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小林武君 私は、
日本社会党を代表して、
授業料値上げ等にからまる
早稲田大学学内紛争問題と、この問題の
解決と全く切り離して考えることのできない、全
私学の
振興に対する
政府のとるべき責任と
政策について、
総理大臣及び
関係大臣に対して、以下若干の
質問をいたします。
早大問題も、遺憾ながら、型のごとく進行していると言ってよいのであります。二千五百の
警官隊が学園に突入し、実力をもって
占拠の
学生を
排除した。その次に来たるものは、
予定されたごとく、
学生の逮捕、これに
学校側の
学生の
処分となれば、全く型のごとくと言わざるを得ないのであります。さらに、
事態は、
学生たちの再
占拠によりまして、
大学史上かつてない、
警官警備下の
大学という
状態を現出いたしました。今日、このような
状態の中で、われわれがこの問題を取り上げる場合、単に、
早稲田大学という特定された
私立大学の
授業料値上げ反対の問題と理解するべきではないと考えるのであります。まさに氷山の一角とも言うべき、すなわち、曲がりかどに立つといわれる
日本の全
私立大学の問題、
高等教育全体に共通する、
教育と研究の基本に関する問題として、取り扱わるべきものと考える次第であります。私は、このような
問題把握のない限り、
ひとり早稲田大学の問題の
解決を
失敗に終わらせるだけではなくて、今後この種の問題はあとを断つことなく、長く
大学教育の禍根となることを断言したいのであります。
重大化した
早稲田の問題は、
政府の、問題に対する正確な認識と迅速な対処がなくては、
解決は不可能と思っております。なぜ、
国会稲門会議員団の
調停が、あれほどの熱意と
努力にもかかわらず、
大浜総長をはじめ
学校当局を動かし得なかったのか。また、先輩のあっせんに敬意を表していた
学生諸君の同意を得ることができなかったのか。この点、
総理及び
文部大臣はどう理解しているのでありましょう。
理由は明確であります。
白紙委任またはこれに近い条件による
調停は、
解決点の示されない
調停だというとになります。
学生は、相次ぐ法外な
授業料等の
値上げに、負担にたえ得ないという
切迫感と、果てることのない
値上げの繰り返しに対する不安が、
反対運動を激化させたと言うべきでありましょう。
大学側といたしましても、
教育者としての
大学人という矜持も顧みる余裕もなくなり、「残る手段は、力ずくの
排除しかない。災いを転じて幸いとしたい」と、
学内への
警官導入を
総長みずから宣言し、
学生の
学内排除を
人民管理排除と声明するに至ったのでありますが、
日本の
私立大学の中に伝統を誇る
早稲田大学をここに追い込んだものは何でありましょう。それは
私学の
経営の
危機そのものにほかなりません。もはやその段階は、
早稲田の
学内や同窓だけで
解決のできないところに到達しているのであります。しかも、
解決のかぎは、
私学全体の要望として提示されてからすでに久しいのであります。
総理及び
文部大臣にお尋ねしたいのであります。事柄は、
政府の
私学対策の
ちゅうちょ逡巡がこの問題を生起させているのではないでしょうか。「
私学のことは
私学内で処理することだ」という、たび重なる
政府見解は、単なる逃げことばにすぎないと思うのであります。御
見解をお聞かせいただきたいのであります。
次に、
早稲田問題の
関連において
総理並びに
文部大臣にお尋ねいたしたいことは、昨年から今日まで約一カ年の間に、国公立、
私立大学に、延べ二十三、四校にも及ぶ
学内紛争を見たのであります。月に割れば毎月二校、日数をもってすれば三百六十五日、雨の降らぬ日はあっても、
大学に問題の起こらぬ日はないと言ってもよいのであります。その
原因をあげるならば、
授業料値上げ等の
経営の問題、学寮・
学生会館の自治の問題、あるいは
大学の
教科内容に関する
問題等、そのことごとくが
政府の文教
政策に起因いたしておるのであります。
大学当局は、この問題にあたって、いずれも例外なく、文部省の厳重な指導方針によって、
教育的見地からはむしろ
学生の主張に同調しながらも、自主的
解決をはばかり、そのためいたずらに時日を遷延して、ついに最悪の
事態を招き、当惑の果て、例外なく、
学生の
処分という非
教育的処置による
解決を余儀なくされているのであります。この結果は、
大学の
教育に対する自信の喪失、
学生の
教育不信を招くとともに、また問題の連鎖的波及となってあらわれているのであります。これら
大学問題に対し、
政府の文教
政策・行政のあり方等について、どのような反省なり
見解なりをお持ちであるか、
文部大臣には特に具体的にその所見を述べられたいのでございます。
次に、
高等教育に対する
佐藤内閣の取り組み方についてであります。
「
高等教育によって育成された人材と学問の成果は、経済・社会発展の最も大きな原動力であるという考えかたは、いまや世界の常識となってきており、」と、これは「わが国の
高等教育」に述べられた
文部大臣の
見解であります。さらに、文相は、世界各国はあげて
高等教育の質的改善、量的拡大に取り組んでいる実情を述べ、わが国もまた全
国民の立場でそれと取り組むことの急務を力説いたしておるのであります。
高等教育の質的改善と量的拡大の具体的
内容、及び、全
国民的なものとして取り組むとあるが、どのようなものであるのか、早大問題との
関連において明らかにしていただきたいのであります。
大学曲がりかど論は、文部省から民間に至るまで、
大学関係者はもちろんのこと、およそ
大学教育を口にする者は、すべてこの曲がりかど論を述べるのであります。つまり、国公私立、例外なく、
日本の
大学全体が曲がりかどに立っているというわけであります。
私立大学側から見れば高ねの花のように見られている国立
大学が、新制
大学出発以来、慢性的と言ってよい
予算不足に悩まされていることは、周知の事実であります。研究費や講義に必要な経費の中心になっている教官研究費についてこれを見るならば、講座研究費は、非実験系で戦前の三分の一、実験系で三分の二、
学生経費に至っては九分の一という
状態にあるということは、かつて中央
教育審議会の答申に述べられたところであります。また、学術
会議報告によると、教授の六〇%近くは副業をしているということであります。
日本の経済・社会の最も大きな原動力として期待される
高等教育が、最も恵まれた
状態にあるとされている国立にして、なおかつ、このありさまであります。いま
早稲田大学の問題が
日本の視聴を集めていますが、この問題こそ、国立
大学に比べてもっと切迫した
危機的問題をかかえた
私学の象徴的姿であると見るべきであると考えるのであります。
反対運動に取り組んでいる早大の
学生が、「
私立大学の経済的
危機、それに伴う
大学教育のあらゆる面にわたる問題が集中的にあられているのです」と述べています。この
学生の、言うように、
私学経営の
危機は、
私学教育の
危機の問題となっているのであります。
日本の
大学教育の
危機としてであります。したがって、この問題に対処する場合、
日本の
高等教育の中に占める
私学教育の位置、比重を忘れてはなりません。国立
大学は
政府がめんどうを見る、
私学のことは
経営者の問題だというような議論は、
教育も
政策の対象である限り、暴論と言うべきであります。
今日、
日本の
大学教育において、学校数において、国立百七十五、私立四百十六、その
学生数は、国立
大学二十二万人、
私立大学六十万人、
大学生の約三分の二は
私立大学に学んでいるのであります。
高等教育の充実発展を言う場合、
私立大学をおいて考えることができないのであります。いま、当面する
私立大学経営の
危機、これに伴う
教育の
危機は、すなわち
日本の
大学教育の
危機とも判断されると思うのでありますが、
文部大臣の
見解をお尋ねいたしたいのであります。
私立大学は、
大学教育において圧倒的比重を占めていることはいま述べたとおりでございます。その
教育的、研究的環境においては、格段に国立
大学に劣っているのであります。国立
大学は
学生数二十二万人に対して専任教員数は二万七千人であるのに対し、
私立大学は
学生数六十万人に対し専任教員数は一万九千人であります。教員一人当たりの
学生数は、私立は二八・三人、国立
大学は七・九人になっているのであります。
学生一人当たりの経費は、国立
大学は三十三万円、
私立大学十四万五千円と、半額以下であり、
教育研究に要するいわゆる消費的
支出は、国立
大学学生一人当たり二十七万七千円に対し、
私立大学一人当たり七万七千円と、三分の一以下ともなっているのであります。また、例を
学生一人当たりの建物坪数にとれば、私立が〇・八坪に対し、国立が三・一坪となっているのであります。
以上の比較から、三分の二の
大学生
教育を担当している
私立大学教育の水準はきわめて低い。これを高めるために、教授、研究者の数的、質的充実の問題、また、最高の
教育、世界的水準の研究を国から社会から要求されているのであるから、それに相応した環境、
施設、設備等を、せめて国立並みに急速に充足する必要が
私立大学に求められているのであります。私立の名門、
早稲田大学の
学生たちが、講義がつまらない、味気ないと言い、マイクによる大量講義では、
教育を受けることの喜び、学問をすることの楽しみを味わえないと、嘆いているのであります。「青年に大きな期待をかける」と声を大にして呼びかけた
総理は、この現状をどう見るのか、また、その対策はどうなのか、承りたいのであります。また、
文部大臣の現状認識と対策の具体的
説明を求めたいのであります。
次に、私は
私学の
経営面に対する
質問を行ないたいのであります。
早稲田の今度の学費の
値上げは、法文系で、授業料、
施設費、入学金を合わせて二十二万円、六〇%の
値上げであります。理工系二十九万円、五五%、国立
大学の一万二千円に比べて比較にならない高額と言わなければなりません。
早稲田の
学生が、「真理の探求のためには平等に学問ができるという条件がなければならない。今度の
値上げで、そういう
教育の機会均等を奪うものだ」と、こう言っております。また、学費の
値上げは有能な人材を締め出すことになるから、
私学の質を低下させると、真剣に悩みを持っているのであります。愛校心、
大学の
危機意識が、
経営者側以上に強烈であるのにもかかわらず、
大学と
学生はなぜ争うのでありましょうか。私は、ここで
私立大学の収支バランスを見ますと、
経営の基礎である基本財産が貧弱で、経費は
学生の納付金と
借り入れ金に依存していると言っていいのであります。
収入の四五・一%を
学生納付金に、
借り入れ金は二四・三%、この二つが
収入の約七〇%を占めているということになるのであります。いまの
私学の
経営は
学生のふところに半分近いものを依存している。だから、先輩がどうあっせんの労をとろうが、血の雨を降らしても一歩も後退しないと言って、学校
経営者側の強腰が生まれるのであります。
教育とか研究とか、
私立大学創設の理念が、ここでは、けし飛んでしまうわけであります。
早稲田大学の
学生は、三十七年度に法文系六七%、理科系五六%の
値上げがありました。そのとき、すでに次の
値上げは予測されたと言っております。
値上げは繰り返される、なぜ繰り返される
私学の経費の最もおもな部分が
学生の納付金に依存されている限り、これは避けられないことを知っているからであります。ある
大学の授業料対
人件費率は、
昭和三十八年度一〇一%、三十九年度一〇八%と、授業料
収入をオーバーしている
状態にあるのです。現在の
私学が国立との格差を解消するために、教授、研究者の強化増強を強く要求されるとしたら、さらにその負担は
学生にかかっていくことは言うまでもない事実であります。さらに、
私立大学の
経営の行き詰まりは、
増収のための定員増(水増し入学)とその対策としての
設備投資という、悪循環を繰り返しております。どの
私立大学も共通の
財政的
危機状態を招いてしまったのであります。
私立大学の当事者は……。