりますが、政府はもちろんこの公債発行によって得た収入をそういうふうに使うということはできない関係にもあるかと思うのでありますが、しかしながら、少なくともこの公債発行によって得た資金を使う場合においては、借金によってこの事業を行なうんだという観点から、なるべくこの支出の対象というものを限定することが望ましいのではないか。そういう意味におきましては、公債発行公共事業費等に充てるためにだけ限るということではなくて、さらに公共事業費というものの中でも、いわゆる建設的といいますか、資産が残るといっても単なる資産ではなくて、何らか経済的な用益がそれから生み出されてくるというような、かなり狭い意味での建設的な支出にこれを限るというもう一つ狭い限定があるほうが望ましいのではないかと、こう私は考えております。この予算の節の中に出てきます公共事業費公債収入が充てられた支出というものを拝見いたしますと、非常に種類が多いし、また、出資金貸し付け金の中には、こういうのは今後ますます出てくるものでないかという感じを与えるものがあるわけでありまして、以上のような点について疑問を持つわけであります。  さらに、もう一つ歯どめの問題でありますが、政府方針によりますと、公債発行市中消化に限って行なうというふうになっております。市中消化ということばは、その意味が非常にいろいろあるんだと思うのでありますが、かつて高橋是清大蔵大臣もこのことばを使ったわけでありますが、その場合における市中消化という意味は、これは日銀引き受け公債市中に売却するという意味であったと思うんです。もちろん、このたびここで使われているこのことばは、それとは全く反対でありまして、この公債発行日銀引き受けによらないという、そういう意味でこれを使っているものと思うのであります。  私はそういう解釈で考えていくわけでありますが、そういうふうに政府限定したのは、先ほどのフィスカルポルシーの問題に関連しますけれども、景気が回復して市中金融機関産業貸し付け増大していくような場合には、公債発行が困難になる。その場合には、政府はやむを得ず公債発行をあきらめて、あるいは削減しなければならないということになるから、自然にこの公債発行が縮小されて、フィスカルポリシーはいわば外部的に行なわざるを得なくなる。だから、それが一つの歯どめの方式なんだ、こう考えているものかと思います。確かに理屈というものを見ますと、いわゆる市中消化方法をとって公債発行いたしますと、この公債発行については政府がこれだけ発行したいという希望を持ちましても、そういうふうにはできないような情勢が出てきて、そしてそれが歯どめになるというふうに考えられるわけであります。そしてそう考えることにつきましては、これは現在の事情からいって、それはもっともな考え方であるというふうに考えます。つまり、現在の金融構造金融事情からいいますと、この市中消化という方法公債発行する場合には、確かに狭い限界というものがそこにあると私は考えるわけです。  なぜそう考えるかといいますと、一つには、公債市中発行する、いわゆる消化するためには、まずこの市中、特にその主要なる都市銀行等金融機関余裕資金というものがまずなければなりません。ところが、この市中におきましてはそういう余裕資金がすでにあるのかどうかということにつきましては、これは見方はいろいろあるでしょうけれども、そう余裕がないというふうに考えるのが一般であるかと思うのであります。また、公債発行の場合におきましては、それに市中が払い込むのはいわゆる現金でありまして、この現金というものは市中銀行あるいは市中機関というものはそれほど余裕あるように持っていないのが常であります。そしてその持っていないという状況は、市中銀行等外部借り入れ金が非常に大きいということからも知られるところであります。  ある銀行の方でありますが、そう言っておりますのは、そういう事情でありまして、それによりますと、都市銀行というのは、金融機関相互決済の準備のために日銀預け金を持っている。これがいわゆる現金の持ち金であります。したがって、市中には余裕現金というのは全くない。何らかの形で市中以外のところから現金追加供給がない限り、国債購入のための現金というものは市中から調達することはできないというふうなことを述べております。ここで言われておるようなことばどおりにこれを受け取っていいかどうか、これは多少考え余地はあるかと思うのでありますが、大勢としてはこういう状況ではないかと思います。こういう状況のところで公債発行するとすれば、すぐ限界といいますか、壁にぶつかるということは見やすいところであると思います。  次にまた、わが国の銀行、特に都市銀行、国債発行の主要な引き受け手になるところの都市銀行の業態というものを見ますと、日本銀行というのは、その業態がいわゆる商業銀行というようなものではなくて、産業資金あるいは産業界の投資のための資金をまかなう、そういう金融機関になっているわけでございます。でありますから、この銀行におきましては、景気が動く、あるいは景気がよくなるというふうなときには、わりあい急速に産業界からの資金需要というものが集まってくる、そういう関係にあると思うのです。そういうところが公債発行の引き受けのおもな機関となっているわけでありますから、政府景気振興策というのがうまくいって景気が上向きになる、あるいはかなり急速に景気がよくなってくるというような場合でありますと、この産業界からの資金需要と政府公債発行のための資金需要というものが、この金融機関のところで競合して、その関係から政府公債発行が困難になってくる。また、少なくとも現在の発行条件では、これを円滑に進め御ないというふうなことになるであろうということが想像されます。そういう意味におきまして、また公債発行というものの前途には狭い限界があるということが考えられるわけであります。  それから、第三の問題は、いわゆる資金偏在の問題でありまして、この財政資金を吸い上げる金融の部面と、その財政支出がなされてそこに資金が蓄積されるような部面とが食い違っている。全く食い違っているわけでありませんが、主として資金を吸い上げるところはより少なく財政資金が入ってくる、こういうふうな関係にある。これが資金偏在であると思います。  この資金偏在の問題につきましては、最近では地方銀行などからこれについての反省をうながす文書などが出ておりまして、なかなかこの実態の把握はむずかしいところであると考えるわけでありますが、しかしながら、財政支出が現状のようであり、また、特に財政投融資増大し、公共事業費等増大するような傾向のもとでは、この資金偏在のもとというのは改まっていない。また、したがって、資金偏在という現象が起こってくるであろうということが言えるわけであります。でありますから、たとえ経済状況がよくなり、産業資金の需要が都市銀行に急激にあらわれないにしても、主として都市の金融機関から公債によって資金を吸い上げる、そしてその支出がもとに戻ってこないということであれば、公債発行していく中でおのずから発行についての困難が加わる、その限界があらわれてくるであろうということが考えられる。  で、以上のように、公債発行市中消化で行なうということについては、それは本来狭い限界の置かれるものである、その発行については狭い限界があらわれてくるものである、こういう方式であると見られるわけであります。  しかしながら、私は疑問に思いますところは、そういう理屈で考えられ、予想されるような限界が実際にあらわれ、そして公債発行がそれによって制約される、縮小するということになるのであろうかどうかということであります。といいますのは、公債発行を行なう場合に、これを円滑にする、あるいは発行しやすくするために行なう種々なる金融の技術というものがあるわけでありまして、これはすでに御承知のところと思いますが、あえて二、三つけ加えて申し上げますと、簡単にいいますと、それは財政支出先行方式といいますか、簡単にいえば、財政支出をまず行なって金融面に資金余裕をつくる、この余裕ができたところで公債発行する、こういう方式が、きわめて大まかな意味でいえばこの限界を破る金融技術であると私は判断する。この財政支出先行でありますが、それにしても、先行するためには財政収入がまずなければならない。この収入がない場合には、これはまず政府が短期証券、大蔵省証券等々を発行して、日銀にこれを引き受けさして、それを日銀の信用を使って政府財政支出を先行させる、これがこの方式一つの精髄でありますが、こういう方式をとりますと、いまの限界というものは限界としてあらわれることもなく、また、たとえあらわれたにしても、この技術をもって解消、その結びを解きほぐすことができるというふうに私は考える。  また、資金偏在の問題でありますが、これにつきましても、資金が豊富になってくる金融の部面と、公債発行を引き受ける主要な金融部面との間にパイプをつくる。これは簡単に申しますと、主としてコールのルートでありますが、これをつくって、この流れをよくする。そして産業資金の需要が増大したような場合には、このパイプを通してコールを都市の銀行あるいは都市の金融市場に流し込んで、金融機関の手元逼迫を緩和するというような方式もあるわけであります。このためには金利の問題がひっかかってくるわけでありますけれども、政府は、あるいは日銀は、この金利の調整ということをなし得る力を持っている、あるいは日銀はそれだけの力を持っているのが現状ではないか、こう思います。これによっても解けますし、また、一時的な産業資金の需要、あるいは公債を引き受けたために産業資金をまかなう上では窮屈になったといったような、この金融機関の逼迫に対しては、日銀が買いオペを行なったり、また面接貸し付けをふやしたりしてこれを緩和することができる。  こういうような技術が多々あるわけでありまして、すでにこの四十年度公債発行にあたりましても、こういう技術がとられていることは御承知のとおりであります。こういう金融の技術というのは、日本におきましては実はかなり古くから発達しているといいますか、そのわざがみがかれてきているのではないかと私は思うのであります。公債のいわゆる公募の歴史というものを振り返ってみますと、日本において金融市場あるいは銀行の預金額よりも大きいくらいのいわゆる公債の公募というものが行なわれた例を見ることができる。これは非常に妙な話でありますけれども、しかしながら、それでもあるときの預金の残存高よりも大きな額の公債発行が行なわれた。これはどうして行なわれたかといいますと、そういうふうな金融技術、もしくは財政支出先行主義というものが行なわれたために可能であったということを言うことができるわけであります。  私は、先ほど申しましたように、公債市中消化というものは公債発行の歯どめであるということをよくいわれているのを承知いたしますが、しかし、その限界というものは、以上のような金融技術をもってこれを解消することができるというふうに思いますし、またすでに行なわれているというふうに感じます。そうしてみますと、公債発行限度がどうして出てくるか、先ほど申しましたいわゆるフィスカル・ポリシーの日本において行なわれた、またどこでその財政の縮小が可能であるかというその転換点、見通しというような点について、われわれは見通しを持ち得ないような現状においては、公債発行は今後ますます増大する、増大することについては何ら障害が起こらないというふうな心配を持つわけであります。  しかし、その結果はどうなるか、これはまあなかなかむずかしい問題でありますが、人によっては、これはいわゆる信用インフレーションが起こるという見方もありますし、信用インフレーションというのはインフレーションではないかどうか問題でありますが、少なくともそれは物価騰貴との関連を深く持ついわゆるインフレーションにつながるという問題になってくるものと思う。この点はここで非常に大まかでありますが述べさせていただきたいと思います。  時間が少し超過いたしまして申しわけありません。非常にざっぱくな意見を申しましてお聞き苦しかったと思うのでありますが、よろしく。これで終わります。(拍手)
  5. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ありがとうございました。     —————————————
  6. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) それでは、次に羽間公述人にお願いいたします。
  7. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) 私は、昭和四十一年度予算に関する公述にあたりまして、現段階における物価問題の性格と政策の姿勢という点を中心に、意見を披瀝してみたいと思います。  私がまず指摘したいのは、物価の問題はいまや単に経済の問題であるばかりではなく、むしろより多く政治の問題でもあるということであります。少なくともそういう観点に立たなければ、いまの物価問題を考え、対策の方向を見出すことが困難だということであります。  私は、このことを三つの面からとらえてみたいと思います。  まず第一番に、物価問題は国民生活に密着した問題であります。米価、生鮮食料品の価格や公共料金の値上がりの影響は申すに及ばず、地価の高騰は住宅問題の解決を国民の手の遠く及ばないところに追いやっているのであります。このように物価高はわれわれの身近にあり、いまや国民大衆の中に、一つの既成観念として溶け込んでいるのであります。つまり、物価問題は、国民大衆の生活感情に根ざす社会問題としての様相と高まりを持っているのであります。したがって、それは国民に対する経済的、理論的の説明のみによって納得させることはできず、政治的な方法、つまり、現実の政治、政策の効果の実際をもって納得させなければならない種類の問題であります。これが物価問題の現象面から見た政治的側面であります。  第二番目に、物価問題は政治のあり方に密着した問題として意識されているという点であります。つまり、今日の物価高とそれに基づく生活の不安定は、政府政策の結果としてもたらされたと一般に意識されているということであります。過去においては、生活の困難は、より多くその個人の能力、失敗、ぜいたくな生活の反動、たまたま勤務している会社の経営不振など、いわば個人的関係に帰する原因に基づくものが多かったのであります。しかし、いまや生活不安は、個人の責めに帰せられるよりも、政治、政策のあり方のせいに圧倒的に帰せられているのであります。それは、どうしてそうなったのであるか、私はこれについて、便宜上、物価高を一般的な物価水準の上昇と個別価格、料金の値上がりの二つに分けて考えてみたいと思います。  物価水準の上昇とは、景気情勢によってもたらされるインフレ化の問題であります。これに対して個別価格、料金の値上がりは、商品生産やサービスのコスト高とその実現の問題であります。そして、物価問題の今日の段階におきましては、一般的な物価水準の上昇も、個別的価格料金の値上がりも、ともに政治、政策の不首尾の結果もたらされたものと意識され、しかも、そう見られるべき相当の根拠があるのであります。  まず、一般的な物価水準の上昇についてであります。これは分解すれば、個別価格料金の値上がりの集積といった面も持っておりますが、本質的には、通貸と物との相関関係によってもたらされます。つまり、インフレ化傾向によってもたらされるものであります。最近までの情勢において、経済成長政策は一種のインフレ的政策であったがゆえに、それが一般的な物価水準の上昇を招き、広く国民生活を圧迫するに至ったといえるのであります。もっとも成長政策にも、一つの大きな時代的意義があり、それが日本経済の進歩拡大に積極的役割りを果たしたことは事実であります。しかし、その副産物として物価水準の上昇を置きみやげにしていったのであります。これはとりもなおさず、その限りにおいて、過去における政府の責任に帰すべきものといえるのであります。また、今日の段階において、佐藤内閣は不況克服のため国債政策を導入し、大型予算を組んでいます。これは不況克服のためやむを得ない財政の姿であるかもしれません。しかし、国民大衆の生活の側から見れば、インフレ化による物価水準の上昇を通して国民化活が圧迫されるのではないかという不安をかり立てているのであります。つまり、ここでは今後の物価水準のあり方、国民生活のあり方が今後における政治、政策の責任として意識されているのであります。  次に、個別価格料金の値上がりと政治、政策の責任の関係であります。個別的な価格料金の値上がりは、さきに述べましたように、個別の商品あるいはサービスのコスト高とその価格への実現の問題でありますから、通常は個別企業自体に関係した問題であって、政治、政策には責任がないと考えてもよさそうなものではありますが、実情はそうではないのであります。そのことはいろいろな面から見られます。最も面接的には、米価は政府の米価政策によって左右されます。公共料金は政府がその手綱を握っております。また、純民間的な分野において、カルテルや管理価格によって下がるべき価格も下がらないという状況は、政府の産業政策のあり方に責任があります。公取委員会の監視の目にも関係があります。また、別の面で個別的コスト高の価格への実現には、その背景としてインフレ的傾向にある経済情勢が予定されるという意味において、これも政府財政金融政策のあり方につながります。さらに、生鮮食料品や環境衛生関係の価格、料金の値上がりの有力な原因として、労働力不足、労働賃金の上昇が指摘されていますが、これもせんじ詰めれば、高度成長政策のもたらした経済構造的ひずみの結果とされ、やはり政策の責任に帰せられています。要するに、一般的物価水準の上昇も、個別価格料金の値上がりも政治、政策に密着しているという    点において、物価問題は、政治の問題でもあるわけであります。  第三番目に、物価問題の政治性には、また別の一面があります。それは、物価高の影響は、所得の高低によって相異なった強さで響くということであります。特に国民の一部、日の当たらない層にはきびしく響くのであります。今日の物価高は身近な部面、つまり生活の基礎を構成する部面において強くあらわれているだけに、生活保護者、年金生活者あるいは低所得者の層に対して、その生活を強く圧迫しているのであります。働くことのできない人々や、働いても最低生活を維持することが困難な人々の生活を保障するのは、社会の責任であります。この意味でそれは政治のなすべき仕事であり、そこに物価問題のまた別の意味の政治性があるわけであります。  以上述べてきましたのは、物価問題の政治性、特に物価問題における政治、政策の責任と、そのよって来たる理由についてであります。しかし、見方を変えて、現実経済は、今日の自由主義を基調とする経済体制において、政治、政策のみによって、絶対的に決定的に左右されるものではありません。実際に経済をにない、日々動かしていくものは、民間の企業であり、また、消費者としての国民大衆であります。今日の実情において、経済における政治、政策の影響力、支配力が相当に強いことは、さきに指摘したとおりでありますが、民間経済界や国民大衆の経済生活によって左右される部面もまた、相当に大きいのであります。いわば方向は政治、政策が示し、大きなかじは政治、政策がとるが、そのワク内の現実経済の運営は、民間経済界と国民の消費態度に大いにかかっているのであります。  ひるがえって物価の問題は、一国の国民経済の全般的なあり方に関連する問題であることは明らかであります。そこで、物価高の問題も、あえて政治、政策のみに帰すべきことではなく、国民経済の有力なにない手である民間経済界及び国民の大衆の側に帰すべき要因のあることは否定できないのであります。たとえばカルテルや管理価格によって下がるべき価格も下がらないといった状況は、さきに政府の産業政策によるところ大きい面を指摘しましたが、直接的にはそれを構成する企業ないし経営者の認識と態度の問題であります。この意味で、物価問題における民間企業に帰すべき責任もまた、明確に指摘されなければならないのであります。  また、国民経済のもう一つの大きなにない手である国民大衆の消費態度も、物価高に無影響ではありません。戦後の経済民主化によって、国民の所得水準は上がり、所得の平準化は農村、都市を通じて進められたのであります。また、労働組合の発展は、賃金水準を上げるのに力があったのであります。こうして国民の消費購買力は、大勢として増大し、消費水準は大きく高まったのであります。家庭電化ブーム、レジャーブームの高まりは、その象徴的な傾向であります。今日、理髪代やふろ代の引き上げ、とうふや牛乳の値上がりがやかましく叫ばれています。その半面において、ビヤホールは繁昌し、週末旅行は往年に比較できないほど普及しています。とうふ代の値上がりをかこつ人とビヤホールでビールをあおる人と必ずしも同一人でないかもしれません。しかし、社会の大部分の人々が構成するある層において、両方の動きがあるということは、社会的に見て、同じ一人が両方の動きをしていると見て差しつかえないのであります。この場合、さきにあげましたいわゆる日の当たらない階層の人々のほんとうの意味における困難さについては別であります。つまり私が指摘したいのは、物価荷には、国民の消費態度、しいて言えば節度を失した消費態度にも反省すべき点が大いにあるということであります。国民生活水準の上昇はもちろんそれ自身喜ぶべきことでありますが、それが消費物資に対する需給関係を通じて物価水準の上昇を促したということであります。このように物価高をもたらした責任は政治ないし政策、民間経済界、それに国民大衆の三者にわたって、それぞれ各様の形で、それぞれの重さによって認められなければならないと思うのであります。しかも、なおかつ今日の段階において、物価高の責任を政治ないし政策と民間経済界、特に基幹産業の管理価格とカルテルに帰しようとする国民感情が現に根強く存在し、しかもそれが大きく支持されているのはどういうわけであろうか、このことは重要であり、私はこのことのうちに現段階の物価問題の本質がひそんでいると思うのであります。また、物価問題克服の方向もこのことに思いをいたすところから見出されてくるのではないかと思うのであります。それはどういうことであるかといいますと、私は三つの点を指摘したいと思うのであります。  第一は、成長政策以来、わが国の政治、政策の顔は産業界のほうに向けられるところがあまりにも多かったということであります。  第二に、その結果として、国民は常に政治、政策の配慮の外にあると感じるに至っているということであります。  第三に、そのため政治に対する国民の信頼感が薄らぎ、あらゆる矛盾と混乱を政治の責任に帰しようとする風潮が起こってきたということであります。  まず、成長政策国民所得倍増をスローガンとしてスタートしたとは言え、その実質は基幹産業の育成拡大を主眼として展開されたのであります。その結果、雇用は増大したけれども、労働力の各分野における配分のアンバランスを生じ、農村や中小企業部門の人手不足が顕著になったのであります。それが個別価格、サービス料金値上がりの一つの有力な基盤となっていることはさきに指摘したとおりであります。また、一般的な物価水準は上がり、それらが相まってやがて実質消費水準の低下をもたらし、生活の悪化傾向を促進したのであります。そしてこの部面における対策が閑却されていたということであります。つまり基幹産業の拡大発展こそ達成されたが、その余波としての国民生活への、圧迫については配慮されるところがあまりにも薄かったのであります。また、管理価格やカルテルの問題あるいは公共料金の問題の処理にあたっても、政府は生産者ないし企業の利益の擁護を強く打ち出し、その反対の側にある消費者の利益はむしろうとんじられた感が強いのであります。こうして消費者としての国民は政治、政策の保護の外にあるという印象を深くするに至ったのであります。もっとも消費者といえども何らかの形で生産者であり、あるいは生産企業につながりを持つものであります。しかし、一部高額所得者層を除いて、働く者は要するに消費者としての立場をより多く持っているのであります。したがって産業保護、生産者重視の政策は大多数の国民にとって片手落ちの感がするのは当然であります。そしてこの結果が国民の政治に対する不信感を招いているのであります。それが物価高による生活の不安定に対する大きな不満としてあらわれているのが現状であります。このような情勢を背景として、政治問題的色彩のきわめて濃厚な物価問題を克服する道はどこにあるかということであります。答えはおのずから明らかであります。  まず、大前提として、政治、政策の姿勢を国民の利益を重視する側に向けることであります。さきに申し述べましたように物価問題は一国の国民経済のあり方の反映として、あるいは帰結として生じてきたものであります。これを克服するためには、全国民経済的な総合的な立場から臨まなければならないのであります。そしてその大前提となるのが政治のかまえ方、政治の姿勢の問題であります。要するに政治は国民の利益とともにある。政治は産業を擁護するだけではなく、国民の利益の擁護をも大いに視野に入れて運営されているのだということを実行をもって示していくことであります。これによって国民大衆の政治への信頼感を取り戻していくことがまず必要なのであります。具体的には土地の問題、住宅の問題、カルテルの問題、生鮮食料品の問題、公共料金の問題、すべて国民の利益を守る立場から要所要所必要に応じ、時を移さず手を打っていくことであります。政治の目を産業ないし生産者一辺倒から国民ないし消費者の側に置きかえることによって打つべき手はおのずから出てくるし、知恵もおのずから出てくると思うのであります。そしてそれを実行していくことであります。このように国民の信頼感を取り戻すことが物価問題の克服にどうつながっていくか、まず国民の生活が安定すれば国民の消費生活は合理化され、節度あるものとなっていくことが期待できると思います。また、貯蓄心も高まっていくと思います。政府の国債政策の円滑な運営には国民の貯蓄心に待つところが圧倒的に大きいのであります。しかし国民の今日の生活が安定せずして貯蓄心をかり立てることができない、また、国民生活のあすが保障されずして国債の消化を国民に呼びかけることはできないのであります。また、カルテル問題、その他を国民の利益の側から再検討していくことによってほんとうに経済の合理性にのっとった経済の運営、正しい競争と協調のあり方が生まれ、これが物価問題の克服に役立つとともに、ひいては国民経済の発展にプラスになっていくと思います。カルテルや管理価格はもちろん業界の安定を通じて国民経済の安定にプラスの役割りを果たすものでありますが、それが安易に流れるとかえって業界ないし企業の合理化を怠らせることとなり、合理的経済的な自由経済の発展を妨げることとなるのであります。わが国の基幹産業は、遠くは明治の業産革命以来、近くは戦後経済の復興発展の過程において政府依存による他律的な発展の道を歩んできたのであります。そして、そのような安易な発展のあり方は、えてしてみずからの経営の不合理不経済に基づく不健全性をカバーするため、国民ないし消費者の利益をそこなう結果に陥りやすいのであります。これを国民の利益擁護の立場から是正し、画検討していくことも日本経済発展への一つの大きな道であります。また同時に、物価問題の基本的解決への道でもあると信ずるのであります。要するに、戦後の日本経済は、政府も民間経済界も国民大衆も、ひたすら進歩と向上に向かって走っていったのであります。そして相当の成果をおさめて今日に至ったのであります。しかし、その結果、経済、社会の構造的ひずみという副産物を得たのが現段階であります。ここにおいて日本経済は調和、調整を求めるべき関頭に立たされているのであります。そのためにはまず政治も経済も姿勢を正すことが肝要であるということであります。  私の公述はこれで終わります。(拍手)
  8. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ありがとうございました。     —————————————
  9. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) それでは公述人に御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  10. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 渡辺先生に簡単に三点お伺いいたしたいのであります。  第一点は、公債発行を中心とする四十一年度積極財政なんでございますが、公債発行についてはもう先生が言われましたように、私どももそれ自身いいか悪いかを抽象的に議論いたしましても全く意味がないと思っております。具体的に日本のいまの政治経済の体質のもとで、どういう形でどれだけの公債がどういう条件で出されるか、そういうことで具体的に判断しなければならぬと思うのであります。  第一の質問は、先生がフィスカルポリシーにおのずから限界があるんだと言われたんですが、私は四十一年度政府公債発行を中心とする積極財政を見ますと、不況対策についてはもう公債発行による財政政策に、私に言わせれば一〇〇%依存しておる、こういう状態である。ですから、何でもフィスカルポリシーによってこの不況を打開する、どういう形になっていると思うんですね、この点がフィスカルポリシー限界をこえているのではないか、そういう点ですね。と申しますのは、政府は、従来の不況考えた場合、金融を抑え、金融をゆるめると自律的に景気が回復した。ところが、今回はそうはいかない。また、設備投資の拡大にも頼れないし、また、個人消費も伸びない。だから財政によってのみこの過剰出産の不況を打開するほかない、こういう認識なのです。私は、個人消費とか、あるいは金融の面にもっと不況対策として嘱目すべき点があるのではないか、こう考えるのです。あるいは、また、いろいろな労働対策なり厚生行政なり、その他いろいろな面に。ただ公共事業費をふやすためにうんと公債発行して、土建業者や、あるいは鉄の会社とかセメントの会社をもうけさせるというような、それだけでは私はいけないのではないか、こう思うのです。その点が一つ。  第二は、歯どめ論ですが、先化のお話によりますと、国債の市中消化をしただけでは歯どめにならないということですが、私もたくさんしり抜けがあると思うわけです。そのしり抜けの一つとして、先生から、財政支出先行として大蔵省証券の発行等を言われましたが、もう一つ、国会の論議の過程におきまして、四十一年度発行した公債を、日銀は、日銀規約によって、一年間は買いオペの対象にしない。また、実際問題として、貸し付けの担保にも一カ年間は取らない、こう政府は言っているわけです。そうなれば、これは日銀引き受けにならないからインフレにならないと、こういうふうに理解されやすいのですけれども、しかし、銀行はほかにいろいろな有価証券を持っていますから、たとえば電力債とかその他持っていますから、ほかの証券を持っていけば日銀担保でこれを貸し出してもらえますし、また、今年度発行した公債以外の証券を持っていけば、やはりオペの対象になると思うのです。その点でもやはりしり抜けになるのではないかというが第二点です。   それから、第三点は、四十年度の補正予算として公債二千五百九十億を発行しましたが、これは歳入補てん公債と呼ばれていることは先生御承知のとおりです。この二千五百九十億の赤字は四十年度だけでなく、これは増税によってまかなうか、支出を削減して整理するかしない以上は、四十一年、四十二年にもずっと後年度にこの赤字が残されるものと思います。四十一年度の七千三百億の公債発行の中には、こうした赤字処理のための公債も含まれているのではないかと、こう思うのであります。そうなりますと財政法違反の問題が起こってまいりまして、そういう赤字に対する公債財政特例法によって四十年度発行したのですが、四十一年度は特例法はなくなるわけなんです。そうしますと、二千五百九十億の赤字、七千三百億の中の二千五百九十億については、やはり財政法違反ということが出てまいると思うのですが、その点についての御意見を伺いたいのであります。
  11. 渡辺佐平

    公述人渡辺佐平君) 木村先生の御質問にお答えしたいと思いますが、第一点は、フィスカルポリシーを行なう場合にも限界がもちろんあると同時に、財政支出の面についてなお拡大すべきそういう支出の項目があるのじゃないかというようなことで、それについての私の考えを求められたのだと思いますが、これはフィスカルポリシーによって景気を振興するというときに、よくギャップですか、デフレのギャップといいますか、消費が不足する、需要不足ということが言われていたかと思うのでありますが、これを埋めるというのが看板であります。どこで埋めてもいいように思うのでありますが、そうして政府はこの埋める方式として公共聖業というところにしぼったようになっているわけでありますが、しかし、どうせ財政支出を拡大するならば、直接国民の生活を補い、あるいは困窮した人の生活を直接的に助ける、こういう支出があるのじゃないかというようなお話だったと思うのでありますが、私やはり先ほど申しましたように、公共事業費のためにだけ公債発行するといいましても、実際はそれによって公債発行限度ができるといったような関係は少ないと思うのでありまして、どうせ支出をふやすならば、そういうふうな支出のしかたというものもあり得るのじゃないか、木村先生のお考えのように思うのであります。もちろんこれにも限度というものは考えなければならないと思うのでありますけれども、方向としてそういう方向があり得るはずだと、こう思います。  それから、第二は歯どめの問題でありますが、やはり新発公社債等を買いオペの対象にしない、あるいは、さらには日銀の貸し出しの担保にとらないという方針だというわけでありますが、もしこれが守られたにしても、ほかの証券でこれを行ない、買いオペ、担保をとっての貸し付けを行ないますれば歯どめのしり抜けになる、確かにそうでありますが、ただ、私は、それにしても、いわゆる政保債とか、新発債でないそういう証券がだんだん窮屈になって底をつくというようなことが起こるのではないか。そこで、新発債をあるいは一年以内は買いオペの対象にしない、公社債につきましては新発のものは買いオペの対象にしない、担保にとらないという、この方針がはたして今後厳重に守られるものであるかどうか。これは法的な土台は日銀の内規のようなものかと思うのでありますけれども、これは改正できるのじゃないか、そういう心配さえも考えるわけであります。木村先生よりはさらにしり抜けの心配が多いように考えるわけであります。  それから、第三は、この四十年度公債発行は赤字公債発行、四十一年度はそうでないと言うけれども、実質的にはそういう意味のものがここにあるのじゃないか、そういう解釈が多数じゃないかというようなお考えだったと思うのでありますが、私は、形式的には公共事業のために公債発行するということになっておりますが、この公共事業費、あるいは公共事業という項目、あるいは出資、貸し付けという項目の中にいろいろなものを入れて、本来いままで租税収入でまかなっていたものをどんどん——どんどんというと言い過ぎかもしれませんが、いわばやはり実質的な意味においてはそういうふうになるおそれが非常にある。現在までのそういう財政投融資とか公共事業費の項目を見ますと、そういうふうにしてふえてきた傾向が見られると思うのでありますが、その京につきましては、これはことばの問題のようでありますけれども、実質的にはそういう傾向があるのじゃないか、私もそう考えるわけであります。
  12. 塩見俊二

    塩見俊二君 簡単なことを渡辺先生にちょっとお尋ねしたいと思います。  日本経済の現状におきましてフィスカルポリシーが望ましいという先生のお考えには、まず私も同感でございます。それから、さらに日本経済の総力といいますか、そういった力なり、あるいは日銀はじめ、金融機関の現状なり、あるいは公社債市場の整備等の問題なり、いろんな条件によって制約をされて、したがって、公債発行の量というものがそういうふうな条件で制約をされるという、この点も私も全く同感でございます。そこで、そういう前提でお伺いをしたいわけなんですが、よく今回の公債発行にあたりまして、あるいは一兆円公債、あるいは五千億減税というふうな声が出ましたり、要するにフィスカルポリシーが望ましいという立場からの議論からいたしますると、そういったような議論、あるいは、また、いまの七千億の発行額ではフィスカルポリシーとしての役割りを果たすのにまだ不十分じゃないかというような議論も相当に多く聞かれるわけであります。私は寡聞にして七千億が非常にこれは過大である、つまり現状では非常に大き過ぎるんだというような議論がわりあいに量の問題としては少ないように思うのでありますが、そういったような条件から、明年度の一年に限りまして、日本の現状から見て七千億のこの公債の量というものが、まあ先生のお考えでは、そういった条件のもとにおいて非常に大き過ぎるとか、あるいはこれじゃ少ないとか、いろいろお考えがございましょうが、まずその点、この壁というものがどういうものであるかという、その点のことをお伺いしたいと思います。
  13. 渡辺佐平

    公述人渡辺佐平君) お答えいたします。  七千三百億の公債発行が過大なのか、あるいは逆に少ないということなのか、これについての私の見方を申せという御質問であったかと思うのでありますが、私は、簡単に申しますと、先ほど申しましたように、フィスカルポリシーは望ましい政策と言われるけれども、いわゆる日本的なフィスカルポリシーというのは、財政を膨張させる場合には、そのことばどおりフィスカルポリシーである。縮小するようなことのない弾力性といいますか、それが少ないフィスカルポリシーじゃないかと、こういうふうに申した。ただ景気を振興させるという、そういう観点であれば、いわば公債発行を大きくすればいいということは言い得るかもしれませんけれども、この判定というのはなかなかつきにくいだろうと思います。需要の不足が何兆と言われており、その何兆の数字もさまざまであるところから、これを全部埋めるわけにはもちろんいかないと思いますし、どのくらい発行すればこれは一応埋まるんだという計算は、これは私も算定できないのでありますが、ともかく現在在の金融の情勢、あるいは構造から言いますと、七千億がすでにこの限界を破らなければ発行できないような額ではないかということを申し上げたわけです。そういう意味においては、このフィスカルポリシーという見地から言えば、額がどれぐらいあれば望ましいかという算定は私は立てられませんということに一応はなるのかもしれませんけれども、そういうことじゃなくて、現実に行なわれ得る公債発行としては、これは限界を破らざるを得ないそういう発行ではないかということを申し上げたわけです。
  14. 鈴木強

    鈴木強君 いま最初にあれですか、渡辺先生のほうを全部やってから羽間先生に……。
  15. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) いや、お二人についてどちらでもいいわけです。
  16. 鈴木強

    鈴木強君 それでは羽間先生にお尋ねいたしますが、いま日本国民が税金と物価高に苦しめられている、これはもう率直なことだと思うのですよ。そこで、物価の問題について先生のお話を伺ったのですが、問題は、生鮮食料品なんかの場合にやっぱりガンになっているのは、一つには流通機構が非常に複雑である、こういう点があげられると思うのです。私はちょっと調べてみたのですが、たとえば千葉県産のトマト一キロをとってみると、出産者価格が十九円、それから、その間のマージンが中央卸売市場三円、それから小売りマージンが二十一円七十銭、出荷経費が十三円、卸売り価格が三十五円、結局小売り価格は五十六円七十銭、こういうことになった。したがって、流通費用として三十七円七十銭というものがかかっておる。こういうふうなことを見ますと、何とか生産者から消費者に段階的にもう少し簡素化して改良を加えてやるならば、物価の面がそれだけ少なくなると思う。あまりにも流通機構が複雑なためにそういう中間的な費用がかかっている、これがはっきりすると思う。牛乳なんかを見ましても、庭先価格で一合七円というものが、普通牛乳十八円、ホモが二十円、コーヒーが二十一円、フルーツが二十二円、ヨーグルトが二十一円、こういうふうに、非常に生産者価格より高い。これがすべて中間的な流通費用がかかっているのですから、私は、こういう点をぜひ簡素化しなければならぬと思う。これはいま始まったことじゃなくて、長い懸案でありますが、なかなかうまくいかない。こういう点について先生は一体どういうふうにしたら一番よいかという御構想があったら承っておきたいと思うのです。  もう一つは、農産物の自由化に伴う問題でありますが、それとの関係で、もちろんこれは消費者の購買力というものを強めていくということが、現在のような需給のバランスが非常にあり、供給力がありましても、いまのように押えているそういう片ちんばの日本農業の構造の中で、やはり自給力をふやすことが大事だと思う。そういう場合に、すでに九八%近い農産物の自由化というものが実施されている。したがって、自由化されることによって国内の農産物の価格というものが一体下がっていくならいいのですけれども、現状維持ないし非常に上がっていくという傾向も物によってはあるわけですね。ですから、そういうものが作用いたしまして、日本の国内におけるそういった農産物等自由化されて入ってくるものとの間にいろいろな摩擦が起きてくる。ですから、自由化によって一体日本の消費者価格にどういうふうな影響を来たしているのか、こういう点をひとつ、御勉強だと思いますから、承っておきたいと思います。
  17. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) 初めの問題ですが、中間段階におけるマージンによって生きている人々が相当あるわけでありまして、これを急激に簡素化するということも非常にむずかしいことであります。やはり総合的に見まして日本経済全体の合理化というものを進め、そうしてその流通段階の簡素化によってあふれ出た人々が、より生産的な方面に生きていけるような、そういうような体制にならなければ、こうした矛盾は日本経済の深いところにひそんでいる矛盾のあらわれであって、なかなか容易に解決できないのではないか、そういう感じがいたします。よく公営その他で流通が簡素化され、そうして中間マージンが少ない機構をつくればいいということが言われますけれども、そういうことも規模において、相当思い切った規模でなければならないし、それははたして、自由企業との間に摩擦がまた新たに副産物として生じてくるし、やはり部分的には、そういう簡素化の必要も認められますし、ある程度のことはできるかもしれませんけれども、長い目で、日本経済の蓄積の増大とか、それから労働力の配分が円滑にいくような素地ができるとか、そういうふうな長い目で見なければ、非常に一挙に解決というぐあいにはいかないじゃないかと思います。しかし、どうしても必要な——一般的にはそういうことは言えますけれども、ほんとに国民生活に必要な野菜とか、そういうふうなものについては、これはその影響を、中間段階によるむだな経費の影響を受ける層が非常に大きいものでありますから、そういう点においては、やはり特殊の手が打たれてもしかるべきじゃないかと思います。  それから自由化の問題も、これは、これによって、それを生産している国内の生産者がやはり圧迫されますが、これも一がいに、あらゆる商品について、足りないものは自由化して、そうして国内の高い価格を引き下げる作用に期待するということも言えますけれども、それもやはりその自由化による被害者の生産者の立場ということも考えて、その辺はやはりかね合いといいますか、ケース・バイ・ケースで臨んでいくしかしかたないんじゃないかと思います。
  18. 鈴木強

    鈴木強君 いまのあとの問題ですけれども、自由化によって確かに問題が起きるのは、国内の生産者の立場を保護するということからいえば、そういう点に万全の配慮がないと問題があるということは、先生も御指摘になっておりますが、もう一つ、価格の面において、自由化された場合、九十数%の八%ですか、ほとんどという農産物が自由化されておりますので、したがって、それとの関係で消費者物価というものがどういうふうになってくるか。具体的に言うと、自由化によって物価が下がっていくのか、あるいは現状維持なのか、多少上がるところもあるのか、これはいろいろ画一的には一声には言えないと思いますが、そういう大まかな点について、いまの日本の現状から見る貿易自由化によって農産物が影響を受けるという点についてはどうですか。
  19. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) 一般的に考えますと、産業の特地主義といいますか、それぞれ適当な産物をそれぞれの地域で出産されるわけでありまして、それが合理的に特地化というものが国際的にあれば、それは自由化によっても、その産地の特殊性が、あるいは特色が大きく生かされておるということが前提でありますから、たいして影響を受けないのであります。しかし、保護政策によって無理やりに自由化をはばんできたものが自由化されたという場合においては、やはりその影響がありまして、それはやはり自由化というものが、大きな立場から世界経済発展のために必要であるという見方に立ちますと、自由化によって、それと同じものをつくっている生産者がある程度の影響を受けても、それはやむを得ないのでありまして、そうして、そういう生産者は、また別の日本の特殊性を生かした方面に生産の分野を転換していくとか、そういう一つの調整作用が当然起こってくるのではないかと思います。
  20. 市川房枝

    ○市川房枝君 羽間先生にお伺いしたいと思います。  いま物価の問題についていろいろ御意見を聞かしていただきましたが、物価の問題の根本はやはり政治の姿勢を正すことにあるという御指摘は、私も全面的に賛成なんであります。一つ伺いたいのは、これは非常にしろうとの考えでございますが、いままで卸売り物価というものが横ばいなんです。これは池田さんの時代から物価の問題が国会で議論されましたときに、いつも池田さんは、卸売り物価は横ばいだからいいじゃないか、小売り物価が上がるのは、サービス料が上がるから上がる、こういうことをおっしゃっておられるのですが、その卸売り物価が下がらないというのが、どうも納得がいかない。生産性が年ごとに向上しておるわけですが、そうすれば生産費が安くなっておるはずだ。そうすれば、それだけ卸売り物価は安くなっていいわけじゃないか。これはきわめてしろうと的にそう考えるのです。そこで、私は、交際費だとか政治献金というものに非常に興味を持っておるのですが、企業が交際費というもの、特に昨年は、ちょっと私が調べたのによりますと、五千三百六十四億円使っておる。前年よりも不景気だというのに、一八%ふえておる。それから寄付金の限度額のほうは、三百十三億円でありまして、五%ふえておる。これらはいずれも損金に算入されておるのです。まあ交際費の中にこれは限度を少しこしておるものが入っておるようですけれども、ほとんど大部分は損金に入っておる。そうすると、少なくとも、この二つの交際費と寄付金というものが生清貧の中に占めるパーセントというものは、一体どのくらいであるか。そうすれば、そのパーセントが、もし額が少なくなれば、私の聞いたのでは、約五%ぐらいを占めておるというふうに教えられておりますが、かりにこれを半分にすれば二・五%、それだけ生産費が少なくなる。そうすれば、それだけ卸売り物価を下げてもいいわけじゃないか。こういうきわめてしろうとの議論なんですけれども、その点に対する先化の考えを承りたいと思います。
  21. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) 生産性が上がっても卸売り物価は下がらないということでありますが、これは特に基礎産業の分野においては、相当生産性が上がっておるのであります。したがって、それを価格にだけ直結すれば下がるのがあたりまえだと思います。もちろん、そのときの市況関係その他ありますけれども、しかし、そう価格の引き下げというふうにすぐ直結しないところに問題があるのであります。それは、日本経済に資本の蓄積が足りないから、資本費というものは相当払っておるのであります。金利負担というものが大きい。それから日本経済は朝鮮動乱にも非常な拡大期に向かいまして、そうして、ばく大な資本を投下しておるわけであります。そうすると、生産性が上がったものを、そういうふうな資本費を下げる方面とか、それから拡大のためとか、そういう方向に投入していかなければ、企業として、あるいはまた産業として、国際競争力を高めることができないという、そういう事情があるのであります。したがって、需給関係、つまり、需要と供給の力関係によってぎりぎりの線を維持して、それ以上下げられる余地はほかの方面につぎ込んでいく、そういうふうな行き方が一般的になっておるのじゃないかと思います。  それから政治献金その他交際費、これは非常に不経済なあれでありますけれども、そこは日本経済の後進性といいますか、そういうふうな交際費をふんだんに使わなければ金も借りられない、普通の経済採算だけでは銀行がついてこないところを、何とかかんとかいろいろなつながりを求めて、そうして、半ば強制というわけでもありませんけれども、不経済な要素を織り込んで、そうして無理やりつじつまを合わせていこう、あるいは政府に対しても、やはり非常に業者が過剰でありますから、そこで競争関係で、できるだけ役所に接触したい、それからまた、政党関係でも、やはり政治献金を使って、そして自分のほうに有利なふうな政治のあり方を招きたい、そういうふうなことで、これは客観的に見ると、非常につまらぬ話でありますけれども、企業としては、それで一つ経済的な合理性、限られた合理性を持っているわけなんですね。したがって、これはやはり日本の資本蓄積がもっと高まり、そして日本の経営者が合理的に、そして民主的に、ものを考えるという風潮が行き渡らなければ、なかなかまとまらないのじゃないかと思います。
  22. 市川房枝

    ○市川房枝君 交際費、それから寄付金というものはやむを得ない……。
  23. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) やむを得ないというのじゃないんですけれども、そういうことが横行しているわけですね。よくないことだけれども、とにかく、そういうことで生きているということじゃないですか。
  24. 市川房枝

    ○市川房枝君 寄付金の場合、不景気だから、政府なり、あるいは政党なんかに寄付をしていく、そして仕事をもらうというか、もうけさせてもらうというふうなことですが、それは別なことばで言いますと、何かやっぱり、わいろみたいなことにとれるといいますか、そういうふうに思うのですけれども、先生の御意見はどうでしょうか。
  25. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) これは一つの観念としては、わいろだと思いますが、法律的に見て、それにひっかからないようなぐあいにやっているんじゃないですか。
  26. 田中寿美子

    田中寿美子君 羽間先生に御質問いたしたいと思いますけれども、この物価高は政治の問題だとおっしゃった、その点は私もそのとおりだと思うのですけれども、あとで要約されまして、その物価高の原因をつくったものは政府と財界と、そして国民の三者だと、国民の側にも責任がある、その消費態度にも責任があるというふうに言われまして、たとえばビヤホールでビールを飲んでいる者が一ぱいいるが、しかし同時に、物価高をかこっている者も同じ人間であるというようなお話があったのですが、私は、国民は物価高の被害者だと思っております。で、自民党の一部の方々の中に、国民は物価高の加害者であると同時に被害者であるということばを使っていらっしゃる方があるのですけれども、そういう考えに通ずるような感じがするのですが、最初に、日の当たらない場所にいる低所得層にとっては、非常にこれはきびしく当たるものだと私は思います。これは一般普通の所得層、中間層も非常にたくさんおるのですが、それらの収入が非常に低いということと、物価高とが作用して、非常に苦しい目にあっているんだろうと思うのです。それにもかかわらず、日本にはサービス産業というものが非常に多いのです。そして、飲み屋もたくさんあるし、ビヤホールもたくさんあるし、それから男性の場合はそうですが、女性の場合に、着るものなどもはんらんしているわけです。それらを買う権利もほんとうは国民はあるはずです。現在の程度に着る、これ以上のものをまた買う、あるいはビールを飲む権利、これはほんとうに普通の必需品の中に入ってくるんですね。そういうものをまた買わせる一種の社会的強制があると思うのです、今日の産業の構造でしたら。ですから、やはり国民は被害者の立場にあるというふうに思うのです。で、消費態度が問題になるなら、これは高額所得者がむだなぜいたくなことに使って、その消費態度が問題になると思うのですけれども、その点、どうお考えになりますかということと、それから、もし消費態度を改めたら貯蓄する気持ちも出てくるだろうとおっしゃいましたが、実は、日本国民はたいへん貯蓄性向が高くて、よく貯蓄しているんです。で、収入に見合わない高の貯蓄を、外国に比べてしております。これは将来の社会保障に対する不安、教育費がかさむことや、それから物価が非常に高くなるので、やむを得ず、それから住宅事情なんかが悪いから、かえって低所得層でも貯蓄をしておるわけですね。ですから、今回、消費態度を改めることによって貯蓄を政府は奨励し、そうして公債に向けようというような考え方があると思うのですけれども、その辺、つまり、消費態度の問題について、もう一度御説明いただきたいと思います。
  27. 羽間乙彦

    公述人(羽間乙彦君) 初めに、一人の同一の人間がとうふ代に欠けておる、またビールも飲むということですが、これは私が言いましたのは、何かことばじりをつかまえるようでありますけれども、社会的に見て、ある大きな層というものの中で、とうふ代が一銭上がったとか言って叫んでおる人もおれば、片方、多少それを問題にするような立場から見れば、まあ、ぜいたくというか、何百円もかけてビールを飲んでおる同じ人がやっておるということじゃなしに、世の中の中間層、相当広く見た中間層というもの全体から見ると、そういう二つの大きな動きがあるということは、一人の人がやっておるのと同じように考えてもいいというような、そういうふうな感じがいたします。具体的に一人の人が両方のことをやっておるということよりも、社会的に見て、ある層で、そういう二つの動きがあるということは、これはせんじ詰めて、一人の人がやっておるのと同じようなことだ、そういう考え方がとれるというだけの話であります。  それから消費態度の問題ですけれども、物価高に対して国民の消費態度も影響しておるといいますのは、これは国民が加害者とか被害者とかいうふうなことでなしに、経済的に、消費物資に対する需給関係から見て、一般的に消費性向が高まっていくことは需要がふえるということで、そうして、その需給関係から物価が上がっていく。したがって、これは被害とか加害とか、悪いとかいいとかいうあれでなしに、これは一つ経済的な客観的な動きとして、国民の消費態度あるいは国民の消費の高まりも物価高に影響しておる、そういうことでありまして、加害者とか被害者とか、そういうことがいいとか悪いとか、そういうふうなことじゃないのであります。  それから貯蓄ですけれども、まあ貯蓄にしても、やはり非常に投機的な貯蓄もありますし、また、もっと堅実な貯蓄もあります。日本の場合、所得のわりに貯蓄の率が非常に高いのでありますけれども、しかし、今後国債政策というもので——先ほど歯どめの話も出ましたけれども、これを円滑に運営していくためには、やはりもっと意欲的な貯蓄といいますか、あるいはまた、これは消費態度につながりますけれども、節度のある消費によって、そうして貯蓄を高めていく、国債でも買っていくというふうな、そういう堅実な国民考え方がますます助長されなければならないのじゃないかと思います。現状において、すでに貯蓄率の高いことは、これはいろいろな資料に基づいて言われておることであります。まあ方向の問題を言っておるわけです。
  28. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) よろしゅうございますか。——じゃ、ほかに御発言もなければ、質疑はこの程度にととめます。  公述人の方には、御多忙中御出席いただき、有益な御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございました。  午後一時再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時十八分休憩      —————・—————    午後一時二十九分開会
  29. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  午後はお二人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわらず、本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。  それでは、これより公述人の方に順次御意見をお述べ願うのでありまするが、議事の進行上、公述される時間はお一人三十分程度にお願いをしたいと思います。また、委員の方よりの質疑は、お一人の公述人の御意見の開陳が終わりましたところでお願いしたいと存じます。  それでは、北野公述人にお願いをいたします。(拍手)
  30. 北野重雄

    公述人(北野重雄君) 商工中金理事長の北野でございます。  本日は、四十一年度予算案などにつきまして私見を申し上げる機会をお与えいただきまして、私といたしまして深く光栄に存じておる次第でございます。  さて、私に与えられました課題は、中小企業の立場から来年度予算等につきまして所見を申し述べろということになっておりますが、その前に最近の中小企業の実情について概観してみたいと存じます。  御承知のとおり、わが国経済は、三十九年の終わりから四十年の末にかけまして、不況と沈滞のうちに推移してまいったのでございますが、その後財政面からの景気刺激策や、また輸出の増大にささえられまして、ごく最近に至りまして不況も底入れの状態となりまして、景気回復のきざしが見え始めておるのであります。しかし、中小企業限定して考えますと、中小企業につきましては業況の回復がおくれておりまして、いまなお受注の減少、売り上げの減少、あるいは採算悪化などに苦しんでおる業者が少なくない実情と考えておるのであります。景気の回復が中小企業におくれて波及いたしますことは、従来からも見られた現象でございますが、今回は特に一般的に消費需要が停滞しておりますので、特にこの消費財部門につきましては中小企業関係が深いわけでございますので、それだけに中小企業景気回復がおくれてきておるという感じがするのであります。ところが、ここ数年来、中小企業不況が予想外に長引きまして、しかもそれが深刻な状況になってまいっております。その原因がどこにあるかということにつきましては、もちろん景気循環的な要因も大きく働いておりますけれども、同時にいわゆる構造的要因というものが大きく影響しているというふうに考えるのであります。つまり、わが国経済そのものが高度成長から構造調整を伴う安定成長への転換期に入っておると言えるのであります。  経済の体質の変化を生じさせました基本的な要因は、一つには労働力の需給が逼迫基調に変わりまして、人手不足から賃金上昇を招きましたこと。二つには、技術革新が基幹産業部門で一巡いたしまして企業の投資の効率が低下してまいったこと。三つには、需要の面におきまして、たとえば耐久消費財の主力商品の一巡に見られますように、需要構造が変化してまいっていることであります。同時にこの基本的な構造要因は複雑にからみ合っておりまして、さらに景気循環要因と構造要因とこれまたからみ合ってともどもに作用してきておりますために、中小企業に重大な影響を与えてきたと考えるのであります。人手不足によります直接的な影響はもちろんでございますが、大企業の利潤率が低下してまいりましたために、勢い中小企業分野へも進出すると、あるいはまたその系列、下請企業について再編成を行なうといったようなことが出てまいっておりますし、また原料革命や流通革命などによります影響も相当大きくあらわれてまいっておりまして、中小企業の存立基盤に大きな変動を与えてきておる次第であります。しかも、中小企業はもともと企業の数が多過ぎる、また過当競争に常に苦しんでおる、その上にまた一つ一つの中小企業規模が非常に小さいために、その生産性が低く、技術の面でも経営管理面でも大企業に比較して著しく立ちおくれているというようなことがございまして、こういった中小企業が本来的に持っております構造上の弱さということも大きく働いておるわけであります。そのために、外部環境の変化に円滑に適応してまいるということがむずかしくて、一昨年中もあのような大量の倒産が発生いたしまして、そのほか多くの中小企業にむずかしい問題を惹起してきておるのであります。したがいまして、今後経済全体としては景気回復の明るさがだんだんと強まってくることが予想されるのでありますけれども、中小企業の置かれております立場はいまなお非常に困難なものが多く、いわば再編成、編成がえの時期に差しかかっているとも考えるのであります。この意味で、中小企業を取り巻く環境はなかなかきびしいものがございまして、それだけに今後も徹底した合理化を進める必要が考えられるのであります。このようなときにあたりまして、まず第一に必要なことは、時代の趨勢に進んで適応していこうとする中小企業の方々の自覚と努力が必要になってくるわけでございますが、しかし、いろいろな面で不利な立場に置かれております中小企業といたしましては、こういった環境に適応していくということも独自の力ではなかなかできないということでございます。この意味からいたしまして、長期的な観点に立ちました総合的な中小企業構造対策というようなことがぜひとも必要だと考える次第でございます。そこで、今後の中小企業政策のあり方ともいうべきものを考えますと、まず第一に、中小企業の近代化、合理化を徹底的に推し進めまして、その生産性を飛躍的に向上させますために、私はいわゆる組織化、さらに協業化というものの重要性を強調したいと思うのであります。最近では大企業でさえも、合併やあるいは事業提携によりましてグループ化することが進んできております。まして中小企業は、組織化を推進いたしまして、その団結の力によりましてこの窮境を打開していかなければならないと思うのであります、中小企業者は、従来から協同組合等を中心といたしまして、生産工程あるいは販売受注といったようなことの共同化を行なってきておりますけれども、さらにその共同の程度を一歩進めましたいわゆる協業化ということの推進をはかることが、こういう事態になってまいりますと特に必要でございまして、この協業化の推進ということは今後の中小企業対策の一つのかなめであると申してもよろしいと思うのであります。  第二には、事業転換の円滑化をはかるということであります。自主的な転換の意欲を持っております中小企業者もかなりあるわけであります。しかし、なかなか独力ではやれない。そこで、これを適当に誘導し、また助成する対策を展開する必要がございまして、この転換の円滑化によりましてそういった方々に経済活動の場を与えまして、前向きにこれを経済線列の中に取り入れていくということが必要だと思うのであります。ことに、物的生産性の向上がなかなか期し得ないような業種につきましては、特にその中の小規模企業、零細企業、これらに対しまして実情に即した転換対策を推進するということの必要を感ずるのであります。どうも転換対策といいますと、とかく微妙な反響を呼びがちでございますが、しかしながら、真剣に中小企業者の方々の立場を考え、その人の親身になった気持ちで将来いかにあるべきかということを考える必要がございますので、それだけに転換の円滑化という問題は、今後特に重視してかからなければならないと思うのであります。もちろん、政府におかれまして、これをどういうふうに取り上げるかということになりますと、確かに非常にむずかしい問題とは思います。しかしながら、現実の姿を見ましても、一部の中小企業者は、自主的努力によりまして徐々に転換に進んでおられる向きもあるのであります。そういう点も考えに入れまして、これをできるだけ助成いたしまして、転換を円滑にする、そのための対策を打ち出すということは、もうそろそろその時期にきておるのではないかと考えるのであります。  なお、このことと関連いたしまして希望いたしますことは、総合的な見地から中小企業政策のビジョンを再確認するということであります。すでに中小企業基本法が制定されておりますし、また政府としては、きわめて広範囲にわたってきめのこまかい中小企業の施策を講じておられるのでありますけれども、卒直に申しますと、どうもまだ長期的あるいは総合的な観点からいたしまする基本方向が必ずしもはっきりしていないというような感じもするのであります。ここで中小企業政策のあるべき方向あるいはその重点の置きどころといったようなことを再検討をしていただきまして、今後強力にこれを推し進めていただきたいと思うのであります。その問題といたしましては、たとえば、大企業と中小企業との間の健全な調和をはかるための政策も必要だと思います。また、特に最近大きな問題であります消費者物価の上昇を抑制するという国民経済的な要請と関連いたしまして、いわゆる低生産部門といわれております中小企業の近代化をもっともっと強力に推し進めるというふうな考えも入れなければなりません。さらには、ひずみの是正といったような観点からいたしまして、経済開発と社会開発との調和的な推進が要請されるわけでありますが、その際にも中小企業政策のあり方をどう考えるかという問題もあろうと思います。したがいまして、中小企業問題は、いまや国民経済全般に直結いたしました重大な問題であるということを認識しなければならないと考えるのであります。  さて、以上のような中小企業の実情を背景としながら、四十一年度予算案等について考えてみたいと思います。  まず一般会計についてでありますが、一般会計に計上されております中小企業対策費は、通産省、大蔵省、労働省、この三省所管分を合わせまして二百九十三億三千万円でございます。これは四十年度の当初予算に比べますと、三五・八%の伸び率になっております。一方、一般会計全体の伸び率は、御承知のとおり、一七・九%でございますので、全体の伸び率の二倍に達する予算が計上されております。かなり大幅な伸び率といえると思うのであります。しかしながら、これはまた率直に申し上げるのでありますが、一般会計全体に占める中小企業対策費の比率というものは、わずかに〇・六八%でございまして、依然として一%にも達しておらないのであります。これでは三百五十万を数える中小企業者のこの重さ、またその重要な役割り、さらには、近年のように非常な不況で苦しんでおる、こういうことを考えてまいりますと、まだまだ少ないような感じがするのであります。  ところで、四十一年度一般会計における中小企業対策費の特色とでもいうべきものについて考えてみますと、従来に引き続いて、中小企業の近代化施策に重点が置かれているのでありますけれども、特に四十一年度は、従来からの設備近代化資金あるいは、集団化、協業化のための高度化資金のほかに、主として小規模、零細企業に対しましても、近代化施策を浸透させようという考え方から、新たに工業につきましては、中小企業共同工場建設貸与資金及び中小企業機械類貸与資金、また商業につきましては、小売り商連鎖化資金といったような新しい制度が創設されたことが目立った特色と考えられるのであります。これらの新しい政策は、中小企業政策の方向といたしまして、単なる一律的な近代化というのではなくて、成長・発展する可能性のある中小企業につきましては、より重点的な近代化の推進をはかると同時に、他方において停滞的な傾向にある、あるいはまた、一挙に近代化の困難と思われる小・零細企業につきまして、極力前向きの中小企業対策を打ち出そうとして、そうしてこれを育成していくといういま言ったような施策が出てまいったのでありまして、こういった政策意図が予算案にも反映してきておりますことをたいへんしあわせに思うのであります。  以下、引き続きまして、中小企業対策費のおもな項目につきまして、順を追ってその具体的内容を概観してみたいと思います。  まず第一に、工場集団化、商業団地資金につきましては、貸し付け金の償還期間が従来七年でございましたのを十年に延長されたのであります。また、従来は土地についての貸し付け単価が低過ぎておりましたので、これは引き上げられたのであります。また団地を構成する企業が協業化をいたします場合に必要な機械、これも貸し付け対象にいたしたのであります。こういった従来の制度につきまして実情に即した改善が加えられ、これまた一つの特色だと考えるのであります。また、商工業の協業化推進につきましても、共同施設資金企業合同資金及び小売り商業店舗共同化資金、これらにつきまして、これまた償還期間が従来五年でございましたのを七年に延長されたのであります。そのほか、新たに共同施設なんかの場合の必要な土地も貸し付け対象にする、こういったふうにその内容にかなりの充実が見られておるのであります。  第二に、新たに設けられました小売り商連鎖化資金、これにつきましては、欧米諸国の現状にかんがみまして、わが国でもボランタリー・チェーンを普及いたしまして、小売り商業の近代化をはかろうというものでございまして、従来から流通部門につきましては、どうも基本的な対策が製造部門に比較してやや立ちおくれのうらみがあったのでありますが、今度はこういったものにも手をつけられることになりまして、その成果を大いに期待したいと思うのであります。ただ、これまた率直に申しまして、四十一年度における国庫貸し付け金はあまりにも少額でございまして、これでは十分な効果をあげることはむずかしいのではないかと考えております。それだけに、今後小売り商業対策の一そうの拡充をはかりますとともに、強力な予算措置を講じていただくように切望する次第でございます。  第三には、小規模零細企業を中心とした近代化施策として、新たに設置されることになりました中小企業共同工場建設貸与資金及び中小企業機械類貸与資金についてでございますが、これも運営が適切に行なわれますならば、本来的に物的担保が不足して資金調達力が非常に乏しくなっております小・零細企業の近代化を推し進めるために非常に有効である。かつ、また、他方では都市が過密化することを防止するのにも役立つものといたしまして、これらの新政策は画期的なものといってよろしいと思うのであります。しかし、これも新規政策でありますために、残念ながら予算規模がまださほど大きくございません。それだけに今後一そうの拡充が望まれる次第であります。  ところで、これら中小企業の対策費は、以上申しましたように、中小企業の近代化を促進するのに直接役立つことはもちろんでございますけれども、同時に、当面の中小企業不況を打開する景気対策としても、相当の効果をもたらすものと思うのであります。それだけに、特に昭和四十一年度のこれらの中小企業対策費の予算の執行にあたりまして、できるだけ弾力的、機動的に、しかも早急にこれを実行に移されるように希望する次第でございます。  次に、財政投資について申し上げたいと思います。政府関係の三つの金融機関——中小公庫、国民公庫、それに私ども商工中金、この三つに対する財政投融資は二千五百四億円が見込まれておりまして、これは四十年度当初の計上額に対する伸び率といたしましては、二二・四%になっております。ただ財政投融資全体の伸びは、御承知のように二五・一%でございますので、総平均の伸び率よりはやや低くなっております。しかし、三機関合計の貸し付けの規模といたしましては、四十年度当初よりも約二割の伸び率が予想されているのであります。さらに三機関の貸し出し金利につきましては、すでに昨年九月に年三厘方の引き下げを実行いたしたのでありますが、これに引き続きまして、さらに本年四月から年三厘方の再引き下げを実施することになったのであります。で、これらのことによりまして、政府関係金融機関の機能が相当強化されるわけであります。これに特段の配慮をされましたことは、まことにけっこうだと考えているものであります。  もともと、政府関係金融機関の機能というものは、金融面から政策を誘導することにあると思うのであります。したがいまして、単に民間金融機関の選別強化によります量の不足を補うということだけではなしに、構造変革下にあります中小企業が、その情勢に適応し、さらに中小企業構造そのものを高度化する方向に誘導できるような金融の態度が必要だと思うのであります。その場合の前提といたしましては、何と申しても、財政投融資の飛躍的な増大であり、さらにまた、収益性の低い中小企業者に対しまして、できるだけ低利の融資ができるようにする、それには三機関に対してできるだけ低いコストの財源を投入していただく、これが先決問題になるわけであります。で、そういった点からいたしまして、四十一年度には、私ども商工中金に対しましては、一般会計から二十五億円の政府出資を計上されておりますし、また国民公庫につきましては、四十一年度七億円の補給金が計上されております。これによりまして、三機関がそろって再度の金利引き下げができるわけでございまして、このことは、中小企業者の金利負担の軽減に相当な寄与を与えるものといたしまして、まことにけっこうなことだと思っているのであります。しかし、四十一年度財政投融資総額に占める政府関係三機関の割合を見ますと、わずかに一二・三%にすぎないのであります。御承知のように、財政投融資の総額というものは、近年、毎年毎年著しい増加を示してきているわけでありますが、その中におきまして、この中小企業関係の行政関係三機関への割り振りというものの比率は、いま申しました四十一年度は一二・三%でございますけれども、この比率がほとんどここ数年横ばいになっているわけであります。もちろん絶対額は、全体がふえておりますからふえるわけでありますけれども、残念ながら、その比率というものは、ほとんど横ばいできている。もう一つ問題なのは、現在中小企業向けに全部の金融機関が貸し出しをしております総額が十二兆円ぐらいになるのであります。ところが、その中でこの政府関係の三機関の占めております割合は、残念ながらまだ一割になっていないのであります。少なくともこれを倍以上にいたしまして、政府関係三機関として、量の点においても、質の点においても、一そうその機能を発揮できますように、積極的な施策を今後さらに講じていただく必要があろうと思うのであります。  それから次に、中小企業の信用補完制度の充実につきましては、これもすでに四十年の十二月に保険料並びに保証料の引き下げ、それから無担保保険制度、連鎖倒産防止のための保険の特例措置といったような新種の保険制度が創設されたのであります。これに引き続きまして、四十一年度におきましては、中小企業信用保険公庫の融資基金に充てますために七十五億円の出資が計上されております。このような中小企業の信用を側面から補完いたしまして、中小企業向け貸し出しの円滑化をはかるための信用補完制度の充実ということは、今後の中小企業対策におきまして欠くことのできないものでございます。ことに最近のように不況が長期化することによりまして、中小企業者の信用不安が増大いたしておりまして、金融ベースに乗りにくい企業がふえてきております。それだけにこういった信用補完制度の充実をはかっておられますことは、まことに時宜にかなった措置と考えるのであります。今後におきましても、この保証限度もまだ低過ぎますので、これを引き上げる問題とか、その他信用補完制度の強化拡充にはいろいろ問題がございますので、これを一そう推進していただきたいと考えておるのであります。  続いて税制につきまして一言申し上げたいと思います。今回の企業減税におきましては、中小企業減税にかなりの重点が置かれております。新たに資本金一億円以下の中小法人の年所得三百万円以下の金額につきまして二八%の軽減税率が適用されることになったのであります。また同族会社の留保所得課税も軽減されることになります。さらに中小企業構造改善を進めるために、中小企業構造改善準備金制度というものが創設されたのであります。そのほか一般のこの法人税率の引き下げその他によりまして、中小企業に対する減税額というものは、平年度におきまして七百億円をこえるというふうに推定されております。このことは、今後中小企業の自己資本の充実をはかる、またその負担軽減をはかるという上から非常に意義の深いものと思うのであります。なお今後の中小企業の近代化なり構造高度化を思い切って推進してまいりますためには、たとえば協業化、集団化等につきまして、さらに重点的な減税措置を検討すべきではなかろうかと思っておるのであります。  最後にもう一つ申し上げたいのでありますが、それは四十一年度予算と中小企業との関係におきます重要な問題は、今回の大型予算等によりまして景気回復効果がどうなるかという問題にからんでくるのであります。国債発行によります財政支出増大によりまして、日本経済全体の回復を早めるということが、これは長い間不況に悩んでおりました中小企業の立ち直りをはかるための基本的な前提と考える次第であります。それだけに受注の減少とか、売り上げの減少によりまして不況にあえいでおります中小企業が、現在何よりも期待しておりますことは、まず仕事の量を確保するということであります。この点について二つ希望を申し上げたいと思うんであります。  一つは、財政支出の繰り上げをすみやかに実施に移すことであります。すでに政府におかれましては、公共事業などの契約を上半期に集中するように格段の努力をされているのでありますが、これを関係機関の末端にまで浸透させまして、円滑に繰り上げ支出が実現いたしまして、その効果が中小企業部門にできるだけ早く波及してまいりまするように、さらに一そうの御配慮をお願いしたいと思うのであります。  いま一つは、中小企業に対する官公需の確保でございます。現存中小企業者が心配しておりますことは、財政支出増大いたしましても、そのうちのかなり大きな部分が大企業部門に集まっていくんではなかろうか、そして中小企業部門には財政支出増大による恩恵が比較的十分にいかないのではないかということを心配しております。この点につきましても、政府におきましては、すでに十分御検討中のように聞いておるのでありますが、米国におきましては、中小企業への官公需の確保対策が相当前向きに展開されておるということを聞いておるのであります。わが国におきましても、中小企業への官公需の確保につきまして積極的な具体策を早急に講じていただきたいと思うのであります。  以上をもちまして私の公述を終らせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  31. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) 北野さんありがとうございました。  北野公述人に御質疑のおありの方は順次御発言を願います。
  32. 鈴木一弘

    鈴木一弘君 北野さんに二つばかりお伺いしたいと思います。  今回の財投の関係のことで述べられましたけれども、貸し出し残高の総額に占める割合が一割にもなっていない、そういうお話であったわけです。これがふえてくるということは喜ばしいことだと思いますが、相対的に見てみると、いわゆる都市銀行関係の貸し出し残高、中小企業向けのパーセンテージというものはますます低下してきている。そういうような点についてはどういうように御意見をお持ちですか。中小企業金融のほうを、都市銀行関係をできるだけふやすようにすべきであると私ども思っておるわけでありますが、その点についての御意見と、同時に、特に信用補完制度のところでお話があったわけですが、うしろ向き資金というものがいまの中小企業には非常に重要な問題になっております。その点について金融の態度としてどういうふうにお考えかということです。  それからその次は、大企業問題と中小企業の問題についていろいろお話がございましたのですが、事業転換の問題についても、あるいは大企業が中小企業へ進出して中小企業を脅かしている。この事例は枚挙にいとまがないわけでありますけれども、おことばの中では、大企業と中小企業との調和ということを言われたわけであります。むしろはっきりと組織というもの、分野というものをはっきりわけて確立をしていったほうがいいのではないか。いわゆるシェアをある程度確立している中小企業は大企業のほうが進出できないというようなことが必要ではないか。同時に、中小企業同士の過当競争という問題もあると思いますけれども、その点についての御意見。  最後に、この合理化ということ、いわゆる転換という問題を取り上げられて、合理化が必要であるということを言われたわけでございますが、その再編成というのがいわゆる小規模企業であるとか、時代に適合しないような手工業的なものとか、そういうものの切り捨てということをお考えなのか、その点について、お考えになっていないだろうと思いますけれども、手工業のようなものについてのお考えを伺いたい。以上でございますが。
  33. 北野重雄

    公述人(北野重雄君) お答え申し上げます。  昨年のような金融緩漫の中におきまして、都市銀行あるいは地方銀行、特に都市銀行などの中小企業向けの貸し出しの比率が残念ながらむしろ減ってきております。まあこれはそれなりにいろいろ理由もあることとは思いますけれども、やはり一昨年来のように、あの企業の倒産が多いために、金融機関側ではかなりこの融資態度がシビアーなのです。とかくまあ選別強化のきらいがあって、ああいった数字になっておるんじゃないかと思うのであります。それともう一つの原因は、私どもの、ことに商工中金の窓口から見ておりますと、後にも申し上げますけれども、あのような不況になりますと、正常な状態とは非常に打って変わりまして、いわゆるうしろ向きの資金需要がふえてまいる、それだけに金融ベースに乗りにくいものが多いと、こういったことからどうして都市銀行あたりは優良取引先につきましては、これは都市銀行に限らず民間金融機関がこぞって融資に応じるようなむしろ貸し付けを勧誘するというふうな、むしろ借り手のほうで逆選別をするというふうな事態もあったようなわけでございます。これをどうすればいいかという問題につきましては、実は私のような人間が申し上げるのは筋違いと思うのでありまして、本来政府のほうでお答えになるべきではないかと思いますが、まあいままでも政府でおやりになっておりますことは、特に中小企業不況によりまして金融上の便益を得にくいというふうな場合には、そのつど政府として関係金融機関に、特に中小企業の窮境を打開するために中小企業向け融資に積極的な態度で臨んでもらいたいというふうな通牒をお出しになり、また銀行協会あたりでもそういったことを申し合わせましてやってきておられる。ことに、いわゆる年末金融というものについては一定のワクもきめまして、いわば努力的な目標をきめまして、これに近づけようとしておられるわけであります。ただ何といっても金融というものはどうしてもベースに乗らないものまでやりにくいという問題がございます。これを何とか打開するのには、私の私見といたしましては、さっきも触れましたように、信用補完制度をもっともっと拡充強化する以外にないと思うのであります。で、現在の制度をさらに検討いたしまして、たとえば貸し付け限度のごときも、現在は一企業あたり一千万円が限度でございます。そうして組合の場合にも二千万円が限度になっておるのであります。ところが北九州のあの連鎖倒産のときにも、一企業でも一千万円ぐらいの融資ではやり切れない、それじゃあどうにもならない、焼け石に水だというふうな場合も多かったわけであります。こういった問題をこれからうんと前向きに取り上げていただくことが必要だと思います。そういたしますれば、民間金融機関も、金融ベースに乗りがたいものも、そういった信用保完制度の裏づけがございますれば、政府の通牒がなくてもやりよくなるんじゃないかと、こう思うのであります。特に民間金融機関の中小企業向け貸し出しを促進するのには、この信用補完制度の拡充整備が先決だというふうに考えます。  それから第二のうしろ向き資金に対するわれわれの融資の態度でございますが、昨年一年におきましても、御承知のことと思いますが、政府系三機関の貸し出しというのは非常にふえたわけでございます。これは民間金融機関の中小企業向けが軒並み減っておるのと比較いたしまして。減っておると言うと語弊がございますが、純増額が少ないということ、伸び率が低いということ、それに反しまして三金融機関のほうは非常な伸び率を示したわけであります。商工中金も昨年一年に九百億をこえる貸し出しをいたしまして年末は五千九十億になったのでございますが、他の中小公庫、国民公庫も同様とは存じますが、商工中金などではいわゆるうしろ向き資金と、第一このことばが適当でない、これはまさに中小企業不況を打開するためのなくちゃならぬ金だと、いわば企業の維持安定資金だと、そういう考えで、これを前向きに取り上げようということにいたしてやってまいったのであります。さらに昨年の秋から貸し出し期間も思い切って長くいたしまして、設備資金につきましては、従来七年であったものを十年、長期運転資金については五年であったものを七年、特にこのうしろ向き資金というものはなかなかその短期の貸し付けでは間に合わないのです。どうしてもまあ一時穴埋めにつなぎの金を借りまして、長い間かかってちびちび返していくというほかはございません。そういった長期運転資金が特に需要が旺盛でございまして、最長七年までこれを認めるということでやってまいりました。まあその結果、いま申したような貸し出しの伸びが見られたわけでございます。こういったことは、やはり私は率直に申しまして、民間金融機関にここまでのことを要求するのは無理ではないかと、やはりこういったうしろ向き資金に対して積極的に取り組んでいくということは、これはやはり政府系の三機関がまず率先してやるべきではないか。幸い政府のほうでもその財源確保に御配慮もいただきましたので、これがやられたわけでございます。ただこれにつきましても、やはり民間金融機関がいわゆるうしろ向き資金の融資にも応じ得ますように、いまも申しました信用補完制度をもっと強化するということが必要だと考えます。  それから第三の御質問は、中小企業と大企業との健全な調和と、たいへんまあ抽象的なことを申し上げておったんでございますが、これはまあここ数年来非常に大きな問題でございまして、むしろ大企業が中小企業部門に進出できないように、中小企業独自の分野を法律できめるべきであるという御意見も一部にあるのでございますけれども、考えりゃ考えるほどむずかしい問題でございまして、これはやっぱり消費者の利益ということも考えておかなけりゃならぬのでございます。そういうことで、御承知と思いますが、一昨年でございましたか、中小企業団体組織法の改正が行なわれまして、大企業が中小企業分野へ入ってきました場合に、入ってきそうな場合、その中小企業関係者とその関係企業との間で話し合いをすると、それには特別協定、特別契約でございますか、そういったものも考えまして、事実上は役所が中へ入ってその間の調整をとるという仕組みができたわけでございます。伺いますと、こういう法律のかまえがございますので、分野調整が現実にうまくいった実例もあるということも伺っております。それから大企業と中小企業の調和の問題で、いまの分野の問題のほかに、私は親企業と下請企業との間の調整の問題が大きな問題だと思うのであります。先年来非常に問題になりました下請代金支払い遅延と、これに対するいろんな下請法の法律改正等も行なわれておりますが、まだまだこういったことが十分ではございません。まあいままで考えられておる方向で、これをさらにできるだけ早く進めていただきたいと思う。もちろんこの下請法の励行について、通産省なり公正取引委員会が、もっともっと踏み込んでいけるように、これにはやはり予算と人員の関係もあろうかと思うのであります。そういったことも考えていただく必要があると思います。  それから最後に中小企業の再編成の問題でございますが、私もさっき申し上げましたことが、万一誤解を生むと困るのでありまして、どうも転換の円滑化という、その本旨をよく御理解いただきたいのであります。業種転換と、あるいは転換対策というようなことをいいますと、かつて貧農切り捨て論といって、非常に問題になったことがございますが、力の弱い中小企業は切って捨てろ、こういう意味では決してないのであります。そういう方々も、廃業あるいは転職というようなことでなしに、できるだけ企業として、経済活動をしていただいて、経済戦列の中に入っていただくような施策を考えていただきたいと思う。これは、あるいは無理な注文かもしれませんけれども、そうでなくちゃならない。どこまでも前向きに経済政策という考えでやっていただきたいと思うのです。それで、よく地方なんかの零細商業の場合にも問題になるのでありますが、これは地方におきましての零細商業なんというものは、いわゆるパパママ・ストアなんと言われますけれども、こういうものは、こういうものなりに存在価値があるわけです。そういうものは、私はむしろそのまま存続をするようにしていって、もしそれに何か助成の道があるなら、それを考える。いま手工業のお話がございましたが、こういったものもほぼ同じではないかと思うのであります。たとえば工芸品をつくっておる、あるいは繊維関係でも非常に高級な織物をつくっておるというようなものは、これはもう機械化ができないようなものが多いわけであります。これに設備の近代化だとか、合理化とか、あるいは協業化というようなことさえも、無理な場合があります。私はそういう場合には、むしろこれはこのまま技術保存の見地からいいましても、残しておくべきではないかと思う。また、だんだん国民生活の水準が上がってまいりますと、そういう手工芸品というものの需要はむしろふえてくるのじゃないかと思うのです。日本伝来の技術、ことにそういった特殊の技能を持っておられる分は、むしろ技術保存をどうしてやっていくかという悩みがあると従来考えるのでありまして、再編成と申しましても、力の弱い小零細企業を切り捨てろという意味では決してございません。これらの人を、むしろほんとうに戦列から脱落しないようにやっていただきたい。こういう意味でございますので、よろしく御了承いただきたいと思います。
  34. 小柳勇

    ○小柳勇君 私も一つ質問いたしますが、昨日官公需の増加については質問したところでありますが、政府でもこれはきめ手になる、納得するような答弁はございませんでした。窓口を担当しておられるあなたのほうで、とりあえず四月から公共事業が始まるのでありますから、焦眉の、この短期的な対策、それから将来の対策、その対策について具体的にこのようにしたら官公需が中小企業にふえるであろうという策でもありましたらお教え願いたいと思います。
  35. 北野重雄

    公述人(北野重雄君) まことにごもっともな御質問でございますが、実は私は、その問題については絶えず政府側に要望をしておる立場でございまして、いま御質問に対しまして適切なお答えをするだけの能力なり勉強が足りません。ただ私どものほうも、いま商工中金の窓口で現実にそういった官公需に関係して、たとえば中小の建設業者にどう融資をしたかというのを調べております。それで、御承知と思いますが、たとえば建設業におきましても、中小企業人たち事業協同組合を結成いたしまして、少なくとも金融の面は商工中金から流していくということをやっております事例が相当ございます。大体各県単位に建設業協同組合というのをつくっておられまして、だんだんとそういった組織を中心にして、力を持ってきておられるのであります。しかし、たとえば公共事業の発注を、そういう中小企業建設業者の協同組合に発注するということが望ましいわけでございますけれども、結局その受け入れ体制が整備されておりませんと、発注者側も不安でございますので、何々建設協同組合というものが相当力がついてまいりまして、資金的に商工中金も十分めんどうを見られる、またその組合自身としても、ただ一緒になって金を借りているということだけでなしに、組合を中心として相当進んだ共同事業をやるというところまで進んでおりますと、公共事業の発注も受けやすくなるわけであります。この辺も鶏が先か卵が先かというような問題にもなるわけでございまして、中小企業庁におかれましてせっかく検討をしておられるようでございますけれども、やはり現実の問題として相当困難な問題もございます。しかし、私どもはむしろそういったことを希望する側でございまして、それにはやはりみんなが寄ってたかっていろいろ知恵をしぼれば道が開けるのじゃないか、こういう感じがするのであります。
  36. 北村暢

    ○北村暢君 中小企業の近代化、高度化ということが、近代化資金なり高度化資金がそれなりに成果をあげておると思うのですけれども、そのうらで零細商業の協業化ということが盛んに言われるわけです。そういうことで協業スーパーというようなものもできてきているようですが、それらのこの指導をされた後における結果が一体どのようになっているのか。成果をあげて、うまくその協業スーパーならば協業スーパーがやっていかれているのかどうなのか。それからボランタリー・チェーンということで、今度政策で打ち出されたようでございますが、そういうボランタリー・チェーンなり協業化という面における資金需要に対する対策、資金ワクですね。大ざっぱでいいのですけれども、商工中金等における全体の中で一体どの程度のパーセントを占めているのか。特にボランタリー・チェーンについてはどのくらいを想定されておるのか、この点をお伺いいたしたいと思います。
  37. 北野重雄

    公述人(北野重雄君) 小売商の協業化を推進するということは非常に必要なことでございまして、いままでから政府もそういった寄り合いデパートあるいは協業スーパーというのを非常に奨励もされてまいりまして、私どものほうも幾つか取り上げて、融資もしております。ただ、いま適切な資料を持っておりませんので、具体的なことは申し上げかねるのでございますけれども、こういった協業スーパーあるいは寄り合いデパートというものも、うまくいっているものもあれば、非常にまずいので困っておるというものもあるのでございます。結局、中小企業の協業化の根底は、そのメンバーがほんとうに強い団結をして、ほんとうにお互いに助け合っていくという同志的な結合があるかどうかということと、その中心になる方がほんとうに信望のある方で、全体をうまくリードしていかれる、それから計画自体が相当慎重で、そうして、たとえばこういう寄り合いデパートとか協業スーパーになりますと、その場所が一番問題になるわけでありまして、ほんとうにお客さまのよくきてくれるようなところにつくらなければ、せっかく協業化いたしましてもだめだということになります。そういった計画の慎重さといいますか、計画の適切さといいますか、大体その三つが問題じゃないかと思います。それがうまくいきさえすれば、金融のほうはむしろ問題なくついてくるという感じがいたします。  それから、いままでも小売り商の組織化に関係いたしましたものが相当出してきておりまして、私どものほうの現在の融資の中で、卸、小売り関係がざっと三分の一近くなっております。しかし、もっと出してよろしいわけであります。ことに、最近におきまして特に商業金融の問題、特に消費者物価の関係もございますから、流通部門に対する金融というものに力を入れるようにしておるわけであります。ただ、いま政府予算を要求されまして、計画しておられますいわゆるボランタリー・チェーンのほうは、これはさっきも申しましたように、助成金といいますか、貸付金としては一億二千二百万円、で、都道府県で同額を計上いたしまして、結局貸付金は一億四千四百万になるわけであります。これだけではとてもやれない、いわば誘い水というようなことになりそうな気がするわけであります。そうなりますと、どうしてもあと政府系三機関でできるだけ融資に応ずるということじゃないかと思います。ただ、これが予算の通りました上で計画が進むので、いま、いろいろ準備しておられるようでありますが、一向それがまだはっきりいたしません。これが軌道に乗るようになれば、私どものほうは積極的に貸し付けに応じたいと思っております。その場合に、いま何億か予定できませんけれども、必要ならこういうものは政府政策に乗っかる金融でもございますから、特に重点的にやるつもりでございます。従来もこの団地金融なんかは、これはもっぱら中小公庫と一緒になって積極的にやってきたわけであります。それと同じような気持ちで、政府政策に順応して極力やっていくつもりでございますから、ワクがございませんでも、決してその方面で御迷惑をかけるというようなことはございません。むしろ、ワクをつくらずに、弾力的にやっていきたい、かように考えております。
  38. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) 他に御発言もなければ、北野公述人に対する質疑はこの程度にとどめたいと思います。  北野公述人におかれましては、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。     —————————————
  39. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) それでは、次に大内公述人にお願いいたします。(拍手)
  40. 大内力

    公述人(大内力君) きょうは、農業のことについて意見を述べるように、こういう御注文でございますので、農業のことを中心に申し上げてみたしと思います  予算そのものの問題に入ります前に、これは委員の諸先生方にはもう十分御承知のことかとは思いますけれども、一応今日の日本の農業がどういう問題を持っているかということを、ごくかいつまんで申し上げてみたいと思います。  今日の日本の農業の状態というものにつきましては、すでに四十年度政府の農業の動向に関する年次報告も出ておりまして、すでに国会にも提出されているはずでございますが、これでもある程度明らかにされておりますけれども、私は、今日日本の農業が非常に大きな転換期に差しかかったのではないかというふうに判断をしております。で、御承知のとおり、日本の農業はたびたび曲がりかど、曲がりかどと言われてきたわけでございまして、昭和三十年以来一度大きな曲がりかどに差しかかったわけでございます。それに対応するという意味で一応農業基本法ができまして、基本法農政という路線がしかれたわけでございます。で、しかし、どうも最近の農業の状態を見ておりますと、ここのところで再び大きな転換点に差しかかったという感じが強いわけでございまして、したがって、また農政といたしましても、いままでの基本法農政という路線で、はたしていき得るかどうか、こういうことを根本的に再検討しなければならない、こういう時点に差しかかったのではないか、こういうのが総活的な私の印象でございます。  そこで、なぜそういうことを申し上げるかということでございますけれども、今日日本の農業は、もちろん、こまかく申し上げますならば、いろいろむつかしい問題を持っておりまして、なかなか一口で申し上げるということはむずかしいわけでございます。けれども、その中で、単にこれはひとり農業だけの問題ではございませんで、日本経済全体にとっての非常に大きな問題だと思われます一番基本的なことは、大体昭和三十七年というのを頂点にいたしまして、日本の農業生産それ自体が明らかに衰退過程に入った、こういうふうに判断せざるを得ないという事実であろうと思います。で、もちろん、農林省の発表しております農業生産指数というものをごらんになりますと、これはまだ多少伸びているような形が出てきております。もちろんその伸び率は三十七年ごろから非常に鈍ってまいりまして、その前は大体年率四%余りだったわけでございますが、それ以後は二〇%程度、つまり半分ぐらいの速度に落ちてくる、こういう形で、すでに生産指数そのものも伸びが鈍ってきているという形を示しておりますが、とにかく生産指数で申しますと、まだ伸びているというような形が見えております。けれども、これは主として、一つは、かつていまから数年前ないし十年前に、植栽が非常に進みました果樹生産というものがいま、なる期に入ってきたところから、かなり生産がふえてきている、こういうことが一つあらわれてきていることと、もう一つは、鶏及び鶏卵、それから豚もある程度そうでございますが、小家畜を中心といたしました畜産が比較的まだ伸びているということを反映している。やや極端に言いますと、それだけである、こう申し上げてもいいような状態になりつつございます。そして主要作物でございます米とか麦とかいうものはむろんのことでございますが、最近大きな問題となっておりますように、たとえば肉牛のようなものにいたしましても、生産がむしろ減ってきているか、あるいは伸び率が著しく鈍っている、こういうような形になっております。それからまた酪農にいたしましても、これはまだ世間一般ではそれほど重視していないようでございますが、すでに三十九年の後半から非常に伸びが鈍ってきている、こういう形になりまして、このままでまいりますと、需要の伸びにはとうてい追いつけない。もうおそらくことしの夏とか、あるいは少なくとも来年あたりになりますと、牛乳の不足という問題が相当大きくなるだろう、こういうふうに判断をせざるを得ないような状態になってきています。こういうふうにして日本の農業生産全体がすでに衰退過程に入ってきたということが、御承知のとおり、いろいろな形で日本経済に問題を投げかけているわけでございます。  その一つの問題は、言うまでもなく、物価問題にそれが大きな影響を及ぼしつつある、こういうことでございまして、この点につきましては、特に野菜のようなものが一番多くの消費者の関心を引いておるわけでございますが、しかし、乳製品にいたしましても、それから米は、これはもちろん政府の米価政策の影響が非常に大きいわけでございますけれども、しかし、こういう不足傾向が大きくなりますと、どうしても生産者米価を上げていかざるを得ないような条件が強くなる、こういうことは否定できないだろうと思います。こういうわけで、多くの農産物が不足傾向を強めていくということによりまして、もちろんそれでなくとも農産物は生産性が総体的に低いわけでございますから、いまのような状況では価格が上がるのはやむを得ない、そういう面があるわけでございますけれども、おそらく、それを越えまして需給の不均衡が拡大するという形で農産物価格が非常に早く上がる、こういう問題を持たざるを得なくなっていくのではないかと思われます。そして、このことが今日の物価情勢から申しますならば、たいへん大きな問題にならざるを得ない、こういうことを一つ申し上げておいていいだろうと思います。しかし、もう一つ、非常に大きな問題は、言うまでもなく、農産物の輸入が非常な勢いでふえているということでございます。これにつきましても、こまかい数字を申し上げる必要はないと思いますが、わずかここ三、四年のうちに大体農産物の輸入は三倍ぐらいに膨張しております。たぶん四十年度は今月一ぱいたちませんとはっきりわかりませんが、おそらく二十億ドルは楽にこえるだろうと思います。それから、その中ではもちろんえさの輸入ということが非常に大きな割合を占めておりますが、しかし、米にいたしましても、すでに今日では、御承知のとおり、百万トン近くを輸入いたしませんと需要に応じ切れない、こういう事態になりつつあるわけでございます。いずれにいたしましても、輸入における農産物の増大という問題が、また日本経済に大きな問題を投げかけているわけでございます。で、この輸入の面につきましては、しかし、世の中にはかなり楽観的な議論をする人ももちろんございます。つまり一つは、御承知のとおり、日本の輸出が非常に好調に伸びているから、したがって、多少の農産物を輸入することあるいはそれが増大するということはそう心配するには及ばない、こういう議論をする人もございます。もう少しそれを極端なことを言う立場から申しますと、かえってそういう外国から輸入する農産物が安いならば、日本で高い農産物を何も無理して増産をしなくとも、むしろ工業製品を輸出して、かわりに安い農産物を輸入するというほうが合理的だ、こういうような議論をする人さえあるわけでございます。けれども、この問題は、かりにいまの議論に関連いたしまして、外貨収支という問題だけから申しましても、私はそう簡単に楽観していいことではないというふうに考えております。御承知のとおり、なるほどいまのところ日本の輸出は非常に好調でございまして、貿易収支で申しますならば、黒字がかなり出ていることは御存じのとおりでございますけれども、この最近の輸出の好調と申しますのは、もちろんアメリカの景気が異常によかった、こういうような問題がございましょう。それからまた、日本不況に押されましてかなり無理をした、いわゆる押し込み輸出というようなものにつとめてきたということももちろんございましょう。そのほか、しかし同時に、日本がかなり不況でございまして、いままで国内の工業生産が比較的押えられてまいりましたために、輸入のほうがかなり押えられてきたという問題もございます。むしろ日本経済構造全体から申しますと、御承知のとおり、国内の工業生産が相当拡大するときには、原材料を中心といたしまして輸入がかなり大幅に伸びるということは当然のことでございます。したがって、輸出がある程度伸びても貿易収支が必ず黒になるという保証は実はどこにもないわけでございます。さらに、その上に大きな問題を持っておりますのは、最近の情勢では、資本収支が日本にとって非常に不利になりつつあるということでございます。しかも、この先行きを考えますと、おそらく資本収支が好転する見込みはまず出てこないのではないか、こういうふうに思われます。そういうふうに考えてまいりますと、私は日本の国際収支という問題は、ただ輸出が好調だから楽観的に見通していいんだ、こういう議論はとうていできないというふうに考えているわけでございまして、依然として日本にとっては国際収支の問題というのはきわめて神経質に考えておかなければならない問題だろうと、こういうふうに思っております。ところで、そういう国際収支の中で、いま申し上げましたように、農産物がすでに二十億ドルをこえるような割合を占めている。これだけでも大きな問題でございますが、このままで推移いたしますと、日本の農産物輸入というものはきわめて急激にふえるという見込みはありましても、それが減るという見込みはほとんどないというふうに言ったほうがいいと思います。将来どのくらいの農産物輸入がふえるかという見通しを立てますのはなかなかむずかしゅうございますが、いろいろな機関なり団体なりで日本の農業の将来図というようなものをいろいろ描いておりますが、そういうものをごらんになりますと、多くの見通しでは、今後十年ないし十五年くらい先には、農産物輸入だけで五十億ドルをはるかにこえるだろうという見通しが多いようでございます。それが当たるか当らないかということは、なかなか複雑な問題がございますけれども、いずれにせよ、そういう急激に農産物輸入がふえていくという問題は、外貨収支の問題として考えましても、実はそう楽観を許さない問題だと、こういうふうに申し上げていいだろうと思います。けれども、実は問題はそれだけではございませんで、むしろ、かりに外貨のほうは何とかまかなえるといたしましても、日本が欲する農産物自体が国際的にきわめて窮迫した状態にある。したがって、日本がこれ以上輸入を拡大するということは、そもそも世界的な供給力からいってもかなり無理だ。その中で日本がしいて買い付けをしようといたしますと、価格が非常に上がるということを覚悟しなければならない。こういうような問題がいろいろな農産物についてあらわれてきております。早い話が、米一つをとってもそうでございますが、すでに今日日本が買っております米の量というものは、少なくともいわゆる準内地米について申しますと、国際的な供給力のおそらく半分をはるかに越えているというふうに考えていいと思います。そうしてまた、これによりまして、最近米価の国際的な騰貴というものが非常に著しくなっていることは御承知のとおりでございます。さらに、牛肉なんかにしてもそうでございますが、あるいはえさにいたしましてもそうでございますが、すべて国際的には非常に供給力が限られておりまして、日本がこれ以上輸入を拡大していくということについては楽観を許さないと言ったほうがいいものが多いわけでございます。しかも、それにつきましては、さらにいろいろな議論があるわけでございまして、たとえば、政府と申しましても、これは農林省よりはむしろ通産省のようなところのようでございますが、たとえば東南アジアのようなところと長期契約を結んで、日本と同じような米をつくってもらえば、米を十分そこから確保することができるし、それによってまた東南アジア貿易を拡大することもできるというような、そういう議論が一部には行なわれているようでございます。けれども、こういう議論も、私はたいへん失礼ながら、そそっかしい議論だというふうに考えておりますけれども、それは東南アジアの今日の状態から申しましても、日本の米のような、かなり高度な技術を必要といたしますような米をすぐに取り入れまして、そうして安定的な生産ができるというような条件は、大体において東南アジア諸国にはないというふうに申し上げたほうが私はいいだろうと判断いたしております。そればかりではございませんで、もし東南アジアの開発というものがある程度でも進みますならば、むしろ東南アジア諸国、アフリカもそうでございますが、そういうところでは食糧の国内的な需要がふえるという勢いが非常に強いわけでございまして、現在そういう国が農産物の多少輸出力を持っていると申しましても、それは実は一種の飢餓輸出でございまして、国内の、需要が極端に抑えられているところから輸出力があるにすぎない。多少とも開発が進みまして、国民所得の水準が高くなってまいりますならば、むしろ食糧は非常に不足するというのが東南アジアや、アフリカの一般的な状況だろうと思います。こういうようないろいろなことを見通しました場合に、安易に、輸入に依存していればそれで安心だ、あるいは輸入するほうが合理的だという議論は私ははなはだおかしな議論ではないかと、こういうふうに考えております。もちろん、そうは申しましても、何も日本が一〇〇%農産物を自給しなければいかぬと言っているわけではございません。また、そういうことはおそらく不可能だろうと思いますけれども、しかし、それにいたしましても、もう少し国際的ないろいろな視野の中で、どれだけのものは日本が自給を維持していかなければならないかと、こういうことをはっきりさせた上で、農業の問題なりあるいは農業政策なりというものを考えるべきだろう。現在までのところ、残念ながら、政府の姿勢というものはそういう点が非常にはっきりしておりませんで、何となくずるずるべったりに輸入をふやしていく、こういうような形になっておりまして、そしていまから二、三年前には、たとえば食糧自給率は八〇%に維持すると、こういうふうに政府はおっしゃっていたわけでございますが、今日すでに八〇%を割っているわけでございます。もちろん八〇%を割ったからたいへんだというふうにすぐ申し上げるわけではございませんけれども、そのこと自体は、つまりこういう国際的な環境の中に日本の農業をどういう形でどれだけ維持するか、こういう点についての基本的な姿勢が少しもきまっていなかった、すべて状況に押されて次から次へ何となく輸入をふやしてきてしまったと、こういうことが今日事態をはなはだむずかしくしているということは、やはり根本的に反省しておいていいことではないか、こういうように思うわけでございます。さて、そういうわけで、要するに、最近農業生産そのものが衰退に向かいまして、そうして日本の農業が国民経済的な要求に応じ切れなくなってきた、こういうことが非常に大きな問題であり、そしていま申し上げましたような意味で、どうしてこれから先の問題といたしましては、農業生産をいま以上に増大させていくという形で、日本経済全体の要求にこたえるためにはどうしたらいいか、こういう問題をあらためて立てなければならないような事態になってきた、こういうことを以上申し上げたわけでございます。ところで、こういう問題を立ててみますと、それが、先ほど申しましたように、従来の基本法で考えてまいりました農政の路線と根本的に違う——と言っては少し言い過ぎになるかもしれませんけれども、少なくとも基本法で考えてまいりました路線のかなり大きな部分を修正しなければならないという事態をもたらすものである、こういうことはおのずから明らかになってくるのではないかと思うのでございます。それはどういう意味かと申しますと、もちろん、農業基本的法自身は、御承知のとおり、いろいろな内容を持っておりまして、またいろいろなねらいを持っていたわけでございます。けれども、基本法のかなり根本的な一つのたてまえと申しますか、基本的な考え方になっておりましたのは、日本の農業についてとにかく労働生産性を高めていく、こういうことを追求しなければならない、こういう考え方であったと言っていいと思います。労働生産性を高めなければならないという考え方が出てまいりましたゆえんは、申すまでもなく、農村の労働力がだんだん減ってきているのだから、したがって、労働生産性を高めなければ生産を維持することができないということでもあったと言っていいと思います。さらに、それは農業所得を増大させるというねらいもあったわけでございましょうし、あるいは国際競争力をそれによって持たせようというねらいもあったでございましょう。いろいろねらいがあったにいたしましても、いずれにせよ、労働生産性を高めるということを一つの機軸にしながら、農業基本法というものは組み立てられているわけでございます。そして、いわゆる基本法農政というものの機軸になってまいりました農業構造改革事業というものを取り上げてみましても、ここではもちろん選択的拡大とか、いろいろほかの目的も入っておりますけれども、その中心的な部分は、特に稲作を中心といたしまして、大型機械を導入することによって労働生産性を格段に高める、こういうことが一つのねらいになって動いてきたわけでございます。ところで、その場合に、そういう労働生産性追求と、こういう一つのたてまえをかなり大胆に出すことができましたのは、農業基本法ができます段階では、御承知のとおり、特に米を中心といたしましては、将来需給がかなり緩和するであろうという見通しを持っていたためでございます。したがって、この需給がかなり米について緩和するんだから、ここでは多少総生産量が減るなり、あるいは反当収量が下がるなりということは犠牲にしても、とにかく労働生産性の高い技術というものをそれ一本やりで追求しよう、こういう考え方がある程度大胆に打ち出せたわけでございます。そしてまた、そういう労働生産性を高めることによって免じました余剰労働力をもって、畜産なり果樹なりその他成長作物にこれを振り向けていけば、選択的拡大もできると、こういう一つの構想の上に基本法というものは立っていたわけです。ところが、今日のような事態になってまいりますと、むしろわれわれは、はたしてそういう労働生産性追求と、こういう一本やりで日本の農業の問題を押せるのか、こういうことがたいへん大きな疑問になってくる時期になったと思います。むしろ、先ほどから申し上げておりますように、今日日本の農業の持っております問題からいえば、畜産物やくだものにいたしましても、これから先はむしろ不足の問題が大きくなると思いますが、それより前に、むしろ米を中心といたしました主穀作物につきまして、いかにして生産量全体を拡大させるか、あるいは少なくとも現在減りつつある、急激に減りつつある生産の減少というものをどうやって食いとめるかという問題が非常に大きな問題としてあらためて出てきたわけです。そうなりますと、いわば労働生産性を追求するだけではなくて、農業経済の用語で言えば、土地生産性そのものをいかにして高めていくか、こういう問題をもう少しつけ加えなければならない、こういう問題が新たに出てきたように思うわけでございます。ところで、土地生産性を拡大する、そういう形で米麦の増産をすると、こういう問題だけでございますならば、これは必ずしもむずかしい新しい問題ではないわけでございまして、むしろ明治この方日本の農業が長年やってまいりましたことは、ある意味では米麦を中心として土地生産性を増大させると、こういう一つ方針であったわけです。ただ今日、それが非常に新しい問題であると申しますゆえんは、従来の土地生産性を増大させるような方向というものは、御承知のとおり、農村に過剰労働力があるということを前提といたしまして、したがって、やや極端な言い方をいたしますならば、いわば人海戦術でもっても増産をすればいいんだというたてまえでもって、あらゆる増産の問題というものが解決されてくると、こういう方向で日本の農業は発展をしてきたわけでありまして、ところが、これから先の日本経済なり、日本の農業を考えますと、言うまでもなく、かつての日本の農業のような、過剰人口を持ち、その過剰人口を惜しみなく使うという形で生産をふやせばいいと、こういうような考え方というものは、もはやできなくなっております。むしろ現在におきましても、御承知のとおり、農村は非常な労働力不足に悩んでおるわけでございまして、先ほど申し上げましたような、三十七年以来の農業生産の衰退なり縮小と、こういうことも基本的には労働力不足が一番大きく響いている、こういうふうに考えなければならぬと思います。さて、それでは、これから先はどうかということになりますと、むしろこれから先は、これまでのように、日本経済の成長率はおそらく高くないということは、これはだれも異論のないところだと、しかし、かりにその経済の成長率が、従来の一〇%くらいのところから、たとえば五、六%というような半分くらいの速度に落ちてくるということを考えましても、御承知のとおり、新しい労働力の供給というものが、もうすでに来年度からは非常に減る時期に入っております。ことしの学卒が、御承知のとおりピークでございまして、これからはむしろ急速に減るわけでございまして、あと三年くらいいたしますと、むしろ新規学卒の頭数ではリタイアする労働力をカバーできない、こういう形になるわけでございまして、あと三年くらいたちますと、労働力の供給は完全にマイナスになる、こういう時期に入るわけです。そういう状況考えますと、どう考えてみましても、農村に若い者が大量に残ってかつてのような過剰人口ができるというようなことは考えられません。また、いますでに農業で働いております人たちは相当高齢化しております。六十歳以上がすでに一割をはるかにこえていると考えていいと思いますが、こういう人たちは、そうあと十年も二十年も働けるわけではございませんで、おそかれ早かれリタイアせざるを得ない。そういう状況考えますと、農村の労働力不足というものは、経済成長率がかりにかなり落ちたということを考えましても、やや長期的に見ますと、私は、ますます逼迫するという方向に動くのであって、過剰になるというふうにはとうてい考えられないというふうに判断しております。そうなりますと、したがって、どうしてもまた、一方では労働生産性を高めるということを考えながら、しかし、先ほど申し上げましたようなわけで、労働生産性一本やりではいかないので、土地生産性も高めなければならないと、こういうような、いわば二兎を追うような方法というものを発見しなければならない。こういう新しい問題を日本の農業は持つのではないかと思うわけでございます。ところで、この点で、もちろん純粋に技術的に申しますならば、機械化をして労働生産性を高めるということが、必ず土地生産性が下がることだとか、あるいは土地生産性を犠牲にすることだとかいうふうには、抽象的には言えないわけでございます。むしろ、抽象的に、技術の問題として考えますならば、概して言えば、機械化をするということは、労働生産性を高めると同時に土地生産性をも高め得ると、こういう可能性を持っているということは言えるであろうと思う。したがって、技術の専門家はその点をかなり楽観的に言う人もあるわけでございますけれども、ただ問題は、言うまでもなく、そういう試験場なりあるいは実験室で考えたときにそういうことができるということと、農村の現実においてそう動くかどうかということとにはかなりの距離がございます。もちろん、新しい機械化の体系というものが何年かたちまして相当安定して、農業の中で十分こなせるようになりますならば、私は、必ずしも土地生産性がそれによって下がるというふうには考えませんけれども、しかし、おそらく、機械が入りましてそれが十分使いこなせ一つの技術体系として定着をいたしますためには、五年とか十年とかいうようなかなり長い期間というものが必要であろうと思います。その期間の間はある程度土地生産性を犠牲にせざるを得ないような問題が起こると、こういう危険性を十分勘定に入れておかないで農業政策の問題は考えられないと思うわけでございます。そこに非常に大きな問題があるわけでございまして、そういうふうに考えてまいりますと、要するに、いままでの基本法路線、こういうものが——もちろん全部御破算になるわけではございませんでしょう。いま申しましたように、つまり、とにかく労働力が足りなくなるんだから労働生産性を追求しなければならないという限りでは、基本法の路線というものは生きていると、育ってもいいかもしれません。しかし、いままでのような簡単な、ある意味ではいままでももちろんむずかしかったわけですが、それにしましても、いままでのように簡単な考え方で、労働生産性一本やりで押せるという段階ではなくなってきたということが、いよいよもって日本の農業に困難な課題を課していると、こういうふうにわれわれは判断しているわけでございまして、したがって、これからの農政はそういう困難な課題に真正面からこたえる姿勢を持っているかどうか、こういうことによってわれわれは判断しなければならないというふうに思うわけでございます。そういう意味で、この手始めに、昭和四十一年度の農林予算というものをわれわれが考えるにいたしましても、はたして農林予算というものがそういう日本農業の事態を十分に認識した上で、それに十分こたえるという姿勢を持って組み立てられているかどうか、こういうことが一番基本的な問題ではないか、こういうふうに考えるわけでございます。  そこで、少しその具体的な予算の内容を検討してみますと、なるほど今度の農林予算は、総額といたしましてはかなり膨張しているという形になっております。もちろんこの中には、食管の繰り入れ金とか、あるいは災害復旧のための経費とかというものがございますから、必ずしも実質的に農業政策がそれによって拡大される部分だけではございません。しかし、実質的に農業政策の展開に役に立つというふうに考えられます経費だけを拾い出しても、大体、昨年度に比べて——昨年度と申しますか、四十年度に比べまして、五百億円ぐらいはふえていると、こういうふうに判断してよさそうでございまして、そういう意味予算全体がもちろん膨張しておりますが、その中で農林経費というものは、やや優遇されている、こういう言い方はできるかと思います。けれども、それだけの総額について申しましても、たかだか五百億円ぐらいの増大ということで、そしてこれだけまた物価騰貴が苦しいという状況の中で、はたして、いま申しましたような問題にほんとうに前向きにこたえるということが言えるのかどうかということになりますと、これはまあいろいろ検討してみなければならない問題が残るのではないかと思います。しかし、その総額の話はそれといたしましても、今度はこの農林経費のいろいろ中身について多少検討をしてみますと、確かにここではいわば従来になかったような新しい幾つかの構想というものが新たに打ち出されていると、こういうことは事実でございまして、その限りにおいては農林省なり政府なりの一応の前向きの姿勢というものをわれわれは読み取ることもできるように思うのであります。しかし、それはあとで申し上げますように、そういう前向きの構想自体につきましても、なおいろいろ問題が残っておりまして、はたしてこれだけのことでもって何がやれるのか、こういう疑問を率直に言えば持たざるを得ないようなものでございます。しかも、それを全体の予算の中で考えてみますと、そういう前向きだというふうに考えられるものは、比較的わずかでございまして、かなりの部分は、どうも何となく従来の情性の上に従来と同じような考え方で総花的に予算を配っている、こういうだけのことでございまして、格別新しい姿勢なり新しい構想があるというふうにはどうも言えないものが非常に多いと、こういうことを見ますと、どうも農林予算全体としては何か焦点が定まらないし、いま申しましたような農業の重大な問題をほんとうに認識しているのかどうかさえ疑いたくなるような、そういう感じをぬぐい切れないわけでございます。しかしまあ、その中で、とにかくいまちょっと申し上げましたように、幾つかの新しい構想なり新しい姿勢なりというものが出ているわけでございますから、それについて多少検討をしておくということが必要であろうかと思います。それは、こまかく拾えば幾つかあるのでございますけれども、その中で、先ほど来申し上げてまいりましたような点と関連いたしまして、かなり重要な意味を持っているというふうに考えられますものが三つほどございます。  一つは、言うまでもなく、例の、農林省がいまつくりつつございます長期土地改良計画、こういうものが新しく浮かび上がってきたわけでございまして、これによりまして、土地改良をこれから大規模に押し進めていこうと、こういう構想がつくられまして、そしてその初年度としての予算が今度の予算の中に組み込まれているわけでございます。ところで、この土地改良事業を大規模にやると、こういうことは、そのこと自体につきましては、おそらくだれも異論がないことであろうと思います。先ほど申し上げましたような、労働生産性を高めるだけでなくて、土地年産性を高めるという観点から申しましても、土地改良事業を徹底的にやると、こういうことはだれが考えてもまっ先に着手をしなければならない点でございまして、そういう意味で、土地改良事業を拡大すること自体には私もむしろ大いに賛成でございまして、なるべくこれを積極的にやるべきだというふうに考えます。けれども、従来から農林省がやってまいりました土地改良事業のやり方そのものについて申しますならば、御承知のとおり、これはきわめて大きな欠陥が幾つかございます。その欠陥があるがために、土地改良事業というものが、これまでも相当の予算をかけて相当大規模にやってこられながら、必ずしも効果をあげない、ことに農民のために必ずしもプラスにならない、こういう問題を持ってきたわけでございます。したがって、問題は、新しくそういう大規模な土地改良計画というものをお立てになるならば、従来そういう土地改良事業というものが持ってきたいろいろな欠点を十分に検討した上で、そこをほんとうに直した上でやるのだ、こういう姿勢が入っておりますならば、われわれも大いに賛成したいところでございますが、どうも、残念ながら、いまの農林省の説明している限りにおきましては、土地改良事業を推進していく仕組みそのものは従来とほとんど変わらないままで、ただ規模だけを拡大しようというお考えのようにしか受け取れないわけでございます。それでは、その従来の土地改良事業というものはどういう欠陥を持っていたのか、こういうことになりますと、これはもちろん幾つもの欠陥をあげることができます。しかし、時間の関係もございますから、こまかいことは省略いたしますが、たとえば、土地改良事業というものは、御承知のとおり三段がまえになっておりまして、国営事業と県営事業とそれから地元負担でやります事業と、こういうふうに——私はこれをげたばき方式と言っておりますが、げたばき方式でやっております。ところで、このげたばき方式でやりますことが、いろいろ事業の進み方というものをばらばらにしてしまいまして、一貫した計画でもって一貫的に動かすということが非常にむずかしくなってきております。ことに、最近のように地方財政が非常に詰まってまいりますと、いままでは地方団体はむしろいろいろな理由から大いに土地改良事業をほしがりまして、むしろ政府に頼んで、くれくれと言って積極的にやっていたわけでございますが、最近ではむしろ地方団体はもうとても土地改良事業の負担にたえ切れないわけです。むしろ県としてはこれをいやがっているような傾向が強くなってきております。そういうこともございまして、はたしてその三段がまえのげたばき方式でいけるのかどうかという問題がございます。それからそれと関連いたしまして、たとえば末端におきましては農民の負担というものがかなりございます。なるほど政府に言わせれば、構造改造事業のときには七割が国庫の負担になっているとか、あるいは、一般の土地改良につきましても、五割とか六割が国民の負担になっているから、地元負担は軽いのだというふうには申しますけれども、しかし、地元の農民自身の立場で申しますと、軽いと申しましても、それは相当大きな借金として残らざるを得ない、こういうようになっておりまして、もちろんその借金に対しましては農林漁業金融公庫がめんどうをみておりまして、一応低利長期の資金が与えられるという仕組みにはなっておりますけれども、それにもかかわらず、少なくともいまの土地改良事業をやろうといたしますと、農民の負担は、一反歩について、多いところは十万円ぐらい、少なくとも五、六万円の負担を覚悟しなければならない。そういたしますと、一町歩をやれば、すでに百万円ほどの借金を負ってしまう。こういうようなことになって、そのこと自体がまた農民の土地改良事業に対する意欲を非常に失わしめていると、こういう問題があるわけでございます。さらに、もう一つ進んで考えれば、土地改良事業というものは、単に改良しただけで話は片づくものではございませんで、改良いたしました土地自身を農業生産とどういうふうに結びつけていくかという組織の問題が必要でございます。これにつきましては、特に前々から、これはすでにいまから数年前にできました農林漁業基本問題調査会の段階から、土地につきまして公的な管理組織というものを早く育成して、そこで計画的に土地を利用するという方法考えなければいけない、こういう答申が政府に対して出されているにもかかわらず、今日までその土地の利用権の公的な意味における計画化なり調整なりというものは、全くと言っていいほど行なわれていない。こういうようないろいろな欠点が、そのほかにもたくさんございますが、その程度でもおわかりかと思いますが、そういう欠点をそのままにいたしまして、ただ土地改良事業をやるというふうに御計画をお立てになっても、それではたして動くものかどうか、また、多少の土地改良事業ができても、それは農民に借金を負わせるだけに終わってしまうのではないか、そういういろいろな心配がわれわれには持たれるわけでございまして、その辺のところに対する十分な手当てというものははなはだ不足しているのではないか、こういう印象をぬぐい切れないわけでございます。  それからその次に、第二番目の柱になっておりますのは、御承知のとおり、この前の国会で流れてしまいました農地管理事業団でございます。この管理事業団につきましては、もちろんいろいろ御批判の向きもあるようでございますけれども、私は管理事業団そのものの基本的な構想自体は必ずしも悪いものではないというふうに考えております。もちろん、今日、いわゆる土地の流動化を拡大しなければならないということは、これはだれが考えても当然のことでございまして、農業の合理化のためにはそれがある意味では先決問題だというふうに考えられるのでございます。もちろん、土地の流動化というための方策といたしましては、ただ土地を売買するだけではございませんで、たとえば、農地法のたてまえをゆるめまして小作関係を自由にしていく、こういう方法でもって土地の流動化を促進するという考え方もございます。その農地法をどこまでゆるめるかとか、どうするかということについては、いろいろ問題が残っておりますけれども、まあ私ももちろん借地関係でもってある程度土地の流動化を促進するという道はないわけではないと思っております。ただ、実際問題としては、私は農地法のたてまえをゆるめて借地関係を大きくするといいましても、それでは問題は根本的には解決できないだろうと思うのは、言うまでもなく、今日では、昔とは違いまして、農業経営を成り立たせますためには、土地に固定するような投資、先ほど来の土地改良事業から始まりまして、農道の整備なり、いろいろな土地に固定するような投資というものを大量にいたしませんと、農業生産というものは成り立たなくなっておる。そういう長期にわたって土地に固定するような投資は、やはり耕作権が安定しておりませんと投資ができないわけでございまして、一年とか二年の借地の上に同定的な投資をするということは不可能でございます。そうなりますと、かりに小作関係を認めるといたしましても、結局相当長期にわたって耕作権を安定させるという措置はとらざるを得ない。そうなれば、また地主のほうは、今度はそんなものは貸したくないということにならざるを得ないわけでございまして、したがって、いずれにせよ、小作関係を自由にしてみても、私は借地の上では土地の流動化というものはあまり進展しないだろうと、こういうふうに考えます。したがって、基本的には、どうしてもある程度所有権を動かしていくということを考えざるを得ないわけでございまして、その所有権の流動化をはかるというためならば、そこに政府がある程度介入いたしましてその流動化を促進するような措置をとるということ自体は、これは決して間違った考え方ではないと思うのでございます。けれども、この管理事業団そのものにつきまして、それではこれで十分動くかということになりますと、いろいろの問題がございます。管理事業団そのものの構想にいたしましても、今度は、この前流れました案に比べますと、やや規模が大きくなっております。前に流れました案につきましては、私はこんなものはやっても二階から目薬だという批評をしたことがございますが、今度は、二階から目薬よりも、一階半から目薬ぐらいになったのかもしれませんけれども、しかし、それにいたしましても、きわめて小規模でございまして、これだけで必要とするいまの日本の農業に対応するような土地の流動化が促進されるなんということはとても蓄えない、全く部分的に何かがやられているというだけのことにすぎなくなるだろうというふうに思います。さらに、管理事業団の一番大きな問題は、今回の案につきましても、依然としてフランスでやっておりますような土地の先買い権というものが認められていないということでございますが、土地の先買い権というものを規定しておきませんと、実はこれは全く底抜けになってしまうわけでございまして、私的に土地が売買されるということを防ぎ得ないで、結局、計面的には何事も動かなくなってしまう、こういう大きな欠陥を持っているということが一つの問題だろうと思います。けれども、実は、この管理事業団の問題というのは、管理事業団自体の問題というよりは、その周辺のそれが十分に活動し得るような条件を整えるということにおいてはなはだ欠けていると、こういうことが大きな問題のように私は思うのでございます。その条件に欠けているという問題もいろいろございますが、一つの側面は、先ほど来申し上げましたように、管理事業団が管理事業団として動くにいたしましても、その前に、もっと全体的に土地をどういうふうに配分し、どういうふうに管理をするのかという公的な組織というものが先にございませんと、管理事業団がかってに土地を売ったり買ったりするとか、あるいは売買のあっせんをすると申しましても、どららを向いて何をやるのかということがちっともわからなくなってしまう。また、かりにそういうことをやってある程度土地を動かしてみましても、再びその土地が分散して変なところに流れてしまうという問題も防ぎ得なくなってしまう、こういうことになりまして、いずれにせよ、全体としての土地の公的管理という姿勢をどこまで強くするかという問題が先決問題として残るわけでございまして、それについての対策がほとんど考えられていないというところに大きな問題があろうと思います。それから、他方におきましては、言うまでもなく、土地を売買させると申しましても、他方におきましてはある程度離農をする人たちのことを考えておきませんと、ただ土地を売買させるだけでは問題はちっとも解決しないわけでございますし、第一離農者に対する十分な対策というものなしには、土地の売り手がおそらくないだろうというふうに考えていいだろうと思います。それでは、その離農者に対してどれだけの措置がとられておるかということでございますが、かつてから問題になっておりますようなたとえば離農年金というような考え方も今回の予算の中には全然出てきておりません。それからさらに管理事業団自身の問題といたしましても、ただ土地を買うというだけのことで、しかも特価で買うというたてまえになっておりますけれども、もしほんとうに離農者の問題を十分に考えるといたしますならば、離農する者に対しては、単に耕地だけではなくて、住宅とか宅地とかその他のものにつきましてもこれをきわめて有利な値段でもって買い上げてやる。そして、そういうことによって、そういう離農する人たちの離農後の道をつけてやる。これだけの配慮をいたしませんと私は意味がないと思うのでございますが、そういう配慮も全然管理事業団の中には入ってきていないわけでございます。こういうつまりいろいろな大きな欠陥を持っている中で、ただ管理襲業団だけをぽんと出してしまいましても、これは初年度なんだから、とにかくこれをやって、おいおいそういう突っかい棒を整備していく、こういうのが政府のお考えだろうと思うのですが、それならそれでしかたがないといたしましても、やはりそれだけのことを近い将来にはやるのだという姿勢がきまった上でお考えになるべきことではないか、こういう感じをやはり強く持つわけでございます。  それから第三番目には、もう一つ大きく取り上げられておりますのは、先ほど申し上げました肉牛の不足という問題に対応いたしまして、特に子牛の飼育センターのようなものをつくりまして、それによって肉牛の増産をはかろうという考え方でございます。ただ、これにつきましては、予算そのものがはなはだ貧弱でございまして、たしか四億幾らであったと思いますが、とにかくこれだけで十分かどうかという問題もございますし、これにつきましても実はそれ以上に大きな問題がございます。これは、単なる肉牛だけの問題ではございませんで、実は乳牛まで含めまして、日本の将来の畜産を維持し、酪農を維持していくためには、どうしても飼料給源というものを非常に大きく確保しなければならない。ことに、肉牛の場合には、御承知のとおり、非常に広大な放牧地というものを必要とするのでございまして、それなしには肉牛経営というものは成り立ちません。そうなりますと、これはただ飼育センターをつくって子牛を少し育成したらそれで日本の畜産がうまくいくなんていう話ではございませんで、むしろ日本の山林原野をどういうふうに畜産と結びつけて利用するか、こういう大きな見通しなしにはこの問題は考えられないことでございます。そして、山林原野を利用するという点になりますと、その前に、山林原野の所有権なり利用権なりというものをいかにして調整するかという問題が入ってくるわけでございます。もちろん、そのほかに草地改良事業のようなものにもっと予算をつけなければならないという問題もございましょうが、ただ、たとえばいままでの農林省がやってまいりました草地造成事業でも、これがほとんどうまくまいりませんのは、山林の所有権なりあるいは利用権というものにぶっつかってしまいまして、したがって、農民の便利とするところに草地造成ができないで、とんでもない山奥の不便なところに草地造成をしてしまう。そうなりますと、草地をつくってみてもだれも利用しない、こういうようなことになりまして、実際には山の利用権の問題にひっかかってしまいまして、少しもその問題が進展していないわけでございます。そうなりますと、少なくとも基本的に山林原野の利用権をどういうふうに開放していくのか、これについてはまだ御承知のとおりわずかに国有林開放がほんの部分的に手をつけられたというだけでございまして、それ以上の構想というものは何も打ち出されていないわけでございます。  こういうふうに検討してまいりますと、要するに、新しい芽が多少出てきておるという点についてこれを一応認めることにやぶさかでないといたしましても、以上申し上げましたように、その新しい芽というのははなはだ基盤が整っていない、また、基盤を整える姿勢というものは残念ながら四十一年度予算を拝見した限りではほとんどうかがえない、こういうふうに申し上げるしかないわけでございまして、そういう意味では、農業問題がきわめて重大化しているのに対してこういう予算しか提示されなかったということは、われわれから申しますとはなはださびしい感じがする、こういうことを申し上げまして、何か御参考にしていただきたいと思う次第でございます。  たいへん蕪雑なことを申し上げまして恐縮でございます。(拍手)
  41. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ありがとうございました。大内公述人に御質疑のおありの方は、ひとつ順次御発言を願います。
  42. 羽生三七

    羽生三七君 日本農業の当面する重要な問題を御指摘いただいて、ありがとうございました。  そこで、いまの特に農業基本法との関係で重要視されております生産性の向上の問題、農業生産力の向上の問題でございますが、この場合、御承知のように、所得倍増計画では十年後に二・五ヘクタールの自立経営農家百万戸をつくるということであったのでございます。ところが、先般のこの委員会の質疑の過程で、農林大臣は、二・五ヘクタールということは消えてなくなった。総理は、一応それは残ったと言われました。それはどちらでもよろしいけれども、一応とにかく経営規模拡大ということに出産性を結びつけるウエートというものは非常に低くなってしまったという印象を受けました。それで、むしろ兼業農家がどんどんふえてくるこの趨勢を半永久的なものと見て、兼業農家を育成するとは言いませんが、兼業農家がどんどんふえていくのもやむを得ないとする自然の趨勢と見て、むしろ経営規模の拡大だけに重点を置いているような従来の政策を転換をするのではないか、半永久的に兼業農家を固定的なものと見るのではないかと思われる全体の総理、農林大臣等の答弁の印象ですね。そういう印象を受けて、これが実は一つ日本農業の当面する非常な重大な問題点になってきたのではないかという感じも受けたわけです。先ほど来御指摘の点もまさにそのとおりだと思いますが、いまの兼業農家の問題といま御指摘になったそれぞれの問題と対比した場合、はたして日本の産業経済上の構進上の問題からこの兼業農家というものは簡単に解消できるかどうか。できないとすると、経営規模を拡大してそれと生産性を結びつけるという政府事業が非常な大きな矛盾といいますか、停滞状態におちいるのじゃないか、こういう印象を先般の質疑の過程を通じて深めたのでありますが、これはいかがでありましょう。
  43. 大内力

    公述人(大内力君) いま御質問の中で、所得倍増計画につきましては、私は何も直接に関係いたしませんでしたので、詳しい事情は知らないのでございますが、大体同じような、ある意味では似たような構想が、先ほど来ちょっと申し上げました農林漁業基本問題調査会でも取り上げられたことがございます。ただ、そのときには、これはどうもその後基本法ができてくる過程でいろいろ何となく焦点がぼけてしまったような感じもしておりますが、たとえば二・五ヘクタールというようなことが問題になりましたのは、私の理解するところでは、それは経営規模の単位ではなくて、むしろ所得を考えた場合の一つの単位であるというふうに理解をしていたわけでございます。つまり、もともとのねらいが、農業の所得と他産業の所得をできるだけ均衡させたい、こういうねらいだったわけでございますが、そうなりますと、五反とか一町とかいうような程度の農家では、幾らさか立ちをしてみても、これは温室をやるとかなんとかいう特殊なものは別といたしまして、普通の経営でございますと、幾らさか立ちをしてみましても、他産業と均衡がとれる、たとえば百万円というような所得を考えた場合、そもそも不可能です。そこで、農業の所得を他産業と均衡させるからには、最小限二・五ヘクタールないし三ヘクタールぐらいという程度の土地資源をそれぞれの農家に持たせておかないと、そもそも均衡的所得というものを維持することは不可能だろうと、こういうふうに考えていたわけでございまして、そういう意味で所得単位というふうに考えたわけでございます。そして、その経営の単位のほうは、もちろん二・五ヘクタールとか三ヘクタールというのは問題にならぬということは初めから考えていたわけでございまして、多少とも機械化した農業というものを考えれば、たとえば四、五十馬力のトラクターを入れるというようなことを考えればむろんのことでございまして、せいぜい十馬力程度の小型トラクターで考えるといたしましても、経営としての適正規模ということから言えば、十ヘクタールとか二十ヘクタールとか、あるいは場合によれば八十とか百とかいうようなそういう面積でなければ機械を使いこなせないということは、これは自明のことでございます。したがって、その間は言うまでもなく協業経営という形で、基本法のことばで言えば協業経営という形でつなぐしかない、こういうことでございまして、何も二・五ヘクタールとか三ヘクタールという農家が、あれを自立経営なんていう妙な名前をつけたものですから誤解が生じたのかもしれませんが、それが一人で自立をして経営をやれるなんていうことは、これは例外的な先ほど来申し上げました温室農業みたいのようなものは別といたしまして、普通の農業では考えられない、こういうのがむしろ基本法ができます前に基本問題調査会で考えていた段階では基本的な構想であったわけでございます。そこで、そういう構想は私は今日でもそれでいいんじゃないかというふうに考えておりますので、いまの羽生先年の御質問に関連して申し上げれば、これから先の日本の農業を考えますときに、私はやはり普通の農業生産というものについては、自立経営と申しましても、一軒一軒がばらばらに独立をして生産をやるような態勢というものはとうてい成り立たないだろうと考えております。どのみちこれは相当大きな規模の、それが七十ヘクタールか八十ヘクタールか知りませんが、とにかくある適正規模を持ちました協業経営なり共同経営、こういう方向に育成をしていく以外にはないのではないか、こういうふうに考えております。けれども、いかに共同経営なり協業経営を考えるといたしましても、やはりいま申し上げましたように、個々の農家がそれに参加をする場合でも、三反百姓とか五反百姓では、いかにそこに共同経営に参加して生産性を高めてみましても、所得はとても二十万円とか三十万円に限られてしまうわけでございまして、そんな百万円とか、百五十万円の所得にはなりっこがないわけでございます。そうなりますと、結局、問題は、そういう三反とか五反とかいうような農家は、やはりそれが農家として専業的に成り立つためには、どうしてもその十倍ぐらいの経営規模というものを考えざるを得ないのではないかと、こういう構想になってくるわけでございまして、そういうところからある程度の適正規模を持った農家を一方で育成して、それを協業経営という形でくくりながら大規模経営の方向に近づけていく、こういう構想はどうもだれが考えてもそれ以外の道はないんじゃないかという感じがいたします。  ただ、その場合に一番問題になりますことは、いまの御賛同の兼業農家の問題でございますが、その場合に一番大きな問題になりますのは、もちろんできれば兼業農家をなるべく整理いたしまして、そしてむしろ第二種兼業のようなものは離農をしてもいい——と言っちゃ問題かもしれませんけれども、むしろ農業は全くの副業でございますから、そういう人たちにつきましてはむしろ労働条件をしっかりしてやるとか、あるいは社会保障制度を整備してやるとか、こういうほかの方向でもって生活の安定をはかるべきであって、そういう方向でむしろ主婦農業のような形で主婦に非常に大きな負担をかけているような農業はなるべく整理をしていく、こういう道をつけるのが当然の考え方ではないだろうかというふうに考えております。しかし、そうは申しましても、実際問題といたしましてそれではそういろ兼業農家——これがいまのお話のようにますますふえているわけでございますが、これを一挙に整理できるというようなことはとても考えられません。そこで、さしあたりの問題といたしましては、しかし一番問題になりますのは、そのいまのように専業農家と兼業農家が同じところに入りまじっておりまして、土地の上においてもお互いに交錯している、土地が入りまじっておりますし、したがって、ある一つの協業経営を組むといたしましても、いまではどうしても専業農家と兼業農家をこみにして協業経営を組まざるを得ないと、こういうような仕組みになっておるわけであります。このことがはなはだいろいろな障害を生むわけでございまして、つまり、土地改良事業一つをやるにいたしましても、専業農家はやりたいと言っても、兼業農家はそんなものには関心がない。あるいは、協業経営の中に機械を入れると言いましても、専業農家は関心があっても、兼業農家はそんな金を出すのはいやだと、こういうことになりますと、てんでんばらばらになりまして、とても協業化というものが促進できないと、こういう問題にぶつかるわけであります。したがって、むしろできればまず最初に手をつけるべき方法は、専業農家は専業農家としてある一カ所にできるだけ集中をしていき、兼業農家は兼業農家としてある一カ所にできるだけ集中をしていく。そして、協業をするにいたしましても、専業農家の協業体とそれから兼業農家の協業体というものをできるだけ分けていくということが必要ではないかと思います。まあ兼業農家は御承知のとおり非常に生産性が低いわけでございますし、新聞で拝見いたしますと、この間の国会で第二種兼業は非常に生産性が低いけれども第一種前業はそうでもないと、こういうような御議論があったようでございますが、これは統計的に見ますと現在のところ確かに第一種兼業というものは必ずしも生産性が低くないことは確かです。けれども、これはいわばまだ無業化の第一期症状の段階でございますから生産性があまり下がらないのでありまして、つまり従来の基幹的な労働力が残っていて若い人たちが外へかせぎに出て行くというような形ですから、まだ従来の生産性を維持しておるわけであります。あるいは、兼業収入が多少ふえることによって農業投資がふえますために多少生産性が上がると、こういうことになっております。しかし、これはいわばその兼業化の第一期症状でありまして、もう少しいたしますと、今度はいまの働いている人たちが年をとってくる、それから出て行ってしまった人は農業には専業しないと、こういうことになって、第二期症状に入りますときには、必ず生産性が落ちるものでございます。ですから、むしろそういう兼業農家というものは残さざるを得ないとしても、これは先はど申しましたようになるべく整理すべきものでございましょうが、残さざるを得ないとしても、それはできるだけそれなりに協業化をさせるということによって、一方では主婦の労働をなるべく軽減してやるということもございますし、他方では、それによって比較的高い技術水準を維持し、高い投資を維持すると、こういうことによって生産性に悪い影響を及ばさないようにすると、また、兼業農家のじゃまにならないようにすると、こういうための配慮がどうしても必要ではないか、こういうふうに思います。そういう意味では兼業農家を整理するといっても、いきなりできないとすれば、むしろいま申しましたような意味における兼業農家と専業農家の間の土地の交換分合というものをできるだけ強力に推し進めると、こういう方法をまず考えるということが一つ政策の眼目になるのではないか、こういうふうに私は考えております。
  44. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 いまお話がありました中に、農業、工業、消費者と、こういう形に転換をしていくべきじゃないかと、こういうふうにも考えられるのであります。生産、製品、消費と、こういうふうな形にお話がありましたように、長期間かかって出産化されるものでございますので、たとえてよく昔からことわざがありますね、「桃栗三年柿八年、しぶしぶ梅は十三年」とかいって、そういったような昔の言われた年数よりだいぶん縮小はされておりますが、先ほどのお説のように長期かかっていく農産物の実態から見まして、最初申し上げましたように、農業、工業、消費者、こういう形に転換していくべきじゃなかろうかと、こうも思われるわけでありますが、この点について……。
  45. 大内力

    公述人(大内力君) ちょっと御質問の意味がはっきりしないので、御質問をお返ししてはたいへん失礼でございますが、農業、工業、消費者というふうに転換すべきじゃないかとおっしゃるのは、何をでしょうか。政策をでございますか。
  46. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 そうでございます。たとえば、トマトをつくると、そこで製品化していく。そうしてそれを消費者に渡す。——加工ですね。工業というのは加工と言っていいと思います。そういう形へ交えていくべきじゃないか。今日までは労働力の供給だけであるというような形から、一歩工業化して、それを加工していきながら、兼業農家等の考え方も含めて、将来はそういう系統立った行き方をしていかなければならないと、こういう点についてどうかということなんです。
  47. 大内力

    公述人(大内力君) わかりました。  いまのお話の加工業のことでございますが、これはもちろん、物によりまして農産加工というものは、最近、非常に発達してきているわけでございますが、これはますます発達させなければならないということはだれも異論のないところではないかと思います。ことに、いま日本で一番差し迫った問題になっておりますのは生果物のようなものでございまして、御承知のとおりに、野菜の価格というものは、先ほど申し上げましたように、水準としても非常にべらぼうに上がっておりまして、あらゆる物価の中で野菜の値上がりが一番激しいわけであります。しかし、その水準が非常に上がっているということのほかに、御承知のとおり、価格の動揺が非常に激しいわけでございまして、この動揺が激しいということが、消費者にとりましても、生産者にとりましても、はなはだ迷惑だという問題になっているわけです。この価格の動揺につきましては、もちろん農業生産自体にもいろいろ問題があるわけでございますけれども、一つ大きな問題は、日本の場合には、御承知のとおり、なま野菜をそのまま消費するという形が非常に多くて、加工品の消費というものが非常に少ない。その点でアメリカあたりとは非常に違った構造を持っている。で、このことがその価格の動揺をまた非常に大きくしているわけでございますから、やはり長い問題としては価格の安定措置の一つの方策といたしまして、野菜につきましても、たとえば冷凍なり、冷蔵なり、あるいは半乾燥なんというようなしかるべき加工施設というものを結びつけていくということによりまして、野菜の供給量を安定させるという方法がどうしても開発されなければならないわけであります。同じような問題は、くだものとか、それから肉とか、あるいは花に至るまで、すべてあるわけでございまして、どうも日本の農業生産というものは、概して申しますと、できたら翌日売ってしまう。その翌日にはもうマーケットに出ている、こういう形になっているところに非常に大きな問題があるわけでございます。で、そういう意味で加工をもっと強力にしなければならないということは異存のないところだと思います。  ただ、この加工につきましては、実はそれより先にいろいろ問題があるわけでございまして、一つは、そういう加工というものをどういう資本が握るかということがやはり非常に大きな問題でございます。で、これは、もちろん能率の点から申しますならば、ある程度大資本が握って、大規模生産をやるということがあるいは能率がいいというふうに言えるかもしれませんけれども、しかし、同時に大資本がそういうものを集中的に握りますと、いろいろ契約栽培だとか、その他の形でまた農民に対してそれが圧力になってくるという問題がございまして、何か農民の立場から言うと、必ずしも歓迎すべきことばかりではない。いろいろな弊害がそこからまた出てくる、こういう問題もございます。そこで、まあ他方の考え方としては、こういう加工分野につきましては、できるだけ農民資本でやるべきだ、たとえば農協がやるべきだとか、あるいは農民が出資をしてやるべきだという考え方もあるわけでございます。ところが、これもいろいろまた問題がございまして、それでは農民資本なり、農協資本がどこまでやれるのか、つまり最終段階の加工までやれるのか、あるいは第一次加工のところまでしかやれないのか、あるいはどこで線を引くべきかという問題がございます。それからその小さな農民資本なり、農協資本なりが、比較的低い技術でやっていく、それでもってはたして能率的にいくかどうかという問題もいろいろございます。で、そういたしますと、そういう零細な能率の悪い工場というものがただ低賃金の上に立って成り立つというようなことになりがちでございまして、そこにまた消費者にとっても価格の高いものを買わされるということになりかねない。そういうことでこの加工を拡大させること自体は非常にけっこうだとして、それではその加工産業というものはどういう姿でどういう分野を、どういう資本が担当し、どういう分野は農民が担当するかという区分けをどうつけるかという問題になりますと、これは実はまだ何もはっきりしていないというふうに申し上げたほうがいいんじゃないかと思います。現状は、その点非常にこれはまた乱雑になっておりまして、一方では農協がいろいろな形でもってそこのところに進出しようとしているし、それから農協が内分で進出するのはぐあいが悪いものですから、いろいろな形の子会社みたいなものをつくりまして、そういうところで進出しているところもある。また、非常に広範な中小企業がそこに広がっておりまして、また、その中小企業ももちろん自立的なものではございませんで、その上を大商社なりあるいは大メーカーというものが中小企業を下請にしながら、それを系列化しながら、その上を押えていく、こういうような仕組みも出てくる。あるいはさらに、大資本が農民を直接把握しているというのもある。こういうものを一体、どういうふうに考えてどういうふうに整理するかという問題は、どうも政策の問題としてはほとんど取り上げられておりませんで、はなはだ乱雑なままにまかされているというところに、かなり大きな問題があるようでございますし、それから、いま申しました、ほんとうは非常に開発をしなければならない野菜や何かの冷蔵なり何なりの問題になりますと、これはどうもいまの野菜の値段では、あまりやってももうかりそうもないということがありますために、どうもだれもやろうとしない。しかし、それが必要ならば政府政府なりに一つの援助をいたしまして、そういうものを発達させるという方策が必要だろうと思いますが、そういうこともいままでははなはだ施策としては弱かったわけでございます。この辺のところにいろいろ大きな問題がまだ残されている。こういうことは私もそういうふうに考えます。そうして、これからのいわゆる、流通過程の整備がこれから農業政策の、ことに消費者に対する面から言えば、大きな分野を占めることになるのではないかというふうに考えております。
  48. 市川房枝

    ○市川房枝君 大内先化、先ほど主婦農業のことについて触れてくださって、いまその負担を軽減しなければいかぬということをおっしゃっていただいたのですが、現在、だんだん主婦農業がふえてまいっておりまして、主婦たちが生産と同時に家庭のほうの仕事も両方兼ねている。そのために過労になって、ほとんど半分以上、いわゆる農婦症といいますか、病気の一歩手前の状態、こういう状態を非常に私心配しておるのですけれども、こういう生産者と同時に家庭を持っているという立場においての婦人という人たちを認識して、農林省も指導していてくれないじゃないか。生活改善というほうは、生活改善普及会、生産のほうは農業改良普及員ですかが指導するというふうに、全然別になっているのですが、いま、そのままの状態が大体、いつまで続くといいますか、いま先年が、こういうのはむしろやめさして、第二種兼業農家なんかは社会保障のほうへ、こういうふうにおっしゃっていたようですけれども、その先といいますか、どういうふうになっていくか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  49. 大内力

    公述人(大内力君) いま市川先生の御指摘の点はたいへん重要な点だと私も思っております。御承知のとおり、いまから数年前、比較的農村の所得が上がってまいりまして、それから農業の機械化が進んできたときに、どうもやや農村の主婦労働が軽減されて明るい見通しが出るのじゃないかという期待を持ったわけでございますが、その後、男の労働力の流出が非常にひどくなって、最近では若い女の人も流出が非常にひどくなりまして、むしろ、男女ともに流出してしまっているという形になってきたことから、いまお話のように、残っております農村の家庭婦人の労働負担というものは非常に大きくなる。これが病気だとかあるいは産前産後の問題とかいろいろなものを引き起こしてきているわけでございまして、この問題をどうも真剣にまたあらためて取り上げなければならないのではないかという感じがしております。これはまあ基本的には先ほど来問題にしておりますように、何と申しましてもその兼業農家の主婦というのが一番負担が大きいわけでありまして、で、そういう兼業というようなはなはだ不合理な形が残されざるを得ないという日本経済構造そのものに一番大きな根本的な問題があるわけですから、まあ大ぶろしきを広げればそこから直していかない限りは解決しようがないと、こう言うしかないような問題だと思いますけれども、確かに御指摘のように、たとえば生活改善の指導の問題にいたしましても、いまとなってみますと、はなはだ皮肉なことにこれが逆効果になりまして、なまじっか家庭生活が合理化されますと主婦の手が余るものですから、今度は余った労働がみんな農業のほうにかり出されてしまうということになって、かえって生活改善をすると主婦は過労になるというふうな、はなはだ皮肉な現象さえ起こりつつあるわけでございます。というわけで、いままでは何となく家庭生活を改善して主婦の労働を軽減するということだけで話が片づくように思ってやってきたわけでございましょうけれども、いまになってみると、もう少し家庭生活と農業労働の全体を引っくるめまして、その中で主婦の問題をどう解決するかという新しい観点から普及事業にいたしましても組み直さなければならないんじゃないかと思います。しかし、まあそのほかにとりあえずの問題としては先ほど申し上げましたように、私は兼業農家がいますぐ解消できないとすれば、兼業農家に対しては兼業農家なりに共同化の設備をつくり、また、できるだけ共同化ができるような態勢を整えてやって、その中で主婦の労働をできるだけ軽減してやると、こういう問題を考えるべきではないかというふうに思っております。なお、そのほかについでに申し上げれば、もう一つ、これは主婦だけではございませんで、実は農民一般が最近労働災害が非常にふえていると、こういう点について、しかも農民の労働災害というものに対していま政策的な手の打ち方がはなはだ立ちおくれていると、こういう問題はきょう申し上げる機会がございませんでしたけれども、ついででございますがつけ加えさしていただきたいと思います。ことに機械が多くなりましたことから、それに伴う災害が非常にふえておりますが、これにつきましてはようやく労災法の適用というものがある程度認められるようになりました。けれども農民にとってそれより大きな問題になっておりますのは農薬の被害でございまして、これに対しては労災法の救済というものは全然認められないということでございまして、これだけ労働災害が大きくなっていることが放置されているというようなのは非常に私は大きな問題だろうと思いますので、国会の立場からもぜひこの点は御検討いただきたいというふうにお願いするわけでございます。
  50. 多田省吾

    ○多田省吾君 先ほど大内先生が米の輸入の問題に触れられまして、国際的供給力の半分以上を輸入しているというお話でございました。また、それ以上輸入しようとすると非常に高くなる。いま現在三十億の世界人口がありますけれども、十七、八億は飢餓状態あるいは慢性の栄養失調状態に置かれているということも聞いております。今後大きな話になりますけれども、三十年ぐらいたちますと、二十一世紀の初めには人口が六十五億から七十億ぐらいになるだろう、国連でも非常にそういう調査しておりますけれども、そういった三、四十年先の日本の農業の見通し、それから一面ブラジルあたりでは——日本の土地生産性というのは世界最高だと聞いておりますが、ブラジルあたりでは非常に広範な農地が遊んでいる。そういうところに日本と同じような土地生産性を持っていけば三十億ぐらい住めるだろうともいわれているわけです。そういった見方もありますけれども、そういった人数の二十一世紀初頭の食糧事情あるいは国連においてどう考えているか。それからもう一つは現在の時点でございますが、まあ兼業農家よりもいま七反歩から一町歩ぐらいの自作農象が非常に苦しんでいるわけです。兼業もできない、さりとて離農もできない、非常に生活が苦しい、そういった七反歩から一町歩ぐらいの自作農家を救済するにはどういう方法をとられたらよろしいか、先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  51. 大内力

    公述人(大内力君) 便宜上あとのほうから先に申し上げさしていただきますが、いまお話のとおり、いま農村で一番底辺をなしておりますのは、七、八反から一町二、三反までという、かつて中堅農家といわれた層だと私も思います。この層は大体今日ではいわゆる第一種兼業化しているわけでございまして、若い世代の人たちは大体ほかへかせぎに出ております。そうして従来の世帯主を中心として農業をやっている。しかし、そのまだ若い人が出てきたのが比較的歴史が浅いために兼業収入のほうも十分ございませんし、そうかといって農業がかなり大きいものですから、世帯主まで農業を捨ててしまうというわけにはなかなかいかないと、他方七反とか、一町二、三反とかいう規模では農業からの所得はとても十分ではない。こういう点でいまでは完全にそこがなべ底になっておりまして、農家の消費水準なり所得水準から申しますと、両端が高くなりまして、三反未満、五反未満というところが高くて、二町以上が高くて、まん中がこうへこむと、こういうような仕組みにここ数年来なってきております。ここのところが一番あらゆる矛盾がしわ寄せされるような仕組みのところでございます。したがって、その農民に対する対策というのは私はやっぱりここのところを一番重点的に考えなければならないのじゃないかというふうに思っておりますが、ここをどうするかということは、抽象的にいえば私はやっぱりそこの層を二つに分解させる以外にはないのだろうというふうに思っております。つまり、その中で十分な農業に対する意欲を持ち、農家として伸びたいという希望を持っておりますそういう者もある程度いるわけでございますが、そういう人たちに対しましてはできるだけ経営規模を拡大してやる。そうしてもちろん、さっき申しましたような協業的に拡大する側面のほかに、所得をふやすという意味では土地基盤を大きくしてやるという意味で、せめて二、三町というような規模までそれを引き上げてやるような方法と、こういうものを一方では講じなければならない。けれどもそういう七、八反の農家でも、もうすでに経営主の層はかなり老齢化してまいりまして、しかもあと継ぎは外へ出てしまって農業に戻る意思が必ずしもないと、こういうふうになっておる農家も相当あるわけであります。こういう農家につきましてはむしろできるだけ早く経営をある合理的なところまで縮小させる。三反なら三反というところまで縮小させて、そうしてあるいはできれば離農させるほうが一番いいのかもしれませんが、まあ当面はできるだけ経営を縮小させまして、そうして兼業農家という、第二種兼業的な形で安定させるという方法考えるべきではないか。これにつきましてはもちろんいま働いております老齢——比較的老齢の人が働いているとすれば、そういう人たちに対する養老年金なりそういう一つの方策が必要でございましょうし、それから兼業に出ております若い世代について申しますと、そういう人たちの労働条件を安定させるということが何よりも必要でございまして、そういう回りから安定的な措置を次々に打つことによりまして、そういう農家を整理していくと、こういうふうにいたしませんと、この問題は解決しないのではないかというふうに考えております。  それから前の話はこれはどうもたいへん、私は三年先もわからないので、いわんや二十一世紀にどうなるかなんということはとても申し上げられませんけれども、ただおそらく、一つだけ申し上げられますことは、私はこれから先、二十一世紀まで続くかどうかわかりませんが、先ほどちょっと申し上げましたように、十年とか、二十年とかいうタームで考えますと、国際的には非常に食糧の不足という問題が激化してくる時期が来はしないかという心配を持っております。これは御承知のとおり、特にアジア、アフリカのような低開発地帯というものはかつてはある意味で一種のバランスがあったわけでございます。それはつまり農業生産そのものが非常に低い水準にございまして、また、生産の伸びも非常に鈍かったわけでございますけれども、他方におきましては人口増加率が非常に低かったわけでございます。これはもちろん子供はたくさん生まれるのですが、栄養状態が悪くて、あるいは衛生状態が悪くて死亡率が非常に高いという形で一種のそういう意味におけるバランスがあったわけであります。ところが、低開発国がある程度経済的発展を始める段階におきましては、むしろまず衛生状態がよくなってくる。多少ともよくなってくる。もちろん十分ではございませんにしても、たとえば、マラリア対策のようなものがある程度よくなってまいりまして、そのことから、御承知のとおり、最近アジア・アフリカの人口増殖率が非常に高くなったと、こういう問題になってきます。その人口増殖率が非常に上がったのに対して、農業出産の伸びというのが非常に立ちおくれてしまっておる、こういう問題がございまして、そこでまさに文字どおりマルサス的な窮乏が起こらざるを得ないような条件が当面働いておるわけでございます。もちろんさらに将来の問題としては、農業開発が進みまして、農業生産が高まるという問題も考えられますけれども、先ほど申し上げましたように、どうも私はその低開発国の農業の問題というのは、これはただ技術が不足しているとか、あるいは資本が足りないとかいう問題にはとどまらないというところに、むしろ困難な問題がありはしないかと思います。で先ほどお話が出ましたブラジルのことを私は何も知りませんから、お答えのしようがございませんが、アジアとかアフリカについて申しますと、たとえば、日本がある程度資本を援助してやるとか、あるいは日本の農業技術を持っていって、技術者が行って指導してやるとか、こういうことをしてみましても、全然無効だとは申しませんけれども、その前に解決すべき問題がありまして、それが解けない限り、私はその効果は比較的小さいのじゃないか。  その前に解決しなければならない問題というのは何かと申しますと、一つは、やはりまだいわゆる民度が非常に低いということでございます。つまり、これはある意味では教育の問題でございましょうけれども、ただ、学校教育が多少普及したから、すぐ解決ができるということではございませんで、やはり近代的な技術をこなしますためには、そもそも近代的にものを考えるという、そういう基本的な人的の態度ですね、あるいはそういう生活様式なんというものができてまいりませんと、近代的な技術というものは、とうていこなせない、そういう意味における狭い意味の教育より、もう少し広い意味の民度の低さというものが非常に大きなネックになっておる、こういう問題。それからもう一つは、やはりそういう国々に残っております古い社会機構、この問題でございます。  そうして、こういうことでは、多少の農地改革みたいなものをやっておるわけでございますが、日本の農地改革のような徹底したやり方がとうていできませんで、そのために、つまり、古い地主的な体制なり、古い共同体的な体制というものが非常に根強く残っております。これを打ちくずしていくだけの力というものがなかなかできてこない、こういう問題を持っております。その辺のところをどういうふうに手をつけて、それを切りくずしていくかということが、実は私は低開発国開発の一番大きな問題であって、それを考えないで、ただ金を貸してやればいいとか、技術援助すればいいんだというようなものの考え方は、はなはだ表面的なことに終わってしまうのじゃないか。したがって、日本がこれからもしほんとうにアジアやアフリカの問題というものに取り組むならば、そういう農村を支配しております社会体制そのものをどういうふうに合理化する、その面で日本がどれだけのことを協力できるのか、こういう問題を十分考えておく必要がありはしないか、こういう感じを持っております。  どうもお答えになったかどうかわかりませんが……。
  52. 羽生三七

    羽生三七君 もう一点だけ簡単に。請負耕作はどういうふうにお考えになりますか。
  53. 大内力

    公述人(大内力君) 請負耕作と申しますのは、羽生先生よく御存じだと思いますが、実はたいへん複雑ないろいろなバラエティーがございまして、われわれもその実態を十分につかみ切れないわけでございます。これも千差万別でございまして、いろいろなものが一括されて請負耕作というふうに呼ばれておるように思うわけでございます。一番典型的なものとしては、労力の足りない農家が労力の比較的余裕のある農家に請け負ってもらうという関係でございますが、これも中身に入りますと、契約のしかたからいっても、かなり典型的に請負という形をとっておる場合と、事実上小作人にほかならないで、農地法のいわば脱法行為として請負という形をとっておるというものに、至るまで、相当バラエティーがございます。それからそのほかに、いろいろな形の共同経営なりあるいは農協がやっておりますものもありますし、法人でやっているものもございますし、そうでない任意組合的なものもございますが、そういう団体的なものがある意味で請け負って耕作をしているというような形になっているところもございます。非常に千差万別でございまして、それを一言にしてどうするというふうに申し上げるのは、はなはだむずかしいのでございますが、いま申し上げましたような、純然たる農地法の脱法行為にすぎないようなものにつきましては、これはやはり先ほど来問題にいたしましたように、農地法自身のほうに私は問題があるのじゃないか、やっぱりそういう要求が出てくるということは、それなりの理由がありますし、しかも、これは従来の地主・小作関係とは非常に違いまして、むしろ土地を耕作している農家、つまり、請け負っているほうの農家は比較的大きな専業農家でございまして、そうして土地を貸しているほう、つまり、請け負わしているほうは大体兼業の零細農家だというのが普通だと思いますが、したがって、かつての地主・小作関係とは逆な形になっておるわけでございますが、そういう点につきましては、もう少しこれを何か合理的にと申しますか、合法的にはっきりさせた形に持っていく方法考えられていいのではないかと思っております。ただその場合に、先ほど申し上げましたように、実はそのことだけを考えまして、いきなり農地法のたてまえをゆるめればいいかと申しますと、私はその点は必ずしもそうは思わないのでございまして、むしろもう少し根本的なところに問題がありはしないか。つまり、小作関係の上に何か経営規模を拡大していくという方法では、もはや動き得ないような段階日本の農業が来ておるのであって、むしろ小作関係を拡大するという意味ではなくて、先ほど申し上げましたような、全体的な社会的な一つの土地管理方式というものを編み出して、その社会的な管理方式の中に、土地をなるべく組み入れていく、こういう形でもって問題を解決すべきであるし、したがって、所有権を動かすとか動かさないということは、むしろ経営地として考えるのではなくて、それは一種の持ち分として、つまり、所得の源泉としてこれだけの所有地があるというだけの、極端にいえば、いわば株主の株みたいなものでございまして、経営そのものについては、もっとこれを社会的な共同経営の形の中で管理をしていくという方式をつくっていって、請負にしましても、事業上それに非常に近いものもあるわけでございますから、それに近いものは、なるべくそれをそういう方向に生かしていくし、それからそうでない、小作関係にほかならないような請負にいたしましても、それは結局労力の問題でございますから、むしろいま申し上げましたような共同化を促進するという中に吸収していくべきものであって、ただ農地法のたてまえがじゃまだから、それをゆるめて請負耕作を合法化すれば、それで話が片づくというふうに、簡単には言えないのじゃないかというふうに思います。
  54. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) よろしゅうございますか。  それでは、大内公述人に対する質疑はこの程度にとどめたいと思います。  大内公述人におかれましては、お忙しいところまことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日の公聴会はこの程度にいたしまして、次回は明日午前十時開会いたします。本日はこれをもって散会いたします。    午後四時八分散会