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政府委員(
佐藤達夫君) 事実は先ほど申しましたとおりで、ここ数年来、公務員法の規定に改正が加えられました結果、私
どもとしては毎年のこの承認件数を国会に御報告申し上げておるわけであります。その御報告の中に実はいまのようなことは全然出ておりません。したがいまして、事の成り行き次第では、私
どもの今度は重大
責任になるということでありますから、いま
厚生大臣の
お答えがありましたけれ
ども、私
どもは、私
どもとしての立場をここで申し述べさしていただきたいと思います。
御
承知のとおりに、民間に
就職する場合には、所轄庁の長——
厚生省であれは
厚生大臣から、
人事院に承認の申請がありまして、それに対してわれわれが判断を下して、承認あるいは不承認ということになるわけでございますが、先ほど申しましたように、
昭和三十八年度においては少なくとも課長級以上の者についてはゼロ、それから三十九年もゼロ、それから昨年度は今度御報告申し上げいる中に出ております一件でございます。ただいまのお話に出ましたような数人の者は全然出ておらない。ところが私
どもといたしましては、いまの数字が示しますところからいって、よそには相当多人数の
就職者もおられるのに少し少な過ぎはしないかということで、疑いを持ってといいますと、これは少しことばが過ぎますけれ
ども、われわれとしては、やはり立場上、一応の事実の究明は必要だろうということから、本来、各省に対しましては、一年に一回、実地の監査的なことをこちらから出向いてやっておりますが、
厚生省につきましては、
昭和四十年の場合においては実は特別に三回出かけておって、調べておる。一月二十七日に第一回、これは各省並みの調査と申し上げてよろしい。それからさらに四十年四月十三日に第二回の監査に出かけております。さらに、その年の十二月二十四日に三回目の調査に出向いておるわけであります。そもそもその
前提問題として、ただいま
昭和三十、五年のお話が出まして、三十五年に
人事院に照会したところが、かよう、かくかくであったという
お答えがありました。これはどうも、それらしい事実があるようでありますが、御
承知のとおりその当時は非常に、まあ非常にというと、ことばが過ぎますけれ
ども、いささか甘い態度でやっておったわけです。その後非常に世間のいろいろな批判もございますし、国会方面で強いまた御意見が出まして、そうして先ほど申しました公務員法の改正として国会に逐次報告をしろ、毎年報告をしろという条文が入りましたので、かたがた私
どものほうとしては、従来の
基準をぎゅっと引き締めまして、そうして多少方針を変えた。ところが
昭和三十九年の三月二十三日に、
厚生省の当局者から、これは仮定の問題としてでありましたと思いますが、たとえば製薬課長が会社に行く場合は、もう非該当のものとして承認を申請しないでもいいだろうかというお話があって、それは今度必要だということをはっきりわれわれのほうで申し上げたという記録が残っておる。そのあとを受けて、先ほど申しましたように、あれは四十年でありますが、一月二十七日、四月十三日、十二月二十四日ということで参りましたけれ
ども、遺憾ながらいまの事実、これはまあ調べてみないとわかりませんけれ
ども、それに思い当るような事実は、実は発見できなかった。これは私
どもの力の
不足ということもあるかもしれませんけれ
ども、何ぶん強制的な捜査権というものもございませんので、これは相互の信頼のもとにやはりお調べをしなければならぬということで、まあ力の
不足はありましても、そういう結果になって、いまのお話を伺って、実は驚いているというわけでございます。したがいまして、そういう点からいいますというと、今後一そうわれわれとしては非常な決意をもって、こういうことの起こりませんように、みずから戒めながら事に当たらなければならないというふうに覚悟を固めておるわけでございます。