○小林武君 ひとつ協力をしてさらに前に進めると、たとえば不正な試験の受け方ですね、父親が子供に対して「どうじゃテストはようできたんか」と聞くと、「絶対百点じゃ」とこう言う。えらい自信じゃのう、間違っているかもしらぬぞというようなことを言ったら、子供が「絶対よ、おとうちゃん。なぜかいうと、あれと同じテスト、何回も繰り返しやったけん、答えはみんな知っとったんじゃ。絶対百点よ」、これで父親の顔が真剣になったと、こう書いてある。私は、やはりこの「
教育の森」というようなものを、そんなことはでっち上げだというふうにお考えになってもらいたくない。少なくとも相当の新聞がこれだけのやはり
努力をして集めたものの中には真実があるはずです、この中にも書いている。名前をあげないのは残念だ、しかし、名前をあげなければどうにも信憑性がどうかというようなことを言うのは残念だというようなことも書いてあるけれ
ども、実はそういう問題なんです。また、宇和島の中学生の母親の問題として、数学が不得手なんだが、ばかにできるという、そうしてどうしてできるのだと聞いたら、よくできる子と並べてくれたのだという。つまりカンニングだといって母親は嘆いている。こういう事実がもしあったとしたら、私は重大な問題だと思う。「田植え」というのがあるそうですね、先生が「田植え」をやる。これは校長さんにしいられたとこの中に書いてある。おまえもおやじさんと長いこと別れて――遠くに離れて赴任しているらしい――一緒にいたほうがいいだろう、子供の世話やしゅうとの世話もよくみれる、ことしこそ成績をあげなければならない、思い切ってやったらどうだと言われて「田植え」をやっている。「田植え」というのは何かというと、試験に行って指さすやつを「田植え」というのです。苗を植えるあれらしい。「田植え」をやってやったという、それが先生のことばとして非常に残念だという気持ちで書いてある。そこまできたら、ぼくはそれはどういう計らいがあるか知らないけれ
ども、
文部大臣としては、少なくともやはりこの問題は明らかにしなければいかぬ、こういう態度をおとりにならぬというと、最近、学力テスト反対だ
賛成だという議論のもっとあとの問題ですからね、実施されている
状況の中でそういうことが出ているのだから、やめるという前に、私があなたにやめろと言ったってなかなかやめられないと思うけれ
ども、しかし、やめる前にそういう風習の除去だけは私は責任があると思うのです、正しいからやるというからには。そうでしょう。そういうことをとにかく言えば県議会の中では懲罰騒ぎも起こるというような
状況の中で、だれかがこの問題についてほんとうに手を下さぬとだめなんですよ。それをお互いが
教育の問題としてやはり取り上げようじゃないかと、こういうことなんです、私の言うことは。その
考え方は間違いじゃないでしょう。そういうことがあったらたいへんでしょう。そのことが
一つ。
もう
一つは勤評とのかかわり合いなんだね。
学校の先生がこれについて成績が悪いというと、おまえは何番ぞというようなことをいわれる。これは一体どういうことなのか、私はそのあとでひとつ
文部大臣に聞いてもらいたい、人事のことで。これは学テ反対の人に対するやり方だと思う。特昇というのが出た、これは
昭和三十三年から九年間特別昇給というもの、この中で日教組の組合員中、ただの一人も特別昇給というのはないというのだな。これはよくよく悪いのが集まったとあなた
たち言うかもしれない。一体そういうことがあるもんだろうか、人事として。それから、
昭和三十三年以降、組合員は
学校長に一人も任命されておらない。三十六年以降は教頭に一人もなっておらない。こういう人
たちはなぜにらまれるか、その激しい競争ということをようやらぬからで、そのことは詳しくここに書いてある。お読みくださいひとつ。勤評とこれがからまってきておる。こういうことになって一体いいものかどうか。これが真実だとすれば重大な問題だと私は思う。まあしかし、ややほんとうだろうなと思うことは、新任の教師に対するこういう
教育委員会からのあれが出ている、実におもしろい。大体どういうことなのかね、「
学校が、地域が、「おはよう」「さようなら」「ごめん」「ありがとう」で充満したいものである。「あいさつ」はだれからしてもよい。だいたい「あいさつ」の意味がわかっている人から先にするのがふつうであろう。そう思えば、答礼がなくても腹は立たない。(相手の精神年齢が低いと思えば。)」、新しい先生に教えている。これ一体――こういうような「電話のうけ方」ということも、「まず、
学校名と自分の名を言うことを忘れない。」これが大学四年の課程を経た者に対する心得なんだ。「話すときは、相手が眼前にいるように、頭をさげる気持ちで。――すると、その誠意は相手に通じるものである。」あるいは「酒の飲み方」「よい酒をほどほどに飲んで、明日への活力を養うのである。帰りはなるべくハイヤーで帰り、事故を起こさぬようにしたい。その方が安あがりになる場合もある。――酒は人間関係の入り口である――」こういって書いてある。その次におもしろいことが書いてある「――二日酔いは後悔と溜息と疲労とが残る――」そうしてその次に啄木の歌が書いてある。「酒のめば刀をぬきて妻を逐ふ教師ありき村を逐はれき」何のためにここへ響いてあるのか、意味がわからない。これは刀を抜いて振り回して追っかけろということなのか、そうやったら悪いというのかよくわからない。ぼくはこの啄木の歌の解釈というものを知らないのじゃないかと思う、これを書いた人は。職員便所、宿直室のそばの男子の教員便所、これは生徒は用いないが、それに「あなたのものは、そう長くありません。」と書かれていた。ばかにするにもほどがある。「「あなたのものは、そう長くありません。」と書かれていた。にっこり笑って、前へ進み出て用を足したのは、私だけではないと思う。」何ですかこれは。こういう
程度のものが「子
どもとともに」に書いてある。「新任教師のために」と書いてある。「あなたのものは、そう長くありません。」、何の話を一体言っているのだ。こういうばかげたことをやるところに人事の問題でも何でもろくなことは始まっておらない。だから私は
文部大臣に、この際、とにかくこの問題の解決をもっと高いところから考えてもらいたい。
委員会が云々というような話もあったけれ
ども、
文部大臣は与党の
文部大臣なんだ。少なくともこの点に関しては、
意見を述べるときには、やはりこの際、
教育の姿勢を正すということをみずから範を示してもらいたいと私は思う。やはり
教育委員会は
教育委員会の責任があり、教師には教師の責任がある。教師にほんとうにやっていけないことはやらないというような気がまえを持たせる意味においてもやるべきだと思う。
委員長もひとつそういう
立場をとってもらいたいと思う。
だいぶきょうは長くなって文句が出そうだったからここでやめますが、福田次官が来て、そのときにまた問題があればやりますけれ
ども、きょうはこれで終わります。その点はなお
委員長にあれしておくが、理事会でひとつ検討してもらいたい。それは愛媛県の県教委の責任者という人にここへ来てもらってなお聞きたい。それをやらないうちは――これはやはり愛媛の
教育というのは重大な問題だと私は思う。