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1966-03-31 第51回国会 参議院 文教委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月三十一日(木曜日)    午前十一時十二分開会     —————————————    委員異動  三月三十一日     辞任         補欠選任      田代富士男君     辻  武寿君   出席者は左のとおり。     委員長         二木 謙吾君     理 事                 北畠 教真君                 久保 勘一君                 千葉千代世君                 松永 忠二君     委 員                 近藤 鶴代君                 玉置 和郎君                 内藤誉三郎君                 中上川アキ君                 中村喜四郎君                 山下 春江君                 吉江 勝保君                 秋山 長造君                 小野  明君                 小林  武君                 鈴木  力君                 辻  武寿君                 林   塩君    国務大臣        文 部 大 臣  中村 梅吉君    政府委員        文部政務次官   中野 文門君        文部大臣官房長  安嶋  彌君        文部省大学学術        局長       杉江  清君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省大学学術        局教職員養成課        長        安養寺重夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣  提出、衆議院送付)     —————————————
  2. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。本日、田代富士男君が委員を辞任され、その補欠として辻武寿君が選任されました。
  3. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本法案については、すでに提案理由説明を聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。質疑のあるお方は順次御発言を願います。なお、政府側より中村文部大臣杉江大学学術局長が出席されております。
  4. 小林武

    小林武君 ひとつ初めにぼくは要求があるのですけれどもね、委員長、ぼくら予算委員会関係で出席できなかったけれども提案理由説明などというのは、出なくたってやはり文教委員に配付してもらいたいと思うのです。そういうような種類のものが全然配付されてない、資料が配付されてないというのはおかしいと思う。これはいま気がついたんだけれども、ぼくは欠席したことはあまりないんだけれども、欠席してみたら、そのことがどうもきわめて不満なんです。この点はひとつ今後そういうことのないようにしてもらいたい。  それから文部大臣お尋ねをいたしたいのですが、これはこの間、分科会のときに科学技術問題と一緒に大臣お尋ねをしたいと思ったのですけれども、というのは、この間もお話し申し上げたように、人の問題ということが、時間があればかなり突っ込んだ御質問大臣にも科学技術庁長官にもしたかったのですが、人の問題ということになると、これにかかわり合いがあるのが教師という人の問題ですね。そういうことでかなり大臣から計画性のあるお話を承りたいと思ったけれども、それができなかった。そこで一番先にお尋ねしたいのは、いわゆる科学時代だと、こういうことを言えば、どっちが本家であるかという本家争いというわけじゃないけれども科学技術の問題を広い意味考えた場合に、文部省の占める位置というものは、いまの科学技術庁などとは比較にならぬと私は思っている。ほんとうにあらゆる意味比較にならない比重を持っている。いわゆるいまの科学技術庁というのは、狭い意味のいわゆる技術中心の問題に多く関連しておるのじゃないか、そういう点からいえば、重大性はこちらのほうにあるというふうに考えているのですが、そういう角度からものを考えた場合に、一体どういう教師がまず科学時代に必要なのか、これはたいへん文部省にとっては重大なことだと思うのです。いままでいろいろな教師に対する御注文がございましたけれども、どうも私に言わせれば、何か感情的、政治的というようなものが多分に入っておる。だから、論争する点になるというと、はなはだわれわれも反省しなきゃならぬところがあるんだけれども、ぞれぞれの政党的立場に立って議論するというような感じを一般国民に与えるような論争になっているということを非常に残念に思うのですよ。しかし、もっと次元を高くして、日本一体将来のことを考えたならば、この科学時代というものに、日本がどういうふうな一体役割りを果たすか、指導的な立場というものがあるでしょうし、そういう点を日本国民としてある程度自負していいと思う。特にアジアの諸関係のことを考えた場合に、日本がこれは特段に何かそれによって有利になるとか、専横なふるまいをするとかということじゃなしに、やはりアジアの中で果たす使命ということを考えますと、これはなかなか大きな意味があるということが、特に今度の科学技術基本法を出すとか出さぬとかという問題もそういうことにあるでしょうし、昭和三十五年に今後の科学技術水準について、十カ年の目標を出したということもそういうことだと思う。そういう時代に、一体教師というものは何を求められるか、どういう資質教師が必要なのかということは、私は政治的な立場から、従来のどれがどうとか、一部の人間が、自分のとにかく感情でもって、こういう教師のほうが都合がいいというような、そういう低い次元の話では私は困ると思うのですが、そういう点について大臣から総括的なお話を一度承っておきたいと思うのです。
  5. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 文部省の所管をしております面から申しますと、科学技術については、その学術的な研究、これが中心であると思います。そこで学術的な研究を十分に達成をするためには、高度の科学技術者が、特に科学技術関係学部学科教授に配置されなければならないと思いますので、この点については、私ども大学付置研究所研究等も通しまして、十分にその点は予算的な措置等も努力をしてまいるべき筋合いでございます。しかしながら、現状はそういう高度な科学技術者養成するといいますか、生まれてもらうようなための措置がまだ不十分であると思いますが、今後とも私どもとしましては、そういう方向に向かいまして最善を尽くしたいと思っております。
  6. 小林武

    小林武君 まあ急にそういうことを申し上げれば、なかなか文部大臣としても、お尋ね申し上げてもいまのような答弁しかできないと考えますけれども、私はそういう事情は認めますけれども、やはりもっと突っ込んでお考えいただきたいという気持ちがあるのですよ。一体いまの科学技術というようなもの、先ほど申し上げたように、いまの科学技術庁の範囲の中に包活されるような狭い意味でなく、もっと広いものが日本科学技術というものを高めるためには必要だ、この点につきましては先日の予算委員会分科会において、科学技術庁側答弁というものは、私はかなり、何というか、片寄った御答弁であった。たとえば人文科学社会科学自然科学とのかかわり合いというものをどうするのかというような問題を質問された際にも、これはもう実に、何だかあいまいもことして何が何だかわけがわからぬ。御意見の中には、人文科学と言ってもそれはあらゆるものを網羅するものではなくて、哲学や美学はこれから除外さるべきものだ、そういう見解のもとに質問が展開されて、そしてそれに対して、お説ごもっともというような大体答弁があった。これは一体どういうことなのかという、私にとっては非常にふしぎなのですけれども中野政務次官答弁はまことにりっぱだ、この点は。これはとにかく、さすがは文部省政務次官、りっぱな答弁だったと感心したのですが、その点は私は文部省を買っている、たいへん。そういう立場で、その人文科学というものは自然科学が発達すればするほど、発展すればするほど、これに伴い人文科学社会科学進歩がなければだめだということが、これは文部省側見解として出ているのだから、これはりっぱなものだと思うんです。こうでなければならぬと思うんです。そういう科学、学問の進歩ということをお考えになった場合、教師というものは、そういう場合に、一体どんな資質を持たなければならぬかということは、もう少しやはり具体性を持って文部省あたりがお示しにならぬというと、たとえば国立学校設置法一部改正法の中に出てきた教育学部の名前をどうしたという話が出るだけでは納得しないのです。これは率直に、そう言っては失礼かもしらぬけれども、十九や二十の学生諸君も納得しないし、教授諸君も納得しないというようなことになる。だから、何で一体論争しているかということになると、何かそこには、そういう純粋な教育的立場論争ではなくて、いたずらに何か立場の相違からくる、あるいはその背景に何か政治的なものがあるとか、イデオロギー的な問題があるというふうに、全く——もっともそれはイデオロギーも政治もないような世の中はありませんけれども、それのみにかかわったような論争が展開されるように考えられるのは、私は非常に問題があると思っているのですが、どうもいまの程度の御答弁だというと、またここでそういう議論をするというようなことになるわけでありますから、これについてもう少し突っ込んだ、ひとつ一体どういう教師なんだということを、もう一度ひとつ大臣から御答弁をいただきたいと思います。
  7. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 今度の学芸学部教育学部ということに変えようということは、御承知のとおり、文部省が事務的に考えわけではありませんで、御承知のとおり、中教審でも長く検討されて、そうあるべきであるという答申をされ、また、教職員養成審議会からも、この審議会のメンバーが、とらわれない立場で御研究になった結果、今度のような改正を行なって、そしてりっぱな教員養成ができるように、設備その他教官陣営等充実をして、教育内容整備すべきであるというような趣旨建議がありまして、この建議答申に基づいて文部省としましてはこのような方策を実行に移したい、こういうことになりましたわけで、私どもとしましては、こうすることによって、あらゆる部門にわたって、それぞれの段階におけるりっぱな教師養成するようにいたしたいというのがねらいでございまして、決して他意あるわけではございませんので、その点をとくと申し上げておきたいと思います。
  8. 小林武

    小林武君 いま他意のことを聞いているのじゃないのですけれども他意があるような質問をしたり答弁をしたりするというようなことになるというとぐあいが悪いと私は言っている。ところが大臣も、いまの御答弁からは一歩も前進することができないわけですけれども、これは、まだこれから時間も長いことですから、ひとつおいて、もう一つ私の不審の点を、大ざっぱなやつをひとつ聞いておきます。それは、予算一般質問の中で、本委員会内藤誉三郎君から質問のあった事項です。これは速記録を写したものを読み上げます。内藤君は長い間文部省づとめをやっておって、いわゆる文部行政については精通していると私は思っております。文部省の中にも相当影響力を持っているものと私は考える。前の文部事務次官ですから、その人の質問ですから、これに対する大臣との受け答えというものは、私はかなり緊張して聞いておった。緊張ばかりでは足りないので、速記録も取ってみた。「○内藤誉三郎君 次に、教員養成のことについてでございますが、教育で一番大切なのは何と申しましても教師だと思います。いまのように単位さえとればいいというものではないと思うのです。教員養成学校師範学校から専門学校になり、大学と三段飛びをいたしましたので、いろいろな問題が生じておるわけでございます。私はまず第一に、このぼろ校舎整備を急速に進めていただきたい。他の学部に比して」、というのはたいしたことはない。「第三番目は教師資質向上のため在外研究員をもっとたくさん出していただきたい。」、これもあれですが、「このために少なくとも毎年一大学一人ぐらい、五十人程度の別ワクを確保して、」、というのは、前の在外研究員の問題です。第三には、教員志望学生の素質の低下を防ぐために特別奨学制度をやったが、これを大幅にやってもらいたいということと、高校の校長の推薦で教員適格者大学に無試験で入れること、以上三点について、こういう質問があったわけであります。これに対して中村文部大臣は、「教員養成重要性は御指摘のとおりでございます。しかるところ、現在は教員養成か何かわからぬような、学芸学部学芸大学という制度に戦後なっておりますので、本国会におきましても、私どもとしましては、教員養成目的を明らかにした教育大学あるいは教育学部学科というようなものにいたしたいという提案をいたしておるのでございます。これに対して一部では、師範学校復元考えておるのじゃないかというような御批判もあるようでありますが、われわれは師範学校復元などということは毛頭考えておりません。」、こう言っている。内藤君のこの質問の中で、私は一つ問題を考えますのは、「いまのように単位さえとればいい」というような御質問がある。一体いまの学芸大学仕組みというのは、単位さえとればというような仕組みであるのかどうか。文部省はそういうことを考えているのかどうか。この点は、文部大臣の御答弁と同時に、大学局長からも、単位さえとればいいというようないまの大学仕組みであるのかどうか、これは行政的な立場からひとつ御答弁いただきたい。文部大臣は、特に、何かわからぬような、学芸学部というのはどういうことなのか。いまの学芸学部というのは、何かわけのわからぬようなというのは、これはどういうことなのか。この問題は、私は前の質問と関連して、きわめて緊張して聞いたわけです。この点について、問題が具体的でございますから、ひとつお答えをいただきたい。
  9. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 御承知のとおり、学芸学部は主として教職員養成を担当し、あるいは大学によっては教育部門を担当してきておるわけでありますが、大体の態勢はそうなっておるのにかかわらず、学芸学部ということでありますと、教職員養成であるという目標がはっきりしていない、こういう趣旨を私は述べたつもりでございまして、まあ用語は適切でなかったかもしれませんが、この際、教職員養成目的とした教養学部というような名称に制度を改めて、そのかわりに教職員養成に必要な、まあ理学関係の系統の教員ならばそれに必要な設備充実をする。また教官学生に教えをする教官陣営も、この際、教育者養成に必要な人材を配置して、人員も増員するようにして、教職員養成にふさわしい目的を果たせるような陣容に整備をいたしたいということを考えておりましたわけで、まあ非常に予算委員会のことで、時間ができるだけ答弁も短くしなければなりませんので、考えておりますことがそっくりあらわれていないし、また用語等も不適当なところがあったかと思いますが、そういうような趣旨内藤さんの御指摘に対してお答えをした次第でございます。
  10. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部において学生単位さえとればよいのかという御質問についてでございますが、結論は、もちろん単位さえとればよいという性質のものではない。全体として大学の定める教育課程を履修し、その学部目的にふさわしい教育内容を履修する、そういうことが当然の要求でありまして、単に単位さえとればよいというものではないと考えます。ただ、卒業要件一般的なものとして、大学卒業には百二十四単位履修しなければならぬ、こういうことは学芸学部じゃなくて一般学部を通ずるたてまえになっておるのであります。しかし客大学においては、百二十四単位以上、どの程度を履修させるか、また内容をどうするかということは、原則的には各大学判断にまかせる問題であります。で、そういうふうな卒業要件としての一般的基準はあるのでありますけれども、そのことから単に単位さえとればよい、こういうふうな性質のものではない。大学教育の本質的なあり方として、そういう理解は私は間違っておると思います。
  11. 小林武

    小林武君 まあ先ほど申し上げたように、これがわれわれが不用意に言うときはいいですよ。それからまあそう言っては失礼ですけれども、あまり教育も何も商売にしない者が、こういう場合にもそれぐらいのことを言っても、これはたいしてかど立ててものを言うことはない。しかし、ぼくは少なくとも前の文部次官がそれを言った、それを受けて答えて、文部大臣わけがわからぬというようなことを言われるというと、これはやはり大学に対する侮辱でもあるし、一体何を考え一体どうしていくのか、大学というところはただ単位とればいいという式なのか、学部というものは一体何なのかという、これはどの程度理解なんだって逆に聞きたくなるんです。だから私は、そうなるというと、これはもう教育次元ではなくて、何か意図的な特別な次元で話をしようというような受け答えに聞こえる。そうすると、こっちも大いに勘ぐって、これは一つ別なところからきたかななんて考えて、二重にも三重にもいろいろな輪をつけて考えるというようなことになると、議論はまずうまいぐあいにいかないと私は思うんです。しかし、そういうことを言ってもしょうがないが、そこで私は大臣に申し上げたいんだが、教員養成に必要なと、こういうことをおっしゃるんですね。そこで先ほど大臣お尋ねしたように、教員というのはどんな資質の者が教員としていいんだという問題が出てくるわけです。実は私はこの問題について、かつてその当時は、三十八年ですかね、あれは。委員長がいまの政務次官だったころと思いますが、この問題でちょっとここで質問したことがある。その際に私は、総合大学の中にある教師養成機関というのは東北大学だけだ。これは貴重な存在だ、大学という機構の中で、これはいろいろな議論もありました。裏へいって聞きゃありますよ。総合大学の中でまま子扱いされているのだという話も聞きましたけれども、少なくともそれは内部のつまらない矛盾であって、そんなものは克服できないことじゃない。総合大学の中で教員養成するというのは日本にたった一つしかない。これが一体どういう効果があるのだ。むしろ日本の中でそういう教員養成のしかたというのをもっとやはり発展させるべきではないかという議論を私が展開したときに、教員養成を純粋にやった師範学校との問題とかが出てくるわけです。師範学校養成した教員というようなものと、それからそうでないところの、たとえば大学を出た人が教員になった場合、どっちがいいかという比較も出てくる。それもまあ比較としては一〇〇%的確にはならぬけれども、まあそういう話が出たときに、私の議論に賛成なさったのは自民党の笹森さんであります。発言を求めて、関連質問を求められたから、私は何をおっしゃるのかと思っておったら、反対意見ではなくて、私も長い間の教員の生活で、私自身も、りっぱな教師であるのは師範学校卒業生より、むしろそうでない大学を出た先生のほうがあれだという、そういう長い経験をお持ちの、政治家であり教育者である笹森先生から、そういうことを私は聞いて非常に力強く思った。だから、こういう問題については、簡単に目的がどうかという議論を展開されるのは迷惑だという議論をそのときにした。しかし、あのときの第一歩が今日の問題に発展しているのだから、ぼくは非常に、それだけのことをおやりになるならば、よほどの根拠がなければならぬと思った。だから、今度御提案になった、私もよく知っておるのですが、国立学校設置法の、この法律の問題について、一部改正については、何も教員養成教育学部がどうしたという問題じゃないのだから、むしろぼくはこんなもの引き直して、別なところで何かできないかと思うくらいですよ。これは手続的にできるかできないかよく知らぬけれども、できるならばそんなものは引き直してやって、その他いろいろ学部をどうするとか何とか、いろいろな必要なことがあるのだから、そういうものは一日も早く出してやりたいというような気持ちがある。率直に言って、皆さんとそういうことはわれわれも話している。しかし、この問題が入っておるために、ただではやれぬという気持ちがあるわけですよ。それは将来に大影響を及ぼすから、大きなことを言うようだけれども政治をやっておる者は、少なくとも将来の日本国民が、どうなるのだという問題、あなたたちがおっしゃる十年後の日本科学技術水準というものはどうなるのかということは、即日本の繁栄の問題がどうなるかという問題なんだ。そういうことにつながる問題だから慎重にやってもらいたいという気持ちがあるのですよ。まあしかし、これからいろいろ議論を展開していって、皆さんのほうから、いや心配ないというような裏づけが出てくれば、これはまた別の話だけれども、あまり出そうもない問題のような気もするので一生懸命やるわけですけれども一体その文部大臣ね、そこらあたりがあいまいです。文部大臣一体その教育の、その教員養成というものを目標にしない場合には、もうとにかくろくなものが出てこないのだというようなお考えになっておるのかどうか。戦後とにかく十何年たった、新学制になってからも相当経験を経たのです。私はまあ古くさい頭の校長あたり、と言ったらこれはしかられるかもしれませんが、人間の中には、いまの若い者などと言う人もあるかとも思いますけれども、しかし、公平にものを考え人間は、いわゆる学士の資格を持って出てきた教員というのは、絶対とにかく戦前の教師よりも優位だということは言っておる、この点。これは皆、学芸学部卒業した者です。私はそうだと思う。これは自分の親子の関係にあっても、むすこのあれがなかなか理解できないというのは、自分のうちに行ってみればよくわかる。私もその例に漏れない。だから、一般社会において、年をとった者と若い者との間にそれは確かに断層があるでありましょう、こういう急激な変動期ですから。しかし純粋に教育の問題を取り上げて、一体有能な教師かどうかということになったら、大学卒業生というのは決して教育目的、とにかく教員養成目的というものがはっきりしていない、たいへんなものをとにかく養成しているという結論は出てこないと思うのですよ。そこらあたり文部大臣はどう一体把握しているのか、どんな実態の上に立ってそういうことをおやりになるか。もちろん先ほどあなたのおっしゃるように、文部省ばかりで考えたのじゃない。中教審にもはかったし、教育職員養成審議会にもはかりましたけれども、それについての手続はとっている、とっているけれども判断はあなたにある、あなたがいまの教育制度に対して、これは抜本的に改定しなければだめだという理由はどこにある、一体教育学的にどこにあるのか、よくおっしゃる科学的な立場でこれが証明できるのかどうか、それを承りたいのですよ、ぼくは。何かあるのか、それについて私は反論しますから、これからそれをお話していただきたい、どこに、どこが悪いのか、そうしてまた、学芸学部というのは東大でいえば教養学部と同じことです。内容的にいえば教養学部というのは何の役にも立たぬ学部なんです。そういうものの考え方に立っていたらこれは重大な問題です。一体学芸学部というのは何ですか、あれは役に立たぬやつを養成する学部なんですか、どういうことです。それをひとつはっきりして、ひとつはっきりした文部大臣考えを述べてもらいたいのですよ。もう一ぺん申しますと、あまりよけいなことを言ったんでつかみとれないと思いますから申し上げますが、教員養成目的としていないことによって、戦後、新制大学だからつまらない教員が出たのかどうか、どうして、あるいはつまらぬとまではいえぬけれども一体どこにどんな欠陥があるか、欠陥があると指摘しているのはだれなのか、それから学芸学部なんていうのは、これは教養学部と同じだと私は理解しているのです。これが、ここから出てくる人間が人を教えることがぐあいの悪い理由はどこにある、人が完成することによって人を教えることができるのじゃないか、私はそう思うのですが、そういう点について文部省側見解というものはあるべきだと思う。これは文部大臣からは政治家としてのお考えを承りたいし、それから局長からは、その点についての行政的な立場からのさらに詳細の説明を承りたい。
  12. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 私どもも十分の知識は持ちませんが、戦前の師範学校のようなものは、当時の国家目標といいますか、国のあり方から見て非常に馬車馬的、これもことばが適当でないかもしれませんが、馬車馬的な狭い視野の人材を養成した傾向があったと思います。したがって、それと、戦後の大学卒業して教師になった人たちの比較をすれば、それは大学卒業して幅広く勉強された人のほうが有能な教師であるということは言い得ると思います。ただ問題は、その中においてもできるだけ小学校は小学校、中学校は中学校、高校は高校の自分の担当すべき教科目についてさらに十分の勉強をしていただくためには、教育者養成する教育学部教育学科ということに方向をはっきりいたしまして、そこで、教育者として、自分が将来目ざす小学校教員なり、中学校教員なり、高等学校教員なり、自分の目ざす学校の教職にある者として必要な学問を十分に履修していただこうと、こういうことがよかろうと思うのでございます。いままでの学芸学部でございますと、もっと幅が広うございまして、先ほど来話が出ておりまするように、百二十何単位かの単位さえとれれば一応卒業できるので、私はそうしたことよりも、教職員養成には教職員に必要な学問をもっと十分にやっていただく、もっとも一般的な教養については、これはできるだけ幅広いほうがけっこうには違いありませんが、人間の能力には限度がありますから、そういう意味において教員養成目標にした学部学科をつくりまして、そしていい教職員養成をはかりたいというのが考え方でございまして、これも文部省関係官だけが考え出したのではありませんで、先ほども申し上げましたように、中教審教育職員養成審議会等で、御承知のような学識経験者が集まられて討議した結果、こうあるべきであるという意見が出た以上は、文部省としてはここで踏み切って、その方向をはっきりさせる必要がある、かようなことで今回の立法を試みたような次第でございます。
  13. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部は発足当時におきましては、必ずしもその性格ははっきりはいたしておりませんでしたけれども、少なくとも教員養成を行なう学部を各県に一つずつ置くと、そして文理学部のあるところは教育学部とする、そうでないところは学芸学部にする、そういうふうなものとして、少なくとも国立のものを発足したわけであります。この学芸学部は、だから教員養成の実態を当初から多分に、少なくとも国立大学学芸学部は持っておったのであります。ただ、学芸学部のときは、教員養成だけをやるところではないという考え方があったのでありまして、そういうふうな考え方から、学芸課程というものもあり得るというたてまえになっておったのであります。その後、昭和二十八年に大学基準協会の評議員会で、一応、学芸学部の基準要綱がまとめられておりますけれども、そこでは、御存じのとおり、学芸学部人文科学社会科学自然科学の各分野にわたる総合的教育研究に重きを置き、一定の領域において高い教養を与えることを目的とする、こういうふうになっております。そしてその中で教員養成を行なう課程を持つということであったのであります。で、私はすでに学芸学部教育された者が、相当資質を持って世に出ておる、かっこの師範学校よりもその点は改善されておるという点については私も同感でございます。しかし、そのことは、私はその学芸学部という、こういうところで行なわれたということのみに帰せられない原因を持っておる、基本的には、大学におきましてその教育が行なわれるという点において、そのような資質の向上をもたらしておると私は考えております。この目的性格が明らかでなかったということは、しかし、一般的には言えることであります。それは、ほかの学部に比べてその性格があいまいであったということは言えます。そこでこの学芸学部と対比された性格のものとして、文理学部ないし教養学部があるのでありますが、文理学部につきましては、やはりその性格のあいまいさ、運営のむずかしさ、教育効率が低いということから、その改組をいま進めているところであります。ただ教養学部については、これは一定の条件のもとにおいてしかなかなかその成果をあげない性質のものでありますけれども、これはまた違った性格のものでありまして、文理学部学芸学部のように、単にいろいろなものをたくさん並べておいて、それを教え、また学習するというような性格のものではないのであります。したがって、学芸学部教養学部とをその類似性のゆえに学芸学部を現在肯定されるという性格のものではなかろうと私は考えております。やはりこの目的が明らかでないので、現実にカリキュラムのあり方もその基礎がはっきりいたしませんし、また全体の施設、設備の基準もはっきりしない、そういうことからいろいろこの整備充実に支障を生じてきたというのが、この長い間の実際の姿であります。で、そういうことを反省して、その目的、性格を明らかにしようというわけでありますけれども、これは何も教員養成に限ってそういうことをしようというのではありません。他のすべての学部が私はそうだと思います。医師養成であれば医者の養成、医学の研究目的としてその学部教育が行なわれているわけであります。工学部におきましても、また、工学の研究と工業技術者の養成目的として教育が行なわれているわけでございます。で、そういう意味におきまして、それと同様の考え方をもちまして学芸学部目的、性格を明らかにしようというのが今回の趣旨でございます。で、もちろんそういった目的、性格を明らかにいたしますけれども、しかし、そこに行なわれる教育は決して何かそのことだけを目ざした狭義の教育を行なおうというような趣旨ではございません。これは医師養成におきましても、またほかの学部におきましても同様の問題でございます。そこには大学教育において当然要求される一般教養というもの、これは大いに尊重されるのが新制大学においては基本理念でございます。その理念は維持しながらも、他学部とおおよそ同様な意味においてその目的、性格を明らかにして、しっかりした教育をしていこうというところに私はそのねらいがある、かように考えております。
  14. 小林武

    小林武君 まあ文部大臣の御答弁は、私の質問には十分答えておりませんけれども、言おうとすることは、大体これは予算委員会における御答弁とも大した変わりがないような感じもいたしますけれども、まあ何をやっているかわからぬというようなことは、これは大体文部大臣の言い過ぎであるということはお認めになった。そういうことではないということだけでも明らかになった。しかし、やはり文部大臣としては、一々いろいろなことを知っておられなければならぬという理屈のものではありませんから、なかなかだれが議論しても、私は議論が分かれてしまってなかなか統一できない。それがやはり教員に対するいろいろな立場のやはり見方であり要求であると思いますから、これは必ずしも文部大臣を責めるわけにもいかないと思うけれども、ひとつやはり文部大臣考え方の中に、ぼくは問題だと思うのは、何か教員という職人をつくるというような考え方が非常に強いことを私は残念に思うのです。やはり教育的職人ではだめだということは、これからも、やはり過去のことを言って、師範学校出たやつはだめだということを言うと、私たちもそうだし、自民党のほうにもそういう方がいらっしゃる。差しさわりがあるから申し上げませんけれども、私はそうも思っておらないのですよ、実は。しかし、もうそういう時代ではない。先ほど申し上げたように、新しいやはり時代を学問的にもつくる時代なんですから、もっと幅の広い、高い視野に立ってものを考え教師観というものがなければならぬということを申し上げているのです。そういうあれにはどうも私は大臣の、何といいますか、特殊な自分の教える教科についてというようなことをおっしゃる、小学校教員養成する課程においては一体どんなことをお考えになり、あるいは中学校になったらどの程度、高等学校の理科の教員はどうだとかいうようなこと、物理の教員はどうだというようなことを私はお考えになっているのだろうと思うのですけれども、それがいまの学芸学部一体うまくいかないとお考えになるのは、私は運営のへたさだと思うのです。そんなことができないはずはない。やつ。はりこれは、どうも若干偏見のようなことが世間に流布されているために、角をためて牛をどうするというようなことわざのようなことになることを非常におそれるのであります。しかし、これはいろいろこれからも議論されることですから、そこのところはひとつ深入りを避けておきます。  それからなお、学芸学部目的等については、何かここに書いてあるそういうものの書類があるようなことはわかりました。しかし、教養学部学芸学部との関係は、やはり文部省で言うときには広い立場に立って言わなければ困る、もっと根の深いものの言い方をしなければいかぬ。いまのようなことをおっしゃることはちょっとおかしい。学芸学部教養学部関係というようなものは、やはり新制大学をつくるときからの議論を通してやっぱり見なければいかぬと思うのです。  そこで、ひとつ議論を横へ移しますというと、先ほど来、文部大臣は、これは文部省考えただけのものじゃないということを盛んにおっしゃっておる、一体この中教審のメンバーというのはだれとだれですか、どういう人間ですか、どんな、専門的なごりっぱなお方ばかりですか。
  15. 杉江清

    政府委員杉江清君) 会長は森戸辰男氏でございます。副会長は木下一雄氏、委員として、敬称を省略いたしますが、天野、大河内、大浜、河原、久留島、高坂、小林、高橋、高村、田中、朝永、成田、平塚、藤井、細川、前田、村山、諸井、出光、坂西、野尻、波多野、松下、これらの諸氏でございます。名前を省略いたしましたけれども、もし御希望ならば詳細にお答えいたします。
  16. 小林武

    小林武君 中央教育審議会の審議委員という方はそれぞれの分野ではすぐれたお方のようでございます。この中にそれぞれの職業、所属というようなものがずっと書かれております。こういう方々の意見というものは絶対的だというふうにお考えですか、たとえば評論家もおれば、放送協会の会長もいる、秩父セメントもいれば八幡製鉄もいる、読売新聞もいれば。これについて私の感想を言わしてもらえば、いろいろありますけれども、これはひとつやめます。やめますが、これが日本教育一体最高のあれとお考えになっておきめになったのだということは間違いないのだと思うのです。これは国会にはかる人事でもありませんから、われわれはこれにあずかっておらない。どういうふうにお考えになって御選考になったか、選考の基準をひとつ。
  17. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) これは私から一々申し上げるまでもなく、小林先生承知のとおり、東京大学の学長とか、あるいは教育大学教授とか、教育研究所の所長とか、教育関係者も相当入っていただきまして、あるいは中学校校長さんであるとか、学芸大学の学長であるとかいう、教育関係者にも相出入っていただき、また、教育関係者だけでありますと幅狭い意見になってはいけませんので、幅広くいろいろな各界の人に若干ずつ御参加を願っておる、こういう次第で、私のほうとしましては、できるだけ幅広い角度で教育問題の御審議を願おう、こういう趣旨でございます。いろいろな人が入っておりますが、同じ部門から何人も入っておるというのは教育関係だけで、あとはまあ散漫的にいろいろな方面の方々に御参加を願うと、こういう方針でやっております。
  18. 小林武

    小林武君 このことで、私はまず、まだ議員にならないときに、歴代の文部大臣に対して広く各方面の方々をお入れをして、そして日本の重大な教育問題については、何といいますか、先ほど言ったような立場の相違というようなことをある程度克服した議論というものが出ていいのではないかということを申し上げたのであります。それで、私は日本教職員組合というような団体から出すことがぐあい悪ければ、もっとたくさん、学者の中でも、たとえば文部省にでるものをずばずば言うような人たちでも入れたらどうかというような意見を具申したことがある、まあ一つもそのときに聞かれなかったので、いまここでやけくそで文句を言っているわけではございませんけれども、その中に、一つ私は非常にこだわっていることがあるのです。それは、とにかくこの人選というものは、少なくともある団体を背景にしているというような者については絶対選びませんと、こう言っている。そこで、文部大臣お尋ねいたしたいのだが、日本には財界というものがあるのか、お尋ねしたい。歴代の文部大臣はないというようにおっしゃっていられますが、いまの文部大臣はわりあいに物事をまともにお受けになるお方だから、ちょうど私お伺いしておきたいと思います。財界というものはあるのかないのか、私は労働界というものはあると思うのです。太田がなれば、あれは労働界だと思っている、太田、岩井なんという両君が出てくると、ああ、労働界だなと私は思っている、何も私、頼んだのでなくても。文部大臣一体財界というものをあるとお考えになっているか、ないとお考えになっているか。
  19. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) むずかしい御質問で、まあ俗に世間では、経済界、産業界の人たちを財界と言う向きもあります。しかし、私ども文教政策を考える上におきましては、財界というようなことは毛頭考えておりません。要は、こういう中央教育審議会のような場所で十分に公正な立場教育問題に取り組んで議論をし、また、意見を開陳していただけるような方を人選をしていけばよろしいのだと、こういうふうに私自身も考えております。いまの人選は、おそらく私が就任する前の人選だと思いますが、当時の責任者もおそらくそういう考え方であったろうと考えております。
  20. 小林武

    小林武君 文部大臣もそういう、いままでの大臣に似たようなお考えをなさらないようにしてもらいたい。いまや総資本対何とかというようなことが言われている。財界がないはずないですよ、そんなばかなことを言うておったらたいへんですよ。日本の財界というものは日本政治を動かしているんです。だから見なさい、われわれは一体、十年も何十年もかかってこんな保守党の議員しか養成できなかったことを何とかと言った、えらい財界の大将がいるじゃないですか。それだけのことをずばりともの言ううような人がいるんですよ。財界がないなんてことはおかしいですよ。日経連の前田一という人は、財界の労働対策の先頭として、財界が一致結束しなきゃだめだと、こういうことを言ってるじゃありませんか。日本に財界を認めないなんていうような言い方は、それはおかしいですよ。しかし私は、財界からここに選ばれたから悪いとは決して言わぬ。いまの政党の構成の中でものを選ぶ場合にはそれは出てしかるべきだ。発言権がある。しかし、そのほかにも発言権がある者がある。それを私は言ってる。それをいままで歴代の文部大臣はわれわれに対して、いつもそういう逃げ口上ばかり言ってきた。私はこの人たちの個人的な批判は、これは失礼にわたるからやめますけれども、少なくとも片寄っている。この人たちのものの考え方は大体同じものの考え方だと私は判断する。もし反論があるなら言ってもらいたい。これが日本教育を審議する中央教育審議会——文部大臣の諮問機関として最も適当だということを断言できるなら、その理由を言ってもらいたい。それから教育職員養成審議会委員も同様であります。ほんとうに一体これが最も適当な人選だと言うならば、ひとつその理由を詳細に述べてもらいたいと私は思うんです。その前に中教審の問題があります。松下電器の社長、出光興産の社長、八幡製鉄というような人たちがどういうあれなのか、大学の学長ばかり集めて一体どういうのか。たとえば大河内さんという人の考え方は私はある程度わかってる。大河内さんの大学に対する考え方は私ははっきりわかってる。大河内さんの考え方が一体それの中にどう反映しているか。大河内さんがそういうことを言ったのかどうか。採決できまったというのならそれはまた違うけれども、そういうことも不審がある。これは一体どういうあれなのか。これが一体日本の一番中教審としてりっぱな人員構成だと——人間の価値とか何とかということは抜きにして、一体その出ている地盤、財界というものを認めるか。基盤を、そういう点からどうなんです。ひとつ御説明を願いたい。
  21. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 先ほど来、財界という御意見がありますが、確かに考えようによっては財界というものはあるのかもしれませんが、もしそういう方面の代表者であるとすれば、先ほども名前が出ましたように、日経連の前田専務とか、こういう人たちはまあいわば財界の選手として活躍をされておるようでありますが、こういう日経連の代表的な人とか、あるいは商工会議所の代表的な人とかいうことになれば別でありますが、そうではなくて、この人選の上では、おそらく当時の担当者の考えは、事業はやっている人でありますが、教育問題に関心が深いとか、あるいは意見を持っているというような人を選抜して入れたのだと思うのであります。今後しかし、いまのような御意見もございますから、審議会の構成等につきましては私どもも十分に研究をいたしたいと思いますが、そういうブロックなり何なりの代表という意味ではないと思うのです。それから、おそらくこういう審議会は多数決とか何とかするのじゃなくて、みんなで十分に討議をし、長い間かかって各種の資料その他によって研究をされて意見の統一をはかられるので、おそらく各委員多少の意見の食い違いはあるでしょうが、最終的には一致した意見答申をされているものと、かように受け取っている次第でございます。
  22. 小林武

    小林武君 まあ私は、たとえばここで文部次官をやめた人が二人入っている。河原春作氏、田中義男氏、全国の教育委員長の代表であった木下一雄氏、この人たちなんかも文部省の役人であるから入っているのだと思う。文化財の保護委員会委員長であるから入れたとおっしゃるかもしれないけれども、これは文部省の次官であったこと間違いない。田中さんもそうだ。文部大臣は森戸さん、天野さんと入っている。まあ森戸さんなんというのはあらゆる役職、文部省の中のあれは全部やっている。どんなに精力的な方かということをここで私は述べたことがある。もう御老齢でもあり、あまり老人を酷使するようなことはどうかとういような御意見も申し上げた。大体精力的な人間でも一人一業といって、一つの事に一生懸命やるようにしたほうが能率的だと思うのですよ。こういうことに干渉がましいことを申し上げるのではないから、ひとつ十分お聞き取りいただきたい。やるなとか何とかこの人にけちをつけているのじゃない。人事というものがどういうことになっているかということは、人事を少しでもやったものは、私も人事は多少やったことがある。それは別の世界の人事だけれども文部省の人事のような人事ではないが、人事をやったことある。やったことあるから言っているのです。人事というものは、こういうことをやっておったらろくなことできない。断言してもいいです。意図的にものをやる場合は別だ。この中から出てくる結論はおのずからわかっている。教育関係者が多いなんということをおっしゃるけれども教育関係者が一体どれだけの発言力が出せるかということは、いまの社会の状態からいっておのずからわかってくる。この人たちが。一体日本教員制度をどうしてわかるんですか。どういう御議論をなさったか、局長からひとつ聞かしてもらいたい。どういう議論です、これは。戦後の学芸学部というものから出た教師諸君が、将来の日本を展望して、一体日本教育にどんなマイナスを及ぼすかというような議論をどうしてやったのか、そういうあれをひとつ聞かしてもらいたい。  なお、出すのなら、資料として、そういう速記録は全部出してもらいたい。しかし、速記録をここで読まれてもたまらぬから、あなたのほうとこの人たちとどんな議論をしたか、日本教員制度というものはどういうふうにして悪いか、これをひとつ教えてもらいたい。
  23. 杉江清

    政府委員杉江清君) 私も当時、この中教審のお世話をするところにおりませんでしたので、詳細なことは承知しておりませんが、ただ、教員養成のあり方については、かなり突っ込んだ意見交換があった。戦前戦後の制度の移り変わり、そして戦後における制度のあり方、それからまた、その制度における欠陥、その長所、短所、そういうものが十分議論されてあのような答申をいただいたと、こういうふうに承知いたしております。
  24. 小林武

    小林武君 だから、そんなものは答弁になりませんよ。そんなことは答弁にならぬと思うんです。少なくともいまの制度を改めるというようなことをやるからには、少なくともいまの教員制度を改めるというのには、みんな出すべきですよ。憲法調査会さえ——われわれはこれに賛成しておらぬ、おらぬけれども、憲法調査会においての議論はどんな議論があるかということは詳細に出ている。あれによって、われわれはそれに参加しておらなくてもよくわかる。どういう人が第九条に対してはどんな考えを持っている、非常事態という問題に対してはどんな考え方を持っているということは一目りょう然としてわかるようになっている。それを出して、とにかく憲法の問題をやっぱり国民の前に明らかにしなきゃならぬというあれは、反対論があるような調査会でもそれだけの手続きをしている。いつ一体日本教師のこういう制度を直すのにこういう意見が出て、だれがどういう意見を出して、そうしてだれがどうしたというようなことを詳細に発表したことがあるんですか。私はこの人たちが自分で発表したことをいやがっているとは思えない。これは速記録はあるんですか。
  25. 杉江清

    政府委員杉江清君) 速記録は一々つけておりません。要領筆記等はやっておるようでございます。こういった審議会の運営にはいろんな方法があると思いますけれども、この審議の経過というものを公表すると、そういう立場では運営いたしておりません。
  26. 小林武

    小林武君 それがおかしいですよ。ダイヤモンドをどうしたとかっていう話なら、私は隠してもいいとまでは言わぬけれども教育の問題を議論する場合には、これは明るみでやらなきゃいかぬですよ。いまの教員制度、特に教員の悪口を言おうというのじゃないですから、いまの教員養成制度にはかくかくの美点と長所、かくかくの悪い点がありますと、だから、これを改良するにはこうだというような意見が出されることを何ら秘密にする必要は私はないと思う。そういう審議のしかたをやるべきなんだ。中教審だって同様なんです。文部大臣、そうじゃありませんか。教育の問題を一体どうして隠してやるんですか。私はそういうやり方をとっておるところがおかしいと思う。だから、私は持ってこいと言えば証拠を持ってきますけれども、ある私立大学の雑誌をちょっと見た。私立大学——というのは私立大学全体の私学何とかいう雑誌だと思うが、その中にこういうことが書いてある。これは名前を出しているからはっきりしている。上智大学先生もいらしったようだが、この先生たちが何かこういうことを言っている。私立学校の協議会とか何かそういうものがありますね。いま、的確に覚えておりませんけれども、そこで協議をやる。そうすると、その人たちは、われわれはだめだと言う。とにかく、文部省のいわゆる役人が来て何から何までおぜん立てして、われわれにものを言わせぬようにすっと持っていくのだと言う。われわれはさっぱり用をなさぬというようなことを言っておる。あなた方も何かでそういうものを見たでしょう。大体、私はそういうやり方をやったらだめだと思うんですよ。それはここに出ている人でも、そう教育のわからない人もいる。そんな小さいことまでわからない人もいる。そうすると、その人たちの議論——知らないから、しろうとの議論というものは私は非常にたっとぶべきだと思うのです。それはいろいろなことにわずらわされていませんからずばりと言ってくれる、傾聴すべき意見というものは、しろうとの中からよく出るのです。そうしたら思うままに言わせるような運営のしかたをしなきゃならぬ。まあ賛成しませんけれども、いろんな人間をもっと入れたらいい。というのは、私はそういうことを言っている。いろんなことを言う人が出てきて、その上に立っていろいろなことを判断すべきだと私は思うのです。運営審議のやり方が大体怪しい。文部大臣が、ここから出てきたからたいへん信頼すべきだというのは一つも根拠がないじゃありませんか。教員養成審議会にまかしてりっぱな議論が出ましたといいますが、この名簿の人たちも、いずれもりっぱな方であるということは私も認めるけれども、これが日本教員の実態をつかんでほんとうにあれしているかどうか。北海道、鹿児島、あるいはもっと僻地のような各地の人たちのいろいろな意見、都市の学校の人たち、あるいは、このごろであれば石炭産地の教員とか何とかいう人たちが集まって、そういうところの代表たちが忌憚のない——教員養成についてこんな問題点があるというようなことを言うのはいいけれども、そういうあれがないじゃないですか、これはどういうんですか。私はあまり権威がないということは申し上げてないのです。これで一体日本教育制度を根本的に変えるという理由には私はならぬと思う。どうですか、これは。ひとつ文部大臣に、最後にこの問題でお尋ねしますが、どうですか、こういう問題は。ひとつのよりどころにすぎない。結局、審議会というのはお知恵拝借といったところで、速記もとっていなかった、何の記録もない、何を言ったかわからないということなんですね。コーヒーを飲んで帰っていったというのかもしれない。しかし、ただ聞いたといえば権威があるように思う、こういうような主義なのか、あるいはこの中にどえらい発言権のある人がいて、委員をねじ巻いてこの方向に持っていくという運営のしかたをしているかわからないが、しかし、一体こういうやり方で皆さん方がよりどころにしていくというようなことを、この方式に従ってとにかくまっしぐらに進むんですということが言えますか、そうじゃないでしょう、言えますか。あなたのほうに考え方があってやるんでしょう。そうしたらもっと詳細な説明をわれわれにしなければいかぬですよ。いわゆるそのウエートのかけ力についてひとつ御返答をいただき、そのウエートのかけ方によって文部省としては一体どういう見解をとっておるのか、もう少し詳細に伺いたい。
  27. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 審議会の運営につきましては、役所の事務当局が筆記をするとか、お世話をして招集の手続をするとかというような事務的なことはいたしますが、つとめて審議会は独自の見解意見を交換し、御審議を願うようにつとめております次第で、私どもそう事務当局の考えが事前に影響力を持つようなことのないようにつとめておるつもりでございます。なお、答申建議等をいただきました御意見は、これはもちろん何でもそれをうのみにすべき性質のものではありませんので、最終的には文部大臣法律案提案者でもあり、責任者でございますから、十分、専務当局をしてそれらの建議答申等については十分に研究をさせまして、なるほど、しかるべきであると考えたものについては取り上げて制度化をはかるとか、改革をするとかということをいたしております次第で、最終的な責任はもちろん、まことに知識不十分でありますが、私どもが負わなければならない、かように考えております。
  28. 小林武

    小林武君 文部大臣のおっしゃることは当然だと思います。そういうことだと私も思うんです、いままでやってきたことは。それはそのとおりだと私は思う。しかし、賛成はしておりません。それで、これはいまの文部大臣の責任じゃないんだから、お気の毒のような気もするのであまり責められませんけれども、いまのようなことをこういうふうにまとめられた。そこで、杉江さん、あなたにお尋ねするんですが、一体この人たちの忌憚のない意見というのは大かたどういう——それぞれの財界なら財界方面の人はどんな意見教育関係者というような人はどんな意見、早稲田大学というような、ああいうりっぱな問題の起きている大学先生のお考えはどうなのか、東京大学一体試験地獄でさんざん苦しめさせているが、一体どんな考え方か、ひとつそういうようなことで素材になるような意見はどうで、それをだれが起案をして、その答申はだれがまとめたのか、それは一体どういうことになっておりますか。
  29. 杉江清

    政府委員杉江清君) 審議会におきましては、多くの場合、各委員に自由に御発言をいただきまして、それを事務当局で会長または数人の委員さん方にお集まりいただいて、その結果をまとめてまたおはかりする、こういうような方法で運営いたしております。で、教員養成の問題についても、かなり自由な御発言を続けていただいて、その結果を事務的にまとめるといったものでございまして、中教審の運営については、特に委員の方々の御発言を尊重する、こういう運営方針は一貫してとられております。
  30. 小林武

    小林武君 正直に言ってください。私の言っているのは、教育の問題ですから、これは親の立場あるいは日本の将来のことを考えるという高い立場からいろいろな議論が出たんですから、いま言ったように、東大の教授、学長とか何とかいうのはどんなお考えなのか、私立大学の側の学長はどういうことを言っているか、財界の人たちはおもにどういうことを言っているか、校長会という会の代表、この人たちはどう言ったのか、残念ながら教員代表はいない、いないから言われぬけれども、いた人はどういうことを言ったのか。それをまとめたのは何と何という一体委員なのか、執筆してまとめてくれたのは、だれで、どの委員なのか、そういうことを言ってくれと言っているんです。
  31. 杉江清

    政府委員杉江清君) これは三十三年の答申でございまして、だいぶ前のことでございます。当時、私はこのほうに関係しておりませんでしたので、そういうことは、どの委員がどういう御発言をされたかということは承知いたしておりません。なお、またこの審議会においては非公開を原則にいたしておりまして、そういった個々の人の発言内容を公表するたてまえにもなっておりません。そのことの是非はありましょうけれども、そういうたてまえをとっておるわけであります。
  32. 小林武

    小林武君 ばかなことを言っちゃいかぬですよ。何ですか。外交上の秘密なら、こっちもたまにはしり込みして、やめておこうというようなこともございますけれども、冗談言っちゃいかぬですよ。そのときの責任者はだれですか。一体そのときにそれに携わった局長というのは、関係者というのはいるでしょう。課長とか、いまの局長の中にもいるでしょう。大体答えられないというのは記録がないからですよ。記録がないなんというのは、文部省、そんなことたいへんですよ。だれが何言ったなんということがわからぬようなことで、一体——縛りつけるんでしょう、大学を。いろいろ拘束するんでしょう。
  33. 杉江清

    政府委員杉江清君) 記録がございますけれども、そういった審議内容、特にどういう人がどういう発言をしたかということは、私は公表するしかたもあると思いますけれども、公表するというたてまえをとったときに、審議内容がかなり制限されていくという実態がまた一面あるわけであります。そういうふうなことを考えまして、この審議内容を具体的には公表しない、こういう立場をとっておるわけであります。
  34. 千葉千代世

    千葉千代世君 関連して。国会の審議に必要だからと言ってこちらが要求した場合には、これは拒むあれはないわけですね。中教審の審議の内容について、しかも詳しく個人的にだれが言ったという質問じゃなくて、財界方面ではどうだとか、学界方面ではどうだとか、こういうふうな概括的な意見を出してほしいと言うならば、わかっているならば答えるべきだと思うんですが。
  35. 杉江清

    政府委員杉江清君) 非公開ということでこの審議を続けておられますので、私はその点の判断は非常にむつかしい問題だと思っております。
  36. 千葉千代世

    千葉千代世君 ちょっと。それはおかしいと思うんですよ。そこの審議会でいろいろ話し合ったものが非公開の形式をとっておった、しかしながら、それに関する法律が出て、そして必要だと言って私ども要求したらば、これは拒むことはできないと思うんですが、文部大臣、いかがでしょうか。何の理由があって拒むのですか。わからないならわからないで、わかる人を出せばいいのであって、それを拒むという権限はないですよ。答えられないはずはないです。
  37. 杉江清

    政府委員杉江清君) これはいまの御要求に対してどうするかということはもう少し法制的に吟味すべき問題だと思いますけれども……。
  38. 千葉千代世

    千葉千代世君 法制的に吟味すべき問題ではなくて、端的に聞いているのです。この委員会の審議に必要だという、私どもにこたえべきだという私ども見解に対して、文部大臣はそれに対して、これは拒否するという態度なんですかということを聞いているのです。
  39. 杉江清

    政府委員杉江清君) 私も非公開を原則とした場合に、その審議内容を、公表の御要求に応じて出すべきかどうかの判断は私にはいたしかねます。
  40. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) いま聞きますと、審議会がこの議案を取り上げてスタートするときに、審議会のスタートにあたって、審議会委員としては、この審議会は自由な意見の交換をしたいから、ついては非公開にする、ここでお互いがだれが何を覆ったということは、かえってそのために遠慮があって、言うべきことを言わなくても困るからということの申し合わせが出てきているようです。ですから、その審議会一つの方向をきめて、公表すべきものときめたものは、もちろん私ども国会の御要求があれば資料として提出すべきであると思いますが、委員のそういう自主的な意見もまた尊重しなければならないと思いますので、そういう点はどうも私もここで率直にお答えしかねるような気持ちでおるわけでございます。
  41. 小林武

    小林武君 それは大臣あれですか、理屈からいってこれはどうですか。たとえば、これが国益に非常に大影響を来たす、たとえばこの間の日韓の問題なんかも、拿捕与件なんかであまりいまの段階で言わぬでくれといえば、これは少しでも早く返してもらいたいという気持ちもこっちにあるから、あまりこれはやっちゃうまくないなという気持ちになる。これはいいと思う。あるいは外交上の機密にわたる事項で、やはり言われないということだって、かなり見解の差はありますけれども、ぼくは全然ないとは言えない。ぼくは認めるべきものは認めるべきだと思います、立場を。しかし、教育をよくしようとする中教審の中に、人に言って悪いようなことは何が一体あるのですか。それをあなたが拒む法的根拠は一体どこにあるのですか、国会議員にも示さぬという根拠は。あったら示してもらいたい。私は妙なことを言いたくないけれども、そんなことを言うの、だったら、ぼくはこれからの審議は協力できませんよ。そんなばかなことを言うのだったら、いまの改正に。そんなものを一体中教審のあれにするなんというのはおかしいですよ。常々と教育の問題に関しては所信を述べる人でなければだめですよ。おかしいよ、そんなこと。だから、ぼくはもう非常に不明朗な気持ちを持っているのですよ。いままで中教審の内部で——中教審というのは秘密会議なんです。秘密会議をやって秘密にものをきめてそうして出てくる。こんな一体ばかなことがありますか。日本教育一体そういういう進め方をしようというのですか。なぜ一体こうこういうことを討論した、こういう意見が出た、国民の諸君はどうなんだということをなぜやれないのですか。そういう私はとにかく理の立たぬようなことはだめです。ほかのことならば、外交上のこととか何とかいうならばまだ話がわかるけれども、それでもとにかく資料を要求すれば、きわめて小部分しか拒否できないのですよ。なぜ出ないのです。出ないというところに——大体出ないというのはくさいにきまっている。とにかくこの問題はずいぶん長い歴史のある問題だ。これについて各人の意見をそれぞれここへ出してください。時間がかかるならば私は次の人に質問を譲って、出てくるまで待ってもよろしいですよ。中断させて引き延ばしてやって、あいつ常再犯だなんて言われると困るから、そう言われると困るから、ぼくの質問はここでやめて——やめてでなくて中断しておいて、それが出てくるまでひとつお待ちする。そのかわり次の方にやってもらって、審議については取りこぼしのないように、私はそれを出さない間は次の質問はできない。理屈に合わぬ。
  42. 杉江清

    政府委員杉江清君) 実はこの審議の日程がございますけれども、これは十八回にわたって審議が行なわれておりまして、その間において相当長時間にわたって意見の交換が行なわれているわけであります。まあある程度こんな意見があったというようなことは私は言えるかと思いますけれども、具体的にどういう発言がどういう人からあったというようなことは、これはいま早急にまとめるというのは、私はきわめて、もしやるといたしましてもきわめてむずかしい問題であるのでありまして、その点は御了承いただきたいと思います。
  43. 小林武

    小林武君 無責任ですよ。一体これほどの大事な仕事をやるのに、各界の意見は、どういう具体的な意見が出てきて、その意見に従ってわれわれはやったというのでなかったらできないでしょうが。文部大臣はさっきから答えているんだ。それらの人たちの建議答申にしたがってやっていると、こう言っているじゃないですか。なぜそれをわれわれのほうに明らかにできないのですか。われわれは先ほども言っておるとおり、大きな心配はあるけれども、いままで協力してきたのだ。宮城の教育大学のときだって、われわれ大いに不満であったけれども、もしもこれをいつまで通さぬということになると大学教育全般に影響するのだから、つまらぬところに心配させるのも困る、だろうからと思って涙をのんで賛成してやった。それの次の次のたまでしょう、これは。だんだんいろいろな心配ができてくるし、それからもっとぼくらが心配したのは、この問題でごたごたが起こっているでしょう、各大学で。そういうことが日本教育教員養成系の大学の中のしこりになることだけはこれは事実ですよ。だから私はここで明らかにしておいて——きのうも私は文部省の人たちに言っているのだ。筋が立つということであればうちの理事の皆さんも賛成してやりたいという気持ちを持っているし、それから理事以下のものもそういうことについてはとにかく賛成していいと、こう言っている。率直にわれわれの気持ちは育っている。なぜここで一体発表できないのですか。発表できないというならばぼくの質問はこれ以上進められないから、出るまで待とう、こういうことです。しかし、困るだろうから次の人の質問は続けてやってもよろしい、こう言っている。どうする、委員長
  44. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) それは外交上の問題で国益とか何とかいうこともあるかもしれませんが、この問題はそういう高度のものではなくて、むしろ委員の方々がほんとうに自由の意思の意見を交換をするのにはやはり非公開でやったほうがいい、こういうことで委員の申し合わせによって非公開で自由な立場で、いま局長から申し上げたように、十回以上の回数の会議を続けて意見を交換してきておりますから、同じ人の意見でも、自分自分意見を言ったが、ほかの人の意見がもっともだと思って意見の変更のあった方もあるでしょうし、結論としてとにかく審議会委員が全員一致してこういう結論を出した以上は、われわれとしては個々の過程よりはその結論をやはり尊重をして、検討の資料とするということがわれわれの立場であると思うのであります。したがいまして、結論については審議会答申書はきょうはお配りしておるかどうかはわかりませんが、これは資料として直ちに配ってなければ御配付申し上げる、これはやぶさかでございませんが、その過程にはいろんな変化があったろうと思いますから、これは私どもも的確な資料としてはどうかと、こう思っておるような次第でございます。
  45. 千葉千代世

    千葉千代世君 関連。私の先ほど申し上げましたのは、政府機関の中でいろいろ審議会があるわけですね。それが全部非公開ではないわけでしょう。というのは、私は総理府の中央青少年協議会、これは審議会でありませんけれども、協議会の委員をずっとさしていただいておって、初めはきまったことだけしか出さなかったわけです。しかし、欠席した人もあるし、せっかくいろんな意見があって、賛成意見反対意見もある、だから、具体的に意見を全部付して報告せい、文書で報告せいと、こういうことでここずっと、半年ばかりは全部、だれそれがどういう発言をして、だれそれが反対意見を出したとか、そういうことは全部載ってくるわけですね。ですから運営によって幾らもできるのです。これをもし非公開だから云々というようなことがあるならば、関係法規、どういう法規の中にそういうことが書かれているのか、それを明らかにしていただきたいと思うのです、あわせて。
  46. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) これは法規ではなくて、委員の自発的な、委員同士が遠慮のない意見の交換をしようということから起こってきた自主的な判断に基づくものであると思うのであります。そのほうが立場のいかんを問わず自分考えておることを率直に言えることになりますから、考えようによっては、そうした自由な意思表明のできる姿のほうが良き結論を縛る上においては便利な場合もあろうかと思うのであります。
  47. 辻武寿

    辻武寿君 中央教育審議会というのは、私は非常に権威のあるものと思っていたんですが、今度は速記録ぐらいとってあると思ったんですが、いま聞くと、公開をたてまえとするので非公開の場合もあるというのと違いますか、公開をたてまえに非公開、非公開をたてまえとするという初めお話を聞いたんですが、そうすると、悪く解釈すれば、みんなの言わないこともみんなの意見であったと、こういうふうにということもあり得る、考えられることもあると思うのですが、そういうことは、そういうやり方は私は教育を論ずる立場としては間違いじゃないかと思うのです。憲法調査会の場合には、だれがどういうことを言ったと、一言言っても詳細にしるしてある。いわんや教育は国の何本かの柱になっているわけです、自民党の政策の。そうであれば、それに対する中教審答申なんというものは詳細にしるして、これはだれだれの意見であると堂々と言ったほうが私はいいんじゃないか、そのほうがこれからはいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
  48. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) それも一つ考え方であるかもしれませんが、こういう審議会をつくりますと、まず審議会に第一番に議題について討議をしますことは、この審議会はどういうふうな運営をするかというので、これを見ますと、この中教審でも最初の会合でそういう相談をされまして、中央教育審議会運営規則というものを審議会が自主的にきめておるわけであります。この中央教育審議会運営規則というのは、おそらく満場一致で相談の結果きまった結論だと思いますが、その中に審議会の会議は非公開とするということを委員自身が自主的にきめておられるわけであります。私のほうがそれは公開にしなさいと、こう言えなかった事情があるかと思います。今後そういう点は検討すべきものかもしれませんが、われわれのほうの指図や意見じゃなくて、文部省意見じゃなくて、審議会自体が審議会の運営はどうするかということを、審議会が構成されて会長ができていよいよ会議が始まった最初にその運営について協議をされて、協議の席上でそういうことがきまっておるものですから、われわれはそれを皆さんの総意として尊重をせなければならないのじゃないだろうかと、こう思っておるわけでございます。
  49. 小林武

    小林武君 一言だけ言いますが、先ほど辻さんからのお話がありましたように、やっぱりぼくは疑いたくなるのです、何を話をしているのかなあ。絶対話されないことが、さっきぼくが話したことを雑誌に書かれたが、おぜん立てがあって、すらすらとやって何も言うことができない。こういうような私立学校の運営がされていることは、それじゃ意味がない。またそうじゃなくて、いろいろな議論があったのに、違うことを皆さんに報告しているということだって予想できますよ。白と言ったのを黒と報告しているということもある。そういうことも疑う、あるいはもっと皆さんの前でよく理解し合って話されなければならぬことが、こそこそ話でやられるということは非礼です。こういうことじゃ教育が一種の治安の対策みたいに考えられている誤った政治的感覚の産物だと思う、それを一番おそれる。だから、私はそのことについては絶対譲らないけれども、これは審議を中断させると、後のあれに響きますから、私は出てくるまで私のあれは一時やめてよろしい。出してもらう、そのことはしかるべき時間に理事会その他でもって時間を空費しない時間でやってもらいたい。そのことをしなければ断固追及しますよ。
  50. 松永忠二

    ○松永忠二君 いま小林委員の御意見もあるし、また、質問を聞いてみても、大学学術局長が言うようなことについては、やっぱり納得が得られないと思うのですよ。でありますから、答申が出てきて、事実これからいろいろなものに着手していこうというならば、この委員会でどういうふうな意見が主として行なわれたか、どういう関係者のほうからどういう意見があったかというようなことについては、一応その当局者はきちっとやっぱり精査をして、そうして物事を進めていくはずだと思う。したがって、あなたがいま御答弁になったようなことで、いろいろこれからの問題を進めていくとすれば、教員養成の問題については、全く心元ない話であって、こういうことはできないことだと思うのですよ。したがって、いまお話を聞きますと、記録があるという話もありますので、この点については、運営の規則等もあるわけでありますから、そういうことと勘案をして、やはりできる限りの努力をもってやってもらわなければできない。この点はお話がありました理事同士でも相談をいたしまして直したいと思うのですよ。そういうふうに取り計らっていただくし、また、小林委員がことさら何か審議を中断させてどうこうするという意図でやっているわけじゃありません。そのことは審議のことでわかるわけでありますので、こういう処理のしかたをして、時間もあるわけでありますから、次の質問者に少し質問をしていただいて、その間、相談するなり、適宜の方法を講じて、要望に沿うようなことをやってもらって、それから小林委員質問々やってもらうことが順当だと思う。そういうふうに委員長取り計らっていただきたいと思います。
  51. 久保勘一

    ○久保勘一君 ただいまの記録の問題ですが、審議会が非公開ということをきめて審議に入っておる、そういういきさつからいって、文部省として直ちにここで記録等を出せない、直ちに提出するということについては、やはりちゅうちょされるのではないかと私は思うのです。そこでどの程度のものをどういう形でお出し願うかということを含めて、この中教審のほうと文部省がこの休憩中に協議をなさって、再開しますまでの間に、どういうふうにこの問題を処理するか態度をおきめ願って出てきていただきたい。この要望を申し上げます。
  52. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  53. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 速記を起こして。
  54. 小野明

    ○小野明君 先ほど小林委員のほうから、なぜこういった大学の基本問題、重要な基本問題に関することを変えなければならないのか、こういう点について質問があり、いろいろ御答弁がありましたが、その点の御答弁ではどうも私は納得し、かたい点があるわけであります。この大臣提案理由を見てみましても、問題は第五項ですか、大臣提案理由の第五項なんでありますが、次のように書いてあります。「国立大学学芸学部は、現在教員養成を行なっておりますが、中央教育審議会答申等においてこれらの学部目的性格を明らかにし、一そうの整備充実をはかること、名称も教育大学教育学部と改めることが要望されております。この趣旨に沿い、大学の意向をも尊重して、上記の大学学部の名称を変更するものであります。」、こういった一項があるのであります。この提案理由に対しまして、先ほども質問をされたのですけれども、私も一そうの整備充実という点については、もちろん異議はない。しかし、なぜあらためてこれらの学部目的性格を明らかにしなければならぬのか、あるいは名称を変えなければならぬのかという基本的な問題、重要な基本問題だと思うのですが、これを変えなければならぬという理由がどうも明確ではないと思うのであります。この点をひとつ再度説明を願いたい。
  55. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部目的、性格はあいまいであったということは言えると思います。で、そのあいまいであったということが大学の教科を行なう場合に、その教科課程の基礎というものが必ずしも明らかでない。また、学生の側においても、何を学習するかというその目的が必ずしも明らかてない。そういう点が教育の効率を低下してきたという点が基本的にあると思います。実際問題としましては、そういった目的性格が明らかでありませんので、その教育課程のあるべき姿が明らかでない。したがって、教官組織のあるべき姿が明らかでないのであります。また、施設設備の基準等についても、かくあるべしということが必ずしも明らかになってこないのであります。そういう実際的な問題もあって、これは実態は教員養成を現実に行なっておられるのだから、その実態に合わせた名称に改めて、そうしてその学部の名称、性格を明らかにし、それに応じて各科目の整備教官整備、施設設備整備、これもしたい、こういうのがこの名称変更のおもな目的であります。
  56. 小野明

    ○小野明君 どうも目的性格があいまいであった、こういう御答弁では、またその施設設備を整えるとか、あるいは先ほどカリキュラムのあり方云々というような御答弁があった。しかし、いまの制度学芸学部を置き、学芸大学を置くという制度、これはきわめて重要な私は発生理由を持っていると思うのです。したがって、そのいまの制度が起こされてきたにはそれなりのきわめて重要な理由かあるわけてす。新制大学をなぜ設置したか、あるいはどう発足していったかというきわめて重要な理由がある。その当初にさかのぼって、その目的一体どう沿わないのか、当時はどういう理由によってこれが設置をされ、どういう経過を踏んできておるのか。だから、こういうふうに変えなければならぬという理由が私は述べられなければならぬと思うのです。そうしますというと、いまの教員養成制度が設置された当初の事情、あるいはその理念とするもの、これはどのようになっておるのか、それをひとつ説明を願いたいと思います。
  57. 杉江清

    政府委員杉江清君) 新学制発足当時におきまして、教員養成を行なう学部をどのように位置づけるか、具体的にはどの学部でこれを行なうかという点についてはいろいろな意見があったのでありますが、当時における反省といたしまして、かつての師範学校教育の欠陥を是正、する、そういう点に重点を置かれて、また、そういう観点から教員の質として幅の広い一般教養が必要だ、そういう考え方が主になり、まあ一応幅の広い教育を行なう学芸学部というところにおいて教員養成を行なってよかろう、こういうふうな判断が出てきたものと思います。ただこの場合も、じゃ全部が学芸学部教員養成を実際に行なっていたかと言いますと、そうでなくして、かつての高等学校のあったところにおいては教員養成教育学部で行なっておったのです。しかし、高等学校のないところ、文理学部のないところでは教員養成学芸学部で行なおうとしたのでありまして、その場合になぜ学芸学部にしたかということ、また、この経緯は私は詳細には承知しておりませんけれども、とにかく教員養成と同時に一般教養をここでやるのだ、こういうたてまえがとられた。だから、その専門課程においては教育学部においてもまた学芸学部においても、その実態としては教員養成が主になる。しかし、この教員養成と同時に一般教育をやるという点をあわせ考えまして、そして先ほど申し上げましたような師範学校教育に対する、反省ということもあって学芸学部という名称が用いられた、このように私は承知いたしております。ところで、そういうふうな発想であったと理解しておりますが、この学芸学部、だから教員養成だけで、教員養成のみをやるところでないという考え方から、いわゆる学芸学部というもの、学芸課程というものが一般にあり得るという考え方が出されたのであります。現実にそういう課程も設けられました。しかし、その後この学芸学部の運用におきまして、学芸課程というものはどうもどういう性格のものかそれこそはっきりしない面があり、その能率もよくなかった、そういう点から順次学芸課程はなくなってきたのであります。しかし、なお現在においてもごく一部に、ごくわずかな人数でこの学芸課程というのは構成されて教育が行なわれておる実態があるわけであります。そういうことから全体の目的、性格が実際にもあがっていない。制度といたしましても、そういった学芸課程というものを本来含み得るものだという立場整備するということになると、これは教員養成という単一の目的じゃなくて、そのほかに学芸課程という、何かそれこそほんとうにわけのわからぬ、と私は思うのでありますけれども、そういうものを含んだ全体の整備充実ということは非常に考えにくいのであります。そういうことが実際にはごくわずかな大学において、ごくわずかな部分においてしか行なわれておらないのであります。しかし、そういうことがあるために全体の整備充実の基礎がおくれるということ、また実体をも正しく表現していないということは、これは改善されたほうがいい、かように考えわけであります。
  58. 小野明

    ○小野明君 どうも改めなければならぬという理由が、もうあなたのいまのお話をお聞きしておりますと、旧制師範教育が悪かったからこれは改めなければいかぬ、幅広い教育をやらなければいかぬ、一般的な教育をやらなければいかぬ、これくらいのことであって、また整備充実がおくれるから、こういうふうに言われるのですけれども整備充実がおくれるのはこれはあなたのほうで改めてやればいいわけです。しかし、この新しい新制大学教員養成制度が発足するについてはきわめて深刻な旧教育に対する反骨、これが行なわれているわけであります。また、これから教員養成制度を新たに変えようというわけですから、きわめて重大な教育改革になるわけです。小林委員も言われておるのだが、どういった教師をつくろうとするのか、あるいはどういった人間を開発しようとするのか、きわめて重要ないま関頭に立っているわけですね。ですから、いまの局丘の答弁ではどうも私は納得いたしません。またあとで納得しない点はお尋ねをしたいと思うのですが、大臣の改革しなければならぬという理由を、所信を再度お尋ねをしたいと思います。
  59. 杉江清

    政府委員杉江清君) 私はいまの学芸学部という名称を用いられたについては、一つは旧師範学校教育に対する反省もあったかと思いますけれども、しかし、それは必ずしも強くなかったということはいえると思います、この名称の問題からいえば。と申しますのは、約半分の教員養成学部教育学部という名称を使ってきたのであります。だから、ただこの学芸学部という名称を使ったのは、そういう意味もあったかと思いますけれども、主として現実的には一般教養をここでやるという意味合いがあり、これをそういう面を考え学芸学部という名称が使われた。それともう一つは、そのほかに学芸学部の設けられたところは高等学校がなかった。したがって、学部としてはほかの学部はあまりないのです。そういうふうなことも考えて、いろんな要請をここで満たそうとしたという意味があると思います。ただ、全部が学芸学部になっておって、そうしてその名称をいま教育学部に変えるということならば、いまおっしゃったような御疑問も起こりましょうけれども、半数は教育学部ということで教員養成をいままで長い間やってきたし、現にやっておるのであります。それと同じ性格の実体を備えているから、この同じ実体のものが二つあるのはおかしいじゃないか、こういう点から変えようというわけでございます。それだけ補足説明いたしておきます。
  60. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 実は、これにつきましては中教審教員養成審議会答申建議等もございましたが、あわせて学芸学部を持っておりまする各関係大学に相談をしまして、その大学入学の自主的な意見も聞いたわけであります。その結果、いま局長からもお答え申しげましたように、相当、数多くの教育学部という大学もあるわけで、同じことをやっているにかかわらず教育学部という名称の大学もあり、学芸学部という名称の大学もある、こういう名称としては二本立てでいっておったのであります。そこで、学芸学部を持っておる大学としては、大部分はやはり教育学部ということにしてりっぱな教職員養成の体系を整えてもらったほうがいいと、こういうことでこの答申の線に沿った結論を各大学が自主的に出したわけであります。それから大学によりましては、二つばかり今度残っておりますが、残っておりますところは、どうも一つの疑心暗鬼として、かつての師範学校に復活するのじゃないかという心配が主としてあるようです。しかし、師範学校に復活するような幅の狭い教員を義成しようなどということは私どもも毛頭考えておりませんし、それは時代に沿わないものである。もっとやっぱり大学生として、また大学教育として幅広い人材を養成する。しかし、ほかの学部に医学部とか、工学部とか、法学部とか、経済学部とかありますように、そのもの自体、この学部が何をやっておるかということが、名称がはっきりしたほうがよろしいのじゃないかという観点に立ちましておそらく賛成した。この今回改正提案されております各関係大学は、その方向に教授会の意思が満場一致でまとまってきたわけであります。議論のある大学は二つばかりございますので、議論のあるところを無理に統一することはいかがなものであろうか、やはり大学の自主的に教授会等で十分論議を尽くして、そうしていったほうがいいのじゃないかという考えで、二カ所ほどは学芸学部のままで今度の改正に織り込んでいないわけで、そういう点は私どもとしましてはできるだけ無理のないように、慎重に事を運ぼうという気持ちで今度の改正案を立案しましたような次第でございます。したがって、今後もし、いままで半数余りというか、半数近い大学教育学部できておって、その教育学部という名称の学部がよろしくないものであったとするならば、多数の大学が今度の答申建議を受けてこれに賛成してくるはずはないので、やはり各大学教育学部という組織でやっておったほかの大学を見ておって、あのほうがいい、こういう観点から教授会等も満場一致改正に賛成である、そうしてそのかわり設備教授陣営の配置等も充実をして、真に教員養成にふさわしい学部にしてほしいということになってまいりましたので、私どもはそれに踏み切ったような次第で、単に審議会答申建議だけにとらわれたわけじゃありませんので、やはり関係大学の、意見というものも十分聞き、尊重していくというたてまえで、私どもからいわせますと、きわめて慎重に事を運んでおるというわけでございますので、その点は御理解をいただきたいと思う次第でございます。
  61. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 午前中の委員会はこの程度にし、午後一時四十分から再開いたします。この間、暫時休憩いたします。     午後一時十二分休憩      —————・—————     午後二時十九分開会
  62. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) これより委員会を再会いたします。  午前に引き続き、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  質疑のあるお方は順次御発言を願います。なお、政府側より杉江大学学術局長が出席いたしております。
  63. 小野明

    ○小野明君 政務次官はどうなっておるんですか。
  64. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 見えております。
  65. 小野明

    ○小野明君 先ほど大臣質問をしたままで、大臣の御答弁に対しまして私の意見を申し上げる機会がなかったんですけれども、率直に申し上げまして、先ほどの大臣の御答弁に対する私の意見というのは不満なんです。というのは、これほど重大な制度の改革、改めようとするのに対して、やはり御認識が十分でないということがいえると思うんです。これは局長の御答弁でも同様の意見を私は持っておるのであります。私が申し上げたいのは、いまこれこれの大学ではどうなっている、あるいは今後どういう見通しだと、まあこの提案理由に書いているようなことではなくて、やはりこの戦後の学制改革、まあ二十年になるわけですけれども、この学制改革がされた当時にどのような意味合いをこれに持たしておるのか、いまの現行制度大学の中に持たしているのか、それをひとつ御説明を願いたい。その趣旨、あるいはこの経過に照らして、いかなる点に科学的な反省があるのかどうか、その辺をひとつ明らかにしてもらいたいと思うんです。あるいはこの戦後のこの制度の発足した際に、しかるべき機関があるわけですね。それによってどのような討論がされ、検討がされ、そしてその制度が出されておるのか、その辺をまずお伺いをしたがったわけなんです。そこからお願いをしたいと思います。
  66. 杉江清

    政府委員杉江清君) 戦後の教育制度につきましては、教育刷新審議会において基本的な構想が練られたわけであります。そこでは教員賛成については、まず基本的にこれは大学で行なうべきだと、こういう基本線が打ち立てられたのであります。この点は最も大きな変革であったと思います。そして次に、教員養成の具体的なあり方についていろいろ意見があったのでありますが、全体の基調としまして、かつての、いままでの師範学校において行なわれてきたような教育は反省すべき点が多い、もっと幅の広い、豊かな教養を持った先生養成することが必要だと、そういうふうな観点からいろいろ教員養成の具体的なあり方に対する議論があったわけであります。そういうふうな点からも、結局、大学教育として行なうことが必要だ、で、一般教養の市税ということは大学の共通理念として非常に強調されたわけであります。だから大学において教員養成を行なうという基本的な考え方は、そういう意味からも特に強調されたわけであります。で、今度は具体的にどういう学部ないしどういう大学教員養成を行なうかということについても、まあいろいろ意見がございました。当時の意見一つとして、まあ教育大学ないし教育学部としてもいいのではないかと、こういう意見もあったのであります。ただ、そのときに、しかしまあそういうふうな名称にして、かつての師範型教育の方向にいくということはどうかという意見もありましたけれども、しかし、教育大学教育学部とするということについての強い反対はなかったと私は承知しております。で、それでは現実にどうするかということについては、これは先ほど、午前中にも申し上げましたように、かつて高等学校のあったところとなかったところではそのあり方が違う。高等学校のあったところにおいては、これは文理学部が設立され、そこでまあ文科、理科の両面にわたって広い教職を授けるというような教育も行なわれるわけであります。そういうものとの関連において教員養成学部のあり方を考えたほうがよろしい。そういうところにおいては、それは、それと文理学部と並んで教育学部というものでよろしい、しかし、かつて高等学校のなかったところ、文理学部のないところでは、これはその一般教養をどこでやるかといえば、この文理学部のあるところでは文理学部でやるのですけれども、しかし、文理学部のないところでは、ほかでやる適当な学部がないので、やはり教員養成をやる学部一般教養を担当することが適当だ、実際の教官陣容等からいいましてもそのほうがよろしいと、こういう判断に立って教員養成をやる学部一般教養を担当している。そういうところは、まあ文理学部のあるところの教育学部とは違った性格を持っている。それからまた一般教養を担当するのみならず、大体、文理学部のないところは、学部も少なくて、まあ社会のいろいろな要求もあるから、ひとつ学芸課程というようなものを考えてもいいじゃないか、そういうふうな考え方があって、単に教員養成だけをやる学部でなく、他学部一般教養もやり、あわせて地域のいろいろな要求にも応じ得るようなそういう性格の学部というものをつくったらよかろう、こういうふうな考え方になって、教員養成教育学部学芸学部、この二本建てでやるようになった経緯はそういうことだと思います。そういう考え方をもって発足した学芸学部が、その後の実施にあたって、まあいろいろな問題を生じてきたという事情については午前中申し上げたとおりでございます。
  67. 小野明

    ○小野明君 それがですね、どういう欠陥を生んでいるのかと、こういうまあ改革すべきこの理由をいうのが私は若干足らぬように思います。若干ではありません、根本的に足らないように思う。それと、いま御答弁の中に、この教育刷新委員会教育大学でもよかったんではないかと、こういう意向かあったというが、これは私誤りだと思うんです。と申しますのは、三十九年八月に出ておる、おたくが出しておるやつですね、文部省の。これはお読みになっていただいたと思うんですが、「戦後における高等教育の歩み」、これがいまの学制、いまの教員養成制度の基盤になっているものだと思うんですが、これはいま説明になっておりました教育刷新委員会、これは二十四年から教育刷新審議会と改めておるわけなんです。この中に、この委員会はいろいろな仕事をしているわけですが、いまの私ども教育の理念というのは、何と申しましても教育基本法、これを第一にあげなければならぬと思うんです。この中の十ページに、この教育委員会のやってきた重要な仕事が記録されているんですが、「教育の理念および教育基本法に関することを第一回とし、三十五回に及んで教育に関する重要事項を内閣総理大臣建議している。これらの建議をうけて、政府はその後、教育基本法の制定、学校教育法の公布などをはじめ一連の日本教育制度改革の措置を次々と打ち出し、今日の新学制の確立をもたらしたのであった。」こういうふうに記録をしてあるわけなんです。それで、「新制大学の発足」というところには次のように書かれております。「大学改組の課題の中で最も難題であったのは、教員養成機関の処置であった。新しい学制を真に効果あらしめるには、その中心となる教員が新しい教育の理念を理解し、その方法について習熟した者でなければならないことはいうまでもない。教育刷新委員会はさきにこの問題を取り上げ検討していた。委員会の討議は従来の師範教育を批判し、いわゆる師範型を打破し、今後の教員は教養が高く視野の広い人物でなければならないとしたのであった。このため教員養成は原則として四年制大学でなされるべきで、師範大学とか教育大学とかを特設して孤立的な教育はしないほうがよいという意向であった。」、こういうふうにはっきり書かれておるわけです。これがいまの文面にもし間違いがないとすれば、これは新学制、教育養成制度に対する基本理念でなければならぬ、と思うわけです。こういった基本的な観点から次のような措置がされてまいっておるんでしょう。「義務教育教員養成のためには各都道府県に置く国立大学学芸学部教育学部を設け、学芸学部だけを単科大学として独立させる場合はこれを学芸大学と呼ぶこととした。このような学部もしくは大学の基盤となるのは、師範学校と青年師範学校であるが」云々と、こうあるんですが、いずれにいたしましても、師範大学とか、教育大学とかを特設して孤立的な教育はしてはならぬのだ、こういうことにあると思うのです。これはもちろん先ほどから局長が何回か説明をされておりますけれども、旧師範型の教育を踏襲してはならぬ、あるいは広い一般的な教養を身につけなければならぬ。この三十三年の答申から言いますと、教員養成については開放的制度をこの際に打ち立てているわけです。これが再び目的、性格を明らかにしていく、いわゆる一連の名称改革に伴って内容がついてくるわけです。この内容が大事なんですけれども、これは再び閉鎖的な制度という方向をたどることは明らかだと考えているわけなんです。こういった戦後の学制改革の重要な基本的な考え方、これを今日の時点でいかなる理由で改めなければならぬのか、この点をひとつ明確にしてもらわないと、この法案の提案理由だけでは私は納付できないんです。再度この点に関して御答弁をお願いしたいと思います。
  68. 杉江清

    政府委員杉江清君) 幅の広い一般的教養を重視するという点は、これは新制大学の共通の理念でありまして、そのことはその学部目的、性格を明らかにすることによって全然変化はきたさないと考えるのであります。それは工学部、医学部、いずれも目的、性格を明らかにしております。しかし、そこの教育はやはり一般教養を重視して、そういった教育の上に専門課程が組まれているのであります。だから、その目的、性格を明らかにすることは、決してその何か狭い、職人を養成をするというような教育に転化するという性質のものではない。それはやはり大学においてその教育が行なわれることによって保証さるべき性格のものだ、こう思うのであります。専門課程の教育につきまして、これはいずれもその目的、性格に応じて必要な知識、技能を教育し、学習しているのであります。そのことはやはり教員養成においてもまたそういう観点において教育課程が組まれていいと思う。ただ、その際その専門課程における教育の専門性は尊重されていいけれども、何か教育技術のほうに片寄るということが心配されると思うのであります。しかし、その目的、性格を明らかにするということは、技術的な面を重視し、そちらへぐっと片寄らせるということではないのであります。戦後の教員の専門性が強調されてまいりました。これは私正しい意味において強調されてきている、その考え方は正しいのでありますが、しかし、教員になるのは、単に教える技術だけ学べばいいというようなことではない。それはかつての師範学校でも必ずしもそうではなかったと思うのであります。しかし、教育の実際はかなりそういう方向にいっておったことはおおえないと思うのでありますが、今度の新制大学における専門教育は、もちろんその教員になるに必要なそういった教育技術ということについても、その基本的原理等においては十分教育をする必要があるのでありますけれども、しかし、同時にやはり一般的な学力を身につけさせなければならない、そういう点は大いに強調しているのであります。そういう意味において専門性と、教員の専門的な教養と同時に、その必要とされる学力を高める、こういうふうな二つの養成を調和するような教育課程を和む、こういう観点で考えているわけであります。だから、私は新らしい教員養成学部が現に行なっておりますことも、いまのような師範型教育に復帰しようという傾向はないし、また今後やろうとすることもその実体を変えようとする意図はないのであります。その点もし具体的に御質問があれば具体的にお答えをいたしたいと思います。
  69. 小野明

    ○小野明君 あなたは先ほどこの教育刷新委員会の中に、教育大学でもよかったのではないかという意向もあった、こう言われた。これは私先ほど読み上げたものの中で、これは新制大学教育の理念である、こういうふうに言われているのですが、こればはっきりした新制大学の発足なり教員養成機関の問題で結論を出しているわけですね。この中に、「師範大学とか教育大学とかを特設して孤立的な教育はしないほうがよいという意向であった。」と、こう書いてあるわけですよ。だからこの趣旨に基づいてこの教員養成制度が定められた。そうすると、これを従来の、いまのこの制度を改めるのには学芸大学で、いまの旧来から持ってきた制度で欠陥はどういうところにあるのか、この点をいまお聞きしておりますし、専門的な学力が低いとか、あるいはその他初めの質問で御答弁になったような目的、性格をはっきりして、施設設備充実していくこういうふうな理由しかおっしゃらぬのですが、明確にこの学芸大学のいままでの欠陥というものを列挙してもらいたい。
  70. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部については、その目的、性格はあいまいなものがあったという点は繰り返し申し上げたところであります。では、その結果どういう欠陥が生じたかといいますと、まず第一に、私は大学教育を行なう側において、どういう人間をつくろうとするのか、そういう教育的な指向というものがはっきりしてなかった、そういう点からいろいろ教育内容教育方法にも反省すべき点があった。同時に生徒の側においても、この学部でで一体何を学び、自分は何になろうとするのか、どういう教育を受けているのかという、そういう意識が薄弱である傾向があった。そのことが、そうして大学側のそういう意識とその二つが、私はもうはっきり言うならば、でも・しか先生をつくる少なくとも一因をなしておったと思います。それが第一点でございます。それから第二点としては、これはもっと現実的な立場、それはそういう目的、性格があいまいになっておるから、ほかの学部一般的に考えられている教育課程の基準というものがはっきりしない。当然つくらるべき設置基準もほかの学部と同じようにはつくられていない。非常に変則的な事態になっており、いわば学部の中の特殊部落的存在になってきた。ほかの学部でやられているようなやり方がやられていないのですから、そのことが特殊部落的な印象を与えると同時に、教官組織、そうして施設設備、そういうものも整備の根拠が薄弱になっている。現に予算折衝等にあたって、教官組織の設備要求してもなかなか定員がとれない。施設設備充実をはかろうとしてもその基礎が薄弱であるということでなかなか進まない。そういう現実の困難があったのであります。私は現実的な弊害という点は、大きく言って以上のとおりだと思います。
  71. 小野明

    ○小野明君 大学教育を行う側において教育的な指向が明らかでない、これは一体どういうことなんですか。もう少し詳しく説明をしてもらわなければならぬが、教育的な指向の基盤となるのはもちろん教育基本法に明示されていますね。それからいま一つの点、二つ目の理由学生目的意識が明らかでない、これはそれでは目的意識を持ったほうがいいのかどうか。戦後の教育改革というのはその点を開放的制度に改めたというのは、そういうところに趣旨があるわけですからね。これの二点だけでは私はどうもいまの説明では納得できない。再度答弁をお願いしたい。
  72. 杉江清

    政府委員杉江清君) 大学にその教育に対する指向が必ずしもはっきりしなかったと申し上げるのは、具体的に申し上げまして、結局、学芸過程というようなものがあったわけです。また、ことに発足当時にはそういう構想があったわけです。ただ学部全体の性格としては、これは一体そういう学部ではどういう教育をすべきか、どういう人間をつくるべきかという、その教育的な目的というものがはっきりしていないということは私は言えると思うのです。だから、ことにやはり教員養成学部の最大の任務は小中の先生をつくることだと思います。その小中の先生自分のところが責任を持ってやるのだと、こういう意識が非常に稀薄になってきた。だから、現実に入ってきた生徒が教職の単位を取らなくて、そうして学芸学士として出ていくような事例もあったわけであります。そういうふうなことは私は教育的にはマイナスだと思います。また、学化の側からいいましても、やはりほかの学部へ行けないからこっちへ入ってきて、ほかの職がなければ教員にでもなろうというような考え方を誘発するような考え方が学芸学部にはあるといっていいのであります。それが多くだとは決して言いません。しかし、そこは必ずしも教員養成をやるところではない。学芸課程というものがあるのだ、学芸学士として出てもいいのだ、こういうふうな考え方は私は学部のあり方、教育のあり方として必ずしも適当なことではないと思います。これはだから、いわゆるかつての師範学校のようなタイプになるのじゃないかというような御質問がそこから出るのですけれども、しかし、それといま申し上げたのと違うと思うのです。それは私繰り返し申し上げますけれども、工学部においては工学の研究と工業技術者の養成、そういった面にその学部目的、性格があるのであります。卒業した者が、これは工業界に出ようと、あるいは学校先生になろうと別な方面へ行こうとこれは自由であります。しかし、学校教育はそういうふうな目的、性格をはっきりさせてございます。これは経済学部でもそうでありますし、医学部でもそうであります。だから、教員養成をやるところは教育者養成するのだという性格を明らかにして、そういう教育をやる。生徒の多くもそういう目的で入ってきて勉強する。これがやはり学部のあり方としてすなおであり当然のことだと思います。ただしかし、そのことからすぐにかつて師範学校で就職を指定していたような、そういう考え方を取り入れようとすることは毛頭考えていないのであります。で、そういうふうな意味において私は目的、性格を明らかにするということは、学部の基本的なあり方として当然必要なことであり、望ましいことだと、こう考えております。
  73. 小野明

    ○小野明君 これはやっぱりあなたがどういうふうに言われても、いまの説明を聞きますと、学制改革の意義を、新制大学の意義を全く否定し去るという、否定し去ってしまうという基本的な問題だと思うんですよ。で、私は教育的な指向、いわば職業意識、これは戦前の師範学校であればきわめて明確であった。これを大学が持ち、あるいは学生が打つ、そのことがはたしてよい教師をつくるのか、あるいは一般的な広い教室を積ませるという大学の自由な雰囲気の中でこそほんとうの教育生まれ、次代をになう国民の、子弟のいい教育ができるのかというのは、きわめて大きな基本的な考え方の分かれ道があるところだったと私は思うわけです。その点がこの職業意識を持たせ、あるいは学生にも、大学側にもそういった改革を行なうことが適切である。そういうふうに変えなければならぬという理由をいま一歩、再度、私はお尋ねをしてみたいと思うのです。
  74. 杉江清

    政府委員杉江清君) 先生がおっしゃる御疑念は、結局、専門課程における教育の仕方だと思うのです。で、その教育内容が何か非常に技術的なものを尊重して、人間性の涵養とか、それから必要とされる知識、技能の基本的なものを教えるというようなことでないならば、おっしゃるような結果になると思うのです。しかし、いま目的、性格を明らかにしても、たとえば教員になる、教育者養成という目的、性格を明らかにしても、そこの教育はあくまで大学として一般教育を重んじ、基礎的なものを重視する、こういうふうな立場に立って教育を行なうのでありますから、そのおっしゃるような心配は私はないと思います。もう少し言いますならば、それはすべての学部を通じて私はそうだと思うのです。繰り返しますけれども、医学部、工学部における教育を見ても、それは目的、性格を明らかにしている。しかし、そこではすぐに役立つ教育を必ずしもやっておらないんで、医学部はあれだけの年限をかけてもインターンというものを要求しておる。その上で実際役立つ医師を養成している。工学部だって、すぐに現場へ行って一人前の仕事ができるということには必ずしもならない。教育だって私は基本的には同じだと思う。要するに、目的、性格を明らかにするということは、非常に技術的な職人教育をするということとは私はイコールではない、非常に逢うもの、異なるんだということを申し上げたいと思います。
  75. 小野明

    ○小野明君 いまの問題は、職人を、子供を教える職人をつくっていくようなことを考えないのだ、こういうふうに言われれますけれども、いま説明を聞いておりますと、医学部あるいは工学部のように目的、性格をはっきりするのだ、これは医学部、工学部はそれぞれ専門的なものです。しかし、教育というのはそれとはまた違った範疇にあるわけですよ。それと同じ免許制度をもって教育学の両についても教師の面についても考えていかなければならぬ。どういうふうに説明をされようとしても、やはり教育上の職人をつくっていくという感じをぬぐうことはできない。それを申し上げて次の質問に移っていきたいと思うのです。  この大臣提案理由の中で、この第、五のところですが、「名称も教育大学教育学部と改めることが、要望されております。この趣旨に沿い、大学の意向をも尊重して、」、このように書かれておるわけですね。説明されております。この大学の意向、その中では幾つですか、五学芸大学と、それから二十二国立大学学芸学部になっておりますが、この「大学の意向をも尊重して、」というのはどういう経過あるいは結果を見ておるわけですか、それをひとつ伺いたいと思います。
  76. 杉江清

    政府委員杉江清君) この名称変更の問題は、前からそういう必要があるのではないかということが各方面から言われておったのでありますが、文部省としてこの問題を正式に取り上げ、皆さんに御相談してまいりましたのは、おおむね一年少し前からでございます。昭和四十年の初めころの会合で、教員養成学部を大いに整備充実したいのだが、やはりその基礎を固める必要があるので、やはり学芸学部という名称も変えたらどうか、こういうふうなことを学長及び学部長さんの会議でもお話しし、また、教育大学協会の会合でもそういうことを申し上げ、それからまた教員養成学部の全般的な整備のために、特にブロック代表の方にお集まりいただいて数回会議を重ねておりますが、そういうところでもそういう問題を御相談申し上げてきたのであります。しかし、私どもはこの問題はやはり御納得いただいて、その上で実施したい、何か私のほうで押しつけるようなことはしたくないということで、そういう態度でずっと御相談してきたのであります。そこで、一年間にわたっていろいろ考えていただいたのでありまして、その結果、各大学において正式の機関にかけて御決定いただいたものについて今回措置している、こういうことでございます。
  77. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) この際、都合により暫時休憩いたします。再開は本会談終了後の予定であります。    午後二時五十八分休憩      —————・—————    午後六時五十一分開会
  78. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) これより委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。なお、政府側より中村文部大臣杉江大学学術局長が出席しておられます。
  79. 小野明

    ○小野明君 休憩前に、大臣がおられませんでしたけれども、具体的な問題に入りまして局長質問をしているのですが、この内容大臣提案理由の中に「大学の意向をも尊重して、」と、こういう、行が入っているわけですね。ということは、まあ私ども普通に受け取っているんですが、やはり各大学教授会等も、そういった先ほど局長答弁の中にありましたが、いままでの学芸大学では教育的な指向というものがない。あるいは学生目的意識がない、こういうことから反省を持って、そうして局長並びに文部省提案に対しまして賛成をしてきたと、こういった経過をお尋ねをしているわけなんです。それで私はこの学生目的意識がないなんとかいうことは、これはうそだと思うんです。これは入学するときから意識を持ってくるわけです。これはまことに矛盾しているわけです、答弁がね。それはおきまして、それぞれのあなたのほうの諮問に対して——諮問か勧誘か何か知りませんけれども、それぞれの大学の反応といいますか、どういうものを示したのか、それをひとつ御答弁を願いたいと思う。
  80. 杉江清

    政府委員杉江清君) 最後には、今回、名称変更をお願いしている大学につきましては御賛成いただいたのでありますが、経過においてはいろいろな御意見が出ておりました。やはりその御意見ないし御心配の大きなものは、何か教育内容までも国で統制されるんじゃないか、またきわめて狭い視野の人間をつくるんじゃないか、あるいはその学部教官組織その他において、現にある教育学部、これは一般に規模は小さいのです。教官組織も少ないのですが、むしろそういう現にある教育学部のように弱小化されるんではないか、そういうふうな御意見ないし御心配がおもなるものでした。しかし、私どもが、いや、そうじゃないんだ、こういう目的、性格を明らかにすることによって私ども教官組織も大いに整備するのだ、実は具体的にこういう計画を持っている、施設設備もこれに応じて今後大いにやるつもりでいるのだということを申し上げ、そういった私ども気持ちも御理解いただいたと思います。それから、かねてから議論されてきたことでありますし、筋としてやはりそう考えたほうがよかろう、こういうふうに御納得いただいたわけであります。もちろん最初から、一年前の御相談したときからすでに数校は、これは当然そうすべきだ、こういうことで、御賛成の意思を表明された大学もあるわけでありますが、その後いまのような御疑問を持たれる方もありまして、それらの方々ともお話をして御納得いただいたわけでございます。
  81. 小野明

    ○小野明君 最終的には賛成をしたがと、こういうことなんですが、まあ一年がかりで説得されたと、こういうことに伺えるわけなんですが、この五大学二十二学部ですが、これにやはり残っているものがありますね。残っているのはそれぞれどういう理由をあげられておるのか、それをひとつ説明をいただきたいと思います。
  82. 杉江清

    政府委員杉江清君) 秋田大学におきましては、やはり学芸学部の当初の構想である、いろいろな地域の要請にも応ずるというようなねらい、あるいは幅の広い人間を育成するというような本来の意味から、そういうものがやはり名前を変えることによってなくなるということが、やはり原理的な意味において心配だと、こういう立場をとっておられると思います。それから大阪学芸大学については、これはまあかつての師範学校教育に変えられていくのじゃないか、そういう心配がおもなものであります。ただもっと端的に、長く使いなれた名前だから、まあいますぐ変える必要はなかろう、こういう御意見もあったように聞いております。それから先ほど私が申し上げましたような、教育学部になってかえって弱小化されるのじゃないか、こういうふうな御疑念もあったと思います。それから東京学芸大学につきましては、これは基本的には御賛成であります。ただ、したがって、学部の名前を変えることは御賛成になったわけでありますけれども大学の名前につきましては、これは東京教育大学が別にありますので、どうもいい名前がない、今後検討するからしばらく待ってもらいたい、こういうふうなことで、その三つの大学については一部ないし全部をそのままにしてあるわけでございます。
  83. 鈴木力

    ○鈴木力君 関連。いまの名称のところで名称というか、大学との関係についてのところで——ちょっと関連してお伺いしたいのですけれども、最初は反対もあったけれども、結果的には全部賛成してもらったという局長のいまの御答弁ですね。それで、この種の問題は大学の名称なり大学の行き方なり、それらのものについては説得して変えさせるという筋のものか、そういうことをたてまえとしているのか、あるいは教員養成目的なら目的、まあこれに対する考え方は別としてもですね、そういう方針は中身で示すにしても、具体的な行き方については大学に求めるというのが正しい大学のあり方なのかですね、その辺のお考え方をひとつ伺いたいと思います。  それで、時間の節約上ずっと並べて申し上げますから。もう一つは、去年の六月か——たぶん六月だったと思うのですが、国立大学学芸学部長会談の名において——たぶん会長か横浜国立大学学芸学部長だと思うのですが、その学芸学部長会議で検討した結果、一律に名称を変更させることは望ましくないという意見書を文部省に出したということを聞いているんですけれども、この辺のいきさつについても説明をしていただきたいと思います。それからもう一つ文部省の説得の態度について、これは朝日ジャーナルに出ておるんですけれども、秋田大学教育学部に変更をさせようとする説得の過程で、秋田大学は何か他の学部を、特に養護教諭の養成所とか、もう一つは文理学部ですか、理科と数学ですか、それを増設をしたいという申請をしておった。そのときに、文理学部の指導でこの名称を変える、学芸学部教育学部に変えるというこの説得に従えば養護教諭の養成所の設置は認めるけれども、いいけれども、従わなければ認めにくいと答えたと、文部省が、そういう筋の記事が出ているんでありますけれども、こういう説得のしかたをどの程度にしたのか、その辺のいきさつも伺いたいと思うんです。
  84. 杉江清

    政府委員杉江清君) この名称変更の問題は、私ども何か押しつけるというような形でなく、御納得をいただくというような基本的な態度で御相談してまいったのであります。で、単に名称の問題だけでなく、教員養成学部の全面的な整備の一環として、こういうふうにしたらどうですかということを申し上げてきたわけであります。それから、学芸学部長会議において意見書を出されたことはございます。そのときに、学芸学部にはこういうふうな経緯と特色があるんだから、ひとつ学芸学部という名前はそのまま維持することがよかろう、こういうふうな御意見も出ておったのであります。しかし、その後お話し合いを、まあ私どもとのお話し合いもあれば、また学芸学部長自体のお話し合いもあり、だんだん、そのほうがよかろう、そういうふうに御了解いただいたわけであります。それから、説得の際にあたって、何か具体的な予算折衝との関連で、こうしなきゃやらぬというような、そういう関連でこの名称の問題を考えたつもりはございません。ただ、そういうふうに全然ないと申し上げるのも、あるいはそう申し上げることは多少御疑問があろう。といいますのは、たとえば理科教員養成課程とか、数学教員養成課程というものを設けるというようなことをいたします場合には、その小中それぞれの課程がどういう教官組織であるべきか、それで学部の全体のねらいはどうか、その中でどういうふうにそれらが位置づけられるかということを十分吟味する必要があるわけでありまして、学芸課程というものがそのままになっておるというような状況で、また、高等学校の理科教員養成課程をつくるということはこれは適当でない、そういう判断はあるわけでございます。それらの問題は、それぞれの御要求の項目によってその関連の出るものもあれば出ないものもあるわけですけれども、そういう関連のある部分もございます。
  85. 鈴木力

    ○鈴木力君 ちょっと重ねてもう一回。あとはあとの機会に申し上げますが、そうすると、こう理解していいですか。いまの局長の御答弁意味は、学芸学部長会議の意見書が出た、それは学芸学部というあり方が今日の制度として必要である、これは学者としての意見ですね。学芸学部長というのは学者ですから、そういう立場からの、意見が出た、しかし、そのあとに、いろいろ説得をして、結果的には——説得ということばがいろいろ言われたが、納得してもらったということばを使うんでありますけれども、結局、文部省のほうが教育学部にせよと、そういう態度であり、学芸学部のほうはいやだという態度で始まったのが、最後は教育学部にするということになって納得してもらったと、こういうことですね、関係からいいますと。それからもう一つ確認をしておいてあとの御質問のときにまた伺いたいのですけれども、もう一つは、この説得をいたします場合に、単なる名称の変更だけではなしに、いま聞いたところによりますと、教員養成大学としての全面的な整備の一環としてやるということで納得をしてもらったと確認してよろしゅうございますね。
  86. 杉江清

    政府委員杉江清君) 各大学における学芸学部長さんとお話してきましたが、学芸学都長会議として一応消極的な御意見を出されました。ただ、そのときにすら、すでにその御意見に従われずに、別途名曲を変更すべきだという、意思決定をされ、私どものほうに要望されておる大学もあったのであります。
  87. 鈴木力

    ○鈴木力君 私が聞いているのは、一人、二人がどういう意見があったかということを聞いているんじゃありませんから、学芸学部の部長会議として申し入れたということを確認をすれば、その過程においては意見がたくさんあったということはわかりますよ。だが、そのうちの何人がそういう意見であったかということは議論の対象になりませんから、それを聞いているんじゃございません。
  88. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部長の会議でもそういう申し入れがあり、その後御納得いただいたということは、大勢としてはそのとおりでございます。それから、いろいろお話し合いを続けます際に、学芸学部の全般的な整備の一環として、やはり名称もお考えいただいたほうがどうかと、こういうふうな発想で御相談いたしてきたことも事実でございます。
  89. 小林武

    小林武君 関連でちょっと。さっきの話は——さっきというのは食事前の話だというと、だいぶ話がかみ合わなくて困ったから、一つずつきめていくことにしましょう。そこで、全面的整備というものはどういう内容なんですか、全面的整備。この全面的整備学部長会議をして納得さしたとしたら、このことをもっと具体的に話してください。
  90. 杉江清

    政府委員杉江清君) 全面的整備と申し上げるおもなるものは、学科目の整備と、教官組織の整備充実、具体的に言えば教官増でございます。それから施設設備整備と、こう考えております。
  91. 小林武

    小林武君 その場合、学科目はどういうふうに充実されるわけですか、教官一体どういうふうに増されるわけですか。
  92. 杉江清

    政府委員杉江清君) まず、その全面的な整備のうち最も重要な、最も緊急を要するものとして、私ども学科目の整備教官組織の整備充実という点を取り上げたのであります。そうして各大学お話いたしまして具体的な整備計画を固め、昭和四十一年度予算におきましても、全体として六十二名だと思いますが、教官増をしております。その中で定員増を伴わない教官増が六十名になっております。こういうふうな教官増はかつてなかったことであります。いままでの例を見ましても、大体多いときで四十名程度の増になっておるので、こういうふうな大幅な教官増はなされたことがございません。しかも、この志願者急増期問において収容力をふやさなければならぬ。そこに重点を置かなきゃならぬ時期に、学生定員増を伴わない教官増を実現することは非常にむずかしかったのでありますが、そのような教官増の実現を見ているわけでございます。
  93. 小林武

    小林武君 それでわかった。ちょっとあなたにお尋ねしたいのだが、教官増をやったということは具体的にわかった。それは学科整備関係があるんじゃないか、学科整備というのはどういうことなのか。
  94. 杉江清

    政府委員杉江清君) たとえば……。
  95. 小林武

    小林武君 たとえばじゃだめなんですよ。学科整備ということはどういうことをやったのか、大事なことなんだよ、あんたこれは。
  96. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学科整備といいますのは、学科目のあるべき姿を考えて、そうして不足している学科を設ける。それは具体的には先ほど教育職員養成審議会から御答申いただきました教育過程の基準を基礎にして、そうして各大学と話をして、その不足分を補ってきたわけでございます。各大学ごとにその点をお話し合いによって学科目を新しく設けたわけでございます。
  97. 小林武

    小林武君 あなたの説明、そこがどうも説得力がないんですよ。一つの問題を申し上げると、いまの学科整備というのは、たとえば先ほどぼくも問題にしたんだが、どんな答申をしたのかということを言ってるんだが、どんな権限があり、どんな答申をやったか、教員のあれについて、そのことについてあとでぼくはやはりやりますけれども、それがあって、それに合わした学科目の整備というのは一体どういうことなのか、あるべき姿というのは何だかわかったようなわからぬようなことだけれども、あるべき姿というのはどういうとなのか。学問のあるべき姿か、学問のあるべき姿というのは学科目とはだいぶ違いますよ。だから、そんなことじゃなしに、学科目の整備というのはどういうことを具体的に言うのか、そうして学科目の整備と定員の関係については何かはっきりした関係があるのじゃないか。やたら人をふやしちゃったら、それもおかしな話だ。だから、そこらのところを言いなさいと、こう言っているのだ。
  98. 杉江清

    政府委員杉江清君) たとえば……。
  99. 小林武

    小林武君 たとえばではだめだと、たとえばなんということでなくて、教育大学というのは大体同じことなん、だから、たとえばなんということじゃなくて、かくかくに学科目の整備をやりますと……。
  100. 杉江清

    政府委員杉江清君) 私どもは基本的には先ほど申し上げた教育課程の基準が答申になっておる、それに基づいて各大学学生定員に応じて、自分大学ではこういった学科目を整備して、こういうふうな教官組織の充実をはかる、こういう計画を各大学でお立てになるわけであります。で、その計画に沿って私どもは、じゃ、明年度はこの部分を増強しましょうと、こういうことで具体的な計画を立てるわけであります。
  101. 小林武

    小林武君 それでは東京学芸大学の例をとっておっしゃってください。それからそれと異なるような特殊なもし違うものがあったら、そこの大学、青森の何とか、岩手の何とかというぐあいにして言って、それの特徴点のあるやつを例をあげなければだめですよ、そんな説明では。
  102. 杉江清

    政府委員杉江清君) 課長からその点御説明申し上げます。
  103. 安養寺重夫

    説明員安養寺重夫君) 国立大学教員養成学部予算措置といたしまして学科目を新規に立てる、あるいはすでにあります学科目の欠けた部分を充てんするというような整備をはかる、こういうような二つの新設または整備、こういう方法をもちまして教官の組織を充実をしていくわけでございます。先般、教育職員養成審議会から、教員養成大学の望ましい教育課程の基準というワク組みを大臣あて建議いただきまして、その建議の骨子を盛り込みまして、その教育が十分達成され、かつ教官研究態勢がしっかりしたものになるには、どういうことを構想として考えればいいかというようなことを、われわれ事務当局といたしましては検討したわけでございます。かつ、主として国立教員養成学部で構成いたしております日本教育大学協会という研究団体がございまして、そこからもいろいろと文部省に対して積極的な御発言、要望等がございまして、そういうものをあわせてわれわれのほうでしんしゃくをいたしまして、当面向こう四、五年間において教員養成学部を相半大幅に充足をいたしたいというような、学科目並びに教官の定員面からの手当の計画を考えわけでございます。ただいまお話になっております東京学芸大学をはじめ、この計画は四十六の関係大学なり学部すべてについて、われわれといたしましては最小限できるだけ早い機会に、この程度の充足をはかりたいというような目途であるというぐあいに考えているわけでございます。当面この整備の計画の対象といたしましては、小学校教員養成をやるコースがございます。あわせて中学校の各科の教員養成のコースがございます。そのほかにも特殊教育教員養成をやるコース、あるいは局等学校の芸能、体育、あるいは理科等の特別の教科の教員養成をやるコースがございます。そういうもののうちから特に最重点を置きまして、小学校と中学校教員養成のコースの充足をはかろうということに目標の焦点を置いたわけでございます。一応のわれわれのほうで考えつきました計数をもちまして、予算の概算をまとめる際に、各関係大学学都とも十分相談をいたしまして、緊急を要するものから教官を充足して、学科目の新設あるいは整備というものを取り運ぼうという形でもって、四十一年度の概算要求をつくったわけでございます。その後いろいろ大蔵当局とも接触をいたしまして、そのうちの一部が来年度の予算の中に盛り込まれているわけでございます。各大学ともそういうことでございますので、最小限、小学校あるいは中学校教員賛成のために必要なものはどれかということで手当をしよう、たまたま御指摘の東京学芸大学でございますけれども、東京学芸大学では小学校のコースと中学校のコースと、昭和四十年度の入学定員で試算をいたしました場合に、ある程度の何と申しますか、過員というとちょっとことばが悪うございますけれども、基準を上回った定数がそこにあるというようなことでございまして、大学当局ともいろいろ接触いたしまして、全体の計画のために東京学芸大学から十二名の教官定数を減をしていただくというようなお話にまとまったわけでございます。いわば教員養成学部全体の計画のために、東京学芸大学からそういうことをしていただくという形にはなっているわけでございます。ただし、これはあくまで小中学校教員養成のコースの問題でございまして、来年度の予算の中にもございましたように、研究施設の増とか、そういうものを含めて、全体的には東京学芸大学の講座計画というものは増というような計画を持ってるわけでございます。
  104. 小林武

    小林武君 御説明いただいているけれども、ぼくの聞いていることと食い違うのだ。ぼくの言うのは、少し具体的に言ってもらいたいのだ。たとえば中教審なりその他のあれがどういう答申をして、あなたのおっしゃる数字をもって言えば、りっぱな教員を獲成するためにどういう学科目を整備するのか、その学科目の整備ということがどういう意義があるのか、どういうことなのか、そのことをまず明らかにしてもらいたい。東京教育大学ばかりじゃない。ぼくもいまここに表を持っているのだけれども、どこの大学でも大体似たり寄ったりだが、これを見ても、整備というのはどういうことなのか、どういうふうに整備するのか、それと定員増というのはどういう関係があるのかと、こういうを追って言ってもらわないとさっぱりりわからぬのだ。
  105. 安養寺重夫

    説明員安養寺重夫君) 四十年の六月に、教育職員養成審議会から、小学校及び中学校教員養成をやるに当たっての望ましい教育課程の基準というものの建議大臣がいただいたわけでございます。その中身は、一つは、教員養成目的とする大学において、専門教育内容としてどういうものを履修すべきであるか、いま一つは、一般大学学部におきまして、小学校なり中学校教師の資格を取得するためにどういうようなことをすればいいのかというようなことの具体的な案が書かれておるわけでございます。もちろん、その内容は、現在、教育職員免許法等にもございますように、専門教育科目のうちの教科に関するもの、あるいは教育学、心理学等に関するものというような類型の大かたが単位の配当ということの比率によって出ておるわけでございます。その後、文部省は、そこに構想されました専門教育科目の履修並びにその履修を用意するための開設の量並びに各学科目ごとに教授、助教授という形で、主要な学科目を新設するなり整備をするというようなこと、そういうものを考え合わせまして、全体の計画量を立てたわけでございます。再々お尋ね学科目の整備といいますのは、予算要求の方法論といたしまして、これは前からでございますが、ない学科目を立てるときに、学科目の新設と申し、あるいは学科目の欠損部分を補てんをする、あるいはその他に整備をするというような場合に、総称いたしまして学科目の整備という、こういう表現をとってるわけでございます。今回の教員養成学部整備充実計画というものは、そういう新設なり、整備の方法論をもちまして、全体的に学科目を増強していこう、教官の組織といいますか、そういうものの系列を固めていこう、強くしていこうというような計画であるわけでございます。
  106. 小林武

    小林武君 一つだけ最後にお尋ねしておきますか、そうすると、大学では、文部省が、何ですか、その教員養成審議会みたいなもの、あるいは中教審等から出された案によって、このようなものをとにかく履修することが、よい教員になるのだ、そのためにはどの学科を新設し、教科目を新設し、学科目を新設し、どの学科目を整備するのだと、こういうことをおやりになったということなんですね。そういったところがよろしいと、こう、言ったと、こういうわけですか。
  107. 安養寺重夫

    説明員安養寺重夫君) 私のほうで案も立てましたし、また、日本教育大学協会という専門の団体からもいろいろと意見を聴取いたしました。大体こういうことでよかろうという成案を得た結果に基づいたものでございます。
  108. 小林武

    小林武君 それをあなたたちが受けとって−ぼくの言ったとおりでいいですね。ここで一言だけ言っておきます。あとで伺いますが、大臣に聞いておきます。大臣科学技術論争ではそれぞれ科学技術庁との間でやっていることだから、これはとにかく一応の御理解をいただいている。大学というところが、大学教授が、学校がよその団体からこのような内容の、このような学科目によってこれを履修すればこうなるのだ、その内容整備するのはこうやるのだ、新設はこうだというようなことをやることは、私たちは少なくとももう一ぺん師範学校にいくのじゃないかというような疑いの一つになっている。そういうものでは大学はないと思う。大学というものは、一体どういうところに大学の権威があるのか。大学の自治、自主というのは、大学がかってなことをやるというのではなくて、みずから自分の学問をだれの拘束も受けないで、そうして自由にやるということが大学の特権なんだ。これが大学の自治の根本的な考えだと思う、簡単に言えば。それと一体これとはどういうことになるのかということをひとつお考え置き願いたいと思う。あとで議論します。
  109. 杉江清

    政府委員杉江清君) 大庭がお答えになる前にちょっと御説明したいのでありますけれども、各学部ともそれぞれ設置基準要綱というものをこれはつくりまして、あるべき教育課程の基準、教官組織の水準が示されているわけであります。それによって各学部学科目を新設するなり、教官組織の足りないところを補う、こういう計画を立てておられるわけであります。ただ、今日これにどんぴしゃりとそういったものに適合するということを要求はしていないので、もしその基準よりも変わったくふうをこらされるということは、それなりに十分お話し合いの上考えていくことにしているのでありますが、基本的にはほかの学部でも、みなそういうことをいたしておるのであります。むしろ、そういうふうなあるべき学科目、あるいは講座の基準というものが、そうしてまた、したがって、教官組織の基準というものがいままで示されてなかったところに、学芸学部ないしは教育学部のむしろ特色があった。それを他学部並みに私ども考え整備していこうというのが今回の方針にしているわけであります。
  110. 小林武

    小林武君 あなたはそういうなら、ひとつ議論をするのに考えておいてください。そこで、やっぱり大学は二元的になっております、日本の場合は。それは学科目の大学、いわゆる新制大学のうちの、高等学校とか、師範学校等から昇格した大学はみなそうです。そういう大学と講座制をとっている大学、その二つの二元的な存在が日本の学問の中で、大学の中でどういう動きをしているかということは、少なくともあなたたちも専門家だから知っているだろうし、文部大臣だって御承知だと思う。われわれはそういう問題も議論したい、これから。そういうことを承知しながら言っているというところに、あなたたちの言うことはますますわからなくなってくる。私はもしも学者という名前のついている人たちが、いまのようなことで学問の自由ということを、あるいは旧制の師範学校に戻るということは学問の自由ということにつながる問題なんですよ。学問というものをもっと大事にするような人間日本教育をやらなければならないという観点に立って、いまの教員養成というものが行なわれている。それについて完璧でないからいろいろなことを補強するということは、これはけっこうだけれども、根本をゆるがすようないろいろな手当というものは、ぼくは大問題だから反対している。そういうやり方を議論するということになると、根本的な問題に触れていかなければならないけれども、そのことを議論しているのではない。ぼくは関連で聞いているのだから。あなたたちはそう言っているわけですけれども、これからの議論の中でそういう問題に触れますから、そう簡単には、あなたたちの説明くらいでは納得しませんよ。答弁は要らない。
  111. 小野明

    ○小野明君 どうも先ほどからお聞きしておりますと、最終的には賛成をしたがと、こういうことを答弁をされておるわけなんですね。各大学の心配というのは、いま局長が言われておるように、教育内容までも統制するのではないか、あるいは狭い視野のみにとどまってしまうのではないかという心配がされておるという点も答弁されておるわけなんです。いま一つ、私はいま鈴木委員のほうから出された学芸学部長協議会の申し入れ書、こういうものがどういう内容のものか、これをひとつ明らかにしてもらいたいと思います。
  112. 杉江清

    政府委員杉江清君) いまその資料を手元に持っておりませんが、私の記憶しているところでは、学芸学部は、本来、文理学部のような学部のないところに設けられているんで、その地域にはいろんな要求がある、そういった地域の要求に応ずるためにも学芸学部というあり方がいいんだと、まあそういうふうな観点が主になっておったと私は記憶いたしております。
  113. 小野明

    ○小野明君 非常にまあ不満ですがね。地域には地域的な要求があるから学芸学部がいいと、たったこれだけの、少なくとも学芸学部長協議会ですか、これが申し入れるのに、たったそれだけの理由というのはちょっとやはりごまかしがひど過ぎると思うのです。もっと資料はないですかね。
  114. 杉江清

    政府委員杉江清君) いまその点電話で問い合わせておりますから、後ほど具体的に御説明申し上げます。
  115. 小野明

    ○小野明君 そうしますと、先ほど各大学が一年間かかってあなたのほうのいわゆる説得を消化をした、こういうお話を伺っておるんですが、その消化をする際に、学科目の整備あるいは教員組織の整備、こういった内容に触れてあなたが説得をしたら、それぞれの大学では承知をしてもらいました、承認をしてもらいましたと、こういうふうに言われましたね。そうですね。
  116. 杉江清

    政府委員杉江清君) 基本的なかまえについて申し上げたわけであります。現実は教員養成学部においては教官組織も貧弱だ、設けるべき学科目も十分に設けられていない、施設設備が貧弱だ、これはひとつ全面的に整備していきたいんだ、その一つとしてやはり名曲も実態をあらわすように変えることが適当ではないか、こういうふうな全体的なかまえについて申し上げ、そして最終的に御了解いただいたわけであります。
  117. 小野明

    ○小野明君 それはどういうことなんですか。絵にかいたもちを各大学に見せて、こういうふうにあるぞ、そうしたら納得をしてもらった、まるでちょっと子供だましみたいな、われわれだったらそれはだまされぬのですがね。学芸大学のそれぞれ責任者といいますか、教授会も少しそれではやはり甘過ぎるように思うんですが、それともあなたのほうでは、提案されておるのは名称の変更だけですけれども、具体的にその教員養成大学については設置基準をどうすると、こういう腹案をお持ちなんではないですか、どうですか。
  118. 杉江清

    政府委員杉江清君) 設置基準はただいま審議されており、まだ最終的にはきまっておりません。ただ設置基準というのは、国公私立を通じたものではありますけれども、国立大学においては設置基準を上回った整備をするわけでありまして、そういった国立大学教員養成学部のあり方ということについては先ほど課長からも言いましたように、教育大学協会あたりの御意見もある、それからその背景をなします教育過程の基準については御答申いただいているわけです。そういうものをもとにして、私どもは現在の教員組織を考えていくと、おおよそ私どもの計算では四百名程度は数年のうちに整備しなきゃならぬ、こういうふうな数字も出てまいるであろう、そういうふうな整備をひとつ皆さんと御一緒になってやってまいりたい、こういうことも申し上げたわけであります。なおまた、学芸学部については、ほかの学科は少ない、こういうような現状があるから、それにおいて単に小中学校教員養成でなくして、その他の教員養成、たとえば幼稚園とか、あるいは高等学校教員養成とか、そういう面もひとつだんだん設置して、その学部ないし大学の全面的な整備をやっていきたい、こういう点も申し上げたわけであります。そういうふうな私どもの具体的に打とうとする手、措置等についても、そういうふうに考えていただくならばわれわれの心配はなくなる、薄らぐと、そういうふうに御了解いただいて御賛成いただいたものと考えております。
  119. 小林武

    小林武君 ちょっと関連。どうもあなたの説明にはちょっと無理があると思うのだ。学芸学部というのは、何か学芸学部である限りにおいては学科目も教官整備もされないというのはどういうことでしょう。学芸学部だって、これは予算委員会質問の中でも、古びた校舎で、あんな状態では困るじゃないかという質問があった。これは学芸学部であったから古びておるわけじゃないでしょう。学芸学部というものの罪にしたらいかぬですよ、校舎の古いのは。教官整備しないのを学芸学部の罪だとしたら大間違いですよ。もしあなたたちの主張が、学芸学部というのは大した存在の価値のないものだから、あまり力が入らないから整備をしなかったということになるわけですよ、そうだというと。そんなことはないでしょう。学芸学部のことについてはひとつ学者の説を、いま私朗読しますけれども、そんなことはないでしょう、そんなことはないはずだ。学芸学部だからぐあいが悪いということはないはずですよ。あなたあそこの教育学部の前の、国立学校設置法のときに、東北大学教育学部から離して教育大学をつくった、教育大学だって結局だめなんでしょう。あなたたちの都合は、教育学部でもぐあい悪い、よそへ持っていかなければだめだという理由があったから持っていったのでしょう。そして宮城教育大学というものをつくった。意図があったんでしょう。名前が教育学部になったから学科目を整備してなんということの理屈はその場合に全然通用しないのですよ。私は学芸学部というのは考え違いをしておるから、これは学者の説ですから、ひとつ頭へ置いておいてください。あなたはよくおわかりかもしれないけれども、ひとつ文部大臣に聞いていただきたい。「大学の歴史的理念においては学芸学部教養学部といってもいい、日本ではこの二つの言葉を区別しているが、そんな区別は全く非歴史的で、これは同義語にすぎない)こそが、大学の中核部分であると考えられ、そしてこの学芸学部が、教師養成の場であった。そこを卒業すれば「マスター、オブ・アーツ」即ち「学芸(教養)の教師」の免許状がもらえた。学芸とか教養とかいうのは今日わが国の小・中・高校で教えているような教育内容のことである。学芸学部はそのような教師養成の場であった。これに反して法学部や医学部などの専門学部は、狭い分野の職人的専門家の養成機関として、大学にとってはむしろ附加物的存在であり、大学大学たる所以を示す本質的部分ではないと考えられてきた。」と、これは日本の著名な教育学者の説なんです。何が一体悪いかということです。ただしかし、学芸学部というのがまずかったのは私は理由があると思う。一つは、結局無理をしてつくった師範学校であるとか、あるいは何々専門学校であるとかというような、そういうようなものが集まったって、高等学校というようなものができたとか言ったって、そういうものの、だから問題があったろうし、数が多いからそういうところにまではうまくいかなかったろうし、講座制でないために教科目の大学というのはいつでも、予算の場合でも損をしているということはあなたたちよく御存じのとおりなんです。そういうような条件の中において学芸学部というものは機能を十分に果たせないような状態にあった。それは、あなたたちは教育学部にしたら整備できるというような議論はこれはどうも私はおかしいですよ。これは極端なことを言ったら、何学部でもけっこうなんですよ、これは。あなたたちがやろうと思えば幾らでも教官整備も何もできるわけです。むしろ、私はそのときには教育学部は講座制にして、もちろん講座制というものそのものにも私はやはり時代おくれのものもあるし、今日大いに改良しなければならぬような要素があることは私は知っておりますよ。それにしても、そういう差別をとるようなやり方というものはあるはずなんです。ほんとうに学問をするというような、こういう雰囲気をあなたたちがつくろうと思えば幾らでも金さえかければできた、これは。そのことは、上から一体教科目をどうしてやるとか、文部省がその方針を示してやるというようなことがこれは僣越だと思う。そういうことをあなたたちのところで一体答申したその学者の連中の意見だって、それが日本教育一体支配するだけの権威のあるものでは私はないと思う。一つの、意見にしかすぎないと思うのですよ。だから、どんな人がどんなことを言ったって、聞いているのはそのために聞いているのですよ。私は、どうもあなたたちのおっしゃることがどうしても、何か、杉江さんにしろ、課長さんにしろ、話はよくわかっているのだ。わかっていて、知り過ぎていて、ぼくなんかよりよくわかっている。全部言っちゃぐあいが悪いもの、だから、あげ足を取られやせぬかということで、うまく何とかあれしようと思うからそういうことになる。腹にあることをみんな言っちゃえばみんなほんとうのことがわかってしまう。しかし、立場があるからそんなことは言えないけれども、全部言えとは言わぬけれども、しかし、そういうごまかしみたいなことを幾ら、べつたって、何時間もかかる、だめだ。大体八時近くなっても、私のほうからあと三人質疑すると言っているから、どんなことになるかわからない。だから、ぼくらは一つ一つのさっきの考え方で、できればきょうじゅうに仕上げたいという考え方だから、具体的に質問したら具体的に答えてくれませんか。そういう意味質問しているわけですからね。学芸学部というのはどこが悪いのですか。ひとつそれを言ってください。学芸学部というものを目のかたきにするわけを。学芸学部だから、でも・しか先生が出るというのは潜越なことですよ、それはどこからそんなことが出てくるか。
  120. 杉江清

    政府委員杉江清君) 繰り返し申し上げておりますけれども学芸学部の実体は教員養成でございます。少なくとも教養成を主にしている。そういう実体で、教育学部、いわゆる教員養成を行なっている教育学部とその天体は変わらないのであります。そういう実体なのに、一方は教育学部と言い、一方は学芸学部とこう言っており、これはいろいろな町において支障を生ずるのであります。学芸学部は、その実体は主として教員養成を担当しておるのであるけれども、本来、発足当時には必ずしもそういう実体と照応する理解ではなかったわけです。だから、学芸課程というものも設けられましたし、学芸学士も出した、その名残りが現に一部には残っているわけです。学芸学部というものは実際に教具養成をやりながら、しかし、そういうふうな経緯があって、また一部にそういう実体が残っておるために、必ずしも教員養成をやるところじゃないのだ、小中の教員養成に重点を置いてやるとは必ずしも言えないという理解が一部にはあるのであります。そういうふうな、一部でもそういうことがあるということは、やはり全体の教育体制を私は弱める結果になってきたと思うのであります。それから、そういうふうなかまえがあるから、一体学芸学部整備しようとする ときに、一体学芸学部はどういう性格のものか、どういう目的のものか、なぜこの施設がこれだけ必要なのかということは、強い根拠を持っては言えない。どうしてこういう教官組織が弱いというのか、これをなぜ補充しなければならぬのか、そういうことが強い主張で言えないのであります。そういう点が一つあります。
  121. 小林武

    小林武君 それはおかしいよ。一部の人が何か言ったから学芸学部のあれを主張できないなんというばかなことを文部省が言ったらたいへんですよ。私は教員養成というようなものは、さっきも言ったように、教員だけ、教員しかなれないような学校というのは、一体、過去の師範学校の例から見て適当じゃなかった。それよりかももっと広い教養、先ほど読んだようなそういう立場の人たちが教員になることが望ましいということは自民党の笹森さんが過去の経験から、そういうことは私も賛成だということをおっしゃった。私どもが宮城の教育大学のときに言ったら、私の経験でもそうだったということをおっしゃった。むしろ視野の広い人が感銘を子供に与えたということをおっしゃった。速記を見てください、ちゃんとそう書いてある。だから、しかし、その中に教員をやらない者がいるということがけしからぬという考え方がどういうことなのですか。それはたとえば、医学部だってそうでしょう、医学部卒業したら必ず医者になりますか。基礎医学をやる人もあれば生理学者になる人もあるのです。小学校先生で、ぼくの同僚であった人間が医学博士になったのもあるのですよ、学位は、何も医者じゃない、大脳の研究でもらったのです、学位を。そういうものだってあるじゃないですか。たとえば、よく医学のことを言う、医者の学校目的大学だからりっぱな医者ができる、それもよろしい、しかし、あの大学教育が医者だけつくるとはあなたたち言い切れないでしょう。ああいう部門でさえもそうなんですよ。ましてや教員になる、そういう場合に一体どこがぐあいが悪いのですか。しかし、その中でもっと何か補強するという話があるならば少しは聞いてやってもよろしい。しかし、全然、名前を変えていかなければならぬという考え方はどこから出てくる。それでようやく納得しましたなんて、納得する者もする者なら、させる者もさせる者だと思う。しかし、ぼくは何だかそういうところにちょっと顔を突っ込んで聞いてみるというと、これは言うと差しつかえがあるから、言わないけれども、いつかも大学の人たちが言う、文部省にたてついたらだめです。何でやられるか、予算でやられます。やっぱりやられるかなと聞いたら、そうだと言う。じゃ、ひとつどうだ、文部省へ行って言いなさい、ぼくがついて行ってやるから、いやだめです。そんなことをやったらたいへんだ、予算でいじめられるのはつらいと言う。これは労働組合の中にもある、予算で、ひもを握っているやつにいじめられることはわれわれもたくさんある、金を握った者は強い。文部省でいじめられたらたいへんだ。そういうようなことで、大学先生が、情けないようなことで音をあげているような状態ならば、それこそぼくは学問の危機だと思う。もしもかりに、そんなことないと思いますが、もしもあなたたちが納得させるというような形でそんなことをやるとたいへんですよ。だから、あなたたちの言うような、先にはっきりしてもらいたいとさっきから言っているのは、一体学芸学部でどこがぐあいがわるいかというのです。とにかくこれに関係した意見をみんな出してくれということをさっきから言っている。どこが悪い、どこが気にくわない、いまの教育がそのためにどういうように質的に低下している、教育上に一体どんな支障をきたしている、戦後、学芸学部養成された教師諸君が、一体日本の将来に心配をかけるような状況にある理由をここに全部あげてもらって、だから、この点こうしなければならぬ、学問的にたいへんとにかくぐあいが悪い、何がぐあいが悪いか言ってもらいたいです。私はそんなことよりか、もっと変な検定試験をやって、そして安直な教員をつくったり、ちょっととにかくこのごろ足りないからといって、四年制でない三年制ぐらいの工業教員なんかをつくったりするようなやり方のほうかずっと私はあぶないと思うのです。そういうあれがあるならはっきりひとつ言ってもらいたい。ぼくはあなたのほうからもらった資料を見て、さっぱり何のことだかわからぬ。答申案なるものを読んでみて、何なんだ、これは。一体、国際的何だか——国際的何だかがどうした、あなたたちこれ見てわかりますか、この答申案見て。これは説明してくださいよ、具体的に。一体どういうことを言っているのか、どこに一体これはいままでの教育を分析して、教員を分析して、教員のぐあいの悪いところを書いてあるのです。やってみてください。それをやらないでかってなことを言ってはいかぬ。
  122. 杉江清

    政府委員杉江清君) まず学芸学部から学芸学士が出たりするというようなこと、また学芸課程を持っているというようなこと、これが私は全体の整備において支障を生ずるということを申し上げたのでございますけれども、そのこととその教員にならぬ者がおるということとは、これはまたちょっと別なことなんです。たとえば、教育学部卒業者は全部教育学士になるわけです。学芸課程というようなものはございません。しかも、その中で約一〇%程度教員にならないわけであります。新しい大学による教員養成はそういう性格のものであります。で、学芸学部においても、それは教員にならぬ者があるということは、たとえ、ば学芸学部において大部分は教育学士になるのでありますけれども教育学士になっても教員にならぬ者がある。だから、そういう意味において、いまの先生お話とちょっと私の申し上げていることとは違っておるわけでございます。
  123. 小林武

    小林武君 どこが違うんだ。
  124. 杉江清

    政府委員杉江清君) 私が申し上げているのは、その学芸学部というものが学芸課程を持ち、そうして学芸学士を出すというようなこと、そういう関連があったということ、これはその者が卒業してどういうふうにいくかということと別に、制度的にそういうものがその学部にあるというたてまえになっておるわけです。そうすると、一体、諸設備整備する、教官設備整備するといったときに、教員養成のほうを整備するのか、学芸課程のほうを整備するのか、全体としてその関連をどう考えるのか、そういうことがはっきりしてこなくなるのです。そういう点を申し上げて、考え方として、それはやはり全面的整備をはかる上にはひとつのてこになる。しかし、問題は、実態は大部分教員養成になっておって、教育学部とほとんど変わりないわけです。だから、そういうようなほとんど変わらないものが、一方が教育学部であり一方は学芸学部であるということは、むしろ不自然な形である。むしろ、違いがあるとするならば、これは一般教養を担当しているかどうかということが大きな相違ですけれども、しかし、学部の性格としては専門課程のあり方によってその性格をきめていい問題だから、だから、同じような実態があるならば同じような名前にしたらどうかと、こういうような発想でございます。
  125. 小林武

    小林武君 何を言っているんだ。そんなかってな小さいことでやっているんなら、ここでみんな削りなさい。そんなあなたの言うようなことでやるんならば、これは全部削りなさい。いますぐ上げるわ、ほかのところは文句はないのだから。文部大臣、これは削りなさい。これは大臣の決断だ。そんな根拠のない話があるか。たとえば宮城教育大学をつくるときに、これは教育学部であったのですね。私は最もあそこは好ましいと思っておった。それはなぜかというと、あの名門の大学の中に、一つ総合大学の中でやられるからいいと思った。しかし、これは一番先にチャンがついたのは——チャンと言ってもわからぬかもしらぬが、一番先に文句がついたのは、教育学部を出るというと、宮城の教員にならないというのですね。これはやはりぼくはそうだと思う。東北大学という名門出ですからね。東北に行ったら名門ですよ、東大出とはどうか知らぬけれども。そうすると、引く手あまたなんですね、各方面で。教育学部を出ようが何学部を出ようが、そんなものはかまわぬという人がある。それが理由教育学部というものをつくった。一番の理由はそれだった。教育委員会なんかがわいわい騒いでいるのもそれだった。私はそういうことでやるのはおかしいと言ったのですけれども、そんなことでもって一体いい教員が出るんなら、なぜそんなことで騒がなければならないか。教員養成大学ですよと締めつけて、お前は教員しかやれぬのだというようなことに締め込むことが、一体いい教員をつくることになりますか。引く手あまたでもって、おれのほうでもここを出たのだったらほしいというようなやり方をやったものを教員の中に定着させるような仕組みをつくったほうが、そのほうがりっぱじゃないですか。そうやるのが政治ですよ。そうやるのが教育行政ですよ。文部大臣、ぼくはそう思うね。何で一体そんな名前を変えたり、妙なことをしなければならぬかということなんだ。だから、私はあまり根拠のないやり方だと思う。もしも、全体の整備をやるとか何とかの上で、これが学芸学部ということになっているために、この中に教員にならない者があるから、そのために教官整備もしてやれないとか、校舎もりっぱにしてやれないとか、いろいろな点でそういうようなことを言うならば、日本一体これからの将来をどう考えるのですか。そんなに大学というものは期待に反するものなんですか、大学は。何学部であっても——いわゆる科学技術は一番大事だということを言っているじゃないですか。十年目には——昭和三十五年だから四十五年には国民所得の二%、これは国防費と同じです。そのくらいのところまでやりますというようなことを白書の中に書いてある。それだけの金をかけてやろうという。一体大学教育ではありませんか。大学教育ばかりではないけれども、それに関係する研究所もみな入っているけれども、それほどのものならみんな日本のためになるじゃないですか。そうして開放制をとっても、もし、それで足りなければほかのものを入れたらいいじゃないですか。もし、これを教員養成大学にしぼって、今度は免許法でもってしぼったらどうですか。私立大学は猛然としてこれに立ち上がりますよ、ごらんなさい。あなた方の力でやってごらんなさい。私立大学は猛然としてやりますよ。ぼくはにらんでいます。そのとおりだと思う。私立大学はそんなことをして門戸を閉ざされてはたまらない。われわれが若いとき教員をやったときには、私立大学を出た人はどんなに優秀でも校長になれなかったし、教頭にもなれないという仕組みだった。月給まで差別をつけられた。そういうような悪い仕組みをぶちこわして、戦後、私立を出ようがどこを出ようが、人材であるならば、それぞれのポストを与えるというような、ようやく気風が出てきたときに、何でそんな、これだけの教育をやらなければ国は経費もかけられないというようなけちな考え方を、国立大学の中で差別的なそういう考え方を持つということが私はわからぬな。文部大臣はそういうやり方を一体あれですか、文部行政としてやっていくのですか。
  126. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 私は古いいきさつに関係がありませんから、とらわれない気持ちでものを考えておるわけでありますが、御承知のとおり、従来、学芸学部が十八、教育学部が二十あったわけであります。教育学部に変えると、何か視野の狭い教師養成されるのじゃないかという疑念もあるように感ずるのでありますが、しからば、過去には教育学部が二十あり、学芸学部がほかにあって、そのいずれを出てもいまの大学制度養成をしてまいりますれば、昔の師範学校のような視野の狭い人間はできない。やはり学芸学部を出た教師も、二十ある教育学部を出た教師も、同じ近代的な大学教育を受けた人材が養成されていっておるわけでありますから、いろいろ中教審教員養成審議会答申建議等もありますので、こうした同じ仕事を、同じ教育をやっておりながら、名称が二つに分かれておる、これはどうも私は不合理じゃないか。できればどっちかに統一したほうがいいという気持ちが私自身はいたしておるわけです。できれば、教師養成をするのでありますから、教育学部でやり、先ほどお読み上げをいただきました教養部を担当しておる学芸学部もありますが、教育学部においても、教育学部が教養部を大学の自主的な相談の結果担当しているところもございます。今後もこういう姿は持続いたしまして、大学の自治で、やはり教育学部になりましても、教育学部が従前どおりその大学全体の教養学部を担当していく、これは一般教養でございますから、非常にまたそれも私はけっこうだと思うのです。そういう内容に変革を加える必要はありませんが、問題は、同じ日本の国立大学で、同じ教師養成することを大体中心目的としておる学部が、一方は、学芸学部であり、一方は教育学部であるという姿は、どらも芳しくないのじゃないか。審議会からもそういう建議が、早く答申があり、また最近になって建議もございましたので、私としては、そういうような状況を判断しまして、とらわれない気持ちでこの案を提案することに自分も決心して、決済をして、提案の運びに至りましたような次第で、教育学部ということに名称が変わったからといって、決して、従来教育学部学芸学部卒業生と同じ品位の教師が生まれておる以上は、さらにこれをはっきりとした名称の学部にいたしまして、そしてよりよき教師養成に、教授陣その他施設設備等を充実いたしまして拡充していったらよかろう、これを契機にそうしたらよかろうと、こういう実は考え方を持っておりまする次第で、何か名称を変更いたしますと非常に改悪されるかのごとき疑念もあるようでございますが、私どもとしては改悪どころじゃない、大いに改善をして、りっぱな教職員養成されるようにいたしたいというつもりでおりますので、私としましては将来その方向で文部省としてはやるべきである、そして大いに幅の広い、しかも教師として十分の知識を持ったりっぱな人材を養成するようにつとめるべきである、かように考えておるような次第でございます。
  127. 小林武

    小林武君 そういうことになると、ぼくもひとつここでお願いをしますが、どうも大臣は私の言うことをよく御理解していただかなかったようだ。ぼくも別に名前を変えるだけの話ならば、統一されていないから名前だけを変えるのだということであるならば、変えなくてもいいんだし変えてもいいんだし、そういう議論は成り立ちますよ。しかし、そうじゃない。いま局長の言うように、学芸学部ということにしておくと教員にならないものがどうもよけい出過ぎる、だから教科目も相当変え、名前も変えて、そして教員養成をとにかくする。その教員養成だけが目標なんだという目的大学にするというところにねらいがあるのだという。そうなると違ってくるのですよ。教育学を習うについても、一体学問としての教育学になるのか、技術としての教育学になるのか。たとえばよく目的大学の中のあれには教育原理という科目があるそうだ。これは教育学者の間では教育原理なんていうものは一体あれはどこにあるのですか、学界が。そんな学界どこにあるのだという話があります。私らは学者じゃないからよくわからぬけれども、およそ教育学という中に入るものは、どういう講座が集まって教育学というものを形づくっておるかということはよく御存じのはずだ。教育原理なんていうものはありはせぬといっておる。それは教育全般を総括したものならば、一体そういうどえらい先生というのはどこにいるのだ。教育学の各講座の分野が全部わかるような先生はどこにいるのだ。それは天才でなければきっとおそらく何でも屋の百科辞典みたいなやつだろうということを言う人がある。私は、だからそこに学問がなくなってしまって便宜的なそういう教育をやる、そういう教育を受けた教員はどういうことになるかということを言っている。だから、やはり名前を変えるということと中身の問題とはちゃんとこれは相応したあれがあるのですよ。だからぼくらは心配する。もちろんあなた方も名前を変えるだけのことなら、そう力み返らないと思うのですよ。私のほうも力み返らない、もう適当なところでそんなつまらないことはやめてしまいますよ。しかし、そうではないのだ。そうして学芸学部というものをつくったのも、議論の末できたものですよ。これはアメリカからもらったものじゃない。学芸学部というのは何かと言ったら、さっきも読み上げたように、学芸学部こそ小中同校の教員たちが教えるところの内容を勉強するにふさわしい学部だから、これをひとつつくりたいといってこれをやった。しかし、その人たちが現場のあれについてみて何か不便があるならば、それを補強することについて私は何も文句を言っているのじゃない、そういうものがあるなら。そうでないのだから、ぼくはさっきからいろいろなことを言っているのですよ。だから私は、そこで文部大臣は、なるほどお前の言うことを聞いていれば、半分くらいわかったかわからぬかしらぬけれども、ちょっと聞いてやれるところがあるというなら、私はやはりあなたの頭の中には、そうお前は言うけれども、お前なんか比較にならぬえらい人を集めて、とにかく審議をして答申を得たのだから、それを聞かなければならぬ、これを聞いたら間違いないのだということを、これは大臣としてそういうことをおっしゃるのは、これはぼくは、ぼくが立場をかえれば同じことを考えるかもしれない。だから、ひとつそれを出してくれと、こう言っている。どんなどえらい人がどんなことを言ったか出してくれとさつきから言っている。もうできたろうから、この質問をしている間ぼくはそれを見ているから出してくれ、さっき約束したでしょう。
  128. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 一言申し上げておきますが、学問としての教育学、これは私もあなたのおっしゃるとおり非常に大事だと思うのです。それは教師としての技術的な教育学、そればかりをやったのじゃ、これはほんとうに幅の広いいい教師は生まれないと思いますから、なるほど教壇に立つのには教壇に立つ人として心得るべき教育者としての教育学、そういうことも必要でしょうが、同時に、これは大学である以上は学問としての教育学はこれは十分に勉強をしていただいて、そうしてもっと幅の広い教師養成するようにつとめるのが、これはもう本質論としては文部省の任務で、また大学の任務で当然あろうと思うのです。いずれにしましても、私どもとしましては、この改正によりましてよりよき状態をつくりたいというのが念願でございますから、私ども内容の整え方について不十分の点はひとつ御指指をいただき、御鞭撻をいただきまして今後とも努力をしてまいりたいと、さように思っております。
  129. 小林武

    小林武君 教育原理というのは教育学にはないのだ、とにかくそれをひとつ見せてください。
  130. 小野明

    ○小野明君 出すときには、先ほどの学芸学部長のあの申し入れの件も一緒に出してください。大臣、名前を変えるだけならば、これはたいしたことはないのです。それでいまの大臣の話でありますと、まことにりっぱな話で、戦前のように狭い視野にとらわれない幅広い知識を持った先生をつくっていく、現在そういった人材を教育界に迎え入れなければならぬ、実はそういった精神というのが戦後の学制改革の精神だったわけですよ。それが、ただ大臣が言われるように名前を変えるだけじゃないでしょう。今度はあとにいろいろつながってくるわけでしょう。免許法の改正、あるいはそれに伴ういろいろいま局長答弁されておる養成大学に伴う設置基準、あるいは教育課程という問題も出てくるでしょう。そうしますと、そこの新学制になりましたそれを全部引っくり返すような、開放的な制度というものを閉鎖的な制度にしてしまうおそれが感じられるわけですね。大臣が言われるだけのことでしたら、これは全国の学芸学部長の協議会が反対の申し入れをしたり、そういうことはないですよ。いろいろ一年がかりで説得して、そうしてことしの予算にも説得をした責任上、若干の、百六十二名ですか、教官増もやった、そういう説得をした手前、そういう実績も示さなければならぬ、こういうことになっているわけですね。そうしますと、やはりそういった中でも三つの大学だけが言うことを聞かなかった。なかなか素直に大臣の言われるとおりわれわれは受け取れない、また、全国の国立大学、あるいは学芸大学というのも受け取れないところがあると思うのです。その辺を大臣はどういうふうにごらんになっているのかお尋ねをしたいと思うのです。
  131. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 先ほども申し上げましたように教育学部という名称及び組織の大学も二十ほどございますので、ここでいままでさしたる欠陥も出ていないわけでありまして、私どもとしましては学芸学部という姿よりは、むしろ教師養成機関養成部門である、ちょうど医者を養成する医学部部門である、工業技術者を養成する工学部部門であるというのと同じように、一つ部門の方向を明らかにしたもののほうがよかろう。これについてもかってに考えわけではありませんので、二つの議会がそういう意見をまとめておられますし、また同時に、これを実施するに当たりましては、関係大学にも自主的に御相談をしていただきまして、教授会でよかろう。こうなったところから順次やりたい。まだまとまりのできていないところは無理に引きずってはいかないというような弾力性のある考え方でこの案をつくりました次第であります。もちろん。先ほど来御議論にありましたように、大学学術局が中心になりまして各大学と話し合いをしたことは、若干押しつけがましい面があるのじゃないかという感もするかもしれませんが、これは会いますときには学芸学部長あるいは大学の学長、こういう方々とお会いするわけでありまして、大学できめた意思というものは教育学部教授会はもちろん、大学教授会で、それならばそのほうがよかろう、こういうことにきまりましたものについて今回は取り上げておる次第でございますので、学部として今後も残されているものは二、三ございますが、これらが今後一つ比較の問題になっていくと思いますが、私どもとしましては、学部にかわったからといって悪くなるのじゃなくて、よりよいものにしたい、これがわれわれのほんとうに念願しておるところなわけであります。この点については、よりよくするならば、そのやり方はまだ足らぬじゃないか、こういうおしかりは十分にちょうだいをして、改善につとめてまいりたい、こう思っておるのが現状でございます。
  132. 小林武

    小林武君 さっき、資料というか、会議録ですね、あの会議録を見せるというのはどうなったのですか。何だか知らないけれども、さっぱり要領を得ない。あなた、見せなきゃいかぬ、さっき見せると約束したじゃないですか。
  133. 杉江清

    政府委員杉江清君) 前にも申し上げましたとおり、これは非公開になっておるのでございまして、やはり私ども立場でこれをお見せするということもにわかにいたしがたい性質のものと考えております。ただ、どういう御意見があったかという御質問があれば、それについては私どもは知り得た限りにおいて、このような意見がありましたということは申し上げてよろしいかと存じます。
  134. 小林武

    小林武君 文部大臣、おかしいじゃないですか。一体中教審が秘密会だとか何とかいって、公開しないとか何とか言ったところで、これはあれじゃないですか・国会議員が見たいというのを見せない理屈がありますか。これは外交の機密だとか、軍の防衛上の機密とか何とかというなら、これは一応話もわかるような気がするし、それだとしても、一体見せないということのためには相当理由を言わなければならない。予算なんかの場合に、資料として出せないということのためには、理事会においてよほど説明しなければそんなものは通用せぬですよ。それは一体どうして見せないのですか。どうしてそれは見せられないのですか。私はそういうものが明らかになってこないと、学芸大学をどうしなければならぬという議論は生まれてこない。日本教育の現状で、教師の問題についてたいへんぐあいが悪いから直さなければならぬという理由があるなら、何か出てくるはずだ。だから見せろ。どうして見せないのですか。これはもうとにかく大学学術局長が答えることではなくて、文部大臣が答えるべきことです。先ほどは出すようなことを言って、何で出さないのですか。
  135. 松永忠二

    ○松永忠二君 その前に関連。先ほど私は理事同士で話し合いをしてこれならよかろうと言ったのは、小林委員が、どういう意見があるかという質問に対して、記録に基づいて、そうしてその具体的な名前は言わないけれども、これこれこういうふうに雷っているということを答える、ただそういうことでやるということを確認をしてやったわけだ。だから、それならばまずそういう方法で、とにかくこういう人は何と言っているかというようなことについて、だれがこう言っているとは言わないけれども、名前は言えないけれども、こういうふうな意見を述べているということを記録に基づいて言いなさいと、それを承知するということであったわけです。それを見せるとか見せないとかいうことになると、また少し話は一歩前進をしていくわけでありますけれども、まずその段階で満足が得られるかどうか、とにかくやっていかないと、いまのような答弁をするから、そういうことを結局大臣に直接やはり聞かなきゃできないことになってくると思うんですよ。だから、記録に基づいて、ある人がこういう意見を明確に言っているということを答弁をすべきですよ。そうしなきゃだめですよ。
  136. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) たいへん恐縮でございますが、実は私、向こうの分科会に出ておりまして、こちらへ参りましたときに聞きましたところ、事務当局でいろいろ相談をした結果、審議会としてはスタートのときに相談をされて、議事運営規則をつくって、そしてこの審議会は秘密会とすると、こういうことに議事規則でなっておるので、どうもそういう審議会の意思決定に対していかがなものだろうかという話でありましたから、いま松永理事さんからお話のとおり、質疑応答を通して御理解のいただけるものなら、できるだけその実態を説明したらどうかと、こう言っておきましたようなわけで、いま松永理事さんのお話のとおり、小林委員が熱心で、諸般の事情も御存じのようでございますから、こういう点はどうか、こういう点はどうかという御質疑を通していままでの審議会の経過等を御説明することで、ひとつ審議を御継続いただければありがたいと思っております。
  137. 小林武

    小林武君 私はどうしてもその理由がわからないんですよ。これは何か特別秘密にしなきゃならないようなことを議論するわけでないんでしょう。日本教育をよくしようと、こういうような問題をやるんです。それが秘密でやるということはどういうことでしょう。何の秘密が必要なんですか。兵器の秘密がどうだとか、戦略の秘密がどうだとか、戦術がどうだとかいうこととは違うでしょうし、外交上の問題であって、いま進行中であるからその間の経緯を明らかにするということはぐあいが悪いということはあるだろう。それも政治の上ではあり得る。しかし、日本教育のことを論ずるのに一体非公開にするということはどういうことでしょう。われわれもこういう場合でも自由にものを言っているじゃないか。反対の意見の者もずいぶんあるでしょう。そういう者も自由に傍聴できるような仕組みになっている。国会だってもうラジオやテレビでもって放送するようになっている。何が一体ぐあいが悪いんですか。それじゃそれらの人たちが文筆をもって外部に自分意見を発表しないかというと、どんどん発表しているじゃないですか。中にはずいぶん極端なことを言っている人もある、この中教審委員の中には。ある団体を目して、まるで昔のことばなら国賊扱いをするようなことを言っている人もある。この団体はぶっつぶさにゃいかぬということを言っている人もある。そういうような、聞きやあ聞きっ腹が立つようなことを自由に言うような人たちが、大事な教育の問題を議論するのに何で一体公開できないのですか。しかし、私は会の運営上、たとえば新聞記者がどんどん入ってくる。外部の者が傍聴に入って来たらうるさくてだめだし、会議の進行のじゃまになるから公開にしないのだ、これはわかります。その中へぼくらが入っていってみようなんということは言わない、しかしながら、その記録を見るというようなことがどうしていけないのか、理由がわからないです。それはどういう一体根拠があるのか、また、その初めの申し合わせというようなものに、なぜ文部省は同調したのか、どういうことなんです。
  138. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  139. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 速記を起こしてください。  この際、暫時休憩いたします。     午後八時二十六分休憩      —————・—————     午後十時五十一分開会
  140. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) これより委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題し、質疑を続行いたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。なお、政府側より中村文部大臣中野政務次官杉江大学局長が出席しておられます。
  141. 辻武寿

    辻武寿君 私は、夜分おそくもなっておるので、はしょって簡単に三、四お聞きします。  学芸大学教育大学に、学芸学部教育学部に名称変更するということは、各大学の自発的な意思に基づいて行なわれたのか、それとも文部省の方針でこういうことが法案に載ってきたのか、その点をまず最初に確認しておきたいと思います。
  142. 杉江清

    政府委員杉江清君) 大学とよく御相談し、大学の御意向に沿って今回の措置をとったのでございます。
  143. 辻武寿

    辻武寿君 大学と相談し、大学の意思に沿ってやったのですね。ところがだ。全国の学芸学部長で構成している学芸学部長協議会、この協議会では昨年の六月、いたずらに名称の画一統一に急であってはならぬという要望書を出している。一つは、学芸学部はその成立事情から言って、教員養成を主としながら他学部一般教養を担当し、さらに文理学部的な使命の一部を果たしてきた。また、学芸学部整備充実あたり、地域の事情によって人文、社会、自然、各分野にわたる学芸課程を設置できるようにしてほしい。学芸学部を整理解消して、既成の単一目的学部だけで総合大学を構成するならば全国が皆小型旧制大学となり、地方大学の創意特色が失なわれる。地方大学の幾つかは本来のリベラルアーツを根幹とした新タイプ大学に成長することが望ましい。名称問題はまず内容整備充実を先にすべきである。いたずらに名称の画一統一に急であってはならない。こういう要望書、これはせんじ詰めれば学芸学部の名称をそのまま残してくれという要望であって、あなたは話し合いをして合意の上でやったというけれども大学の側のほうとしては、こういうふうに学芸学部長協議会で残してくれというのですから、文部省の方針で強引にやったのじゃないかと思うのですが、その点はどうですか。
  144. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部長のお集まりの会でただいまのような御要望のありましたのは事実であります。またその後も各大学とよく御相談して、その御意向に沿って今回の措置をとったものでありますし、なお一部御了承いただきません大学については、その御意向を尊重して名称変更の措置はいたしておらないのであります。なお、学芸学部の地域における特殊性等については、今後とも十分考慮して、その整備充実をはかってまいりたいと考えております。
  145. 辻武寿

    辻武寿君 まあしかし、こういう要望書が出ているということは、大学当局の意思でないことだけは、私は明らかじゃないかと思うのです。それが秋田と大阪ですか、二つ残して、昨年の十二月までには大体名称変更を了承した。その間の経緯ですね。文部省側大学側とが、どれぐらいのそういった会議が持たれたのか、簡単にその経緯を。
  146. 杉江清

    政府委員杉江清君) 最初に、関係の学長及び学部長さんのお集まりの会でお話しし、その後、教育大学協会の会合等においてもよく御相談申し上げて、なお、特別にこの問題を御審議いただくために、ブロックの代表の方からなる協議会をつくりまして、そこで数回の会合を持ちまして、いろいろ御相談してまいったのであります。そういった御相談の結果に基づきまして、各大学でまた御相談いただいて、各大学の賛否の御意見をおまとめいただいたのであります。
  147. 辻武寿

    辻武寿君 まあ、大学がそういう要望をしながらも、文部省側にしかたなく従ったというふうに思えるわけですね。その裏には、やはり予算が獲得できない。校舎再建の予算を獲得するためには、文部省にそうしていつまでも抵抗できないというような事情があるのだということはもっぱら評判なんです。そういう点、私たちは強引すぎるのではないかと思う。昨年の宮城教育大学をつくるときに、そのときの文部大臣は愛知さん——これが新しい一つのやり方になるというものではない、こういうふうに御理解願いたいものと思います、あなたも、そういうことは考えていないというような答弁を国会でしていると思うのです。ですから、連鎖反応して次から次へとみな教育大学に改めていくのじゃない、これだけだというような、会議録を見ると、そういうふうにとれるような国会答弁。それがことしになって、こういう法案ができて、みな教育大学に変えていったほうがいいのだというふうに、文部省の方針として、こういう法案ができてきたというふうに、そういうふうに、われわれはそういう意味にしかとれない。そこのところの事情はどうなるのか、約束違反じゃないかと私は思えるのですがね。
  148. 杉江清

    政府委員杉江清君) ただいま御指摘の私の発言は、総合大学ないし数学部の中にあります学芸学部は、これを学芸学部ないし教育学部を、これを分離し独立させて、単独の教員養成大学にするつもりかという御質問に対しまして、いまのところ、さようなことは考えておりません、こういうふうな御答弁をしたつもりでおります。なお、学部名称につきましては、その当時におきましても、そういう御意見も現にあるし、御賛成の学部長さんもおありであるから、今後ともよく相談して措置してまいりたい、かように考えております、こういうふうに私御説明申し上げたつもりでおります。
  149. 辻武寿

    辻武寿君 去年の会議録を見れば、宮城教育大学がはしりになるのじゃないかという点に対して、そんなことはないという愛知さんの答弁のようにとれるし、どうもそれがことしになって引っくり返った。引っくり返ったのじゃなくて、初めからそういう計画的な文部省の予定方針じゃないかというふうに私はとれるのです。しかし、それはそうではないと言うから、これ以上言っても水かけ論になりますので追及しませんが、秋田大学等は学芸学部と鉱山学部、この二つしかない。その学芸学部教育学部にしてしまう。そうすると、県内の高校生は、大学にいくときには鉱山学部という特殊な部門と、あるいは教員になる、この二つしか道がなくなってしまう。こういうやり方がよいものか。幅の広い人間をつくっていくためには学芸学部として置いて、教員にしかなれないような、鉱山学部教員とどっちかにしかないのだということでなくて、幅広い学芸学部とされておいたほうが、よほど私たちはいいんじゃないか、県民が喜ぶんじゃないか。学芸学部のほうがかえって私たちは国民が喜ぶと思うのですがね、そういう点どうですか。
  150. 杉江清

    政府委員杉江清君) 秋田大学のような、ああいう二学部しかないところの学芸学部には、たしかに地域の事情からそういうような御主張があることは了解できます。しかし、現実に学芸学部の中で行なわれておりますその地域要望に即する教員というのは、現在きわめて微々たるものでありまして、現在の形でそのような地域の要望を満たすということはほとんど私は期待できないと思うのであります。しかし、秋田大学全体のあり方と関連し、なお、学芸学部のあり方においても、今後地域の事情、大学の事情、その特殊性等を十分勘案して、その整備充実の計画を立ててまいりたいと考えております。
  151. 辻武寿

    辻武寿君 とにかく学芸学部教育学部に変更するということは、私は現在の社会的条件では無理だとこういうふうに思う。それから、はしょりますが、教員になり手がないから、学芸学部としておくとみんな教員養成部であるのによそのほうの会社に勤めてしまう。だから教育大学にするのがいいのだ、教育学部にするのがいいんだと、こういう意味が多分に含まれておりますか。
  152. 杉江清

    政府委員杉江清君) 学芸学部において特に教員になり手が少ないという事実はございません。教育学部においても学芸学部においても大体その学生の九〇%は教員になるのでありまして、一〇%程度が進学したり他に就職したりするのであります。だから、むしろそのような実態があるからこそ、その実態に即して教育者養成という目的、性格を明らかにする学部としてそれを性格づけ、その性格のもとに一そうの整備充実をはかっていくことが必要であろうと、こういう考え方に基づくものであります。
  153. 辻武寿

    辻武寿君 私はこの学芸学部であっても教育学部であっても、その名称変更なんというものは大した問題ではないと思う。要するに待遇をよくしなければならぬ。待遇をよくすれば教育学部であっても学芸学部であっても先生はどんどん出てくる。あなたは九〇%全部教員を志願していると言いますけれども、実際に調べてみればそうではなくて、やはり教育学部にしないからよそに逃げてしまうのだというような論議が相当されておると思うのです。教員の待遇をよくするということがほんとうのいい素質の教員を生み出すということに対してはどうですか。
  154. 杉江清

    政府委員杉江清君) 確かに待遇の改善が教員資質向上、優秀な者を教育者として入手する最も基本的な施策だと考えます。この点につきましては、本省としては十分に努力をしなければならないことであると考えております。
  155. 辻武寿

    辻武寿君 まあ名称を変えなければ内容充実できないなんということは私はないと思うのです。  時間がありませんから、最後に一つ。先ほど中教審の問題が問題になったんですがね。中央教育審議会は非公開がたてまえであるが、発表できないと言われると秘密会議でも行なわれているような感じを受ける。その答申が非常に文部省で尊重されている。私は憲法調査会なんかは、一字一句、だれがどういうことを言ったであろうと、少数意見であろうと、多数意見であろうと、こまかくそれは載せられておる。ですから、それを調べたときに非常に気持ちがいい。だれがどういう意見を出したか。教育なんという問題は非常に重大問題であります。しかも、中央教育審議会答申というものは必ず問題になってくるのですから、そういうものはむしろ速記録でもきちんととって、そうして、オープンで、だれにでもわかるように、だれがこういう意見言ったからこういうふうになったのだという経緯がよくわかるようにしたほうが、これから日本教育界のために私は明朗でいいと思う。だから、今後の中教審のあり方などというものは、再検討しなければならないと思いますが、文部大臣にひとつ御意見を聞きたいと思うのです。
  156. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) できるだけ各委員意見は朗らかであることが望ましいが、ただ中教審は御承知のとおり、大学の学長、教授、あるいは小学校長の代表、中学校長の代表等いろいろな立場にある人たちがおりますから、審議段階としては、自由な意思の表明を、立場にとらわれずに行ないますためには、一応非公開で審議をするということが、かえって思い切った意見の発表ができると思って、私ども考えておりまする次第でございまするが、それらの状況の発表等につきましては、今後、中教審にもよく考慮をしていただきたいと考えておる次第でございます。
  157. 辻武寿

    辻武寿君 私はもっとやりたいけれども、時間がありませんから、これで。
  158. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) それでは速記を中止して。   〔速記中止〕
  159. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 速記を起こして。  中村文部大臣から発言を求めておられますので、これを許します。
  160. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 先ほどの小林委員発言につきましては、小林委員の御要望にこたえたいと思っております。ただ、中教審が非公開をきめておりますので、文部当局といたしましては、その点をいろいろと苦慮いたしておるような次第でございます。
  161. 小林武

    小林武君 その記録を見せるということについては、文部省が了解をしたわけでありますから、私はこれを了承いたしますが、ただ、非常にいままでのいろいろの関係から苦慮されているという事情もわかりますので、ただいまここで見してもらいたいということを申し上げたことは、私はいまここで取り下げたいと思います。将来ひとつその点については、事が教育の問題でありますから、十分御連絡の上に、今後そういう点で御決定のとおりにされるように希望いたしておきます。  文部大臣お尋ねをいたしますが、今次の国立学校設置法の一部改正案は、提案趣旨から考えまして、単に名称を変更するのみであり、今日までの学芸大学学芸学部のあり方を変更する意図が全くないものと了解してよろしいでしょうか。
  162. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) そのとおりでありまして、大学の実情を考慮し、かつ大学当局とよく相談して、今後その改善充実をはかってまいりたいと思っております。
  163. 小林武

    小林武君 現在の学芸学士コースの存置を希望する場合には、これを認めると理解してよろしいか。
  164. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 御指摘の点は、大学側と十分、文部省としましては協議してきめてまいりたいと思っております。
  165. 小林武

    小林武君 大学設置基準案は、省令決定以前に国会にはかる意思があるかどうか。
  166. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) これは省令でございますから、おはかりするということでなしに、国会の御意見もできますことならばできるだけお聞きしてまいりたいと、かように考えております。
  167. 小林武

    小林武君 あらためて、学芸大学学芸学部の名称を存置する希望の大学についてはそれを認める意思があるかどうか承りたい。
  168. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) その点は、大学側と十分相談をいたしまして取り扱ってまいりたいと思っております。
  169. 小林武

    小林武君 教育課程については、他の一般大学と同様に、各大学において編成することを認めるべきだと思いますが、この点についてはどうでしょう。
  170. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) この趣旨に立って大学の自主性を十分に尊重し、大学側と協議して善処してまいりたいと思っております。
  171. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 他に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  172. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 御異議ないものと認めます。  北畠君から委員長の手元に修正案が提出されておりますので、この際、本修正案を議題といたします。  北畠君より修正案の趣旨説明を願います。北畠君。
  173. 北畠教真

    ○北畠教真君 私は、本法律案に対する修正案を提出いたします。  まず、案文を朗読いたします。  国立学校設置法の一郎を改正する法律案に対する修正案  国立学校設置法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。  附則第一項を次のように改める。  1 この法律は、公布の日から施行する。ただし、この法律による改正後の国立学校施設法第三条第一項、第三条の二第一項及び第四条第一項中大阪大学に係る部分並びにこの法律による改正後の国立養護教諭養成所設置法(昭和四十年法律第十六号)第二条第二項中北海道教育大学養護教諭養成所に係る部分の規定は、昭和四十一年四月一日から適用する。附則第二項中「この法律の施行の際現に」を「昭和四十一年三月三十一日に」に改める。附則第三項中「(昭和四十年法律第十六号)」を削る。  本法律案につきましては、年内成立が困難となり、四月一日施行ができなくなりましたので、施行期日及び四月一日にさかのぼって適用しなければならない事項について、所要の修正を行なうため、ここに修正案を提出するものであります。  何とぞ御賛同くださいますようお願いいたします。
  174. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 北畠君より提出されました修正案に対し、質疑のあるお方は順次御発言を願います。——別に御発言うもなければ、質疑はないものと認め、これより原案並びに修正案について討論に入りたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  175. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 御異議ないと認め、これより討論に入ります。  御意見のあるお方は、賛否を明らかにしてお述べを願います。——別に御意見もないようですから、討論はないものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  176. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより、国立学校設置法の一郎を改正する法律案について採決に入ります。  まず、北畠君提出の修正案を問題に供します。北畠君提出の修正案に賛成の方の挙手をお願いいたします。   〔賛成者挙手〕
  177. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 挙手多数と認めます。よって、北畠君提出の修正案は可決されました。  次に、ただいま可決されました修正部分を除いた原案全部を問題に供します。  修正部分を除いた原案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  178. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 多数と認めます。よって、修正部分を除いた原案は、多数をもって可決されました。  以上の結果、本案は多数をもって修正議決すべきものと決定いたしました。  松永委員より発言を求められておりますので、この際、これを許します。
  179. 松永忠二

    ○松永忠二君 私は、ただいま可決をされました法律案について、附帯決議を提案をしたいと思います。皆さんの御賛成を得たいと思うのでございますが、案文を朗読をいたしまして、提案をしたいと思います。  国立学校設置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)  政府は、教員養成重要性にかんがみ、特に  左の事項に留意すべきである。  一、教員養成については、大学において行なうという従来の方針を堅持し、学芸大学及び学芸学部の名称を教育大学及び教育学部に変更することにより、かつての師範教育の復活を意図するものであってはならない。  二、教員資質の向上を図るとともに、その待   遇改善に努めること。  右決議する。
  180. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) ただいま松永委員から提出されました附帯決議案を議題といたします。  ただいまの附帯決議案を本委員会の決議とすることに賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  181. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 総員挙手、全会一致と認めます。よって、松永委員提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  文部大臣より発言を求められておりますので、これを許します。中村文部大臣
  182. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) ただいまの附帯決議につきまして、その御趣旨を体して努力してまいりたいと思っております。
  183. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) なお、本院規則第七十二条により議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  184. 二木謙吾

    委員長二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後十一時二十二分散会