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小林武君 まあ先ほど申し上げたように、これがわれわれが不用意に言うときはいいですよ。それからまあそう言っては失礼ですけれ
ども、あまり
教育も何も商売にしない者が、こういう場合にもそれぐらいのことを言っても、これはたいしてかど立ててものを言うことはない。しかし、ぼくは少なくとも前の
文部次官がそれを言った、それを受けて答えて、
文部大臣が
わけがわからぬというようなことを言われるというと、これはやはり
大学に対する侮辱でもあるし、
一体何を
考えて
一体どうしていくのか、
大学というところはただ
単位とればいいという式なのか、
学部というものは
一体何なのかという、これはどの
程度の
理解なんだって逆に聞きたくなるんです。だから私は、そうなるというと、これはもう
教育の
次元ではなくて、何か意図的な特別な
次元で話をしようというような
受け答えに聞こえる。そうすると、こっちも大いに勘ぐって、これは
一つ別なところからきたかななんて
考えて、二重にも三重にもいろいろな輪をつけて
考えるというようなことになると、
議論はまずうまいぐあいにいかないと私は思うんです。しかし、そういうことを言ってもしょうがないが、そこで私は
大臣に申し上げたいんだが、
教員養成に必要なと、こういうことをおっしゃるんですね。そこで先ほど
大臣に
お尋ねしたように、
教員というのはどんな
資質の者が
教員としていいんだという問題が出てくる
わけです。実は私はこの問題について、かつてその当時は、三十八年ですかね、あれは。
委員長がいまの
政務次官だったころと思いますが、この問題でちょっとここで
質問したことがある。その際に私は、
総合大学の中にある
教師の
養成機関というのは東北
大学だけだ。これは貴重な存在だ、
大学という機構の中で、これはいろいろな
議論もありました。裏へいって聞きゃありますよ。
総合大学の中でまま子扱いされているのだという話も聞きましたけれ
ども、少なくともそれは内部のつまらない矛盾であって、そんなものは克服できないことじゃない。
総合大学の中で
教員を
養成するというのは
日本にたった
一つしかない。これが
一体どういう効果があるのだ。むしろ
日本の中でそういう
教員の
養成のしかたというのをもっとやはり発展させるべきではないかという
議論を私が展開したときに、
教員養成を純粋にやった
師範学校との問題とかが出てくる
わけです。
師範学校で
養成した
教員というようなものと、それからそうでないところの、たとえば
大学を出た人が
教員になった場合、どっちがいいかという
比較も出てくる。それもまあ
比較としては一〇〇%的確にはならぬけれ
ども、まあそういう話が出たときに、私の
議論に賛成なさったのは自民党の
笹森さんであります。
発言を求めて、
関連質問を求められたから、私は何をおっしゃるのかと思っておったら、
反対意見ではなくて、私も長い間の
教員の生活で、私自身も、りっぱな
教師であるのは
師範学校卒業生より、むしろそうでない
大学を出た
先生のほうがあれだという、そういう長い
経験をお持ちの、
政治家であり
教育者である
笹森先生から、そういうことを私は聞いて非常に力強く思った。だから、こういう問題については、簡単に
目的がどうかという
議論を展開されるのは迷惑だという
議論をそのときにした。しかし、あのときの第一歩が今日の問題に発展しているのだから、ぼくは非常に、それだけのことをおやりになるならば、よほどの根拠がなければならぬと思った。だから、今度御
提案になった、私もよく知っておるのですが、
国立学校設置法の、この
法律の問題について、一部
改正については、何も
教員養成の
教育学部がどうしたという問題じゃないのだから、むしろぼくはこんなもの引き直して、別なところで何かできないかと思うくらいですよ。これは手続的にできるかできないかよく知らぬけれ
ども、できるならばそんなものは引き直してやって、その他いろいろ
学部をどうするとか何とか、いろいろな必要なことがあるのだから、そういうものは一日も早く出してやりたいというような
気持ちがある。率直に言って、
皆さんとそういうことはわれわれも話している。しかし、この問題が入っておるために、ただではやれぬという
気持ちがある
わけですよ。それは将来に大
影響を及ぼすから、大きなことを言うようだけれ
ども、
政治をやっておる者は、少なくとも将来の
日本の
国民が、どうなるのだという問題、あなたたちがおっしゃる十年後の
日本の
科学技術の
水準というものはどうなるのかということは、即
日本の繁栄の問題がどうなるかという問題なんだ。そういうことにつながる問題だから慎重にやってもらいたいという
気持ちがあるのですよ。まあしかし、これからいろいろ
議論を展開していって、
皆さんのほうから、いや心配ないというような裏づけが出てくれば、これはまた別の話だけれ
ども、あまり出そうもない問題のような気もするので一生懸命やる
わけですけれ
ども、
一体その
文部大臣ね、
そこらあたりがあいまいです。
文部大臣は
一体その
教育の、その
教員養成というものを
目標にしない場合には、もうとにかくろくなものが出てこないのだというようなお
考えになっておるのかどうか。戦後とにかく十何年たった、新学制になってからも
相当の
経験を経たのです。私はまあ古くさい頭の
校長あたり、と言ったらこれはしかられるかもしれませんが、
人間の中には、いまの若い者などと言う人もあるかとも思いますけれ
ども、しかし、公平にものを
考える
人間は、いわゆる学士の資格を持って出てきた
教員というのは、絶対とにかく戦前の
教師よりも優位だということは言っておる、この点。これは皆、
学芸学部を
卒業した者です。私はそうだと思う。これは
自分の親子の
関係にあっても、むすこのあれがなかなか
理解できないというのは、
自分のうちに行ってみればよくわかる。私もその例に漏れない。だから、
一般の
社会において、年をとった者と若い者との間にそれは確かに断層があるでありましょう、こういう急激な
変動期ですから。しかし純粋に
教育の問題を取り上げて、
一体有能な
教師かどうかということになったら、
大学卒業生というのは決して
教育目的、とにかく
教員の
養成目的というものがはっきりしていない、たいへんなものをとにかく
養成しているという
結論は出てこないと思うのですよ。
そこらあたりを
文部大臣はどう
一体把握しているのか、どんな実態の上に立ってそういうことをおやりになるか。もちろん先ほどあなたのおっしゃるように、
文部省ばかりで
考えたのじゃない。
中教審にもはかったし、
教育職員養成審議会にもはかりましたけれ
ども、それについての手続はとっている、とっているけれ
ども判断はあなたにある、あなたがいまの
教育制度に対して、これは抜本的に改定しなければだめだという
理由はどこにある、
一体、
教育学的にどこにあるのか、よくおっしゃる
科学的な
立場でこれが証明できるのかどうか、それを承りたいのですよ、ぼくは。何かあるのか、それについて私は反論しますから、これからそれを
お話していただきたい、どこに、どこが悪いのか、そうしてまた、
学芸学部というのは東大でいえば
教養学部と同じことです。
内容的にいえば
教養学部というのは何の役にも立たぬ
学部なんです。そういうものの
考え方に立っていたらこれは重大な問題です。
一体、
学芸学部というのは何ですか、あれは役に立たぬやつを
養成する
学部なんですか、どういうことです。それをひとつはっきりして、ひとつはっきりした
文部大臣の
考えを述べてもらいたいのですよ。もう一ぺん申しますと、あまりよけいなことを言ったんでつかみとれないと思いますから申し上げますが、
教員養成を
目的としていないことによって、戦後、新制
大学だからつまらない
教員が出たのかどうか、どうして、あるいはつまらぬとまではいえぬけれ
ども、
一体どこにどんな欠陥があるか、欠陥があると
指摘しているのはだれなのか、それから
学芸学部なんていうのは、これは
教養学部と同じだと私は
理解しているのです。これが、ここから出てくる
人間が人を教えることがぐあいの悪い
理由はどこにある、人が完成することによって人を教えることができるのじゃないか、私はそう思うのですが、そういう点について
文部省側の
見解というものはあるべきだと思う。これは
文部大臣からは
政治家としてのお
考えを承りたいし、それから
局長からは、その点についての行政的な
立場からのさらに詳細の
説明を承りたい。