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小林武君 新派という劇団がどうなるとか、こうなるとかということは、これは浮き世の浮き沈みで、これはいろいろあると思う。しかし、あなたがおっしゃるように、新派というのも大矢市次郎とか、石井寛というような
人たちの年齢的なことを考えると、それから一番の中心になる水谷さんにしても、健康的なこともあれば、
後継者の問題がどうなるとか、まあいろいろありましょう。しかし、まあこれが
伝統芸能といえるかどうかということになれば、あなたのおっしゃるように、ぼくもそれは必ずしも
伝統芸能といえるかどうかということについてははっきり
伝統芸能とは言い切れない。ただ、明治の初めごろなんという妙なところで言うものだから、あなた、川上音次郎と言ったが、角藤定憲という人もいたでしょう、その前に。そういうものをたぐっていけば、もっともっと以前からといえるかもしれない。そういうしかたをすれば明治の初めということはある程度いえると思う。しかし、まあ明治の初めというのはどこから出てきたのかわからぬけれども、そういうあれが別にあまり
根拠がないということになれば、新派についてはいまのような考え方でけっこうだと思うんですが、ただ一つ、これは小野君の
質問の中に繰り返し繰り返し述べられた。
衆議院の
質問においても第一回目の
質問の中でも非常に何か繰り返されたのはここだと思うんですよ。それはたいへん
保存ということに力点を置かれているようだけれども、将来の
一体日本の
芸能というものをどう
発展させるかということについてのその展望がない、そのあらわれだということなんですよ。それはやはり第一条の規定
そのものの中からくるんです。何か修正案を出して、主たるとか何とかつけたけれども、ぼくに言わせれば、主たるをつけたのでかえって悪くなったと思われるところもある。主たると入ったためにかえって悪くなった。悪くとれば、あの小屋貸しのほうのあれに理由づけたかもしれない。そんな
法律の
解釈というものは、あとになってあっというようなことがあるんですから、主たるが入ったからたいへんよくなったと喜んだそうですけれども、なに、これから運営する人の腹一つで、へたすると小屋代をうんとかせごうというのでとんでもないのに貸したり、何々の演説会とか、総決起大会に使われるということになって、主たるが入ったからなお悪くなったということもありますよ。ぼくは大体
法律というものはあまり信用したいようでしたくないようでという気持ちを持っている。四、五年たったらとんでもない
解釈をやられる。教育法規だってずいぶんそういうものがありますよ。だから、信用しないで考えるというと、そういうことも言える。将来のそういう展望というものがないところに問題点がある。それは必ず
伝統芸能というものと将来の
芸能の
発展というものは切り離して考えるものじゃないですよ、これは。
伝統芸能を重んずるということは何もうしろ向きになるということじゃない、将来があるから
伝統芸能を重んずるんですから。そういう欠点があるのだから、本来ならば主たるなんということをいわないで、あの中に近代
芸能もということを入れて修正すべきなんですよ。参議院でそれをやったらたいしたりっぱなことだと思うんですけれども、やる気があるかどうかわからないから、これからぼつぼつやろうと思いますけれどもね。大体そういうことを、まず、いままでの
質問のことでちょっと締めくくりみたいに申し上げておきましょう。
そこで、
文部大臣に
お尋ねするのですが、私はこのいままでのことからいうと、私はだんだん滅びてしまうのではないかということを先ほど来言っているのだが、これはなかなか短い
ことばですけれども含蓄あるのですよ。だんだん滅びるということ、だんだん滅びるというものを滅びさせないということが可能なのかどうか。滅びさせないということが可能かどうかということになると、清盛が太陽を西から東のほうに呼び戻してくるような話になったらたいへんだ。やはり私は将来の
芸能の展望ということとのからみ合いで考えるということになると、それを考えないで、滅ぼさせないで残しておこうということになると、うしろ向きに馬力をかけるということで、そんなことは
意味がない。だんだん滅びるということの内容が私は深められなければならないと思うのです。だんだん滅びるということ、なぜ滅びるのか、このごろどうも専門にやっている
人たちの間にも若干誤解があるのじゃないかと思う。この間おいでになった人の
参考人としての御意見の中に、いまのやつは心がけが悪いからだんだん滅びるととれるようなものの言い方もあるのですね。たとえば
歌舞伎役者なら
歌舞伎役者のいまの若い者はという言い方で考えている。しかし、私はそうは思わない。たとえば、いわゆる
歌舞伎の御曹子といわれるような
人たちが、それぞれ大学に入って、そうして西洋ものの中にもどんどん入っていったり、それからミュージカルをどんどんやったりするというようなことをやっている。それは
歌舞伎俳優のむすこだ、そういうことが何か
歌舞伎の
伝統をぶちこわすふらち者だというふうに見ているのですけれども、私はそうは見ておらない。あの
人たちの見識がもっと広くなって、西洋の演劇の要素なり近代の演劇の、要素というものを吸収してこそ、
歌舞伎というものが滅びないでいけるのだと思うのであります。そういう角度から私は
質問するのでありますけれども、
歌舞伎が滅びるということについて
一体どういうふうなとらえ方をしているのか。
村山政府委員は
一体どんなとらえ方をしておるのか。
邦楽なり、
邦舞なり、
雅楽なり、あるいは
文楽なり、
能楽なり、どうとらえられているか。中にはもう全く、私はもうとにかくわずかに一本の木でもってささえているようなものもないとはいわない。そして、ものによっては
無形文化財とか国宝とかいわれるような
人たちが死んでしまえば絶えてしまうようなものもある。こういうものもあるわけですから、これはもう何としたって、どんな力をしたって、なかなかこれはある程度の
保存しかできないと思う。そういうことを私は考えているものですから、これはあなた
たちと意見がだいぶ違うだろうと思う。大体こういう
法律案をつくる
人たちとは、第一条をつくるような
人たちとは考え方が違うだろうと思うが、そういう
意味で、私は考え方が違うという角度から
お尋ねするのですが、
村山さんは
一体、
歌舞伎、
邦楽それぞれの問題ですが、まず
歌舞伎ですね、だんだん滅びる滅びるというのをどういうふうに見ておるのですか。